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#源氏物語の半襟
2ttf · 12 years
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lucewizard27 · 6 years
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Scrap Days
 古い紙特有の匂いがする。埃っぽいなと呟いて、ここに居るぞと主張する。ばさばさと音を立てて落ちて来る紙の資料の向こう側で、「あいよ」と聞き慣れた声がした。資料探しを手伝いに行ったまま戻らぬ相棒を捜して踏み入れた芸術家どもの魔の巣窟は、徹夜続きのアルコールの匂いと僅かに珈琲の匂いと交じって煙草の煙と、妙に甘い匂いがした。声、らしきものは先程返事をしたもののみで、後は唸り声ばかりが響いている。踏み入れてはならない場所に来てしまったような気がしても、何時だって後の祭りだった。そもそも、ここカルデアでは珍しくもない光景でもある。ぱっと思いつくだけでも、数多の国から色んな時代の者達が集まっているのだ。文化のサラダボウルだと言うと、エジソン辺りが合衆国の建国について一言申して来そうな気もするが、安心して欲しい。発電マニアどもはエレナ女史の付き添いで『ちょっと』遠出している。何事もマハトマのお導き、大丈夫だ問題ない。 「友よ、」と声が聞こえた。意味のある音だ。視線を向ければ、平常からしてすでに色の白い名探偵中の名探偵が、迷探偵面をして視線を空に彷徨わせていた。考えるまでもなく、何処かに中身が旅立っているようだと頷く。探偵が座るこの部屋で一番高そうな革張りの赤いソファは、何をひっくり返したものやら濡れたような染みの痕がある。すぐ横の丸い猫脚のテーブルの上には、「 absinthe 」とラベルの張られた謎の瓶が幾つも空になって転がっていて、猫脚ににゃあとも鳴かない童話作家が頭を預けて低い声で唸っている。寝心地が悪いのだろう。そう言えば静かだなと辺りを見回せば、劇作家は据わった目つきで種火はもう食べさせないで欲しいとぶつぶつと呟いており、心持ち腹が膨れているような気もした。いつものメンバーだなと安堵したところで、ここでは見慣れぬ音楽家の二人が無言でダイスを転がしてカードを出しあっており、やれ「産地チェック」だとか小さい声で呟いている。唯一正気らしい復讐者、いいや、影のどうしようもない相棒はこてりと首を傾げていつの間にか目の前に立っており、「どうかしたのか共犯者よ」とそう言いながら卒倒した。末期だ、とてつもなく世紀末だ。なんぞかの合同の死がどうとか食堂でこのメンバーが会合をしていたのは知っていたが、謀反でも起こすつもりか。いやいや、と首を横に振る。そこでもう一つ。 「ロビン!」  素直に名前を呼んで助けてくれと主張を最大限にする。早く連れ去って欲しかった。だってここは、とっても教育に悪い現場だ。 「いや、まあ、なんです?締め切り前だから助けて欲しい、時給が出るってんでして。このご時世何かと入用でしょ、お互い。いざって時の貯蓄みたいなもんですよ。」  彼の言い分はこうである。別に悪くないし、仲間との交流を深めるのは今までの彼を思えばいいことだろうと頷いた。ロビンはそんな、……カルデアのマスターを前にして、盛大にため息をつきたいのを堪えた。朴念仁とは言うまい。気の使い方は人それぞれだ。好意に鈍感でなければ、発狂しかねない程パーソナルスペースを侵されているのにこの子供は指摘しない。できようもないのであろうが。今だって、個室に二人きりという環境がどうのとマスターである子供を思って、「保護者」と主張する何名かに視線をすれ違いざまに向けられた。マスターの部屋に誰かがスタンバイしているのはいつものことだ、と誰もが理解している筈だと言うのに。そもそも、保護者と主張している何名かというか正直なところ、ロビンにとって源の大将は頭の痛い種の一つではあった。アジア人の見た目が幼いということを抜きにしても、マスターである子供は生前のロビンよりは明らかに年下だった。懐かれるのは気分は悪くなかったし、距離を縮めれば時々甘えるような言動をするのが良かった。そういう趣味を持ち合わせているわけではないのだと言い切れるが、初めてありがとうとはにかんでくれた時は一瞬息を飲んだものだ。だって、ちっとも、この子供は心から笑うということをしなかったから。  以来、ロビンは保護者ではないが傍に居る。駄目そうだなと判断すれば手を伸ばすし、まだ頑張れそうだと思えばただただ見守っている。騎士中の騎士である円卓の面々に、「忠義あふれる行いだ」などと評された時は本気で喧嘩になりかけたが、特にマスターに報告はしてはいない。だって、ロビンは騎士にはなれない。柄でもないというのもあったが、主義に合わないのだ。何処にでも居て、ただ学校に通い、どうということもなく過ごせる筈だった子供。だから誰かが守らなくては、勿論、別にロビンは自分がそうでなければいけないとは思っていない。顔を隠して、影のように付き従う復讐者のような相棒にもなれない。何もかもが中途半端な立場で、でもそれでも英霊だから。幸いただの人間に負けるようなことは在り得ない。いつかいつもの日常が戻る時、その日に備えておくのだ。抜け駆けだとは誰にも言わせるつもりはない。これは正当な報酬なのだから。 「時間延長料金は貰うつもりですけどね。」  きょとりと瞬いた子供にロビンは笑いかけて、アンタにとっても悪い話じゃないぜと囁いたのだ。  ごう、と風が吹く。白い大地に雪が降り注ぎ、果ては見えない。今どこに居るのかと問おうとして、口を閉ざした。思考が明瞭になる。懐かしい瞬間は程遠い。次の氷雪の大地へと向かう筈だった一行が、不意に妙な隙間に迷い込んでから数日。時間経過はまったくない謎の領域で、本来であれば夏だった筈の日々を過ごしている。――ルルハワってなんだっけ、妙なワードが過ったが忘れた。忘れることにした。あまつ、NYに行きたいかあと声が聞こえた気もしたが、全くの幻聴であろう。 「先輩、良いお知らせと悪いお知らせがあります。どちらからお聞きになりたいですか。」  洋画でよくある台詞って、使ってみたいけど現実に使おうと思うと使えるタイミング全くないよね、なんて会話をしたのが五分前だった。頷いていた探偵に、思わず二度見をしたがこれも気のせいだろう。だと言うのに、愛すべき後輩は天然を惜しみなく発揮させ、結果的に場の空気を和ませることに成功していた。これを奇蹟と言わずして何と言おうか、そんなムニエルの叫び声も気のせいだろう。なんだっけ、これ、いつかの惨状に似ているなと立夏は思ったがなかったことにした。シリアスな状況が続かないのは仕方のないことで、空腹すら存在しないこのただ白い景色が続く退屈な時間は、精神的にひたすら摩耗するからなのだった。何の肉を使ったか当てよう、所長のお手製料理コンテストはすでに行った。マシュのましゅましゅコントは可愛かった。ダヴィンチちゃんのうんちくトークはもうマニアックなのでやめて欲しい。様々な要求があったが、ムニエル氏のお悩み相談コーナーは異常に盛り上がった。スタッフの探偵と接する時の会話のテンポが難しい、年頃であるマシュと立夏の情操教育上に正しい行動とはだの、割と平和じゃないかなと立夏が遠い目をしたくらいには時間が経過している、筈である。曖昧な時間が、焦燥感へと変わる。その瞬間はすぐそこだとわかっているのに、何も出来ずにいた。 「……良いお知らせは、特異点を発見したことです。悪いお知らせも特異点を発見したことです。」  つまりどういうことだってばよ、と立夏は瞬いた。うっかり忍者のような物言いをしたなと思ったものの、誰も同じ国の出身者がいなかった為にそのネタは通じなかった。唯一、ムニエル氏だけが口元をにまにまとさせていた。 「つまりだね、立夏くん。特異点が見つかったんだ。この何もない筈の氷雪の大地の上に、突如として現れたんだよ。」  ドクターみたいな物言いをしたダヴィンチが、咳払いをした。意識をしたのかもしれない。立夏は小さくはにかんで、こくりと頷いた。後にすることはわかっている。特異点があるならば調査をする必要があった。何か不測の事態が発生していることは確かだったから。  そうして氷雪の大地に踏み入れた途端、立夏の足は緑に覆われた大地に辿り着いたのだ。あっという間だった。まるで目隠しをされていたかのように、そこに在った。ぶあ、と生々しい生き物の気配が襲い掛かる。情報量は急に多くなり、立夏は一瞬眩暈を覚える。でも、懐かしいと感じた。何故だろうと首を傾げた横に、ダヴィンチが降り立つ。上を見上げ青い空を、周りを見回し木々の木漏れ日を、耳を澄ませて鳥のさえずりを。「なんて、うつくしい」と幼い声でダヴィンチが言った。立夏は頷き、思い切り息を吐き出して、続けて胸いっぱいに吸い込んだ。冷たくない、温かな空気だ。マシュが恐る恐る降り立ち、探偵ことホームズは眩しそうに目を細めた。探索はいつも通り、二人で。何かあるかわからないと言う割に、ダヴィンチは危険性は低いと思うよと確信をもった様子で言い切る。ホームズは「成程、」と妙に嬉しそうに笑うのだ。 「常々、思っていたのだがね。会いたい、と言葉にしない理由を。成程、確かに願うまでもなかったわけだ。」  きょとりとする立夏に、ホームズは「さあ、行ってくるといい。懐かしい旧友に会えるだろう」と満面の笑みで言う。立夏は逆に警戒心を高めてしまいながら、マシュの手を強く握った。おや、と眉を跳ねあげたホームズは、今の言葉の何処に警戒心を高める理由があったのかということについて、すぐにダヴィンチに視線で訴えた。ところが全く伝わらず、ダヴィンチはお土産を楽しみにしていると手を大きく振ったのだった。  歩いて、歩く。踏みしめる大地の上に足跡が残る。雪に埋もれてすぐには消えない。振り返れば帰る場所へと通じる道筋はすぐにわかった。迷いそうでいて、迷わない程度にわかりやすく誰かが踏みしめたような小道があって。恐らくこの森の何処かに森の主が居るのだろうと容易に察せられた。特異点と言うからには敵も居るだろうと思ったのに、二人の行く手には何も遮るものがない。あるのはただ木々と、諸動物の気配と。人里を離れて、迷い込んだ森。そんな気分にさせられながら、立夏は歩みを進める。こんな風な場所を皆と歩いたなと思いながら、懐かしむ余裕すらでてきた。野営をすることはないだろうが、あまり遠��へは行かない様にしようかと手を繋いだマシュを振り返る。 「先輩、パンでもちぎって歩けばよかったですね。」  誰かに捨てられたわけでもないのにマシュがそう言って、立夏は食べる方が建設的じゃないかなと肩を竦めた。色気より食い気だからと言い訳をしてみて、マシュをちらりと見て。マシュはそれでも先輩と一緒なら、と笑うのだった。森の木々は時折かさりと音を立て、二人はその度に足を止めた。でも、その度に正体までは掴めずに、必死に気配だけを辿った。まるでわざと残されているような痕跡、歩いていた足が途中から走り出して、無我夢中に。アプリコット色の髪が揺れたのが見えたら、もう駄目だった。  白衣が、翻って。困ったように笑って。樹皮に縦に割れ目の走る、赤い小さな果実を無数につけた一際背の高い木の下で。その人は申し訳なさそうに、そこに居るのだ。 「「ドクター!」」  声が揃った。繋いでいた手もそのままに走って、押し倒さんばかりでしがみつく。誰なのかも、本人なのかもわからないまま、感じ慣れた気配ただそれだけに縋りつく。涙腺が緩んだ。頬を勝手に伝うものは止められずに、恋しくて寂しくて、手を伸ばしても届かなかったその人の名前を呼ぶ。ロマニ、ロマン、永遠に消えてしまった人。助けられなかった二人。後悔はいつだって尽きない。その中でも前所長とドクターだけは、二人に焼き付いているのだ。半ば呪いのように。 「……申し訳ないけど、先に言っておくよ。ボクはロマンその人ではないんだ。生前、ダヴィンチちゃんからのお願いで、ボクはボクのAIを造っていてね。だからこれは、ボクの代替品と言うか……データの集合体でしかない。この体は確かに人間によく似たものだけれど、年を取ることはない。あ、でもボク達が旅をした日々のこと、これまで二人がここに至るまでのこと。全部把握はしているよ。何せ、これはボクの我儘でもあるんだ。形がどうであれ、ボクは君達のつくる未来が見たかった。」  両腕は二人の背に回り、疑似的な回路で体温が点った手の平が二人の背を撫でる。撫でて、それだけでは足りなくて。頭やら頬を撫でて、触感を確かめるように。「柔らかいな、女の子だもんね」と言えば、マシュに無言で睨まれたりもして。 「オリジナルのボクは、立夏くんとマシュのことをとても愛していた。データの集合体であるボクにあるこの感情を本当だと信じてくれるなら、ボクだって二人のことが大好きだ。……そういうわけで、」  少しだけ間をおいてロマニは言うのだ。 「戦闘に役立てるかと言うと全くなんだけれどね。ああ、本来のボクよりはその辺はマシになってるけれど。……―――なにより、おかえりって言えるんだ。また、キミ達に。」  また零れて来る涙を拭って、マシュが縋り付く勢いでしがみつく。何処へも行かないでもう二度と、なんて言葉を言わなくてもきっと伝わっている。偽物かかどうかなんて判断するまでもなかった。二人にはわかっていたから。  帰り道すがらにロマニを挟んで手を繋いで歩く。両手に花だと立夏が言うと、「確かに若い子を連れて歩くのは、気分はいいな。」などと神妙な態度でロマニは頷く。積もる話もあったが、いつものようなやり取りが何よりも。立夏が楽しそうに話して、マシュがロマニにほんの少し甘えた素振りをして、ロマニが困ったように笑って。何時だって、ここにダヴィンチが居て、メンバーは入れ替わっていったりもした。でも、ロマニが居なければやっぱり駄目なのだ。おかえりの声がないと言うだけで、踏みしめる足は心細くなる。もう大丈夫歩いて行けると思っていたのに、こんな風にされてはもう駄目なのだ。優しさに飢えていたわけではない。新所長や、スタッフ、ホームズもダヴィンチだって。こんな状況であっても、尽きぬものだ。人の優しさ、温かさ。触れ合って、例え壊してしまう世界の向こう側であっても。もしかしたら狡いのかもしれないと立夏が言うと、マシュが不安そうにロマニを見上げた。ロマニはやっぱり困ってしまったように笑って、 「というか、ボクそのものはボーナス支給みたいなものなんだ。そもそもの発端は君達もよく知る彼のお願いからで、ダヴィンチちゃんとボクは相応の対価と引き換えに実現したに過ぎない。それでも有り余る資源はこうして今目の前にあるわけなんだけど、……よく考えてごらん。森、目隠し、そして、――イチイの木。」  今の今まで歩いて来た方向を振り返り、ロマニは嬉しそうに口にする。 「サーヴァントには好かれていないってデータがあったけれど、記録を読む限りではそうではないと思うんだ。少なくとも、『認められていた』ってね。何よりボクはあの彼にそう願われたことが、何よりも嬉しい。」  好かれているとは思わなかったのだと語る口調は楽しそうでもあって、訝し気に見上げるマシュの手を揺らして、ロマニはまあまあ、と宥める。歩いて、歩いて、その内に森の終わりが見えてきて。またふわり、と幻影のように森が消えそうになったところで、ロマニが二人の手をやん��り解いて振り返り叫んだ。  「ロビンくーーーーーーーーーーーーーん!やっぱり二人に黙って置くのはかなり無理があると思うんだ!大体使い切れないリソースを廃棄するのはもったいない。限りある資源こそ有効に使うべきだ。肉体のあるロビンくんなら、戦力としても護衛役として十分な筈だろう?!」  ぶっと噴き出したのは立夏で、マシュはぱちぱちとしきりに瞬いている。一方、叫び声の木霊する森はゆるゆると消えて行き。やがてぽつんと緑色のマントを纏う人影へと姿を変えた。あの森そのものが彼の宝具だったとは、まさか思いもよるまい。立夏は何か逸話に大幅な変更でもあったのかと首をひねるが、勢いよくフードをとったロビンは舌打ち交じりに言い放つ。 「仕様変更でも何でもねえっての。こちとら、持ってるところからせっせとバイトをして隙間産業しながら溜め込んだんだ。聖杯?上限迎えてるってのに、人に捻じ込んで来たのは何処の何方でしたでしょーか。」  じと、と見つめる視線に立夏は何と無く気恥ずかしくなり、ロマニの後ろの隠れた。何だかビミョーなお年頃のような反応をされ、ロビンは閉口する。今それか、今になってそれかと内心で突っ込みつつ、ロビンにしては積極的に歩み寄って襟首をつかんで引きずり出せば、合わせる顔がないと来たものだ。ぼそぼそと語る言葉を繋ぎ合わせれば、もう会えないと思っていたから、だの、いつかまた会えたらいいとは思っていた、だのと。 「立夏くん、そこは素直に会いたかったでいいと思うんだ。データから見ても、こういうのはリリカルな展開を経てメイ・キングなだけにメイキングラブになると思うんだ。」  ロビンがついロマニの肩を軽く小突いた。流石に今のはなかったな、とお互いに視線を交わしたところで、マシュが咳払いをし、 「つまり……、どういうことなんでしょうか。ロビンさんは、あのカルデアに居たロビンさんなんですか?」 「まあ、なんです。宝石剣をちょいとレンタルしましてね。出所については聞かないでくださいよ。面白くもない苦労話が付録につくだけだ。――あー、そもそもあの宝石剣ってのは平行世界の」 「ロビン、もっとわかりやすく。」  立夏がかみ砕いてくれと言うと、そうでしたね、とロビンは立夏の頭を撫でる。こういう時、孔明大先生が居たらなとロビンは思うのだが、居ないものは仕方あるまい。 「宝石剣で平行世界からマジックパワーを集めたよってところですかね……」 「雑だね。ロビンくん。」  ロマニに雑などと言われると、ロビンも思うところはある。思うところはあるが、突っ込みを返したところで泥沼になるのが目に見えていた。まじっくぱわあ、とぼやいた立夏はじーとロビンを見上げている。 「そんなに熱心に見つめたところで、ハンサム顔があるだけですよ。」 「クラスがキャスターになったってこと?」 「違うな???」 「でもドルイドの関係なら、キャスターわんちゃん。」 「どこぞの御子様でもあるまいに、木を燃やすなんて真似しませんよ。一面焼け野原にでもなっちまったら、隠れる場所なくなるでしょうが。」 「あー、成程。そういう流れでなしなんだ。」 「いやまあ、どっかの誰かが新たな逸話でも発見したなら在り得ない、とは言い切れないけどな。…………、この話今必要だったか?」 「あんまり。」 「ですよね。」  成程と頷いている立夏の調子が相変わらずマイペースだなと思いながら、ロビンはふっと視線を逸らす。すると目に入ったのがにやにやしているロマニと、したり顔のマシュなのだから手におえない。まだそう言うんじゃないと主張したところで、もう手遅れだろう。ダヴィンチが顔を覗かせているのが遠くに見えるし、ここから待ち受ける盛大な言い訳と、新所長への御目通りと。これからのことを思えば、決して容易い日々ではあるまい。でも、立夏はそこに居て、守りたい者とその日々は此処にあるから。
 かくて、愛と希望の日々はまだ続き、旅はまだまだ終わりそうにもない。ロビンは冷たい曇り空を見上げ、肩を竦めて。仕方なさそうな素振りで笑って返して、いつもと変わらない素振りでそこに居るのだ。
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着岸漂流一覧(平成30年8月29日現在確認分)
北朝鮮船・船体の一部・遺体の着岸漂流一覧 (平成30年8月29日現在確認分) ※確認出来たものを逐次入れていますが、特に平成28年(2016)以前は氷山の一角です。実際には遥かに多くの事件が起きています
■■■■昭和40年(1965)■■■■
1月21日 長崎県南松浦郡岐宿町(現五島市)水ノ浦海岸 遺体1体 ■官報第11441号 昭和40年(1965)2月4日  本籍住所氏名不詳、15歳位の男、身長147、前額部後頭部扁平、粗雑なカーキ色軍服様の上衣、黒詰襟服、黒丸首トレーシャツ、ネズミ色パッチ、パンツ、左カカトの破損した茶木綿靴下、簡便ナイフ1、ボールペン1、マッチ軸24本 右の者は昭和40年1月21日当町水ノ浦海岸に漂着死体として発見された。 死亡推定日は1月8日頃、死因は船舶遭難による○死と思われ、着衣の状況から韓国人と推定される。死体は検死の上埋葬してあるので、心当りの方は申出られたい。 昭和40年1月25日 長崎県南松浦郡 岐宿町長 飯田 小吉
■■■■昭和62年(1987)■■■■
1月20日 福井沖 漁業資源監視船「ズ・ダン9082号」(約50トン・鉄鋼船)が男女11人を乗せて亡命。(620201読売東京)
■■■■平成2年(1990)■■■■
10月28日 福井県三方郡美浜町久々子海岸 工作子船・遺体2体  ベニヤ板製の工作子船と思われる船(長さ8.3m幅2.5m 船底からビニール袋に密封された乱数表2枚と換字表1枚、日本製とみられる白紙の手帳)(021030読売東京) 11月2日・11日に沖合や海岸に遺体2体(20代~40代)
■■■■平成10年(1998)■■■■
12月2日 島根県隠岐郡西ノ島町 遺体1体 ■官報第2541号 平成11年(1999)1月8日  本籍・住所・氏名不詳、解剖の結果、推定年齢20~30歳代位、身長155センチ、死後7ヶ月位経過したと思われる、一部白骨化した男性と判明、所持品なし 上記の者は平成10年12月2日午後零時頃、隠岐郡西ノ島町大字美田、通称波止防波堤に漂着しているのを発見、遺体は火葬に付し、遺骨は隠岐郡西ノ島町大字浦郷の共同墓地に埋葬してあるので、心当りの方は、本町役場町民課まで申し出て下さい。 平成11年1月8日 島根県 西ノ島町長 岡田 昌平
12月16日 島根県浜田市 遺体1体(女性)
12月16日 島根県隠岐郡五箇村(現隠岐の島町) 遺体1体 ■官報第2541号 平成11年(1999)1月8日 本籍・住所・氏名不詳、年齢20歳前後、性別男性、死因不詳、死後1ヶ月から1ヶ月半(平成10年12月17日時点)、着衣は国防色の上着及びズボン、紫色ウインドブレーカーズボン、黒色ジャージ上下、シャツ、靴下等であり、国防色の上着の襟に北朝鮮の階級章様の物が縫いつけてある。 上記の者は、平成10年12月16日午後0時頃(推定) 島根県隠岐郡五箇村大字長尾田の海岸で死体で発見されました。身元不明のため取り敢えず火葬に付し、遺骨は五箇村内の寺に安置してあります。お心当りの方は、当村役場村民福祉課まで申し出て下さい。 平成11年1月8日 島根県 五箇村長 永海 和夫
12月21日 石川県河北郡七塚町(現かほく市)遠塚海岸 遺体1体(女性兵士・労働党候補党員証を身に着けていた)。
12月25日 福井県大飯郡高浜町和田海岸 丸太組みのいかだとロープでつながれた男性遺体3体(軍服姿、腐乱し一部白骨化、死後1~3カ月 30~50代、身長1m60~70センチ 胴体と足に直径約20センチの球形ブイ数個が付いていた)。(101225読売大阪夕刊)
■■■■平成11年(1999)■■■■
