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laviverrs-blog · 7 years
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ひめくりシラカワ 2017年2月3日
Himekuri Shirakawa February.3rd,2017 (my daily work)
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laviverrs-blog · 7 years
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ひめくりシラカワ 2017年2月3日
Himekuri Shirakawa February.3rd,2017 (my daily work)
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laviverrs-blog · 9 years
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FFMCMCABPP "Index"
FFMCMCABPP “はじめに(ただしくは、おわりに)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/80511746484/ffmcmcabpp
【モロッコ編】
FFMCMCABPP “March.7th,2014 Narita” 
http://laviverrs.tumblr.com/post/80589059909/ffmcmcabpp-march-7th-2014-narita
FFMCMCABPP “March.8th,2014 Dubai”
http://laviverrs.tumblr.com/post/80679134244/ffmcmcabpp-march-8th-2014-dubai
FFMCMCABPP “Interlude 1”
http://laviverrs.tumblr.com/post/80743964035/ffmcmcabpp-interlude-1
FFMCMCABPP “March.8th,2014 Casablanca” 
http://laviverrs.tumblr.com/post/80759883177/ffmcmcabpp-march-8th-2014-casablanca
FFMCMCABPP “Interlude 2”
http://laviverrs.tumblr.com/post/80834511503/ffmcmcabpp-interlude-2
FFMCMCABPP “March.9th,2014 Fez(a.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/80862277804/ffmcmcabpp-march-9th-2014-fez-a-m
FFMCMCABPP “March.9th,2014 Fez(p.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/81068819770/ffmcmcabpp-march-9th-2014-fez-p-m
FFMCMCABPP “Interlude 3”
http://laviverrs.tumblr.com/post/81070834695/ffmcmcabpp-interlude-3
FFMCMCABPP “March.10th,2014 Marrakech”
http://laviverrs.tumblr.com/post/81581175436/ffmcmcabpp-march-10th-2014-marrakech
FFMCMCABPP “March.11th,2014 Marrakech(a.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/81772823471/ffmcmcabpp-march-11th-2014-marrakech-a-m
FFMCMCABPP “Interlude 4”
http://laviverrs.tumblr.com/post/81995635212/ffmcmcabpp-interlude-4
FFMCMCABPP “March.11th,2014 Casablanca(p.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/82102392261/ffmcmcabpp-march-11th-2014-casablanca-p-m
FFMCMCABPP “March.12th,2014 Casablanca(a.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/82683450804/ffmcmcabpp-march-12th-2014-casablanca-a-m
【スペイン編】
FFMCMCABPP “March.12th,2014 Madrid(p.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/83413490760/ffmcmcabpp-march-12th-2014-madrid-p-m
FFMCMCABPP “March.13th,2014 Madrid(a.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/83790471620/ffmcmcabpp-march-13th-2014-madrid-a-m
FFMCMCABPP “March.13th,2014 Campo De Criptana(p.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/84615361729/ffmcmcabpp-march-13th-2014-campo-de
FFMCMCABPP “March.14th,2014 Campo De Criptana(a.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/85430565819/ffmcmcabpp-march-14th-2014-campo-de
FFMCMCABPP “March.14th,2014 Alicante(p.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/85917697424/ffmcmcabpp-march-14th-2014-alicante-p-m
FFMCMCABPP “Interlude 5”
http://laviverrs.tumblr.com/post/86989563859/ffmcmcabpp-interlude-5
FFMCMCABPP “March.15th,2014 Alicante(a.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/87264523394/ffmcmcabpp-march-15th-2014-alicante-a-m
FFMCMCABPP “March.15th,2014 Barcelona(p.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/88180377219/ffmcmcabpp-march-15th-2014-barcelona-p-m
FFMCMCABPP “March.16th,2014 Barcelona(a.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/89551103499/ffmcmcabpp-march-16th-2014-barcelona-a-m
【フランス編】
FFMCMCABPP “March.16th,2014 Paris(p.m.)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/92431170539/ffmcmcabpp-march-16th-2014-paris-p-m
