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#カーマニア
ren19790209 · 1 year
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5月12日に新木場にオープン予定の『ARTA MECHANICS & INSPIRATIONS(メカニクス アンド インスピレーションズ)』のレセプションに行ってきました。 ウエア×クルマをトータルでコーディネートする感じが、 「普通の車好き」とは違う雰囲気でカッコいい。 GR86ベースのカスタムカーはFRPの外装に交換されていて、アグレッシブなデザインがイケてました。 . (写真には写ってないけどピロアッパーマウントがゴツくて「ほーう…」ってなった。調べたらHKSの特別仕様車高調という事で「なるほど。贅沢なクルマだな」と。この贅沢ってお金の事じゃないからね。) #新木場 #arta #artamechanics #arta新木場 #custom #customcar #カスタムカー #車好き #カーマニア #自動車オタク #fashion #ファッション #apparel #アパレル #オートバックス #スーパーオートバックス #カー用品 #自動車 #車 #クルマ #自動車整備士 #model #モデル https://www.instagram.com/p/Cqa4jhVy-WK/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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john1 · 2 years
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9月24日(土)BOSO BEATLES JAM Vo.72 れすとらん邪夢 Musicians’ Paradise Jam PM 18:00 OPEN PM 19:00 START 出演 johnイチ カルト•ザ•ビートルズ The eBeats Beatlesピンで奏でるピントルズ🇬🇧ジョンイチ😎 60年以上世界中に愛され続けるRock🎸 1人ハイスペックパフォーマンス配信♬ BIGO LIVE毎日配信中 11:00~ 弾き語り配信 ゲリラランダム時間 まったりゆるゆるラヂオ配信 Instagram LIVE🎸ランダム配信中😎 Singer🎤Song🎼Camper🏕johnイチ😎 No Beatles No Life🇬🇧 No Camp No Life🏕 Everyday Normal Broadcasting BIGO LIVE On Air Every day 11:00~ Everyday Radio Broadcasting Random Japan Time BIGO LIVE On Air BIGOLIVEの公式ライバーjohnイチのプロフィールを見てみましょう! https://slink.bigovideo.tv/lTQ4lL https://youtu.be/NKDcGhBheLk https://www.instagram.com/johnichikudo www.tiktok.com/@johnichi66 https://twitter.com/JohnichiKudo https://www.tunecore.co.jp/artists/john1 #ちょい不良オヤジ #イケおじ #オルタネイティヴロック #AlternativeRock #ビートルズ #beatles #ギタリスト #UKロック #アコースティックギター #弾き語り #歌手 #ライブ #配信 #ドライブ #キャンプ #オートキャンプ #ソロキャンプ #カーマニア #アップル #mac #Antelope #gibson #epiphone #vox #SENNHEISER #tchelicon #アウトドア #チワワ #愛犬家 #ラーメン (レストラン邪夢) https://www.instagram.com/p/Ci4GYO_JkjG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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774 · 1 year
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溜池は江戸城外濠の一部を構成していた。元々水の湧く所であり、堤を作り水を溜めるようにしたためこの名がある。その形から別名ひょうたん池とも呼ばれた。神田上水、玉川上水が整備されるまではこの溜池の水を上水として利用していた。堤に印の榎を植えたため、現在赤坂ツインタワーから駐日アメリカ合衆国大使館に上る坂道は榎坂と呼ばれる。 宝永年間より断続的に埋め立てられた。明治21年に完全に埋め立てられて溜池町となった。 昭和初期から昭和40年代にかけてはこの周辺に輸入外車の販売店が集積するようになり、自動車街と呼ばれるようになった。溜池交差点から山王下までだけでも日本自動車(フィアット、アウディ、アメリカン・モーターズ)・三和自動車(パッカード、ポルシェ)、東邦モーターズ(オペル、オールズモビル)、日英自動車(MGやポンティアック)、安全自動車(ダッジ)、国際自動車商事(ランチア)、八洲自動車(クライスラー)などが軒を連ねていた。輸入車は当時の平均的日本人の生活水準からは極めて高価な存在で、購入するなど思いもつかなかった当時のカーマニアたちはカメラ片手に散策を楽しんだ。しかし、昭和50年代以降はオフィスビル化が進み、今は当時の面影を殆ど残していない。
赤坂 (東京都港区) - Wikipedia
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patanosuke · 1 year
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確か何年か前にもポストしましたが…再びup。 かつての愛車HCR32、スカイラインGTS-T typeMです。 このクルマが我が家に来たのは私が16歳、高校一年生の頃でしたから、たしか2015年辺りだったかな(嘘) 我が家でファミリーカーとして永年頑張ってくれたハコスカのファミリーモデル1800GLが寿命を迎え、交代でやって来たのがコレ。 「どうせならオプションたくさん付けられる方が楽しいだろ♪」 ディーラーから帰ってきた親父がそう言いながら家族に見せた見積書にはしっかり「typeM」の文字が。 先に述べておくと、我が親父様は特段カーマニアや走り屋という訳でもなく、更にぶっちゃければ車庫入れや縦列駐車などは母よりも劣る運転技術…。 事前の家族会議でスカイラインにまた乗ろうと決まったものの、まさかよりにもよってフラッグシップのtypeMを選んでくるとは思いも寄らなかった訳で… 因みにGTRは『2ドアしか無いクセにやたらと高いから』との理由で断ったとか。 納車当日、早速豪快なホイルスピンを決めながら駐車場を出る親父様。 いきなりの緊張感に固まってしまう助手席の私と後席の母。 「…も、物凄いパワーだな、はは💦」 その後も親父様初体験のHICAS効果で超オーバーステアを何度かキメつつ、漸く着いたのは区内竹の塚のレッドロブスター(現在は既に閉店)で食べ放題を堪能し、帰宅する頃には流石の親父様もじゃじゃ馬の扱いに慣れ、 「うーんやはり新車はイイなあ!」 と余裕をかますも、目は笑っていなかった。 …その後家族で何度かドライブに出掛けるものの、母が恐怖から運転を拒み続けたため、二年後私が免許を取りこのクルマに乗り始めた頃走行距離は僅か400kmそこそこでした。 ほぼ新古車状態で私はこのクルマに若葉マークを付け、学校から帰り制服を着たままでドライブを楽しむという、今思えばぶん殴ってやりたくなる様な高校生でした。 学校を卒業しバイトしながらの極貧音楽生活とはいえ、バイトの収入が落ち着いて来た頃に親父から名義を移し保険や諸々を受け継ぎ、名実共に私の愛車となってからは、そりゃあもう…(笑) 色んな事をこのクルマから学び、そして思い出もたくさん出来ました。 三十代前半に過労からパニック障害を患い、運転は勿論維持も厳しくなったのをきっかけに泣く泣く手放し…その後約十数年のブランクを得て現在の白澤号と出会う事になります。 勿論今は白澤号が可愛くてたまりませんが、運転の基礎を作ってくれたこのR32にはいつも感謝を忘れないし、今でも機会があればまた運転してみたいなと思ったりもして。 因みに当時は本当に維持するだけで精一杯だったのでこのR32、フロントスポイラーとエアクリーナー以外は全くノーマルでした。 元々それなりにポテンシャルの高いクルマだったのであまり弄るのも怖かったし(笑) ただ、当時からやりたかった足回りと剛性強化の夢は白澤号で叶えられました。 そういう意味でも今の私にある クルマ感 というものは、このR32が作ってくれた訳ですね。 携帯と写ルンですでたくさん写真も撮った筈なんですが、今ではこの一枚しか残っておらず…このデータだけが当時の記録となってしまいましたが、記憶は記憶としてたくさん心に刻まれてます。 忘れられないクルマです。 #日産 #nissan #skyline #hcr32 #旧車 #思い出 https://www.instagram.com/p/CkVMhA-vP-6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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3mori-co · 3 years
