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livealive0420-blog · 6 years
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僕の中の「きくこと」史②
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「きくこと」史①→https://goo.gl/NiW94p
対話という言葉を知ったのは、2008年頃だっただろうか。西村勇也(ゆうやん)が主催していた「ダイアログbar」が最初だっただろうか。そこで人生2度目のワールドカフェを体験。1度目は2005年の「オブラブ(オブジェクト倶楽部の略)」というIT業界のエンジニアが集まるイベントの基調講演の後に実施されたものだった。仕組みはとても面白いと思ったけど、実際の内容はなかなかフラストレーションを感じるもので、そこまでインパクトは無かった。
だけど「ダイアログbar」のワールドカフェはまったくの別ものだった。前半のストーリーテリングも面白かったけど、後半のワールドカフェはテーブルが変わる度にその会話の濃さ、密度が高まって、3テーブル目の3人のメンバーとは、その後、3年程たまに会って近況を語り合うほどの関係になってしまった。
まぁ、そんなことはそのワールドカフェっきりだったけど、それでもライブ感のある会話の連続がとても面白く、その2008年の4月から1年ほど、僕は毎月のダイアログbarに欠かさず参加した。そして同じ年の12月に、その頃一緒にファシリテーションを勉強している仲間たちと一緒にワールドカフェを主催した。
そして、2009年からは教育カフェというコミュニティを立ち上げ「教育ワールドカフェ」という場を、そのメンバーたちとつくっていった。教育カフェのみんなとやってきたことは本当に今の自分のベースになってると思う。教育カフェを立ち上げようというアクションが生まれたのも「未来をつくるワークショップ2010」という対話の場だった。実際はワークショップが終わったあとの打ち上げで盛り上がったときに生まれたんだけど、その盛り上がりはきっとその前の2日間の場が無かったら生まれなかったと思う。
対話の場は関係を育み、自分たちの関係から生まれる可能性に気づかせてくれる。自分たちの外にある目的や目標に自分を合わせてくんじゃなく、今自分たちが思ってることから対話を始める。何がやりたいのか、どうしてやりたいのか、お互い思うところを言葉にしていくと、みんなの中に共通した文脈が生まれてくる。それぞれの個別の背景が共有されて、自分たちがなぜここに集まって話し合っているのか、その理由が後から分かってくる。そして自分たちが、他の人たち「何を問いたいのか?」「何を探究したいのか?」が自ずと見えてくる。そんな風に教育カフェでは対話の場を対話の場を通じて企画していった。対話には自分たちから湧き上がってくる形で、ことを生み出す力がある。そんな仮説を、自分の実体験として確信していった。
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livealive0420-blog · 6 years
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書けなくなってうろうろしてたら昔の自分がいた
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来月やる「きくはなす探究講座」のことや、同じシリーズでひらこうと思っている「循環的営みとしての”対話の場づくり”探究講座」の案内文を書こうとしてるんだけど、なんかうまく書けなくて、下書きばっかりが溜まっている。
あ~どうしようとか思いながら、上半身(首と肩)がしんどくなってきたので、ちょっと横になったら寝てしまった。うーん、しまった、と思いながら、またPCに向かっていろいろ書いてみるものの、やはりしっくり来ない。
とりあえず、案内文の体裁だけ整えようと、日時や会場などの情報をコピペするために、先日公開した「循環的営みとしての”きくはなす”探究講座」のブログを検索した。
そしたら、友人のけんちゃん( 小林 健司)のブログがなぜか出て来た。なんだか、けんちゃんの言葉を読みたくなってページをひらく。出てきたブログは2015-03のもので、タイトルは「目的や目標を中心から外す生き方」。あれ、これまさかおれが今ハマっている状況のことかも!とちょっとドキドキしながら読み進めた。こんなことが書いてあった。
リンク→http://hitotookane.blogspot.jp/2015/03/blog-post_1.html
 ”今年に入って、 「じぶんのやりたいことで食っていくぜ。」って、 気合いを入れた瞬間に動けなくなった。”
お、なんか状況似てるかも。
 ”目的・目標のある生き方をしていたころ、 目の前にある「やるべきこと」のほとんどは、 到達地点に行くためにするべきことだった。”
なるほど、うんうん。
 ”常に到達地点を描きながら、それを中心に動いていた。  ところが、自分を中心に置くと 「到達するべき」地点(ゴール)はなくなる。 もちろん、やるべきことや、対応するべきことは発生するけれど、 それは、じぶんと誰かの間に偶然生まれただけ。”
やるべきことは、じぶんと誰かの間に偶然生まれただけ。偶然生まれたんだ、なんかこの感じ、よい。
ちゃんと書かなきゃとか、伝わるように書かなきゃとか、何か目的を設定し過ぎて、苦しくなってたなと気づく。
 ”ちょっと抽象的で分かりにくくなったので、 何回かに分けて、書いていきます。”
おぉ、ぜひ続きを読んでみたい!
ということで「次の投稿」を押す。
出てきました「目的や目標を中心から外す生き方 その2」。 リンク→http://hitotookane.blogspot.jp/2015/03/blog-post_27.html
冒頭の文章を読む。
 ”前回の続きを書こうと思ったのだけれど、 なんだか書くことができず、 下書きが4つくらいたまってしまった。”
ええぇぇ!!???
