Tumgik
Text
【インタビュー4】ラ・マルオカ「3バンド掛け持ちでも、エネルギーは溢れてた」
Tumblr media
加入時は 「ミキに誘われると 思わんかった」
ーマルちゃんさんは、2019年に室町加入。どういう経緯でしたっけ。  同級生の結婚式で余興バンドをすることになって、そこでミキと一緒になったのね。ミキとはサークルの同期で、大学を卒業してからほとんど会ってなかったんやけど、そのバンドで久々に再会した。そのとき、ちょうど室町がベース脱退して困ってた時期だったらしくて。そこで室町に誘ってもらったね。 ー今は一緒にやってるから自然に感じますけど、当時は「ミキに誘われると思わんかった」って言ってませんでした?  当時の室町は名前も売れてたし、別の世界みたいに感じてたんかも。でも、誘われたのは嬉しかったな。 ーミキさんとは軽音サークルの同期だから、結成当時も知ってるわけですよね。2012年当時はどう思ってたんですか?  就職活動の時期やったから、忙しいのによく今からバンド始めるなーと思ってたけど。でも、ちょっと誘って欲しいとも思った(笑)。
Tumblr media
「人間Shazam」の 音楽知識は浪人時代に 身についた
ー誘って欲しかったんですね(笑)。ちなみに、ベーシストとしてのマルちゃんについても聞きたいんですけど、ベースはいつから始めたんですか?  中2くらいかな。最初はドラムがやりたかったけど、音もでかいし、部屋に置いたりするのも難しくて。じゃあギターかベースにしようと思ったときに、仲良い友達がギターやろうとしてたから、残ったベースを選んだ。 ーなるほど、戦略的に選んだんですね。ちなみにその後は、専門学校にも行ってたと聞きました。  高校を2年の途中で中退して、大阪の音楽専門学校に行った。 ーそこで身についた技術って、あったりするんでしょうか。  学校にはあんまり真面目に通ってたわけじゃないけど…。当時は狭いアパートに住んでたから、アンプが使えなくて。仕方なく生音で練習したから、ピッキングは強くなったかな(笑)。 ー環境によって技術が身についたんですね(笑)。その後に、大学に入学するのか。  そう。高校は中退したけど、勉強もしたくなって。専門学校を卒業してから、一年浪人してから大学に行った。そういえば、地元で浪人生してたがときが、一番よく音楽聴いてた時期かも。 ーマルちゃんといえば、音楽に詳しくてバンド内で「人間Shazam」と呼ばれてますよね。その音楽知識は、その時期に身についたのか。  当時、HMVオンラインが輸入盤のキャンペーンやってて、毎月まとめてCD買う習慣があった。ダニー・ハサウェイとか、カーティス・メイフィールドとか、ブラックミュージックをよく聴いてたね。あとは、小さいときからラジオはよく聴いてたかな。FM802でフジファブリックの『陽炎』がプッシュされてたのとか、よく覚えてるわ。 ー遠征の車内でイントロクイズするときの、異常な強さの源がわかりました(笑)。その後、大学では軽音サークル「S.M.M.A.(サザンマウンテンミュージック研究会、通称サンマ)」に入ったんですね。  新歓ライブでヴァン・モリソンとかを演奏してるのを見て、趣味が合いそうかなと。そこでミキに出会った。 ーミキさんの第一印象はどうだったんですか?  当時のミキはマッシュルームカットで、髪型の印象が強かったかな(笑)。でも、遊んだりするグループは微妙にちがったから、あんまり話したりはしてなかったかな…。練習場でセッションしたりしてたときに、一緒になったりしたことはあったけど。そういえば、引退する直前には「ズットズレテルズ」を一緒にコピーしたな。ボーカルがミキでベースがおれやから、今の室町と近いかも(笑)。 ーメンバーの構成も近いかもしれないですね(笑)。マルちゃんは、サークルでは何のバンドやってたんですか?  フュージョンのバンドで高中正義のコピーしたり、先輩とジャズファンクのバンドもやってた。「Papa Grows Funk」とか。
Tumblr media
バンドをやるぞ!っていう エネルギーに溢れていた
ー技巧派ですね! 絶対サークルで重宝されるやつだ! それで卒業後も、バンドをやってたんでしたっけ。
 地元の徳島で就職したけど、大阪で「メロンソーダpop(現在は活動休止中)」っていうバンドをやってたな。練習のために毎週末にスタジオまで行って。しばらくしてからは「白の無地」(サークルの先輩・池住さんが率いる「盆地系親不孝ポップユニット」)にも誘われて、そこでクマ山さんと一緒になったり。
ーそうや、当時の「白の無地」はクマ山さんやトノくん(元ベース)が参加してたり、不思議な交流もありましたね。
