Tumgik
sinityoko · 5 years
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20191017am9:50
この世に生を受けた瞬間に自分の寿命がわかる未来があれば良いなと思った。私は35歳だけれどあなたは96歳なのね、大往生じゃん、まじウケる。自殺の寿命でもあったら面白い。寿命はわかっても、死因はあえて伏せておくとかね。もしかしたら35歳はガンで死んで、96歳は自殺かもしれない。死はいつだって、突然だから、そうやってあらかじめわかっていたら多分それ相応の生き方ができると思うの。18で死ぬとしたら高校やめちゃうかも、わたし。死ぬのは本望だし、必ず、絶対にやってくるものだからその瞬間を待つしかできないんだけれど、痛いのは嫌だなあ。一瞬で死にたい。楽に最期を迎えたい。みんなそうだよね、痛いのは嫌だ。眠るように死ねたらいいな。
つらさに理由がないという事実を健常者に伝えるのがとても難しい。そもそも私たちの感情は何か要因があって左右されるものだから。例えばうれしいという感情が出たとき、それはイラストを褒められたり、好きなひとにかわいいって云われたりしたから「うれしい」が出てくるものだよね。だから「つらい」にもなにかしらの要因があるんだと思う。でもないんだよね、いくら理由を探しても。高校の時はよくテスト前にテストが嫌すぎて死にて~ってみんなと云い合っていたけれど、それはテストが要因の「死にたい」であり理由がちゃんとあるんだよな。「希死念慮」って言葉があるけれど、この状態になると本当に脳が死ぬ方法ばかり満たされてこの世に生きているのが苦痛で仕方がなくなるんだ。健常者にはわからないだろうねって突き放したような云い方になってしまうかもしれないけれど、想像してもらうしかない。そしてその想像の150倍つらいって思ってくれたらいいとおもう。同じようにこころの病気を持っている友人と話しててつらいに理由があればこんな悩んでないよなって云ったことがあるけれど、まさにこれ。どんな時、タイミングで希死念慮がやってきますかって訊かれても、わたしが知りたいわボケって感じ。理由もタイミングも急に来て生活に支障が出るから「障害」なんです、そこだけはわかってほしい。
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sinityoko · 5 years
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20190918am10:18
自分が気に入った仕事じゃないのなら3年無駄にしないでさっさと新しい職を探せば良いように、自分が気に入っている世界じゃないのならさっさと死ねばいいんだとおもう。自分が。周りの環境はそうそう変わらないよ、残念ながらね。自分がいくら努力しようが、変えられないのはあるのです。ほんとうに残念です。たぶん私の場合、一人暮らしして親と距離を置けばもしかしたら楽になれるかもしれないけれど、そんなの机上の空論で、全くっていっても良いくらい、現実味のない方法なんだよなあ。死にたいね。
なんでわたしが親の八つ当たりサンドバッグにならないといけないんだろう、わたしなにも悪いことしていないはずなのに。いや、わたしが何をしていてもしなくても、八つ当たりはやってくる。これがとてもきついんだ、精神がゴリゴリ削られて、どうして? なんで? ってなる。わたしのこのモヤモヤは、どうすれば解消できるの? わからずに今もずっと、こころに蓄積されていく。たぶん、ゲージが溢れたらわたし、きっと死んでしまうかもしれない。死なない努力は毎日しているけれどね。
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sinityoko · 5 years
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20190828pm4:17
理由のないつらさが説明できれば、今私はここにいない。
しょっちゅう訊かれるんだ、「どうしたら楽になれる?」って。こっちが聴きたい。理由のないつらさ、苦しさが自分をむしばんで、自分が自分じゃなくなるような、離人感のような感覚。この身体を動かしているのは、本当にわたしなのだろうか。とか、いろいろ考えてしまう。しかもそれ全部がしんどい。予想以上に。精神が死んでしまうんじゃないかってくらい。狂ってしまった方が楽かもしれない。中途半端につらいから中途半端に生きてしまうのかな。自傷行為、母が死んだらたぶんまたやってしまうと思う。怒られちゃうね。でもそうしないと自分が帰ってこないんだ、つらいんだ、逃げたいんだ。弱いねって責めてほしい。本当のことだから。
