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#自宅葬
coco-sougi · 2 years
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初めまして!自宅葬のここです!よろしくお願いします!
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leomacgivena · 8 days
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いい加減、高齢者が自宅で一人で亡くなるのを孤独死なんて言い方するのみんなで止めようよ、急死でいいじゃん昔はそう呼んでたんだし。人の人生の終わり方を勝手に孤独って呼ぶのは失礼だと、葬儀屋のおじちゃんは強く思うんだ。
佐藤信顕@遺体と火葬のほんとうの話 / Twitter (via y-kasa)
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wwwwwwwwwwww123 · 10 months
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一生独身とか孤独死(自宅死)だの上がっていますが、孤独死は朝日とNHKが広めようとした造語です。別に家で死んでてもチャンと火葬するし、汚しちゃっても撤去・清掃するから心配することはありません。しっかりと生きてください、死は生きたになることで、不安を煽られることはありません。
佐藤信顕@葬儀葬式ch 日本一の葬祭系YoutuberですさんはTwitterを使っています
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774 · 7 months
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同年1月25日以降、昏睡状態に陥るが意識が回復すると「鉛筆をくれ」と言っていた。息子の眞は、「(この頃の父は)昏睡が覚めると鉛筆を握らせるがすぐに意識がなくなりの繰り返しだった」と語っている。死に際の状態であるにもかかわらず「頼むから仕事をさせてくれ」と起き上がろうとし、妻は「もういいんです」と寝かせようとするなど最後まで仕事への執着心をなくさなかった。 1989年(平成元年)2月9日午前10時50分、半蔵門病院の病室で死去。60歳没。手塚治虫の死に立ち会った松谷によると、手塚治虫の最期の言葉は、「頼むから、仕事をさせてくれ」。この言葉からも、仕事への意欲が溢れ出ている。通夜は2月11日、東久留米市の自宅で、葬儀は3月2日、東京都港区の青山葬儀所で手塚プロダクションの社葬としてそれぞれ営まれた。
手塚治虫 - Wikipedia
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kennak · 5 months
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9月21日午前6時に父が亡くなった。 老健からの退所が決まり、週末のみ自宅で過ごすことが決定してからの 我が家はまさに上を下への大騒ぎだった。 家の中までの導線を確保した上で車椅子が通るよう道を整備し、 父が使っていた寝室に入るサイズの介護ベッドを調達して 高齢の母の負担が極力減るようにヘルパーの力を頼りながらの受け入れ生活だったが あれほどの労力をかけて準備したにも関わらず、わずか2ヶ月ほどでピリオドを打った。 コロナ感染からの重症化で一時は命も危ぶまれた父は、奇跡的に回復するも 肺炎により嚥下機能が著しく低下していたため誤嚥性肺炎を繰り返しては再入院し、 「急変した際の延命治療はどうしますか」とその都度医師に聞かれた。 そして3度目の再発で入院し、同じように「どうしますか」と問われた時、 半ば慣れっこになっていた私たちは「回復の希望があるならできるだけのことはやってほしいが 機械の力を借りて心臓を動かすだけの措置なら不要」と回答した。 そしてその翌日、まるで私たちの会話を盗み聞きしていたかのように父は逝った。 今年もケムコ様より東京ゲームショウにお誘いいただいていたのだが 父の容体が安定していないことからギリギリまで返事を待っていただいていた。 (快く待ってくださったケムコ様には本当に感謝しかない。ありがとうございます。) 最初から断ることも考えたが、遠出すれば気分転換になるかもという現実逃避的な思考もあり 引き延ばすだけ引き延ばした挙句に父が選んだ旅立ちの日は9月21日、東京ゲームショウの開幕初日だった。 父についてのエピソードで一番古い記憶を辿ると、幼稚園のクリスマス会になるだろうか。 園児のところにサンタがやってきて菓子を配る恒例の会で私も楽しみにしていたのだが 当日やってきたのはサンタのコスプレをした父で、特に素性を隠すでもなく 大声で私の名前を呼びながら「おおしのびん、今年はワシがサンタじゃ」と菓子を手渡した。 私は幼稚園の年少組にして「サンタは親が演っている」ことを知ってしまったのである。 生粋の目立ちたがりで役職のつくポジションが大好きだった父を見て育ったせいか 私は人一倍自分を表に出すことを避けるようになり、今もこうしてハンドルネームでブログを書いている。 母から「お父さんのようになってはダメよ」と言われて育った私は、 言ってみれば父を反面教師にして出来上がった集合体のようなもので、何から何まで合わない。 合わないのに、成長するにつれて父に似た部分が体のあちこちに、思考の節々に現れては嫌悪した。 今にして思えば、父のようになりたくない、は、父のように何事にもオープンで大らかには生きられない 内向的な自分の劣等感が生んだ、羨望からくる逆恨みだったのかもしれない。 そのことを受け入れ、父の中に幾らかの可愛らしさを見出してからの親子関係は 世間で言うところの仲の良い親子には届いていなかったかもしれないが、そう悪くもなかったと思う。 3度目の入院の知らせは突然だった。 デイサービスから「微熱があり酸素量も少ないため念のため病院に連れていきます」と連絡があり またかと思いながら病院に駆けつけた。 