Tumgik
#一筆箋
furoku · 1 year
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nemunokipaperitem · 1 year
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wazakka-kan · 2 years
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営業中。空気が冷たくて自転車乗ってると勝手に涙こぼれる。少しすると鼻水になって垂れる。こんなところに冬を感じるわたくし。
越前和紙・久兵衛のメモパッドや一筆箋。透かし模様が入った紙と色紙を2枚漉合わせた紙が色とりどり。メモパッドには10種類程度が綴じ合わせてありどれを使うか迷います。
久兵衛シリーズは和紙ですが平滑性が高いので筆記用具を選びません。インクにじみもほぼ心配ご無用。
真四角なメモパッドは折り紙にしたり、お菓子を盛り付ける時の折敷にも使ってください。
B5便せんは小さめランチョンマット代わりに使う方もいます。
年末年始のご挨拶用に消え物ギフトにおススメです。
通販→https://goo.gl/x4BKdb
#越前和紙 #久兵衛 #メモパッド #一筆箋 #封筒 #紙の風合い #色合い #プチギフト #雑貨屋 #和雑貨 #江古田 #新桜台 #西武池袋線 #練馬区 #商店街 #贈り物 #プレゼント #ギフト
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smallnotepadlove · 4 months
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月岡芳年 「芳流閣両雄動」 一筆箋
心斎橋筋商店街のど真ん中、大阪浮世絵美術館の企画展「二人の天才 -葛飾北斎・月岡芳年-」にて捕獲。 会場には空刷りや正面刷りを観察するためにルーペが用意され、アチラからコチラから、いろんな角度でじっくりと観察できて至福。 この一筆箋、竪大判二枚続という縦に細長い作品を分割して人物にフォーカス。 かっこいい二人を存分に味わえる逸品です。
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m12gatsu · 11 months
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仙台、東京の遠距離恋愛をしている者です。会った時は愛の言葉をくれる彼氏ではありますが、連絡頻度が少ないことが不安です。本当に愛しているならば、1日に1回くらいは連絡できるのではと考えてしまうのは強欲でしょうか。こちらが寂しく思っていることはすでに向こうに伝えています。丸橋さんは愛において、言葉と態度のどちらを信じていますか。
本当に愛してるならば1日1回くらいは連絡できる、という命題は偽です。愛してなくても1日1回くらいは連絡できるから。対偶の真偽は一致するので、1日1回すら連絡できないならば愛していない、という命題もやはり偽です。連絡しなくても愛しているということはある。だから、愛している、ということと、1日1回くらい連絡を取る、ということは互いに必要条件でも十分条件でもない。同値ではない。と、思うんだけど、どうですか。
書簡でやりとりなさったらいかがですか。それか交換日記。スマホで連絡取れない彼がどこまで筆まめかわからないけど笑 ずいぶん前に同じような質問があった時も同じことを答えました。この便箋がおすすめです。広末涼子のしたためた恋文が話題ですね。人に読まれたら困る言葉をたくさん残しましょう。
言葉は態度の一種だと思います。矢も盾もたまらなくなってからが愛ではありませんか。愛と名のつく映画全部観よう。まず愛のコリーダから。
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oka-akina · 7 months
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棕櫚の姫
 そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、城壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
 城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避け、質素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと思った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
 わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。あの揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
 この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を��すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲しみはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
 やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
 新学期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
 どうせ知らない人に書くのなら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。王子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらりくらりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどん��ん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
 たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流しの水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶けた湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
 盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
 レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像の人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
 盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
 だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
 きのうみた夢とか、好きな音楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
 手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
 中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
 あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられなかっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
 あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火を持っている。
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ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだことある人もいるかもしれない(覚えていてくださる方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「でもコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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itokichi1130 · 1 year
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【お知らせ】「Megru展 vol.7」に参加いたします!(2023)
【Megru展 vol.7🖥公式HP】 🍙会期🍙2022/03/21(火)~26(日) 🍙時間🍙11:00~19:00※最終日は16:00まで 🍙会場🍙吉祥寺gallery re:tail【🖥HP】 🚃JR・京王井の頭線「吉祥寺駅」から徒歩11分 アートフリーペーパー「Megru」10周年を記念して、3年ぶりに開催されるグループ展「Megru展 vol.7」に、私もご招待いただき参加させていただきます。 過去の「Megru」の表紙を担当した招待作家を含めた総勢16名のクリエイターが参加するグループ展です。 会場では原画やオリジナルグッズを販売いたします。 私はミニ原画2点と雑貨(一筆箋、刺繍缶バッジ)で参加となります。 【アートフリーペーパーMegru🖥HP】 過去に表紙イラストを担当した「MegRu vol.46」については【コチラ】 【✏イラストのお仕事のお問い合わせはこちら】 どうぞよろしくお願いいたします。
--------- I will participate in the group exhibition "Megru Exhibition vol.7" in Tokyo. This group exhibition will be held for the first time in three years to commemorate the 10th anniversary of the free art paper Megru. I was invited this time because I was in charge of the cover illustration for this free paper in the past. I will participate with 2 mini original drawings and miscellaneous goods (one-stroke notepad, embroidered tin badge). thank you!