人生のすべてが1つの劇なんじゃないかって思うときがある。Aさんが「○○」といったら、わたしは少しだけ微笑んで、「ええ、そうね」ってうなずく。とか。台本が将来どうなるかは私自身も知らないし、知りたくない。夢は画家です。何年かかろうが、絶対かなえるつもり。だから今は下積み時代だとおもって頑張っているから応援よろしくね。
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sinityoko · 5 years
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探偵さんかな、どうだろうな。
#illustration #Illust #イラスト
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sinityoko · 5 years
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20190826pm4:21
煽り運転って、今に始まったことではないとは思うけれど、これだけニュースにとりあげられるようになったのは、やっぱりSNSのチカラなんだと思う。みんながみんな「何かあった時のため」にドライブレコーダーを付けて、煽り運転だったり事故のときに証拠として残せる。良いツールだと思う。思いっきり車のナンバー見えるから警察にも被害届出しやすそうだよね。
外国でその言葉を知らない(と思っている)店員さんがジャップだからって、堂々と悪口を云っている、というツイートを見かけて、人間の矮小さに呆れかえった。現地の言葉で「聞こえていますよ^^」みたいに云えればかっこいいだろうなあ。とにかく人間は自分より下(だと思い込んでいる)に攻撃したくなるタイプが多すぎる。楽しいだろうね、そのひとをけなして自分はこいつより上なんだぞと意気込んでいるのが。器が小さすぎて笑ってしまう。
わたしは定期的にお絵かき配信をしているんだけれど、荒らしがやってくるときがあるんだよね。「小学生みたいな絵で金とろうとするな」とか、「わたしは買いたくないかな^^;」とか、「頑張っているようには見えない、ま、伸びしろがなければ仕方ない」とかさんざんに云われるけれど、そんなこと云うやつらなんて1人か2人なんだから、そのひとの言動でいちいち気分の変動をすること自体がもったいないと思ってしまう性分なので、適当にあしらうし、常連さんも「ケチつけるならなんで見ているのw」みたいな感じで守ってくれるし、ひどいときだと運営さんに通報してくれるから5分くらいでBANされるんだよね。本当にありがたい。
ひとを困らせるのが快感だと履き違えている人間が一定数いるから、いつまでたっても平和がやってこないんだと、わたしはそう思っている。
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sinityoko · 5 years
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20190825pm4:08
「すごい」は一度きり、「楽しい」のは何度でも。
これ、結構すごい言葉だと思う。ディズニーで同じアトラクションに乗るのと同じ感覚っていうのかな。楽しいから何度でも乗っちゃう。そりゃあ初めてはドキドキするよね、どんなアトラクションなのだろう、スリル満点なのかな、ゆったり系なのかな、いろいろ考えて、乗った時に感動するの。楽しいよね。
人間は楽しいものに目がないというか、興味津々な生き物なのだと思う。今はタピオカがものすごくブームだし、インスタ映えをネタにしてくるお店も増えた。客のニーズに応えやすい世界になっていると思う。それを良いと思うひともいれば、そう思わないひともいるってこと。最近じゃマスコミ自体SNSの流行に敏感になっている気がして、今世間を風靡しているのはこれ! ってよく特集ひらいているけれど、その時点で既に廃れていたり。まだまだだなあって思う。
べつにそれでどうとは思わないけれど。
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sinityoko · 5 years
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20190814am10:51
健常者のふりって、実はめちゃくちゃ簡単なんですよ。お話の時に笑ったり、明るくしているだけで、精神持っているな、なんて思うひと、いないんじゃないかな。それで「きみは精神病もってないよ」なんて無責任なこと云うやつにはグーパンチしたくなる、寝言は寝て云おうね?