FFMCMCABPP “March.17th,2014 Paris(a.m.)
http://laviverrs.tumblr.com/post/95900889099/ffmcmcabpp-march-17th-2014-paris-a-m
FFMCMCABPP “March.17th,2014 Paris(p.m.)
http://laviverrs.tumblr.com/post/101920282034/ffmcmcabpp-march-17th-2014-paris-p-m
FFMCMCABPP “Interlude 6 ”
http://laviverrs.tumblr.com/post/106215094839/ffmcmcabpp-interlude-6
FFMCMCABPP “March.18th,2014 Last Day”
http://laviverrs.tumblr.com/post/106600888804/ffmcmcabpp-march-18th-2014-last-day
FFMCMCABPP “おわりに(ただしくは、はじめに)”
http://laviverrs.tumblr.com/post/106600980329/ffmcmcabpp
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laviverrs-blog · 9 years
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FFMCMCABPP "おわりに(ただしくは、はじめに)"
現在、12月30日。時間は17:27。ついに書き終わった。ノートに書いていたものをタイピングしてリライトしてTumblrに投稿する。多少のコンピューター知識と文法力があれば上野動物園の猿でもできそうな簡単な作業になぜ9ヶ月もかかったのか。その理由の9割が、僕が怠け者だから、というのは疑いようもないが、敢えて残りの1割に関して言い訳をさせていただくと、会社を立ち上げたからである。
旅から帰ってきた僕は「上野動物園の猿でも分かる会社の作り方」みたいな本を読みあさったり、顧問税理士を探したり、登記書類を用意したりと実は忙しく働いていたのだ。会社の詳細はこの連載とあまり関係ないのは省くとして、そういった慌ただしい日々の中で「明日でいいや」という後ろ向きな坂本九みたいなセリフを何度も繰り返しているうちに世間は年の瀬。師走である。アインシュタインもびっくり。
ただ、長期間をかけてこの「日記」をリライトしていったことで一つ楽しみも出来た。旅していた日々が遠ざかるほど、リライトする文章が「他人事」のようになってくるのだ。臨場感が欠けていく、と言ってしまえば元も子もないのだが、そう悪い意味ではなく、自分とは別の人間の物語を紡いでいるような、あるいは読んでいるような、そんな感覚に陥ったわけだ。旅は旅をしている時間だけを楽しむものではなく、旅が終わった時、旅が遠ざかっていく時、そして旅の記憶が消えかけた時、そんな風に、一生楽しめる玩具なのかもしれない。
僕は今、常に新しい問題と対峙している。今まで経験をしたことのない経営者としての難題を突破するために、日々頭を使っている。でもきっとそれは、フェズ・エル・バリの入口を探すために彷徨っているのと大差ない。突破口を見つけ、混沌を抜ければ、そこに休息のベッドは必ず存在する。そんな風に考えている。
またいつか、混沌に慣れてしまった頃に、僕は新しい武器を手に入れるため、どこかに出かけていくだろう。今の僕は、次の旅のはじまりに立っている。
最後の最後に。 FacebookやTwitterを通して、この連載をご愛読頂きました皆様へ感謝を! ご意見、ご感想などありましたらTwitterの僕のアカウント( @LaviverRS )にリプライをください。変な声を出して喜びます。
December.30th,2014
痛めた腰をさすりながら。
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laviverrs-blog · 9 years
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FFMCMCABPP “March.18th,2014 Last Day"
知らぬ土地で迎える最後の朝、8:00を少し過ぎた頃、僕は目覚めた。よろよろと身体を揺らしながらエレベーターでフロントへ降り、ひんやりとする外気の中でいつものように煙草を一本吸う。昨日と変わらぬ曇り空だ。そして寒い。道路が濡れていた。夜中に雨が降ったのかもしれない。気まぐれな蛇のようにうねる煙が、パリの町並みに自然に溶けていく様を見つめていた。
今日は帰国の日。 部屋に戻りシャワーを浴びてから、歯を磨きながらパッキングをする。キャリーバッグは、出国時と比べて大分余分なスペースが出来た気がする。土産が増えているのに不思議だ……と考え込んだが、煙草がほぼワンカートン消えていることに思い当たり一人膝を打った。 フロントの婦人に丁寧にお礼を申し上げ、ホテルをチェックアウトして駅へと向かう。
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平日、しかも通勤、通学時間のまっただ中のようで、道は混雑している。しばらく鉄道に乗っていないといけない、僕は煙草を一本吸ってからメトロ駅に入ることにした。しかし困った。花のパリだというのにスウェットパンツのままホテルの外に出ていた今朝のバカタレは、ポケットにライターを入れたままにしていたのだ。すなわちライターはキャリーバッグの中、さすがにバカタレと言えども路上でキャリーバッグを開封するのは躊躇う。しかたなくメトロの入口前で悠然と煙を吐いていた黒人女性にライターを借りた。そのサングラスかっこいいわね、と彼女は言って微笑んだ。彼女の革ジャンも相当にかっこよかった。
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そうして、シャトレ駅からBラインに乗って空港駅まで向かう。列車内のフランス人女性と何度か目が合い、窓の外を見つめる儚げな横顔に見とれる。彫刻のように整った鼻筋、そして唇。かくもフランス人女性は美しい。相変わらず僕の鼓膜にはiPodから流れるザ・ドアーズが流れている。脳内DJは名盤"Starange Days"を回している。薄暗い風景を眺め、シャルル・ド・ゴール空港(以下、CDG空港)駅が近づいてきた頃、ザ・ドアーズの演奏に聞きなれない音が混じった。辺りを伺うと、閑散とした車内で一人少女がアコーディオンを弾いている。レイ・マンザレクのオルガンと少女のアコーディオンが不協和音という名の未来的アンサンブルを生み出す。その音像は車窓の寂しい景色と混ざり合い、パリが芸術の都であることを誇示しているかのように(あるいは、それが新しいジャンルの音楽であることを僕に言って聞かせるように)、イヤホンと世界の間で脈打っている。演奏が終わり、未来がまた少し遠くへ去ってしまったのと同時に少女が近寄ってきたので、1ユーロを進呈した。レイ・マンザレクにもいつか1ユーロを贈らないと不公平だが。
列車がCDG空港のターミナル駅に滑り込んだ。ターミナル駅が2つあって、どちらで降りるのか判らなかったが、大荷物を担いだ連中と一緒に降りればまず間違いないのである。空港内のパン屋でピザ一切れとクロワッサンを買って、自分が搭乗する便が電光掲示板に映しだされるのを待ちながら食す。すると、中東系の美人女性が近づいてきて、つたない英語で話しかけてきた。なんのことやら、と思って耳を傾けてみるが、どうも知らぬ単語ばかりで拉致があかない。女性が手にしていた書類に目をやると、それが聾唖者協会(のようなもの)の寄付を募っているということがわかった。が、申し訳ないが僕は寄付が嫌いな日本人なのだ。丁重にお断りする。
