Tumgik
#花展のために上洛でも他も楽しむ
moderndays · 6 months
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京都日帰りLOG
2023/11/10
京都市役所 ☆ 旧七夕会池坊全国華道展@家元道場・華道家元池坊 鑑賞 きょうのおかず 限定お昼ごはん(野菜せいろとだし巻き)
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tsugu京都三条 ☆ 顕道会館 ☆ kanra lounge(ホテルカンラ京都)
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旧七夕会池坊全国華道展@大丸ミュージアム 鑑賞 SOUSOU ☆…京都モダン建築祭 1Dayパスポート使用
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jitterbugs-lxh · 2 years
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逢瀬
 必要なものはいつも、清潔に保たれ、ていねいに折りたたまれて重ねられたあたらしい寝具のように、何気なく用意されていた。おなかがすけば蒸した芋や、ふっくらと炊きあげられた米や果物が、のどが乾けば素焼きの椀にいっぱいの水が、といった具合に。はじめはひとつひとつが新鮮であり、驚きに満ちていた。しかし生きてゆくうちに、ひとは、慣れる、ものだ、あくまでも順応であって、けして麻痺や疲弊で、あっては、ならない、しなやかさを失えばどんなものも忽ち砕ける。これはなにも、なべて物質ばかりに限った理屈ではない。萎縮し、やわらかくほほえむこともなしに、昏い視線を落とし頰を翳らせているうちは、誰しもが靱性を失った、いまにも砕けるばかりの、渇きひび割れた精神を癒し休めることもなしに、未来への展望も、冀求もなしに、ただその日を生き暮らすだけであるうちには。雖もいつかは、だれでも、なにものでも、朽ち果てる日がやってくるのかもわからなかったが、いまの時分のかれらにとっては、滅びの日など遠く、思いもよらぬ場所に隔てられて存在したもので、あった。もはや滅びなど来ないものと、けして齎されないものと、確信に至るほど能天気には生きられはすまいが、しかし、かといって、すぐ真横に、平然とした顔で佇んでいるなんて考えたこともなかった。それらの不穏は、さかしまの世界だ、ぐるりひっくり返して、あるいは捩じって、近いようでたいへん遠いところで、こちらを窺っている、凝っと息をひそめて。洛竹はけして楽天家ではなかったし、頑なに割り切った現実主義の持ち合わせもなかったけれど、少なくとも隣で、かれの数歩前で、剣呑に逆毛をうずまかせている風息を、いったい何年見てきたというのだろう。徹底的な合理主義者は、往々にして夢想家でもある。夢想をひとつひとつ手にとり、矯めつ眇めつ、たしかめてゆくうちに、ものごとの真理、真相というものを、知らずに解してゆくものなのだ。神をもっとも信仰するゆえに、神の不在にだれよりも早く気付く科学者たちの嘆きがわかるか? かれらは自らにして、信じたものの反証を立ててゆく。いったい何が真実で、何が偽りであるのか、手のひらにあるものが、あると信じたものが、誰によって認知され観測されうるのか。
 人里、ふるさと、それからいとなみの密に乱立した、雨後の筍もかくやの都会の高層建築たち、かつては妖精たちにとっても楽園であった土地を離れ海上を征くことしばし、打ち捨てられた孤島をひとときの塒とさだめて幾らの日々があっただろう。必要があれば霊道をもちいて陸のふかくへ赴くこともあったが、日常の多くは島のほとんどを覆い隠す森に完結していた。洛竹の思うところによれば、大きく人間への忌避や、嫌悪の感情はなかった。はっきりと訊ねたことはなかったけれども、おそらく天虎や虚淮にも、なかったように思う。では、かれら、同じく島で暮らすはらからのうちで風息だけがひとりきり、胸に焔を燻らせていたのかといえばその限りでもないだろう。たぶん、おそらく、きっと。だれも、憎しみや悲しみに突き動かされて生きていたのではない。