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higaki · 1 year
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一筆箋とポストカード #にゃんこの魂 https://www.instagram.com/p/CqP_wQjPQXI/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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lilgurlcollins · 10 months
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日記
人は強くないと生きていけない。優しくないと生きる資格がない
亡くなったおじいちゃんが残した言葉。
従姉妹がお葬式でこの言葉について言及してて、ニコニコしていつも見守ってくれていたおじいちゃんの優しい顔が浮かんで、おじいちゃんらしい言葉だな〜と懐かしくなりました。
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(↑薬の処方箋の裏に書いてあったおじいちゃんの直筆メモらしい笑)
強さ
理不尽さとか、打たれ強さに関しては、結構今までの人生で身についたと思う。中高の部活とか、大学受験とか、浪人とか、大学での進級試験とか。毎回ちゃんとクヨクヨしてるけど、なんだかんだ根性で耐え抜いて、喉元過ぎれば熱さ忘れる性格なので、辛かった記憶はあるけど結構忘れた。
自分を甘やかさない厳しさと、自分との約束を守る自分に対する誠実さは今の私には足りないなと思う。そういう自分を律することができるっていうのも、おじいちゃんのいう強さなのかな、と。
優しさ
人に怒りを覚えることがあっても、日が経てば怒りも無くなって引きずることはあまりないけど、優しいと冷たいって表裏一体だなと思う。
人にイライラしても、怒ったりイライラをぶつけたりするのは面倒で、その後の仲直りとかいう手順も重労働。大抵のことは「もういっか」で済ませるのは、期待するのをやめるからであって、期待したまま許すことは難しい。
人に期待しないというライフハック。歳を重ねて、色んな人と出会って世界が開ければ開けるほど、この「諦めライフハック」が役立つ。
それでもやっぱり人は鏡なわけで、人の出会いは偶然ではなく自分が選んで、選ばれてる、そういう風に考えているので、強くて優しい人、心が暖かい人と時間を過ごして、成長していけたらいいな。
親戚が多くて小さい時から大家族の楽しさを味わってきたけれど、人数が多い分、大家族がずっと仲良くいることはとても簡単なことではないと思う。ファミリーがいつも愛に溢れているのはおじいちゃんとおばあちゃんのおかげです。感謝の気持ちでいっぱい。
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manganjiiji · 2 years
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ツイートアクティビティは既に死んでいる
ようなんですよ、どうやら。昨日の日記、何人の方が読んでくれたのかな〜と思って(※いつも見ている)ツイートのアクティビティを叩いたら「自分のツイートのアナリティクスのみ表示できます」と言われてしまい……、なぜ……、ぼくは、万願寺でないというの?お父さん……。みたいになってしまった。萩尾望都的な構文です。Twitterはお父さんではない。どちらかというと宿主、またはうんこ集積所ですね。どうでもいいですね。
泣きすぎて頭が痛いし喉が渇いているので麦茶を飲んだ。2:59。今日も、昨日に引き続きうつ状態で、そのままカウンセリングに行き、先生にありのままのうつ状態の私と接見してもらい、様々に言葉をかけてもらい、なんとか途中駅のスタバで泣き止んで落ち着きながら帰宅して、その頃には逆にハイテンションになっていた。こわい。なんでだよ。カウンセリングは3回目でした。3回目にしてうつ状態の私を見てもらえたのは良かったと思う。先生も、来てくれて、この状態を私にも見せてくれて良かったと言っていた。すっぴんでもなんでもいいから来てねと言っていた。私が「行かなかったらここで私のとった50分の枠が無に帰し6600円のカウンセリング代が先生のマイナスになってしまうと思いそれだけは阻止せねばならないと思って来た」と言ったら、(クライアントにキャンセルされても)そんなこと(お金のこと)考えたこともなかった!という感じだったので、先生のお給料は私の支払う料金とあまり直結していないのかもしれない。はてなはてな。月給制ならそりゃそうだが。もし直結しているならその反応はさすがに呑気すぎ!もっと自分のお金のこと考えて!と思ってしまうところだ。
