Tumgik
nemurumade · 5 years
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ベランダの熱帯魚
 午後十時を回っても、東京の街の気温は二十七度を超えていた。過ぎたばかりの台風の名残か、その空気は少しだけ湿っていて、濃紺色の夜空は分厚い雲で覆われていた。  そんな雲にも似た蒸気が、成人男性二人で入るには狭い浴室を満たし、目の前の男の輪郭をぼんやりと滲ませていた。  シャワーを占領する彼の背後にしゃがみ、レオは浴槽に張ったお湯を頭からかぶった。長い髪の毛先からその水滴がタイルに落ちて音を立てた。顔を上げて髪を搔き上げると、鏡越しに泉と目が合った。 「……なあに、セナ」 「……なんでもなぁい」  と、目を逸らした彼の背骨を人差し指の腹でなぞれば、色っぽい悲鳴を上げた。  二人は珍しく飲み会に参加した。Knightsの新しいアルバムの完成を祝ってのものだった。とは言っても、酒に弱い泉と司は早々にダウンし、レオは酔う暇もなく、暴走し出した泉——チューハイ二杯を飲み終えてレオのシャツの裾から手を入れてきた——を抱えるようにして自宅へ帰ってきたのだった。  れおくん、と甘い声で囁きながら、泉はレオを壁に縫いつけた。彼のバードキスをレオが受け入れると、彼は赤らめた頰をさらに色づけ、 「シャワー、浴びよう」  と遠慮がちに強請った。こんなに飲ませたのは凛月か、嵐か、それともスタッフの誰かか、と考えを巡らす前に、レオは、うん、と答えた。  レオが身体を洗っていると、丁寧に洗顔をしていた泉はハンドルを捻り、動きを止めた。 「……セナ、」 「なに、」  先ほどよりも声のトーンが低く落ち着いていた。彼の手からシャワーを奪うときに、わざと身体を密着させれば、その耳の裏が仄かに赤くなったのが分かった。 「醒めてきたんだろ」
 そう問えば、彼はなにも答えなかった。どうやら図星らしい彼の耳元にわざと息を吹きかけてやれば、彼の唇から、ン、と甘い声が漏れた。 「え、どっち?」 「醒めてるから!」 「怒るなよ〜、誘ってきたのはセナだろ」  レオはシャンプーを手に取って泡立て、目の前の濡れた頭にその泡を乗せて、優しくマッサージするように指を動かした。 「頼んでないんだけど」 「おれがしたいの」  時折、レオの指が耳に触れると彼の肩が微かに震えた。アルコールが入ると彼が敏感になるのは二十歳の頃に知った。特に耳、と、首。  シャワーの微温湯でそれを洗い流し終えると、彼が振り返ってレオの首の後ろに腕を回し、その身体をぐ、と引き寄せた。彼の呼吸は柔らかなアルコールの匂いがした。  ゆっくりと唇を重ね、その味を確かめ合うように幾度も角度を変える。隙間から差し込まれた男の薄い舌を受け入れれば、それはレオの歯列をなぞり、上顎の輪郭をゆっくりと辿った。  レオは手持ち無沙汰の両手を彼に向ける。右手で彼の後頭部を抑え、左手は首筋から臍の辺りまでを往復する。鳴った咽喉に手を這わせば、キスの合間に吐息が漏れた。泉が空いた左手で、レオの顔にかかった長い横髪を耳に掛けた。  暑い夜は、歯止めが効かなくなる。  いつか、今日みたいな熱帯夜に盛ったら、彼に、発情期なの、と笑われて無性に腹が立ったので、勃起したままの彼にお預けを食らわせたことがある。しかしお預けなのはレオも一緒だ。その夜は同じ屋根の下で、違う場所(レオは自分の作業部屋だった、トイレから微かに聞こえた彼の声を録音したことは未だにバレていない)で自分を慰めるというなんの利益にもならないことをした。今冷静に考えるとばかばかしくて笑ってしまう。  二人でするにしても、生産性という面から見れば、なんの利益もないのは変わらないけれど、と思いながら、離れていく泉の唇を見つめた。 「……セナ、」  彼の唇の端の唾液を拭う。どちらのものか判らないし、判る必要もないと思った。  目を合わせて、それから、もう一度、キスをする。 「のぼせそう」 「……俺も」 「ちょっと、せめてTシャツ着てよ」  パンツ一枚のままベランダに出るレオを、泉はベッドの上から咎めた。 「見てるの、おまえだけだろ」  そう振り返って答えれば、裸のままの泉は何も言わず、腕だけ伸ばして、床に放った自分のパンツを拾い上げた。  ムッとした空気は二時間前とさほど変わっていないように思えた。  メンソールの煙草を一本取り出して、その先端にライターで火をつける。長く息を吐き出せば、紫煙が熱された空気に揺蕩う。  夏は夜、って誰が言ったんだっけ、とまだ冷め切らない頭で考える。中学生か、高校生のときに、古典の授業で習った文章。  夏は夜。冷えたビールにアイスクリーム、それから煙草。汗を流すシャワーの微温湯の温度。泉のひんやりとした滑らかな肌と、熱く火照った唇。  そんなふうに考えていると、 「れおくん、」  と泉に呼ばれた。暗い部屋の中で、ベッドに横たわった彼の白い肌がぼんやりと光っているように見えた。 「……来て」  半分も吸わずに、煙草を灰皿に押しつけて火を消した。皺の寄ったスーツの上に乗り、男の背中に身を寄せた。  髪が短くなって、昨日までは見えていなかった頸の上の方に音を立てて口づけて、その皮膚をつよく吸えば、紅い跡がくっきりと残る。  泉は驚いたようにそこを手で覆って振り返った。 「マーキング」  とはにかんで言えば、 「バカ殿」  と力無い反論が返ってきて、レオはまた笑った。
20180729
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nemurumade · 5 years
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熱帯夜で遊泳
 気づいた時には梅雨が明けていて、毎日肌を焦がすような日差しが照りつけている。夜になっても、茹だるような都会の暑さに辟易する。  高校生の頃に住んでいたあの街には海があったから、まだ涼しく感じた。コンクリートジャングルで過ごす夏はもうこれで三度目になるが未だに慣れないし、これから慣れるとも思わない。  午後五時半を回っても空はまだ明るく、夜の訪れは遠く感じた。先の方で逃げ水が音も立てずに揺らめいていた。  それを見つめながら、泉はレオと手を繋ぎながら坂を上っていた。  日曜日、二人とも午前中で同じ仕事を終えた。帰ってゆっくりしようと思っていた泉を、レオは愛車でラブホテルに連れ込んだ。最初は嫌がって抵抗していた泉も、レオに絆されて結局受け入れてしまった。  夏になると、レオは泉を抱きたがる。いつかの暑い日に、 「発情期なの」 と訊いたら彼は機嫌を損ねてお預けを食らったことがあるので、それからは黙ってその欲望を飲み込むようになっていた。  硬い指の腹に撫ぜられて、熱で満ちた瞳に見つめられればなにも言えなくなってしまう。レオの首筋に滲んだ汗のにおいに眩暈がするのだから、自分も大概だ。 「セナ、気持ちいい、」  と、縋るように泉を抱くレオを、暑さと快感に歪む視界の中で見上げながら、そう思った。  ホテルの帰り際に二人でシャワーを浴び、家に着いてから泉は少しだけ眠った。目が覚めた時、レオは煙草を吹かしながら作曲をしていて、その最後の一本を吸い終えると、 「コンビニ、ついてきて」  と、泉の首元に滲んだ汗を掌で拭った。  レオは切らした煙草と、アイスクリームを買った。どうせそれをつまみに家の冷蔵庫で冷やされているアルコールを飲むのだろう。レオは最近の週末、そうやって晩酌を楽しんでいるのだ。  繋いだ掌の間にもじっとりと汗が滲んでいるのに、男は嫌がらなかった。むしろ離すまいと滑るたびに強く握り直す。 「セナ、」  そう呼ばれて顔を向ければ、触れるだけの短いキスをされた。 「……外なんだけど」 「知ってる」  誰か見てたら、と言おうと思ったが、周りに人はいない。  レオはなにもなかったような顔をして歩き出す。彼が履いた下駄がカラコロと鳴った。この音がいいんだ、と彼は泉のプレゼントを好んで履いた。 「……夜ご飯、そうめんでいい?」 「いいよ」  鳴り止まない油蝉の震える鳴き声が響く中を掻き分けるように、二人は坂道を上っていく。 ◇  寝苦しさに目を開ける。  エアコンの効いた寝室のベッドの上で、もう一度身体を重ねた。聞こえるのは、二人分の荒い吐息と、扇風機の首とベランダに置かれた室外機のファンが回る音と、眠らない一匹の蝉の鳴き声だけだった。  シャワーも浴びずに二人は眠りに落ちた。汚れた裸体のまま、二人分の体温ですっかり温まってしまったシーツの上で泉は寝返りを打つ。  目前の男の胸元に触れると、その肌はしっとりとしていた。暑さに眉を顰める彼を見て、頭上のエアコンを確認すると、それは二人が寝ている間に電源を落とし、口を閉じていた。  タイマーを掛け直そう、と手探りでリモコンを探すがとうとう見つからなかった。部屋の入り口に置いたことを思い出して後悔する。重たい身体を持ち上げてそれを取りに行くことさえ億劫だった。  レオの腕が腰に回って、泉は振り返った。まだ寝惚け眼のレオが、セナぁ、と蕩けた声で泉を呼ぶ。 「暑い……」 「俺だって暑いんだから、くっつかないでよ」  その腕を振り払おうとするが、レオはさらに泉の身体を抱き寄せて、その肩口に顔を寄せる。 「セナの汗のにおい、好き」 「嗅ぐなバカ」  と、彼の頭を軽く小突く。 「今、何時」 「たぶん三時、とか」 「じゃあこのまま起きてようかな」 「俺は寝たい」  レオが泉を解放して、泉は彼に背を向ける。今度はその頸に口付けながら、 「まだ、夏が嫌い?」  と、尋ねる。答えずに黙っていると、 「おれは夏、好きだぞ」  レオは楽しそうに笑って夏のお気に入りを指折り数えてみせる。  セナの汗が流れるのを見ること。それを舐めるとセナが身をよじって嫌がること。自分の足元から聞こえる下駄の音が心地いいこと。アイスと煙草がいつもより美味しく感じること。シャワーが気持ちいいこと。毎週のように花火が見れること。  レオの声を聞きながら、泉は瞼を閉じる。  扇風機が、二人の部屋の空気をゆっくりと掻き混ぜる。その生ぬるい風が二人の肌に触れては、消える。ただの気休め程度でしかないそれは、少しだけ、心地いい。  それから、レオの肌と自分の肌が、汗のおかげで密着するのも、嫌いじゃない、と思いながら、泉はふたたび、浅い眠りに落ちていった。
20180715
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nemurumade · 5 years
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渇望、欲情、濡れた光
 真夏、と呼ぶにはまだ早いはずだ。七月の頭、広いドームは熱気で満ち、それに誘発されて汗は流れることをやめない。  中盤から後半にかけて激しいダンスナンバーが続き、息つく間もなかった。衣装替えのタイミングで制汗シートで乱暴に肌を拭ったが、それも気休めでしかない。昨日の公演の疲労が取りきれていないせいか、いつもより余裕がないのを、泉は自覚していた。  今回のツアーは、レオがメインでセットリストを組んだ。スタミナをつけるのも大事だろ、と彼は笑いながら言っていたが、その目は宣戦布告をしていた。おれのKnightsだから、これくらいできて当然だろ、と言うように。それに気づいたのは、もちろん泉だけではない。他の三人も当たり障りのない返事をしながら、手の中のセットリストを見つめていた。  体力がないわけではない。言い訳をするなら、この暑さの中でアップテンポなナンバーを立て続けに歌い、踊った後に、十分以上のメドレー、というセットリストに、悲鳴を上げない者はいないだろう。  五人のパフォーマンスから、凛月、嵐、司の三人でのそれに切り替わる。そのタイミングで、泉とレオは舞台袖にはけた。  スタッフが手早く泉の衣装を整えているとき、レオが袖から降りてきた。その長い髪の毛先から雫が滴り、床を濡らした。  れおくん、と呼ぶ前に、彼は顔を上げた。  熱に浮かされた獣が、まっすぐ泉を見据えた。喰われる。本能的に、そう、思った。  スタッフに渡されたタオルとペットボトル、それから次の衣装を無言で受け取り、レオは前髪を掻き上げた。目線は泉に向けたまま。泉についていたスタッフは、他のスタッフに呼ばれて泉の元から離れていく。  レオは泉の手を掴み、来い、と低く掠れた声で囁いた。その声色に泉は生唾を呑み込む。この男の咽喉から発せられる、いつもより二オクターブほど低い声を知っているのは泉だけだろう。ベッドか、ソファーの上、もしくは浴室、たまに男の愛車の中、で身体を重ねるときにだけ、泉にだけ向けられる声。  