前々回、前回と同じようにしばらく入院して、回復すればまた退院するのだろうとぼんやり考えていたので 入院手続きのために膨大な枚数の用紙に記入しなければならないことの方が気が重かった。 翌朝面会に行くと、父は痰を吸入してもらって楽になったのか静かに眠っていた。 夜中も1、2時間おきに吸入をしていたと聞き、頭の下がる思いがする。 とてもではないが、このケアを自宅ではできなかったろう。 父は私のことはわかっていたようで「会いにきたよ、わかる?」と聞けば小さく頷いていた。 「元気になって、また家に帰ろうな」と声をかけるとまた小さく頷いていて 「この様子なら大丈夫だろう」と少し安堵した。 しかし、翌朝の医師の説明では、心臓の機能が大分弱っているので 肺炎が治るよりも先に心臓が持たないかもしれないと告げられた。 そして、冒頭に書いたように「無理な延命治療は本人も辛かろうし不要。 楽になるための治療なら全力でお願いします」と回答して帰宅した。 その日の深夜、病院から容体がおかしいと電話があり、孫たちも連れて慌てて深夜の病院に 大勢で押しかけると、別室に移動した室内で父はスヤスヤと眠っていた。 「みなさんが到着される直前に急に安定し始めて」とナースは申し訳なさそうに笑ったが 「人騒がせなじいじだ」と悪態をつきながらも皆笑顔だった。 その翌日、またしても深夜に病院から電話があり、同じように大勢で深夜の病院に向かった。 酸素がなかなか上がってこないと昨夜より病室内の空気に緊張感があったが 当の本人は傍目には穏やかに眠っているように見えた。 「こんなことがこれから毎晩続くのかしら」と母が疲労困憊の様子で口にするのを聞きながら 昨日医師に「まぁ、こんな感じで心臓がゆっくり止まってしまうほうが本人は楽だと思いますよ。 本当に眠るように、何も苦しまずに済むので。」と言われたことを思い出していた。 ほどなくして心電図を表示している機械から危険を知らせるアラーム音が鳴り、慌ただしくナースが入ってきた。 「まだいったらだめだよ」「起きてじいじ」「起きないと怒るよ」と孫たちがそれぞれ父に声をかけ 「家に帰ろうよ」と姉が語りかけた後に、それまで黙って見守っていた母が父の手を取って話し始めた。 「じいじ、ねえじいじ、本当に好き放題に生きたわね。 突然商売をすると言い始めて、30年間も私にその店を手伝わせている間に 他所で女を作ったり、こっそり家のお金に手をつけたり。 その人を連れてゴルフに旅行にと遊びまわり、飲み歩いてね。 子育てなんて全部私に任せっきりで、ほとんどしなかったでしょ。 でもねじいじ、私はそれでも、あなたにまだ居て欲しい」 父の左手を両手で包み込み、まるで駄々っ子を宥めるように話しかける母の言葉を聞きながら 「おいおい、こんな男にだけはなるなと刷り込み続けて今更それはないだろう」と思ったりもしたが その言葉を聞いて、つくづく夫婦のことは夫婦にしかわからないのだと思い知らされた。 そして母が話し終えるのを待っていたかのように、9月21日午前6時に父の心臓は動きを止めた。 息を引き取る直前まで、話しかければ反応していたし、ゆっくりと腕を持ち上げたりピースサインも出せていて 「ぎゅっと握ってごらん」と言えば握り返していた父の時間は、本当に呆気なく止まったのだった。 けたたましい機械音さえなければ寝落ちを疑うほど穏やかな最期だった。 入退院を繰り返したとはいえ、何週間も昏睡状態が続いたわけでもなく、 在宅介護開始から2ヶ月、再入院から僅か2日で逝った父は ピンピンコロリとまではいかなくとも、ほどほどコロリぐらいの称号は与えても良い気がする。 面倒を見ていた親族の誰も介護疲れに陥らせず 別れを惜しむ気持ちを十分に残した上で旅立ったことは、家庭を振り返らず仕事に恋に奔放に生きた父が 珍しく見せた父親らしい気遣いと言っていいかもしれない。 週末は自宅で皆に介護されながら、コロナ感染の入院直前に食べるはずだった念願の鰻もちゃんと食し 早朝にも関わらず親族8人が見守る中で逝けたのだから、幸せだったろう。 亡くなる前日の朝、家族がいる手前では気恥ずかしさが勝ってしまい、正直な気持ちを話せないと思った私は ひとりで病院に面会に行き、眠っている父に向かって幼い頃から反抗的な態度を取ってきたことを詫びた。 「できの悪い息子でごめんな」と耳元で話していると、父が一瞬、私の手を握り返してきた、気がした。 あの時間がなければ、私の後悔はもっとずっと大きかったと思う。 テレビで何度も見かけた「9月21日午前6時21分、お亡くなりになりました」という医師の言葉を聞き終えて外に出ると もう空は明るくなり始めており、電話1本で飛んできた葬儀屋と話をしているうちにすっかり陽は昇った。 秋晴れの爽やかな朝だった。 悲しみに浸る暇もなく、数々の段取りが始まった。 実を言うと、2年ぐらい前から「親が亡くなった時にするべきこと」という ハウツーのページをブックマークしていて、折に触れて読み返すのを癖づけていた。 10年以上前の別れでは狼狽してしまい、何もかも人任せにしてしまった反省から いざという時にあたふたせず、冷静に適切な行動とれるための予習をしていたのだ。 親族と親しい方々への連絡、役所への届け出、葬儀の手配など まるで流れ作業のように進んでいって、翌日には通夜、翌々日の葬儀がすんなり決まった。 通夜の翌日、親族の集まった部屋に入ると、皆が見守る中で父が風呂に入れられていた。 旅立ちの前に全身を綺麗にするオプションサービスで、母が頼んでいたらしい。 髪も丁寧に洗い、顔もパック&化粧までしてほとんど韓流スターのようなフルコース。 一部始終を近くで見ていた姉が「私がやって欲しいぐらいのサービスだったわ」と感心していた通り 仕上がった父はこざっぱりして生気を取り戻したように見えた。 昼時になり孫たちが腹が減ったと言うのでGoogleMapで調べてみると 田舎のため近くにはコンビニぐらいしか引き当たらない。 「仕方ないから適当におにぎりでも買ってこようか」と義兄は言ったのだが 騒がしく葬るのが我が家のスタイルだからと、私の提案でデリバリーを頼むことにした。 幸い、配達圏内にカレー屋とピザ屋が引き当たったため Uberと出前館に一軒ずつ注文を出し、数十分後には親族控室はカレーとピザの匂いで充満した。 父の想い出話を肴にワイワイと盛り上がり、「こんなに騒がしい親族の控室はないんじゃないか」と 誰かが口にするほど賑やかな昼食になった。 年を取ってもジャンクフードが大好きだった父は、すぐ横で羨ましく見ていたに違いない。 