昨夜からクエチアピンを普段の倍飲んでしまったので、食欲が凶暴なことになり、食べたくないものまで食べて、ずっと食べて胃を痛めた。胃が痛くてもそれでも食べるのをやめられない。薬の効果は恐ろしい、と思うが、果たしてどこまでが薬の効果なのか?私の思い込みやストレス反応はどこからなのか?できるだけ食べたくない、と思っているが、体が壊れてもいいから食べ続けたいという恐ろしい欲望に今日は食い破られるかと思った。クエチアピンを飲まないと眠れないので、労働のためにはクエチアピンが必須だが、1週間に1kg確実に増えてしまうこの現象、どこかで打ち切りたい。運動すればいいのだ��とにかく。うつ状態になってる場合じゃないんだよ。歩くな。走れ!苦しくても走れ走れ走れ。(遠藤響子のこの歌、だいすきだ。経験が全てじゃない、さぼっても減らないし…)ああっ、またしても旧友に認めた手紙を投函するのを忘れてしまった。こうしていつも便箋の中の日付と消印の日付が乖離していくのである。
前のマンションの敷金が返ってくるのを待って半年が経ってしまったので、そろそろ問い合わせてみようと思う。未だに私の郵便物が届いていたら申し訳ないと思うが、それはそれ、これはこれとして聞かねば。返ってきたら元同居人氏に振り込めるし。まあ最後すごく汚い状態で部屋を出てしまったからどうかな。元同居人氏は今頃忙しくやっているだろうと思うが、元気に楽しく過ごしていてほしい。
就労移行支援施設の正式入所が10月頭に決まった。ありがたい。ここから最短でいけば4月には就職先が決まると思うが、そんなに上手くいくわけはないというのもわかっている。このモラトリアムはまた長引きそうだ。ただ、今までの療養と違って、寝たきりの期間はなく、変わらずずっと動いているので、就労への復帰は前回などよりはなだらかにできるのではないかと思う。3ヶ月くらいがっつり休んで…というケースも今まではあったが、今回はそこまで弱らずにやれている。体力作りの進捗は捗捗しくはないが、水を飲むのも一苦労、という水準まではそもそも落としていない。30分自転車を漕げるなら、立ち仕事でなければまああとは体力というか集中力の問題だと思う。就労支援に通いながらも良さそうな求人があれば応募する。今は2件応募している。もう書店でなくても全然構わないなと思っている。学習塾は魅力的だが、そこにもこだわらない。英検準1級が取れればそこそこ箔はつくかなと思うので、なんにしろ頑張りたい。今回は筆記をクリアして、来年6月にスピーキングも受かりたい。
そういえば、肛門周辺膿漏というので、ケツの穴の左に膨らみができて激痛となり、肛門外科の先生に切ってもらった。何度も切り刻まれた。はちゃめちゃ痛かった。なんと、膿を出しただけでは話は終わらず、今回の菌の侵入(通過)経路は今後「痔ろう」(痔のヤベーやつ)になるというのである。痔ろうになったら手術で取るらしいが、まだ先の話とのこと。明日、ケツの穴の横の経過を診てもらい、問題なければこのまま日常に埋没してゆく(痔ろう爆弾をかかえながら…)。私は肌がかなり強く、代謝も回復も人一倍早いので、ケツ穴の横の切り刻んだ跡は平気かと思われるが、痔ろうになるというその通路もなんとか私のパワーで潰せないものなのか。肛門の奥から「運悪く」菌が入ってしまったらしいが、十中八九、先週の日曜から月曜にかけてのTokyo小旅行での疲れが免疫力の低下を引き起こしたのだ。普段500歩しか歩いていない人間がいきなりヒールで1万2000歩歩いたらどうなるか。水膨れ4箇所。これも地獄の痛みだったが、案の定肌の回復の速さにより翌々日には問題なくなっていた。やるじゃん!と思っていたところにこの、痔ろう爆弾問題。さらに台風接近によって低気圧は極まってるし偏頭痛だしうつ状態だし台風終わったらめちゃくちゃ寒くなってるし、季節の変わり目〜!過ごしやすい涼しさになりましたが、油断するとすぐ冷えるので気をつけたいです。みんなも気をつけて。
