「当時、ルソーを語らないやつはダメでした。僕は哲学専攻でしたから特によくルソーを読み込んだ。女の子の前でフランス革命を語るのが、一番カッコよく見えた時代です」
元中国人の評論家・石平に若い頃の話を尋ねると、そう言って笑みを浮かべた。
1962年に中国四川省で生まれた石平は、幼少期に文化大革命を経験。やがて1980年、北京大学哲学系に入学し、学内で民主化運動に熱中した過去を持つ。中国が改革開放政策に走りはじめた当時、キャンパスでは誰もがルソーを読み、国家の未来と民主主義を語るのが流行だった。
卒業後、石平は中国国内で大学講師になったが、学生に民主化運動のオルグをやりすぎて上司に睨まれ、新天地・日本に留学。神戸大学大学院で博士号を取得している。1989年に六四天安門事件が発生したときには、彼は関西地方の中国人留学生グループのなかでも相当にアクティヴに動き回った。
私は先日、彼のような天安門世代の中国人たちの「その後の人生」を追いかけた『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOAKWA)という本を刊行した。天安門事件が起きたとき、日本は平成元年。この約30年間で、かつての若者たちの人生は大きく変わったが、それはいまや「元中国人」の保守評論家となった石平も例外ではない。
石平の心のなかにある、往年の民主化青年の素顔に向き合ってみたい。中国の若者が、カネ稼ぎや就職の心配よりも国家の未来を心配していた時代の記憶に触ってみたい。そこで今回の記事では、石平にそんな過去への思いを存分に語ってもらうことにした。
この記事を読んでいる日本の大部分のネットユーザーはきっと知らない、もうひとりの石平の姿。どうぞご覧いただきたい。
革命神話が生きていた時代に
安田 いわゆる天安門世代に該当するのは、1960年代生まれの中国人。中国語で「六〇後(リョウリンホウ)」と呼ばれる人たちです。彼らの青年期後半と日本のバブル絶頂期は重複していて、中国国内のエリートがいちばん多く日本に留学していた世代でもあります。
結果、現代の「有名な在日中国人」はみんな天安門世代です。石平さんをはじめ、財界ではソフトブレーンの宋文洲氏やラオックスの羅怡文氏、芸能人では周来友氏や李小牧氏、小説家の楊逸氏など、非常に濃い面々が揃います。日本で教鞭を執る中国人大学教員も、この世代がいちばん多いでしょう。
石平 そうですね。日本にいる中国人留学生の質が高かったのは1980年代なんです。90年代前半期も、天安門事件に失望した中国のエリートが大勢日本に来ています。
安田 天安門世代は、ほかにもIT企業アリババの創業者のジャック・マー(馬雲)やバイドゥ創業者のロビン・リー、シャオミ創業者の雷軍、暴露大富豪の郭文貴など、中国財界の大物たちも数多く該当します。中国共産党の高官だと胡春華や孫政才(2017年7月失脚)もそうですね。この世代の中国人の、心の原風景みたいなものを知りたいんですが。
石平 いいでしょう。たとえば僕の場合、4歳で文革がはじまり12歳で終わった。物心ついたときはまだ、革命神話が現役だった時代です。「偉大なる中国共産党により解放された祖国は素晴らしい」「諸君は世界で最も幸せに暮らしているんだ」「日本人民やアメリカ人民は悪しき資本家の抑圧のもとで食うや食わずやの生活である」と教わりましたよ(笑)。
殺伐を越えて
安田 往年の石平少年も、胡春華少年もジャック・マー少年も、みんな毛主席の紅小兵だった。中国人民より “不幸”なアメリカ人民や日本人民を、共産主義の光で解放するのが使命だと教わってきた。
石平 ええ(苦笑)。しかし、文革で社会はメチャクチャになる。そして70年代からは、農村に送り込まれた紅衛兵の一部が無許可で都市に戻り、仕事がなくて犯罪に走るようになった。70年代の中国は貧しくて閉鎖的なだけではなく、治安も悪くて暗い時代でした。
※来日して早大大隈講堂でトークセッションをおこなったアリババ創業者、ジャック・マー。今年3月末時点で時価総額世界8位の巨大IT企業を率いる彼も1964年生まれであり、世代的には「天安門世代」だ。2018年4月25日、大隈講堂内で安田撮影
安田 そんな殺伐とした時代の後に、ようやく毛沢東が死んで雪解けがはじまる。石平さんが北京大学哲学系に入学したのはこの時期(1980年)です。どんな学生だったんですか?