DVDの特典のための、バックステージ用のカメラが二人に向けられた。その瞬間、レオの瞳はいつもの色に戻り、しかし、空いた右手はカメラのレンズを覆う。 「ごめん、誰にも聞かせられない話したいんだ」  カメラマンにそう断って、レオは人気のない端まで泉を連れて行く。そこには既に着た衣装が掛けられたラックが並んでいた。その衣装の下に隠すように泉を押し倒し、その目前にしゃがみ込んだ。 「れおくん、」 「……なに、」 「誰か、来たら、」 「来ねえよ」 と、レオは手近にあった大きな布——演出のために凛月が使ったものだ——を手繰り寄せ、泉も自分もそれを覆い被った。 「時間が、ないでしょ、」 「次、おれらのデュエットだろ、それまであと二曲、あの三人がやるから、また上がるとしても八分後」  レオは淡々と答える。巧緻な装飾で飾り立てられたジャケットの下、黒色のインナーは汗でぐっしょりと濡れていた。それをレオが脱いでいる間に、泉は彼から水を奪って渇き切った咽喉を潤した。  上裸になったレオが、泉の顎を持ち上げて、噛みつくようなキスをした。顎から喉仏へと降りてきた指が、その尖りを押した。ん、と甘く鳴ったそれに、レオは満足そうに目を細めた。  熱に浮かされて、踊らされる。理性はいつのまにか溶け、気づいたときには跡形もなくなる。理性と本能を隔てる境界線の上に立ち、泉はどうにか前者を保とうとしながらレオのキスを受け入れていた。  ペットボトルを持った泉の手を、自らの口元に引き寄せる。泉がレオに飲ませるような形になり、溢れた水は泉の腹の上に落ちた。口の中に水を含んだまま、もう一度キスをする。苦しさを覚えながら、流し込まれるぬるいそれを飲み込む。口移しをしながら、レオは泉の腰を撫でた。  ドクドクと血液が身体を巡り、体温が上がるのがわかった。欲しい、と本能が叫んでいる。渇望している。レオが欲しい。このままステージに戻らないで、レオと二人で求め合いたい。  どちらのものともつかない唾液が、糸になって光った。レオは昂り蕩けた声で、セナ、と呼んだ。  が、その声はステージの方から響き渡ってきた悲鳴にも近い甲高い歓声に掻き消された。泉はレオを容赦なく強く突き飛ばし、衣装の下から這い出た。 「……なに、考えてんの」 「満更でもなかったくせに、」 と、レオは布を被ったまま笑って、泉の手を借りて立ち上がった。手早く衣装を着た男の横髪を耳に掛けてやる。  セナ、といつもの声色でレオはそう呼ぶ。 「おれ、水飲めてないんだよね」  眇められた瞳には、有無を言わさない強さがあった。泉は何も言わずに水を口に含み、男がそうしたようにする。  その咽喉が動くのを見届け、ゆっくりと唇を離す。  スタッフが二人の名前が呼ばれるのが聞こえた。勘のいい二人に気づかれたらまた厄介なことになる。そう分かっているから、二人はタイミングをずらしてステージへ続く階段の方へ向かった。  泉に追いついたレオが、イヤーモニターを調整しながら、真顔のまま小さな声で囁く。 「この後、セナと二人で踊るとか、勃ちそう」 「それだけはやめて」 と、彼を見ないまま泉はそう答えた。  潤したばかりだというのに、咽喉が渇いて仕方がない。  渇いているのは、咽喉じゃないのかもしれない。ならば。  その答えを導き出す前に、泉は階段を駆け上がり、スポットライトが落とされたステージの上に立つ。その背中に、レオが凭れた。  目が眩むほど、まぶしい光が二人を照らし出し、ファンたちが声を上げる。  レオが書き下ろした、情熱的な愛の歌。そのメロディーを声で、身体で、なぞりながら、二人は渇望している。
◇ 20180701
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nemurumade · 5 years
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519号室にて、夜は沈む
 三ヶ月に渡る単独ツアーの千秋楽を終えた夜、レオはまだその熱を持て余していた。ステージの上で全て出し切ったと思ったその興奮を、次の朝まで引きずってしまうのはレオの悪い癖だ。その被害者となる男は、悪い癖、そう言った。  ホテルの部屋割りが決まっているわけではない。ただ、 「セナとおれ、同室で」 と言い放ったレオに、反対する者は誰もいない。もちろん、泉も含めて。  部屋に入り、ドアを閉めた瞬間に、レオは泉に口づけた。その細い腰に腕を回して、縺れ合うようにベッドに倒れ込んだ。  その身体をシーツに縫いつければ、青い瞳が揺れた。 「れおくん、」 「なに、」 「なんで、そんな盛ってんの」 「こうなるって分かってただろ、なんで拒まなかった?」 「ライブで、十分でしょ、」 「嘘つくなよ、  セナ。  名前を呼んで、その首筋に舌を這わす。突き放そうとしない男の両手首を掴み、頭上で押さえつける。 「ちゃんと言え」 「なに、を、」 「おれは、まだ足りない」 「なにが、」  その問いに答える代わりに唇を合わせた。舌を入れると曲線を描いた白い喉が上下に動いたのがわかった。甘いアイスクリームを溶かしていくように、西瓜の赤い汁を啜るように、レオは何度も角度を変えて深い口づけを落とす。  Tシャツの裾から手を入れれば、その両肩がびくりと跳ねた。臍の縁をなぞれば、泉の唇の隙間から甘い声が漏れた。唇を離してやれば、涙が滲んだ涼やかなアイスブルーがレオを睨む。 「……セナ、えろい」 と、言えば、 「れおくんが、悪いんでしょ、」 と、言い返してきた減らず口をもう一度塞ぐ。唇を離して、お互いの鼻先が触れそうな距離で囁く。 「……言えよ、セナ」  一度伏せた目をふたたび戻すその癖は、ステージの上でも何度も見た。サイリウムの光の海と同じ色に、レオだけが映る。 「……れおくんが、欲しい」  ベッドから降りたときに、放った下着を踏んだことにも気を留めず、ガラステーブルの上に置いたエアコンのリモコンを手に取って、冷房を入れた。  ライブ会場の熱気と、泉の白い頰や首筋に伝う汗が恋しくなる。暑さに弱いと言う彼は、それに酔ったように、積極的にレオを求める。その姿に、レオの理性はいつもぐらりと傾く。  鍛え上げられた裸体を晒した泉は、寝返りを打ってレオを見上げた。その横にもう一度横たわり、その男の身体を抱き寄せる。暑い、と唸ったのをよそに、その頸に音を立ててキスを落とせば、彼は身をよじった。肩や胸元、腕にまでレオがつけた赤い痕が残っている。 「離れて、」 「やだ」 「暑いって言ってるでしょ」 「エアコンつけたからすぐ涼しくなるだろ」  少しだけ短くなった癖毛に指を絡ませる。その手を鬱陶しがって寝返りを打とうとした泉の頰を捉えてキスをする。その唇の色は、林檎飴にも、西瓜にも似ていた。 「……今日のセナも、綺麗だった」 「……当たり前」  冷たい風が二人の肌を撫でた。泉が、レオの脚に自らのそれを絡ませる。滑らかな肌はまだ熱を含んでいた。 「やっぱり、ステージに立つのはいいなあ」 「……うん、」 「四人に囲まれて歌うの、おれ、好きだよ」 「わかってる」  優しく囁いた泉が、レオの胸板に頭を預けた。  泉がふと自分の腕を見て、小さく悲鳴を上げた。 「あんた、こんな見えるところに痕つけたわけぇ!?」 「夏だから、虫刺されって言い訳できるだろ?」 「蚊でもこんなに刺さないから!」  ごめんって、逆毛立てた猫をあやすように謝りながら、泉の腕の線をたどった。  アイドルの"瀬名泉"は、もう数時間前に眠りについた。目の前にいるのはレオだけが知っている"セナ"だ。そう思うと、この男が愛おしくて堪らなくなる。この感情の吐き出し方を、レオはずいぶん前から知っている。 「……セナ、」 「ん、」 「すきだよ」 「……わかってる」 「あいしてる」 「……それも、」 「うん」  ふだんなら冷たいと感じる彼の体温が、今は熱い、と思った。肩口に泉の唇が触れた。  熱をぶつけられて、それを黙って呑み込むのも、また、悪い癖だと思う。  降参の旗揚げの代わりに瞼を閉じれば、肌よりも熱い唇が、レオの鎖骨の上、ちょうど隠せない場所に触れて、その皮膚をつよく吸った。小さな痛みさえ、心地良かった。
◇ 20180818
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nemurumade · 5 years
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君に指輪は似合わない
 朝方、しとしとと遠慮がちに降っていた雨は、結婚式が始まった昼を過ぎた辺りから叩きつけるような強い音に変わり、チャペルの周りに咲き誇った紫陽花の花を落とした。白い壁に、その花の青や薄紫、葉の色はよく映えていて、存外似合うものだった。  披露宴会場のライトに照らされた二人は、幸せそうに笑っていた。Knightsが以前共演し、それから懇意にしてくれている俳優の結婚式に、スケジュールの都合上出席できたのはレオと泉だけだった。  泉が見立ててくれたスーツを着ているのは、なんだか面映く落ち着かなかった。そんなレオの隣で、泉は今日の主役たちをまっすぐ見つめていた。  アイスブルーの瞳が揺らいだ気がして、名前を呼ぼうとしたが、躊躇ってやめた。 代わりに、湿気でいつもよりカールしたのに苛立ってワックスで整えていた髪の毛先を摘む。  振り返った泉が、なに、と尋ねた。なんでもない、と答えれば、泉はまた体の向きを直してしまう。そのとき、レオに向けられた瞳は、いつもの光を宿していた。
 夕方、家に帰って、 「れおくん、先にシャワー浴びてきていいよ」 という泉の言葉に甘えて、スーツを脱いで少し汗ばんだ肌を洗う。髪からワックスが洗い流されて落ちていくのが分かった。  レオが浴室を出ると、服を脱ぎ始めている泉がいた。ジャケットは既にハンガーにかけたのだろう、きっちりと締めていたネクタイを解き、シャツのボタンを一つずつ外していく。ベルトを外す金属音に、思わずレオは顔を背ける。視界の端で、泉がゆっくりとその美しい裸体を晒していくのを盗み見た。  泉がレオの背後にある浴室のドアに向かってきたので、悪戯をしようと思い伸ばしかけた手を引っ込めた。泉はちらりとレオを見て、 「髪は先に乾かしなよ」 と、いつものようにそう言って、擦り硝子のドアを閉めた。  身体に残った水滴を拭き取り、スウェットを着て、言われた通りに伸びた髪をドライヤーの温風で乾かす。シャワーを浴びている泉の邪魔をして、そのまま抱いてしまおうか、とも思ったが、それもやめた。  リビングに行ってなんとなくテレビをつければ、見覚えのある顔が雛壇に並んだバラエティ番組が放送されていた。チャンネルを変えるのも億劫でそのまま見ていると、自動車のコマーシャル、家電量販店のコマーシャルが流れ、その後に画面が切り替わった。  夜の東京の街、その中で佇む一組の男女。その男の後ろ姿に、レオは息を呑んだ。 「渡したいものがあるんだ」  そう言って男が差し出したのは、小さな箱に丁寧に包まれた、小さなダイヤモンドが輝く指輪だった。  指輪を嵌めれば、彼女は驚いたように顔を上げ、涙を湛えた瞳で男を見上げた。相手の男は優しく微笑んでみせた。どちらからともなく抱き締め合い、彼女は男の肩に顔を埋めた。  そして、男の——瀬名泉の笑顔が、映し出された。レオが、見たことのない笑顔だった。  宝石店のコマーシャルが終わり、バラエティ番組が再開する。  ずっと詰めていた息をゆっくりと吐いた。笑い声がガンガンと頭に響く。リモコンに手を伸ばして電源を落とせば、真っ黒になった画面に自分の顔が映った。寝不足が続いているせいか、両目の下には深い隈が刻まれていた。  十分後には風呂から出てくるであろう泉と顔をを合わす前に寝ようと、重い腰を上げて寝室へ向かった。  家庭の守護神の月である六月に結婚した女性は幸せになれる、という西洋の言い伝えは、いつから日本に浸透したのだろう。そんなことを考えながら、布団に潜る。本人は気づいていないが、泉の匂いが染み込んだそれに包まる。  泉が宝石店の広告塔になるのを、レオは数ヶ月前に、泉本人とスタッフの会話から知った。コマーシャルにも出演し、店頭ポスターにも大きく載るのも当たり前で、レオはそれを分かっていた。ただ、ひどく掻き乱された心を沈める術を、レオは知らない。  今日の結婚式を反芻して、その二人に、泉と誰かを重ねる。  瀬名泉が、愛し合った女と結婚する可能性は現実に存在しないわけがない。その事実を突きつけられた気がした。  歳を重ねて、二人はこの家を出る。自分のものだけをスーツケースに詰めて、お揃いのものはすべて捨てる。泉はピアスを付けなくなって、レオが開けてやったその穴はゆっくりと塞がっていく。ちょうど、お互いにぶつけ合った愛を忘れていくように。