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電光掲示板に間違いなく便名が表示されると、チェックイン、出国手続きを済ませ、動く歩道でぼけーっと座標移動しながら免税店へ向かう。フランス語のゲーム雑誌、ナショナルジオグラフィック(落書き用)、メントス、水、ポストカード1枚を購入し、ベンチで文字を書きなぐりながら搭乗時間を待つ。このノートのページも残り少ない。まさか1冊フルで使うとは思いもよらなかった。つい数週間前に店で買った時にはどこにでもある、ただのノートだった物が、文字を刻みつけただけで、一番失くしたくない物(すでに財布よりも貴重なのかもしれない)に変わり果てた。
搭乗案内がアナウンスされると、僕は百戦錬磨の旅人のように、すんなりと機内に乗り込み、ベストポジションを作り出し、窓に額をくっつけた。EK74便は定刻より40分以上遅れて滑走を開始し、無事離陸。今回の隣人は持ち込み禁止にしたほうがいいくらいの熱々フラン人カップル。かなり若い。僕の横でキスを繰り返している。離陸前から既にだいぶ眠い。 ふっと時間が飛んで、目が覚めると機内はすでに消灯されていた。眠気がだいぶ解消されたので、目の前の端末をいじくってみる。エミレーツ航空おそるべし、まだ知られざる機能があった。端末で好きな曲を選んで、その場でインスタント・プレイリストを作れる。知っている曲と知らない曲を適当にバランスよくリストに突っ込み、ヘッドフォンを装着する。ドリンクサービスはウィスキーの小瓶をもらう。だいぶ図々しくなったものだ。窓の下を覗き込むと、雪で白く染まった山脈が見える。どこを通ってるんだ。
機内食はラム肉のオニオンソースがけがメイン料理で、付け合せも含めとても美味しい。隣のカップルが色々と気を使ってトレイを回してくれる。いい子達だ。そんなこんなで、結局ウトウトを繰り返してたらドバイ空港へ着いてしまった。ドバイの無数の光が見えてくると、隣のカップルが窓を一生懸命に覗きこんでかわいい(子供じみて窓際席にこだわる僕は大人げない)。彼らはオーストラリアのパースに行くそうだ。良い旅になるよう、心の中で祈らせてもらう。
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端末でジョニー・ミッチェルの"Free Man In Paris"を繰り返し聴いた。僕は日本にいる時、iPhoneのラジオアプリを目覚まし時計代わりに使っているのだが、いつぞや睡眠と覚醒の間に滑り込んできたあの曲だ。今回の旅をフラッシュバックするようにジョニのキンキン声が身体中に響く。
3月19日 0:00ドバイ空港着陸。時計を進める。日本時間に追いつこうとしている。手荷物検査を済ませ、喫煙所で一服する。 最後の搭乗ゲートはA17、免税店を物色しながら移動する。マクドナルドの前を通りかかり、ちょうど行きのトランジットの時に「これであってるのかな……(涙目)」と心細い気持ちで座っていたベンチを発見した。数日前の自分の姿を思い浮かべてみる。なんだか、ずいぶん人が変わったような気がする。あの時、腹がギュルギュルしてて心配だったが、結局一度も腹痛は起きず、風邪もすっかり治り、健康状態に関しては申し分の無い旅だった。もちろん怪我もしていない。本当によかった。ポカリ美味い。
静かな時間を過ごし、EK318便に搭乗。隣は少年(一人旅だろうか?ものすごい冒険だ)。成田空港まで9時間ちょうどとのことなので、今は日本時間で8時くらいか。もう寝ない方がいい。 機内食で出た意外や結構ちゃんとした日本蕎麦に感動し、端末で映画『天心』鑑賞。別に面白くはない。中村獅童はコメディの方が絶対向いてるよなぁ、などと唸っていると、飛行機がついに、朝に追いついた。ここで僕は時差ボケの起爆スイッチを入れてしまい、寝こけてしまった。
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気づけば浜松沖を飛んでいる。最後の機内食も思い出せない。食べた気はするが、オムレツだったか銀ムツだったか、思い出せない。 そして17:20、EK318便は定刻通り成田へ着陸した。これで今回の旅は全行程を終了、僕は祖国に帰ってきたのだ。肌寒い成田で「日本の匂い」が確かにあることを再確認し、予想外に安堵している自分に驚く。
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空港からでている、サンシャイン池袋行きのバスに乗り込み、スリの危険がおそろしく低いであろうシートに警戒心ゼロで座って最後の文章をノートにしたためる。
フェズ、メディナ、マラケシュ、カサブランカ、マドリッド、カンポ・デ・クリプターナ、アリカンテ、バルセロナ、パリ、パリ。たった10泊ではあったが、実に様々な体験と避けられない試練を乗り越える経験をした。この旅で親切にしてくれた全員に感謝したい。また、地球の歩き方モロッコ編の編集者の皆さんにも賛辞を(見事な導き手であっただけではなく、糊でノートに色々貼っつける際の土台としても役立った)。
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僕は思う。人生には休息と冒険が同時にやってくる。同時にやってくるのは、同時に必要だからだ。
18:44 19th March 2014
Riu Shirakawa
Love.
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laviverrs-blog · 9 years
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FFMCMCABPP “Interlude 6 ”
なんということだ。すでに本日は12月26日。クリスマスとかいうアベック共の魔宴が終わり、疑いようもない年末である。旅から帰ってきたのが3月。今12月。おかしい。時空が歪んでいる。週一ペースが月一ペースになり、カタツムリか君は?というようなスピードで少しずつ更新をしてきたこのFFMCMCABPPも、残り一話となった。Interludeもこれで最後だ。喜ばしいことである。書き始めた頃はシャレで「年内には完結させますよ(薄ら笑い)」などと言っていたのだがまさか現実になろうとは。これぞ有限実行。なんと頼れる男だろうか。
最後のInterludeはこんな話だ。
僕はiPodClassic(惜しくも先日生産終了が告げられた)の愛用者であり、すでに今年で使用を初めてから7年になる。端末ももう4台目になった。僕のささやかな趣味の一つに、毎年個人的ヒット曲プレイリストを作る、というものがある。年が明けると僕はキーボードをカタカタ打って、iTunes上に「20xx年気になったやつ」というプレイリストを作成する。そして、1年をかけてそこに気になった曲を突っ込んでいく。曲自体が発表された年は関係なく、そこには最新ナンバーから60年前のナンバーから、古今東西の楽曲が詰め込まれていく。そして、12月に入るとそのプレイリストを繰り返し聴きながら、1年にあったことを振り返る。大晦日になると、そのプレイリストの中から、精鋭を選出し、「20xx Super Hits」というプレイリストに移す。これで、僕の1年は静かに終わる(正確にはその後「俺グラミー賞(通称:俺ミー賞)」というアワードの授与式を一人で寂しく開催しているのだがあまりに酷い光景なので割愛)。かれこれ7年続けている行事みたいなものである。
今年も仕事をしながらプレイリスト「2014年気になったやつ」を聴いている。様々な曲に混じって、The Doorsの『Universal Mind』、Joni Mitchellの『Free Man In Paris』、Ellegardenの『Salamander』、が流れる。イヤホンから出た音の波は限りなく近いはずなのに、遥か彼方で鳴っているように感じる。今まさにパリで流れているように感じる。セーヌ川沿いをキャリーバッグを引きずって歩く自分の姿を眺めている第三者になったように感じる。旅をしていた僕はすでに僕ではなく、いや、正確には現在の僕はすでに彼ではない。そんな、とりとめのないことを考える。確かなことは時間が止まらないということだけなのだ。
Dec.26th,2014
アイスココアを啜りながら。
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laviverrs-blog · 9 years
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FFMCMCABPP “March.17th,2014 Paris(p.m.)
