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#LaMaMaODAKA
theatrum-wl · 3 years
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【劇評】演劇が演劇であること
『ある晴れた日に』青春五月党 なばさま のぞむ
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平成が終わる4月に始まった福島での暮らし。劇場の数も平日夜に出会える演劇の数も少なくなったけど、いわき芸術文化交流館アリオスの三面六臂の活躍と県南を中心とした高校演劇界隈の隆盛に加えて、柳美里の存在がシアターゴアーにはうれしい。
柳曰く、「道中目にする景色、耳にする声も、芝居の大切な要素だと、わたしは考えます」
朝、福島駅西口から路線バスに乗る。バスは飯舘村の道の駅までい館で5分間休憩し原ノ町駅へ向かう。原ノ町駅から常磐線で小高駅へ。ああ劇場で会うなと思うひとが車内にいる。あのとき浪江駅で折り返していた常磐線は2021年のいま全線開通している。(小高からも含めて)いろんなところから来たいろんなひとがLa MaMa ODAKAへ向かう。いい感じのカフェでいい感じのコーヒーを飲む。臨時開業中のフルハウスで本を2冊買う。軒先で柳がインタビューを受けている。広野町で本屋を開きたいと語る若い女性の声が聞こえる。元倉庫という(よりは現倉庫みたいな)アトリエに入る。「マナーモード設定の仕方がわからない方はスタッフがお手伝いします」というアナウンスを初めて聞いた。
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隣り合う二つのベッドにふたりの男とひとりの女が眠っている。ふたりの男はあの日を境にした過去と現在の時間をそれぞれ生きていて互いの声は聞こえない。現在の男にとって(相馬弁を話す)過去の男は”ここにいない人”だから。現在のベッドで目覚めた女が次の場面では過去のベッドにもぐり込む。女にとって過去は過ぎ去らず、現在に潜在している。女だけがふたりの男のあいだを行き来し二重の時間を生きる。生きざるをえない。状況は女自身が選び取ったものではない。
開演前、砂利みたいなカーペットだと思っていたら本物の砂利だった。ごつごつした石ころのうえのやわらかいベッドのうえにしなやかな身体がある。テクスチャの混在が時間の混在と重なる。ベッドの上で、穏やかにセクシャルだが他愛なく日常的な身体たちのいちゃいちゃ(特にヨガの場面がどうしようもなくまぶしくてチャーミング)が繰り広げられる。見てはいけないものをみんなで見ることに共犯者のような連帯を感じる。石ころのじゃりじゃりが素足の痛みを伝える。足の裏で感じる痛みが自分の足で人生を歩いていくことの痛みと重なる。
女自身にも語りえないその痛みを現在の男が(女ではない他者が)十全に理解することはできない。(ヨガの英雄のポーズで)現在の男が手渡そうとする未来に女は飛び込むことができない。思い出と名付けるにはあまりにも生々しく過去の男の体温を感じるから。現在に耐えきれない女は逃げ込むように過去を再生する。何度も。女から過去の男へ投げかけられる言葉は宙吊りにされる。「どうして」「どうして」答えのない問いが舞台に降り積もっていく。「ゆっくり」「もっとゆっくり」祈りは、でも叶えられない。
過去からも現在からも離れた空間で女は重い疲労を感じる。男のぬくもりが残るシーツをまとった女がゆっくりと歩いていく。白い花を手にした女の姿は花嫁にも修道女にもみえる。プッチーニの『ある晴れた日に』の流れる部屋で女は待っている。再び戻ってくる過去といつか訪れる未来。どちらかを選ばないままで。
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待つ/祈る/信じる。それは長い時間軸のなかで行われることに意味があるだろう。過去の男の不在を受け入れる/現在の男と未来を分かち合う。暴力的に切断された時間のなかで、女はまだしたくない選択を迫られる。選んだ結果を「自己責任」として引き受けることを強制される。選択しないことを選択する/待つことを主体的に選ぶ/ともに待ってくれるひとがいる。それらが女の、喪失とともにいまを生きるひとの救いとなることを信じて帰りの常磐線に乗り込んだ。
戯曲に多用される長音符や挿入される役者の(口語的ではなく)詩的な独白など、演劇としてのナイーブな手触りは90年代っぽい気がする。それは青春五月党の持続性、というか柳が自分にできることを理解していることを表しているのだと思う。アフタートークで登壇した蔭山陽太は90年代の青春五月党公演に通っていたと言う。当時をご存知の方がいればどんな手触りだったか聞いてみたい。
終盤、女と過去の男と現在の男とがひとつのテーブルで朝ごはんを食べはじめる。交わらないはずの時間の接近に劇場の空気が張り詰める。2011年3月11日の朝がやってきたことを過去の男が手にする福島民報紙が告げている。生きている身体たちが観客と同じ空間にいて、混在する時間を演じる。手元にある柳の小説『JR上野駅公園口』のサイン本には「時は過ぎない 事は終わらない」と直筆されている。喪失は去らない。喪失はいまここにいるわたしたちとともにある。
2019年10月に小高で行われた宮沢章夫との対談で柳は「演劇であることを迷い疑わない演劇は信頼できない」と(そこまで強い言葉ではなかったかもしれないが)言っていた。わたしの手が届く距離に”ここにいない人”がいた。ここにいないという在り方でたしかにここにいる人を目の前に立ち上げることのできるメディアは演劇以外にあるだろうか。
迷い疑ったあとでそれでもなお演劇であることを選んだ演劇だった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・ なばさま のぞむ 司書資格は持ってないけど名刺に司書って書いてある。平成とともに千葉に生まれ、仙台を経由し福島在住。すきな作家は町田康、すきな理論はクィア理論。主に3000円以下の演劇しかみない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
青春五月党「ある晴れた日に」  
作     柳美里 演出    前田司郎 出演    浅井浩介 長谷川洋子 前田司郎 日程    2019年10月30日(水)-11月7日(木) 会場    福島 La MaMa ODAKA        岩手 盛岡劇場 タウンホール        宮城 せんだい演劇工房10-BOX box-1 料金    一般    3000円        高校生以下 1000円 舞台美術  杉山至 照明    山口久隆 名古屋愛 吉田裕美 音響    中村大地(屋根裏ハイツ) 小道具   髙橋舞(趣味屋こめたろう.) 衣裳    富永美夏 相馬弁監修 佐藤和哉 舞台監督  鈴木拓(boxes Inc.) 松岡努 写真    新井卓 広報    遠藤眞有美 票券    佐々木一美 フードデザイナー 佐藤亜里紗 記録    大堀久美子 主催    青春五月党 共催    福島民報社 協力    河北新報社 岩手日報社 五反田団       飴屋法水 森幸彦 丹野純一 蔭山陽太       佐々木敦  くらもちひろゆき 額田大志              山口裕次 庄司智仁 松浦良樹 神﨑祐輝       佐藤仁美 千田優太 宮本一樹 萩原宏紀       村田青葉 佐藤和哉 柳朝晴 柳丈陽       アトリエヘリコプター 六尺堂       フルハウス ダイナー ボンズ       せんだい演劇工房10-BOX 協賛    石川建設工業株式会社       株式会社北洋舎クリーニング 助成    公益財団法人仙台市市民文化事業団(仙台公演) 制作    boxes Inc.
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