Tumgik
salu-paradise · 5 years
Text
私はあなたが見えるけど、決してあなたに追いつくことができない 〜映画『東京の恋人』撮影雑記〜
Tumblr media
2019年6月中旬の6日間で映画『東京の恋人』の撮影は行われた。クランク・イン前の梅雨入りの報もあり、心配だった天候だったが、一滴も雨は降らなかった。キャメラマンの金碩柱に「お前、持ってるな」と言われた。彼に褒められたのはそれだけかもしれない。苦笑いした。
映画制作というのはどこか麻薬的なところがあって…というのは北野武監督の弁なのだが、集団作業であるから集団で麻薬中毒に陥っているようなところが多かれ少なかれおそらくこの組にもあって、それに起因するのか皆が健全な(病的な)エネルギーを持って映画を終わらせに掛かっているように私には見えた。皆が皆、揃いも揃って終わらせる為に其処に居た。
ご存知の通り、川上奈々美はAV女優である。その傍ら、女優として一般映画、ピンク映画、Vシネマ、ストリップなどにも出演し、所属するアイドルグループ・恵比寿マスカッツではバラエティに出演したり、ライブで歌って踊ったりしている。表現のレンジの広いエンターテイナーと言えるだろう。そんな彼女もまた「映画」というものに何かしら特別な感情があるようだと初めて会ったときから感じた。
Tumblr media
最近、若い映画監督と話す機会が増えて、別段排他的になっているわけではないのだが、「映画」というもののイメージがあまりに巨大で分裂しすぎているように思えてならない。各々が思う「映画」というハコに入室したとして、AとBはお互い「映画」の間にいるつもりだが、AとBは実は別の間に入室しているというような、そういった根本的な差異が映画を作る者通しの間でも、深くて暗い川として鎮座している気がしてならない。私の頭が古く腐ってきているだけならいいが…。
そういった意味では川上奈々美は私とは異なる「映画」の間の住人に思えた。私たちは互いに言葉を多く交わしたかもしれないが、ある種の対岸である意識は互いに持ち続けていたのではないか。私の性格的な問題で対岸に歩み寄る努力を怠ったきらいはあるのだが、そこを悠々と行き来できる人物が森岡龍だった。軽やかで、少年のようで、その実、堅実でシビアな大人としてのまなざしを持っていた。映画監督としての顔も持つ森岡氏の視点や言及に何度となく助けられたように思う。
準備段階で幾度となく言葉のMMA(Mixed Martial Arts=総合格闘技)が行われ、私は例えるなら往年のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラのようなファイティングスタイルに変貌していった。もちろん冗談。一度絡み付いたら離さない。殴られ続けても腕を取りにいく、三角締めを狙いにいく…。冷静さだけが自分を保たせているように思えた。同時に初恋のようなタナトスも伴う十代の危うさも増大していった。そういった心が残っていたことが不思議で可笑しかった。クランクアップ後に川上奈々美に「まだ心があったんだと思った。ありがとう」と連絡したら「心がなきゃ映画は撮れないでしょ」と言われた。ただ心は、魂は、確実に摩耗していってしまうことも私たちはよく知っていたはずだ。繊細さを取り繕うには年を取りすぎていた。
Tumblr media
映画学校に通っていた頃、課題で作った映画で登場人物の男に「女は海っていうじゃないですか。大海にはかないませんよ」という科白を言わせたことがある。今考えると顔から火が出そうだが、一方で的を得ていたなとも思える。私の周りにはバンドマン、映画人、絵描き、物書きなど何人かそういった知人・友人が居る。彼らのなかにはずっと子どものような人もいるし、ちゃんとした常識的な大人もいる。ずっと幼稚なマインドを持ち続けることを否定はしないが、『東京の恋人』主役の元恋人同士である立夫と満里奈は二人とも年相応にちゃんと大人の階段を昇り、フェーズを変えていくタイプの人間であると思う(私もそうありたいと思うのだが未熟な点があまりに多い)。ステイヤングでなく、ちゃんとピリオドを打って、ネクストに行くことができる人間。立派な大人風情を装った男にとって、一番怖いのは大海原のような女である。そこで溺れることが男のマゾヒズムなのか、ナルシシズムなのか。ともかく自分がかなわないと思う女を追いかけて疲弊するという物語は古今東西凡百にある。女は奔放であっても割合、どっしり構えている。良くも悪くもね。
Times goes by, it's a-passing fast You think true love-a has come at last
But bye and bye you're gonna find Crazy love-a has-a made you blind
BUDDY HOLLY"Love's Made Me A Fool Of You"
youtube
この映画を作ったことが、やがて悲しくならないように。浜辺で若い二人が交わした言葉が永遠でありますように。太陽に溶ける海のように、私は絶えず蒔かれた種について思考を巡らせなければならない。悲しいことを楽しく歌うのがブルーズであるならば、この映画もそういった性格を持っていると思われる。だからこの散漫な文もお終い。
2019.8.6 Atsuro Shimoyashiro
photo by みてぃふぉ twitter@hoshibicri
『東京の恋人』は2019年11月MOOSIC LAB2019にて上映
みなさまのご来場お待ちしております
1 note · View note
salu-paradise · 5 years
Text
『東京の恋人』お返事〜その後の武蔵達〜
https://camp-fire.jp/projects/view/140886#menu
上記のCAMPFIREにてクラウドファンディングスタートしました。
そこで俳優陣、音楽の東京60WATTSからコメントをいただきましたが、そのおまけで監督の私から��コメント返しをしましたので掲載いたします。
ご支援の参考(?)になってくれれば。できることはなんでもやらないとね。
森岡龍さんへ
森岡さんは僕が以前音楽やったいまおかしんじ監督の『ろんぐ・ぐっどばい』という探偵映画で初めてお会いした。お名前は存じていたけれど、出ている映画はそれほどみていなかった。調べたら同学年にあたることがわかった(森岡さんは早生まれなので1988年生まれ)。自分で監督も何本か撮られている。それから出演作を何本か見てたぶんいま書いているホンの主役やれそうな人だなと思ったけれど、有名だし、この前CM出てたし、ああ、NHKで又吉さん脚本のドラマでも主演していた、無理だろうな、オファーを断られる可能性高い、とダメもとでオファーしたらなんと引き受けてくれた。今回出演してくださる睡蓮みどりさんもキャメラのソッチュくんも同い年で、そういう人たちと一緒に映画を作れるのは非常に楽しみだ。中上健次の小説のあとがきで「同時代性の時限爆弾」というのが確かあったのだけど、森岡さんがオファー受けてくれた瞬間からタイムボムの導火線に火は着いた。爆弾は基本的には爆発するものです。
