Tumgik
mio3740 · 2 months
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春の空は破れることがない。心に裂け目のできるような出来事があっても、秋の空にならった裂帛の激しさで震えるかわりに、色や匂いをそのまま私たちに差し出す。その色が今度は自分のほうに移ろって、目に見えるものすべての色相を未来の姿に戻してくれるのだ。春の明るさは、過度な補正のない、ありのままへの回帰である。といって、激しさにも欠けてはいない。霞の頼りなさが一瞬にして重みをまとう奇跡を、私たちは毎年、新鮮な驚きをもって受け入れている。そして、何百年も前の春をまぎれもない現在のこととして味わい、またこのような時代だからこそ、とうに自分のいなくなった小さな島国が迎え入れるだろう何百年も後の春にも、心を届かせようとつとめる。
堀江敏幸「春のなかに春はない」『中継地にて 回想電車Ⅵ』(2023 中央公論新社 55頁)
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mio3740 · 3 months
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[...]人が結婚の外で一時の気も緩められないなら、夜のネオンは今以上に消えていくに違いないけど、私は自分が夜の街を離れて、結婚の内側に入ったところで、ノーマルな夫婦関係以外は何も認めらないような圧力とは無関係でいたいと思うのです。
鈴木涼美『YUKARI』(2024 徳間書店 62頁)
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mio3740 · 4 months
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考えてみれば、作家の仕事の全体とは、相対的なものしか存在せぬ価値の荒野に、かれの懐疑的な精神のすべてを賭けて、ひとつの絶対的な樹木を育成すべく試みることであらねばならない。
大江健三郎「作家は絶対に反政治的たりうるか?」『大江健三郎同時代論集7 書く行為』(岩波書店 2023 83頁)
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mio3740 · 4 months
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地球の未来を考えようとするとき、ダナ・J・ハラウェイは、形而上学と記号論的ファシズムという二種類の語りの罠を避けるように勧める。第一に、救世主(メシア)の誘惑がある。誰かが私たちを救いにやってくるという誘惑だ。宗教であれ技術であれ、唯一無二の力、人間の条件を変えるあらゆる答えを所有している万能の知。第二に、終末論の誘惑がある。何もできずに、種の消滅が差し迫っているというのだ。[...]肝心なのはまさしく、誰も私たちを助けに来てはくれないということ、そして、私たちが消滅するのは必然ではあるが、それまでまだ間があるということだ。つまり、私たちが退場し、変異し、星を変えるまでに、何をするかを考える必要があるのだ。——たとえその何かが、私たち自身の消滅や突然変異や宇宙への移住を意図的に加速させることであったとしても。私たちは私たち自身の凋落にふさわしくあろう。そして、残された時間のために、新たなポルノパンク哲学の構成原理を構想しよう。
ポール・B.プレシアド『テスト・ジャンキー』藤本一勇訳(2023 法政大学出版局  306-7頁 )
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mio3740 · 6 months
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——子供はみんな可愛いのよ、マーちゃん。それでいてどんな子供の性格のなかにも、成人すれば顕在化するはずのものがひそんでいるわ。その露頭を手がかりにしてね、私は眼の前の子供が中年になった様子を思い描くことにしているわ。そうすれば、人間というものがよく理解できるから。
大江健三郎「自動人形の悪夢」『静かな生活』(1995 講談社文芸文庫 143頁)
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mio3740 · 6 months
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「私好きなの。この雰囲気」
「この雰囲気? この、店の?」
「うん。このちゃらけた、真剣さの欠片もない空気。意味もなく盛り上がって、意味のない話しか聞こえてこない感じ」
金原ひとみ『持たざる者』(集英社文庫 2018 39頁)
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mio3740 · 7 months
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生きるために必要な仕事というもののために、生きる時間を割くという事は、とてつもなく儚く、切ない。
金原ひとみ『AMEBIC』(2008 集英社文庫 13頁)
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mio3740 · 7 months
