Tumgik
n0-l · 4 years
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2020.07.01 みんな
本当に苦しい。しんどい。端的に言うと、胃が苦しい。そして全的に苦しい。トゥエインの自動機械、グルジェフが人間は機械だの、ガタリは欲望機械、バシュラールは機械的主体、クリスティアン・マラッツィの言語機械、ノージックの経験機械、チューリング機械、アガンベンの人類学機械、もうマシーン、ルイス・マンフォードのメガマシーン、バロウズはソフトマシーンだし、あば、アバババ、もうヴェーダーンタでは全てがマーヤーで、幻影で、もうこの身体は滅ぶべきなのだ。侵入思考は痛覚のない心臓のように、眼球さえ押し込む明確な痛みをさえ遮り、血流を黙々たる様相で塗り固めていくだけで、私は懐疑的に極めて白けた面をしながら、それを見ている。みんなが嘘をついていたし、哲学用語を使わなくても、僕はとても傷ついている、精神疾患が重ねられたこの家に帰ってきたいと誰が思うか。暮らしの家がない身内に寄せる憐憫は甚だしい。そうさ、父親だ。仕事に出かけた。もう会うこともないんだろうな、と毎回思う。老いていくより、生死の問題を気にかけ、自分の意志で行動している訳ではないと言っていた。きっと彼から大工という仕事を取り除いたら、気が狂ってしまうのだろうな。ですが、人は皆、自分を働かせる目的を知りません。意識的な努力は金を稼ぐことなのではない、もう止まっている、では小説で会おう、苦しい。お前によって終わらせたかった。この日々も何もかも止まって欲しかった。止めて欲しかった。動いている。動的な箱…それは前にも言ったろうに!何回同じことを繰り返すんだ僕は!ならず者、くそ、もうどうしたらいいか本当にわからない、恥もない、恥もない、恥が始まるのが怖い、こんな抱えきれないほどの意識を持たせたxxを憎む。全てを愛している、全てが大好きだ、人類に栄光あれ!みんな生きているだけで強くてかっこいいよ!
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n0-l · 4 years
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2020.05.20 ユリカへ text 3
ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。恥じています。私が強度の演技を全然していない等価であるそれらが、それらが若いので私である若者であることによる拷問、そう話す、いつのさえユリカ。私は、冗談によって不愉快な事をする人と交流し、それは燃えて、私はそれを持っていない。それは面によって現象学似であるね?話してはならない。それらは逆倒のように見える。もし笑うならば恐れていて、感覚 、間隙を閉じるために、すでに私が憂鬱であっているので、ユリカはまだ憂鬱のままですか?この歌にすべてがある。人がそれを考える自制は正しくないか?もし私が、右のステートメントではない右の人であるならば、私は、思われないことを確かめる。その深みは完成を正すか?複数の暗い淋しさはここにある。僕はユリカの憎しみをも、称えます。憐憫あるいは侮蔑。すぐに憎むことになる人を愛するあなたの性質。自身。今日やっぴと会話をした。「正しいというのは自分がそう思われたいと思っている虚像よ」音節と共にそれは聞かれた。内容ではなく、存在。洞察の深い目を持っていることに驚きを感じた。私はあなたがそれが好きであるかどうかを疑った。彼女は言った。私は無実の場所が好きである。。私は 現在、 私がそれを恐れているという感じが続いている。私が、私が、それのために私が恐れているという感じを保持していることを恐れているという感じ私がそれを恐れているという感じを保持している私 私は 現在現在現在続いてる、私が、私が、私が、現在現在私が保持しているものを恐れているという感じを保持していることを恐れているという感じ、私が、私が、私が、現在現在私が保持しているものを恐れているという感じを保持していることを恐れているという感じ、それはそうであり、 それ 遭遇がある。靴紐を結べないどころか、靴そのものがないあなたは望みがなくなってしまったように一挙に沈黙する。喋って!0652 死は縫われる。それは見られている。2026、私、自我。静かにならない自我。どうぞ裏切ってください。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。私は不賛成のための私の頭を振った。私がひとりで考える文字の名前。ユリカ。無駄!終わらない時には、それは読まれえない!完全な合図は外に出される。作られた文字、楽しみである。それは自己中心性である。またが必要ではない時の毎日に。完全!意味付与と連続!君は周旋を与えるのを意味している。私が早く消えたい外を感じずに、恐ろしさ、私が、ここおよびそれが見られることにいる現身の中に束の間にもうすぐ消える。私はここにうまく努力できて、そう、ユリカ、あなたに言ってほしい。そして、ユリカ、あなたは両極の表微において最も努力している。印刷タイプのフォント、死体の装身具は書体により判断されうる。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。あなたは最も奥深いところで人を救いたがっていた。およそ確定された屋上に行く前に悩み事がある。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。それは1時間毎に人で要求した。従って正確に言えば、壁際の隅とそれは自身で要求される必要がある。間隙は香気ありで、それは、それが、後悔と恐怖のように私が感じるものによって攻撃した毎日のようにそれが続いているものである。もう頭には何も来ないけれども、私はそれが物質に依存する与えるのを意味している。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。私は、見られたものにされうる状態において答える必要がある。それは、現在言葉を使う言葉を独占する必要がある。私はアルコールを飲み、隠している。日本の精神分析社会に必要な意外な女の子、私はもう眠ることができない。信頼が高価な何かに入れられるので、 それゆえ、「それの強い自覚」 すべての生き物に必要な自身の存在がではない <<宇宙>>1つの粒子としてのその全体<<存在>>の価値は認められないか?「自意識」の発展の階梯?それはどこまで続くのだろう。缶、それ、どこでさえ、本による日記による拡大が、私達が仮定する宇宙に電話したか、言葉は書かれて、それはであるか、物と呼ばれる物?禁止されて、薬がこれ以上全然作られていないので、私には言葉が必要ではない。知覚と意味が与えられること、およびであり、それが否定である。