しばらくして人づてに招待状が届く。最後に、と思い、せめてもの足掻きとして彼が見立ててくれたスーツを着たレオはその式に出席する。泉の隣にいるのは、レオではなく、レオが知らない女だ。二人は笑い合い、人々の祝福を受けて十字架の下で永遠の誓いを交わす。  想像したら、怖くて堪らなくなった。  部屋のドアが開く音がして、ベッドのスプリングが、ぎ、と鳴る。体温が近づいて、耳元で男の吐息が聞こえた。  ゆっくりと瞼を開ければ、目の前で泉がレオの顔を見つめていた。 「……寝たのかと思った」  そっち詰めて、と泉が布団の中に身体を入り込ませようとするのを防いで、小言が飛んでくる前にその唇を塞ぐ。柔らかな感触を味わうように、何度も角度を変えて食む。 泉はそれを黙って受け入れ、少ししてから、自らレオの唇を求めた。  どちらかはともなく離れて、レオは泉の頬に手を添える。 「……セナ、」 「ん、」 「指輪、欲しい」  泉は空いた手でレオの前髪を掻き上げ、横髪を耳に掛けた。それから、答える。 「……俺はいらない」  その答えに、レオは泉の手を掴んだ。 「おれが買うから!」 「そういうことじゃない」  レオは開きかけた口を閉じた。指輪が、泉をこの関係に縛り付けるものだとしたら、彼にとってはただの呪いでしかないのだ。 「……そうだよな、ごめん」  絞り出した声は掠れていて、自分の情けなさに嫌気が差して寝返りを打つ。そうして空いたスペースに泉が入り込んだ。丸まった背中を泉が撫でた。それから、彼の頭が同じ場所に凭れる。 「目に見える形のものがなくても、俺は大丈夫だよ」  れおくん。  その言葉に、レオは起き上がって泉を見た。眇められた瞳に、強く唇を噛み締めてから、セナ、と男の名前を呼んだ。 「……抱き締めたい」 「いいよ」  伸ばされた腕に身を預け、その背中とシーツの間に腕を滑り込ませて力を込めた。き��と、二人で同じことを考えていたのかもしれない、と思うのは、単なるレオの願望だろうか。それでもいい、と思った。 「キスしたい」 「いいよ」  唇を合わせ、そうして、深くくちづける。舌を絡ませれば、真ん中の辺りが出っ張った細い咽喉が甘く鳴った。 「……いずみ、」  そう呼べば、青を湛えたそれが欲情の色で濡れた。 「セックスしたい」  泉は、いいよ、と囁く代わりに、レオの首筋に指を這わした。  それからその指で、レオの身体を撫ぜ、手淫をし、シーツを掻き、レオの肩に爪を立てた。その左手の骨張った細い薬指に、光るものはなかった。無論、いつかレオがつけた噛み跡が残っているわけもない。  きっとセナに、指輪は似合わない。  抱き合ったあと、二人で仰向けに寝そべりながらレオがそう言えば、泉は笑った。れおくんの方が似合わないでしょ、と。  窓の外から、再び雨音が聞こえ始める。ベランダのフェンスの手摺を叩く少し高い音が、静まり返った部屋に響いた。汗の滲んだ頸に唇を寄せれば塩の味がした。それを言えば、泉はシャワーを浴びるためにベッドを出て行こうとしたので引き止めるように後ろから抱き締めた。  泉は、暑い、と言う。  レオも、あつい、と答えた。  それから、新郎の身を包んだタキシードを思い出して、もう一度、あつい、と呟いた。
◇ 20180630
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nemurumade · 5 years
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明るい部屋、肌の色を憶えているか
 テレビ画面の中では、ニュースの後に始まった洋画が流れっぱなしになっている。シリーズもののアクション映画、その最新作が先週の金曜日に公開したらしく、前作が地上波初放送だとか。  普段このようなジャンルの映画はほとんど見ないが、チャンネルを変えるためにカウンターの上にあるリモコンを取るのも億劫で、そのままにしていたら三十分経っていた。  爆発音と人々の悲鳴をBGMに雑誌を捲る。最新の流行、音楽チャート、新宿に新しくできたカフェ。カラフルな誌面にも飽きて、すぐに閉じる。  忙しい平日には、日曜日のオフはあれをしよう、これをしよう、と色々考えていたのにも関わらず、いざ日曜日になってみると、考えていたことに魅力を感じず、部屋を掃除したり料理をしたりして終わった。  同居人——月永レオは部屋に篭ったままだ。泉が帰宅した昨晩、朝と昼間、それから夕食を食べる前に彼の部屋を覗いたが、ずっとデスクに向かっていた。リビングのカレンダーにはオレンジ色で、"締め切り"の文字が明日の日付の場所にあった。  朝昼晩なにも食べないのは、彼にとって普通だ。ペットボトルの水や栄養ドリンクは彼の手元にあった。心配して声を掛けても気づかれないということを泉はすでに知っているし、作曲に没頭している彼を止めることも諦めている。  もう一度くらい様子を見に行こう、と腰を上げたときだった。  レオの部屋のドアが開いて、ふらふらとレオが出てきた。  いつから着ているのかも分からないパーカーとジーンズ姿、乱れた髪、両眼の下には深い隈が刻まれていた。 「れおくん、大丈夫?」 と、尋ね終わる前に、レオは倒れ込むように泉に凭れ掛かった。その体重を支えながら、レオの顔を覗き込む。 「セナ……締め切り……間に合った……」 「はいはい、お疲れ様ぁ」  よしよし、と彼の頭を撫ぜてから、ご飯は? と訊けば、食べる、という力無い返事が返ってきた。
 レオを風呂場へ連れて行き、その間に冷製パスタを作った。髪が濡れたまま、レオはそれを勢いよく平らげた。ドライヤーでその髪を乾かした後、レオはソファーに上がり、泉に身体を寄せた。 「暑いんだけど」 「いーじゃん、労ってくれよ」  映画の物語は中盤に差し掛かっていた。敵のボスが出てきて、ヒーロー達には成すすべない。  二人で並んで、ただ黙ってそれを眺めていた。レオはそのうち眠ってしまうだろう、と踏んでいたが、泉の予想に反し、平気な顔をしてテレビを見つめていた。  少しだけ開けた窓から、風が吹き込む。湿った風が夏の近づきを知らせた。  傷ついたヒーローに、その恋人が駆け寄った。彼の傷を拭い、もうやめて、と泣きながら彼を止めようとする。  ふと、レオが声を上げた。 「この女優、胸でかい」 「……わざわざここでそれ言う?」  たしかに彼女は胸元が開けたデザインの服を着ているが、この感動的なシーンで言うことではないだろう、と呆れる。  CMが入ったのと同時に、レオは頭を泉の肩に凭れた。 「眠いならベッドで寝なよね」 「離れたくない」  掠れた声で呟いて、そのまま泉の膝の上に頭を移動させた。レオの長い足が肘掛の上に乗る。 「……せっかくオフだったのに、全然セナに触れてないから、」  いいだろ、と低い声でそう言われてしまえば、泉はなにも言えなくなる。レオの右腕が伸びてきて、泉の頰に触れて、下唇をなぞった、右から左へ。首の後ろに回されて、引き寄せられてキスをした。触れるだけのキスを三回。そのあいだ、彼の指先は泉の項を上から下へと何度もたどった。  レオのスイッチがいつ入るのか、なにがそれを押しているのか、未だに泉は分からない。ただ、レオの思惑通り、彼のそういう仕草によって自分の理性が傾いていくのは、とうの昔に気づいてしまった。  レオがふたたびキスをしようとしてきたので、唇を開く。重ねられなくて困惑したようにはにかんだ彼の唇を噛む。 「意地が悪いよなぁ」 と、笑うレオに、深く口づけてやる。喉が渇いた動物のように、ふたりはお互いの舌を求め合って、絡ませた。 「……セナ、」 「なぁに、」  もう一度キスをしたときにそう遮られ、微妙な距離で留まったのが気まずかった。 「機嫌いい?」 「……まぁまぁ」 「セックスしたい」 「あんたさぁ、どこにそんな体力があるわけ……」 「おまえが煽るから」 「……あの女の胸じゃなくて?」 「……容赦しないけど」  泉が顔を離すと、レオは起き上がって、泉の身体をソファーに押し倒した。その目は捕食者の目そのもので。降参、と言う代わりに、レオが服を脱がしやすいように両腕を上げた。  視界の端、画面の中で地球滅亡を防ぐためにヒーロー達が必死に戦っていた。世界が消えるとか知ったことじゃないとか、れおくんは言いそうだなぁ、と思いながら泉はレオの胸に顔を埋めた。シャンプーの匂いと彼の肌の色がやけに鮮やかで、テレビも電気も消せばよかったと、いまさら後悔した。
◇ 20180527
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nemurumade · 5 years
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夏の輪郭
 午前零時を迎えようとしている住宅街は静まり返り、道の両脇の街灯がたまに点滅した。  梅雨入り前の夜は乾燥していて、じんわりと汗が滲む程度に暑い。 家から徒歩五分の近所のコンビニエンスストアに行きたい、と言い出したのはレオだ。 「ついてきて」  その一言だけを言って泉の手を取って立たせたものだから、何も言えずについていくしかなかった。  コンビニエンスストアのドアを開けると人気のない店内にお馴染みのメロディーがけたたましく響き渡り、明るい蛍光灯の光が目を眩ませる。レオは気にも留めず、煙草が買うレジではなくおつまみコーナーに直行した。晩酌をするつもりなのだろう。いくら健康に口うるさい泉でも、昨日まで締切に追われていた彼から楽しみを奪う気はない。カゴを手に取って、レオの後に続いた。  白いリノリウムの床を、レオが履いたビーチサンダルがぺたぺたと鳴りながら歩く。その足首の線の細さに、また痩せたのかもしれない、と心配になる。 と、そのときだった。 「瀬名さん?」  少し高い声に、泉は振り返る。緩くウェーブした茶髪を下ろし眼鏡を掛けた、目鼻立ちの整った女性がそこにいた。眉を顰める泉に、彼女は眼鏡を少しだけずらして、 「私ですよ」 と、はにかんだ顔に、泉はその女性が共演したことのある女優だと思い出す。 「すみません、全然分からなかったです」 「化粧もほとんどしてないから、当たり前ですよ」  レオが黙って、泉が手にしたカゴに、柿の種やさきいかといった定番のおつまみを放り込んで、彼女が声を掛ける前にアルコール類の売り場へ行ってしまった。きっと缶ビールを片手に帰ってくるだろう。 「お友達ですか?」  素っ気ない男の背中を見ながら、彼女は尋ねた。長い赤毛をハーフアップにした男がKnightsの月永レオだとは気づかなかったらしい彼女に、まぁ、と濁して答えておいたそうなんですか、と顔を泉に向けて、彼女は小首を傾げて微笑む。バニラの香水の匂いがツンと鼻を刺した。 「瀬名さんってお酒飲まれるんですか?」 「���や、これはツレので、俺はあんまり」 「そうなんですか。お二人で晩酌ですか?」 「あいつ一人でですよ」  カバンを持たない彼女の手には、スマートフォンと財布、これから買うらしい150円のフルーツゼリーとパンがあった。  彼女はぴったりと泉の横について、話を途絶えさせようとしなかった。だからついつい苦手意識を持ってしまう。てきとうにあしらって早く帰ろう、という泉の気持ちを知るはずもない彼女は、さらに泉に密着した。タイトなトップス越しに胸の感覚が直に伝わってきて頭を抱えたくなった。 「……瀬名さん、この後帰るなら、少し付き合ってもらえませんか?」  突然の誘いに泉は思わず眉間に皺を寄せてしまった。泉を言いくるめるのに必死な彼女は、それにさえ気づかない。 「少し相談したいことがあるんです。近くに知り合いのお店があるので、そこで……」 「でも、もう夜も遅いですし、」 「私は大丈夫ですから」  レジへ向かいながら、俺は大丈夫じゃない、と突き放そうとした時だった。レオが歩いてきて、 「外で待ってるから」 と、横から冷えた缶ビールと小さな箱をレジ台に置いて、先に出て行ってしまう。どこか気の抜けたジングルが鳴った。隣の彼女がコンドームの箱を見て、驚いた表情でこちらを見上げるのが分かったが、泉は素知らぬふりをして、店員に告げた。 「……ラッキーストライク、一つ」
