Tumgik
#斎藤会計事務所
kennak · 2 months
Quote
自民党派閥の政治資金パーティーを巡る事件を受け、清和政策研究会(安倍派)は31日、2020~22年分の政治資金収支報告書の訂正を総務省に届け出た。パーティー券収入計4億3588万円を追加し、所属議員側への計4億2742万円の支出も追加した。また、安倍派はこの3年分を含む18~22年の5年間で、所属議員95人(元職らを含む)への総額6億7654万円の寄付が記載されていなかったことを明らかにした。  安倍派などによると、追加された寄付額はパーティー券販売のノルマ超過分。派閥からキックバック(還流)を受けたり、事務所内でプールされたりして議員側で裏金化していたとみられる。今後、議員側も収支報告書を順次訂正する。 Advertisement  一連の捜査のきっかけとなった告発をした大学教授は、追加寄付を受領した議員についても順次告発する方針だ。東京地検特捜部が不起訴にしたとしても、教授が検察審査会に審査を申し立てて、「起訴相当」や「不起訴不当」の議決が出れば、特捜部は再び捜査を迫られることになる。  3年分の収支報告書訂正により不記載が新たに判明した主な議員は、衛藤征士郎元衆院副議長970万円▽下村博文元文部科学相440万円▽細田博之前衆院議長210万円――など。安倍晋三元首相に関係する訂正はなかった。  今回の訂正により、3年分のパーティー券収入の総額は訂正前の約2・5倍に膨らんだ。安倍派は「国民の皆様の政治不信を招き、心よりおわび申し上げます」とコメントした。  安倍派を巡り、東京地検特捜部はこれまで松本淳一郎・会計責任者(76)を政治資金規正法違反(虚偽記載)で在宅起訴。議員側では、池田佳隆衆院議員(57)、大野泰正参院議員(64)、谷川弥一元衆院議員(82)=1月24日辞職=の3人を起訴・略式起訴した。【斎川瞳、黒川晋史、松尾知典】
自民・安倍派、95人の寄付不記載 5年6.7億円 収支報告書訂正 | 毎日新聞
2 notes · View notes
navetin · 1 year
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
■高島屋史料館TOKYO 『百貨店展 夢と憧れの建築史』  
百貨店が誕生した20世紀初頭から大型商業施設が出現する現代までを ファサード装飾や建築空間の変遷を通して辿る企画。
自分も日曜日には家族でめかし込んで三越や高島屋に行き、 食堂でお子様ランチを食べたり、松坂屋や松屋の屋上遊園地で 遊んだりした世代なので、今回の企画は興味深く、 主要百貨店を網羅した特大の建築年表は読み応えがあった。 会期が2/12までなのでまた見に行こうと思う。
他にも映像資料として1955年公開のハリウッド映画 『東京暗黒街・竹の家』の1シーンが上映されていたが、 これには往時の松屋浅草の屋上遊園地が鮮明に記録されていて 胸が熱くなった。
戦前の百貨店は華やかなファサードと建築空間で人々を魅了し、 エスカレーターやエレベーターなど革新的な技術を いち早く導入した一面がある。戦後に於いても 文化流行の発信基地として都市形成の重要な役割を担ってきた。
百貨店の宿命として常に発展し続けなければならず、 それ故に増床・改築でオリジナルのファサードが失われる事も多い。 松屋銀座本店は4度の大改装を経て現在に至っているが、 竣工当初の面影は皆無に等しくとても97年前の建物とは思えない。 その一方で松屋浅草店はスカイツリー開業に合わせて オリジナルのアール・デコ調の外観に戻しているのが面白い。 池袋パルコも元は村野藤吾設計の東京丸物で建物自体が 現存しているとは思わなかった。その他、改装自体を レーモンドや村野などの有名建築家が手掛けている例もある。
百貨店の系譜は主に呉服屋系と電鉄系からなるが、 近年は大丸松坂屋、三越伊勢丹、阪急阪神と経営統合が相次ぎ、 西武そごうに至っては売却のニュースも聞こえてくる。 老舗に存続して欲しいのは山々だが、 百貨店の役割が終わりつつあるのも否めない。 再開発を機に小田急新宿店本館や東急本店の建替えが始まり、 果たして百貨店形態で再出店するのかそれとも実質閉店で 銀座シックスの様な商業施設になるのか、 今後の動向も気になるところだ。
大丸心斎橋店(1922-1933年:ヴォーリズ建築事務所設計)、 白木屋日本橋店(1928年:石本喜久治設計)、 松屋浅草店(1931年:久野節設計)の模型3点のみ撮影可。
■京橋BAG-Brillia Art Gallery 『陰翳礼讃 現代の光技術と』
※ 現在は開催終了しています
本展は谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』をモチーフとした インスタレーションで光と翳りを体感する試み。 会場内は真っ暗で目が慣れるまでは恐る恐る歩を進める。 そんな体験も久し振りだ。LEDと言えば冷たくて目に刺さる様な 眩しさのイメージだったが、技術の進歩により 行灯の様な揺らぎや仄明るさも表現出来る様になっていて驚く。
ところでBAG-Brillia Art Galleryとは聞きなれない会場名だが、 東京建物が昨年10月に開設したギャラリースペースで、 どこにあるのかと思えばかつてのLIXILギャラリーであった。
日本橋高島屋から京橋のギャラリーを経て東京駅に向かう途中、 来年営業終了する八重洲ブックセンターの前を通る。 ガラスを用いた角丸のカーテンウォールが 先ほど見た百貨店展の白木屋を彷彿とさせた。
9月23日鑑賞。
1 note · View note
shintani24 · 3 months
Text
2024年2月9日
Tumblr media
国の借金、過去最大1286兆円 23年末、財政運営厳しく(時事通信)2024年2月9日
財務省は9日、国債や借入金、政府短期証券の残高を合計したいわゆる「国の借金」が2023年末時点で、過去最大の1286兆4520億円になったと発表した。
Tumblr media
【ひと目でわかる】「国の借金」の推移 国の借金、1276兆円 過去最大を更新―6月末(時事通信 2023年08月10日)より
高齢化に伴う社会保障費の増大などを税収で賄えず、借金頼みの厳しい財政運営が続いている。
借金の合計額は23年9月末比で10兆8404億円増加した。内訳を見ると、政府系金融機関などへの貸し付け原資となる財投債や政府短期証券は減少したものの、普通国債が1043兆7786億円と同16兆3657億円増えた。
不破雷蔵 「グラフ化してみる」「さぐる」ジャーナブロガー 補足 今記事参照元は財務省「国債及び借入金並びに政府保証債務現在高(令和5年12月末現在)」ですが、そこでは「国の借金」「借金」との文言は一切ありません。「国の借金」は、日本国政府が発行している国債(の額)を示しますが、「借金」の対象が日本国全体、国家組織や所属企業、民間人の全てに至るまでとの誤読につながります。たとえ「いわゆる」を本文でつけ釈明していたとしても、です(タイトルにはそれすらありません)。
日本国債の約9割は日本国内で購入され、その額は日本国民の債権。さらに日本国債は円建て。日銀の利益のうち剰余金は準備金や出資者への配当に充当される分を除き、国民の財産として国庫に納付。
借金云々とするのなら、負債だけでなく資産も見る必要があります。なお日本の対外純資産(対外資産と対外負債の合算)は3.16兆ドルで世界第一位(IMF公開値より)です。
Tumblr media
【速報】日経平均終値743円高 3万6863円 終値でバブル後最高値更新(TBS NEWS DIG 2月8日)2024年2月8日に追記
きょうの東京株式市場で日経平均株価は、きのうより743円高い3万6863円で取引を終え、バブル後の最高値を更新しました。
7日のニューヨーク株式市場でダウ平均株価が史上最高値を更新した流れを引き継ぎ、半導体関連株や好調な決算を発表した銘柄を中心に買われました。
上げ幅は一時800円を超え、3万7000円に迫る場面もありました。
イギリスの半導体設計大手アーム・ホールディングスが業績予想を上方修正したことをうけて、親会社のソフトバンクグループも大きく値上がりしています。
また、日本銀行の内田副総裁が講演で「マイナス金利の解��後もどんどん利上げをしていくようなパス(経路)は考えにくく、緩和的な金融環境を維持していくことになると思う」との見解を示したことも相場の支えとなりました。
Tumblr media
日経平均終値34円高、2日連続でバブル以来の高値更新…一時3万7000円台まで上昇(読売新聞 2月9日)
9日の東京株式市場で日経平均株価(225種)の終値は前日比34円14銭高の3万6897円42銭で、1990年2月以来、34年ぶりの高値となった。日経平均がバブル景気以来の高値を更新するのは2日連続。上げ幅は一時400円を超え、3万7000円台まで上昇した。
【一覧】売買代金は943兆円以上…証券取引所の現状
前日の米株式市場でハイテク株が上昇した流れを受け、東京市場でも半導体関連株に買いが先行した。東京外国為替市場で円相場が円安・ドル高に振れたため、輸出関連銘柄にも買いが広がった。
東証株価指数(TOPIX)は4・75ポイント低い2557・88。
Tumblr media
25歳で見せた歴史的瞬間、西洋に起こした革命 小澤征爾さんを悼む(朝日新聞)2024年2月9日
「小澤の目力」という言葉を、楽員たちからよく聞く。目が合った瞬間、無意識に音が出てしまう。なのに、なぜか他の奏者たちとぴったりそろってしまうのだと。
制するのではなく、技術と気の独創的な融合により、壁を壁とせず、東洋人にクラシックはできないという偏見に挑戦状を突きつけてきた。規格外の才能を花開かせたのは、やりたいことを絶対にやり抜く意志力、桁外れの行動力、そして愛すべき無鉄砲さだった。
1950年代末、1台のスクーターと貨物船に乗り、63日かけて欧州へ。日の丸付きのヘルメットをかぶり、ギターを背負って国から国へ。
パリに漂着し、腕試しにと受けたブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。ほかのコンクールもどんどん勝ち抜き、カラヤンに弟子入りし、名門ニューヨーク・フィルの副指揮者に大抜擢。躍進ぶりも規格外だった。
「ねえ先生。僕、バーンスタイン先生に教えてもらいにアメリカに行ってもいいかな」
そう、帝王と呼ばれたカラヤンにも屈託なく尋ねた。周囲からライバル扱いされていた2人だが、小澤さんにとっては最高の音楽を奏でる「同志」でしかなかった。物おじしない奔放な振る舞いを保守的な日本の楽壇がもてあまし、対立したNHK交響楽団に公演をボイコットされる事件も起きた。
小澤さんのベースとなった恩師・斎藤秀雄の指揮法は、西洋の音楽家にとっては自明のやり方を、他の文化圏の人々のために「翻訳」したものといえる。西洋人の「言葉」を自分たちのやり方で体得し、コンプレックスを超え、胸を張って自分たちの歌を歌おう。小澤さんはそんな斎藤の夢を背負い、彩りとニュアンスに満ちた音響を己の感性でたぐり寄せた。「外様にしか見つけられない本質もある」。そして小澤さんは、日本人の感性で西洋を説得するという革命を起こした。
61年、ニューヨーク・フィルを率いて初来日したバーンスタインが、当時25歳の小澤さんを舞台に呼び込んだ。口元をぎゅっと結び、指揮台でぶるっとひと震い。閃光のようにタクトを振り下ろし、自身の愛する黛敏郎の「バッカナール」で百戦錬磨の楽員たちと火花を散らした。戦後初めて、米国と対等に渡り合う日本の芸術家の姿が聴衆の心に深く刻まれた、歴史的な瞬間だった。
誰にも壁をつくらない生き方は、教育や啓蒙に対する情熱をも培った。「普通の人や子どもたちにこそ、真剣に向き合わなきゃ」。これは、志半ばで逝った盟友、山本直純との約束でもあった。