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全国のAE91ファンの皆様こんにちは! 昭和63年式、カローラセダン入りました!! しかもマニュアル車! エンジンは5AFEでなんと走行32000㎞の極上車です。 インパネ類やシートなども年式の割にキレイ! ユーザー様のご要望で解体を早く希望されていますので、数日間はストック出来ます。 欲しい部品がありましたらご連絡下さい! 細かい部品にもなるべく対応します。 #自動車リサイクル #仙台 #AE91 #カローラセダン #5AFE #マニュアル5F #ノスタルジック #カーマニア #古い車好き #少し古いけど程度はいい #外す時、割れや破損した場合はかんべんして #SE-Limted #最近何故か旧車やレアな車が入ってくる・・・ (株式会社 三森コーポレーション) https://www.instagram.com/p/CTn0REIhzjX/?utm_medium=tumblr
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kidaharuhiko · 3 years
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自動車テーマのスロットマシン
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世界中のカーマニアの総数を想像してみると、自動車を操るタイプのビデオゲームが何百と存在することに何の不思議もありません。そして、そんな自動車ビデオゲームで一番人気なのはもちろんレースゲームです。ゲーム業界は急速に進化しているため、自動車ゲームもますますリアルになっています。バーチャルリアリティに近づきつつあるというわけです。  続きを読む
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世界が違って見える・パート3
こちらのつづきです。
https://chuck-snowbug-kotoba.tumblr.com/post/177539801585
『世界が違って見える』シリーズの第三弾。
第二弾となる『その後の「世界が違って見える」』から約一年、最初の『世界が違って見える』から二年近くが経ったいま、車に関する諸々の最新状況を備忘録代わりに記してみます。
先ず、車についての「知識」の部分では、一年前とそれほど変わりはありません。濃い霧と、薄い靄と、突然の晴れ間とのあいだを延々行ったり来たりしつづける毎日。疑問に思うことは相変わらず多々あるものの、段々とこのまだらなかんじに慣れてきたというか、知らぬうちに図々しくなったのか、あたまを抱えるほどは困っていない、といったあたり。
一方、「行動」の部分では、かなりの変化を経験しました。いちばん大きいのは、街中を���いていて(ジョギングしていて)、珍しめの車に出くわしたときに反射的に立ち止まり、見えなくなるまでじっと眼で追うようになったこと。時には思わず、わっ!、と声を出してしまうこともありました。驚き半分・歓び半分の気分で。
そのさまを第三者が見たら、このヒト(わたし)は相当な車好きなのだな、との印象を間違いなく受けたことでありましょう。しかもわたしの頭のなかには今や、自宅から半径五キロくらいの範囲の、珍しめの車が停まっている場所が記された地図ができつつあります。ジョギングの際に、せっかく此処まで来たんだから、今日はちょっとだけ遠まわりして、久しぶりに例のあの車の前まで行ってみよう、となることも珍しくないです。
ちなみに、『その後の「世界が違って見える」』で記したハマーが停まっていた一軒家の屋外駐車場には、半年くらい前から別の車種を見かけるようになってちょっと残念だったのですが、暫くして全然ちがう場所に、別のハマー・スポットを見つけだしてホッとした次第。
そうそう、幸せの四つ葉のおベンツ、と命名した一角がありました。道沿いに計四台のメルセデス・ベンツが駐車している場所で、四台全部が停まっているのを見かけると、その日一日は幸せに過ごすことができる、という云い伝え(?)を勝手に捏造して、今日は見ることができるかな??、とワクワクしていたわけです。その四台にはおそらく別々のオーナーさんが居て、それぞれの生活パターンで日々行動しているようでして、全部が揃った状況に出くわすのは思った以上の難しさ! またそのうちの一台には、頻繁にカヴァーがかかっていたりして……‏(残念ながらカヴァー越しでは、幸せの四つ葉のおベンツ、は成立しないということになっていた!)
正確に云うと、その一角には計五台の駐車場スペースがあり、残りの一台分の場所には別のメイカーの車が停まっていました。「四台のメルセデス・ベンツが駐車中&残り一台が何処かへお出かけ」の状態を、純正・幸せの四つ葉のおベンツ、と名づけまして、これは本当にレアな、毎日足繁く前を通っても一ヶ月に一度遭遇できるかどうか、という状況。実際に幸運がもたらされたかはともかく、見事目撃した際には、グググッと気分が上がったものでした!(過去形で書いているのは、現在はハマーとおなじく状況が変わり、何台かの車種が変わってしまったからです)
こう書き連ねていくと、車の世界にまさにどっぷりと浸かっているようですが、はい、その通りです、と胸を張って云いづらいかんじがどうしてもありまして……‏だって、いわゆるカーマニアみたいな人たちとは話があわないというか、会話が殆どつづかないのが明白ですし、それにくわえ現実世界において、自家用車を欲する気持ちが高まっても全くないからです。
第一弾の『世界が違って見える』に記した通り、それまで知らなかった世界に触れる愉しさが、少しずつかたちを変えつつも未だにつづいていて、インターネットでの調べものをみずからの意思で一切禁じたことにより、どんどんいびつで不可思議な深みへと突き進んでいる状況だと云えるかもしれません。
たとえば、ちょっと前に熱中していたのは、走行中の車のタイヤの真ん中に刻まれたエンブレム(?)がくるくるまわるさまを観察すること。これがいちばんきれいなのはBMWで、青と白のストライプが涼しげに回転するさまは、なかなかの風情なのであります(ただし、最近はちょっと見飽き気味かも……‏)。
アバルトの、真ん中が鏡面のように上品に銀光りするタイプや、ミニの、シンプルに「MINI」と印字されたさまも、まわり具合に独特の味わいがあって、心地好く胸が躍ったものでした。逆に、ポルシェやアルファロメオは、くるくるしたときの色のまざり具合がいささかクドく、個人的にはいまひとつ……‏それと国産車はおしなべて、可もなく不可もなく、という印象。
先ほど、自家用車を欲してはいない、と書きましたが、「実際」の生活ではなく、あたまのなかだけに存在する「別邸」となると話は別です。
Another Worldにおけるわたしは、順調に所有車数を増やしておりまして、一台が二台となり、三台となり、いまや列記とした四台もの自家用車のオーナーであります。
具体的なラインナップを記してみますと、
・アバルトの595(普段使い用には小まわりの効くタイプを!)
・メルセデス・ベンツのSL(遠出ドライヴ用には超高級スポーツカー!)
・状態の良いクラシカルなビートル(ピカピカに磨きあげて鑑賞用に!)
・日産リーフ(混んでいる場所に買い物等で出かける場合を想定。前進するだけならともかく、バック時のハンドルさばきに全く自信がないので、ボタンひとつで可能な自動駐車機能に頼り切る!)
「別邸」は、上記の四台を収める屋内ガレージを備えており、相当に豪華なつくりとなっている訳ですが、つい二週間ほど前、六台分程度のひろさへ拡張する大規模なリフォーム工事を施しました。更に二台、新車を購入する予定がある、ということではなく、自身の心許ない運転能力を考えると、ある程度以上、車と車のあいだを開けておかないと、(日産リーフはともかく、他の三台の駐車時に)誤まってブツける可能性が高いな、と今更ながら思い至ったため!
云うまでも無くこの「別邸」はあたまのなかにだけ存在するので、どんな高級車を何度購入しようとも、わたしの財布は一円も痛みはしないのですが、曲がりなりにも車好きとして、傷ついたら買い替えれば良い、という発想は受け入れがたいわけです。
出費といえばこのたび「実際」の生活において、「世界が違って見える」ようになって初めて、みずからの意思で車関連のことに関してオカネを使ってみました。『オール国産車&輸入車 完全アルバム 2019-2020』という雑誌を買ったのであります! 
定価660円!!
最近は夜な夜な、この安雑誌のページをめくって、今後のカーライフに関して、想いをめぐらせている次第です。
来年の今ごろは「別邸」において一体何台の車を所有しているのか、或いは憑きものが落ちたように、質実剛健な国産車を一台だけ持つようになるか、それとも遂に「実際」の生活において、自家用車の購入を真剣に検討しはじめるのか、我ながら愉しみであります(さすがに未だ買ってはいない、と思う)。
というわけで、つづきは(多分)、また一年後!!