 外でフェンスに凭れ掛かっていたレオに、無言で買ったばかりの煙草を突きつけた。ありがと、と言って受け取り、箱から一本、尻ポケットからライターを、取り出して火を点ける。長く時間をかけて息を吐きながら、先に歩き出していた泉の横に並ぶ。なにも言わない泉の顔を覗き込んだ。 「あの女、誰?」 「一年前くらいに共演した女優」 「ずいぶんと押しが強い女だな」  レオは煙草を咥えたまま、泉の腕に指先を滑らせた。二の腕から、肘の骨を軽く押して、それから手首を掴んだ。  レオの方に顔を向けると、レオは唇を開いた。支えがなくなってコンクリートの上に落ちた煙草を、泉に一歩近づいた靴底が踏み潰した。  苦い、煙草の味。生きているうちに煙草の味を知ることなんて無いだろうと思っていたのはいつまでだったか。  レオは吸う銘柄を度々変えた。花見の時にはピース、その前の冬はマールボロ。彼の舌の味はその都度変わった。  短いキスに満足したのか、レオは何事もなかったかのように歩き出す。 「俺がコンドームを出したときの、あの女の顔、見た?」 「見てない」  もう一本吸おうとしたレオの手を叩けば、彼は軽く舌打ちしてライターをしまう。 「というか、あの人、たぶんれおくんのこと女だと思ったんだよ」 「はぁ?」 「女に嫉妬した顔であんたのこと見てたから」 「おれは立派な男だぞ!」 「髪下ろしてると見えなくはないんだよねぇ」  髪がさらに伸びたレオが女性に見間違えられることも少なくはない。きっと彼女も、顔を見ようと必死で、服装などちゃんと見ていなかったのだろう。 「……セナ、あんまり女に手出さない方がいいぞ」 「出してないから。そういうれおくんの方が、やめた方がいいんじゃない、すぐ局のロビーとかで可愛い子たちと話すの」  度々見かけるレオと女の子のツーショット。アイドルだったり、モデルだったり、女優だったり。彼女たちと並んだとき、レオは細身だが、男性特有の身体の線がはっきりと出る。  レオが再び泉の手首に触れた。遠のこうとすれば、それを強く掴まれた。 「おれはセナしか抱かないよ」 「声が大きいんだよ!」 と、その肩を押した。振り返ったレオはいたずらっぽく笑った。 「誰もいないじゃん」 「そうじゃなくてさぁ、」 「セナがどんな女を抱こうが、おれはかまわないけど、」  立ち止まったレオのライトグリーンがめらめらと光っているのが、暗闇の中で分かった。その光に思わずひゅっと息を呑む。  レオはそのあとに言葉を続けずに泉の手を離して、また歩き出した。彼の赤毛が夜風に揺れた。  首筋にじわりと汗が滲むのが嫌でも分かった。  そのあとに彼が言おうとしていた言葉を、聞きたいような、聞きたくないような、どちらともつかない気持ちのまま、その背中を見つめながら歩く。  きっと、白いビニール袋の中で、ビールのアルミ缶が汗を掻いている。その隣で音を立てるコンドームを、男同士の情事のために使うこともあるだなんてあの女優は思いもよらないだろう。 「セナ、」  歩きながら振り返ったレオが前髪を掻き上げる。 「髪切って」 「……明日ね」 「この後は?」 「他にやることがあるんじゃないの」 と、レオの横に並んで、ビニール袋の持ち手の片方をレオに渡す。 「……それは、据え膳を食べるってこと?」  そう尋ねたレオの瞳を、まっすぐ見つめて答える。彼の背後の自販機の光が、レオの輪郭を照らした。
「れおくんが、そう思うなら」
◇ 20180605
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nemurumade · 5 years
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アイスクリームなんかじゃ足りない
 脳において性欲を司る部分と食欲を司る部分が近い場所に位置しているため、その二つが同時に満たされる、というのは誰から聞いた話だっただろうか。ただ、それはきっと本当なんだろう、と思う。空腹を感じるとき、たまに、泉の肌に触れたくなる。耳朶を甘噛みしたくなる。涙が滲んだ瞳に見上げられたくなる。  人間って不思議だ、脱衣所で服を脱ぐ泉を見つめながら、そう思った。引き締まった身体は完成された美術品のように美しい。どこかの国の美術館で見た石像のような繊細で滑らかな肌。 「……そんなに見られたら脱ぎにくいんだけど」 と、泉が振り返って入り口のドアに凭れたレオを睨む。さっきコンビニエンスストアで買ってきたカップアイスをスプーンですくいながら、「いいじゃん、減るもんじゃないし」 と返事をすれば、泉は素早く下着を脱いで、溜息を残して彼は浴室へ入ってしまった。  昔と比べたらマシになっただろうが、泉はまともな食事を摂らない。レオは作曲に没頭しなければ泉よりも食べている。  午後六時以降に泉が何かを口にしているのを見たことがない。たとえ彼が空腹を感じてもだ。今日だって、昼からなにも食べていないと言っていた。おれには口うるさくちゃんと食べろ、って言うのに、と不満に思う。  リビングからつけっぱなしになっているテレビの音が聞こえる。  甘いバニラの味が舌に広がる。  目の前のドアの向こうからはシャワーの音。  明日は二人とも午後から仕事が入っているから、支障は出ない。  頑なな泉を絆していくのが、レオは好きだった。  甘いだけのバニラアイスを食べ終えて、空になったカップとスプーンを洗面台の上に置く。磨りガラスのドアをノックしても、シャワーの音は止まらない。なに、という素っ気ない返事が返ってきた。 「したい」 「俺はしたくない、」 「おれはしたい」  彼が鍵を閉めていないことをいいことに、そのドアを開ければ、シャワーを浴びて濡れた泉がいた。泉が振り返る前にその背中にキスをする。 「なっ……!」  泉の手からシャワーがタイル張りの床に落ちた音が響いた。こちらに向けられた顔を捕らえて、乱暴にキスをする。顎を掴んだ手に、どちらのものともつかない唾液が伝う。  鳴った喉に指を這わし、さらに深く口づける。バニラの味に泉が眉を潜めて、吐息を漏らした。  泉が鍵を閉めなかったのはわざとだ。レオがいつでも入れるように。浴室で身体を重ねてもいいという合図。一緒に暮らし始めて一年が経とうとする今、レオは全部わかっている。  足元に転がったシャワーヘッドから溢れ出すお湯が二人の足を濡らしていた。
 身体を起こしたレオは、まだ横で眠っている泉にキスをしてからベッドを降り、煙草とライターを片手にベランダへ出た。夜明け前の街は静まり返り、息を潜めて太陽が昇るのを待っているかのようだ。カチ、と音を立てて火をつけ、ゆっくりと浅く息を吸う。吐き出した煙は、昨日のアイスクリームと比べようがないほど苦く、重たい。半分も吸わずに灰皿に押し付けて火を消し、足音を立てないように気をつけながら浴室へ向かった。  シャワーのハンドルを回して熱い湯を頭から浴びる。  泉がつけた爪痕が湯に滲みて、背中に微かな痛みを感じた。ふと、鏡に映った自分の身体をまじまじと見つめる。肩にくっきりと残った噛み痕は、もちろん、泉がつけたものだった。  泉の噛み癖は昔からだ。身体を重ねるとき、レオの背中に爪を立てて、肩を噛む。最初は遠慮がちに、余裕がなくなる頃になると痕をつけるほど強く。その痛みと、唇の隙間から漏れる吐息と嬌声は、泉に食われる感覚だ。それらはレオの理性を形がなくなるまで貪り食らう。  シャワーを浴び終えたら、朝食をつくろう、と思った。泉が好きなホットサンドとブラックコーヒー。昨日買ってきたバナナやキウイ、缶詰のみかんをヨーグルトに和えてもいいかもしれない。今日は朝から暑いから、泉に知られないようにアイスクリームも食べたい、と考えながら、水が滴る長い前髪を搔き上げた。  泉が残した傷痕を指でなぞる。淡白そうに見えて、その実、欲深い男が愛おしくて堪らなくなる。  ドアをノックされて、レオは驚いて振り返った。磨りガラス越しに見える人影がドアを開けた。裸のままの泉がそこにいた。 「……おはよう」 「おはよう、セナ」  シャワー貸して、と後ろ手にドアを閉めながら彼が言う。まだ眠そうな瞳を見つめれば、彼からキスをしてきた。  離れかけた泉をもう一度引き寄せて、今度はレオからキスをする。舌を絡ませればアイスブルーに欲情の色が浮かぶ。  また深いキスを交わし始めて、昨晩からアイスクリームの空容器を洗面台に置きっ放しにしていることに気づく。その縁に残り、夜の間に溶けきったそれのバニラ味を想いながら、レオは彼の下唇を噛んだ。
◇ 20180601
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nemurumade · 5 years
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深夜料金、煙草の匂いとレモンティー
 いつ意識を手放したのかも、いつ目覚めたのかも覚えていない。目の前にあるのは天井で、自分が床に仰向けに倒れていることを理解するのに数分かかった。  起き上がった身体を伸ばすと、強張っていた身体があちこちで音を立てた。机の上のパソコンの画面の光を灯り代わりにして、レオは部屋を出る。期日が明日までの編曲作業が終わって、そのまま床に倒れこんで寝ていたんだ、と冷静な頭で思った。  泉が深夜か、朝方まで帰ってこない日、一ヶ月に一度ほどの頻度で、レオはたびたび近所のファミリーレストランへ向かう。  大抵、食事を摂るのも忘れて作曲に没頭し、力尽きて眠り、空腹に目が覚める。自分でなにかを作るのも億劫なのだが、わざわざ愛車を走らせて近所のファミリーレストランで夕食とも夜食とも朝食とも呼べない食事を摂る。  シャワーを浴びてから着替え、ジーンズの尻ポケットにラッキーストライクのソフトケース、ライター、財布とキーを無造作に突っ込んだ。泉に言われた通りに帽子を目深に被り、度入りの眼鏡を掛けて外へ出る。  窓を半分ほど開けて、初夏らしい湿った空気を吸い込みながら、車を走らせる。  午前三時過ぎ、車の数が少ない広い道路を、背の高い看板が煌々と照らしていた。星の何百倍も眩しい光に目が眩む。  その下の駐車場に停まっている車は3台だけ、出入り口の横の駐輪場にはバイクが一台停まっていた。  店の奥の、窓際の席に腰掛けて、アイスレモンティーとミートソーススパゲッティを頼んだ。夜勤の店員は眠気をまったく見せることなく、キッチンの方へ戻っていく。  深夜のレストランは、いつも通り人気が少なかった。仕事帰りらしき疲れ切った顔のサラリーマンがコーヒーを飲みながら書類に目を通している。大学生らしきカップルがスイーツを食べながら談笑している。Tシャツ姿の男性はパソコンとにらめっこしたままだ。  注文した品は驚くほどすぐに出てきた。  大して美味しくもないスパゲッティをフォークに絡ませて口元へ運ぶ。  こんな時間に高カロリーのものを食べて! と泉は言うだろう。その小言さえ恋しい。  レモンティーと煙草を交互に味わっているときだった。  ふと、窓の外に人影が現れて、窓ガラスをノックした。不機嫌そうな顔をした泉が、窓の外にいた。 「帰るよ」  彼の唇は、たしかにそう動いた。  レオは急いで灰皿に煙草を押し付けて、残りのレモンティーを飲み干した。ニコチンの苦味と紅茶特有の味が混じり合う。注文した店員に代金を支払って外へ出た。待ち構えていた泉に駆け寄れば、頭を軽く小突かれた。 「セナ、おかえり」 「まったく、またこんな時間にあんな高カロリーのもの食べて!」  その言葉に、レオは笑った。 「なにそんな笑ってんの?」 「なんでもない」 「はぁ? 言いなよ、気になるだろ」  泉は助手席に乗り込み、シートベルトを締めた。レオはそれを確認してから車を発進させる。 「やっぱりおれはセナのこと分かってるなぁ、って思っただけ」 「その自信はどこから湧くわけ……絶対半分も分かってない」 「分かってる!」 「じゃあ今俺が考えてること当ててみなよ」  信号が赤に変わって、停まったのはレオの車だけだ。交差点を走り抜ける車も無い。  レオは少しだけ身体を浮かせて、泉に口づけた。泉はそれを受け入れた。舌を二、三回絡ませて、それから離れた。  青に変わった信号の下を通り過ぎる。 「当たった?」 「不正解」 「うそだ!」 「正解は、"れおくんが煙草臭い"」 「……それは、ごめん」 「……レモンティーと煙草って、組み合わせ悪そうだねえ」 「あんまり美味しくなかった。だから、」  駐車場に入って、後ろ向き駐車のために車をバックさせながら泉に尋ねる。 「だから、もう少し口直しさせてくれよ」  サイドブレーキを掛けて、泉を見つめた。アイスブルーが呆れたように笑って、レオの首の後ろに腕を回してもう一度キスをした。そして何事もなかったかのように車を降りる。  その後を追う。午前四時の、少し前。今度はベッドの中で、もう一眠りしよう、とレオは決めた。
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nemurumade · 5 years
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Take me anywhere