 でも「白の無地」で演奏してたのは、室町に入る直前くらいかな。2019年に室町に入った直後は3バンド掛け持ちになって、けっこう大変やった。室町はすぐワンマンもあって、曲覚えないとあかんかったし。けど、バンドやるぞ!っていう、やる気とエネルギーは溢れてた時期やな。
ー加入したときは、やっていけそうに思いました? 馴染むのは早かったですよね。
 うん。不安に思うことは全然なかったよ。馴染んだのは、ミキとも、過去のベーシストとも音楽のルーツが近いところがあるような気もする。レッチリとかコピーしてたからかな。『FUTARI DANCE』とか、初期の曲はフレーズもアグレッシブで大変ではあるけど(笑)。
ーすぐ馴染んでくれたからこそ、2019年も色々やってますもんね。記録を見ると、4月にワンマンライブやってるし、『(A BOWL OF)RICE』『楽しいのがいい』のMV撮影、どDEEP部、ボロフェスタ、『!!!』のサポートアクト…。これで別のバンドもやってたと思うと、超人ですね。
 けっこうやってるよねー。あの年はまこっちゃんと、競馬場にもよく行ったし(笑)。それで「ラジオムロマチ」とかも一緒に話すようになったんかな。その後はコロナで挫かれた感じもあるけど、2019年から3年以上やってると思ったら、ディスコ室町加入後も長いことやってるよね。
ーたしかに。3年半って、歴代のベーシストのなかでは一番長いかも。マルちゃんが加入してからはメンバーも変わってないし、おかげでバンドが安定期に入った感じがします。
 そう思ってもらえるなら嬉しいな(笑)。 (聞き手:まこまこまこっちゃん)
Tumblr media Tumblr media
Q &A
Qバンド加入したきっかけ・エピソードは?  同級生の結婚式で、ミキに誘ってもらった。 Q室町で一番好きな曲は?  『-FRA- (STILL)』。歌詞からミキの内省的なところを感じるのが好きだし、リスナーとしてもプレイヤーとしても楽しい曲。最近は『くるっちゃうせかい』も好き。ブチギレたThe Policeっぽい。 Q俺のこの演奏を聞いてくれ!  『真夜中のイエイエイエ』と『桃園ハイツ』。レゲエっぽいノリは、意識して弾いてるかな。 Q一番記憶に残ってるライブは?  !!!のオープニングアクト。大きいステージやったし、楽屋でオーベルジーヌのカレー弁当食べれて嬉しかった。 Qライブのときに必ずやること  チルすること。ひと息つく。 Qこれは“室町的”と思うエピソードは?  エピソードじゃないけど、たまにスタジオで空気がピリッとする瞬間(笑)。仲悪いとかじゃなくて、真剣にやってるってこと。引きずるわけじゃないし。 Q室町YouTubeでのベストアクト  室町ログ「室町ベストアンサー」シリーズ。 Q室町10周年を迎えて一言  何回もメンバー変わったりしてるけど、自分がメンバーのときに迎えられて光栄。おめでとうございます!
Tumblr media
■踊る!ディスコ室町 10th ANNIVERSARY SPECIAL ZINE『室町の10』
価格:1500円(税込) 発売:2022年9月10日 発行:御所西RECORDS 購入:web shop(https://odorudisco.thebase.in/)、またはライブ会場にてご購入いただけます
0 notes
Text
【インタビュー3】クマ山セイタ「ミキクワカドというフィルターを通して自分のギターを発信する」
Tumblr media
音楽の場所を求めて 出会った室町
―クマさんは、メンバー募集サイトから室町に応募してくれたんだよね。
 当時は、縁あって広島・福山のバンドでサポートメンバーをやってたんだけど、京都から広島まで通うのも大変だし、京都でメンバー募集をしてるバンドを探してた。バンドマンから情報収集したり、知り合いのライブの打ち上げとかにも参加してみたりもしたんだけど、なかなか見つからなくて。
―結構、積極的に探してたんだね。
 当時28歳ぐらいで、バンド界隈だとわりと年上だったのもあって難しかった。でもそんななか、京都のバンド「シンガロンパレード」のライブの打ち上げで出会ったのが、当時室町のメンバーだったジーカミと森。その後、室町がメンバー募集してるのをサイトで見つけて応募したんだけど、プロフィールのところに「平均年齢21歳」って書いてあって、若!って思った(笑)。
―たぶん当時まこっちゃんが19歳とかだから、平均するとそれぐらいか。メンバーの入れ替わりがあったから、なぜか平均年齢はずっと同じだった(笑)。実際会ってどうだった?
