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Various Artists - Continuous Performance No.3 - 24.3.1977
(Not On Label, 1978)
パフォーマンスアートや即興演奏など芸術が交錯する状態で私たちはどういう風に捉えることができるだろうか。事前にどういうコンセプトか探りを入れたい時もあれば、まずは全体を見渡して鑑賞しようと試みることもある。結局終わってみて理解と感受が追いつかず、知りたい気持ちと感じ取りたい気持ちの相反する感情に苦しむことがしばしばだ。本作に収録されているサウンドは浜田剛爾(はまだ ごうじ)が71年~81年にかけて様々なジャンルのアーティストを招聘しプロデュースした一連の企画、"Performance"シリーズで行われた演目の録音である。A面は「スポーツと嬉遊曲:17人のパフォーマンスによるエリック・サティ」とされ1977年3月25日に芝増上寺ホールにて"Performance 1(パフォーマンス・千遊記)"として開催されたものである。(1)
B面は1978年4月4日に録音された川の音が収録されている。(1)
ここに録音されているのは小杉武久、鈴木昭男、吉村弘、島田璃里らから放たれた音・行ったパフォーマンスであるが、鈴木昭男と吉村弘がデザインを手がけ、77年12月に刊行されたタブロイド紙"Continuous Performance"にはその日の会場図が記されており、それによるとそれぞれのアーティストが連動するといよりは同時多発的演目に向き合うことでその空間を作ったものだとされる。そのためその場を作ったメンバーとしてデザイナーの粟津潔、コジマ録音の小島幸雄、美術評論家のヨシダヨシエ、映画監督の磯野好司、記録カメラマンの山本峯生などもその場に参画した16名がパフォーマー(表現者)として記録されている。(2),(3)
正直なところ音源だけ聞いても何がおきているのか掴みづらく、どういう状況なのかを把握する必要がある。会場図に目を行き渡らせながら音源に向かうと、現場の奥行きが見て取れる。A面はくぐもったようなアナラポスの音が湧き上がり、それに呼応するように畝り返すヴァイオリンの音色。島田璃里によるSports et Divertissementsがその場に浸透するように演奏される。収束に向かう中で遠くの方でコーラスとリバーブの利いた環境音が聞こえてくる。B面に関して、実行日以外の情報を探ることができなかったため、誰が関わりどういう状況のパフォーマンスだったのか知り得なかった。答えが無いものについてしたり顔で語るべきじゃないが、おそらく"Performance 6"(4)として実行された"音の水族館"に近い精神性だったのではないかと推察できる。しかしながら録音されたものは限りなくフィールドレコーディングに近い水流の音であり、流れは速く、それなりの水量を感じる連続性のある音のため、Sound Tubeなどの音具による音とは考えづらい。
私個人としては他の作品にはなるが小杉武久、鈴木昭男、吉村弘、島田璃里ら4人には音を通して様々な風景を見せてもらったと感じている。それらアーティストが移り変わるように演奏し、合致している録音に触れられただけで私自身としては感慨深さを感じてしまうが、それ以上読み解くために多くの情報が必要でクレジット以外の情報はかき集める他なかった。このレコードの資料的価値はさておき、今日この音源が日の目を見る必要性や重要性があるかはわからない。しかし何かしらの事情があったにせよパフォーマンスの記録録音という扱いが難しいものがクレジット表記のみのアートスリーブという最低限のパッケージングで、ある種乱暴ともいえる形でリリースされてしまったことが悔やまれる限りだ。
- note - (1) 記録の不一致 / 録音日に関して: スリーブには1977年3月24日と表記されているが、レコードラベルには25日となっている。参加人数に関して: フライヤーやポスター、タブロイド紙には17人と表記されているが、レコードスリーブには16人とされている。 (2) 北出智恵子 / 粟津潔、マクリヒロゲル1「美術が野を走る:粟津潔とパフォーマンス」(金沢21世紀美術館 展示アーカイブ) (3) 園田佐登志 / 椅子物語  Flyer collection of Tokyo New Music Scene from 1975 to 1994 (1978 - 1971) (4) Performance 6 "音の水族館" / 吉村弘、鈴木昭男、浜田剛爾が参加。1977年8月21日 天井桟敷館アトリエにて。水の音をモチーフにしたパフォーマンス。
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nakedlandscape · 2 years
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Jean Tinguely - Meta
(Propyläen Verlag, 1972)
機械の部品からつくられた芸術を生み出す装置、Méta Mécaniques(メタ・メカニック)を製作したJean Tinguely(ジャン・ティンゲリー)の作品集。施錠された本の中にはレコードとMéta Mécaniquesで描かれたドローイングが収められている。レコードにはMéta Mécaniquesから発生する音や、それをモチーフとした作品が収められている。60年にMoMAで行われたHomage to New York(ニューヨーク讃歌)の展示でのレコーディングや、63年の南画廊での展示でのMéta Mécaniquesの稼働音を元に制作された一柳慧(いちやなぎとし)の作品、Nouveau Réalisme(1)の同胞であったFrançois Dufrêne(フランソワ・デュフレーヌ)によるオーディオコメンタリーといったそれぞれ年代が異なる音源が収録されている。
稼働する芸術装置は役割や特徴、フォルムが異なる。それぞれが忙しなくカラフルに動く様子に健気さを感じるものもあれば、異なる動きを実行することが叶わない故の不思議な侘しさも感じる。多くの作品が機械的な構造の中で軋みや歪みの中で音を奏でながらドローイングをし、一連の動作をもって空間をつくりあげる。それらはまるで生命や精神が宿ったかのような生物的な愛おしさもありつつも、その反面、中には産業社会における禍々しさの化身のように感じる瞬間もある。その最たる例が自己破壊までもメカニズムに取り込んでしまったHomage to New Yorkで、シンプルマシーンで構成された大型のオートマタはがちゃがちゃと音を立てながらドローイングを行い、最後は炎を吹き出し崩れ落ち、およそ27分間かけて絶命していく。
Méta Mécaniquesは寿命を全うする生物のように動き続け、音で満ちている。雑然とした音の集まりと動作の軌跡から紙に生きた証を残す。バーゼルのティンゲリー美術館のRoland Wetzel (ロラン・ヴェツェル)館長は「1日が終わると彫刻は毎日違うものになっている」と話す。(2)日に何回も稼働する装置は消耗し変化してしまう。幸いなことに当時の製作記録が残っており、整備士の尽力でその都度修復できているという。この事実から私の中で展示空間に対して動物園の飼育員の動物に対する眼差しが重なってみえた。発表当時の意図としては工業化社会の新しいリアリティを求めた表現であるが、私自身の視点でこのプリミティブな機械仕掛けに対して、ルーブ・ゴールドバーグ・マシンの結末をみつめる眼差しのような愛おしさといったエモーショナルな感情を抱き、生き物の鳴き声や仕草といった生命へのアナロジーを目の当たりにしたかのように心が揺さぶられる。