1月14日 福井県三方郡三方町(現三方上中郡若狭町) 遺体1体(北朝鮮軍上佐とみられる。「私たちの船は朝鮮人民軍26局4地区副業船、船籍は元山市」「昨年11月に兵士ら15人が乗船して出港したが機関故障で冠水、漂流した」と書かれたメモや航行に関する書類)(110127読売大阪夕刊) ■官報第2553号 平成11年(1999)1月27日  本籍・住所・氏名不詳、20~50歳ぐらいの男性、身長170cm位、紺色長袖ポロシャツの上着に紺色ズボン、緑色防寒ジャンパー、オレンジ色救命胴衣、Ⅴネックの長袖、紺色布製ズボン、紺色ジャージズボン、緑色ベルト、身分証、出張命令書、船員証、封筒、手紙、軍人証、メモ、黒色筒、肖像画など(前記証明書等については汚れがひどく、本人を確認することが困難である。)上記の者は、平成11年1月14日午後4時30分、三方町遊子海岸波打ち際にて発見された。死後、���過1か月から3か月と推定。場所・死因は不詳。身元不明のため火葬に付し、遺骨は、三方町内のお寺に安置してあります。心当りの方は、当町役場町民課まで申し出て下さい。 平成11年1月27日 福井県 三方郡三方町長 千田 千代和
1月22日 鳥取県鳥取市浜坂鳥取砂丘 遺体1体(北朝鮮軍兵士) ■官報第2565号 平成11年(1999)2月15日  本籍・住所・氏名不詳の男性、推定年齢30歳代、身長約155cm、深緑色カッパ上(フード付きでチャック式、腕に白線2本入り)、深緑色カッパ下、緑色軍服上(副分隊長の階級章と金日成バッチ付)、緑色軍服下、茶色の皮製ベルト、紺色のジャージ上下、白色長袖シャツ、紺地に赤線入りトランクス、500ウオン紙幣3枚、100ウオン紙幣35枚 上記の者は平成11年1月22日午後2時過ぎごろ鳥取市浜坂地内 鳥取砂丘 通称馬の背北側海岸にて死亡しているところを発見されました。 死亡日時は平成10年11月上旬ごろ(推定)、死因は凍死の可能性が高いと認められます。遺体は火葬に付し、遺骨は安置していますので心当たりの方は鳥取市福祉保健部生活福祉課まで申し出てください。 平成11年2月15日 鳥取県 鳥取市長 西尾 迢富
■■■■平成13年(2001)■■■■
12月16日 新潟県岩室村(現新潟市西蒲区)間瀬海岸 遺体1体(男性・30~60歳 一部白骨化 紺のランニングシャツと緑色のパンツ 死後2~3カ月 数百m離れた場所に男性の北朝鮮公民証)(131231読売東京)
12月 新潟県佐渡市鷲崎海岸 木造船(ハングルで洪原と記載)・遺体1体(赤十字の照会で「1955年生まれで昨年10月8日漁に出たまま行方不明になった」とのこと)(140129読売新潟北版)
■■■■平成14年(2002)■■■■
1月4日 石川県能美郡根上町(現能美市)山口町グリーンビーチ 木造船(長さ約6m)(140108読売石川版)
1月5日 石川県羽咋市一ノ宮海岸 木造船(長さ約6m 前方にハングルと数字)(140108読売石川版)
1月9日 石川県河北郡宇ノ気町(現かほく市)大崎海岸 木造船(長さ約3m、幅約1.5m 後方にハングルと数字)(140110読売石川版)
1月11日 石川県羽咋市大川町釜屋海岸5日の木造船漂着地の南500m 鉄製船(長さ約5.9m幅約1.5m船首に文字らしきもの)
3月19日 石川県輪島市小池町海岸 木造船(長さ6.5m幅2.5m 後部に発動機。船首部分内側にハングルが書かれたプレート)(140320読売石川版)
4月11日 北海道爾志郡熊石町(現二海郡八雲町)見日海岸 木造船(長さ約6m70センチ幅約1m50センチ 船尾にスクリューがあったがさびて動かずエンジンも付いていなかった)(140411読売札幌版夕刊)
11月11日 秋田県南秋田郡若美町(現男鹿市)野石字五明光 遺体1体 ■官報号外第256号 平成14年(2002)11月29日  本籍・住所・氏名不詳、男性、着衣は深緑色のズボンで前開き部分がボタン留め、ボタンに星マーク付き、ウエスト70センチ、股下60センチ、パンツはブリーフ型、前開きなし 上記の者は、平成14年11月11日午後2時頃、秋田県南秋田郡若美町野石字五明光207番地2の北方150メートル波打ち際から約10メートルの陸側砂浜で首から大腿部の白骨化にて発見されたものである。死亡日時は推定平成14年1月頃。遺体は、火葬に付し、遺骨は当町野石字宮沢123番地、眺江寺に保管しています。心当りのある方は、、当町福祉保健課まで申し出てください。平成14年11月29日 秋田県 若美町長 佐藤 文衛
12月28日 石川県河北郡内灘町宮様海岸 遺体1体(身長約1m62、20~50歳、死後1~6カ月、金日成バッジ)
■■■■平成15年(2003)■■■■
1月10日 新潟県岩船郡粟島浦村釜谷の消波ブロック 遺体1体(頭部白骨化、身長約1m70、黒の長袖シャツと黒の靴下)・木造船(長さ約9m幅約2m船首部分に漁網)
3月5日 新潟県柏崎市海岸 遺体1体(男性・20~40歳 下半身のみ 165㎝  茶色作業ズボン、青色ももひき、黒色半ズボン、北朝鮮紙幣死後半年前後)
■■■■平成16年(2004)■■■■
12月2日 新潟県佐渡市 遺体1体(男性 40~60歳 152.5㎝ B型カーキ色軍服様長袖、カーキ色軍服様長袖シャツ、グレーハイネックセーター、青色長袖シャツ、茶色ベルト)
■■■■平成18年(2006)■■■■
1月4日 京都府舞鶴海上保安部管内 木造船(180131読売大阪朝刊)
1月 鳥取県内に4隻の木造船が漂着(180126読売大阪朝刊)
1月24日 鳥取県西伯郡大山町 木造船(180126読売大阪朝刊)
1月25日 鳥取県鳥取市伏野海岸 木造船(長さ5.65m幅1.4m)(180126読売大阪朝刊)
1月30日 京都府京丹後市久美浜町箱石海岸 木造船(180131読売大阪朝刊) 平成19年(2007)
6月2日 青森県西津軽郡深浦町 木造船(長さ7~8m幅1.5m)・生存者4人 (191227読売東京夕刊記事)11月中旬以降北朝鮮からの木造船16隻が漂着、新潟と石川の海岸が大部分。
■■■■平成20年(2008)■■■■
1月10日 福井県福井市西二ツ屋町海岸 木造船(長さ約6m幅約1.5m 船尾に船外機、船首にハングルが彫られていた)(200112読売大阪朝刊)
3月26日 秋田県男鹿市北浦入道崎海岸 木造船(長さ約5.8m幅約1.4m 側面や船尾にハングル)(200326読売秋田版) 平成23年(2011)
2月10日 鳥取県鳥取市白兎 遺体1体(北朝鮮人かどうかは不明) ■官報 平成24年(2012)2月10日 本籍・住所・氏名不詳、年齢40歳前後~65歳ぐらいの男性。残身長約170cm(両足首以下欠損のため)、 遺留品はビニール製カッパ、コート、ジャケット、トレーナー、長袖シャツ、ストール、 迷彩柄ズボン、スエットズボン、ステテコ、ブリーフ、菓子の空袋(ハングル表記)、新聞様の紙片(ハングル表記)。上記の遺体は平成23年12月30日午後3時過ぎ頃、鳥取市白兎〇〇 北方約50mの砂浜で周辺の住人が水死体として発見しました。 死亡日時及び死因については高度腐敗状態であったため特定できませんでした。 遺体は火葬に付し遺骨は鳥取市内の寺院にて永代供養とさせていただき、遺品につきましては当市にて保管しております。心当たりのある方は当市福祉保健部生活福祉課まで申し出てください。 平成24年2月10日 鳥取県 鳥取市長
9月 輪島市沖合で木造船に乗った脱北者9人を救助(後に韓国に移送)
9月26日福井県三方郡美浜町関電美浜原発敷地内の岩場 木造船の一部(230927読売大阪朝刊)
12月30日 鳥取県鳥取市白兎 遺体1体 ■官報 平成24年(2012)2月10日 本籍・住所・氏名不詳、年齢40歳前後~65歳ぐらいの男性。残身長約170cm(両足首以下欠損のため)、 遺留品はビニール製カッパ、コート、ジャケット、トレーナー、長袖シャツ、ストール、 迷彩柄ズボン、スエットズボン、ステテコ、ブリーフ、菓子の空袋(ハングル表記)、新聞様の紙片(ハングル表記)。上記の遺体は平成23年12月30日午後3時過ぎ頃、鳥取市白兎〇〇 北方約50mの砂浜で周辺の住人が水死体として発見しました。 死亡日時及び死因については高度腐敗状態であったため特定できませんでした。遺体は火葬に付し遺骨は鳥取市内の寺院にて永代供養とさせていただき、遺品につきましては当市にて保管しております。心当たりのある方は当市福祉保健部生活福祉課まで申し出てください。 平成24年2月10日 鳥取県 鳥取市長
■■■■平成24年(2012)■■■■
1月6日 島根県隠岐郡隠岐の島町那久岬沖 木造船・生存者3人(9日に北に引き渡し)・遺体1体(241224読売島根版)
1月19日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版)
2月22日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版)
2月27日 島根県隠岐郡海士町 木造船(241224読売島根版)
4月4日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版)
11月28日 新潟県佐渡市大小海岸 木造船(長さ約12.8m幅約3.4m エンジン 船首にハングル 捕った魚を保管するスペース)・遺体5体(成人男性 雨具とみられるビニール製のズボンを履き、船内に長靴 死後2~3カ月 一部白骨化 長時間海水に漬かっていた形跡があり、船が一度沈没した可能性 1体は推定年齢30~40歳代前後、身長約170cm、長袖灰色シャツ、紫色ハイネックセーター、赤色半袖Tシャツ、 下衣は紺色ナイロン製ズボン、灰色ズボン、水色スウェットズボン、 黒色ボクサーパンツ、黒色靴下ほか紳士用黒色デジタル腕時計着用)(241129読売新潟版他) ■官報号外第11号 平成25年(2013)1月21日  1.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30~40歳代前後の男性、身長約170cm、 着衣は長袖灰色シャツ、紫色ハイネックセーター、赤色半袖Tシャツ、下衣は紺色ナイロン製ズボン、灰色ズボン、水色スウエットズボン、黒色ボクサーパンツ、黒色靴下ほか紳士用黒色デジタル腕時計着用 2.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢40~50歳代前後の男性、身長約164cm、着衣は上衣なし、下衣は紺色ナイロン製ズボン、モスグリーン色ズボン、黒色スウエットズボン、紺色ボクサーパンツ、ベルト、紺色格子柄靴下着用、ほかネックウオーマー(茶色地青ライン4本)、左手首に黄土色サポーター、足首裾止めゴムバンド2本(黒色地緑色ライン、黒色地赤ライン)着用 3.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢40~50歳代前後の男性、身長約158cm、着衣は緑色半袖Tシャツ、下衣は緑色ビニール製カッパズボン、青色ビニール製ズボン、紺色ジャージズボン、茶色ボクサーパンツ、青色毛糸靴下、長靴(サイズ25.5cm、外側面及び底部にハングル文字ほか紳士用黒色デジタル腕時計着用 4.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢40~50歳代前後の男性、身長約171.5cm、着衣なし 5.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30~40歳代前後の男性、身長約165cm、着衣は茶色上衣、緑色半袖Tシャツ、下衣はこげ茶色ズボン、青色ニットズボン、 紺色パジャマ様ズボン、灰色股引、緑色ビキニパンツ、白色モスグリーン色毛糸靴下片方着用、 ほか上着シャツ右ポケット内に青色プラスチックライター、上着左ポケット内に黒色メモ帳、 タバコ(赤色と白色でハングル文字、商品名「ピパド」)  以上5遺体は、平成24年11月28日午前11時40分頃、佐渡市大小921番地付近海岸にて発見の座礁木造船内で遺体で発見され、死後約2~3カ月経過していると推定されます。遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管してありますので、心当たりの方は当市社会福祉課まで申し出てください。 平成25年1月21日 新潟県 佐渡市長 甲斐 元也
12月1日 新潟県佐渡市赤泊杉野浦の海上 木造船(長さ約10m 船内からイカ釣り用の針)・遺体1体(年齢40~50歳前後の男性 死後1~2カ月 胃の中に食べ物なし 遺体は屍蝋化 身長約167cm、 着衣は緑色ニット帽、紺色フード付長袖ジャンパー、黒色長袖作業着、紺色ベスト、 胸に鷲マーク入り紺色長袖トレーナー、紺色ランニングシャツ、 下衣は灰色防寒ズボン、ホック式ベルト、紺色ビニール製ズボン、こげ茶色股引、 緑色ブリーフパンツ、両足に白色と小豆色の格子柄靴下、 ゴム製長靴(サイズ25.0cm、上部中央ハングル)着用) ※別情報 平成24年(2012)12月1日 1日午前7時25分ごろ、新潟県佐渡市杉野浦の海岸近くで木造船が転覆しているのを付近の住人が見つけ、第9管区海上保安本部(新潟)に通報。 9管によると、船内から成人とみられる男性1人の遺体が見つかった。 男性はハングルが書かれた長靴を履いていた。 船は底が平らで、タール状の黒い塗料が付着しており、船内からイカ釣り用の針が見つかった。 9管と県警は、船の特徴などから北朝鮮の漁船が漂着したとみて、男性の身元や死因を調べる。 船は長さ約10メートル。海岸から20~30メートル沖を漂流していた。 遺体は身長約167センチ。 ジャンパーと防寒ズボンを着ていた。 外傷はなく、船内で長時間水に漬かっていた形跡があった。 死後2週間以上経過しているという。
12月1日 新潟県佐渡市杉野浦 木造船・遺体1体 ■官報号外第11号 平成25年(2013)1月21日  本籍・住所・氏名不詳、推定年齢40~50歳代前後の男性、身長約167cm、着衣は緑色ニット帽、紺色フード付長袖ジャンパー、黒色長袖作業着、紺色ベスト、胸に鷲マーク入り紺色長袖トレーナー、紺色ランニングシャツ、下衣は灰色防寒ズボン、ホック式ベルト、紺色ビニール製ズボン、こげ茶色股引、緑色ブリーフパンツ、両足に白色と小豆色の格子柄靴下、ゴム製長靴着用(サイズ25.0cm、上部中央ハングル文字)  上記の者は、平成24年12月1日午後0時13分頃、佐渡市赤泊2208番地先の海上において、転覆した木造船内にて遺体で発見され死後1~2カ月経過していると推定されます。遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管してありますので、心当りの方は、当市社会福祉課まで申し出て下さい。 平成25年1月21日 新潟県 佐渡市長 甲斐 元也 ※午前7時25分ごろ、新潟県佐渡市杉野浦の海岸近くで木造船が転覆しているのを付近の住人が見つけ、第9管区海上保安本部(新潟)に通報。 9管によると、船内から成人とみられる男性1人の遺体が見つかった。 男性はハングルが書かれた長靴を履いていた。 船は底が平らで、タール状の黒い塗料が付着しており、船内からイカ釣り用の針が見つかった。 9管と県警は、船の特徴などから北朝鮮の漁船が漂着したとみて、男性の身元や死因を調べる。船は長さ約10メートル。海岸から20~30メートル沖を漂流していた。 遺体は身長約167センチ。 ジャンパーと防寒ズボンを着ていた。 外傷はなく、船内で長時間水に漬かっていた形跡があった。 死後2週間以上経過しているという。 ※第9管区海上保安本部(新潟市)は4日、遺体の司法解剖を行った。 解剖の結果、遺体は40~50代の成人男性で死後1~2カ月が経過。 死因は不明。 胃の中に食べ物はなく、遺体には長期間水につかった際にみられる「死ろう化」が起きていた。
12月1日 新潟県佐渡市北鵜島の海岸 木造船の一部(右舷部分とみられる長さ約4メートルの木片 船首付近にハングルと数字)  上記の者は、平成24年12月1日午後0時13分頃、佐渡市において、 転覆した木造船内にて遺体で発見され死後1~2カ月経過していると推定されます。遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管)。
12月10日 石川県輪島市鳳至町袖ヶ浜海水浴場 木造船・遺体船内に1体海上に3体 ■官報号外第11号 平成25年(2013)1月21日  1.本籍・住所・氏名不詳、身長164cmから172cm位、男性、黒色パンツ着用、所持金品なし  上記の者は、平成24年12月10日午前10時3分頃、石川県輪島市鳳至町袖ヶ浜43番地 袖ヶ浜海水浴場に漂着した木造船の中で発見された。 2.本籍・住所・氏名不詳、身長162cm、体格細身、男性、上衣は黒色ネックウォーマー、黒色ゴム合羽、茶色ジャンパー、緑色迷彩柄ボタン留上着、灰色パーカー、黒色シャツ、肌色シャツ、赤色Tシャツ、下衣は透明ビニール製合羽ズボン、茶色防寒ズボン、緑色迷彩柄ズボン、緑色布ベルト、(金属製バックルに星マーク)、紺色ジャージ、灰色長股引、白色トランクス、足部は黒色ゴム長靴(サイズ24cm)、黒��靴下、灰色靴下 上記の者は、平成24年12月16日午前11時30分頃、石川県輪島市名舟町卜部27番地3地先 名舟港西側防波堤先端から西方70m付近海上にて発見された。 3.本籍・住所・氏名不詳、身長162.5cm、男性、上衣は黒色上衣でポケットに煙草、ライター、時計を所持、茶色の長袖Tシャツ、黒色半袖Tシャツ、下衣は灰色ズボン、灰色股引、青色ブリーフ、足部は黒色靴下 上記の者は、平成24年12月16日午前11時30分頃、石川県輪島市名舟町卜部27番地3地先名舟港西側防波堤先端から西方50m付近海上にて発見された。 4.本籍・住所・氏名不詳、身長163cm、男性、体格中肉、左後前腕部に縦6cm、横8cmの範囲で刺青、着衣及び所持品なし 上記の者は、平成24年12月16日午後2時零分頃、石川県輪島市名舟町卜部27番地3地先名舟港西側防波堤先端から80m付近海上にて発見された。  上記4件、身元不明のため遺体は火葬に付し、遺骨は保管していますので、 心当たりの方は輪島市福祉事務所まで申し出て下さい。 平成25年1月21日 石川県 輪島市長 梶 文秋
12月12日 石川県輪島市 木造船(長さ約11m幅約3.5m 船首両横にハングル、漁網や釣り針)内から遺体1体(一部白骨化) (270110読売記事では「輪島市沖合で木造船の漂着や漂流が相次ぎ、漂流した船体の近くで3遺体が見つかる」)
■■■■平成25年(2013)■■■■
1月5、6日 石川県志賀町福浦漁港近く海岸 遺体2体 ■官報号外第25号 平成25年(2013)2月8日  1.本籍・住所・氏名・年齢不詳、推定身長165cmの男性、黒色パンツ1枚、黒色靴下片方、所持金品なし  上記の者は、平成25年1月5日午前8時30分頃、石川県羽咋郡志賀町福浦港甲の2番地から西方図測200mの海岸潮溜まり付近で遺体で発見された。死亡の日時、死因は不詳 2.本籍・住所・氏名・年齢不詳、推定身長165cmの男性、着衣及び所持金品は茶色ズボン、紺色ズボン(ベルト付き)、灰色ズボン下、 白色ズボン下各1本、白色ブリーフ1枚、黒色靴下1足、北朝鮮200ウォン紙幣1枚   上記の者は、平成25年1月6日午後4時5分頃、石川県志賀町福浦港浦42番地1、福浦みなと会館から西方図測150mの海岸波打ち際で遺体で発見された。死亡の日時、死因は不詳。遺体はそれぞれ火葬に付し、遺骨は保管してあります。心当たりの方は志賀町健康福祉課まで申し出て下さい。 平成25年2月8日 石川県 志賀町長 小泉 勝
2月23日 鳥取県鳥取市 遺体1体 ■官報号外第76号 平成25年(2013)4月9日 ※平成24年(2012)12月に遭難した北朝鮮貨物船大角峰(TAEGAKBOMG)号乗組員の可能性あり 本籍・住所・氏名不詳、年齢25歳前後~50歳前後の男性、身長約178cm、遺留品はドライスーツ(中国語表記)、ジャンパー、長袖シャツ2着、半袖Tシャツ、ズボン、ウインドブレーカーズボン、股引、ブリーフ、靴下、手袋、筒、写真(金日成、金正日A4版各1枚)、スパナ、ライター、煙草  上記の者は平成25年2月23日午後2時頃、鳥取市福部町湯山2164番地661から西北西方約800mの砂浜で鳥取砂丘の漂流物の確認作業をしていた団体職員が漂着した状況の死体を発見しました。死亡日時及び死因については 高度腐敗状態であったため特定できませんでした。遺体は火葬に付し遺骨は鳥取市内の寺院にて永代供養とさせていただき、遺品につきましては当市にて保管しております。心当たりがある方は当市福祉保健部生活福祉課まで申し出てください。 平成25年4月9日 鳥取県 鳥取市長 竹内 功
3月5日 島根県江津市黒松地内平島 遺体1体 ※平成24年(2012)12月に遭難した北朝鮮貨物船大角峰(TAEGAKBOMG)号乗組員の可能性あり ■官報号外第90号 平成25年(2013)4月26日   本籍・住所・氏名不詳、年齢30歳代~50歳代(推定)の男性、身長約171cm、遺留品は、緊急用救命衣(エンジ色)、作業衣(茶色)、セーター(黒色)、スウェット(紺色)、ブロック柄長袖シャツ、白色肌着、茶色作業ズボン、スウェットズボン(紺色)、ブロック柄ももひき、縦縞柄トランクス、黒色靴下、紺色靴下、赤色筒(写真 金日成、金正日各1枚在中)。  上記の者は、平成25年3月5日午後0時14分、江津市黒松町地内平島の風車の下付近において、漂着した状態の死体で発見されました。 身元不明のため、遺体を火葬に付し、遺骨は保管してあります。心当たりの方は、当市福祉事務所まで申し出てください。 平成25年4月26日 島根県 江津市長 田中 増次
4月27日 新潟県糸魚川市市田海海岸 遺体1体 ※平成24年(2012)12月に遭難した北朝鮮貨物船大角峰(TAEGAKBOMG)号乗組員の可能性あり ※読売新聞平成25年4月27日 21:20 27日午後3時25分頃、新潟県糸魚川市田海の海岸で、あおむけに倒れている男性の遺体を散歩中の人が見つけ、消防に通報。 遺体は一部が白骨化しており、衣服の左胸に北朝鮮の金日成主席と金正日総書記が描かれたバッジが付いていた。 県警は北朝鮮関係者とみて調べている。 糸魚川署の発表によると、遺体は、年齢は不明で、身長は1メートル50程度。目立った外傷はなく、白髪交じりで頭部は白骨化していた。 死後数か月とみられる。 オレンジ色の救命胴衣のようなものを装着し、その下に灰色の服を着ていた。
4月27日 島根県松江市秋鹿町須賀神社東方500メートル岩場 遺体1体 ※平成24年(2012)12月に遭難した北朝鮮貨物船大角峰(TAEGAKBOMG)号乗組員の可能性あり ■官報号外第123号 平成25年(2013)6月13日   本籍・住所・氏名・年齢不詳、身長167cmの男性、着及び所持品、オレンジ色ドライスーツ、黒色ジャンパー、黒色ベスト、灰色セーター、紺色長袖Tシャツ、白色肌着、薄紫色作業ズボン、灰色股引、紺色股引、紫色パンツ、 靴下2双(重ね履き)、紺色スニーカー、赤色鉄製の筒(金正日、金日成の肖像画入り)、 軍手1双、携帯電話、鍵束、ガム、タバコ、ライター、現金3万8千ウォン。 上記の者は、平成25年4月27日に松江市秋鹿町1632番地 須賀神社の東方約500mの海岸(岩場)で発見され、 死亡推定日時は平成24年12月頃(推定)であり、死因は不明です。遺体は火葬に付し、遺骨は松江市斎場に保管してあります。心当たりの方は当市福祉事務所まで申し出てください。 平成25年6月13日 島根県 松江市長 松浦 正敬
4月28日 秋田県男鹿市 遺体1体 金日成・金正日の写真の入った筒を持っていた。 ※平成24年(2012)12月に遭難した北朝鮮貨物船大角峰(TAEGAKBOMG)号乗組員の可能性あり
