Tumgik
tvod · 5 years
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#TVOD Essay27 「セッちゃん」のこと/comeca
「セッちゃん」は、イラストレーター・映像作家の大島智子による、初めての長編まんが作品である。「誰とでも寝る女の子」である「セッちゃん」と、「誰にも興味を持てない男の子」である「あっくん」の物語。
大島はかつて、自身の作品の主題を、日本国憲法の条文を読んで決めた、と語っている。
 大島:そう。続いてるのは……クラスメートがいいって言ってくれたからかな? それからずっと絵柄は変わらないんですけど、サブカルっぽいテーマのイラストを描いていて、しばらく経ってから今のような日常的なテーマを描くようになりました。
泉:何かきっかけがあったんですか?
大島:大学生のとき、日本国憲法の第25条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあるのを知り、「この言葉すごい!」と思って、絵のテーマにしようと決めたんです。健康で文化的な生活って、つまりは普通の日常だなって。
「泉まくら×大島智子 共作を通じて、生きる自信を膨らませた二人」https://www.cinra.net/interview/201504-izumimakura
 「健康で文化的な最低限度の生活」としての普通の日常。セッちゃんもあっくんも、そういう日常の中を生きている/いた。その日常の中でセッちゃんは、「セックスは、『ごめーん』とか『ありがとー』とか必要なくていいな」「セックスは、私と同じく、汗が出て、よだれが出て、声の出る人間が、いると思えるからいいな」と思いながら、中学生のときから誰とでもセックスをしていたし、あっくんは高校のクラスメイトの黒須さんの死体を見つけてしまっても、「おれは大丈夫。おれはこっち側。友達と笑って、テストは20番以内キープして、彼女つくって、おれはそういうことができる。あのぐちゃぐちゃの物体はただの死体」と感傷を封じ込めていた。
セッちゃんはコミュニケーションをまともに介在させない「ただのセックス」を繰り返しながら、あっくんはコミュニケーションをとることが不可能な「ただの死体」を遠ざけながら、それぞれの日常を生きていたのだ。セッちゃんは日常の中で浅薄なコミュニケーションをとることをあらかじめ拒絶しているし、あっくんは日常の中で浅薄なコミュニケーションに留まるしかないという諦観をあらかじめ持っている。
 いつまでも続いていきそうだったそういう「平坦な日常」(ウィリアム・ギブスンのこの言葉を引用した「リバーズ・エッジ」などの、岡崎京子の諸作品の意図的な参照が本作品には散見される)に、亀裂が入る。学生運動の中からテロ行為に走る過激派が現れ、社会を動揺させる(ただ、このストーリー展開における政治や社会運動に対する描写の単純さはどうかと思う。浅野いにを「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」でも同じようなことを思ったけど)。セッちゃんやあっくんの身の回りの人々も、「すぐに生き方を変える」。キスもセックスもしなくなって、「いつものくだらないカラオケのストーリー」や「真夜中の自撮り」もやめて、「デモに参加したり論文とか書き始める」。鯖缶を食べ終えたあと、猫のように友だちとセックスをしようとするセッちゃんは、「こんな時にそんなことしないでしょ!?」と拒絶されてしまう。
 「日常生活を批判する」過激派の学生たちは、動物園も電車もシェアハウスもアパレルショップも爆破していく。「健康で文化的な最低限度の生活」としての日常の風景は、どんどん壊れていく。「だれかだれか だれでもいいから 前みたいにいっしょにいて」と思っているセッちゃんと、「でもおれたちは、ずっとこっち側で、大丈夫なはずじゃん」と思っているあっくんは、周りの人々から取り残されていく。
 「『ごめーん』とか『ありがとー』とか」、そういうコミュニケーションをとらなければいけない世界は、「友達と笑って、テストは20番以内キープして、彼女つくって」生きていかなければいけない世界になり得る。「めんどくさい」不可能性だらけの世界。そういう世界を無理やりにでも遠ざけていたセッちゃんと、そういう世界に諦めと共に留まろうとしていたあっくんは、日常の風景が壊れていく状況の中で、いつの間にか一緒に過ごし始める。二人で意味もなく座り込みをしたり、二人で難解な台詞回しのよく分からない昔のフランス映画を観たり、あっくんの部屋で二人で漫画を読んだり喋ったり。でも、セックスはしない。二人は「そういうんじゃなかった」から、「なんか落ち着く」から、「なんとなく一緒にいる」。それぞれ異なる形で世界に取り組もうとしていた二人は、「普通の日常」が壊れていったからこそ「もうなにがこっち側なのか分かんないし、今までのこっち側もなんだったのか分かんない」状態になって、一緒に過ごすことができるようになる。
二人はたぶんお互い生まれて初めて、コミュニケーションを拒絶することも、コミュニケーションに諦観を持つこともない形で、「なんとなく」他者と共に過ごすことができたのだと思う。だからセッちゃんは、あっくんとつくったカレーを二人で一緒に食べたとき、「だれかとするよりおいしい」「セックスよりも体に染み渡ってとってもおかしかった」と感じたのだ。「日常」が壊されていくなか、自分たち自身の「日常」をつくりだしていくことで、「日常」ひいては世界の中にある不可能性ではなく可能性に、セッちゃんとあっくんはいつの間にか触れていたんじゃないかと思う。
 「『ごめーん』とか『ありがとー』とか必要」な世界を拒絶したり、「友達と笑って、テストは20番以内キープして、彼女つくって」生きていく世界に諦観を持ったりできる存在とはつまり、「子ども」である。セッちゃんとあっくんは、「少女漫画にかぶれてる」「悪意の無い計算高さが浅はか」な、あっくんの彼女のまみさんをバカにするけれど、二人ともどこかで、そういう「浅はか」なまみさんの方が大人になれる可能性とその意志を持っていることに、本当は気付いている。自分たちの方が本当は「バカ」で「子ども」であることに、二人とも気付いている。だからセッちゃんは「誰かわたしを運んでくれないかなあ 誰かわたしをどこかに」と、自分で自分の主体を引き受けることを恐れているし、あっくんは「おれがこっち側でいるために、だいじょうぶでいるために、その計算が必要なんだよ」と、自分の主体を誰かに預けることばかり考えている。この社会における「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が、日本国憲法第25条によって保障されていることを、「子ども」たちは気にかけない。「普通の日常」は自明のものではなく、そうやって歴史的かつ社会的に構成されているものであること。大人たちが自らの主体としての責任を引き受け、その社会的な構成の維持にコミットしなければ、「ずっとこっち側で、大丈夫なはず」であるわけがないこと。「浅薄なコミュニケーション」をとる人々や世界をバカにし、拒絶し、諦観を持っているだけでは、「日常生活を批判する」過激派の学生たちと何も変わらないこと。
セッちゃんもあっくんも、そういうことに、いつまでもずっと「子ども」ではいられないことに、本当は気付いていたんだと思う。
 でもたぶんセッちゃんは少しだけ、主体を引き受けようとした。自分では「なにかを選んだりすることができない」セッちゃんが、唯一誰かにしてあげたいと思ったこと。中間テストで一番をとったらクラスメイトに殴られて、歯が折れてしまった妹のうたちゃんに、差し歯を買ってあげること。そのためにバイトして、でも母親が(まったく悪気無く)先に差し歯を買ってあげてしまって。セッちゃんはそういう自分を「バカだ」「間違えた」とごまかそうとしたけれど、あっくんが「バカじゃない」と言ってくれて、うたちゃんもそういうセッちゃんの行動を喜んでくれて。
そして、誰かに運んでもらうことばかり考えていたセッちゃんは、「セッちゃんさあ、オレと付き合わない?」とあっくんに言われたときも、ちょうど食べていたアイスが「はずれ」だったから「付き合わないよお!」と言ったセッちゃんは、フィンランドに行ってしまったあっくんに、誰かに運んでもらうのではなく、「色々すっ飛ばして」自分自身の力で会いに行ったのだ。愛用の熊のポーチにコンドームを入れて。「なんとなく一緒にいる」ときには一度もセックスをしなかったのに。セッちゃんは、自分自身の力であっくんに会いに行くときに、自分自身の選択でコンドームを持っていったのだ。
 ただ、そうしてセッちゃんが少しだけ主体を引き受けようとした瞬間に、物語は終わる。「真相は分からずじまい」の外国のテロに巻き込まれて、セッちゃんはあっけなく死ぬ。あっくんは「セッちゃん自身がもう限界で、世界がきっかけを作って待っていたのかもしれない」と言うけれど、セッちゃんは本当に「もう限界」だったのだろうか?セッちゃんのいない世界に取り残されたあっくんや私たちが、勝手にそう思い込もうとしているだけだったりはしないだろうか?
「真相」なんてそれこそ「分からずじまい」である。そんなものは存在しない。私たちはただ物語を読むことしかできない。ただぼくは、セッちゃんが生き得たひとつの可能性について考えたい。セッちゃんのいない世界で感傷に浸り続けること��選択したくない。
 確かに、うたちゃんが言うように、セッちゃんのお父さんがNPOで語る講演なんかにセッちゃんの「本当」なんて無いだろう。でもそれでは果たして、あっくんのログイン画面のなかだけに、社会を拒絶した小さなコミュニケーションの中だけに、セッちゃんの「本当」が本当にあるのだろうか?
「真相」も「正解」も存在しない。ただ、セッちゃんが少しだけ引き受けようとした主体性が、一体どこに向かう可能性があったのかを考えたい。うたちゃんもあっくんも大島智子も、「こんな世界はセッちゃんには似合わない」と思っているのかもしれないけど、本当にそうなんだろうかとぼくは思う。少しだけ「主体」を引き受けようとしたセッちゃんの方が実は、いつまでも「子ども」みたいな私たちより少しだけ早く、この世界で、「日常」で、大人になるきっかけを掴んでいたんじゃないのだろうか?