けんちゃんも書けなくなってる。下書きが溜まってるところまでおれと一緒。なんてこったい。
でもそのまま読んでみる。
 ”ここ最近の苦しさのこと。 過去、10年ほど組織の中で働いた経験。 ようやくちょっと動けるようになってきたこと。  なんかを具体的に書こうと思ったけれど、 何度かいてもしっくりこない。。     そこで、 「目的や目標を外す生き方について書くこと」 が目的や目標になって、 書かなきゃいけない気になっているのに気づく。  そうそう、 目的や目標を、「するべきこと」とか、 「しなくてはならないこと」と捉えたときに 動けなくなるんだった。  組織にいたころは、 じぶんにまったく焦点を当てず、 マシーンのように、かたっぱしからやるべきことを やっていたけれど、それがもうできなくなっていた。  だから、 目的や目標は達成すべきものじゃなく、 いかにそこに辿り着くまでを楽しむか、という実験というか試行錯誤をするものとして、 置き直したら動きやすくなった。  そんなことを最近考えていたのだった。  ということを書いていたら、記事ができた。”
おぉ、なんかすごい。書けなくなったことを書いたら、タイトル通りの記事になっている。すごい。僕もなんだかさっきより力が抜けて、もうちょっと楽に書けそうな気がしてきた。まだ分からないけど。
最後にこんな文章が。
 ”書けないときは書けない状況を書けばいい。  という大谷さんの言葉に助けられた。”
大谷さんは僕も知ってる共通の知り合いで、ぼそっとすごいことを言う人。この言葉もさらっとすごい。
ちょうどこの言葉のタイトルで大谷さんがブログを書いてるようでリンクが張られていた。うん、ぜひ読もうと思ってリンクをクリック。
出てきました。2015-03の投稿。タイトルは「書けない時は書けない状況を書けばいい。」 リンク→http://marunekodoblog.blogspot.jp/2015/03/108_25.html
 ”ブログを書くのは楽しいことだけど、どうしても書けなくなる時がある。 そういう時は素直にそのことを書いてしまえばいい。”  ”自分が書けなくなってしまうと近くで洋々と書いている人が 疎ましく思えてきて、いっそ邪魔をしてやれと、二人の画面を覗き こんだりして、いじわるをする。気が散った二人のタイピングが 乱れてほっとする。
 これが今週末「書くこと」の講座をやる人間のやることかと 我ながら呆れた。”
大谷さんが二人(も知ってる友人)を邪魔してる姿を想像して僕もちょっとニヤケてほっとする。最後の一行も大谷さんらしい。いいなぁこういう文章、と憧れつつ、またここを到達点として目指そうとすると書けなくなるので要注意。
そして、ブログの一番下に目をやると、2年前の僕が、この投稿にコメントを残してる事実に遭遇して、バカバカしくて、嬉しくて、思いっきり力が抜けて、とりあえずこのことを書こうと。思ったのでした。
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livealive0420-blog · 6 years
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循環的営みとしての『聞く話す』探究講座(全3回)
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「聞く」「話す」とは何かを体験から見つめなおす3日間の講座を開きます。 日々の生活でさまざまな人と関わりあう中で、その大半を占める「聞く」と「話す」。その当たり前にある自分たちの行為そのものを、あらためて考えてみる機会は多くありません。
しかし、誰かと共に生きていくに生活の中で、人生の最後までつづく「聞く」「話す」をあらためて考えてみることは、これからの生活、仕事、家族や友人、そして自分との関わりを見つめなおす際に、一番大切なところではないでしょうか。 実際、私たちの多くの悩みは人間関係です。相互のコミュニケーションが滞ったとき、誤解や思いこみが生まれ、時には、苛立ち、怒り、失望となり、孤独感を大きくしていくのではないでしょうか。そしてこれらの感情はさらなるコミュニケーションの滞りを生み出していきます。
ここには、声に出せない声、行き場を失った声があります。聞きとどけられなかった言葉、受けとられなかった感情。「言ってはいけない」「してはいけない」という考えでおさえ込み、自分自身も自分の声を聞くことができない。
もし、ただそのままに自分���声を言葉することができるなら、そしてそれをただそのままに聞きつづけてくれる人がいるなら、言葉は新たな命を宿して自分のところに帰ってくる。私とあなたの間をこの声は(行き)生きつづける。 「聞く」「話す」は生命の往復的循環的な営みであり、そして私たちは関係ありきで存在する循環的な存在なのだと言ってみたいと思います。
この講座では、「聞く」「話す」を切り離せない往復的循環的な営みとしてとらえ、両者のコミュニケーションの循環または滞りが何によって起こるのかを、さまざまな体験(ワーク)を通じてみなさんと考えていきます。 体験は、講師が12年間のワークショップの実践の中でこころみてきた、対話、ダイアログサークル、非構成的エンカウンターグループ、円坐、ミニカウンセリング、即興演劇、朗読、影舞、ピアノ、などから、みなさんと探究するきっかけとして提示いたします。
講師自身の「聞けない」事例も惜しみなく提示していく予定です。
人と人の関わり合いに関心のある方のご参加を 心よりお待ちしております。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「循環的営みとしての『聞く話す』探究講座(全3回)」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー  日 時:第1回 2018年1月9日(火)19時~22時     第2回 2018年2月6日(火)19時~22時     第3回 2018年3月6日(火)19時~22時 会 場:駒沢大学駅徒歩5分の会場 定 員:10名 参加費:10,000円(単発参加 3,500円) <申込み>下記内容をメールでご連絡ください。 タイトル:「循環的営みとしての『聞く話す』探究講座」 ・お名前 ・電話番号 ・参加日時 ・お申込みの動機 ・その他(何かあれば) 送り先:[email protected] <講師&ファシリテーター>中尾聡志「Ordinary World」代表 1978年埼玉県生まれ。現在世田谷区在住。 芝浦工業大学 工学部 電気工学科卒業。 IT企業にてクレジットカードシステムのエンジニアとして従事。2005年にファシリテーションと出会い、人と人とのつながりから生まれる可能性に惹かれ、技術職から人事へ異動。採用担当と研修講師として3年間務め、2010年に退社。その後、塾講師、地域活性コンサルの会社を経て、2014年7月に独立。 現在はフリーランスとして、ワークショップの企画・運営、対話の場づくり、ファシリテーターなどの仕事をしている。これまで開いてきたワークショップは400以上。 <これまでの実績(主なもの)> 「初心者でつくるファシリテーション勉強会」(2007年~2008年) 「教育ワールドカフェ」ダイアログとホールシステムアプローチの実践。  ワールドカフェ、オープンスペーステクノロジーを活用した場づくり。(2008年~2011年) 「運動音痴deもエンジョイフットサル」(2010年から不定期��催、現在も継続) 「人差し指で奏でるピアノのワークショップ」(2013年から不定期開催、現在も継続) 「分かち合い読書会」(2014年~2015年) 「即興演劇WS ヤギとサトシのインプロ日和」(2014年~2016年) 「円坐(和田英久氏と主催)」(2014年~2015年) 「ダイアログサークル」(2014年~2015年) 「今ここにある暮らしからつなげる未来」ゲストスピーカー(2015年) 「東京相聞影舞探究会」(2015年~現在も継続) 「ゆくくる2015」(2015年) 「エーリッヒ・フロム愛するということ・読書会」(2015年) 「東京縁坐舞台探究会」(2016年) 「ゆくくる2016」(2016年) 「青砥やくじん延命寺~地蔵の会の円坐~」(2016年~現在も継続) 「寝待月の円坐(玄道優子氏と主催)」(2016年~現在も継続) 「この街のひとは、ひとの話をきかない・読書会」(2016年) 「ゆくくるとじるツアー」(2017年) 「チームビルディングカフェ」ゲスト(2017年) 「ミニカウンリング探究講座」(2017年~現在も継続) <これまでの参加したもの(主なもの)> 「未来をつくるワークショップ2009・2010(西村勇也氏)」 「Art of Hosting2010(春)」 「インタビューのワークショップ(西村佳哲氏)」 「ミニカウンセリングトレーニングクラス(橋本久仁彦氏)」 「穂高養生園 非構成的エンカウンターグループ(橋本久仁彦氏)」 「ヴィパッサナー瞑想(京都)」 「地域で仕事を創る塾(非電化工房)」 ———————————————————— 主催: 「Ordinary World」     (http://livealive0420.tumblr.com/) 問い合わせ先:[email protected]————————————————————
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livealive0420-blog · 7 years
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僕の中の「きくこと」史①
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僕にとって、「きくこと」は何か?ということを、最近改めて考えています。
いろんな人から影響を受けて僕の中に息づいてきたものを、もう一度じっくり見つめてみたいという気持ちになっています。
ミニカンや円坐には多分に影響を受けたけど、その他にもいろんなことが僕の中に積み重なっている。もう一度、僕の中に芽生えているもので、「きくこと」をいろんな人と考える場を作りたいと思っています。
11月の末から12月にかけて。3回ぐらいの場をワークショップとして開催したいな(いやします)。
というわけで、いろいろ自分の「きく」を整理してるのだけど、僕が聞くことに関心の持ったのはいつ頃だっただろうか?
