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#オンボロ平屋
brit8823honey · 4 months
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green tea time
マサムネハチミツ兄妹の家へ来訪者と。当時のクラスメイトのオリヴィエちゃん(の背後さん)に貰ったクリスマス小説のお返しです。お元気だといいが背後さん。 (2023/06/09加筆修正)
「……というわけで、井の頭公園駅から徒歩15分が、わたくしの実家。母方のお祖父様お祖母様と……不出来なお兄様と同居ですのよ。ご足労を掛けて申し訳無いですわ、ね」  ハチミツはそう言いながら溜息。両手前に行儀良く下げた地元和菓子屋の袋に彼女の服が触れるたび、しゃらしゃらと乾いた音がする。 「いいんだよ、ハチミツさん。散歩は健康にいいし、駅から離れてきたから、道端に草花も見えるよ。たんぽぽも春になったら咲くね」  オリヴィエは美しい緑の目を細め、子供らしく無邪気に微笑む。 「あとね。フランスのお菓子も持ってきたんだよ。クイニーアマン。紅茶にも緑茶にも合うんじゃないかな」 「まぁ。オリヴィエはそんなお気遣いをなさらずとも。……ああ、もう見えてまいりました。ここですのよ。日本伝統の古民家、と言えば聞こえは宜しいのですが」  言ってハチミツが指を指したのは、悪い言い方をすれば『オンボロな日本家屋』。読み取れないほどに古び煤けた表札からは、辛うじて母方祖父母の姓が読み取れる。
 ハチミツは、お花のキーホルダー付きの鍵で引き戸を開ける。 「只今帰りました」  がらがらと音を立てて、オリヴィエを玄関口まで招くと、暫くの沈黙。
 の、後。背の高い青年がやってきた。廊下を横に滑ってスライディング参上でやってきた。「は……ハッちゃんおかえり……? ッてその子誰?クラスメイトかナニーカ? ……まさか彼氏とかじゃねーよな! そういうの7歳にはまだ早いと思うなーオニイチャンは! あ、おチビ男子ちゃんへの紹介遅れちった。オレはハチミツの兄のマサムネな」  と、初対面でアホ丸出しな自己紹介をするハチミツの兄。
 再び溜息をする妹のハチミツ。 「……勘違いをしないで下さる、お兄様?この方はオリヴィエと言いまして、クラスやクラブで仲良くして下さる『良い子のお手本』様なんですのよ。お兄様のお考えになっているような、邪な関係などでは御座いません」
 後ろで『くすり』と笑う様なオリヴィエの声がしたが、これは純粋な兄妹喧嘩に笑ったのか。呆れたのか。後ろを向いて赤面で兄のアホさを耐えているいるハチミツにはわからなかった。
「兎も角、お茶に致しましょう?わたくしは地元の和菓子屋さんでお団子と芋羊羹を、オリヴィエはクイニーアマンを持って来て下すったのよ」  とハチミツが言えばすかさず、 「OK、ハッちゃん! 今じっちゃばっちゃ買い物出てッからオレが今急いでお茶淹れ…… ……ッつ~……」  マサムネは本人の言葉通り急いで茶の間に向かったが、勢いか、襖の天井との高低差かで頭を勢い良くぶつけた。
 ハチミツ、本日三度目の溜息。
 ちゃぶ台には保温ポットで淹れた湯呑みが二つ。来客用のソーサー付きティーカップが一つ。和菓子と洋菓子の皿が二つ。灼滅者達は春が近づく夕暮時の茶会を愉しむ。
 せめてもの、束の間の平和を。
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larkinacage · 9 months
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green tea time
マサムネハチミツ兄妹の家へ来訪者。当時のクラスメイトのオリヴィエちゃん(の背後さん)に貰ったクリスマス小説のお返しです。お元気だといいが背後さん。 (2023/06/09加筆修正)
「……というわけで、井の頭公園駅から徒歩15分が、わたくしの実家。母方のお祖父様お祖母様と……不出来なお兄様と同居ですのよ。ご足労を掛けて申し訳無いですわ、ね」  ハチミツはそう言いながら溜息。両手前に行儀良く下げた地元和菓子屋の袋に彼女の服が触れるたび、しゃらしゃらと乾いた音がする。 「いいんだよ、ハチミツさん。散歩は健康にいいし、駅から離れてきたから、道端に草花も見えるよ。たんぽぽも春になったら咲くね」  オリヴィエは美しい緑の目を細め、子供らしく無邪気に微笑む。 「あとね。フランスのお菓子も持ってきたんだよ。クイニーアマン。紅茶にも緑茶にも合うんじゃないかな」 「まぁ。オリヴィエはそんなお気遣いをなさらずとも。……ああ、もう見えてまいりました。ここですのよ。日本伝統の古民家、と言えば聞こえは宜しいのですが」  言ってハチミツが指を指したのは、悪い言い方をすれば『オンボロな日本家屋』。読み取れないほどに古び煤けた表札からは、辛うじて母方祖父母の姓が読み取れる。  ハチミツは、お花のキーホルダー付きの鍵で引き戸を開ける。 「只今帰りました」  がらがらと音を立てて、オリヴィエを玄関口まで招くと、暫くの沈黙。  の、後。背の高い青年がやってきた。廊下を横に滑ってスライディング参上でやってきた。「は……ハッちゃんおかえり……? ッてその子誰?クラスメイトかナニーカ? ……まさか彼氏とかじゃねーよな! そういうの7歳にはまだ早いと思うなーオニイチャンは! あ、おチビ男子ちゃんへの紹介遅れちった。オレはハチミツの兄のマサムネな」  と、初対面でアホ丸出しな自己紹介をするハチミツの兄。  再び溜息をする妹のハチミツ。 「……勘違いをしないで下さる、お兄様?この方はオリヴィエと言いまして、クラスやクラブで仲良くして下さる『良い子のお手本』様なんですのよ。お兄様のお考えになっているような、邪な関係などでは御座いません」  後ろで『くすり』と笑う様なオリヴィエの声がしたが、これは純粋な兄妹喧嘩に笑ったのか。呆れたのか。後ろを向いて赤面で兄のアホさを耐えているいるハチミツにはわからなかった。 「兎も角、お茶に致しましょう?わたくしは地元の和菓子屋さんでお団子と芋羊羹を、オリヴィエはクイニーアマンを持って来て下すったのよ」  とハチミツが言えばすかさず、 「OK、ハッちゃん! 今じっちゃばっちゃ買い物出てッからオレが今急いでお茶淹れ…… ……ッつ~……」  マサムネは本人の言葉通り急いで茶の間に向かったが、勢いか、襖の天井との高低差かで頭を勢い良くぶつけた。  ハチミツ、本日三度目の溜息。  ちゃぶ台には保温ポットで淹れた湯呑みが二つ。来客用のソーサー付きティーカップが一つ。和菓子と洋菓子の皿が二つ。灼滅者達は春が近づく夕暮時の茶会を愉しむ。  せめてもの、束の間の平和を。
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bearbench · 2 years
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yuupsychedelic · 2 years
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詩集「いつかの君に逢いにゆく」
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詩集「いつかの君に逢いにゆく」
1.「君の唄うラブソングが好きでした」 2.「プリマドンナは君だけ」 3.「君と僕とオースチン・ミニ」 4.「硝子のココロは君のせい?」 5.「君はハートブレイカー」 6.「いつかの君に逢いにゆく」 7.「嫉妬」 8.「私たちの結婚」 9.「あなたと私とユナ」 10.「シンガーソングライターの時代」 11.「最後のツイスト」 12.「SINCE 2022」
1.「君の唄うラブソングが好きでした」
大人になったら 無邪気な恋を懐かしむ 大人になったら 穏やかな愛に憧れる 私もそうなるのだと信じてた
ウエディング・ベルは遥か遠く ラブソングさえも似合わない 野良猫のような青春を 風に吹かれながら生きてしまった
あなたに出逢う前は知らなかった こんな気持ちになるなんて 嬉しい 悲しい 楽しい 当たり前の気持ちが愛おしい
愛とは互いを認めあうこと あなたの音楽が好きでした
大人になったら 無意識の恋をしなくなり 大人になったら 爽やかな愛に憧れる 私に無縁だった日々の決めつけ
パクチーもコーヒーも嫌いなまま お酒もタバコも未体験 野良猫のような青春を なんとなくで生きてきてしまった
あなたに出逢う前は知らなかった こんな気持ちになるなんて 辛い 切ない 悔しい 当たり前の気持ちが愛おしい
あなたのために大人になる 僕だって大人になれる 恋も 愛も 夢も いつかわかるようになるから
愛とは互いを認めあうこと あなたの音楽が好きでした
熱に浮かされたように 初めて恋に堕ちた だけど時を重ねるうち 現実へ還っていく
あなたを何故好きになり あなたの音楽に何故惹かれたのか…… ふと正気に返る瞬間が深い傷になる
あなたに出逢う前は知らなかった こんな気持ちになるなんて 辛い 切ない 悔しい 当たり前の気持ちが愛おしい
あなたに出逢ってからの私と あなたに出逢う前の私は 確かに変わったけど 今の私にあなたは居なくてもいい
愛とは互いを認めあうこと あなたの音楽が好きでした
本当はあなたのことも好きになりたかった…… 君の唄うラブソングが好きでした
2.「プリマドンナは君だけ」
もし君が傍にいるなら こんなに不安にならないのさ 僕はもう吹っ切れたよ
未熟を涙で誤魔化さず すべて捧げた青春 それでも君の幸せを願ってる!!
出逢った時から 君は学校のスタアで 何故恋人なのか不思議だった
今思えば…… 見透かされてたんだよね なんて愚かなんだろう
仮に時を戻せても きっと同じ過ちを犯す 嘆くだけじゃ始まらない 人生という名の物語
もし君と恋が続いたら やりたいこともあったのに 未だ上の空
孤独を涙で誤魔化せず すべて晒した青春よ それでも君を好きになって 僕は変わった
誰かと手を繋いだのも ファーストキスも いつも君が初めてで 大人になってからも 君と恋がしたかった
でもアイツと出逢って 君も変わってしまったよ
もし君の想いを縛れたら ここに繋いでおけるのに 現実は残酷すぎて
うつろな瞳で 僕を見つめる君は もうかつての君じゃなく 誰かの恋人
本音はアイツを懲らしめて 君を奪い返したい
だけど……そんなことをしたら 君が傷つくと知ってる
ここは僕が引き下がった方がいい 大粒の雨よこの愛を流して
もし君が傍にいるなら こんなに不安にならないのさ 僕はもう吹っ切れたよ
未熟を涙で誤魔化さず すべて捧げた青春よ それでも君の幸せを願ってる!!