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しばらくミヒャエルと日常を過ごしているうちに、彼が猫に名づけをしない理由がわかってきた。ミヒャエルにとって、犬や猫に名前は必要ないのである。それは彼が言葉で犬や猫に話しかけることがほとんどないためだ。目を見る、耳を澄ます、触れる、匂いを嗅ぐ。じっと集中する。いつも、彼はそうやって動物たちとコミュニケーションを取る。話しかけることもないし、こちらのタイミングで呼びかけて、動物たちが歩いているところを遮って抱き上げたり、言葉で指示したりすることもない。だから名前は必要ないのだ。
濱野ちひろ『聖なるズー』(2021 集英社文庫 75頁)
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mio3740 · 7 months
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今であること、ここであること、ぼくがヒトであり、他のヒトとの連鎖の一点に自分を置いて生きていることなどは意味のない、意識の表面のかすれた模様にすぎなくなり、大事なのはその下のソリッドな部分、個性から物質へと還元された、時を越えて連綿たるゆるぎない存在の部分であるということが、その時、あざやかに見えた。ぼくは数千光年の彼方から、ハトを見ている自分を鳥瞰していた。
池澤夏樹「スティル・ライフ」『スティル・ライフ』(1991 中公文庫 62頁)
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mio3740 · 8 months
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アブラハム・へシェルは「安息日」を時間の城にたとえた。ユダヤ人は神殿ももたず、礼拝のためだけの教会というものももたず、偶像を置く城ももたない。彼らは時間の中に城を構築する、という。空間に聖域を設けるかわりに、時間に聖域を設けると。時間は構造を与えられ、識別され、区別される。時間は実体となり、ユダヤ人はある一つの構造をもつ時間から、異なる構造をもつ時間へ歩み入る。そこを立ち去るときがくれば立ち去るが、彼らはそこをふたたび訪れることができることを知っている。
藤本和子『砂漠の教室 イスラエル通信』(2023 河出文庫 62頁)
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mio3740 · 8 months
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季節外れの花の匂いが混じっているかもしれないし、混じっていないかもしれない夜の空気を僕は吸った。そして、マンハッタンのビル群と明かりの点いた無数の窓、FDR街道を走る車から流れ出すサファイア色とルビー色のライト、ツインタワーの現前する不在を見て、いつもいくらか感じるスリルを少し感じた。それは、建物のある空間だけが僕の中に生じさせるスリルだった。人の手の入っていない自然の世界からは感じることのない、桁違いのスケールだけが生み出す感覚。離れた場所からだとちっぽけに見える窓の人間的側面。その光はビル群のシルエットの中に集まりながらも一つに溶け合うことはない。その様子が象徴しているのは、まだ存在していない集合的人間、まだ生まれていない二人称複数の物理的な痕跡だ。全ての芸術は、仮に最も親密な形で表現されるときでさえ、まだ生まれていないその人に向けられている。僕が都会で崇高性を経験するのは、都会でこそ、共同体の直感が計算を超えた偉大さを見せるからだ。借金の山、水道水に残留する微量の抗鬱剤、血管のように張り巡らされた巨大な交通網、ますます過激化しつつある気象パターンの変動。ホイットマンと同じようにロウアーマンハッタンを対岸から眺めるとき、僕はいつも、無様な群衆をつかの間可能性の比喩に変える芸術家たち、共同体に先立つ身体感覚の微妙な揺らめきを可視化する詩人たちの仲間入りをしたいという思いを新たにした。僕がビル群を受け止めようとした——しかし実際は逆にビルにのみ込まれたのだが——ときに感じたのは、中身を空っぽにされるのと区別がつかない充実感だった。僕の体が抽象的な人格へと溶解し、体を作る一つ一つの原子がヌールの体の原子と同じになって、世界という虚構が彼女の周りで組み変わる。独りよがりな生協的駄弁に聞こえない表現の仕方があったなら、僕は彼女に言いたかった。最も不穏で辛い形で自分のアイデンティティーを失うことの中にも、いかに屈折したものとはいえ、来たるべき世界のきらめきが含まれている、と。全ては今と変わらない、ただほんの少し違うだけで。というのも現在の現実から見て、起こったけれども起こらなかった出来事を含め、過去はいつでも引用可能だからだ。
ベン・ラーナー『10:04』木原善彦訳(2017 白水社 123-4頁)
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mio3740 · 9 months
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[...]そこに並んだとおりに言葉がたがいを見失わなかったのは、言葉を集める人がいたのは、とても幸運なことだった、もしかしたら、彷徨っている野放しの言葉をいくつか一緒にするすべをわたしたちが知っていたら、世界はもう少し良心的になるんじゃないかしら。