中学時代、正確には幼稚園児時代から交友のある、地元にいる唯一の友が誕生日だったためLINEしたら地元にいるというので来月会うことになった。彼女はバチバチに関ジャニのオタクだったので、私がなにふぁむ(※なにわ男子のファンのこと)になった報告をしたらめちゃくちゃ喜んでくれて(なにわ男子は関ジャニ∞の大倉さんが作ったグループなのである)、LINEが4ターンくらい長文で往復してしまい、すごく楽しかった。テンションが高い彼女を見るのは珍しい。私が陽キャすぎてうるさいので、静かな彼女にいつも申し訳なくなってしまうのだが、ジャニーズという最強の手札を手に入れたことで、彼女の饒舌を引き出せるのでは?と、30年目の友情にあらたな可能性を感じている。
2022.9.20
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furoku · 1 year
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nemunokipaperitem · 2 years
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watering76 · 2 years
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西洋書法課程內容
有同學問到,一對一個人班有哪幾種課程可以選呢?這兒就列出來給大家參考囉!
我把字體的簡介、要使用的工具、難度高低都列出來了,就算沒有來找我上課,想自學的朋友也可以從這篇文章中概略的認識自己想學的字體,以及字體要搭配的工具。
預約課程可以透過:
私訊Facebook粉專
私訊Instagram @watering76
我的Line專頁 @dpe0467h 
哥德體
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哥德體流行於中世紀,常見於用於手抄宗教典籍上。近年手寫字再次重返流行,哥德體在這股浪潮之中一直受到藝術家們的青睞。 哥德體的歷史、應用方法、有哪些工具可以選擇、自學技巧等等,都會在課堂上詳細教學。 哥德體適合初學者入門,筆畫多但架構簡單,容易掌握。慢慢書寫,更能體會英文書法的慢活之美。藉由西洋書法,書寫時靜心舒壓,訓練對字體的美感度。 日後無論是繪製卡片、書寫信箋、書寫名牌等等,都是一門很實用的技能。 [課程難度] 簡單。訓練基礎西洋書法書寫能力,無習字經驗、無美術底子必學。  
[使用工具] 平頭筆
[課程內容] 
認識哥德體的歷史 
認識書寫西洋花體字的工具 
字體的結構和必知的術語 
哥德體的基礎筆畫 
哥德體小寫書寫技巧 
哥德體大寫書寫技巧 
簡易花邊教學 
卡片繪製
哥德體-鑽石體
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文藝復興時期,暱稱「鑽石體」的哥德體在這個藝術百家爭鳴的年代誕生, 瑰麗的稜角與繁複的結構,即使是過了四百多年的現在依然不減其古典之美。 鑽石體也是初學者很容易精通的字體,大多由直線和方塊構成,看起來華麗但難度不高。 透過西洋書法書寫歌德體,訓練對字體的美感度,從繪製卡片、書寫信箋、書寫名牌等等,入門的同時學以致用。 課堂上將會學習鑽石體的改良版,保有字體本身華麗的特徵又好學易上手。
[課程難度] 簡單。訓練基礎西洋書法書寫能力,無習字經驗、無美術底子必學。 
[使用工具]平頭筆
 [課程內容] 
認識哥德體的歷史 
認識書寫西洋花體字的工具 
字體的結構和必知的術語 
哥德體的基礎筆畫 
哥德體的小寫書寫秘訣 
哥德體的大寫書寫秘訣 
實際動手寫寫看 
簡單實用好上手的花邊教學 
卡片繪製
安修爾體
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安修爾體(或翻譯作安瑟爾體)是比哥德體更加古老的字體,流行於四至八世紀,常見於基督教世界的古抄本。筆畫圓潤古樸,線條自然柔美,對於初學者來說容易入門,是四個小時就能學會的字體! 用來謄寫詩歌文章輕鬆寫意,用來書寫祝福卡片也能快速上手,毫無挫折感,適合初學者用來培養對字體的敏感度。 
[課程難度] 簡單, 四小時即可輕鬆上手的古樸字體。 
[使用工具]平頭筆
 [課程內容]
了解安修爾體的歷史
認識書寫西洋花體字的工具
如何挑選���合自己的工具?