どんなに時が流れても プリマドンナは君だけ 素直に愛を注げるのは今も君だけ
孤独を涙で誤魔化せず すべて晒した青春よ
それでも君を好きになって 僕は変わった
3.「君と僕とオースチン・ミニ」
壊れかけのドアに なけなしの身を委ねた 遥か昔 青春の頃 オンボロ・ワゴンで行こう!
出来立てのハイウェイ 朝焼けに向かって走れ 水平線 まだゴールは見えず 昔話を弾ませて
カリフォルニアの風が サンルーフを揺らす 三速から四速に上げて 少し先へ急げ
散らかったままの夢の痕 始まりのトレーラーハウス 屋上で二人誓った 夢をこれから叶えにゆく
あの赤い橋を越えて アイツの背中を掴め!
かつての恋人や 好きだった君の面影 目的地が近づくほど 気分はセンチメンタル
今やジャーニーマン 夢のために Here we Go…… 水平線 明日はどこへ? その日暮らしの俺でも
カリフォルニアの風が 涙を誤魔化すよ 人の暮らしと自由な生き方 信じてほしい
ありふれた言葉じゃ語れない 平凡な夢じゃやり尽くせない だから素晴らしき人生 この夢は終わらない
怒りも抱きしめて アイツの背中を掴め!
リアシートで眠るギターが すべてを慰める 叶わなかった恋や 掴めなかった夢さえも
散らかったままの夢の痕 始まりのトレーラーハウス 屋上で二人誓った 夢をこれから叶えにゆく
ありふれた言葉じゃ語れない 平凡な夢じゃやり尽くせない だから素晴らしき人生 この夢は終わらせない
カリフォルニア・ドリーマー 赤いクルマからすべてを始めよう
4.「硝子のココロは君のせい?」
春かすみ 昼下がり 目に留まる その背中 すべての始まり……
春宵 卒業の日 何も始まらぬ 虚無感 すべては片想い……
好きになればなるほど 嫌いが怖くて 愛が強ければ強いほど 見えぬ何かに怯えてる
そんな情けない俺を お前はどう感じただろう どうせ目にも留まらず ただの知り合いだったろう
嗚呼 未だ忘れられない 青春時代の恋心
夏祭り 友と訪れ 目に留まる その黒髪 心 燃え上がる……
だが涼風 また後悔 消えてゆく 面影に 心 崩れていった……
時が経てば経つほど 好きが怖くなる 距離が縮まるほど 些細な綻びは目に留まる
こんな俺だからこそ お前は愛さなかっただろう どうせ視界にも入らず ただの知り合いだったろう
嗚呼 未だ解けない 青春時代よ…… 恋の魔法よ……
「あなたの心には他の誰かがいる」 恋をするたび 最後はいつもこの言葉
嗚呼 未だ忘れられない 青春時代の恋心
嗚呼 未だ解けない 青春時代よ…… 恋の魔法よ……
愛が深くなるほど 嫌いになる
5.「君はハートブレイカー」
たとえ都会に染まっても あなただけは忘れない……
いつか、こんなことを君は言ったよね 久しぶりにばったり会ったら 見知らぬ誰かと手を繋いでいた 思わず他人のフリをして 通り過ぎるしかなかったよ
あなた色に染まりたい あなた色に染まってみたい
僕なんかじゃ不満だったよな 負け犬は静かに去るだけ 君はハートブレイカー
たとえ人混みの中でも あなたを見つける自信がある……
いつか、こう笑顔で指切りしてくれたよね アプリの中の君に かつての無垢な姿を重ねる 思わず涙が溢れてきて また世界が君色に染まってしまったよ
わたし色を知りたい わたし色を知ってみたい
僕が最初に見つけたんだ 星空に呟いても虚しす��て 君はハートブレイカー
愛ゆえに悲しい 君を本気で愛してたから
初めて出逢った時の僕らは 少しだけ髪が長くて短かった でも幼いなら幼いなりに 君のことをちゃんと覚えてた そしていつの日か君に告白した
あなた色に染まりたい あなた色に染まってみたい
その決め台詞(キラーフレーズ)は かつての僕への決め台詞 時を戻してよ
今の君も好きだけど 昔はもっと輝いてた ねえ、覚えてるよね?
この言葉に一瞬目が泳いでも 表情に迷いはなかった 剥がされた瞬間 僕は悟ったよ 恋も青春も終わったこと
それでも君を好きになってよかった ハートブレイカー
6.「いつかの君に逢いにゆく」
君と交わした約束を頼りに あの街へ帰ってきた 変わらぬ景色 懐かしの友 白黒写真に色がつくよう
大人になったら 私たち結婚しようね
無邪気な言葉に 確かな愛情 忘れられない記憶
ふと君のことを尋ねると いきなり友は沈黙して 口を噤んだまま 何も言えなくなった その瞬間 僕はすべてを悟った……
ずっと傍にいれたら こんな結末はなかったのかな 後悔の海に身を投げたまま この罪を一生背負わなければならないのか
僕らのまっすぐ過ぎた愛に 慰めの言葉はいらない 君の笑顔も 怒った顔も 全部守ってあげたかった
ごめんね 今更遅過ぎたよね
君のことが心配だったんだ 押しが強いけど決められないところとか 情に脆いところも 困ってる人を放っとけないところも 僕がついてたら何か変わったのかな
春になったら この街を出るんだ
無邪気な言葉に 唖然とする君 今思えば……
叶いもしない夢を追いかけた日々 友は僕を責めるけど あの頃は走ることしか頭になかったんだ 誰の顔でもなく自分しか責められない どんな言葉も綺麗すぎるんだ
ずっと夢中だったら こんな結末はなかったのかな あの子は少しばかり優しすぎたんだ 友の言葉が胸に刺さったまま
僕は君のぬくもりを求めて 故郷をただ彷徨うだけ 別れ際、飛び切りの笑顔を見せてくれた あの表情がすべての餞別……
ごめんね 未だ信じられない
次の日…… ある友から見せられた写真に ぬくもりを求める君の姿が映っていた 見たこともないポーズに舌を出して まるで別人のように笑ってた
そして「これがあの子の最期の写真だ」と 彼は力なく呟いた
守ってあげたかった 一緒にいたかった もっと話がしたかった 優しくなりたかった
痛みをわかりたかった 笑いたかった そして何より…… もっともっと君を知りたかった
いつかの君に逢いにゆく この虚しさを責めてほしい 誰の声でもなく君の声で 僕に「何してるんだ」と言ってほしい
もっともっと君を好きになりたかった ぎゅっと君を抱きしめたかった 最期くらいは傍で君を守りたかった
7.「嫉妬」
決して見えぬように 心にかさぶたを貼った
自分自身を演じて ここまで生きてきたけど 本当に残ったのは素直な僕だけ
遥か彼方のステージで 君は君の歌を唄う そのメッセージで狂喜乱舞 いつか憧れた姿さ
何度でも 何歳でも 倒れたら立ち上がって やり直す勇気があるなら 泥だらけでもいい
いくつになっても 自分だけの意地を持って 人は死ぬまで生まれ変われる だから今日からLet's Try!!
つらいことはつらいと言えず 嬉しいことも誤魔化して 似合いもしない仮面劇(ポーカーフェイス) ひとり演じてきた
いつかの君に憧れて 君の真似もしたけど そう簡単に上手くはいかない 言葉じゃわかっているさ
はじめてのときめきを 僕は忘れてないかい? 倒れても立ち上がり ずっと愛のままに
僕は僕なりに素直に生きる 必ず叶えてみせるよ 何度でも 何歳でも 走る!! いつでもTry Again!!
叶いそうで叶わなかった あと一歩が大差だった 何度見たかわからない 悔しさの河の中に 眩い光をもう一度だけ見つけてみたいよ
星空の海に言葉の橋を架けよう たとえ届かぬ虹の先も 今の僕なら手が届く気がする
何度でも 何歳でも 倒れたら立ち上がって やり直す勇気があるなら 泥だらけでもいい
明日も 明後日も 胸を張って失敗しよう 何度でも諦めず 未来の風向きを信じて
いくつになっても 自分だけの意地を持って 人は死ぬまで毎日生まれ変わる だから今日からLet's Try!!
僕は僕なりに素直に生きる 必ず叶えてみせるよ 何度でも 何歳でも 走る!! いつでもTry Again!!
僕の未来に見えるのは 輝ける明日さ
8.「私たちの結婚」
静けさのベルリネッタ 穏やかに微笑む 神戸港が美しい
階段下ですれ違った女(ひと) 何者でもないその瞳(め)に どうしようもなく 惹かれてしまったわ
優柔不断が売りなのに この日だけは違った いきなり足が動き出し 両手掴むまで止まらずに
きらめくオリオンの調べに乗せ ふたりの恋が深呼吸する 夜空の星に誓った愛は きっと永遠になるの
出逢いの街 チャペルで交わしたキスは 恋が結ばれた証
麗しのビドゥルボ 月夜に照らされ ネオンは旋律を奏でる
指輪では判らない 言葉では現せない こんなに強い気持ち 生まれて初めてよ
普段は何も言えないのに あの日だけは違った 運命の悪戯みたく 次々と言葉が生まれたの
ときめくカニス・ミノルの導くまま ふたりの恋は天体を飛び立つ 幾多の時が刻まれたこの宇宙で あなたのすべてを愛したい
出逢いの街 ふたりで築いたテラスは 恋が愛になった証
こんなに深く美しく 私達は愛し合っているのに 夜明けを待つばかりで何も出来ない 歯がゆい想いはもう終わりにしたいの
さあ、行こう! カニス・マヨルの奇跡を信じて 喜望への道 ここはドーバー海峡
この街ならふたり結ばれる 狂おしく愛おしい生活(くらし)を手放しても 遠く離れた街で願う いつか戻れるよね
出逢いの街で 答えを求めた 青春の日々が懐かしい
今は見知らぬ街で 新しい生活(くらし)を…… ふたり捜している
9.「あなたと私とユナと」
きっと幼馴染だよ みんなはこう表すけど 実は最近出逢ったばかり
同じクラスになって 一気に仲良くなってさ
あっという間にお決まりの三人
好きとか嫌いとか そんなのじゃなくて 一緒にいないと落ち着かないの 離れたら恋しくなるの
ふたりと友達になれて 本当に幸せ
あと一年もしたら 別々の道を歩むけど それまでにいっぱい作りたい とっておきの思い出
大切なあなたと 恋って言葉じゃ測れない 私たちの記憶を 残したい
休み時間も帰り道も ずっと三人だった 一緒にいないと淋しいの 離れたら私じゃないの
いつもわがままばかりでごめんね My Friends……
このまま大人になれるって 高校時代は誰もが一度は思い込む 本当は違うのにね 笑いたくなるほど私達は純粋で 現実を知ったとき 立ち尽くす……
いつも最初はユナだった 何かを決める時は そんなユナを信じてる 幸せ・恋愛・その未来 もちろん……あなただって
好きとか嫌いとか そんなのじゃなくて 一緒にいないと落ち着かないの 離れたら恋しくなるの
ふたりと友達になれて 本当に幸せ
いつまでも私達 たまには逢おうね
10.「シンガーソングライターの時代」
自分の想いも考えも伝え方を知らずに 気づけばギターをつま弾き歌ってた あの時めきが運命でした
数えきれぬほどの歌を作り 時に罵声も浴びました それでも自分だけを信じて 歌ってきて良かったと思います
“シンガーソングライター”なんて呼ばれて カラーページに顔を出すようになって 何か変わったわけでもないのに 「あいつは変わってしまった」とか 「商業主義に走った」とか 勝手なこと言ってんじゃねえよ
今の私を愛して 私の歌だけを信じて 心が闇に包まれた時こそ 私だけを見てほしい
私だけが季節に取り残された気がして レゲエとかフュージョンとか なんでもやってましたよね
でも自分のいいと思ったものが やっぱ一番いいんですよ そんな当たり前に気づいたのは ちょっと遠回りしたからなの
“シンガーソングライター”なんて呼ばれて 若いからってチヤホヤする奴がいる 「男だから」「女だから」ってなんだよ 「あいつは生意気だ」とか 「その態度が気に食わねえ」とか 勝手なこと言ってんじゃねえよ
今の私を愛して 私の歌だけを信じて 心が闇に包まれた時こそ 私だけを見てほしい
私があなたを愛して あなただけを抱きしめて 共感のぬくもりをあなただけに 私だけを見てほしい
すぐ側を通り過ぎていった仲間へ 階段を降りていった仲間へ あの日の教室で語らった夢 それぞれの場所で今も覚えていますか?