5月21日 青森県深浦町大字北金ヶ沢 遺体1体 ■官報 平成25年(2013)7月9日 本籍・住所・氏名・年齢不詳。 身長160cm位、体格中肉の男性。 船舶の救命衣様ピンク色スーツ、紺色ジャンパー、紺色長袖ワイシャツ、 灰色長袖トレーナー、灰色長袖Tシャツ、紺色ズボン、灰色ズボン、 ベージュ色スウェットズボン、黒色ブリーフ、黒色靴下1足、黒短靴1足。 所持金は、北朝鮮ウォンと推定される紙幣30枚、10ドル紙幣5枚、100ドル紙幣1枚。  上記の者は、平成25年5月21日午前6時20分頃、 青森県西津軽郡深浦町大字北金ヶ沢字榊原〇〇 から 東方約160メートルの岩礁でウェットスーツを着て 顔が白骨化した状態で発見されたもので、死因は不詳。 遺体は、平成25年6月12日ふかうら斎苑において火葬し、 大字深浦字尾上山41番地1深浦霊園内に無縁仏として遺骨を保管してあるので、 心当たりの方は深浦町役場町民課まで申し出て下さい。 平成25年7月9日 青森県 深浦町長
7月23日 島根県西ノ島町 遺体1体 ※平成24年(2012)12月に遭難した北朝鮮貨物船大角峰(TAEGAKBOMG)号乗組員の可能性あり ■官報号外第179号 平成25年(2013)8月16日   本籍・住所・氏名不詳、年齢は20歳~50歳代、身長180cm位、性別男性、着衣は長袖シャツ、黒色トレーナー、下着、毛糸帽子、靴、ズボンベルト付き、ジャンパー、ドライスーツ(背中に「02 TAEGAKBONG NAM PHO」と記載)等、 遺留品は腕時計、ライター、鍵束、無線機様のもの、金属筒(中には北朝鮮の故主席の肖像画2枚) 。  上記の者は、平成25年7月23日午後2時15分頃 島根県隠岐郡西ノ島町大字美田の海岸で発見されました。 死因不詳、死亡時期は平成24年12月頃と推定されます。身元不明のため、遺体は火葬に付し、遺骨は当町内の常福寺で保管してあります。心当たりの方は、当町役場健康福祉課まで申し出てください。 平成25年8月16日 島根県 西ノ島町長 升谷 健
11月15日 新潟県佐渡市沖の海、姫津沖約5.5キロ、木造船(船尾水没 操舵室上部に赤い塗料でハングル、ジャンパーのような衣類) ※新潟・佐渡市沖の海で15日、無人で漂流している木造の船が見つかった。 船にはハングルのような表記があり、警察などは、どこから流れてきたのか詳しく調べる方針。 15日正午過ぎ、佐渡市姫津から約5.5キロの沖合の海で、「船が漂流している」と地元の漁業関係者から佐渡海上保安署に通報があった。巡視船などが急行し、無人で船尾を水没させて漂流している木造の船を確認。佐渡市の二見港までえい航した。操舵(そうだ)室の上部には赤い塗料でハングルらしき表記がかかれてあり、ジャンパーのような衣類とみられるものもあった。 佐渡海上保安署と警察は、週明けにも船を引き揚げた上で詳しく調べる考え。
12月11日 山形県酒田市緑が丘 遺体1体 ■官報号外第18号 平成26年(2014)1月29日 本籍・住所・氏名不詳、60歳代前後の男性、身長170cm位、所持金品(1,000北朝鮮ウオン紙幣1枚、10北朝鮮ウオン紙幣1枚、5北朝鮮ウオン紙幣3枚、たばこ1個、簡易ライター1個、腕時計1個)、着衣(茶色長袖作業服、黒色長袖セーター、黒色ロングTシャツ、白色半袖肌着、茶色作業ズボン、黒色毛糸股引、灰色ズボン下、白色パンツ、右足に黒色靴下)  上記の者は、平成25年12月11日午前10時35分頃、山形県酒田市緑ヶ丘2丁目4番地の15 佐藤茂子方西方約680mの砂浜において発見されたもので、平成25年1月から6月の間に死亡したと推定されています。遺体は火葬に付し遺骨は仮安置しています。心当たりのある方は当市福祉課まで御連絡下さい。 平成26年1月29日 山形県 酒田市長 本間 正巳
12月16日 新潟県佐渡市高瀬 遺体1体(女性・韓国人の可能性も) ■官報号外第16号 平成26年(2014)1月27日  1、本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30~50歳前後の女性、体長150cm位、黒色ブラジャー、黒色ヘアゴム、黒色ジーンズ、黒色タイツ、黒色パンツ、黒色靴下、防寒ブーツ(半足)を着用、外国紙幣(韓国1千ウオン)5枚を所持 上記の者は、平成25年12月16日佐渡市高瀬408番地2先海岸にて遺体で発見され、死後1か月経過していると推定されます。  以上2遺体(20日の男性遺体と)は、火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管してありますので、心当たりの方は、当市社会福祉課まで申し出てください。平成26年1月27日 新潟県 佐渡市長 甲斐 元也
12月18日 新潟県岩船郡粟島浦村 木造船(長さ約12m・幅約3.5m 船首にハングル 船内からイカ釣り漁の針や「朝鮮平壌」と書かれた箸)・遺体1体(身長約1m75センチ、防寒ジャンパー着用・死後数週間)(251218読売東京朝刊)
12月20日 新潟県佐渡市豊田 遺体1体 ■官報号外第16号 平成26年(2014)1月27日  2、本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30~40歳前後の男性、体長(頭部から脛骨下部まで)156cm位、着衣、所持金品なし。上記の者は、平成25年12月20日 佐渡市豊田2082番地 新潟県水産海洋研究所先海岸にて遺体で発見され、 死後1~3か月経過していると推定されます。以上2遺体(18日の遺体と)は、火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管してありますので、心当たりの方は、当市社会福祉課まで申し出てください。 平成26年1月27日 新潟県 佐渡市長 甲斐 元也
12月24日 秋田県男鹿市北浦湯本 木造船(長さ約12m幅約3.5m船内に漁網など)・遺体3体(251225読売秋田版)※本船は30年8月時点でも現存 ■官報号外第17号 平成26年(2014)1月28日  1、本籍・住所・氏名不詳、年齢30~50歳代、頭部欠落、一部白骨化した全長148cmの男性、死因不詳、着衣、上衣なし、下衣、カッパズボン、ビニール製ズボン、ズボン、ジャージズボン2本、ズボン下、ステテコ、パンツ、靴下(右足のみ2足)、長靴(右足のみ)、所持品なし  上記の者は、平成25年12月24日午前11時20分、秋田県男鹿市北浦湯本字高田地先所在の湯之尻漁港から東方約500mの消波ブロックに接岸した木造船内にて発見されました。 死亡の日時は平成25年頃と推定されます。 遺体は火葬に付し、遺骨は本市洞泉寺に保管しております。 お心当たりの方は本市福祉事務所までお申し出ください。 2、本籍・住所・氏名不詳、年齢50~60歳代、両手首欠落、頭部白骨化した全長169cmの男性、死因不詳、着衣、上衣、Tシャツ、下衣、カッパズボン、トランクス、靴下、所持品なし  上記の者は、平成25年12月24日午後1時05分、秋田県男鹿市北浦湯本字高田地先所在の湯ノ尻漁港から東方約500mの消波ブロックに接岸した木造船内にて発見されました。死亡の日時は平成25年頃と推定されます。遺体は火葬に付し、遺骨は本市洞泉寺に保管しております。お心当りの方は本市福祉事務所までお申し出ください。 3、本籍・住所・氏名不詳、年齢30~50歳代、上半身欠落、一部白骨化した全長160cmの男性、死因不詳、着衣、上衣なし、下衣、ズボン、トランクス��所持品なし  上記の者は、平成25年12月24日午後1時07分、秋田県男鹿市北浦湯本字高田地先所在の湯ノ尻漁港から東方約500mの消波ブロックに接岸した木造船内にて発見されました。死亡の日時は平成25年頃と推定されます。遺体は火葬に付し、遺骨は本市洞泉寺保管しております。お心当りの方は本市福祉事務所までお申し出ください。 平成26年1月28日 秋田県 男鹿市長 渡部 幸男
12月28日 新潟県長岡市寺泊野積海岸 木造船(長さ8.25m幅2m 船首に数字やハングル)(251229読売新潟南版)
12月29日 新潟県柏崎市西山町石地海岸 木造船(長さ6.6m幅1.7m 船首に数字やハングル)(251230読売新潟南版)
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1月16日 島根県出雲市大社町鵜峠海上 遺体1体 ■官報号外第31号 平成26年(2014)2月17日  本籍・住所・氏名・生年月日不詳、推定年齢10歳代~30歳代の男性、身長は177cm(中肉)、着衣は茶色ジャンパー、薄茶色作業着、紺色トレーナー、革製黒色ベルト、茶色ズボン、紫色ボクサーパンツ、 所持金品は、紙幣2枚(北朝鮮発行の1,000ウォン札2枚)  上記の者は、平成26年1月16日午前9時25分頃、島根県出雲市大社町鵜峠293番地1北東約50メートルの海中にて うつ伏せの状態で浮遊しているのを発見。 死亡推定日時は、平成25年頃。 身元不明につき遺体は火葬に付し、出雲市無縁墳墓に安置しており、 遺品については当市にて保管しております。心当たりの方は、当市福祉事務所まで申し出てください。平成26年2月17日 島根県 出雲市長 長岡 秀人
1月23日 福井県三方郡美浜町 遺体1体 ■官報 平成26年(2014)2月27日 本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性。推定身長175cm前後、 死後2~3ヶ月経過、オレンジライフジャケット、黒色ジャンパー、 黒色トレーナー、シャツ、黒色皮手袋(左手用)、 黒色ズボン、黒色パンツ、黒色靴下。上記の遺体は、平成26年1月23日美浜町松原〇〇 北方約35m先の砂浜で変死体で発見されました。身元不明のため火葬に付し遺骨は保管しています。心当たりの方は、美浜町住民環境課まで申し出てください。 平成26年2月27日 福井県 美浜町長
8月 石川県珠洲市沖合で北朝鮮船の乗組員4人救助(後に大連経由で帰国)
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1月9日 石川県羽咋郡志賀町安部屋漁港北400m 木造船・生存者1人(服などが入っている透明ビニール袋を所持 61歳 後に帰国) 平成27年(2015)5月21日に新潟県佐渡市で発見された30歳~50歳代の男性遺体情報。
5月21日 新潟県佐渡市羽茂港沖海上 遺体1体 ■官報 平成27年(2015)7月6日 本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30歳~50歳代の男性。身長166cm、中肉、着衣は黒色 トレーナー、灰色地に黒色波線模様のトランクス(タグは中国語表記、サイズXXXL)、 紺色靴下(左足)着用、所持金品なし。  上記の遺体は、平成27年5月21日佐渡市羽茂大橋3382番地先の羽茂港西防波堤灯台から 真方位86度0.5海里付近海上にて遺体で発見され、死後3~6か月経過していると推定 されます。遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管してありますので、心当たりの方は、当市社会福祉課まで申し出てください。 平成27年7月6日 新潟県 佐渡市長
7月23日 青森県下北郡佐井村矢越漁港 木造船1隻(271209読売)
10月27日 青森県下北郡佐井村福浦漁港 遺体1体 ※271209読売には木造船の漂着も記載されている ■官報 平成27年(2015)12月7日 本籍・住所・氏名不詳。 推定年齢中年齢層(40歳代中心)の男性。身長161cm、着衣及び所持品は、 紺色チャック付スウェット、紺色スウェットズボン、水色長袖シャツ、水色もも引き、白色肌着、 黒色下着、紺色靴下、裾止めバンド、紺色紐付茶色布袋、白色発泡スチロール2個、白色蓋付 プラスチック製容器、煙草。上記の者は、平成27年10月27日午前9時12分頃青森県下北郡佐井村大字長後字福浦30番地所在の 佐井村漁業協同組合福浦支所から北西約50メートル付近海域(北緯41度19.70分 東経140度4820分)にて発見されたものである。 死後不詳、死因は不明。 身元不明のため、当村で火葬に付し、遺骨を保管しておりますので、心当たりの方は、 当村役場住民福祉課福祉・健康推進係までお申し出ください。平成27年12月7日 青森県 佐井村長
11月1日 秋田県山本郡三種町沖 木造船(271209読売)
11月2日 秋田県男鹿市 木造船(271209読売)
11月6日 北海道松前郡松前町字茂草 木造船・遺体2体 ■官報 平成28年(2016)3月2日 【男性1】 本籍・住所・氏名不詳。 推定年齢50歳ないし60歳代。 性別男性と推定。身長179cm、 右眉毛部内側に弧状の傷様斑痕あり、着衣は紺色長袖カッパ、紺色長袖ポロシャツ、 緑色長袖ボタンシャツ、緑色長袖シャツ、灰色半袖シャツ、茶色カッパズボン、紺色ズボン、 茶色股引、赤・緑色トランクス、紺色靴下 (中略) 身元不明のため遺体は火葬に付してます。 遺骨は保管してありますので心当たりの方は、当町福祉課まで申し出て下さい。 平成28年3月2日 北海道 松前郡松前町長 【男性2】 本籍・住所・氏名不詳。推定年齢50歳ないし60歳代。 性別は男性と推定。身長175cm、 一部生前脱落の歯牙がある、右下腹部に6cmの白色斑痕あり(虫垂切除)、着衣は透明色長袖カッパ (フード付き)、青色長袖ジャンパー(ボア付き)、緑色半袖カッパ、灰色長袖ポロシャツ、 黒色長袖シャツ、白色軍手、黒色カッパズボン、灰色スエットズボン、茶色ボクサーパンツ、紺色靴下1枚(右足のみ)。  以上の2人の男性遺体は、平成27年11月6日、松前郡松前町字茂草無番地、取り付け階段から南西方向約83m地点の砂浜に座礁した木製小型船舶内で発見された。 2遺体とも死因・死亡の場所は不明、死後3週間以上2カ月以内と推定。身元不明のため遺体は火葬に付し、遺骨は保管してありますので心当たりの方は、当町福祉課まで申し出て下さい。
11月7日 青森県五所川原市磯松磯野 遺体1体 ■官報号外第22号 平成28年(2016)2月1日  本籍・住所・氏名不詳、年齢40~50歳代と推定の男性、身長173cm、着衣は紺色ズボン、茶色股引、紺色トランクス、黒色靴下、黒色長靴(前面と側面にハングル文字、底面に 「MADE IN DPRK」と刻印されたもの)所持金品はなし  上記の者は、平成27年11月7日午前10時頃、青森県五所川原市磯松磯野地内、磯松南口バス停留所から 南西方向約400mの海岸で、砂浜上に頭部を南方向に向けて俯せの状態の死体が死因不詳で発見されました。 身元不明のため遺体は火葬に付し、遺骨は保管してありますので、心当たりのある方は、当市福祉事務所保護福祉課までお申し出ください。 平成28年2月1日 青森県 五所川原市長 平山 誠敏
11月14日 新潟県佐渡市岩首漁港沖 木造船(長さ約13m幅約3m 黒ずんだ船体にハングル リュックサックに金正日バッジ)・遺体1体(上下黒の衣服)荒天のため12月2日に海保が引き揚げ発表(271209読売)
11月19日 秋田県能代市沖 木造船・遺体2体 ■官報 平成27年(2015)12月21日 【男性1】 本籍・住所・氏名不詳。 推定年齢40歳代~50歳代の男性。 身長169cm、パンツ着用。【男性2】 本籍・住所・氏名不詳。 推定年齢10歳代後半~20歳代の男性、身長152cm、迷彩色柄ズボン、 下ズボン、パンツ、靴下。 上記2人の遺体男性は、平成27年11月19日午前9時35分頃、秋田県能代市浅内字下西山1番地所在の 宇宙開発機構実験場から南方4キロメートルの能代市浅内字砂山地内の日本海に面した砂浜上で 発見されました。 以上2件、遺体は火葬に付し、遺骨は上宮山敬正寺に安置してあります。 心当たりの方は、当市市民福祉部福祉課まで申し出てください。 平成27年12月21日 秋田県 能代市長
11月20日 石川県輪島市沖 木造船3隻・遺体10体 ■官報号外第4号 平成28年(2016)1月7日  1.本籍・住所・氏名不詳、推定40歳代から60歳代の男性、身長163cm、着衣は上衣黒色セーター、灰色トレーナー、灰色長袖肌着、灰色半袖肌着、下衣作業ズボン、黒色ジャージズボン、灰色股引、黒色ボクサーパンツ、黒色靴下、所持品なし 上記の者は、平成27年11月20日午前10時55分、石川県輪島市門前町吉浦サル山1番3所在猿山岬灯台から真方位188度3,400m付近の海上で、曳航中の転覆木造船付近にうつ伏せ状態で漂流しているところを発見され、死後1箇月半~2箇月経過していると推定されます。 2.本籍・住所・氏名不詳、推定50歳代から70歳代の男性、身長170cm、着衣は上衣灰色長袖フリース、灰色半袖肌着、下衣茶色ズボン、灰色スウェット、灰色ブリーフ、所持品なし、 上記の者は、平成27年11月20日、輪島市門前町鹿磯27の50地先の鹿磯漁港に陸揚げされた木造船内で発見され、死後1箇月半~2箇月経過していると推定されます。 3.本籍・住所・氏名不詳、推定40歳代から60歳代の男性、身長169cm、着衣は上衣灰色ジャンパー、白色長袖シャツ、白色半袖シャツ、下衣灰色ズボン2枚、黒色ジャージ、紫色ボクサーパンツ、黒色靴下、黒色長靴、所持品はハングル文字等が書かれた紙(千切れた状態)30葉位、ハングル文字が記載された菓子袋1袋、包丁1本、紐1本 上記の者は、平成27年11月20日、輪島市門前町鹿磯27の50地先の鹿磯漁港に陸揚げされた木造船内で発見され、死後1箇月半~2箇月経過していると推定されます。 4.本籍・住所・氏名不詳、推定40歳代から60歳代の男性、身長171cm、頭部に黒色直毛(最長約5cm)が残存、 着衣は上衣灰色ベスト、黒色長袖セーター2枚、赤色半袖Tシャツ、下衣茶色作業ズボン、黒色ジャージ、黒色スパッツ、黒色ボクサーパンツ、所持品はライター1個、巻飯用紫菜と記載のビニール袋1袋 上記の者は、平成27年11月20日、輪島市門前町鹿磯27の50地先の鹿磯漁港に陸揚げされた木造船内で発見され、死後1箇月半~2箇月経過していると推定されます。 5.本籍・住所・氏名不詳、推定30歳代後半から50歳代前半の男性、身長182cm、中肉、白髪が混在、着衣は上衣紺色長袖作業服、えんじ色長袖セーター、灰色半袖シャツ、下衣えんじ色長ズボン、灰色半ズボン、灰色パンツ、黒色靴下、所持品なし 上記の者は、平成27年11月21日、輪島市門前町鹿磯27の50地先の鹿磯漁港に陸揚げされた木造船内で発見され、死後1箇月半~3箇月経過していると推定されます。 6.本籍・住所・氏名不詳、推定20歳代から40歳代の男性、身長167cm、中肉、後頭部に僅かな黒色頭髪 (最長約3cm)が残存、着衣は上衣灰色半袖シャツ、黒色タンクトップ、灰色長袖作業着(左胸に金日成の顔入りバッジ)、下衣灰色作業ズボン(ベルト付)、白色ステテコ、黒色パンツ、所持品なし 上記の者は、平成27年11月21日、輪島市門前町鹿磯27の50地先の鹿磯漁港に陸揚げされた木造船内で発見され、死後1箇月半~3箇月経過していると推定されます。 7.本籍・住所・氏名不詳、推定40歳代から60歳代前半の男性、身長172cm、中肉、白髪が混在、着衣は上衣灰色長袖作業服、紺色長袖シャツ、紺色タンクトップ、下衣灰色長ズボン、灰色スウェットズボン、紺色ひざ丈ズボン、灰色パンツ、所持品なし 上記の者は、平成27年11月21日、輪島市門前町鹿磯27の50地先の鹿磯漁港に陸揚げされた木造船内で発見され、死後1箇月半~3箇月経過していると推定されます。 8.本籍・住所・氏名不詳、推定40歳代後半から60歳代の男性、身長175cm、中肉、後頭部に黒色直毛 (最長2cm)が僅かに残存し白髪が混在、着衣は上衣灰色長袖作業服、黒色長袖シャツ、黒色半袖シャツ、下衣紺色長ズボン、灰色スウェットズボン、紺色半ズボン、黒色パンツ、両足黒色靴下、右足ゴム長靴、所持品なし 上記の者は、平成27年11月21日、輪島市門前町鹿磯27の50地先の鹿磯漁港に陸揚げされた木造船内で発見され、死後1箇月半~3箇月経過していると推定されます。 9.本籍・住所・氏名不詳、推定30歳代から50歳代の男性、身長169cm、中肉、着衣は上衣灰色長袖トレーナー、 灰色半袖シャツ、下衣灰色長ズボン(ベルト付)、黒色長ズボン、灰色パンツ、両足黒色靴下、所持品は 黒色腕時計1個 上記の者は、平成27年11月21日輪島市門前町鹿磯27の50地先の鹿磯漁港に陸揚げされた木造船内で発見され、死後1箇月半~3箇月経過していると推定されます。 10.本籍・住所・氏名不詳、推定30歳代後半から50歳代前半の男性、身長177cm、中肉、着衣は上衣灰色ジャンパー、黒色セーター、赤色半袖シャツ、下衣紺色長ズボン、灰色スウェットズボン、灰色長ズボン、紫色パンツ、所持品なし 上記の者は、平成27年11月21日、輪島市門前町鹿磯27の50地先の鹿磯漁港に陸揚げされた木造船内で発見され、死後1箇月半~3箇月経過していると推定されます。 以上10遺体は、身元不明のため火葬に付し、遺骨は保管していますので、心当たりの方は当市福祉課まで申し出てください。 平成28年1月7日 石川県 輪島市長 梶 文秋
11月22日 福井県坂井市沖 遺体2体 ■官報 平成27年(2015)12月11日 【男性1】 本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20歳代から40歳代前後の男性。 身長165cm、体重49.5kg、 足底部23cm、着衣は黒色トレーナー、黒色長袖シャツ、灰色タンクトップ、紺色長ズボン、 黒色股引、黒色ボクサーブリーフ、紺色靴下(右足のみ)、所持品はロープ 。 【男性2】 本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20歳代から40歳代前後の男性。 身長145cm、残体重38.8kg、推定身長160から165cm、着衣は灰色半袖Tシャツ、黒色スラックス、黒色ベルト、 黒色下衣防寒衣、黒色股引、チェック柄トランクス、灰色ブリーフ、黒色靴下、所持品は ロープ片1束、木栓様の木片3本。 上記2人の遺体は、平成27年11月22日午後3時30分頃、北緯36度47.10分、東経135度24.70分付近 海上にて発見され、死後1~3ヶ月経過していると推定されます。 身元不明につき遺体は 火葬に付し、遺骨は保管しています。 心当たりの方は坂井市社会福祉課まで申し出てください。 平成27年12月11日 福井県 坂井市長
