Tumgik
morayo4 · 2 years
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morayo4 · 2 years
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morayo4 · 2 years
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morayo4 · 2 years
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morayo4 · 3 years
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morayo4 · 3 years
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2021.10.14 フリーDJナイト
ENGANCHADO - Lázaro Caballero, Alma Chaqueña, Pal Estribo y Más!
https://youtu.be/Jm2WeO5NIqI?list=LL&t=2547
https://youtu.be/Jm2WeO5NIqI?list=LL&t=2952
Juan Jos? Botelli - Folklore en Piano (1966)
02. VIDALA DOBLE
https://youtu.be/MTeaX8rbRaE?list=LL&t=163
05. EL ZAPATERO
https://youtu.be/MTeaX8rbRaE?list=LL&t=864
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morayo4 · 7 years
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参考文献:
篠田正浩:  河原者のススメ,2009,幻戯書房
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morayo4 · 8 years
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浪曲年表(「実録浪曲史」より)
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morayo4 · 8 years
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2012年リリースのアルバム「 PS4U」所収
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morayo4 · 8 years
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正岡容「雲右衛門以降」(昭和19年刊行)、P.93以降の芸人コメント抜粋
明治末年の関西浪曲
吉田奈良丸
御入来調の浪花節の歌詞に比べるとき、此は画期的に上品である。優美である。この美文を奈良丸は、語らずして、美しく歌った。大衆は只管、恍惚と聞き惚れた。
京山小圓
この人の浪花節には、最も関西芸の半面を代表する重厭さ暗鬱さがあった。歌い尻りを、殊更に一階音、ガクリと陰に落す。あすこに義太夫の重量威が感じられた。
京山若丸
新作物歓迎せずと云う大阪に於てデヴィウ以来、千年の隠退まで、新作物一点張りで大家の椅子を占め通した京山若丸は、まことに偉大な存在としなければならない。しかもシットリとした品良く人物情景を如実に表現し得たるに於ておや。
早川辰燕
シンネリとした語り口で、「左り甚五郎」を得意とした。
早川燕平
関西調の中へ、巧みに関東調を取入れ、まことに陽気な芸風であった。
港家扇蝶
(早川派に対しての)一方の大看板で、多少の文字もあり、頭脳のよい人で、何より「芸」の大きく、威厭するようなところ、有難味のある浪花節だったとつたえられている。
明治末年の関東浪曲
玉川勝太郎
芸風全体はキビキビしていたが、節調は(中略)『新内に似た情緒纏綿』のものとある。(中略)以而、初代の節調はあの太郎(小金井太郎のこと)の新内調のもっともっと芸的に整理されたものと見ていいだろう。
浪花亭峰吉
幸いそのセメの文句が、所蔵の峰吉口演、松盛四郎速記「宇都宮釣天井」(三芳屋版)にあるから、引用しよう。
〽時は寛永十三年四月の十四日、(以下略)
こうしたところ、朗々と彼が吟んで行くとき、まことに一種の芸術的興奮をかんじないわけにはいかなかった。
三升家一俵
「三人書生」などが当り芸で、ポツリポツリと区切るような歌い口に異色があり、小味ではあったが、巧いと謂われた。
春日亭清吉
十八番の「野狐三次」では、大阪の城の番場でお糸が駕屋に手籠めにあおうとする、そこの息詰まるような場面が鮮かであった。
京山大教
品のいい節で、身体を動かさず「一休禅師」「水戸黄門」などの滑稽物を、常に語った。それが普ねく江湖に迎えられるところとなった。
三河家圓車
圓車のどんどん節について語ろう。原歌は(中略)つづいて〽駕で行くのはお軽じゃないか」とか〽酒は元より好きでは飲まぬ、あへぬ辛さでヤケでのむ」とかが喧伝された。圓車は、此を外題附の一種として歌った。そして、文句の最後へいって、楽屋でドンドンと大太鼓を鳴らさせた。それが大衆へ素晴らしくアッピィルした。どんどん節と命名される所以である。
一心亭辰雄
絶えなむとして絶えやらぬ小音で、関東節の約節を、いろいろさまざまに使駆して聞かせた上に、その高座振りは極めて端麗だった。徳川夢��君のごとき、この人の高座を聴いて、話術かたらむと志したものであると云われる。
二代目東家楽遊
鷲印片面盤吹込時代の「生首正太郎」「監原多助」「海賊房太郎」レコードに於ける楽遊節を聴け。(中略)しかるに「生首正太郎」に於ては、(中略)例の〽たとえ年期がませばとて、けさの寒さにかえさりよか」に充てているのであるが、同じ二行を一と呼吸で歌いながらも、断じて最後を歌い下していない。〽かえさりよか」は、さらにさらに、一階音も二階も仇にピーンと揆ね上がっている。聴衆の驚異と熱狂のほどが思いやられる。
戸川花助(曲師)
余りにも燃上る三味線のリズムは、合三味として相手の呼吸の一進一退と合致し過ぎ、魂と魂は相睦み、相争い、往々にして歌うものの寿命を早める結果となったのであろうか。思えば、空恐ろしいことである。
大正年代編へ続く
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