「恋人に靴を贈るのはよくないんだって」  そう教えてくれたのはレオだった。韓国のことわざ、と彼は続けた。泉よりも多くの国を訪れたことがある彼は、他国の文化を、なにげない会話の中で泉に教えてくれた。俺のことも連れていって、隣で一緒に知りたいのに、と思うことは昔より少なくなった。 「どうして?」 「相手がその靴を履いて遠くへ行っちゃうから」  なるほど、と泉は思った。泉ご用達の、ブランド物の靴が並ぶ店で、レオの買い物に付き合っているときだった。 「これなんかどう?」  レオは自分で選んだ黒いスニーカーを履いてみせた。 「いいんじゃない?」 「じゃ、これにする」  レオは買い物をする際、大して悩まない。そもそも買い物は泉が無理やり連れていく。レオは泉の気に入っている店の中で直感的にいいと思ったものを選ぶか、泉のセンスに任せるかのどちらかだ。  レオはその靴が入った箱を選んで、レジへ向かった。その間に、泉は革靴を眺めていた。今履いているものが履けないわけではないのだが、二年近く前に買ったものなので、そろそろ新調してもいいかもしれない。 Knightsとしても、個人としても、パーティーや表彰式などでスーツを着る機会が増えた。必然的に革靴が必要になる。  黒色の上質な革を使ったものを見ていると、レオが支払いを済ませてやって来た。 「セナも、それ買う?」  泉の手元を覗き込んだレオに、泉は首を横に振って、それを元の位置に戻した。 「ううん、今日はやめとく」
 午後23時過ぎ。仕事から帰って玄関のドアを開けると、その先は真っ暗だった。手探りで廊下の電気を点けて、泉は履き慣れたスニーカーを脱いだ。タイルの床の上、レオの靴はない。今日は個人の仕事として雑誌のインタビューや打ち合わせなどが入っていた気がする。  しかし、彼は今晩、帰ってこないつもりだろう。昨日のくだらない言い争いを思い出して溜息を吐く。お互いの性格から、小さな喧嘩のようなそれが少なくないことはない。だいたいレオが何ともなかったように話しかけてきて、それに呆れた泉が口を利いて終戦するのだが、昨日は違った。そのままレオは自室に籠ったきりで、泉と顔を合わせることはなかった。去年の秋にも一度あったことだから、と泉は気にしないように努めて、寝室へ入った。  灯りを点けて、ふとベッドを見やる。二人で眠るために買った大きなそれの上に、見覚えのない白い箱があった。  恐る恐る近づくと、その箱の側面には有名なシューズブランドの名前があった。添えられていたのは、"Dear Izumi"と筆記体で綴られたメッセージカード。  蓋を開けると、包装紙に包まれた二足の靴がていねいに納められていた。それは、泉があの靴屋で手に取って見ていた黒の革靴だった。  ついこの間、彼の口から聞いたことわざを思い出す。  恋人に靴を贈るのは良くない。  恋人がその靴を履いて遠くへ行ってしまうから。  つまり、別れを意味するのだと。  その靴を引っ掴んで、泉は寝室を飛び出した。真新しく硬い革はなかなか足に馴染んでくれない。手早く靴紐を結んで、玄関ドアを勢いよく開けたときだった。  うわ、という声に、泉は驚いて顔を上げた。  今まさにドアを開けようと鍵を片手にしたレオが、そこに立っていた。 「びっくりした……セナ、そんなに血相変えてどうしたんだ?」  泉の背後で、ゆっくりとドアが動いていって、バタン、と音を立てて閉まる。泉はレオに近づいて、その肩に頭を凭れた。 「せ、セナ? どうした?」 と、レオは戸惑いながら、あやすように泉の背を撫でた。その掌があまりにも優しくて、泉は握り締めた拳で、レオの胸板を叩いた。力無い拳に、レオはどこか嬉しそうな声色で、いてて、と言う。  いつの間にかレオの腕が背中に回っていて、抱き締められる形になっていた。それに気づいて、泉は離れようとレオの肩を押す。 「れおくん、ここ、一応、外だから!」 「人なんて通らないだろ」 「通るって!」 「最初にこうしてきたのはセナだろ」 と、笑いながら、レオはやっと離れて、二人で家の中に入った。  そして、ふと視線を落として、あ、と頬を緩めた。 「靴、履いてくれたんだ」 「……別れるんじゃ、ないの」  泉の言葉に、レオは再び顔を上げる。 「は?」 「あんたが言ったんでしょ。靴のプレゼントは別れを意味するから、良くないって」  だから、れおくんは、俺と別れたいんじゃないの。  続けた言葉は、途中で遮られた。短いキスに、泉は目を閉じている暇もなかった。 「セナって、たまにバカだよな」  その言葉にカチンときて、泉は無理やり靴を脱いだ。 「こっちの気も知らないで、よくそんなことが言えるよな」  そう睨むと、レオは眉を下げて、ごめん、と謝った。そして、廊下に上がった泉の手を掴んだ。 「聞いて、セナ」  向けられたまなざしに、泉が逆らえるわけがなかった。 「これは、昨日の仲直りに、と思って買ったんだ。この前、セナが欲しがってたから、セナに喜んでもらいたかった。それで、喧嘩したことを許してほしかった」 「……べつに、プレゼントなんかなくても、許すし……」 「うん、言うと思った、ごめん���」  指を絡めれば、レオは目を細めて微笑んだ。立て込んだ仕事のせいか、その目の下には薄っすら隈ができていた。 「おまえと別れるなんて、絶対にしたくない。確かに、この前言ったことわざはあるけど、それはおれの気持ちじゃない。おれはもう二度とセナの隣から離れたくなんかない。信じてくれる?」  レオの指が、繋いだ泉の指の間をなぞった。その癖を、愛おしいと思う。 「……熱烈だねえ、」  泉は右足をレオに向けて差し出した。 「……履かせて」  レオはその場にしゃがみ込み、泉の足に触れた。靴下は脱がせて、と頼めば、彼は注文通りにそうした。その指は、足首の線をなぞり、踝を撫ぜて、爪先を辿る。  それから、ほんの少しだけ歪んでしまったその靴に足を入れさせる。 「次、左出して」  ん、と足を入れ替えて、少し屈んで、レオの肩に体重を預ける。左足も同じようにして、レオは丁寧に靴紐を結んだ。 「似合ってる」 「ありがと」  レオは膝を立てた体勢になって、腕を伸ばした。キスがしたい、と言う代わりに。再び腰を折り曲げて、キスを交わす。 「なぁ、セナ、知ってる?」 「なぁに?」 「ヨーロッパでは、良い靴は人を良い場所、つまり幸せに導いてくれる、っていう言葉があるんだ」 「じゃあ、この靴は俺を幸せに導いてくれるってこと?」 「そういうこと」  立ち上がったレオは、泉がしたように、泉の肩に顔を埋めた。 「今度、ドライブに行こう」 「いいよ」 「旅行でもいい」 「休みが取れたらね」 「靴擦れしたら、おれが絆創膏貼ってあげる」 「れおくん、貼るの下手くそだからなぁ」  目線を絡ませて、二人で笑った。  やっと靴を脱いで、二人で浴室へ向かう。  踵を揃えられた革靴が、その後ろ姿を見送った。
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nemurumade · 5 years
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シーツを手繰る
 午後十時過ぎ。夜の色はさらに深くなり、遠くに見えるビル群がチカチカと瞬いていた。  彼が持っている同じ形の鍵を使って玄関のドアを開ける。 「ただいま」 と、声を掛けても、薄暗い家の中から返事が返ってくることはない。  スニーカーを脱ぎ、廊下に直通するリビングへ向かう。そこで脱いだ春物のジャケットをソファーの背に掛け、ベランダへ出た。  洗濯して干しておいた白いシーツを取り込み、ベッドに被せる。泉に口うるさく言われたため、皺を伸ばすことにも慣れた。最初は、どうせすぐ皺になるからいいじゃん、と思っていたが、朝起きて皺が寄っているのを見るのも悪くない、と思うようになった。  高校を卒業した、十九歳の年。Knightsの活動は一度セーブして、司が卒業する年に再会しようと五人で決めた。  レオはふたたび一人で海外を転々とした。ちゃんと、連絡手段であるスマートフォンを手放すことなく。そこには、度々メンバーからのメッセージが入った。レオはそれに対し、気紛れに、旅先の写真を添えて返信をした。  そうやって繋がりを持ちながら、いろんなものを見た。荘厳な神殿遺跡、南国のコバルトブルーの海、ロシアの真っ白な雪原、先住民が奏でる民族音楽のメロディー。それらはすべて、レオが紡ぐ音楽としてアウトプットされた。  そんなふうにして一年を過ごし、日本に帰ってきてすぐに、泉に鍵を渡した。 「……おれと一緒に住んで」 プロポーズさながらに真剣に言えば、泉は照れ隠しのようにはにかんで、うん、とだけ言った。その手で、その鍵を握り締めながら。  泉はといえば、モデル業を再開しながら、歌やダンスのレッスンも欠かすことなくしていたらしい。また、俳優としての仕事も始めたらしい。当時は、凛月に大根だと笑われていたが、最近はテレビドラマや映画に出演することも珍しくなくなった。現に彼は、二週間前から映画の撮影のために九州に泊まり込みなのだ。  シャワーを浴びる前に、スマートフォンを確認すると、二十分ほど前に泉からのメッセージが入っていた。 "23時には家に着きます" なぜか敬語のメッセージにももう慣れた。 "分かった" という一言だけを返信し、服を脱いで浴室へ入った。
 スウェット姿で、ベランダで煙草を吹かしているときだった。  後ろから抱きつかれて、驚きのあまり息を吸い込み過ぎてしまい、思い切り噎せた。 「セナ?」 と、声を掛けても、彼は黙ったまま頭をレオの肩に擦り付ける。  二週間ぶりに見る彼は、役作りのためか、疲労のせいか、少し痩せて見えた。レオも東京の方で忙しくしていたため、ろくに連絡も取っていなかった。  レオは喫いかけの煙草を灰皿に押し付けて、泉の腕をそっと離して振り返る。  俯いたままの泉の髪を撫ぜる。 「セナさーん、」 と、しゃがんで泉の顔を覗き込む。  手を伸ばして、垂れた前髪を持ち上げた。 「セナ、おかえり」 ただいま、と疲れ切った声で答えた泉の手を引き、ゆっくりと口づける。泉は、やっと、ふふ、と笑みを零した。 「なんだ、元気じゃん」 「疲れてる」 「でもおれはセックスしたい」 そう言いながら、泉のうなじを指でなぞる。熱っぽいまなざしで、泉はレオを見下ろした。  できれば、今すぐに抱き潰してしまいたい。その衝動を必死で呑み込んだ。 「先にシャワー浴びてこいよ」 というレオの言葉に頷いて、泉は浴室へ向かった。がちゃん、とドアが閉まる音だけが響いて、レオはもう一本だけ煙草を吸って、寝室に向かい、常夜灯を灯した。チェストの引き出しの奥から、愛用のローションとコンドームを出して、ベッドサイドに置いておく。  することを終えて、ベッドに一人で仰向けに倒れて天井を眺めていると、泉がやってきて、ふは、と笑い声を漏らした。 「待てされた犬みたい」 「ワン」 と鳴き声を真似をしながら、レオは起き上がった。 「セナ、来て」 泉の腕を掴んで引き寄せる、ゆっくりと。泉は抵抗することなく、ベッドに上がって、レオの肩に顔を埋めた。 「腹減ってるから、容赦しないけど」 そう低く囁きながら泉の喉仏を軽く押せば、ピアスを軽く噛まれた。 「……痛くしないで」 「痛い方が気持ちいいくせに」 と言えば、耳朶を強く引っ張られて、「いてて」と悲鳴を上げた。  ゆっくりとシーツの上に押し倒し、もう一度優しく口づける。  鼻を擦り合わせて、視線を絡めて、お互いにはにかんだ。 「……ダメになっちゃったなぁ、おれ」 と、レオは泉のスウェットの中に手を入れる。 「なんで?」 滑らかな肌の感触を確かめた。泉は熱い息を漏らしながら、自らの指に、レオの長い髪を巻きつけて弄んだ。 「一年も待てたはずなのに、二週間でしんどくなる」 「……そりゃあ、毎日一緒にいたら、慣れるに決まってるでしょ」 「セナは?」 セナは、寂しくならなかった?  その問いに、泉はじっとレオを見つめた。彼の双眸は、どこかの海よりも、吸い込まれそうなほど深い色をしていた。 「ならないわけ、ないでしょ」 そして、堰を切ったように、二人は激しくキスをした。熱い唇と舌に、残っていた理性はどろどろと溶けていく。  強張った肩に歯を立てれば、泉は微かに甘い声を漏らした。 「泉、」 そう名前で呼べば、泉は涙の膜が張った瞳でレオを見上げた。  あぁ、どんな遠くの知らない場所へ行くよりも、この男の傍にいるときのほうがインスピレーションが湧いてくる。  泉の細い手が、レオの頰に伝った汗を拭った。  ゆっくりと、彼がほくそ笑む。 「……なぁに、レオ」 低く囁かれた自分の名前に、レオは思わず息を吐いて、もう一度、泉に深く口づけた。  泉は肩で息をしながら、シーツを手繰り寄せる。その手を取って、指を絡ませた。  まっさらだったそれは汚れ、二人の身体の下で皺を寄せていた。  明日も洗濯しなきゃなあ、と頭の片隅でぼんやりと考えながら、泉の身体を抱き竦めた。
