刀遊記—京都刀剣御朱印めぐり
其實這算是意料外的行程,事前也沒有做什麼調查,所以這個blog的內容寫得會比我介紹得清楚很多。我總之就是寫個遊記w
這次行程住的是京都堀川邊,
一出門就是堀川,雖然山姥切國廣鍛造的時候國廣本人跟堀川一點關係都沒有,但大概還是有致敬到吧(?)不過其實地點並不是我選的。
早餐先吃個牡丹餅おはぎ,左上角是紅豆原味,此外還有椰子、黃豆粉跟抹茶口味。
2018年的京都刀剣御朱印めぐり已經是第七彈,看來應該是這個活動帶來不少參拜者吧。
第一站—粟田神社
粟田神社是三条宗近&粟田口吉光的關聯神社,所以繪馬也就—
充滿了三条&一期兄,連內容都是祈願抽到刀音刀舞的票w
拜殿的大太刀,超級彎,忍不住想像研磨之後會變成怎樣。
粟田神社末社的鍛冶神社,祭神是鍛冶之神&三条小鍛冶宗近+粟田口藤四郎吉光。
附近還有跟小狐丸傳說有關的相槌稻荷神社,不過那時候不曉得就沒有去了...
路邊的京都馬拉松宣傳海報,我覺得很有梗w
第二站—藤森神社
其實表參道入口感覺有點荒涼,沒想到裡面腹地蠻廣的,嚇了一跳。
一開始沒發現,後來看到社務所旁邊有寶物館(而且免費參觀)決定進去看看。還好有進去,不然就要錯過傳說中的鶴丸写し(刀匠:藤安將平)了!
鶴丸写し前面有鶴丸國永的押形做對照,看起來尺寸上蠻還原本科的。可能因為角色看起來太瘦,所以看到刀的時候覺得比想像中寬很多。(但網路上有人說覺得比想像中窄,可能是我對一般的平安太刀尺寸還不太有概念。)
隔壁有一把宗近作的太刀,我覺得兩把的寬度彎曲度都差不多啊...
另外裡面有一把八個槍口的火槍(長度超過一公尺),解說上說:實用性不明,看到的時候在內心大爆笑,我覺得這東西感覺鶴丸一定會很愛w 禁止攝影實在太可惜了w
參拜者奉納了一堆鶴丸的商品,活擊鶴真的好帥啊...
原本藤森神社跟馬相關的奉納品比較多,現在跟鶴有關的應該急起直追吧。藤森的例行公事裡有驅馬神事,裡面有以各種特殊姿勢乘馬的表演,想像鶴丸興致勃勃練習各種技術乘馬也蠻有趣的w
第三站—建勳神社
在大熱天爬上去參拜還有點辛苦...頒布御朱印&御守的大叔(沒穿和服看起來不像神職人員)還掛個毛巾在脖子上w 他看到我的眼鏡(JINS的淡紫色款)還問我是不是刀劍合作款w非常懂審神者w(可惜不是不然我能買當然是買大俱利伽羅款)
得到同意就拍了一下,圖畫得好可愛w 鈴木老師的簽名板旁邊是這次京都刀剣御朱印めぐり四間神社完成的樣子,很好看(雖然完成前後只有印章的差別),完成之後可以拿到一條小毛巾。
藥研藤四郎再現的照片&押形也放在旁邊,刀匠跟鶴丸写し是同一位(藤安將平),當時還沒有開始展示。
本科現存的叫作写し,本科佚失的叫作再現,所以藥研藤四郎基本上是被認定佚失的狀態。(一年前有一位日本審神者自己請人打了一把藥研写し,他願意相信藥研本科還現存只是還沒被找到而已。)
在拜殿前放了一支祓串讓參拜者除去穢氣再進行參拜,沒想到可以自己拿到祓串感覺很有意思。
建勳神社在前一陣子的颱風受災,而停止開放參拜,幸好主建築沒受損,希望其他部分也可以早日恢復。
第四站—豐國神社
豐國神社的主祭神就是豐臣秀吉。
隔壁方廣寺的方廣寺之鐘的鐘銘是大阪冬之陣的事件發端,左上方被框起來的「國家安康」、「君臣豐樂」是德川向豐臣開戰的藉口。
社務所旁有骨喰鯰尾的PVC,可愛的插圖是可愛的巫女妹妹畫的,她還主動說可以拍照放上網路喔!