皆で盛り上がっているところに葬儀屋が入ってきて、一枚の紙を置いていった。 折り鶴の形をした形状記憶用紙で、皆で一言ずつ別れの言葉を書いてお棺に入れるのだという。 「お疲れ様でした」「あちらでは偉そうな振る舞いをしないように」(←私)など各自が書き込み、 最後に全員のメッセージを読んでいると、看護学生をしている姪が書いたと思しき一文が目に留まった。 「きちんと面倒をみてあげられなくてごめんなさい。立派な看護師になってみせます。」 淡々と皆の様子を俯瞰で眺めてきた私は、その一文を読んで初めて涙腺が緩んだ。 父親としては赤点だったが、祖父としては孫達に慕われる良きじいじだったのだ。 父の顔の広さもあって、葬儀場には置き場所に困るほどの花が届き、弔問客で溢れ返った。 コロナ禍ではとても実現できなかったであろうし、やはり父はツイている。 「いよいよお別れの時です。 生前お付き合いのあった方は、どうか前に出てきてお顔を見て差し上げてください。 仏様は亡くなっても私達に多くのことを教えてくださいます。 命の儚さ、尊さ、多くの教えを私達の心に遺して旅立たれるのです。」 お棺を閉じる前のお坊さんの言葉に誘われるように棺の前に立ち、眠っている父の顔を覗き込んでみた。 次々と収められる花に囲まれた父は、加工アプリで装飾し過ぎた写真のようなビジュアルで少しだけ滑稽だった。 そしてその姿を見てフフッと少し笑った後に、訳もわからず涙が流れた。 時間にしてほんの1分ぐらいだったと思うが、どこかの栓が抜けたようにドバドバと流れて自分でも驚いた。 「最後ぐらい泣いてくれ」と、父が私の涙腺(栓)を抜きにきたのかも知れない。 こんな機会でもなければ会うことの無かったであろう、数十年振りの知人や親戚と再会し 様々な思い出話をしていると、この時間も父の置き土産なのだと感じる。 簡略化の進む現代風の葬り方にも良い点はあるが、昔ながらの葬式も、その煩わしさも込みでなかなか良い。 親族用にチャーターした火葬場までの送迎バスに乗り込む際、 片手で骨壷を持ち、片手でスマホを持って自撮りをした。父とのツーショットである。 山の中腹にある火葬場は薄曇りで少し肌寒かったが、待ち時間中はやはり四方山話で盛り上がった。 火葬を終え、小さな骨壷に収まった父と帰宅してから 四十九日までの予定を親族で確認し、それぞれが日常に戻っていった。 ��日して何気なくiPhoneの写真フォルダを見ていると、入院時に父と撮った写真が出てきた。 亡くなった9月21日は金曜日、その写真は2日前の19日だったので 写真の上にはまだ『水曜日』と表示されている。 iPhoneの写真は1週間以内なら曜日で表記され、1週間以上が経つと○月○日の表記に変わる。 水曜日という表示に、まだ数日前まで父はこの世にいたのだと気づかされた。 老健に長く入っていたし、それほど頻繁に会っていたわけでもないのに 「もういない」ことが日毎に実感となって、音もなく雪が降り積もるように静かに寂しさが募っていく。 あっという間に四十九日を迎え、近しい親族だけで法要を済ませた。 葬儀の時と同じお坊さんがやってきて、最後にまたひとつ話をしていった。 「四十九日が経ちましたね。 毎日元気にお過ごしでしょうか。 今日はひとつ、時間と命について皆さんに考えていただきたいと思います。 私たちは皆、等しく流れる時間の中で生きています。 亡くなった方の時間はそこで止まり、しかし私達の時間は動き続けます。 時間の止まった方との距離は日々遠くなり、日常で思い出す機会が減ってきたり 悲しみが薄れたりしますが、そんな時こそ、生きていることを自覚していただいたいのです。 今日この場で皆さんと過ごした時間が二度と戻らないのと同じように 時間は先にしか流れないと自覚しながら、1日1日を大切に過ごして下さい。」 私にとって父が良い父でなかったように、父にとって私も良い息子ではなかったろう。 生きているうちにもう少し何とか出来たかもと思わないでもないが、全ては後の祭り。 是枝裕和監督の映画「歩いても歩いても」に出てくる 『人生はいつも、ちょっとだけ間に合わない。』を、まんまと私も体験してしまった。 先人からの教訓を受け取っていたのに、実践を怠って同じ後悔をして その気持ちをこうして文章に残し、誰かが悔いを残さないようにと祈る。 そうやって、人は生きていくのだ。
四十九日 - 忍之閻魔帳
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cafelatte-night · 5 months
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12/7 午前5:45 祖母が亡くなった。
前日に病院から危ないと連絡があり慌てて向かうと、呼吸が今までと明らかに違っていて、所謂、下顎呼吸というやつ。
呼吸の仕方は戻らなかったけど、バイタルは安定したため一旦家に帰るよう病院に言われてその日は帰宅。
次の日、午前5:30に着信。どうせ弟がはやく目を覚ましたかなんかで電話をかけてきたのだろうと思ったら、叔母からだった。「もしもし、さっちゃん?病院から電話です。」 
それだけで何が起こっているのか瞬時に脳が理解して、服を着替えてトイレを済まして家を飛び出た。起床してから家を出るまでのスピード、わたしの人生で今日がNo. 1だった。
病院について裏口にまわり、インターホンを押す。急いで看護師さんがドアを開けてくれる。「まだ生きてますか?」と聞いたら、今さっき他のご家族が着いたところとだけ返ってきた。
もう死んでいてもおかしくはないのだろう、と察するも、一縷の望みにすがり病室へ急いだ。
まだ、心拍はあった。目も開いてた。呼吸は多分止まっていた。祖母の横に行き、最期の言葉をかけた。
伝え終わった後、すぐに心電図モニターから医療ドラマでよく聞く音が鳴り始めた。30秒足らずで、その音はリズムを打たなくなった。
医師が病室に来て、祖母の脈を確認する。
5:45 ご臨終です。
12/8
お通夜。葬儀場には、一軒家のようなスペースが併設しており、親族みんなでそこでご飯を食べたり昔話をしたりして一晩過ごした。祖母もみんなのすぐそばで棺の中で眠っていた。
12/9
お葬式。祖母はミステリー小説が好きだった。葬儀の前に小説を買いに行き、棺に入れた。