精神になにかしら持っているひとの恐怖のひとつで、「いつ動けなくなるかわからない」って云うのがあると思う。これだけ好きな絵が描けない、音楽もただのノイズだと感じてしまう、いすに座っている気力がない、とか。今は病状が安定というか、低空飛行だけれど安定しているというか。だから死にたいと思う暇がないんだと思う。それがいつ死にたいが出てくるかわからないから、怖くて仕方がない。怖いの、自分の好きが病気の自分に殺されてしまうのが。
わたしはよく「本来のわたし」と「病気のわたし」を区別して認識しようとしているけれど、やっぱりダメな時は本当にダメで、病気のわたしが勝ってしまう。安定しているって思ったけれど毎日毎食頓服飲んでいるから、やっぱり薬だよりになってしまう。脳が狂っているからしょうがないんだけれどね。わたしの病気はわたしが思っている以上にひどい状況らしい。まあ薬も最高量飲まされているからなあ。ちょっと前に医者に「今通っている患者で心配ランキング3位以内に入っているからね、おねがいだから電車で事故とかやめてね」って云われたときは、ああわたし結構健常者のふりうまいんだ��あって思った。でも医者はそのふりを見透かしたようにグサッと云ってくるし、体調悪いけれどニコニコしてても「今つらいでしょ」って云ってくるから、よく見ているなってすごく信頼している。別に誰にも彼にも「大丈夫?」だなんて云ってほしいからこれを書いているわけではなくて、健常者のふりがうまい精神もちの方はそこかしこにいるってこと。ニコニコしていても、知らず知らずにこころの中で泣いている事だけは覚えていてほしい。
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sinityoko · 5 years
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20190801pm5:17
きみが死んでも地球は公転も自転もやめないし、世界は何事もなく動くよ。
「きみ」を知っているひとたちだけが、世界が止まるのだと思う。だから、わたしより先に死ぬのはだめだよ。
止まった世界を動き出すには時間が必要です、時間しか塗る薬はないんじゃないかな、あんなに哀しかったのに、10分泣いていたらけろっとごはんを食べるし、また思い出してまた泣いたりして、のループループ。そのうち「このやろう死にやがって」って思えたら、たぶん世界は動き出す。死に出会ったひとだけが世界の時間が止まるって、なんだか損をした気分になる。動き出したいのにね。いつまでも死は時間を止める魔力みたいなものがあると思う。あんなに温厚だった父が祖母を亡くした時、わたしに見えないように泣いていたのがなんだかこちらまで哀しくなって、死よりも生き残ったわたしたちがつらいと思ってしまって泣きそうになっていた。死ぬってどんな感じなのか、それはわからないし、たぶん死ぬまでわからないとは思うけれど、永遠のテーマって感じがする。世の中はもっと、自分の最期を決められる世界であるべきだと思うんだ。べつに老人死ねって云っているわけじゃなくてさ。ただ「もう生きたね、頑張ったね、おつかれさま、おやすみなさい。」って云われながら薬を飲んで眠るように死ねたら、どれだけ美しいことだろう。明日を呪いながら寝て、明日なんて来なくていいから二度と目を開けることがありませんようにと毎日呪いながらいたあの頃を思い出す。もう何もかもが受け付けられなかった。生きている自分も、許せなかった。今はあんまり思わなくはなったけれど。罪悪感がひどかったんだろうなあ。どんな罪だよって云われても、「生きている事」って感じ。生きるのは罪、死ぬのは罰、みたいな、そんなつらい世界で今日もわたしは生きているんだなって思うと、少し気持ちが悪い気がした。死ぬまでわたしはきっとそれを抱き続けるのだと思う。
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sinityoko · 5 years
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20190729pm17:00
最近の曲に疎いのです。好きなアーティストでさえ、新曲を追っていない。なんでだろう。高校生の時にニコ動を知ってボカロを知って、ボカラン(テレビで云うミュージックアワーのボカロ版みたいな)を聴きまくって、今週のアツイ曲はこれ! っていろんな曲と出逢ったのに、いつの間にかしなくなって、最近のボカロとか洋楽邦楽、わからなくなっちゃった。たまにニュースで新曲出ました、って云われてから「ああ新しい曲でたんだな」ってYouTubeで検索して聴いて、刺さったり刺さらなかったりを繰り返している気がする。昔は曲調というかメロディー重視だったけれど、最近は歌詞が好き、っていう風にシフトしてきたような。「人間という仕事をクビになってどれくらいだ」とか、「言葉を杭に打ち付けて見せびらかすのは悪い趣味だ」とか、「ディスったやつの家にバラの花を送るの」(うろ覚え)とか、ちかちかと輝いたような言葉がそこにある。
わたしはキレイな言葉が大好物で、小説でも詩でも歌詞でも、素敵なフレーズを見たり聴いたりすると、おなかが満たされた感覚になる。何度も反芻して、こころにじっくりそれを染みわたらせながら、満ち足りた気分になったりする。