  そういうことを考えるのを繰り返していたら、いつの間にか私たちはたぶん「子ども」ではなくなってしまうだろう。「セッちゃん」を読んでどうしようもなく感じる切なさも、忘れていってしまうだろう。
 でも、それでいいのだと思う。
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tvod · 6 years
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#TVOD Essay26 自分の居場所と、その外側/comeca
「自分の居場所」というものについて、最近よく考える。「ここが自分の居場所だ」と思える場所があると、人間は安定する。そして大抵の人間は、そういう「自分の居場所」を求めたり、手に入れたそれを維持しようとしているところがある。…というかまあ、「自分の居場所」が完全にどこにも無いと感じることは人間に強い不安をもたらすので、実際問題生きる上で何らかの「自分の居場所」を探す必要はどうしても出てくる。
  ただ、誰もがそういう「自分の居場所」のことしか考えなくなった社会は、徐々に行き詰まる。沢山の人々それぞれによる無数の「自分の居場所」が共存する場が社会であり、その調整や運営に銘々が能動的に参加しなければ、必然的にその社会は機能不全を起こす。
  だが例えば今の日本社会では、個々の人々が「自分の居場所」の外側に対して目を向けることを放棄しつつある。自分の身内で構成される「自分の居場所」が楽しく気持ち良く機能しているのならばそれでいい、それ以上面倒なことには関わりたくない、という感覚。
  何しろ、国の総理大臣がそういう身内贔屓ばかり繰り返している人間なのだから、何をか言わんや。今この国で安倍晋三が支持されているのは、謂れのないことではないのだと思う。「自分の居場所」の中に引きこもっていたい、その外側に目を向けるのは怖い、しんどい、めんどくさい…というのが、日本社会に漠然と共有されている感覚なんだと思う。
  かつてカウンターカルチャーやサブカルチャーに惹かれていった人々には、あらかじめ決められた「自分の居場所」に対して反発し、そこから「外側」に向かっていった者が多くいた。まあ結果はどうあれ、新左翼にかぶれることも、ロックや演劇に没頭することも、「外側」へ向かう契機にはなったところがあると思うのだ。もちろんその先で新たな「自分の居場所」に引きこもった者もいただろうし、「自分の居場所」を失って行き倒れた者もいただろう。それでも、一度は「外側」に出ていこうとした若者が多くいたことは確かだと思う。
  今のサブカルチャーでは、「自分の居場所」を如何に上手くつくるかが重要になっている。SNS以降の世界というのはそういうものだ。それは今の状況下における生存戦略としては確かに重要なことだし、決して悪いことではない。政治や経済のレベルで個々が孤立化し衰弱させられていく時代の中では、それぞれが「自分の居場所」を探すことは確かに必要なことだ。
  ただ、そこまで踏まえた上で、「自分の居場所」からフラッと出ていってしまってもいいんじゃないかと思うんだよな。私たちはたぶん誰もが、そのことに対して不必要なまでに脅えている。「自分の居場所」の外側に一歩出た途端、あっさりと食い殺されてしまうんじゃないかという恐怖を、みんな過剰に抱えている様な気がする。
  でも実際は、人間は案外そんなに簡単には死なない、と思う。
  根拠は無いけど。
  生きるために必要な「自分の居場所」が、いつの間にか自分の生き方を規定し始め、そこから出ることを過剰に恐れるようになる。誤解しないでほしいんだけど、ぼくは別に、だから今すぐ外国に行って自分の知見を高めよう、とかそういうことを言いたいんじゃない。自分にとって居心地の良い「自分の居場所」の外側にある場所に目を向けて、そこに少し足を踏み出してみるだけで、実はすごく楽になれるところがあるんじゃないか、と言いたいのだ。
  自分の身内ではなく、「他人」と出会える場所は、「自分の居場所」の外側にこそある。コミュニケーションの網の目を���り巡らせて「自分の居場所」をつくることとは別のやり方でしか出会えない「他人」。そういう存在に出会うことこそが実は、私たちを恐怖から救ってくれるんじゃないだろうか。そのことは、「自分の居場所が無い」という不安を解消することよりも、実はずっと大切なことなんじゃないだろうか。
  そして、そういう風に「自分の居場所」の外側に気軽に出られるようになって初めて、社会の公平な運営に参加することに、人は能動的になれるんじゃないかとぼくは思っている。
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tvod · 6 years
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#TVOD Essay25 サブカルチャーと現実のリンク/comeca
安倍総理が今国会での最重要法案と位置付ける「働き方改革関連法案」が、強行採決される見通しである。この法案に盛り込まれた「高度プロフェッショナル制度」、いわゆる「残業代ゼロ制度」が成立すれば、労働基準法の労働時間規制が適用されない労働者が生まれることになる。「年収1075万円以上の労働者が対象」と報道されているが、この記事https://hbol.jp/165633(「強行採決されそうな「高度プロフェッショナル制度」は、一億総ブラック企業従業員にする欠陥制度」)にあるように、「やり方次第では理論上年収400万円以下でも適用することが可能」。労働者側の権利を縮小し、使用者に有利な構造をつくりたい経済界の要望に、安倍政権が応えようとしている流れだと言っていいだろう。
 政治・経済の領域でこうした動きが起こっていても、例えば文化の領域ではそうした問題には一切触れずに、今日もモラトリアムなサブカルチャーの話題がネット上を飛び交う。確かに、サブカルチャーは日々のつらい現実を忘れさせてくれる楽しい「虚構」であるし、それが沢山の人々の生を救っている事実がある。だが、そういう「虚構」と現実を繋ぐ回路が今後更に失われたとき、私たちの生活は一体どういうものになるのだろう?現実の世界での労働では権利を奪われ、尊厳を踏みにじられながら、ごくわずかな余暇の中ではサブカルチャーが見せてくれる「虚構」の中に閉じこもる。そういう古いSFのようなベタなディストピアが、この国においては実は少しずつ現実化してきているのではないか?
 「택시운전사(邦題:タクシー運転手 約束は海を越えて)」は、1980年5月に光州市で起こった、民主化を求める民衆蜂起事件を題材にした2017年の韓国映画である。光州事件と呼ばれるこの事件を世界に伝えたドイツ人記者と、彼をソウルから光州まで送り届けた韓国人タクシー運転手の物語を、史実を再構成する形で描いている。
面白いのは、歴史を俯瞰的に描くのではなく、ノンポリの生活者であるこのタクシー運転手が期せずして政治的な大状況に巻き込まれ、葛藤しながら自分の行動を選択していく様を、エンターテイメント映画の文法で構成しているところ(歴史的事実としては、このタクシー運転手は元来民主化運動にコミットしていた人物であるそうだ)。所謂「行きて帰りし物語」の構造に忠実に作られているため、ポリティカルな角度からでなくとも楽しめる作りになっている。強靭な物語構造に乗せられて、観客はいつの間にか歴史や政治に接続されてしまうのだ。
 起承転結の分かりやすい構造を持ち、専門的な知識を持っていなくても誰でも楽しめる文化表現であることは、漫画・アニメ然りポップミュージック然り、日本のサブカルチャーにおいても前提条件となっているところがある。だが、同じようにそういった構造を持つ「タクシー運転手」は、歴史や政治と文化表現とのリンクを鮮やかに貼ってみせた。果たして今の日本��は、そういうことを成し得たサブカルチャー表現が一体どれぐらいあるだろうか?
前述した「残業代ゼロ法案」が強行採決される様な社会に、私たちは生きている。このままいけば、一握りの金持ちはAR(拡張現実)でも何でも使って現実をエンジョイし、多くの貧乏人はつらい現実を忘れるために、歴史にも政治にもリンクを持たない「虚構」やVR(仮想現実)に引きこもる世界に辿り着いても、まったくおかしくない。
言うまでもなくそれもまた一つの歴史的所産であるサブカルチャーが本当は持っている現実とのリンクを、学び直すべき最後のチャンスが今なんじゃないのか?
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tvod · 6 years
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#TVOD Essay24 再び「銃が登場した」 / panparth
 ちょうど一ヶ月前、平昌オリンピック開始前の韓国・ソウルに旅行に行ってきた。梨泰院のクラブに行ったり市場でカルグクスやマンドゥを食べたり、ザハ・ハディドがデザインしたDDPをフラフラしたり、DJをしたりと、とても満喫して帰国。日本に戻ってみて印象的だったのは北朝鮮に関する報道の加熱ぶりで、平昌オリンピックが始まって南北融和ムードが高まっているのに重箱の隅をつつくようなネガティヴ・キャンペーンをやっているメディアは一体なんなんだ? と思った。ソウルのホテルで韓国のニュース番組を見ている限り、もちろん言葉は分からないのだが映像を見る限りでも、こんな報道はしていなかった。せいぜい、複数あるトピックのうちのひとつ。 いっぽう日本では、2月11日に国際政治学者の三浦瑠麗氏が「スリーパーセル」と呼ばれる海外のテロ分子が特定地域にいると発言、議論が紛糾しているさまを眺めているうちに、2月23日には朝鮮総連本部に日本人の右翼活動家が発砲を行った。 この状況を、どう捉えればよいのか。
 とりあえず一連の流れで分かるのは、さんざん海外からの侵入が警告されてたのに、結果テロを起こしたのは日本人だった、という事実と、あたかも外交問題のように語られがちだが、これらは日本社会内部の、極めて深刻な問題であるということ。 
 三浦氏が件の発言の翌日に、ハフィントン・ポストに寄せた返答が、個人的には気になった。不確定な情報を発信したことについては一切言明していないのだ。そのときに「あ、この人は今後も絶対謝らないな」と気付かされた。その代わり「(差別であるという)見方を思いついてしまう人こそ差別主義者」というロジックで、原義的な批判を全て潰そうとしている。その後スリーパーセルという存在は事実なのかなどといった論争もチラホラ見かけたけど、はっきり書いてしまうと、そんなものは、三浦氏の意見を喜んで受け取る人にとっては何の意味もないのだ。とにかく近隣諸国に関連するネガティヴな情報をフェイクでもなんでもランダムに集めていって、自分なりの物語を構築できればいいという人たちなのだから。そもそもフェイクニュースという問題は、受け取る側がフェイクでも構わない、と捉えてしまうと同時に、発信する側もそこを認識していて、フェイクであってもバズればOK、訂正しない、という態度を取ってしまうところに、問題の根源がある。
 それらの物語を受け、新たに書き加えたくなる輩もいるだろうな、と思っていたら、その通りに事件が起こってしまった。特定のビルに銃弾を撃ち付けて自分たちの存在を誇示する、という行為は、旧くから右翼やアウトロー集団がやってきたことだが、それはすなわちテロという認識をまずは持っておきたい。逮捕された彼らは政治犯であると同時に、ヘイトクライムの実行者である。と、僕は受け取ったのだけど、報道は単なる抗争でも発生したかのようなゆるいものだし、インターネットではもう即時的に、被害者がいないなんて大したことない、あげくの果てには義挙と賞賛する反応が寄せられている。日本は五・一五事件の時代に戻ってしまったのか、と頭を抱えてしまうような状況になっている。いち市民たちも、テロを容認する社会になってしまったと見まごうばかりだ。