今の私を愛して 私の歌だけを信じて 心が闇に包まれた時こそ 私だけを見てほしい
私があなたを愛して あなただけを抱きしめて 共感のぬくもりをあなただけに 私だけを見てほしい
11.「最後のツイスト」
ナイトクラブで夜通し 踊り明かしていた頃 私はちょっと天狗気取りで 腰を振っていたよ
あなたに出逢っても 時々知らんぷりして いつか頬を叩かれるまでは ロクに話もしなかった
フォークソングの季節は過ぎ去り 冬の街をふたり歩く たしかな愛も掴んだけれど 恋愛よりも大切なあなただけは忘れられない
最後のツイスト 若かったあの頃 身も心も歳を取ったが 忘れられない…… 忘れたくない夢がある
アルバトロスが潰れて 行き場を失った時 ボブ・ディランはもう合わぬと 楽譜を燃やしてしまった
かつてのあなたによく似た若者 街ですれ違う度 その面影 気付いて振り向いても 矛盾混じりの溜息
熱に浮かされた季節は過ぎ去り 冬の街をふたり歩く 子どもも幸せも巡り逢えたけど 今でもあの頃のあなたが忘れられない
最後のツイスト 歳を重ねた今こそ 身も心も歳を取ったが 負けられない…… 負けてられない意地がある
いつかあなたの好きなアイドルも 時代が終わる時は来る そして振り返ると気づくだろう 早送りのビデオみたいだ…… まるで
若さだけで走れた季節は とうの昔に過ぎ去り 冬の街をひとり歩く 今だからわかったことがある 時代は気まぐれさ
最後のツイスト 若かったあの頃 身も心も歳を取ったが 忘れられない…… 忘れたくない夢がある
最後のツイスト 歳を重ねた今こそ 身も心も歳を取ったが 負けられない…… 負けてられない意地がある
最初で最後のツイスト 始まりはあなたから
12.「SINCE 2022」
ひとつ上の先輩に憧れて 私もピアノを始めたよ 最初はこんなステージに立てるなんて 想像もしてなかったけど
今はあなたがいるから どんな歌も声も力になる 大切な人や愛を守るために 今日もここで音楽を奏でるわ
三国ヶ丘のステージで 恋の歌を歌っていた頃 聞いてくれたのはふたりでも 心は胸いっぱいのぬくもりに満たされてた
今こそあの頃に感謝を あなたと青春を謳おう
明日に向かって 一歩目を踏み出す 勇気があれば それでいいよ
夕陽が沈む寸前の公園で あなたとよくセッシ��ンをしたよね 庄内の街で愛を叫んでいた頃は まだ大人になりきってい���かった
いつか友と夢を語り合った日は どんな歌も届く気がした 遠い国で音を見つめるあなたに この声は届いているかな?
心斎橋のステージで 無邪気に歌っていた日は どんなに叫ぼうとも明日は見えずに 帰りの電車で愚痴をこぼしてばかりだった
今こそあの頃に感謝を あなたと青春を謳おう
夢があるなら 私と一緒に 勇気があれば それでいいよ
もう愛の歌を唄いたくはないと 恋人とぶつかった日もある 大恋愛が終わった夜 かつての友に久々に電話をした
嫌いになりかけていた音楽が 友と歌うだけでまた好きになった
私はやっぱり音楽しかないの 愛すべきものがわかった気がした
三国ヶ丘のステージで 恋の歌を歌っていた頃 聞いてくれたのはふたりでも 心は胸いっぱいのぬくもりに満たされてた
今こそあの頃に感謝を あなたと青春を謳おう
明日に向かって 一歩目を踏み出す 勇気があれば それでいいよ
あなたと私のこのステージは すべての物語の始まり かつて私が音楽を始めた頃 無邪気に夢見てた場所
夢は叶えるためにあるもの 一緒に手を取り合って 私はそれが偶然音楽だっただけ あなたとまだ見ぬ夢を叶えよう
今こそあの頃に感謝を これからもあなたと…… 青春を謳ってゆこう
2021年12月20日:詩集「いつかの君に逢いにゆく」 作 = 坂岡 優 リスペクト = あいみょん, 松井五郎, 売野雅勇, イーグルス, 松本隆, 山下達郎, 高見沢俊彦, 高橋研, 辻村深月, 生田絵梨花, 幾田りら, LGBTQ+の権利のために闘い続けている人たち, かつてのクラスメイト, 中島みゆき, 吉田拓郎, すべての夢を追いかけるあなた, 私を応援してくれたすべての人たち, マックス・フェルスタッペン, 私のヒーロー(すべて敬称略)
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chiharu91 · 3 years
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unforgettable memories
最近読んだ「私」を生きるための言葉―日本語と個人主義の中で、 「体験」と「経験」の違いについて触れられていて、 ふと一人でサンフランシスコに遊びに行ったことを思い出した。 それまでにも何度か一人で海外出張をしたり、上司に同行した出張の滞在先でも一人でふらっと街をぶらついたり、海外に限らず国内でも車を走らせていろんな場所に一人で訪ねたりしてた。 見知らぬ土地で誰も頼る人がいない状況で自分の足で歩き、考え、行動することで得られる学びは本当に大きい。 誰かと行動を共にするとそれはただどこそこの国に行った。という体験で終わるけど、一人で行くとありとあらゆることから学びが得られてそれが全て経験になる。
そうそう。サンフランシスコに行った時は人生初めてのアメリカでした。 しかも憧れの西海岸。2018年の年末の冬休みで、海外出張行きまくってたまったマイルを全部はたいて、航空券かなり安く買うことができて本当にラッキーだった。 そう考えると年越しを海外で過ごすのも初めてのことだったな。 往復の移動も含めて大体1週間くらいの旅だったけど、 本当に色々なことが起こって毎日刺激的だったし、あの旅での出来事は一生忘れることないと思う。体感では1ヶ月滞在したくらい濃かった。 一人で旅してるといろんな人が話しかけてくるのも驚きだった。 アメリカだからなのかもしれないけど、みんな親切で一人で居ても全然寂しくないし、あんたの好きなように生きてOKなんだよっていうのが、街ゆく人とか街全体の雰囲気から伝わってきてハッパは吸ってないけど毎日ハイだったな。。あの時の私は人生怖いもの無しだった。
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これはPebble Beach 17 Mile Driveで撮った写真。 サンフランシスコからモントレーに向かう途中、安いモーテルで一泊したんだけど、その宿から車を30分くらい走らせた場所にあったドライブコース(有料) このエリアにはゴルフ場とか別荘?もあってとても綺麗に整備された区域だった。 朝早い時間に行ったら、ゴルフ場の芝生から立ち上がる水蒸気で周囲にまだうっすらと霧が立ち込めてて、遠くには白くて可愛らしい丸みを帯びた石がゴロゴロしてる浜が見えて、海が穏やかに波うっている。 鳥も餌をもとめて集まってきたりして、なんて平和な風景なんだと車を停めてしばし黄昏モードに入ってたな。 その後ドライブコースを走るんだけど、これがまたどの道のどの風景を切り取っても絵になる素晴らしい景色ばかりで2周はしたよね。 ドライブ好き+自然好きには本当に堪らない場所です。 その後は水族館に行ったり、水族館の前で通りすがりのおじいちゃんが写真撮ろうか?って声をかけてくれたり、家族連れで来てたであろうお父さんが駐車場のチケットまだ使えるから。って無料で譲ってくれたり。 サンフランシスコ大好きだー!って叫びたかった。
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さらにモントレーから南下してBig Surへ。 これはBig Surにあったベーカリー屋の庭ですね。 ただのアロエですらこんなにオシャレに見えるのはなんなんだ!と思って撮った一枚。 ここのベーカリーもスタッフがみんなヒッピーみたいなオーラを放っていて、 正直ここにいる時が一番疎外感を感じたかもしれない。 ローカル臭が強すぎて、完全に私よそ者ってのがバレバレで。(隠してるわけではないけど) ここで買ったベーコンが挟まった甘いクロワッサンが衝撃を受けるほどのうまさでこれはもう一度食べたい。 Big Surは地元の人からも人気の観光エリアなんだけど、次いくときにはもっと堪能できるようにリサーチして行きたい。 森の中でキャンプとかできたら最高だな。 Big Surを楽しんだ後は西海岸線をずっと通っている101号線を北に、サンフランシスコのダウンタウンへ戻り、アメリカいく前に東京で知り合ったJoshに会いに。 彼はサンフランシスコの高層ビルが立ち並ぶ通称FiDi(Financial District)にある仮想通貨を取り扱うスタートアップでエンジニアとして働いていて、 日本の大学にも留学したことがあっていつかはまた日本に戻りたいって言ってたな。今頃元気にやってるかな。 サンフランシスコのど真ん中で働いていても、今の職に就くまでは経済的に本当にきつかったみたいで、エンジニアのかたわらUberのドライバーとして生計を立ててたらしい。 その車もまたオンボロで助手席の扉は外側からは開かないので、運転席からドアを開けないといけない。 彼が住むアパートは郊外にあるけど、部屋はルームシェアで6畳くらいのベッドルームに住んでたな。 いつの間にかJoshの話になってしまったけど、とにかく彼はナイスなので、滞在中何度か会って遊ぶ時は本当にいろんな話をしたな。世代もちょうど同じくらいだった。