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mitaimon · 5 years
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走れば、操作系のすべてがメチャ軽くて気持ちイ~! 先代BMW 3シリーズの適度に重いパワステも大好きだけど、この小径楕円ステアリングでクイクイ向きを変える感覚は、まったく別の魅力があって最高っす! ちなみに、試乗車に1.6ターボのガソリンモデルを選んだのは、2リッターディーゼルより圧倒的に鼻先が軽いし、エンジンフィールも軽くてより「らしい」から。
第136回:われら教条主義者 【カーマニア人間国宝への道】 3ページ目 - webCG
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xf-2 · 5 years
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事実を知らしめることが親善に
豊田有恒(作家)
愛国の一方で政府批判
 このところ、韓国の反日が常軌を逸したものになっている。いわゆる従軍慰安婦の問題は、日本の巨大新聞が、その強大な影響力を行使した結果、世界中にまき散らされた虚構なのだが、いわば韓国との連携のもとで、拡大した側面も見逃せない。
 明らかに、韓国は、変わってきている。なぜなのだろうか? 私は、1970年代の初頭から、韓国へ通い始め、韓国語も学び、多くの著書を上梓してきた。しばしば、親韓派と目されてもきた。弁解になるが、これには、理由がある。70年代の当時、例の巨悪の源泉である新聞社は、北朝鮮一辺倒だったのである。今日では考えられないことだが、北朝鮮を「地上の楽園」と美化し、相対的に韓国を独裁政権と規定し貶(おとし)めてきたのである。
 私は、もともと、小説家であり、思想的な背景はない。韓国へ行くようになったきっかけは、小説の取材のためでしかなかった。韓国は、あの新聞社が報じるように、独裁政権の国だと思いこんでいた。これは、おおかたの日本人の当時の平均的な理解だったろう。なにしろ、良心的と目されていた大新聞が、北朝鮮への帰国事業などを後援し、後にノーベル賞を受賞する有名作家や、国際無銭旅行で大ベストセラーを出した評論家などが、すっかり賛同しているのだから、実際に韓国へも北朝鮮へも行ったことのない人間は、そうだと信じこむしかなかった。
 しかし、韓国へ通ううちに、日本の報道が、おかしいのではないかと、うすうす思いはじめた。三十代はじめで若かったせいだろう、フットワークが良かったから、取材目的の古代遺跡のほかにも、あちこち歩きまわる。ディスコで知り合ったディスクジョッキーをやっているという同年輩の韓国人と意気投合したが、この男、どこでも政府批判ばかり口にする。こちらが、心配になって、周囲を見回したほどだった。日本では、KCIA(韓国中央情報部)の悪行ばかりが報道されていたから、言論の自由はないという先入観にとらわれていたが、こうした報道が、変ではないかと感じはじめた。
 また、一方では、政府批判もするが、この男、愛国心を口にする。ディスクジョッキーという軟らかい職業の男が、愛国心を口にすることに、違和感も持ったが、やや羨ましくもあった。当時、日本のマスコミは、左翼デマゴーグに牛耳られていたから、愛国心などと言えば、右翼と間違われかねないような風潮が、蔓延していた。しかし、韓国では、こうした言説は、この男だけではなかった。あちこちで、北朝鮮に偏している日本の報道がおかしいとする、多くの韓国人の批判を耳にするようになった。また、必ず日本に追いついて見せるという、愛国心をむき出しにした意見にも接した。
韓国の実情紹介に誹謗中傷
 韓国語が判るようになると、行動範囲も広がってくる。こうした韓国人が、KCIAに監視されているから、点数かせぎに愛国心を口にしていたわけではないと、だんだん判ってきた。バイク・カーマニアだったので、現代(ヒョンデ)自動車(チャドンチャ)や大林産業(テーリムサノプ)のショールームに足を運んで、韓国の自動車・バイク事情に関心を持ちはじめた。
 日本で報道されるような「暗く抑圧された独裁国」といったイメージでないことが、しだいに判ってきた。日本で、しばしば誤解されていることだが、反日の激しさから、韓国人に険しいイメージを持つ日本人が多い。一面では当たっていないこともないが、日常の生身の韓国人は、妙になれなれしく陽気で人懐(ひとなつ)こい。
 あの大新聞は、「暗く抑圧された独裁国」という疑似イベントを売りまくって、北朝鮮を美化し、韓国を貶める方向へ、日本国民をマインドコントロールしていたのだ。
 韓国では、確かに日本より言論の自由が制限されていた。しかし、それは、金日成の個人崇拝による究極の独裁国家である北朝鮮と対峙するためであり、ある程度は強権政治を敷くしかなかったのである。当時、韓国では「誤判(オバン)」という表現が、しばしば使われていた。韓国国内が混乱していると見てとり、好機とばかりに北朝鮮が南進に踏み切るのではないかというわけだ。つまり、北朝鮮に誤判させないように、常に国内を安定させておかなければならなかったのだ。全ての韓国人が、ほん(・・)もの(・・)の(・)独裁国家である北朝鮮を恐れていたからだ。
 こうした韓国の実情を、広く知らせたくなった。小説家という職業柄、書くメディアには、事欠かない。小説家の仕事ではないという躊躇(ためら)いもあったが、最初のノンフィクションとして「韓国の挑戦」(祥伝社)を上梓したのが、昭和53(78)年のことだった。書評では、これまでの日本の対韓認識を一変させたとまで、評された。当時の私には、巨悪と戦おうなどという大それた問題意識は、まったくなかった。
 だが、ベストセラーにはなったものの、あれこれ、雑音が耳に入ってきた。この問題が、当時のマスコミ界では、タブーになっていると知ったのは、発売されてからだった。つまり、ほんとうのことを言ってしまったため、このタブーに抵触した。期せずして、あの大新聞と言う虎の尾を踏んでしまったわけだ。
 朴政権に買収されている―は、まだしも上品なほうで、韓国に愛人がいるとか、韓国成り金だとか、いろいろ悪罵を聞かされることになった。そこで、子供たちもつれて、一家5人で毎年夏休みに韓国へ遊びにいき、印税を使い果たした。
日韓のため尽くした金思燁氏
 あの大新聞が主導して、日本人を親北朝鮮、反韓国という方向へ誘導していたわけだが、最近は、かつての報道姿勢が嘘だったかのように、あの大新聞は、北朝鮮を賛美するようなこともなくなり、いつのまにか北朝鮮への批判を、臆面もなく展開するようになった。
 それどころか、70年代当時あれほど嫌っていたはずの韓国に過剰に感情移入し、悪いのは全て日本人式の報道姿勢で、虚構に基づく従軍(・・)慰安婦(・・・)なる疑似イベントを垂れ流す始末である。多分、従軍(・・)慰安婦(・・・)報道についても、いったん非を認めたものの、真剣に謝罪するつもりなどなく、なし崩し的に、鉄面皮を決め込んで、風当たりが収まるのを待っているのだろう。
 実際、当時、私は、韓国人の魅力にハマってもいた。日本人のように、控え目でなく、陽気に自己主張する姿勢が、一度も宮仕えしたことのない私のような一匹オオカミの作家には、波長が合っていると錯覚したせいでもある。
 当時、知り合った韓国人のなかには、私の終生の師と仰ぐ人も、少なくなかった。東国大学の金思燁(キムサヨプ)先生とは、シンポジウムの席で知り合った。日韓バイリンガルの世代的な体験から、「日本書紀」「万葉集」を韓国語に、「三国(サムグク)史記(サギ)」「三国遺事(サムグンニュサ)」を日本語へ翻訳され、日韓古代史の研究におおいに貢献され、また、東国大学に日本学研究所を設立され、初代所長として、日本研究を韓国に定着させた功績は、おおいに評価されるべきだろう。
 金先生に招かれ、東国大学で講演したこともある。最初、韓国語で話しはじめたのだが、見るに見かねて、助け船を出してくださったのは、先生の優しさだった。私のほうも、日本人を知る方々が物故して、日本語スピーカーが減っていることに危惧を覚え、毎年、拙著も含めた文庫本を教材として日本学研究所へ寄贈し、日韓親善に努めたものである。金先生は、私のささやかな協力に、研究所からの表彰という栄誉で応えてくださった。ほんとうに尊敬できる立派な方だった。
 また、在日の人では、作家の故・金(キム)達(ダル)寿(ス)さんとは、古代史の会を通じて、親しくしていただいた。「日本の中の朝鮮文化」は、十数巻にわたる大著だが、日本全国に足を運んで、いわばライフワークとして書かれる際、金さんが自分に課していたことが、ひとつだけあった。韓国・朝鮮人の書いたものは、絶対に引用しないことだった。韓国・朝鮮人の書いたものなら、例の剣道の起源の捏造のように、なんでも朝鮮半島から渡来したと、こじつける文献が、いくらでも見つかるだろう。
 おそらく、金さんは、韓国・朝鮮人の書いた文章を引用したいという誘惑に駆られたこともあったにちがいない。しかし、日本人が書いたものしか引用しないと、いわば、痩せ我慢のように、心に決めていたのだ。
 金達寿さんとは、酒を呑んだり、旅行したり、また拙著の解説をお願いしたりしたこともある。艶福家で豪快な人だった。
今に伝わらぬ統治のプラス面
 時の政権を批判して、亡命同様に日本へ渡り、「コリア評論」を主宰されていた金三(キムサム)圭(ギュ)さんとも、知り合った。何度か、同誌をお手伝いした記憶がある。金さんは、東亜(トンア)日報(イルボ)の主筆の体験を生かして、当時は画期的だったクロス承認方式を提唱して、健筆を奮っておられた。南北朝鮮の対立状況を解消するため、中ソ(当時)が韓国を、日米が北朝鮮を、それぞれ承認することによって、平和を担保するというアイデアだった。
