赤子の泣き声の正体(一)
長野県南佐久郡臼田町に弥勒寺という寺がある。
ある秋の末、寺の境内から赤子の泣き声が聞こえるようになった。
それが毎晩続くので、不審に思った村人たちが探してみたが、どこにも赤子が見つからない。
やがて村人たちは、こう考えるようになった。
あれは赤子じゃなくて、住職に責められて泣く小僧の声なのではないか。
そこで人々は住職に掛け合った。
しかし、寺の中にも変わったことは別になかった。
結局、赤子の声の原因は判らないまま、有耶無耶になった。
ところが、しばらくしたある夜、大師堂の番人が大きな貉を捕らえたら、それきり、赤子の泣き声も止んだという。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「22、むじなの話」)
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岸野村の狐火(二)
以下も長野県南佐久郡岸野村の深町あたりで聞いた、狐火ではないかと思われる事例である。
あるときは向こうから提灯がやってくるのが見えた。
近づくにつれて、光はだんだん大きくなる。
やがて提灯の火に照らされて、持ち主の姿が見えてきた。女の人だった。
なんだ人か、と安心して通り過ぎた。
しかし、何となく違和感を覚え、振り返ってみたら、そこには女も提灯もなく、ただ真っ暗な空間が広がっているだけだったという。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「18、狐火」)
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岸野村の狐火(一)
昔は長野県南佐久郡岸野村の深町あたりにもときどき狐火が現れた。
はじめは一つの狐火がずんずんと動いていく。
しばらくすると、それがいくつにも分裂し、やがてまた一つに集まる。
すると今度は、どーっと火柱になり、それから元の場所へ戻っていく。
そうして提灯のようにぶらぶらして、ついには消えてなくなるのである。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「18、狐火」)
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川上村の狐火(二)
長野県南佐久郡川上村居倉の農夫から聞いた、もうひとつの狐火の話。
馬を引いているときに狐火を見たら、手綱を持つ、とか、馬に乗る、とか、尾を掴む、とか、しなければならない。
さもないと、どこへ連れて行かれるか分からない。
馬は利口なもので、そうしておけば必ず飼い主を自分の家へ連れて来てくれる。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「18、狐火」)
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川上村の狐火(一)
長野県南佐久郡川上村居倉の農夫から聞いた。
狐火は、今にも雨が降り出しそうな暗い晩によく出た。
はじめに一つの火が見えて、それが十、二十とだんだん増えていく。
それは提灯のようにも見えるし、松明のようにも見える。
奇妙なのは狐火は必ずこちらに向かってくるように見えるのに、いつまで経っても近づいてこないことだ。
今でも稀に狐火を見ることがあるが、狐火の方に向かって小便をするとピタリと消えてしまうという。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「18、狐火」)
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青沼村の古墳
長野県南佐久郡青沼村入沢にある日向家の墓地の東���には古墳がある。
この石を動かすと祟る、と昔から言い伝えられていた。
あるとき、村の若い衆がこの塚の覆石を橋にしようとして運び出した。
その際に作業の内容に比べて過剰に多くの怪我人が出た。また理由もなく鼻血を出す者も大勢出た。
やはり言い伝えどおり祟りがあるに違いない、と覆石は元に戻され、それ以来、この古墳に手を触れる者はいない。
なお、このときに作業に携わった者は今では誰一人生き残っている者はいない。現在、生きていたとしても、決して高齢者と呼ばれる年齢でないにも拘わらず。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』八、神佛・社寺等の話 「51、祟る古墳」)
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北牧村の蛇石
長野県南佐久郡北牧村馬越の西の方に、幅七尺、長さ九尺、高さ四尺ほどの石がある。
土地の人は蛇石と呼んでいる。
この石の裾の方には幅一寸、長さ二尺五、六寸ほどの筋があり、鉄の蛇が通った跡だと言われている。
また、この石の上には小さな石の祠がある。村人はその祠をシービーシさんと呼んでいる。シービーシとは蛇石の訛化である。
昔、この集落のとある家で病人が出た。
それがなかなか治らないので、占ってもらった。
お前の持っている土地にこれこれこういう石があるだろう、それを神として祀らなければ病人は癒えぬ、と占い師が言う。
その家の持つ土地には、確かに占い師が言うような石があった。
家人は急いで石の宮を建て、祀ったところ、病人は直ちに全快した。
その石というのが蛇石で、石の宮というのがシービーシさんである。
明治の初め頃、この祠は同じ集落にある神明社に合祀されたことがある。
ところが、上述の一族に病人が大勢出た。
これは蛇石の祟りだろう、ということになり、改めて元の場所に祭り直したら、病人たちはすべて治った。
また昔から、この石を指差したり、踏んだりすると、自分自身あるいは自分の持ち物が向こうの川、つまり大石川に流される、と言い伝えられている。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』八、神佛・社寺等の話 「9、蛇石」)
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オソウ鳥
長野県南佐久郡川上村の梓山には、昔から、おそう、という小鳥が棲んでいる。
夜、この小鳥が谷や川を挟んで鳴き合うと、人が死ぬといわれている。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「34、おそう」)