会社の会議のつまらなさや効率の悪さから、その改善をしたいと思ったのが、自分から動き出した最初のスタートだったと思う。その頃はレジュメが大事とか、事前準備が大事とか、ゴール設定、司会進行の技術とか、そういうのを本で勉強したり、職場で実施できないかチャレンジしてたかな。
そうこうしてるうちに、職場の全体会という全社員が参加する会議の冒頭の講演で、ファシリテーションとコーチングが紹介されて衝撃の出会いを果たしてしまった。そこから完全に自分の道はエンジニアから今の道の路線変更された。
ここで「促す」とか「質問する」とかが僕の中に入った。
さらに翌年、ワールドカフェと対話(ダイアログ)に出会う。これも衝撃的な出会いだった。本当にぶったまげた。あんなに自由にいろんな人と話せる場は初めてだったと思う。たぶんそれだけじゃなくて「問い」があったことが大きかった。問うこと、探究することの面白さにここでまた自分の路線が切り替わる。
と今書きながらふと思ったけど、でも実はワールドカフェって別に誰も全然人の話聞いてないような気がしてきた。かなり極端に言ってるけど。いや聞いてるんだけどね。でも「話せる」ことが楽しいし「話せる」からみんな集まってくるんじゃないだろうか。ワールドカフェに行くと「聞ける」ので参加してますっていう人は見たことが無い。結果としてたくさんの話を「聞くこと」になるのだけど。そう思うと「聞く」と「話す」がある意味一体になっていて、それは場の力、構成の力で弾き出されてるとも言える。ワールドカフェの構造の力はすごいなと改めて思う。もちろんその構造の力を引き出せるファシリテーターがいなければ、最悪のワールドカフェももちろんありえるわけだけど。
対話(ダイアログ)の場では、率直に「話す」ことが大切にされていたと思う。もちろん「聞く」ことも大切にしようという投げかけはあったが、行動に起こしていた人は少数だっただろうというのが僕の正直な実感。僕の「きくこと」の追及は結局対話の場では底を見ることができず、僕の足取りはここで突然、働き方研究家の西村佳哲さんのインタビューのワークショップ(5泊6日)に向かうことになる。
今日はここまで。
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livealive0420-blog · 7 years
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2017年10月のスケジュール
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10月~11月のスケジュールです。 詳細は各リンクを確認ください。 随時お申込み受付中です。 [email protected] までご連絡ください。
●10月17日(火)19:00~22:00 「ミニカウンセリング集中探究講座(第1期)第4回 」 https://www.facebook.com/events/205504289982887/
●10月21日(土)10:00~15:00 「見守りサポーター養成講座(千葉) 」 https://center187.wixsite.com/mimamori
●10月24日(火)19:00~22:00 「寝待月の円坐 」 https://www.facebook.com/events/1934002680206204
●10月25日(水)19:00~22:00 「お金とは何か?の探究対話ゼミ(仮題) 」
●10月26日(木)19:00~22:00 「影舞探究会」 https://www.facebook.com/events/1552739694791810
●10月28日(土)14:00~20:00(調整中) 「 縁坐舞台一味の稽古」
●10月31日(火)19:00~22:00 「ミニカウンセリング集中探究講座(第1期)第5回 」 https://www.facebook.com/events/205504289982887/
●11月5日(日)~7日(火)  「人空時 奥の間の坐 第四の間 ”円坐" 」 https://www.facebook.com/events/387354165012539/
●11月8日(水)19:00~21:00 「地蔵の会の円坐」 https://jizounokai.jimdo.com/
●11月9日(木)19:00~21:00 「まちばカレッジの哲学カフェ」 https://www.facebook.com/events/133221730659549/
●11月14日(火)19:00~22:00 「ミニカウンセリング集中探究講座(第1期)第1回」 https://www.facebook.com/events/120007342064822/
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livealive0420-blog · 7 years
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節目、大きな自分と小さな自分、時間を先取る
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こないだ人生で初めて自分の年齢を素で間違えた。38だと言って他の人に「あれ?38だっけ?」と言われるまで気づかなかった。ちょっとショックだった。今まで自分の年齢を「あ~いくつだっけなぁ」とか迷う人を見て、自分の年齢迷う感覚って全然分かんないなぁと思うぐらい、自分の年齢はスパッと言えていたから、かなぁ。
あと1年もしないうちに40歳。そうかぁ、自分は40歳になるのかぁ。不思議な感じ。あまり現実味がない感じ。なんで29から30とか39から40とか、そういうときだけ妙に意識するんだろう。節目みたいなものを感じやすいからかな。
最近、友達のしおじとおしゃべりしてた中で、「節目」の話が出て来た。しおじは暦の話に詳しくて、暦についてお話する会とかをときどきやってる。「季節」って「季の節(ふし)」って書くし、「節分」も季節を分けるという意味があって、今は2月に1回だけだけど、昔は季節の移り変わりには「節分」があったらしい。5月は端午の「節句」とかいうけど、これも「旬の節(ふし)」。昔の人は季節の節目をみんなで大事にしてたんだってことが分かる。
最近の自分にとっては、8月の縁坐舞台東京公演が一つの節目のように感じている。8月13日を境に、その前の自分とその後の自分(今の自分)はちょっと違う感じがある。自分の仕事についても、松戸のNPOのことも、家のこととか、その他にもいろんなことが、たまたま偶然かもしれないけど、これまでと違う流れに入った感じがしている。不思議だな。
自分が何かやってきたから何かが変わってきたという感じはほとんど無くて、全部向こうからやってきた感じがしていて、これからも自分が自分としてこうしたいああしたいという感じよりは、もうこれをしていく流れである、この道以外は無いよなぁ、という感覚が強い。自分の「したい」という気持ちもその流れの中に一緒にある感じがする。自分の状況をこんな風に表現できるのは8月の公演のときにアリーの話を聞かせてもらってその時に感じたことが強く影響してる。大きな自分と小さな自分。小さな自分に戻ったときに不安とかが出て来る。大きな自分を感じて動いていけたらいいなぁって思う。でもそれは小さな自分が小さな自分のまま自分の足でなんとか歩いていく姿あってのものかもしれない。
明日から9月、今年もあと4カ月、夏も終わって季節がめぐっていく。もっとあとの自分が今を思い出すときどんな風に思うんだろうか。今と同じように「あの頃が節目だったなぁ」と思うんだろうか。それとも今感じているこの「節目」感がそもそも未来の自分が感じている感覚の先取りなのかな。
合気道には「先の先」という言葉があるそうです。今の自分が未来を先取りすることで今を過去にすることだそうです(確か)。最近マラソンするときにこの考え方を意識して、気持ちよく走れてる自分をイメージで先取りすると、身体がそこを追いかけていい状態を勝手につくろうとする。イメージトレーニングってこういう原理なのかとか思いながらやってます。