 しかし、その後の経緯を考えれば、中露は韓国を承認したが、日米は、北朝鮮と国交を持たないままである。あの当時は、かの大新聞の陰謀で、日本では伏せられていたが、北朝鮮という史上かつてない独裁国家の実像と戦略が、今や全世界で周知のものとなったからである。
 例の大新聞は、韓国を独裁国家と決めつけて、あれこれ捏造報道を繰り返したが、まもなく馬脚をあらわすことになった。あまり、褒められた話ではないのだが、不純な動機ながら、多くの日本男性が、韓国を訪れるようになり、本物の韓国を実際に目で見るようになったからだ。
 今も変わらぬ売春大国は、当時から有名だったのだ。空港などでは、団体旅行の男たちが、昨夜の女がどうのこうのと、聞えよがしに話しているのは、同じ日本人として、気が引ける思いだった。当時は、日本世代の韓国人が健在だったから、日本語を理解できる。あまりの傍若無人さに、舌打ちをしながら、露骨に「ウェノム」だの「チョッパリ」だの、差別用語を口にしている韓国人も、珍しくなかった。こうした日本人は、韓国語が判らないから、差別用語で呼ばれても、判らないのだから、おめでたい話だ。
 しかし、不純な動機から訪韓しようと、実際の韓国を見てくれば、韓国が制限付きながら、自由主義の国だと判る人が増えてくる。とうとう、例の大新聞も、疑似イベントのような韓国=独裁国家論を、引っ込めるしかなくなったようである。
 免税店などでは、日本世代の年配の女性が、若い人に日本語を教えているケースもあった。何度か訪れ、親しくなると、世間話のようなこともするようになる。さる女性は、つい最近(当時)、女学校の同窓会を行なったところ、多くの同窓生が日本から駆けつけてくれたと、嬉しそうに話してくれた。
 当時、女子の高等教育は、日本でも朝鮮でも、まだ途上だった。女学校は、いわば最高学歴で、いい家の子女しか、通えなかった。したがって、この方の同窓生は、かつてソウルに住んでいた日本人が多かったわけだ。いや、この方も、元日本人であり、内地か朝鮮かなどと、出自を気にすることなく、自由に青春を共にしていたのである。
 多くの悲劇も誤解も矛盾もあったが、こうした日本統治時代のプラス面が、日本でも韓国でも、今の世代に正確に伝わっていないことが、日韓の最大の問題なのだろう。
良好になりつつあった日韓関係
 70~80年代にかけて、韓国では、慰安婦も歴史認識も、話題にすら昇ったことはなかった。その後、韓国を独裁政権扱いする報道も影をひそめ、日韓関係は、良好な方向へ向かいはじめた。もちろん、一部では、反日もあるにはあったものの、顕在化しなかった。
 むしろ、日本人のほうが、韓国への好感度を増していった。「冬のソナタ」のヒットの影響もあったろう。元のタイトルは「冬(キョウル)恋歌(・ヨンガ)」である。主役の裴(ペ)勇(ヨン)俊(ジュン)の魅力もあったろうが、誰が訳したのか、ソナタという言葉が効いたせいもあるだろう。
 70年代、日本世代の免税店のおばさんたちは、男ばかり来ないで、女性にも韓国へきてもらいたいと、いつもぼやいていた。家内を同行すると、おおいに喜ばれた。当時、ビーズのハンドバッグ、螺鈿(らでん)の漆器、絞り染めの生地など、男には価値の判らない土産物が、韓国では安く買えたのである。時代は、様変わりして、多くの中年女性が、日本から韓国を訪れるようになった。
 私も個人的に、日韓親善に尽くしてきたつもりである。東国大学以外にも、たまたま知り合いができた祥(サン)明女子(ミョンヨジャ)大学(テーハク)など、いくつかの大学へ、文庫本を教材として寄贈しつづけた。韓国の日本語スピーカーを減らさないためである。
 また、本業に関して言えば、日韓の推理作家協会の交流プロジェクトが、行なわれた際には、おおいに働いたと自負している。韓国では、減ったとはいっても、日本語で案内してくれる作家に、事欠かない。しかし、日本では、「韓国の独裁政権、やっつけろ」式の景気のいいスローガンをぶち上げる作家は、たくさんいたものの、韓国語で案内できる作家が、ほとんどいなかった。「あれ(イッチョ)に(ゲ・)見えます(ポイヌン・)建物(コンムル)は(・ン)、国会(クッケ)議事堂(ウィサタン)で(・イ)ございます(ムニダ)」などと、東京観光ではバスガイドのようなことも、しなければならなかった。
 90年代には、日本人の韓国に対する関心と、好感度も高まり、韓国人の日本への興味、関心も、増していった。サッカーW杯の共同開催に向けて、日韓関係は、新たなステージに向かうかに見えた。
日韓離反狙う慰安婦捏造報道
 だが、ここで、あの大新聞は、またしても、その強大な権力を行使して、日韓離反の挙に出た。
 1991年、いわゆる従軍慰安婦なる虚構が、報道されたのである。この巨大新聞は、現在では、いちおう虚妄だったことを認めてはいる。だが、軍隊相手の売春婦である慰安婦と、勤労動員で働いた挺身隊を、混同した報道に関しては、当時は事実関係の研究が進んでいなかったためと、弁解している。
 しかし、年齢の離れた姉が、あのころ女学生で、勤労動員により中島飛行機の工場へ、自転車で通っていたのを、私ははっきり覚えている。もちろん、慰安婦とは、何の関係もない。ことは、姉の名誉とも関わってくる。
 平成に入って早々のころには、あの新聞社にも、私と同世代の社員が、まだ現役でたくさん働いていたはずである。知らないはずがない。二十数年も訂正することなく、頬かぶりをしてきたのは、単なる誤報などではなく、あの大新聞が仕掛けた日韓離反策の一環で、意図的なものだからなのだろう。
 日韓離反を図る大きな意思は、あの新聞の言論支配のもうひとつの柱として、吉田某なる人物による、済州(チェジュ)島(ド)における日本官憲の女狩りという、とんでもない虚構を付け加えることによって、さらに拡大していく。
 しかし、その後の十数年は、この大新聞の企みは、まだ功を奏さなかった。日本では、韓国ブームが続いていたからである。これまで訪韓したことのない、中年婦人層が、韓国を訪れることが多くなり、韓流にはまった韓国語学習者も、増えていった。そればかりでなく、男性のなかにも、韓流ドラマにはまる人が多くなった。韓国の大河ドラマ「朱蒙(チュモン)」は、高句麗の開祖朱蒙を主人公とした作品だが、私の近くのDVD店では、新作が十巻入っても、即日借りだされるほどの人気だった。
 朱蒙は、もともと「三国(サムグク)史記(サギ)」に記録される神話上の人物なのだが、それを強引に歴史ドラマ風に、仕立て上げるところが、まさに韓国人である。元ネタが僅かしかないので、古今東西のエンタテインメントから、使えそうな要素を、流用している。水戸黄門のような部分も、大奥のような部分もあるが、臆面もなく、受けそうな要素を投入しているから、たしかに面白いことは面白い。
 また、韓国側も経済力の伸長と共に、訪日して実際の日本を肌で知る人々が増えてきてもいた。別府の大ホテルなど、経営危機に陥った苦境を、韓国からの観光客の増大で乗り切ったほどである。国際化というスローガンが、しばしばマスコミを賑わすが、お互い知り合う以外に���国際理解が進むことはない。 
慰安婦と同構造の原発報道
 だが、挺身隊=慰安婦という虚妄、済州島女狩りという捏造は、徐々にボディブローのように効いていった。韓国では、従軍慰安婦像なるものが、日本大使館の前に設置され、アメリカ各地へ飛び火していく。あの像は、新聞報道にあった12歳の少女として造られている。挺身隊=勤労動員には、中学生、女学生も動員されたから、その年齢の生徒たちも少なくなかったが、軍隊相手の慰安婦に、その年代の少女がいたという記録もないし、事実もなかった。
 韓国では、挺身隊問題対策協議会という団体が、活動し続けている。あまりにも長ったらしいので、挺(チョン)対(テ)協(ヒョプ)と略している。あの大新聞が垂れ流した挺身隊=慰安婦という虚構を、そのまま踏襲しているわけだ。語るに落ちるとは、このことだろう。
 事実関係が、はっきりしたのだから、あの新聞の責任で、韓国側に訂正を求めるのが、筋だろう。だが、あの新聞は、それをしない。それどころか、慰安婦の存在は事実だから、これまでの方針に変わりないという態度を、とりつづけている。
 なぜ、こうなるのだろうか? 韓国の問題と離れるが、私も筆禍に遭ったことがある。あの新聞社は、取材も検証もしないで、記事を書くことが、はっきり判った。私が受けた筆禍など、些細なことだが、問題の根は、共通している。
 私は、本業のSF小説の未来エネルギーとして、昭和30年代から、原子力に興味を持っていた。そして、日本中の原発と、建設予定地の全てを、取材した。当時、人気の「朝日ジャーナル」誌が、特集を組んだなかに、私の名前も、名誉なことに入れてあった。その特集とは、「わたしたち(原発反対派)を未開人と罵った識者十人」というものだった。もしかしたら、原発反対派を未開人と罵った粗雑な人間が、その十人の中に、いたのかもしれない。
 しかし、私は、そういうことを言ったこともないし、書いたこともない。それどころか、立地点の住民の反対を尊重すべきだと、常日頃から主張してきた。また、すでに物故したが、反対派の大立者の高木仁三郎は、私の中学の同級生で、同じ大学に入った間柄であり、かれが反対意見を発表できないような事態になったら、私と意見が異なってはいても、かれの言論の自由を守ると宣言してきた。さらに、原発に反対する自由のない国は、原発を建造すべきではないと、何度も書いたことがある。