川上奈々美さんへ
川上さんを初めて認識したのは笠井爾示さんの『東京の恋人』という写真集で。サバービアな感じとドライともウェットともいえる女性たちの生々しさがかっこよかった。その後、同じ笠井さん撮影で川上さんの単独写真集『となりの川上さん』が出て、より魅力的な人だなと感じた。OPの映画祭がテアトル新宿でやっていて川上さん主演の竹洞哲也監督『つないだ手をはなして』を見に行った。とても良かったけど俺ならこういう川上奈々美にするなーとか監督っぽい視点で思ったりもした。今回の企画が通ってSPOTTEDの直井さん伝いに一番最初にオファーした。新宿の喫茶店で「私NGないんで!なんでもやります!」と言われたとき、その状況にクラクラした。俺の映画に川上奈々美が出てくれるのか!また後日、ゴールデン街に飲みに行き、ほろ酔いでカウンターで寝てしまった彼女の線の細い肢体を眺めながら、確かに「ジャコメッティの青銅の彫像のように美しい」のかもな、と思ったりした。今回の映画は川上奈々美の代表作になってほしい。川上奈々美の為ならなんだってやる。
‪木村知貴‬さんへ
木村さんは泥酔が似合う。だから声を掛けました。この映画の中では一番主演食っちゃうかもしれない役どころだし、一番コンプライアンスきわきわ。酒とロックンロール、たくさん今まで傷ついたから人には優しくしないとと、今夜も愚直に酒をあおる。騒いで呑んでいるうちにこんなに早く時は過ぎるのか。
吉岡睦雄さんへ
吉岡さんのことは出会う前から一方的にスクリーンで見ていて、その後知り合ったけど今でもずっと銀幕のスターだと思っている。前の中編が入選したTAMA NEW WAVEという映画祭の打ち上げで吉岡さんは気さくに話しかけてくれて、「下社くん、今度いまおかさんの映画の音楽やるよね?よろしくね」と言われ、「吉岡睦雄が俺のこと認識している!」と烈しく動揺したことを覚えている。吉岡さんは音楽で例えたらアンプ直フルテンで歪みまくっていてトレブル高めのギターみたいな、見ている者を高揚させ正常でいられなくなるような芝居をされる方でいつも全力。映画音楽では何本かご一緒させてもらったけど監督作に出てもらえるのは初めてでとても嬉しい。いつまでもデビュー作の気持ちを持ち続けている吉岡睦雄さんは僕にとってずっと憧れの人だと思います。
西山真来さんへ
西山さんも一方的にスクリーンで見てきた。坂本礼監督『乃梨子の場合』、『夢の女』、堀禎一監督『夏の娘たち ひめごと』、木村文洋監督『へばの』など、どれもクールなイメージの役が多かったけど、実際に西山さんに会うと高学歴で頭の切れる方なのに雰囲気はとろーんとしている。そういう役も今後やってほしい。あとずっと言おうと思っていたけれど、野本かりあさんにちょっと似ている。新生国映映画の女王がでてくれるぞー、やったぜ。
睡蓮みどりさんへ
みどりちゃんはずいぶん前だけど平波亘監督が演出した舞台『LIGHTS』を見に行って知った。辻凪子が出演していて誘ってもらいたまたま行ったのだった。今回のホンを書く中でなんとなく合うだろうなと思っていたのでオファーして、新宿で会った。お互い大滝詠一が好きで、同い年で、すぐ意気投合した。文筆家としても活躍しているクレバーな彼女だけど、本当に好きなことを話すみどりちゃんはすごく可憐で無邪気だ。僕の前撮った映画も好きになってくれて、ある時LINEで「ずっと映画続けてね。ヤメたら殺す!」とおそらく酔って送ってきて、面白い人だなと思った。ずっと続けるよ。
窪瀬環さんへ
窪瀬さんは辻凪子に紹介してもらった。京都造形ニューウェーヴ群。おじさんにとっちゃ怖いよ。しょっぱなから「私、レナード・コーエン好きです!」と来るから、ちょっと構えてしまった。でも「たまちゃん」って感じがする。呼んだことないけれど。音楽ありきの映画を作る上で音楽の趣味いい役者さんやスタッフが一番怖いんで現場ではずっとすっとぼけるから。やっぱりユルそうな人のパンチが一番効くと思う。マーク・ハントとかさ。
辻凪子さんへ
辻凪子とは映画美学校の同期が撮った彼女の主演映画の上映宣伝を手伝っているとき初めて会った。そのときはたぶんまだ彼女は十代でおぼこかった(三重弁かな)。大阪からサマンサタバサのキャリーケース持って渋谷に早朝来た辻凪子を、写真家の豊嶋希沙さんがポスター用に写真を撮っている現場で、僕は特に何もせず立ち会った。暇なので持ってきたカメラで僕もメイキングっぽく撮影しているふたりを撮影していたらあどけなかった辻凪子の表情が一瞬キリッと大人っぽく変わった瞬間に出会った。それは僕のカメラにもちゃんと写っていて、今考えると本格的な大人の女優としての萌芽の瞬間だったのかもしれない。その後、舞台に映画に、自分で監督・主演した映画もゆうばりでグランプリ獲ったりしてずっと大活躍だけど、オファーしたら快諾してくれて本当に嬉しかった。LINEあんまり返ってこないけどいいやつ。
東京60WATTSのみなさんへ
高校一年生の冬だと思うから2004年のことだと思う。ダイノジのラジオで東京60WATTSのみなさんがゲストで来られていて「外は寒いから」が流れたとき大きく感銘を受けた。今その理由を解説するといろんな要因があると思うけど、長くなるからそれはどこかで話すとして、一番に影響受けたのは当時高校生だったからその歌詞に漂う大学生の奔放なライフスタイルのような大人びたムードで、僕の青春のアンセムになった(蛇足だけれど犬童一心監督『ジョゼと虎と魚たち』もほぼ同様の理由で影響を受けた)。冗談抜きでレディオヘッドの「Creep」よりMGMTの「KIDS」よりも遥かに名曲でしょう?その後、大学生になって思うようにいかないこともたくさんあったんだけど、今から考えるとその歌詞を無意識になぞるような生活をしていた。「長い髪の毛を振り乱して僕の歌を歌う」きみも、「缶ビール飲み尽くして酔っ払い顔」のきみも、「コンドーム膨らませて風船のようにもてあそぶ」きみも、たぶん僕は実際に体験したんだと思う。そういう経験が今回の『東京の恋人』の脚本を作ったと考えると、構想15年くらいということになる。とんでもない時間。いつくか中編や短編は作ったけど、今回初めて長編映画を撮れることになった。劇中に東京60WATTSの音楽が流れ、エンドロールに「外は寒いから」が流れる。こんな幸せな監督いるだろうか。えらいことになった。いまでも信じられない。大変だ、僕のヘンテコな映画が世の中に出てしまいそうだ。テレビでやっているやつより、youtubeでやっているやつより、きっとずっと良いよ。
文責:下社敦郎
0 notes
salu-paradise · 5 years
Text
『ヴォワイヤンの庭』についての雑記
Tumblr media