 戦後日本の右翼テロは、孤立した人間の持つロマンティシズムの発露という側面がある。それは大江健三郎「セブンティーン」を読んでもらえれば分かるように、政治的であると同時に、小説のモチーフにすら成り得るナイーブさを抱えている(上記リンクの言葉を借りれば『こじらせ10代』の物語)ものだった。で、そんな戦後史を紐解いていると、彼らはいつからか銃を好むようになったんだな、と気付く。87年の赤報隊事件、90年の長崎市長銃撃事件、など。戦後右翼のロマンティシズムと、インターネット上の断片的な物語が撹拌されて、極端な排外主義に流れたのち、再び「銃が登場した」と僕は捉えた。周知の通り、日本では銃を手に入れることはなかなか出来ない。新左翼だって、簡単に銃が手に入んないから銃砲店を襲撃して奪っていたのである。銃を取って叫ぶ(頭脳警察)なんて難しかったのだ。では彼らは、何で持っているのだろう? 端的に、アウトローとも繋がりがあるからである。津田大介氏の指摘通り、旧来の行動右翼と、ネット以降の勢力が混濁した結果、何が起こるのか。まとまった武装勢力が形成されるか、あるいは散発的なテロが起こる可能性があるということだ。すでに、インターネット上で赤報隊事件を礼賛する書き込みは後をたたず、愉快犯の領域を越えている。
 繰り返しになるが、これは外交問題などというより日本社会が抱えている病理であって、つまり、私たちの問題である。もはや一発で解決する方法なんてないけれど、私たちの側から社会にアプローチすることはできる。それは、三浦氏が唱えたような、都市伝説のような話を信じて「自衛」することでは断じてない。いまいちど東アジア諸国と日本の関係性について学び、考えるということである。その取っかかりになるカルチャーはたくさんある。テレビで「美女応援団」についての報道をボンヤリ眺めているより、イ・ランさんによる「イムジン河」を聴いて、その背景を調べて、井筒和幸監督の映画『パッチギ!』を観るだけでも、さまざまなことが分かる。(Netflixでも観られるよ)そして、発言と議論を増やしていくしかないだろう。
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tvod · 6 years
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#TVOD Essay23 どうして怒らない? / comeca
やがて今日と 今日までのすべてが オシャカになっても きみは笑っている むかつくわ 遅すぎたことを悔やむだけ ------集団行動「オシャカ」
「日常」は、今まさにその中を生きている人間にとっては、捉えどころのないものだと思う。というかむしろ、捉えどころがないぐらいに当たり前にそこにある平穏で退屈なものだからこそ、その日々は「日常」と呼ばれ得る。
90年代までのサブカルチャーには、「日常」のあくびがでるような平穏さに抗おうとするものが多かった。その果ての不毛な帰着点の一つとして、オウム真理教が仕掛けた自作自演のハルマゲドンがあったりもした。退屈な「日常」を破壊する、「世界の終わり」への渇望。
少年とネコの第二の犯行は 街の大きなムービーシアター アメリカンニューシネマ「真夜中のカウボーイ」が上映されていた バンドラインがバクダン仕掛け 犯行は大成功と思われたが 映画に見とれていた少年は ムービーシアターもろともふっ飛んだ ------筋��少女帯「サボテンとバントライン」
いま放映中のドラマ「anone」には、「日常」を喪ったキャラクターたちが登場する。 夫を亡くし、娘から関係を拒絶される母親。帰る家が無く、ネットカフェに寝泊まりする少女。病に伏せ、病院から出られない少年。余命半年の宣告を受け、営んでいた店をたたむ男。仕事からも家族からも差別され疎外された女。
彼らは、自分なりに誠実に生きていたにも関わらず、あくびがでるような平穏な「日常」から零れ落ちてしまった存在である。だからこそ、現時点での最新第四話で彼らが結ぶ疑似家族的な関係性、そこで営まれる一瞬の「日常」が、尊く切実なものに見えてくる。 だが、そうして「あらかじめあるもの」としてではなく、「自分自身で選び直していくもの」として、少しずつ作られていく「日常」も、「お金」という抗いがたい動力によって再度揺さぶられていくことになる。
96年の小林よしのり「脱正義論」における、「日常に帰れ!」というメッセージは、むしろゼロ年代に様々な水準で説得力を持っていった。 例えばアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」で描かれたような、「非日常」を求めてしまう心性は、「日常」で結ばれる関係性やコミュニケーションによってこそ実は充足されるものなのだ…という視座。「世界の終わり」のような「非日常」よりも、「日常」の中にある豊かなコミュニケーションこそが人間の生を彩る一番のイベントなのだ、という考え方が、ゼロ年代のサブカルチャーの中には多く見られたと思う。そこでは、あくびが出るような退屈な「日常」は、破壊するべきものではなく、コミュニケーションを通して豊かさを掘り起こすべき場所として描かれることが多かった。「世界の終わり」を夢想するのではなく、いま目の前にある世界の豊かさに気づけ、と。
だが先述したように、「anone」のキャラクターたちが取り戻しかけた「日常」は、「お金」という身も蓋もない力に揺さぶられていく。疎外された者同士、手を取り合って暮らしていこうとした矢先、「お金」にまつわる彼らの共通の秘密を知る者が、その「日常」をあらぬ方向に動かそうとする。心の繋がりや、互いを想うコミュニケーションを大切にしようとしても、経済というものが持つ力が人々を簡単に押し流していく。 「お金」を持っていなければ、「日常」の中にある豊かさを掘り起こすための猶予すら確保できない。「涼宮ハルヒの憂鬱」やドラマ版「野ブタをプロデュース。」のような、「日常」の中にある価値を再発見する物語の舞台に、「学校」というモラトリアム空間が往々にして選択されていたことには、理由がある。
「日常に帰れ!」と言われたって、「帰る日常なんか無い!」というところまで追いやられつつある人間が、この国には確実に増えていっている。脱するべき平穏な「日常」なんかそもそも自分には無い、あくびをしていられるほどの退屈さなんて、むしろ喉から手が出るほど欲しいものだよ…と。
そして、帰る「日常」を持つことのできない人々に、ナショナリズムやレイシズムは甘い言葉を囁くだろう。「国家の一員として忠誠を誓い、他民族を差別し罵れば、あなたは居場所も、誇りも、コミュニケーションも得ることができますよ」…と。退屈な「日常」も、それを担保する「お金」も得ることができないからこそ、人々は帰る場所を求め始める。
そして一方で、こんな報道もある。
契約社員も裁量労働に 「適用可能」と政府答弁書 https://this.kiji.is/333447181561136225
政府が今国会で提出予定の「働き方改革関連法案」には、「高度プロフェッショナル制度」の創設や、裁量労働制の対象拡大施策が含まれている。これらが経済界の要請に裏打ちされた、労働者の賃金削減を志向したものであることを否定できる人間はいないだろう。
帰るべき、護るべき「日常」を喪うにつれて、ナショナリズムやレイシズムの甘い囁きや、格差上等の経済的搾取が社会の中に順調に蔓延してきている。 あなたがナショナリストやレイシストだったり、カネもコネも持ち合わせた資本家だったりするのなら、さぞかし今の日本社会は居心地が良いことだろう。
では、そうではなかったら?そうではない人間はどうしたらいいのか?
「社会からひどい目に遭わされた人は死ぬ前にすることがあるでしょ!怒るんですよ!サケだって時にはクマを襲うんでしょ?」 ------「anone」第2話、青葉るい子の台詞
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tvod · 6 years
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#TVOD Essay22「1990年代の思想」覚書 / panparth
 とある記事を読んだ。昨今のポップ・ミュージックを評して「正しさ」ではなく、身近な人と分かち合う「楽しさ」でつながっているのがよいとするもの。え、それはずっと前からほとんどのサブカルチャーにおいて適用されていた命題なのでは、とも思うけど、いまこのタイミングでそれを声高に唱えなければいけないというのには当然、理由がある。本文にもあったけど、「正しさ」と「正しさ」がぶつかって溝が深まっているから、抜け出さなければならない、という思想を書き手が抱えている、ということだ。これはあたかも思想「外」のものであるような顔をして現れるけれど、立派な思想だ。価値相対主義というやつである。 
 現状認識として「正しさ」と「正しさ」がぶつかっているというのは、じつはあまり「正しく」ない。どちらかというと、正しさ/公平さを訴える人と、正しさとそれ以外を相対化したい人がぶつかっている、という状態こそが、いま起こっている分断そのものである。明らかに正しくないことを言っている人というのは、得てしてそんなに正しいという自己認識のもとに話していないものである。世界でいちばん有名な例を挙げるならば、ドナルド・トランプというアメリカの大統領がいる。彼は正義を唱えているというよりは、世の中的に不愉快とされるような発言をして、一部の人は賞賛し、反発する人はより反発するという構造を作り出しているだけだ。言い換えると、公正さというものに違和感を感じる人のために、公正でないものを提出して相対化を試み、「ぶっちゃけこうでしょ」という言い方で、その後の議論を無効化させ、分断を作り出すことでサバイブしていこうとする在り方だ。
 といったことを、ちょうど正月休みに実家から持ってきた呉智英『危険な思想家』を読みながら考えていたところだった。90年代に文芸やマンガに関心があった人にとっては、よく知られた名前だろう。小林よしのりのブレーン的な存在であり、ご多分に漏れず、僕も氏のマンガ評論を中心に愛読していたのだった。そういえば最近全然名前を聞かなくなってしまったな、とか思いつつ久々に読み返してみたら驚いたことに、いまの、そこらへんに転がっているネット右翼の人とほぼ変わらないようなことを主張しているのだった。「人権イデオロギー」の名の下に言論弾圧を仕掛けてくる知識人に反旗を翻し、「差別もある明るい社会」が望ましいと言っている。芦沢俊介や、当時は弁護士だった福島瑞穂など、批判される対象まで少し近いのも興味深い。その後20年にわたって現在まで巻き起こるバックラッシュのタネ本のようにすら見えてくる。むろん、インターネット上のトロルたちがこぞって彼の書籍をチェックしてたなんてあり得ないことだが、彼や小林よしのりやそれを取り巻いていた90年代の時代精神が、BBS上で、ブログでじんわりと広がり、隔世遺伝を遂げ、愛国を唱える自営業者のジジイやら、教室の隅でウォール・フラワーになっているネトウヨ青年、つまり「大衆の原像」にまで敷衍してしまったと考えると、期せずして吉本隆明の目指すところも越えて、1968年世代のなかで最も影響力を獲得した思想家として、再評価されてもいいかもしれない。
 などとイヤミな書き方をしてしまったけれど、別に僕は20年前の文章を引いてまでして氏を糾弾したいわけではもちろんない。というより、まず愛読していた僕が自己批判しなければならないだろう。反省を込めて思い出すならば、当時僕は、これがいまの新しい考え方の潮流なんだなと受け止めていた(中坊の分際で)。そしてそれは90年代後半に「思想」とかに関心がある人にとっての共通認識だったと思う。かつ、ラディカルなものとして成立していた。正しさなんてものはウソっぱちだという感覚は、いま思うと単純な相対化でしかなかったのだけど、割とカッコよく映っていたし、そういう時代状況があったということを現代において再確認しておくことが重要だと思っている。でないと、最近話題の例に沿うならば、ダウンタウンのお笑いはダメなのでドリフを復活させなければならない、といった短絡に陥ってしまうだけだ。