寶物館要另外付費參觀,不過裡面沒冷氣快中暑之外骨喰本刃也不在裡面(他現在在京都國立博物館,但豐國神社寶物館還是有留他的位置)。
豐國神社附近就是京都國立博物館,除了骨喰本刃在這裡之外,今年秋天最盛大的刀劍展也會在這裡舉辦,可以想見之後的盛況。
晚上在三条大橋Star Bucks納涼床和初期刀喝飲料(晚上不敢喝咖啡怕睡不著。)都喝光了才想到要拍照。
離開京都那天的京都站前彩虹,雖然很漂亮,但拍到差點搭不上飛機真的是蠻蠢的啊哈哈...
***
2018.09.12
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佛寺推出「炎上供養」,連概念也可供奉?
早陣子為先人附薦法會,看到有寵物專區,時代果然在進步。
在日本,也有類似的習俗「供養」。它源自佛教,本來是指向菩薩奉上祭品,其後演變為向先人表達追思的活動。「供養」的對象除了先人和寵物,也可以是與他們有淵緣的物件,例如針、鏡。近年來,更衍生了將用過的物品供養,例如結婚改姓後將舊印章供養,而本網也介紹過「信用卡供養」。
最近,在新潟縣的國上寺更加厲害,推出了「炎上供養」。「炎上」本來的意思是大火,在網絡用語引申為被大量批評圍攻的狀態。這樣的一種概念,可以怎樣供養呢?
國上寺特意為「炎上供養」建立了一個網站,由住持山田光哲主理。山田說,這是為了吸引年輕人留意寺院。雖然近年來興起了「收集御朱印之旅」的潮流,有比較多的年輕女性到訪寺院,不過整體來說,仍然年長一輩為多。
要吸引年輕人,為何選「炎上」這一塊呢,莫非山田很喜歡上網,又常被「炎上」?日本的神職者非常「入世」,要是真的如此,我也不會意外。不過,實情不是這樣,山田解釋,自己不是經常上網,只是間中在電視上看到有關炎上的話題,覺得年輕人為了不認識的人隨便說的幾句話而失落,甚為可惜。如果讓他們到網站按一下「供養」按鈕,便可紓解鬱結,辦此網站又何樂而不為?
山田指出,佛教是建立於「救濟」的大義,因「炎上」而消沉的人,也該是救濟的對象。
那麼,「炎上」又可以怎樣供養?參加者只要提供被「炎上」的網站或電郵地址,寺院會將它印在撫木上,在「柴燈大護摩 火渡り大祭」上燃燒。活動已於上週五截止報名,而大祭則在上週日舉行。
從影片可見,「火渡り大祭」本身也是相當特別,除了神職人員,信眾也會被鼓勵走過火堆,以求除病息災。「炎上供養」可說是一時興起的想法,卻反應熱烈,得到數百宗應募。山田說,明年會再次舉行此活動,不過會��慮提早一點,在「彼岸」時舉行。「彼岸」也是佛教的習俗,以春分及秋分為中心日,在前後三天期間舉行,共計七天。日本人會在此時掃墓,並以萩餅供奉先人。
出典︰J-CASTニュース
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2020
世界遺産、奈良・薬師寺。
穏やかな年の瀬を迎えました。
本尊は薬師三尊像。体や心の病気を癒やす仏様です。
1300年間人々の祈りを受け止めてきました。
薬師寺で、奈良時代から
変わらない姿を残している建物が東塔です。
柱や瓦などをすべて解体して修理を行い
先月、8年ぶりにその姿を現しました。
(除夜の鐘)
奈良時代の姿を取り戻そうと
これまで復興の取り組みを進めてきた薬師寺。
人々の静かな祈りが復興を支えてきました。
新年を写経で迎えようという人々が大勢集まっています。
写経とともに納められたお金は建物の復興に充てられてきました。
つづられた写経は50年で870万巻に上ります。
(除夜の鐘)
奈良時代から令和の世へ。
祈りをつなぐ鐘の音です。
(除夜の鐘)
千葉県成田市にある成田山新勝寺です。
ことし、千葉県は大型の台風に
相次いで見舞われました。
新勝寺でも、本堂の屋根が剥がれるなどの被害が出ましたが
なんとか修復を終えました。
こんばんは。
2019年は皆さんにとって
どんな年だったでしょうか。
ことしの「ゆく年くる年」はここ新勝寺から全国各地を中継でつないでお伝えします。
こちらは東京・渋谷に先月開業した、地上47階建て
渋谷スクランブルスクエアの屋上です。
大みそかのきょうはカウントダウンイベントが行われています。