あまねく物事が恩讐のかなたに、寝ても醒めても、うつつもゆめも、灰色に塗りつぶされてしまっていたなら、疾うのむかしに、我々は去っていた。それでも離れがたかったのは、単純な愛憎の果てにのみ、世界を睥睨するのが、けして許されなかったからだ。かつて風息は神であった。かれがそうあらんとして顕ったのではなく、かれに神たるを祈り願ったのは外ならぬ人間であったが、それでも風息は、かれの生きた時間から鑑みればほんのひとときであったにせよ、たしかに神であった時代があった。ひとが変わり、時代は移ろい、ひとびとは信仰をはなれ、未知なるもの、不可思議なるものの多くは解明され解剖されて詳らかになったが、それと、神がうしなわれることとは同義ではない。かれはうしなわれるべくして、神の座を辞した。豊穣を、整えられた治水を、祝福を齎すだけの神ではなしに、ときに怒り、ときに荒れ、成敗される悪神としての横顔をも持ちあわせた、うつくしくも果敢ない、剛毅でありながらにして繊細の。力なくうな垂れて、うつくしくにごった世界の、あわいの光、あるいは闇、天に限らずあまねく満ちたそれは、本来であればひとつに収束されてくっきりと重たく輪郭を像となすであろうひとの影すら曖昧に散らし、日を背に負ってあるくひとの、足元に滞るべき半身すらあえか。うつむき伏せた睫毛と、ひそめたために肺腑の奥底まで届くことのない呼吸、伸ばした腕は空を切り、ねがいはついぞ、届かぬものと。
 目深にかむった布切れがどれだけ人相を隠しえたのかは定かではない。のぞく喉元、隠しきれないゆたかな髪を背なに揺らし、冷静沈着のさまを装いながら、どこか怯えたように彷徨う視線は何をもとめていたのだろう、かつて、いまよりうんと力の弱くて、からだも小さく、頼りない妖精だった洛竹のおさない記憶のなかでは、いま少しばかり、潑剌としたわかさのような、浚われたばかりの水底の砂金のような、どこかよるべないこどものさみしさを持ったひとであったかのように、思う。いまとなってはどうだろう、風息はなにか変わっただろうか? なにもかもが変わってしまったし、なにひとつ変わっていないともいえる。洛竹はずいぶんと力をつけたが、それでもかれや、仲間たちには到底及ばない。力や、わざ、術の冴え、そういったものが、妖精のすべてとは思わないが、不甲斐なさと役者の不足に、いくらか急く気持ちがないとは言い難かった。たしかに、及ばずながらも出来ることはかつてよりは随分ふえた。ただ、どうしたって、同じ木属性を司っている以上、風息と洛竹は、その実力の差異がおおきく際立つのもまた事実ではある。くらぶるべくもない、と理解はしていても、目にものみえてあきらかだ。もし、洛竹のほうがさきに、霊の凝ったところから生じていたとして、かれは神には成りえなかっただろう。口惜しくあるべきだろうか? 急く心はたしかにあれども、しかしそれは、洛竹にもとめられた本分でないことも、重々承知のうえであった。闘いをのぞむものは多くはない。相手が人間であるにしろ、袂を分かち、いまではしずかな断絶の大河を境に彼岸と此岸、隔てられた妖精たちであるにしろ、秩序と、戒律を以て、妖精の本然を捻じ曲げようとする体制そのものであるにしろ。
 いっそ鋼鉄のそれのように鋭く、硬く縒りあげられた、風息の、もとは木であった剣は、それは見事なものであった。単純に気を巡らせて、成長を促し、枝を茂らせ蔓をしならせるだけが、かれらのつかう術ではなかった。特性を大きく補い強化して、精製された鋼鉄そのものと打ち合ってすら互角に渡り合えるだけの靭性と剛性を与えるのが、すばらしい術の冴え、その神髄であるべきなのだ。風息は見事に、木属性の力の扱いを、その領域まで昇華していた。すなおに感嘆するばかりだが、かれと同じようには力はふるえない。まったく同じ力はふたりと要らないのだ、とほほ笑んだのは風息である。かれの力はたしかに強いが、どこか繊細さや柔軟さに欠けるところがあって、たとえばすばやく、正確に、たった一点を穿つような使い方には不向きであったし、しなやかに跳ね、うねり、瞬時に編み上げられて足場の援けになるような蔦などの扱いは、洛竹のほうに軍配が上がる。鍛錬の一環としてでも、手合わせをし、虚淮や、天虎も、互いが互いに、力を顕示しあうことは滅多にない。力はうしなわれたとしても戻る。