 『危険な思想家』のなかで批判される「人権派」と呼ばれる知識人たちも、当時ポッと出で存在していたわけではない。戦後脈々と90年代頃まであった潮流であって、そのへんは竹内洋『革新幻想の戦後史』などに詳しいけれど、50年弱くらい連綿と続くシーンに楔を打ち込んだという点では確かにラディカルだったのである。しかし、それを引き継いで単に「差別もある社会」を作り出している輩がゴロゴロしているのが現在だ、と考えると、もうそれが新鮮なものではない、ということが分かる。それが、90年代から現在にかけて起きた変化なのだ。
その変化に対応するには、どうすればよいのか。目の前のウザい現実と、それに反発している人を横目に「いやーやっぱりさ、楽しくやるのが一番だよ」と呟く、そんな「安全な思想」しか残されていないのだろうか。そんなわけないよね。というところから、話を始めよう。
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tvod · 6 years
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#TVOD Essay21  「ぼっち」であることを恐れるな / comeca
私たちは大概、お互い感情的に繋がり合おうとしてしまう。好きとか嫌いとか、嬉しいとか悲しいとか、そういう感情を互いに発し合って、「共感」の輪を作り出してしまう。論理性や客観的な思考ではなく、そういう「共感」の輪が人々を動かし始めたとき、危うい熱狂や動員が生まれ得る。
だが、そういう「共感」の輪が無ければ、行き場の無い孤独に苛まれる人間が大量に生まれてしまうこともまた事実である。例えば人々はインターネット上で、自分も参加できる「共感」の輪を探し求める。日常生活の中にその輪を見出せない人ほど、ネットやサブカルチャーにそれを求める度合いは強くなると思う。
学校や職場で起きる様な理不尽なイジメも、「共感」の輪によって生み出される。客観的に見たら理不尽で不合理な暴力が、「共感」の輪の中では正当化される。そこには論理的な正当性は存在しない。繋がり合った感情の群れにとって、暴力を振るうターゲットは究極的には何だって構わない。「共感」の輪を維持する為の、「憎しみ」という感情の共有さえ成立させられるのなら、疎外する対象は何だっていいのだ。孤独に苛まれたくない人間は、客観性も論理性も無視してその「共感」の輪の中に飛び込み、イジメのターゲットにならないように振る舞う。自分がイジメ=集団的な暴力に加担することを、生きる為には仕方のないことだと思い込む。
上記の様な事柄を反省的に踏まえた上で、「共感」の輪の外側に出ろ、と言うのは簡単だ。だが実際にはそれはなかなか難しい。「共感」の輪の外側で生きていくためには、自分を担保する強力な論理性を確保する必要がある。私が私であることを保証するロジックを見出さないことには、「共感」の輪から疎外されている孤独感、もしくはそこから疎外されることによって受ける暴力に耐えきることは、非常に困難だと思う。自分はいま「共感」の輪の中にいる、という意識が生む承認感覚は、人間にとってなかなかに強固なものだ。それ無しに、私が私であることを信じる、つまり自己を肯定するという課題を達成するのは、簡単な話ではない。
だが、「近代的個人」というフィクションは、その課題を達成するための手段としてあったはずだ。「個人」として誰もが生き得るのだ、という幻想は、「共感」の輪の外側に出ていくための方法論として見出されていたはずだ。私たちはいま、その方法論を棄てつつあるが。
世間において否定的なニュアンスで「ぼっち」という表現が用いられるのは、「共感」の輪の外側に生きる孤独な人間を蔑む感情による「共感」の輪…という、感情のループの中に人々が生きていることに由来する。「ひとり」という単位に対して、日本社会は徹底的に脅えている。「共感」の輪から零れ落ちることが人間の生に致命的なダメージを与える以上、それは当然のことではあるのだが、「ひとり」という単位、「個人」という単位を肯定的に語ることができなくなったとき、私たちは、自分が自分であることを自力で担保することができなくなる。「共感」の輪の中で、理不尽で不合理で感情的な集団性や空気に従って生きることしかできなくなる。
だからせめて、インターネット上の空間では、「共感」の輪の中にいることを降りてみるのはどうか。空気を読み、集団的な動きに同調し、慣れ合いのコミュニケーションを繰り返すのをやめてみるのはどうか。私とあなたは同じ「共感」の輪の中にはいないけれども、それでも感情を共有していない者同士として語り合おう、という状況をつくること。インターネット上で、肯定的に「ぼっち」になってみること。
実際には、何らかの「共感」の輪に完全に与せず生きることはほぼ不可能に近い。だが、ネット上で「共感」の外側でのコミュニケーションを行うことは、不可能ではないはずだ。大概のSNSは慣れ合いのコミュニケーション=「共感」の輪を効率良く発生させることに重きを置いて設計されているが、そういうアーキテクチャの上で「ぼっち」同士が語り合う方法論を、私たち自身で組み立てることが、これから必要になってくる気がする。
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tvod · 6 years
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#028 平成29年のT.V.O.D.
パンス 2017年最後の更新です! いやはや、長かったような、あっという間だったような……。 
コメカ ぼくらとしてはこのブログをスタートさせて、先日より百万年書房LIVE!にて連載「ポスト・サブカル 焼け跡派」を始めて。来年以降どんどん活動しようと思ってますけども。…まあでも2017年も色々あったねえ。パンス君は今年一年で一番印象に残った出来事っていうと何になる? 
パンス あんまり単発でコレ!っていうのはないんだよな~。現政権の抱える問題にしろ、小さなエピソードが積もり積もってどんよりとした空気が出来上がってるな、っていうのがあって。コメカ君は何かある? 
コメカ ぼくはやっぱ立憲民主党の立ち上げかなあ。ここしばらくまた雲行きが怪しくなってきてるけど…。でも、「オルタナティブ」っていうイメージが(ある意味で偶然の産物ではあれど)立ち上がる場面を久々に見た気がして、可能性はやっぱり感じたよ。 
パンス それはポジティブだったよね。立憲民主党がオルタナティブ足り得るかどうかは、最近僕は判断しかねるところなんだけど。とはいえ「新しい地図」を描いてほしいものです。
コメカ 実際ここしばらくの立憲民主党周辺では、この党が旧民主党・民進党の文脈から結局は逃れられなさそうな気配が漂い始めている。でも、結党当初に立憲民主を支持した人々が求めていたもの、つまり永田町の論理とは異なる水準で、理念を主軸にした政治をやるんだ…というアピールをキープできないのなら、この党は終わりな訳で。「人々が求めているものは分かってはいるんだけど、色んな事情やしがらみがあるんだ」みたいなロジックになってしまうのなら、有権者に本当に見捨てられるだけだよ。筋を通して頑張ってほしい。 で、「新しい地図」と言えば、元SMAPの三人の活動開始もあった。サブカルチャー領域でも、オルタナティブなものへのイメージが求められている状況はある。 
パンス むしろカルチャー周辺のそういう動きが気になるかな~。思想の如何を問わず、既存のシステムに対する不信感が、次のイメージへの欲求となってじわじわと現れているように見える。政治の領域だったら、立憲民主党の最終演説の光景に現れていたし、ボンヤリした「マスゴミ」批判みたいなのは昔からあったけど、もっと具体的な領域で広告代理店やら、大手企業、現政権が批判されることが増えたよね。それは労働問題とか、ジェンダーの問題にも繋がっている。
コメカ 単純に、インターネットというインフラが整ったことによって、これまで可視化されなかった声が共有されたり、マスメディアの特権性が暴落していっているという部分がある。ネットが普及したことの良い側面だね(もちろんそれと同じくらい負の側面もある訳だけど)。ハラスメントに対する声を上げることも、既成のメディアにパージされた場合に自主的に動くことも、その情報環境が担保しているところがある。そのプロセスの中で、既成メディア・環境の破綻というのはどんどん可視化されてきていると思う。 
パンス 大手メディアの失効みたいな話はこれまでもたくさんされてきたわけだけど、ここ10年くらいは、それらへの不満がクレームや炎上という形で可視化されがちで、ネガティヴな結末を迎えることが多かったものの、徐々に、個人発信による大衆運動に近いものになってきているんじゃないかな。まだまだ途上だと思うけど。 
コメカ 個々人が自分なりにどういう声を上げるのか、っていう部分に、良くも悪くも世の中の目が向くようにはなってきてるよね。ウーマンラッシュアワー村本にしてもさ、言ってることの内容以上に、「芸人村の中に所属しているのに、声を上げた!」っていうのがインパクトを与えた部分はあると思うの。「わかっちゃいるけど仕方ないんだ」という共同体の論理をはねつけて声を出す、っていう態度そのものが、少しずつ「あ、そういう風に行動してもいいんだ」って理解されてきてる気はするのよ。 
パンス ウーマンラッシュアワー村本に関して細かく突っ込んじゃうことも出来るんだけど、あんまりそこで細かさ発揮しちゃうと、可能性を潰すことにもなっちゃうよな~とは思う。しかし小泉就任からの15年弱くらいのスパンで考えたら、人々の求める「変革」は具体性を増してきているね。逆に言うと、それだけ既存の状況が崩壊してる証左なんだけど。来年はどうなるかねえ。 
コメカ どんどんオルタナティブな場や表現が出てくる…と、思いたい(笑)。というかね、だからみんなやっぱ工夫して自分なりに何かやってみるべきだと思うんですよ、政治に関することでも、サブカルチャーに関することでも。「わかっちゃいるけどやめられない」的共同体の中にいざるを得ない状況から、何とか工夫して脱出する方法を編み出すっていう。 
パンス まあ僕はそんなに「なんかやるべき」って強く言���ない性格なんですが…… (笑)。ただ、こんな僕らでも始めてみたら、いろいろな方から反響を頂いてうれしいし、なんかやるとなんかあるよ! とは言いたい。来年は米騒動があるんじゃない? 単に1918年の米騒動から100年目だからそう言いたいだけなんだけど (笑)。いまは政治的に極論が出やすいし、イデオロギーに足下掬われがちな時代。そこで、思想の枠を越えた騒擾がインターネット上とかで起きるのに期待してる。「メシ喰わせろ」くらいのレベルでの反乱があったらいいのになと思います。文化表現の領域でそれが起こってももちろんいいけど。 僕らも来年は ガンガン行くぜ ぶっ放すぜ(SUGAR SOUL+ZEEBRA)という心持ちでやります! 
コメカ 米騒動リバイバルを(笑)。だからぼくらって基本的に、「あなたもなんかやりましょうよ!」ってことを繰り返し焚きつけ続けているだけとも言えるよな(笑)。でもホントねえ、「なんかやってりゃなんかある」なんだよね。やんなきゃ何も始まらない。消費社会の中に閉じこもって愚痴ってる暇があったら、自分で場をつくればいいし、その外側に飛び出せばいい。これは繰り返し言いたいし、2018年以降も結局それが一番大切なことになると思ってる。 てな感じで、来年もみなさまよろしくお願いいたします。良いお年を!