高校三年のころ、一応進学校だった私の学校でクラスのみんなが受験勉強や推薦入試のためのあれこれに忙しくやっている、一番大事な夏に私はまだバンドをやっていた。高校一年の春休みくらいから始めた同級生とのバンドは受験勉強のため、フェードアウトしていったのだが私はひとり熱を抑えることができず、地元の伊勢市駅近辺にあった服屋の方の紹介で当時25歳くらいの大人の人がリーダーのバンドでギターを弾くようになった。ドラムの方が名古屋方面からわざわざ仕事終わりに車飛ばしてスタジオまで来ていたのを悪く思い、たまに私も休日には三重県北部の鈴鹿市のスタジオまで出向き4時間くらいぶっ通しで練習したのを覚えている。ジャンルはパンク・ハードコアで細分化したジャンルをいうとトラディショナルとかクラストコアといったジャンルだった。代表的なバンドを挙げるとSEDITIONやAMEBIXになると思う。そのリーダーの方の趣味に沿う形で私も加入したので、あまりそのへんは聴いていなかったけれどギターアレンジ等その系統に従うようにした。ただその夏のお盆まっただ中だったと思うが、私はそのバンドを脱退してしまった。単純に音楽的な趣味と自分の今の生活や進学等の今後のことを考えてもう乗っかれないということをメールで送ったら、リーダーから大激怒の電話をもらい、脱退というかクビになったのだった。その方との時間は短かったけど現在でもよく覚えているし、無意識に軸になっていると思う。例えば生活のための仕事よりも趣味に血を吐くほど力を入れるということや、商売っけのなさというかアンチコマーシャリズムな考え方はハードコアから来ていると言える。その脱退は十代の私には結構キツいもので、女の子と別れたりしたことより全然尾を引く事になった。高校卒業後、逃げるように県外に出た。
月日は流れて13年も経ったのだが私は相変わらず上達しないギターを使って音楽を作ったりしていて、ただ変わったのは東京に住んでいる。当時から見て想定していなかったのは自主映画を監督したことで、しかしそれも2つの映画祭とイベント上映しただけで見た人の記憶からはほとんど忘れられているだろう。上京や大人になって大きく覚醒し環境を一変させてきた先人から見ると私の人生はそれほど大きくは変わらなかったと思う。それが癪だとか、悔しいから這い上がらなければいけないという自意識というものも過去にはあったのかもしれないけれど、今は欠落している。
この春先ごろ主に母親が昔撮っていたホームビデオをDVDにすることをやっていた。18本のVHS-CテープをVHS型のアダプタを使用し、ビデオデッキからアナログアウトでA/Dコンバータに繋ぐ。それをFire Wireを経由してFCP7でキャプチャし、適当に砂嵐などは摘んでチャプタ付けしてCompressorに送りエンコードしてDVD Studio proでオートスタートのDVDを作る、というのが大まかな流れだ。単純ではあるけれど結構面倒くさい行程だった。もちろん尺もあるし。
その映像を漫然と見ていておそらく漠然と故郷や家族に目を向ける契機となり、それが『ヴォワイヤンの庭』の萌芽のひとつとなった。やっとこの映画の話。もうひとつは今住んでいる街でよく行く居酒屋で会う常連のEさん、Rさん、そして店主のMさんの影響だろう。Eさんはバイクが趣味で、ある日一緒に呑んでいたところ「昔、バイクで愛知県の知多半島からフェリーに乗り、鳥羽で降りて南下し南伊勢町の知り合いの家に泊まった」という話をし出した。南伊勢町は私の地元でEさんにそのことを伝えていなかったので驚いた。何より秘境的な土地だと思っていた南伊勢町から出て外で住んでいる私にとって考えていた地元というのは幻のような透明で空洞のイメージで、勝手に他所の人間には不可視の町であると思っていたからかもしれない。お酒も手伝ってその日は深い時間まで盛り上がった。そして別日同店にてバンドマンのRさんとハードコアの話をしていた。そしたらば三重在住のバンドなど共通の知人も多いことがわかり、私が高校時代在籍していたバンドのことも知っていた。東京のこんな小さな(失礼)酒場でそういう人に出会えることはとても奇妙な事だと思った。それを踏まえて18才から25年間一人のメンバーチェンジもなくバンドを続けている店主のMさんにも感謝したい。
そんなきっかけもあり、今年は例年より仕事のお盆休みが多くとれそうだったので友人のKくんから動画も撮れる一眼レフを借りて帰省した。一応、音もある程度使えるものにした方がいいという考えも働いたのでポータブルのレコーダやマイクも持っていく事にした。何故か夏に帰省する際にいつもパブロフの犬的に移動する電車のなか、中上健次かアルチュール・ランボーのことを考えるとなしに考える(ここ重要)癖が昔からあるのだが、今年はランボーだった。『ヴォワイヤンの庭』の「ヴォワイヤン」とはランボーからの引用である。フランス語で直訳すると「見者」となる。はたして見る者とは。ランボーのいう意味合いでは人間を超越した人間のことで、小林秀雄訳では「千里眼」と訳されていたと思う。要するにそういう人のことであるが、帰る電車でヴォワイヤン=映画ではないか、などと考えた。ヴォワイヤンというのは私が訳するなら空がすべて見えている人のことである。1891年に骨肉腫に襲われ右足を切断し亡くなったランボーは当然1896年に上映されたリュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』を見ていない。映画というのは人間の視点を超越した視点で映像を見せていく。それは撮影や編集によってもたらされるのものであり、それ自体は現在誰もが当たり前の前提で映画を見ているだろうし、それを作る人間は別段魔法使いでもない。しかし映画という媒体が持つ「空がすべて見えている」性格はほかの何にも代え難い引力がある。箱庭のような四角い長方形のスクリーンに投射された光と影を、人々はあたかも自分のことのように見つめ続ける、というのはもっともヴォワイヤン的な体験といえるだろう。タイトルについては概ねこういう理由から名付けられた。この映画では祖母が庭で洗濯物をしたり、花を弄ったりする光景が見られるがそれに対してヴォワイヤン=祖母というのは仮定であり、それが真か偽かはあまり問題とは思わない。映画、言い換えるならヴォワイヤンの庭、というだけで、タイトルが「絵」という絵と似たようなものだと思う。
〜ではないかという疑念からカメラを廻し始め、編集をした映画制作は試みとしてとても楽しいものだった。いくつか映画祭で掛けてもらえることもとても光栄に思っている。一人でも多くの人に見ていただきたい。それが全く意味のない事でも。
現在長編の企画を練っている。昔付き合っていた男女が久しぶりに再会し、少し車で遠出して海へ行きラブホテルへ行き酒場、バッティングセンターへ行って朝別れるだけの話だ。制作費が多少はかかりそうなのでクラウドファンディングなどを初めてするかもしれないが、この東京に熱くて無責任な風を期待して私の映画に出資してくれるイカレポンチが一人や二人いるだろうか。��るといいけど。
2018.11.7 shimo
0 notes
salu-paradise · 6 years
Text
「猿仕掛けパラダイスの明け暮れ vol.1」開催
SALU-PARADISE presents 「猿仕掛けパラダイスの明け暮れ vol.1」 
・上映 『WALK IN THE ROOM』下社敦郎監督 49分 (TAMA NEW WAVE、カナザワ映画祭入選作) 
『eclipse』鈴木知史監督 55分 (初上映) 
・トーク 下社+鈴木+ゲストあるかも?? 