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これは12月31日の最後の夕日だったと思う。 太平洋に沈んでいく大きな太陽。 空がオレンジ、ピンク、パープルの混ざり合ったなんとも言えない色に染まって こんな夕日見たことねぇぇぇってずっと感動してた。 1月1日はどこもお店が閉まってて、Joshと二人でIn-n-Outでハンバーガーを食べたんだけど、道中もオンボロ車のステレオでレッチリとかブリンク流して最高に青春だった。 あんな青春は二度と戻ってこないんだろうなと思う一方、作ろうと思えばいつでも作れるなとも思う。いくつになってもね。 けどその時間を共有したい、一緒に作りたいと思える相手がいるかどうかは別の話だけど。 振り返ってみると一人で旅をしたからこそ出会える人がいて、共有できる時間があった。 この時は「私」を生きるための言葉―日本語と個人主義に書かれている、 「世間」とか一切感じることなく、出会う人全てと一対一の個人としての関係を築けたと思う。 写真撮るときに声を掛けてくれたおじいさんも、駐車券くれたお父さんも、 レンタカー返す時ガソリンなくて焦ってた時に助けてくれた女の子も、 パン屋の横で話しかけてくれたおばあちゃんも、本屋で話しかけてきたおじさんも、ラーメン一緒に食べに行ったカイルも、バーに連れて行ってくれた男の子も(名前忘れた) そこで話したこと、見たこと、聞いたこと、感じたものは全部誰のフィルターも通っていないリアルなもので、こうやって経験したことは何年経っても色褪せないし、しっかり記憶に刻まれる。 誰かと一緒に行動を共にすれば、少なからずその人の影響を受けるから、 本当に私個人として感じたことや経験したものとは少し離れてしまうように感じる。
今後こういう瞬間がどれくらいあるかはわからないけど、 自分の生きたい道を歩んでいれば自ずとその瞬間に出会えると思う。 「私」を生きるための言葉―日本語と個人主義ここに書かれていることは、 私が日々感じていることに本当に近くて、少しでもこういう意見を持つ人が増えたら世の中もっと楽しくなりそう。
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mokkung · 4 years
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映画『ザ・レイド』 〜DIY精神に満ちたハイレベルアクション映画を見よ!〜
2011年 インドネシア 原題:The Raid -Redemption- 監督:ギャレス・エヴァンス 脚本:ギャレス・エヴァンス 撮影:マット・フラネリー 音楽 マイク・シノダ、ジョセフ・トラパニーズ 出演: イコ・ウワイス、ヤヤン・ルヒアン、ジョー・タスリム、 ドニー・アラムシャー、レイ・サヘタピー、ピエール・グルノ、テガール・サトリヤ 
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 昨年、インドネシアからの留学生を連れて尾道に日帰り旅行へ行ったときのこと。千光寺公園へ行ったり、美味しいものを食べたり、楽しかったのですが、道中の車内でインドネシアの文化や生活の話を教えてもらったことが興味深かったです。話しぶりからはやはり、K-POPや韓国ドラマ&映画などはインドネシアでも人気なようで、韓国産エンタメの世界的な影響はやはり大きいなと実感しました。ちなみに日本の映画も、ある程度観られているようで、話してくれた留学生は映画「13人の刺客」(三池崇史のやつ)が好きだとのこと。アニメ作品を挙げてくるかなと思っていたので、意外な作品が出てきてびっくりしましたけどね。
 そんな中、インドネシアで作られた映画で、オススメはないか訪ねたところ、教えてくれたのが、映画「ザ・レイド」でした。
あらすじ
麻薬王が支配する30階建ての高層ビルに、強制捜査のため警察の特殊部隊が強制捜査に入る。しかしそこは、恐るべきギャングや殺し屋のアジトがひしめき合う、ヤバい奴らの巣窟だった。捜査情報が漏洩しており、返り討ちに合い壊滅的な打撃を受ける警察部隊。警察部隊の一人、ラマ(イコ・ウワイス)は次々と仲間たちが倒される中、何とか生き残り、その戦闘能力を駆使して、麻薬王を捕らえるため上層階を目指す・・・。
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引用元
インドネシアが生んだアクション映画の大傑作!
 ぶっちゃけ、そんなに期待していなかったのですが、想像を遥かに超える質の高さでした!
 まずとにかくアクションがとんでもなく良い!アクション映画としてのレベルは相当高い映画だと思います。こんなにおもしろい映画がインドネシアから登場したことにびっくり。
 序盤は突入してきた警察部隊と、それを返り討ちする殺し屋軍団の、銃撃戦を中心とした戦闘が中心になりますが、役者は専門的な銃撃戦のトレーニングを受けて撮影しているようで、かなりそれらしい動きをしていますし、激しく見ごたえのある演出になっています。アメリカ映画と違って実銃が使えるわけではないので、驚いたことに全てモデルガンを使用していて、薬莢や発砲時の火薬の光をCGで付け加えているとのこと!また暗闇の中、敵味方が互いに索敵している状態で、発砲した際の火薬の光によって敵の居場所を察知するという描写は、実際にあり得ることだと思いますが、これまでの映画であまり見かけなことがなくて新鮮でした。発砲時の光をこんなに強調した映画は珍しいですね。さらには警察部隊が突入するときに使用した車両も、メイキング映像を見る限りオンボロの古いトラックを改造して自分たちで作成したようで、クオリティを上げたり面白いものを作ろうとする作りてのDIY精神が素晴らしい!
・メイキング映像①(オンボロトラックを改造して使用した車両を、演者がみんなで押してエンジンをかけている!!!)
室内戦の臨場感を引き出すカメラワーク
 ビルの中という限定的な空間が舞台で、敵を倒しながら上層階を目指し最後は脱出!という、何かのゲームのような設定は、聞くとバカっぽい感じがするかもしれませんが、ストーリーの幅をコンパクトにして、アクション演出の面白さを強調することができていると思います(もちろん、予算の都合もあるのでしょうが・・・)。しかもいい感じの薄汚いボロっちい建物で、雰囲気がとても良い。
 そんなビルの中での戦闘シーンは手持ちカメラを多様しており、臨場感を演出するのがとても上手くできていました。一続きの長めのカットのままカメラをブンブン動かして視点を素早く切り替えることで、その場の緊迫感を上手に引き出しているし、室内のどこに何があって、誰がどう行動しているのかも流れるように見せてくるカメラワークはとても効果的でした。結構狭い場所で撮っているようなので、かなり苦労したのではないかと思われますが、メイキング映像によると一部は部屋のセットを別に作って撮影してますし、床に穴を開けてフロアを移動するシーンがあるんですが、そこは手渡しでカメラを移動させて人物を応用に途切れなく撮影する工夫をしており、やはり戦闘シーンのカメラワークはこだわって作られていると思われます。
・メイキング映像②(アクションシーンがどのように作られているのかわかります)
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引用元
シラットの魅力!そしてマッド・ドッグに陶酔!
 インドネシアを中心に東南アジアで流布する伝統武術に“シラット”というものがありますが、中盤以後はこれを駆使した戦闘が中心となります。この映画を観るまでシラットのことを知らなかったのですが、軍用の格闘技術に導入されていたり、実はブルース・リーが創始者であるジークンドーにもシラットが応用されているなど、世界的には結構メジャーな武術だそうです。
 めちゃくちゃ攻撃的でキレッキレで、時には泥臭い感じもある格闘アクションは、まさに殺し合いそのもの。そして他の映画と異なる点として、いわゆるモブキャラですらみんな強い!大体の映画ではザコ敵が群がってきても、メインキャラにボコボコにやられたり、難なく一撃で倒されていくことが多いですが、この映画はみんな強い上に、集団でかかってくるので主人公もかなり手を焼き、かなり痛めつけられ、どうにかこうにか勝てるという感じ。マチェーテを持って襲ってくる連中のビジュアルも良いですね、いかにも危ない奴らって感じで(マチェーテを口に咥えて壁を登る様子とか素晴らしい)。
 主人公のラマを演じるイコ・ウワイスは当然良いのですが、なんと言っても魅力的なのが、殺し屋軍団の2番手、マッド・ドッグを演じるヤヤン・ルヒアンという役者です。身長が低めで、一見ひょろっとしたおでこの広いおじさんなんですが、身体能力がパねえ!マッド・ドッグのキャラクターも魅力的で、めちゃくちゃ強いし、妙なオーラが出てて独特の魅力を放っています。敵を追い詰めても、最後はあえて殴り合いに持ち込み、銃は使わず拳で相手を殺すことをモットーとする狂犬ぶりは、すぐに何でも簡単に解決しようとする現代人に一石を投じるような存在(言いすぎ・・・)。僕は彼の魅力にイチコロでした。
 ちなみにヤヤン・ルヒアンは続編の「ザ・レイド GOKUDO」に、妻と離婚して子供の仕送りのために戦う哀愁漂う殺し屋という、マッド・ドッグ全然違う役で出演していてびっくりしました。 本作によってヤヤン・ルヒアンもイコ・ウワイスも世界に発見されてしまい、以後ハリウッドのアクション映画に出演ようになりました。それぐらい本作が世界のアクション映画にインパクトを残した映画となったのです。
・マチェーテ軍団とのファイトシーン(これがシラットだー!) ・マッド・ドッグの初ファイトシーン(かっこよすぎる・・・・) ・映画「ザ・レイド GOKUDO」(遠藤憲一や松田龍平が日本のヤクザとして登場しますが、びっくりするぐらい戦闘には絡んでこないので拍子抜けしますが、こちらもアクション映画として大変見ごたえがあります)
 アクションのことばかり書きましたが、サスペンス描写も見事で、敵に追い詰められて八方塞がりになった状態をどうやって打開するのかとか、壁の裏に隠れている場面のバレるバレない演出とか、結構ハラハラさせられるシーンも上手でテンポも良かったと思います。後半のマッド・ドッグとの戦闘が最高潮で、素晴らしいのですが、その後の終盤の展開は尻すぼみ感が否めません。怒涛の戦いを観ることができた分、締めくくりが凡庸だと、急にテンションが落ちる感じがしてイマイチでした。あとこれは個人的な希望ですが、冒頭の礼拝シーンのごとく、もう少しインドネシアの生活・文化が垣間見えると良かったかなと思います。限定的な舞台設定なので仕方ないでしょうが・・・。
最後に
 ハリウッドでなくても、少ない予算でも、DIY精神でここまですごいクオリティのアクション映画が作れるのだということを思い知らせてくれる一作です!ナメててすいませんでした!