11月22日 福井県越前町沖 木造船・遺体9体(271209読売) ■官報 平成27年(2015)12月18日 【男性1】本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性。身長約160cm、尺骨と足部の白骨 死体、着衣、所持品なし。 【男性2】本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性。身長約160cm、頭部と左上腕骨の 白骨死体、着衣、所持品なし。 【男性3】本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性。身長約165cm、腰部と下肢がない 白骨死体、着衣、所持品なし。 【男性4】本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性。身長約165cm、両上肢と腰部がない 白骨死体、着衣、所持品なし。 【男性5】本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性の白骨死体。身長約165cm、着衣は 黒色ボクサーパンツ、所持品なし。 【男性6】本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性の白骨死体。身長約180cm、着衣は 赤色ブリーフ、所持品なし。 【男性7】本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性。身長約170cm、腰部がない白骨死体、 着衣、所持品なし。  上記7人の遺体は、平成27年11月24日午後3時20分、北緯36度47.10分、東経135度24.70分 付近海上にて発見された座礁木造船を福井港北埠頭2号岸壁に搬送し陸揚げした船内にて 発見され、死後1~3ヶ月経過していると推定されます。 【男性1】本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性。身長約165cm、頭部と下半身の白骨 死体、着衣は黒色ジャージズボン、紺色股引、黒色ボクサーブリーフ、黒色靴下、所持品なし、 死後3ヶ月以上(推定)。 【男性2】本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性。身長約170cm、腰部と大腿骨のみの 白骨死体、着衣は緑色長ズボン、黒色ベルト、黒色ジャージズボン、灰色ハーフパンツ、赤色 ボクサーブリーフ、所持品なし、死後1~3ヶ月(推定)。  上記2人の遺体は、平成27年11月22日午後3時30分頃、北緯36度47.10分、東経135度24.70分 付近海上にて発見された。上記9人の遺体は、身元不明につき遺体は火葬に付し、遺骨は保管しています。心当たりの方は 坂井市社会福祉課まで申し出てください。 平成27年12月18日 福井県 坂井市長
11月22日 新潟県佐渡市沖 木造船(271209読売)
11月23日 石川県輪島市沖 木造船の一部(271209読売)
11月 石川県輪島市沖木造船3隻・遺体10体(産経ニュース・ TBS動画ニュースサイト・毎日新聞11月28日)
12月2日 兵庫県美方郡新温泉町沖 木造船の一部(271209読売)
12月2日 新潟県佐渡市岩首 木造船・遺体1体  ■官報号外第10号 平成28年(2016)1月18日  本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30歳~40歳前後の男性、身長168cm、着衣は救命胴衣、黒色タートルネックセーター、長袖シャツ、黒色スウエットズボン、黒色ボクサーブリーフを着用  上記の者は、平成27年12月2日 佐渡市岩首109番地先豊岡漁港岩首地区岸壁で引揚げた木造船内から遺体で発見、死後3~6か月経過していると推定されます。 遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺に保管してありますので、心当たりの方は、当市社会福祉課まで申し出てください。 平成28年1月18日 新潟県 佐渡市長 甲斐 元也 ※平成27年(2015)12月2日 新潟県佐渡市の岩首漁港沖でハングルが船体に書かれた転覆している木造船が見つかった。 海上保安本部は2日、船内から成人とみられる1遺体を発見したと明らかにした。先月には石川県輪島市沖でも3隻の木造船から10人の遺体が見つかっていた。第9管区海上保安本部(新潟)は2日、新潟県佐渡市の岩首漁港沖で11月14日にハングルが船体に書かれた木造船が転覆しているのが見つかり、船内から成人とみられる1遺体(上下黒の衣服を身に着けていた)を発見したと明らかにした。また、リュックサックには、故金正日総書記の肖像バッジが入っていた。9管によると、木造船は長さ約13メートル、幅約3メートルで、船体は黒ずんでいた。発見時は荒天で調査が困難だった為、佐渡市が2日に陸に引き上げた。 (記事出典:新潟・佐渡 - 産経ニュース 遺体の衣類についての出典: News i - TBSの動画ニュースサイト  リュックサックについての出典:毎日新聞 2012年11月28日記事)
12月6日 青森県下北郡佐井村長後牛滝漁港 木造船(529-63434 船内にハングルの書かれた救命胴衣)・遺体4体(271207・1209読売東京朝刊) ■官報号外第6号 平成28年(2016)1月12日  1.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢10歳代半ば~後半の男性、身長158cm、着衣は、黒色ジャンバー、長袖シャツ、白色半袖シャツ、灰色ズボン、下ズボン、パンツ(「SHENG XING」の記載あり)、黒色靴下(「BOLO」の記載あり)、靴(右、ひも付き、靴裏「25.0」の表記)、死因は不詳 2.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20歳代後半~30歳代の男性、身長163cm、着衣は、ジャンバー、作業服(上衣)、半袖シャツ、青色合羽(下衣)ズボン(タグに「L」、「MAID IN DPR KOREA3101 0300」の表記あり)、茶色ベルトに(「OK  SAJIALEAT HER  GOOD」の表記あり)、ズボン、下ズボン、灰色パンツ、死因は不詳 3.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢50歳代前後以上の中高年男性、身長166cm、着衣は、茶褐色ジャンバー (タグに「DPR KOREA」の表記あり)、シャツ、緑色半袖シャツ、オーバーズボン、ズボン、パンツ、靴下(「FASHION」の刺繍あり)、長靴(「MADE IN CHINA」の表記あり、正面に「DONFENLU」の表記あり、靴裏に「0」の表記あり)、死因は不詳 4.本籍・住所・氏名不詳、30~40歳代前後の中年男性、身長165cm、腋部に約10cmの瘢痕があり、着衣は、合羽(上衣、「大漁」の表記及鯨のマークあり)、ジャンバー、迷彩柄上衣、セーター、合羽 (下衣、「大漁」の表記及鯨のマークあり)、ズボン、迷彩柄ズボン(茶色ベルトのバックルに星3個及び 動物の絵が記載)、下ズボン、黒色パンツ、ゴム手袋(「999」の表記あり)、靴下、長靴(靴裏に「25」の 表記あり)、死因は不詳  以上4遺体は、平成27年12月6日午前10時52分頃 青森県下北郡佐井村大字長後字牛滝屋敷裏1番地所在の水産物荷捌き施設 佐井漁協牛滝支所から北東約60メートルの地点に陸揚げされた木造船「529-63434」船内にて発見されたものである。 身元不明のため、当村で火葬に付し、遺骨を保管しておりますので、心当たりの方は当村役場住民福祉課福祉・健康推進係までお申し出ください。平成28年1月12日 青森県 佐井村長 樋口 秀視
12月7日 石川県金沢市沖 木造船(271209読売)
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5月20日 青森県下北郡風間浦村易国間桑畑漁港近く 木造船(長さ約6.7m幅約1.5m 左舷船首部分にハングル)(280522読売青森版)
6月5日 青森県むつ市大畑町大畠漁港沖 木造船(全長約9m幅約2.3m 船体に海藻が付着 右舷船首部分にハングル)(280607読売青森版)
10月17日 青森県西津軽郡深浦町沖(十二湖駅近くの岸壁に引航) 木造船(281018読売青森版)
10月18日 青森県下北郡佐井村沖 木造船(長さ12m ズック、手袋、靴下など)(281029読売青森版他)
10月29日 青森県下北郡佐井村牛滝漁港 木造船(長さ6.2m幅2.53m)(281029読売青森版)
10月30日 青森県つがる市七里長浜 木造船(長さ16.2m幅4m 船首に赤色数字 船内にロープや網)(281101読売青森版)
12月2日 京都府舞鶴市小橋 木造船(北朝鮮5000ウォン紙幣2枚、漁具など)・遺体9体 ■官報号外第15号 平成29年(2017)1月25日  1.本籍・住所・氏名不詳、推定50歳~60歳の男性、残身長125センチメートル、着衣及び所持品無し  上記の者は、京都府舞鶴市字小橋の海岸に漂着した転覆木造船及び付近海底から揚収した死体等(人骨のようなものを含む)を、平成28年12月2日(金曜日)午後2時零分頃、京都府舞鶴市字長浜2001番地所在の海上保安学校航空支援センターにおいて照合し、発見されたものです。 2.本籍・住所・氏名不詳、推定50歳以上の男性、残身長50センチメートル、着衣及び所持品は黒色のネックウォーマー  上記の者は、京都府舞鶴市字小橋の海岸に漂着した転覆木造船及び付近海底から揚収した死体等(人骨のようなものを含む)を、平成28年12月2日(金曜日)午後2時零分頃、京都府舞鶴市字長浜2001番地所在の海上保安学校航空支援センターにおいて照合し、発見されたものです。 3.本籍・住所・氏名不詳、推定50歳以上の男性、残身長80センチメートル、着衣及び所持品無し  上記の者は、京都府舞鶴市字小橋の海岸に漂着した転覆木造船及び付近海底から揚収した死体等(人骨のようなものを含む)を、平成28年12月2日(金曜日)午後2時零分頃、京都府舞鶴市字長浜2001番地所在の海上保安学校航空支援センターにおいて照合し、発見されたものです。 4.本籍・住所・氏名不詳、推定50歳以上の男性、残身長169センチメートル、着衣及び所持品は灰色タンクトップ、黒色ジャージズボン、柄物パッチ、靴下  上記の者は、京都府舞鶴市字小橋の海岸に漂着した転覆木造船及び付近海底から揚収した死体等(人骨のようなものを含む)を、平成28年12月2日(金曜日)午後2時零分頃、京都府舞鶴市字長浜2001番地所在の海上保安学校航空支援センターにおいて照合し、発見されたものです。 5.本籍・住所・氏名・年齢不詳の男性、残身長161センチメートル、着衣及び所持品は黒色ズボン、茶色ズボン、黒色ズボン、黒色パッチ、赤色パンツ、靴下(片足)、黒色ゴム長靴  上記の者は、京都府舞鶴市字小橋の海岸に漂着した転覆木造船及び付近海底から揚収した死体等(人骨のようなものを含む)を、平成28年12月2日(金曜日)午後2時零分頃、京都府舞鶴市字長浜2001番地所在の海上保安学校航空支援センターにおいて照合し、発見されたものです。 6.本籍・住所・氏名不詳、推定50歳以上の男性、残身長168センチメートル、着衣及び所持品は緑色コート (ボタン電池様4個、鉛片2個含む)、黒色ベスト、黒色ハイネックセーター、紺色長袖シャツ、黒色長袖シャツ、緑色タンクトップ、茶色ズボン、茶色パッチ、紺色パッチ、柄物パッチ、柄物トランクス  上記の者は、京都府舞鶴市字小橋の海岸に漂着した転覆木造船及び付近海底から揚収した死体等(人骨のようなものを含む)を、平成28年12月2日(金曜日)午後2時零分頃、京都府舞鶴市字長浜2001番地所在の海上保安学校航空支援センターにおいて照合し、発見されたものです。 7.本籍・住所・氏名・年齢不詳の男性、残身長120センチメートル、着衣及び所持品は茶色ズボン、黒色ズボン、黒色パッチ、黒色パンツ、黒色靴下(片足)  上記の者は、京都府舞鶴市字小橋の海岸に漂着した転覆木造船及び付近海底から揚収した死体等(人骨のようなものを含む)を、平成28年12月2日(金曜日)午後2時零分頃、京都府舞鶴市字長浜2001番地所在の海上保安学校航空支援センターにおいて照合し、発見されたものです。 8.本籍・住所・氏名・年齢不詳の男性、残身長147センチメートル、着衣及び所持品は茶色ズボン、黒色ズボン、黒色ジャージズボン、黒色パッチ、柄物パンツ、靴下  上記の者は、京都府舞鶴市字小橋の海岸に漂着した転覆木造船及び付近海底から揚収した死体等(人骨のようなものを含む)を、平成28年12月2日(金曜日)午後2時零分頃、京都府舞鶴市字長浜2001番地所在の海上保安学校航空支援センターにおいて照合し、発見されたものです。 9.本籍・住所・氏名不詳、推定30歳~50歳の男性、残身長156センチメートル、着衣及び所持品は靴下(片足)  上記の者は、京都府舞鶴市字小橋の海岸に漂着した転覆木造船及び付近海底から揚収した死体等(人骨のようなものを含む)を、平成28年12月2日(金曜日)午後2時零分頃、京都府舞鶴市字長浜2001番地所在の海上保安学校航空支援センターにおいて照合し、発見されたものです。以上9件、遺体は火葬に付し、遺骨は至徳寺に安置しております。心当たりのある方は、当市福祉部福祉援護課まで申し出てください。 平成29年1月25日 京都府 舞鶴市長 多々見 良三
12月12日 新潟県佐渡市願 遺体1体 ■官報号外第16号 平成29年(2017)1月26日  本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性、身長170cm位、体格中肉、着衣、所持金品なし  上記の者は、平成28年12月12日午前8時55分頃、佐渡市願303番地の旅荘先海岸て発見され、死後1~3ヶ月以上経過していると推定されます。遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺に保管してありますので、心当たりの方は、当市社会福祉課まで申し出て下さい。 平成29年1月26日 新潟県 佐渡市長 三浦 基裕
12月19日・20日 佐渡市羽茂���泊海岸 木造船2隻・遺体4体 ■官報号外第16号 平成29年(2017)1月26日   1.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30~50歳前後の男性、身長164cm、着衣は紺色ノースリーブシャツ、下衣は茶色ももひき、紺色靴下着用 2.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~30歳前後の男性、身長165cm、着衣は上衣なし、下衣は黒色ボクサーパンツ (4XLのタグ)、赤色ボクサーパンツ(MENとの黒色刺繍)着用、救命胴衣1着と釣り道具一式の絡まりあり 3.本籍・住所・氏名不詳、年齢不詳の男性(推定)、胸骨体に付着した肋軟骨(骨片1片)、着衣なし 4.本籍・住所・氏名不詳、年齢不詳の男性(推定)、身長160~170cm(推定)右下腿部及び右足部1本(1片)、着衣なし  上記1~4のいずれも所持金品なし  上記1、及び2の者は、平成28年12月19日午後2時45分頃、3、及び4の者は、平成28年12月20日午前9時 10分頃、佐渡市羽茂小泊地内の海岸に漂着した木造船内から遺体で発見され、死後2~4ヶ月前後経過していると推定されます。遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺に保管してありますので、心当たりの方は、当市社会福祉課まで申し出てください。 平成29年1月26日 新潟県 佐渡市長 三浦 基裕
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1月1日 新潟県糸魚川市筒石 木造船の一部
1月6日 新潟県上越市柿崎区 木造船
1月6日 福井県三方郡美浜町菅浜弁天崎南1キロ 木造船(船体にハングルのような文字 船内にエンジンの一部とドラム缶)(290106読売大阪朝刊)
1月6日 石川県志賀町赤崎 遺体1体 ■官報 平成29年(2017)2月28日 本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20歳~50歳位の男性。残存部全長約120cmの下半身のみ、着衣はビニール製透明 カッパズボン、緑色カッパ(海藻が付着したもの)、紺色カッパズボン、茶色長ズボン(裾部に星マークが入った ボタン付きのもの)、鼠色スウェットズボン(FASHIONと記載のタグ付き)、鼠色股引、紺色ボクサーパンツ (GB等と記載のもの)、紺色靴下、所持品は菓子の包装フィルム(ナイロン製、ハングル文字で飴と記載)1枚、 紐1本、輪ゴム1本(全て茶色長ズボンの右ポケット内に在中)。 上記の遺体は、平成29年1月6日午後3時10分頃、志賀町赤崎ハ〇〇番地〇〇 〇〇方から南西方図測240mの岩場において 発見されました。推定死亡日時は平成28年11月10日頃で、死亡の場所及び死因は不明。身元不明のため、平成29年2月3日 火葬に付し、遺骨は志賀町富来地頭町8の162番地本光寺に安置してあります。心当たりの方は、当町健康福祉課まで申し出てください。平成29年2月28日 石川県 志賀町長
1月7日 福井県小浜市犬熊 木造船
2月7日 島根県隠岐郡隠岐の島町神尾 木造船
2月11日 石川県金沢市 木造船
2月15日 京都府京丹後市間人 木造船
2月15日 京都府舞鶴市瀬崎海岸 木造船
3月8日 島根県隠岐郡隠岐の島町油井 木造船
3月14日 石川県輪島市門前町 木造船の一部
3月18日 石川県羽咋郡宝達志水町 木造船(長さ約5m幅約1.5m 船尾の白い板にハングル)(271209読売)
3月22日 石川県羽咋市寺家町 木造船
3月28日 京都府京丹後市 木造船
4月28日 秋田県男鹿市入道崎灯台西300m 木造船(長さ約10m幅約5m)・遺体1体  ■官報号外第271号 平成29年(2017)12月14日  1、本籍・住所・氏名不詳、全長約95センチメートルの一部白骨化した下半身のみの部分死体、司法解剖結果(男性、50~60歳代前後、身長150センチメートル前半程度と推定) 上記の者は、平成28年11月19日午前11時30分頃、秋田県男鹿市男鹿中浜間口字岡杭54番地所在の渡辺八太郎方から北東方向約95メートル地点の砂浜上において発見されました。 遺体は火葬に付し、遺骨は本市洞泉寺に保管しております。 お心当りの方は、本市福祉事務所までお申し出ください。 2、本籍・住所・氏名・年齢不詳・男性、40歳から60歳代前後、身長163センチメートル、中肉中背、茶色フード付きジャンパー、茶色長袖作業服、迷彩柄長袖シャツ、紺色長袖シャツ、紺色Tシャツ、迷彩柄ズボン(バックルに星柄がついたベルト付き)、紺色ズボン、黒色靴下、紺色パンツ、所持品 金日成の肖像画の描かれた紙幣5000ウォン12枚、ハングル文字が書かれた紙幣5000ウォン1枚、ハングル文字が書かれた紙幣1000ウォン2枚、中国人民銀行紙幣50元1枚、中国人民銀行紙幣10元1枚  上記の者は、平成29年4月28日午前7時40分頃 秋田県男鹿市北浦入道崎字昆布浦2番14所在の入道崎灯台から真方位257度295メートル付近海域において発見されました。遺体は火葬に付し、遺骨は本市洞泉寺に保管しております。お心当たりの方は本市福祉事務所までお申し出ください。 平成29年12月14日 秋田県 男鹿市長 菅原 広二
5月1日 北海道函館市函館港 木造船の一部
5月2日 新潟県佐渡市石名地区 木造船
6月1日 新潟県佐渡市鷲崎地内 木造船
6月26日 兵庫県香住町余部海沖 木造船(「0제16749」と記載)遺体1体 ■官報号外第155号 平成29年(2017)7月19日  本籍・住所・氏名不詳、推定年齢27~30歳位の男性、身長168cm位、体格中肉、着衣等は、紺色ズボン、茶色ズボン、灰色ズボン、茶色下着、黒色靴下、黒色ジャンバー、茶色シャツ、紺色上着、黒色タンクトップほか  上記の者は、平成29年6月26日午後1時36分頃、兵庫県美方郡香美町香住区余部所在の余部埼灯台から北東 約38キロメートル付近海域において、漂流する木造船の船内から発見されました身元不明のため、遺体は火葬に付し、 遺骨は当町の通玄寺に保管してありますので、心当たりの方は、香美町福祉課まで申し出てください。 平成29年7月19日 兵庫県 香美町長 浜上 勇人
7月31日 島根県隠岐郡隠岐の島町福浦 木造船の一部
8月9日 島根県隠岐郡西ノ島町三度埼 木造船
9月6日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船
9月25日 北海道室蘭市東町 木造船の一部
11月7日 新潟県佐渡市羽茂三瀬地区 木造船(長さ13.7m幅3.7m 「888-88879」の数字記載)
11月15日 秋田県西400キロ沖(大和堆北方EEZ外)転覆した木造船 3名救助
11月16日 秋田県西沖(大和堆)木造船 遺体4体
11月16日 秋田県にかほ市金浦字岡の谷地金浦漁港南防波堤 木造船1隻(船体に数字とハングルのような文字)
11月19日 青森県北津軽郡中泊町小泊 木造船(長さ8.7m) 船体にハングル表記
11月20日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船(長さ12.6m 「913185」の数字記載。スクリューやエンジンが残っていた)周辺で救命胴衣6個発見
11月21日 山形県鶴岡市暮坪海岸鈴漁港と暮坪漁港の間お食事処「浜屋」南側 木造船(長さ約10m) 船体にハングルや「89829」の数字が記載
11月23日 新潟県佐渡市南片辺 木造船(長さ約10m幅約2m 船体にハングルと数字が記載 エンジン 周辺から漁網やイカ釣り針、防寒具など)
11月23日 秋田県由利本荘市マリーナ 木造船(長さ20m) プレートにハングルで「チョンジン」と記載。生存者8名 内2名が近くの民家に行ってインターフォンを鳴らしたことで上陸が分かる(従って検疫を受けずに上陸した9。証拠品である船はマリーナに係留していたが県警が見失い、後に破片の一部を回収。
11月24日 秋田県男鹿市湯の尻 湯の尻漁港付近 木造船(11月15日に能登半島沖で漂流が確認された船)
11月25日 新潟県佐渡市藻浦崎 木造船の一部(「88737」の記載)・遺体1体 ■官報 平成29年(2017)12月22日 本籍・住所・氏名不詳。推定年齢20~40歳前後の男性。身長170cm(全身腐敗、一部白骨化)、黒色スウェット様衣類、黒色スウェット様ズボン(タグFASHING)、黒色ボクサーパンツ(タグ3MAIX)、黒色靴下、黄土色靴下着用、所持品なし。  上記の遺体は、平成29年11月25日佐渡市北片辺地内の藻浦崎公園付近海岸にて発見され、死後1~3か月前後経過していると推定されます。遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺に保管してありますので、心当たりの方は、当市社会福祉課まで申し出てください。 平成29年12月22日 新潟県 佐渡市長
11月25日 新潟県佐渡市石花 遺体1体  ■官報号外第11号 平成30年(2018)1月19日 1.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性、身長約150cm、着衣は黒色ゴム製ひも 2.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20~40歳前後の男性、身長約164cm、着衣は黒色ゴムひも、赤色ボクサーパンツ 3.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢40~50歳前後の男性、身長約180cm、着衣は茶色ジャンパー、青色ハイネッセーター、灰色長袖シャツ、半袖シャツ 4.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30~40歳前後の男性、身長約162cm、着衣なし  上記1~4のいずれも所持金品なし  上記1の者は、平成29年11月25日 佐渡市石花1290番地2先の海岸、2の者は、平成29年11月30日佐渡市北片辺地内藻浦崎公園付近の海岸、3及び4の者は、平成29年12月2日佐渡市江積781番地先の海岸にて遺体で発見され、1~4のいずれも死後約1~3か月前後経過していると推定されます。遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管してありますので心当たりの方は、当市社会福祉課まで申し出てください。 平成30年1月19日 新潟県 佐渡市長 三浦 基裕