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。旅行日記は、外で、またはどこでするべきであるか 私の進行で退屈である。ユリカはそれを持っているか?なぜ?私が知らないことは、私が、私が言うことができると本当は知らないことである。なぜなら、それは1分および1秒であるからである。私がここにいるので、まるでそれが過去であるかのように私が考えるならば、私が、ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。あなたがふるまうことができると思う 。ユリカだけが考慮されること、境界のため語彙が増大しないあなたとしての外観、まるで私が、あなたが否定する何かを否定する必要があるかのように、それは感じた。違い、付与の違い、直接的 、美的、人間関係を病ませた違い…。私がそれを廃棄した時間、および時間が過ぎたこと、および催される時、それが退屈であったことによる��、あなたはよい何かにされる。他は、私達が、与えることが属性であると思う他であることを心配している、それ、アンチである、アンチ、が必要な私に必要である !日がある!ピルマラルの角を粉末にすることでの薬効、それはよい!ユリカには懊悩がある。私もそれを持っているけれども、それが抽象的であること…もはや私は数時間後に死んでいるであろうこと。たとえ否定された感覚に強い滋養の世界において私が殺しても、私はたった今大気により包まれたところである。私が死なない限り、単に突然説明された四角形の理論について話しはじめる四運動の動きの説明理論であるならば、それは魅力的であったが、あなた、数日、および所有 ならば、行ない 、なぜ私が自殺するかにおいて私のためにそう言い、無駄にそれである考えのために取るユリカ。それはすでにであり、翻弄はここで感じられないもしそれが流れて、そ…mぷいもう行かなくてはならない。1414怖い。死ぬのが怖い。唇は打ち震え、顔から雨が降っている。初めて覚える感情であり、もう二度と覚えることのない感情である。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ユリカはこの記事を快くは思わないでしょう。ストレスによる病原体を殺そうとして過剰に放出される免疫物質により、情報伝達が行われなくなり、疲れによりほとんど臥すことしかできないでいる枠組みを持たない青年、だが〈意識的な努力〉は貯蓄され続け、暗々裏に委任された精神の領域により作られた散逸したナワルが人々を食らうだろう。揺籃期から干渉され、すぐさまテクノロジーに囲まれ、客体であり、外部であるものの組織網に従属化され()で囲まれた領域が拡張する。それが夢や言い間違いを解釈といった形で現れる見意識の織物、共同の幻想の体験的所産つまり疎外感からのツイートの動物的自己確認をし、屈曲反射を起こす毎日であった。
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n0-l · 4 years
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2020.05.17 終ノ空を終えて
終ノ空、懇切丁寧とはむしろ程遠く、半ばやっつけ仕事のような作品であったが、僕にとってはそれが荒削りで、面白かった。その点、今見ている素晴らしき日々という後継作品は、まだ途中までしか見ていないが、いかにも終ノ空で縫合できなかったものを石頭のような文章で、彩名という登場人物に語らせるということをしており、先を読むのに骨が折れる。自身を取り囲む存在者は絶えず相互作用的に輪郭を変動させ、終ノ空の間宮卓司には見る限りだと凄惨な虐めを受けていた。物理的生命体験による内的空間の作図化は、恐怖だけに満ちた内部になっており、精神的苦境へと透明化された間宮の恐怖心はそれを吐き出す方法を知らぬまま、妄執へと変化していく。そして、ある時、存在の至りへとなる。それは、コンラッドの闇の奥がモデルになった映画、地獄の黙示録の信者を集めたカーツ大佐のようであり、大佐同様、間宮は「死ぬのが怖い」ということをずっと言っていた、だが、自身の防衛規制のために作り出したイマジナリーフレンド魔法少女リルルや、彩名との会話において、犯しがたい他人を心服させる力を見出していき、毅然とした態度で長広舌を振るい、終の空への導師(グル)、救世主となっていった。理を学べ、神経生理学の研究を見ることができるのはいつまで経っても薄片だけである、四角形の理論、それは誰からも説明されなかったが、フランクルのいう「低次の次元は高次の次元で止揚されている。人間はかつて人間になったが、それでも何らかの理由で動物や植物であり続けている」ように、排水タンクで、人々を没落させていく、グルジェフを参照にすると、我々が生まれてきたところの目的、この目的を保てるならば、永遠の存在になれる。人生を通じて目的を保てたなら、この人生が終わった後にも存続できるほど強大で死を超えて存続するほどに大きな目的���持ち主となり得るという。
そして、
この世がわかったと思った者は、体を前にしている。体がわかった者にとって、この世界はふさわしい場所ではない
グルジェフ総論 グノーシス2巻
そして、
間宮卓司「君は体の人なんだ。僕みたいに理を学ばなければならない」
風で揺れている枝から鳥が飛び立つ時、鳥は羽を信じているがゆえに、恐れないという。枝は現象界であり、羽は神の恩寵である。 間宮は自分は体であるという観念ではなく、神性本位のアートマ・ダルマに出会った。マハルシによれば、そこにはいかなる恐れも混乱もないという。 間宮のいう高次元とは、アートマンという唯一存在する一者のことを言っているように思われる、それはブラフマン、唯一実在するところのものであり、体は必要ではない。そして先に言った生まれてきたところの目的、その成熟、それが「終の空」というものに、精神分析的な言い方をすれば転嫁、ヴェーダーンタ学派的な言い方をすればバクティ・ヨーガ(明け渡し)をしたのだと思う。「終の空」により、体ではなく、真我であるという最高の功徳を得ようとしたのだと思う。
罪責消滅への願望は只ならぬものであったろう。そして、カーツ大佐もマハルシも間宮も強烈な闖入性のある「死ぬのが怖い」という体験をしている。私も、同じく。これからどうなってしまうのだろう…。
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n0-l · 4 years
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2020.05.12