時間感覚が変わっていく。ただ流れる直線状の時間や、時計が指し示すみんな共通の時間じゃなくて、僕にしかない時間、僕が自由に移動できる時間、今まで誰も教えてくれなかった時間というものに最近興味があります。
あと少しで40歳だと言ってる僕は実はもう40歳の感覚を先取りしてるのかもしれない。38だと年を間違えた僕は間違えたのではなくて、38の自分だったのかもしれない。今の僕は39歳でもあるけど、38歳でもあるし、40歳でもあるのかもしれない。いや数字は関係なくて、今でもあるけど過去でもあって未来でもある。8月13日を節目だといいながらその前の自分と40歳の自分を思う僕は、過去も今も未来も包含した時間を生きているのか。
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livealive0420-blog · 7 years
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わたしは、もともと「きくこと」に関心が無いから、とらえ直す必要もない。
今年は、影舞や縁坐舞台だけでなく、ミニカウンセリングのレビューの場にも力を入れたいと思っています。
影舞も縁坐舞台も、円坐も、橋本さんを呼んでやってもらうだけでなく、自分たちでどんどんやってみるというのが、自分の中にはありました。経験の場の自給自足みたいなものですかね。
でも、ミニカンは今までそこまで自分たちでやるというのが無かった。
橋本さんのレビューはさすがに真似できないみたいな気持ちがあったのかもしれない。
でも、去年のいろいろを経て、橋本さんのレビューを真似る必要はなく、自分の今できることをやればいいと思えたり、実際やってみる(やらせてもらえる)機会もあって、これはこれで成り立つということも実感できたのも大きかった。
というわけで、今年はミニカウンセリングの場、人の言葉をただそのまま読んでいくという試み(レビュー)を通じて、人って何のか、場って何なのか、時間や空間というものが何なのか、生きるって何なのかに迫りたいと思って居ます。
「わたしは、もともと「きくこと」に関心が無いから、とらえ直す必要もない。」
これは12月に、ぼくとじゅんちゃんと友人のボウズィと来年(2017年)の打ち合わせをしてるときに、じゅんちゃんから出て来た言葉です。
2016年の名言ベスト3に入ると思われる、個人的インパクトの高い言葉。
今年、ミニカウセリングを通じた場をやっていくにあたって、タイトルを考えるときに、個人的には、今まで触れてきたり扱ってきた、僕の知っている「きく」ではないもの、がこの世界にはあり、それを探究してみたい、確認してみたい、という気持ちがあるわけです。
それは自分の中の「きく」をとらえ直すことになるし、多くの人にとっても、今までの「きく」がとらえ直される機会になると思っていた。
しかし、そうでない人が一番に近くにいた。
そうか!「きく」ことに関心がない人にとっては、 とらえ直す必要もないかの!!目からウロコ!
本当に、この人、神様みたいな人ですね。 住んでる世界が違う。たてまつらなければ。 まぁ、僕はもう関心があるし、関心がない状態にはなれないので、関心があるゆえにいろいろ学んできて、いろんなものがくっついちゃってるので、とらえ直しが必要な人間です。もうとらえ直せないのかもしれないけど。
毎月やっていく予定です。
初回は1月29日(日)の午後を予定しています。
15分間、聞き手が話し手の話を聞き、その15分間を逐語録に起こして、内容を集まった方たちと丁寧に見ていく。とてもシンプルなものです。
ぼくらが話す言葉の中に、こんなにも感情豊かで広大な内面世界が広がっているかということを、目の当たりにしてきました。
そして、その、人が持つ内面世界を、普段どれだけ見たり、感じたり、触れたりすることが出来ていないかということを突き付けられます。
その事実の認識なくして、どうやって自分の「きく」という傲慢さから抜け出す糸口が見つけられるのか。
僕にとってのミニカウンセリングとそのレビューは、そういう時間です。
<ミニカウンセリング探究講座>
日時:2017年1月29日(日)13時30分~16時30分
場所:目黒駅徒歩10分の和室
参加費:3500円
定員:6名程度
申込 問い合わせ先: E-mail ordinaryworld0420■gmail.com (■を@に変換してご利用ください)
主催:中尾聡志、中尾絢子、大島有一(ボウズィ)
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livealive0420-blog · 7 years
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ピアニカ影舞
今日は、月に一度のデイサービス「タガヤセ大蔵デイ」へのゆるゆる団。ピアニカ出張の日でした。
今年も去年と変わらず、太極拳とピアニカとアコーディオンで、身体動かしたり、一緒に歌ってもらったり、にぎやかな1時間でした。 今日は、久しぶりに影舞でもお披露目しようかなと思っていたんだけど、自転車でデイに向かう途中なんとなく、イメージが湧いて、太極拳の園田さんに、影舞みたいにゆっくり太極拳をやってもらいながら、僕がバックでピアニカを影舞みたいに吹く(演奏する)というのをやってみようと思い付き、デイについて、しばらくして園田さんにイメージを伝えて、1分ちょい説明しただけで「了解です。わかりました。」「はやっ!」みたいな打ち合わせをして、ぶっつけ本番でチャレンジしました。
結果は、おそらく大成功。やった本人はそれがどう聞こえたか、感じられたか分からないので、終わったあとの感じ、拍手の感じとか、表情とか、言葉を聞きながら、悪くなかっただろうと感じました。
スタッフのひとりの女性はとても明るく「すごいですね!」と言ってたけど、この方はなんでも「すごい!」って言うので、ちょっと半々ぐらいで聞きつつでしたが、他の方の感じとしては、うん、きっとよかった気がする。 自分の感じとしても、そんなに悪くなかった。 即興だし、感じながらただやるという、影舞やヒトガタに似たスタンスで演奏したので、個人的な達成感や成功感はよくわからない。
ただ、そういうのを外して、ただ自分が奏でている演奏やその場の空気感を感じながら演奏できたということに関しては、できたという感じがある。 僕が意図するしないに関わらず、演奏出来た=演奏が(ぼくから、ピアニカから)出て来た、という感じでしょうか。 何分ぐらいの演奏だったのか、自分じゃ分からないけど、終わったあと汗だくでした。
また、来月もちょっとチャレンジしてみたい。 影舞や縁坐舞台の探究会でもやらせてもらって、感想など聞いてみたいです。
終わったあとに、スタッフの丸山さんが「影舞がはじまるのかと思いましたよ!」と言っていたのが、なんだか面白かった。
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livealive0420-blog · 7 years
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2017年、最初の言葉
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中尾聡志です。
久しぶりのブログの更新です。
2016年はブログの更新はほとんど出来ませんでしたが、 2017年はもう少しブログの更新を頑張ってみたいという気持ちになりました。
自分の今の気持ちや考えていることなど、言葉にしていくことで整理もされるだろうし、ブログならちゃんと蓄積もされて、facebookに書くよりいいかもしれないと、なんとなく年末年始に思ったもので、なので、久しぶりに��ログに現われてみました。
と、同時に、facebookがなんとなくつまらなくなっているのも影響していると思います。
なんでつまらなくなってきているのか、それも少しずつブログで書いてみたいと思います。それも2016年の自分の小さくて大きな変化のひとつかもしれません。