・その後、DJタイム、ご歓談
会場:SUBSTORE
〒166-0002 東京都 杉並区 高円寺北 3-1-12 宮應北ビル 2階 http://www.substore.jimdo.com 
日時:12/16(土) 開場18:30 上映開始19:00 
料金:前売1000円 当日1300円 +ワンドリンク
タイムスケジュール
18:30 開場
19:00 〜19:49『WALK IN THE ROOM』上映
20:00〜20:55『eclipse』上映
21:00〜21:20 下社×鈴木トーク
21:30〜23:00 DJタイム(DJ下社)、懇親会
Tumblr media
0 notes
salu-paradise · 7 years
Video
0 notes
salu-paradise · 7 years
Text
日本映画ベスト100
山中貞雄『人情紙風船』('37) マキノ雅弘『次郎長三国志』シリーズ('52-54,'63-65) 小津安二郎『東京物語』('53) 本多猪四郎『ゴジラ』('54) 溝口健二『赤線地帯』('56) 川島雄三『幕末太陽傳』('57) 増村保造『最高殊勲夫人』('59) 中川信夫『地獄』('60) 三隅研次『座頭市物語』('62) 古澤憲吾『ニッポン無責任時代』('62) 松本俊夫『石の詩』('63) 武智鉄二『日本の夜 女・女・女物語』('63) 須川栄三『君も出世ができる』('64) 大島渚『日本春歌考』('67) 成瀬巳喜男『乱れ雲』('67) 大和屋竺『荒野のダッチワイフ』('67) 加藤泰『みな殺しの霊歌』('68) 東陽一『やさしいにっぽん人』('70) 勝新太郎『顔役』('71) 藤田敏八『八月の濡れた砂』('71) 内藤誠『夜のならず者』('72) 加藤彰『愛に濡れたわたし』('73) 石井輝男『やさぐれ姐御伝 総括リンチ』('73) 原一男『極私的エロス 恋歌1974』('74) あがた森魚『僕は天使ぢゃないよ』('74) 関本郁夫『札幌・横浜・名古屋・雄琴・博多 トルコ渡り鳥』('75) 牧口雄二『玉割り人ゆき』('75) 佐藤純彌『新幹線大爆破』('75) 長谷川和彦『青春の殺人者』('76) 田中登『安藤昇のわが逃走とSEXの記録』('76) 神代辰巳『赫い髪の女』('79) 曽根中生『天使のはらわた 赤い教室』('79) 鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』('80) 黒澤明『影武者』('80) 工藤栄一『ヨコハマBJブルース』('81) 根岸吉太郎『探偵物語』('83) 浦山桐郎『暗室』('83) 池田敏春『人魚伝説』('84) 柳町光男『火まつり』('85) 森崎東『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』('85) 崔洋一『友よ、静かに瞑れ』('85) 山川直人『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』('86) 鈴木則文『塀の中のプレイ・ボール』('87) 和田誠『快盗ルビィ』('88) 沖島勲『出張』('89) 大林宣彦『北京的西瓜』('89) 北野武『3-4x10月』('90) 相米慎二『東京上空いらっしゃいませ』('90) 須田裕美子/芝山努『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』('92) 深作欣二『いつかギラギラする日』('92) 佐野和宏『Don’t Let it Bring You Down』('93) 石井聰亙『水の中の八月』('95) 若松孝二『エンドレス・ワルツ』('95) 青山真治『Helpless』('96) 市川準『トキワ荘の青春』('96) 岩井俊二『PiCNiC』('96) 井土紀州『百年の絶唱』('97) 荒井晴彦『身も心も』('97) 中田秀夫『リング』('98) 塩田明彦『月光の囁き』('99) 中江裕司『ナビィの恋』('99) 佐藤真『SELF AND OTHERS』('01) 橋口亮輔『ハッシュ!』('01) 三池崇史『殺し屋1』('01) 豊田利晃『青い春』('02) 塚本晋也『六月の蛇』('02) 山口雄大『地獄甲子園』('02) 犬童一心『ジョゼと虎と魚たち』('03) 黒沢清『アカルイミライ』('03) 荒戸源次郎『赤目四十八瀧心中未遂』('03) 田口トモロヲ『アイデン&ティティ』('03) 七里圭『のんきな姉さん』('04) 行定勲『きょうのできごと a day on the planet』('04) 藤原章『ラッパー慕情』('04) 石井克人『茶の味』('04) 萩生田宏治『帰郷』('04) 西川美和『ゆれる』('06) 廣木隆一『やわらかい生活』('06) 矢崎仁司『ストロベリーショートケイクス』('06) 横浜聡子『ジャーマン+雨』('06) 三木聡『転々』('07) 石井隆『人が人を愛することのどうしようもなさ』('07) 冨永昌敬『コンナオトナノオンナノコ』('07) 万田邦敏『接吻』('08) 坪田義史『美代子阿佐ヶ谷気分』('09) 松江哲明『ライブテープ』('09) 白石晃士『オカルト』('09) 吉田恵輔『さんかく』('10) いまおかしんじ『UNDERWATER LOVE 女の河童』('11) 大根仁『モテキ』('11) 富田克也『サウダーヂ』('11) 大工原正樹『姉ちゃん、ホトホトさまの蠱を使う』('11) タナダユキ『ふがいない僕は空を見た』('12) 吉田大八『桐島、部活やめるってよ』('12) 井口奈己『ニシノユキヒコの恋と冒険』('14) 前田弘二『わたしのハワイの歩き方』('14) 坂本礼『乃梨子の場合』('15) 是枝裕和『海街Diary』('15) 山下敦弘『オーバー・フェンス』('16) 真利子哲也『ディストラクション・ベイビーズ』('16)
text by Atsuro Shimoyashiro(SALU-PARADISE)
1 note · View note
salu-paradise · 7 years
Text
弊社第1回製作作品 上映のお知らせ
Tumblr media
弊社第1回製作作品『WALK IN THE ROOM』(監督:下社敦郎)が、第26回映画祭 TAMA CINEMA FORUM 内の若手作家コンペティション、第17回 TAMA NEW WAVE で上映されます。『WALK IN THE ROOM』は、11/26(土)14:30より、多摩市のヴィータホール(京王線「聖蹟桜ヶ丘駅」(西口)から徒歩2分。ヴィータ・コミューネ8階)での上映です。
本作は、応募作品114作品のなかから1次審査、2次審査の結果、選出された5作品のうちのひとつです。弊社代表下社が二年近くをかけて完成させた作品です。弊社メンバー、その他、多くの仲間たちが参加しております。皆様、お時間ありましたら、ぜひご覧ください。
詳細は以下の第26回映画祭 TAMA CINEMA FORUM のホームページからご確認ください。
http://www.tamaeiga.org/2016/newwave/
(専務 鈴木)
0 notes
salu-paradise · 8 years
Text
活動情報 2016/09
映画B学校というサイトにて弊社鈴木が『シン・ゴジラ』座談会に参加しております。
その1
http://eiga-b-gakkou.blog.jp/archives/65572443.html
その2
http://eiga-b-gakkou.blog.jp/archives/65572899.html
0 notes
salu-paradise · 8 years
Text
My Walls
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
0 notes
salu-paradise · 8 years
Text
2015年日本公開の新作映画と旧作映画について (鈴木史)
2015年は例年に比べてまったく映画を見られない一年だった。そのため新作のベストは辞退したいと思う。映画を見られなかったのは、病を患い、長期にわたる療養を強いられたためだ。また、病状が良くなったあとも、薬の副作用で映画を見る際の感覚に変調をきたし、以前のように良し悪しを判断できているのかが若干心許ない。
そんなわけで今年は新作のベストを決める代わりに、初見旧作で印象的だったものをあげたいと思う。
ただ、新作について一言。2015年もっとも印象的だった映画はクリント・イーストウッド『アメリカン・スナイパー』だということと(この作品については以前長めのレビューを書いたのでそちらを参照されたい。)、もうひとつ忘れられない作品として、三宅唱『THE COCKPIT』があり、病状があまり良くないときに見たにもかかわらず、胸が熱くなった、ということだけはここに記しておく。
さて、初見旧作のベスト。
内田吐夢『恋や恋なすな恋』(1/20 神保町シアターにて)
浄瑠璃の『蘆屋道満大内鏡』をもとにした作品。歌舞伎版をもとにしたケレン味あふれる演出に度肝を抜かれた。発狂した安倍保名がキャメラ目線になるショットには戦慄するものがある。
イエジー・スコリモフスキ『ムーンライティング』(1/24 早稲田松竹にて)
イギリスへ不法入国したポーランド人たちが小さなアパートの一室に内なるポーランドを建設しようとする切ない映画。テレビ受像機の中の妻とのやりとりも良いが、濡れたベンチに指で妻の名を書いたあと、一瞬挿入される霧の中を行く自転車が転倒するショットが頭から離れない。
石田民三『花ちりぬ』(2/9 ラピュタ阿佐ヶ谷にて)
映画を見なれてくると惰性で次にくるショットがある程度予測できるようになるものだが、この映画はその予想がことごとく裏切られる。にもかかわらず、そのカット割りには奇をてらった醜さがまったくなく、心地よい裏切りのリズム。
岡本喜八『月給泥棒』(2/17 シネマヴェーラ渋谷にて)
社長シリーズなどの東宝サラリーマンものの系譜に属する作品だが、鈴木英夫の『その場所に女ありて』などと並び、ある種の過剰さ、苛烈さを孕んでいる。同時代の他社作品にもその傾向はあるが、特に東宝娯楽映画は後戸に戦後日本の政治・経済体制の影を意識的にか、はたまた無意識的にか強く映し出してしまっている。
しかしそんなことはともかく、司葉子が、あまりにも、あまりにも、あまりにも、美しい。
エ���ワード・ドミトリク『��ナイパー』(4/5 映画24区STUDIOにて)
女たちを次々殺していく孤独な男の生態が淡々と描かれる。狙撃シーンが趣向を凝らされていて、恐ろしい。そして切ないラスト。
ロベール・ブレッソン『やさしい女』(4/9 新宿武蔵野館にて)
傑作。この映画を語ることなどできない。ドアが開く。テーブルが倒れる。風が吹いている。スカーフが落ちていく……。ドミニク・サンダの上目づかいの視線。
千葉泰樹『みれん』(5/10 フィルムセンターにて)
とてもよかったはずのだが、病状がかなり悪いときに見たので、見直したい作品。
小川紳介『牧野物語・峠』(6/9 アテネフランセにて)
上に同じ。
マルグリット・デュラス『ガンジスの女』(7/3 アンスティチュ・フランセにて)
上に同じ。
ルイス・ブニュエル『この庭に死す』(10/23 シネマヴェーラ渋谷にて)
蟻の大群。燃えるパリの写真。墜落した旅客機。絶望的なジャングルでドレスを着て、宝石を身につける女。あまりにもブニュエル的な一作。
鈴木英夫『魔子恐るべし』(11/27 神保町シアターにて)
『魔子恐るべし』恐るべし……。この映画は一体何だったのか……。いまだに整理のつかない一作。ラストにも唖然とさせられた。スタンバーグの『アナタハン』がデビュー作の根岸明美が主演。彼女には、どこか捨てがたい魅力がある。
森谷司郎『首』(12/7 シネマヴェーラ渋谷にて)
見紛う事なき「首」の映画。人間の首が物語に重要な役割を果たす事はもちろんながら、映画の全編にわたり映し出されるのはスタンダードサイズの画面いっぱいの小林桂樹の首、首、首!!