ただし時が必要だ。特に、氷という物質、そうして、ものが凍結する、という現象そのものを源とする虚淮は独特で、かたちを保つだけでも日々力をつかわなければならない。よって、虚淮はいとまさえ許せばたいていの時間を気を蒐めるのに費やしており、あまり燃費のよいとはいえないからだなのである。ひとの街に赴いて情報収集や必要なものを調達してくるのに、これほど不利な妖精もなかった。だいいち虚淮は変化でひとの姿を真似たとて頑なに角を隠すつもりはなく、いささか目立ちすぎる風貌なので、そういった偵察や、ふだんからひとの街にあって潜みながら、妖精会館に阿ることなく探偵を担っている阿赫や叶子との連絡役は、風息の手が離せないときには洛竹にまわってくるのが常である。
 洛竹の手になるは唐菖蒲の咲き誇る、グラジオラス、剣百合の異名をとった特徴的な葉のかたちとは似ても似つかぬ豪奢でありながら、ひらめく花弁の色彩は鮮血を思わせる赤銅である。風息の振るう剣の剛性に相対するのには、あまりに脆弱にすぎるように、おもわれて、ならない、が、洛竹はあくまでも気負ったところなく、だらりの腕に花を提げていた。石畳を踏んで舞う踊り子の、足さばき、裾さばき、翻る袖のあざやかさを思わせるそれは、武を以て他を制し、地を均し平らげるのに、これほど不向きなものもなかっただろう。けれども頑なに、洛竹はそれでいいのだと、まわりは口をそろえた。地を踏み鳴らし、摺り足の足運び、武芸のそれというよりは、舞踏のそれもかくやの動きを、丹念に、ていねいに、繰り返す。打ち合えばひとたまりもない剣の花は、相手もなしに散りはしない。ああ、ハバネラ、寄る辺ない踊り子の女、恋はまったくままならない。ひとさしを舞い終えて上がった息を整えるあいだ、大樹に背なを預けた風息がひとことも口をきかないのがどうにも気には、なった。
 肌をあわせるようになってどれくらいの歳月があったろう、つとめて思い出そうと試みることもないが、一体どうして、たどたどしさがどこか抜けないのは、かれらにとって日常のうちに溶けきっていないからなのかもしれなかった。切っ掛けはどこにあり、なにがふたりを、こうして夜のうちに閉じ込めたのかもおぼろげである。鍛錬や、食事や、そのほかの所作のように、日々の暮らしむきのなかに当たり前に存在しているものごとでもない。漆黒の毛並みを撫でる月のひかりはしずかに冷たく、さりとてもかれらの身体には独特の火照りが満ちていた。風息も、もちろん洛竹も、多くの妖精たちがそうしたように、ひとを模したかたちに変化することができる。生じたばかりのおさない妖精たちのように、力や、みずからのかたちが定まらないものとは違って、かれらはすでに数百年の生をもち、数千数万の夜と午とをすでに知った身の上である。ましてや風息は、稀なる力もつ、勁い妖精で、ある、黒くしなやかな獣のなりを本然とするとは雖も、ひとの姿に顕現して、尾のひとつ、耳朶のひとつを隠し切れない未熟さなどかれにはありうべからぬことだった。そのくせ、こうして夜伽の熱に浮かされて、眸を慾に、濡らして揺れるさなかには、こうして獣のすがたをとることを好んでいるようだった。その名のとおりに風のごとく疾駆するさまからはあまり想像つかないが、かれのからだは幾分重たいのだ。ひとのかたちであるときに、こうして洛竹に覆いかぶさってくることはまずないので、はたしてあちらのすがたであってもこれほどに重たいのか、推察しても証明はない。やさしく圧しかかり、貌を寄せる風息の、ひくく唸るたびに震える喉がよくみえる。噛みついたところでかれには寸分の痛みもないのだろうが、こうしてあまりに無防備にさらすのも如何なものかと思えてならない。わずかに鎖骨の覗いた襟元に鼻面をおしつけて何やら探りたしかめているらしい所作は、どうにもこそばゆくて辛抱ならないのだが。だいたい、獣の前脚では、洛竹の袂をくつろげるのも、肌を曝しあばらをなぞり、腰を撫でて慰め、馴らすにも不向きだろうに。
 「風息、待て」
 「……いやか」
 「違う、脱ぐから」