11月26日 秋田県男鹿市宮沢 宮澤海水浴場 木造船(長さ約14m幅約3.2m 船首付近に「556-60756」と記載)・遺体8体(白骨化)・北朝鮮製たばこ等  ■官報 平成29年(2017)12月21日 【男性1】 本籍・住所・氏名不詳。 推定30歳から50歳代の男性。 身長155センチメートル、茶色ズボン、黒色ズボン、黒色ショートパンツ、赤色パンツ、黒色靴下。 【男性2】 本籍・住所・氏名不詳。 推定20歳から40歳代の男性。 身長163センチメートル、灰色シャツ、灰色ランニングシャツ、救命胴衣様のオレンジ色布、迷彩柄ズボン、茶色ズボン、灰色ズボン、黒色ズボン、黒色パンツ、黒色靴下(片方)、手袋。 【男性3】 本籍・住所・氏名不詳。 推定30歳から50歳代の男性。 身長170センチメートル、黒色ボタンシャツ、黒色ジャケット、黒色セーター、黒色シャツ、黒色ランニングシャツ、黒色ズボン2着、黒色パンツ、黒色靴下、男性が描かれたバッジ1個、白色チューブ様容器1個、紫色ライター1個。 【男性4】 本籍・住所・氏名不詳。 推定30歳から50歳代の男性。 身長164センチメートル、黒色トレーナー、黒色シャツ、灰色ランニングシャツ、黒色ネックウォーマー、黒色ズボン2着、黒色パンツ、黒色靴下。 【男性5】 本籍・住所・氏名不詳。 推定30歳から50歳代の男性。 身長160センチメートル、黒色セーター、黒色シャツ2着、灰色ランニングシャツ、茶色ズボン、黒色ズボン3着、青色パンツ、黒色靴下、ハングル文字が記載された紙片1枚、ライト1個。 【男性6】 本籍・住所・氏名不詳。 推定30歳から50歳代の男性。 身長157センチメートル、黒色トレーナー、紺色シャツ、白色Tシャツ、紺色ズボン、紺色パンツ、ハングル文字が記載された紙幣1枚、手帳様のもの1個、紙片1枚。 【男性7】 本籍・住所・氏名不詳。 推定30歳から50歳代の男性。 身長162センチメートル、黒色セーター、白色トレーナー、紺色シャツ、白色Tシャツ、手袋(右手のみ)、黒色ズボン、白色ズボン下、黒色ズボン下、紺色パンツ、黒色靴下。 【男性8】 本籍・住所・氏名不詳。 推定30歳から50歳代の男性。 身長162センチメートル、迷彩柄シャツ、紺色シャツ2着、白色Tシャツ、迷彩柄ズボン、黒色ズボン下2着、黒色パンツ、黒色靴下。  上記8人の男性遺体は、平成29年11月27日午前8時35分頃、秋田県男鹿市北浦入道崎字昆布浦2番14所在の入道崎灯台から真方位80度10海里付近海域において発見されました。 遺体は火葬に付し、遺骨は本市洞泉寺に保管しております。 お心当たりの方は本市福祉事務所までお申し出ください。 平成29年12月21日 秋田県 男鹿市長
11月26日 北海道松前郡松前町小浜 木造船の一部(船首部分長さ4m 黒く塗られ数字のようなもの記載)
11月26ないし27日 青森県西津軽郡深浦町艫作(へなし)椿山展望台西200m 木造船(船首部分に「2093」の数字が記載)
11月27日 石川県羽咋郡志賀町西海 木造船の一部
11月27日 石川県羽咋市 木造船
11月27日 石川県珠洲市三崎町小泊沖 漂流船(長さ12m幅2.5m 船内に「264軍部隊 軍船」と記載された紙片)
11月27日 青森県下北郡佐井村 木造船(長さ12.3m幅3.6m 船首に115489 エンジン付き 後部は一部破損するも櫓はほぼ原型) サイズ24センチ男物革靴(ヒールの高いシークレットブーツ様のもの)と英文の書かれたジャケット
11月28日 北海道松前郡松前町松前小島 木造船(長さ約10m 「朝鮮人民軍第854部隊」との記載)・生存者10名
11月28日 石川県輪島市舳倉島沖 漂流船2隻 11月30日乗組員21名が北朝鮮僚船に救助される。
11月30日 新潟県佐渡市藻浦崎 遺体1体  ■官報 平成30年(2018)1月19日 【男性3】本籍・住所・氏名不詳。推定年齢20~40歳前後の男性。身長約164cm、着衣は黒色ゴムひも、赤色ボクサーパンツ。所持金品なし。上記の遺体は、平成29年11月30日佐渡市北片逗地內藻浦嫡公園付近の海岸にて遺体で発見され、死後約1~3か月前後経過していると推定されます。
12月1日 青森県西津軽郡深浦町森山海岸 木造船(長さ約10m幅約2.4m)
12月1日 新潟県佐渡市両津湾 木造船
12月1日 山形県鶴岡市鼠ヶ関マリーナ 木造船の一部
12月2日 新潟県佐渡市小木江積海岸 木造船(長さ約9.8m幅約2.3m)・遺体2体 ■官報 平成30年(2018)1月19日 【男性1】本籍・住所・氏名不詳。推定年齢30~40歳前後の男性。身長約162cm、着衣なし上記1.~4.のいずれも所持金品なし 【男性2】本籍・住所・氏名不詳。推定年齢40~50歳前後の男性。身長約180cm、着衣は茶色ジャンパー、青色ハイネッセーター、灰色長袖シャツ、半袖シャツ。所持金品なし。上記2人の遺体は、平成29年12月2日佐渡市江積781番地先の海岸にて遺体で発見され、いずれも死後約1~3か月前後経過していると推定されます。
12月2日 秋田県山本郡八峰町八森岩館付近海岸 木造船(ハングルの書かれたバケツ)・遺体1体
12月2日 山形県鶴岡市米子漁港 木造船(長さ10m弱・大破した状態)・遺体3体(2体は船の近く・1体は米子漁港区域内海面を漂流・2体の衣服に金日成バッジ)
12月3日 青森県西津軽郡深浦町大字追良瀬字塩見山平地内の海岸 遺体1体 ■ 官報号外第21号 平成30年(2018)1月31日  1.本籍・住所・氏名不詳、推定40~50歳代を中心とする中年齢層の男性、身長172センチメートル、着衣及び所持品等なし、死因は不詳 上記の者は、平成29年12月3日午前10時30分頃、青森県西津軽郡深浦町大字追良瀬字塩見山平地内の海岸(JR五能線追良瀬駅から北方約700メートル付近)において、散歩中の方が発見した。遺体は、平成30年1月15日ふかうら斎苑において、火葬し、大字深浦字尾上山41番地 深浦霊園内に無縁仏として遺骨を保管してあるので、心当たりの方は深浦町役場町民課まで申し出てください。 平成30年1月31日 青森県 深浦町長 吉田 満
12月4日 新潟県柏崎市西山町石地付近 木造船の一部
12月4日 新潟県長岡市寺泊大和田 木造船
12月4日 新潟県新潟市西蒲区角田浜沖 木造船
12月4日 山形県鶴岡市鼠ヶ関沖 遺体3体 ■官報号外第11号 平成30年(2018)1月19日  1.本籍・住所・氏名・年齢不詳、性別男性、身長165センチメートル、死亡時期不明、衣服及び救命胴衣着用、一部白骨化した死体  上記の者は、平成29年12月4日午前7時2分頃、鶴岡市鼠ヶ関字興屋41番所在 鼠ヶ関灯台から真方位27.7度10.14キロメートル付近海上にて漂流しているところを発見された。遺体は身元不明のため当市において火葬に付し、遺骨を仮安置しております。 お心当たりのある方は、当市健康福祉部福祉課までお申し出ください。 2.本籍・住所・氏名・年齢不詳、性別男性、身長163センチメートル、死亡時期不明、一部白骨化した死体  上記の者は平成29年12月4日午前8時22分頃、鶴岡市鼠ヶ関字興屋41番所在の鼠ヶ関灯台から真方位28度10.39キロメートル付近の暮坪海岸砂浜にて黒色長袖セーターと救命胴衣等を着用し、うつ伏せ状態で漂着したところを発見された。 遺体は身元不明のため当市において火葬に付し、遺骨を仮安置しております。 お心当たりのある方は、当市健康福祉部福祉課までお申し出ください。 3.本籍・住所・氏名・年齢不詳、性別男性、身長155センチメートル前後、死亡時期不明、衣服及び救命胴衣着用、一部白骨化した死体  上記の者は、平成29年12月4日午前8時26分頃、鶴岡市鼠ヶ関字興屋41番所在の鼠ヶ関灯台から真方27.8度10.39キロメートル付近海上にて漁網等に絡まった状態で漂流しているところを発見された。遺体は身元不明のため当市において火葬に付し、遺骨を仮安置しております。お心当たりのある方は、当市健康福祉部福祉課までお申し出ください。 平成30年1月19日 山形県 鶴岡市長 皆川 治
12月4日 秋田県にかほ市金浦字赤石赤石浜海水浴場 木造船の一部(大小様々な木片が散乱、ハングルの書かれたバケツ、缶詰)・遺体1体
12月4日 秋田県にかほ市飛(飛びのくずれ) 木造船の一部(船底部分と思われる板状の残骸)
12月4日 青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢 木造船(12日に遺体→別記)
12月5日 新潟県佐渡市高千漁港 木造船(幅約3.1m)
12月5日 新潟県新潟市 木造船漂流(ブロックに衝突し大破)・遺体2体
12月5日 山形県鶴岡市マリーンパーク鼠ヶ関 木造船の一部(庄内ブルーリボンの会)
12月5日 青森県西津軽郡深浦町大字風合瀬字砂子川 遺体1体 ■官報・号外第21号 平成30年(2018)1月31日 2.本籍・住所・氏名不詳、推定50~60歳代を中心とする中年齢層、身長167センチメートル、着衣及び所持品等無し、死因は不詳  遺体は、平成29年12月5日午前10時30分頃、青森県西津軽郡深浦町大字風合瀬字上砂子川144番地1 道の駅ふかうらかそせいか焼き村から北西方向約60メートルの海岸において、散歩中の方が発見した。遺体は、平成30年1月16日ふかうら斎苑において、火葬し、大字深浦字尾上山41番地1 深浦霊園内に無縁仏として遺骨を保管してあるので、心当たりの方は深浦町役場町民課まで申し出てください。 平成30年1月31日 青森県 深浦町長 吉田 満
12月6日 青森県西津軽郡深浦町入良川河口付近 木造船(「915430」と記載)
12月7日 秋田県男鹿市五里合漁港北100m砂浜 木造船(長さ7.9m幅2.1m高さ1.2m 「913300」と記載)・遺体2体(野石字五明光砂浜)
12月7日 秋田県山本郡三種町 木造船1隻(ハングル表記のライフジャケット)
12月7日 秋田県秋田市向浜 遺体1体 ■官報号外第18号 平成30年(2018)1月30日  本籍・住所・氏名不詳の男性、年齢30~50歳代、身長162cm、黒色フード付ジャンパー、黒色柄付セーター、迷彩柄ズボン(ハングル文字が表示された黒色ベルト付)を着用  上記の者は、平成29年12月7日、秋田県秋田市向浜二丁目地先所在の秋田港旧南防波堤灯台から真方位242度19.8海里付近海域でオレンジ色救命浮環を体に装着した状態で発見されました。 死亡日時は、死後1ヶ月程度と推定されます。 遺体は、身元不明のため、当市で火葬に付し、遺骨を保管しております。お心当たりの方は、秋田市役所福祉総務課まで申し出てください。平成30年1月30日 秋田県 秋田市長 穂積 志
12月7日 新潟県佐渡市北狄(きたえびす)地区海岸 木造船・遺体3体 ■官報 平成30年(2018)1月26日 【男性1】本籍・住所・氏名不詳。推定年齢20~30歳前後の男性。身長171cm、着衣は黒色セーター(サイズXL)、灰色ランニングシャツ、黒色ズボン(右前ポケット内に肌色ストッキング)、黒色ベルト(バックル裏面中国語表記)、黒色股引、紺色パンツ、黒色靴下。所持金品なし。 (中略)  佐渡市両津大川字姫崎1257番地所在の姫崎灯台から真方位95度、6,000m付近海上にて遺体で発見され、死後1~3か月程度経過していると推定されます。 【男性2】本籍・住所・氏名不詳。推定年齢20~40歳前後の男性。身長178cm(全身腐敗、一部屍蝋化)、着衣なし。所持金品なし。  平成29年12月9日佐渡市岩谷口86番地から北西約33m先の海岸にて遺体で発見され、死後1~2か月前後経過していると推定されます。 【男性3】本籍・住所・氏名不詳。推定年齢50~60歳前後の男性。身長177cm、(全身腐敗、一部屍蝋化)、着衣は紺色ズボン、黒色トランクス。所持金品なし。  平成29年12月8日佐渡市北狄718番地から北東図測540mの海岸にて遺体で発見され、死後1~2か月前後経過していると推定されます。  3遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管してありますので心当たりの方は当市社会福祉課まで申し出てください。平成30年1月26日 新潟県 佐渡市長
12月7日 新潟県佐渡市和木沖 木造船・遺体1体
12月7日 福井県坂井市三国町サンセットビーチ 木造船の一部
12月7日 山形県鶴岡市マリーンパーク鼠ヶ関 木造船の一部(庄内ブルーリボンの会)
12月8日 新潟県佐渡市水津漁港 木造船の一部(幅約2.8m)・後に男性の遺体1体発見
12月8日 石川県珠洲市長橋町 木造船の一部(後に流出し2月22日珠洲市大谷町海岸に漂着)
12月8日 にかほ市金浦字赤石赤石浜海水浴場 遺体1体(下半身のみ、12月4日の木造船との関連は不明)
12月9日 石川県珠洲市笹波町 遺体1体(一部白骨化し性別不明 死後数か月 セーター、シャツ着用
12月9日 新潟県村上市府屋海岸 木造船
12月9日 新潟県佐渡市岩谷口海岸 遺体1体  ■官報 平成30年(2018)1月26日 【男性2】本籍・住所・氏名不詳。推定年齢20~40歳前後の男性。身長178cm(全身腐敗、一部屍蝋化)、着衣なし。所持金品なし。  平成29年12月9日佐渡市岩谷口86番地から北西約33m先の海岸にて遺体で発見され、死後1~2か月前後経過していると推定されます。
12月9日 新潟県佐渡市姫崎沖 遺体1体  ■官報 平成30年(2018)1月26日 【男性1】本籍・住所・氏名不詳。推定年齢20~30歳前後の男性。身長171cm、着衣は黒色セーター(サイズXL)、灰色ランニングシャツ、黒色ズボン(右前ポケット内に肌色ストッキング)、黒色ベルト(バックル裏面中国語表記)、黒色股引、紺色パンツ、黒色靴下。所持金品なし。  (中略)佐渡市両津大川字姫崎1257番地所在の姫崎灯台から真方位95度、6,000m付近海上にて遺体で発見され、死後1~3か月程度経過していると推定されます。
12月10日 山形県鶴岡市堅苔沢海岸新五十川トンネル北側出口近く 遺体1体(上半身のみ) ■官報号外第29号 平成30年(2018)2月13日  1.本籍・住所・氏名・年齢・性別不詳、死亡時期不明、紺色長袖タートルネックセーター、紺色Ⅴネックセーター、黒色手袋(右手のみ)、下半身が欠損した死体 上記の者は平成29年12月10日午前8時20分頃、鶴岡市堅苔沢字葭浦8番地1号所在の東北地方建設局堅苔沢無線中継局 北東方図測180m先海岸岩場に漂着しているところを発見された。  遺体は、身元不明のため当市において火葬し遺骨を仮安置しております。 心当たりのある方は、当市健康福祉部福祉課まで申し出てください。 平成30年2月13日 山形県 鶴岡市長 皆川 治
12月10日 新潟県佐渡市石名沖 木造船(幅約3m)
12月12日 新潟県柏崎市荒浜 木造船・遺体2体 遺体は白骨化しており、服や身の回りの物も無かった。船はその後産業廃棄物として処理。白骨化した遺体は火葬後、無縁仏として埋葬。 ■官報号外第3号 平成30(2018)1月9日  1.本籍・住所・氏名不詳、推定20~40歳代の男性、身長約174cm、着衣上衣黒色長袖セーター、緑色ベスト、黒色半袖Tシャツ、白色タンクトップ、下衣緑色ヤッケズボン、黒色ジャージ、黒色ズボン、黒色パンツ  上記の者は、平成29年12月12日午前8時20分頃、柏崎市荒浜1丁目2番22号から西方約300mの海岸に漂着した木造船内で発見されました。死亡年月日は発見時から1~3ヶ月前と推測。死亡場所は不明、死因も不明です。 2.本籍・住所・氏名不詳、推定20~40歳代の男性、身長約166cm、着衣上衣無し、下衣緑色ヤッケズボン様、紺色股引、黒色パンツ 上記の者は、平成29年12月12日午前9時55分頃、柏崎市荒浜2丁目2番24号から北西方約120mの海岸で発見されました。死亡年月日は発見時から1~3ヶ月前と推測。死亡場所は不明、死因も不明です。  以上2件、遺体は身元不明のため、平成29年12月18日火葬に付し、遺骨を柏崎市墓園内の納骨堂に収蔵・保管していますので、心当たりの方は、柏崎市市民生活部環境政策課まで申し出てください。 平成30年1月9日 新潟県 柏崎市長 櫻井 雅浩
12月12日 新潟県村上市沖 木造船
12月12日 青森県西津軽郡深浦町十二湖海浜公園 木造船(「912358」と記載)
12月12日 新潟県佐渡市宿根木 木造船の一部
12月12日 青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢千畳敷橋付近海上 遺体3体(12月4日の漂着船が岩にぶつかって破損し中から流れ出たものと思われる) ■官報号外第11号 平成30年(2018)1月19日  1.本籍・住所・氏名不詳、推定30歳代から40歳代前後の中年齢層の男性、身長170センチメートル前後(推定)、体格中等、着衣及び所持品等無し、下腿部脱落、死因は不詳  上記の者は、平成29年12月12日午前7時00分頃、青森県西津軽郡深浦町大字北金ヶ沢字榊原所在の住民が、自宅の窓から海上模様を見ていたところ、前面の海岸から沖合約15メートルの海域に漂流しているところを発見された死体2体のうちの1体。  遺体は平成29年12月26日ふかうら斎苑において、火葬し、大字深浦字尾上山41番地1深浦霊園内に無縁仏として遺骨を保��してあるので、心当たりの方は深浦町役場町民課まで申し出てください。 2.本籍・住所・氏名不詳、推定50歳代から60歳代前後の中高年齢層の男性、身長158センチメートル、体格中等、ズボン(緑色、Melnowと表記)、股引(紺色、タグ有り)、パンツ(表面が灰色と赤色のチェック柄、裏面が黒色、タグあり)、救命胴衣(橙色及び灰色布付き)、腹巻の切れ端、所持品は無し、死因は不詳 上記の者は、平成29年12月12日午前7時00分頃、青森県西津軽郡深浦町大字北金ヶ沢字榊原所在の住民が、自宅の窓から海上模様を見ていたところ、前面の海岸から沖合15メートルの海域に漂流しているところを発見された死体2体のうちの1体。  遺体は平成29年12月28日ふかうら斎苑において、火葬し、大字深浦字尾上山41番地1深浦霊園内に無縁仏として遺骨を保管してあるので、心当たりの方は深浦町役場町民課まで申し出てください。 3.本籍・住所・氏名不詳、推定20歳代から40歳代前後の若ないし中年齢層の男性、身長160センチメートル後半から170センチメートル前後(推定)、体格中等、着衣及び所持品等無し、頭部一部欠損、左前腕部脱落、死因は不詳  上記の者は、平成29年12月12日午前7時00分頃、青森県西津軽郡深浦町大字北金ヶ沢榊原所在の住民が宅地先の千畳敷橋付近の海域で上記1及び2の死体2体を発見。通報を受けた警察官が発見現場に急行したところ、午前8時30分頃、通報のあった死体2体とは別の死体が付近海域に漂流しているのを発見した。  遺体は平成29年12月25日ふかうら斎苑において、火葬し、大字深浦字尾上山41番地1深浦霊園内に無縁仏として遺骨を保管してあるので、心当たりの方は深浦町役場町民課まで申し出てください。 平成30年1月19日 青森県 深浦町長 吉田 満
12月12日~13日 石川県羽咋市 木造船の一部
12月13日 山形県遊佐町吹浦西浜海岸周辺 遺体1体
12月13日 山形県鶴岡市鼠ヶ関マリーナ 木造船の一部
12月13日 秋田県潟上市出戸浜海水浴場付近 木造船・遺体2体  ■官報号外第6号 平成30年(2018)1月12日  1.本籍・住所・氏名不詳、 推定年齢50歳から70歳代の男性、身長162センチメートル、紺色カッパ上下、黒色系作業服、長袖トレーナー、タンクトップ、黒色ズボン、ベルト、ジャージズボン、スウェットズボン、ズボン下、パンツ、靴下 2.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢50歳から70歳代の男性、身長163センチメートル、黒色ジャンパー、長袖トレーナー、ベスト、長袖シャツ、半袖シャツ、腹巻き、ネックウォーマー、ビニールカッパ上下、黒色カッパ下衣、紺色ズボン、黒色ズボン、ズボン下、パンツ、ベルト、スニーカー、靴下  上記1、及び2の者は、平成29年12月13日の午後2時3分頃、秋田県潟上市天王字浜山地内の海岸で打ち上げられた木造船内から発見されました。 遺体は火葬に付し、遺骨は当市開得寺に保管しております。お心当たりの方は、当市福祉事務所まで申し出てください。 平成30年1月12日 秋田県 潟上市長 藤原 一成
12月13日 秋田県男鹿市北浦入道崎灯台南約2km 木造船(長さ7m幅1.9m)
12月13日 秋田県秋田市浜田 遺体1体  ■官報号外第18号 平成30年(2018)1月30日 本籍・住所・氏名・年齢不詳の男性、身長176cm、体格中肉、ノースリープシャツ、緑色レインウェア下衣、茶色ズボン、黒色ナイロンズボンを着用、オレンジ色ひも1本、白色ウキ1個、ハングル文字が印刷された紙片を所持  上記の者は、平成29年12月13日、秋田市立浜田小学校の南南西約600メートルに位置する秋田市浜田地内の砂浜上で発見されました。死亡日時は、死後数ヶ月経過と推定されます。遺体は、身元不明のため、当市で火葬に付し、遺骨を保管しております。お心当たりの方は、秋田市役所福祉総務課まで申し出てください。  平成30年1月30日 秋田県 秋田市長 穂積 志
12月13日 新潟県村上市瀬波温泉海岸 木造船(「632-90452」と記載)
12月13日 新潟県胎内市松浜海岸 木造船
12月14日 秋田県秋田市雄物川河口近く 木造船2隻・遺体6体  ■官報号外第27号 平成30年(2018)2月8日  1.本籍・住所・氏名・人相不詳、30歳から50歳代程度の男性、身長152cm、青色セーター、灰色ズボン着用 2.本籍・住所・氏名・人相不詳、30歳から50歳代程度の男性、身長160cm、上下黒色雨衣着用 3.本籍・住所・氏名・人相不詳、30歳から50歳代程度の男性、身長162cm、上下力一キ色雨衣着用 上記1から3の者は、平成29年12月14日、秋田市向浜2丁目地先所在の秋田旧南防波堤灯台から真方位165度7km付近海域に漂着した木造船内で発見されました。 死亡日時は死後数ヶ月経過と推定されます。 4.本籍・住所・氏名・人相不詳、30歳から50歳代程度の男性、身長171cm、黒色セーター、黒色ズボン着用 5.本籍・住所・氏名・人相不詳、30歳から50歳代程度の男性、身長169cm、黒色ジャケット、黒色及び濃緑色雨衣着用 上記4の者は、平成29年12月14日、および5の者は、平成29年12月18日、秋田市向浜2丁目地先所在の秋田旧南防波堤灯台から真方位164度6.6km付近海域に漂着した木造船内で発見されました。死亡日時は、死後数ヶ月経過と推定されます。遺体は、身元不明のため、火葬に付し、遺骨を保管しております。 お心当たりの方は、秋田市役所福祉総務課まで申し出てください。 平成30年2月8日 秋田県 秋田市長 穂積 志