- note - (1) Nouveau Réalisme(ヌーヴォー・レアリスム) / 1960年のフランスにて、それまでの芸術様式からの脱却を求め、新しいリアリティを追求するために発足された   芸術家グループ。 (1) ミッシェル・レール / 動く彫刻を作ったティンゲリーに再びに光を当てる(swissinfo.ch)
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nakedlandscape · 2 years
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Amenonuvoco - Amenonuvoco
(Kodanuki Press, 2017)
音源を再生するまでの認識や理解、いわゆる"聴く準備"みたいなものはどのくらいなされているものだろうか。顧みると多くの場合は購入された音源の視聴プロセスとしてせいぜいライナーやレーベル紹介文、メディアの記事やストアのレヴューなど文字情報に触れるくらいで、サブスクリプションサービスの場合意識すらしていないことがしばしばである。作品への理解を軽んじるわけではないが情報がある事で意識すべき点が脳内で指し示されてしまい、その"枷"によって言葉以上のインプットがし辛くなることもあるだろう。これに関してはどうあるべきなんて答えその都度変わるもので、一概に言えたものではないが作品に到るまでの感覚はどうあるべきだろうか。
瘡原亘(Embudagonn 108)、山ノ内純太郎(The Gerogerigegege)、羽鳥智(adam)らが参加した不特定ユニット。Amenonuvoco(啞女埜濡菩鼓:アメノヌボコ)のデビュー作。箱型の装丁の中にはグラフィックが描かれたいくつものプリントやシルクスクリーンのTシャツ、テキスタイル、石膏人形などや石と木を括り付けたオブジェ(ほとんどが一点もの)などで構築されている。音源としては手切りの後が生々しい自作のソノシート、ラベルに様々な文字が掠れるほどの回数を捺印された"複製芸術家音源集成"と題されたカセット、それと未開封のブランクカセット。何か判明出来ない複数の音源とともにオブジェクトに託されたものを1つ1つ読み解きながら作品に至る順序が提供された作品である。
音源は複数の作家が参加したオムニバス作品となっており、浅い連続音が続き、それぞれの曲が途切れなく続く。加工されたアナウンスの声、救急車のサイレンの音と同じリズムの音、グランドピアノの演奏。浅いノイズ音、ホラー映画の導入BGMの様な気怠いシンセ、金属の桶を叩く水滴の様な軽い音の無作為な打楽器音、目覚ましのアラーム...。多くの事はなかなか読み取れない部分があるものの、カセットもソノシートと共通しているのは生々しい録音とそれからくる非常に強い物質感を感じる。どれもチープな音で組み立ており、演奏した機材が特定しきれない反面、音からは伝わるマニピュレーションは生々しく、ざらついた触感は神経が衰弱しそうなほど不安を掻き立てられる独特な雰囲気で溢れている。目隠しをされたような釈然としない中でも、触覚と共鳴するような聴覚を超えた視聴体験は極めて贅沢な瞬間である。
そして最後に未開封のブランクカセットについて。少し大きめな白い封筒に二つ折りのA5サイズの白紙と"Please send us your sounds & visual works"と一言書かれたレーベルのメッセージとともに封入されている。このインタラクティヴな試みがリップサービスという生易しいものではないのは生産性を度外視したクオリティからも読み解ける。レーベルからリスナーへ届く事で完結していた音源のあり方を、本作はリスナーがレーベルへ戻す事で作品を完結する形式に拡大させた。私たちにリスニング以上のことを迫る作品はパフォーマンスの音源の間にいるような感覚をもたらす。
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nakedlandscape · 2 years
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Die Tödliche Doris - Chöre & Soli
(Gelbe Musik, 1983)
20世紀のドイツにおける芸術、大戦という非常に大きな事象左右され世界的にみてもかなり特異な変容を遂げた。戦時中はナチスに退廃芸術として否定された近代美術が戦後4カ国統治を経てそれらが復権していき、失った時間を取り戻すようにさまざまなカルチャーを吸収していった。第2の建国期とされる1968年を経て人々はモダンな思考が芽生えていった。70年代にはサイケデリックとテクノロジーの邂逅により、小宇宙のビッグバンが興った。しかしながら、70年代以降は厚化粧していくロックや英語詞が蔓延したシーンを尻目に、テクニックやリアリティよりもインパクトを追い求めた表現を模索する機運が高まっていった。(1)
そしてそれらは1981年にベルリンの壁に隣接したテンポドローム(西ドイツ側)にて開催されたDie Geniale Dilletanten(天才的好事家)というマルチアートのコレクティヴとして大きく芽吹くことになる。参加者はJunge Wilde,Rainer Fetting,Markus Oehlen,Saloméといったアーティストと、西ベルリンのSprung Aus Den Wolken,Einstürzende Neubauten, , ミュンヘンのFreiwillige Selbstkontrolle, ハンブルグのPalais Schaumburg,デュッセルドルフのDeutsch Amerikanische Freundschaft,Der Planなどが参加した。羅列した名義を見るだけで、その後の80年代の西ドイツのカルチャーの震源地とされることがよくわかる。(2),(3)
西ベルリンのDie Tödliche Doris(ディー・テートリッヒ・ドリス)もDie Geniale Dilletantenでも共鳴していた。当時芸術学生だったWolfgang Muller(ヴォルフガング・ミュラー)を中心に結成された前衛アート集団は、既成の概念にとらわれない演奏(楽器そのものの扱い)から始まり、壊れたテープを用いたり、マイクロフォンを燃やしたり、花束を携えて大人数で歌うなど前衛的なパフォーマンスの一環として音楽活動を行った。彼らの音は楽曲そのもの以上に、全てが作為的であった空間づくりや行為自体にも強い意味を意識して作られており、"コーラスとソロ"と名付けらた本作ではそのタイトルの通り楽器演奏がスタジオの外に追いやられ、3人のボイスパフォーマンスが童謡を口ずさむ子供たちのような無邪気な声で録音されている。それらは糖衣に包まれた猛毒のように、どこか親しみやすさもありつつもユーモラスの内側にはダダイズムに染まった反システム的態度がみて取れる。
この作品は記録メディアのあり方も極めてユニークで、緑の箱の中には4inchの8枚のカラフルなレコードとそれらを再生するために簡易的な電池式レコードプレイヤーが箱に収められている。レコードプレイヤーは当時おもちゃとして利用されている仕様のもので、音質はお世辞にもいいと言えるものではなくチープさが極まるペラペラなものだ。明らかにフィジカルから得られる視聴体験のあり方まで"幼稚さ"を演出を徹底している。本作における作為的な幼稚さは回帰的であり、能力やロゴスに対するアンチテーゼを強調する。
- note - (1) 安松みゆき / 戦後ドイツの美術復興の一考察(別府大学機関リポジトリ) (2) 中村実生 / ノイエ・ドイチェ・ヴェレ(愛知学院大学語研紀要リポジトリ) (3) マティルデ・ヴェー / 「天才的ディレタント」とは何だったのか?(Goethe-Institut)