今はミックス曲とか聴いて、ああこの繋ぎうまいな、とか思いながら絵を描いたり、している。
わたしは曲を聴いていないと行動ができないタイプらしい。好きな絵を描くときも、詩集を読むときも、友人と通話しているときも、通勤とか移動中のときとかも。何かアクションを起こすときは決まって音楽を聴いてからスタートしているってことに、なんとなくこれを書いているときに気づいたんだ。わたしと音楽、絵は切っても切れないくらい密接につながっている。本当はゲームもそのうちのひとつだったのだけれど、なぜかどこかで消えてしまった。楽しいのにね、ゲーム。なんとなくやる気が起きないんだよなあ。昔は親に怒られるくらいやっていたのにね。
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sinityoko · 5 years
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20190728pm9:34
自傷がやめられません。といっても、リスカとかアムカではないのでそこまで心配しなくてもいいと思う。肌が弱いのでちょっと掻き毟るだけでじわっと血が出たりとか、苦しい時に脚めがけて殴ったりとか、唇の皮むしってしまうとか、全然かわいい方の自傷だなって感じる。
つらい時に痛みがないとつらいのです、こころが痛かったら身体も痛いと思わないと気が済まないというか。めんどくさい思考だと思う。アザができていたいと思った時、こころもきっと痛がってる、それの反対なわけだから筋は通っているのでは? ってなってしまう訳です。
ひと、というか生物は生きている以上、死にたくないから痛覚があるのだと思う。でもなんでわざわざ自分から痛いことを、突き詰めて云えば死のうとするのだろう。自殺をする生き物は人間だけじゃないみたいだね、死にたかった時にたまたま検索したら出てきたりした。わたしたち人間はつらいから死のうってなるけれど、ほかの生物はどう生きて何を感じたら自殺に至るのだろう。会話ができないから、きっと一生わかり合えない。
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sinityoko · 5 years
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20190727pm18:39
バーゲンに行きました、友人と。原宿ラフォーレに。入る前からすでにセールが始まっていて、熱気がすごかった。女の子同士の戦争みたいな、どれだけ良いものを、どれだけみつけられるか、みんな必死になっててわたしも負けじと色んなところを回った。7割引きって凄く良い響きですよね、もちろん服も良かったので買ったのだけれど、定価で1万越えしているのが庶民のわたしの手にとれるって、実はとても凄いことなのではって思っちゃう。本当にそんな価格で大丈夫? 潰れない? って、こっちが心配してしまう。やっぱり服を買うならバーゲンだね、すごく得した気分になれるし、ウキウキしちゃう。
はやいのはわかっているけれど、冬のバーゲンもあるみたいだからまた行きたいなって、思いました。
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sinityoko · 5 years
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20190726pm17:00
こころが苦しいときの対処法を、だれか教えてほしい。希死念慮もそう。薬が効くのを待つしかないのかな、でも頓服はあんまり効きません、哀しいね。仕事柄、毎週1回面談を設けられているのだけれど、「あなたがつらくなったときはどうすれば和らぎますか?」とたまに訊かれるのだけれど、これが苦痛でしょうがない。「知っていたら苦労しない!」というか、健常者とそうじゃないひとの差ってこういうところから出てしまうのかな。一生わかり合えないのは淋しすぎる。とにかくこの質問が苦手で、なんとなく音楽を聴くと落ち着きますかねっていつも嘘を吐く。だってわたしが云うまでその時間は流れるのだもの。不毛だなって思う。砂漠の砂を一粒とって、砂漠を手に入れたぞって云われた気分になる。わたしの嘘で解決法を見つけたって満足している、みたいな。
あなたは障害者に見えないっていうことを、いろんなひとから云われてきたから、わかり合えないんだなってしょんぼりしてわかってもらおうとも思わなくなってしまった。ツイッターで自分の病名書いておくと、不思議と同じように悩んでいる方とつながります。やっぱりひとによってこれができないけれど、これはできる、みたいなものが多くて病名のくくりでひとを判断するのは危険だと思う。本当にいろんなひとがいるんです、精神病のわたしたちは。めんどくさいでしょう、ごめんね。