12月14日 青森県西津軽郡深浦町白神浜 遺体1体 木造船の一部 ■官報号外第11号 平成30年(2018)1月19日  5.本籍・住所・氏名不詳、推定20歳代から30歳代前後の男性、身長173センチメートル、体格中等、着衣及び所持品等無し、死因は不詳 上記の者は、平成29年12月14日午前11時10分頃、青森県西津軽郡深浦町大字大間越字白神浜所在のNTT東日本大間越交換所地先付近海岸において、警察官が平成29年11月20に漂着した木造船の状況確認を実施していたところ、死体1体を発見した。  遺体は平成29年12月28日ふかうら斎苑において、火葬し、大字深浦字尾上山41番地1深浦霊園内に無縁仏として遺骨を保管してあるので、心当たりの方は深浦町役場町民課まで申し出てください。平成30年1月19日 青森県 深浦町長 吉田 満
12月14日 新潟県長岡市寺泊郷本海岸 木造船・人骨5本  ■官報号外第12号 平成30年(2018)1月22日  本籍・住所・性別・氏名等不詳  上記の者は、平成29年12月15日午前7時30分頃、長岡市寺泊郷本地内の海岸砂浜に漂着していた木造船内で白骨化した左上腕骨、左橈骨、左尺骨、左脛骨、左腓骨、衣類の切れ端がロープに巻き付いた状態で発見されました。死亡後数ヶ月から数年前後と推定されます。身元不明のため、遺体は火葬に付し、遺骨は保管してあります。心当たりの方は、当市福祉保健部生活支援課まで申し出てください。 平成30年1月22日 新潟県 長岡市長 磯田 達伸
12月14日 新潟県佐渡市鵜ノ瀬鼻沖 木造船(全長約13.5m幅約3m)
12月14日~15日 石川県羽咋市志賀町 木造船の一部
12月15日 石川県金沢市金沢港沖 木造船
12月15日 新潟県佐渡市下相川 木造船(長さ約13m幅約3m 岩場で大破したがそれ以前はイカを干すヤグラや集魚灯の一部も残っていた)
12月15日 青森県下北郡佐井村津鼻崎南 木造船(船首に「567-66341」)1週間前の漂流時には船全体の形があったがその後時化で崩壊し海岸に各部分が海岸に漂着)
12月15日 青森県西津軽宮深浦町大字舮作字鍋石 ■官報号外第11号 平成30年(2018)1月19日  4.本籍・住所・氏名不詳、推定40歳代から50歳代前後の中年齢層の男性、身長164センチメートル、体格中等、着衣及び所持品無し、死因は不詳  上記の者は、平成29年12月15日午前9時30分頃、青森県西津軽郡深浦町大字舮作字鍋石226番地所在のJR五能線ウェスパ椿山駅から西方450メートル付近の海岸において、散歩中の方が死体を発見した。  遺体は平成29年12月27日ふかうら斎苑において、火葬し、大字深浦字尾上山41番地1深浦霊園内に無縁仏として遺骨を保管してあるので、心当たりの方は深浦町役場町民課まで申し出てください。 平成30年1月19日 青森県 深浦町長 吉田 満
12月15日 山形県鶴岡市五十川海岸手打ちそば「売虎庵」裏の海岸 遺体1体(付近に長靴や救命胴衣も) ■官報号外第29号 平成30年(2018)2月13日  2.本籍・住所・氏名・年齢不詳、性別男性、身長164cm、死亡時期不明の死体 上記の者は、平成29年12月15日午前11時頃、鶴岡市五十川字真砂沢47番地1所在のそば処売虎庵から北方約84m先海岸岩場に着衣なしでうつ伏せ状態で漂着したところを発見された。  遺体は、身元不明のため当市において火葬し遺骨を仮安置しております。心当たりのある方は、当市健康福祉部福祉課まで申し出てください。 平成30年2月13日 山形県 鶴岡市長 皆川 治
12月16日 石川県羽咋市千里浜インター付近 木造船の一部
12月16日 青森県深浦町田野沢 木造船(「547-66205」と記載)
12月17日 石川県珠洲市 木造船の一部 
12月18日 新潟県佐渡市鷲崎沖 木造船
12月18日 山形県鶴岡市湯野浜海岸 木造船(長さ10m弱)
12月19日 秋田県にかほ市飛字餅田海岸 木造船・遺体2体
12月19日 石川県羽咋郡志賀町 漂流船(海保は発見できず)
12月20日 石川県羽咋郡志賀町 富来漁港(西海漁港) 漂着船
12月20日 秋田市新屋 遺体1体 ■官報号外第29号 平成30年(2018)2月13日  本籍・住所・氏名不詳、30歳から50歳代程度の男性、身長163cm、着衣・所持品なし、前脛下部及び上腹部に手術痕あり  上記の者は、平成29年12月20日、秋田県立秋田技術専門学校から南西側約500メートルの場所に位置する秋田市新屋字砂奴寄地内の砂浜上で発見されました。 高度に死後変化が進行し、眼球なども欠損している状態であり、死亡日時は、死後数ヶ月経過と推定されます。遺体は、身元不明のため、火葬に付し、遺骨は保管しております。お心当たりの方は、秋田市役所福祉総務課まで申し出てください。 平成30年2月13日 秋田県 秋田市長 穂積 志
12月21日 新潟県佐渡市関岬 木造船(長さ11.6m幅2.75m 船首にハングル表示)
12月21日 新潟東港沖18キロ 木造船
12月21日 新潟県岩船郡粟島浦村釜谷 木造船の一部(縦1.5m横1.2m)
12月21日 青森県下北郡佐井村沖 木造船(転覆した状態で網にひっかかっていた 船尾に「0-세・98180단천」)・遺体4体(佐井村資料には記載なし)佐井村資料には女性もののようなビニールと思われるバッグ、ライフジャケットなどが写っている。バッグの中身はタバコ、タオル、歯ブラシ、書類らしきものなど)
12月22日 にかほ市象潟町小砂川小砂川漁港付近 木造船の一部(船体側面と思われる木片)
12月23日 石川県羽咋郡志賀町 木造船(長さ約8.4m幅約2.2m 15日に金沢港沖を漂流していた船と同じ番号が船体に記載)
12月24日 新潟県新潟市 新潟港沖12キロ 木造船(21日のものと同じ可能性あり)
12月24日 山形県鶴岡市油戸海岸油戸南トンネル南側出口付近 大破した木造船・周辺に遺体4体 ■官報号外第41号 平成30年(2018)2月28日  1.本籍・住所・氏名・年齢・性別不詳、死亡時期不明、着衣、所持品は無く、右前腕部外側にハングル文字の刺青があり、上顎前歯に粗製なブリッジ様金具を施した治療痕がある一部白骨化した死体 上 記の者は、平成29年12月24日の午前8時50分頃、鶴岡市今泉字大久保558番1号先所在の荒崎灯台から真方位217.7度2.75キロメートル付近海岸にて漂着している所を発見された。遺体は、身元不明のため当市において火葬し遺骨を仮安置しております。心当たりのある方は、当市健康福祉部福祉課まで申し出てください。 2.本籍・住所・氏名・年齢・性別不詳、死亡時期不明、黒色ズボン、深緑色ズボン、紺色股引、黒色靴下(右足のみ)、一部白骨化した死体  上記の者は、平成29年12月24日午前9時30分頃、鶴岡市今泉大久保558番1号先所在の荒崎灯台から真方位217.7度2.75キロメートル付近海岸にて漂着している所を発見された。 3.本籍・住所・氏名・年齢・性別不詳、死亡時期不明、茶色上衣、茶色の作業着が死体直下に脱げた状態で置かれていた、一部白骨化した死体  上記の者は、平成29年12月24日午前9時30分頃、鶴岡市今泉大久保558番1号先所在の荒崎灯台から真方位217.7度2.751キロメートル付近海岸にて漂着している所を発見された。 4.本籍・住所・氏名・年齢・性別不詳、死亡時期不明、着衣、所持品は無く、上顎前歯に粗製なブリッヂ様金具を施した治療痕がある一部白骨化した死体 上記の者は、平成29年12月24日午前9時30分頃、鶴岡市今泉大久保558番1号先所在の荒崎灯台から真方位217.7度2.82キロメートル付近海岸にて漂着している所を発見された。  遺体は、身元不明のため当市において火葬し遺骨を仮安置しております。心当たりのある方は、当市健康福祉部福祉課まで申し出てください。 平成30年2月28日 山形県 鶴岡市長 皆川 治
12月24日 山形県酒田市浜中海水浴場周辺 遺体1体(星型マークがバックルに付いた布製ベルト)
12月25日 新潟県佐渡市羽茂大橋 木造船(長さ約10m、幅約2.2m)
12月25日 新潟県佐渡市水津漁協南島240メートル付近海上 遺体1体 ■官報号外第22号 平成30年(2018)2月1日  本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30歳前後の男性、身長165~170cm(一部白骨化、下半身のみ)黒色ズボン、黒色ズボン(ポケット部分が赤色)、黒色股引着用、所持金品なし  上記の者は、平成29年12月25日 佐渡市水津898番地所在の水津漁業協同組合から南東方向240m付近海上にて、漂着木造船破片の撤去中に発見され死後2~3か月程度経過していると推定されます。遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺に保管してありますので、心当たりの方は、当市社会福祉課まで申し出てください。 平成30年2月1日 新潟県 佐渡市長 三浦 基裕
12月28日 青森県下北君佐井村大字長後字長後佐井村漁協長後地区荷捌場付近海岸 木造船・遺体4体  ■官報号外第18号 平成30年(2018)1月30日  1.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30歳代~40歳代前後の中年齢層(推定)の男性、身長174cm、着衣は、黒色タートルネックセーター、黒色長袖、茶色タンクトップ、黒色ズボン3本、赤色パンツ、茶色腹巻、黒色靴下(片方のみ)、所持品なし、死因は死後変化高度につき不詳。 2.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30歳代~40歳代前後の中年齢層(推定)の男性、身長160cm台半ば前後、着衣は、黒色ズボン(ベルト付)、黒色ズボン、黒色パンツ、黒色靴下、所持品なし、死因は死後変化高度につき不詳 3.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢40歳代~50歳代前後の中年齢層(推定)の男性、身長166cm、着衣は、黒色上着、緑色上衣、緑色長袖、黒色セーター、黒色ベルト、緑色Tシャツ、黒色ズボン、緑色ズボン2本、青色ズボン、赤色パンツ、黒色靴下、所持品胸バッチ、死因は死後変化高度につき不詳 4.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢40歳代~50歳代前後の中年齢層(推定)の男性、身長167cm、着衣は、黒色タートルネックセーター、茶色長袖シャツ、茶色Tシャツ、茶色タンクトップ、茶色パンツ、黒色腹巻、所持品なし、死因は死後変化高度につき不詳  以上4遺体は、平成29年12月28日午前111時42分頃、青森県下北郡佐井村大字長後字長後34-8所在の佐井村漁業協同組合長後地区荷捌場から真方位38度100メートル付近海岸陸揚げされた木造船内にて発見されたものである。身元不明のため、当村で火葬に付し、遺骨を保管しておりますので、心当たりの方は当村役場住民福祉課福祉・健康推進係までお申し出ください。 平成30年1月30日 青森県 佐井村長 樋口 秀視
12月29日 鳥取県鳥取市気高町奥沢見海岸 遺体1体(ハングルが書かれたタグのついた黒い長袖ジャージと長袖Tシャツ、ズボン下着用。身長約170センチ、頭部はほぼ白骨化) ■官報号外第34号 平成30年(2018)2月20日  本籍・住所・氏名不詳、年齢40歳前後〜50歳前後の男性、身長約171cm,一部白骨化、遺留品は黒色長袖ジャージ、黒色長袖Tシャツ、黒色ズボン下、水色トランクス、黒色靴下、青色アンクルウェイト(両足首部に装着)、着衣(靴下、アンクルウェイト以外)の商品説明タグは全てハングル文字で表記  上記の者は、平成29年12月29日午前9時頃、鳥取市気高町奥沢見1333番地34から北東方約50mの海岸で、散歩中の男性に、海岸に打ち上げられていた死体の状態で発見されました。死亡日時及び死因については高度腐敗状態であったため特定できませんでした。遺体は火葬に付し、遺骨は保管してあります。心当たりの方は、当市福祉部生活福祉課まで申し出てください。平成30年2月20日 鳥取県 鳥取市長 深澤 義彦
12月29日 新潟県新潟市西蒲区越前浜海岸 木造船の一部(長さ3m幅1.6m高さ1.43m 煙突あり)
12月31日 秋田県由利本荘市西目町出戸浜 遺体1体  ■官報号外第21号 平成30年(2017)1月31日  本籍・住所・氏名不詳、年齢30歳~40歳代の男性、身長166cm、オレンジ色救命胴衣、緑色シャツ、フード付きベスト様、黒色ズボン、靴下、パンツ、死亡年月日及び死亡原因不明(死後数ヶ月と推定)  上記の者は、平成29年12月31日午前9時10分頃、秋田県由利本荘市西目町出戸字浜山地内の海岸で発見されたものであるが、身元不明のため火葬に付し、遺骨は保管してあります。心当たりの方は、当市健康福祉部福祉支援課まで申し出てください。 平成30年1月31日 秋田県 由利本荘市長 長谷部 誠
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1月2日 新潟県村上市馬下(まおろし)地先海岸 木造船(長さ10.5m幅3.0m)
1月4日 秋田県山本郡三種町釜谷浜海水浴場 木造船の一部(長さ約8.1m幅約2m 船底及びスクリュー)
1月4日 新潟県佐渡市北田野浦 木造船の一部
1月4日 新潟県柏崎市西山町大崎地先海岸 木造船の一部(船尾部分長さ1.9m幅1.9m)
1月4日 秋田県山本郡三種町釜屋浜海水浴場南側 木造船の一部(船底部分長さ8.1m幅2.0m)
1月4日 石川県羽咋郡志賀町 遺体1体(推定年齢30~50歳・身長約164センチ・黒色系のジャンパーやシャツ、ズボン着用。ハングルが書かれたタバコ、腕時計、電池、紙束などを所持。 ■官報号外第62号 平成30年(2018)3月23日  本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30歳~50歳位の男性、身長約164cm、着衣は黒色系ジャンパー、赤色ベスト、黒色長袖ベスト、黒色長袖シャツ2着、黒色半袖Tシャツ、ビニール(腰に通されたもの)、こげ茶色長ズボン、黒色長ズボン、黒色パンツ、黒色ベルト、黒色靴下2足着用、所持品はボタン電池10個及びケース、ハングル文字が記載されたタバコ、腕時計、紙束等   上記の遺体は、平成30年1月4日午前7時15分頃、志賀町上野ホ26番地石川県漁業協同組合志賀支所から南方図測150m先海岸線において発見されました。推定死亡日時は平成29年11月頃で、死亡の場所及び状況は不詳。身元不明のため、平成30年3月6日火葬に付し、遺骨は志賀町高浜町ヌの10番地延命寺に安置してあります。心当たりの方は、当町健康福祉課まで申し出てください。平成30年3月23日 石川県 志賀町長 小泉 勝
1月5日 新潟県佐渡市相川鹿伏 木造船の一部
1月5日 石川県白山市沖 木造船(長さ約13m幅約3.5m 船首にハングル) その後不明
1月6日 秋田県由利本荘市松ヶ崎漁港 木造船の一部(長さ4m幅約2m 白地に赤の数字)
1月7日 京都府京丹後市網野町 木造船(長さ約10m幅約3m ハングルのような文字の書かれた板が付近に漂着)
1月7日 新潟県佐渡市入桑漁港 木造船の一部
1月8日 新潟県新潟市西蒲区間瀬海岸 木造船(長さ約5m幅約1.5m)
1月8日 秋田県男鹿市野石申川海岸若美漁港南1km砂浜 木造船の一部(長さ約7m幅約1.9m船底とエンジン)
1月10日 石川県金沢市下安原町安原海岸 木造船(遺体から15mの距離 長さ16m幅高さともに3m 船尾にプロペラ 船体にハングルや数字などの標記見つからず)・遺体1体(年齢不詳顔などの一部が白骨化。黒色のジャンパーと青色のズボンを着用。身元や国籍の分かるものは身に着けていなかった)船内から16日7遺体発見 船首付近に4人、真ん中あたりに3人が折り重なるように倒れていた。セーターやトレーナーを着ており目立った外傷はなかった。 金日成と金正日の並んだバッジ1個) ■官報号外第87号 平成30年(2018)4月18日  1.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30歳代から50歳代の男性、残存身長154cm、着衣は黒色ジャンパー、黒色セーター等、所持品は腕時計  上記の者は、平成30年1月10日午前11時35分、石川県金沢市安原町西701番地から北西方向へ図測500mの地点、下安原町地内の海岸に転覆した木造船付近の砂浜上に漂着しているところを発見された。 2.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20歳代から40歳代の男性、残存身長170cm、着衣は黒色半ズボン、青色トランクス、黒色靴下  上記の者は、平成30年1月15日午後2時10分、石川県金沢市安原町西701番地から北西方向へ図測500mの地点、下安原町地内の海岸の砂浜上に漂着した木造船内で発見された。 3.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢40歳代から50歳代の男性、残存身長171cm、右下腿半ばより末梢が失われ義足、着衣はボーダー柄の長袖Tシャツ、青色ズボン、黒色ズボン、コルセット等  上記の者は、平成30年1月15日午後2時10分、石川県金沢市安原町西701番地から北西方向へ図測500mの地点、下安原町地内の海岸の砂浜上に漂着した木造船内で発見された。 4.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢50歳代から60歳代の男性、残存身長172cm、着衣は黒色ジャケット、黒色ベスト、黒色ズボン、茶系ズボン等  上記の者は、平成30年1月15日午後2時10分、石川県金沢市安原町西701番地から北西方向へ図測500mの地点、下安原町地内の海岸の砂浜上に漂着した木造船内で発見された。 5.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20歳代から40歳代の男性、残存身長171.5cm、着衣は黒系ジャンパー、灰色トレーナー、黒色ジャケット、茶色ズボン等、所持品は腕時計  上記の者は、平成30年1月15日午後2時10分、石川県金沢市安原町西701番地から北西方向へ図測500mの地点、下安原町地内の海岸の砂浜上に漂着した木造船内で発見された。 6.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢40歳代から50歳代の男性、残存身長166.5cm、着衣は黒色ズボン2着、茶色股引、黒色靴下  上記の者は、平成30年1月15日午後2時10分、石川県金沢市安原町西701番地から北西方向へ図測500mの地点、下安原町地内の海岸の砂浜上に漂着した木造船内で発見された。 7.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30歳代から50歳代の男性、残存身長164.5cm、着衣は黒色・灰色セーター、えんじ色半袖Tシャツ、黒色ズボン、茶色ズボン等  上記の者は、平成30年1月15日午後2時10分、石川県金沢市安原町西701番地から北西方向へ図測500mの地点、下安原町地内の海岸の砂浜上に漂着した木造船内で発見された。 8.本籍・住所・氏名不詳、推定年齢20歳代から40歳代の男性、残存身長169cm、着衣は茶色ズボン、黒色靴下  上記の者は、平成30年1月15日午後2時10分、石川県金沢市安原町西701番地から北西方向へ図測500mの地点、下安原町地内の海岸の砂浜上に漂着した木造船内で発見された。  以上8件、身元不明のため遺体は火葬に付し、遺骨は当市で保管しています。心当たりの方は、当市福祉局生活支援課まで申し出てください。平成30年4月18日 石川県 金沢市長 山野 之義
1月13日 秋田県にかほ市象潟町川袋地内(釜ノ上) 遺体1体 ■官報号外第22号 平成30年(2018)2月1日  本籍・住所・氏名不詳、推定年齢30~40歳代程度の男性、身長約160cm、着衣及び所持品なし  上記の者は、平成30年1月13日午前9時頃、秋田県にかほ市象潟町川袋字釜ノ上106番地4地先 西方約30メートルの砂浜において一部白骨化した状態で発見されました。遺体は火葬に付し、遺骨は保管してあります。心当たりの方は、当市福祉事務所まで申し出てください。平成30年2月1日 秋田県 にかほ市長 市川 雄次 ※300628調査時近くの家の奥さん「雪の中で烏が集まってつついていたので何かと思ったら足が突きだしていた」
1月21日 新潟県粟島八幡神社から200mの海岸 木造船の一部(船尾 長さ1.2m幅1.3mのコの字型 赤字でハングル2文字が書かれていた)
1月24日 石川県羽咋郡志賀町西海千ノ浦海岸 木造船(長さ8.15m幅1.9m高さ1m平底型 船体に白く614という番号記載 コールタールのようなもので塗装、傷み激しく長期間漂流したものと推定 近くに「10465료대」と書いた木片あり)
1月24日 山形県鶴岡市湯野浜海岸海辺お宿「一久」近く 木造船(長さ5.45m幅1.5m)
1月28日 石川県羽咋市新保町(志雄パーキングエリアの北約400m)木造船(長さ5.871m、幅1.87m 船体に黒い塗料。目立った損傷なし ハングルと「9-964」の記載)
1月30日 石川県羽咋郡志賀町大津、上野の境界近くの海岸 木造船の一部。不鮮明だが「3682370」と白い文字で船体に記載。
1月31日 山形県鶴岡市マリンパーク鼠ヶ関 木造船の一部
2月2日 石川県金沢港北西約64キロ沖 木造船。船体に文字や数字とみられる表記。
2月2日 秋田県由利本荘市出戸字浜山の海岸(西目漁港北東1キロ) 木造船の一部(長さ4.5m幅約2.7m 船体に赤い字で「556-60269」と記載
2月4日 秋田県由利本荘市親川河口付近 木造船の一部(長さ約5.4m幅約1.9m 赤い数字のような文字が記載)
2月7日 石川県輪島市名舟町海岸 木造船(長さ約5m幅約2m 「760-75200」と船体に記載) 
2月9日 石川県かほく市白尾海岸 木造船(船体に番号表記)
2月10日 石川県羽咋郡志賀町 木造船2隻(1隻は海士崎灯台北500m、長さ約12m幅約2m 船首部分に「505-64271」の番号記載があり1日に金沢港沖で発見された漂流船と思われる。もう1隻同灯台北約200m、長さ約5.4m幅1.5m 船尾破損 文字番号等記載なし)
2月11日 石川県加賀市美崎町漁協加賀支所から400m海岸 木造船(長さ約18m幅約5m 船首右舷に「504-66272」と記載)(300212北國)
2月13日 石川県羽咋市一ノ宮町一ノ宮海岸 木造船(長さ約7m幅約1.85m)(300214北國)
2月13日 石川県輪島市門前町池田海岸 木造船(長さ約4.35m幅約1.08m 船体にハングルと番号表記)(300214北國)
2月13日 石川県羽咋郡志賀町西海千ノ浦海士崎灯台近くの海岸 木造船(長さ約5.6m幅約1.4m 船首と船尾にハングルと番号表記)(300214北國)