2016年は、やはり中心にあったのは縁坐舞台の経験だったと思います。
3月からの自主的な探究会を始めた頃の自分は、何もかも橋本久仁彦さんの見よう見まねで始めたわけですが、その時に比べると、少しだけ、縁坐舞台というものが分かってきている気がします。
キーワードをひとつ書くとしたら、「身の置き所」です。
この人生を、悔い無く終えたいならば、 どのように生き、どこに向かい、どこでこの身を終わらせるのか。
人生最後の身の置き所。
そのような気持ち、心境、姿勢、それらが縁坐舞台にはあるのだと思います。
12月の橋本久仁彦さんのWSで、このようなことを思えたことはとても良かった。
2017年のひとつの指針になると思います。
これは縁坐舞台だけでなく、円坐やミニカンにも通じるところだと思うし、 その他の場、仕事、家や家族のこと、生きることにまつまるあらゆる場面で通じてくるものだと思います。
円坐や縁坐舞台からつたわってくる姿勢は、ただの技術や知識でなく、 直接自分の生き様に入ってくるものです。
だから僕は、この世界に身を浸らせているのでしょう。
自分は自分でしかないけども、 それ以前に続いていた歴史が国にも人にも土地にもある。
円坐や縁坐舞台は、橋本久仁彦さんが見出してくれた、 この島国で生きてきたひとたちの生き様の型だと僕は思っています。
橋本さんも、引き継いだのだと思います。
僕も、引き継ぎたい。
でも、引き継ぐには、自分で見出さなければならない。
2017年も、それをしていきます。
今年もどうぞよろしくお願いします。
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livealive0420-blog · 8 years
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「受け止める、認める、承認する」の先
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      去年訪れたひめゆり平和記念資料館から最近届いた贈り物
コーチングとかカウンセリングとかファシテーションとか聞くとか、そういうキーワードのあるところに行くと、必ず出て来る言葉が「受け止める」「認める」「承認する」という言葉。この言葉は、僕にとっては、人とのかかわる上で、こういう概念があることをちゃんと認識したことが無かったので、当時は目からウロコだったし、この言葉が無かったら、理解できなかったことがたくさんあったと思う。そういう意味ではとても大切な言葉だし概念だと思う。
でも、より具体的な場、現実の場、リアルなコミュニケーションの場において、この言葉はそれほど役に立つ感じがしない。逆に帰って邪魔になることもあるなということを、感じるようなった。
おそらく、この言葉には、具体的にどうするのかというのが抜けているかだと思う。受け止めるって具体的に何をするの?認めるとか承認するって具体的にどうすることなの?こういう問いを吟味して初めて実際の場で活きてくる気がしている。
これは「愛する」という言葉の問題とかなり近いものだと思う。愛するって大事なことだけど、具体的にどうすることなの?っていう問いが必要になると思う。それで(なのか分からないけど)エーリッヒ・フロムは「愛するということ」という本を書き、その人をことを深く知ること、聞くこと、瞑想すること、など、より具体的な行動が書いてあった。それでもまだ問いは続く。知るとは?聞くとは?瞑想とは?
ここで、僕がもっと大事だなと思うことは、行動する側がどうのこうのではなく、これらはすべて結果として「相手が感じること」であり、それを先に目的化してるところに一つの課題があるとも思う。受け止めてもらえた、認めてもらえた、承認してもらえた、愛してもらえた(愛された、愛されていた、愛されている)などなど。
「もらえた」という言葉がつくことからも、これらは贈り物のようなものなんだと思う。贈り物というのは、自分だけが「これは相手の贈り物」と思うだけでは不十分で、相手が「これは私への贈り物だ」と思ってはじめて贈り物になる。 贈り物をするのは難しい。相手が何を欲しがっているのか、何を求めているのかをちゃんと理解しなければいけない。場合によっては、何の考えもなく渡したものが贈り物になることもあるけれど。 あと、誰かを受け止めたいとか認めたいとか承認したいという「自分の気持ちの源泉」について自覚があるかということ。なぜ自分は誰かを認めたいのか。もし「自分を認めて欲しいからまずはあなたを認める」みたいな動きがあるなら、その前に「なぜ自分を認めて欲しいか?」という問いから始める必要があると思う。 最後に、「自分を受け止める」「自分を認める」ということについて。今までの話からいけば、これが成立するには「自分の行動に対して、自分自身で”受け止めてもらえた”と自然に感じる」ようなことが起こらなければならない。 自分で文章書いてても感じたけど、こんなこと出来るのかなと思う。別の比喩で、贈り物の話しでいけば「相手(自分自身)が何を欲しがっているのか、何を求めているのかをちゃんと理解した上で、相手(自分自身)が贈り物だと感じてもらえるようなものを贈る」ということになる。でも、自分の中で贈り物を贈ったり受け取ったりということはおそらく必要ないと思うので、大事な部分は「自分自身が何を欲しがっているのか、何を求めているのか」なのかなと、さらにつけ加えれば、「なぜそれが欲しいのか、なぜそれを求めているのか」という問いになるのかな。 もしこの話に、今のところの結論があるとすれば、認めるとか受け止めるとかの曖昧な言葉で終わらせず、具体的な問いを立て続けて、今見えてないものを見ようとすること、自分の気持ちを言葉にしていくこと、そんなところじゃないかなと思っています。
ふとしたときに自分の言葉が、相手にとっての贈り物になることがあり、 もし「ありがとう」と言ってもらえたなら、それは僕にとっての贈り物になる。
そういうことなんじゃないかと思っています。
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livealive0420-blog · 8 years
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東西ゆくくる2016 春
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~今年のGWは「東西ゆくくる2016」へ~
今年も5月は大阪からけんちゃん&なっちゃんが来ます。 去年は6日間連続でイベントをしたけど、今回は連続じゃないけど、延べ9企画、そのうち一つは2泊3日の円坐、なかなかヘビーなGWになりそうです。いろ いろな企画があるので、ぜひみなさんどこかピンと来るところに遊びに来て欲しいなと思います。どれも濃くなることだけは確かです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・。・。・東西ゆくくる2016「春」・。・。・ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●4月27日(水)19:00~21:45 「お金の回 ~お金のインタビューからはじまる3時間~ 」 https://www.facebook.com/events/1703504486558417/●4月28日