ボタンを押してからの1時間40分はとてもとても長く感じた。待合ロビーのソファでいつの間にか眠っていて、時間になったら弟が起こしに来た。
骨になった祖母を見ても、これが祖母だという実感はなかった。事務的に骨壷に骨を詰めた。
12/14
祖母が亡くなって1週間が経った。もうこの世にいないという感覚はまだない。考えると涙が出るから深く考えないようにしている自分がいる。
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lifefind-blog · 3 months
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非被災住宅ー2
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非被災住宅-2
「震度7以上に耐える住宅やビルの設計が重要だ」とテレビで全く言わない理由。それは「牛乳が体に悪い」と言えないことと同じ商業利権密着型の構図です。すでに社会の中にその有害物が多数ばら撒かれ、その下で働く人々が膨大で社会的影響が大きすぎるから
このような本末転倒なバカげたことは、世の中に多種多数存在しています。その情報に特化した本は、チャイナ・スタディー 葬られた「第二のマクガバン報告」以降、出てないのではないかと思います。最新増補版が3月に出るようです。あとで他にないか調べてみます。出てないのなら作る必要があります。
「身体に良いものと悪いもの」、「安心安全なものとそうではないもの」の二つの情報は、健康や命とは異なる基準で判断され、世の中に定着させられています。 車や道路に関してもそうです。命と密接な関係を持つ車の安全性は、日本でだけ棚上げにされて、毎日何十回も「スズキの大決算」という刷り込みが耳に入ってきます。
命を最も重視した設計のボルボのCMは滅多に聞こえません。そのため人気が無いので、中古のボルボはとても安く手に入ります。日本では電気自動車がちっとも売れないので、ボルボの販売店は困っているのではないかと思います。
軽トラに代表される軽自動車は、日本にしかありません。豊田章夫会長は日本中にばら撒かれ普及している軽トラを2030年以降に廃止することなどバカげていると言っています。このことは2重の意味でねじ曲がっています。
国連が、すでに世界中にばら撒かれた牛乳文化を突然禁止にすることに決めたようなものなのです。膨大な雇用が失われます。
だから牛乳文化を守れと言うのもおかしなことなので、2重なのです。
食塩食卓塩という名の精製塩が日本の加工食品のほとんどに使われている事実も全くTVでは言いませんね。
江戸時代には誰も牛乳を飲まず、牛肉も食べていませんでした。塩は天然塩を食べていました。
住宅の現状を見ると、29年前の阪神淡路大震災の頃に、姉歯構造偽装事件が問題になり、その後、耐震構造が少し強化されたと思います。 それでも、震度7やそれ以上の大地震になると壊れてしまうでしょう。 国の建築基準法の数値をそこまで引き上げてしまうと、ほとんどの住宅メーカーが現状で販売している住宅を売ることができなくなって、ダイハツみたいなことになってしまいます。 選択肢が他にあれば、普通の住宅メーカーや、建築基準法を相手にする必要もないのですが、・・・
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鉄筋コンクリートのビルや木造住宅は震度7以上の地震で崩壊しますが
防炎断熱を備えた、鉄骨テント構造の建築があったら、崩壊しないし、炎上もしません。もともとブルーシートで建築を作れば、ブルーシートを被せる必要もありません。燃えない素材にする必要はあります。 鐵骨も揺れはしますが、構造体全体がそのまま揺れるだけなので倒壊しません。頭を打ったり、転んだりはします。押しつぶされることは無い。
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非被災住宅
被災地域を安心安全な状態で継続するためには、同じ規模の災害に耐える住宅の設計が不可欠。これから具体的に考えます。能登半島に残ることを希望する人々が、また今までと同じような家を建てたらまた悲劇が起こります。これは日本中どこでも同じ
Non-disaster housing
In order to ensure that disaster-stricken areas continue to remain safe and secure, it is essential to design housing that can withstand disasters of the same scale. I will now think about it in detail. If people who wish to remain on the Noto Peninsula build the same kind of houses again, another tragedy will occur. This is the same everywhere in Japan
こういう風に感じている賢い人は結構居ると思います。その英知を結集させることができれば、地震国日本にふさわしい、新しい住宅像が出来上がってくると思います。
日本では、平和と安定を願うための特定の集団をつくることができにくくされています。その代わりに、統一教会や創価学会、中抜き利権派閥などの脱法集団が支配しています。そこにも対応が必要であるため、法律の専門家も必要になります。
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検閲だらけの日本のマスコミでは、気の毒な場面だけ報道し、その地区での被災者と被災してない家庭の比率を報じない。無傷だった住宅に関して全く情報がありません。
今後の復興と安全のためには、無傷だった住宅の詳細のほうが重要。見に行くしかない
東日本大震災の津波跡地に無傷で残っていたのは、ヘーベルハウスの住宅。集落じたいが全壊しているので、結局住み続けることはできなかったのだろうと思います。
地域で一人だけ核シェルターを作っても無意味というのと同じ。被災地域を安心安全な状態で継続するためには、同じ規模の災害に耐える住宅の設計が不可欠。