金綺泳(キム・ギヨン)『陽山道』(12/9 フィルムセンターにて)
主人公の青年へ注がれる母親のグロテスクなまでの愛。登場人物たちは誰もがこれでもかというほどに憤っている。これが韓国的な恨(ハン)の世界なのだろうか。暴風雨の中、突如闇を切り裂く稲妻の凄まじさよ。
Text by Fumi Suzuki (SALU-paradise)
1 note · View note
salu-paradise · 8 years
Text
2015年映画ベスト10、下社敦郎の場合。
①風間志織『チョコリエッタ』
②ギャヴィン・オコナー 『ウォーリアー』
③橋口亮輔『恋人たち』
④クリント・イーストウッド『アメリカン・スナイパー』
⑤坂本礼『乃梨子の場合』
⑥ビル・ポーラッド『ラブ&マーシー』
⑦冨永昌敬『ローリング』
⑧スチュアート・マードッグ『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』
⑨アナ・リリ・アミリプール『ザ・ヴァンパイア 残酷な牙を持つ少女』
⑩マノエル・ド・オリヴェイラ『アンジェリカの微笑み』
次点:前田真人『テラスハウス クロージング・ドア』、土井裕泰『ビリギャル』、是枝裕和『海街 Diary』、ジャン・リュック・ゴダール『さらば、愛の言葉よ』
特別枠:小津安二郎『晩春 デジタル修復版』
ネガティヴな言葉で始めるのはどうかと思うが、このリストを見ると暗い一年だったと感じる。私が、ではなく世間がである。天皇も戦争のことを考え続けた一年とお話しされていたのであながち私だけの思い違いではないのだろう。逆説的だがとにかく面白かった10本を選んだわけではなく2015年という年のことを考えてこうなった。かつて細野晴臣や小坂忠が在籍したエイプリル・フールの曲に「暗い日曜日」という曲があるが、その言葉が内包する空気に現在、共時性を感じるのは、1969年も2015年もキナ臭い時代だったということであろうか。私はいつこの国を捨てるのだろうと思う。大滝詠一は3.11後に「何も話す気になれない」と発言されていたが、その言葉の重みは年々かさむばかりだ。
①は初見で「俺の映画だ」と思った。思わずレビューを書いてしまったので詳細はそちらで。②はペイパーヴューで格闘技見ていた世代はより楽しめると思います。③、私以外の方もきっと褒めていると思うので多くは語りませんが、2015年のリアルな心優しき都市生活者の映画。④、不穏なラストカットが忘れられません。奥さんの単独ショット、ラストカットではなかったかもしれない。⑤、離婚した元夫の川瀬陽太が職場の同僚につられて郷の言葉に戻ってしまったというなんとも嘘くさいディティールが素晴らしい。海辺の長回しも良かった。坂本礼監督は私が日本で今、3、4番目に劇伴やってみたい監督です。⑥、唯一2回見た映画かな。レコーディング風景が最高。オープニングから持っていかれる。正しいジョン・キューザック映画。⑦、柳英里紗さんがいいね。ハマリ役。正しい「しくじるなよ、ルーディ」映画。⑧、これまった正しいガーリー映画の誕生だなーと。⑨、昨年の『アンダー・ザ・スキン』枠。リンチやジャームッシュの匂いがプンプンする。イランのサラ・ドライバー?器用貧乏感は否めないけど、そのへんはポルトガルのミゲル・ゴメスあたりと通じる点。⑩は今年亡くなったからです。以下略。
2015年はいつの間にか過ぎてしまい、なんだがあれもこれもやれなかった気がする。ポツネンの方を読んでくださった方にはわかると思うが、今年はとみに映画というものに関心が薄れていって…相変わらず音楽が好きだなー、助けられていると感じることが多かった。映画制作との接点は知り合いのインディーズ映画に音楽を提供する、くらいで(とても有難いですが)。とはいってもゆっくり部屋でレコードを聴くことができた日なんて数えるほどしかなかったのかもしれない。このまえ近所の古本屋にふらっと立ち寄ったら高田渡の「銭がなけりゃ」が流れていて「来年は勝負なんだよォ」という節に強烈にシビレてしまい(以前から知っている曲なのに)、2016年、特になんの目標もないけれど勝負の年にしようと思った。久保田麻琴の「ルイジアナ・ママ」がつめたい部屋に流れ出した。あ、とても心地良い。薄く青白い光が差してきてまた一年が始まる。2016年もよろしくお願いいたします。
Text by Atsuro Shimoyashiro(SALU-paradise)
0 notes
salu-paradise · 8 years
Text
2015年、追想  text by 赤松直明
Tumblr media
 俄かに仕事が忙しくなり、読みかけの本を年を越さないようにあわてて読み、見逃していた映画のために名画座を巡り、溜め込んでいたものを無理矢理に消化し始めるのが毎年この時期特有のわたしの現象で、いいかげん少々食傷気味だ。映画や本の序列などつけてみようかなどと思い、やはり面倒になって挫折し、それでも何かやらねばと、頭が働かないのでとりあえず身体を動かして掃除に取り掛かり、散乱した本や、なぜそこにあるのか不明の畳の上に転がったボールペンなどを片付け、台所周りを掃除し始めると、普段目にもつかない至るところに埃が溜まっているのに気づく。台所の細々としたタイルの上に必死にこべりついた埃を見ると、逞しさすら覚えるが、容赦なく発見次第、拭き取る。些事は過去へ捨ててゆく。身の回りや考え方を整理整頓、新陳代謝、ゴミは捨てる。だが、ようやく掃除し終わったと思ったその日のうちに、誇らしく自分の仕事を点検して回ると、わたしの努力なぞあざ笑うかのように、堂々と埃が舞い戻ってきていて、ちょっとした諦念が横切る。
 
 それにしても年の暮れは、皆妙に活気づき、時間が急に濃縮したようにあわただしくなる。誰かと酒を共にする機会も増え、あわただしく飲むせいか、酒量も増える。 せっかくの薄い色した冬晴れの休日も、生憎の二日酔いで、孤独な苦痛に耐えられず街へと出かける。電車のなか、吐き出したくなるものを脂汗をかいて耐える。繁華街や駅のホームに撒き散らされた吐瀉物は、孤独に耐えきれなかった者の影に違いない。その姿のない影を見つけると思わず目を背けたくなるのも、孤独が苦痛なのではなく、苦痛が孤独で、そう考えると無様に撒き散らされた汚物も少しは微笑ましく、余計に痛切だと一人合点する。あれこそ孤独の正体なのだと、苦痛に俯きながら思う。ゆえにわたしは現在、孤独だ。この苦しみをわかってもらうことなど出来ないのだから。見ず知らずの誰もの孤独も、同じように醜くすえた匂いがする。通りゆく人々は、その苦痛を知ってかしらずか、それを観ると身を避け、目を背ける。よくある光景だ。 そういえばアレクセイ・ゲルマンの遺作も臓物ぶちまけの、プンプン臭ってくる作品で、今年一番記憶に残っているものの一つだ。ゲルマンは映画の完成を見ずに、とうに亡くなっていた。わたしのなかで居ないようで居た人は、実際には、居たようで居ない人になっていた。 あの『神々のたそがれ』の世界では嘔吐など隠すまでもないもので、いまこそあそこへ飛び込みたい、と思う。