字體的結構和必知的術語*安瑟爾體的基礎筆畫
安修爾體的字母書寫秘訣
實際書寫演練
日後自我練習的方式
字體排版應用
字體花邊創作
專屬卡片繪製
義大利體
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義大利體是流行於文藝復興時期的手寫字體,是許多近代字體的基礎,簡潔優美,耐看易讀。 和先前提到的哥德體、安修爾體體最大不同之處,就是對於現代人來說沒有讀寫障礙,用途廣泛。用於抄詩靜心、繪製祝福卡片、個人名片、招牌設計,都相當的萬用。
[課程難度] 中等,義大利體是西洋書法中的另一個基礎字體,筆劃不複雜,需要習慣斜體和拿捏負空間的配置關係,學會這款字體的結構對於想進階銅板體、軟筆刷字體的學員來說大有助益。
[使用工具]平頭筆
[課程內容] 
認識字體的種類和歷史 
必知的字體名詞、自學技巧 
工具介紹、使用訣竅、握筆姿勢 
基礎筆畫練習 
小寫書寫訣竅 
短句練習 
大寫書寫訣竅 
簡易花邊練習 
繪製祝福卡
基礎手寫體
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基礎手寫體是十九世紀由英國書法大師愛德華‧約翰斯頓設計的,結構簡明俐落,容易閱讀,同時也是在學習西洋書法時,能夠更進一步學習字距比例的字體。用於卡片書寫、海報文字、抄寫經典,都是很適合的書體。
它的名字中有「基礎」兩個字,但不代表很簡單唷! 實際上基礎手寫體就像中文的楷書,對於結構比例有嚴謹的要求,難度是比前面介紹到的字體都還要高的。
 [課程難度] 中高難度,需要有一點美術底子或書法經驗。 
[使用工具]平頭筆
[課程內容] 
認識基礎手寫體 
認識書寫西洋花體字的工具 
字體的結構和必知的術語 
基礎手寫體的簡單熱身筆畫 
小寫書寫技巧 
大寫書寫技巧 
常用賀詞練習 
簡易花邊教學 
卡片繪製
個性單線圓體
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個性單線圓體,字體優雅的曲線靈感來自於古典的銅板體,而圓潤無粗細變化的線條,讓它充滿了現代感。除了日常生活記事外,也很適合用於展現個性、創造個人簽名的新潮字體。 
[課程難度] 簡單。對嚮往用點尖沾水筆書寫銅板體的朋友來說,這是一款入門級的字體,在挑戰銅板體之前,建議先從這款較簡單的字體開始,熟悉嚴謹的書寫體規則。
[使用工具] 麥克筆或彩色筆、、蝴蝶筆、圓尖沾水筆
 [課程內容] 
認識單線圓體的書寫工具 
字體結構與必知的術語 
握筆要點及基礎筆畫練習 
大寫書寫技巧 
小寫書寫技巧 
曲飾線、裝飾線繪製技巧 
創造個性簽名 
製作個人個性吊卡
摩登體
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相較於傳統的銅板體,奔放自由的摩登體是初學者容易上手的點尖沾水筆字體。 摩登體難度較低,藉由一些簡單的技巧,就能變化出活潑華麗的變體,信手捻來隨性耐看,非常適合初學者應用在卡片、手帳中。 
[課程難度] 中,摩登體是個人風格很高的書寫體,對已有習字經驗、美術底子的朋友來說不難;若沒有相關經驗,則建議先從單線圓體開始學習。 
[使用工具] 點尖類筆具
[課程內容] 
摩登體的筆具介紹 
紙、筆、墨正確搭配使用 
學習正確的坐姿、握姿、桌面配置 
流暢的沾水筆使用技巧 
基礎筆劃練習 
小寫書寫技巧 
大寫書寫技巧 
連字規則 
變體規則 
設計個人摩登體簽名 
摩登體手作卡片
銅版體
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銅板體是使用金屬沾水筆尖書寫的古典字體,風格優雅華麗,常見於書寫卡片、正式信函,蘊含各種變體及曲線變化,富饒生趣,也是書法家入門常修習的實用字體。 這款字體已經有線上課程囉! 沒有觀看次數限制、字帖格線都能下載,方便因為疫情沒辦法上課的同學們一起習字,可以先觀看兩個試看章節,點我去上沾水筆銅板體習字課。
[課程難度]中高。 銅板體是對於力道、結構、書寫穩定度的要求都較高的字體,若沒有美術底子或相關習字經驗,強烈建議學完單線圓體、熟悉書寫體基本規則後再來學習,會比較輕鬆。
[使用工具] 點尖類筆具
[課程內容] 
正確的組裝、使用、保養沾水筆 
正確的坐姿、桌面配置、握姿 
沾水筆使用的要訣 
基礎筆畫練習 
大寫書寫技巧 
小寫書寫技巧 
不可不知的連字規則 
曲飾線、裝飾線繪製技巧 
設計個人花體字簽名
軟筆刷字體 Brush Lettering
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軟筆刷是充滿現代感、潮流感的字體,現代生活中處處見得到它的影子。奔放的筆觸,適合展現個人風格,創造獨一無二的簽名,也很適合應用在海報、LOGO、雜誌、個人商品上,手寫的魅力無疑是電腦字體無法取代的。