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nakedlandscape · 2 years
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Andrzej Mitan - Ptaki
(Alma Art, 1987)
民主化前のポーランド人民共和国時代において、反体制に傾倒していたアートシーン(前衛アート)は発表の場を求めたアーティストが大学のスペースギャラリーや、アパートメントといったプライベートな空間や閉鎖的なギャラリーなどでインディペンデントな形式で発表されていたという。最たる例がZPAF(ポーランド芸術写真家協会)に在籍していたHenryk Gajewski(ヘンリク・ガヤフスキー)によってRiviera-Remont(ワルシャワ工科大学の学生寮に併設されたクラブ)内に設置されたRemont Gallery(レモント・ギャラリー)である。批評性の高い作品を扱っていたため、当初からポーランド学生社会主義連合からの圧力があったという。77年にポーランド最大規模のアーティストミーティング、”I am”を行うことでパフォーマンスアートという概念を持ち込んだという。(1),(2)
その当時を生きたアーティストAndrzej Mitan(アンジェイ・ミタン)も同様にワルシャワ工科大学の学生寮の中にTomasz Wilmański(トマシュ・ウィルマンスキー)、Cezary Staniszewski(チェザリー・スタニシェフスキー)らとRemont Galleryの機能を引き継ぐような形でGaleria RRというギャラリーとレーベルであるAlma Artを設立し、5枚のレコードをリリースした。当初はポーランド戒厳令後に検閲対象であった70〜80年代のアートの収集として、とりわけ関わりの深かったAndrzej Bieżan(3)の作品をはじめとするKlub Muzyki Nowej Remont(New Renovation Music Club:新興音楽組合)というコレクティヴを残すこと目的として発足した。
本作はコレクティヴを経てAndrzej Mitanによって1987年にAlma Artからリリースされた。ポーランド語で"鳥類"を意味するPTAKI(プタキ)とウエイトの重いフォントで印刷されたスリーブを閉じ込めるように鉄線に囲んだ装丁には、同名インスタレーションの記録となっている。録音は1985年の6月3日にGaleria RRやワルシャワのペットショップで行われ、ギャラリーで実行されたインスタレーションは"鳥かご"を部屋の各所に設置し、天井近くや部屋の中央に止まり木が設置された室内に解き放ち、幾重にもなった鳥の囀りの中でAndrzej Mitanのパフォーマンスが行なった。白煙を纏ったようなファルセットの中で響くAndrzej Mitanの音響詩は、四方から聞こえてくる鳥たちの囀りに絡みつく。その様子はコントロールができない生物の気まぐれを凝視するというより、いびつながらも余計なアンプリファイアを介さないことで生物の記号的存在感と調和していくように感じる。
同レーベルの興味深い点としてあげられるのは装幀にも作品のコンセプトを具体化してリリースしていた点である。同時期にリリースされた"Psalm"(サーム:賛美歌)では自分達で立ち上げたGaleria RRを教会(聖域)に見立て、音響詩による賛美歌が収録された。作品を聖なるものに見立て、聖体布に見立てた布に包まれている。Ptakiでは金網に封じ込められた"鳥"をスリーブのから取り出すことでさえずり始めるようにインスタレーションをなぞられている。Klub Muzyki Nowej Remontを経て制作された経緯を鑑みると、視聴者が体験する"鳥を放つという擬似的な行為"はポーランド圧政下での民主化への夜明けの希望を込めたメタファーなのかもしれない。
- note - (1)XaweryStańczyk / ネオアバンギャルドワルシャワ。70年代と80年代の独立したギャラリー(culture.pl) (1)瀧健太郎 / 記憶のヴィークル(乗り物)としてのアート・プロジェクト:クシシュトフ・ヴォディチコのアート戦略 (横浜国立大学学術情報 リポジトリ) (2)Andrzej Bieżan(アンジェイ・ビエザン) / チェロ奏者。ポーランドで行われている現代音楽祭であるWarsaw Autumnへの参加、Polish Radio Experimental Studio での録音など、厳しい共和国時代にも関わらず精力的に活動していたものの35歳で夭逝。Super Grupa Bez Fałszywej SkromnościにてAndrzej Mitanとも共演 し、現在でも抑圧に対する抵抗の象徴として国内でも評価を高めている。
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nakedlandscape · 2 years
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Various Artists - Vanity Tapes (Noise Box)
(Vanity Records, 1981)
グレーインフラはモダニズムの象徴であるとともに私たちの社会において不可欠なものである。それに反してケミカルで冷たい質感への都市の��反応は緑を求める。オーガニックさはいつも人のために全面的な快適性を向上させるものとされて、逆に人工物はヒートアイランド現象やアスベストの発生など"公害"を促進する存在としてノイズとされ、解体されることを望まれる。しかし都市機能を支える上で必要不可欠な要素であることは変わりないし、そこから目を背けることはできない。その重要性は複合的なインフラストラクチャの中で緑に覆い隠された灰色が物語る。
本作は国内における最初期のインディペンデントレーベルとされる阿木譲(あぎ ゆずる)によるVanity Records(ヴァニティ・レコーズ)から1981年にリリースされた作品で、ノイズボックスとも呼ばれるこの箱はSalaried Man Club(サラリーマン・クラブ),Kiiro Radical(黄色ラジカル),Den Sei Kwan(電精クワン),Invivo(インヴィボ),Wireless Sight(ワイアレス・サイト),Nishimura Alimoti(西村有望)らによる独立した音源のセットパッケージとなっている。グレーのボール紙の小箱には6本のカセットと"Mon oreille est un coquillage Qui aime le bruit de la mer.(私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ)"とJean Cocteau(ジャン・コクトー)の一行詩である"Cannes V(カンヌ5: 耳)"が書かれた一片の紙が封入されている。
Throbbing Gristleのテープ群の装丁に肖ったスリーブとグレイッシュに包まれた箱の中には、ミニマルでソリッドな音で構成された楽曲が収録されている。アブストラクトな様相は自然物を拒むかのような威圧感すら覚える。それらは一見空虚に感じ取られてしまうかもしれないが、汎用的な楽器の音を緩急で構成された楽曲よりも、電子音や生活の中で起きる電子的なノイズの反復こそが、人工物に囲まれている都市生活者にとってリアリズムなのではないか。そんな徹底された人工物への美意識と、そこに封じ込められた哲学の香りは美的可能性を極める。コンクリートや金属、プラスティックのペレットを象徴するかのような凍てついた無機は美学の聖櫃か、哲学の石棺か、はたまた未来を受信するラジオか。ここに記録されているノイズやビートからなる"サウンドスケープ"は反ユートピア的な未来都市の廃墟や、ウォーターフロント(人工島)で聞こえる "海の 響き"だったのかもしれない。