なにせ、インフラもろくすっぽ整わない、雪解けでぐちゃぐちゃになった大地に、有象無象がひしめき、その有象無象のなかで、馬がひり出した糞を手で受け、それを人様に向かって投げつける失礼な野郎が主役なのだ。衛生観念もなにもあったものじゃない。まったく馬糞(まぐそ)臭い映画だ。それにしても、その馬糞臭い生き物は美しく、とりわけ、その中でもサラブレッドは突出していて、勝つことを至上命題に、生まれ、研磨し、選び抜かれた存在だ。薄い皮膚からはち切れんばかりの筋肉、極限まで細められた脚、殺気立った闘争心に雄大な馬体が上気し、発汗でテラテラと光っている、このただ早く走るための生物は、そんな機能美の極致を誇りながら、パカパカとなんとなく間が抜けた音を立てて歩いている。 その貴族的な気高き生物が、だらしなく開いた口から涎を滴り落とし、公衆の面前で平気な顔して糞を垂れ流す様子に、吐き気を立派に耐えたわたしは惨めな気さえする。気品を前に羞恥はあまりに無力で、そのすべてが美に染まり、ひょっとしたら苦痛など微塵も感じさせない優雅な吐瀉は美しいのかもしれない、と考えながら、それにしても、なんて華やかで芳しい品評会なのかと、パドックでぼんやりと立ち、そんなことを思う。
 競馬場にいるとコートに身を包んで街行く人々の上品な佇まいとは別なものが散見する。なにもかもが違うと感じる。パドックとレース場に挟まれた混み合った室内は大勢の人々が充満していて、鬱陶しい。霧散した財産への嘆きや、外の身を切る寒さと行き届いた空調の寒暖差のせいで、なんとなくどんよりとした空気が立ち込めているような気がし、喜びよりは、苛立ちの通奏低音が辺りを満たしている。 床には馬券やマークシート、新聞が散乱し、設置してあるベンチはとうに満席で、通路の端には持参のチェアに腰掛ける者や、シートや敷物代わりに新聞を敷いて座る人々も多く、家族や友人同士で弁当を食べ、笑いあっている者の様子はまるで極上のリゾート地にでもいるようだ。予想紙に真剣な面持ちで挑みマーキングしている者や、至るところにあるモニターに向かって絶叫している男たち、負けたことを笑うしかない者同士のうわずった会話、片隅では老人二人が世間話をし、通路の中央では、負けが込んでるせいか、それともアルコールのせいか、血走った目をしてだらしなく口を開いた、溶けかかった表情の男は、自分がそこに存在していることすら忘れたような顔で、いや、顔というより、その存在は目に凝集され、その眼差しは虚無を見つめ、文字通りリビングデッドのように歩んでいる。この雑然とした通路を景色として眺める週末休みは、さぞ愉快だろう。 わたしは人の群れを縫って、ターフヴィジョンへ向かう。すし詰め状態で、もみくちゃになりながらレースを観戦する。あまりに人が多くて、芝生なぞ見えるわけもなく、気づけばどんより曇っている空しか見えない。それでも必死に人の頭、頭、頭、の隙間から見える巨大モニターを見つめると、そのモニターには人に感応するように馬が首を激しく上下させ、たてがみが揺らしている姿が映っている。熱狂が少し恐ろしい。ファンファーレ。異様な熱気がさらに怒張する。靴ひもが解けているのに今更気付くも、とても結べない。ブレッソンの『スリ』の冒頭は確か競馬場だったな、とふと頭をよぎる。混乱と興奮の渦を味わう。 辺りに漂う異様な緊張感と叫びに、ゲートの開く音など聞こえず、気付くとすでにレースが始まっていて、自身が少し間抜けに感じる。老齢のスターホースはいつものごとく最後方にいた。そうだ、私は彼のラストランにこそ駆けつけたのだった。そして歳を重ね、すっかり白くなった馬体がラスト1000メートルから捲るロングスパート。一気に先行勢へ襲いかかる勢い。今日一番の地鳴りのような大歓声。最強馬の見事な復活劇、そして華々しい引退……、といったドラマの予感も虚しく、往年の力がないのか、展開不向きか、捲りきれず、歓声、怒号、悲鳴が入り混じる。そしてわたしのささやかな夢はあえなく馬券の紙吹雪と共に散り、この日の負けは、さらに嵩むだけだった。人の野蛮を露わにしたレース中の熱狂は嘘のように素早く退いてゆく。 わたしは身動きすら自由にならないほどの人混みに流され、吐き出されるように競馬場を後にしながら、おぼろげに残る頭痛と寒さを思い出す。急に現実が戻ってくるようで、あの叫びはなんだったろうか、と考え、過去を置いてきたのだ、と考える。本当に? 行列に紛れて帰っていると、駐車場で警備員が初老の男に声を掛けている。「あたりましたかぁ?」「あたんねぇよぉ」少し恥ずかしそうな微笑を浮かべて、男はさっさと車へ向かう。辺りを見回すと皆似たような微笑みを浮かべている。ものごとの終わりはいつでも慎ましく���緩している。『神々のたそがれ』も、血や汗や痰など、とにかく水っけの多い乱痴気と殺戮の後、独裁者は振り乱した長髪を剃り上げ、毒気が抜かれたようになり、静かな雪景色に覆われ、幕を閉じた。わたしの表情筋はあの時も少し緩んでいた気がする。あの世界にも再び雪解けがやってくるのだろうか。どうだろう? 今にして思えば少し早かった大掃除で、部屋はすっかり元通りになっていた。細々としたタイルの上にはすっかり埃が舞い戻り、棚にしまったはずの本はいつの間にか引っ張り出されて無造作に積まれ、もちろん、ボールペンが畳の上に転がっている……。永遠のくりかえし。 だから、なにが過ぎ去ろうが、誰が逝こうが、嘆き悲しむ必要など全然なくて、苦行ばかりの生だから、絶えず前を向いて行こう。それでも、さようならゲルマン、さようなら2015年。
Text by Naoaki Akamatsu(SALU-paradise)
0 notes
salu-paradise · 8 years
Text
『WALK IN THE ROOM』予告篇
SALU-paradise製作第一回作品『WALK IN THE ROOM』予告篇が完成いたしました。
 万難を排してご覧ください。
youtube
0 notes
salu-paradise · 8 years
Text
風間志織『チョコリエッタ』についての走書
Tumblr media
漠然とした不安がずっと私の上にあった頃、飛び出した夜と、あの錆びた空調のようなあたりを覆う環境音、草いきれ、夜が明けて青白くうそ寒い朝の、まだ有り余っている体力や緊張をよく憶えている。愛知県、三重県北部を中心にロケーションされたこの映画の近くで10代を過ごしたことによるものなのかわからないが、気が遠くなるほど広い、ただ無駄にだだっ広い平野、真っ暗な海、少女の嘘のような眼差しが、あえて言い替えるならば、まるで映画のように続く。少女は生きていれば必ず女になる。そして女になったかつての少女は、もう二度と少女には戻ることが出来ない。そのラジオのように、音楽のように、消えて無くなる一瞬の夢をフィルムに残してくれただけで私はこの映画を命と替えても断固支持する。あの、夏の終わりの空のような、心が洗われ澄み渡る朝に、今後の生涯で二度と出逢うことがないことを我々が知るのは、もうずっと後になってからである。
Text by Atsuro Shimoyashiro(SALU-paradise)
4 notes · View notes