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自分や他人、動物たちを傷つける可能性があるものは、少なくともプラスのメッセージを伝えることを目的とした「作品」には使えないと感じています。どんなに美しいマリア像でも、地震で壊れて落下してきたら凶器になってしまいます。それは、マリア像にはふさわしくないので、あまり大きなものは作らないほうが良いと思います。頭に当たってもたんこぶができる程度の重さならOKです。私が2009年に段ボールの額縁を作ったきっかけはそういうものでした。額縁が落下して誰かを傷つけたら、それは、正しい使い方ではなかったことになります。
同様に、家や壁も、なるべく人にやさしい、軽い素材が良いと思います。
頭の上にコンクリートがある場所で生活していると、いつかは高い確率で死んでしまうことになるでしょう。そのことは、30年前に気づいていました。しばらく忘れていましたが、続きをやる時期になったと思います。
軽くて燃えにくく、雨風と日光に耐え、断熱、蓄熱効果が高いものが良いです。下から1mは、石や土でも構わない。1mより上は、人体より柔らかい素材。そういう家はテント式のものにありそうです。
能登半島で破壊された家がもしテントだったら、人は死ななかったし、自力で作り直すこともできたはずです。
検索したら一つ出てきましたが、硬い素材を上のほうに使用してしまっています。これではダメですが、改良はできるように思います。
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「減塩詐欺」
日本でだけ売られ、ほとんどの加工食品に使用されている食塩という偽名の精製塩。塩が高血圧の原因というときの塩とはミネラル除去の「精製塩」。「天然塩」は摂る方が健康になり、血圧も安定する。「減塩(減ミネラル)」は健康に悪い
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europiumoon · 8 months
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gm
2週間休息を得たことで元気が出ている。久しぶりの朝投稿。こちらは大雨で仕事に行くのが少し憂鬱。本当なら在宅にしたかったけど、今日締め切りの資料作成を手伝っているものだから出社する。偉い。部署内でコンピュータ、資料作成関連は私に聞けばなんとかなる、の構図が出来上がっていて私はそこまでじゃないので、SNSに流れてくるパワポやエクセルの小技をちょこちょこ頭に入れて応用している。そのおかげでおすすめ欄に、そういった類の投稿しか出てこなくなったけど。資格勉強も再開した。網羅できたらかっこいいんだなと想像して。朝のLINEニュースに単身高齢者増加の話が出ていた。
私は孤独死が無くなる社会にしたいよ。尊厳をなくさないためにも。そのために今の会社に入ったのだから。私の夢。夢を叶えるためにも健康って大事だなと改めて痛感させられた。蕁麻疹の次は踵の炎症なんだけど、健康第一に。
冒頭曲が主題歌だったアイスクリームフィーバー観たかったな。タイミング合わず観れなかったけど、映画はナマモノだなと考えさせられる。
今日の香水はディプティックのドソン。深く雨に似合う香りだと思う。恋人や親には不評だけど、私は好き。
恋人から、俺のこと好きじゃないでしょう、と言われて憤慨した。なんでそう言うこと聞くの、と聞くと、なんとなくと返ってきた。言葉で不安になる私が違う目線でみると、当時彼と出逢ったばかりの私と違くて悲しくなった。気丈な私も泣き虫な私も病に伏す私も全部が私自身なのに。愛だの恋だのは私は及第点も取れないのはただ単に下手なんだなと思う。恋人のこと好きなのよ。でも、重いよな。わからない。
全て上手くいきたい!
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nyantria · 3 months
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スパイラルイケショーさんは葬儀屋さんです。
スパイラルイケショー@jukkodeumaresi
https://twitter.com/jukkodeumaresi
相変わらずイカれた数の日本人が、
毎日毎日死んでいます。
また警察に御遺体を迎えに行きましたが、
刑事さんに『あまりにも多すぎませんか?』と聞くと、
『異常ですよ…もう冷蔵庫に入りきりません』との事。
言葉通り、霊安室の中が凄い事になっていました。
一般の人が見る事は絶対にない世界
スパイラルイケショー@jukkodeumaresi
行ってきまーす!って言って会社に行ったお父さんを、棺に入れて自宅に戻した事がありますか?
生後6か月の子どもを残して飛び降り自殺をした花嫁を、警察署に迎えに来た母親が失神する姿を見た事がありますか?
人間が、あまりにも受け入れ難い現実に直面した時に、発狂する姿見た事ありますか?
地獄のような葬儀は何回も見てきたけど、最近その頻度が爆上がりしています。変な葬儀が多すぎる。何回も何回も言ってるから、その根拠は過去ツイで。
スパイラルイケショー@jukkodeumaresi
私ずーっと葬儀屋なんですが質問です。
コロナで亡くなった方も、今では普通に葬儀できるんですが、
じゃー何であの時期は即火葬だったんですか?
死者からもコロナがうつるかもって事で即火葬してたんですよね?
じゃー何で今は普通に葬儀できるんですか?
即火葬は本当に意味があったんですか?
コロナ死の遺体に何度も触ったし、
ライン通話でしか死に顔を見れなかった五人兄弟とか
コロナ死は後ろ指刺されるから、周りに絶対バレないように送らなきゃいけなかった核家族とか
ホントはただの肺炎なのに、コロナ死にされて数人に送られただけの9人兄妹90代のおばあちゃんとか
もっともっともっといっぱいたくさんの人の死を見てきた上で言ってんの。
コロナは2類相当の感染症なんかじゃ絶対に無かった。
この議論が行われないって事は確定です。
最初から��ロナは茶番なんだよ。
言うのも馬鹿馬鹿しいけど、このライン通話をしている携帯を持ってるの、“仏の横にいる俺”ですからね。
ペラペラマスクしかしていない、ほぼ毎日病院に出入りしている葬儀屋が面会できて、
防護服着まくり検温マスクしまくりのご遺族が5分も面会出来ない合理的な理由は何?
