just think of me as a light on the headlands, a beacon steering you clear of the rocks.
俺は、岬の灯台のように、君が迷わないよう、行く手を照らす灯になろう。
-- Homeland S5 EP12
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デュラエースのラチェット音を聴け
「完璧なペダリングなどといったものは存在しない。完璧なエアロバイクが存在しないようにね」
ぼくが新米サイクリストのころ、ヤビツ峠の頂上で偶然に知り合ったTTチャンピオンはぼくに向かってそう言った。ぼくがその本当の意味を理解できたのはずっと後のことだったが、少なくともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。完璧なペダリングなんて存在しないのだ、と。
しかし、それでもやはりどこかに出かけるという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。ぼくに踏破できる領域はあまりにも限られたものだったからだ。たとえば、ヤビツのタイムトライアルをいくら縮めたからといって、丹沢グランフォンドを踏破できるとは限らない。そういうことだ。
4年間、ぼくはそうしたジレンマを抱き続けた。――4年間。長い歳月だ。
もちろん、あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、STRAVA にアクティビティをアップロードすることはそれほどの苦痛ではない。これは一般論だ。
積算距離が20,000 km を少し過ぎたばかりの頃からずっと、ぼくはそういった走り方を取ろうと努めてきた。おかげで見知ったサイクリストから手痛いアタックをうけ、山頂までの距離を欺かれ、カメラ先行を誤解され、また同時に多くの不思議な体験もした。様々な景勝地がやってきてぼくに語りかけ、まるでベルギーの石畳を登るように音を立て、ぼくの横を通り過ぎ、そして二度と戻ってはこなかった。ぼくはその間じっと口を閉ざし、何も語らなかった。そんな風にしてぼくはロードバイク4年生の春を迎えた
今、ぼくは自転車に乗ろうと思う。
もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、帰りの輪行でもあるいは事態は全く同じということになるかもしれない。結局のところ、自転者乗りにとってライドとは、手段と目的が倒錯した行為を、いかにそれを口実をつけて自らをよくもわるくも欺き、日常の本来の目的へと還っていく自己療養へのささやかな試みに過ぎないからだ。
しかし、正直にペダルをまわすことはひどく難しい。ぼくが正直になろうとすればするほど、クランクは闇の奥深くへと沈み込んでいき、腸脛靱帯はじわじわ悲鳴を上げだす。
弁解するつもりはない。少なくともここに引かれているルートラボは現在のぼくにおけるベストだ。つけ加えることは何もない。それでもぼくはこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見するこができるかもしれない、と。そしてその時、ヤビツはかつての斜度を取り戻し、ぼくはより美しいペダリングで、菜の花台展望台を踏み抜くだろう。
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(…)実証研究においてとくに沖縄基地問題や東日本大震災などの大事件をテーマにした場合、研究者は、調査において知りえたことをありのままに、そして詳細に説明しようとする傾向がある。たしかに現地を知らない人に対して、それはある程度必要なことなのかもしれない。しかし、それが報告の大半になってしまうというのでは、社会学者が論じる意味はどこにあるのだろうかという思いがわいてくる。正直言わせていただくならば、筆者は、こうした話を聞くうちに、社会学者の仕事ではなくてジャーナリストの仕事を聞いているような錯覚にとらわれるのである。
見知ったことをあれやこれやあげて、それらに簡単な感想を付け加えるだけならば、ジャーナリストでもできる。社会学者の仕事には、ただたんに事実をありのままに報じるのではなく、収集した諸事実を理論的に加工して一般化し、これまでの先行研究との差異を明確化したうえで、学問の財産倉庫に入っている古い知見を修正し、あるいは新たな知見を付け加える作業が欠かせない。ところが、そういう、まさに学問の学問らしい営みが最近とくに若い研究者��間で、おろそかになっているような気がしてならない。社会学者は社会学者である限り、自らの方法論的自覚を持つべきであり、学者としての仕事をすべきである。
早川洋行(2018)「コメント――地域社会のドラマ分析」
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とりあげた有力説のどれかが完全に適合するような結果ではなかった。それは、一側面を強調するだけでは進学と学歴の格差を説明できないことを意味する。文化資本モデル、相対的リスク回避説、成績−アスピレーション・モデル、トラッキング・モデルなどよりも、全般にわたって全変数の主効果を投入したほうが適切なモデルで予測力(疑似決定係数)も高かった。言い換えれば、進学格差を生み出すのは複合的な過程であり、どの説もその複合的過程の一側面を強調した説明だということになる。
鹿又伸夫(2014)『何が進学格差を作るのか――社会階層研究の立場から』
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One must still have chaos in oneself to be able to give birth to a dancing star. You still have chaos in yourselves.