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tvod · 6 years
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#TVOD Essay20  Eclecticな日本と旅行が趣味になった私 / panparth
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 去年の初夏は、レンタカーを借りて天草諸島をドライブしていた。なにかBGMも必要だと思い、とりあえずハードオフで買ったZEEBRA『THE RHYME ANIMAL』を再生しつつ、妻が運転するので僕は助手席ではしゃいでいるのみ。隠れキリシタンたちの歴史に興味があったので、いくつか建っている教会を巡ってみた。なかでも「崎津天主堂」が立つ集落と港に心を奪われてしまった。天草の漁港は、入り組んだ羊角湾のなかにあるので、波が一切立たない。ボンヤリと海を眺めているが、とにかく暑く、風も吹かない。およそ騒音というものがない。
 1934年に再建されたという、ゴシック様式の教会に入ると、畳が敷かれていて、そのうえにパイプ椅子が並んでいる。これが和洋折衷ということかと、僕はクリスチャンではないのだけどしばらく感じ入った。外に出てブラブラしていると、カフェのようなものがあるのだが営業しているのかよく分からないので、そこにいたサーファー風の男に尋ねると、これから始めようと思ってて、まだ準備中なんですよ。とのんびりした調子で返答された。とにかく喉が乾いているので、そこを去り、休憩所というか、小さな商店でコーヒーを出していたので、アイスコーヒーをガブガブ飲んだ。
「イスタンブルでテロがあったって」
 と妻が言うので、流れているテレビに目をやる。少なくとも16世紀には、長崎や平戸からそのあたりまでのネットワークが存在してたんだよなとか、まあ細かく考えると大航海時代以降のヨーロッパの航路とヴェネツィア/イスタンブルの地中海航路はまた別かーとか、天草にもグーテンベルク印刷機があったんだよなあとか、思いをめぐらせた。直線的な暑さにやられながら。
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 九州にいると、この日本という空間は東アジアーー沖縄や台湾、朝鮮半島や中国、さらには東南アジアまでつながっているということが、肌感覚で分かる気がしてくる。柳田国男『海上の道』を引かずとも、鹿児島あたりまで行くと椰子の木がポコポコと生えている(天草にもたくさんあった)ので、十分に実感できる。それは、風景自体に他の国が折衷されているように見ることができる。これが日本、といったときに桜とか、日本家屋とかしかイメージできないというのは、ずいぶんと日本のイメージを狭めていることにほかならない。
 しかしみんな競って狭めようとしてるのかな、とも考える。それは最近読んだ記事ーーゼロ年代半ばの2ちゃんねらーみたいな書き手による台湾インディとK-POPに関するレビューで、残念ながら再確認できた。とはいえ、氏を一方的に責め立てても仕方がない。東アジアに対してエスノセントリズム的なまなざしを持つようになってしまったのは、近代以降の歴史によるものだ。言い換えるならば、「日本が自発的に」そう見るようになってしまったというわけだ。一方でグローバルなサブカルチャーは、そんなまなざしなど関係ないところで動いている、というのは、88risingのアジア・ツアーから日本が外れている、という哀しい話題でも確認できる事実(いま調べ直したら、ソウルも中止になってしまったのか…)。
 近代以前を生きた人々の貪欲さに裏打ちされたモノやヒトのネットワークみたいに、いま各国のインディ・ポップやラップ・ミュージックがあり、日本を含む東アジアでも、表現のレベルでせめぎ合いがどんどん起きたらよい、と考えるのは、大雑把で楽観的に過ぎるだろうか? でも、そうであってほしいと思う。ーーと、こんなに世界について偉そうに書いているのだが、じつは今年、韓国に行ったのが初の海外旅行なのでした。来年1月にもまた行くし、ほかにもいろいろ行きたいな。齢33にして、「好きなこと」のなかに旅行が追加されたのであった。
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tvod · 6 years
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#TVOD Essay20   殺伐感と奇妙さ / comeca
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テンテンコ 「Good bye,Good girl 」
VHSテープ風の画像演出が施されたこのビデオクリップを観ていると、(そのレイト80’s的なサウンドプロダクションにも関わらず)90年代のあの殺伐とした空気をぼくは思い出す。…いや、それはたぶんものすごく個人的な記憶としての「空気」なんだろうけど、当時小中学生だったぼくにとって90年代の日本社会は、何だかとても不穏な雰囲気を持った世界である様に見えたのだ。当時の社会的な風俗や事件(この曲の歌詞のモチーフとなっている東電OL殺人事件も、当時起きた事件だ)、テレビから流れてくる情報、そういう様々が、すごく殺伐としたものであるように見えた。まだ自分が思春期前後の不安定な時期だったというのももちろんあると思うんだけど、それでも当時を生きた人々には、何となくこの感覚は理解してもらえるんじゃないかと思う。世紀末を目の前にしたこの時期、社会の中には何とも言えない鬱屈感が充満し切っている感じがした。ゼロ年代に入ってしばらくした頃、インターネットが一般インフラとして普及し始めたあたりで、そういう鬱屈感が急速にガス抜きされていく印象があったことを憶えている(もちろんそれも、その頃大学生になった自分の個人史的な事情が強く作用しているのだろうけれど)。
 そして90年代の殺伐感、鬱屈感はぼくにとって、「郊外の記憶」として思い返すものでもある。何度も個人的なことについて書くけれど、ぼくは1984年に生まれて幼年期を東京で過ごし、ちょうど90年代に入るタイミングで、埼玉のベッドタウンに家族で引っ越した。先述したような90年代の空気を、地域的な共同性も都市的な凝縮性も無い、郊外空間で受け止めて過ごした。当時のぼくはそういう郊外的な無味乾燥さがとにかく嫌で嫌で、幼いころに親に連れられて観ていた80年代の東京の街の景色のことばかり思い返していた。都市的な密度が恋しくて仕方が無かったのだ。都市的な密度も田舎の土地の重力もどちらも無い郊外空間は、どれだけそこで過ごしても土地と自分が接続されていく感覚がまったく持てず、いつまで経っても何だか不安な気持ちで生きる場所でしかなかった。
「Good bye, Good girl.」は、そういうあの頃の気持ちを何故かぼくに強烈に喚起させる。意味も物語も密度も無い、空白地帯で自意識を持て余すこと。何もない場所と殺伐とした時代状況の中で、何となく漠然とした不安を抱きながら日々を送ること。 「Good bye, Good girl.」は、そういう感覚を音像化した曲のようにぼくには聴こえて、それがすごく面白い。
で、先日発表されたこのビデオクリップを観ていると、今度は自分が思春期に入る頃、80年代サブカルチャーを後追いで追いかけるようになったときに感じていたことを思い出したのだった(笑)。
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テンテンコ 「なんとなくあぶない」
90年代の終わり頃にぼくが80年代サブカルを追いかけるようになったのは、さっき書いたような80年代という時代に対する個人的な憧憬に加えて、90年代の殺伐感や閉塞感から脱出したいという動機が大きかった。ぼくはその為に何故か、80年代のサブカルチャーの中から、「なんだかよくわからないもの」を摂取しようとしたのだった。80年代のニューウェーブや日本のインディーズロックのレコード、ガロやフールズメイト、DOLLみたいな雑誌を少しずつかき集めていくと、「なんだかよくわからないもの」にたくさん出会うことができた。そしてそういうストレンジな表現を見聞きすると、何故だかよくわからないがとてもワクワクして、90年代末の郊外で過ごしている無味乾燥な憂鬱を忘れることができた。中古レコード店や古本屋からそういうものを掘り起こしてくること自体も楽しくてたまらなかった。
例えばこんな世界とかね。
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すきすきスウィッチ「むだ」
殺伐感から逃れるために何でストレンジなものを選択しなければいけなかったのかがよく分からないんだけど、今思うと、80年代の奇妙な表現を見聞きすることで、郊外空間には無い「濃度」のようなものに触れようとしていたんじゃないかと思う。
「なんとなくあぶない」の楽曲世界もビデオクリップも、そういう「なんだかよくわからないもの」に触れてワクワクしていた頃の感覚をぼくに思い出させる。「意味がよくわからない」ストレンジなイメージを持つ表現というのは、よく考えると近年の日本のポップスの世界にはあまり無い気がする。
2017年の今現在では、郊外という「何もない空間」への不安は、90年代と比べて社会的にも減少しているんじゃないだろうか。例えば、郊外的な空白地帯に住んでいても、私たちはインターネットを介して世界中に繋がることができる。土地と自分が接続されなくたって、ネットでダイレクトに他者と接続することができる。都市の密度も田舎の土地の重力も無い空間に生きていても、ネットを介して何がしかのコミュニケーションに遭遇できる現状は、何だかんだ言ってもやっぱりかつてよりは閉塞感が薄くなっている気がする。
ぼく自身、郊外空間に対する嫌悪感はもはや無い。 
だけど、ぼく個人の文化表現に対しての志向には、このテキストで書いたようなストレンジさへの希求、かつて90年代の郊外環境の中で過ごしていた頃に80年代のある種のサブカルチャーに対して抱いた憧憬のようなものが根本に強くあって、「Good bye, Good girl.」や「なんとなくあぶない」を聴くたび、そのことを今後もぼくは思い出すのだろう。
これは極私的なメモである。
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tvod · 6 years
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#TVOD Essay019 「1968年 - 無数の問いの噴出の時代」展に行ってきました。 / panparth
 休日に、遠足に行くような心持ちで、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館まで行ってきた。「1968年 - 無数の問いの噴出の時代」展のために。途中下車して一緒に行ったみんなと昼から焼肉を食べたりしていたら、結構な時間になってしまい、駆け足で観た。来場者はなかなか年配の方ばかり。帰りに図録を買おうとレジに並んでいたら、前にいたおばあちゃんに声をかけられる。「若いのにこういうのに関心があるなんて珍しいねえ。何で興味を持つようになったの?」と。いざ問われてみると、あれ、何でだろう? と独りごちてしまいそうになりつつ、「当時起こっていた問題の多くはいまも解決されておらず、振り返りながら再度いまについて考えるのが重要だと思ったからです」と、じつに教科書的な返答をしてしまった。まあそれも本心なのだけど、ほかにもいろいろあるような。
 さて、何でだったっけ? と改めて考えてみた。いちサブカル野郎としては、若松孝二やジャックスが好きだとかそういう理由もあるのだが、以前のエントリでも少し書いたけれど、実際いろいろと調べていくと、若松ばりにカッコよかった人たちはごく少数であることが分かってくる。今回の展覧会で興味深かったのは、ベ平連や横浜新貨物線反対運動といった「普通の人々」の運動に焦点が当てられているところだった。後半には学生運動やカルチャーの話も出てくるのだが、そこに上げられた大学生たちのアジビラ・告発文はズラーっと文字が敷き詰められていて、メチャクチャとっつきづらい。彼らは少数のエリートだったんだよな、と改めて強く実感できる。いっぽう水俣病患者運動で掲げられた黒旗に記載されているのは「怨」の一文字。そのヴィジュアル・インパクトに痺れた。