最後の10年は、相次いで襲ってくる病をかいくぐり、執念で指揮台に立ち続けた。力が抜けて軽みを増した指揮からは、楽員との即興的なやりとりが、より鮮明に浮かび上がるようになった。
ある日の終演後の楽屋で、そんな感想を小澤さんに伝えると「そう! 僕はシンフォニー(交響曲)でオペラをやりたいんだよ」。対話の権化であるオペラの精神を、言葉や文化の壁のない楽器だけで実現する。そんな理想郷を小澤さんは生涯目指し、音楽の伝統を継ぐ「職人」のひとりとして国境を越え、欧州の伝統の系譜に連なった。(編集委員・吉田純子)
コメントプラス
佐倉統(東京大学大学院教授=科学技術社会論)【視点】 日本人と日本文化にとって西洋音楽とは何なのかーー小澤征爾さんは終生この問題にこだわっていた。そしてこれは、明治期から本格的に「洋楽」を導入し始めた日本のほとんどすべての音楽家にとって、逃れられない宿命でもあった。瀧廉太郎も山田耕筰も伊福部昭も武満徹も、みなそれぞれにこの問題と格闘し、各人なりの答えを出してきた。その歴史と積み重ねの頂点に立ったのが小澤さんであり、吉田氏が書かれているように、彼は「日本人の感性で西洋を説得するという革命を起こした」のだった。
小澤さんはオーケストラの指揮者だ。オーケストラの合奏は、日本の雅楽ともインドネシアのガムランとも異なる。独立した個々の演奏家が、論理に基づいてひとつの曲を構築していくのがオーケストラであり、つまり、西洋文化に根ざしたコミュニケーション様式が凝縮された組織だといえる。なので指揮者は、音楽的な才能と表現能力に加えて、そのコミュニケーション様式をすみずみまで身体化していることが要求される。小澤さんは非西洋圏に生まれ育ってそれを成し遂げたわけで、そう考えるとその偉業はとりわけ際立って見える。
小澤さんの指揮する音楽のどこが、どのように世界の人々を魅了したのか。それを精密に分析し解明して、後世の人々でもわかる形にしておくことが必要なのではないか。吉田氏が指摘しているように、小澤さんの師・斎藤秀雄が西洋のコミュニケーション文化に基づく指揮法を普遍的な形に「翻訳」したことで、それをマスターした小澤さんのような人材が非西洋圏から輩出した。次は、小澤さんの会得した指揮法を他の人でもわかる形に「翻訳」することで、聴衆を「説得」する指揮法をマスターしやすくなるのではないか。そんな夢みたいなことを考えてしまった。これも小澤さんの魔力に捉われたからだろうか。御冥福を祈る。
Tumblr media
ホテルなどの2次避難所からの退去期限に不安抱える避難者 石川県が仮設住宅説明会を開催(FNNプライムオンライン 石川テレビ)2月9日
避難者にとって選択の時が迫っている。加賀市のホテルが避難者を受け入れているが、2次避難所の退去期限の不安がある。そんな中、石川県は2次避難所となっている旅館などを回り、仮設住宅などの状況を避難者に説明した。
通常営業に切り替わる2次避難所も
加賀市山代温泉にあるホテル「みやびの宿 加賀百万石」。珠洲市や輪島市から6日時点で347人の避難者を受け入れている。
しかし、いま避難者はある不安を抱えている。それは2次避難所の退去期限だ。
馳知事 「今、2次避難所の旅館やホテルに入っていただいている方々も3月16日前には出ていかざるを得ないというか。次にスライドしていかなければいけないということは当然、想定されます。」
3月16日に北陸新幹線は敦賀まで開業する。すでにホテルや旅館などでは、観光客の予約が入っているところもあるという。
2次避難をしている人 「うちのところの地元は特にまだ戻れるようなライフラインも全然やし、今まで通りの生活で仕事ができるかと言ったら全然目途がまだ全然。果たして2年後になるか5年後になるか…」
2次避難をしている人 「(移転の準備は)個人でしなきゃいけないでしょ。高齢の方がどんな手続きすればいいかというのがわからんままきていて。いきなりあんたたち2週間後に出て行ってくれ、みなし仮設住宅、みなしって何やという感じで分からんままやるのもちょっとあれやなと思うんやけど…。」
「みやびの宿 加賀百万石」の平均客単価は2万5,000円。しかし今、国や市からこの旅館に支払われている金額は避難者1人当たり1万円。採算はギリギリ。
北陸新幹線の敦賀開業に大きな期待を寄せているが、この旅館では行き先が決まらない避難者は引き続き受け入れる方針だという。
みやびの宿 加賀百万石 吉田久彦社長 「不動産屋さんと被災者の方をつなぐことをさせていただいているみなし、仮設住宅と仮設住宅に行くと家賃の補助は出ても食事代の補助は出ないんですよね。食事の心配というのは一番不安なところだと思いますので、そこも何かしらの手当・支援の策を行政には考えていただきたい。」
みなし仮設住宅について県が説明
こうした中、県は7日2次避難所で今後の住まいについて説明会を開いた。
この中で県は、この旅館はおおむね3月上旬が利用期限だとした上で、仮設住宅の着工状況やアパートをみなし仮設住宅として利用する手続きを紹介した。
県復興生活再建支援チーム 谷野明勝広域避難者支援グループ長は、「今アンケート調査をおおむね1週間程度考えていただく時間を用意して、その上でのご意向を踏まえまして、みなさまのご意向にできるだけ添えるようにやっていきたい」と話す。
これに対して避難者は、「みなし仮設住宅を利用する場合の条件とかがはっきりしていなかったのが、今お聞きして自分が思っていたよりいい条件だったので良かったなと思います」・「わかっていたことを聞いただけであって、解決策には何もならんなという感じ。みなし仮設とかそんなところに入る気もないし、水道(の復旧)次第だからねちょっと悩んでいるところです」と話していた。
0 notes
isana-9 · 1 year
Photo
Tumblr media
◎ 加藤淳設計事務所さんが設計した新潟市西区上新栄町の「佐渡がみえる展望書斎のある住まい」のオープンハウスにて、ISANAの家具をたくさん展示いただきます!!! ⁡ チェアやスツールたくさん、フェザーソファやテレビボード、ローテーブルもありますので、ぜひ、おうちと合わせてISANAの家具も見ていただけたらと思います✨ ⁡ ⁡ 見学会は、 ⁡ 3月18日(土)・19日(日)・20日(月)   10:00~16:00 ⁡ 予約制にて開催されるそうですので、 ⁡ 詳しくは加藤淳設計事務所さんのアカウントまで ↓ @katojun0826 ⁡ ⁡ 施工は、ag工務店さん!! @ag_koumuten ⁡ #新潟建築 #新潟建築設計事務所 #加藤淳設計事務所 #ag工務店 ⁡ ⁡ #ほんとに佐渡がくっきり見えました ⁡ #居場所がたくさんあって楽しいお住まい ⁡ #アール天井素敵 ⁡ #ダイニングスペースわくわくでした ⁡ #みなさんと談笑 ⁡ ↓ ⁡ #毎日更新してます #537日目 ⁡ ⁡ #オープンハウス #完成見学会 #woodworking #woodturning #furnituredesign #ソファ探し #沼垂テラス商店街 #イサナ喫茶室 (ISANA) https://www.instagram.com/p/CpuR8D4LJ5L/?igshid=NGJjMDIxMWI=
1 note · View note
zubaban · 1 year
Text
ニュース 03/03〜03/04
なんで何でも隠すかなぁ… 聞かれないと答えませんってか 答えてものり弁紙出すだけだしな 終わっとんな
→放送法巡る総務省の内部文書 立憲民主・小西洋之氏が公表 - 日本経済新聞
日米合同委員会の決定事項は国会の上
→追跡!謎の日米合同委員会 別のかたちで継続された「占領政策」 吉田 敏浩著:東京新聞 TOKYO Web
Tumblr media
本当さぁ… 議員は昆虫食以外禁止にしろ
→なぜ最大4万頭の乳牛の殺処分が必要? 元農水省官僚「農政の失敗。それを国民が負担」【WBS】(テレ東BIZ) - Yahoo!ニュース
内政は?
→政府、ウクライナに224億の無償資金協力 地雷対策や復旧支援に(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
食料問題じゃなくて分配の問題。 酪農なのでは飼料の問題もあるが、米は関係ない
→『コオロギ食は無意味』「スッキリ」で猛反発した坂口孝則さんに反響「唯一の良心」「真っ当な意見」(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース
→〈徳島・コオロギ給食騒動〉コオロギ食品加工会社に「菌は大丈夫?」「補助金をもらってる?」全部聞いた! 高校は「保護者からのクレームは1件もないですが、昆虫食を扱う予定はありません」(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース
当事者がもっと叫んでくれることを望む
→楽しんご 「ゲイだけどLGBT法案は絶対にダメ」と主張 経営者に「ボケーとしてると潰れる」と警告(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
こう言う事になる。
→おかもとまりさん「これって差別なんですかね」 女子トイレに“見た目が男性の方が”「身構えてしまった」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
酷いな…
→「もう一度被災したよう」津波で避難も役所から家賃800万円の請求 制度のはざまで絶望 #知り続ける(共同通信) - Yahoo!ニュース
どないなッとんねん
→不適切支出指摘も返還求めず 経費、委託料上回る 「コラボ」問題・都(時事通信) - Yahoo!ニュース
0 notes
ansia-tax-co · 2 years
Text
セミナー:そこが知りたかったシリーズ②
お知らせです!「セミナー:そこが知りたかったシリーズ②」 #税理士法人 #税理士事務所 #会計事務所 #コンサルティングファーム #ANSIA #アンシア #お知らせ
主催:公益社団法人 杉並法人会 後援:杉並区 2022年度ニューバージョン「そこが知りたかったシリーズ②」 両者がズバリ斬る! 「相続税第2段! Q&A」  日時:2022年9月6日(火) 9時30分~11時30分 場所:杉並区産業商工会館    杉並区阿佐ヶ谷南3-2-19 講師:弁護士 岸本 有巨先生(弁護士法人鎧橋法律事務所)    税理士 斎藤 英一(税理士法人アンシア 代表税理士) 参加費:1,000円(会員)・2,000円(非会員) 定員:20人 お申し込み方法: 杉並法人会(TEL:03-3312-0912)まで申し込みください。
View On WordPress
1 note · View note
toshihikokuroda · 2 years
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
基地建設進む石垣島 沖縄
米軍に土地も家も奪われ ここに次は自衛隊か…
2022年6月17日【1面】
現地ルポ
 米中が軍事衝突し、日本が参戦したら、真っ先に戦場になるのが沖縄です。77年前の沖縄戦と同様、住民は“捨て石”にされかねません。自衛隊のミサイル基地建設が強行されている石垣島を訪れました。(斎藤和紀)
 石垣島中央部の平得大俣(ひらえおおまた)地区。於茂登(おもと)岳の麓の森が切り開かれ、15台以上のクレーンが並んでいます。岩を削る音が鳥の鳴き声をかき消し、ダンプカーなどの工事車両が頻繁に出入りしています。防衛省は、中国艦船を想定した地対艦・地対空ミサイル部隊や警備部隊など約570人の配備を計画。2019年から工事に着手し、22年度中の完成を狙っています。