 ことは、原発賛成、反対という問題ではない。こうした報道をするからには、私をふくめて、そこに記された十人が、そういう発言をしたかどうかを、取材確認する必要がある。
 ところが、私には、まったく取材は来ていない。そこで、私は、雑誌「諸君」のページを借りて、当時人気だった筑紫哲也編集長宛てに、私が、いつ、どんなメディアで、そういう発言をしたかと、問い合わせた。もちろん、そんな発言など、あるわけがない。筑紫編集長の回答は、のらりくらりと、話題をすりかえることに終始した。
韓国人と〝あの新聞〟の共通点
 つまり、あの大新聞は、取材も検証もしないで、主義主張に基づくフィクションを、報道の形を借りて、読者に垂れ流しているわけだ。原発などに賛成し、傲慢な発言をする非国民が、十人必要になった。そこで、関係ない人間もふくめて、誌上でさらし者にしたわけだ。つまり、原発推進めいた意見を、圧殺する方針だったのだろう。
 いわゆる従軍慰安婦の報道と、まったく同様の構造である。
 従軍慰安婦なるフィクションを、あたかも事実であるかのように、売りまくって読者を欺いた責任は、まさに重大である。しかも、日韓関係を破壊したばかりでなく、全世界にわたって日本の名誉を泥にまみれさせた罪科は、きわめて悪質である。
 誤報ではなく、明らかに意図的な捏造である。この捏造が,韓国に飛び火すると、さらに拡大していく。その意味では、この大新聞の離反策に、うまうまと乗せられた韓国も、いわば被害者と言えるかもしれない。主義主張を真っ向から掲げて、事実の確認も検証もしない韓国の国民性と、あの新聞の社是(?)は似ているかもしれない。
 私は、過去四十数年にわたって、韓国と関わってきた。最初、自宅ちかくの笹塚の小さな教室で、韓国語を学びはじめた一人に産経新聞の黒田勝弘さんがいる。あちらは、ソウル在住が長いから、私など到底及ばないネィティブスピーカーに近い語学力だが、スタートは一緒だった。
 以後、折々に韓国関係の著書を上梓してきたわけだが、その都度、親韓派、嫌韓派などと、勝手に分類されてきた。例の大新聞もふくめて、日本のマスコミが北朝鮮に淫していたころは、日本のマスコミ批判とともに、韓国擁護の論陣を張り、顰蹙を買った。また、韓国の反日が、度を過ぎたと思えば、遠慮なく韓国批判を展開してきたつもりである。
 国際親善には、王道はないから、知る以外に近道はないと考え、「日本人と韓国人、ここが大違い」(文藝春秋)「いま韓国人は、なにを考えているのか」(青春出版社)など、比較文化論ふうの著書もあり、口はばったい話だが、日本人の韓国理解に貢献してきたつもりである。
 もちろん、私の独断と偏見に堕す危険があるから、多くのコリア・ウォッチャー仲間から、助言や意見も頂戴し、拙著の間違いも指摘された。
転向左翼の韓国利用
 いわゆる韓国病にはまりかけていたとき、早大名誉教授の鳥羽欽一郎先生から、たしなめられた。「豊田さん、日本人と韓国人は、おたがい外国人なのだから、同じ視点に立つということはできませんよ」と、確か、こんなことを言われた。そのときは、むっとしたが、先生は、韓国にのめりこみすぎている私に、ブレーキをかけてくださったのだ。
 70年代、韓国にまじめに取り組もうという日本人は、それほど多くはなかった。田中明氏のような大先達のほか、外交評論の大御所岡崎久彦氏にも、お目にかかり、励ましを頂戴したことがある。外務省在勤中で、本名をはばかったのか、「隣の国で考えたこと」を、長坂覚のペンネームで、早い時期に刊行されている。現在は、本名で再版されているから、入手可能な名著である。
 また、産経新聞の柴田穂さんも、大先達の一人だった。韓国関係の会合で、何度か、お目にかかり、アドバイスを頂戴したこともある。なにしろ、中国政府に批判的な記事を書き、産経新聞が北京支局の閉鎖に追いこまれたとき、支局長として残務を整理し、従容として北京を退去された剛直な方である。支局閉鎖という事態を招いたのだから、本来なら責任重大なはずだが、言論の自由を守ることを優先したのである。
 それに引き換え、当時あの大新聞は、中国べったりの記事を、垂れ流しつづけていた。この新聞社には、Aという名物特派員がいた。中国通をもって自任していたはいいが、他社の記者まで、このA特派員に、お伺いを立てるようになったという。どこまで書いたら、中国政府の逆鱗にふれるか、A特派員に、判断を仰ぎに来たのだ。早い話が、あの大新聞が、日本の中国報道を検閲していたことになる。
 70年代、北朝鮮一辺倒だった日本の文化ジャーナリズムの世界で、一つの伝説があった。いわゆる進歩的文化人は、自分の名前だけ、ハングルで書けたというのである。申し合わせたのかもしれないし、あるいは、あの大新聞の関与があったのかもしれない。現在からは、信じられない話だが、ハングルで名前を書いてみせるだけで、朝鮮問題(?)の権威扱いされたそうである。
 しかし、現在の日韓の確執を眺め���と、妙なねじれ現象がある。竹島問題にしても、従軍(・・)慰安婦(・・・)にしても、韓国側と共同歩調を取っているのは、70~80年代、あれほど韓国を独裁国家扱いして、忌み嫌っていた進歩的文化人なのである。節操もなにも、あったものではない。日本叩きに資する、あるいは、商売になると判ったら、かつて贔屓にした北朝鮮を見捨て、韓国に媚びるのだから、こういう世渡り上手と戦うのは、容易なことではない。
事実伝えることが真の親善に
 翻って、現在の韓国である。反日は、狂気の沙汰の域に達している。これには、日本世代が現場から退き、あるいは物故したという事実が、おおいに関係している。私が、多くの教示を受けた方々は、もし存命なら、こんなことを言うと怒られるかもしれないが、日韓双方の美点を兼ね備えておられた。
 もう一歩、踏み込んで言えば、日本の教育を受けた方々だった。立派な方というと、ややニュアンスがずれるが、韓国語でいう「アルンダウン・サラム」という方が多かった。こういう世代が亡くなり、反日が質量ともに、変わってしまった。まず、かれらが考える仮想の日本人に対して、際限なく敵意をむき出しにした、いわばバーチャル・リアリティの反日になっている。
 日本では、韓国人は、険しいイメージでとらえられがちである。反日の激しさを見れば、間違いではないが、一面的に過ぎる。日頃の生身の韓国人は、お喋りで、陽気で、図々しいくらい人懐こい。日本人は、以心伝心を理想とする文化を生きているが、韓国人は、口にしたことが全てである。発信能力を磨かないと、生きていけない社会である。たとえ嘘でも、自分の主義主張を正面に掲げないと、たえず足をすくわれる危険に直面している。
 そのため、国際的には、日本人より判りやすいと定評がある。よく見てもらえれば、日本人の誠意が通じるはずだが、韓国人のほうが声が大きいから、知らない人が聞くと本気にする、と言った程度には、説得力を持ってしまう。
 大方の日本人の対韓姿勢は、「また、韓国人が騒いでおる。放っておくのが、大人の態度」といったものだろう。これが、日韓摩擦を拡大した主な原因のひとつである。日本からの反撃がないから、向こうは、さらに反日をエスカレートさせるのだ。
 日本は、和の社会だとされる。これには、聖徳太子が引き合いに出されることが多いが、贔屓の引き倒しの面がある。有名な十七条憲法の第一条が、はきちがえられている。太子は、談合のような和を勧めているわけではない。あくまで論じてからと、なれあいを戒めている。
 まさに韓国相手では、論じなければ駄目なのだ。相手は、合理的な議論が苦手だから、徹底して、論拠を上げて、言い負かすつもりで、追いつめなければ、非を認めない。一見、乱暴なようだが、反日が、高くつくという事実を、知らしめないかぎり、韓国の反日は、拡大するばかりで、絶対に解消しない。
 現在の韓国は、日本世代がいなくなり、歯止めがかからなくなっている。さながら李朝時代の政争のような、権力闘争すら起こりはじめている。日本が、関わりを持つ以前の時代へ、先祖がえり(atavism)してしまった感がある。ここに乗じて、あの大新聞が、新たなテーマで反日の捏造を加えて、逆襲してくる畏れもある。いや、その萌芽は、すでに現れている。
 私の「どの面下げての韓国人」(祥伝社)は、やや刺激的になるのを承知のうえで、出版社と協議して決めたタイトルである。さっそく、左翼弁護士が、噛みついてきた。ヘイトスピーチだというのである。しかし、ネットでは、すぐ反論されている。つまり読んでいないことを白状したようなものだというのである。なかには、あの本は韓国に同情しているのだ、とする感想もあった。こういう応援は、ありがたい。
 私は、あるときは親韓派、あるときは嫌韓派というレッテルを、貼られてきた。私は、日本人であり、日本を愛している。その都度、批判すべきことは、日本であれ韓国であれ、批判してきたつもりである。
 あの大新聞は、苦境を打破するため開き直って、韓国批判の本には、すべてヘイトスピーチだという烙印を押して、葬り去ろうというわけなのだろう。また、いわゆる従軍慰安婦の仕掛け人の元記者の就職先や自社に、脅迫があったという事実をもとに、言論の自由を盾にして、被害者の立場へ逃げこもうとしている。自分が、強大な権力をふりかざして、異なる言論を圧殺してきたことには、すっかり頬かぶりしている。
 韓国には怒りを込めた反論を、あの大新聞には、厳しい追及の手を緩めてはならない。それが、ほんとうの日韓親善につながるからだ。