そして見えてきたのが先月、完成した国立競技場。
東京オリンピックパラリンピックのメインスタジアムです。
次は平成から令和になったことし
一躍、話題となったあの場所です。
こんばんは。
新元号・令和ゆかりの地として注目された坂本八幡宮です。
10時を過ぎてから参拝する人の姿が
多くなってきました。
新元号が発表されてから1000人以上が訪れる日もありましたが多くの人が
記念撮影をする場所が、こちら。
令和の石碑です。
元号・令和のもとになった「万葉集」に出てくる、うたげが
この近くで開かれたとされ10月には、こうして記念碑も作られたんです。
令和初めての年越しに向けてにぎわいが増しています。
ことし自然災害が相次いだ日本。
ここ千葉県館山市の布良(めら)地区では9月の台風15号で記録的な暴風に見舞われおよそ8割の家屋が損壊しました。
地区にある布良崎神社では屋根が崩れ
傾いた拝殿を柱などで支えています。
倒れてしまったご神木。
そうした中でも地区の人たちはここで新年を迎えようと集まってきています。
拝殿に置かれているのは人々が100年にわたって担ぎ続けてきた神輿です。
倒壊した倉の下敷きになり壊れてしまいました。
ほとんど無傷で残ったのが子どものために新調したばかりの小さな神輿でした。
大きな神輿がわが子をかばうように小神輿を守ったのです。
「なんとか未来を守ってくれた」。
そう考えた布良の人たち。
倒れたご神木で札を作り寄付を募ることにしました。人々の決意が木札に刻まれています。
境内には新しいご神木を植えました。
復興を誓い、新年を迎えます。
山口県下関市です。
古くから韓国のプサンとを結ぶ玄関口にもなってきました。
日韓関係の悪化によりフェリーでやって来る韓国からの団体客がほぼいない状況が続いています。
下関には、およそ3000人の
在日韓国・朝鮮人の人たちが住んでいます。
その信仰を集めている韓国仏教寺院の光明寺です。
天井からつるされたはすの花を模した飾り。
信仰心を表す韓国の伝統様式です。
祈りをささげる本尊は日本でも、なじみ深い阿弥陀仏像です。
地域の人たちと親しい関係を築いてきた皆さん。
日本人と韓国人どちらの気持ちも分かる。
日韓の交流が細くなるほど心が痛むと言います。
(除夜の鐘)
平和の大梵鐘(だいぼんしょう)
ソウルオリンピックが開かれた31年前に韓国で造られました。
ハングルの「ピョンドゥン ピョンファ」。
意味は「平等と平和」。
願いを込めた鐘の音が下関の街に響きます。
(除夜の鐘)
年越しを待つ各地の様子を見てきました。
この1年、本当にさまざまなことがありましたが
なんとか、穏やかな新年を迎えたいと願う
皆さんの姿が印象的でしたね。
成田山新勝寺ではこのあと寺の本尊にちなんだ歌舞伎の技が披露されます。
本尊の不動明王は厄よけの御利益があるとされ
1000年以上前から
信仰の対象となってきました。
左右の目はそれぞれ天と地を見つめ
すべての人を救うとされています。
この表情を表したのが歌舞伎で演じられる、にらみ。
このにらみを見ると、1年間健康でいられるといわれています。
披露するのは歌舞伎俳優十一代目・市川海老蔵さんです。
先祖の衣鉢を力草に型ばかりではござりまするが
ひとつ、にらんでご覧に入れまする。(つけ打ちの音)
市川海老蔵さんによる
にらみでした。続いては、京都・知恩院です。
えーい、ひとーつ。えーい、ひとーつ。
そーれ。
(除夜の鐘)
京都は時折、小雨の降る除夜となりました。
浄土宗総本山、知恩院です。
重さ70トン、直径2.8m。
日本最大級の鐘を17人の僧侶がつきます。
この1年の人々の悩みや苦しみを打ち払おうと
心を一つにします。えーい、ひとーつ。えーい、ひとーつ。
そーれ。
(除夜の鐘)
浄土宗を開いたのは法然上人です。
南無阿弥陀仏と唱えれば
誰でも救われる。
その教えは800年間
人々の心のよりどころになってきました。
ことしも数万の人々が鐘がつかれるのを一目見ようと
長い列を成しています。
2020年が希望に満ちた年になりますよう
ことし最後の鐘です。
えーい、ひとーつ。
えーい、ひとーつ。