ジョゼ・サラマーゴ『見ること』雨沢泰訳(2023 河出書房新社 249頁)
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mio3740 · 9 months
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どうか、もっと私がついていけないくらい、私があまりの気持ち悪さに吐き気を催すくらい、世界の多様化が進んでいきますように。今、私はそう願っている。何度も嘔吐を繰り返し、考え続け、自分を裁き続けることができますように。「多様性」とは、私にとって、そんな祈りを含んだ言葉になっている。
村田沙耶香「気持ちよさという罪」『信仰』(2022 文藝春秋 117頁)
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mio3740 · 9 months
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きれいな紙の上にレモン汁で文句を書いても、なんの跡も残らないけれども、その紙をしばらく火にあてると、茶色の文字が現われて、文句の意味が明らかにわかるという話であるが、ウイスキーがその火で、文句にあたるのが、人の心の奥底にあることだと考えれば——ミス・アメリアの酒の値打ちがわかるであろう。うっかり忘れていたことや、暗い心のずっと奥深くだいじにしまっておいた思いなどが、突然意識にのぼって理解されるようになるのだ。織機、弁当箱、ベッド、そしてまた織機と、これしか頭になかった紡績工、その紡績工が、ある日曜日に酒を少し飲んで、ふと沼地のユリを見かけたとする。そのとき彼が手のひらにこの花をのせて、可憐な金色の萼をつくづくながめると、突然彼の心をやさしい感情が、痛いほど強く突き貫けるかもしれない。ひとりの織工が突然空を見上げて、一月の真夜中の空の冷たい不気味な輝きにはじめて気がついたとき、ちっぽけな自分自身の存在に、心臓が止まるほど深い恐れを感じるかもしれない。つまり、そんなことがミス・アメリアの酒を飲んだ人の身に起こるのだ。苦しむ人もあろうし、喜びに酔いしれる人もあろう——いずれにしても、その経験によって真実が示される。つまり、その人は心を火で温めて、そこに隠された文句を読みとったのである。
カーソン・マッカラーズ「悲しき酒場の唄」『マッカラーズ短編集』ハーン小路恭子編訳, 西田実訳(2023 ちくま文庫 19-20頁)
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mio3740 · 9 months
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頭を上げると、すっかり暮れた空に、空虚な持たざる月が昇っていくのをモスクワを見て、暖めてくれる生命の流れを自身の内に感じた……彼女の空想は途切れることなく働き、いまだ決して飽きることはなかった、——彼女はさまざまな事柄の生起を知性のなかで感じ、思考によってそれらに参加していたのである。孤独にあって彼女は、全世界を自分の注意で満たして、街灯の灯りを見守った、それらが灯っているようにと、モスクワ河の蒸気杭打ち機の唸って規則正しい打撃を見守った、杭が深くにしっかり入っていくようにと、そして昼も夜も自分の力を振り絞っている機械のことを考えた、闇に明かりが灯るようにと、読書が進むようにと、朝のパン焼きのためにライ麦がモーターで挽かれるようにと、水に圧力がかかってパイプを通り、ダンスホールの温水シャワーにたどりつき、人々の熱く固い抱擁のなかでよりより生命の発生が起こるようにと——暗闇のなか、孤独で、互いに向きあい、結合して倍化した幸福の浄い感情のなかで。モスクワ・チェスノワは、自身でその生を体験したいというよりも、それを堅固なものとしたかった——昼夜を分かたず機関車のブレーキレバーの脇に立ち、人々を互いに出会うように連れていき、水道管を修理し、化学天秤で病人に薬を量り——他人のキスの上にかかるランプのように、たったいままで光であったあの熱を自身の内に吸収しながら、時を失せず消えたかった。
アンドレイ・プラトーノフ『幸福なモスクワ』池田嘉郎訳(2023 白水社 24-5頁)
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mio3740 · 9 months
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「[...]蛆虫や幼虫にとっても春の美しい朝であることに変わりはないし[...]」
ミシェル・ウエルベック『滅ぼす 下』野崎歓・齋藤可津子・木内堯訳(河出書房新社 2023 134頁)
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mio3740 · 10 months
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十一月末か十二月初めの月曜日ともなると、独り身ならとりわけ、自分が死への通路にいるような気がしてくる。夏のバカンスなどとうに忘れたし、新年はまだ先。いつになく虚無が身近に感じられる。
ミシェル・ウエルベック『滅ぼす 上』野崎歓・齋藤可津子・木内堯訳(河出書房新社 2023 9頁)
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