 スタジオに行ったら、記録用のカメラ回してるだけで演奏してないヤツがいて、不思議に思ってたらそれがモチヅキだった(笑)。とりあえず一緒に演奏してみたけど、メンバーの反応はぼちぼちって感じだったのかな。でもまさかカメラ回してるだけのヤツがメンバーになれて、俺が入れないってことはないよな…? とか実は色々不安だったわ。
―たしかに(笑)。その後は一緒にスタジオ入って曲を制作してた。
 覚えてるのは、正式加入前にミキくんと串カツ屋に飲みに行ったこと。俺はみんなよりだいぶ年上だったから気を使わせてたところもあったし、室町の音楽については教えてもらわないといけないこともたくさんあったから、とりあえずリーダーのミキくんはタメ口で話してってお願いしたんよね。それくらいからメンバーとも徐々に馴染んでいけた気がする。
―そうだと思う。いやー、それは完全にクマさんの懐の深さのおかげだね。
 結局、正式加入したのはアルバム『洛中にてファンク』(2015)のレコーディングの直前。リリースツアーもまわったし、タイミングはちょうど良かったかな。あと、全国のCDショップに自分たちで営業に行ったのも面白かった。
―俺らは自主レーベルだから、いろんなところにメンバーで挨拶にいったよね。手土産に阿闍梨餅(京都の銘菓)持って(笑)。インストアライブとかも自分たちで交渉したり。
 広島の本通りにあったHMVのインストア当日に、店員さんが「今日のカープ、黒田投手が登板するので街に人がいません」って言われて衝撃だった!結局良い感じにできてよかったけど(笑)。
Tumblr media
室町をやるなかで知った 地元と音楽の場
―近年、クマさんは「鳳城」(父の代から続く京都の中華料理店)の仕事も忙しいね。みんな、バンドを続けてきて少しずつ生活環境も変わってきた。  室町じゃなかったらバンドと仕事の両立はできなかったと思う。バンドがうまくいかなくなるのって、一人だけ生活環境が変わってそれまで通り活動できなくなっちゃうとかが多いよね。「実は俺、就職しようと思うねん…」「え!?」みたいな。でも室町は、当初みんな学生だったけど、同じ時期に就職したりとか忙しくなったりとか。紙一重で、互いに譲歩しつつやってきたんじゃないかな。 ―しかし「鳳城」マジで美味いよね。すごい上品な中華料理って感じがする。カニ肉の卵炒め最高。  ありがとう(笑)。おいしいって言ってもらうのはうれしい。でもやっぱ、親父から引き継いでる味だから、自分の手柄というよりは「親父すごいなあ」って思ったりもする。いまは俺が主になってお店やってるけど、タレひとつにしてもこの配合を考えたのってすごいよなあって。一人で作業してても、親子で一緒に仕事してるなって感じたりするね。 ―言葉じゃなくて、味で想いが繋がれてるんだね…。一応これ室町10周年のインタビューなんだけど、店の話がアツすぎるよ(笑)! ちなみに店のまわりには、ライブハウスnanoとか、レコーディングスタジオのSIMPOとか、室町とゆかりのある音楽スポットも多い。  そうやね。でも実は元々あんまり知らんかった。nanoは、お客さんとしてライブを一回観に行ったことあったんだけど、そのときボーカルのマイクスタンドが演奏中に倒れて。スタッフの人が急いで直しに行ったかと思ったら、そのついでにめちゃくちゃ踊りだしたんだよね。「ヤバいライブハウスだー!」って思った(笑)。その後、室町で出演させてもらってから、その人が店長のモグラさんだってわかったんだけど、モグラさんはうちの店のことよく知ってた(笑)。室町で音楽やるなかで、地元の解像度が上がっていくのが面白い。 ―nanoの印象は変わった?  うん。一番変わったんちゃう?「ヤバくて〝良い〟ライブハウス」だったわ(笑)。 ―SIMPOは、レコーディングで何度もお世話になってるね。  エンジニアのコイズさんは、すごい職人さんって感じだよね。こっちがしっかり意図を持ってプレイすれば応え���くれるけど、フワフワしてたら跳ね返される(笑)。はじめはかなり緊張した。 ―室町のレコーディングの雰囲気はどう?  いつもより部活っぽくなるかな。レコーディングブースに向かって「がんばれー!」とか。ギターソロでミスっても「ドンマイー!」とかね(笑)。メンバーの一体感みたいなのがあって楽しい。