考えればわかるだろ
超過死亡者数があまりにも多いので、政府は基準値をいじり出しているので実際はもっと多いと思ってください。
かとし 5D@jazzvibes00889
超過死亡数が異常
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字幕大王@jimakudaio
「ワクチンを打ったのだから、その病気になるはずがない」。医学界は勝手なルール変更で、ワクチンに効果があるかのように見せかけている。
ジョン・バーグマン:ワクチンの真実の見つけ方
https://odysee.com/@jimakudaio:9/
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毎日毎日、たくさんの人が死んでいる 
2024/01/23
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myonbl · 27 days
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2024年4月2日(火)
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今年度最初の出勤、まずは研究室のカレンダーをめくる。もちろん、自宅同様に<SOU・SOU>のものである。総務課にあるレターボックスをのぞくと、<辞令>と前期授業の教科書が入っている。私の契約規定では担当授業は週4コマ程度となっているのだが、前期の担当授業は今年も9コマ、毎日出勤せねばならない(おいおい)。10時から<入学式>、それが終わればとっとと退散、明日からはちゃんと働くからね〜。
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4時45分起床。
日誌書く。
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朝食。
洗濯。
可燃ゴミ、30L*3。
今月からツレアイは火曜日の訪問は1件のみ、午前中に戻るとのことなので弁当作りはなくなった。
7時45分ひとりで出勤。
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東寺前通過、塀越しに見える桜はまだまだ。
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近頃は吹田JC周辺の渋滞が多発しているので、今年度は茨木ICで下りることにする。
タイムカード整理、レターボックスチェック。
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前期の時間割、月曜午前で<スタディスキルズ>の資料作り、火〜金の空きコマは原稿書きを頑張るのだ。
10時から入学式、学長のスピーチはイマイチ、理事長のスピーチは結構。
終了後、久しぶりにA兄・sampe兄・H姉と四方山話。
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帰路も順調。
ツレアイがランチの用意、お相伴にあずかる。
彼女は法然院で開催中の知人の個展に向かう。
朝の早い私は軽く午睡。
町内の会計係に監査資料を届ける。
Yさん宅で<使用済み天ぷら油回収>のための謝礼を頂く。
ツレアイの帰宅に合わせて、一緒に夕飯準備。
<櫟谷会>から祭の寄付集め、いつも通り¥5,000寄進する。
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4人揃って早めの夕飯、テレビでは男子カーリングを流す。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第53話「かみさんよ安らかに」/ Rest in Peace, Mrs.Columboシーズン 1, エピソード 53 雨降る墓地で、コロンボ夫人の葬儀が行われていた。傘もささずに立ち尽くすコロンボ。その姿を不動産業者のビビアン・ドミートリーはじっと見つめていた。ビビアンの夫は10年前、同僚の密告により顧客の金の使い込みが発覚して、その客を殺害していた。
片付け、入浴・・・のはずが今夜もダウンしてしまった。
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いかんなぁ。今日もこの体たらく、なんとかしなくては。
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hirowrite-o0 · 1 month
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東北のある地域に伝わる儀式
執筆者: 河合 曽良
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うちの地域に伝わる"ある伝統行事"を世に広めてほしい。
そう頼まれたのは、一昨日の明朝でした。
その日はたまたま大きな町に立ち寄ったということもあり、採った宿も比較的豪勢で、夕餉をいただいた合同の宴会場もとても賑やかなものでした。
一度も顔を合わせたことのない者同士でも肩を組み合い、大声で笑い合って、浴びるように酒を飲んでは給仕を口説いたり踊ったりして、また飲んで。
ジジイも久しぶりに熱燗を嗜み、気を良くして絡んで来やがるのがウザかったことをよく覚えています。
そんな騒がしい酒の席も夜が更ければやがて鎮まり、そろそろ太陽が顔を出すのではないか。そんな時でした。
「失礼。貴方のお隣の翁は、もしやかの高名な俳聖松尾芭蕉殿ではございませんか」
声をかけてきたのは、三十路前後の青年でした。
「高名とは滅相もないですよこんなジジイ」
「いやいや、そんな。…けどご本人様、なのですよね?」
「ええ、まあ。」
「そうでしたか! …それは光栄だ。私人の手を借りたい事柄を抱えているものですから、もし俳聖のお力をお借りできるのであれば、是非ともと思いまして」
「芭蕉さんの、ですか?」
聞き返すと、妙な光の宿る目で彼は頷きました。
それから話半分で詳細を聞いてみると、「うちの地域に伝わる"ある伝統行事"を世に広めてほしい」とのことでした
何でも彼の地元の地域には 一風変わった風習があるらしく、それは伝統行事や祭りごとというよりも、"儀式"に近いものなのだそうです。
つまるところその"儀式"の様子を、芭蕉さんが俳句にして詠み、世に発表することで存在を知らしめてほしいのだと、。
そういった説明をされました。
…なるほど、これは面白いかもしれません
だって年中スランプなジジイにとって良い刺激になるかもしれないじゃないですか。
どんな風習かは分かりませんが、当事者である彼自身が「変わってる」と表現するくらいですから、きっと珍しい行為が行われているのでしょうし
それについて芭蕉さんがどんな反応を見せるのかも、気になるじゃないですか?