苦しいときに苦しいって云える環境がほしいです。わたしの家では母が家族の空気の主導権を握っているので、機嫌が悪いと、絶対に云ってはいけないって本能が云っているのです。苦しいときだけでもいいから、52ヘルツの鯨のように、だれにも気づかれない、だれにもきこえないような、そんな泣き方がしたい。いつになったら楽になれるのかって、極論は死ぬってことなんだよね。なにも考えなくていい、って思うのは生きている間の束の間の妄想で、死んでもふわふわと現世にとどまり続けて悶々と考えてしまうのかな、それは嫌だなあ。死んだあとがわからないから、人間はずっと妄想している。それが正しいのかはわからないけれど、それで死の恐怖が薄れるなら、それはそれでいい気がする。
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sinityoko · 5 years
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20190726pm00:24
「同じ空気を吸いたくない」という悪口あるけれど、無理な話だよね、マジレスすると。突き詰めたことを云うと、そんなに嫌いな人間だって呼吸するでしょ? その呼吸のなかに水蒸気が混じっていて、それが上に上に昇って行って、雲の一部になって雨になって降り注ぎ、浄水場で水をきれいにしてわたし達の水道管を通っていく。
水を飲むことはいろんなひとの呼吸を飲むようなものです。ああ、そういうと飲み水が怖くなってくる! でも、これは事実だから受け入れるしかない。嫌いな人間なんてさっさとわすれるのが正解だと思う。そもそも嫌いになる理由ってなんだろうか。最初は似た趣味、似た感性で仲良くなるはずなのに。たぶん、「○○さんはこんなひと」像を勝手に作り出してしまうのだと思う。それでその像と本人が違う部分を見たときに、「こんなひとだとは思わなかった!」ってなるの。すごく失礼な話ですね、本人は本人なのに。でも付き合いが長くなるほど、そういうギャップを感じることが少なくなるから、ある意味すぐにギャップを感じたらそっと離れるのが得策だと思う。そのひとの思考が過激だったりすると近寄ろうとも思わないよね、そういうこと。「嫌い」を未然に防ぐ方法って、あるのかな。わたしはまだ見つけられていない。ぺたぺたと粘土みたいなものでそのひとを形つくる際に、「こんな面もあるぞ」と肉付けをしていく。そうやってできた本人像が崩れてしまうときにきっと、ひとはだれかを嫌いになるのだと思う。
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sinityoko · 5 years
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20190726am7:59
夢を見ないんです、わたし。将来のほうじゃないよ、寝るときに見るほう。この前「年上のひとをみると、自分との年齢差の部分で何をしていたのか、さっぱり見えない。真っ暗。暗転。なにも見えない。」っていったけれど、寝るときもそんな感じ。夢を見ないから、睡眠というより気絶に近い感じがする、するだけだから気絶ではないと思うけれど。ひとは寝ているときに情報処理をして、眠りが浅いときに夢を見る、らしいから、深い睡眠なのかなって思うけれど、思うだけ。睡眠効率がとても悪い。小学校三年生みたいな生活リズムにしているのに、なんでまだ眠いって思ってしまうのだろう? 土日に限って、いつも起きる6時に目が醒めるのが納得いかない。なんか、悔しいんだよね。よく寝た、って思ったらまだ8時だった、とか。仕事のストレスだよ、毎日緊張しているんだよって医者にいわれたけれど、仕事のストレスなんて感じたことないし、緊張もしていない。仕事中眠い時は眠いし。って思っているのはうわべだけのわたしで、もっと掘り下げたら「いやストレスあるから!」って云われてしまうかも。仕事のストレスというより、家から出る、絵が好きな時に描けない、のストレスウェイトが大半だなってちょっと思考が出てきた。
10年後画家として生きていけたらいいな。
応援のほどよろしくね。
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sinityoko · 5 years
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20190725pm16:51
未来が全く見えません。当たり前なんだけれど。年上のひとをみると、自分との年齢差の部分で何をしていたのか、さっぱり見えない。真っ暗。暗転。なにも見えない。よく生きてこれたなって、とても感じます。親とか私の倍以上生きているのに、その間の歴史が想像つかないのです。真っ暗。わたしも誰かが見たら真っ暗な中を生きているのかな。そのひとが今までどんな出逢い、経験、をしてきたのかで人間性は変わるよね。いや変わらないか。全く同じ現象にであったとしても、個体差が出てくるし。そうやって考えると、経験プラス自分の性格が加味されているのかなあ。人生は選択の連続だと思う。もはやゲームだよね。起きますか? はい/いいえ 朝食を食べますか? はい/少し/いいえ もう目が覚めたらロードのきかないゲームのはじまりはじまり、ちゃんちゃん。ゲーム感覚で生きると良いって心理学者が云っていたような。わたしは新卒で入社したけれど、同僚は前職がある方で、右もわからないわたしに丁寧に教えてくれて、5月からメール担当していたのだけれど、最近は「完璧です!」