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gotoda4 · 4 years
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『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』
《あらすじ》
6歳のムーニー(ブルックリン・プリンス)とシングル・マザーのヘイリー(ブリア・ヴィネイト)は定住する家を失い、“世界最大の夢の国”フロリダ・ディズニー・ワールドに隣接する安モーテル「マジック・キャッスル」でその日暮らしの生活を送っている。
シングルマザーで職なしのヘイリーは厳しい現実に��しむも、ムーニーから見た世界はいつもキラキラと輝いていて、モーテルで暮らす子どもたちと冒険に満ちた楽しい毎日を過ごし、管理人ボビー(ウィレム・デフォー)はそんな子どもたちを厳しくも温かく見守っていた。
そんなムーニーの日常が、ある出来事をきっかけに大きく変わりはじめる…。
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《感想》
「衝撃のマジカルエンド!子どもの目は魔法の虫眼鏡、すべてが魔法に変わる。ディズニーランドのそばに立つ安モーテルを舞台にアメリカの低所得者の生活をリアルに描くすごさ。」
『フロリダ・プロジェクト』というタイトルを見て、フロリダ計画?フロリダビジネス?と、意味が気になったので「プロジェクト」の意味を調べてみたら一般に日本で使われているような計画や事業の他に「低所得者向けが多く住むスラム住宅」のことも指しているそうで。
つまり『フロリダ・プロジェクト』っていうのは「フロリダのスラム」という意味なんだけど、ポスターを見ても本編のワンシーンを見てみても「スラム」にしては雰囲気がポップですごく明るいので、まだ本編を観ていない人からしたら違和感しかないよね。
“世界最大の夢の国“フロリダ・ディズニー・ワールドでは周辺にたくさん「モーテル」と呼ばれる簡易宿泊所があって、高級なホテルの近くに乱立してるんですが、そんなモーテル街の中に、「プロジェクト」と呼ばれる超オンボロの公営住宅地みたいな住宅が建っているそうです。
そして今作の主人公ムーニー(娘)とヘイリー(母)が暮らすのはそのオンボロ住宅地の「プロジェクト」ではなく実は「モーテル」の方。
「プロジェクト」ってタイトルがついてるのになぜモーテルなのか。この親子はその日暮らしの生活を送ってるってあらすじにも書いてあったのに。
なぜなら、彼女たちは低所得者が住む「プロジェクト」にも住めない“超超“低所得者だから。つまり本来定住する場所でない宿泊施設を居住地として生活をしているのです。
日本で例えるなら漫画喫茶に泊まってその日暮らしの生活をしているような感じでしょうか。
モーテルなら電気代、水道代、ガス代はかからないし、洗濯機も公共のものが設置されてて宿泊代だけで、結果的には安いのかもしれない。
☆この映画のすごいところその1
1,本編のほとんどの場面が子どもの視点(地上1メートルほど)で描かれるということ。
そのため大人は足のみ写されることが多い。
大人は毎日の食事代にも苦労している状態で、教会の炊き出しに参加することも。このような人々の生活に関する重要な情報を見る人に与える時は、大人の視線に合わせたアングルになりますが、しばらくすると主人公のムーニーの視点の高さに戻ります。
このような複数の視点を組み合わせることで、視聴者に「そこで何が起こっているのか」を理解できます。ベイカー氏は「炊き出しがどんなものなのか」ということそのものを描きたいのではなく、「ムーニーにとってそれらがいかに当たり前のことなのか」を描こうとしているのです。この点が非常に見事とのこと。
映画における重要なシーンは、このようにほぼ全てが「子どもの視点」で描かれます。例えばムーニーの母親の売春に気づくシーンは以下のような感じ。ムーニーがお風呂に入っていると
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ガチャッと部屋の扉が開く音がひびき、姿は見えないものの、誰かが入ってきたことがわかります。
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「子連れなのか?」
「だから入るなって」
母親が男性とやりとりしている様子が声だけで聞こえ、状況が直接描かれるわけではありませんが、ムーニーの体験を通して母親が売春を行っていることがわかるわけです。
さらにこのムーニーの入浴シーンはこの"母親の売春を悟ったシーン"以前に何回か登場しており、1回目はムーニーの髪をヘイリーが洗ってあげているシーン、このとき浴室に音楽は流れていません。
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2回目以降はいずれもムーニーひとりで、浴室には大きめの音でクラブ音楽が流れています。一定時間映した後に何事もなく次の場面に切り替わり、少し不自然です。
このことから今までの入浴シーンの裏では、ヘイリーが売春を行なっていたのではないかと推察できます。
つまり、我々もムーニーと一緒でこのときは母親の売春に気づいていない、そうムーニーと同じ体験をしているということになるわけです。
これすごくないですか。ほんとすげー。
そして、物語の後半でヘイリーが9人の男性を家に招き入れているところが防犯カメラに写っていたことから複数回に渡って売春をしていたことが管理人のボブにバレてしまう所で、この推察が確証に変わるところまでバッチリ。
☆この映画のすごいところその2
ヘイリーとムーニーがこのまま暮らしていくことが危険だと判断した児童保護局は、ムーニーを一時的に離し、施設に送ることに。最後のお別れのあいさつをしにムーニーはスクーティーの元へ。そしてその後ジャンシーの元を訪ねるが、スクーティーの時とは違ってなぜか涙が溢れてくる。
いつもは気丈な性格のムーニーが泣きじゃくる姿を見てジャンシーは「ムーニー、恐いよ」
ムーニー「あんたは親友よ、でもきっともう会えない。」
「あのね、言えないよ…」
そして震える声を振り絞ってついにジャンシーに
「バイバイ」
と言う。
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で、ここの演技がとにかくすごい。
きっとムーニーはディズニーワールドがどんなところか知らなかったはず。ヘイリーとムーニーが盗んだマジカルバンドを観光客に押し売りするシーンで、もしディズニーワールドがどんな場所か知っていたらマジカルバンドをお金と交換とはいえ、子どものムーニーなら手渡していないと思うのです。
ヘイリーもディズニーワールドに行くお金なんてないから、ムーニーに知らせないようにしていたのではないでしょうか。
ムーニーにとってはさびれた廃墟や、牧場のサファリパーク、アイスクリーム屋がテーマパーク同様だったのでしょう。
そんなムーニーがディズニーワールドの世界を初めて知る瞬間がこのラストシーン。
私的にですがこの結末からは、
子どもは親の経済状況に大きく左右される傾向にあり、生まれた環境で人生の可能性が制約されてしまう。だけど、世界の全てを「遊び場」に変えることができるってこと。
またそういう世の中に対して必死で歯向かって行く子どもたちの強い意思を感じました。
『“イマジネーション“というどこにだって行ける足がついていれば世界は全く違う色に見える。』
そういうことよな、多分。
私この映画めっちゃ好きだ!ムーニーとジャンシーありがとう!!
いつかシンデレラ城でふたりで暮らすんだぞ!
めちゃ良い映画です!!
《番外編》
☆好きなシーン その1
映画はヘイリーの娘であるムーニーと、同じモーテルに暮らすスクーティーが隣のモーテルに暮らすディッキーから「新しい住人が来た」という報告を受けて見物しにいくところから始まります。
3人は新しい住人のものと思われる車に2階から唾を飛ばし誰が1番遠くに飛ばせるか勝負をして遊んでいたが、このいたずらが持ち主のおばさんに見つかってしまい大目玉をくらうも3人はクソババアなどと汚い言葉を連発し、無敵の様子。このあと罰として車を掃除させられることに。
この件をきっかけに、今まで一緒に遊んでいたディッキーが外出禁止になってしまい、仲間を失ってしまった代わりに、唾を飛ばされたおばさんの孫にあたるジャンシーを新たに仲間に加え子どもたちは毎日のように探検に出かけるようになる。
手始めに2人は、“新人”のジャンシーをいつも探検しているスポットに案内。アイスクリーム屋の前を通りがかったところで
ムーニー「ここはタダなんだよ」
ジャンシー「本当?」
ムーニー「ちょっと来てみ」
ムーニーが観光客に「お金ちょうだい」と明るい声で小金をせびり、平気で「医者から喘息って言われてるの」とかえげつない嘘をつく 笑。
で、タダでアイスクリームを買うことに成功 笑。
帰りは3人で1つのアイスクリームを一緒に食べながら歩く。
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その後も3人の探検は続きます。
モーテルのプールに死んだ魚を浮かべて生き返るかどうか実験したり、チップをくれない観光客に水風船を投げつけたり、モーテルの立ち入り禁止の機械室に入って施設のブレーカーを落としたり、プールで裸で寝ているおばさんに遠くから「垂れパイ、垂れパイ、バナナパイ」とリズミカルに囃し立てたり、おばさんに服を着るように注意するボビーに向かって「ボビー、パイピー」と大声で叫んだり笑
ここはめちゃくちゃ笑った 笑。
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これらの探検を彼らの視点で写すことで、まるで視聴者も子どもたちと探検をしているようなワクワクした気分になるのだ。
3人の探検はどんどんエスカレートしていき、ある日廃墟に忍び込んで暖炉に枕をつめて火をつけ逃げ出してしまう。誰にも内緒と3人で固く約束を交わすが、後で廃墟が大火事になったことが判明。
スクーティーの母親(ムーニーの母親ヘイリーと仲が良い)は息子の挙動不審な態度から放火をしたことを悟り、ムーニーとジャンシーと会うことを禁止し、さらに以前から仲が良かったヘイリーともほぼ縁を切る状態に。
☆好きなシーンその2
ヘイリーはスクーティーの母親の態度がいきなりそっけなくなったことに異変を感じて、彼女のバイト先であるファミレス?にムーニーと共に向かう。
彼女の名を指名し、嫌がる彼女に強制的に注文をとらせるが、ヘイリーは「ムーニー、なんでも頼んで、今日は1日中いるんだから」と言う。それを聞いたムーニーは目を輝かせながら次々と注文をしていく。
「ストロベリー・ワッフル、あた��かいメープルシロップめっちゃ追加で、ベーコンエッグ、ストロベリーとブルーベリー、コーラ、ルートビア、レモネード、ソーダ。ママは?」
ヘイリー「それだけ?なんでも頼んで良いって言ったのに」
ムーニー「じゃ、ベーコン追加で、山盛りだからね、それとゼリーも忘れないで」
さらに親子は店内で好き勝手やる笑
ヘイリー「ゲップ大会やらない?」
ムーニー「マジですか!?」
すると、ムーニーがでっけえゲップを1発店内に響かせる笑。1回じゃ飽き足らずさらにもう1発をお見舞い 笑笑。
スクーティーの母親も呆れ顔、痺れを切らしてテーブルに伝票を叩きつけます。すげえ嫌がらせだ笑。
☆好きなシーンその3
ムーニーとジャンシーがマジック・キャッスルの上にかかる虹を見て話すシーン
ムーニー「虹の始まりって金色なんだ、妖精は麓に金貨を隠してる」
ジャンシー「でも分けてくれないのやさしくないよね」
ムーニー「よし襲っちゃえ行こう!」
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☆好きなシーンその4
ヘイリーとムーニーが近くの高級モーテルの宿泊者専用のバイキングに宿泊者だと偽って行くシーンにてムーニーの発言
「ストロベリーとラズベリーの同時食い」
「フォークがアメだったらいいのに」
「私、妊婦みたいにお腹が大きかったらごはん詰め込む」
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kaerenakunatta · 4 years
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しおさいボウル
「またドブ掃除だよ。ちゃんと油流してんのか?」
 ハゲたレールの上をふらふらんなって歩きながら、バドくんは文句を垂れる。二か月前から毎日続く手書きのスコア表にはガターが並び、なんとなく愉快だ。
「こないださあ、サーファーっていうの? なんかそんな感じの若いの三人くらいで来てさ、このボウリング場ってやってんすか? とか聞いてきて、やってないけど、おれ勝手に住んでるからさ、まあやってるよってうそついてみたのよ」
 どこまで続くのかは知らない、海沿いの一本道の途中にマイホーム・しおさいボウルは建っていて、夜逃げ同然誰もいないから勝手に住み始めたのが三か月前。窓は全割れ、昼間はきもちい潮風も、夜には湿って重たい。それでも波の音はいつも変わらずご機嫌で、ユーチューブから流すサザンがこれまた良いんだよ。バドワイザーがうめえんだ。たまに夜中に馬鹿が入って来るけどそういう時はユーレイのふりをするに限るね、球転がせばたいていの馬鹿は腰抜かして出て行くよ。
 特にボウリング趣味はないんでレールの上で寝てみたり、発電機を持ち込んで自販機生き返らせてホットスナック用のには全部ファミチキ入れて油まみれの、飲料のほうには全部バドワイザー入れて酔っ払い。中学からの友達のバドくんは酒屋のひとり息子でいくらでもバドワイザー持って来て酔っ払って帰ってくからバドくんで、溜まりまくったTポイントでファミチキ食い放題で、そんな感じでなんとなく暮らしてる。そんでなんとなく、おれとバドくんはバドワイザーしか飲まなくて、ボウリングシャツしか着なくなった。ちょっと映画みたいだろ?