この手の言い回しをするだなんて、きっと"因習"の可能性高いですよ。
…ということで、引き請けることにしたんです。
芭蕉さんには夜が明けてから事の経緯を説明しました。酒にめっぽう強い芭蕉さんはやはりケロッと目を覚まして、すぐに快諾してくれました。(最初 めんどくさがってたんで試しに一発パンチしてみたら言うことを聞きました)
出発は巳の刻直前。件の彼の案内で、該当地域まで移動しました。
町から然程遠くはなく、一刻程歩くと到着したくらいでしょうか。
その地域に入ると、彼は僕たちを自宅に招いてくださいまして。唐代の宮殿さながらの 荘厳で広大な邸宅に、芭蕉さんは大はしゃぎ…
恐らく地域一帯を治める地主か、領主の家系なんでしょうね。
彼はその家の次男らしく、僕たちはひとけのない小さな倉へと案内されました。
そこで、こんなものを見せられました。
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※写しについて承諾済
それは粘土を固めたような、土臭いお面でした。
最初に倉に入った時、これには白い布が被せられていて、布を剥ぐ前には 「決して面と目を合わせないでください」とも言われまして。それもかなり念入りにね(芭蕉さんとんでもなくビビってました)
これを承諾すると布が剥がされ、彼は"儀式"について説明してくださいました。
"儀式"の詳細は、以下にまとめさせていただきます。
◆この地域に伝わる"儀式"について
儀式の名称・・・ 降来 (コウレイ)[kou-lei]
概要・・・ 一般的な葬祭(葬儀や供養等)はせず、その
代わりに行う。死者が無事冥府へと辿り
着けるよう、その迎えの者を呼び出す儀
式だとか
時期・・・ 身内の死去後すぐ
用いる道具・・・ ◼️◼️◼️◼️◼️(面の名前)、懐刀
◆儀式の流れ
(一) 身内が亡くなったら、湯灌して奥座敷に三日安置する。下一枚目間取図参照。この間に諸々の準備をする。関係者への声がけや、会場の設営など。下二枚目簡易図参照。
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(二) 翌明朝、正面から見て鳥居の右側に遺体を置き、左側に喪主が立つ。喪主は左前にした束帯を着用し、◼️◼️◼️◼️◼️を被る。懐刀は左手に持っておく。
(三) 日の出を合図に舞を舞う。(懐刀で地を切り開くような所作が主になっているとのこと)
(四) 舞が終わったら、目の前の鳥居をくぐり遺体と目を合わせながら「○○さん(亡くなった方の下の名前)、来ましたよ」と呼びかける。
(五) ここで遺体の顔が微笑んでいれば儀式は成功。しかし微笑む以外の表情をしていた場合は失敗と見做され、鳥居の左側に戻った瞬間 喪主は斬首される。(その首は七日間の間境内に捧げられる)
尚、儀式の最中は決して◼️◼️◼️◼️◼️と目を合わせてはいけない。遺族や参列者だけがという訳ではなく、たまたま通りかかっただけの人間もNG(肉眼で確認できる距離であればどれほど遠巻きでもダメだそうです)
もし目が合えば、その者は降来(コウレイ)している者に連れていかれるという。
儀式については、以上となります。
確かに、大分変わった印象を受けました。変わったというより、恐ろしいと表現した方が適切かもしれません。
芭蕉さんなんて途中から悲鳴をあげる余裕もなく、凝視するように開いた瞳孔と強張った表情で彼の話を聞いていました。
「成程。儀式については分かりました。………しかし今も◼️◼️◼️◼️◼️と目を合わせてはいけない理由は何ですか? 儀式の最中ではありませんよね。」
「はい。…ですが儀式でない時に目が合うと、その者は喪主になってしまうんです」
「喪主に…ですか?」
「えっ。それってどういうこと……?」
「そのままの意味です。ふつう喪主は亡くなられた方の一番近しい等身者、つまり親であれば子、子であれば親、親が居ない場合は長男か弟………などが該当しますよね。けれどうちの地域では、人が亡くなるとその方との"縁"が深い親族が集まり皆で◼️◼️◼️◼️◼️を見つめるんです。そしてその中で目が合ったたった一人を、喪主とするんですよ。けれど時たま、本当にごく稀にですが、複数人と目が合うことがあるんです。二人の時もあれば、十人の時もあったそうです。それは一斉に喪主を決める行為の前後でうっかり◼️◼️◼️◼️◼️を見てしまった場合も、例外ではありません。親族ではない者だったとしても、喪主にさせられてしまいます。まあその場合は、順番に◼️◼️◼️◼️◼️を被って舞うんですが………とにかく誰かが亡くなって、儀式が始まるまでの間が期限なんです」
「そんな………じゃあ私ももし目が合ったらさ、喪主になっちゃうってこと? で儀式失敗したら殺されちゃうってこと…?!」
「そうなりますねバカジジイ」
「ひっ………」
芭蕉さんの情けない声は相変わらず滑稽でした。
して聞くところによると、不遇なことに今度の喪主は彼自身なのだそうです。
だから儀式が成功しようと失敗しようと、この儀式の様子を詠み世間に向けて表沙汰にしてほしいのだと。
壊してください。
そう懇願しておりました。
………………え? 芭蕉さんの答え……?