 ムーブメントの極点として捉えることもできるけど、むしろ「いまの始まり」と捉えたほうがしっくりくるのではないだろうか。全然「68年」と遠そうなネトウヨの始祖もこのへんにあったりする。日本会議のルーツともいえる「長崎大学学生協議会」が結成されたのは67年7月。彼らは同時代の学生運動の人たちの方法論ーーデモをやり、ピケをはり、ビラを配るーーを自らのなかに組み入れていた。その貪欲さは彼らの「後輩たち」によって、その後インターネットにおいても展開される。勢力を拡大するためのやり方が、リベラルな市民運動の人たちとは比べものにならないほどエッジが効いていたため、いまの惨状があるということは確認しておかなければならない。
 で、このような展評もあり、半分くらいは納得。 東浩紀「市民運動の方法論は1968年から進化していない」 進化しているのかいないのか。まあ、60年代にあったベ平連などの「個人として」社会に訴えかけていくという方法論が、ここ数年で再び脚光を浴びたのは事実である。むしろ、こちらの記事にある、「エゴイズムへの許容度」が現代の日本社会において低下している、という指摘は重要で、これは別に政治や社会運動に限った話ではなく、広く敷衍している。無数の炎上案件を見ての通り、逸脱を許さない社会にはなっている、けれど、立場が強い奴が逸脱しまくるーーワガママを言いまくるのは無限に許されている社会にもなっているようにも見える。そのやりたい放題の社会で抑圧されていたり、はぐれ者になってしまった奴は、ワガママを言ってはいけないというのだから難しい。そんななか、自分より若い人なんかを見ていると、そこかしこに萌芽があるような気がする。というか、半ばむりやりにでも見出していくことが、必要なんじゃないかと思うのだ。無数の問いはいまも変わらず噴出しているし、それこそ、進化を求めるのならば。
 というわけで、やっぱり「当時起こっていた問題の多くはいまも解決されておらず、振り返りながら再度いまについて考えるのが重要だと思ったから」と、最初の答えに戻ってみるのであった。
余談。いまつらつらと調べてたら、こんな展覧会もあったと知る。行ってみたかったな。
1968年、激動の日本で何があった?『日本写真の1968』展
中平卓馬・多木浩二らによる『Provoke』は1968年創刊。当時、東松照明らが関わっていたという「写真100年―日本人による写真表現の歴史展」は知らなかった。このセクションが気になる……。
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tvod · 6 years
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#TVOD Essay20 あなたが生きていきたいのは、どんな「場所」? / comeca
政治家による差別的発言のニュースが、二件。
鈴木信行・葛飾区議がヘイトデマ「誰が(梅毒を)日本に持ち込んだか...」 https://matome.naver.jp/odai/2151193638683314201
山本幸三氏「何であんな黒いのが好きなのか」と発言 ⇒ アフリカ研究者ら抗議文 http://www.huffingtonpost.jp/2017/12/02/yamamotokozo_a_23295286/
こういう政治家たちは、差別行為に対して本当に屈託が無いんだなあと、改めて。
なぜ彼らはこういう差別的な言動を繰り返すのか。それは彼ら自身の想像力の無さだけに起因するものではなく、彼らの様な人々にとっては、社会における倫理や適切な合意の形成という命題は二の次の問題であるからではないのか。
彼らの様な人々が第一の目的としているのは、「理不尽であっても安定した共同性」の確保なのではないか。つまり、理不尽に抑圧される人間がその共同性の保持の為に生まれたとしても、共同体の安定の為にはそれは仕方がないのだ…という思考で、鈴木信行や山本幸三の様な人は行動しているとしか思えない。
例えば、鈴木信行は自身のブログで、以下の様に述べている。
「同性愛という性的指向者が少数者として立場を主張するのは結構だが、それは行政が堂々と認める社会は「平等」を意識するあまり歪な社会になるだろう」
同性婚カップル条例という渋谷区の暴挙! https://ameblo.jp/ishinsya/entry-11995093001.html
 性的少数者の立場や権利を行政が認めると、歪な社会が生まれるらしい。少なくとも彼はここで、ぼくが前述した「理不尽に抑圧される人間がその共同性の保持の為に生まれたとしても、共同体の安定の為にはそれは仕方がないのだ…という思考」を表明していると言って差し支えないと思う。彼はこの記事で「結婚とは、男と女が愛し合い夫婦となり、家族を作り子供を育てることが本来の在り方である。渋谷区の条例案は神をも恐れぬ暴挙であり、国と人類の発展への挑戦状である」とまで発言しているが、ヘテロセクシャル以外の愛の在り方を社会や法が認めることを「神をも恐れぬ暴挙」などと表現する彼の意見こそが、ぼくには「国と人類の発展への挑戦状」としか思えない。
鈴木の様な人には、子どもを生み出すことのできるカップルや家庭だけが権利を保障されるべきであり、そういう人々を生産し続けることだけが国家を強力にすると、素朴に信じられているのだろうなと思う。
  だが、かつてのような抑圧と理不尽をその前提にした共同体の維持は、グローバリズムと情報化の時代においては不可能である。多様化した個人の様々な在り方を包摂出来る柔軟な構造を持たない国家は、どうしたって衰弱する。世界中に向けて情報や経済のチャンネルが開かれてしまう現代において、「正しい愛の形」を理不尽に規定する様な抑圧的な国家が、人々の広い理解を得て、魅力ある共同体として機能することができるだろうか?理不尽な抑圧は、もはや共同性の安定を担保しないのではないか?
自称保守派の人々は、戦前の様な封建的な家族の在り方を美しい想い出として描き、それを取り戻そうと考えているのかもしれないが、そんな風に国民を囲い込むことは現代においては不可能だ。自分たちの夢だけが具現化される共同体として国家を思い描くような妄想はいい加減放棄して、多様化し続ける人々の在り方を広く包摂する構造を導入しなければ、この国は取り返しのつかないところまで衰弱し続けるだろう。
愛の形、家庭や労働の在り方、様々な水準での多様性を緩やかに包摂した、そのサイクルや共同性の中で子どもたちが育っていけるような環境こそが、人々にとって「そこで生きてみたい」と思える国家の在り方ではないのか。
この国では単一民族国家幻想が浸透しているが、例えば東京の郊外の街を歩くだけでも、様々な人種の人々が生活している光景を目にすることができる。生活の景色は少しずつ、いわゆる戦後的なものから変化しつつあり、それは可能性として語られるべきものだとぼくは思う。そういう現状を直視して物事を考えようとする気概があったなら、「あんな黒いの」などという愚昧な発言はできないはずだ。
自分の当たり前と、他人の当たり前が違うこと。それをお互いに理解し合いながら、一緒に生きていける場所をつくっていくこと。そういう綺麗ごとを、ちゃんと責任を持って護り、そして子供たちに伝えていくことこそが、本当の「大人」の仕事なんじゃないのか。そういう「大人」たちがつくる社会こそが、「そこで生きてみたい」と人々に思ってもらえる場所なんじゃないのか。
多様性を肯定することこそが、むしろその共同体の安定性を支えるとぼくは信じる。理不尽な差別をそこから出来得る限り無くし、倫理や合意を多様な人々同士で形作っていくことこそが、国家を魅力ある共同体として機能させることになるはずだ。
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tvod · 7 years
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#027 「ていねいな暮らし」という問題系
パンス さて、今回対談編です! 総選挙が落ち着いて、いまやテレビではお相撲さんの話題で持ちきりのようです。そして世間はクリスマスムードに入ろうとしてますが、世界一のクリスマスツリーが日本に出来るらしいですね!
コメカ 「プラントハンター・西畠清順が人類史上最大規模の生命移送に挑む、復興都市・神戸に「世界一のクリスマスリー」を立てるプロジェクト」…ってことだそうだ。  「富山県氷見市の山中で発見された樹齢約150年のあすなろの木を、富山港から神戸まで運んで植樹する」、と。そしてあすなろの木をクリスマスツリーにした後、木を切り刻んでバングルにして販売する…っていう。で、ウェブ上で議論を呼んでるね。
パンス 朝起きてツイッター見てたらいきなり盛り上がっていた……。確かに不愉快だな、と思ったんだけど、何でそう感じるんだろう、ってとこでいろいろと考えが広がるテーマでもあるなあと。
コメカ うん。でもまあぼくは、ああまだこういう商売って成立するんだなーっていうある種の感慨があったけど(笑)。
パンス うむ! 誰が買うんだあのバングルと思うけど、まあ売れる見込みがあるからやってるんだろうから……。でもツイッターランドでは9割くらい否定的な意見で、その多くが、木の持つ生命を冒涜する行為なのではという、素朴なアニミズム的感覚に裏打ちされてるのが面白かった。まあその前段階として「なんか感じ悪い」ってのもあるんだろうけど (笑) 。あと、糸井重里氏の「ほぼ日」がこのプロジェクトをサポートしているという点でも論議を呼んでいるね。
コメカ うん…まあ、自然や動物、植物をいたずらにいじくり回してはいけない、っていう水準の倫理観はもちろん大事だと思うのね。ただ、消費社会に生きる人間はみんな多かれ少なかれ、そういうスペクタクルの消費を繰り返してはいる訳だ。で、あすなろの木を引っこ抜いてクリスマスツリーにして、バングルにして売り飛ばすっていう単なる下品な金儲けのプロセスに、こんな雑な「物語」を付与するだけのビジネスがまだ成立するんだなあ…っていうさ。
パンス 冷静に見てみたらほとんど無意味な行為に物語を付与して盛り上がる、って考えれば、インターネット上の無数の祭のなかにまだまだ残ってるかな。ただ今回のはバブル臭が残ってるから違和感が出ちゃってるのかも。埋蔵金掘るみたいな (笑) 。
コメカ 徳川埋蔵金プロジェクト(笑)。知らない若者は検索してみてください(笑)。 いやでもなんだろうな、かつての徳川埋蔵金プロジェクトだったらさ、まあギャグというか、男のロマンのパロディみたいな側面があった気がするのよね(笑)。でもこのクリスマスツリー企画はさ、80年代的なバブル感覚だけじゃなくて、ゼロ年代的なチープなスピリチュアル感もあって気持ち悪いんだよな(笑)。 まあただ、バブル感覚とオカルティズムは相性が良いってのもあるし…安倍昭恵さんが「 私をスキーに連れてかなくても行くわよ 」って言ってた問題系にも通じるかもしれない(笑)。
パンス まあ金ないとスピる余裕もないから……。最近、斎藤貴男『カルト資本主義』(1997年) ってルポタージュを読んでた。90年代に大企業の中枢でオカルティズムが流行ってたのって、あんまり知らなかったので新鮮でした。ニューエイジ思想を出発点としたスピリチュアルの流れって、日本だとオウム事件で一旦リセットされちゃったように見えてたけど、その裏側にこんな世界が広がってたんだな〜と。それらがゼロ年代に小粒になっていまに至るというか……。自己啓発やらヤーマン系やら含め。
コメカ オカルティックな「物語」を語ることで、ビジネスや消費にさも「意味」があるように語るっていうのは定石のやり口。だからまあ、こういうやり方に対抗するときに、別の「物語」をぶつけるやり方を選ぶのか、「物語」そのものを客観視するやり方を選ぶのか、っていう問題はある。動物に対する倫理を主張するのは前者のやり方。 ただ注意するべくは、何がしかの「物語」を、植物なり動物なり、まあ「他者」だよね、そういう対象に読み込むこと自体は、人間のエゴでしかないと思うけどね。