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nemurumade · 6 years
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残る桜も、酩酊も
イヤホンから流れ出しているのは、おとといの夜、レオから手渡された新曲のデモだ。レオが爪弾くギターの音と、メロディーラインをなぞる彼の声、いつものバラードよりも少しだけ速いテンポ。 心地いいメロディーを、もう何度も何度も聴いた。仕事の移動中にも、ホテルのベッドで眠る前にも。そして思い浮かんだ言葉をメモに書き出した。 泉がレオの曲に言葉を当てはめ始めて、もう何年が経つだろう。作詞の手順はちっとも変わっていない。けれど、その作業はいつだって新鮮だったし、いつだって泉の心を浮足立たせた。 雑誌の取材を終えた土曜日の夜、明日の仕事は夜からなので家に帰った。シャワーを浴びている間に、都���のスタジオにこもっていたらしいレオが帰ってきた。今は彼が浴室にいる。 もうすっかり憶えてしまった主旋律を��歌でなぞりながら、バルコニーに折り畳み式のテーブルと、一人掛けのソファーを引き摺り出して、春の夜の透明な空気を吸い込む。 それからキッチンへ戻り、マグカップに注いだホットコーヒーと、メモとペンを手に、またバルコニーに出る。 春らしくて、爽やかなバラード。それでいて少し物哀しい。書き溜めた言葉の羅列を組み合わせて、メロディーに乗せて、またそれを繰り返す。 しばらく経って、背後の窓が開いた音に振り返った。そこにはスウェット姿のレオが、缶ビールを片手に立っていた。泉はイヤフォンを耳から外して、風呂上がりの彼を見上げる。 「セナ、なにしてんの」 「歌詞書いてる」 と、答えれば、レオは子どもみたいに目を輝かせた。 「この前渡したやつ?」 「そう」 「見たい!」 「だめ」 メモ帳を閉じて背後に隠す。レオは缶をテーブルの上に置いて、泉に迫る。 「なんで、」 「完成したら見せるから」 このやりとりも、数えきれないほど、飽きるほどしている。我ながらアホらしい、と思いながら、レオとの攻防戦を続ける。 遠慮もせずにレオは泉の膝の上に乗って、泉の背中に腕を回そうとする。その腕をぴしゃりと叩くと、ムッとした顔が近づく。 くだらないじゃれ合いは、いつもキスで終わる。軽い音を立てて触れた唇はすぐに離れて、レオは泉の膝から降りる。そして背の低いフェンスに身体を預けながら、缶ビールのプルタブを開けてその中身を流し込む。そのときに動く喉仏を見るのが、泉は好きだった。 「明日も仕事?」 そう問うと、レオは首を横に振った。 「今日全部終わらせたから、明日は完全オフ!」 セナは、と問われて、仕事、と答えながら、歌い出しの歌詞に頭を掻いて、顔を上げた。 背の低いフェンスの向こう、手を伸ばせば届く距離にある桜が、月明かりを反射して薄白く光っている。その仄かな光は、レオの輪郭を象った。 街を眺めるレオのまなざしを、泉は辿った。 昔、泉は、そのまなざしが怖かった。 儚く散っていつのまにか消えてしまう桜みたいに、レオがどこか遠くへ行ってしまいそうな気がしたから。実際、レオはしばらくの間、泉の知らない場所へ行き、知らない時間を過ごしていた。 レオが泉の隣に帰ってきてからも、月に帰りたがるかぐや姫のような、陸に焦がれる人魚のような、どこか寂しそうに遠くを見つめるまなざしが、怖くてたまらなかった。 ビールでも飽き足らなかったのか、レオは煙草を取りに行こうと振り返る。泉の視線に気づいた彼は、名前を呼んで首を傾げた。 泉が黙って立ち上がり、レオの手首を掴むと、レオは困ったように微笑んだ。そして、泉のキスを甘んじて受け入れる。 「なに、」 間近で視線を絡ませて、レオは小さく吐息を漏らしながら、唇の両端を上げた。 「ただの独占欲」 「……誘ってんの?」 「口寂しいなら、煙草なんかより俺のがいいでしょ」 「言うようになったなぁ」 なんて、笑うレオに、もう一度キスをする。 レオの背中の後ろで、風に吹かれた桜が揺れた。薄く頼りない花びらたちが音も立てずに落ちていく。 桜の散り際は変わらないはずなのに、あの頃、見ていた桜と、今、目の前にある桜は似ても似つかないように思えた。 離れた瞬間、手首を強く掴まれて、引き寄せられる。二人の足元で、空になった缶が軽い音を立てた。 ふたたび重なった唇、受け入れた彼の舌は、苦いビールの味がした。最近は慣れてしまったそれに、嫌な気はしなかった。 手を引かれて、寝室に向かう。 頭の中で、メロディーに言葉を重ねていく。他のメンバーやファンが聴けば、酒と煙草が好きな女に恋する男の心情を歌った切ないラブソングだと思うだろう。 それでいい、と思う。目の前のライトグリーンが映しているのは、泉の姿だけだし、泉の視界にいるのはレオだけだ。 押しつけられたシーツの上に、レオの髪についていた花びらが落ちる。 この男に、桜は似合わない、なんて思いながら、泉はその首の後ろに腕を回した。 ◇ 20180415
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nemurumade · 6 years
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うそつきたちの夜
スマートフォンの着信音に、沈みかけていた意識が再び覚醒する。ジーンズのポケットの中で震えるそれを手に取り、液晶画面を確認すると、そこには彼の名前が浮かんでいた。 「……もしもし、」 「もしもし、セナ?」 「れおくん、どうしたの、こんな早くに……」 マネージャーが運転する車は、まだ薄暗い首都高速道路を走る。大型トラックが速いスピードでこのハイブリッドカーを追い抜いていった。 車のタイヤが擦れる音に加え、電話から漏れ聞こえる英語で彼の声がくぐもって聞こえた。 「そっか、そっちはもう朝か」 「ん……」 レオは二週間ほど前から、作曲の仕事でアメリカに渡っている。その間、連絡をもらったのはこれを含めて二回だけだ。レオの声を久しく聞いていない気がした。 「今晩帰る予定だったんだけど、また仕事が増えちゃって。帰りが明後日以降になるから、言っておこうと思って」 その言葉に、泉は何も言えなかった。 「……セナ? 聞こえてる?」 そう問われて、聞こえてる、と掠れた声で返した。 「分かった、また帰る日が分かったら連絡して」 「うん、ごめんな、」 「……謝んないでよ、仕事でしょ」 「うん、じゃあ、また。朝早くにごめん」 「いいよ。じゃあね、気をつけて」 通話を切った画面に、四月一日のスケジュールが表示される。 早めに仕事を切り上げられるように詰めた予定と、"れおくん 帰国"の文字にうんざりした。今日を待ち遠しく思っていた自分に辟易する。 スマートフォンを右手に握ったまま、泉は瞼を閉じる。 ——セナと離れたくない と空港でスーツケースを片手に駄々を捏ねるレオの肩を小突いて、泉は笑った。 ——寂しいわけ? 二週間なんてあっという間でしょ ——セナは寂しくないのかよ! 薄情者! ——はいはい、何とでも。ほら、行ってらっしゃい そう送り出したのは、自分のはずなのに。 ◇ 今日はやけに仕事が長く感じた。普段ならあっという間に終わるのに、と思って、集中していない自分に腹が立った。 一人で風呂に入り、夕食を済ませ、早々とベッドに入った。一人で寝るのには広すぎるそれの上で目を瞑り、眠気がやってくるのを待つが、睡魔の気配はない。壁にかかった時計の秒針の音や窓の外から聞こえる車が走る音、近くの街路樹の枝が風に揺れる音がやけに気になって仕方がなかった。しかし、寝返りを何度も打ち、布団を掛け直している間に、いつのまにか微睡んでいた。 それからどのくらいの時間が経っただろう。 のしかかってきたその重さに、泉は呻き声を上げた。掛け布団を剥がされ、口を開く間もなく口づけられる。乾いた唇が何度も角度を変えて重ねられ、喉が鳴る。泉が漏らした甘い声に満足したのか、赤毛の男はやっとキスをやめた。 「れおくん、なんで、帰ってこないって、」 見上げたレオは、優しく微笑みながら、泉の前髪を撫でる。 「エイプリフール、って言っても、怒る?」 子供みたいなその目に、泉は呆れて思い切りその肩を殴ってやった。 「痛っ!……なんだよ、嬉しいくせに」 「嬉しくないわけないでしょ」 そう言えば、レオは驚いたように目を瞠り、それから三日月のように細めた。 「……セナ、会いたかった」 「……俺もだよ」 薄暗い部屋の中で、その瞳はゆらりと煌めいた。 「こうやって、触れて、」 レオの左手が泉の右手を握り、指を絡められる。 「キスして、」 近づけられた唇は熱かった。食むようにキスをされて、理性がゆっくりと熱に侵食されていく。 空いた左手が、泉のスウェットの中に入り込み、身体を撫ぜる。 「……あと、したいのは、セックスだけなんだけど、」 だめ? と尋ねたその表情は、月明かりを浴びる獣そのもので。 泉はレオの左手を振りほどいて、その手を拒む。 「……だめ」 傷ついたような顔をしたレオに、さらに追い討ちをかける。 「明日、朝から仕事入ってるから」 そう言えば、レオは、 「嘘だろ!?」 と声を上げた。 「出発するとき、言ったじゃん! 帰国する日の次の日は仕事入れないで、入れても夜にしてって!」 「よく覚えてるねぇ」 「大事なことは忘れないから!」 必死なレオの表情に、泉は堪え切れなくなって笑い出した。 「俺も忘れてないよ、ごめんって、嘘だよ、冗談」 両腕を回して、レオに口づける。 「……セナもひどいよなぁ、」 「あんたよりマシでしょ」 鼻を擦り合わせて、ふ、と笑みを漏らす。 「……疲れてないの、」 「セナのこと考えてたら、全然」 「手加減してよね」 「無理かも」 そう笑いながら、まるで許しを乞うように、レオは泉の首筋にキスを落とす。そんな彼の伸びた髪を指で梳きながら、泉は掠れた声で言う。 「……ひどくしていいよ」 顔を上げたレオが、泉の瞳をじっと見つめた。 「それは、嘘?」 「もう日付が変わったんだから、嘘吐けないでしょ」 自ら顎を持ち上げれば、レオは黙って差し出された唇に噛みついた。尖った痛みさえも甘く感じるのだから、俺も大概ばかだなぁ、と思いながら、そのキスを受け入れる。 まるで、嘘吐き者たちを嘲るように、夜は音も立てずに更けていった。 ◆ 20180401
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nemurumade · 6 years
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eat all of me