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森の梟
長野県南佐久郡大沢村に本郷という処がある。
北側には稲荷さんの森が、南側には天神さまの森がある。
どちらもこんもりと茂っている森だ。
昔は夜になると、これらの森でホロツク、つまり梟がよく鳴いたという。
その鳴き声を聞いて、人々は言い合った。
「今夜は稲荷さんの森で鳴くから、どこかで子どもが生まれた」
「今夜は天神さまの森で鳴くから、誰か死んだ人がある」
このように、人々は梟の鳴き声で吉兆を判断したそうだ。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「35、森のほろつく」)
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犬落とし
長野県南佐久郡南牧村の板橋にも今から五十年ほど前までは、付近に山犬がたくさん棲んでいた。
山犬が夜中に鹿や猪を仕留めるものの、ついまごまごしてしまい、夜が明けてしまうことがある。
そんなとき、山犬はせっかくの獲物をその場に置いて帰ってしまう。このような獲物を犬落としという。
当時の村人たちは、犬落としを見つけてきては、よく食べた。
しかし、犬落としを手に入れたときは、その場に獲物の肉を少し残しておかなければならない。
すべて家に持ち帰ってしまうと、山犬がその人の家を窺い、必ず仕返しをするからである。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「3、犬落とし」)
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付紐小僧
長野県南佐久郡田口村大奈良の小豆とぎ屋敷では、小豆とぎ以外の怪異もあった。
日暮時、七、八歳くらいの子どもがそのあたりに歩いてやってくるのだ。
服の付け紐は解けていて、なんともだらしない子である。
親切心を出して紐を結んでやろうと近寄ると、その人は騙されて、一晩中あちこち歩かされることになる。そして、朝になってようやく開放されるのだという。
土地の人々は付紐小僧と呼ぶ。
今でも子どもらが日暮れ近くまで隠れんぼをして遊んでいると「付紐小僧が出るぞ」と大人たちが呼びに来る。
これも大奈良の農業従事者、佐藤八衛さん五十二歳からの聞き取り。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「21、あづきとぎの話」)
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小海村の小豆洗い
長野県南佐久郡小海村市野沢に渋の大木がある。
��囲は一丈を超え、中は空洞になっている。
その空洞の中には昔から小豆洗いというものがいて、夕方になると、ショキショキという音を立てた。
傍を歩いていてその音を聞いたとき「俺はまめだよ」と言えばよいが、黙って逃げ出すと、憑かれて、気が変になると言われていた。
以上、市野沢の農業従事者、油井熊蔵さん七十歳からの聞き取り。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「21、あづきとぎの話」)
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平賀村の小豆とぎ
長野県南佐久郡平賀村久保に、昔、大きな柿の木があった。
柿の木には大きなうろがあって、そこに小豆とぎがいた。
夜や朝早く木の傍を通ると、小豆とぎがこう言っているのが聞こえた。
あずきとぎやしょか
人取って食いやしょか
しょき しょき
だから暗いときには村人は怖がって、そこを通らなかったそうだ。
以上、上宿の農業従事者、江元きくじさん四十九歳からの聞き取り。
また、同村常和の崖ノ下という所は、昔は人家がなく、欅や桜などが茂る林だった。
ここにも小豆とぎがいて、夜になると、ショキショキと豆を笊に入れて研ぐような音を立てた。
以上、常和の農業従事者、土屋乙平さん八十一歳からの聞き取り。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「21、あづきとぎの話」)
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田口村の小豆とぎ(二)
長野県南佐久郡田口村大奈良に小豆とぎ屋敷というのがある。
ここには小豆とぎが棲んでいて、夜になるとこう鳴いたそうだ。
あずきとぎしやしょか
人とってくやしょか
しょきしょき
以上、大奈良の農業従事者、佐藤八衛さん五十二歳からの聞き取り。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「21、あづきとぎの話」)
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田口村の小豆とぎ(一)
長野県南佐久郡田口村丸山にある四のくぼ橋の裏は山である。
昔、夜になると、その山に棲む小豆とぎが橋まで来てこう鳴いたそうだ。
あかが泣いたら人とってくやしょか
米とってくやしょか、しょきしょき
以上は丸山の農業従事者、加納正一さん六十一歳からの聞き取り。
なお、丸山ではどこの家でも夜に土間で小便をすると外に流れるようになっていて、これは小豆とぎがいたためなのだそうだ。
これは同じく丸山の農業従事者、竹内建吾さん六十六歳からの聞き取り。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「21、あづきとぎの話」)
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岸野村の小豆とぎ
長野県南佐久郡岸野村の下縣に、昔、神屋敷(しんやしき)という場所があり、そこにある小さなお宮の傍らに大木が立っていた。
大木の付近には 小豆とぎというものが棲んでおり、夜になるとその大木の下で、こう鳴いたそうだ。
あずきとぎましょか
人取って食べましょか
しょき しょき
以上、下縣の農業従事者、木内實さん六十二歳からの聞き取り。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「21、あづきとぎの話」)
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