そーれ。
(除夜の鐘)
あけましておめでとうございます。
2020年の幕開けです。
新勝寺では年越しの瞬間に歓声が上がりました。
カウントダウンで盛り上がりましたよ。
そして、皆さん一斉に本堂に向かって
進んでいます。初詣が始まりました。
この三が日だけで300万人以上の参拝者が訪れるということです。皆さん、どんな思いで新年を迎えたんでしょうか。
それでは全国各地の新年の様子を見ていきましょう。
北海道上富良野町です。
ラベンダーの町、農業の町として全国的に知られています。
現在の気温はマイナス8度。
スキー場のゲレンデを赤く彩るのは、北の大文字です。
町を盛り上げようと
商工会青年部が33年前に始めました。
大文字を見ないと1年が始まらない。
そう話す人たちも増え今では新春の風物詩です。
(太鼓の音)
祭りを盛り上げるのは太鼓の響き。
高校や大学進学を機に町を出る人も少なくありませんが
その一方で豊かな自然に憧れ町に移り住む人も多くいます。
その一人、札幌から移住してきた西尾奈緒さんです。
夫と有機野菜を作っています。
地元の農家に一から農業を教わった西尾さん。
今では、町の未来を担う一員になっています。
新しく町に来た人と
地元で生まれ育った人たちをつなぐ、大文字の炎です。
300本のたいまつに火がつきました。
(花火の音)
豊作になりますように。
町が、にぎわいますように。
炎に希望を託し新しい年が始まりました。
再び令和ゆかりの地にある坂本八幡宮です。
年が明けてからも参拝者が
続々と訪れています。ここは宮司の常駐していない
小さな神社です。急増する参拝者の対応に
奮闘してきたのが地元の氏子会の皆さんです。
こちらの社務所も急ごしらえで建てました。
御朱印や、お守りも去年、初めて準備しました。
多くの方は60代以上です。
せっかく来られた方々に少しでも満足して帰ってほしいと
精いっぱいもてなしを続けてきました。
氏子会会長の木原一臣さんです。こんばんは。
ことしはどのような1年にしたいですか。
氏子会といたしましても
今後、若い人に引き継ぎまして
末永く、このお宮を
守っていきたいと思っております。
ありがとうございます。
徳島県中部。
四国山地に抱かれた吉野川市山川町の
山崎忌部(いんべ)神社です。
例年よりにぎやかな年越しを迎えました。
去年、地域を挙げての大事業が30年ぶりに行われたからです。
去年11月
天皇陛下即位のあとに行われた大嘗祭に
麁服と呼ばれる麻の織物を献上しました。
かつて麻植郡と呼ばれ
平安時代から麻を生産し献上してきた、この地域。
改元のときだけ特別に麻を栽培し麁服を織り上げてきました。
神社の社紋には麻の葉が描かれています。
麻は地域でとても大切にされています。
これは地元の高校の校旗。
昭和の大嘗祭に合わせて
麻で手織りされました。今も、学校の宝として
受け継がれています。
今回、麁服の織り子に名乗りをあげたのは
この校旗を見て育った若い女性たちです。
その一人、白山晴菜さんです。
年配の人たちと一緒に
地域の輪の中で
作業を続けていくにつれ
ふるさとの大切さを実感しました。
多くの人に町の宝を知ってもらいたい。
麁服に携わった人たちは
地元の学校で報告会を開こうとしています。
地域の絆を確かめ合う特別な新年です。
名古屋市中心部にある東別院です。
初詣に訪れた参拝者で境内はにぎわっています。
本堂に映し出されている光の模様はデジタル��け軸。
仏教の教えにもつながる
一期一会の世界を表現しています。
模様の組み合わせはコンピューターで
無作為に選ばれます。
そのため、同じ模様を見ることは二度とないんです。
このイベントお寺に、なじみのない方にも
来てもらいたいと
7年前から始まりました。
そして、こんな場所もあるんです。
こちらにもあるんです。こちらの室内です。
室内にもデジタル掛け軸が映し出されています。
ここは、この日のために特別に用意されたバーなんです。
中ではホットワインですとかオリジナルカクテルが
提供されています。お話を伺いましょう。
お寺のバーで迎えた新年です。どんなお気持ちですか?