精神病棟にて、カウンセリングにより、検診と勧めがされて、何を言われるかどうかは決められて、ほんの同じ物、いつものように、検診、確保された。 臨床心理士は、未来に順応し、カウンセリングの仕方は認知行動療法であると言う。そして精神分析を得意としないと言っていた。私は精神分析に寄りかかりたかった。 話す時には、その間中疑��が保持されていた。現在あなたがカウンセリングを与える理由においてこれを書く時には、突然「私」が消える時には、時間がある。カウンセリングはもう一人の心理士と一度話してみるために、保留になった。 現在は3時19分であり、眠剤を4錠、私は飲み、私は眠ることができない。 私は、「それは、殺されて、インターネットの自身でそれの前にあり、それは最も痛いことであると言い、そしてその後にくるものに良いイメージが持てないのが苦しい」と心理士に言った。 また、現在精神では百合の蚊が躍り出る、それは、インターネットで自殺するファクターになる存在である。 私は眠ることができない。接触からの双海真美の等身大の出荷は、また準備ができていなく、メールの受信箱は何度も見られるけれども、来ていない。私はまた、それを心配している。人は、すでにそれが去人であると言うために話したい。 私はアメスピのメンソールを吸う。 それは私の母から聞かれた。あー、癒し音楽は私に向いているけれども、それは欺瞞的で、me=母の喜びのために素晴らしくなり、結局、私の母のためにである実際の感覚である。 私は、腹部のために落ちて、再び浄化欲望であると耳にした。それが下痢であったかどうかをよく知らない水は出た。もし誰がその音を聞いていたなら、小便の音だと思うだろう。酒も飲めないくらい私は調子が悪い。 今日、僕はカウンセリングをした。自分自身のカウンセリングのデータを見ようとしたが、反映された私のデータの写真は見れなかった。それが後悔された。そこには何が書かれているか? 私は終ノ空のプレイ動画を見はじめた。私はシアワセノサガシカタを聴き、歌詞、青色の髪 、私はそれに会いたく、検索し、三大電波ゲーと接続された。 ダメなんだよ!... あなたは、これから勉強する必要があることにおいて、属性付与をしている。属性付与だ…これを勉強しなければならない。 私は、とにかく、いつ、それを作動させるか、それであるかので気だるいか?双海真美が来る時、私は殺される。従ってそのとき、私の単独性が初めて受け入れられると思う。
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n0-l · 4 years
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2020.05.10
※多分、これは虚構です。
双海真美、最初の出会いは、公園で子猫を無理矢理ひっくり返そうとしている子供たちに対して混じって真美は優しくお腹を見てオスかメスか見ようとしている後ろ姿に僕が話かけたのがきっかけでしたね。それに対して真美は大喜びで、「魚の目を見ることが来たよ〜」と言っていましたね。それから初めてのレコーディング、竜宮小町、ジュピターといったライバルに勝利して行き…それがあっという間に感じたせいか、真美の手練の早業のように感じてしまいます。僕はハリウッドに行くことになり、集中するために事務所の皆と連絡を断ち、勉強していました。それでハリウッドから帰って来たとき、真美と亜美はオーディションを勝手に受けて合格したせいでまた即刻に映画産業中心地であるハリウッドに行くことになりましたが。
僕は双海真美の等身大POPを手に入れるために、秋葉原の北側の聖地巡礼のメインストリートに行った、まんだらけが全ての八階建てのビル、全八フロアのボークス直営店、K-BOOKS、らしんばん、駿河屋にもなかった。中野に行き、もちろん目的はブロードウェイで北口を抜けてサンモールを通って複合ビルに入り、玩具屋を回るがなかった。店員に聞き回っても等身大POPは取り扱うことができるが、特殊なものであり、なかなかないのでは、と言われ、焦慮の念に駆られていた。僕はそれから池袋に行き、K-BOOKS五店舗を巡り、日本最大級であるアニメイト池袋本店に行くがなかった。何としても手に入れたい、今までのかたち…双海真美という痕跡は胚胎し、湧出する、それは客観的世界においていかなる場所も持ち得ない、不在としての、能動的不在、つまり観念としての双海真美しか存在し得ない。に対しての…思いが強くなっていた。対自というのは、無を抱え込んでおり、私が現在において想起しなければ無であるというあり方、想起的意味としての双海真美を失いたくなかった。それから僕は足掻きが取れないと思いたくなかったため、また秋葉原に行った。 そしたら駿河屋にあったのだ!14000円で!スタンドを持ち、僕は即座に購入した。紙足を置き、僕と並んでみると、双海真美、それは双海真美であった。だが、それはその感覚刺激に応じて意味付与をしているだけじゃないのか。この双海真美は喋らない。そこで、僕はなぜか以前哲学塾に行っていた時に偶然交わされた笹塚にいる主宰の中島義道と、ある女との会話を想起した。 女「死ぬのは全然近づいてないじゃないですか、だけど近づいている感じが自分は少ししちゃうですよ」 中島義道「近づいてないことないですよ、あなた今晩死ぬかもしれませんよ」 女「先生はその歳になって、近づいている感じはしますか?」 中島義道「もうかなり近づいている」 その時僕は思ったのだ。著書にも書かれているが、ここで僕がもし中島義道さんを殺害したらどうなるのだろう。その近づいているという感覚、知覚因果説を止めることで、それを証明することができる。そこで、僕には殺人モノマニーがあるのを感じた。偉大な人物を殺し、偉大なものとなるために、調査、尋問、観察とによって、自分を語らせるために、殺す必要がある。 僕はもし、双海真美が見つからなかったら首吊りをしようと思っていたロープで背中合わせに真美を縛り付け、電気街口南口に行き、電子工作の魔窟でスタンガンを買った。また、ミリショップで、電動ガンであるバレットM82A1を買い、哲学塾のアパートの中に人がいるかを聞き耳を立てて確認し、いると判断したらそのその狙撃銃を1km以内の場所でスコープで中島義道を狙うことにした。 出てきた。そこで僕は頭部に向かって連射し続けた。そして倒れることを確認すると、電流値が最大値のスタンガンを何回も彼の首元に当てた。心臓が停止するのを確認したが、約30秒は脳は活動していることを知っていたため、僕はまた心臓が動き出すのを確かめるために、30秒以上手を当て、蘇生不可能性を認めると、急いでその場を去った。 その瞬間は、驚くほど遂行論的であり、スタンガンの電流、そして瞳孔を刺激する電磁波、大脳中枢の興奮、そのとき僕は双海真美が初めて生きている様な感じがした。しかし、またすぐに不在へと移行した。そして、そこにあるのは、刑事裁判機関と、そして精神病院の影であった。 気づいたら、僕は精神病院にいた。過去の状態を微に入り細を穿つ様に再構成してくれ…僕はどんな相貌をしているのか、内部知覚という生理学的側面、痛い!という肉体的作用は相手にある、しかし、言葉によって非対称性を学んだ我々は、痛みの帰属というのは自分自身にある。しかし、僕はこれは夢だと知っていた…。