「そんで?」
「そんでさ、サーファーってボードにワックスみたいな、なんていうのか知らないけど、そういうの塗るらしいんだわ。んで、ちょっと手入れが行き届かなかったんでってそのワックス借りてレールに塗ってやったら若造三人ストライクフィーバーでさ、いいっすよいいっすよってそのワックス三つも四つも置いてってくれたんだよ。あいつら馬鹿で良い奴だなあ。帰り際にもワンゲーム二千円ですってうそついてみたらさ、ひとり二千円ずつちゃんと置いてくんだよ。おれも携帯代払えなくて困ってたから助かったけど。まあ、乗るのは波だけにしとけよって思ったね、こんな馬鹿な話に乗るんじゃねえよって」
 時間が止まったみたいに流れてく。くたびれもいいとこ、こんなシケたボウリング場で未来へ生きるだなんてハナからやるつもりはなかったけどさ、それでも時間が止まんないのが嬉しくもあるよ、正直なとこ。
「んじゃあ今日はワックス塗り忘れたってわけかよ」
「いやあ、バドくん来る前に全部のレーンにちょうどよく塗ったよ。だからなんで側溝落としばっかやってんのかよくわかんねえなと思ってさあ」
 酔っ払いおれたちはボウリングなんてしたいわけじゃあなくて、悪態つきたいだけ。さっき自販機に入れた百円玉を鍵開けてもっかい取り出して、またバドを買う。永遠に似てるけどそんなもんここにあるわけなくて、バドと同じようにズル買いしたファミチキ食って胃がもたれてる。時間は止まんないんだよ。
「おまえも一本も倒してねえじゃん。ていうかやっぱ週末は油悪くなってんのかね? 最近ここでファミチキ食ったあと調子悪いんだよ」
「しかも飽きてきた」
「まあいいよな」
 おれたちは悪態つきたいだけ。
 本来なら次の球を乗せておく場所に、空になった瓶を並べる。十本目、ストライクなし。もちろんもう自動でピン立てなんてやってくれないし、重たいピン立て直すのも面倒なんで十本溜まるとおれたちはバドワイザーの空瓶を近場に並べて十六ポンドの球をぶつける。良い音で割れるんだよ。たまに半分くらい中身残ってることがあってさ、最悪だね。もったいねえって言ってタオルに吸わせて、赤ん坊が手放せないタオルケットみたいにしてさ、それしゃぶりたくなるよ。酒は飲んだら無くなるから、馬鹿な真似してそれ以外の理由でなくしたくないからな。
 くたびれたとかさびれたとか廃墟とか、まあいろいろ言い方はあるけどオンボロ、割った瓶はそのままでも誰も文句言わないし、もしかしたら大昔の貝塚みたいに何百年後とかにバドワイザーの瓶が発掘されて、考古学者が良い感じに肯定してくれるかもしんないし。そうじゃなくてもここは海沿いのボロ、しつこい潮風がガラスを削るよ。宝物みたいにまあるくなった割れたバドワイザーをさ、小学校上がりたての子供なんかが大切に拾って帰ったりしたら感動的だろ。それこそまるで単館映画だろ。ある程度まるくなるまで待ってようか、窓は全割れ、潮風の調子はいつだって良い。サザンも聞かせて立派な宝物にしてやるからな。良い花は良い音楽できれいな花を咲かせるって言うじゃん、潮風とサザンでまるくなった瓶だってさ、それでいいじゃん。待ってるだけ待ってりゃいいじゃん。
「見てろよ」
 おれがうだうだ知らない子供のことを考えたり見たこともない単館映画について思いを馳せていると、バドくんはレーンの向こう端までヨタヨタのままで空瓶を運んでる。
「何すんの?」
 レーンの端にきれいに並べられた空瓶と、ニヤついて止まんないみたいなバドくんの顔、夕立でもきそうだなあ、しかも酷いやつ。バドくんのあの顔、けっこう好きだけど、いつもロクなことしないからなあ。
「いいから見てな」
 手に持っていた十一本目のバドワイザー瓶を床に叩きつけて、それでもまだ面白そうな顔、何すんのかなあ。バドくんお気に入りのくすんだ水色のボウリングシャツには、珍しくシワがない。
「見てるよ」
 空の瓶がおれの手元で十二本目になろうとしてる。見てるのちょっと恥ずかしいけど、バドくんのシャツ、たしか背中に「ボウル・キング」って書いてあるやつだ。おれのは大丈夫だっけ、当たり障りないっけ? 自分の背中は自分じゃ見えないもんな。
 そしたら一瞬、波の音も自販機の作動音も市営バスの排ガス音も、ズレっぱなしの店の看板も、中綿出た丸椅子も、何もかも黙って、しおさいボウルにはさっきバドくんが床で割った瓶の音がいつまでも残ってるようで、やっぱ時間って止まんの? それともこの場所が、時間を進めるのを諦めたのか、飽きたのか、元から進む気なんてないのか。
「塩分は鉄を錆びつかせます、時間だって鉄分を含んだ血液のように流れます、私たちはそれに抗うことができません、時間だけはこの世界で誰に対しても平等です、そして誰に対しても平等に残酷です」
 だから何だ? バドワイザーの瓶が、十六ポンドの球に轢かれて全部割れた。バドくんがストライクを出したんだよ。
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floatan · 5 years
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【水曜12:30〜18:00🍛OPEN】きのうから記録的な大雨がつづく福岡ですが、フロータンは通常どおり支度しています。 刻々と移動してゆく台風とちがって、延々といすわって終わりが見えないので不安になりますね。晴れ空忘れそうです、、 それにしても当店は見た目あんなにオンボロなのにこれまで雨漏りひとつしたことがなく。リノベーションに携わってくれた熟練の職人さんたちに感謝。 激しい雨が屋根に当たると話し声もBGMもすべてかき消えるほどの音に。ホワイトノイズの轟音に包まれていると、さながら胎内にいるようでカタルシスを感じます。平屋ならではの体験です。 本日ものんびりとご来店お待ちしております。 #Repost @78_yuki_terao ・・・ ▫︎ 🍛カレー ¥1,000 ・ 美味しいカレーを食べてゆっくりしたい休日の午後に キメすぎてない、ゆるさのある雰囲気が大好き ・ フロータン 中央区平尾2丁目14−21 ㊡ 月曜日、火曜日 ◇ #フロータン #floatan #福岡カレー #福岡グルメ #平尾村 #カレー #curry (フロータン floatan) https://www.instagram.com/p/B1r-QQElNH3/?igshid=13ij45a5qpmgn
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naaatasooon · 3 years
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自分達で内装リフォームをして別荘として使用する物件を、来週の土曜日に内覧することになった。現地まで下道だと片道3~4時間くらいかなあ、高速だと1~1時間半くらいかもしれない。オンボロ平屋だから覚悟して見に行かないとだ。元々は現在の家主さんが生まれ育ったおうちで、心理的瑕疵物件などではないとのこと。
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etanchan · 4 years
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どんな仕事にも忙しさの波みたいなものがあるとは思うが、接客業は来店客に左右されるので、先が読めない。来れば忙しいし、来なければ暇だ。午前中は暇だったのに、閉店間際にコテンパンにやられてしまうなんて事はあるあるだ。今日はまさにそのあるあるだった。分散して一定量で来てくれよ、なんて思うがそんな都合のいい日は1年に数日しかない。暇疲れかと思えば配属スタッフに対して来店数が上回り店中を駆け回ったりする。退勤後に少し楽しくなっているのは、終わったという安堵よりも、ランナーズハイだ。無駄に気持ちがいい。自分の脳の安直さに呆れる。
バスは1時間に多くて4本しかない。ロイヤルホストののぼり旗と共に、風に吹かれながら屋根のないバス停でバスを待つ。平均10分。ベンチはオンボロで、これ以上太ったら壊しそうだ。座面は劣化した青いプラスチックのようなもので、冬は冷たくて不快だろうなとこれからの季節の心配をする。イヤホンからは少し前に死んだラッパーが友達と未来を語り合っている声が聞こえる。
バスは停留所ごとに左に傾く。ニーリングといい、空気を素早く入れたり抜いたりすることで、乗り降りを楽にする仕組みなんだそうだ。プシューと小気味いい音が、ストゼロ缶を買って帰りたくなる衝動に変わる。気づけばランナーズハイは終わって、空っぽの体に疲労感だけがぎゅうぎゅうに詰まる。引く程病院だらけの大通りで、バスを降り、反対車線へと横断する。有料老人ホームと薬局という人の末路みたいな施設の前で、また風に吹かれながら、バスを待つ。通り過ぎるバスは回送ばかりで中々止まってはくれない。親指を突き立てた拳で、乗用車を止めたい気持ちになる。すみません、近くまで乗せてってくれませんか?