エッフェル塔の脚元に到着し、世界一有名なその塔を見上げる。遠くから見ていると我が祖国に建つ東京タワーにそっくりだが、間近で観察してみると骨組みの繊細さが段違いであることが分かる。天へと繋がる巨大な飴細工のような風体だ。なかなかすごい。それにしても「エッフェル」は人名だったのか、初めて知った(エッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェルのこと。ガーターベルトの発案者でもあるらしい。おそらく脚フェチであろう)。
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観光客で賑わうエッフェル塔をひとしきり眺め終わり、そろそろ今夜の宿を探そうか、と地図を広げる。地図上で現在地を確認すると、凱旋門も歩いていけそうな距離にあることが分かった。まだ焦る時間ではない。もう少し頑張って歩いてみることにする。エッフェル塔の広場から橋を渡り、セーヌ川の対岸へ行く。土産物屋が軒を連ね、エッフェル塔をあしらった様々な商品を並べている。ポストカード(またか、と思われるかもしれないが、僕はこの時すでにポストカード収集家になりつつあった)と、姪のお土産に可愛らしい手鏡を買った。もちろんエッフェル塔のイラストが描かれている。
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まだ小学校にも入っていない姪がいつ頃オシャレに目覚めるだろうか、そんなことをニヤニヤしながら考えつつ、地図を頼りに歩みを進める。 歩きながら、財布の中の残金が心配になってきたが、はたと思い出した。今回の旅の道連れであるこのキャリーバッグは弟から拝借したのだが、そういえば荷造りをしている時に数枚ポケットに入っていた気がする。あれはおそらく弟が前回海外に行った時に余った紙幣のはずだ。水族館前のベンチに腰を下ろし、バッグを開帳してみると、300ドルと40.00ユーロも入っていた。棚から牡丹餅。すまない弟よ、借りる。40.00ユーロを財布に、100ドル札3枚也を左ポケットに詰め込むと、安心感で足取りが軽くなる。なんというダメな兄だろう。 やがて、凱旋門が真横のアングルで見えてきた。
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何やら軍の記念式典のようなものを執り行っている模様だ。あぁ、凱旋門だナァ。くらいの感想しか出てこなかったが、「凱旋門観てきたよ」と言えるだけの必要十分な時間観察して、その場を後にする。 ここから、かの有名なシャンゼリゼ通りに入る。シャンゼリゼ通りは青山通りに似ていた。数々のブランドショップが建ち並び、路上ではダンサー達が観客を呼び寄せて芸を披露している。
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それにしてもなんて歩き煙草が似合う街なのだろうか、パリは。特に女性の歩き煙草が素晴らしい。ブロンドヘアにロングコート、革のブーツに長い足を突っ込み、息を呑むほど美しく、寂しい表情を湛えて通りすぎていく。この街では不思議なことに、煙草がまるで装飾品の一つであるかのように見える。道に捨てられた吸い殻までもが、神聖なるアートのようだ。東京の歩き煙草にこの美しさは無い。不可解でならない。
気づくと、日が暮れ始めていた。シャンゼリゼ駅からメトロに乗ることにする。明日、空港へのアクセスをしやすいよう宿泊場所を吟味した結果、シャトレ駅周辺でホテルを探すことにした。メトロのホームで電車がやってくるのを待っていると、驚くことに日本語でのアナウンスがあり、そして駅名表示板にも日本語がしっかりと併記されている。日本人の観光客が相当に多いのだろう。
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シャトレ駅に着く頃になると、街はすっかり夜の闇に包まれている。風は冷たく、樹々は裸だ。メトロ駅の入口を中心に数軒ホテルを回ってみるが、相場が高い。195.00ユーロはさすがにゴージャスすぎる。根気よく探してると、ちょうど100.00ユーロで泊まれるホテルがあった。フロント係のご婦人がとても親切且つ丁寧だったので、最後の宿に決めた。渡されたキーには番号ではなく、「ヴェルサイユ」という名がついている。洒落ている。部屋の広さはそこそこ、といったところだがテーブルが置いてあるのが良い。ベッドの上で文章を書くのは首が疲れるのだ。 部屋に荷物を放り出し、歩き疲れた身体を伸ばしてから夕食に繰り出す。
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ホテルからほど近いレストランのオープンテラス席に陣取った。白ワインをオーダーすると、ボトル一本がどん、と出てきた。グラスで頼んだつもりだが、最後の夜だ。パリに乾杯してやろう。肴に初体験のエスカルゴを注文してみる。ワインをすすりながら待っていると、皿が来る前に謎の器具がテーブルに置かれた。さすがの僕もこの器具で殻を挟んで中を取り出す、というのは分かる。分かるが、肛門を拡張するような器具にも見える。しばらく器具をカチカチやって遊んでいると、ブラウンの皿に並べられたエスカルゴが登場。おそるおそる口に運んでみるとバジルソースがきいてておいしい。こういうものかエスカルゴ。そりゃ貝だもんな美味しいよな。 もう少し歯ごたえがあればいいのに、などと思いながら6個を完食。
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ワインが進む味だ。しかし敵は��トル丸々一本。まだ肴が必要だ。弟から(無断で)借りた金であることも忘れ、サーロインステーキ&フレンチフライを追加注文(特に高いわけではない)。肉が硬い。まぁいい肴だ。3人で飲んでいるのか、と思うような勢いでワインボトルが空になる。僕はさらにビールを注文し、完全に酔っ払いモードに切り替わる。 正面の席に座っている、男性二人と女性一人のグループを眺める。もはや風景が肴になる。男Aは女に好意を寄せているようだ。どぎまぎした視線が彼女の太ももに向かっている。男Bは空気読めないタイプだな。頭良いけど邪魔なやつ。フランスにもいるものだなこういうタイプ。どこの国でも���は大変だ。しかしそのおかげで酒が売れるというわけだ。
脳味噌へだいぶアルコールが侵略してきて、異国のレストランの片隅で考えはじめる。ぼうっとする頭で考えはじめる。成田空港へ着陸し、家路につくほんの少しだけ未来の自分を思い浮かべてみる。この二週間弱の鮮烈な体験が、日常に浸透していき、やがて、ひとつの思い出話になっていくことが信じられない。ただ、それが確実に起きることも僕は知っている。今、目に映っているこのあまりにも複雑で怪奇的な「現実」を、「思い出」などという陳腐なパッケージに作り変えるなど、途方もなく難しいことのように感じるのに、人間はそれをいとも簡単にやってのける。明日の僕は果たして僕なのだろうか?そんな疑念すら浮かんでくるのだ。 旅の前に弟から「もう若くないんだから、あんまり無茶しないようにね」と忠告された。そう、僕はもう若く無い。ヒッチハイクで大陸を横断したり、ラクダに跨って砂漠を彷徨うなんてことできやしないのだ。でも、きっともう若くはないがゆえに、この旅を乗りきれたと確信している。僕はもう、世界に牙を剥く存在ではなく、世界に同化した存在なのだ。だからこそ、知らない国のあらゆるものが容易く見えた。その事実こそが、様々な体験を日常に浸透させ、思い出に作り変えて生きてきたことによる成果だと言えるのだろう。僕は二週間旅をしていたのではなく、30年かけてパリに辿りついた。そういうわけだ。
A Day In Paris. Strange Days. もうすぐ終わる。自分でも理由は解らないが、テーブルでノートに文字を刻みつけながらiPodでEllegarden『Salamander』を延々とリピート再生している。
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laviverrs-blog · 10 years
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FFMCMCABPP "March.17th,2014 Paris(a.m.)