私がこの音源を手にした頃はまだまだミステリアスな雰囲気を残していたが、近年の再発や資料のサルベージやインタビューなどによって真意が徐々に明らかになってきた。2021年にリリースされたレーベル回顧録"Vanity Records"を参照すると、雑誌Rock Magazineと紐づいたレーベルは、紙面で公募した作品群から抜粋されたリリースだったという。現在からの視点からみるといささか強引な形だと思えるが、阿木の強烈なアジテーションとキュレーション能力を思い知るエピソードである。徹底した哲学や美学を物質に宿したアートワークから、音楽を提供し意思を伝える上でどれだけ重要なことと考えていたか手触りを通じて感じる。クリエイティビティへの意識の高さとこれらアーティストのマニフェストの具体化に徹したディレクションは今でも同時代の肉声や価値観、問いかけを提示している。
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nakedlandscape · 2 years
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Mark Borthwick / hollAnd - Soundtrack For Synthetic Voices
(composite records, 1998)
Purpleやi-D Magazineなどに掲載され、Martin MargielaやOpening Ceremonyなどのファッションフォトグラファーで著名なMark Borthwick(マーク・ボスウィック)が1998年1月に渋谷パルコギャラリーでの個展に合わせて出版された写真集、"Synthetic Voices"のためのサウンドトラック。楽曲の制作はワシントンD.C周辺のシーンで活動しているTrevor Kampman(トレバー・カンプマン)によるhollAnd(ホラント)がプロデュースし、前後のリリースで関わりのあるTeenbeatやSimple Machinesといったアーリントンのレーベルのオーナー、周辺人物であるRob ChristiansenやJenny Toomey、Velocity GirlのArchie Mooreなどが参加。なお、Trevor Kampmanの自宅の地下や庭で録音されたものであるが日本のレーベルからの出版だったためかマスタリングはSeigen Onoが担当している。(1)
ボリ塩化ビニールのポケット型スリーブにはMark Borthwickの4枚のプリントとクリアヴィニールレコードが封入されている。透明感のあるフィジカルは存在するかわからない"ありのままの姿"を見透かしているような整った装幀となっている。楽曲に関しては写真集のための劇判ということもあり、サウンドスケッチ的な楽曲が収録されているが、小作品のオムニバスというよりもそれぞれの曲が質感の書き分けられた静物デッサンのように異なるテイストの楽曲が並んでおり、意図的にお互いの差を際立たせているような構成となっている。
スタジオやアトリエの白い空間を意識させるようながらんとした空間の中で録音されたような反響も目立ち、宅録による独特な質感が目の前のありのままな状態というものが聴覚的に表現されている。作り込まれた視覚的なヒロイズムとは縁遠く、日々のエッセンシャルな要素で構成されたサウンドスケッチとポエトリーはその場に居合わせているような対話や呼吸で生じる息遣いを感じさせる。これはSeigen Onoの知覚に響くような繊細なマスタリングが、空間に解像度をもたらしたことによって効果的な演出として成就している。
この作品の後もMark BorthwickとTrevor Kampmanは名義を変えて2000年代にはTeenbeatではHorse Ing Two = HIT、Temporary Residence Limitedではフランスの役者、映画監督であるHelene Filliers(エレーヌ・フィリエール)を加えてBorthwick hollAnd Filliersといったユニットでリリースを重ね、Rita Ackermannの展示会のサウンドワーク(2)をするなど、引き続き2人で作品を発表した。名義は変更されているものの、2人が参加したユニットはおおよそワンオフに近い形だったにも関わらず素朴さのなかで静物の残り香が佇むような世界観を共有していた。
- note - (1) CDとLPでは収録曲とレーベルが異なる。CDはDarla Recordsから24曲入りで同年にリリースされている。 (2) Rita Ackermann, Mark Borthwick, Nicola Tyson: STATEMENTS (SIX)
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nakedlandscape · 2 years
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Matteo Nasini - The Sudden Gust 
(NERO Magazine, 2014)
1960年代後半にR.Murray Schafer(R・マリー・シェーファー)が人間と音環境との関係全般へと. 拡大しサウンドスケープという概念を提示してから、環境の中での音への意識などの音響生態学的な見直しが行われた。音そのものに向かい合うことで音楽と音の違いを世の中に問いかけた。演奏という極めて技術的行為から身体性を切り離したことで見えてくる音の存在を肯定的にしたものだと感じている。例えばJoe Jones(ジョー・ジョーンズ)による太陽光エネルギーによって演奏を実施する装置"Solar Music Tent"や、公共プロジェクトとして進められたNikola Bašić(ニコラ・バシッチ)によってクロアチアの海岸に設置された"Sea Organ(海のオルガン)"など技術からの脱却、非人間性によって発生する不規則性や偶然性、自然の具体化や記号化。メタ身体性は自然現象そのものを演奏行為として置き換えた楽器や音楽のアイデアは今日までに様々な試行錯誤がされてきた。
"突然の風"という題の本作はローマのMatteo Nasini(マテオ・ナシーニ)によって製作された。4年を費やしてさまざまな場所とさまざまな条件で設置して採取したAeolian Soundというサウンドオブジェクトによる音が収録されている。エオリアンハープと同じ原理でできた装置は、風を受けることで幽玄と響く連続音を奏で続ける。単一的な切り取りで見れば美しさもあるのかもしれないが、全体として捉えようとしたときに始まりも終わりも存在しないことに気がつく。風という視覚的に捉えきれない無形の現象を、オブジェクトを設置することであまりにも広大すぎて捉え切れないその存在を露わにする。自然現象の一環として起こるこの"演奏"はどこまでも肥大化する自然の記号化と、演奏から人間性を脱却させてしまったことによって侘しさや空虚さを際立たせる。
Matteo NasiniはOrchestra Giovanile Luigi Cherubini(ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団)出身で元々は演奏家という経歴を持ちながらも、これまでにインスタレーション、パフォーマンス、テキスタイル、彫刻作品など多岐にわたる作品を発表している。創作の源流としては音楽から着想を得ており、人工物や作為のなかので生まれる有機的な様子や、テクノロジーを通してみた自然物をモチーフとしている作品が目立つ。これ以降に睡眠時の脳波を14の電極を用いてそれぞれの信号を変換して音を生成した、バイオフィードバックミュージックとした"Sparking Matter"などマニュピュレーションを人のコントロールの外に置き換えて生まれる新しい美学や手法論を模索している。