そういえば一度だけ知らない人の車で家まで送って貰ったことがある。前後の経緯は忘れたが、ドライバーの若い男は「君、知らない人の車には乗らないほうがいいよ。世の中悪い人もいるんだからさ」と何度も注意をしてきた。悪い人もいるんだから、知らない女を車に乗せない方がいいと思うな。
過去を回想していると、なんで今こんなバスを乗り継いで通勤してるのか不思議になってくる。人生意外に色々な事がおきる。色々なことをおこせる。現状打開だなんて猛々しく掲げなくても、ちょっとの事で面白くなっていくものだ。俯瞰しつつも、実は楽しくて堪らない。これからどうするつもりもないが、どうなっていくのかは楽しみだ。
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cosmicc-blues · 4 years
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コロナの時代の愛
これまでずっと新型コロナウイルスについては冷淡な姿勢を貫いてきたが、5時半だった定時が4時半に短縮され、ついには昨日から最低限の人員でまわす電話番のシフト体制が組まれ、それ以外の者は自宅待機となった。聞けば、もうとっくの昔に死語になっているものと思われたチェーンメールが勃興し、首都ロックダウン寸前という噂まで実しやかに流布していたという。どうやら大変なことになっているらしい、という気持ちがここでようやく高まってきた。たしかに列車内でふと周りを見渡してみれば、マスクをしていないのは自分だけなんてことも増えてきている。
非常事態で思い出すのは、やはり3・11の大震災のことだ。その当日は都内から少し外れた山あいの町にある家(当時付き合っていた恋人のアパートに居候していた)にひとりで居て、ベットに寝ころがってマンガを読んでいると、それまで体験したことのない激しい揺れに見舞われた。まるで巨人が虫かごを手に取って上下左右に振っているような揺れだった。揺れがおさまると、電気ガス水道のすべてが止まっていた。携帯電話で情報を得ようとするものの、運の悪いことにちょうど充電が切れてしまい、ひとまず割れた食器類などの後始末をつけ、外に出てみると、最寄りのコンビニエンスストアに暴徒のようにひとびとが群がっていた。それを目にすると、なんだか急に気持ちが冷めてしまい、部屋にもどってマンガのつづきを読んだ。まだ日の短い時期だったから、すぐに空は暗くなって、とうとうマンガのつづきが追えなくなった。これではもうフテ寝する以外は仕方なかった、きっと目が覚める頃には電気もガスも水道も復旧しているだろう、と。あるいは隣町の実家へ用を済ましに行った恋人が帰ってきて「大変だったねえ、心配したよう」と肩を揺すって起こしてくれるかもしれない。こんな非常事なのにもかかわらず図太くフテ寝している姿を恋人に発見されるのかと思うと笑みがこぼれた。
ところが、目が覚めても恋人の面影はどこにもない。部屋はすでに真っ暗闇で、目を凝らして時計をみると、すでに帰ってくるはずの時刻を大幅に過ぎている。電気もガスも水道も依然として復旧していない。さすがに心配になった。それと同時にまた機会を逸してしまったという落胆を背負った。変なはなしだが、子どもの頃からずっと、こうした非常事に愛し合うもの同士で身動きもとれず、唯々しんしんと身を寄せ合っていたいと思う願望があった。また機会を逃すどころか、一生に一度のまたとない大チャンスを逃したように思われた。
いまいちど外へ出ると、夜闇に沈んだ町は空怖ろしいまでに静まり返り、時折、手持ちライトの光が道路に走っていた。いったい何が起こっているのやら。ひとまず、すれちがえば挨拶を交わす程度の住人の部屋のドアを叩いた。そこでようやく津波をはじめとする大惨事を知った。それから電気は都内を優先して供給しているらしいということを知った。山向こうにあるギリギリ都内のショッピングモールには電気が通っているらしいとのことだった。
それならばということで、携帯電話の充電器を持って山を越えることにした。歩けば1時間、自転車なら30分で行けるところにショッピングモールはあった。あいにく自転車は恋人が駅まで乗って行ってしまっていたので歩くはめになった。道ですれちがうひとはほとんどなく、所々に点在する公衆電話にだけひとが群がっていた。
ショッピングモールは閉鎖され、営業こそしていなかったが、窓ガラスから店内を覗くとたしかに薄灯りがともっていた。そこで店舗の壁面の電光看板なんかの電気をとるためのコンセントを借用すると、ようやく携帯電話にひかりがともった。電話とメールこそ回線のクラッシュで使えなかったが、SNSのほうは生きていた。異様なタイムラインだった。ここぞとばかりに140字のなかで扇情的な文句が謳われていた。そのなかに「地震発生から恋人が行方不明で連絡がとれません。安否を知っているひとがいたら云々」と、これまたずいぶんと大袈裟で扇情的な文句の恋人の言葉があった。その言葉に寄せられて通知欄には何人ものひとから安否を心配する便りが届いていた。マンガを読んで、フテ寝していただけなのに、何だか申し訳ない気持ちになった。恋人のほうは、電車も止まり余震も絶えないので実家に泊まることにしたということだった。その場でしばらく明日以降のことについて幾人かと事務的なやり取りをして、そろそろ帰ろうというときには、時計はすでに0時をまわっていた。
深夜になると電気の供給が間に合ってきたとみえ、24時間営業なんかのコンビニエンスストアが一部で営業を再開していた。急にお腹が減った。思えば、朝から何も食べないまま日付けをまたいでいた。とはいっても品薄のため陳列棚はガラガラで、冷凍食品のコーナーにだけ辛うじて食べ物が残っていた。とてもお腹が空いていたので、思い切って炒飯と唐揚げとの二種の冷凍食品を買った。
アパートに帰り着くと、電気が復旧していた。ガスと水道はまだだった。携帯電話をみると、回線のクラッシュが落ち着いたらしく、不在着信の通知とメールとがいっせいに届いていた。そのなかには原発事故による放射能汚染についてのチェーンメールがたくさん混じっていた。トイレが流れないし、うんこをしたくなったら困るから、その日は炒飯と唐揚げを平らげるとすぐに眠りに就いた。
翌日は大忙しだった。昨夜のやり取りで、こんな非常事態だからこそ束の間でも不安を忘れるための場所を、楽しみの場所を提供しようということになり、予定通りの決行がアナウンスされた。すでに必要最低限の電気の使用は不謹慎だとする風潮が世を賑わしていたが、そもそも決行は夜から朝にかけてのひとが寝ている時間だし、クラブはほぼ真っ暗なんだから電気は使わないだろ、というわけで決行の運びとなった。実際、唯一のミラーボールの光はコンセントからではなく電池式のペンライトを当てていたから、あとは機材と空調と冷蔵庫の電力だけでいいことになる。まったく強引なこじつけではあるが、これで倫理的な面はクリアということになった。
朝になって実家から帰ってきた恋人との感動の再開も束の間、昼過ぎには完全に運休している電車以外の交通機関を乗り継いで都内某所の雑居ビルの地下一階を目指した。夕方にはどうにか都内に辿り着き、水道の止まっていない友人宅で風呂に入り、うんこを思う存分に出して、パワプロの試合をしながら決行の時を待った。
さすがに平時ほどの大盛況とはならなかったが、こんなときでも楽しもうとする気合い入った連中、いわば少数精鋭が雑居ビルの地下一階に集結し、忘れがたい熱狂のひと晩となった。日付けをまたいでしばらく経った頃、はじめは行き渋っていた恋人が車持ちの大学の友人ほか数名をたきつけてやって来てくれたのにはさらに心が踊った。まったく愉快なひと晩だった。
さて、朝もとうに過ぎて、泥のように疲れ果てたし、そろそろ仕舞いになったところで、出入口のドアが開かない。もともとがオンボロの雑居ビルなうえに、酔っ払いが乱暴に開け閉めするから建て付けが悪くなっていたところに、地震と余震とウーハーの振動が上手い具合に重なったのか、二重扉の手前のドアがうんともすんとも言わなくなってしまった。みんなで大笑いしながらズッコケた。(昼過ぎになって、先に車で休んでいた恋人の友人が救出しにきてくれた。地震で外れた板が上手い具合にドアにつっかえていたらしかった)
まあ、しかし、震災は至るところに大きな爪痕を残した。自分の身に起こったことでいえば、震災の騒ぎがすこしずつ収縮し、日常生活が戻ってくると同時に復興の始まりだした時期にある変化が訪れた。周囲の友人知人がこぞって反原発をはじめとする政治運動に目覚めてしまったのだ。そのなかには賛同できる意見もあれば、そうでないものもあった。なので自分としては積極的に運動には参加せず、どちらともつかずな曖昧な態度を通すようにしていた。そうこうするうちに当初こそ「声を上げるべきだ」からはじまった運動が「声を上げないやつはダメだ」に変貌してきた。夜明けの飲み屋で運動への疑問点を呈して言い争いになることもしばしばだった。これまでニッチな趣味をともにする仲間と思っていたひとたちが急に窮屈に感じられた。しまいには声を上げないやつにレベルミュージックを聴く資格はないとまで言われてしまい、そこまで言うのならもうひとりで勝手に聴くわ���ということで放蕩と名誉ある日々をかなぐり捨て、かねてより誘いのあった定職に収まることとなった。かつての仲間との交流は徐々に少なくなり、いまではごく僅かなひとたちを除いてはすっかり疎遠となった。
それでも、あの夜の熱狂や、そのほかにも幾夜とあった熱狂の炎は、いまも胸のうちで燻って燃え続けている。
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iwatobinbin-blog · 7 years
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京都市近代建築めぐり No.17 【名称】京都大学 吉田寮食堂 【ジャンル】大学施設 【区分】なし 【施工】明治22年(1889年) 【構造】木造平屋建て 【様式】下見板張り 【所在地】京都市左京区吉田近衛町(京都大学構内) 【設計】山口半六・久留正道 【経歴】 旧第三高等学校の中学寄宿舎の食堂として利用 大正2年(1913年) 現在地に移築 昭和61年(1986年)食堂としての利用を停止 平成27年(2015年) 補修工事完了 【解説】 京都大学で最古の建造物である。旧第三高等学校の食堂として使用されてきた木造の平屋である。平成27年に念願の補修が実施され、真新しい状態になった。 大学最古と聞いてたから写真の建物が食堂だと認識できなかった。補修前はそれはそれは趣深いオンボロっぷりだったらしい。 長らく各種演劇・公演系のサークルが会場として使用、もとい魔界造しており文化の発信源でもあるが何が何だかよく分からない。 訪れた日もずっとカンカンしてた。