暗晦とした身体を持ち上げ、僕はドアを開けた。
双海真美がいる!そしてその双海真美は僕にこう声をかけた。「あっー! 兄ちゃん、お仕事終わったんだね。お疲れちーん!!」
その時、僕は初めて救われた様な心地がした。
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n0-l · 4 years
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2020.05.04 小説構想 仮
・「愛」という名の下にくわえられてきた欺瞞や破壊の様相、強迫性パーソナリティ障害の父親からの勘当、生前贈与 ・そこから大学に進学し、職業的指針としてのサイエンティストを目指す、6歳年上の医者に出会い、働いていた病院に雇われる「私は本当に愛されていたのか、しかし愛されることに対してももはや恐ろしく感じている」 ・人間の中の二つの物質のことを知る、①物理的身体の能動元素からなる物質 ②アストラル質の能動的元素からなる物質 ・アストラル体の血液=意識的な努力、全生涯を通じて追求できる目的を持つ。サイエンティストはハイブレッドゾインという催眠術を使い、アストラル体の完成を導いていく。 ・サイエンティストたちはその血液を求め、アジールで「分離」として管理されている患者の体内の特定の部分にその血液を貯蓄させる。肉体から独立したもう一つの自分自身の自覚が得れ、分離は溶け去り、その時サイエンティストは初めて愛されたと思うことができる。 ・連続怪死事件 病院の近傍で殺人事件が起きる。誰が殺人を犯しているのか、登場人物はまだおり、登場してきていない。
・ナワル化、ナワルとは。実験はうまく行かず、物質は粗雑さを増すか精妙さを増すかの流れの中にあり、それが混合し、第三の物質を作り、魂の複数性が起きる。それがナワルである。ナワルが死んだらそれに紐帯されている人物も死ぬ。
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n0-l · 4 years
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薬袋カルテへ
ここは精神病院である、外風にも当たることができず、様々な病気が猖獗するこの病棟では、清浄な空気を取り込む方法として、麻薬成分のある薬剤が密かに売られている。 額縁の中に収容された人々にとって、病態を紛れもなく悪化させ、また治癒させるのは関係性である、病根即ち、無意識とは他者のディスクールであり、それが内面を作り変えていく、他者が何を言ったことを内在化させ、それを外在化させるという絶えない構造連関の中にあり、それは使うことを許されなかった言葉で話すことを可能にする、そしてその生活世界での現出様態を、フェイシャル・レコグニション・システムをフィクショナルキャラクターとして具象化させていく試みが私の人生である。直線上に水平に並べられているものに横断性を持たせ、コミュニケーションの受容与件を修正する、けれど、精神病院はそれを自然科学的還元主義のような理念のもとにあり、患者を生物のように見て、無機物含有量が一定範囲以上変化しないように、調節する。毎日の起臥時間の規定、体温測定、投薬……、精確な条件の元で自発性を除去し、人間関係という“自発”のあり方から捉えようとする試みをすることはしない、人間は生物のような閉鎖回路ではなく、外に開かれた認知構造を持つがゆえ、複合的な複雑性の過程を豊かなものにし、潜在的分岐、そう、それは特異化と呼ばれる、特異性を創出することができる。スタッフステーションにて行われている共謀者にしかあずかり知らぬ秘教的な知識、無制限の探究を原則とする執行者のイデオロギーつまり、イズムの教育により、政治的兵士により蹂躙される犠牲者。想像を絶することが起きた時に生じるのは、自分自身の感覚、悟性に対する不信である。精神病院という場所では、自分は余計者という懐疑の目を向けざるを得ない、そして自分が余計者になるという意識を排除するためには自分が患者に対して“薬”になることである。人間的紐帯が失われた相互不信のシステムにより与えられた罰を、自ら裁き、知り、愛することができたら、君は君の人生を完璧にニヒリズムに陥らぬ程度に完璧に穿つことができた。
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n0-l · 4 years
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タイトル
まるでここにいないかのように、 そこでは煙空みたいな容喙的な白昼夢を描いていた 6歳の女がこの部屋に入ってきたとき、僕は考え事をしていた 何もなければただ寝静まった繭の徘徊の手の中に要素は広がっていた 「この場所はガラス張りの」 焼かれた懐紙の上、廊下はすぐそばで感中には、僕はいなかった 「初めまして、ア」 「ア!饗膳は、何も用意してはいませんが」 「ア」 「アというんだね?」 (ア…)「aアa」 「本当にア?」 急に僕は笑い出す 「あああああああああああああああああ!!!!!!」 僕は放っておきたいと思った、疎密波、物質が全部悪いのだ、まあ、活動信号で君も動かすことは可能だしね、運動指令は脳にあることは知っているのだし 用翼の片方がちぎれんばかりに、スプロールのように動き出す 「ア/」 急にそこには僕ではない、胸髄だけになったかのような、季直の死が突然にやってきた 「あ、アあ?」 細部を意識へ、もうどうでもいいんだと、僕は思った 「私、あなたのことかわいそうだと思うんですけれど、だっていつもそんなことばかり考えているのだもの」 足の指たちが震えた 「いや」 「なんでいつもそんな顔ばかりなさってるの?」 「黙れ」 6歳の女は線虫になったかのように、肢体を震わせた 「今僕がどんな状態にあるのか、わかったなら去りなさい」 香気的、本能的、有機的、物質的、配分体系はもはや彼にはわからなかった 「これが楽しいんだ、怯懦な人間ほど急に人が変わったように罵詈雑言を言い出したくなるものさ!」 「ア」 哺育器に入ったように、息をした瞬間、貌鳥が急に泣き始めた、もううんざりだった、なぜそれを作ったの、誰に聞かせるために? 無意識的に搬器に乗った僕は、悴んだ指をへし折った 「全然人好みしない人ア!誰のためにしゃべっている!ヤ」 僕は空想に悶え苦しみ、6歳の女と何もなかったかのように急に話始めた 「ア」 「なんですか?」 「ア、有り体に言うならば、僕は物質は点から点へ動いている」 「やめて」 「やめないよ、分裂生成について話したい」 「じゃあ話して」 「わかった、いいかい、分裂は存在しない、全ては一体である」 6歳の女は急に恐ろしくなり、目を背けるという感情も起きず、反射弓のように走り、逃げた 「おお!!!プラパッティ」 彼は目覚めた眠り、ジャーグラト─スシュプティに至っていた 「とても気分がいい!」