[難度] 中
[使用工具] 海綿頭的軟筆刷,如ZIG 軟筆刷、蜻蜓牌雙頭彩色毛筆、雄獅豔彩筆....等。
[課程內容]
認識軟筆刷的歷史、結構和必知術語。
認識書寫工具。
簡單熱身筆畫練習
基礎字體書寫技巧
連筆字體書寫技巧
基礎花飾
裝飾字體
簡易花邊教學
卡片繪製
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smallnotepadlove · 4 months
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月岡芳年 「月百姿 金時山の月」 一筆箋
2023.9.29、芦屋市立美術博物館「最後の浮世絵師 月岡芳年」の後、ミュージアムショップにて捕獲。 珍しく一筆箋が複数あったけど、あえてこの子で。 月が見守る中の、なんとも愛らしい一瞬。 月百姿はどれもすてきなシーンだけどお気に入り。
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orhpee-annex · 3 days
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「死んだ男――鮎川信夫」(詩を読み直す)
死んだ男
                            鮎川信夫
たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
――これがすべての始まりである。
遠い昨日……
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった
Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かった黄金時代――
活字の置き換えや神様ごっこ――
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて……
いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。
埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ傷むか。
◆はじめに
 詩をより具体的に、深く読みおのれの裡に取り込む為に気紛れに一篇の詩を少し手間をかけて読み直すことにした。最初の試みとして戦後詩の代表的な詩である「死んだ男」を掲げる。わたしの好きな詩。だが、詩をこうして筆写したのは初めてだった。そしてまず驚いたのはその短さだった。自分の印象よりもずっと短い。それほどまでに言葉の密度が高い、という意味だ。
◆どういう詩か
 全体の構成としては、「すべての始まり」を告げる第一連を経たあと、回想に入る。詩の矛先はぼく(≒若かりし頃の詩人)の友人Mの埋葬のクライマックスに向けられている。友人の死を回顧的に抒情性を高めつつ語り果せる詩であると読める。
◆誰がどう語っているのか
 基本的には「ぼく」である(※基本的に、と書いた理由は第一連を参考)。
「ぼく」とMが親しい間柄であることは、Mが鮎川信夫の詩友、森川義信であるという事実を抑えずとも、たとえば第三連――「Mよ、昨日のひややかな青空が/剃刀の刃にいつまでも残っているね。」といった詩行から伝わる。これを「剃刀の刃にいつまでも残っている。」としたのでは、或いは同連の四行目を「きみを見失ったのか忘れてしまった。」としたのではぼくとMの関係の印象はがらりと変わってしまう。
 「――これがすべての始まりである。」
「たしかにそのとおりであった。」
「黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。」
「きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。」
と、全体的にリアリズム小説のような語り口が貫かれている故に、第三連の感傷がいっそう際立つ。
◆第一連
 怪談やサスペンスを思わせる導入。
 「たとえば霧や/あらゆる階段の跫音のなかから、」の二行には、生き延びたぼくが何処にいても死者の幻影に憑かれている様を暗示させる。詩を語る動機をここで示し得ている。
「遺言執行人」とは誰だろう。それはMでもないし、単純に「ぼく」のことでもないだろう。もう一人の「ぼく」――つまり日常を送るぼくではなく、まさに詩人としての「ぼく」であると、ここでは読んでおきたい。
◆第二連
「遠い昨日……」と、回想へと導く詩行に始まる。