salu-paradise · 9 years
Text
ポツネン探偵日記 SEPTEMBER & OCTOBER
Tumblr media
9月某日
金曜の夜、帰宅途中電話が掛かってきて、高円寺の中華料理屋にてTHEWATTERのシミズヒデアキさんと飲む。シミズさんには今年初めて会ったかも。久しぶりだった。2年前くらいにTHEWATTERのMVを私は撮った。驚くべきことにシミズさんは煙草をやめていた。ミュージシャン仲間の方と登山に行ったとき、突然やめようと思い、それ以来吸ってないらしい。なぜか気前よく全額おごってくれた。
9月某日
横浜に行く。赤レンガ倉庫でやっている「70′s バイブレーション」展へ。受付で爆音で大滝詠一「君は天然色」が流れていたけどあの曲81年だよ、大丈夫?個人的にはYMOには興味ないので使っていた機材展示はどうでもよかったけど、展示されている70年代の洋邦名盤LPのほとんど持っているか聴いたことあるものだったのでなんか特権的な気持ちに。併設されている期間限定で復活した伝説のレコード屋パイド・パイパー・ハウスで商品を見ていたら隣に長門芳郎さんがいらしていて驚いた。まあよく顔を出すとは聞いていたが。限定のハース・マルティネスは売り切れだったので小坂忠『ほうろう40周年記念盤』とナイアガラ・ムーンのトートを買う。そのあと桜木町あたりをふらふらして帰る。
Tumblr media
9月某日
シルバーウィークもほとんど作業していたかな。かわいそうなやつ。見返りに誰もがうらやむ あ・ば・ん・ち・ゅ・う・る を派手にくれ!と思う。そとはいい天気だよ。
9月某日
西荻の戎でサル・パラダイス平成27年度中打ち。入稿が迫っていてちょっと遅れていったので、鈴木、赤松は先に始めていた。戎は中央線沿線に住んでいる以上一回は行ってみたい飲み屋だったが、高円寺に於ける大将のような店かな。近況やらなにやら話尽きず。河岸を変えて半個室の2軒目。赤松くんは早朝から仕事なので途中で帰宅。トモと朝迄カラオケ。「社長の「ひこうき雲」がよかった」と言っていたが、彼は半分以上潰れていた。私はなぜかしゃっくりが止まらず。朝方、沖縄料理屋でソーキそばを食べて解散。胃にやさしい味だった。
9月某日
「CO2 IN TOKYO 2015」フライヤーやっとこさ入稿。8月頭から始めていろいろ親身に手伝ってくれて、寝られない夜を何度も明かしたであろう豊嶋希沙さん、どうもありがとう。
Tumblr media
9月某日
吉祥寺のBALL ROOM RECORDに行くが何も買わず。ここは他では見ないレコードが多いが、価格が少々張る。渋谷のHi Fi RECORDみたいなものか。ココナッツディスクにいってホンデルズのベスト、ムーンライダーズ『MODERN MUSIC』、ブレッド&バター『MONDAY MORNING』、SWANPWATER『ST』などを買う。
Tumblr media
9月某日
六本木スーパーデラックスのフェネスの来日を見に行く。入り口にはフェネスとジム・オルークにあてた坂本龍一からのメッセージと花が。前座で出ていたクララ・ルイスは若いねえちゃんだがぶっといノイズを鳴らしていた。気になったのは映像を同時にプロジェクターで上映していた点で、これは音楽とあまりに同期しているのでおそらく彼女自身が操作しているのだと思うのが、これが少々考えさせられるものだった。よくあるドロップアウトやインターレース、動画の歪みなどを多用してノンフォーカスの曖昧な映像に何の意味が在るのかと思った。音楽を最前面と考えた場合、映像はあくまで添え物だけど、あんな抽象に逃げる映像に、映像としての意味ははたしてあるのだろうか。
その後、PITAことピーター・レーバーグのソロを経て、フェネスとジム・オルークデュオ。二人とも座ったままギターを膝に置いてあんまり弾かないでずっとmacを触っている。よく言われることだがフェネスはすこしひんやりとした叙情性のあるノイズ・ミュージックだ。その後、アンコールでPITAも加わってフェノバーグでの演奏だったが、やはりフェネスの音像は会場全体に光と影を落としていたと思う。大学時代に好きだったミュージシャンを生で見られてよかった。
Tumblr media
10月某日
角川シネマ新宿で『ラブ&マーシー』を見る。たしか8月頭公開なのでやっと見れた。ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンの半生をポール・ダノとジョン・キューザックが演じている。ブライアンはトップスターになったあと、弟の死や妻との別離を経て統合失調症になるのだが、それによる過食が原因でどんどん太っていく。さわやか系俳優のダノのポッテリ出た腹はなかなか見物。キューザックは僕が一番好きなハリウッド俳優なので何も言うことなし。普通の音楽好き(ビーチ・ボーイズはそこまでファンじゃないけど)としてはレコーディング風景や、曲が生まれるプロセスでメンバー間での諍いなどは面白かった。誰か知らないけど、ヴァン・ダイク・パークス役のキャスティングは超ハマり役。あんなヤツだと思ってた(笑)マッド精神科医の役者さんは歳とってからのフィル・スペクターに似ていた。角川シネマのビルの裏にあるパチンコ屋前の喫煙所で終わってから一服したが、やはりこの街の、どれだけソフィスティケイトされようとも地下活動的アーシーさが抜けないところが好きだよ、新宿。
Tumblr media
10月某日
久しぶりにレコード市へ。中央線沿線に何店舗かあるRAREのレコード市。夕方くらいに行ったが晴れた休日なのに客は少なめ。ここでユニオンとの告知差が見えたような。空いていたのを良いことにほとんど全部目を通してしまい3時間ほど居た。収穫は南佳孝『シルクスクリーン』、『SPEAK LOW』、『Seventh Avenue South』、TUBE『BOYS ON THE BEACH』、サザン『熱い胸さわぎ』、伊藤銀次『BABY BLUE』、山下達郎『BIG WAVE』、ビリー・ジョエル『ニューヨーク52番街』、エルヴィス・プレスリー『BLUE HAWAII』、VISAGE『ST』(南佳孝とヴィム・ヴェンダースの隣接点ってエドワード・ホッパーなんだなあと、ふと。それ以外は近からず遠からず。私にホッパーの画集を見せてくれたNくん、この街を出てトーキョーノースサイドに引越したそうですがお元気ですか)。そのあと中野ブロードウェイのマニアか業界人しか来ないフジヤエービックで中古のコンデンサマイク見て、目星付けてたやつがあったが、手持ちがなかったので何も買わず帰る。帰宅して友人から頼まれた写真加工をレコード聴きながらやっていたら親父から電話がかかってきた。久しぶりに詩を書いて、お前のgmailに送ったから読んで感想くれとのこと。近年はほとんど書いてなかったが、これからは書く気になってきたらしい。
Tumblr media
10月某日
中野のフジヤエービックでAKGのC3000Bを中古で購入。スタンドもあわせて。帰宅してテスト的にベストの特典に付いていたオケのみの音源を使って大滝詠一「幸せな結末」を自宅で熱唱する。艶がなく地味な声色だ。