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grossherzigkeit · 5 years
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【暖かな冬】  もう2月も終わりであるから、これで「冬も終わり」といっていいのだろうけれども、今冬というのは私にとって大変衝撃的な季節であった。何と言って私は昨年の終わりごろから今に至るまで、暖房をまったく使用せずに過ごせたのである。  ちなみに私は昨年の夏に引っ越しをしたのであるが、だいたい10年ほども暮らしていた旧居というのはいわゆるオンボロ木造アパートで、毎年冬、それはもう寒いなどというもんではないレベルの寒さであった。隙間風は平気で吹き込むし、断熱などおよそ真面目に考えられていなかったのだろう世代の建築で、多少の暖房を入れても全然温まらない。だいたい冬とはいえ天気のいい日などは外に出た方が温かいくらいの、何か倒錯した住環境であった。しかも火事を怖がる大家の意向で石油ストーブが使用禁止となっており、それでエアコンの暖房を入れるのだけれども大変な電気代がかかる。また、ガスはこれまたオンボロ住宅特有といおうかプロパンガスで、どういう仕組みなのか冬場になると非常に温度設定を高くしないとまともにお湯が出ない。さらに断熱効果があまり考えられていないことは風呂場も同様なのか、湯を張ってもその場から水温が下がっていき、常に熱湯を注ぎながらでないとまともに風呂に入れない。そういうわけで毎冬の光熱費というのは、本当にバカにならないものがあったのだ。  しかしながら昨夏、前述のように私は引っ越しをしたのである。別に高級マンションに引っ越したわけでも何でもないけれども、いわゆるRC造の“近代的住宅”である。また旧居は最寄駅から降りて、バスに乗るか自転車でなければきつい立地にあったのだが、今度はいわゆる駅近である。まあ、グレードアップしたこと自体は間違いがない。  そして本当に驚いたのが断熱を考えたRC造のすごさというやつで、朝から昼間にかけて窓から差し込む陽光の熱が実にうまい具合に部屋に蓄積されていき、本当に暖房を使わなくても何も困らないのである。結局冬場中、暖房器具を何も使わずに過ぎたというのは前述の通りだ。また、風呂オケも何か新式のよく考えられたものなのだろう。全然お湯の温度が冷めない。だいたい一晩放っておいても、風呂オケにフタをしていれば、朝だってまだ入れそうなほどに温かい。しかも今度の住宅は都市ガスで、季節によらず出力が大変安定しているのである。  結果として今冬、私が支払う光熱費というのは半分近くまで下がった。非常に驚いている。  前述の通り私が今回引っ越した先は、まあ相対的に考えれば「いいところ」であり、いろいろな出費増も覚悟しながらの決断だったのだが、結果的にはこの光熱費一つとっても、何か生活コストは総合的に考えれば下がりそうな塩梅なのだ。無論、まだ住み始めて1年もたっていないから、この先どうなるか真実のところは分からないけれども。  ただ本当に感じたのは、この程度の住環境のグレードアップで劇的にカネがかからなくなるわけだから、本当の高級マンションになど住んでいる人の生活とは、どれほど効率的なのだろうかということである。まったく、「金持はカネのかからない生活ができるものなのだなあ」ということを深く感じたこの冬である。少なくとも「家賃の安いボロアパート」などというものは、その実結構カネがかかってくる。富める者はますます富み、富まざる者はますます窮する。ミもフタもない現実をあらためて感じさせられた、“暖かな冬”であった。
2019年2月27日 小川 寛大
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geegeegeegeek · 5 years
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【もしかして世界初?】外国人も大注目! 世界一怖いモノを売るアキバの怪奇自動販売機とは!? Byクーロン黒沢
時代に応じて変化を続ける秋葉原。そんななか、私が子供の頃からひとつだけ変わらない風景がある。アキバの象徴、万世橋のガード脇にそびえる「肉の万世・秋葉原本店」ビルだ。
しかし今回紹介するのはこの「万世」ではなく、道路を挟んだ角にある一軒のオンボロ小屋。実は3年前にも紹介した、アキバ通にはおなじみのパワースポット「怪奇自販機コーナー」である。
小さなボロボロの建物に、ぎっしり隙間なく密集した自販機の数々。常温カルピス、熊カレー、エスカルゴ、入浴剤……。脈略のないラインナップはアキバ通の間で有名だったが、このたび満を持して、想像を絶する電波ビンビンの新商品が仲間入り。これはヤバいぞ!ジャジャーン!
・怪文書が貼りつけられた謎の白い箱
最初は気付かなかった。「おや?」と違和感を感じたのは、ココナツミルクの横に平然と陳列された不思議な白い箱。
近寄って目を細めると、蟻のような文字で何やらびっしり…
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yabunirami · 7 years
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【blog】演歌の息の根
いや、ふと気になって検索したんだけどさ。そしたら、もう、単なる偶然かもしれないけど、見事に符合してるわ、と。 これではわけがわからなすぎるので説明します。 以前、世間に一切違和感なく浸透したという意味で、最後にヒットした演歌は「氷雨」ではないか、と書きました。 その時も書いたけど、「氷雨」は半分リバイバルヒットに近く、1977年発売のレコードの再発売盤(実は再々発売盤だったらしい)が1983年にヒットしたものです。 アタシはずっと、1982年、1983年辺りに、演歌衰退の原因がある、と睨んでいたのですが、もしかしてそういうことなのか?と気づいて検索したら、案の定東北新幹線の開業が1982年だった。 鉄道好きの方ならおわかりでしょうが、1982年、といえばたしかに東北新幹線は開業しましたが、大宮〜盛岡の区間だけで、まだ東京(上野)とは直通ではありませんでした。 しかしそれは関係ない。それよりも「あの、東北に、新幹線が走り出した」というのは、十分演歌殺しの理由になるんじゃないかとね。 演歌の歌詞の世界、といえば「北」です。何故か北。そして日本海側。南でも東でも西でもなく、北なのです。 たしかに北海道を題材にした演歌もあるんだけど、北海道まで行くと「開拓」とか「雄大な大地」のイメージが強くなるせいか、一気に松山千春的世界になるっつーか、イマイチ演歌の舞台としては相応しくない。 やっぱり演歌といえば本州の北の最果て、んで日本海側限定となれば、山形、秋田、青森あたりがメインってことになります。 具体的に、秋田のどこそこ、みたいな場所の指定はいらないんです。しかし人々が演歌を聴いて思い起こすのは、荒波、しんしんと降り積もる雪、そしてどこか、今でいえばスピリチャルな雰囲気のあるひと気のない街、あたりが浮かぶと思うし、PVやBSで深夜にやってる「音楽のある風景」って番組(ま、通販番組だけど)で使われる映像も、やっぱり、そうした場所でロケーションされています。 東北、という場所は、今から40年以上前までは、たぶん今よりはるかに「スピリチャルな」イメージがあったんじゃないか。たとえば恐山とかね。 東北出身者はそうじゃないかもしれないけど、東京や大阪といった大都市で生まれ育った人にとっては、怖くてとても近寄れない、しかし人生をすべて投げうって旅立つなら、それはもう、東北しかない、みたいな特殊な場所だったような気がする。 それが文明の利器である新幹線なんてもんが東北にも通っちゃった。あ、この際東北新幹線が太平洋側か日本海側かは問題ではありせん。とにかく「東北」という地域に新幹線が通ったことが重要なんです。 それまでも在来線は当然あったけど、でも一両や二両の車両のオンボロ列車が走る光景と、技術の粋を集めて作ったような、鼻の長い如何にも速そうな新幹線が走るのとでは、何というか「ポップさ」がぜんぜん違う。 コートを着込んで、如何にも寒そうな車内のオンボロ列車に揺られながら最果ての地にたどり着くイメージだったのが、暖房ぬくぬくでラフな感じで行けそうな「ポップな東北」になってしまった。 これ、演歌にとって大打撃にならないわけがないと思うのですよ。一気に世界観がガラガラと崩れてしまったんだから。 アタシからみるに、1986年発売の「雪国」のヒットは、ある種のパロディの要素も含んでいると思う。 歌ったのが(つか作ったのが)吉幾三ってのもミソで、コミックソング的な楽曲でヒットを飛ばしていた吉幾三が歌うことで、自然とパロディのニュアンスが入った。 こうなると演歌はモデルチェンジを図らざるを得ない。1986年発売の石川さゆり「天城越え」は伊豆、1991年の坂本冬美「火の国の女」は熊本、と東北からの舞台替えを試みているのも「東北のイメージの変化」抜きには考えられないでしょう。(←この辺の話はツッコミどころ満載ですがね。「雪国」より前の「奥飛騨慕情」とか「長良川艶歌」はどうなんだ、と言われたら何も言い返せない) ここで留意しなければならないのは「都会だけを舞台にした演歌の存在」です。都会の、ちょっと寂れた飲み屋街を舞台にした演歌は昔から相当数あり、それこそさっき挙げた「氷雨」も都会の飲み屋街が舞台の演歌です。 本当はね、東北とは関係ない世界観をもったそれらの楽曲は、東北のイメージがいくら変わろうと関係ないはずなんです。なのに見事に巻き添えを食らった。いや、もしかしたら都会が舞台の演歌と東北が舞台の演歌は一対で、どちらが欠けても成立しないものだったのかもしれません。 現在。つまり東北新幹線開業から35年、東北のイメージはさらに変わった。 もはや最果ての地のイメージは限りなく薄れ、地震だの津波だのといったネガティブなものから、東北楽天ゴールデンイーグルスが日本一になったり、岩手を舞台にした朝ドラ「あまちゃん」がヒットしたりもした。 しかし、どっちにしろ、ネガティブ要素であろうがポジティブ要素であろうが、もう東北にたいして「未知なる」とか「スピリチャルな」みたいなイメージは完全になくなったといってもいいと思います。もちろん恐山は今もあるけど、それは恐山だけの話であって、けして東北のイメージを支配するものではなくなったのもたしかです。 ま、今にして思えば、新幹線が開通しようがしなかろうが、最終的に東北は演歌の舞台に似つかわしくない場所になったとは、思う。もちろん演歌の舞台という世界観を守るため、東北を一切弄らないってのもおかしな話だし。 しかしさ、そう考えると、演歌って一種の信仰なんだなって思う。和のスピリチャルな世界観なしに成立しないって意味でね。
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