 「米軍に土地も家も全て奪われてここに来た。次は自衛隊か」。於茂登地区の元公民館館長の嶺井善(まさる)さん(56)は声を震わせます。同地区は、沖縄本島にある米軍嘉手納基地などを造るために土地家屋を強制接収された人たちが開拓した地域です。「集落に住む人の3分の2は嘉手納基地に土地を全部とられた」(嶺井さん)といいます。
 (1面のつづき)
「台湾有事」起きたら 石垣住民5万 避難不可能
戦場にしない外交を
 集落の入り口にたつ「開拓之碑」には、最初の開拓民の一人である嶺井善さんの父親の名が刻まれています。20代前半で南城市から単身で移住。手作業で木を切り倒し、大きな石は水牛に引かせて取り除き、家を建てました。生活は苦しく野菜やお茶、パイナップルなど何でも作りました。
 父親が入植してから約7年後に嶺井さんが誕生。朝5時から野菜の収穫を手伝い、学校から帰宅した後は、畑の石拾いやヤギの世話などをしました。おなかをすかせることが多く「あの時は生活が苦しいのが当たり前だった」と振り返ります。
 自衛隊配備は、住民にとって青天のへきれきでした。米軍に追われ、苦労を重ねて開拓した住民は軍への抵抗感は強く、近隣の於茂登、開南、川原、嵩田(たけだ)の4地区は反対決議をあげました。しかし、防衛省は住民の声を無視し、建設を強行しています。
日米共同基地に
 日本政府は「島しょ防衛」と称して、鹿児島沖から奄美、沖縄本島、宮古、石垣、与那国にいたる南西諸島に、自衛隊のミサイル部隊配備を進めています(図)。その背景には「第1列島線」に日米のミサイル網を配備して中国を抑止するという米国の戦略があります。
 米海兵隊は、中国の沿岸地域に臨時の戦闘拠点を設け、地対艦ミサイルで中国を抑止する「遠征前進基地作戦」(EABO)の具体化を加速。念頭に置くのは台湾有事です。
 米軍と自衛隊が台湾有事を想定した日米共同作戦計画の原案を策定したと共同通信が報じました。それによると、中台間で戦闘が起き、日本政府が安保法制に基づき、「重要影響事態」と認定した場合に、南西諸島が米海兵隊の臨時拠点となり、日米で中国艦艇を排除するとしています。
 22年1月の日米安全保障協議委員会(2プラス2)の共同声明には、台湾有事を念頭に、「南西諸島での自衛隊の体制を強化し、日米の施設の共同使用を増加させる」と明記。日米共同基地化が鮮明となりました。
 そうなれば南西諸島は軍事攻撃の標的となります。石垣市の人口は約5万人で、全員避難させることは不可能です。石垣や宮古島など先島全体では人口11万人にのぼります。加えて、台湾からの避難民も想定され、大混乱は必至です。
避難計画示さず
 政府は、国民保護法に基づき、自治体に「国民保護計画」の策定を義務づけ、「有事」において住民避難などを行うとしています。
 石垣市の国民保護計画によると、観光シーズンや混雑の発生状況などに応じて「複数の避難実施要領のパターン」を事前に作成すると明記。しかし内容は「非公開」(担当者)です。弾道ミサイルを想定した住民参加の避難訓練も石垣市で実施されたことはなく、住民からも「どれだけ上等な計画が作成されても、計画を事前に知らせずに5万人を避難させるのは無理だ」との声が上がります。
 弾道ミサイルや航空機による攻撃があった場合にはコンクリート造りの頑丈な施設や地下施設に避難すると明記。しかし、市の担当者はそうした施設について、「対象施設の指定はしてないが、そんなにないと思う」と述べました。
 また、基本指針には本土から遠い沖縄県の離島での避難には「国が特段の配慮をする」としており、内閣官房や国土交通省は航空機や船舶などの運送手段の「確保に努める」としています。しかし、石垣島で全住民を避難させるための運送手段の確保について、内閣官房は「有事の対処に支障をきたしかねないので答えられない」と回答を避けました。
 マグロ漁師の座波(ざは)幸次さん(61)は、「有事の際に船で逃げるのは現実的じゃない。島に大人数を運べる船はないし、漁船は遅いから真っ先に狙われる。戦争が始まればどこにも出られない」と危惧します。
 また、自衛隊に住民を保護する考えはないことが分かっています。日本共産党の赤嶺政賢衆院議員が18年に暴露した防衛省の内部文書「機動展開構想概案」(12年3月29日付)では、石垣島に敵が侵攻した場合、「(敵・味方の)どちらかの残存率が30%になるまで戦闘」という凄惨(せいさん)なシナリオを想定。しかし、「国民保護」は「自衛隊が主担任ではない」としています。「軍隊は住民を守らない」―。沖縄戦で住民が体験した冷厳な事実です。
逃げ場のない島
 住民からも懸念の声が相次いでいます。
 嶺井さんは、「ウクライナでも軍事基地や人が集まる場所が真っ先に攻撃された。有事になれば島に逃げ場はない。沖縄戦のように、空を見上げて『自分に当たりませんように』って祈るしかない。そうならないための外交ではないのか」と訴えます。「私たちは6年前から『有事になったらどこに逃げるのか』と問い続けたが、市や国は避���計画の内容は秘密だと言う。それでは避難なんてできない。石垣には地下もないし、そんな非常識な話があるか」
 ミサイルの弾薬庫から約400メートルしか離れていない開南地区の小林丙次・元公民館長(60)は、火薬庫が攻撃されれば住民が巻き添えになると懸念。「基地がなければここは戦場にならない。政府は『国を守るため』と言うが、私たちも国民の一人だ」と憤ります。
 住民の約9割が農家である川原地区の具志堅正・元公民館長(60)は、急ピッチに工事が進む現状に不安を抱きます。「戦争が起きてからでは遅い。日中交流を進めてほしい」と言います。「ここは農業や畜産をするなら一等地だ。基地の近くは島の飲料水や農業用水の水源地で、農作物にも影響が出る」と危機感をにじませます。
 基地建設は住民の民意を踏みにじって進められました。賛否で住民が分断させられる中、若者を中心に「石垣市住民投票を求める会」を結成し、18年に基地建設の賛否を問う住民投票の実施を求める署名を、有権者の約4割から集めました。市自治基本条例に基づき実施を求めましたが、推進派の中山義隆市政は拒否。現在、那覇地裁で係争中です。同会の宮良麻奈美さん(29)は、「市や国は、住民は『いないもの』として配備を決めた。それなら有事も住民を『いないもの』として扱うでしょう」と懸念します。
 ��田文雄政権は、ロシアのウクライナ侵略に便乗して、敵基地攻撃能力の保有や軍事費倍増など「力には力」で対抗する軍拡路線に突き進んでいます。軍事で対抗すれば軍拡の悪循環に陥り、偶発的な紛争を招く危険性が高まります。
 「石垣島に軍事基地をつくらせない市民連絡会」共同代表で医師の上原秀政さんは、「ウクライナ侵略で明らかなように、基地が標的にされ、住民は避難する暇もなく巻き込まれる。絶対に戦争は起こさせてはいけない」と指摘しました。
 沖縄戦の最中、石垣島は海と空が閉鎖されたことで食料などの物資が届かず、住民は飢餓に襲われたと紹介。旧日本軍が住民を山奥に強制避難させたためマラリアが蔓延(まんえん)し、石垣島で約2500人が亡くなったとして、「直接攻撃されなくても、島に閉じ込められるだけで恐ろしい事態になる」とも危惧します。上原さんは、琉球王国は日本や中国をつなぐ「平和の島」だったとし、「琉球では寝床に刀を飾らず三線を置いていたという。武力ではなく文化や音楽を通じた国際交流が大事だ」と訴えました。
 (4面) (しんぶん赤旗)
0 notes
kennak · 10 months
Quote
近隣住民などによれば、同夜の現場は周辺の道路が封鎖されるなど一時騒然となり、さながら「立てこもり事件」の様相だったという。結果的に武装警官による大捕物となったわけだが、先述した逮捕容疑は「同居人の腕を叩いた」という軽微な傷害で、しかも捜索差押許可状も逮捕状も発付されていなかった。それどころか――、 「そもそも“被害者”が被害を訴えておらず、被害届も出ていないんです」 そう呆れるのは、男性の弁護人を務めた青木康之弁護士(札幌弁護士会)。道警の捜査の端緒は、第三者からの情報提供だったという。 ●当事者「事件にするつもりない」→警察は執拗に事件化 緊急逮捕から1週間ほど溯る3月22日、かの部屋に住む2人の間で他愛ない言い争いがあり、男性が女性の腕を叩くという出来事があった。“被害者”に怪我はなく、もとより被害の認識もなかったが、のちにこれが深刻な家庭内暴力事件に仕立て上げられたのは、女性が何の気なしに痴話喧嘩の顛末を打ち明けた相手が親族と共通の知人だったことによる。 話を聴いた知人は早合点し、あるいは不必要に気を回し、女性の親族に連絡、これを受けた親族が本人を飛び越して警察に相談を寄せてしまった。相談を受けた札幌中央署は同28日深夜、そのマンションを訪ねて女性への聴取を試みる。これが、問題となる緊急逮捕の前夜のことだった。 中央署の捜査員らはその夜「とっくに仲直りしてるし、事件にするつもりなんかない」という女性の訴えを聴き入れず、署への同行を求めてきた。あまりに執拗な要請に根負けし、女性は警察官らに従わざるを得なかったという。 被害を届け出るつもりのない“被害者”は、ひたすら事件化を促す説得を受け続け、翌朝6時までその身柄を拘束されることに。ほぼ不眠のままで職場への出勤を強いられた女性はその日午後、仕事を早退してペット霊園や自動車販売店を訪ねる予定があったが、職場で待ち構えていた中央署員に引き続き拘束され、否応なく自宅マンションへ連れ戻される。 捜査員たちは自宅近くに停めた車両内に女性を事実上軟禁し、新たな要求を寄せてきた。マンションのカードキーを貸して欲しい、と。驚いた女性がこれを拒んでも、警察は「1階のオートロックを開けるだけ」と食い下がってくる。気圧された女性は承諾せざるを得なくなり、「絶対に部屋には入らないで」という条件をつけてキーを手渡した。 ほどなく、それを手にした捜査員らはオートロックを突破して目的の居室がある6階へ直行、女性との約束をあっさり破って玄関ドアからの入室を試みた。在室していた同居人男性が不意の訪問者らに驚き、強盗の襲撃かと身構えることになったのは、すでに述べた通りだ。 筆者が開示請求して入手した道警の『犯罪事件受理簿』。しかし、女性側は事件化する気はないとして、被害届は出していない ●警察の不可解な対応 浮かぶ別件逮捕の可能性 被害届のない傷害事件の立件に固執するあまり“被害者”を騙して鍵を借り、約束を破って入室しようとした挙げ句、窓を割って侵入。しかも令状のない「緊急逮捕」という、異例ずくめの対応と言えた。先の青木弁護士は、捜査の杜撰さを次のように批判する。 「あくまで任意捜査だったわけですから、男性が同行を拒否できるのは当然です。警察がどうしても踏み込みたかったのなら逮捕状をとるべきで、4時間もあれば充分それができた。実際、逮捕後すぐに令状がとれているんです。 なぜ逮捕前にそうしなかったのかはわかりませんが、地上6階からは逃亡のおそれもないし、『立てこもり』と言ったって人質をとったわけでもないし、大勢の警官が武装して突入する必要なんてありませんよ」 刑事訴訟法210条では「緊急逮捕」の要件を下のように定めている。 《死刑又は無期若しくは長期3年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由がある場合で、急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないとき》 要は「重大犯罪が強く疑われ、かつ令状をとる時間がない場合」ということだが、男性のケースがこれにあたるとはおよそ考えにくい。容疑は「腕を叩いた」という軽微な罪で、令状を請求する時間は短かくとも4時間以上あったはずだ。 なぜ札幌中央署が強引な逮捕に踏み切ったのかは知る由もないが、1つ推認できるのはそれが「別件逮捕」だった疑いだ。