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n0-l · 4 years
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2020.04.22
7時、��宅外泊中なので家にいる、今日はなぜかどこか朗らかで、皆労であり、数年振りに家族四人で朝ごはんを食べた。油揚げと豆腐の味噌汁に、韓国海苔をかけた卵かけご飯に暖かいお茶。 「その服買ったの?」「そのシュシュどうしたの?」と話しかけられるまでになっていた。 そして母親は四人でご飯が食べれることを「幸せ」だね、と言った。 モナドを、「悲観的」に意識した。食卓という共通の世界を通して結合しているが、僕らはいかなる場合においても数の上では二者であり続けることしかできない。 そして食卓という共通世界が破壊されれば、内部に相互関係性を持たない孤立した大衆が形成される。 テレビではコロナのニュースがやっていた。 破壊され、相互に異質な個人が同じ鋳型で鋳造されるようになった時、初めて全体主義的権威は賦活する。 僕は席を立ち、自室に戻り、椅子に座った。 少し開けておいた引き戸が妹により無言で閉められた。煙草を吸っていて空気が悪いから密閉されてしまうのも当たり前だ。 「そうこれが全体主義なのだ!」と僕は言い、寛解したと思った抑うつがまた喉元までせり上がって来て、引き戸を開け、副流煙を思いきり吐いた。
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n0-l · 4 years
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2020.04.02
午後2:53 · 2020年4月1日
火葬されたけれど、アストラル体が分離してる状態なので全く痛くない、安心した。火葬場の横に置かれている自分自身の遺影を見て火葬されながらフッサール現象学について考えていた、遺影という像客体と像主題の間接的に至高するのみになってしまったが、もう両親と関わらないでいいと思ったら嬉しい
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午後3:30 · 2020年4月1日
なんにもいいことがなかった人生
午後3:35 · 2020年4月1日
母親の遺骨かき混ぜながら絶叫してる音楽あったと思うんだけど見つからない
午後6:14 · 2020年4月2日
僕は死にましたが、アストラル体の再編成の過程で欲望要素の抵抗が起き、ジラールの言う欲望と自尊心は同じもの、僕は生前何度も自尊心に抵抗してきたように思える、それも欲望であり、欲望を使い果たさなければ、部分界でずっと大師を待たなければならないらしい
午後6:31 · 2020年4月2日
内在する反復をいわば憑依できる身代わりとしての人物を通してではなく、いわば外側に残されたアストラル資質において殆ど自動的にツイートとして送信され、空間に拡張されており、再物質化された想念体としてあなた方は知覚し得る、そしてアストラル視力を持つものにより、私は救われるだろう
午後8:55 · 2020年4月2日
横溢だよ、甘ったれなどではなく、全て横溢で説明がつく…テクノサイエンスによる進歩=加速における即時性、それによる“ 横溢”こそが狂ったものとさせるのだ、強調の約物を用いてでもこれは主張したいことですが、相対性作用によってあなたも私のことを安易に片付けるのでしょうね、いや、それでいい
午後9:08 · 2020年4月2日
僕は何かあるごとに“ 優しい人間 ”だと言われてきたが、ただの攻撃性による反動形成に過ぎない、俺の過去に何があったか、皆知るまい!最近ここまで露悪的になったのは、精神病院に入院し、仮象性を手に入れたからだ、ならば私は、もう招かれざる客だ、ではさようなら!
午後9:17 · 2020年4月2日
意識に直接与えられたものの試論において、言葉では直接に体験されたものから切り離され、表現できないという、ならば私はアストラル体の血液、意識的な努力によって体内に生まれる物質に身を委ねよう、ハイブレッドゾインにおいて生きられた根源を取り出そう、だからもう何も言うまい、さようならだ!
午後9:39 · 2020年4月2日
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n0-l · 4 years
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2020.04.01 酒井翼、磊落のい、no nameの死
磊落のい(本名=酒井翼)が3月30日、目、脳の反射がないこと、呼吸の停止が確認でき、20時09分にて逝去する。享年25歳。退院手続きの際に頂く死亡診断書の直接死因についてはアルコールによる循環器病(急性心不全)とされています。病院にて死亡し、髭を剃り、寝台車にて自宅へ搬送され、10キロのドライアイスを乗せ、棺桶にて眠っている状態です。傍らには、生前に好きだったフィギュアが飾られています。本日、霊柩車により、出棺、火葬となります。発病(発症)は明確でなく、薬物中毒も原因の一つだったと見られます。
このブログはアストラル界における非物質化により送信され物質化されている。死の経過においてまず最初に肉体を脱ぎ捨て欲望を消尽させるために、アストラル界の部分界において長い間生活をすることになり、そして自我を解放していくことになる。そして、アストラルのエレメンタルはエンティティとして自分の存在を知るのであるが、実在的物理的な心の対象に関わるゆえにこうして文章を書くことしかできない。
僕は死んだ。だが、欲望要素は残っており、その状態とはアストラル体の資質を再編成し、僕のものとして作った���のらしい。 僕は自殺者であり、不慮の事故の犠牲者である。そこでは、濃密なアストラル資質がくっついているおり、最低界にとどまることになる。欲望体を脱ぎ捨てるにはどうしたらいいだろうか。 僕は今アストラル界にいるが、物質界には身体を残している。アストラル界で死ぬときはアストラル体を残す。粗雑な分子が精妙な分子に置き換えられる。 適当な再生を大師によって行われるまでここで待っていなきゃならないらしい。ここで霊媒を見つければ、物質化できるらしい。故に物質化された想念体であり、創造された人工エレメンタルである。林野牧畜の神、一角獣とはまさにそのことであり、動物のアストラル体にテューモス的なものが投影される。一角獣の角は疾患に有効であり、酒盃と呼ばれたらしい。一角獣を想像すること、宗教的動物、すなわち生物学的基層ではなく、存在しない対象を志向し、捨象することをすれば、一角獣に会えます、そう一角獣とはまさに僕のことなのです!