 とよた・ありつね 昭和13年前橋市生まれ。父の医院を継ごうと医者をめざし、合格した東大を嫌い慶應大に入るも、目標が変わり武蔵大に入学。第1回日本SFコンテストなどに相次いで入賞して在学中の37年作家・シナリオライターとしてデビュー。手塚治虫のもとで「鉄腕アトム」のシナリオを二十数本担当。「スーパージェッタ―」「宇宙少年ソラン」の脚本も手掛ける。『倭王の末裔 小説・騎馬民族征服説』が46年にベストセラーとなる。47年東アジアの古代史を考える会創設に幹事として参画。50年「宇宙戦艦ヤマト」の企画原案、SF設定を担当。SF作家クラブ会長、島根県立大学教授などを歴任。63年オートバイ日本一周を達成。近著に『日本の原発技術が世界を変える』『どの面下げての韓国人』(ともに祥伝社新書)など。
※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載
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ren19790209 · 4 years
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【EVEN(イーブン) 2020年3月号発売中!】 現在発売中のエイ出版のゴルフ雑誌『EVEN(イーブン)』に私、REN(小林廉)が載っています! P 114~の「NEW MAZDA CX-5がゴルファーに愛される理由」です! 程良いサイズ感で使いやすそうでした。(悪天候だったのですが、それを感じさせない&カーマニア的に楽しい撮影でした^ ^) 是非、チェックしてくださいね。 お求めは、お近くの書店やウェブマガジンにて! #magazine #雑誌 #スポーツ #ゴルフ雑誌 #エイ出版 #even #イーブン #golf #ゴルフ #ゴルフウェア #ウェア #mazda #mazdacx3 #cx3 #マツダ #SUV #カーマニア #元自動車整備士 #ゴルフ場 #model #モデル #talent #タレント #indigomodels #インディゴ #flipup #フリップアップ https://www.instagram.com/p/B8ONDx0llsY/?igshid=1dfwxv0cx7aq
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john1 · 2 years
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9月24日(土)BOSO BEATLES JAM Vo.72 れすとらん邪夢 Musicians’ Paradise Jam PM 18:00 OPEN PM 19:00 START 出演 johnイチ カルト•ザ•ビートルズ The eBeats Beatlesピンで奏でるピントルズ🇬🇧ジョンイチ😎 60年以上世界中に愛され続けるRock🎸 1人ハイスペックパフォーマンス配信♬ BIGO LIVE毎日配信中 11:00~ 弾き語り配信 ゲリラランダム時間 まったりゆるゆるラヂオ配信 Instagram LIVE🎸ランダム配信中😎 Singer🎤Song🎼Camper🏕johnイチ😎 No Beatles No Life🇬🇧 No Camp No Life🏕 Everyday Normal Broadcasting BIGO LIVE On Air Every day 11:00~ Everyday Radio Broadcasting Random Japan Time BIGO LIVE On Air BIGOLIVEの公式ライバーjohnイチのプロフィールを見てみましょう! https://slink.bigovideo.tv/lTQ4lL https://youtu.be/NKDcGhBheLk https://www.instagram.com/johnichikudo https://twitter.com/JohnichiKudo #ちょい不良オヤジ #イケおじ #オルタネイティヴロック #AlternativeRock #ビートルズ #beatles #ギタリスト #UKロック #アコースティックギター #弾き語り #歌手 #ライブ #配信 #ドライブ #キャンプ #オートキャンプ #ソロキャンプ #カーマニア #アップル #mac #Antelope #gibson #epiphone #vox #SENNHEISER #tchelicon #アウトドア #チワワ #愛犬家 #ラーメン (レストラン邪夢) https://www.instagram.com/p/Ci2B7VUJcCV/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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workingfuture · 2 years
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@tabilabo_news : 来年から、既存の車種を含む6種のEVモデルを販売へ。 愛するデザインはそのまま、EVへと進化させるマセラティの方針は、カーマニアにとっては嬉しいところ。あの「MC20」も電気駆動になるらしい! https://t.co/xMiL6FQNc2 (via Twitter https://twitter.com/tabilabo_news/status/1509810299821514753)
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team-ginga · 2 years
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映画『ブリット』
 遅めの昼食時、たまたま新聞のテレビ欄を見ると、NHK.BSでスティーヴ・マックイーン主演の映画『ブリット』(1968)を放映していたので見ました。
 監督はピーター・イェーツ。知らない監督だと思っていたら、なんと私の好きな『ジョンとメリー』(1969)、『ドレッサー』(1983)を撮った監督でした。
 『ジョンとメリー』はダスティン・ホフマン演じる男とミア・ファーロー演じる女が織りなす24時間の会話劇、二人はずっと名なしのままで、最後に「ボクはジョン」、「私はメリー」と名乗るところが粋でした。
 『ドレッサー』はロナルド・ハーウッドの戯曲の映画化。アルバート・フィニー演じる劇団の座長兼看板訳者とトム・コートネイ演じるドレッサー(付き人)が織りなすリアルタイムの会話劇。老化によりボケが進んできた座長を付き人が宥めたりすかしたりしながら、なんとか最後まで『リア王』を演じさせるというコメディーですが、あのラストはあまりにも残酷で鮮烈(一昨年、加藤健一事務所が兵庫県立芸術文化センターでこの芝居を上演すると聞いて、苦労してチケットを手に入れたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大で公演が中止になった……なんてこともありました)。
 そんなすごい(?)監督が撮った『ブリット』がどうだったかと言うと‥…
 スティーヴ・マックイーン演じる刑事ブリットは、その昔テレビの『0011ナポレオン・ソロ』に出ていたロバート・ボーン演じる上院議員から証人の警護を依頼されます。組織犯罪を暴くための重要な証人なのですが、それだけに命を狙われているというのです。
 ブリットは警備を部下に任せて一旦家に帰ります。しかし、証人と部下は上院議員の名前を騙った二人組に撃たれて重傷を負い、証人は病院で死亡します。証人がドアチェーンをわざと外したと部下から聞いたブリットは、証人が死んだことを隠蔽し、捜査にあたります。
 どう考えても怪しいのは上院議員ーー彼が黒幕に違いないと思うのですが、意外や意外、物語はそうは進みません。
[ここからネタバレになります。未見の方はご注意を]
 ブリットは殺された証人が女に遠距離電話をかけていたと知り、会いにいきますが、女は既に殺されています。女の荷物を調べていくうち、事件の真相が見えて来ます。
 殺された男とこの女は夫婦で、金をもらって証人の身代わりになっていたのです。つまり、ホンモノの証人はまだ生きていて、身代わりの男を殺して、名前を変えて国外に逃亡しようとしているのです。
 ブリットは空港に行って犯人を逮捕しようとします。人の流れとそれを目で追うブリットや仲間の刑事の顔が交互に映し出され緊張感が高まる‥…と言いたいところですが、ブリットたちは犯人の名前は知っていても顔は知らないので、いくら目を凝らしてもわかるわけがありません。
 直前で搭乗する便を変更した犯人を捕まえるため、ブリットたちは離陸直前の飛行機を引き返させます。機内に乗り込んできたブリットを見て犯人は飛行機の非常口から飛び降ります(なぜブリットが刑事だと解ったのでしょう。謎です)。
 ブリットは滑走路を逃げていく犯人を追跡します。犯人はブリットに発砲します‥…え? なぜ犯人は拳銃を持っているのですか? この当時って拳銃を持って飛行機に乗ることができたのですか? そんなことしていたらハイジャックがやり放題だと思うのですが……
 最終的に犯人は空港のロビーに逃げ込み、銃撃戦の末ブリットに射殺されます。
 え? あ、殺しちゃったんだ‥…
 殺してしまったら、もう証言できないじゃないですか。
 上院議員は憮然とした表情で車に乗り込み、その場を去っていきます(彼は嫌な奴で、ブリットと対立しますが、悪役でも黒幕でもなかったというわけです)。
 真犯人を突き止め射殺したものの、組織犯罪は手付かずのまま。
 それでいいのか、ブリット?