ダンシングスターを産み出すためには、人は心に混沌を持っていなければならない。君のこころのなかにもいまだ混沌はある。
Friedrich Nietzsche (1885) Thus Spoke Zarathustra
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Life finds a way.
生物は必ず生き残る道を見つける。
Jurassic Park (1993)
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Anybody who talks about California hedonism has never spent a Christmas in Sacramento.
カリフォルニアの快楽主義について語る人は誰もサクラメントのクリスマスなど知りもしない。
Lady Bird (2017)
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測るということは、同時に、測るという行為自体も疑うことが必要である。
矢野宏(1994) 誤差を科学する――どこまで測っても不正確!?
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Houston, please be advised: Rich Purnell is a steely-eyed missile man.
ヒューストンに忠告する――リッチ・パーネルは鋭い目をもつミサイル野郎だ。
Andy Weir (2011) The Martian
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私たちは、小さい子供がいる人も招待しましたが、ほかにも大勢の友人を招いたので、部屋を埋め尽くしていたのはほとんど大人ばかりでした。息子は一歳という年齢なりに楽しい時間を過ごしているようで、よちよち歩いたり、家具につかまったりしていました。妻が何かの様子を見にキッチンに入ったので、私が息子を見ていましたが、一瞬、息子が私を見失ったのがわかりました。とてつもなく大きい人ばかりの部屋をぐるりと見回したときの息子の顔には、心底心配そうな表情が浮かんでいました。見るからに不安そうでした。不安がもうちょっとでも長引いたら、たぶん泣き出していたでしょう。ところがそのとき私を見つけたので、息子は満面の笑顔になりました。歯の一本や二本見せていたかもしれません。両手を挙げてこちらに一歩踏み出したので、私は手を伸ばして抱き上げてやり、自分のほうが思わず泣きそうになりました。なんとも奇妙な出来事でしたが、これまでの人生で誰かから十二分に愛され、受け入れてもらったのはこのときが初めてでした。ほんとうに。ここにいる非の打ち所のない子供、この可愛い子供が人であふれる部屋にいる。けれど彼にとっては誰でもいいわけではない。これだけ多くの人があたりに立っている中から、彼は心を通わせる相手として私を選びました。私を見て安心したのです。私を見て、私に抱き上げてもらいたがったのです。
John T. Cacioppo & William Patrick (2008) Loneliness: Human Nature and the Need for Social Connection
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わたしは女の優しさというものを知らずに来た。母はわたしを醜い子だと思っていた。妹もいなかった。成人してからは、恋しい女の嘲りの目が怖かった。あなたがおられたお蔭で、せめて女の友達を、わたしは得た。わたしの人生に、あなたのお蔭で、女の衣擦れの音が聞こえたのです。
Edmond Rostand (1897=2008) Cyrano de Bergerac
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土に根をおろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。
Take root in the ground, live in harmony with the wind, plant your seeds in the winter, and rejoice with the birds in the coming of spring.
風の谷のナウシカ(1984)
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Cycling is just this weird thing that I do.
自転車競技なんて、俺がしてる奇妙なことの一つに過ぎないんだ。
Svein Tuft
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