Tumblr media
自分たちの場所が 肯定された気がした
―クマさんはQ&Aで、一番記憶に残ってるライブに一番最近のイベントを挙げてくれてるね。sukida dramas(名古屋のバンド。室町結成当初からのお友達)のレコ発。楽しい日だった。
 なんかあの日はすごく響いたなあ。室町の活動のなかでいろんな人と出会って、ものすごい売れて活躍してる人もたくさんいる。そういう人たちと一緒にやってこれたことは嬉しいし、活躍を羨ましく思う気持ちもあるんだけど、あの日のsukida dramasの演奏がそういうモヤモヤを吹き飛ばしてくれた感じがあった。自分たちがやってる音楽の場所が肯定された気がしたんだよね。いい空間だった。 ―うんうん、わかるな。室町はマイペースに続けてきたけど、クマさんは室町のメンバーとして音楽をやるなかで大事にしてるのはどんなこと?  室町はファンクバンドって名乗ってるけど、俺の中で大事なのは、ミキクワカドというフィルターを通して自分のギターを発信することかな。自分の持ってるものをバンドに放り込んだらどう変換されるのか、自分のプレイが室町のファンクとしてうまくアウトプットされるか。それを楽しみながら腕を磨いてる感じだね。 ―ちょっと恥ずかしいけど、クマさんの人柄を感じる答えだなあ。クマさんはバンドを土台から優しく支える人物でもあるし、年長者として人生の先輩でもある。クマさんはいまや父親だからね。  そうだね。バンドを続けさせてくれる家族の協力には、すごく感謝してる。 ―ボロフェスタに出演したときは、楽屋にベイビーが来てくれて全員がとろけたよ。  あれは嬉しかった。同日に出演していた「くるり」の演奏を袖から家族でちょっと聴かせてもらったり、貴重な経験になりました。もう一回、妻と娘を自分が出演するフェスに連れていきたいなって夢ができました。父親としてギタリストとして中華料理屋として、これからも楽しんでいきます。
(聞き手:ミキクワカド)
Tumblr media Tumblr media
Q &A
Qバンド加入したきっかけ・エピソードは?  ギターとして参加できるバンドを探していて、ネットのメンバー募集に応募しました。 Q室町で一番好きな曲は?  『HAのキヌぬがせ』。加入してすぐのリードトラック。 Q俺のこの演奏を聞いてくれ!  『(A BOWL OF)RICE』のサビ前。ギターのトーンなどこだわりが表現できたなと思ってます。 Q一番記憶に残ってるライブは?  2022年7月@京都GROWLY。直近のライブです Qライブのときに必ずやること  店の昼営業。 Qこれは“室町的”と思うエピソードは?  シャンシャンがスタジオ参加できてなくて、新曲を知らないままぶっつけでステージにあがったことが何度かあった。出る方も出る方、出す方も出す方。 Q室町YouTubeでのベストアクト  室町ログ#22「楽屋ムロマチ」。GROWLYでのライブの舞台袖が記録されていて、リハーサル中の自分のギターがいい音してた。 Q室町10周年を迎えて一言 マイペースだけど、いまの自分たちも正解だと思えるのは長く続けてきたからこそ。
Tumblr media
■踊る!ディスコ室町 10th ANNIVERSARY SPECIAL ZINE『室町の10』
価格:1500円(税込) 発売:2022年9月10日 発行:御所西RECORDS 購入:web shop(https://odorudisco.thebase.in/)、またはライブ会場にてご購入いただけます
0 notes
Text
【インタビュー2】まこまこまこっちゃん「高校生の頃から、京都でバンドをしてみたかった」
Tumblr media
俺がギター弾いた方が 絶対良いな