勿論ノーですよ。
「嫌だよ怖いよ!」の一点張りで一向に話が進まなかったので、また一発いかせてもらいました。(しぶとかったのでもう二、三発追加させていただいたことはざらですが。)
この日は怖くて眠れなかったらしいです。
いい気味だ
『東北のある地域に伝わる儀式_続』へ続く
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yokohamasougisya · 2 months
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横浜葬儀社 はばたきグループの公式HPです
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mutumi-saito · 7 months
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untitled / 2023
脳出血で先週末に倒れ緊急入院していた父が他界した。あっという間の出来事だった。持って2,3日でしょうと担当専門医に聞かされていた。延命治療を説明してくれる看護師の話は母の耳に入ってはいなかった。心の準備が出来ていない母には過酷な事に思えた。亡くなる前日に一日15分という限られた短い面会時間を母と一緒に訪れた矢先の事だった。そしてその次の早朝に鳴り響く携帯電話の着信音で眠りの浅い中を起された。入院から6日目の朝だった。病院へ向かう妻が運転する車の中で、父と最後に交わした言葉を必死に捜し思い出そうとしていた。晩年の父と子の会話は互いに無愛想な内容であったと思った。父の死亡確認後、母の意向で父を自宅に連れて帰える事となった。長年苦楽を共にした母が自分の思うようにやればいいと思っていた。久しぶりに会う妹も自分と同じ意見だった。自分は葬儀屋の用意してくれた車に乗り、父と一緒に自宅まで向かった。一足先に帰っていた母が準備してあった自分の白い布団の上に父は寝かされた。この時、母の思いや考えは言われなくても直ぐに全て理解が出来た。亡くなった父の顔にカメラを向けようとは思わなかった。いや向けられなかった。もし向けるような奴がいたら、そいつは間違いなく人間の屑だろうと思った。父が帰宅した其の日の朝、玄関先に出ると大きな鉢に植えてあった蓮が一輪だけ大きな花を咲かせていた。
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kasumime · 1 year
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祖父の葬儀へ。近親者のみの小さな式だったけれど、初めて顔を合わせるような老夫婦ばかりで、父や母が仲介人になって丁寧に挨拶をして回った。幼い頃によく遊んでいた2つ上の姉のような親戚の女の子の祖母はすっかり背中が丸くなって小さくなってしまっていた。叔父が喪主となって、雨が降り気温も都心よりぐっと冷え込んだ空気の中で焼香をし、火葬場へ行き、会食を経て父と共に祖父の骨を拾った。僧侶のお経を聴きながら、祖父が生前朝晩欠かさず行っていた勤行とその背中を重ね合わせて、もう仏壇の前で正座する姿を見られないことを惜しんだ。立てられた遺影の中の祖父は棺の中で冷たくなった姿と違い柔らかな笑みを浮かべていて、それがほんの2〜3年前に撮影したものであることを聞いて驚き、同時に、自分に自信がないばかりに会わない選択肢をした幼稚さを悔いた。会食時には(飲酒に対して否定的な)父が意外にもノンアルコールビールを指さして飲むか?と尋ねてきたので、飲む、と答えたらじゃあ少しもらうよ、ああこれは美味いね、と言っているのを聞きながら、配膳された懐石弁当を肴に一本半空けて、心做しか少し酩酊した。父と母が席を立った時に疎遠になっていた兄と久しぶりにまともな会話をした、仕事は何してるかとか、高円寺に住んでるんだけどとにかく芸人が多いとか、いきつけの飲み屋に女優の誰々が来たとか。僧侶が「仲良く健康に過ごすことが供養になる」と言っていたので、もしかしたら兄はそれを意識して話しかけてくれたのかもしれないし、祖父が孫である私たちに遺してくれた財産だったかもしれない。97年生きた祖父の棺には、言葉で人の心を震わせることの尊さを教えてくれてありがとう、と書いたメッセージカードを顔の横に添えた。父は歩く速度こそ未だに私より早いけど昔より身長が縮んで、アルマーニのコートも体型が足らず大きく見えていた。兄とは青梅線の車内で別れ、私も一度実家に戻り荷物をまとめて帰宅。俳句の話をする機会こそ持たなかったけれど、句会の名誉会員の名を背負ったその大きな背中は世界で最も尊敬する大好きな存在だった。さようなら、また会う日まで。
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774 · 3 months
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税務署は本人の承諾がなくても預貯金口座を調査できます。また、本人以外の口座も調査できるため、高額な入出金や振込みがあった場合は、お金の出どころや行き先を徹底調査しています。 出金後の行き先が口座情報から掴めない場合、まずタンス預金が疑われるでしょう。入学金や葬儀代の支払い用であれば問題ありませんが、合理的な理由のないタンス預金は税逃れを追求されます。また、金融機関への照会により過去10年の取引状況も調査できるため、本人ですら忘れているタンス預金が発覚するケースもあります。 国税庁や税務署ではKSK(国税総合管理)システムを使って納税者情報を一元管理しています。KSKシステムには納税者の収入、過去の納税情報がすべて登録されており、税務調査や滞納整理に活用されています。 納税者の収入に比べて申告額が極端に少ないようなケースも、KSKシステムを使えばあぶり出せるというわけです。 不動産会社や保険会社、証券会社などは、特定の取引について法定調書を作成し、税務署へ報告するよう義務付けられています。法定調書と銀行取引情報などを組み合わせると、不動産を買ったお金の出どころ、あるいは売ったお金の行き先からタンス預金の可能性を絞り込むことができます。 タンス預金などの脱税が疑われる場合、税務調査官による税務調査(実地調査)が行なわれます。税務調査官の質問には税金と無関係な内容も多く、まるで世間話のようなムードで調査は進みますが、実はこの会話の中からタンス預金の情報をあぶり出しています。 実地調査として預金通帳や自宅の金庫、貸金庫なども調べられますが、隠し財産の発見はもちろん「そこにはない」ことを確かめる目的も含まれています。また、必要に応じて故人と関係深い人を訪ねる「反面調査」も実施されるので、調査内容は想像以上に徹底しており、タンス預金は高確率で指摘されてしまいます。
タンス預金の相続・贈与の時効はいつまで?財産隠しが税務署に指摘される理由とは:朝日新聞デジタル
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kennak · 7 months
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まともな国なら全員逮捕で公民権停止。内閣も吹っ飛ぶ。日本はまともな国ではない。甘利は選対本部長として選挙の費用のために等しく配ってるらしいけど他は買収資金だろ。配ったことすら認めない奴らは真っ黒 これはひどい 0必見 自民党 安倍晋三 甘利明 二階俊博 菅義偉 河井克行 公職選挙法 主犯を国葬
[B! 自民党] 【独自】河井元法相、買収原資は安倍政権中枢からか 4人から6700万円思わせるメモ 自宅から検察押収(中国新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
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