 ネットで調べるとこの映画は「文化的・歴史的・芸術的にきわめて高い価値を持つ」とみなされ、アメリカ国立フィルム登録簿に掲載されているそうですが、そんな立派な映画ですかね。
 サンフランシスコの街を舞台に繰り広げられるカーチェイスが見所なのかもしれませんが、私には単にカーマニアのスティーヴ・マックイーンが趣味でやっているようにしか見えませんでしたし、ジャクリーン・ビセット演じるブリットの妻もおざなりというか、描き方が雑だと思いました。
 この映画の原作はロバート・L・パイク。どこかで聞いた名前だと思っていたら、ロバート・L・フィッシュの変名ですね。
 私はフィッシュが書いたシャーロック・ホームズのパロディー「シュロック・ホルムズ」シリーズや「殺人同盟」シリーズを昔読んだのを覚えています。
 その点においては、古い友達に偶然再会したような懐かしい気持ちになりました。
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mygwdesign · 6 years
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Macbook Pro購入から約1ヶ月! 良い点と悪い点
Macbook Proはいいぞ。
Macはデザイナーの必需品といっても過言ではありません。
そんなMacを約1ヶ月前に購入しました。
Macを買うのは初めてで、Windowsから乗り換えることになりました。
そんな僕がMacbook Proを買って、1ヶ月使ってみた感想をまとめました。
ところで、僕が所属する『あくあたん工房』ではMacbook vs Let's noteの戦争が勃発し、終戦の兆しが見えません。
あまりにもMacbookを持ち上げるとLet's note派に刺されそうなので、公正公平中立をモットーにMacbook Proをレビューします。
PCを紹介
話の前提として、Macbook Pro購入以前に使っていたWindows機と、購入したMacbook Proを紹介します。
Windows機
詳細はこちら。カスタムは以下。
プロセッサ Intel Core i3
メモリ   2GBに8GBを追加し、合計10GB
ストレージ 320GB HDD
15.6インチ画面という、デカくて重いビジネスノートです。
充電が長持ちしないことと、外で使うことを考えてなかったので、常時給電状態で使用してました。
Macbook Pro
詳細はこちら。カスタムは以下。
プロセッサ Intel Core i5
メモリ   16GBに増設
ストレージ 256GB SSD
キーボード USキーボードに変更
持ち運びを考えて13インチを選びました。
良い点
1. いつでもどこでも作業できる
これが一番すごい。
リュックに入れて持ち運ぶことが苦にならない軽さ。
それでいて最高のパフォーマンス。
机と椅子さえあれば、どこでも作業が捗ります。
自宅はもちろん、ファミレス、カフェ、新幹線の移動中、コンビニのイートインでさえも作業できます。
最悪机が無くても太ももの上におけば、駅のベンチでも作業できる。
街のあらゆる場所で作業可能といっても過言ではないです。
充電が十分な時間保つのでコンセントに拘束されることもありません。
ただ、このことはMacbook Proだけでなく、軽量Windows機でも十分可能。
以下はMacbook Proだからこそできることを紹介します。
2. スターバックスでドヤ顔できる
Macbook Proだからこそできること、1つ目がまさかのこれ。
僕はスタバでドヤ顔したことないですし、するつもりもありません。
が、しかし。スタバでMacbook開いてドヤ顔したいしたい人がいるのも事実。
ただし、Macbook Proはリンゴマークが光らず周囲への主張が弱いので要注意。
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リンゴマークが光るMacbook Airがオススメです。
3. トラックパッドが便利
トラックパッドの性能には感動しました。
だってマウス要らないんです。
指を4本も認識するので、指の本数や動作で色々な機能が付いています。
Mission Controlっていうアプリの切り替えや、仮想デスクトップの移動もトラックパッドで全部できる。
そして、IllustratorなどAdobeソフトを使ってるときの拡大縮小が快適になりました。
Macは、トラックパッドでピンチイン・ピンチアウト Windowsは、Altキー押しながらマウスホイールを転がして 拡大縮小ができます。
ただし、拡大縮小の表示挙動が全く別物です。
Windowsは、表示倍率が離散的に飛び飛びで変化するため、カクカクした表示になってしまいます。
Macでは、ほんの少しの指を広げれば、ほんの少し拡大してくれる。
表示倍率の細かい調節が可能なんです。
4. プレビュー機能が優秀
トラックパッドの驚きと並ぶレベルの驚きだったのが、プレビュー機能です。
ローカルのファイル選んでスペースキーを押すと、 画像が確認できる 動画は再生できる 音楽も再生できる PDF見るのもAcrobat Readerとか要らない。
見るだけなら、わざわざメディアプレーヤーとか編集ソフトとか開く必要が無い。
え? Macすごい!
さらに、IllustratorやPhotoshopのファイルも中身の確認ができてしまう。
平然と.aiと.psdに標準対応してるMacすごい!
その機能もっとアピールしてよ!
「この.psd、何のデータだっけ……ファイルの名前適当すぎて分からん。開くか。」 〈Photoshopの起動待ち……〉
みたいなストレスがスペースキーを押すだけで解決される。
Mac、想像以上にスゴイやつ。
5. 良いフォントが入ってる
デザイナーらしい意見がようやく出てきました。
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なんと素晴らしいことでしょう。
Macは高い! 決して安くない!
しかしそれはフォントも込みの値段です。
一方で、創英角ポップ体が姿を消してしまい、寂しさもあります。
創英角ポップ体、懐かしいなぁ。
6. ディスプレイが美しい
最後はこれ。Retinaディスプレイ。
デザインの作業をする上でディスプレイの精度や色域は大変重要なので、それらの点をプッシュしたいのはもちろんです。
しかし、デザインするしないに関わらず、Retinaディスプレイの美しさは魅力的なはず。
視覚的にキレイだとPCに向かうのが楽しくなります。
特にiTunesのグリッド表示で、アルバムジャケットを画面いっぱいに表示したときは格別です。
「このジャケット、こんなにキレイだったか!」 とWindowsのときには分からなかった美しさに感動。
もう安物のディスプレイには戻れません。
悪い点
特にない
悪い点なんてあるわけないだろ!
Macbook Proだぞ!
ただし、公平公正中立がモットーなので、いくつか不満を挙げておきます。
1. 駆動音がない
SSDを積んでおり、HDDはありません。
なので、HDDのカリカリ読み込み書き込む音は一切しません。
良いことです。
本来良いことなんですが、少し寂しいです。
PC頑張ってるなーって感じがしない。
エンジン音が静かになって寂しく思った昔のカーマニアの気持ちかもしれません。
作業してる雰囲気が感じられないとサボりだと叫ぶ、時代にそぐわない意見とも言えますね。
些細過ぎて不満にもならない不満なので次に行きましょう。
2. ディスプレイに指紋が付く
ディスプレイが結構ツヤツヤで指紋が付いて目立ちます。
PC開くときにどうしても指紋が付く。
こまめに拭いてキレイにしましょう。
3. 充電アダプタの汚れが目立つ
充電アダプタのリンゴマーク、くぼんでるんです。
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ここに汚れがたまりやすい。
ディスプレイよりも改善しやすいはずなのに、何でこんなデザインなんだ……
こちらも、こまめに拭いてキレイにしましょう。
4. USB Type-Cのみ
USB Type-C以外の端子はありません。
(正確にはイヤホン端子があります)
将来的にはUSB Type-Cが標準かもしれませんが、時代の先頭を走りすぎです。
「君、もしかしてタイムマシンで未来からやっていた?」 と尋ねたくなります。
オールインワンの変換用ハブと、
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Type-AとType-C両方に対応したUSBメモリを購入して解決しました。
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ちなみに僕はiPhone6を使ってるのですが、iPhoneとMacbook ProをLightningケーブルでUSB接続しようとすると……
こうなります。
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本当にこれでいいのか??