パンス 日本人の根源にアニミズムがあるから……とか深読みしようと思えばできるけど、単純に、宮崎駿とかみんな観てるから育った感性という気がする。『もののけ姫』とか。そういう意味で宮崎駿は別の「物語」かも。
コメカ まあそういう行いから人間は逃れられないんだけど。それこそ糸井さんの、「 犬も猫も、告発したりじぶんこそが正義だと言い募ったりしないんだ 」のツイートとかも、他者としての犬や猫に自分の「物語」を押し付けて、自己投影をしているに過ぎない。
パンス 自己投影でもあるし、もっと厳しめに言っちゃうと明確な政治性がある。
コメカ そう。「政治的な問題を脱臭・無化しようとする政治性」の為に、犬や猫がダシにされていると思う。 ただ、糸井さんはそういう自分の恣意的な言説によってコントロールされた空間を作り出すのがやっぱりめちゃくちゃ上手い。さすがだよ。一流の「場の管理人」だと思う。「人畜無害な、(だがその裏に残酷さを隠しこんだ)消費空間」を、これだけ戦略的に生み出せたプレイヤーが他にいるか?っていう(笑)。
パンス フリクションの一切ない状態で生きて死ぬススメ……。こんな空間を生み出せたのは日本だけなんじゃないかしら。
コメカ まあそれこそ糸井さんは、80年代以降の「戦後日本」の仕掛け人の筆頭の一人な訳じゃないですか。
パンス もちろん、時代も味方していたと思うけど。で、かつてからのノリをいまやって炎上したら、結局そこで出せる回答が「いろいろ議論があって…」みたいな歯がゆいものになっちゃってるのが気になったんだよね。あれほどの人でもそうなるのかと……。 つまり、70〜80年代前後から耕された「戦後日本」を存続させるには、争いごとはとりあえず相対化しといて強制終了させるとか、さっきの「犬も猫も~」みたいな、ほんわかした物言いの裏に、状況に従わない/従えない人を容赦なく見捨てていくようなステイトメントを打たないといけない、って状況になってる。ってことじゃないかしら。
コメカ そうだね。だから要するに、「自分たちさえ良ければいい」っていう、戦後日本の欺瞞の部分だけがリバイバルしてる側面がある訳だよ(笑)。リバイバルさせるの、そっちの側面かよ!っていう。
パンス ひー! 前も話した「ていねいな暮らし」問題にも通じてきます。結局みんな自分たちの生活だけが大事なんだな〜、という。いや昔からそこは変わらないんだけど、いま同じようにやろうとすると他の奴を蹴落としたりする側面が露わになりがちという。
コメカ だから、戦後民主主義リバイバルを標榜する我々としては、戦後日本のそういう独善的な側面をいかに乗り越えるか…っていうのは重要なテーマで。そこにあった優しさを携えたまま、閉じられた輪の外側に出ていく…っていうのが、重要なんだと思うんだよね。
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tvod · 7 years
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#TVOD Essay019  高野文子「美しき町」/戦後の「美しき自明性」 / panparth
 以前、調布に住んでいた頃は、野川のあたりをよく散歩していた。つげ義春が80年代に描いたマンガを読んでいたところ、期せずしてちょうど同じあたりを散歩していたことが分かって、しかも300円程度持って歩き回るーー煙草を買うか喫茶店に行ける案配のーーってなディテールまで似ていて笑ってしまった。僕は600~1,000円程度だったので、まあ当時の物価に換算すれば同じくらいだろう。
 住民でもないのに「神代団地」をウロウロしたり。1965年に入居開始した広大な団地で、真ん中にはちょっとした商店街があり、スーパーから郵便局まで入っていて、生活の大抵のことはそのなかで済ませることが出来るという状況に、僕は少し憧れてしまった。手紙舎というしゃれたカフェもあり、そこの窓から外を見ていると本当にいつの時代にいるのか分からなくなる、無風状態になるような瞬間があって愉しかった。住みたいかも……と考えて内見までしてみたけど、酔っぱらって帰ったら帰り道が分からなくなりそうだな……とかいろいろと考えて、結局やめた。
Tumblr media
 最近流行り? の団地マニアではないけれども、少し憧れてしまうのは、もともと幼少期に団地に住んでいた(とはいえ、記憶はほとんどない。僕はとにかく忘れっぽく、子どもの頃の思い出とかきちんと覚えている人は本当に偉いと思う)、というのと、高野文子のマンガ「美しき町」が個人的に好きというだけの話である。舞台となった時代は明確に指定こそされていないものの、1960年代あたりだろう。「三丁目の夕日」みたいに露骨に時代を示すアイコンが出てこないのがとても好ましい(以前テレビで『三丁目の夕日』のドラマを見たけれど、オロナミンCの看板みたいなアイコンが氾濫したゴテゴテとした映像になっていて、『昭和風』居酒屋の店内にいるみたいだった。あれはあれで興味深い映像だったけど、それに関してはまた別の機会に書こう……)。お見合い結婚をして、夫の「ノブオさん」は工場で比較的いい給料をもらっていて、工場労働者たちが集まる団地で二人暮らしをしている、という設定が朧げにその時代を伺わせてくれる。工場の労組が、自分たちの部屋で集会を開くとき、妻の「サナエさん」はお茶を入れたり、布で間仕切りを作って家計簿をつけている。労働運動が男性によって独占されていたことを示唆しつつ、そんなことより、近所のちょっとしたやり取りから生じたすれ違いのほうが重要だったのだ。
「たとえば三十年たったあとで/今の、こうしたことを思い出したりするのかしら」
「子どもがいて、おとなになって、またふたりになって/思い出したりするのかしら」
と、サナエさんとノブオさんは「思う」。ここにあるのは、30年経ったあとでもこのような生活は続いているというボンヤリとした確信である。その自明性こそが、戦後の日本社会を支えてき��といえるし、いまも「ボンヤリと」覆っている。いま20代くらいで、つましい二人暮らしを始めた人たちだって、同じように考えるかもしれない。でも、状況が確実に変わっていることも事実なのである。
 で、ここで急に時事ネタを挿入しちゃうと、子どもがいない世帯で年収800万強の場合に増税とする案なんてのが検���されているというニュースを聞いて、毎日毎日ウンザリする話題が続く中でもとりわけ暗澹とさせられた。こうやって政治の制度設計そのものが家庭に介入していく居心地の悪さというものを、どう受け止めたらよいのだろうか。現実がそうなんだからそん中でサバイブするしかないんだよ、というのは、まあ言われがちな傾向だけど、それは自明性に対して気合いで補強するくらいの効果しか生まないし、少なくとも、いまの状況下で居心地が悪くなる全ての人に届かない言葉であることは間違いないだろう。その「届かない空間」にどうやってアクセスするのか、もしくはその空間からどのような言葉が出てくるのか。
 また手紙舎にてコーヒーでも飲みつつ、考え続けるしかないだろう。住んでるところ遠くなっちゃったけど。
※今回のエントリは、大野左紀子さんによる下記記事からも多くの示唆を頂いたので掲載。この時代に恋愛結婚ではなく、お見合い結婚をしているという部分からの分析も。
『美しき町』の美しき諦観
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tvod · 7 years
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#TVOD Essay018 聖なる子どもの暴力 映画「ディストラクション・ベイビーズ」 / comeca
破壊 はかなくも
見事にぶっ壊された
Absolute Destruction
眩暈みんな 死にもの狂い
 NUMBER GIRL「DESTRUCTION BABY」
  どんなに優しそうに見える人間でも、心のどこかに、暴力衝動を抱えている。壊したい。殴りたい。吹き飛ばしたい。そういう衝動を自分の中で飼い慣らすのか、それとも思うまま解放するのか、人間は大人になっていく過程の中で、都度選択していくことになる。
 真利子哲也の映画「ディストラクション・ベイビーズ」において、柳楽優弥演じる芦原泰良は、暴力衝動を飼い慣らすことを一切しない男として描かれる。街を行き交う人々に対して、彼は見境無しに殴りかかる。凶暴そうな男たちを次々とターゲットにして、不条理な喧嘩を挑み続ける。弱いものイジメでも抗議の意志でもなく、ひたすら無意味で純粋な暴力。劇中で泰良の内面や自意識が明示的に示されることはなく、目的も理由もなしに、ひたすら「暴力そのもの」になっていく彼の姿が描かれる。
 失踪した泰良を探す弟、将太(村上虹郎)は、その捜索の過程の中で友人たちとの関係を破綻させていく。泰良のようなコミュニケーション不能な存在ではなく、自らの境遇に対する自意識を持った人間として描かれる将太は、まさにそのこと故にコミュニケーションから疎外されていく。彼は兄を侮辱する友人たちを許すことができない。劇中終盤、将太が遂に発動させてしまう暴力には、泰良のそれとは異なり、「意味」がある。
 泰良と将太は、同じ場所で育つ過程の中で、袂を分かっていった。 「意味」の無い暴力に魅せられ続ける泰良は、それを携えて、社会の外側へと歩いていく。 「意味」のある暴力を手にしてしまった将太は、地元の喧嘩神輿の光景に目を奪われる。喧嘩神輿は、暴力を社会の中に還元し無化する為の儀式、「意味」を消失させる為の儀式であると言える。
泰良は純粋な暴力の聖性”そのもの”になっていく。そういう存在は、社会の中では生きられない。一方将太は、自分の中にある暴力を、儀式を通して飼い慣らしていくことになるだろう。祭りの間だけ発生する刹那的な聖性の中に、自分が抱える「意味」を洗い流していくこと。「ハレ」としてのそのプロセスを抱えることで、「意味」と「無意味」の往還を通じて社会の中で生きる方法を、将太は学んでいくだろう。
 恐らく、将太は大人になれる。だが泰良は大人になれず、永遠に子どものまま生きるしかない。
 そして、子どものままでいることも、大人になっていくこともできない人間もいる。北原裕也(菅田将暉)は、自分が所属している社会の中で阻害されない様に、所謂「キョロ充」的に立ち回りながら、それでもどこか不満やくすぶりを感じている存在だ。彼は泰良の暴力に魅せられ、「二人で何かでっかいことをしよう」と持ちかける。「意味」に捉われて怯えていた北原にとって、泰良が誰彼構わず振るう暴力は、自分を抑え込む社会を吹き飛ばすような、祝祭的なものとして映ったのだろう。
だが、そうして解放された北原が自分自身で実際にできることは、自分より腕力の無い存在に暴力を振るうことでしかなかった。「一度思いっきり女を殴ってみたかったんすよ」と彼は語る。腕力だけで言えば、別にこれまでの状況でも、北原は大概の女を殴ることはできたはずだ。彼がそれをしなかったのは彼自身の倫理によるものではなく、彼が所属する社会に与えられた規範性によるものでしかなかった…ということだ。彼が社会の枠組みから離れてみていざできることは、そんなことでしかなかった。「意味」や自意識を削ぎ落した、聖なる暴力を彼は手にすることができなかった。
 泰良と北原は暴力行為を繰り返し、逃走する中でキャバクラ嬢の那奈(小松菜奈)を攫う。北原はひたすら嗜虐的に那奈を痛めつけるが、最終的には那奈によって殺されることになる。那奈は北原を殺す際に、「甘えるな」と叫ぶ。北原は泰良の無関心さや内面の見えなさに苛立ち、那奈に対して支配的に振る舞いながらも、「俺たちは仲間だ」と必死に語っていたのだ。「甘えるな」という那奈の言葉は、北原のその弱さに向けられている。社会の外側に出ているのに、それでも自分が帰属する共同性やコミュニケーションを求めてしまう弱さ。
北原は大人になり損なった。泰良のように純化された暴力を解放することも、将太のように社会の枠組みの中にギリギリ踏みとどまって暴力を飼い慣らすこともできなかった。圧倒的な暴力に魅せられて社会からさまよい出てしまい、再び社会に帰還することができなかった子どもが、彼だ。もう引き返せないところまで来てしまっていた北原は、泰良のように聖なる存在になるしかなかったはずだ。それでも今さら駄々をこねたオトコノコとしての彼を、那奈は決定的に軽蔑し、断罪したのだ。