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
 の二行。どんなふうに捉えればよいのだろう。「ゆがんだ顔をもてあましたり」という言葉からは、例えば思春期の情感過多のイメージが湧く。だが戦時中という時代、さらには次の「手紙の封筒を裏返す」との関連において踏み込むと、友人知人の訃報に接して思わず差出人を確かめるような、そんな状況が思い浮かぶ。
「実際は、影も、形もない?」と括弧内の呟きも呆気ないひとの死を前にした言葉と解釈すると腑に落ちる。
 ――死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった
 右の詩行は第一連と同じダッシュの話法で、間違いなく詩人(話者)本人の感慨であるとすれば、括弧内の呟きはMの口吻になると推測される。このことは最終連にて「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」と言い放ったのがMであること導出される。
 ◆第三連
 それまでの連とは打って変わり、親しく語り掛ける口調が用いられ、抒情性が高められている。そして、ひややかな青空が残る「剃刀の刃」とは何か。それは肌を傷つけるには容易く、自刃に用いるにはあまりに頼りない青年期の象徴でもあれば、���を剃る大人の男にとっては毎朝用いる道具でもある。死に損なった詩人は朝の剃刀の中に「昨日のひややかな青空」を、いつまでも見出し続けている。だが、「何時何処で/きみを見失ったのか忘れてしまった」ほどに詩人の生の時間は、Mと共に生きた時間からかけ離れてゆく。
 活字の置き換えや神様ごっこ――
は第一に詩作を連想させる。友と互いに詩を評し合う姿も目に浮かぶ。ここでも括弧内の台詞、これもMの台詞だろう。ただし青春期の只中での言葉というより、詩作どころではなくなった時期の言葉として。
◆第四連
いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
という詩行。それまで回想の裡に読み込まれた青年期の時間が夏のように花ざかりの時間ではなく、当人たちにとって常に衰亡を予感させる苦々しい時間だった。「淋しさの中に落葉がふる」とMの亡霊のような言葉がそこへ重なる。
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。
という詩行。言葉は人影、街へとより群衆の側へと歩んでいる筈なのに伝播の印象とは正反対だ。むしろ誰にも聞き届けられ、拾われることのない孤独のままに、最終連の「埋葬の日」へと連なる死の時へと無情に淡々と歩んでいる。
 ◆最終連
 埋葬の日は、言葉もなく
 立ち会う者もなかった、
 Mの死に様が穏やかではなかったこと、ただ戦地で当たり前のように死んでしまった状況が伝わる。「憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もない」というのは、従容と死を受け入れざるを得なかった事情の喩のようでもあり、しかし何処か寂しい程の静けさを予感させる。
 空にむかって眼をあげ、
 きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横たわったのだ。
 ここで詩人の眼はまさに死にゆくMの眼と想像の中で重なる。
 「さよなら、太陽も海も信ずるに足りない」とランボーの詩「永遠」に対しての訣別、異国の前時代の詩に語られた永遠が、現実の死に際において裏切られてゆく無情を物語る。そのような孤独の死に沈んだMに、旧友である詩人だけが語り掛けるのをやめない。
 「きみの胸の傷口は今でもまだ傷むか。」――そのように生き残った者が死者を忘れないこと、それを倫理として刻むこと。それこそが遺言執行人の役割であり、戦後詩はそのような倫理を抱えて敗戦後の荒地へと重い一歩を踏み出した。
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tangkwongwah · 6 days
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一段過往,就如昨夜曇花,可憐些許淚,碎碎念念的淒清,無法掬起,海誓與山盟,終是一場夢幻的情話,既然扯斷了線,就再也聽不到心的回答。 
誰用美麗的謊言編織了一個苦澀的夢?
而又是誰用深情雙眸鎖住那一世的柔情?
執筆落下一箋相思,煙花碎了一季。
我明了,今生,緣起緣滅,你終是我一段塵封的殤。
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