(木)19:00~21:45 「人差し指で奏でるピアノのワークショップ」 https://www.facebook.com/events/593819174104271/ ●4月29日(金)~5月1日(日) 「2泊3日けんちゃんの円坐」 https://www.facebook.com/events/960643927304017/ ●5月3日(火祝)10:00~15:00 「声を通して本を味わう時間 」 https://www.facebook.com/events/1131235133562909/ ●5月3日(火祝)17:00~適当に解散 「~持ち寄り食会~ in 東京 」 https://www.facebook.com/events/853855794736725/ ●5月4日(水祝)10:00~16:00 「~結びの影舞舞台~」 【第一部】https://www.facebook.com/events/1597246370594961/ 【第二部】https://www.facebook.com/events/1518857691756497/ ●5月6日(金)時間未定 「~死ぬまでにもう一度みたい映画を語る会~」 ※詳細を知りたい方は直接お問合せください。   これはとてもオススメのイベントです。 ●5月7日(土)10:30~16:30 「「聞く」と「話す」の探求講座 」 https://www.facebook.com/events/1272535642763021/ ●5月8日(日)10:30~16:30 「~夫婦で坐る会~」 https://www.facebook.com/events/1701195643452267/ <お申込み> 下記内容を ordinaryworld0420(at)gmail.com まで (at)を@に変えてご連絡ください。 ・お名前 ・電話番号 ・日程と参加される企画名 ・その他(何かあればご自由に) 主催:小林健司、小林直子、中尾絢子、中尾聡志
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livealive0420-blog · 8 years
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3月4月のイベントスケジュール
3月と4月の開催イベントスケジュールです。 イベントページは作成次第更新していきます。 申込みは ordinaryworld0420(at)gmail.com まで (at)を@に変えてご連絡ください。
ーーーーーーーーーーーーーーーー ~ 4月のスケジュール ~ ーーーーーーーーーーーーーーーー
4月1日(金)19時~21時45分/場所未定 「人差し指で奏でるピアノのワークショップ」ゲスト参加者:橋本久仁彦氏
4月2日(土)10時~ 3日(日)18時まで/都内近郊 「橋本久仁彦の原点を辿る~プレイバックシアターから縁坐舞台へ・編~」 講師:橋本久仁彦氏
4月29日(金)-5月1日(日)2泊3日/都内近郊 「2泊3日 けんちゃんの円坐in東京」 https://goo.gl/QfCDfL
ーーーーーーーーーーーーーーーー ~ 3月のスケジュール ~ ーーーーーーーーーーーーーーーー
3月4日(金)19時~21時45分/千歳船橋駅 「人差し指で奏でるピアノのワークショップ」 https://goo.gl/UJy3lP
3月6日(日)14時~17時/新宿 「~日本の歴史をよみなおす~講読ゼミ 第3回」
3月9日(水)19時00~21時45分/駒沢大学駅 「東京”相聞影舞”探究会」 https://goo.gl/GIWSAZ
3月13日(日)18時30分~21時30分/宮の坂駅 「東京”相聞影舞”探究会・ピアノ編」
3月17日(水)19時~21時45分/駒沢大学駅 「お金のダイアログサークル 第3回」
3月17日(木)19時00分~21時00分/松戸 「語り場サロン・車座Denbada 第5回」
3月18日(金)19時00~21時15分/雑司ヶ谷駅 「ヤギとサトシのインプロ日和 vol.15」 https://goo.gl/1aH89H
3月23日(水)19時~21時45分/駒沢大学駅 「水曜日の上馬円坐」
3月27日(日)14時~17時/新宿 「~日本の歴史をよみなおす~講読ゼミ 第4回」
3月25日(金)19時30~21時30分/馬込 「私とあなたのお墓参り 最終回 」
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livealive0420-blog · 8 years
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2月のイベントスケジュール
2月の開催イベントスケジュールです。 イベントページは作成次第更新していきます。 申込みは ordinaryworld0420(at)gmail.com まで (at)を@に変えてご連絡ください。
ーーーーーーーーーーーーーーーー  ~ 2月のスケジュール ~ ーーーーーーーーーーーーーーーー
2月5日(金)19時半~21時45分/馬込 「私とあなたのお墓参り」月テーマ「原点」 https://goo.gl/ACLCHQ
2月8日(月)18時30~21時15分/三軒茶屋駅 「一人語り舞台WS」
2月11日(木)18時30~21時15分/駒沢大学駅 「東京”相聞影舞”探究会」 https://goo.gl/uXnI2i
2月17日(水)19時00~21時30分/新宿 「政治・選挙・原発をテーマに遊ぶ!」
2月18日(木)19時00分~21時00分/松戸 「語り場サロン・車座Denbada」
2月19日(金)19時~21時45分/三軒茶屋駅 「お金のダイアログサークル」
2月20日(土)10時~13時/三軒茶屋駅 「東京”相聞影舞”探究会・ピアノ編」
2月21日(日)14時~17時/新宿 「~日本の歴史をよみなおす~講読ゼミ」
2月24日(水)19時~21時45分/駒沢大学駅 「水曜日の上馬円坐」 https://goo.gl/44jy6k
2月26日(金)19時00~21時15分/雑司ヶ谷駅 「ヤギとサトシのインプロ日和 vol.14」 https://goo.gl/1aH89H
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livealive0420-blog · 8 years
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非構成の(目的がない)場に促すものなんてあるのか?
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        今年一番の思い出のひとつ「母ちゃんご飯会」のワンシーン
友人の高柳さん(がおりゅうさん)から、ファシリテーターの人が毎日1つずつブログを書いてつなげていく企画に誘われたので、久しぶりにブログを書いてみます。
がおりゅさんとはもう10年来のお付き合いですね。最初に会った頃はまだ僕がエンジニアでした。そして僕がちょうどファシリテーションと出会った頃でもあります。がおりゅうさんとの歴史と僕のファシリテーションの歴史はほとんど一緒ですね。
この10年で、僕のファシリテーションにまつわる環境はどんどん変わっていきました。最初は会社の会議をもっといいものにしたいというところからはじまり、そこからチーム自体へのファシリテーションへ。そして部署、もうこうなったら会社まるごと、もっとファシリテーションを通じて、変革できるのではないか?!できるはずだ!という気持ちでやっていましたね。グループ横断型の1dayワークショップ(ワールドカフェやOSTなど)を企画、運営していましたね。楽しかったですが、会社自体にどんな影響があったかというと、どうだったんでしょうか。そのうちグループ会社内で合併することになり、僕はそれをきっかけに会社辞めてしまったので。
この企画はいろんなファシリテーターの方が参加されてるかと思いますが、僕はその中でもかなり特殊な方なのではないかと勝手に思っています。僕が今メインでやっている場づくりは半分以上が非構成的エンカウンターグループと呼ばれるものに近い「円坐」と呼んでいるものなので(近いのはかおるさんとか?)。ただ、集まった人たちと車座になって、始まりと終わりの時間を告げて、時間が来たら場を閉じる。それだけ。場自体には目的もない。ただそこで起こることにそれぞれ向き合ったり向き合わなかったりする。何十分も沈黙が続いたり、静かにどなたか話し出したり、誰かが違和感を表明しはじめたり、誰かが怒りだしたり、何かに触れて涙される方がいたり。そんな場で、僕は何をファシリテーション(促進)するのでしょう?