男の身体の重みと、ひんやりとした感触、それから何かが投げ捨てられるような物音に、レオの意識が浮上する。 手のひら、から、腕に浮き出た血管をなぞって、それから、首筋、唇。最後にキス。 「……セナ、やらしい起こし方すんなよ」 瞳を開ければ、案の定、泉がレオの身体に馬乗りになっていた。帰ってきたばかりらしく、チャコールグレーのコートさえ脱いでいなかった。 レオが一人で眠りについて何時間経ったのか分からないまま、泉のコートの襟元に手を伸ばすと、彼は黙って服を脱ぎ始める。 「……今日、ベッドシーンの撮影だった」 映画の、と泉が静かに言う。アイドルのベッドシーンを、彼のファンはどう思うのだろうか、とレオは覚醒した脳みそで考える。 「相手の女優が、このシーンがホワイトデーのお返しでいいです、なんて、言うから笑っちゃうよねぇ」 ストライプ柄のシャツを脱ぎながら、泉はご機嫌に笑う。 大理石を彷彿とさせる滑らかな白い肌が、暗い部屋でぼんやりと光って見えた。そこに残った爪痕に気づく。知らない香水の匂いが、ひどく鼻についた。 「……ベッドシーンって、本当にセックスすんの」 「しない、」 「それで、こんなに匂いがつくのか?」 首筋に寄せた唇でそう問えば、泉は答える代わりに湿った息を吐いた。 「おまえ、いま、何に興奮してんの? おれ? それともベッドシーンの相手の女?」 見つけた赤い痕に唇を重ねて、それから牙を立てた。痛みと快感に、泉は戸惑ったように瞳を揺らした。それにさえも腹が立って、その唇に噛みついた。 ひどく渇いた喉が、火照った身体が、泉を欲していた。 離した唇の間で、どちらのものともつかない唾液が光った。 「……れおくん、お酒臭い」 と顔を顰めながら、泉はレオの、泉が選んだブランド物の、パジャマのボタンを外していく。彼の指先は丁寧で、酔っているとは思えなかった。その仕草を見届けるうちに、頭に上っていた血が元通りに流れていくのが分かった。 「……ごめん、」 さっき、レオが泉にしたように、彼はレオの首筋に口付けた。泉の吐息に、レオの心臓が大きく脈打つ。 このままだと歯止めが効かない。寝室のドアにかかったカレンダーが嫌でも目についた。そして、明日、レオの予定には朝から大事な打ち合わせが入っているのを思い出す。 「……やっぱ、今日は、やめません?」 と口にすると、 「はぁ?」 と思った通りの返事が返ってきた。 泉はレオから身体を離し、アイスブルーの瞳で睨む。 「あのねぇ、仕事とはいえ、こっちは素直に反応するわけ。れおくんも分かるでしょ? 女と密着したら興奮するだろうが」 その言葉に、レオは泉の肩を押して、その身体を組み敷いた。 「おまえさぁ、誰に向かってそれ言ってんの? 女に興奮したって、おれがいるのに?」 「撮影が始まる前から終わった後まで、早く帰ってれおくんに触りたいとしか思ってなかったんだけど、って言っても、もう一回さっきみたいなこと言う?」 レオの襟元を引っ張りながら、泉が強気な声色でそう問う。考える間もなく、答えは一つだった。 「……言わない」 「……なんで断わろうとしたわけ、」 「明日、朝から仕事だし、」 「って言ったのに何回もセックスさせられた男の前でそれを言う?」 「セナ、そう言いつつ、いつもノリノリじゃん!」 と言い終えないうちに、唇を塞がれる。熱い舌に、立て直しかけていた理性が溶かされていく。 は、と吐いたお互いの息が混じって、消える。 「……レオ、」 低い声が、レオの意識を侵食する。レオの中で何かがガラガラと音を立てて崩れていくのが分かった。 「『喰らい尽くして、いいよ』」 目の前にあるのは、飢えた獣の瞳だった。その美しさに見惚れているうちに、噛み殺されてしまうような、そんな、獣の瞳。 まだ作品の中の人間を演じる余裕がある彼に、悔しくなった。と同時に、泉が演じる男に抱かれた女のことを想う。 「……言われなくても、遠慮なんてしねえから」 まるで獲物を奪い合う獣のように、二人は身体を重ねた。 けたたましいアラームの音に意識が覚醒する。 起き上がって、レオは長い髪を掻き上げた。シャワーを浴びて身体の汚れを落としてから、散乱したティッシュや、出しっ放しのコンドームの箱など、生々しい情事の跡を消す。その間も、裸のままの泉は穏やかに寝息を立てていた。 泉が寝室に入ったときに投げ出したらしき紙袋に気づいて、その中身を確認する。 有名店のチョコレートの箱が、いくつも入っていた。 きっと差し入れで今日の現場に持っていくのだろう、と思いながら、その袋をサイドテーブルに置いたとき、ひとつだけ違う包装のものに気づく。本命へのお返しであろうその包みを、遠慮もせず破り捨て、中身の箱の蓋を開ける。細工が凝らされた小さなチョコレートが並んでいた。 朝食にはちょうどいい、と意地悪く手を伸ばす。三粒いっぺんに口の中に放り込めば、チョコレートと、キャラメルの味が混ざった。その甘さに、レオは眉間に皺を寄せた。 今日はホワイトデーだ。妹からのチョコレートのお礼を準備をしていない、帰り際に買って、届ければ良いだろう。そういえば、他にも誰かから貰って、でも床にばら撒いてさほど食べずに捨ててしまったような記憶もある。 考えることが面倒になって、レオは残りのチョコレートを口に放り投げた。ひどい甘みが、レオの喉を焦がす。まるで熱を移すように、甘ったるい唇を、眠ったままの泉のそれに重ねた。 ◇ 20180318
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nemurumade · 6 years
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穿つなら、その目で
弓を握る彼女の手に、自分のそれを重ねる。彼女の肩が強張り、小さく息を呑むのが分かった。 「……イメージしろ、的の中心にこの弓の先が刺さるのを」 強く弓を引く。ギ、と微かな音がした。 彼が離れ、彼女が矢を射る。それは、まっすぐ的に向かっていった。 「カット!」 監督の声に、カメラの前に立った二人は肩から力を抜く。映像を確認した監督は満足げに頷いた。 「二人ともいい表情だよ」 と笑いかけられ、主演女優と、その相手役をする泉はありがとうございます、と声を揃えた。 泉が今回出演するのは、少女漫画原作の映画だ。ひとりの女子高生が、弓道に打ち込みながら、泉が演じる、同じ部の先輩に恋をする、というストーリーだ。 「じゃあ次、シーン42に……」 「瀬名さん休憩入られます」 「お疲れ様です」 「照明こっち持ってきて」 バタバタとスタッフたちが駆け回る中、泉は撮影現場の弓道場を出て、トイレに向かった。 その小さな洗面台の前に立ち、水を出す。冷水を両手で掬い、火照った顔に浴びせた。 自分の手に重なった、あの手の感触。それが、まだ手の甲に残っている。 耳元で囁かれた、あの、いつもよりワントーン低い声。それが、まだ耳にこびりついている。 自分を射抜いた、あの視線。それが、まだ泉を支配している。 ——集中して、泉 「……くそ、」 自分の掠れた声に辟易しながら、蛇口をひねった。 リビングの真ん中に立ち、動きながら台詞を声に出す。昨日の夜も、もちろん最終確認として、泉はそれをしていた。 「『下手くそ』」 そう言いながら、見えない相手役の背後に立つ。見えない彼女の手を掴む代わりに、撮影でも使う弓を手に取る。握りをしっかりと掴み、弓を引く。見えない的に、見えない矢の先を向ける。 そのときだった。 「下手くそ」 その声に驚いて振り返れば、風呂上がりで髪が濡れたままのレオが立っていた。 「はぁ?」 「弓の構えが、初心者感丸出しだ!」 と遠慮もなく笑うレオに、泉は眉間にしわを寄せた。 「言っておくけど、おれは経験者だからな! おまえよりも上手いから」 「そんなこと、言われなくても知ってる」 レオは首にかけたタオルでぞんざいに髪を拭いて、泉の後ろに立った。 「月永先生がセナくんに教えてあげよう」 「それは、光栄だねえ」 と目を細めた泉に、レオは唇の両端を上げた。 「顎は引いて。足はもう少し開け、重心は土踏まずに」 レオに言われるまま、泉は素直に姿勢を正す。 「あと、目線、」 レオの腕が回ってきて、泉の手に彼の手が重なる。熱くて、かたい手のひらに、小さく息を呑んだ。 「ゆっくり落としてくんだよ、上から下げて、真ん中に持ってきて」 ぐ、とレオの手に力が入る。弓を引くと、微かに音が鳴った。 ふ、とレオの息が泉の耳にかかる。 「……集中しろよ、泉」 その低い声に、思わず手を離してしまった。 振り返って、口を開く間も無く、キスをされる。 くそ、と思った。 せめてもの抵抗として唇を噛み締めていたはずなのに、いつのまにかレオの舌が侵入する。顎を掴まれ���乱暴に舌を絡められた。酸素を求めて離れようとすると、より深く口づけられる。 そのままソファーに押し倒されて、泉の手から弓が落ちて音を立てた。 やっと離れたレオは、泉に馬乗りになって、どちらのものか分からない唾液をスウェットの袖で拭う。 「……セナ、キスも下手くそだもんなぁ」 と、楽しそうに笑ったその男の襟元を掴んで、今度は泉から仕掛ける。苛立つ気持ちを抑えて、ゆっくり、侵食するように、彼の唇の内側を舌でなぞる。濡れた赤毛を掻き上げてやった後、頸をなぞる。 薄く目を開けると、目の前には劣情に濡れたライトグリーンがあった。 その射るような視線を、ずっと向けられていた。その事実に気づいて、羞恥に自分の体温が上がっていくのが分かる。 「前言撤回する、気持ちよかった」 レオの手のひらが、泉の服の中に入って、腹の上で滑る。 「……キスしてるときのセナの顔、えろくて好き」 「……勝手に、言ってればぁ」 むき出しになった腹筋の筋に、レオは唇を近づけながら、泉の顔を見ないまま、言う。 「そうする」 自分は呆れるほど負けず嫌いなのだと自覚している。けれど今さら治しようもない。 「シーン52です!」 射場の床を踏む。足を少し開いて、重心は土踏まずに持っていく。それから、背筋を伸ばして、顎を引く。 「いきます、3、2、」 スタッフのその声で、カメラが回り出す。 弓を構える。 下手くそなんて言ったこと、絶対後悔させてやる。 目線をゆっくりと落としていく。 ——集中して、泉 放った矢が、まっすぐ、まっすぐ飛んでいく。矢の先は、的の中心に突き刺さった。 その軌道を見つめながら、想う。 あぁ、まるで、彼の視線のようだ、と。 ◇ 20180311
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nemurumade · 6 years
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ブレザーにさよなら
三月の夜の空気は澄み切っていて、耳鳴りがするほど静まり返っている。それでいて空気は生ぬるく、冬の終わりを告げていた。 泉が走らせるバイクの音が海岸沿いの国道に大きく響いて嫌だった。辿り着いた学校の裏口の脇、大きな木の陰に隠すようにバイクを停め、ヘルメットを脱ぐ。スマートフォンを確認したが、やはり彼からの連絡はない。 ——午後九時、正門前に集合な! 放課後、有無も言わせてくれなかった彼のために、泉はバイクを走らせ、約束の時間に学校へ来たのだった。 裏口を閉ざした門は低く、それを乗り越えて堂々と深夜の学校に入り込むこともできるが、防犯カメラが作動している。見つかるのは当然で、明日には職員室で説教だ。 反対側にある正門に向かいながら、さすがに見逃してくれるかな、と思った。明日は、卒業式なのだ。左胸のポケットにコサージュを飾った卒業生二人に向かって教師が戸惑いながら軽く咎めるだけなのを想像すると、なんだか間抜けな光景で可笑しかった。 閉め切られた門の前に、見慣れた赤毛の男がしゃがみ込んでいるのが見えて、 「……れおくん、」 と、名前を呼んだ。 しかし、彼は顔を上げない。彼の真剣な眼差しは手元の楽譜に向けられ、ペンを握った右手は止まることなく音符を綴る。周りに散らばった数枚を集めても、レオは泉に気づく気配もなかった。 最後の小節を綴り終えて、顔を上げたレオは、目の前にしゃがんだ泉に驚いたように、うわぁ、と声を上げた。 「びっくりした! セナ、なんでこんな所にいるんだ? あっ、まって、言わない……」 「あんたがここに呼び出したんでしょお」 言わないで、と言い終える前に泉が答えると、レオは自分の今日の発言を思い出したのか、目を丸くした。 「そうだった!」 「自分が言ったこと忘れないでよねぇ」 溜息を吐きながら、泉は完成した楽譜に目を通す。 「新曲?」 「そう! またセナが歌詞つけてよ」 「ん」 緩急のあるリズムを刻んだ歪な形の音符を目でなぞってから、丁寧に畳んで鞄に仕舞う。そして、まだ座り込んだままのレオに向き直った。 「で、どうして卒業式の前日にわざわざ呼び出したわけ? 忘れ物?」 と、手を貸して、レオを立ち上がらせる。 「うん、忘れ物」 そう言いながら、レオは泉の手を握ったまま、門から離れる。 「どこも施錠されて入れないでしょ」 「秘密の抜け穴があるだろ」 そう言われて、ああ、と思い出す。きっと、レオと泉しか知らない出入り口。外からガーデンテラスに直通するそれを、一年生の頃に二人で見つけた。身体を縮こめて生け垣の隙間を通る。2年前と比べて、その出入り口は小さく感じた。 「セナ、葉っぱついてる」 と、楽しげに笑いながら、レオは泉の髪に手を伸ばした。その瞳があまりにも優しくて、泉はされるがままだ。 レオは教室棟の方ではなく、プールに向かった。泉はなにも言わずに、その背中の後を追った。 怒る気が起きなかったのは、きっと、これが最後だからだろう。 5人で揃うまで、Knightsとして活動しない。それは、レオと泉の意思だった。泉はソロでの活動をしながら、モデルの仕事を再開する予定だ。レオは、これまでと同じように、フリーで作曲の仕事をするらしい。ただ、彼はあまり自分のことを話したがらないため、泉も詳しくは知らない。 レオはさほど高くないフェンスをよじ登り、その向こうのプールサイドに軽々と着地した。 「セナ、来いよ」 フェンス越しに、レオは目を細めた。その目線に泉がなにも言えないのを知っているのだから、タチが悪い。 泉はレオに倣い、フェンスに足を掛けて乗り越えた。着地した泉の横で、レオは着ていたブレザーとパーカーを脱ぎ捨てて、裸足になり、プールサイドを歩き出した。 まだ三月にもかかわらず、五十メートルプールには水が張ってあった。水泳部が追い出しと称して泳いでいたっけ、と思いながら、桜の花びらが浮かんだプールを見渡す。 