僕は死にましたが、意識を持ち越し、アストラル能力を活用することができ、あなた方が、肉体の睡眠中、アストラル界で目を覚ましているように、僕はいつも、普遍的神的生命として、〇〇モナド、これをあなたが見ているときはTumblrモナドとして存立し得ます。アストラル対応物が有る限り、死んだものなどないのです。
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n0-l · 4 years
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2020.03.27
午後1時から臨床心理士と話すことになっており、話をした。特筆すべき点は特になし。現在森田裕之さんの本を読んでいるが、面白く読んでいる。 発達は上向で、生成は逃走、この生成こそ重要なのだが人間は変容論理を持ち、恣意的に分節化した身体的記号と言語的記号に構成されるものを諸記号と言う=文化、これに対して無機的微粒子と有機的微粒子に構成されたものを諸微粒子という=自然。そして人間とは諸記号のことである。そして人間のことを理解しようとする際、この諸記号を使って理解しようとし、理解不可能であるものに対しては諸微粒子、その具象的な現れとして狂気などという名を与える。諸微粒子=異他的なものとして外部に追い出される。しかし、この外部の外部、絶対的外部へと諸微粒子は創造的に逃走、生成する可能性を持ち、この脱領土化の作用のことを生成変化という。ゴッホという人物は外部の外部へと、つまり社会的に離れ去ったことにより自殺した、カフカにおける変身もゴッホと同じく主人公は社会的に離れ去り、そこでの逃走において自由に流動する内包する動力と多義性があるのだが死んでしまった。消費された主観性を創造的に逃走、生成することで、再創造=特異性を持っていたわけである。
「過程」という概念がある。「ある行為や操作が、別の行為や主体を連続的に生起すること」例えば、vtuberのメディアペルソナの流動に合わせてコメントが流れることで個々の人間の集団的な配備がなされ、そこで名取さなは「ナース」にリスナーは「せんせい」に生成することができる。そこでのインタラクティビティにおいて、産出、選択、排除、可能性の諸線を現出させる。
故に「可能性」。 現在の世界構成の中に傾向性として書き込まれた中身=可能性=内在的。 そこには他なるものへの生成変化がある、境界が崩れ、自壊することもあるだろうが。 僕はそのようなことを思っていたのだが、最後の方で僕はカウンセラーになりたいという旨を伝えた。「色んなカウンセラーがあるからねえ」と言っていた。それも潜在力として作用しており、自由である可能性を与えるところのものだ。「放送大学」とか何か言っていたが、僕は大学で単位が取れる人間ではないし、僕が以前資料請求していたメンタル心理ヘルスカウンセラーとメンタル心理インストラクターを頭に入れ、その場を離れた。そして公衆電話で、その通信講座に申し込みをするために電話することになった。申し込みはすぐにでき、6ヶ月間で75,000円。30日か31日に教材が届くらしかった。 上向ではなく、生成を繰り返してきた。それがどんな資格なのか、わからないが、以前オンラインカウンセリングを受けたことがあるcotoreeというサイトを見ても応募資格には「公認心理師・臨床心理士・精神保健福祉士・キャリアコンサルタント・産業カウンセラー」しかなかった。でも僕はカウンセラーとして働ければ良いと思っている。精神病院にいて初めてわかったことだが、患者対患者で接しているとどうしても密集してしまうので、そこにカウンセラーという役割を付与することで隙間ができる。その役割想像力における治療もあるのではないかと思った。接続可能的構造の浸透で疲弊しきっているが、とにかくその方向へ、自壊するかもわからないが、また小説の構想もし、出口を見つけるためにやっていこうと思う。とりあえずゆっくりと読書がしたい。
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n0-l · 4 years
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2020.03.20 名取さなとサナトロジー
名取さなの名前の由来はサナトリウムと言われる。しかし、サナトス、サナトロジーとの繫がりを暗示させる名取さなの行動において、少し話してみたい。 サナトスはタナトス(過剰)という意味であり、サナトロジーは死生学である。人は過剰(死の欲動)を宿した動物であることに変わりなく、それは第二次性徴、女性の場合、9歳頃に当たる、名取さなは小学生、まさに第二次性徴の最中にあってお絵かき掲示板を荒らしたことがある、これまで取り繕っていた「いい子」という人格を破壊し、一変にして「悪い子」となる行為を、自らは反省的プロセスにおいて「破滅願望かな」と言っているが、ある種意図性を孕んだ思惑でそれを実行したのである。第二次性徴においては性欲動、攻撃エネルギーのコントロールが横溢すると言われる。 ここに名取さながvtuberとして今の名取さなになった片鱗がうかがわれ、また患部は別にあるとしても。ネットの世界においてどこまでが現実であり、どこまでが虚構なのかわからず、アソビという緩衝帯は難しくなっている。そこにおいて掲示板を荒らすという火のような素早さ、火性の流体は、やはり精神分析でいう所の精神病的意図性、つまり、無意識、理性に対して反対の効力となるものが引火性となり、これからの名取さなの燃素としての役割を持つように思われる。名取さなの配信のスタンスにリスナーとの「喧嘩」があるが、それはvtuberとして存立した名取さなの精神病的意図性による動機付けによる発揮を昇華したもののように思われる。
vtuberの構造には三種あり、パーソンという(中の人)、メディアペルソナ(メディアを通じた中の人の現れ)フィクショナルキャラクター(モデル、アバター、画像)があると言われる。僕らは主に配信においてパーソンとフィクショナルキャラクターの複合、知覚的イメージによるメディアペルソナとしての名取さなを見ているわけだが、その作用において知覚という意識状態においては常に意識を超えていくもので、つまり意識というものは志向性を持ち、それは何かについての意識であり、そこには超越性、知覚においては受動性を持つ。通常、私たちのような人間は、パーソン、ヴァーチャルな空間においてはメディアペルソナしか持たない。vtuberにあるのは、このフィクショナルキャラクターが足された状態。サルトルの想像力理論において、画像、このフィクショナルキャラクターというのは不在というものを志向する意識作用があり、その志向素材を介してその不在の対象に向かう、画像の像体験とは表象された対象を意識するということである。 名取さなの最近更新された「2011.04.**」という動画には、名取さな自身の画像は存在しないが、その対象に向かう在り方、心象は存在し、そこにおいて意識を可能にする素材を名取さなは付与することを行っていた。