 めずらしいことだ、風息と閨をともにするようになって幾度の夜をすぎたかも覚えがないが、たいていの場合はかれのしたいようにさせている洛竹が、こうして言葉で制するのは。なにも、力の差や、単純な、思慕や恭順をしめすために、かれに組み敷かれていたのではない。おそれのゆえに風息に、追き従ってきたのなら、おそらくすでに去っていたのに違いない。愛撫を受けること、種の保存のためにまぐわいを必要としない妖精たちにとっては、肌をあわせ吐息をかさねることにさしたる意味はない。かれを拒む理由はなく、しかし、おなじだけ受け容れる理由もない。不器用な獣の前肢でもたもたと手間取っているのにしびれを切らす理由も、ないはずだった。短く告げられた言葉に思い至ったのか、どこか恥じらう素振りをみせながらのそりと大きな四肢を退かせた風息は、いつまでも慣れないしぐさである。もっとも、時がすぎて、互いの熱に浮かされたのちは、さすがにそうも躊躇ってはいないけれども。大きな体躯が退いたので、告げたとおりにてきぱきと衣服を落としてゆくと、さすがに夜気は肌に堪える、距離をとって洛竹が脱ぎきるのを待っているらしい風息は、ゆたかな毛皮に守られてそんな気配ひとつみせないのがどうにも腹立たしくなって、じとりと視線だけで睨めつけ、せめて幾らか熱を分けろとそばへ寄らせた。しぶしぶといった体で獣はからだを寄せはしたが、機嫌を損ねたか否かは、ただでさえ重たく長い毛並みが半分を覆い隠した顔貌の、表情からはうかがい知れなかった。
 「おまえは俺をなんだと思っているんだ」
 「それはこっちのせりふ。いいだろ、このからだは脱いだら寒いんだ。少しくらいあっためろよ」
 「成る程。こういう、こと、か?」
 納得したかにおもえた獣が、身をかがめて帯をゆるめ、紐を解いて衣服を落とす洛竹の所作をとどめて、俯いたあごのしたへ鼻面をくぐらせてぐいと持ち上げたので、なんだよじゃれつくな、と振り払おうとして、仰向かせられたあごに口づけの吐息が熱い。べろり、と容赦も遠慮もなしにねじ込まれる舌は獣のざらつき、口唇をなぞり、歯列をねぶり、いっそ執拗に舌をからませて漸く離れた風息の貌がずいぶん得意げなので、その太い頸に腕をまわしてぎゅうとしめつけてやったが、はたからみればただ獣に抱きついたのにすぎなかっただろう。こうした、短い、じゃれあいの延長に、肉慾をともなう触れあいをゆるしているのだ、とは思いたくなかった。かれにとって特別なのだ、とも、己惚れることのないようにしなければならない。吐息は熱かったろう、すっかり肌を露わにした洛竹のからだを、前肢で、舌で、なにより視線で、つまびらかにする作業を再開しながら、風息がくつくつと肩を震わせていることを知っていた。ちかごろとんと見なくなった、かれの心底の、おだやかな、わらい、絶えて久しかったものがあらわれるよろこびを、洛竹はすでに知ってしまった。軽口はそこまでのことで、真剣さを帯びて触れる前肢のうらの、よく地を蹴り踏みしめて厚く硬くなった蹠球の、どこかじっとりと湿ったさまが肌に吸い付くようだ。これを意図して獣のすがたを風息が撰んだとは思われないが、密にそろった毛並みの、尖った爪の、こまかい触感を伝えるのには不向きなものにつつまれたかれの前肢のなかで、こまかく肌をあらためるのにお誂え向きの部分である。何より風息が、やわらかい肌を踏んで引き伸ばし、その弾力を愉しんでいるのは明らかだった。
 「もう、こら、しつこい!」
 「すまない、おもしろくて」
 「ひとの踏み心地を確かめるだけならもう寝るぞ」
 「眠れやしないくせによくいう」
 「そうだよ、このまんまじゃ寒くって眠れやしない。おまえの毛皮とちがうんだこっちは」
 「だからあっためてやってるんじゃないか」
 まったく、ああいえばこういうんだから、口ばかりが達者になっていけない、と肩をすくめて、花の剣は今宵も踊る。かれがこのからだをあばいてあそんでいるとはかんじていない。手慰みに手折られた花になるつもりはないし、なにより、木属性を司り、森を愛したかれが、そんな無体をはたらくはずもないのだ。脱ぎ捨てた服が夜露に濡れるまえに房事が済むとは思っていない。いつのまにやらうつ伏して、ほとんど四肢の自由を奪われるように背後から圧し掛かけられて息が詰まる。すがたに意識や自我のすべてを支配されるとは、考えたくもなかったが、ぐ、と体重をこめておし広げられ、圧しつけられる情欲は獣のかたち、愉しみのために重ねる身体なら、あまい睦言や嬌声のたぐいもあっただろうが、もはや声は、風息の喉のおくのかすかな唸りと、押しつぶされかけて狭窄した、洛竹の胸をわずかに通る喘鳴のくるしげな響きのみ。