本作はアーティストブックなどの出版をしているイタリアのNERO Magazineからのパブリケーションであるため、作品の意図を汲み取ったフォーマットに縛られていない装幀になっている。空気を含んだ硬いエアクッションの中にクリアヴィニールとともに同封されたA2サイズのプリントセットには、写真にドローイングが書き込まれている。まるで二度と再現されることのない演奏の図形譜のようにそこには風や音といった実態の掴めないものを形に残すかのように記録されている。まるで二度と再現されることのない演奏の図形譜のように。
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nakedlandscape · 2 years
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Various Artists - Folk and Traditional Music of Asia for Children
(The Asia Cultural Centre Japan, 1975-1977)
知への探求は計り知れないもので、先人たちの残した研究の記録には頭が下がるばかりである。音楽に関してリスペクトすべき多くの先人はいるが、私にとって小泉文夫は第一に想起する存在だ。日本における民族音楽の第一人者であった小泉は民族音楽研究に一生を捧げた。アノニマスな存在への探求はそれ自体骨が折れる行為だ。特に子どもが口ずさんで形成されるわらべ歌という予測不能で実態のないものに関してのリサーチの困難さといったら想像を絶するが、小泉は子供達の行為の観察や言語や風土など様々な現象から音楽の成り立ちを明らかにした。
1974年以降、公益財団法人ユネスコ・アジア文化センター(以下、ACCU)による"アジア・太平洋地域音楽教材製作事業"の一環としてアジア17カ国のわらべ歌(代表的な伝統音楽や民族音楽の器楽、声楽曲)の保存プロジェクトとしての出版である。レコード3枚と解説書1冊を1箱に収め、3箱が出版された計9枚と3冊の記録は東京藝術大学の小泉文夫らのゼミが参画し、 ACCUの伊藤良二が中心に編纂された。なお1975年から77年にリリースされた3つのシリーズであるが、その性質上ここでは3作品をひとまとめの作品と捉えて論じる。
わらべ歌という性質上、少ない音の中で単調な反復や感情をシンプルに表現したものばかりであるため、触れること自体には難しいことはない。しかし、単一的に聞くこと自体にあまり意味はなさず、並列的に聴き進めていくことで東アジアの中の多種多様な形式、音を比較観察することができる。言語の発音に由来する独特のリズムや、同時に楽器(多くは弦楽器、打楽器、管楽器で占められている)の重要性を感じることができる。同時代の同地域を横断してみれるパッケージは、通して聴いていくうちに物理的距離を飛び越えてしまうようにアジアの共通意識のようなものを高めてくれる。
充実した本作は資料的価値が高く、好事家のコレクションとして埃をかぶってしまうには非常に惜しい作品である。最後にすこし変わった境遇を紹介しておこう。大手レコードレーベルであるキングレコード��ら出版された中村とうようと小泉文夫が共同監修した民族音楽シリーズなどとは事情が異なり、文化センターのパブリケーションということもあり主に教育・研究機関への補助教材として販売されたが、公刊されて市場に出ることがなかったため現場で活用される機会がほとんどなかったという(1)。ACCUではこれ以外にもアジアの音楽に関するレコードやテープ、書籍を出版しているものの、そのどれもが現在においてもなかなかリーチしづらい状況(2)である。
- note - (1) 福田裕美,加藤富美子 / 1960〜70年代のアジアの伝統芸能との出会い:民俗芸能公演と音楽教育の視点から(東京音楽大学 リポジトリ) (2) 以前、公益財団法人ユネスコ・アジア文化センターに問い合わせた際、販売はしてないが施設内の図書館でいくつかの作品を所蔵しており、事前予約をすれば作品に触れることは可能とのことだった。
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Misha Mengelberg / Han Bennink - Een Mirakelse Tocht Door Het Scharrebroekse
(Instant Composers Pool, 1972)
即興演奏の楽しみ方というのはどういったものだろうか。演奏についての専門知識がない私にとって、いきなり作品に触れて1つ1つの演奏、現象に対して明確な言語化をしていくことは困難だと感じている(むしろこの手の作品を言語化すること自体がナンセンスな話なのかもしれないが)。鑑賞の前にまずはシーンやレーベルといった大きな文脈で触れていきつつ、ある程度の理解と知識を元にそれぞれのアーティストやレーベルの独自性を掘り下げていくという楽しみ方を採っている。何が正しいということ��ないだろうが分かりやすさが見えづらい分、入り方次第ではその後に触れる作品の捉え方や見え方にも影響してしまうものだと感じている。
ベルリンで絶命する直前のEric DolphyのLast Dateへの参加によって名を挙げ、同時にフルクサスに影響を受けたアムステルダムのフリーミュージック楽団、Instant Composers Pool(以下ICP)の創設者であったMisha Mengelberg (ミシャ・メンゲルベルク)とHan Bennink(ハン・ベニンク)によるソノシート7枚で構成された作品。スラップスティックのような騒がしいHan Benninkのドラミングの横で演奏される小動物が飛び跳ねるような愛嬌のあるMisha Mengelbergのピアノは、フリーミュージック特有のヒリヒリとした緊張感がありつつも、ある瞬間その弛緩を緩めてくれる。脆弱さと獰猛さが同居した寒暖差のあるサウンドはリスナーを置き去りにするというよりも、時折みせる脆さみたいなものに親しみすら覚える時がある。
ICPはMisha MengelbergとHan Benninkを中心に60年代から近年に渡り継続的な運営・リリースを実行し、アーティストの活動の場を常に提供することでオランダのフリーミュージックシーンを醸成した。ICPが拡大していく上に重要な役割を担ったのはHan Benninkによるメールアートのような印象的なヴィジュアルワークだと感じている。ジャズにおけるスリーブのあり方は表現者の意図や印象を反映し写真が挿入されることが多いが、ICPに関しては何の変哲もないオブジェクトやか弱い線、気取らない手書き文字を組み合わせて構成されるものが多く、意図的にそれまでフォーマット化されていた"アーティスト像"を伏せているようにも感じる。
本作もまさに絵日記のようなイラストと文章のみで構成されており、これは自分たちの音の性質に自覚的でそういう表現に至ったものではないだろうか。この音源が7inchやLPではなく儚いメディアであるソノシート7枚組でリリースされたことすら小動物のような脆さの中に猛々しい生を込めようとしたのではないだろうか。Han Benninkのアートワークだけでなく生前のMisha Mengelbergを追ったドキュメンタリー(1)で飼い猫のPief(ピアフ)にピアノを演奏させた(鍵盤の上を歩かせた)cat on the pianoや、自身が飼っているオウムとピアノを演奏する姿を見ていると、果てのない個人的な邪推を後押しする。