  そして。言わば「神隠し」にあった泰良や北原とは異なり、これから大人への道を歩き出すであろう将太は、自分が抱え込む「意味」のある暴力に、今後も向き合い続けるしかない。社会の中でそれを飼い慣らしていく過程こそ、大人になっていく過程そのものである。
だが願わくば、共同性やコミュニケーションが、彼を祝福する未来が待っていてほしいと思う。聖なる子どもとしての生を選択しないことは、決して消極的なものではないはずだと思うから。大人になって生きていくことは、諦念としてではなく、希望として語られなければならない。
  Destruction Girl
Destruction Baby
コントロール不能
コントロール不能 の気持ち
 NUMBER GIRL「DESTRUCTION BABY」
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tvod · 7 years
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#TVOD Essay017 なぜ「なぜリベラルは負け続けるのか」と言われ続けるのか / panparth
 10月に行われた総選挙では「積極的棄権」を提唱する動きがあった。実際に棄権したと表明した有名人も現れ、そのつど物議を醸していた。そして結果はどうだったろうか。彼らの呼びかけがなくとも、世の多くの人は「棄権」して、今回も戦後有数の低投票率を達成したわけで、彼らの意志は無事に通じた、ということでよいのではないか。
 その是非をここで問うことはあえてしないけれど、ひとつの「厭戦感情」の顕現と取���人も多かったように思う。メチャクチャなことばかりだし、出てくるプレイヤーみんなが戦闘的だし、もう疲れた、といったような感情。「意志が通用しない」ことは増える一方である。明らかに非倫理的な行いが、黙認され、むしろ行為者の開き直りがセカンド・レイプを繰返すようなことが、そこかしこで起こっている。そんなことに巻き込まれるのならば、窓口をシャットダウンして、黙っているのが賢明だ、というのは事実である。ほかにも楽しいことはたくさんある。こんなことを書くのも読むのも面倒だ、というのもまた事実。「でも、やるんだよ」的な発想も疲労がたまるだけ。
 なんて書いてみたものの、僕はアレコレと思いをめぐらせるのが好きなので、総選挙前後も特にテンション変わらず、いろいろとネット上に出てきた記事を読み漁っていた。勉強になったのは「リベラル」の再定義に関するもの、目立っていると感じたのは「リベラル」側による自己陣営の方法論への批判。ニュースになっているのは与党のあからさまな振る舞い、そして(これまでの流れと直接的な因果関係はなく)突如として発生したシリアル・キラーによる事件、などなど。
 「リベラル」批判は主として次のようなものだ。インターネット上で左右対立が増幅されているだけで、不毛。
この選挙で、ネット右翼は終わり新たに「ネット左翼」が生まれた
 ここで言われる「ネット左翼」はそれこそ2011年くらいからずっといたし、スピってる左派もかなり問題だけどそれらは一部だし、いまさらそんなに声高に言わなくてもという感想を持った。確かに、陰謀論は下らない。ただ、方法論がそこそこ乱暴なのは別にいいんじゃないの、というのは僕の感覚である。炊飯器でできた地雷が爆発したり、火炎瓶が投げられるわけでもないしーーわりと忘れられているけど、裁判所でカラーボールを投げつけて逮捕された中年ネトウヨがいた。右派のほうが全然ファナティックなのである(とはいえシニシズムーー冷笑主義に当たらないものにまでその札を付けて叩くリベラリストがチラホラいたな……、という例はあり、何だか必要のないところに戦線を張っているな、と思うことはあった)。こちらの記事でも指摘されている通り、全体的に政治への関心度は上がっているし、立憲民主党の試みも非常にポジティブだった。が、このように評価するだけで「撤退戦をやりながら喜んでいる呑気なリベラル」と批判されてしまう風潮があり、それはどうなのか。
 問題はここにあるのだ。何をやっても、どう発言しても批判されてしまい、なんとなく批判するほうが多数派っぽく見えてしまうということ。統計をもとに「若者は保守化している」という記事もいくつか見かけた。統計がそう示してるんだったらほかならぬ事実なのだが、どれもそれを「若者の感情」がそうさせている、という締め方になっていて、物足りない。感情というより、保守化せざるを得ない言論空間がある、と考えることはできないだろうか。「民主党はダメだった」といった言い回しは前提のようになっていて、この間もテレビのインタビューでそのように(意識の高そうな)大学生が朗々と答えているのを見たが、民主党政権時は中学生とかでしょ。特に検証なくそのように言っとけばオッケーという流れが確実にあり、それは「若者」に限らず成年中年全体に敷衍している。原因は簡単で、ちょっと政治に興味を持って言論空間にアクセスしようとすれば、まとめサイトにぶつかり、ツイッター有名人にぶつかる。そこにリベラル批判が流れているからそうなっているだけではないか。
 ならば、違う流れを作ればいいのである。反省は重要だけど、そんなにずっと続けたり、内輪でモメる必要はない。かつてベ平連が活動していた頃、新聞に意見広告を打ったら、急進的な勢力からは「そんなヌルいやり方じゃダメだ」と批判されたという。いまと逆である。ただ、それに対し鶴見俊輔は「いろいろみんながやりたいことを同時にやればいい」と返した。そういうことである。
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tvod · 7 years
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#026   戦後民主主義リバイバル  act.2
パンス VincentRadio、聴いて頂いた方+スタッフの皆様、ありがとうございましたー!
コメカ ありがとうございました!つたないトークを聴いていただいて&放送していただいてホント感謝です。選挙直後の状況の中で、改めてDIY感覚でみんなそれぞれ自分なりに政治もサブカルも首突っ込んでいきましょう、って話をしたつもり。ラジオは今後も定期的にやっていきたいスね。
パンス やりたい! 普段からあんな感じで呑んで話してます~。反響も頂き、うれしかったなあ。でまあそのときも話したけど、結局は、長くじっくり続けていくしかないのかなーと。
コメカ んー、まあそれこそ色んな人が言ってるけど、「他人に期待するのをやめる」ってのが大事なんじゃないかな。誰かならやってくれる…みたいな期待を他人にするのをやめて、自分なりに動いてやってみる、っていう。政治にしてもサブカルにしても。別に上手いか下手かとか関係なくて、自分なりの意志で動くのが大事。で、すぐ絶望したり諦めたりせずに、楽しみながら続けていくのも大事だよね。
パンス そうだね。90年代からの政治状況って、「他人に期待する」状態がずっと続いてたともいえるね。小泉も橋下も、ガラリと変えてくれるように期待をさせてくれるようなポピュリストが現れては消えていく。
コメカ うんうん。まあそして、そういうポピュリストたちは「大衆に期待される人」であるのと同時に、「大衆の依り代であるべく、『積極的に民意に流される人』」でもあった訳だけど。今の枝野さんも、構図としては近いものがある。だから依り代としての枝野さんに対して、どういう風に市民側が能動的に意志を突き付けていくかが重要になっている。ある意味で危険性もあるんだけど、枝野さんや立憲民主党が市民の声をスルー出来ない状況をもっとどんどん作り出すことが重要だと思う。
これから、連合との関係性とか、非常に面倒で複雑な問題がまた浮上してくるだろうから。
パンス だろうね~。もっとリベラル側の「民意」が可視化されて、これはデカいんだぞという影響力が出るといいんだけど、実際問題デカいのかどうかはよくわからん。それより巨大な無関心が覆ってるように見えてしまう。
コメカ だからある意味ぼくはもう日本社会には期待してないよ(笑)。あとは、自分が良いと思う理念や行動を如何に広げるかを考えるしかない。たぶん、可視化されているリベラル派以外の、無意識のリベラルシンパがこの社会にはまだ眠っているはずだ…みたいな考え方をしていると、今後の社会の動向に絶望することになってしまうと思うんだよね。自分たちがやることや考えていることを「面白そう!」と思わせて、ポジティブに人を巻き込んでいくようなことを考えた方が、絶望しなくて済む。
パンス なるほど! その発想はあんまなかったかも。日本社会に眠れる層みたいなのを、僕も結構期待しちゃってたかもな。で、選挙の結果が出るたびに気落ちしてしまうという笑。期待するから絶望しちゃうんだね。
コメカ うん、いないんだよたぶん(笑)。でもそのことに別に諦観を持たずに、自分なりに広げていけばいいじゃん?各自がそれをやりはじめたら、ちょっとずつでも変わるよね。
パンス ただまあ、実際はどうあれ、潜在的にそういうものーー平和への欲望はあるぞ! って言ってくことは大切かも。枝野さんは「日本社会は本質的にリベラル」って言ってた。いやそうでもないんじゃないか、どっちかっつうとシバキ上げ社会なんじゃないかと僕は思うけど (笑)、戦後あった穏やかで平和だった側面を、魅力的なものとしてガンガン打ち出していくのはよいと思う。
コメカ そこで戦後民主主義リバイバル、っていう(笑)。
パンス そうそう!リバイバルしてるぞってどんどん言っていきたい。してないかもだけど (笑)。してないんだよ。無意味で常軌を逸した抑圧ばかりが目立っている。髪の色を染めるだのなんだのーーむしろここ10年ほどのほうが激しくなっているのではないか。だからこそ、逆のことを言いまくって少しでもハンドリングできれば……。
コメカ さっきも言ったように、「リベラルでありたい」と無意識に思っている層が潜在的にこの社会に眠っている訳ではたぶんない。でも、日本の大衆は70年代~90年代半ばぐらいまでは、ぼんやりとした戦後民主主義的な穏やかさを享受してた訳だよね。そして90年代半ば以降、新自���主義の台頭に任せて漠然と戦後民主主義を手放していって、今の大衆はもはやそれを能動的に取り戻そうとは思っていない。でもまああの時代の雰囲気やテンションは根っこの部分に刷り込まれてるはずで、だからそこをガンガン突いてリバイバル状況を作りたいんだよね(笑)。
パンス 戦後民主主義的な穏やかさーー。遠藤賢司さんが亡くなってしまって、久々に『満足できるかな』を聴き返してて、この感覚だ~と思った。猫を飼ってて、彼女と友達のカップルとニール・ヤング聴きながら雪見酒をしたり、三島事件があって「へーそれは痛いだろうに」とボンヤリ思ったりとか。それらはここからスチャダラあたりまで続いてて、僕らにも如何ともしがたく刷り込まれてる。
コメカ うん、だからある意味無責任なんだけどね、戦後民主主義的な穏やかさって。社会的な事象に「へーそれは痛いだろうに」って、他人事の様にボンヤリ思ってしまうような感覚。「お茶の間」から世界を眺める感覚っていうか。でもたまらなく平和だったのよね。で、あの頃は何かに担保されることで成立していた穏やかさを、もう一度能動的につかみ直して、捨てない様にしましょうよ、っていいたいのよ。何か担保を用意しなくても、穏やかでいられるようになりましょうよっていう。
パンス 僕らは単純にその感覚が好きなので、続けていきたい。けれどいままでと同じやり方では機能しないので、アップデートするにはどうすればよいか考えつつやっていくぞ~ってことですね。
コメカ 社会が荒野化し、暴力が剥き出しになっていく状況の中で、戦後民主主義的な優しさをキープすることはどうやったら出来るのか、そしてそもそもそれをキープすることにどういう意味があるのか…ってことを、サブカルチャーや政治の過去未来を考えながら思考していこう、と。そういうことをやっていきたいス。
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