ぎちぎちと万力で締め付けられるような痛みと、はらわたを穿たれるような錯覚、かならずしも快楽ばかりがあるわけもない。ちらちらと視界の端におどっているのは、昼日中に振るっていたグラジオラスの花弁だろうか、あるいは、夕餉に焚いた火の名残だろうか、ただ恍惚の、爆ぜるような、明滅だけが。東天に紅が射し、明星は堕ちて夜が明ける、夜が明ける、黎明に引き裂かれ、とばりはもはやかたちを成さない。夜は、明けて、しまった! たったひとりを微睡みのゆめに遺して。ふれた肌から感じるかれの霊と、火照るからだの熱と、ほとばしる慾とで、たがいの境もわからない。
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hiratasudare-blog · 4 years
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立春大吉
お正月気分も抜け、如月二月となっても寒さが訪れない京都。
先日、高知から知人ご夫婦が来京され、案内係を賜りましたので、市中を御引廻しさせていただきました。笑
今回はスケジュールなども踏まえ、観光は洛東の王道コース、食事は少し捻りを加えた中級コースでご案内することに。
まずは、京都駅からJRで伏見稲荷大社へ。
グローバルポータルサイトなどで千本鳥居が海外でも有名になり、近年は連日沢山の海外からの来訪客で賑わっています。 そのため、件の千本鳥居も現実的には
このように人の波が途切れず、写真ではよく見かける鳥居だけの画を撮るのは至難の業です。
千本鳥居から奥の院のおもかる石をやっつけ、四ツ辻まで登って引き返し。
おいなりさんの食べ物といえば、きつねうどんより、いなり寿司より、ぜひ体験してもらいたいのが「雀」。
諸説ありますが、五穀豊穣の神である伏見稲荷大社の周りでは、神紋にもある稲を啄む雀を害鳥とし、駆除して食べる習慣があったと謂われるもの。野鳥である雀は冬が旬のgibierなので、この時期に食べるのは特にお薦めです。
ここでは下山の疲れを少々のビールと雀と鶉で癒し、昼食は三十三間堂近くのお好み焼きの名店に。先ずは焼きそばや鉄板焼きと赤玉を楽しみながら、お好み焼きを待ちます。
お好み焼きといえば大阪や広島が有名ですが、京都のお好み焼きも酸味とスパイスが効いたソースが特徴として、なかなか美味しいのです。
昼食のあとは、石段下から高台寺界隈へ。
通りは沢山の人でしたが、ふと入った圓徳院は(紅葉時期が有名なためか)人も疎らで、冬のお庭は石庭の素晴らしさが際立ち、素晴らしく贅沢で静かな時間を過ごすことができました。
夕食は、京都人でも見たことはあるが入ったことがない方が意外と多い、四条大橋たもとの老舗店へ。 京都には、パンやコーヒーと同じく、最先端の異文化として受け容れられ、独自の発展を遂げた中華料理があります。京都人には馴染み深く、他府県の方には不思議な美味しさを堪能しました。
1日で2万保以上歩く健脚コースとなりましたが、翌日も早朝から老舗喫茶店と第三の波的なお店を梯子し笑、お昼から祇園花月での幕間弁当用に石段下の名店で鯖寿司を手配して、案内係はお役御免とさせていただきました。
産寧坂、二年坂界隈を久々に歩いて感じたのは、富裕層向けの豪奢なホテルが増えたことと、���見遊山目当ての土産物店ではない、人気の店舗がわざわざこの地域に出店していること。
インバウンドやブランディングという言葉が使われだして久しくなりましたが、やはりこの地は殊に「京都らしさ」ともいえる上質な和や古典的な民俗性が求められていると思います。
それにはやはり、古くからこの地に居る者が理念と矜持を変わらず守りながらも、新しい者を排除することなく受け容れ、交わりを保ちながらお互いの理念を高めていく、その両翼が大事なのだと感じました。
当店も、この地で創業し、令和2年で222年となります。 これからもこの地で、愚直に丁寧に、上質なすだれを作り続けて���けるよう、みなさまご愛顧のほど宜しくお願いいたします。
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