緊急逮捕後、警察は男性に薬物使用の疑いをかけて強制採尿、これに陽性反応が出たとして4月1日付で再逮捕している。 男性に薬物事件の前歴があったための対応だと思われるが、男性自身は筆者の取材に対して今回の薬物使用を否定、「2度も尿の採取に協力したにもかかわらず最終的に強制採尿された」と訴えている。警察と男性、どちらの言い分が正しいのかは現時点で検証困難だが、そもそも要件を満たさない勾留下での強制手続き自体が問題だったのは確かだ。 ●裁判所、異例の更正決定 滲む警察への憤り のちに弁護人を務め、また国賠訴訟の代理人も引き受けることになる青木弁護士が初めて男性と接見したのは、この再逮捕の2時間ほど後のことだった。 一連の経緯を知った青木弁護士はその日の夕刻、薬物事件での勾留請求を控えるよう札幌地方検察庁に申し入れた。地検がこれを聴き入れない可能性があったため、週末をはさんだ同3日には担当検察官に改めて口頭で要請し、加えて裁判所に勾留決定をしないよう意見書を出す。 しかし札幌地裁(斎藤由里阿裁判官)は同日付で勾留を決定、これに対する準抗告(不服申し立て)も翌日付で同地裁(井戸俊一裁判長)に棄却される結果に。これも不服とした弁護士は翌5日付で最高裁に特別抗告を申し立て、改めて被害者とされる女性の証言を引いて捜査の違法性を訴えた。すると――、 「翌日、裁判所から驚いた様子で電話があり、女性と連絡をとりたいと言ってきたんです」 青木弁護士がそう振り返る。さらにあくる日の7日午前、札幌地裁からくだんの女性に電話があり、裁判官3人が代わる代わるその証言に耳を傾けた。 この聴取結果をもとに「再度の考案」が行なわれた結果、同じ日の夕刻に伝えられたのは異例の「更正」決定。傷害事件での逮捕行為を違法と断じ、薬物事件での再逮捕も「違法な捜査との関連は密接」と指弾するもので、当初の勾留決定とは百八十度異なる結論だった。決定文に綴られた警察への苦言の一部を、下に採録しておく。 《捜査機関が被害者方居室の玄関ドアを開けた行為は、被害者の管理権及びプライバシーを侵害するものであり、違法な強制処分にあたる》 《窓を破壊した行為も危険かつ不利益性の高いもので、違法の程度は重大である》 《あえて詳細な事実関係を糊塗して緊急逮捕状等を請求したとみられるから、将来の違法捜査の抑止の見地からも相当でない》 最後の一文からは、裁判所の強い憤りが読み取れる。どういうことか。 本記事の半ばほどで青木弁護士が証言しているように、男性のケースでは緊急逮捕の「すぐ後」に改めて逮捕令状が示されていた。発付したのは、いうまでもなく裁判所。捜査機関を信用し、1人の容疑者の身柄拘束の必要性を認めた決定だ。これに異議を唱える弁護人の求めを2度にわたり棄却した札幌地裁は、準抗告棄却の決定でこんな認識を示していた(カッコ内註は筆者)。 《(捜査員らは)被害者の承諾を得た上で被害者方の窓を破壊して室内に立ち入った》 もはや言うまでもなく、この認識は事実と異なる。被害者とされた女性はそもそも警察にカードキーを預けることを拒み、それでも引き下がらない相手に「絶対に部屋には入らないで」と条件をつけてキーを渡していたのだ。無論のこと、窓を破っての突入など「承諾」するはずがない。ならば、裁判所はなぜ上のような理由で抗告を棄却したのか。 答えは1つ。���査機関に騙されたためだ。女性を騙して鍵を入手した警察は、裁判所をも騙して男性の逮捕を正当化しようとした。今回、国賠の代理人となった青木弁護士らが最も問題視するのがその点で、裁判では道警による虚偽公文書作成などの疑いを追及していく可能性がある。 筆者が開示請求で入手した道警の『事件指揮簿』。式事件の区分について、警察本部長、方面本部長、署長のうち「署長指揮事件」にチェックがついている 逮捕のあった夜、現場では「飛び降りの危険」があるとして札幌市内の複数の消防署から救助隊など計5隊が出動したことがわかっている。道警の『事件指揮簿』などの文書によれば当初の傷害事件は「署長指揮事件」で、決して重大な事案ではなかったはずだが、現場付近には警察マニアならば一目でそれとわかる機動隊の車輌が臨場していた。 その隊員らがライフル銃を手にベランダ窓から強行突入に及んだのは、これまで繰り返し述べてきた通り。突入時に割れたガラスで住人男性は手や脚に怪我を負ったが、警察からの謝罪は今もなく、窓の修理費用の弁償もなされていない。 警察が突入時に割った窓ガラス。未だ弁償されていないという(原告提供)
武装警官が「令状なし」で窓ガラスを破って突入した瞬間 住人に「違法逮捕」と訴えられる - 弁護士ドットコム
2 notes · View notes
daiyuuki24 · 2 years
Photo
Tumblr media
「ある用務員」 深見晃(福士誠治)は、幼少期何者かにヤクザだった父・光男(野間口徹)を殺されて以来、日本の裏社会を牛耳る真島グル ープの総裁・真島善喜(山路和弘)に育てられる。 今は真島総裁の愛娘・唯(芋生悠)の影のボディーガードとして、唯の通う西翔学院高校で「用務員」として働いており、そして、真島総裁に訓練を施された「殺し屋」という裏の顔も持つ。 真島総裁は、国内から完全撤退し香港へ拠点を置きアジア諸国でビジネスを展開することを部下である西森組長(般若)に告げる。 反発した西森は、真島の愛人の息子の本田(前野朋哉)を巻き込む「ある計画」を立て、それをキッカケに深見の隠された過去が明らかになっていく。 ある日、暴力団の抗争が勃発し善喜が殺され、その娘の唯が狙われる事により、学校が戦場となる。 更には放たれたスナイパーの源さん(渡辺哲)や青柳と斎藤のチャラいヤンキー二人組や黒田と湯布院の貧乏暇なしの殺し屋二人組やシホ(伊澤彩織)とリカ(高石あかり)の女子高生殺し屋二人組やサイコな殺人鬼・南の9人の殺し屋が唯と深見に襲い掛かかる。 深見は用務員としての衣を脱ぎ捨て、閉ざされた学校内から唯を救出しようとするが…。 福士誠治が映画初主演を遂げる本作は、バイオレンス映画界の新星・阪元裕吾による完全オリジナル作品。 三池崇史監督作品を数多く手掛けるアクション集団・Gocooによる本格アクションが繰り広げられる中、運命による呪縛を解放するため一人の少女を守っていく姿をクライムノワールな世界観で描く。 というと、ヤクザ映画なのかという感じだが、それはあくまでもヤクザ映画の世界観で「イコライザー」など「ナメてたヤツが凄いヤツだったアクション映画」であり、「ジョン・ウィック」のような近接格闘アクションや近接ガンアクションを見せ所にしたアクション映画である。 親子であってもお互いが生き残るため、騙し騙され殺し合う仁義なきヤクザ社会の中でも通い合う深見と真島の絆の太い男っぽい仁義と目的の為に手段を選ばない西森や鈴木の対照的なヤクザのありようが、より深見の男っぽい魅力を引き立てる。 理不尽の塊のような西森と村野の漫才のようなオフビートな会話など、スリリングなサスペンスとアクションの合間に挟まる絶妙なコメディと、電気屋の親父のようなのに冷酷な本田など個性的なキャラクターの魅力に惹きつけられる。 サイコな殺人鬼・南の冷血な殺人鬼ぶりのつかみから始まり、深見とシホ&リカ女子高生殺し屋二人組の図書館を舞台にしたガンアクション、深見とシホのナイフ格闘アクションなどクライマックス40分のアクションは、日本版「ジョン・ウィック」を目指した辻井啓司率いるアクション集団Gocooによる本格アクションが日本映画のこれまでの水準を超えた現代アクションの至高の域に達したアクションで、アクション映画好きなら満足すること間違いないハードボイルド・アクション映画。 #ある用務員 #福士誠治 #阪元裕吾 https://www.instagram.com/p/CcA0PtLpQOc/?utm_medium=tumblr
2 notes · View notes
mi2osuwa · 3 years
Text
週間文春/佐々木宏スキャンダル記事まとめ(MIKIKOに関わる部分のみ抄録)
●2017年12月、東京大会の演出チームとして、山崎貴(映画監督)、野村萬斎(能楽師)、川村元気(映画プロデューサー)、栗栖良依(クリエイティブ・プロデューサー)が選出。組織委員会会長の森喜朗が「リオ(大会の引継式)の演出陣を入れるべき」と注文を付け、椎名林檎、MIKIKO、佐々木宏(クリエイティブ・プロデューサー/電通)、菅野薫(クリエイティブ・プロデューサー/電通)がこれに加わる。
●チームの中心だった山崎貴が「風船で作った実物大ゴジラ」といった非現実的な提案を繰り返すため、組織委は2018年夏、野村萬斎に「チーフ・エグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクター」という肩書を与え、新たに責任者に据える。が、野村のアイディアもまた「茶室が空を飛ぶ」といった突拍子もないものばかりで、森喜朗主導で責任者を降ろされる。
●2019年6月3日、組織委は野村萬斎を管理側へ「棚上げ」し、MIKIKOを執行責任者に任命。
●同年7月23日にはIOC副会長への「開幕1年前プレゼン」が控えており、MIKIKOは不眠不休で企画案に没頭。計7時間に及ぶ開閉会式の構成、演出、キャスティングから衣裳プランまで、通常2年か���るところを2カ月弱で完成させる。「アスリートの出迎え役、引き立て役」として東京を演出したMIKIKO案をIOCは絶賛。
●2020年1月7日、デイリー新潮が「菅野薫が部下へのパワハラで懲戒処分を受けた」と報じる。パワハラ被害を訴えた電通社員は五輪を巡り菅野と主導権争いをしており、電通首脳陣は、菅野と被害を訴えた社員の上司、さらに五輪に関わる役員にも処分を課し喧嘩両成敗としたが、報道されたのは菅野の名のみ。同日付で菅野は演出チームを辞す。
●菅野薫はストーリー作りや各所へのプレゼンなどでMIKIKOに協力してきた。彼のサポートを失ったMIKIKOは、やはり電通社員である佐々木宏に「ストーリー作りができる人材を紹介してほしい」と依頼。佐々木はもともと「一人目の責任者」である山崎貴のサポート役だったが、関係先へのプレゼンの際に内容を無断で書き換えて山崎の怒りを買い、五輪から外されパラ開閉会式担当になっていた。MIKIKOの依頼を受けた佐々木は「自分がやる」と言い出し、森喜朗に話を通して五輪開閉会式企画に参加するようになる。
●2020年3月24日、五輪の1年延期が決定。これに伴う「開会式コロナ緊急対策リーダー」に佐々木宏が就任。指名したのは、森喜朗と親しい髙田佳夫(電通代表取締役社長補佐)。佐々木は指名を受けるにあたり「自分ひとりで式典をイチから決めたい」と条件を出す。
●2020年5月11日、MIKIKOは髙田佳夫から、佐々木体制への変更を一方的に告げられる。
●IOCは、2020年4月6日付のMIKIKOチームによる開会式案を「よくここまで準備してくれた」と歓迎していたが、佐々木宏はこれを白紙撤回、自前企画のプレゼンを重ねる。IOCから「これまでの企画の方がいい」と言われ続け、ついにはMIKIKOチーム案を切り貼りした案を提出するように。
●2020年8月18日、佐々木宏は延期決定後初めてMIKIKOを呼び出し現状案を説明。自作案を無断で切り貼りされたMIKIKOは困惑するが、「従前の企画をCGで作り込む」など建設的提案。しかし佐々木はこれを黙殺し、以降、電通などには「MIKIKOさんには話を通している」と伝え事実上彼女を排除。
●電通や組織委からの連絡が一切途絶えたMIKIKOは不信感を募らせるが、総勢500名に及ぶMIKIKOチームは次の仕事も入れられず待機状態にあり、「今辞めたらスタッフやキャストに申し訳が立たない」と忍従。ストレスから突発性難聴を発症する。
●2020年11月2日、佐々木宏が再度MIKIKOを呼び出し、企画案を説明。総合演出に小林賢太郎(演出家)を起用し、これまでの企画を一新したものだった。