石平 当時、鄧小平の新体制のもとで、毛沢東時代がある程度は否定された。そこで登場したのが、文革の悲劇を暴露する「傷痕文学」という小説ジャンルです。私は高校から大学にかけてむさぼるように読んで、強く影響を受けた。当時は娯楽が少ないので、他の同世代も似たり寄ったりだったでしょう。
僕らが子どもの頃は「素晴らしい政権の下に生まれている」と教育された。それが大人の入り口に立つ頃になって、自分たちの社会の残酷さ、恐ろしさを知る。両親や同級生からも、文革当時のひどい話をたくさん聞く。この時期にいちど、世界観を完全に壊されるんです。
安田 日本だと昭和一ケタ世代みたいな感じかもしれませんね。軍国主義教育を受けて育ったのが、戦争が終わったとたんに「真相はこうだ」「総懺悔」みたいな話を突きつけられるという。
石平 近いかもしれません。そこで80年代に大学生になった僕らの世代は、みんな一気に民主化にはしるわけです。非常に高揚感のある時代で、外国の情報も入るようになって。当時のキャンパスはそういうパラダイムのなかにあったんですよ。
安田 1989年の天安門デモだけが有名ですが、実は80年代の中国では大小の学生運動が頻発し、経済だけではなく政治の自由化も盛んに議論されていた「学生運動の時代」です。ところで、日本で学生運動が盛んだった60〜70年代には、『資本論』を読んでないやつはバカにされるみたいなのがあったそうですが。
石平 うちらもそう。当時、ルソーを語らないやつはダメでした。僕は哲学専攻でしたから特によくルソーを読み込んだ。女の子の前でフランス革命を語るのが、一番カッコよく見えた時代です(笑)。
安田 実に安保闘争っぽいなあ(笑)。ちなみに日本の60年安保のときの大学進学率は10%すこし。いっぽうで1980年の中国の当時の大学進学率は2%未満です。
地獄を見た人たち
石平 そう。当時の中国で大学に入れたのは非常に限られた人間だけでした。しかも社会主義が残っていた時代で、学費も寮費も食費もほぼいらない。われわれが民主化運動に没頭できたのは、ある意味で「中国共産党のおかげ」だったのですよね。
安田 当時の中国ですと、卒業して学士様になれば大学の講師ぐらいにはなれた。少なくとも職には決してあぶれなかった。石平さんを含めて、80年代の中国で民主化を叫んでいた若者は、非常に限られた特別な人たちだった。
石平 完全に恵まれた人たちの、温室のなかの贅沢な革命です。いまから考えると幻想に過ぎないのですが、みんなが天下国家を語り、「自分の力で中国を変える」という気負いがあった。当時の最高指導者の鄧小平は理解不能だったでしょうね。「君たちをこれだけ優遇してやったのに、なぜ逆らうんだ?」と思ったはずです。
安田 それに、みなさんから一世代上(1950年代生まれ)の人たちも腹が立ったでしょう。彼らは文革のまっただなかに青春時代を送った紅衛兵世代です。習近平みたいに幹部の子弟でも農村に送られて、地獄を見た。ろくな勉強もできなかったわけですから。
石平 その通り。習近平たちの世代から見れば、僕たちは単なる生意気な青二才にみえるのです。農村など低層のことは何も知らずにして民主主義ばかりを語っているアホどもが、という感じです。しかし彼らの世代は、毛沢東独裁政治の被害者でもあるのに、今になって独裁体制作りに躍起になっているのも、私たちから見れば摩訶不思議です。
安田 紅衛兵世代と天安門世代の仲の悪さは、『八九六四』の取材でも感じました。たとえばあるデモ学生OBに「何が不満だった?」と聞いたら、「俺は大学まで出ているのに、紅衛兵世代で小学校しか出てないやつの下で働くのがイヤだった」とか言うわけです。気持ちはわかりますが、当時の中国社会の現状から考えるとかなりの「わがまま」ですよね。
石平 われわれの運動は、失敗に終わるべくして終わったということですよ。中国がなんたるか、社会がいかなるものかも理解しないまま、理想だけを持っていた。もちろん、それでも青春時代の情熱を燃やしたことに悔いはない。命を捧げた人たちもいる。僕たちが体験した1980年代というのは、そういう時代だったんです。