歴史のあるお寺の中に
こんなにすてきなバーがあって
楽しくお酒飲みながら
年が越せて、新鮮な気持ちです。
お寺にいることを忘れてしまいそうですが
一方で昔から変わらない風景もあります。
(鐘の音)
新年を感謝とともに迎える初鐘です。
イベントを始めてからは
多くの若い人たちも鐘をつきに来るようになりました。
(鐘の音)
江戸時代から続くこのお寺。
新しい文化を取り入れながら古きよきものを
次の世代に手渡そうとしています。
全国各地の新年の様子をお伝えしました。
いよいよ、ことしの夏には
東京オリンピックパラリンピックが開幕します。
その選手たちの
活躍を願って多くの人が
集まっている場所があります。
東京・江東区にある亀戸香取神社です。
おたき上げの火の周りに人が集まっています
ここは、もともと戦の勝利を祈願する神社でしたが
今は、スポーツの神社として親しまれています。
ふだんから、試合に勝ちたい全国大会に出たいと
多くの人が祈願に訪れますが早くも、東京オリンピック
パラリンピックへの期待も高まっているんです。
絵馬にはさまざまな願いが書き込まれていますが
こちら「いくぞ!!2020東京パラへ」。
そして、そのお隣。
「パパがとうきょうおりんぴっく
きまりますように」。こちらは近代五種の
岩元勝平選手の娘さんが書いた絵馬なんです。
2週間後、代表権を獲得しました。
参道脇に並ぶのはスポーツ灯籠。
アスリートたちに心の支えになったことばを聞いて
50基を手作りしました。
体操・内村航平選手が寄せたことばは「無心 無欲」。
その隣は東京パラリンピック出場が
内定している競泳・木村敬一選手のことば
「人生一度きり」。
2020年にかけるアスリートたち。
活躍を願う灯籠の光です。
福島県南相馬市相馬太田神社です。
3月26日から国内で始まる東京オリンピックの聖火リレー。
福島は、その出発の地です。
初日、走ってきた聖火を迎えるのは
陣羽織の、この人たち。
相馬野馬追の騎馬武者です。
毎年、年明けとともに
安全と安寧を祈ってほら貝を吹き鳴らします。
(ほら貝の音)
相馬野馬追は、この地で
1000年にわたって続く神事です。
夏には、400の騎馬武者が馬にまたがり駆け回ります。
9年前の東日本大震災と原発事故。
南相馬の人たちは避難を余儀なくされ
今も5000人以上が町を離れたままです。
かつて500騎いた騎馬武者の数も
一時、5分の1にまで激減。
それでも、この9年間欠かすことなく続けてきました。
野馬追でほら貝を吹く人たちをまとめる
木幡守さん。
3月、オリンピックの聖火も
この、ほら貝で迎えたいと考えています。
避難を続ける人たちが町に戻るきっかけにしたいと
木幡さんは野馬追を支え続けてきました。
復興五輪を掲げる東京オリンピック
パラリンピック。
福島の復興はまだ道半ばです。
ふるさとを取り戻す。
その思いを乗せて
聖火は福島から全国へとつながれていきます。
人と人とがつながっているからこそ
地域の今、そしてこれからがあると感じました。
さまざまな思いがあることを忘れずにオリンピックパラリンピックを
迎えたいと思います。
2020年。
日本にとって節目となる、この年が…。
皆さんにとって…
素晴らしい年となりまうように。
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