●2020年11月9日、MIKIKOは組織委の武藤敏郎事務総長に辞任届を提出。〈(佐々木氏から)現在の企画案も共有いただきましたが、その内容は、ライブ演出の実務からしても非合理的かつ非現実的で、時流にも合致しておらず、到底納得できるものではありませんでした〉(同文書より)
●2020年11月25日、MIKIKOは組織委会長室で森喜朗と面談。森は「あなたが女性だったから、佐々木さんは相談できなかったのでは」「事を荒立てるんじゃないだろうな」と発言。MIKIKOは「荒立てません」と返答。
●2020年12月、組織委はMIKIKOに対し「MIKIKOの辞任とは関係なく、コロナで演出チームが解散したことにする」「迅速に物事を進めるための決断と発表する」と一方的に通告。
●2020年12月23日、MIKIKO辞任の事実は伏せたまま、チームの解散と佐々木体制への移行が公式発表される。
17 notes · View notes
innocent-3 · 4 years
Text
「獅子身中の虫鈴木貞一」より
…皇道派の連中は概して陰性な者が多かった。真崎(甚三郎)、柳川(平助)、小畑(敏四郎)、鈴木(率道)、秦(真次)などは蛇の肌に触るようなつめたい感じがした。荒木(貞夫)は秘書官と酒のみ競争するような茶目気があり、比較的陽気なところがあった。青年将校の信望を集めたのも、一つはそのせいであったと思われる。…
 皇道派の変わり種として、いま一人の珍しい人物を紹介しておこう。鈴木貞一である。第二十二期だから鈴木率道と同期だ。支那駐在から任満ちて参謀本部に戻ったが、肝心の支那班で「彼は支那班に置くような者ではない。もっとしかるべきところに」といって収容しない。他の部課でも「ああ、こちらにはいらないよ」とみな敬して遠ざける。頭脳もよし手腕力量ともに凡庸ではないが、どういうものか同期生から好まれない。同期生といえば同胞よりも親しい。血を��すりあった盟友だ。それから排斥されるんだから、よほどの大器に違いない。それを聞いた軍事課長の永田鉄山が「それじゃ、俺のところにもらおう」という。軍事課の者が「ゲテモノ食いもたいがいにしなさい。彼を抱えこんでは課長が食われますよ」と散々忠告したが「まさか」といって採った。
 駑馬も騎手が良ければ駛る。いわんや鈴木は千里の馬だ。騎手は古今の名手と来ているから、正に天馬天をいくごとく見えた。「鈴木はいいだろう」と永田は鼻をうごめかしていた。鈴木も永田の知遇に感じたか、御奉公第一と勤めているうち世の中が変わって来た。荒木が陸相としてその一党を率いて乗り込んで来た。永田と意気投合していた小磯(国昭)は軍務局長から次官に棚上げされた。荒木の髭の塵を払わねば立身出世かなわぬ雲行になった。永田は新軍務局長山岡重厚が素人だから、従来より一倍骨を折ってこれを補佐しているが、山岡は事務などはどうでもよい。永田の言動を厳重監視するのが役目である。
 永田は人からはゲテモノ食いなど冷やかされるが、どんな者でも一芸一能に秀でている者ならばりっぱに使いこなす。鈴木など好例であるが、その他の軍事課員も一癖も二癖もある。腕に覚えのある侍どもだ。大臣がかわろうが局長が動こうが、俺は俺の道をいくという構えでジタバタする者はない。それぐらいの面魂は持っているのである。ところで、某日、筆者が山岡を訪れた。その頃はすっかり仲よしになっていた。
「おい、珍しい物を見せようか」
 山岡は応接室から自室に引き返して持って来たのは汚い鞘に納められた短刀である。
「拝見します」
 と抜いてみるとさびついている。銘はない。むろん筆者にはわからない。「何ですか」ときくと「俺にもよくわからないが、関もので兼房あたりではないかと思う。物は大したものではないが、まあ窓をあけるぐらいの価値はあろう」と卓子の上に載せ、「問題はこれを持って来た者だ。誰と思う」わかりませんと答えると「貞一だよ、鈴木貞一だよ」と言って笑う。「彼が北京とか天津とかの古物屋のガラクタの中にあったのを発見して、掘出物ではなかろうかといって持って来たんだ。彼は平素刀などひねくりまわしているのかい」と愉快そうに笑う。山岡は皮肉屋である。彼には鈴木がどういう意味でこんなものを持参したかを知っているのだ。それを筆者に言わせて拍手しようという魂胆だ。山岡が刀剣以外には何の趣味も道楽もない木強漢であることは部内周知の事実だ。酒を持ちこんでも菓子折を持参しても何の効顕もない。もし、刀剣を持ちこめば相好をくずして喜ぶ。この点はまことに弱い。持ちこむといっても贈物ではない。鑑定だ。贈物となれば少なくとも山岡の所持している以上のものでないと喜ばないだろう。現に長光とか国安とか稀代の国宝級のものを持っている。それに匹敵する物は、まず手に入るものではない。そこで鈴木はこの山岡最大の弱点をついたのである。
 山岡が積極的に悪口を言わなくなれば、皇道派の連中は大抵信用する。面と向かっても罵倒するし、陰での批判など痛烈無比だ。皇道派とは因縁のない板垣征四郎を呼ぶに、まともに言ったことはない。「板(パン)」である。「板」がまた支那人にだまされてウンと金をとられた。「彼は板じゃなくて白(パイ)だよ。白痴だよ」という。金をとられたという事件の内容は忘れたが、おおむねこの類だ。彼の口に上らなかったのは武藤、荒木、真崎の三守護神くらいだが、それでも荒木については善意の悪口はのべていた。鈴木はその後も、長いもの短いもの幾口かを持ち込んでいた。山岡は役所でもろくな仕事はしていないんだから、役所に抱えて行って局長室に投げこんでおけばよいのを、わざわざ自宅に持参するところに彼の狙いがあった。かくて、皇道派のメンバーの一人の如く振舞うようになってから、永田に対する態度は次第に冷ややかになった。つめたくなるばかりではすまない。皇道派に永田の悪口を注進する。
 鈴木はしばらく新聞班長をしたことがある。上着の内ポケットがいやに硬直している。「機密費でもしこたま入れてるのかい」というと、「ばかを言え、これだ」と取り出したのは短刀だ。見ると月山貞一の作である。「僕と同名だし、なかなかいいできだろう」と得意である。 月山は帝室技芸員か何かになって、晩年は知られたが、日清戦争頃までは鍛刀の依頼者も少なく、やむなく古刀の擬物を打っていたと伝えられる。擬物でもすぐ発見されるようなものでなかったから、その技術は高い水準にあったらしい。それにしても贋物作りをするような人物は感心できない。それはそれとしても、何のために新聞班長が懐ろに短刀を呑んでいなければならないか。それほど彼の身辺は危険だったのか。真に護身用なら赤の他人に誇示するようなことはないはずである。また、手をのばせば届くところに、日本刀を仕込んだ軍刀を置いている。どこから見ても不必要だ。それを見せるキザな態度に筆者は、しばらく胸の悪くなるのを覚えた。
 斎藤内閣のとき、何かの要件で鈴木は高橋(是清)蔵相を訪れた。大いに気おって蘊蓄を傾けて老蔵相を説き、ことに陸軍予算のみならず、国家予算全体についても話したらしい。高橋は鈴木の階級も何も知らず、おそらくポストも知らなかったろうが、ともかく数字をならべて説くところがなかなか堂に入っている。感心して鈴木が出て行ったあとで、次官か秘書官かに「今来てしゃべって行った兵隊はあれは主計か」と尋ねたそうだ。この話が陸軍に伝わり鈴木の耳にも入った。「君は主計に間違えられたそうだね」というと怒るかと思いのほか、満悦である。大蔵大臣に主計と間違えられるほど、俺は数字にも明るいんだと誇りたいんだ。渋谷美竹町の彼の自邸は、佐官級としては過ぎたりっぱなものであった。応接室も広く、周囲に飾られている物はみな中国のものだ。新聞記者が行くと、なかなかの御馳走を出す。ウィスキーなんか本場物を幾種類か出し、時には上等の中国の酒を振舞う。酒好きの記者はしばしば鈴木邸を夜襲したらしい。そういうことをするのが弘報宣伝だと心得ていたのだ。
 さて、世の中はまた変わった。荒木が引っこみ林(銑十郎)が出て来た。その直後のことである。筆者は毎朝犬の運動のため、渋谷、駒場方面から方角違いの中野、杉並、八王子近くまで自転車で走りまわっていた。その途中に知りあいの家があれば、遠慮なく叩き起こす。仲には「どんなことでもきくから朝起こすのだけは勘弁してくれ」と泣きつく者もいた。家を出るのは薄暗い頃だから、運のわるい者はほんとうに夜半のつもりでいる。渋谷方面では永田も被害者の一人だ。しかし、その頃は旅団長をしていて、夜ふかしは少ないはずだから、帰途に垣根の外から「永田さん」と呼ぶ。美しい夫人が縁側に三つ指つくときは、まだ起きていない証拠だから素通りする。ところで、その朝は筆者の行ったのが少し遅くなってはいたが、珍しく庭に出て楊子をくわえている。そして先方から声をかけた。
「オイ、ニュースがあるぞ、こっちに入れ」
 永田がそんなことをいうのは稀有だ。「何ですか」と犬をつれて庭に入って縁に腰かけるとこういうのだ。
「鈴木貞一が来たんだよ。御近所まで参りましたからといってね」
「鈴木は美竹町ですぐ近所じゃありませんか。今まで訪ねなかったんですか」
「来るものか、そして省内の事情や何かをききもしないのにいろいろしゃべって行ったよ」
「閣下が軍務局長にでもなると見たんですね。ほんとうにそんな気配が感ぜられますか」
「いろいろの情報や脈引きに来る者はあるよ、だが御免だよ、毎朝馬に乗って軍隊のことばかり考えていればよい旅団長は、めったにやめるわけにはいかないよ、ことにこんな御時世ではね」
 林が就任すると間もなく、永田軍務局長説が出た。筆者は渡辺(錠太郎)から、林はつっかえ棒なしでは乗りきれない。永田は迷惑だろうが軍務局長になってもらわねばなるまい。林もその気でいる。しかし、実現するまでは新聞に書いてくれるなよ、書けば彼らが騒ぎ出すからと堅く差し止めされていた。しかし、部内でも永田出馬説がでるし、他の新聞にも書き立てている。そういう際だったので永田の真意を打診したのだが、やはり永田は出ないと言っている。けれども渡辺が強引に林を説得しているから、所詮出なければならなくなるだろう。渡辺のことは伏せておいたが、結局引っぱり出されるだろうことを話した。永田は「困る、困る」を連発して、憂鬱そうだった。
 昭和九年三月の異動で、永田は軍務局長となった。鈴木貞一は永田の下で羽ぶりをきかせたかったらしかったが、こんどは永田もそうはしない。陸大主事に追った。小畑幹事の下だからうまく行くはずだが、林陸相出現以来の鈴木の豹変振りが皇道派を痛く刺戟した。彼は何をするかわからぬという疑惑がある。俊敏な小畑がそれを見損ずることはない。新聞班長時代には千客万来だった鈴木邸にも、雀が門前に巣をかけるようになった。だが、それぐらいのことで尻尾をまくような鈴木ではない。小畑にはつとめて媚態を呈するとともに、新聞班長時代に開拓した政界という新分野に鎌首を突っこんで行った。侯爵井上三郎は砲兵大佐で現役を退き貴族院にいる。現役時代から接近している。西園寺公の秘書原田熊雄は以前から食い込んでいる。原田から近衛、木戸の方につながる。
 五・一五事件のあとではあり、政治家はみな陸軍のことを知りたがっている。それには鈴木は最もよい情報屋である。原田日記にも鈴木の名はところどころに出ているが、林が陸相辞任騒ぎをおこしたときでも、鈴木は原田に荒木、真崎らの動向を伝え、こういう風に西園寺公に報告してくれなど注文している。政友会の方では、五・一五事件が政治家のだらしなさに対する警告だったことなど忘れ、また軍部をのさばらせることが、いかなる結果を招来するかも慮らず、いたずらに政権をとりたい野心から、しきりに軍部の機嫌をとる。森恪などその第一人者だった。鈴木は森恪の存在を重視しないはずはなく、ここを窓口として政友会に近づく。かくて政界で流行児になった。現役軍人としているのもよし、退いて政界にいづるも不可なしと、彼の地盤は漸次強固になる。ここらの手腕は実に鮮やかなものであった。