安田 現在の中国からは想像もつかないような、学生運動の政治の季節ですね。
石平:そんな僕たちの時代は、1989年の天安門事件をもって終わりました。そう。あの事件ですべてが終わったんです。
愛国心は「逃げ場」だ
安田:終わった後に残ったものはなんだったんでしょうか、
石平:僕たちの世代は、自分の中にある毛沢東時代までの価値観をすべて壊しました。結果、中国共産党も人民日報も中国中央電視台(CCTV)も、あらゆる権威を信じなくなった。
いっぽうで従来の価値観を壊した結果、次はどんなことがはじまってもいいと思って、自分の頭で考えてルソーやフランス革命に接近していった。80年代を通じて、僕たちの世代を唯一まとめていたものは、民主主義という理想だったんです。
安田:しかし、それは天安門事件で壊された。
石平:はい。すると、僕たちの世代にはもはや共通点がないんです。みんなが好き勝手なことをやるようになる。なかには理想にあくまでもこだわって、理想のままで生きていく人もいないではない。でも、ニヒリズムに陥って、やがて立身出世や金儲けだけに走っていったやつも大勢出ました。
安田:『八九六四』にも、天安門事件の理想が破れて拝金主義者になってしまった青年の話が出てきます。もとは爽やかな好青年だったのに、すっかりイジけてカネの話しかしなくなった人が。
石平:イジけ方にもいろいろあります。中国国内の愛国主義者になっていったやつらもいる。例えば、ゼロ年代前半頃から中国ではネットの掲示板にやたらに愛国的なことを書く人が出てきましたが、どうやら初期の時期のそういう連中の一部は、僕と同じ世代みたいなんです。
安田:石平さんの初期の著作(『中国「愛国攘夷」の病理』小学館文庫、2002年)で書いていた、2001年ごろに人民日報傘下のネット掲示板『強国論壇』に集まってタカ派的な発言を繰り返していた人たちですね。当時の中国で、ネットを使えた人はエリートに限定されていたはず。彼らの正体は、すくなくとも一部については天安門ニヒリズムを抱えた世代だったと。
石平:金儲けと出世に走るやつがいる。あるいは、ごく少数ですが、純粋な気持ちを内面に持って反共産党の立場を永遠に貫いていくやつもいる。でも、どっちにもなれないやつがいるんです。そんなやつの逃げ場は愛国心になる。
天安門と「反日」
安田:なるほど。天下国家を論じたい理想主義者だったのに、民主化の夢は破れた。でも、開き直ってカネ儲けをすることもヘタクソ。そんな人たちが、中国のネット黎明期の反日言説の源泉のひとつになっていったと。
石平:僕の同級生にもそんなやつがいました。1980年代は、口を開けば中国の民主化を語っていたのに、1990年代になると反日的なことばかり言うようになった(笑)。ただ、こういう連中は弁が立つし文章も上手いし、語彙力もありますから、文章を書くとずいぶん迫力のある「反日言説」ができあがる。
安田:なるほど。後年に中国でネットが普及してから出てきた憤青(中国版のネット右翼)みたいに「小日本のバカ」「中国バンザイ」と一行レスを書き残すだけならバカでもできる。でも、いびつに歪んだイデオロギーであれ、それを長文で論理的に弁じ立てていくのは、やっぱり賢い人間じゃなきゃできません。
石平:そういうこと。2001年ごろの『強国論壇』の愛国反日的な文章を眺めていると、ピンとくるときがあるんですよ。こいつは僕と同じ世代なんだろうな、って。
安田:この論理構造は、かつて80年代の北京大学で見たアジビラとそっくりだ! みたいな。
石平:そうそう(苦笑)。文章それ自体は、実にガッチリと論理を構築して書かれている。
安田:政治理論みたいな抽象的な理屈を文章にして、理路整然と論じていく能力って、近年は世代が下るほど弱まっていますよね。これは中国だけではなくて、日本でもそうですが。