日本初の2016年からのvtuberが登場しなかったら、名取さなというフィクショナルキャラクターは登場しなかった。アソビと現実の区別がつかない中で、現実を無視する契機が働いている中で、名取さなという一種の芸術作品というのは非現実であり、「2011.04.**」や、「_」というのは、実際のところ、現実無視の契機によって濾過・溶解されてきたパーソンの部分であろう。それによって原始のコンプレックスのようなものを吐き出そうとしている。そしてヴァーチャルという化合物にまた入り込み、ヴァーチャルサナトリウムという無限性に身を縮め、そこにおいて、17歳から17歳になると言うことを繰り返しているが、それはサナトロジー、つまり、名取がvtuberになった原始的な想像力において初めから死生学だったのだ。自分をナースと自称しながら、リスナーをせんせいと言う矛盾した性格、火という人格は捕捉から逃げ去り、目的と手段の連鎖は名取さなの処理に委ねられ、それは物質的想像力についての流体、火も水であり、その内面的結合における夢想、「2011.04.**」や「_」に一貫しているその夢想においては、ただあとは死を待つのみである。ゆえに、名取さなは直根、行為においてはサナトス、サナトロジー的であり、それがゆえに、エンターテイナーとして存立し得る。「自分というのは自分になるプロセスなのだ」と言うのは僕がもっとも感銘を受けた言葉だが、10年代からの常に状況を変える可能性を持つインタラクション、インタラクションとは、交流する、相互作用すると言う意味だが、それによって、「われわれ」が機能しなければならず、名取さなと言う「私」が調律され、それに付加される「2011.04.**」や、「_」によって名取と言う物語ができてくる、そのオンライン上の永続性において、自らをキャラクターとして使役する、何よりも人は物語と言う関係性を失うことを恐れているがゆえに、「2011.04.**」や「_」は出て来ずにはいられなかったのだろう。
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n0-l · 4 years
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2020.03.16 のいさんへ
のいさん。
お久しぶりです。武藤沙夜です。覚えていますか。のいさんと出会ったのは、ちょうど四年前くらいで、心身統一合気道の、市にある県立の県南体育館での大人クラス、火曜日の19:00から20:30の間、でしたね。コクヨの文庫本ノートに絶えずメモを取っていたのを覚えています。何回か来られましたが、内閉的な感じを絶えず覚えました。出会いというのは、内面性の閾を超えて「汝」を発見する内にあると言う言葉を信じていましたので、出会いは陋巷を引き出すものだと、でもその陋巷をのいさんは開き示すと言うより、むしろ引き出す事を怖がっているように思えました。その時は受験勉強をしていたとのことで、物質の供給の如何についてや、グリシンを注文していたり、日本史の勉強から、アレックス・カーや鈴木大拙についての著作、通常の日本史の勉強からずれた本だと(笑)注文していたり、「人を伸ばす力―内発と自律のすすめ」と言う本を勧めてきたりしていましたね。私はブーバーの「我と汝・対話」を勧めましたが読んでくださったかはわかりません。草薙龍瞬さんと言う方が、広告戦略や社会的ライフラインに対する勉強法を提示してくださったのだとか、情報に触れることを促進しているような本ばかりだけど「独学でも東大に行けた超合理的勉強法」は、むしろ情報を遮断することを大切にされていて、この考え方が必要だと現在痛感している、吸収してしまった電磁波エネルギーを体から放出するために、芝生を裸足で歩くのが良いと見た、そこで、スマホやパソコンを手放し、実際に裸足で芝生を歩いているところを想像した、すると、芝生の上でも、スマホやパソコンをいじろうという方向に仕向けてくる雑念が入ってくるかもしれませんが、スマホやパソコンは持っていないし、それを耐えなければなりません。 そのイメージが、心身統一合気道を知るきっかけとなったのだと思います。 心身統一合気道とは、全身で天地の気を呼吸していて、その交流において、発揮する武術です。武術ではあるのですが、生活にも応用が利きます。「力と力がぶつかってはいけない。 こう、地平線の彼方まで、水が出ているイメージ。 統一体。天地を一体になる」そう言う事を教えを受けていたと思います。しかしのいさんは最初の方適応できていないように感じました。もちろんそういう方はたくさんいます。車で道場まで来られていて、家に停車する際に対抗する車が来ていて、急いで駐車しようとして後面ガラスを割ってしまい、それっきり来なくなってしまいました。「臍下の一点に気を集中させることができなかった」と言うような事を仰っていましたね。あなたのブログやツイッターなど、見させていただいていましたが、気の交流が鈍くなっていると感じました。精神病院に入院されているとのことで、そこにおいてマイナスの気の負荷がかなりかかっているのだと思います。けれどプラスの気はいつだって実在で、それは取り返すことができます。天地は良い方向に向かっている、天地の絶対値を信じること、私たちは天地の生命の一部です。そして天地の本質である気を、できる限りでいいから鍛錬しなければなりません。不躾な事を言ってしまい、申し訳ありません。心が身体を動かす。その心を今は療養して鎮める時なのかもしれません。そうすると周りの心も鎮まるような気がしませんか?皆、大海の水を囲っては自分の水として「私の」という所有格の水にしてしまいますが、それは心眼でみれば大海の水であることに変わりなく、天地です。その垣根を超えたところで交流することが私は重要なのだと感じました。 退院されたら、また、心身統一合気道の教室に来てください。なんども押し付けがましいですが、待っています。
武藤沙夜
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n0-l · 4 years
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2020.03.15