 永田軍務局長時代であるが、小磯は第五師団長として広島にいた。筆者は満州からの帰途にはいつも小磯を訪問することにしていた。広島は急行列車が不便で、夜半でなければ通過しない。小磯は起きて待っている。大きな玄関を入ると上り口にりっぱな果物籠が置いてある。小磯は出迎えに出た夫人を顧みて「籠はまだ捨ててないじゃないか」となじっている。夫人は困ったという顔つきで笑っている。どうしたのかときいてみると
「その籠にはふれるな、けがらわしいんだ。名刺かなにかはさんであるだろう、それを見ればわかる」
という。電灯の光でのぞいてみると鈴木貞一の名刺だ。
「鈴木が広島を通過したが、次官の関係でお伺いできないから、閣下に宜しく伝えてくれといって、多分駅にいた憲兵にでも頼んだんだろう、俺の留守中に届けられているんだ。胸糞が悪いから捨ててしまえと言って置いたのに、まだそこに置いている」
 なるほどそれでわかった。その頃は小磯が中央部に出て、航空本部長になるかという噂がたっていた。その先物を買ったのだろうが、小磯としては次官、関東軍参謀長時代の鈴木の仕打ちには我慢ならぬものを感じていたのだ。
「捨てるのはもったいない。名刺さえ捨てておけば中身は上等な果物ばかりです。一つ食いましょう」
 と名刺を土間に捨てて、籠を持って応接室に入った。小磯は機嫌がわるい。
「そんなものを食うより、今夜は虎の肉を食おう。山下亀三郎が朝鮮か満州かで仕留めたと言って、虎の肉を送って来ているんだ。この方がさっぱりしとっていいよ」
 とさっそくすき焼きにして食ったが、肉が堅くてだめだった。それよりこの方がいいと、メロンや何かを食った。先物を買ってまた一儲けしようと考えたのだろうが、小磯は中央にもどらず、朝鮮軍司令官になった。果物は贈り損をしたわけだが、彼にもたまには目算違いがあった。…
(高宮太平『昭和の将帥』、1973年、190-197頁)
6 notes · View notes
xf-2 · 4 years
Link
新型コロナウイルスが世界で猛威を振るう中、欧米で注目が集まるのは、高齢者だけでなく若年層の感染や死亡の報告が増えていることだ。米国では、2020年3月24日にロサンゼルスで17歳の男性が、25日にはサンディエゴの自宅で自主隔離中だった25歳の男性が新型コロナ感染症で死亡しているのが発見された。28日にはイリノイ州で0歳児の死亡も報告されている。
 米ジョンズ・ホプキンス大学の統計によると、4月1日(米東部時間)午後10時現在、世界の新型コロナ感染者は93万人超、死者は4万7000人を超えている。国別の感染者では米国の21万5417人が最多で、その4割をニューヨーク州が占めている。
 今回は3月27日付記事「新型コロナ、NYから医師が警告『気を抜けば東京もこうなる』」の第2弾として、ニューヨーク近郊の大学病院で日々、COVID-19(新型コロナ感染症)の治療に当たる感染症専門医の斎藤孝医師に、新型コロナのアウトブレイクの現状を聞いた。第1弾から1週間もたたないが、状況は深刻さを増している。
新型コロナウイルスのアウトブレイク(集団感染)があってから、どのような生活をしているのでしょうか。
日本で総合商社に勤務後、米国駐在を経て米国の医科大学に進学。卒業後にニューヨーク市ブロンクス地区の病院で内科研修修了。ニューヨーク・プレスビテリアン・クイーンズ病院で感染症フェローとしてエイズや結核などの感染症患者の治療に従事後、20年からニュージャージー州の大学病院で感染症の指導医を務める。
斎藤孝医師(以下、斎藤氏):週末も全て出勤でしたが、今日はようやく午前中だけ時間が取れました。昨日までオンコール(緊急時のために時間外も待機すること)で、その翌日は午後から出勤することになっているので。
 現在は、ニューヨーク市から川を挟んで隣のニュージャージー州の大学病院で感染症指導医を務めています。2カ月前までは、現在、新型コロナ感染症の患者さんが最も多く入院している病院の一つ、ニューヨーク・プレスビテリアン・クイーンズ病院に勤務していました。
 状況が変わったのは2~3週間くらい前でしょうか。先週は特にきつかったのですが、今週はもっときつくなると思います。何百人という数の患者さんが次々に入ってきている状態です。
 検査も追いついていません。時間を追うごとに数字がどんどん変わるので正確には言えませんが、現時点で200人くらいの患者さんが入院していて、そのうち重篤患者さんが40人くらいではないかと思います。ICU(集中治療室)のベッドがほぼ埋まっています。
 現在はICUをCOVID-19の患者さんだけにして、別の疾患の患者さんには、別の部屋に機材を入れて一時的に移ってもらっています。感染リスクがあるので同じ部屋に入ってもらえないからです。
 COVID-19は空気感染はしないものの空気中に3時間以上存在すると言われているので、空気感染の場合と同じように陰圧をかけた特別な部屋に入ってもらっています。限られた病室でしか対応できないのはこのためです。手術も急を要さない限り、全てキャンセルしています。
医師は曝露していても熱がない限り働き続ける
斎藤氏:ニューヨークの病院でCOVID-19の患者さんが多い所では、看護師も医師もウイルスにエクスポーズ(曝露)しているので人手が足りていません。
 当初は、エクスポーズしたら14日間は自宅待機という決まりになっていましたが、現在は熱や咳(せき)などの症状がなければ働いていいということになっています。14日間待機の時は、人手があまりにも足らず、外科医が内科の患者さんに目配せするような末期的な状況だったと聞いています。
 私の勤務先でも熱が出たら自宅待機になるので、皆、しょっちゅう熱を測って自分の体調を確認しています。
 防護具も足りていません。ニューヨークもニュージャージーと同じだと思いますが、「N95」のマスクが全然足りない。本来は患者1人に対して使い捨てをするのですが、私はかれこれ1週間は使っています。表面をアルコール消毒したり、サージカルマスクという日本で皆さんが着けているようなマスクを上から装着して、それを使い捨てにしたりして対応しています。
 テレビの映像で見ると、欧州や中国の医師は体をすっぽり覆う大がかりな防護服を着ていますが、こちらでは初めからそんなものはありませんでした。皆、とても簡易な装備で仕事をしているのです。
 看護師は、1日に10回くらいはICUの部屋に入って、1回当たり10分くらいは中にいますから、いつ感染してもおかしくない非常に危険な状況です。ER(緊急治療室)のドクターでも入院している人が何人もいます。かなり重篤化するケースも出ています。
20~40代の患者が急増している
症状がなければ働く。しかも軽装備では医療従事者は不安ではないですか。
斎藤氏:はっきり言って、怖い。怖くなってきている。
 というのも、今は感染症にかかって入院してくる患者さんが20~40代ばかりだからです。これまでは、65歳以上の高齢者や心臓や肺に疾患を持っている人が中心でしたが、今はそうではなくなっています。
20年3月25日付ビジネス・インサイダーの記事に掲載された、ニューヨーク市における年齢別新型コロナ感染者数や死亡者数など。表の数字は30日に更新されている。感染者が最も多いのは実は18~44歳の年齢層で、死者も41人に上る
[画像のクリックで拡大表示]
 なぜかは分かりません。何も治療歴のない健康そのものの屈強な男たちがいきなり、急性呼吸不全(ARDS)になって自発的な呼吸ができなくなり、重篤化、死に至るというようなケースを毎日のように目の当たりにしています。
 ICUでは1日に何度も「ラピッド・レスポンス(Rapid Response)」と呼ばれるコールが鳴り響いています。ラピッド・レスポンスというのは、患者が心肺停止など容体急変の時に用いられる「コードブルー」の前の段階で、血圧の急低下や意識の混濁など、心肺停止前の変化を看護師たちが察知して緊急信号を発します。そうなったら、担当の医師チームが集まって処置をします。
退院が近いと思われた患者もいきなり重篤化
斎藤氏:このラピッド・レスポンスは毎日ありますが、最近は回数が急増しています。特に先週末はひどかった。大丈夫そうだな、退院は近いかな、と思うような患者さんでも、いきなり重篤化するのがCOVID-19の恐ろしいところだと感じています。
 もちろん、こうした患者さんに対して何もしていなかったわけではありません。呼吸状態を見て、血中酸素濃度の数値がある基準を下回った場合は、治験中の薬を投与することもします。効く場合もあるのですが、重篤化している場合は全く効きません。
 若い人を助けてあげたいけど、全然ダメ。かなり急激に悪化して、戻ってこない。そんな場面が続くと、無力感にさいなまれます。
 だからでしょうか。医療従事者たちは皆、逆にハイになっているような気がします。しょうもないことを言って、互いを笑わせたりして……。
COVID-19は他にどんな特徴があるのでしょうか。
斎藤氏:似ているのは03年ごろに流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)です。ウイルスが空気中に3時間くらい浮遊することができるなど、今回のウイルスと特徴が似ています。コロナウイルス自体は風邪の原因にもなっているものですが、それに毒性の高いものが加わって、SARSや中東呼吸器症候群(MERS)、COVID-19の原因となっているのです。ウイルスそのものが体に直接的にダメージを与えるのではなく、ウイルスによって体の免疫システムがオーバーリアクト(過剰反応)した状態になり、それで多臓器不全などに陥るのです。
 今回のウイルスはまだ分かっていないことが多いのですが、現場で感じるのは非常にたちが悪いということ。感染力が高く、重症化すると助けることが難しい。
 大学病院が多く、研究データが豊富で感染症の専門家も多いニューヨークですら、こんな状況です。東京でもし同じ状況になったら、到底、対応できないと考えられます。
電車通勤はもってのほか
日本に届けたいメッセージはありますか。
斎藤氏:日本の方々はこちらで起きていることを「遠い国の出来事」と思われているかもしれません。でも、(人が密集して暮らしているという状況は)東京もニューヨークと変わりません。日本では感染者数が少ないといっても、それは検査数が圧倒的に少ないから。症状はないけれども、ウイルスは持っているという人がすでに数多くいると考えた方がいいでしょう。
英オックスフォード大学の研究者などでつくる「アワ・ワールド・イン・データ」が公開データを用いてグラフ化した、日本や米国などで実施された新型コロナの検査件数(20年3月20日時点)。圧倒的に日本が少ないことが分かる
[画像のクリックで拡大表示]
 日本ではクラスターの存在を早めに察知するという手法で封じ込めを狙っているようですが、大規模検査の実施なくしてクラスターの把握などあり得ません。
 にもかかわらず、まだ在宅勤務を実施していない企業が日本には数多くあると聞きます。私はもともと商社に勤めていて、脱サラして医者になったのですが、友人に聞いたところ、親会社の商社は在宅勤務にしていても、子会社はまだ出勤しているそうです。
「自粛」などと言っている場合ではない
斎藤氏:症状はないけれども感染はしている人たちが多くいる可能性が高いのに、いまだに電車通勤をしているなんてあり得ないことです。「自粛」と言う言葉を使うからいけないのかもしれません。そんなことを言っている場合ではない。
 ニューヨークの病院では、遺体を安置する場所が足りないので、病院の横に冷凍トラックを駐車し、そこに遺体を安置しているような状態に陥っています。ご家族は感染リスクがあるので、死に目に会えないばかりかご遺体にも会うことができません。会えずじまいになるのです。本当に悲しいことです。