2月13日 秋田県男鹿市野石字五明光海岸三種町との境から南約1.3キロ 木造船(長さ約10.1m幅約2.1m高さ1m 船内にエンジンと漁網を巻き上げる機械 船体に「29488」とハングルの記載)
2月15日 石川県羽咋郡志賀町百浦海岸 木造船(長さ9.7m幅約2.19m スクリューとエンジンあり)
2月20日 石川県金沢市金沢港北西20キロ沖 木造船(長さ約6m幅約1.5m 船首に「4233」の記載)
2月21日 石川県輪島市塚田長塚田橋付近の岩場 木造船(長さ5.75m幅1.83m 無動力船)(300222北国)
2月21日 石川県輪島市門前町鹿磯漁港付近砂浜 木造船の一部(平底部長さ3.81m幅1.83m左舷側一部が残る プロペラ軸受け部金属を確認。(300222北国)
2月22日 石川県輪島市深見町海岸 木造船(全長10m幅2.65m 船尾にスクリュー)(300223北國)
2月24日 秋田県能代市浅内字砂山海岸能代ロケット実験場南西約5キロ 遺体(北朝鮮との関連不明、一部白骨化した男性、身長約165センチ、着衣や履き物はなかった)(300225秋田魁)
3月6日 石川県輪島市名舟海岸 木造船の一部(全長4.5m幅2.2m遺留品は見つからず)(300307北國)
3月10日 石川県羽咋郡志賀町大島(おしま)漁港南側約180m海岸 木造船の一部(最大長5.2m 赤い数字「5129-61247」 船首に日本製ゴムタイヤを使った緩衝材)(300311北國)
3月12日 石川県羽咋郡志賀町安部屋海岸 ハングルと数字の書かれた木製標識・人民軍軍帽・究明浮輪(300313北國)
3月13日 石川県金沢市内灘海岸 木造船の一部(船首部分 長さ2.1m コールタールのような塗料・範読できない文字が表記)(300314北國)
3月27日 青森県下北郡佐井村大字長後牛滝漁港沖定置網内  ■官報 平成30年(2018)4月23日 本籍・住所・氏名不詳。 推定年齢50歳代~60歳代を中心とする中年齢層(推定)の男性(推定)、全長90cm(下半身なし)、着衣及び所持品なし、死後おおよそ半年ないし1、2年前後が経過していると推定、死因は死後変化高度につき不詳。  上記の者は、平成30年3月27日午前9時零分頃、青森県下北郡佐井村大字長後字牛滝屋敷裏所在の牛滝漁港西防波堤灯台から真方位195度4.82海里付近海域に設置してあった定置網内にて発見されたものである。 身元不明のため、当村で火葬に付し、遺骨を保管しておりますので、心当たりの方は当村役場住民福祉課福祉・健康推進係までお申し出ください。 平成30年4月23日 青森県 佐井村長
4月17日 石川県珠洲市能登町布浦(ぬのうら)海岸 木造船(長さ6.1m、幅1.7m、深さ0.8m 船体にハングルや数字が記載)。
5月16日 北海道爾志郡乙部町 木造船の一部
5月31日 青森県中泊町小泊漁港付近 木造船
7月11日 石川県羽咋郡志賀町千鳥ヶ浜海岸 木造船(砂に半分埋まり見える範囲が全長3.5メートル幅1.8メートル)コールタールで塗装。
7月11日 北海道松前郡松前町白神岬海岸から50m岩場 木造船(長さ約8m)
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20210508
4月29日 タワレコオンラインで買った、くるりの新譜が届く。特典のブルーレイから観る。冒頭の3曲の演奏が素晴らしかった。禍により予定していたライブが軒並み延期となった後に企画された配信ライブ。久しぶりのライブだったのか、演奏の喜びに満ちているように見えた。特にBOBOが昇天されたかのような顔をしていて、こちらまで興奮した。音源も聴いてみたが、今のところあまりハマっていないが、野球という曲の、「ノムさんありがとう」というところで少しうるっときた。 朝井リョウの『正欲』を読み始める。Twitterのタイムラインで何度か話題に上がっていたが、朝井リョウの小説は一切の前情報を持たなければ持たないほど堪能できるので、話題に上げた人の名前だけを書き留めて、その中身は読まないで過ごしていた。前情報によって読むか読まないを吟味せずとも、私にとっては必ず面白いものに違いないことはわかりきっているくらいには朝井リョウのことを信頼している。 4月30日 日付が変わり遅い時間になっても、『正欲』を読み進めることをやめられず、そのまま寝ずに読み切った。やはり面白かった。性欲、正欲、正しい欲。なるべく前情報を消して読もうと意識しているけど、どうしても避けることができない情報が、残りのページ数。残りのページの少なさによって物語が結末に向かっていることがどうしてもわかってしまう。読後、読み飛ばしていた『正欲』に関するツイートを読む。 読み終わり、少し時間をおいて歯医者へ。昨年の東京出張中から歯医者へ通い始め、熊本に戻っても新たな歯医者を見つけ、治療を一通り終え、その後は定期検診というにはせまい間隔でだいたい月に1回ペースで通っている。 そして友人の店へ。頼まれまとめて買っていたくるりの新譜を届ける。直前まで坂口氏がいたらしく、もうちょい早ければサインをもらえたのにって。そもそもその1、氏はその店の常連なので今日じゃなくてもサインをもらうチャンスはいつでもある。そもそもその2、友人に届ける分しか持ってきていないので、たとえ遭遇したとしても私はサインをもらえない。そもそもその3、私は氏のことをそんなに好きではない。10年近く前に氏の著作を読んだがモヤモヤを消化できないままに何年か過ごし、氏と話す機会があったときにその旨を伝えたが、書いた内容をいちいち覚えてないと言われた。それなりに影響力のある人なのに、生き方や考え方を人に勧めたり啓蒙したりアドバイスするにはあまりに無責任で軽率だろう。と、そこまで話して以来気まずく思っている。氏は相変わらず覚えていないのか、とても寛容な心をお持ちなのか、私のことを屁ほども思っていないのか、フランクに接してくれるが、私は気まずさを持ったまま。 ハイボールを2杯ほど飲み、服屋へ。紫色(ブランドがいう色名はGRAPE)の開襟シャツを買う。紫は欲求不満を意味する、と学生時代にそんな心理テストやジンクスみたいな風潮が流行って以来、15年以上紫色の服を避けていたが、もうさすがにいい加減そんなことはどうでもよくなり気にならなくなった。 帰宅後に少し寝、酒を飲みつつPGの書き方などを学習する。サイトが提示している問題を解くことでコーディングスキルがランク付けされ、ランクに応じて企業からオファーがくるなんていう便利な転職サイトがある。そこにはスキルアップコンテンツとして、初学者でも一定のスキルが身につけられる講座がある。それでぼちぼち学習をしている。 5月1日 グリーンカレーを作る。ペーストもココナッツミルクも思っていたより安く、どちらも1つ200円以下だった。今回の具材は玉ねぎ人参たけのこナスししとう鶏肉。しめじを買ったのに入れ忘れた。家にはもう米が1合分しかなく、それを食べ終わった後は酒のあてとして食べた。2日かけて食べるつもりだったけど1日で食べてしまった。 友人からおすすめの少女漫画を教えてほしいと言われ、少女漫画かわからないが、「かげきしょうじょ!」を薦めた。前回はおすすめの漫画として「ヒカルの碁」薦めたが、いちいち描かれている盤面まで読み込んでどっちが優勢かまで理解しようとしたところ、2巻でつらくなって諦めたと言われた。私も「かげきしょうじょ!」読み直す。野島聖のことは誰も嫌いになれないでしょう。 別の友人から薦められた「攻殻機動隊」のアニメを観始める。7話あたりまできたけどいまいち話が頭に入っていないので、現時点での話がいったん終わって、別の話なることを少し願っている。このままこの話が続くとついていけないような気がする。人にものを薦めるのは好きだけど、人から薦められたものを堪能するのはけっこう体力や気力がいる。私が薦めたものを堪能してくれる人たちよ、ありがとうございます。 5月2日 唐揚げを作る。下味はまあ好みで適当にしたとして、衣をウー・ウェンさんのレシピにならって上新粉にした。上新粉だと、冷めても衣がパリッとするらしい。しかし、揚げた後に甘酢にからめてしまって、衣の食感は確かめられず。余った上新粉はどうしようか。 「攻殻機動隊」の視聴を進められず、「BEASTARS」を観る。最後まで一気に観た。 「岸辺露伴は動かない」も観たと思う。 5月3日、5月4日 もはや覚えていない。1日ゴロゴロしていたのでしょう。 両日ともレバーを食べたことはたしか。 5月5日 ナバロへCro-Magnonを見に行く。昨年の11月以来、だいたい半年ぶり。ここ1年でも2回目。Cro-Magnonは毎年この時期に熊本に来ているけど、普段はクラブイベントで夜も遅いので見に行ったことはなかった。今年は時短営業の影響があってデイイベントとなっていたので、チャンスだと思って見に行く。ケツが決まっているので、ライブは完全にオンタイムだった。この人達の音楽を一切知らず、ラップをする人たちだと思いこんでいた。tha blue herbがそうなので、この人たちもそうなんだと思っていた。ブルーハーツとクロマニヨンズに名前が似ている人たち同士そうだと思っていた。ライブの持ち時間の半分くらいまでは、一切歌ってなくても、そういう構成なんだと思っていた。で、結局最後まで歌わなかった。インストの人たちだった。イベントは、21時の9分前に終演。前の日はなぜか眠れず寝不足だったので、早めに就寝して連休を終えることができた。
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はじめに
 このページでは、ぼくの変態の先生、吉田兼好先生の紹介をします。
 『徒然草』は、学校で勉強したり、入試の問題になっていたり、くそ面白くないシーンで活躍していますが、別に襟を正して正座をして読むものではないと思っているんです。
 ぼくは、吉田先生をとっても尊敬していますが、別に気むずかしい方ではありません。先生は、人様からは出家した偉いお坊さんと言われていますが、ぼくの吉田先生は、単なる非国民です。たぶん日本赤軍に誘われたら、二日間考えて参加してしまう方だと思っています。ちなみにぼくは日本赤軍ではありません。特におもてだったテロ活動もしていません。
 ぼくは、不良です。ちょっと斜に構えてグレてしまいました。これは、全部吉田先生のせいです。ぼくは、吉田先生に洗脳されてしまったのかもしれません。でもそれは、とっても幸せなことだと思っています。
 『徒然草』は、こんなに面白いのに、聖書みたくはやっていないのは、みんなが、吉田先生に洗脳されてしまうと日本中、非国民だらけになってしまい、国がなくなってしまうから、政府が隠蔽しているのかもしれません。ぼくも、こんな危険な活動をしていると、神隠しにあうかもしれません。そうしたら、このページはそこで終わりです。そういった場合は、どうぞ察して下さい。
 女の子にももてないし、友達も最近遊んでくれなくなって、お金もなく、仕事もばかばかしくなってきたので、『徒然草』の翻訳なんてぜんぜん世の中の役に立たないことをやってみようかな、なんて思いつきました。
 ぼくは『徒然草』を十六回読みました。『徒然草』で射精できるかもしれません。そのぐらい大好きな書物です。日本で『徒然草』が焚書にあったら、ぼくはイスラエルに亡命しようと思っています。そんな、大好きな『徒然草』を翻訳するにあたって、よくよく考えると大変なことだと思ってきました。全部訳せるかも、自信がありません。お金がもったいないので、底本は岩波文庫ですませます。時間ももったいないので、辞書と参考書もあまり使わないことにします。だって、べつに古典の専門家になるつもりはないですから。ちなみに古語辞典は旺文社です。
 だから、変な翻訳をしてしまうかもしれません。間違っていたら優しく教えてください。 実際、翻訳作業を開始してみると、時間がかかって大変です。だから、最初から読んでいって、訳したいと思ったものから順番に訳し、残ったものは、後で泣きながら 訳そうと思っています。
 こんなに苦労して翻訳しているときに、うちにエホバの証人がきました。ぼくの楽しい妄想が中断されたので、今日は本当にぶっ殺そうと思ってしまいました。
 本当は、原文と対訳にしたかったのですが、原文を打つのは大変なので、訳だけにしました。序段は一応打っておきました。もし、あまりにも暇すぎて『徒然草』の原文を打たないと死んでしまうという人がいらっしゃったら、ぼくにご一報ください。
1998年 春
途中に
 『徒然草』の翻訳を初めてから、もう四年もたってしまった。途中、予想通りとん挫し、しばらくの間放置していたが、近頃、とある理由でもう一度、訳してみようと思った。四年前のぼくは今よりも、もっと馬鹿で、少し調子に乗っていた節があるので、すでに翻訳済みの段に対しても若干の手を入れた。また、今回は対訳ということもあって「見当違いの意訳はみっともない」と思ったので極力抑えているつもりである。とは言ってもそれほどたいして世の中に影響がない作業であることは何ら変わりない。
 あれから四年たち、最近では『徒然草』が首都の若い女性達の間で密かなブームをよんでいる。都内、青山の某アパートでは流行の最先端を追い求める若者達でごった返し、『徒然草』を考える合同コンパなるものが開催され、���こでフィーリングが合った男女が渋谷の円山町の坂をネオンに向かって登って行くという。
 常識ある人間であれば、この先、「うそだよーん」などと書かなくても察していただけることを信じている。
 四年の歳月の間に『徒然草』の原文を打ってみたいという殊勝な志をお持ちの大学生からお便りをもらったり、意外なこともなきにしもあらずであったが、時間だけは刻々と過ぎていってしまったことは間違いない。
 今回は、序段より順に、訳していければいいと思うが、今までのぼくの傾向からして、困難を極めることは間違いなさそうである。
2002年 1月 中旬
あとがき
 六年がかりで翻訳が終わりました。二十代前半から初めて、石川啄木であったならとっくに死んでいる年齢になってしまいました。これが『源氏物語』であったならば、死ぬまで翻訳が終わらなかったことでしょう。
 ぼくの周りにいる人は、ぼくが徒然草の翻訳をしているなんていうことは誰も知らないことで、やっと今日、翻訳を終えたということも誰も知らないことでしょう。それでも、今日は記念すべき日のような気がして、明日は仕事を休んでしまいたい気分です。もちろん、明日は何事もなかったように仕事をする予定なのですが。
 この作業を始めたときは、おもしろ半分に始めたわけで、まさかこんな日が来るとは思っていなかったけど、ついに最後の読点を打ち付ける日が来ました。途中、何度も辞めようと思って、実際、一年間断筆なんかもしてみましたが、なんとかここまでやってきました。なんとか今日まで生きてきました。
 この訳は、訳しっぱなしで校正を入れていないので誤字脱字、勘違い甚だしいなど、多々、あると思います。たまには自分でも読み直して、修正を行っていきます。もし、ここを読んでくださって、気が付いたことなどあれば、ご連絡いただければとてもうれしいです。最近、ウィルスメールと迷惑メールしかお便りが届かないので、生身の人間から電子メールを頂いたら、欣喜雀躍すると思います。
 また、この翻訳は何かの目的があって行っているものではないので、色々な部分で引用していただいてもかまいません。だけど、できましたら是非ご一報いただければ幸いです。そうしたら、何か少し報われた気分がして、ぼくは救われると思います。
 この翻訳も永遠のものではありません。何かの事情で、ぼくが消えてしまえば、おそらく誰もホームページの使用料金を払う人がいなくなって、この翻訳も消えてしまうでしょう。そんな日がいつの日か訪れるのだということを忘れずに、徒然草の翻訳を脱稿します。
2004年 9月12日 行楽日和の日曜日に
改訂にあたって
 完訳から二年半、すっかり放置しており、その存在すら忘れていた、このホームページですが、誤字脱字等、ご指摘いただいた箇所を訂正し、見た目も刷新しました。
 また、読み返してみて、自分でも自分で書いた文章が鼻につく箇所、解読困難な箇所について、気がついた範囲で加筆、改ざんを施しました。
 このホームページを読んでいただいた上に、わざわざご連絡いただき、誤りを指摘していただきました皆様、この閉鎖的なホームページをご覧頂いて、励ましのご連絡をくださった皆様、稚拙なコンテンツにリンクを張ってくださった皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。
2007年6月吉日(かどうかは不明)に
新訂版にあたって
 このたび、十年以上前に訳した『徒然草』を四ヶ月かけて校閲した。もはや校閲というよりも訳し直しであった。誤字脱字、行抜け、誤訳、酷かった。
 これで高校生がコピー&ペーストして宿題に持って行っても、少し先生に怒られる程度までは精度が上がったのではないかと勝手に思っている。
 しかし、『徒然草』が持つ本来の魅力を味わいたいのであれば、こんな得体の知れない個人訳を読んでいる場合ではないとつくづく思った。
 だが、知らない間にこのページも検索エンジンに引っかかることが多くなってしまったようで、大変恐縮している。変な訳を載せていたら恥だと思い、泣く泣く校閲するに至ったわけだが、いくら校閲しても、し足りないのが本音である。
 校閲にあたって、一人作業は寂しいので、ブログを利用した。本来であれば、校閲終了と共に「あぼーん」と消してしまう予定であったが、携帯電話での閲覧及び、注釈をウィキペディアにリンクしたため、何かの役に立てばと残しておくことにする。ぼくが滅んでも、しばらくはインターネット上にテキストが残るかも知れないから。
 なお、このサイトの翻訳は自由に引用して戴いて構わないが、その内容を保証するものでもなく、著作権を放棄するものでもない。著作権もへったくれもないけど……。
 当分校閲はしたくないと思いつつ、校閲完了(のつもり)のご挨拶にかえて。
2009年7月22日 皆既日食の日に
吾妻利秋
” - このページについて - 徒然草 (吉田兼好著・吾妻利秋訳)
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shiro-absence · 6 years
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川久保玲語録 編集 川久保玲は、マスコミからの取材に滅多に対応しないため、実像の多くが謎に包まれているが、数少ないインタビュー記事に見受けられる語録は以下のとおり。 2011 ‐ 2012年  編集 「自由に生きていきたい、皆が幸福でなければならないと思っても、そうできない世の中の仕組みがあります。それに、人間はそれぞれ生まれてきても決して皆同じじゃないし、同じものをもらってない訳ですよね。そういうどうにもならない不平等の中でも、自分は自分だって頑張って生きていかなきゃならない辛(つら)さがある。不条理って言ったら言い過ぎかしらね。子供の頃からずっとそういうものに怒りを感じてきました。その気持ちを今後も持ち続けたい。」 「作り手の側も1番を目指さないとダメ。『2番じゃダメですか』と言い放った政治家がいました。けれども、結果は1番じゃなくても、少なくともその気持ちで臨まなければ。1番を目指すから世界のトップクラスにいることができる。」 「私のやってきたことは決して芸術家としての活動ではありません。『創造を通じたビジネス』を展開することのみを継続してきました。これはあらゆる重要性の中で第一で、唯一で、最も重要な私の方針です。その方針(決心)とは、今までに存在していなかったものを創造することを第一に考え、ビジネス面も成立させる方法でそれを創造し、表現することです。私にとってデザイナーであることとビジネスウーマンであることは分けられません。私にとってはひとつで、同じ意味です。」 「ファッションとは、あなたが自分自身に取り付けた何かであり、そしてファッションが生まれた意味との対話を通じて、あなたが身につけた何かです。着ることなしにファッションは意味を持ちません。この点が芸術と違うところです。」 「人が今、買いたいと望むからファッションなのであり、今、今日、身につけたいと思うからファッションなのです。ファッションはこの瞬間だけのものです。」 「本人の中身が新しければ、着ているものも新しく見える。ファッションとは、それを着ている人の中身も含めたものなのです。」 「私が表現したいのは『感性』feeling-私が全ての時を通じて経験している様々な感情-これは怒りだったり、希望だったり、それ以外のことだったり、様々な角度から見たものです。私はコレクションを造って発表してきて、それは確固たるフォルムを形成しています。それは人々に対して概念的に表現するものであると思います。というのは、それは特定の歴史的・地理学的な指標を持っていないからです。私の出発点は、いつでも抽象的なものだったり、幾重もの意味を持つものだったりするからです。」 「最近ファッションに対して強い興奮を感じられなくなっています。さらに恐ろしいことに、人々は必ずしも強くて新しい服を必要としておらず、同じことを信じている人が私たちの中にも充分おらず、ある種の燃え尽き症候群です。」 「最近はグループのタレントが多くなって、みんな同じような服を着て、歌って踊っています。私には不思議です。」 「人々は安くて簡単に着られる服を着て、他の人と同じ格好をして喜んで、創造の炎が少なからず冷えており、変化に対する熱狂と情熱的な怒り、そして現状に対する反抗が弱くなっています。しかし、私がいまだに愛していることは、バカなことをして、愚か者を演じ、著名デザイナーであることを振りかざしたりすることが、ファッションビジネスを構成する上で必須であり、必要な一部分であることです。そして創造が私を駆り立てます。創造なしでは進歩がありませんから。」 「誰にでもわかって、よく売れそうで、という服を作っていたらコムデギャルソンの存在はありません。」 「いいものは人の手や時間、努力が必要なので、どうしても高くなってしまう。効率だけを求めていると、将来的には良いものが作れなくなってしまいます。」 「若い人たちが考えたり作ったりする楽しみや必要性を忘れていくのが心配なのです。たとえば、ジーンズ1本が何百円なんてありえない。どこかの工程で誰かが泣いているかもしれないのに、安い服を着ていていいのか。いい物には人の手も時間も努力も必要だからどうしても高くなる。いい物は高いという価値観も残って欲しいのです。」 「まずはテーマも決めずに暗中模索で作り始めます。ただ、いつも何かを探していますね。ずーっと。いつも、一歩先に進みたいと思っています。」 「私は、いままでに存在しなかったような服をデザインしたいと思っています。自分の過去の作品に似たものも作りたくありません。」 「作品に対し『よかったですね』『綺麗だったですね』と皆から評価を受けたら、不安で仕方ないです。そんなにわかり易いものを作ったのかと、自己嫌悪に陥ってしまいます。」 「無視されるよりも、けなされるほうがましです。」 「すでに見たものでなく、すでに繰り返されたことでもなく、新しく発見すること。前に向かっていること。自由で心が躍ること。」 「いろいろ新しいものを探してさんざん考えた時、服が身体じゃないか、身体が服じゃないか、ということに気がついた。これが新しい服というひとつの考えです。」 