ふとレオの方を見ると、彼は飛び込み台の上に立っていた。 れおくん、と名前を呼び終える前に、彼は迷わず水の中に飛び込んだ。プールの淵に駆け寄り、 「嘘でしょ!?」 と絶叫する泉をよそに、レオは悠々とその広いプールで泳いだ。 水面から顔を出したレオは大きく息を吸って、濡れた前髪を掻き上げた。 「セナも入れよ、気持ちいいぞ」 とレオは屈託のない笑みを浮かべた。それを向けられた泉は顔を顰めた。 「俺は泳がない」 と言いながら、ローファーと靴下を脱ぎ、スラックスの裾を捲り上げて足だけを水に浸した。気温がさほど低くないためか、冷たい水を心地よく感じた。 泳いできたレオの濡れた頬を拭ってやれば、彼は熱っぽい目で泉を見つめた。 「セナ、」 そう呼ばれたときには、もう遅かった。 掴まれた腕を引かれて、視界が大きく揺れた。 ばしゃあん、と鈍い音を立てて、水飛沫が上がる。無数の細かな水泡が水面に向かって立ちのぼっていく。思わず口を開けば、吐き出した息が大きな泡になって逃れていく。 ふたたび腕を引かれて、泉は水面に顔を出した。何度か噎せて、求めていた酸素を吸い込んだ。 それから濡れた髪を掻き上げて、目の前で笑うレオを、泉は思い切り睨みつけた。 「ちょっとぉ! なんで俺まで……!」 「怒るなよ、セナ。こんなこと、もう二度とできないんだからさ」 そう言って、レオはプールの中央に向かって泳ぎ出す。 その背中を追うように、泉は水を掻きながら歩いた。足がつかなくなって、渋々泳ぐ。 カルキの匂いがする水は、夜の色を映して揺らいでいた。海とはちがう、その人工的な水が、泉はあまり好きではなかった。 それでも、その水に身体を預けて浮かぶレオは、美しいと思った。月がスポットライトのように彼を照らし出し、水面や桜の花弁がその光を反射して光った。 ステージの上でも、レオはそうだった。周りの凡才にさえも手を伸ばし、自らだけが浴びるべき光を分け与えた。どれだけ自分が傷ついたとしても、レオはその信念を曲げなかった。 レオが身体を起こし、不思議そうに泉を見た。 「セナ?」 優しい声で名前を呼びながら、レオは水を掻いて泉の傍に来て、その手を掴んだ。 「……そんな寂しそうな顔するなよ」 そうやって笑うレオの方が、よっぽど寂しそうだった。 何も言わずに目を逸らした泉の唇に、レオは自らの唇を重ねた。濡れた唇は冷たく、柔らかかった。 「……忘れ物、取りに行くんじゃないの」 「もう満足した」 おまえと泳げただけでよかった、と続けたレオの肩に頭を凭れて、水の中で指を絡ませた。れおくん、と呼んだ声が掠れた。 「もう、上がろう」
どこから手に入れたのかは知らないが、レオは校舎のドアの鍵を持っていた。それを使って中に入り、Knightsに私物化されたスタジオに向かった。 「明日卒業式なのに、乾かなかったらどうすんの」 「サボる!」 と笑ったレオにタオルを投げつけて、合宿のためと置きっ放しにしておいた下着類や練習着をチェストから取り出した。同じ階にあるシャワー室に向かい、脱衣所に置かれた乾燥機に、濡れたワイシャツとスラックスと靴下、それから脱いだ下着類を投げ入れる。生活するのに、なんの不自由もないなぁ、と思いながら、シャワーを浴びた。 先に上がっていたレオが、濡れた髪をタオルで拭きながら泉を見上げた。 「セナ、帰らなくていいの?」 「……あんたは最初から、帰らないつもりだったんでしょ」 タオルを受け取って、彼の髪を丁寧に拭いてやる。うん、と頷いた彼の表情は、見えなかった。 窓の外で、夜は更けていく。静まり返った校舎内に、微かに波の音が聞こえてくる。 れおくんの家に泊まる、と母親にメッセージを送って、スマートフォンを放り出す。 いつまでも片付けられないこたつ机を退かし、ホットカーペットの上で寝転んで、こたつ布団を二人で分け合った。 狭い、と文句を言えば、レオは笑いながら、さらに泉の方に身体を寄せた。 「……当たってるんだけど」 「したくなっちゃった」 「こんなところでするわけないでしょ」 と、泉が寝返りを打てば、待ってましたと言わんばかりにキスをしてくる。 レオは布団を纏ったまま、泉の上に馬乗りになった。相変わらず羽のように軽い細身の身体が心配になる。 「……セナ、」 そう囁いた彼の明るい緑色が、泉の表情を鮮明に映し出した。絡んだ目線を合図とするかのように、レオは優しく口づけた。 柔らかな唇が離れて、そして、ふたたび重なる。今度は、深く、深く。吐いた息が熱く湿っているのがわかった。 「……泉、」 低い声に、泉はなにも言えなくなる。 「……ずるい」 「最後だから、ゆるしてくれよ」 最後って何の、とは、訊けるはずもない。 泉からキスをすれば、レオはゆっくりと、泉の服の中に手を入れた。その硬い指の腹が腰の線をなぞり、仰け反った首元に口づけられて上擦った声が漏れた。 縋るように腕を伸ばせば、レオは強く泉を抱き締めた。 音も立てずに夜が更けていく。暗い部屋の中で、レオの瞳だけが、星の代わりに煌めいていた。
スマートフォンのアラームに目が覚めた。腕だけを伸ばしてそれを止め、軋む身体を起こす。 横を見れば、レオが健やかに寝息を立てていた。 布団からそっと抜け出して、シャワー室に向かう。すっかり乾いた二人分の制服を中から取り出して、それを抱えてまたスタジオに戻る。 窓の外に見える近くの海は、黒に近い色をしていた。穏やかに波打つそれを、たまに怖いと思うことがあった。 レオの忘れ物というのは、高校三年生の春と夏の思い出なのかもしれない、と漠然と思った。 春、レオが登校することは一度もなかった。 夏、いなくなったレオを探すのに必死になった。 泣きそうになるたび、夢ノ咲学院の近くの海辺へ向かった。一人で波打ち際を歩くとき、寄せた波に何度も足元を掬われそうになった。 祈るように、iPodから流れ出すレオの紡いだ音楽を聴いた。 何度も突き放そうとした。あんなやつがいなくても、と思おうとした。そのたびにレオの笑った顔が浮かんで、苦しくなった。その笑顔が好きで、忘れられるはずもなくて、名前を呼ぶことさえ、できなくなっていった。
名前を呼びながら身体を揺すると、レオはゆっくりと瞼を持ち上げた。 「……れおくん」 「んん……セナ……?」 「おはよう、れおくん」 「おはよ……」 レオは伸ばした腕を泉の首の後ろに回し、軽く音を立ててキスをした。 泉はレオが身体を起こすのに手を貸して、シワが残る制服をレオに手渡した。 「今、何時……」 「五時」 「ん……」 一度家に帰ろう、と決めたのは泉だ。卒業式は午後からだ、このまま学校にいたら在校生に迷惑をかけるだろう。 着替えを済ませ、スタジオを元通りにして鍵を閉め、抜け穴から外へ出る。 そのあいだ、レオは泉の手を離さなかった。繋いだ二人の手の隙間から昨日の夜の記憶が零れないようにするみたいに。 泉は隠しておいたバイクを引っ張り出して、ほとんどレオ専用と化しているもう一つのヘルメットを彼に投げ渡した。それを被ったレオは泉の後ろに跨って、その腰に腕を回した。 「セナ、腰、痛くない?」 「痛くないわけがないでしょ」 と答えながら、エンジンを掛けた。レオは笑いながら、ごめん、と謝った。 ���だ薄暗い街に、バイクを走らせる。ほとんど車が通らない国道に、エンジン音だけが響いた。 深夜の学校に忍び込んで、制服のまま泳いで、そのうえ、セックスまでして、なんだかまるで、 「不良みたいだ」 と思ったことを漏らせば、レオもヘルメットの下で大口を開けて笑った。 「不良みたい、じゃなくて、不良だろ!」 その返事に笑って、泉はスピードを上げた。 追い風が二人の背中を押して、流れていく。遠くに見える水平線が橙色の光を帯び始める。二羽のカモメが朝の訪れを喜ぶようにテトラポットの上から飛び立った。 海沿いの道を抜け、桜並木の下を通る。ひらひらと花びらが落ちてきて、それを摑まえようと、レオが手を伸ばす。 きっと、遠くへ行くのだろう。桜の木さえないような場所へ。泉のこともレオのことも知る人がいないような場所へ。 背中に預けられた体温を忘れたくない。そう願ってしまえば、視界が歪んだ。 その指先が、恋しかった。 乱暴に音符を綴り、やさしく泉に触れる、それが。 「セナ! 綺麗だ!」 とレオが子どもみたいにはしゃいだ声を上げた。 れおくんはずるい、と思った。まだ隣にいてよ、と我儘を言いたくなる。 でもきっと泉は、行っておいで、と言って、彼を送り出すのだ。彼に、こんな狭い箱庭は似合わない。  あと数時間後には、二人は高校を卒業する。想像もできないような広い世界へ飛び立つのだ。 もう子どもではないのだと、散り際の桜が言う。 「……うん、綺麗」 泉は噛みしめるように、そう答えた。 春の匂いがした。新芽の匂い、潮の匂い、それから、レオの髪から香る同じシャンプーの匂い。それらをすべて纏った春風が、群青色のブレザーの裾をはためかせた。
◇ 20180505 レオくんお誕生日おめでとう
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nemurumade · 6 years
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潮風と眩暈
二月が終わりが近づき、昼間は穏やかな日差しが春の訪れを示していた。そしてそれは同時に卒業の日が迫っていることを嫌でも泉に突きつけた。 進路先も決まった二人は、自由登校だったその日も学校で自主練をしていた。 「セナさ、」 額に滲んだ汗をぬぐいながら、レオが泉を見る。 「今日と明日、暇?」 そう問われ、手帳を確認する。二つの欄には"自由登校"の文字だけが自分の字で書かれていた。 「ないけど」 と答えると、レオは嬉しそうに目を細めた。 「今日明日、家に誰もいないからさ」 その言葉が何を言いたいのか、尋ねなくても分かる。泉の寝巻きのスウェットがレオの部屋にあることを、レオの母はきっと気づいているだろう。 「……行く」 ぶっきらぼうに答えてから喉に流し込んだ水は、冷たかった。
平日の午後四時過ぎ、帰宅ラッシュ前の夢ノ咲駅はそれほど混んでいなかった。定期を持っていない泉が切符を買うのを、レオはその横で待つ。 改札を通り、2番線ホームへ向かうと、そこに人はほとんどいなかった。 二人の頭上の電光掲示板には行き先と時間が示されている。黄色い線の向こう側に二羽のハトが歩いていた。 ふと、隣に立つレオの手が泉の手に触れた。 「……なに、」 「爪、綺麗だなぁ、って思って」 レオは、手入れされた泉爪先を指の腹でなぞって、それから離した。こういう突拍子もないレオの行動が、泉の心拍数を上げるのだ。彼はそれに気づいているのだから、よけいにたちが悪い。 ゆっくりと滑り込むように停車した電車に二人は乗り込んだ。やはり、乗客はまだ少なかった。 発車した電車が、徐々にスピードを上げていく。吊り輪や広告が揺れ、窓の外は目まぐるしく変わっていった。少し離れたところに座った老人が咳をした。若いスーツ姿の女性はイヤホンをしながら、スマートフォンの液晶画面に視線を落としていた。 二人を気にする乗客がいないことに、泉は肩の力を抜いた。群青色のブレザーは、やけに目立つ。それをもうすぐ着られなくなることを、少し切なく思う気持ちがないわけではないけれど。 そんなことを気にも留めないであろうレオは、泉の顔を覗き込んだ。 「一人で電車に乗ることが多かったけど、やっぱり、おまえと一緒に乗ってる方が楽しいな! 窓の外の景色が、いつもより綺麗に見える」 いつもと変わらないはずなのに、と笑いかけられて、泉は車窓に目を逸らした。 海沿いの線路を、電車は走る。夕日に染められた色の海は穏やかに波打ち、満ちていた。 それは、昔といつかに見た海とはちがっていて。 「……そりゃあ、海が、変わるわけないでしょ」 「そうだけど、そうじゃなくてさ。あぁ、言語は不便だ。待って、曲にして伝えるから!」 と彼はメモ帳を取り出してペンを走らせる。 レオが暮らす街まで、あと何駅だろうか。三十分があっという間に感じて、泣きたくなった。 レオの肩に頭を凭れれば、彼は驚いたように泉を見た。そして、唇で髪に触れて、また音符を綴り始める。 だんだん右上がりになっていく楽譜の音符を目で追っていく。その旋律を好きだと思う。 その優しくて穏やかなメロディーに、どんな言葉をあてようか。彼のためだけに言葉をあてても、許されるだろうか。 そんなふうに考えながら、泉は瞼を閉じる。 車掌のアナウンスが流れる。 電車がゆっくりと速度を落としていく。 何人かが腰を上げて、出口に向かう。 開いた扉から吹き込んだ風が、二人の髪を揺らした。それは確かに、夕焼けに染まった潮の香りがした。
◇ 20180305
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