 ニューヨーク周辺では、シナゴーグや会議場などでアウトブレイクし、クラスターができたといわれています。とにかく同じ部屋に多くの人が集まるようなことは避けるべきですし、会社で会議をいまだに開いているなんて会社があればもってのほかだと思います。
 自分のことだけではなく、人に感染させるリスクも考えなければなりません。その人に疾患があり、免疫力が下がっていれば、感染に対応するのは難しいでしょう。他の人をそういった状況に陥れてしまう可能性があるということをもっと自覚して、行動してもらいたいと思います。
13 notes · View notes
shimokitazawathree · 4 years
Text
2020 11.1-30
現在THREEは通常の公演に加え配信公演、バー営業を平行して行なっております。こちらに記載のない公演はTHREEの他各SNSも合わせてご覧下さい。
1 SUN
LIVE TIME
2 MON
LIVE TIME
3 TUE
LIVE TIME
4 WED
LIVE TIME
5 THU
LIVE TIME
6 FRI
LIVE TIME
7 SAT
LIVE TIME
CLUB TIME
Alegre vol.64
open 24:00 charge ¥2000(w/1D)
予約フォーム(人数限定) https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSf57zvs2MoiPq34l6zrpyHnqhen7uNaAbShckFl4JqwHdJ6lA/viewform
【GUEST】 TAMTAM Monthly Muu & New Caledonia
【DJ】 shima TATZ NZA JUDGEMAN
【VJ】 yuma
Tumblr media
8 SUN
(((BRAINSTORM)))
※ライブ配信あり
((出演))
○Dhidalah
○老人の仕事
○My Angel Trumpet
LIVE STREAMING on Qumomee
qumomee.toos.co.jp
配信スタート18:00
※投げ銭特典あり
((会場))
下北沢THREE
OPEN 18:00 START 18:30
予約¥2600 当日¥3000
ご予約は [email protected] まで
※人数制限あり
Tumblr media
9 MON
LIVE TIME
10 TUE
LIVE TIME
11 WED
LIVE TIME
12 THU
LIVE TIME
13 FRI
LIVE TIME
14 SAT
LIVE TIME
15 SUN
LIVE TIME
「peekey」 OPEN&START 19:00 ¥2000/w1D 
[LIVE] HELLO'S レオニダ
[DJ] SHUU-TARO(Shrimp'/drieck)
and more
Tumblr media
16 MON
LIVE TIME
17 TUE
LIVE TIME
18 WED
LIVE TIME
帰ってキタ!やっちゃ王国の秘密〜秋のドリチケ収穫祭〜
OPEN18:00 / START 19:00
CHARGE 2,500yen (4DRINKS INCRUDING)
[LIVE ACT]
ドン・マルティネス以外全部秘密
[DJ]
秘密
[FOOD]
秘密
[TEQUILA GIRL]
秘密
Tumblr media
19 THU
LIVE TIME
20 FRI
LIVE TIME
「peeeky」 19:00 op / 19:30 st ticket¥2,000(+1D)
[live] Mace Windu Filmland Tobali cusper
Tumblr media
21 SAT
LIVE TIME
OPEN START 18:00
[ACT]
HYDRO as BNJ
Dreamcast
Gacchi
ディープファン君
[DJ]
Acrocanthosaurus
tommgn
OGS
山本竜也
[Tequila girl]
ちむぴぴ
[photo]
Murakami Daisuke
※注意事項
新型コロナウイルスの影響にて定員40名限定
予約時は必ず
・本名フルネーム
・住所
・電話番号
・メールアドレス
を記載してのご予約を載きます。
そして、キャンセルの際は必ずご連絡載きます。
ご予約は
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScnL00ysSe2jJdIyKM0NJ1t_UTZWvC2RGo4WWjMg_ZsT4jGKw/viewform
・入店時の検温 
・アルコール消毒
・マスク着用義務 
・換気の徹底 
・蜜を避けた人数制限とソーシャルディスタンス
Tumblr media
22 SUN
LIVE TIME
23 MON
LIVE TIME
24 TUE
LIVE TIME
TOUCH-HIM 単独公演 
OPEN 19:30 / START20:00
[CHARGE] 
¥5000(+1d)人数制限あり
 [出演] 
TOUCH-HIM[中村達也+山本久土] 
[観覧予約] https://docs.google.com/forms/d/1or3JmhG9s0I_MqCzATfZpBZWZ_D3GOOY-pvL1SaGZ-w/edit
※こちらのフォームからのみご予約可能です。
 ※当公演の入場順につきまして、当日18:00より会場受付にて入場整理券をお配りいたします。そちらに従ってご入場ください。
[配信on Qumomee]
 視聴無料/投げ銭 
https://qumomee.toos.co.jp/products/1124touch_him
Tumblr media
25 WED
"BUDGE VOL.9"
OPEN 18:30 / START 19:00
Limited to 50 people
Ticket ¥2,000+1D
STUDENT ¥1,500+1D
ACT
mwmw
Kamisado
Sisters In The Velvet
Suzuki Haruki (from Tomato Ketchup Boys)
CONTACT
・ご予約はメールアドレスまでお名前をご記入の上送信ください。
・学割をご希望の方はメールに学生とご記入ください。当日学生証を受付にて提示していただきます。
Tumblr media
26 THU
CLOSE(ライブ収録)
27 FRI
BOARD × kiwi presents 
“W.C.Y.T”
Ticket ¥2,000+1D
40名限定 予約は [email protected] まで
OPEN 18:30 / START 19:00
【 ACT】
BOARD (from London
kiwi
Sugar House
STRAM
Psychoheads
Tumblr media
CLUB TIME
HANGOUT
OPEN/START 24:00
TICKET 1,500yen(with 1Drink)
-LIVE
bathhouse
inner flight
sickufo
-DJ
片山翔太(BYE CHOOSE)
斎藤雄(Getting Better)
Tumblr media
28 SAT
LIVE TIME
令和ラスティックないと弐
THANK YOU SOLD OUT!!
OPEN・START / 18:00
チケット 3,000円+1D 当日無料配信 Tシャツ付き投げ銭あり
[ACT]
CABALLERO POLKERS CAVE GAZE WORLD Pinch of Snuff
[DJ]
Dabis-K(TO¥O $€NX) INAMI(東京ロンドン化計画) KAKEI(THE WILD ROVER) NAKANO(DRINK'EM ALL)
Tumblr media Tumblr media
29 SUN
LIVE TIME
OPEN 15:00
CHARGE ¥1,000 with 1Drink
Tumblr media
30 MON
LIVE TIME
OPEN / START 19:30
First Drink ¥1,000yen
[DJ]
Hi-Ray
簾ンデゲオチェロ
天下一料理会(tommgn+dima)
kaho
natsukeeey
[Beat Live]
Leo Iwamura
[FOOD]
みよし餃子
Tumblr media
0 notes
zaregoto1914 · 5 years
Text
土呂久鉱害事件に関する覚書
(2002年1月22日成稿)
土呂久鉱害事件に関する覚書
 宮崎県高千穂町の土呂久鉱山における亜砒酸製造に伴う慢性砒素中毒症は、大正期から戦後に至る長期にわたって継続した鉱害であったにもかかわらず、被害地域が僻遠の山村であったため長らくその存在が知られず、鉱山の閉山から10年近くたってから地元の教師の告発によって実態が初めて認知された特異な公害である。慢性砒素中毒症が4大公害病に続く指定公害病でありながら、現在あまり顧みられることが少ないことも考慮し、本稿では土呂久鉱害の経過を追うことで、近代日本社会の「闇」の一端に切り込みたい。
(1)土呂久鉱山の成立(1920-1933)  宮崎県岩戸村(現・高千穂町)の土呂久鉱山は、貞享年間(1684-1687)に銀山としてスタートしたものの、近代に入ってからは事実上休山状態であった。しかし、1920年、当時佐伯近郊の木浦鉱山で亜砒酸製造を行っていた鉱山師の宮城正一が土呂久鉱山から亜砒鉄鉱を採掘し、土呂久で亜砒酸の精錬を開始したことで一変した。日本の亜砒酸生産は第1次世界大戦期にドイツに代わる形で急成長し、主にアメリカに輸出されて綿花栽培の害虫駆除剤の原料などに使われていた。ところで、宮城が港町で交通の利便な佐伯から山間の土呂久へ移ったのには理由があった。地方紙『佐伯新聞』1917年4月29日付に次のような記事がある。
「懸案となり居りし当町字灘鳥越にある亜砒酸製造所の煙毒問題は今回所主宮城正一が農民に対して損害賠償をなし且つ製造所を移転する事となり、兎も角も一段落を告げるに至った」
 宮城は煙害により地元住民から補償と立ち退きを要求されていたのである。つまり宮城は佐伯を追われ、亜砒酸製造が甚大な鉱害をもたらすことを知りながら土呂久へ移転したのであった。
 亜砒酸は昇華点の193℃を境にして固体から気体へ、気体から固体へ変化する。この性質を利用し、亜砒鉄鋼を焙焼して砒素分を亜砒酸ガスとして流出させ、ガスを昇華点以下の空間に導き固体に戻して亜砒酸の結晶を採取する。当時、亜砒酸生産量全国一の足尾銅山では、銅の精錬の際に煙に含まれる亜砒酸をコットレル集塵器で回収する方法が採られていたが、土呂久にはそのような設備はなく、煙突に藁の覆いを被せるだけで、砒素を空気中に撒き散らし放題であった。そのため早くも1923年には亜砒酸による農業被害が地元で問題にあった。5月に行われた土呂久の部落自治組織「和合会」総会は鉱山側に「完全ナル設備ヲナシ事業ヲナサレン事」を要求することを決した。これに対し、宮城に代わって経営者となっていた川田平三郎は、1ヵ月50円の「交付金」を和合会に支払うことに応じたが、その見返りとして鉱山へ操業に必要な材料を提供することを求めた。鉱山側は要求を逆手にとったのである。
 その後鉱害は甚だしくなり、特に牛馬の奇病が相次いだ。1925年、和合会は岩戸村長の甲斐徳次郎に対策を要求し、甲斐は西臼杵郡畜産組合の獣医である池田実と鈴木日恵に奇病で死んだ牛の解剖と鉱害の調査を依頼した。4月7日、鈴木は警察官立ち会いのもと解剖を行い、「連続セル有害物ノ中毒ニアラサルヤノ疑ヲ深カラシムルモノナリ」との所見を示した。甲斐はこの牛の内臓を宮崎県警察部衛生課に持参し、鑑定を依頼したが、県側は解剖後に内蔵へ亜砒酸が混入した可能性を理由に鉱害を否定し、現地調査を行ったものの調査結果を隠蔽した。一方、池田は「岩戸村土呂久放牧場及土呂久亜砒酸鉱山ヲ見テ」と題する報告をまとめた。池田報告は当時の土呂久の実状を生々しく伝えている。