- note - (1) Jellie Dekker: Afijn(アフェイン) /映画監督であるJellie DekkerによるMisha Mengelbergを追ったドキュメンタリー作品。
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Toshiro Mayuzumi - Cours de Musique Pour Enfants
(King Records, 1971)
1980年、イタリアの美術家。Bruno Munari(ブルーノ・ムナーリ)がI Prelibri(イ・プレリベリ:本に出会う前の本)を発表した。見開き箱の中に10cmほどの小さな本が12冊が収められており、それらは塩化ビニールや木製合板、フェルト生地などの材質でダイカットやフリップブック、工夫のなされた綴じ、錯視を利用した印刷などそれぞれが個性的な仕組みが施され、子供の手に収まるように設計されたサイズ感、どんな国の子供でも触れられるように各書単語のみ印刷された表紙で必要最低限に配慮されている。この作品は文字を学ぶ前の子供の視覚による言語体験である"視覚言語"による学びを与えるものとして、今日では感性教育の教材として傑作として位置づけられる。
多くの人は音楽の成り立ちに触れる前に。生活の中で現象としての音に触れる。そのため子供に向けられた音楽作品とされているもの自体は多くある。その後の演奏を意識して製作されたCarl Orff(カール・オルフ)や、童話や民謡をモチーフにしたMarie-Claude Clerval(マリー=クロード・クレルヴァル)、当時の最新技術であった電子音を用いて音と幼児の親和性を体現したRaymond Scott(レイモンド・スコット)など枚挙に遑がない。しかしながら例に挙げた多くのレコードでリスニングすることでを到達点として程度完結しているため、視聴者に委ねられる点が多い。
黛敏郎(まゆずみ としろう)が中心となって製作した本作は"リズムくんメロディーちゃん こども音楽教室"として販売された12部構成の教育教材で、小泉文夫,谷川俊太郎,小島美子らが責任監修として名を連ね、武満徹や内田るり子、高倉健らまでもが参加した。大部分は音を知ることを目的に様々な音を元に製作されているが、視聴者に遊びをもって能動性を求めたことによって例に挙げた作品とは性質が少し異なる。第12部の"電子音によるこどものためのダイス・ファンタジー"では用意された音源を組み合わせることで、テープ音楽の作曲を疑似体験させた。音そのもの、音の組み合わせ、音の構成を学ぶ教材として最終の段階で作品に視聴者に音楽への関わりを求めた。
Brian Eno(ブライアン・イーノ)は近年のインタビューで「子どもは遊びから学びます。大人はアートを通じて遊び、学んでいきます」(1)と語った。知育教材は役割を終えたら見捨てられてしまうのが常だ。ある程度の成長過程が過ぎると忘れ去られたように箱に収められ、クローゼットの奥に追いやられてしまう。しかし改めて教材に触れたことで、音楽の専門教育を受けてない私にとって乱暴に積み上がった経験と知識、意識を砕くためのものとして学びの助けてくれた。本作に触れることでまさに"音楽に出会う前の音"として知覚が研ぎ澄まされ、音楽への理解を助けるものとしての役割を充分に発揮してくれるだろう。
- note -
(1) 高橋ミレイ / 「遊びとは何か?」ブライアン・イーノ、文化の社会的な役割について語る (FUZE)
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nakedlandscape · 2 years
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Various Artists - Post Marked Stamps
(Tree Records, 1989)
第5世代移動通信システムやロジスティック4.0、そしてポストコロナに向けてますます地域差は均一化に向かっていくだろう。ITは異なる形でゴンドワナ大陸のように世界を1つにしつつある。省人化、AIによってきめ細かくコントロールされた物流、物理的距離を飛び越えた擬似的な対面、SNSの拡大によって"6次の隔たり"の説得力は高まっていく。高速化するインフラの改善によって世界はますますコンパクトになっていく。カルチャーはどう変化していくだろうか。テクノロジーによって距離や時間が圧縮されることで私たちが得られるものと失うもの(あるいは見過ごされていくもの)は何だろうか。
本作は20組のアーティストが参加したコンピレーションとなっているが、実態は1996年から1999年にシカゴのTree Recordsからリリースされた10枚のシングルシリーズをまとめたものである。タイトルの通り各スリーブには切手が貼られ、往復書簡のような体裁をとったスプリットシングルが1箱にひとまとめにさている。組み合わせの特徴として、ペンシルヴァニア州のEthel Meserve(エセル・ミザーヴ)とミズーリ州のGiants Chair(ジャイアンツ・チェア)といった、共鳴し合う同時代のA点とB点といった物理的な距離だけでなく、1枚目のIda(アイダ)とThe Deadwood Devine(ザ・デッドウッド・ディヴァイン)のようなオリジナルのA点と、それにインフリューエンスされたB点といった世代的距離感の関係性(IdaのDaniel LittletonとThe Deadwood DivineのTom LoMacchioは両者ともメリーランド州で活動を始めている)の表象化をしている。
いくつもの人種や文化が各都市ごとに点在するアメリカという広大な国ならではのインディシーンの奥行きと幅の広さをリスニングを通して実感できる。音楽作品を媒体としたシーンのコミュニケーションとリスペクトが各組み合わせ自体は珍しいものではないが、それぞれのアーティスト同士の結び付けの強さと示唆に富んだものが多く、同時代のシリーズコンピレーションとすることで見えなかった関連性をよりクリアにする。ロマンティックなナラティヴとして往復書簡という見せ方をした点は透徹した美意識で溢れている。プラグマティズムがすべからく風情を殺すわけでもないだろうし、90年代を懐古するわけでもないが、まるで物理的距離を楽しむように言葉以上に強靭な性質を帯びたこの作品は隔たりがあったからこそ生まれたことがわかる。
Tree Recordsは寡作で短命のレーベルであったが、表現豊かなアートワークが当時のUS Indieのシーンでも目立っていた。それらはDIY Album Art(1)の掲載されていることからもわかるように、アーティストや作品の特徴を出すために変形スリーブやシルクスクリーン、エンボスなどの手法を用いて製作されたものは今見ても手触りがよいものになっている。トリビアルな話かもしれないがレーベルオーナーであるKen Shipley(ケン・シップレイ)はのちにサルベージ、リイシューを行うNumero Groupをシカゴで立ち上げている。Numero Groupの網羅的なアーカイブと、ストーリーテリングを意識したフィジカルは90年代のインディシーンで培われたものであることが予想できる。
- note - (1) DIY Album Art / J. Namdev Hardisty(J・ナムデヴ・ハーディスティ)によるDIYカルチャーで際立ったアートワークをまとめて掲載した書籍。
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nakedlandscape · 2 years