―まこっちゃんは同じ軽音サークルの4個下の後輩で、大学ではかぶってなかったよね。  サークルの同期が「OBでこんなバンドあるよ」って、大学の練習場で曲を聞かせてくれて知りました。音楽ジャンルとか雰囲気とか他のバンドとは違う感じがして、「こういうバンドやったら楽しいだろうな」とぼんやり思ってました。  それから少し経って、メンバー募集が始まったんです。当時メンバーだったベース・森さんがまだ在学中だったので、すぐに「入りたいです!」って相談したんですが、「お前には一万年早いわ」って門前払いされました…(笑)。 ―ひどい(笑)。  でも諦めずにTwitterのDMで応募して、京都・拾得でのライブを見に行ったのを覚えてます。当時はかなり野心的で、「俺がギター弾いた方が絶対良いな」って思ってました。生意気ですね(笑)。でもその後、一緒にスタジオ入ったときは、大学生じゃない〝大人のバンド〟という感じがすごくして。いま思うと、大学一年生でよく先輩ばかりの場所へ飛び込めたなと思ったりします。 ―その後は無事に加入して、私から室町ネーム「まこまこまこっちゃん」が授与されると。  でもそれが決まる前にミキさんが「このままだと名前『さえなさえ蔵』やで」って言ってたんですよ。余程さえなかったんでしょうか…(笑)。 ―ひどすぎる、ごめん(笑)。  でもその後、いまの名前を付けてもらったのは良かったなと思います。演者としての自負とか、人から向けられる目も少し違うのかなと。ただ、この名前には名字がないので挨拶するときに少し困るんですよね(笑)。 ―名字か。まったく意識してなかった。確かに他のメンバーには名字があるわ…。
Tumblr media
活動のなかで体験した 〝京都の大学生〟
―加入当初の衣装は、ウエスタンな感じだったね。  ミキさんに、ウエスタンハットと星条旗のシャツを用意されて(笑)。その後、京都の古着屋「EVE」でパンタロンを買いました。あれ、レトロですごい良いパンタロンでしたよね。お店の人に「ウルフルケイスケさんみたいな感じにしたいです」って言ったのを覚えてます。 ―当時はよく「EVE」でみんなの衣装を探してた。  その時は京都に来たばっかりで、お店がいっぱいある御幸町通とか寺町通とかも知らなかったので、古着屋めぐりも新鮮でした。 ―バンド活動が、〝京都の大学生〟体験にもなったのかな。  そうですね、飲み屋とかライブハウスとか。大学一年生からバンドをして、授業も行ってサークルもして、忙しかったけど貴重な時間だったのかも。 ―ところで、衣装選びの時に「ウルフルズ」のイメージが思い浮かんだのは、まこっちゃんの音楽遍歴となんとなく深い関係がありそう。  室町はファンクバンドですけど、当時「ファンク」が実はあまりわからなくて。自分のなかではそれまでに聞いたことがあった「ウルフルズ」のソウルフルでハッピーな感じを室町に感じたんじゃないかと思います。 ―たしかにファンクってなんなのか、いまでも考えながらやってる。  初めは室町の音源を聞いて自分なりに解釈を試みたりしました。ミキさんに勧められた曲を聞いたり、一緒にJBの映画を観に行ったりとか。その時に思ったのは、ファンクではいままでやってきた「ロックバンド」的なプレイはハマらないってことです。 ―「ロックバンド」的なプレイって?  例えばギターだと、それまでは弦を6弦全部弾いてコードをしっかり鳴らすのが大事だったんですが、ファンクでカッティングするときは1〜3弦の高い音だけ鳴らしたほうがかっこいい。プレイとしては普通のことかもしれないんですけど、他の楽器と音域やリズムの棲み分けをより大事にするのがファンクなのかなと。 ―ファンクは4弦以降弾かないのか!と。体当たりで向き合ってきたんやね。ちなみに高校生まではどんな音楽聞いてた?  実家ではよく奥田民生が流れてました。まねしてギター弾いたり、そのフォロワーであるフジファブリックをコピーしてみたり。高校の軽音部では顧問の指導で、ビートルズとかの洋楽と、ユーミンや欧陽菲菲とか��謡曲を練習してました。 ―加入した時は、一緒に民生の話をよくしてたね。  あと、よく聴いてたのはくるりですね。大阪出身なので、大学進学は大阪・京都・神戸とかかなって考えていたとき、ドキュメンタリー番組でくるりが磔磔で演奏している映像を見たんです。なんかそれがすごく印象的で、大学は京都に行ってこんな場所で演奏してみたい!と思いました。だから今回、10周年で磔磔で演奏できるのは感慨深いです。 ―おお…。話がきれいにまとまってて悔しいな。  なんでなんですか(笑)!
Tumblr media
バンドの音楽変化と 自分の精神がリンク?