場が構成的か非構成的かの一番の大きな違いは「目的」があるかないかだと思います。「目的が無い構成的な場」というのはありえないと思うんですよね。目的のためにいろいろ構成するのだから。「ビジョン策定のため」「プロジェクトの振り返り」「チームをよりよくするため」など。結論を出さないというダイアログやワールドカフェなども、その奥には「テーマに対する新しい気づきや発見のため」とか「お互いが思ってることや考えてることを共有するため」などの目的があると思います。それでもダイアログというのは僕としては構成と非構成の間に位置しているイメージです。
目的がある場というのは、その目的に向かっていきたいわけですから、「促す」という行為が成立すると思います。でも非構成の場では、場としての目的が無い、つまり向かうべきところが無いため、促す先も無いことになります。
はじめて非構成の場に出会った2011年頃は、「もっと深い対話をするため」とか「深い気づきを得るため」などの目的が非構成の場にもあると考えていました。でも、よくよく考えてみると、場には目的が無いと言ってるのだからそれは確実に無いのです。目的があったのは僕です。僕の目的です。僕が「もっと深い対話」がしたかったり、「深い気づきを得たかった」だけで、場にはやっぱり目的は無いのです。
同じように、他の参加者の人たちもそれぞれが何かしらの目的なり動機があって、参加されるのだと思います。場自体に目的が無いからこそ、逆にそこにいる人たちの生身の目的や動機、行動や気持ちが現われてくることになります。
この「人の生身」が現われてくる現象は、ファシリテーターの促しによるものなのでしょうか?このように問うということは、僕の考えは「否」だということです。「人の生身」が場に現われるのは、ファシリテーターの促しではなく、何も目的を設定しない場そのもの力だと思います。ただ単純に場の力です。もしくは空っぽの力。最初から場に何も置かなければあとは勝手に現われてくる。ファシリテーターの何かを促そうという計らいはただ邪魔なだけ。僕がやることは空っぽの場をひらいて、閉じるだけです。
そもそも促されて出て来た生身は本当に「生身」なのか?
僕固有の性質なのか、人本来の性質なのか、そこはまだ明確には分かりませんが、僕自身のことで言えば、自分自身のことについては、最終的には自分自身で何とかしたいという気持ちがあります。自分自身で発見したり、気づいたり、行動したい。自分自身の力で辿りついた場所は、本当の意味で、自分で立っていられる場所です。誰かの助けを借りる場面もたくさんあるかもしれないけれど、それも自分自身の力で助けを呼びたいし、お願いしたりしたい。(とはいいつつ、出来ないこともたくさんあって、そこを慮って助けてくる方たちには、本当に有難い気持ちでいっぱいです。)
その人がその人自身で感じ考え発言し行動するからこその生身だと僕は思っています。その生身に触れていくには、僕も生身で関わっていくこと、それだけだと思います。僕が非構成の場、円坐の場でやれることは本当にそれだけです。何のスキルでもなく、自分自身で感じて、考えて、葛藤しながらも、ただそのままの自分でぶつかっていく。ぶつかった結果、見えてくるのはこれだけ偉そうなことを言っておきながら、目の前の人を促そうと思って関わってしまう自分だったりします。円坐が終わる度に、自分の浅はかさを実感する毎日です。
10年前に、会議をもっといいものにしたいというところからはじまった僕のファシリテーションの道は、気付けばファシリテーションなんているのか?というところへ来ていました。いつだってどこだって、結局正直に人とぶつかっていくことでしかないんじゃないか。10年前、会社の人たちと、もっと正直に自分をさらけ出して関わることが出来ていたら、何か違っていたのでしょうか。促そうなんて思いで関わらなければ、もっと違う関係になっていたかもしれませんね。
でも、振り返ると、常に僕は「もっと自分を発揮したい!」という思いがあったように思います。会議のときも、仕事のときも、ダイアログのときも、円坐のときも。自分をより発揮したいと思っていたし、同じように他の人も見ていた。心理学的には投影というんでしょうか。でも、僕がずっと、打ち合わせ中に発言の少ないと思う人に「○○さんはどうですか?」って話を振ったりしてこれたのは、この投影のなせる技のように思います。僕がやってきたファシリテーションやワークショップのデザインは、きっと全部僕自身を救うためだったように思います。その僕の投影で、たまたま助かった人もいれば、嫌な思いをした人もいたことでしょう。僕が10年やってきたことはただそれだけのことだったんじゃないかと思います。でも、今年、この仮説に気づいたとき、僕は結構涙しました。
非構成の円坐が教えてくれたことは、結局いつだって体当たりで人とぶつかっていくしかないってことでした。でも、僕にとってはとても健やかな気づきでした。もう頑張って何かをとりつくろわなくてもいいし、どっちにしろ浅はかな僕は無意識にいろいろとりつくろっちゃうわけですから、ただのこの身のままぶつかっていく。もしくは勇気が出ずぶつかることもできなかったことを告白しながら、参加される方の胸を借りながら、場をひらかせていただく。
円坐をひらいていくことは、僕にとっては自分の人生をひらいていくことと直結しています。円坐に目的がないように、人生にも目的なんてない。円坐にマニュアルがないように、人生にもマニュアルなんてない。ただはじまったときから、終わりが来るまで、この自分まるごとで生きていくということ。 円坐に坐るように生きていく、人生を生きるように円坐に坐る。 目的のない人生を、何にも促されずに。 そこに現われてくる生身の自分を生きていきたい。
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livealive0420-blog · 9 years
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8月 イベントスケジュール
今月のイベントです。
参加ご希望の方は、メールの件名にイベントのタイトルを入れて、 下記内容をお送りください。
お名前 お電話番号 参加の動機 その他(何かあれば)
*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─* 「東京円坐 葉月」 https://www.facebook.com/events/701563773309836/
日時 8月17日(月)18:45~21:45 場所 中根住区センター 和室 定員 10名   参加費 3,000円 主催 中尾聡志
*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─* 「場をつくる人のための勉強会 ~ちいさくてもイキイキできる空間を」https://www.facebook.com/events/686975314769848/
日時 8月19日(水)19:00~21:45 場所 上馬地区会館 第4会議室 定員 8名   参加費 2,000円 主催 中尾聡志
*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─* 「◆私とあなたのお墓参り 葉月◆」 https://www.facebook.com/events/1449295045378834/
日時 8月21日(金)18:30~21:00 場所 「馬込文化センター1F和室」(大田区中馬込) 定員 8名   参加費 1,500円 主催 今井達也 中尾聡志
*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─* 「エーリッヒ・フロム 愛するということ 講読ゼミ(第1回)」 https://www.facebook.com/events/1615847041997406/
日時 8月24日(月)19:00~22:00     (以降、月一で12月まで開催) 場所 コミュニティガーデン「たぬき村」 3Dルーム 定員 8名  参加費 2,500円 主催 中尾サトシ
*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─* 「人差し指だけで奏でるピアノのワークショップ」 https://www.facebook.com/events/871663122927502/