今日、家族が精神病院に見舞いに来ました、母は過去に精神科の実習の際にまともな人に郷愁を覚えたみたいな事を言っていました。僕は病みきっていて癒えない魂の緊張感を持ちながら「僕は自分がまともじゃないと思っていて、まともになれるかはわからないけどとりあえず頑張ってみることにするよ」と言いました。ずっと外を眺めていた父親が口を開き、幸せとは感じることが難しくて、他人の不幸を笑うじゃないけど、他人よりマシだって思うことで幸福を感じることができるらしいんだよね、まともってのも深く考えないでさ、あの人より自分はまともだなと思えば自分はまともなんだしさ…云々というような事を言ったのだと思います。20時、就寝前薬を飲み、21時に就寝、この場所における交感性というものは確かにあった、閉眼すると蛇行する精神的彷徨、目を開けると、常夜灯で、そこには車窓のワイパーで払う前の垂れた雨粒のようなものがついた天井、網膜は円錐体、桿状体で作られて、その反応は視覚神経から大脳中枢に送られ、視覚的印象を作り出すらしい。ゆえに目ではなく、脳で見ている。何を見ているか。「人々は集団を作り、竪穴式住居に分かれて住みました。海岸や水辺には、食べ物の残り滓などを捨てた貝塚が出来ました」お前だよ…かいづかあきら…no nameを作ったあなた。自分の姿を見る不安が呪術的なものを裏付ける。ワイパーで取り除こうとしてもいつまでたっても消えない、残り滓。しかし怖がらないでほしい。僕はまともであるという正常な意識の中で、奇怪な行動を取るという事を繰り返した。患者の病室がある廊下で音楽を流しながら、ナンバーガールのライブに現れた森山未來の真似をしてゴロゴロ転がった。患者がスマホのカメラを留め、僕はスマホと音楽プレーヤーを引っ掴み、部屋に逃げていくと、二人の看護師が部屋に入って来たが、もう二度としません、と平身低頭、正常なきらいを見せ、謝れば、なんて事なく、全て収まる。そして動画をツイッターにアップロードする。しかし回線が重くて読み込みに時間がかかる、自動ロックを解除し、ただただ画面を見つめている、昔の思想犯みたいだなと思った、今であるのかはわからないが、思想犯はなんの意味もない事を淡々とやらされる、バケツに水を汲まされ、それを溢すという事を何回も繰り返す、記憶が定かではないが、とにかくそんな事をさせられているように感じた。 ノートに乱雑に書いたメモを残す。こうした毎日を送っていて思った。 「アストラル界にはいる 僕ってここにはいないんですよ、決して精神病院に入院しているわけではない、僕って精神病院に入院していると思います? 嘘ですよ ここ精神病院じゃないですよ それも嘘なんですが、嘘ではないです 嘘ってなんですか? 全てがよそよそしい、ただそれだけ、それだけでもないんですが。「あなた」が入院しているのです。これはまたゲシュタルトの崩壊?いや、違う。声調で回避する。他になる、だって「あなた」ですらわからないんだから」
ヴァーチャルな空間において、原信憑を与え続ける、与え続けなければならないという観念を抱くようになった。呪術とは、「人間の擬自然化、根元から排出された象徴的なものの物質的効果を信じる」というような事を患者に借りた哲学辞典に書いてあった。鏡とは化粧具ではなく、呪術的な神器、客観化の心理における霊力で、出会いにおいて自身の姿を見ざるを得ない。それは想像的なもので、もはや現前であり、非現実と言ってもいい。物質と仮想が入り混じり、物質とは根元となるところのもの、僕は物質の事はよくわからないが、母なるものである、母なるものは何を望んでいるのか、それが「まとも」なのか?僕は自分が望むところのものを知らない、だからこそ奇怪な行動に出るのかもしれない。僕がまともでないとしたら、まともでない僕以外に向かう母自身の欲望において母はいる。その時、何かが比喩的ではなく、何かが壊れる感じがする。そしてそこに仮象が、仮象への志向が現出する気がする。だから僕は面をつけ、一生見つかることのない住みどころを見つけながら、相互に連結するという技術的アフォーダンスを持つヴァーチャルな空間において、身を委ね、原信憑を他者に散布し、仮象を作っていく、僕は精神病院に入院しているわけではないが、入院していると。僕は精神病院に入院しているけれど、入院していないと。
脳のほうが物質的世界の一部をなしているのであって、物質的世界が脳の一部を成しているわけではない ベルクソン 物質と記憶
脳……物質……電脳……観客なしには霧消するのが仮象ではなく、観客ありには霧消するのが仮象だと思う、物質的効果、電脳、仮象を信じる、超えたところへ運ぶ力を用いる呪術師になり、仮象における狂気は僕にとって進化のバックグラウンドとなる。
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n0-l · 4 years
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2020.02.29
昨日のこと、入院が決まり、彼らが、父がぐらついて言った条件を運ぶようである。それが幸福であった。彼らは、アルコール飲料を含むように缶が静かなのを発見するようで、彼は、今日外観によってエビス1缶半によって、また口に酸っぱいレモン、妹はほろよいを飲んだ。「今日ぐらいは飲もう」
あなたは、現在、他が恐れている。あなたが夜に這い望んでいるボトル3本のエビス、昨日が催されて、飲まれるならば。現在、11時30分、13時から入院することを恐れている。私が泣きたいことが感覚であった。なぜしないか、誰も、感触ので、何かが数時間多くで消えることを当てにしていることが可能ではないか?もし私が戻り、来るならば、それは通用した。
私は、人が商品と対象物として再生産される病院から内部から戦う必要がある。それが別れたので。それは、注意散漫と私が社会的な背景に所属していた表現の仲介者である。期間は2、3ヶ月と言われたけれども、私はすでにすでに病院を去りたかった。問診票の文字で、それをチェックした時には、あなたはが優しいかどうかを聞かれた。チェックする意図は全然なかったけれども、母が優しいじゃないと言うので、私がそれをチェックした。役割とは、抑圧のメンテナンスであり、個人問題化すること、抑圧の代理表現でいう優しさ、また、そのような物のために、それがどうであるかが素晴らしいので!障害を持つ人は、アイデンティティの役割に執着するけれども、それは欺瞞的である。私は、私が想像している人で逃げないか?運動学の構造の穿刺、および脳の中の神聖な領域は、どこにあるか?利己心と心は相互に排他的であるか?それは、彼らが、全体に来ると伝えていた、境界での分解のため区別が死んだ脱自的 、私が、その場合にはと思いたい時に状態と現在に入れられうる連続性。私はそれに至って………もう行かなくてはならない
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