「デザインしないこともデザインなんですね、私にとって。デザインすることがデザインとは限らない。」 「無駄や失敗があっても、外へ自力で行って、なるべくたくさんの人と競争しないと、新しい力は生まれません。」 「これをやったら安全でしょう、リスクが無いでしょうということが、コムデギャルソンにとってはリスクです。」 「いちばん大切なものは、仕事。コムデギャルソンの仕事に共鳴してもらい、ギャルソンの服を着た人がドキドキしたり、何か感じてもらえることが一番大事。」 「デザイナーであればこそ経営もする。そうして自己完結できてこそデザイナーとして真の独立が可能なんだと。」 「コムデギャルソンは会社をデザインする企業ですから、デザイナーが社長でないとだめです。」 「本当は私だってそんなに強くはないですよ。ただ、強気のふりも時には必要です。どうしよう、としょんぼりしているだけでは何も変わらない。」 出典:2011年8月25日付ウォールストリートジャーナルインタビュー[12]、2012年1月7日付朝日新聞ロングインタビュー(朝刊)[13]、2012年2月15日号月刊PENインタビュー。 2010年以前 編集 <2009年> 一つの洋服が何かものを言う時代ではないですね。襟がどうしたとかシルエットがどうしたとか、そういうことだけでは新しいことを表現できない時代になっている。コムデギャルソンとしては服だけではなくて、会社の進み方自体が新しくなくてはいけない。だから、いろいろトライしている。デザイナーが一つの服一点作ってってことじゃなくて、会社全体がデザインされるっていうことです。運営の仕方、売り方、ビジネスの方法論など、今までなかったことを実行しなければ、かっこいい新しい会社にはなれない。クリエーションしていないと思うんです。 早くお金を手に入れるのがかっこよくて、安いものを着るのもかっこいい。そればっかりになっちゃうともうおしまいですよね。これでもかこれでもかって安くしているけれど、安いのはただ効率で安くしているだけなのか。いずれにせよ、ある常識外で安いものは、それなりだから安いんですよ。いいものはやっぱり時間とか苦労とかいろんなものがかかっているわけですから、安くはできないんです。単純な理論ですけれど。安いことだけがいいって価値観も恐ろしい世の中です。安く安くっていうので、大きな閉塞感に向かいつつある。いいものは高いんですよ、簡単に言えば。 ファッションはアートではなく商業活動。だから売れなければならない。そこはバランスです。そこは、精いっぱいビジネスをしています。イメージだけで仕事はしていないですよ。たとえばイメージを強く優先する仕事と、もう少し売ることを優先する仕事とか、いくつもいくつも用意して、そのバランスを上手に取りながらですね。かといって、コムデギャルソンとしてはいつも新しいことを実行したいですから、売るためだけというのは、なしです。売るんだけれども、そこに新しい売り方があって、会社としてクリエーションをしていると言える方法論でなきゃダメです。売り方もかっこよくないとダメです。それは人の気持ちを刺激するためです。安いのがいいって言っても、みなさん刺激されたいし、刺激を求めている。人間ですから。 流通では坪いくら売れるという方が勝ちですよ。完全にそうです。おこがましいけど、「コムデギャルソンがここにあることで周りに少し元気を与えるという目に見えない価値観で計算してもらえませんか」とまで言うこともありましたから。それでも数字にならなければ全く考えてもらえない。もがくだけでもいいかなって。 昔みたいに一つの服をオートクチュール的に作りこんでいればいいいという時代じゃないので、もう少し視野を大きく、方法論を大きくです。作るものが個人的な小さいものでもクリエーションといわれた時代ではないので、今はもっと大きい物を作らなければダメだと思います。今、デザイナー兼経営の両方ができている人は、そういうことができる人じゃないですか。本当に大きいクリエーションをやりたければ、表現の材料は服そのものではないです。もうちょっといろんな材料で表現しないと。それがこれからの人には大事かな。そういう頭の構造、回路を持っている人はなかなかいないけれど。 出典:2009年12月7日付 繊研新聞「川久保玲インタビュー」 [14][15] <2008年> 例えば黒が好きだから黒をテーマにしたいと思います。だけど色としての黒だけをテーマにしてもおもしろくないですね。例えば抽象的な意味の黒もあるし、政治的な意味の黒もあるし、例えば未来の黒は何なのかって。自分にそういう風に宿題を出すんですね。それを解きながら少し出てきたら、それで、どんな方法で服を作ろうかと仕事に入る。それがわかってから、生地なりパターンなりの仕事が始まる。だからそれまでが私には大仕事です。それが決まらないと皆も動きにくい。待っている。なんとなくわかっていただけると思うけど。だんだん年をとると複雑に自分に宿題を出すんですよ。1本じゃなくて。経験したことはやれないし。前やったことは考えたくないし。そうなるとどんどん自分を追い詰めるでしょ。できないでょ。その繰り返しで何十年もやってきた。こういうこと話すの初めてです。大橋さんだからわかると思って。 やっぱり納期があるし、決まったプライスゾーンの中で作らなきゃいけない。だからしょっちゅう考えています。考えていない時はないですね。次々と宿題があるから、これをやらなきゃ、あれをやらなきゃと、店を作る話があったり、我々期中って言ってるんですけど、シーズンの中に、ショーでも展示会でも出さなかった商品を作るんですね。そうしないと売り上げが作れないので。それもやらなきゃいけない。そのうち次のシーズンがやってくる。そういうことの繰り返しと積み重ねの日々ですね。 出典:Arne25号 2008年9月15日発行(アルネ[要曖昧さ回避] 発行・編集人/大橋歩、発行所/株式会社イオグラフィック) 特集「コム デ ギャルソンをつくる 川久保玲さん」 大橋歩・川久保玲対談 <1992年> 今もそうですが、あの頃私も周りで一緒に働いている人々にいつも力づけられていました。当時の私の目標は、デザイン活動よりもむしろ自分自身の力で何かを為すということにありました。独立した人間として働くことが私にとって最も重要と思われたのです。その仕事が偶然ファッションの世界にあったというだけのことです。自分の名前を売るつもりはなかったので、ブランドネームに自分の名前は付けませんでした。コムデギャルソンという言葉は、その響きが好きで選びました。その頃の私には、今のようにコレクションを開くなどということは想像もできませんでした。 今回は、今までより精神的な表現を目指しました。構成にあたってはまず、自分が創りたいものの抽象的な概念と漠然とした感覚を基に、さまざまなテクニックでの表現を試みます。今回は民族的なテイストと精神的な要素を結び付けようと思いました。 ファッションは着る人の人間性を包含するものです。それは常に政治や経済と密接に関わっており、変化し続けているので私は退屈しません。美しさや格好良さに対する感覚は人それぞれです。私の感覚も常に変化しています。だから私には美とは何かという確固たる定義がないのです。ショーのモデルには、強くて自立した人を選びます。人によっては彼女たちを嫌うかもしれませんが、私はそういう女性が好きです。 私の作る洋服は高価ですが、それは特別の生地を作って、あらゆるディティールにまで確かな技術を追求した結果そうなるのです。3着の洋服を買う代わりに、どうしてそのお金で1着買ってそれを楽しもうとしないのでしょう。世の中には不必要なものが多すぎます。この会社がたくさん洋服を作らなくても経営がうまくいくように願う一方で、人々の価値観が変ればいいとも思います。 静寂はとても大切です。ひとりでいる時、私はとてもリラックスしています。東京に本当の静けさはありませんが、朝は落ち着いています。 好きな場所は、歴史的、文化的な背景���もった場所に魅せられます。それから大きな木の下も好きです。だからパリでは通りを歩いているだけで心地よくなります。 私は観る人の価値観を問うコレクションを創りたいと思います。話さなくても洋服を見れば私のことが分かります。言いたいことは全部、洋服の中にあるのです。 毎年たくさんのラインを発表し続けていますが、プレッシャーを感じることはありませんか?…「そんな時は『きっとやれる』と自分に言い聞かせます。中途半端や軽薄なことは大嫌いです。コレクションの度にこれが最後かもしれないと思います」。 将来の夢はありますか?…「いいえ!あなたにはあるんですか?」。 出典:「i-D JAPAN 1992年4月号」 インタビュアー:テリー・ジョーンズ、翻訳:石川れい子 [16] マスコミ評 編集 THE WALL STREET JOURNAL 彼女がCOMME des GARÇONS-仏語で「少年のように」というブランドを立ち上げたのは41年前(注2011年現在)。川久保玲は常に彼女独自のルールを貫いてきた。旧態依然の美の基準に挑戦することに魅了されてきた彼女は、ジャケットの左半分に別のジャケットの右半分を縫いつけたものと、彼女が所有するヴィンテージスカーフから造られたアシンメトリー(非対称)なドレスを複合した、全く新しい服を再構築した。これらは最新の彼女のショーに見られるものである。このことは単に着る物を造り出しているのでなく、むしろ思想の表現である。(出典:2011年8月25日付ウォールストリートジャーナルインタビュー)[12]。 THE NEW YORK TIMES Cathy Horyn(NY TIMES記者)は、川久保玲のこれまでの作品を調べた上で、彼女のデザイン手法の源泉について質問をしました。その後Eメールで川久保玲から回答が返ってきました。Cathy Horynは、メールを受け取って以下の結論を出しました。「川久保玲のデザインの源泉は、自分達記者があれこれ書くよりも、Eメールの川久保玲の言葉をそのまま記載したほうがいいことを悟ったので、以下に原文のまま記します」……(川久保玲のメール原文記載)……『私のデザインプロセスは、始まりもなければ終わりもないです。いつも生活の中の些細なことから何かを得ることを望んでいます。私はデスクワークをしませんし、コレクションのためにスタートを切るというポイントをつくりません。これは決してムードボードがあるわけではないし、生地の見本も見ない、スケッチもしない、閃く瞬間もない…何か新しいものを探すのに終わりはないのです。普通の生活をする中で、私は「考えること」のクリック、スタートのきっかけを望みます。そして次の段階として、全く無関係なものがイメージとして発生します。さらに次の段階、恐らく3番目の無関係な要素がどこからともなくイメージとして来るんだと思うんです。多くの場合、各コレクションでは3粒、あるいはもっと多くの種子が偶然に形成され、最後のプロダクトとして発芽します。しかし、それは私にとって永久に終わることない作業です。だから、明らかなことは、自分は仕事をしているということを考えた瞬間は一度もありません。というのは、一瞬でも作品が完成した、終わった、と思ってしまったら次のことができなくなるからです。(川久保玲のクリエーションは)しばしば、要素どうしは「時間」と「次元」で完全に分離されます。①情動 ②パターン ③どこかで見たことがある写真・絵。この3つの種子が、いつのもので、どこから来たのか、どうして一緒になったのかは私にもわかりません。ただ、自分のシナジーと変化を信頼します。例えば、2012年-2013年 A/W パリコレでは、自分の考えとして「デザインしないことがデザイン」だと思っていたのです。それは普通の生地で行うのが強く表現できる。何とかして、これで自分の思考の二次元のレベルは明白になりました。皆に受け入れられる、分かりやすすぎるコレクションでは、私は幸せにはなりません。私にとって、ホワイトドラマ(2012年S/S)はあまりに理解しやすいもので、コンセプトがはっきりしすぎていた。だから、私は2012年-2013年 A/Wのほうが良いと思っています。なぜなら分かりやすくないからです…例えば(レビューされている)インターネットの時代とか。全く関係のない仮定を立てられていることも良いのです。新しいものを見つける努力は、時間と経験でますます困難になっていくのです。したがって、2012年-2013年 A/Wは、自分の感情をコレクションに入れないで作ることにしました。』……以上、川久保玲のデザインの源泉がこのメールの1文に書かれています。それは何かというと「日々の些細なことと、散らばっている点と点を彼女の中で結んだ結果」だったのです。(出典:2012年5月31日付ニューヨーク・タイムズ記事「川久保玲はまるでモナ・リザ?」)[17] [18] 朝日新聞 川久保玲はファッション界では珍しく、写真の被写体になることを強く嫌い、また寡黙なデザイナーとして知られる。今回も作品と震災の関係については、言葉少なかった。その代わり、発表する作品はいつも全く違ったテーマや新しい手法で、世の中に強く訴えかける。見るものを戸惑わせ、深く考えさせ、心を揺さぶる。ぼろぼろにほつれた服を引っさげて、パリモードの伝統に風穴を開けたパリ・コレデビューから31年。その間ずっと反骨の精神を貫いてきた。サングラスを好み、近寄りがたい雰囲気を漂わせる。だがインタビューではサングラスを外し、「時には強気のふりをしているだけ」とは意外だった。大量消費社会が行き詰まりをみせ、既存の価値観が壊れる中、「ふり」をしながらでも自らを鼓舞して前に進むこと、それが新しい流れを生み出すためにきっと必要なのだろう。(出典:2012年1月7日付朝日新聞ロングインタビュー 朝刊「中見出し:取材を終えて」)[13] WWD japan <EDITOES VIEW BLOG> 前略 川久保玲様…(中略)表参道の交差点の方へほろ酔い加減で歩いて行って、あなたの店の前を通りかかると、なにやら店の模様替えをしているようでした。10時近かったでしょうか。店の中には、見覚えのある小柄で黒ずくめの女性がまめまめしく動き回っているのがガラス越しに見えました。あなたでした。私は思わず携帯電話のカメラのシャッターを押していました。その姿があまりにも神々しく見えたからです。(中略)その後、地下鉄に乗ってあなたを撮った写真を見て、驚きました。コラボ商品の陳列をしているその姿はまるで遊びに夢中になっている少女のようです。論語に「子いわく、これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」とありますが、この写真は艱難辛苦するクリエイターの姿ではなく、仕事を楽しむ少女です。そしてもうひとつ、夢中ではあるが、その「夢中」の加減が半端でないということです。何かに憑かれているような、鬼気迫る妖気が漂っているのです。何気なく押したシャッターが、とんでもない瞬間を捉えていたことに私は気付きました。大袈裟に言えば、あなたの創作の秘密を垣間見たような気持ちになりました。写真嫌いのあなたのことですから、ブログとはいえ、この写真の掲載には眉を顰められるかも知れません。しかし、あなたのクリエイションの素晴らしさを書いた何万字以上に、この写真はその本質を衝いていると私は思います。間違っているでしょうか?(出典:2012年12月5日 WWD JAPAN COM 編集委員ブログ:担当:三浦彰氏) [19] ファッション評論家 平川武治 1972年頃からイッセイ・ミヤケが、その10年後くらいにコム・デ・ギャルソンとヨウジ・ヤマモトが登場し、ひとつの地位を獲得し始めます。その後に続くアンダーカバーにせよ、海外に出て行ったデザイナーの背景には、世代が持ち得たジャポニズムがあります。イッセイは、もともと三宅一生がファッションイラストを学んだ人で、民芸運動等への関心もあったことから、グラフィックを基礎にしながらパリに打って出た。ヨウジやギャルソンは、海外では禅の影響だと言われるけれど、僕にすればイッセイのポジティブなジャポニズムに対し、ネガティブなジャポニズムを引っさげて行き、アンダーカバーは、ストリートのジャポニズムをパリに持ち込んだ。それぞれに世界に持って行けるだけの日本の風土があったと思います。両者の優秀なところは、パリのモードの世界が何を拠り所にしているか理解したことです。山本耀司はそれを「エレガンス」と把握し、そちらに向かった。川久保玲はそれをわかった上で、「自分の居場所はそこではない」と判断し、「ここに立っておれば、自分は自分なりに評価される」という地点を見出した。海外で日本人が受け入れられるには、アジア人でありイエローの心のありさまを表現するしかない。そういうことへの自覚が川久保玲独自のボキャブラリーを培わせたと思います。(出典:MANMO TV:平川武治インタビュー「#289風土のもたらす心のありさまは、新しい世界を開く」)[20] ファッションの世界は"在庫"が儲けの決め所である。商品在庫と原反在庫とである。川久保玲の企業(コムデギャルソン)もそれなりの"在庫"を持っていた。この"在庫"減らしの原反在庫の方を処理しはじめた時期と、このブランド(CdG コムデギャルソン)のクリエーションが"特異性"から"特殊性"へ移行し始める時期が重なる。特に、CdGブランドに於ける"特異性"は素材のオリジナル性が大きな比重を納めていた。が、ある時期からオリジナル素材を使う事が減り始める。寧ろ、在る原反在庫を意識的にデザインによって消化し始める。パッチワーク、染色、プリント、転写、裏使い、生地切替え、異素材ドッキング、製品洗い、リバーシブルデザイン、縮絨(しゅくじゅう)仕上げ、後染め、等によって主にCdGH.P.(コムデギャルソン オム プリュス)ブランドで展開する。(出典:平川武治のノート-ブログ/ The Le Pli: 期限限定ブログ/「なぜ、今頃喋り出したのか?川久保玲。」/最近の騒ぎについての私感。)[21] 視点を大きく変えてみよう。例えば、このレベルのファッション餓鬼ども(若手デザイナー達のこと)がいちように口にし、この世界を解ったふりしているあの、“CdG、凄い”の川久保玲の今後は? どのように彼女の持ち得た嘗ての“夢”の世界から新たな“夢”へ、どのように完結為さるのだろうか? 川久保玲は、立ち続けて来た自分の立ち居場所を動かず、“特意性”豊かな創作に励み、富も、地位も名声も関係性も全てを、スタイリストを辞めて好きなファッションの作り手世界へ友人3人と始めたブランドの当時の夢はもう既に総て、手中に為さっているのだ。この43年間の継続とは、持ち得た“夢”次なる、新たな“夢”へ、川久保玲も又、自分が持ち得た世界観を“教養とスキルと経験と技術と関係性”を意識し、それらが自分にしかない武器である事に気づき、自分の望むバランス観で調和し昇華させるために、全ては理性と努力と勤勉と責任感と決断力、それにこの人の極めて明解な正確であろう“潔よさ”を持って、もう一つ、“教養ある上手なお金の使い方”で創作と経営をバランス有る調和力を身に付け持ち得た200%の自我をここ迄集約、集中し、継続して来た結果なのであろう。では、そんな川久保玲のこれからの“夢”若しくは、それに変わるブランド継続の大きなモチベーションとは何なのだろうか? 僕の結論は以前にも書いた事があるが、川久保玲という人間が持ち得た“人間のがんばり”である。彼女にはこの“人間のがんばり”が持ち得た責任感の強さと、とてつもない決断力と潔さのバランスで依然、カオス状態でエネルギー源になっている。これに僕は彼女の人間としての深さ、そのスケールを他に見られない凄さとして感じ、リスペクトするのだ。インデペンデントなデザイナーブランドでは多分、日本一のファッションビジネスを展開しているだろう。(世界レベルでも2009年の統計では、既に世界で19位のメゾンブランドだった。/Xerfi700より)よく並び称される“イッセイやヨウジ”にはこのがんばりが少ない。残念だが、単純な理由は男性デザイナーだからというより仕方ないだろう。川久保玲の、“人間のがんばり”には三つの寄与があり、これが彼女の“夢”への最後のモチベーションであり真の立派さである。 一つはこれだけのビジネスを行う事による日本のファッション産業界への寄与である。素材やプリントの開発、デザイン性や生産工程への無数なる感性と技術の調和による産業寄与そして、それらは99%は国内生産品(小物革製品を除けば、)であり、使っている素材も多分、全てが国産製品であるという迄の産業寄与を行って現在がある。イタリー製とか中国製という世界はこのブランドには無い。(海外デザイナーたちでさえ例えば、あのP・スミス ブランドの嘗ては、その全てが自国、英国素材を使ってのブランドビジネス。) それから、川久保玲の世界を好きで買って着てくれる消費者たちの欲望への満足度や喜びや安心感や豊かさを与えている寄与。 もう一つはその結果によって、共に働いてくれている仲間即ち、600人と言われているcdgの社員たちとその家族たちの生活保証という現実への責任ある寄与である。 この“人間のがんばり”というエネルギーにはその最終着点は無く、カオスであり、在るのは独りの人間の死でしか無い。従って多分、本人は当然であろうが独りの人間としてどのように与えられた生を自分の世界観の内なる立ち居場所で全うするか。そのためには以前と変わらぬ自分自身の世��観を調和させる事。その立ち居場所で、川久保玲自身にとってはそれが日常性となってしまっているであろう“200%”の自我の世界へ変わらぬ“特意性”を感じる迄の創作活動を続ける努力と忍耐の日々が無事に繰り返される、その継続そのものが今の彼女の“夢”であろう。この“夢”とは三つの寄与、産業のため、社会のため、生活者のためにという自由なる生き方を選んだ人間たちが求めなければならない、為さなければならない”夢”の最高度なる最終段階であろう。従って、CdG、川久保玲は人間本来が持つべき当たり前の崇高なるレベルに迄達してしまっている希有なそして、とても幸せな人である。(出典:2012年10月20日、平川武治のノート-ブログ/「ファッションデザイナーたちはファッションデザインで産業に寄与しているのだろうか?」)[22]
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/川久保玲
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zbame · 2 years
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zbame · 3 years
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zbame · 3 years
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zbame · 3 years
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zbame · 3 years
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zbame · 3 years
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zbame · 3 years
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