リアルホーンテッドマンションという称号を贈りたいようなパリ裏道の安宿で朝9:00に目を覚ました。一晩明けてみても変わらず酷い部屋である。すぐに身支度を整えると、きしむ階段を降りてチェックアウトをした。フロントの男からパリの観光地図を受け取る。今日の最初の目的地は、墓地だ。1960年代後半、いわゆるウッドストックジェネレーションと呼ばれる時代に神がかり的なカリスマ性と特異な音楽性で人々を魅了したロックバンド、ザ・ドアーズ。そのボーカリストであり、いまなお伝説的な人気を保っているジム・モリソン。彼が1971年に27歳の若さでこの世を去ったのがパリだった。バルセロナのホテルでベッドに横たわりながらそんなことを思い出した僕は、iPhoneをWi-Fiに接続し、彼の墓所を調べていたのだ。
リヨン駅へ向かい、インフォメーションでパリの地下鉄について説明を受ける。まずはリヨン駅から「赤い線」でネイション駅���で行く。そこから「青の線」に乗り換え、フィリップ・アウグスト駅まで向かうのが最短ルートのようだ。いまだに理由はよくわかっていないが、パリの地下鉄は買った切符を差し入れる場所がなく、周りの人々も完全にゲートを素通りして電車に乗っていく。しかたがないので僕もゲートを素通りしてホームへ入った。 フィリップ・アウグスト駅に着き、階段を昇って町へ出てみる。ひんやりとした空気が、寂しい町並みをさらに寂しく映した。まるでこの町の観光スポットであるかのように、墓地の看板が出ている。看板のサインに従い、しばし歩いていくと大きな門が見えてきた。ここがペール・ラシェーズ墓地だ。門をくぐり、守衛にジム・モリソンの居場所を訊いてみる。守衛は慣れた口調で「6th Division(第6区画)」と僕に告げた。墓地中央を貫く坂道を登り、ところどころに立てられた標識をチェックしていくが、なかなか第6区画が見つからない。どうにも区画配置のルールが把握できない。余所者には厳しい場所だ(墓地が余所者に優しくする必要もないのだが)。
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肌寒さが消え、額に薄く汗が滲むくらい歩いて、ようやく第6区画を発見するが、ひとつの区画の中にも大量の墓石が立ち並び、まだまだ探しまわらなければならない。ちょうど墓地内を車が通ったのでフランス語で運転手の紳士に尋ねてみると、紳士は僕のちょうど背後を指さし、あのフェンスの奥だ、と示した。振り返ると、墓地管理人らしき爺さんが訪問客に「Jim Morrison」と話している。あそこか。
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無意識に走りだしてしまいフェンスまで駆け寄ってみると、そこには、後世に遺した影響力からするとあまりにもこじんまりとした墓石があった。「James Dagrous Morrison」と名が刻まれている小さな石。ここにジムが眠っているのだ。墓石にはいくつかの花が供えられている。ヒヤシンスの鉢植えがファンの愛を感じさせる(ドアーズの曲に『ヒヤシンスの家』というのがあるのだ)。曇り空と灰色の冷気の下、ジムの墓を見つめる。フェンスには様々なステッカーがびっしりと貼られ、ミサンガや南京錠がところせましと巻きつけられている。僕は首からかけていた手作りのペンダントをフェンスにくくりつけ、一度撫でてからその場を立ち去った。若き日に大きな歓びを与えてくれた男、「この人になりたい」とまで思うほど僕を虜にした男。僕は有名人の墓参りをする趣味は持っていない。きっとジムだけだろう。人生で一度だけだろうが、来てよかった。ようやく若い頃の呪いが解けた気がするよ。こんにちはジム(Hello, I Love You)、さようならジム(This Is The End)。
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墓参りに有るまじき、妙にすがすがしい気分で墓地を後にし、地下鉄駅の入り口まで戻ると、バルセロナに続きここでも日本料理屋の看板を発見。軒先にぶら下がっている提灯を見ていると、堂々とした文字で「刺身」と書いてある。間違いなく面白いはずなので遅めの朝食をこの店で摂ることにした。他に客が一人もいない店内で窓際の席に座り、メニューを開いてみる。寿司をメインとして、焼きそばや刺身、ちらし寿司、焼き鳥など結構豊富な品揃えだ。店主とウェイターの会話が聞こえてくるが案の定中国人で期待度が上がる。(写真を見る限り)鶏の照り焼き丼らしきものとアサヒビール(小瓶)を注文してみる。セットになっているのか、まずはコールスローサラダと味噌汁がでてきた。松屋かここは。サラダの味は特筆すべきことなし。味噌汁は申し訳程度に牛蒡の輪切りと豆腐が浮かんでいるが、味は完全にインスタントのそれだった。そしてお待ちかねの丼が運ばれてくる、と思ったが丼じゃなくてプレートである。そして照り焼きだと思ったものは鶏南蛮だ。衣が日本のと違うようで不思議な味だったが概ね美味しく食べれる。少し塩気が足りなかったのでテーブルに置いてあったキッコーマンの醤油差しを傾けてみたところ、どろりとした液体が鶏南蛮にかかった。すみませんが、焼き鳥のタレを入れるのはやめてください。
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さて、フィリップ・アウグスト駅から地下鉄に乗り、ネイション駅で今度は「黄色の線」に乗り換える。目的地はルーブル美術館だ。地下鉄駅から直通になっているルーブル美術館のエントランスは観光客でごった返しており、すこし見回しただけで日本人もたくさんいることが分かる。エントランスはピラミッド型になっており、この場所が広大な美術館の中心地となるようだ。行列に並び12.00ユーロでチケットを購入。日本語(非常にしっかりした日本語)の館内地図も手に入れて、キャリーバッグをクロークへ預け「ドゥノン翼」から回ることにした。(ルーブル美術館は「リシュリュー翼」「シュリー翼」「ドゥノン翼」という三つの部分によって構成されている)。まずは古代の出土品を眺めながらのんびり回っていく。どこへ行っても人が多い。意外にも館内が写真撮影可だったので、気に入ったものをパシャパシャiPhoneに収めつつ歩いていく。ルーブル美術館はとにかく広い。そして階段が多い。足が棒のようになりつつも、お待ちかねの石像展示室ではテンションが上がる。この時気づいたのだが、僕は「普通の人間のサイズより大きい物」にしか心が踊らない。つまり、「実際の人間より巨大な種」を想像するのが好きなのだろう。ルーブルにはそういう石像がたくさんあって、対峙しているとゾクゾクしてくる。高校生時代にデッサンで描きまくった「マルス像」も見れて満足且つ感動した。
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迷路のような館内をうろちょろしながら、途中『モナリザ』に群がる人々を冷ややかに見つめ、美術館を後にした。ギフトショップのショーウィンドウに荒木飛呂彦の『岸辺露伴ルーヴルへ行く』が置いてあって驚いた。荒木飛呂彦の偉大さがよくわかる。ルーブル美術館のレストランで一人寂しく(この道中ずっと一人寂しくなので今さら言うのもなんだが)ランチを食べる。ラビオリチーズソース、チョコレートブラウニー&アイス、コーラ。
キャリーバッグをクロークから回収しルーブル美術館駅の外へ出ると、広大な広場になっている。煙草を吸う。煙草の煙と空の色がすぐに交じる。ホームレスに煙草をねだられる。一本プレゼントする。
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一服が終わり、セーヌ川沿いに散歩してみることにした。明日は帰国だ。パリを堪能しなくては。僕はiPodを取り出し、ザ・ドアーズの『In Concert』(ライブ・アルバム)を再生した。イヤホンの中で歌うジムの声を聴きながら川沿いを歩く。ジムの叫びが水面に反射しているように感じる。
川の向こう岸へ橋を渡ろうとすると、橋の柵に無数の南京錠が取り付けてあることに気づく。おびただしい数の南京錠、そのひとつひとつにマジックでハートや言葉が書かれている。南京錠の総重量で橋が落ちてしまうんじゃないかと心配になるほどだ。愛の重みで橋が落ちる、というのはロマンチックとは言えない気がする。橋の上に布を敷いて南京錠とマジックペンをちゃっかり売っている露天商がいるのが微笑ましい。
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対岸に渡り、ゆっくりとセーヌ川沿いを進む。『Universal Mind』でロビー・クリーガー(ザ・ドアーズのギタリスト)が奏でるギターサウンドが眼前の光景と見事に調和する。ドアーズはアメリカの音楽ではなく、パリの音楽だったのだな、と気づく。やがて、エッフェル塔の巨大なシルエットが視界に現れた。
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FFMCMCABPP “March.16th,2014 Paris(p.m.)”