―まこっちゃんもバンドを続けてるうちに大学を卒業して、社会人編に突入。いまの仕事は在宅らしいけど、いまドラムのおわちゃんとまこっちゃんの大学の後輩と3人でルームシェアしてるよね。共同生活はどう? バンドが生んだ奇妙な関係のあなたたち。  たしかに奇妙かも(笑)。仲は良いんですけど、近すぎす遠すぎずの不思議な距離感。ほかではあまりないかもしれません。 ―ルームシェアしようと思ったきっかけは?  京大熊野寮での生活を語ったphaさんという人の本を読んで「こういうのアリなんや」って思ったのが、ずっと頭の片隅に残っていた気がします。自分の大学時代もボックス(部室)が好きでした。いつまでも卒業しない先輩がいたり。 ―君たちは室町という〝部活〟をする部員で、家はその〝部室〟なのかも。ボックスって、青春というだけでは言い尽くせない〝なにか〟が発酵しつづける醸し場みたいな場所だよね(笑)。  いろんな人と時間を共にする行為が好きなのかなあ。あと普通のワンルームとかって、誰かに住み方を指定されている居心地悪さを感じて。いまの家はみんなで壁に漆喰を塗ってみたりと抗ってます。 ―ちなみに一緒に住んでみて、おわちゃんはどんなやつ?  化粧水のフタを閉めないやつです(笑)。 ―おい(笑)。そういえば、まこっちゃんが参加してるネギくん(WANG GUNG BAND、exバレーボウイズ)の「シュウタネギと愉快なクルー」でもいろんな人と出会ってるよね。メンバーが不規則でライブごとに構成もメンツも違う。  そうですね。MV『楽しいのがいい』を御所西ハウスで撮影したとき、撮影後も打ち上げのようにみんなで騒いで歌ったりしてて、その時に一緒に演奏したのがきっかけです。 ―あれはおもしろかった。最後は近所の小学校でやってた盆踊りにいって。  「ネギクル」は毎回メンバーが違うのでライブはセッションの要素も強くて、その経験が室町でも他のメンバーが出す音への理解を助けてる気がします。 ―なるほど。ちょっと話は変わるけど、室町だとソロをガンガン弾いたりする我の強いプレイが求められることもあるよね。自分の性格とギタープレイって関係ある?  はじめた頃を振り返ると、目立ちたかったんでしょうね。昔のライブ映像を見ると、いまより音をめちゃくちゃ歪まして、前に飛び出していってる(笑)。いまは、バンドのアレンジの方向性の変化もありますけど、年も重ねて音も落ち着いてちょっとだけ大人になったような。あんなに目立たんでもいいんや…みたいな。 ―バンドの音楽的変化と、まこっちゃんの精神がリンクしてるんや(笑)。バンドはあなたの人生に深く関わってきたのね。良いことなのか悪いことなのか…。  19歳から室町やってきてますからね(笑)!
(聞き手:ミキクワカド)
Tumblr media Tumblr media
Q &A
Qバンド加入したきっかけ・エピソードは?
サークルの先輩のバンドとして知って、メンバー募集に応募しました。 Q室町で一番好きな曲は? 『楽しいのがいい』 Q俺のこの演奏を聞いてくれ! 『HAのキヌぬがせ』。ぼくが加入してから初めて一緒に作っていった曲。フレーズも組み立てていったり、ギターソロも思い入れあります。 Q一番記憶に残ってるライブは? 加入してからの初ライブだった、2014年6月「とげとげロックフェス」@三条VOXhall。フジロッ久(仮)の藤原さんがステージ脇の高いとこから飛び降りて足の骨を折っていた。ライブハウス、ちょっと怖いなと…(笑)!GEZANも出演してました。 Qライブのときに必ずやること 弦交換。 Qこれは“室町的”と思うエピソードは? エピソードじゃないけど、ほとんど毎週まじめにスタジオで練習してるのは、室町らしいのかな。 Q室町YouTubeでのベストアクト 室町ログ#30「室町的アメリカ考(試論)」のダジャレ。 Q室町10周年を迎えて一言 おもしろいバンドができるかなと思って京都にきて、おもしろいバンドで活動できているので嬉しいです。今後もやっていくぞ!