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Mega Wave Orchestra - Mega Wave Orchestra
(Mega Wave Orchestra, 1988)
視覚と聴覚は本来分断されているものでそれぞれを分けて考えるものであるが、実体のない音楽にとってヴィジュアルを授けることは、記録音楽が上市されレコードが発展、流通していった1950年代以後であり、音楽においてヴィジュアルを切り離して考えることは今日において避けられなくなっている。その少し前の1920-30年代にはWassily Kandinsky(ワシリー・カンディンスキー)やPaul Klee(パウル・クレー)らはマルチモーダルによって音楽を描いた。記譜のように音楽の再現性を目指すものではなく、音楽のコンセプトをなすものとして構成要素に視覚を与える���と(その逆も然り)は極めてモダンな在り方なのかもしれない。
Mega Wave Orchestra(メガ・ウェイヴ・オーケストラ)はマルチメディア・アート活動として1988年にスイスで実施されたプロジェクトである。本作品はジュネーブのギャラリー、Halle-Sudでの展示会に参加したChristian Oestreicher(クリスティアン・エストライヒャー), Christine Schaller(クリスティン・シャーラー), Vincent Barras(ヴィンセント・バラス)とJacques Demierre(ジャック・デュミエール), Olivier Rogg(オリヴィエ・ロッグ), Rainer Boesch(レイナー・ボッシュ)ら6人による音楽作品がまとめられたセット。展示会ではそれぞれ5つのテーマに呼応したレコードとスリーブ、ドローイング、オブジェクトといった造形芸術と音楽とのショウケースとして執り行われた。
本作は数学者でコンポーザーのChristian Oestreicherが中心となり、ジャズやクラシック、サウンドアートにルーツをもつの5名によってMega Wave Studioで録音されたものである。5つの作品は音がミニマルに構成されることで視覚的なコンポジションとの関連性が共有されており、規則正しさの中にある不調和は平面的でありつつも存在する色による奥行きを広げる。幾何学をオプティカルに構成したグラフィックは、デ・ステイルからシュプレマティスム、同国のJosef Müller-Brockmann(ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン)といったスイス・スタイルのといった芸術様式からの強い影響は見て明らかで、これらはモダニズムの精神性でもある"Form Follows Function(形態は機能に従う)"の音楽への変換とも捉えられる。楽曲のアイデアとなったアートワークはHeinrich Richard Reimann(ハインリヒ・リヒャルト・ライマン)によるものである。Heinrich Richard Reimannは60年代からハードエッジペインティングに取り組んでおり、その中で自身のフォルムと色の羅列からリズムや音を表現するようになったという。
記号学的三分法によって音楽作品の"存在"とは作品の"創出(作曲)"、”中立(演奏)"、"感受(聴取)"のいずれでもあるという考察がなされたが、(1)現在において音楽におけるグラフィティは象徴的であり記号的に作用している(特に商業音楽に関してはことさら説明する必要はない)。音楽美学の観点からみても視覚と聴覚は単に感覚器官で受動するものの区別でなく、21世紀以後の音楽は相互関係においてマルチモーダルなあり方は分断されるべきではなく、統合して考えて捉えた方がより実体の輪郭は鮮やかになるのではないだろうか。
- note - (1) Jean-Jacques Nattiez / 音楽記号学
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nakedlandscape · 2 years
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Philip Glass - Music In Twelve Parts
(Venture, 1987)
ミニマルミュージックの旗手として知られる現代音楽の巨匠、Philip Glass(フィリップ・グラス)によるオーケストラ作品。3台の電気オルガン、2本のフルート、4本のサックス(2つのソプラノとアルト、テノール)と織り込まれた絹のような女声で構成された本作は、Philip Glassの作品を体系的に見たときにはミニマルな構成でありつつも複雑さが極まることから、ある種の過渡期的な位置付けをされている。1976年の初出時に”12の部分からなる音楽"は12部構成の音楽という意味ではなく"12行の対位法のハーモニー"を意識して作られたもので元々は1曲の作品であったが、曲を聞いた友人から「他の11部は?」という誤解がきっかけとなり3年かけて残りの11曲を製作したというユニークな逸話が残されている(12部構成のリリースは1988年)。 吸い込まれるほど澄み切った美しい音は緻密に計算された完成図に向けて複雑さとスケールを増しつつ組み立っていく。それはまるでイワシの魚群のように大きな塊が絶えず有機的なフォルムに変化をしているような大きな量感のうねりと柔らかさを感じる音塊で、細やかな移り変わりさえも見逃してしまうことが惜しく一時も目を離せず、凝視せざるを得ない。そして驚かされるのが基本的な展開は同じものの、同じテーマで12種類のパターンを作り出し、その中で細部における変容中で見事に造形的な美しさを構築したことだ。これらおおよそ3時間にわたる音源を聴き終えるのはなかなか根気がいる事かもしれないが、そのリッチな音作りと見事に徹底された美意識と完成度を浴びることで針を上げる頃には多幸感で満たされる。 本作品の美しさを後押しする存在として、見過ごしてはならないのはアートワークである。美しい線の重なりで構成されたヴィジュアルは美術家であるSol Lewitt(ソル・ルウィット)によるもので、様々なフォルムに揺らめく線状のパートを視覚化している。また概念を遂行することを重要視し、実行者(ドラフトマン)は別にある作品完成へのプロセスや、論理空間の地としてのウォールドローイング的解釈は、演奏者と作曲者が必ずしも一致しないケースが多いオーケストラ作品と近似的なものであることを指摘できる。(1) ブラック・マウンテン・カレッジで行われたDavid Tudor(デイヴィッド・チューダー),John Cage(ジョン・ケージ),Merce Cunningham(マース・カニングハム)らの共作Untitled Eventで実現させた不連続性とは対照的な手法で、1979年12月にはPhilip Glassの音楽をバックに、Sol Lewittの描いたグリッドの上で、振付家のLucinda Childs(ルシンダ・チャイルズ)によるダンスを複合させた"Dance"が発表された。それぞれが同期して正確無比に連動していく設計は、Philip Glassの緻密な組み立てが視覚的にも実感できる作品であり、アーティストの通底したコンセプトと実行者の技巧によって実現させたものとして各フィールドを横断したアートの傑作として位置付けられている。(2)
- note - (1) 一色陽子 / Sol LeWitt論 (多摩美術大学 大学院 修了作品・論文アーカイヴ 1999-2000) (2) Julie Caniglia / Dancing in "Sol LeWitt's Expanding Grid"(Walker Art Center, Sightlines)