「二、三十年モ経過シタ植林ノ杉ガ萎縮シテ成長ガ止リ、或ハ枯死シテ赤葉味又竹林ハ殆ンド枯死シ」 「妙齢ノ婦女ノ声ハ塩枯声デ顔色如何ニモ蒼白デアル、久敷出稼デ居ル人ノ顔面ハ恰モ天刑病患者ノ様ニ浮腫」 「山川ノ水ハ清ク澄ミ渡ッテ居ルガ、川中ノ石ハ赤色ニ汚レテ、三年前迄居タ魚類ハ今ハ一尾モ見ヘヌ」 「今ハ椎茸ノ発生デ忙シカラネバナラヌノニ、何ノ果報カ、此地ノ重要物産デアル椎茸ノ原木ヲミレバ、椎茸一ツ見ヘヌ。土呂久名物ノ蜂蜜モ、今ハ穴巣ヲ止ムルノミ」 「小鳥類ガ畑ノ中ニ死ンデ落チテ居ル事ハ年中ノ事で、何時デモ死ンダ小鳥ヲ畑ノ中ヨリ拾ッテ見セル事ガ出来ル」
 この池田報告は1972年に高千穂町史編纂室で発見されるまで封殺された。
 鉱害が拡大・悪化するに従い、農業では生計を立てられなくなった人々は鉱山で働くようになった。しかし、亜砒酸による健康被害は鉱山労働者に最も顕著であり、皮膚の亜砒負け、色素沈着、黒皮症、角膜炎、結膜炎、喘息、気管支炎、肝硬変などの症状に見舞われた。健康悪化に耐えられずに鉱山を辞め帰農する人も少なくなかったが、農業被害は増大するばかりで生活できず、結局収入を得るために再び鉱山に戻らざるをえなかった。あるいは椎茸の生えなくなった木を木材として鉱山に売却したり、完全に農業ができなくなった土地を鉱山に売却するという例もあった。鉱害はむしろ鉱山の事業を拡大する動因になったのである。
 また被害と加害の重層性も深刻であった。鉱山の地主であった佐藤喜右衛門は鉱山から地代を得るのみならず、自ら採掘を請け負い、地元住民を労働者として勧誘し、鉱害に苦しむ農民からは加害者として忌避された。しかし、一方で彼は鉱山のすぐ近くに住んでいたために��素中毒症に罹り、1930年から32年の2年間に彼の一家7人のうち自身を含む5人が病死した。部落で鉱山から収益を受ける者が増えるに従い、鉱害反対の足並みは崩れていった。
(2)土呂久鉱山の展開と終焉(1933-1962)  大戦景気によって始動した亜砒酸製造は、戦後不況によって急速に不振になった。1926年にはアメリカの綿花不況のあおりで生産量が激減し、土呂久鉱山も生産中止・事業縮小に追い込まれた。一方、1930年代になると、航空機の材料の国産化をねらう中島飛行機が錫を求めて土呂久に目をつけた。1931年、中島門吉(中島知久平の弟)が一部の鉱業権を獲得し、33年には中島商事鉱山部が土呂久鉱山のすべての経営権を取得した(後に岩戸鉱山株式会社設立)。
 中島は当初亜砒酸よりも錫を重視し、1936年に錫精錬の反射炉を建設したが、この反射炉は錫から分離された砒素分が煙とともに空気中に飛散するという杜撰な代物であった。翌年、和合会は反射炉の煙害防止を鉱山側に要求し、その結果遊煙タンクが作られたが、煙害対策とは名ばかりで、実際はこれを利用して亜砒酸の採取が行われたため、鉱害はむしろ悪化した。また、経営者が変わったことにより1923年の交付金契約は無効となり、中島が和合会に亜砒酸1箱精製につき12銭の補償金を支払う新契約が結ばれたが、旧契約に比べて被害者が受け取る金額は事実上半減し、しかも補償金の分配を巡り和合会内部で対立が発生した。さらに1937年の岩戸村会議員選挙で、中島側は鉱山の会計係長を出馬させ、鉱山労働者を買収した結果、中島系候補が当選し、和合会系の現職は落選した。明治以来、土呂久出身者が議席を失ったのは初めてであった。鉱山は地方自治をも破壊したのである。
 中島傘下となって土呂久鉱山は拡大し、最盛期には約400人の労働者が働いた。特に1930年代末頃から亜砒酸は毒ガスの原料として需要が急増した。「黄二号」ことルイサイト、「赤一号」ことジフェニール・シアン・アルシンが亜砒酸を元に作られ中国戦線に送られた。深まる亜砒酸鉱害に対し、ついに1941年和合会は鉱山との契約破棄を決定した。福岡鉱山監督局は和合会に説明を求め、代表6名が福岡へ行き亜砒酸製造の中止を申請したが、監督局の担当者は「非常時には、部落のひとつやふたつつぶれても鉱山が残ればよい」と言い放ったという。結局1941年11月選鉱場の火災により土呂久鉱山は休山し、所有権も中島から国策会社へ移行した。
 土呂久鉱山は戦後1948年、銅や鉛などの採掘を再開した。再び鉱業権を獲得した中島鉱山(旧岩戸鉱山)は亜砒酸製造の再開を計画した。和合会は再開反対を決議したが、宮崎県と岩戸村の斡旋により、1954年、鉱山から和合会への協力金支払を条件に改良焙焼炉建設に同意した。土呂久婦人会は岩戸村に抗議したが、村長伊木竹喜は「鉱山のおかげで、岩戸村には鉱産税がはいりよる」と取り合わなかったという。
 鉱山がその後、1958年7月の坑内出水事故により一時休山を余儀なくされ、翌年には住友金属鉱山が中島を事実上買収したが、往時の活性を取り戻すことができず、1962年経営不振により閉山した。その間も鉱害は続き、1959年には和合会が高千穂町(岩戸村吸収)に亜砒酸製造施設の廃止を陳情した。しかし、ついに閉山まで鉱害はやむことがなかった。
(3)土呂久鉱害の告発(1970-  )  1970年、宮崎県高城町の四家鉱山で集中豪雨により鉱滓堆積場のダムが決壊し、砒素を含む鉱毒が河川へ流出するという事故が起き、宮崎県は急遽県内の休廃止鉱山の調査を行った。調査の結果、土呂久川から飲料水基準の2倍の砒素が検出された。同年12月、土呂久在住の佐藤鶴江は、岐阜のカドミウム汚染の報道を聞いて不安を抱き、宮崎地方法務局高千穂支局の人権相談に鉱毒被害を訴えた。支局は土呂久鉱山跡を調査し、彼女に鉱毒被害の事実申立書を発行したが、法務局は専門医による因果関係の証明がないことを理由に申立書を留置した。またしても行政によって鉱害は隠蔽されたのである。
 一方、高千穂町立岩戸小学校教諭の斎藤正健は、妻が土呂久出身であったことから鉱害の事実を知り、同僚とともに土呂久全世帯を対象に鉱害調査を行った。斎藤らの調査は1971年11月、宮崎県教職員組合の教研集会で報告され、新聞報道により全国的に注目された。斎藤報告は、①1913-1971年に死亡した92名の平均寿命は39歳である、②土呂久全住民の34%が呼吸器をはじめ疾患に罹っている、③土呂久の児童の体位は劣っている上に眼病が目立つ、④スギの年輪は鉱山創業期に生長が阻害されている、という驚くべき内容であった。大正期以来の鉱害がこの時はじめて公表されたのである。
 土呂久住民に不安が高まる中、宮崎県は県医師会に委託して住民の一斉健康診断を実施したが、慢性砒素中毒症に認定されたのは7名だけで、県の土呂久地区社会医学的専門委員会も健康被害と亜砒酸製造との関係性を「現在の知見では十分に説明ができない」と肯定しなかった。宮崎県知事黒木博は住友金属鉱山と認定患者に補償斡旋を提案し、1972年12月、両者間に補償協定が結ばれたが、住友の法的責任には一切触れず、補償金額は平均240万円にとどまり、しかも将来の請求権放棄を定めていた。県側は患者との交渉を外部との接触を絶った密室で行い、十分な説明をしないまま患者に調印を強要した。その後、黒木は新たな認定患者に対しても同じ内容の補償斡旋を5次にわたって続けた。しかも県は斡旋受諾者に対して公害健康被害補償法による給付を含む公的給付を中止するという「いやがらせ」まで行った。知事斡旋は補償額を抑制し、被害者の口を封じることがねらいであった。
 1973年、環境庁は慢性砒素中毒症を第4の公害病に指定したが、認定要件を皮膚障害に限定し、内臓疾患を認めなかったため、多くの被害者が認定されなかった。一方でこの頃から県外の医師による自主検診が相次いだ。同年2月には名古屋大学医学部講師大橋邦和が、74年には太田武夫ら岡山大学医学部衛生学教室が、75年5月には熊本大学体質医学研究所の堀田宣之が住民への自主検診を行った。堀田は10月にも同僚の原田正純らとともに1週間にわたる大規模な自主検診を行った。これらの検診結果は環境庁の認定要件とは裏腹に、砒素中毒による障害が皮膚に限らず、呼吸器や循環器などの内臓にまで広がっていることを示していた。
 1975年12月、5人の患者と1遺族が住友金属に損害賠償を求め宮崎地裁延岡支部に提訴した(第1次訴訟)。続く76年11月には第2次、77年12月には第3次、78年3月には第4次の訴訟が起こった。土呂久訴訟最大の問題は、1次的に賠償責任を有する鉱山師も中島鉱山もすでに存在せず、被告の住友が正式に鉱業権を得たのが閉山後の1967年で、住友自体は亜砒酸製造を行っていないことにあった。住友側は全面的に争い、訴訟は長期化し、高齢の原告が相次いで死亡していった。1984年3月に下された第1次訴訟の1審判決は「土呂久地区という山間の狭隘な一地域社会が、そのただ中ともいえる場所での本件鉱山操業により、大気、水、土壌のすべてにわたって砒素汚染され、本件被害者らはその中で居住、生活することにより、長期間にわたって四六時中間断なく、且つ経気道、経口、経皮、複合的に砒素曝露を受けたもので」あると土呂久鉱害を正確に認め、鉱業不実施を以って鉱業権者の賠償責任は免責されず、鉱業法115条の時効規定も適用されないことを理由に住友へ損害賠償を命じる画期的な内容であった。
 しかし、この1審判決をピークに土呂久鉱害は急速に風化していった。既に1980年頃には被害者の支援組織「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」が財政難による活動停滞に陥っていた。また、支援運動の中心であった総評系労組が「反公害」から「反原発」へシフトしつつあり土呂久鉱害への関心は相対的に低下した。1979年、補償斡旋を続けた黒木が受託収賄容疑で逮捕され知事を辞職し、翌年、後継知事松形祐尭は公害認定を巡る行政不服審査で県が敗訴したのを機に被害者へ公式に謝罪したが、依然として知事斡旋受諾者への公健法給付を認めなかった。一方、訴訟は住友の控訴により続き、1988年の控訴審判決は住友の賠償責任を認めたものの、補償額から公健法給付を差し引くよう命じる後退したものだった。住友はさらに上告したため、原告弁護団はついに水面下の和解交渉を行った。原告の高齢化と最高裁の状況を踏まえた苦渋の判断であった。1990年10月最高裁で原告と被告の一括和解が成立したが、住友の法的責任には触れず、賠償義務を否定し、公健法給付とは別に「見舞金」総額4億6475万円(1審判決の仮執行金と同額)を支払うという内容だった。1審判決も控訴審判決も被告の法的責任を認定したにもかかわらず、原告は訴訟の長期化に耐えることができずに訴訟自体には敗北したといえよう。
(4)総括  土呂久鉱山は、日本経済の工業化が急速に進展した第1次世界大戦期に始まり、戦間期の停滞を挟んで、15年戦争期には新興財閥の手で重化学工業の一端を担わされ、そして高度経済成長の開始により終焉した。その歴史は終始日本資本主義の発展過程に強く制約されたと言えよう。故に土呂久鉱害事件は局地的な鉱害ではあるものの、鉱山の杜撰な鉱害対策、鉱山への抵抗と依存の間で揺れる地域社会、一貫して公害の存在を隠蔽し民衆の声を潰した行政、公害反対運動の党派的分裂等々、近代日本の鉱害の一般的特筆を余すところなく有している。そしてついに根本的解決には至らず、現在も土呂久の自然が回復していないことは、鉱害が過去の問題ではなく、依然として現在的問題であることを示していよう。
《引用・参照文献》 斎藤正健「土呂久公害の告発とその後」Ⅰ-Ⅲ 『歴史地理教育』211、212、214号 1973年 川原一之『口伝 亜砒焼き谷』岩波書店 1980年 川原一之「土呂久鉱毒史」『田中正造と足尾鉱毒事件研究』5号 1982年 土呂久を記録する会編『記録・土呂久』本多企画 1993年
2 notes · View notes