Tumblr media
■踊る!ディスコ室��� 10th ANNIVERSARY SPECIAL ZINE『室町の10』
価格:1500円(税込) 発売:2022年9月10日 発行:御所西RECORDS 購入:web shop(https://odorudisco.thebase.in/)、またはライブ会場にてご購入いただけます
0 notes
Text
【インタビュー1】Vo.ミキクワカド「なにを大事にしているのかを示す「ファンク」 」
Tumblr media
「ギターソロで暴れたい」 から始まった
―ディスコ室町は、同志社大学の軽音サークル「S.M.M.A.(サザンマウンテンミュージック研究会、通称サンマ)」で結成されたということなんですけど、ミキさんはサークルではどんなバンドをコピーしてたんですか。
 高校まではギター専門で、「ギターソロで暴れたい」ってことばっかり考えてた(笑)。はじめはボーカルを人に頼んで、『ジョニー・B・グッド』とか、ギターソロのある曲をやったりして自分が目立とうと必死になってたんだけど、ギターがそんな事してたらボーカルはつまんないよね(笑)。歌うようになったのは、2回生からかな。
―最初は歌ってなかったんですね!意外です。
 歌うっていう発想がなかった。歌うのも得意じゃなかったというか、高校まではBUMP OF CHICKENとかコピーしてたんやけど、バンプって声高いやん。俺、声低いから(笑)。
―なるほど。
 『ジョニー・B・グッド』とかは、ロックンロールのルーツを掘っていった流れだったけど、その延長で60年代の初期ガレージ・ロックも聞くようになった。ギターを弾いて歌うようになったのは、「ストレイ・キャッツ」の曲をやってみたときで、このバンドは後にガレージバンド「アトリエ」としてオリジナル曲を作ったりするようにもなった。
―上地さん(室町元メンバーのジーカミ)がドラム叩いてたバンドですね。
 そうそう。その後サークルでは、他の人たちと大人数でJB(ジェームス・ブラウン)のコピーをやった。
―それだけ聞くと、それまでロックだったのに、急にファンクが登場した感じがしますね。
 自分のなかでは、「シャウト」でつながってたんだと思う。ロックとJBの共通点は、シャウトにあるのかも…。もちろんロックは、ブラックミュージックの文脈もあるんやけど、叫びのような歌声に心ひかれたのかな。 ―ロックの流れをたどってJBに接続するのも、普通は難しいのかなと思いました。  大学では、映画『ブルース・ブラザーズ』の曲をやるバンドもやってたんだけど、あの映画では、ブルースやソウルのレジェンドとしてB・B・キングとかアレサ・フランクリンが登場していくなかで、ジェームス・ブラウンがすごい重要な位置に登場する。それを教科書にしてると、JBがまっすぐ出てくるのよ(笑)。
Tumblr media
夜行バスで思いついた アパート「ディスコ室町」 のコンセプト
―なるほど、『ブルース・ブラザーズ』だったのか! その後、JBのコピーがディスコ室町の原形になったんですよね。ちなみに、室町は���012年、ミキさんが大学4回生のときにスタートしてますけど、なんでその時期にバンドを始めようと思ったんでしょうか。  4回生になって、進学するか迷いながら就職活動をしていたんだけど、夜行バスで東京に行ったりすることがあって。長い時間バスに乗っているあいだは、音楽聴いたり、考えごとをする時間があるのね。そこでバンドのアイデアを思いついたんだと思う。周りにも就職が決まって暇そうな人がいたり、ボックス(部室)では後輩がたむろしていたから、みんなを集めて、自分が作った曲をやるっていうコンセプト。 ―そのときから、ファンクバンドっていうことは決まってたんですか?  決まってた。人数がいっぱいいて、ファンクのやり方でライブをするバンドというか。「ディスコ室町」というアパートの420号室に人が集まっていて、音楽が始まっていくっていうみたいな世界観だね。  だから人が集わないといけないんだけど、そのイメージが目的なくみんなが集まってくるボックスの雰囲気とつながったのかな。「バンドがやりたい!」じゃなくて、集ってるうちに音楽が始まった、っていう感じ。フザケすぎた結果、バンドになったみたいな。「暇だからやるぞ」みたいな人たち。実際そうなんだけどね(笑)。 ―その後、大学を卒業を機にメンバーも多くが脱退。でもメンバーがいなくなっても続けていったんですね。
 俺は進学して、まだバンドができる環境だったんだよね。あとは、アルバムを一枚作ったから、ニ枚目を出したいっていう憧れはあったかな。漫画の一巻ってどれも面白いよね。それは練り上げられたコンセプトを披露していくのが一巻からだと思うんだけど、その次の展開に行くのってなかなか難しくて。だからファーストで終わっちゃうバンドも多いのかも。俺も高校生のときにオリジナルで5、6曲入りのアルバムを一枚作って、アトリエでも一枚作って、室町でも一枚作って��ニ枚目を作ったらどうなるんだろうっていうのは思ってた。 ―なるほど。  それに、活動が面白かったから。音楽で世界観みたいなものが表現できたと思ったし、継続したいと思った。あと、「面白いのにみんなやめるのかよ」っていうことに対する反骨精神もあったかもね。「やりゃあいいじゃん」って思ってるから。思ってるからには自分はやらなきゃいけないというか。 ―それで結果的には、メンバー募集に「やりたい人たち」が集まってきたんですね。僕とかクマ山さんが加入したくらいのときには「やっと『バンドやりたい人』の集まりになった」って言ってたのを覚えてます。