日時 8月27日(木)19:00~21:45 場所 三軒茶屋付近の会場(参加される方にご連絡します) 定員 8名  参加費 2,500円 主催 中尾サトシ
*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─* 「ヤギとサトシのインプロ日和 ~その場で生まれる物語と戯れる~」 https://www.facebook.com/events/1665201283698007/
日時 8月28日(金)19:00~21:15 場所 豊島勤労福祉会館 第1和室 定員 8名  参加費 1,500円 主催 中尾聡志(サトシ)、秋元啓一(ヤギ)
*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─* 「ー日円坐 晩夏の浅間台にて」 https://www.facebook.com/events/411137895738450/
日時 8月29日(土) 時間未定 場所 横浜市西区浅間台の友人宅 定員 8名ほど 参加費 未定 主催 中岡晃也(ヘルメ) 中尾サトシ
*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─*─* 「第3回 めぐるお寺の縁坐 (浅草のお寺を予定)」
日時 8月30日(日)19:00~21:30 場所 浅草のお寺を予定 定員 8名ほど 参加費 お布施(お気持ちで) 主催 松下弓月 中尾聡志
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livealive0420-blog · 9 years
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僕の人生の膨らみ
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             最近知り合ったきよさんちのアンコさん
“誰でも脳に障害を持っていると言える。才能とは障害の一種であって、社会的に有用と認められたものが才能と呼ばれる。ヒトの言語能力も動物一般から見れば一種の脳障害であるが、人類共通の障害として能力と認められているのである。”
これ、最近読み直してる本に載ってた文章。 言葉は動物一般から見たら脳障害、っていう視点ってすごいなって思って。 今こうやって言葉をならべて何かを伝えるようとしてるこの動きも、障害の一つってことで、これを社会が認めているから能力になる。
自分たちが普通に生活するために普通に使っている自分の身体の動きも、その動きを持ってないものから見れば特異な機能なんだろう。芋虫の動きはうちらから見ればなんだか気持ち悪く見えても、芋虫からみたら、うちらの歩き方の方が気持ち悪く見えるのかもしれない。
視点を変えると、世界っていうのは本当に面白いと思う。 視点を変えるだけで、新しい発見が無数に生まれる。 普段どれだけ狭い視点でしか見てないんだろうと思う。 いつもいろんな視点で日常を見ることが出来たら、 発見ばかりですごく楽しいことだろう。
というか、そんな毎日になるように自分は日々を過ごしてるように思う。 違った視点が欲しくて本を読んでいるのかもしれない。 違った視点が欲しくて人の話を聞くのかもしれない。
「そんな風に見える(思える)ってそれどんな視点なの?」 っていう風に人の話を聞いているのかもしれない。
そして、最終的にじゃあ自分のこの視点はどんな視点なんだろう、 というところに行きつくのかもしれない。
最近、僕はよく「真実が知りたい」と言う。
何がしたいの?という質問に、そんな風に答える。
ここでいう真実とは、その人がどんなふうに毎日を見て、人生をみて、世界をみているか。
世界は一つしかないのかもしれないけど、視点は生きている人の分だけある。 もしくは生まれてきた人の分だけあるとも言えるのかな。
だからすべての真実を知ることなんかできないけど、 そんなことに意味はなくて、ただ、出会った人たちが見ている世界を、 生きている世界を、少しでも見せてもらえたらと思っている。
お互いが生きている世界を覗きあって、 お互いに驚きあっていけたら面白いなと思う。
覗かせてもらった世界の分だけ、 ぼくの人生はぷくっと膨らんでいる。
そして、ふと深呼吸してこの膨らみを思い出すと、 なんだかホッとするのです。
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livealive0420-blog · 9 years
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即興演劇(インプロ)と歎異抄
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行きたい行きたいと思ってなかなか行けてい��かった月イチの即興実験学校に、昨日は数か月ぶりに参加!そしてやっぱりインプロは面白い&奥深い!
昨日は自己紹介のときに、「最近、個人的に関心があって親鸞の歎異抄という本を読んでいるんですけど、そこに出て来る「本願他力」とインプロが近いのではと思っていて、それを意識して今日は参加したいと思います。」という、知らない人にとっては意味不明なことを言ってスタートしてみました。
インプロ(即興演劇)では、「とにかく動いてみる」とか「とにかく喋ってみる」とか、あまり頭で考えずに、その場その場の直観や自然に身体の動く任せてみる、ということをよく言われます。実際に、何も考えずに身体に任せてみると、思っているよりもそれなりいセリフが出てきたり、身体の動きがそれらしくなったり、やってみなければ分からないとはまさにこのことで、インプロではそういう体験が何度も起こります。そして、その積み重ねから身体や直感、自分への信頼性も高まっていく。「なんか大丈夫」「結構大丈夫」「きっと大丈夫」みたいな気持ちが日常生活にも増えていきます。
根拠のない安心感。
社会人になって、いろいろ仕事で挫折することもある中、ファシリテーションと同時に、このインプロに出会えたこと、そこで、この根拠のない安心感を自分の中に育ててこれたことは、本当に大きかったと思う。
そして、今読んでいる親鸞の歎異抄。これが、このインプロに起こる事象と、とても近いことを話しているように感じています。まだ、自分の言葉でどう説明していいのか分からないので、本の中に出て来る、「他力」と「自力」について、引用してみます。
「他力」・・・阿弥陀仏の本願力。阿弥陀仏が衆生を救済する働き。 「自力」・・・自分の力で善根を修め浄土へ往生しようすること。        阿弥陀仏の本願を疑う行者自身のはからいのこと。
自分でなんとかしようとすることは、本願を信じる心が欠けている。 自力にとらわれている、と書かれています。
これは、インプロで言うと、自分で面白くしようとしたり、目立とうとしたり、物語をコントロールしようとしたりする動き、他人の直観やアイデア、その場その場に生まれてくるものを疑う動きと、すごく重なるなと。
インプロと仏教が重なってくるのは、一見意外なように感じるけども、そもそもインプロの創始者キース・ジョンストンも、東洋哲学の影響を受けてると聞いているので、知ってる人からすれば、当たり前の話なのかもしれない。でも自分にとっては、とても面白い発見だった。 以前から、「なるようになる」「起こることが起こる」ということは大事にしてきたつもりだったけど、もともと知っていたことと、新しく入ってきたものとの間に、こんな風につながりが見えると、それぞれの事柄についてより奥深く感じられたり、身体の中(心の中?)でも、なんだか両者が化学変化するように、いろいろ生じるものがあって、面白いですね。
来月も、即興実験学校、参加できるように日程調整せねば。
※ぼくとヤギさん(秋元さん)がやっている月一回の定例イベント「インプロ日和」では、即興実験学校で学んだことを試す場として二人で楽しんでやっています。 興味ある人いたら、ぜひご一緒ください。
次回→ ●5月29日(金)19時~ 「ヤギとサトシのインプロ日和@池袋」 https://www.facebook.com/events/1607672719512040/
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