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ピカソの絵のポストカードが並べられた土産物屋の前を通り抜けると、建物と建物の間の小道でピカソ美術館を見つけた。チケット売り場が大混雑している。大人気の観光スポットらしい。行列に並び、窓口で特別展"Post Picasso"と常設展両方のチケットを14.00ユーロで購入する。係員のおじさんにどこから来たか質問されたので、日本から来たことを告げると、「ニッポンゴ、ガイドいる?」(音声ガイドのことだと思う)と言われたが断った。絵なんて言葉いらない。マドリッドのソフィア美術館と同じく一人で館内をじっくりと歩きまわり、ピカソの遺したギャグマンガのような絵がツボにはまりながらも笑いをこらえた。ピカソの絵は本当に笑える。思ったよりも広くなく、展示数も少なかったので、1時間くらいで全て見終わってしまった。
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ギフトショップに立ち寄りポストカードを2枚買ってみた。なんとも心奪われる表情の女性だ。
外に出て、今度は地図上にイラスト付きでフィーチャーされているカテドラル(大聖堂)の方へ歩いてみる。そう遠くない。道すがら「UDON」と書かれた看板を発見した。近づいて店外に掲げられたメニューを見てみると、なるほど確かにうどん屋である(蕎麦もラーメンも寿司もあったが)。食べてみようと思ったが、「Tori Nanban Udon(おそらく鳥南蛮うどん)」が9.95ユーロという少々おふざけが過ぎる値段で、他のメニューも概ね高い。手持ちユーロが心配になってきていたのでここは我慢することにした。よくよく考えれば東京でパエリアを食べようと思ったらそこそこの値段を取られるのと同じか。
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観光客や現地の人々で賑わう裏道を歩いていると何やら太鼓の音が聴こえてきた。興味をそそられ大通りに出てみると、マラソンコースの傍らでランナーの応援なのだろうか、グリーンの揃いのTシャツを着た一団が見事なパフォーマンスを披露していた。アフリカンビートとサンバがミックスされたような強烈なリズムを、老若男女で構成されるメンバー達が身体をダンスのように揺らしながら首から提げたドラムで叩きだしている。サングラスをかけた指揮者の女性が様々なハンドサインを駆使しながらメンバー達をコントロールし、時折掛け声や決めポーズをビシビシと挟み込みながら延々と演奏が続く。結局最後まで釘付けになってしまい、演奏の終わりには拍手と歓声が自然に湧き上がってしまった。
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すっかりこちらも汗ばんでしまうほどのパフォーマンスを堪能しあらためて地図を見てみるとカテドラルはすぐそばだった。カテドラルと対峙してみた感想は、街中にとんでもない物が建っているなぁ、というものだった。しかし違和感があるわけではない。��ルセロナという街に「歴史的な懐の広さ」があるのを感じられた。石像好きとしては壁面の彫刻はとても見応えがある。
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口半開きでひとしきり見上げ、カテドラルを後にした。 と、すぐ向かいの通りに両替所があるのを発見した。追加資金である5万円を美人のねーちゃん(何故か両替所の窓口は美人が多い)に私、260.00ユーロほどを財布にねじ込んだ。これで少し安心である。 ユーロに余裕が出来たので、街をぶらぶらと当てども無く歩きながら気になった店などを覗いてみたりと、散策する。オシャレ雑貨屋のようなところで、ユーロ硬貨の収納グッズ、いわゆるコインホルダーを5.50ユーロで購入。ユーロというのはとにかく硬貨の種類が多く、判別するのに手間取っていたのでこれは便利だ。
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そんなことをしながらバルセロナ中心部から徐々に離れていくと、観光客も少なくなってきて、段々と無国籍な店構えが増えてくる。ケバブ屋やイスラム系食品店、ここはいわゆる移民ゾーンなのだろうか。段々と空腹感が襲ってきて、さきほど「UDON」を食べなかったことを後悔しはじめた。土産話のタネにおもしろジャパニーズ・フードひとつくらい食べておかないとなぁ、という謎の義務感が脳裏によぎり日本料理屋が無いかキョロキョロしながら歩いていると、……あった。しかも相当に香ばしいやつが。
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青い看板に白い文字で「SUSHI TEPPANYAKI」と書かれている。そして窓には「稲」の文字と、その下にカタカナで「ライス」……!稲と書いてライス!!最高。これは絶対におもしろい、と確信して。迷うこと無く入店。入店した瞬間、匂いでわかる。やはりこれは中華である。アジア人の店員に「一人」と告げるとテーブルに案内される。ビュッフェスタイルで、一人16.00ユーロで食べ放題、というルールだ。さっそく皿をもって料理を物色する。種類はかなり多く、中華料理が中心ではあるが、パエリアもピラフもビーフンも焼きそばもキムチもステーキもあってもはやなんの店なのかさっぱりわからない。そして悪い意味での期待を胸に寿司を皿にとってみる。エビの握り、サーモンの握りと巻き寿司。見た目は普通で、特に邪進化している様子はない。キッコーマンの醤油を垂らし、いざ実食と相成った。わーい美味くない!!決して食えない程ではないが間違いなく美味くない。例えるならばスーパーマーケットの惣菜コーナーにあるパック寿司に9割5分引きシールが貼られたような味だ。やはり海外で食べる自称日本料理はこうでなくてはつまらない。他の料理も少量ずつ、色々食べてみる。基本的に質より量というコンセプトが前面に押し出されており実に清々しい。堂々と「Japones」って書いてあるし。ただ、この店はかなり繁盛しており、周りのテーブルでは様々な人種がバックバク食べていた。特に右隣のテーブルに着いていた家族、お父さんは揚げ物を皿に山のように盛って食べつづけ、お母さんはずっとエビにむしゃぶりつき、おばあさんはこれまた皿いっぱいの生貝を一心不乱に口に運ぶ。そんな大人たちを不安そうな表情で見つめている小さい女の子が神隠しに遭ってしまわないことを祈る。