 それはあったと思うよ。はじめの「バンドとかどうでもいい」っていう人の集まりにも良さがあったけど、それは継続できないんだよね。 ―そのときは「今までどうだったんだ」と思ってましたけど、意味がわかりました(笑)。  みんな音楽は好きだったんだけどね。バンドやるのは別の話だった。ライブハウスとか、現場との相性もある。スタジオだと自分たちだけでやってればいいんだけど、ライブハウスだと人に聴いてもらわないと成立しない。それって面白いけど、苦労もあるからね。
Tumblr media
自分にとってのファンクは 「ボーカルがリズムを作っていく」 音楽の作り方
―ところで「ファンクバンド」であることって、普通の人からすると馴染みのない枠組みのようにも思えるんですけど、どういうものなんでしょう。  ファンクバンドと名乗ってる理由はニつある。一つは、ファンクっていう共通言語を持ってます、聴く人と共有したいです、っていう態度を示したいから。ブラックミュージックって文脈を大切にするし、音楽のそういう楽しみ方というか。 ―うんうん。  もう一つは、結成当時は特に「ダンスロック」って言葉が流行っていて。それに対する問題提起として、ダンスしたくなる音楽を作る上で、なにを大事にしているのかを示す意味で、ファンクっていう言葉が出てきたのかな。  バンド名は「ディスコ」なんだけどね(笑)。アパートの名前として、「ファンク」より「ディスコ」のほうがなんとなくしっくりくるから。本当はファンクとディスコは違うものだけどね。 ―そのスタンスって、他の「ファンクバンド」とも違いそうですね。  一般的にはファンクって、60年代半ばにJBが生み出した「リズムの革命」だよね。  でも自分にとってのファンクの大事な要素は、ボーカルがリズムを作って、全体を包括するっていう音楽のあり方かな。俺はライブでも音源でも楽器は弾いてないけど、歌うことによってリズムを作っていけるし、ファンクになっていく。その重要性は、曲を作ったりライブをするなかでわかってきたことかな。  あと、JBと大きくちがうのは、日本語であること。日本語で歌詞を作るなら、言葉のリズムももちろん大事だけど、何を言ってるかが重要になってくる。  別に歌詞の内容が深くなくてもいいんやけど、どういった方向性のことを言ってるかによって、音楽の聞こえ方が変わってくる。だから、歌の言葉が聞く中でフックになるとか、演奏とか人柄と合ってるとかは重視してるかな。そういう部分は、10年間で変化してきたのかもね。 ―なるほど。ボーカルがリズムを引っ張っていく感じって、演奏してるとめっちゃ感じます。それでいうとミキさんは曲だけじゃなくて、バンドのフライヤーとか、映像まで作ってくれてますよね。そういう面でも、バンドを牽引してる感じがします。全部自分で作ってるのはすごいなと思うんですけど…一方で、誰かに頼もうとは思わなかったんですか?  クオリティはさておき、自分とのすり合わせの時間を大切にしてる。それに、ジャケットとかMVとか、どんな見た目の人がやってるかとか、そういうところで音楽の聴こえ方が違ってくると思ってるから。バンドを始めたときも、レコーディングよりも先に写真撮ったしね(笑)。  当たり前だけど、作ること自体が好きだから自分でやりたいっていうのもあるね。バンドの写真とか映像を作るためにカメラとか、デザインもできるようになっていったし。自分でやってみるっていうこと自体が好きなのかもしれないね。 (聞き手:まこまこまこっちゃん)
Tumblr media Tumblr media
Q &A
Qバンド加入したきっかけ・エピソードは? 夜行バスでコンセプトを思いついて。
Q室町で一番好きな曲は? 『(A BOWL OF)RICE』かな。バンドの雰囲気というか、流れが変わった曲。 Q俺のこの演奏を聞いてくれ! 『Comedy』。ボーカルがリズムセクションとしての意味を持っている感じ。 Q一番記憶に残ってるライブは? 2014年のミナミホイール後夜祭。お客さんの規模(キャパ)が変わって、200〜300人とかのお客さんを巻き込むライブを作るようになった。バンドを求めてくれる人の存在にも気づいた。 Qライブのときに必ずやること マイクスタンドを持っていく。 Qこれは“室町的”と思うエピソードは? 初めてニュースサイトに取り上げられたときに、練習中のスタジオからモチヅキとおわちゃんが「載ってます!」って飛び出してきたこととか。自分も嬉しいんだけど、それ以上にテンション上がってるメンバーを見ることがある気がする(笑)。 Q室町YouTubeでのベストアクト 室町ログ#5 でのロゴ制作。急ごしらえしたものを長く使う、愛好するっていうのは、自分たちのスタンスが出てる気がする。 Q室町10周年を迎えて一言 やめなかったなー(笑)。
Tumblr media
■踊る!ディスコ室町 10th ANNIVERSARY SPECIAL ZINE『室町の10』 価格:1500円(税込) 発売:2022年9月10日 発行:御所西RECORDS 購入:web shop(https://odorudisco.thebase.in/)、またはライブ会場にてご購入いただけます
1 note · View note