石平:そうです。仕事でやっているわけでも、自分の生活上の利益とも直結していないのに、理屈をこね回して抽象的な長文を書くような人は、日本ではほとんど絶滅しているんじゃないかな。中国でも、私たちの世代が最後なんです。
安田:一昔前までは、エリートでも哲学や文学を専攻する人が多くいたので、そういう「政論」を書くことが趣味みたいな人が大勢いました。でも、ここ20〜30年は社会が変わって、エリートはITや金融みたいに実学的な学問を勉強するようになったので、そういう趣味を持つ人も減ったように思います。
石平:そう。僕たちはそういうことをやる、最後の愚かな世代といいますか。僕たちよりも若い中国人のエリートは、もっと世故に長けていて賢いでしょう。ネットに「政論」を長々と書くような、非生産的なことはしませんよ。
反日とはなんだったのか
安田:ところで、70年代〜80年代生まれの中国人のエリートは、石平さんたち天安門世代と違って学校で反日・愛国主義教育を受けているはずです。でも、彼らは日本旅行が大好きだし、無印良品みたいな現代日本っぽいライフスタイルや、日本食やジャパンコンテンツのよき消費者となっています。全然反日的じゃないですよね。
昨年、『君の名は。』の聖地巡礼のために飛騨古川にやってくる若い中国人���人旅行者を取材したんですが、彼らは実にお行儀がよくて物静かで、日本に対して健全な親しみを抱いている。正直、中国政府が天安門事件後にはじめた反日・愛国主義教育とは何だったのかと思えてきます。
石平:中国の反日・愛国主義教育は、バカが信じればそれでOKなんですよ。日本に個人旅行に来るくらい生活に余裕を持てる人は頭のいい人間だから、学校で教わるイデオロギーなんか真面目に信じない。
安田:逆説的に言えば、政府のプロパガンダを本気で信じて「反日」になるようなバカは、中国の社会は成功できないし金持ちにもなれない。
石平:そういうことです。一方で、格差の末端に追いやられた「持たざる者」は、潜在的な体制への不満分子です。そういう連中のフラストレーションを溜めず、高揚感を持たせてやるために中国政府が与えているのが、反日や愛国主義というオモチャなんですよ。
安田:中国の政府にしてみれば、社会で負け組になった「バカ」の不満がお上に向くことなく、「小日本め!」と日本を憎みながら大国意識に酔っていてくれれば天下は泰平である。
石平:そう。いっぽうで現代の中国では、金持ちや賢いやつは体制に反抗しない。だから、彼らが反日・愛国主義教育を信じてくれなくても政権の脅威にはならない。結構巧妙なんですよ。
天安門世代はなぜニッポンを愛するか
安田:日本に帰化した元中国人は少なくありませんが、石平さんは彼らののなかでも特に日本のナショナリズムに親和的で、靖国神社にも参拝しています。いっぽう、学識から考えても、ご本人と向き合ってお話をしていても、石平さんはナショナリズムを相対化して考えている人だと思うのです。
石平:もちろんですよ。日本のナショナリズムについても、例えば僕は昭和の初期の日本の戦争については基本的に批判的な立場です。ああいう全体主義的なナショナリズムは行き過ぎている。これは僕のあらゆる本で書いているんですよ。
安田:最近でも『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか』(PHP新書、2018年)の終盤で、がっつり書かれていますよね。
石平:ええ。もっとも、戦後の日本でその問題が逆になって、国を愛したり国旗を掲げることすらタブー視されたのもいけません。戦前も戦後も、方向性は真逆ですが極端な誤りがあると思っています。
安田:とはいえ「日本人・石平」の政治的立場は、平均的な日本人と比較しても右に位置するはずでしょう。なぜでしょうか。