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さて、満腹になったところでそろそろ元の駅「バルセロナ・サンツ」に戻る時間だ。レストランのすぐ横にサント・アントーニ駅の入り口があったのでここから乗り換えを経てサンツまで帰ることにする。バルセロナのメトロ「TMB」(Transports Metropolitan De Barcelona)は「L+[番号]」と名付けられた各路線がそれぞれ色でわけられ、路線図を見ればどこで乗り換えるかすぐわかる。サント・アントーニから紫の路線に乗ってグラシア通り駅まで行き、そこで緑の路線に乗り換える。緑路線のホームへ続く長い通路で初老の女性がキーボードを弾いている。このメロディは『禁じられた遊び』だ。彼女は今日の日銭を稼いでいるのだろうか。地上の華やかで健康的なバルセロナに皮肉をぶつけるように、キーボードが悲しい旋律を響かせていた。社会の格差は目に見える形で姿を現している。
混み合う緑の路線で無事にサンツへ到着すると時刻は15:50、ちょうどいい時間だ。煙草を一本吸い、有料トイレで用を足してからコインロッカーへ荷物を回収しに行った。ついにパリ行きの列車に乗り込むと、ここから6時間の長旅だ。
手持ちの文庫本二冊目、吉村昭の『戦艦武蔵』を読み終わってしまうと、既に車窓が薄暗くなってきており、西の空には爆炎のような夕焼け雲、東の空に浮かぶ赤い月は少し歪んで見える。もうスペインの国境は超えただろうか。眠気がひどい。
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定刻通り、列車はフランスはパリのギャール・ド・リオン駅に到着した。お互い無言ではあるものの、車内の乗客とアイコンタクトで長旅の労をねぎらう。もうすっかり夜も遅い。駅はひっそりとしており、窓口も閉じている。時間が時間なのでとにかく宿が必要だ。
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駅間近のホテルにトイレを借りがてら入って、一泊の値段を聴いてみると、135.00ユーロという答えが。さすがおフランス。高い。ここはやめておいた方がよさそうだ。フロントに立っていたボンバーヘッドの兄ちゃんが「少し先へ行くと安宿街があるよ」と丁寧に英語で教えてくれたので、そちらの方へ歩いて行ってみると、「これは明らかに安い。これで高かったら殴る」というようなホテルを発見。フロントのどう見てもカタギじゃない男に値段を聞いてみるとシャワートイレ共同、Wi-Fiなんてあるわけないだろ、という部屋で40.00ユーロとのこと。おいおいムッシュ…ここで40.00ユーロってのはフレンチジョークだよな?と思ったのだが前述の通りどう見てもカタギじゃないのでこっくりと首を縦に振った。もう今日は寝るだけなので構うもんか、と自分を説得し、40.00ユーロを支払い部屋へ荷物を運ぶ。傾いた階段(エレベーターなど無い)で4階まで上がる。独居房のような部屋を見て愕然としたが、ヤケになってキャリーバッグをベッドの上にぶん投げ、夕食のためホテルを出た。
駅前まで戻るとまだ営業しているレストランバーがあったので、そこへ入り、コロナビール、生のクイーンスキャロップ(セイヨウイタヤ貝のことらしい)、シーバスの赤ワインソース煮マッシュポテト添えを一気に注文し、食べる。非常に美味で、フランス人店員が引くくらいの勢いで口に運んだ。
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レストランのガラス窓からパリの夜景を見つめながら、これからの人生で何度かフランスへ来ることはあるかもしれないが、僕にとってのフランスはおそらく一生この光景とともにあるのだと考えると、シーバスの浸かっている赤ワインソースの甘みが愛おしく感じた。
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FFMCMCABPP "March.16th,2014 Barcelona(a.m.)"
ベッド脇の窓を開け放って寝ていたので気持ちの良い風で目覚めることができた。朝8:00、快晴、バルセロナは風が良い。煙草を一本吸いながら残りの日程を組み立てて頭を徐々に回転させていく。サルバドール・ダリの生地である町「フィゲラス」は今回諦めることにして、今日バルセロナ観光をしたらパリへと向かうことに決めた。ホテルのフロントで借りた電源プラグのおかげでiPhoneもサブバッテリーも充電満タンになっている。あと気をつけなければならないことは観光地でのスリだけだ。 ホテルをチェックアウトし、バルセロナ駅へ向かっていると、なんと大集団が車道を走っている。マラソンだ。路肩からの声援を受けながら次から次へとランナーが通過していく。
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駅へ行こうにも信号を渡ることができない。どうしたものかとしばし路肩で立ちすくむ。地下通路があるのだろうか……?もっと先に歩道橋か……?などと考えてみる。東京マラソンなどは実に厳しく交通が規制されており、サイクリングで巻き込まれるととんでもない遠回りをさせられることもあるのだ。まいったな、と思っていると一人の紳士がタイミングを見計らってコースを横切り、向こう岸へ渡った。なるほどそんな感じか、と理解しえっさほいさとキャリーバッグを抱えて走り、無事駅へと到着することができた。
まずは窓口でバルセロナからパリへと向かう列車のチケットを押さえることにする。この度最大の移動距離(そしておそらく運賃も)になるので先に買っておき、安心しておきたかったのだ。昨夜窓口で書いてもらった列車時間のメモを係員に見せてチケットを発行してもらうと、チケット代が衝撃の211.40ユーロ。相当な高額チケットである。しかしまぁ、距離的には青森〜千葉くらいの規模なので無理もないのだ。 チケットを無事に入手した後、コインロッカーへ向かう。発車まではまだ6時間もある。キャリーバッグを引き連れてバルセロナ市内を歩くのもいかがなものだ。2.30ユーロ分のコインを投入し、バッグを仕舞った。
さて、まずはかの有名なサグラダ・ファミリアを観に行ってみることにしよう。 地下鉄のチケットを購入し電車に乗り込むと、車内は乗客の遠慮のない会話でさながら自習時間の教室のような喧騒だった。日本の地下鉄はある意味薄気味悪いほど静かなのだな、と実感した。サグラダ・ファミリアまでは5駅くらいである。キャリーバッグを持たない身軽な僕は現地人に溶け込むように車内に揺られた。駅に到着し、地上出口へと階段を昇るとすぐにマラソンのランナー達が見えた。ここもコースに入っているのだ。そしてくるっと振り返ってみると!!