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nakedlandscape · 2 years
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Xénia Radák / Ernő Király
(Diskos, 1979)
「私が空を見上げると、決して世界は同じではなかった。」本作の当事者Xénia Radák(ゼニア・ラダック)が近年のインタビューにて幼少時を振り返る。(1)これはハプスブルク帝国以後現代まで、統合、分離を重ねている"多様性を内包する国家"での出来事を差している。当時ヴォイヴォディナ社会主義自治州であったノヴィサドで録音された本作は、現在でいうところのセルビアを軸にハンガリー、クロアチアといった3つの地域や文化を跨いでいる。中心となったのはハンガリーの民族音楽と前衛音楽への邂逅を実施、実験し続けたErnő Király(エルネー・キラーリー)がXénia Radákが描いたグラフィック(図形譜)を元に制作され、B面は曲名の通りザグレブを代表するメディアアート集団のAcezantez(アセザンテス)による演奏となっており、Nove Tendencije(2)を知る上でも重要な位置付けの作品である。
2人についてのバイオグラフィを少し触れると、Ernő Királyはハンガリー国境近くのセルビアの町で産まれ、独学で西洋音楽を学び、市立劇場管弦楽団に所属しつつ民謡や民族楽器の収集をし、やがて博物館の音楽部長も務めた。それぞれの活動を並行していくわけでなく、Ernő Királyは民族音楽学者として西洋音楽と民族音楽を混ぜ合わせることで斬新なアプローチを実験を行なった。同じくセルビアに産まれたXénia Radákはハンガリーの家系に産まれ、ハンガリー語とセルビア・クロアチア語を学んだという。(3) 70年代後半〜90年代にはAcezantezのDubravko Detoni(ドゥブラヴコ・デトニ)などクロアチアの作品のプロデュースやアートワークで携わり、現在はXénia Detoniとしてハンガリー語とクロアチア語への翻訳家としてハンガリーの文学作品を保存・編集をしておりその功績が認められクロアチア文化省から文化功労賞を受賞をしている。
それぞれの図形譜では構成や表現方法が異なっており、楽曲は演奏者に委ねられている。地元のピアノ楽団によって演奏されたActionesは五角形を中心として連なる幾何学模様に詰め込まれた音楽記号の大小で構成されたものである。Acezantezが演奏した同名の曲は人工物や装置のようなものを想起させる9つのパートで白黒反転した画面に描かれ、演奏者はそれらを同時に実行する指示されている。注視したいのはFolk Rustleに関して、植物をモチーフにしたような曲線図形とタイトル、使用されているのがツィターということから、マジャール人の伝統模様がルーツにあるものだと予想できる。
政治家のSzéchenyi István(セーチェーニ・イシュトヴァーン)と思想家のEmil Cioran(エミール・シオラン)は同じくオーストリア=ハンガリー帝国出身であるが、異なる時代背景で「国民はその言語のなかに生きている」という言葉を残した。これは国家が流動的に変化したスラブ語族の歴史においてアイデンディティを示すものとして場所ではなく言葉の重要性を見つめ直している。そのような考え方を参考とするならば、本作は単なる図形譜から導き出された作品ではなく、民族の文化や精神性を内包させつつ、図形と楽音によるノンバーバルな表現を目指したものであることが現時点から振り返ることができるのではないだろうか。
- note - (1) Xenia Detoni / Kad god dignem pogled, svijet nikada nije isti(HRT: Magazin) (2) Nove Tendencije(ノーヴェ・テンデンシーイェ) / 1961年からザクレブで開催された"新しい傾向"を意味するメディアアートのコレクティヴ。国内との関連として    は川野洋が1968年に参加。 (3) Xenia Detoni / Kada sam ljuta, vičem na mađarskom(Jutarnji LIST)
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nakedlandscape · 3 years
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間 / Awai (from NAKED LANDSCAPE / Spring, 2021)
/// enjoy ///
Tom Wolgers - Vinterpassage
Entrance - Terry Perry
Zbigniew Lewandowski - Zmęczenie
Ernie Althoff - You've Got The Option
DJ Paradise - Mbizi (R)
Private Life - Galadriel
Charles.A.D - We Have Forgotten
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nakedlandscape · 3 years
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"中国唱片(ヂォングゥオ・チャンピアン: 中国レコード)"は1954年に設立された中国政府の最古であり、北京、上海、成都などの主要都市部にプレス工場を持っていた最大のレーベルであった。主に自国の伝統音楽や歌謡曲をプレスしており(もちろん他国のローカライズ盤などのリリースなどはない)、中国ならではのドメスティックな運営をしている。
1986年にレコードとカセットでリリースされた本作は、80年代初頭の中国国内にて興ったエレクトリックミュージックのトレンドに合わせて製作された。中央歌舞団のピアニストとして活動していた高妮妮(ガオ・ニーニ)がリーダーとなり、国内のロックにおける様々なアーティストの録音に参加していたパーカッショニストの程進(チェン・ジン)を迎え、作曲に林德虹(リン・デホン)という人物の三人構成で録音された。
スタジオミュージシャンによるシンセサイザーの手引き書的な位置づけの本作は、一貫したテーマというよりもシンセサイザーとパーカッションという手法を主体として様々な音を探求するように描かれている作品である。サウンドトラック、サンプルサウンド的な側面が強い構成である。それぞれがチープかつプリミティヴでありつつも、単調に感じさせない豊富な音数や実験的な試みがなされており、音と音の間を感じさせるようなゆったりした曲からシンセとパーカッションが追いかけっこするような愛くるしい曲までうまい具合に構成されている。木々や雷、星や光、空や大気、惑星から宇宙まで。森羅万象をモチーフにすることでこれらの表情豊かな音を七色の光として表現している。
中国の豊かな自然の中で育った高妮妮は、教育熱心な家庭環境により早い時期から演劇や音楽に触れ、幼いうちから芸術的素養が芽吹いた。のちに中央音楽院付属校にて音楽の英才教育を受けた後に、舞踊団のピアニストと活動しつつ、1982年あたりにシンセサイザーと出会ったことで本作の製作に取り掛かったとされている。当時最先端のツールと生まれ持った才能、そして幼少時触れた中国の自然というエッセンシャルな美学を結びつけることで、新しい音を模索しようとしたアプローチを感じ取れる。
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