10月某日
風邪を引いて熱があるなか働いたのち、朦朧とした頭で何故か新宿のユニオン歌謡館へ。センチメンタル・シティ・ロマンスの1st、あがた森魚『噫無情』(松本隆プロデュース、客演:緑魔子!)、国文社の異国ムード音楽シリーズ『MOOD IN ORIENTAL』を熱に浮かされて買う。そういえば先日知ったVIDEOTAPEMUSICという方(?)のアルバムも聴いてみたいオリエンタルなモウド。対義語はオクシデンタル。冷静に考えれば荒々しい黒潮の熊野灘で育った私から見れば、サーフ・ミュージックも、中華圏の音楽も、平等に異国情緒に溢れてみえるのだった。十代の私はあの水平線の奥に父親のスピーカーを置いて遠い国のロック・ミュージックを聴いていたのだった。それはどこか「向こう側」という認識はあったのかもしれない。
Tumblr media
10月某日
赤松くんと阿佐ヶ谷で呑む。北口の飲み屋通りの突き当たりのイタリア料理屋にて。アラサーもろもろ話。サシ呑みは初めてだ。
10月某日
戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである。
吉田健一
10月某日
宅録。
10月某日
宅録。
10月某日
宅録。
10月某日
宅録。
10月某日
宅録。
10月某日
おじさん飲み会。
10月某日
宅録。
10月某日
宅録。
10月某日
宅録。
10月某日
おじさん飲み会。
0 notes
salu-paradise · 9 years
Text
SALU-paradiseの近況
Tumblr media
10月31日〜11月6日、渋谷ユーロスペースにてCO2 in tokyo 2015 東京上映展が行われます。
サル・パラダイスからはフライヤーに関してはテキスト執筆・赤松直明、デザイン・下社、松本大志監督『誰もわかってくれない』には美術として鈴木知���、音楽で下社が参加しております。フライヤー写真は鬼鋭カメラマンの豊嶋希沙さん、モデルは『誰もわかってくれない』主演の辻凪子さんです。 劇場でフライヤーを見つけたら手にとってもらえたら幸いです。ご都合あえば上映にも駆け付けてください。
ちなみに鈴木・赤松が美術、下社が音楽と録音助手で参加した万田邦敏監督『イヌミチ』も10月2日にDVDリリースされるそうです。 全国ありとあらゆるTSUTAYAに最低一本は入荷されるそうなので見つけたら見てみてください。
Tumblr media
フライヤー制作中はひたすらムーンライダーズの『火の玉ボーイ』、『イスタンブール・マンボ』、南佳孝『摩天楼のヒロイン』、小沢健二『LIFE』を繰り返し聴いていた気がします。
しかし昨日情報解禁してウェブ上で辻さんの画像を見たら、なぜが佐野元春「ガラスのジェネレーション」が頭から離れず、そんなイメージだったのかなあと思いを馳せています。蛇足ですが、この曲の歌詞にある「つまらない大人にはなりたくない」というところだけトリミングして尾崎豊は形成されたのだろうと思いますが、僕は佐野さんのもっと軽薄でヒップなところが好きです。
恋をしようぜ Baby
きれいな恋を Maybe
本当のことを知りたいだけ
So one more kiss to me
dailymotion
SALU-paradise
0 notes
salu-paradise · 9 years
Text
ポツネン探偵日記 July&August
7月某日
間もなく末日の夏日で会社員の私はオーダーに判押して経理に処理してもらうのを忘れないようにしなくちゃいけないのだが、そんなことより今月の日記を今日の今日まで書くのめんどくさがっていたので、ここより前のものは記憶を手繰って書いたものである。私は別段筆まめではないのでこういうことになってしまう。つっても誰が読んでくれているワケではないし、私たちサルパラダイスの今年の仕事初めであり仕事納めの予定の上映イベントも日取りや内容が未定である。ならばここになんらかの文字で塞いでいかなくては、というのは一応代表としての自覚の表れ、かもしれないのだが、私ほど無責任なリーダーもいないと思うので、もう誰もあとをついてこないかもしれない。砂漠には足跡は残らないね、ランボー。
今日、書く気になったのは大滝詠一の『ナイアガラ・ムーン』40周年盤のLP2枚組をフライングゲットしたからに他ならないのです。ちなみに同時発売した同作CD2枚組は内容が違うのでもちろんナイアガラーならマストなのですが、私はゲルピン(不明ならばおじいちゃんに聞いてください)だったので次回に回しました。もちろんCDとソニー盤LPくらいは持っています。なので我が家に3枚目の『ナイアガラ・ムーン』であります。
東急目黒線の武蔵小山にペットサウンズレコードという素晴らしいレコード屋があります一見、街のレコード屋さんで、新品しか置いてないので実際そうなのですが、音楽への愛が溢れていて半年に一回ほど行くようになりました。今回も様々なノヴェルティもおまけにつけていただき、丁寧に熱を持って説明していただいた。ここまで書いて気力尽きたのでおしまい。
7月某日
新宿シネマカリテでベルセバのやつが撮った『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』を見た。それ風の女子が多く東京だなと思う。
7月某日〜盆明けくらいまでの某日々
某N社の大量案件に日夜明け暮れる。
8月某日
某宣伝のため(そのうちわかるので隠すことはないのだが)、早朝から大阪からやってきた女優の辻凪子さんの写真撮影に立ち会う。渋谷駅前から歩いて駒場のほうまで。キャメラマンは豊嶋希沙さん。私はただ見物してるだけだったので気が楽だった。辻さんのような溌剌とした弾けるような若さに久しく触れていなかったおじさんだった。
8月某日
P-Vineから発売された萩原健太『70年代シティ・ポップ・クロニクル』。通勤電車のなかで読破。よく知っているアルバムが多かったけれど、楽しい本でした。小坂忠『ほうろう』は聴いたことがないので聴いてみたい。
8月某日〜現在進行中
フライヤーデザイン作業。豊嶋さんが進行もされてスパルタ。私は素人なのでなかなか終わらない。
8月某日
東北の実家に帰ったSちゃんが仕事の研修で東京に来ていたので、Oさんと三人で吉祥寺のハモニカ横町で飲む。久しぶりだったが元気そうだった。なんの話をしたかあんまり覚えていない。みんなアラサーになった。
・この間の収穫円盤
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
追記:今回はアンテナ張ってなくてそれなりにバタバタした日々を過ごしていたのでエロはないです。そもそも私の生活に豊穣にエロが溢れているなんてことはありませんね。ちょっと手抜きですみません。駆け足の28歳、夏でした。サル的な表立った動きは今秋から年明けくらいと見ています。細かいことはみんなやっているのでお知らせがあれば随時。
Text by Atsuro Shimoyashiro (SALU-paradise)
0 notes