石平:正直なところ、僕は最後まで理想主義者なんです。要するに、なにか理想的なものの中にいないと、自分はもたない。かつての理想の枠組みは中国への愛国心にもとづいた、中国のための民主化だった。でも、それは永遠に破れてしまった。ならば当然、僕の新しい理想の枠組みは日本に置かれるんです。
安田:天安門事件で空っぽになった理想の器は、別に何かで満たされなくてはならなかった。
石平:ええ。僕は幸いにして日本に来て、長く生活してきましたが、いい体験ばかりなんです。僕は中国の古き良き文化が好きな人間ですが、それは現代中国で失われたものすらも、日本には存在している。例えば今日、ここに来て――。
安田:大阪から滋賀県までお越しいただいてすいません(注.この対談は安田の実家の寺院でおこなわれた)。
石平:いやいや。ここで寺の庭を眺めて、お茶を飲んで風の流れを感じてと。そこで私が感じるのは古き良き中国であり、それを美しく昇華させた日本の伝統文化への愛着なんです。ある意味で、僕にとっての理想の世界は日本にこそある。日本料理も大好きです。
もちろん僕も、日本が抱えている様々な問題は知らないわけじゃない。しかし、それは別の問題です。僕にとって日本は、理想的なものでなくてはならない。そうなっちゃった。ある意味において、僕が日本を愛するのは自分のためのことでもあるんです。
理想の世界を守るため
石平:そして僕は日本人としての意識を持つ。例えば靖国問題にしても、僕は昭和初期の戦争には否定的です。しかし、あの戦争で国のために命を投げ出した人は美しい。それを決断した人間はバカであっても、若くして純粋にこの国のことを思って、亡くなった方は美しい。だから僕は、自分が日本国民になった以上、彼らが眠る場所には参拝するべきだと考えている。
安田:新天地の国を愛して、精神的に一体化することを望む結果、現地では右派的とされる立場にコミットしていく心理は理解できます。例えば天安門の学生リーダーだった熊焱は、アメリカで帰化後に(従軍牧師としてですが)軍籍に入って、イラク戦争に参戦しています。かつてトランプ政権の仕掛け人だったスティーブン・バノンの幕友にも、中国民主派の在米華僑が少なからず混じっていました。
石平:僕はこの日本の伝統と文明に一体化して、人生における最後の安息を得たいと考えています。だから逆に、日本を攻撃して貶めるような言説は容認できない。なので、僕が左翼を批判するのも本気なんですよ。自分の心と精神における、最後の理想の世界を守らなくてはならない。
安田:なるほど。とはいえ私は「日本を貶める」というか、一定の適切な批判は必要かと思います。例えば中国でも、天安門のデモの学生が中国の国家体制や政治を批判したのは、別に祖国が嫌いだったからじゃない。むしろ一種の愛国心ゆえでしょう。日本においても、こういう立場からの批判は健全なものだと思うのですが。
石平:それは当然。民主主義の社会ならば、それは存在するべきです。ただ、僕は政策を批判することも賛成することも必要だと考えています。例えば安倍総理の日韓慰安婦合意は、例え他の右派の人たちがナアナアで納得していたとしても、僕はあくまでも反対して批判する。逆に改憲や安保法制の整備には賛成するんです。
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日本にはもうすぐ、平成最後の夏が訪れようとしている。1989年に幕を開けた時代の終焉である。しかし中国もまた、この約30年間で人も社会も一変し、往年の天安門のデモに熱狂した青年たちも考え方を変えた。石平の人生遍歴もそのひとつだろう。
かつての民主化青年たちは、天安門事件で空っぽになった理想の器を何で満たしたのか。『八九六四』では、そんな彼らの後半生に密着している。社会のありかたを変えた事件が、当事者たちにもたらしたものとは。それは、結果的に日本に何を与えたのか。
平成元年に北京で起きた大事件から、中国と日本のいまが見える。
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