外付け光学ドライブも接続しましょうか
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なんという姿……!!
これがAppleの美学だというのか?
5. ドラッ��しにくい
トラックパッドはドラッグの操作にあまり向かないと感じます。
トラックパッドを押し込みながら指を移動させますが 強く押し込むと、指が動かしにくく 弱く押し込むと、ドラッグが途中で終わってしまうのです。
丁度良い力加減が難しい。
マウスならどれだけ強くクリックしても、移動には支障をきたしません。
加えて、トラックパッドはドラッグできる距離に限界があります。
トラックパッドの端から端まで指を動かして、元の位置まで指を戻そうとすると指が離れるのでドラッグ終了。
指を2本使って、 1本は押し込むだけ、もう1本は表面なぞるだけ という役割分担は可能です。
どうしてもストレスなら、大人しくマウス使いましょう。
6. 新しいタブで開きにくい
これもマウスを使わないことによる不満です。
ブラウザを使うとき、僕はリンクを新しいタブで開くことがよくあります。
Windows機ではマウスのホイールでクリックして、新しいタブで開いていました。
トラックパッドにホイールクリックの機能はありません。
じゃあどうするか?
右クリックメニューの新しいタブで開くを使う
リンクをタブバーへドラッグ&ドロップ
command+クリックで開く
1は2ステップかかるので遅いのが難点です。 2はドラッグに不便といったばかり。 3は指が2本必要。
要はトラックパッドも万能じゃ無いぞってことです。
7. Macイキリ扱いを受ける
風評被害。
スターバックスでMacbook開いてドヤ顔してるそこのあなたのせいですよ。
まとめ
Macbook Proを買って、大いに満足しています。
23万円吹っ飛びましたが、有意義な買い物であったことは間違いないです。
不満の数が多いですが、こまめに掃除して、変換用ハブとマウスを買えば大半が解決します。
Macbook Proは自信を持ってオススメします。
Macbook Proはいいぞ。
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kentarouchikoshi · 3 years
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 僕はカーマニアではありませんが,自動車の運転はとても楽しくて大好きです(๑˃̵ᴗ˂̵)  僕が免許を取得したのは大学に入った年でした。当時既に「AT限定」という免許は存在しましたが,その頃は「AT限定免許は女性の取得するもの。男ならMT免許を取得しなければ」という社会通念がありました。運動神経がゼロの僕にとって本当ならAT限定免許の方がずっと簡単なのは判っていましたが「僕は男なのだから」ということで自動車学校では何の疑問も無しにMT免許のコースを選択することに。そして案の定,免許取得までは大変な苦労の連続でした(・ω・`) 最初はギアの切替も出来ず,やっと少し慣れてきても3速に切り替えてスピードが出るだけで恐怖し,坂道発進ではズルズルと後退し・・・まるで運転になどなりません。今は存じませんが,その頃の自動車学校というのは典型的な体育会系の世界でした。全くのダメ生徒である僕は教官から「やる気あるのか」と毎日のように叱責され「大学受験より免許取得のほうがよほど難しい」と感じたのをよく覚えています。  その一方でAT限定免許のコースを選択した女の子たちはあっさりと運転技術を習得してどんどん検定を通過し,仮免許を取得して路上講習に進んでいきました。それを見て「ああ,女に生まれたかった(;_;)」と嘆いた僕はそれでも「僕は男なのだから,AT限定免許を取得する訳にはいかないのだ」と揺ぎ無く信じ込んでいたのですから,ジェンダーロールによほど強固に囚われていたに違いありません。ジェンダーロールから自由になるというのがいかに難しいことか,今になってしみじみと感じます。  それでも苦心惨憺の末,僕は何とか運転免許を取得することが出来ました。その時の大学合格時を上回る嬉しさは,まるで昨日のことのように鮮やかに記憶に残っています。仮免許を取得して以降は教官から叱責されることはあまりありませんでしたが,それでも最初の頃にガンガンと叱られ続けた僕にとって教官は怖い存在でしたし「車の運転とはかくも困難なものか。これほど困難な技術を他人に教えることが出来るというのだから,教官というのは偉い存在だ」と感じるようにもなっていたので,その辛い体験を経て遂に自分も困難な技術を習得したというのは本当に心の底からの喜びでした。  では実際にMT車を運転したかというと,そのような機会は殆ど無かったというのが実情です。当時の僕の家には既に世を去っていた祖父の使っていた古い古いMT車がまだありましたが,それを自分が使おうなどとは全く考えもしませんでしたね。乗用車においては当時既にMT車は非常に稀になっており,それを実際に運転する技術を磨く必要など全く無かったのです。それでも当時の社会通念上「男ならMT免許」という感覚が揺ぎ無く存在したということは,時代の証言として明記しておきましょう。  余談ながら,僕には2歳年下の従弟が居ます。彼は僕の3年後に免許を取得しましたが「まずAT限定免許を取得し,その後直ちに限定解除教習を受ける」という方法でMT免許を取得しました。これは「取り敢えず運転技術を習得し,その後高度な技術を身に付ける」という意味では非常に合理的な方法に違いありません。高校でも大学でも運動部に所属していた彼はスポーツマンで今も運動神経抜群ですから,僕の苦労に怖気づいたからというわけではないでしょう。当時も「男はMT免許」という社会通念はまだ残存していた一方で,男性がAT限定免許のコースを受講することについての忌避感はもう揺らぎ始めていたのでしょうね。そしてこの記事によれば「都市部においては7割もの人がAT限定免許を取得しており、MT車も運転できる『普通免許』を取得する人は減少傾向です」とのことで「男ならMT免許を取得すべきだ」という感覚自体が無くなってしまったようです。ジェンダーロールへの囚われが緩やかになっていることの一つの現れでしょうか。  その後大学を卒業して就職しましたが,事務職だった僕は仕事でもプライベートでも自動車を運転することは全くありませんでした。「僕はこのままペーパードライバーになって,運転免許証も単に身分証明書として使うだけになるのかな」などと感じていたものです。  そんな僕にとって地方転勤を内示され「君はMT車を運転出来るのか。現場回りをすることになるのだし事務所の車はMT車ばかりだから,運転出来ないと地方では仕事にならないぞ」と上司に言い渡されたのは,まさに青天の霹靂でした。勤務する人数の少ない地方の事務所では誰か他の人にサポートを仰ぐことなど出来ず,一人で仕事の出来ない者は存在も許されないと聞いていましたから「運転すら出来ない」などというのではお話にもならないのは火を見るよりも明らかです。慌てて自動車学校に駆け込んでペーパードライバー教習を申し込むと同時に,少しでもMT車に慣れるようにとMTの中古車を購入することに。何とか異動に間に合わせて地方に赴任することになりました。  地方の事務所は噂どおり人数も少なく,僕は本来業務に合わせて所長の運転手も兼任することに。所長車だけは高級なAT車だったので,本来業務とプライベートではMT車・運転手としてはAT車と両種の自動車を運転する毎日が続きました。最初は安全運転と道を覚えることのみに夢中でしたが,そんな日々を送るうちに徐々に両者の違いも判って参りました。  AT車の運��は楽です。ハンドルだけ握っていれば勝手にギアが切り替わるのですから。しかし自分でギアを切り替えるMT車の運転は面倒ではありましたが実に楽しく,今まで興味の無かった自動車の運転というものが実に心躍る時間であることを感じさせられました。そしてもう一つ「気付かぬうちにスピードを出し過ぎる」リスクの低さにも。AT車はいつの間にか凄いスピードを出していることもあり頻繁な速度のチェックが不可欠でしたが,対してMT車では状況に応じて適切なギアを選べばそんなにスピードは出ません。30km/h規制の道では3速,40km/h規制の道では4速にすれば,大体それ以下の速度で走れます。「これは良い。運転の楽しさを味わえる上に,スピードの出し過ぎをも避けることが出来るではないか」と感じた僕は,それ以来ずっとMT車に乗り続けています。  これをお読みの皆様は,運転免許をお持ちでしょうか。もしこれから取得されるならば男女を問わず,是非ともMT免許の取得をお勧め致します。もし運動神経に自信が無ければ,僕の従弟と同じように「まずAT限定免許を取得し,その後直ちに限定解除教習」という方法もよろしいでしょう。またAT限定免許の方にも限定解除を推奨したいですね。そしてマイカーを購入する際には,MT車を選ぶことを前向きに検討して頂きたいと思います。  MT車を選べば不注意によるスピードの出し過ぎという危険を大幅に回避出来,これは安全運転実現という面でも非常に大きなメリットです。そして何より,娯楽目的のドライブに限らず日々のお仕事やお買い物などで車を走らせるときにも,まるでスポーツを堪能するかのような心楽しい一時を味わうことが出来ますよ(◍•ᴗ•◍)
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