って褒められて、レベルアップの音がした、気がする。経験値ってとても大切だよね。単純に考えて人生の質を上げるものだと思う。ここをこうすれば危険を回避できるとか、こうした方が楽に進めるとか、経験がなかったらまずできる芸当ではないわけで。年をとるのは簡単だけれど、その年相応な経験値がないとただ恥をかくんだよね。下手をすると信頼度も、落ちる。孤立していく。うわべだけの関係になってしまう。そんなの嫌だ。人生の経験値をどうつけていくかは、やっぱり人生の先輩である年上の行動を見ているのが最適解かもしれない。何を見て、何をきいて、こう感じて、そういう思考になる。みたいなプロセスを知っていくと、生きやすくなるのかも。難しいけれど、世間知らずで「知りませんでした」って恥をかくよりかはよっぽどマシだから、いろいろと視野を広げてみるしかないんだよね。人生って苦労の連続です。あと何年生きれば人生のタイムカードを切れるんだろうとか、ふと考えてしまう。
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sinityoko · 5 years
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20190725pm14:50
口内炎はひとを殺してくるタイプの、タチの悪い奴だと思う。三大欲求の食欲をなくしていくるんだもん。そりゃ殺しにかかってくるよ。人間って、生きているうちに何回風邪をひくのだろう。なんとか5年くらいはインフルエンザになってないから、毎年シーズンになるとビクビクしな��ら予防接種をうっている。いたいよね、あれ、すごくいたい。でも高熱出した時の絶望感がなくなるかも、って考えたら一瞬だからね、我慢していいと思う。
精神薬って風邪にならないような成分がはいってるんじゃないかってくらい、飲み始めてから風邪をひいたことがないの、不思議。友人は逆に身体が弱くなったって嘆いていたけれど。ひとそれぞれなのかなあ。でも身体はすこぶる元気のくせに、精神が死んでいるアンバランスなところはとてもしんどいです。学生時代、それで休んだ時の罪悪感は凄まじかった。そのときは母親も友人も医者も「気にすることないよ、しょうがないよ」って励ましてくれていたけれど、今もその当時も、「甘えるな」ってわたしを傷つけてほしかった。非難してほしかった。だって、自分がそう思っていたから。休みますメールを打って、少し寝て少し回復した時、ずっと「甘えだ、お前が弱いからだ」といった思考が巡りに巡って気が狂いそうだった。私が会社を休んだ時、母親も変わらず「生きてくれてるなら給料引かれても安いもんだ」って励ましてくれたけれど、本当は「そんなことで休んでたらこの先が思いやられるよ」ってどこかで云われている気がして、こころがチクチクうずいていた。こういう被害妄想も病状の1つといえば1つなので、決して「わたし」が思っているわけじゃなくて、「病気のわたし」が思っているんだよね。線引きがとても、難しい。死にたいと願うのも、「病気のわたし」なんだ。同一視してしまうくらい差が見つからないの、自分のことなのにね。
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sinityoko · 5 years
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20190725pm0:00
恋は下心、愛は真心っていう言葉を聞いたことあるひと多いんじゃないかな。
なんだか合っているような、逆なような、いやでも合っているのかな、とか、思いを巡らせてしまう。手をつなぎたいのは下心なのですか。「膀胱炎になってもいいから隣にいたい」って表現をどこかで見た気がする。それも、下心で終わってしまうのですかね?
片想い中って、妄想のオンパレードな気がする。ここに一緒に行きたい、手をつなぎたい、とにかく隣にいたい、一緒に面白いものをみて笑い合いたい。でも恋が実ってもそれって変わらずにそこにあると思う。恋が愛に変わる瞬間なんてなくて、比率で変わっていくようなもの。ゆったりと横に時間軸があって、恋ゲージが下がって愛ゲージが上がっていく、みたいな。時間が進むにつれてできることが増えていくんだと思う。ほんの少しだったけれど、手をつないだ時はすごくドキドキしたし。これから一緒に歩く時もつなぎたいな、でもまだ気恥ずかしいや。名前もロクに呼べてないし。羞恥心が勝ってしまうのです。まだまだ時間はあるから、ゆっくり、ね。急いだらいけないとおもう、こういうのは。ゆっくりいきましょうね。大事なことなので2回云いました。
無から恋になる道のりも、だんだん楽しくなっていくところだよね。最初は話してて楽しいなあとか漠然と考えていたのに、いつの間にかその人のことばかり考えちゃう、SNSも見ちゃう。ああ、恋だ! って気づく瞬間よりもきっと、ずっと前から恋をしている。
わたしの好きなルミネの広告のキャッチコピーで「試着室で思い出したら本気の恋だと思う」っていうのがあって、まさにこれ! って感じになる。わたしもそんなくすぐられるような言葉を紡いでいきたい。
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