Tumgik
poetry-toru-karasawa · 12 hours
Text
0 notes
poetry-toru-karasawa · 17 hours
Text
youtube
0 notes
Text
youtube
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
from.) なおこさん
ベーコン
Francis Bacon
生没年:1561-1626
絶対主義時代イギリスの政治家,哲学者。エリザベス朝の国璽尚書ニコラス・ベーコンの八男としてロンドンに生まれた。12歳でケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに入学,3年後退学してグレー法曹院に入り,1576年駐仏大使に従ってフランスに渡った。3年後父の死のため帰国,84年下院議員となった。この後国会ごとに下院議員として活躍したが,念願の官職に就くことがなかなかできず,ジェームズ1世のもとで初めて法務次官となった。以後は法務長官,枢密顧問官,国璽尚書を歴任,1618年には大法官,男爵,21年には子爵となった。同年失脚,その後復帰を認められたが隠退して著述と研究に専念,26年ハイゲートに向かう途中に病気となり,4月9日没した。
 彼は政治家,法律家,歴史家としては,一貫してイギリス絶対主義の確立のために活躍したが,他方,思想,哲学,科学においては古代や中世を乗り越える学問・思想の〈大革新〉を企てた。すなわち,中世的思想に対し古典古代の学芸を復活するだけでは不十分であることを見てとり,これまでのあらゆる学問に批判的検討を加えて,未開拓の新研究分野を明らかにした。彼の〈大革新〉のかなめは〈人間の生活を新しい発見と資財によって豊かにすること〉が学問の目標であるとすることである。したがって学問のための学問や名声を得るための学問を批判する。そのような新しい学問は,個人的天才によってではなく人類の共同作業であると彼は考えた。そこで提案された方法は,独断論(合理論)と経験論をともに批判し,帰納と演繹の二つの道を総合する方法であった。したがってベーコンの立場はアリストテレス主義でもプラトン主義でもない,経験論と合理論を総合した新しい学問の立場であった。彼はこの方法に従ってみずから自然研究に従い,大著《大革新》に集大成しようとした。しかし実際に書かれ刊行されたのはその一部で,未来の人々が完成してくれることを期待していた。《大革新》の第1部をなすのは《学問の尊厳と進歩》で,すでに1605年に《学問の前進》と題して英語で刊行された書物の増補ラテン語版である。これは独自の基準によって学問分類を行い,当時の学問を概観すると同時に,あるべき学問についても示したものである。すなわち学問を人間の持つ三つの知的能力,記憶・想像・理性に対応させて大きく歴史・詩・哲学に区分し,それぞれをまた細区分するしかたであった。その中で,技術史や機械学などその後に発展した学問を提案している。また情報伝達の技術についても1巻を捧げている。《大革新》の第2部は自然研究の方法論で《ノウム・オルガヌム》と題されている。第3部は《宇宙の諸現象》の自然誌で,ベーコンは個人で完成しえないものと考えていたが,結局国家の援助が得られず膨大な原稿が残された。一部分は生前に出版されたが,ここでも自然誌だけでなく多くの技術誌を提案しかつ書き残している。ベーコンは死ぬまでこの努力を続け,死の翌年《森の森》と題して出版された。第4部の《知性の梯子--別名,迷宮の糸》は序論の原稿だけが残っている。第5部と第6部の《第二哲学》の部分も短い序文しか残っていない。他の著作としては,もっとも早く出版され広く読まれてきた《随筆集》(1597),久しく忘れられていたが近年重要視されつつある《古人の知恵》(1609),大著《ヘンリー7世治世史》(1622),遺稿となった理想郷物語《ニュー・アトランティス》(1627)がある。
 ベーコンを前提としてデカルトによる近代哲学の確立があり,またベーコン的な態度はローヤル・ソサエティやフランスの百科全書派(アンシクロペディスト)に受け継がれた。日本では明治以来《随筆集》で知られてきたが,最近はその〈人類のための科学〉という思想があらためて注目されてきている。
執筆者:坂本 賢三
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
オンライン大学講座
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
0 notes
Text
クオリアへの否定論
0 notes
Text
youtube
0 notes