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……サグラダ・ファミリアが建っていたのだが「うーん、こんな感じか、もっとこう、ほら、見た瞬間腰を抜かすような神々しさみたいなのが、うーん、えーっと、うーん……。あ、入場チケットの売り場があった。あ、高い。結構高いな。なんだろうなぁこの、あ、はい……みたいな感覚は……肩透かし感というか、ディズニーランドくらいの物想像してワクワクして浅草花やしき来ちゃった感じというか、せっかく来たんだからチケット高くても買って入ればいいじゃん、とはたしかに思うんだけど、もう既にサグラダ・ファミリアどうでもいいかな、というか僕の残念観光リストに完全にリストアップされちゃってるし、TSUNAMIのような侘びしさが押し寄せてきてるな……」(ここまで心の声)、という気分になってしまい、申し訳程度に外観を撮影してその場をサグラダ・ファミリア前を立ち去った。
アントニオ・ガウディとかいう仕事のスケジューリングができない野郎のせいで一気に意気消沈してしまったので、近くにあった土産物屋にとぼとぼ入ってみた。昨日からなんとなく感じていたのだが、土産物のデザインも含め、バルセロナという街に配置されている色彩センスに妙な懐かしさを感じる。色同士のぶつかる独特な音が遠い昔ラジオで聴いた音楽のように、ノスタルジックな感情を呼び起こすのだ。理由を考えてみたところ、もしかするとバルセロナオリンピック(1992年開催の夏季オリンピック。僕が「オリンピック」を初めて認識した最初の大会)の中継で繰り返しテレビ画面に映しだされたバルセロナの光景が脳の奥底に刻み込まれていて、それに共鳴しているのかもしれない、と思った。記憶は不思議である。 そんなことを考えながらふらりと隣のバルに入り、午前中から白ワインとパエリアを食べて気を取り直すことにした。パエリアは本当に美味しい。
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iPodをバッグから取り出しビートルズの『ラバー・ソウル』を聴きながら、サグラダ・ファミリアあらためガッカリ・ファミリアから離れ、ホテルでもらった地図を頼りに市内散策に繰り出すことにする。一応の目的地はピカソ美術館だ。新宿にあるコクーンタワー(昆虫怪獣の繭みたいなやつ)そっくりのビルをランドマークにして歩いていく。気温の上がり始めた日曜日のバルセロナは、肌を露出させ、涼やかな格好で散歩をする人々が大勢いる。大通りをずんずん進んでいくとやがてテトゥアンという広場が見えてくる。地図と自分の位置が間違いなく一致していることを確認した。ここを左折すれば大きな門(凱旋門。1888年の万国博覧会の時に会場への入場口として建造されたらしい)が見えてくるはずだ。通り沿いのクラシカルで美しい建築に見とれつつ歩いていくと、凱旋門が視界に入った。
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中々立派な門だ。門の手前近辺には日本コミックショップが密集している地帯がある。残念ながらどこの店舗も日曜日が定休日なのか営業していなかったが、ショーウインドウには『進撃の巨人』『NARUTO』『フェアリーテイル』など日本の作品がたくさん並べられている。結構人気がありそうな印象を受ける(「Ninja」という店名はどうだろう、とは思った)。
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しかしマジンカイザーのプラモデルが114.00ユーロというのはいくらなんでもぼり過ぎだろう。 凱旋門には人だかりができている。近づいてよくよく見てみると、まさに凱旋門をくぐるようにマラソンのコースになっていた。凱旋門の素晴らしいアーチをランナーが続々と走り抜けていく。
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マラソンコースを逆走する方向へさらに歩いていくと市内の人々の憩いの場、というような落ち着いた雰囲気の公園があった。日曜日の公園というのはどこの国でも良いものである。さらに公園を右に抜けると「ピカソ通り」の看板を発見。地図を確認すると美術館までもうすぐだ。
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初めて来た国の初めて来た街で初めて行く場所へしっかりたどり着けるというのはこれだけで娯楽になりうる。「歩く」という行為は僕にとって全ての快感の起点になっているようにすら思える。
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laviverrs-blog · 10 years
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FFMCMCABPP “March.15th,2014 Barcelona(p.m.)”
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砂まみれになったキャリーバッグのタイヤを見て少々涙目になりながら、続いてサンタ・バルバラ城へ登ってみることにした。ビーチ沿いにある入口から長いトンネルが伸びており、その先に城の上部へ行くためのエレベーターが設置されている。トンネルの入口で2.50ユーロのチケット(単なるレシートのようなものだが)を買い、エレベーターへ乗り込む。ゆったりと上昇したエレベーターの扉が開いた瞬間、目を見開いた。なんだこれは、なんだこの景色は。
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アリカンテの港、ビーチ、そして地中海の先の地平線まで一望できる。ギンギンに照りつける太陽とそれを和らげてくれる潮風、その風に乗って飄々と飛び交うたくさんのカモメ達。無意識にこんな言葉が口から漏れた。「大丈夫かこの景色!?」。それはあまりに美しすぎて理由の無い不安に襲われるほどの絶景だった。
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まったく予備知識が無い状態で来てみたが、サンタ・バルバラ城は1500年代に造られた城塞らしい。500年前の眺めはどんな感じだったのだろう。タイムマシンにお願い。汗をだらだら流しながらひと通り城塞の中を歩きまわり、サンタ・バルバラ城を後にして駅へと戻ることにする。途中ちょっと迷子になりつつも、さな公園にあるとても可愛らしいカフェ(それはもうメルヘンの世界のようだ)や、劇場などを見物しながら歩き、14:35頃に無事アリカンテ駅へと到着した。
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駅窓口でバルセロナ行きチケットを頼むと、ファーストクラス席しか空いてないと言われる。まぁいい。70.10ユーロを支払い、スタイリッシュ土産物屋を冷やかし、列車に乗り込んだ。発車時刻は15:21、もうすぐだな、と思ってしまい「待ち時間」に対する感覚が大分おかしくなっていることに気づく。ファーストクラスは座席が広く、ゆったりと眠れそうだ。隣席に座っていたのはスコットランドからやってきた品の良いご婦人。とても聞き取りやすい英語で、会話が弾む。日本人であることを告げると「Sudoku」が好きなのよ、と嬉しそうに語ってくれた。ここから約5時間。バルセロナへ向かう。係員がやって来てイヤホンを渡してくれた。車内モニターで流されている映画の音声はイヤホンで聴けるわけだ。サービスも良い。
18:00を過ぎて、ご婦人が降車したので窓際席に移った。『戦艦武蔵』をそろそろ読み終わってしまいそうなので一回止めることにした。これが終わってしまうと暇つぶしの友がペンだけになってしまう。既にバレンシア(アリカンテの少し先にある地中海沿いの大きな都市)は通過し、目を細めたくなるほどまばゆい夕陽の中、列車は田舎町を疾駆していく。右側には水平線をぼやかせた地中海が見える。この列車は海沿いを走っているのだ。
20:39、バルセロナ駅に到着した。言うまでもなく巨大な駅だ。スペインでの最後の街ということで、まずは明日の列車時刻を調べることにする。なんせ明日は陸路による国境越えをしなくてはいけない。ヨーロッパ初体験の僕はEUのそのへんの事情がさっぱりわからない。「入国審査に時間がかかるので明日は無理だよ」などと言われたらえらいことである。窓口に出向きパリ行きの列車について訊いてみると、なんと1日に2本しか運行していないらしい。そして所要時間は約6時間、明日16時台の便に乗ることに決めた。駅を出てみるともうすっかり暗い。駅の周りを一周してみる。シケモクを集める不審な男性や、路上にシートを敷いて座り込む人々。同じ大都市でも、マドリッドより空気が重苦しい気がした。スペインの不況はバルセロナにおいて初めて僕の目に現実として飛び込んできた。バスターミナルも荒廃している。昨日までの滞在先と違って明らかに悪い治安を感じさせる。駅直近のホテルは満室だったので少し歩き、ホテルの看板を探し回る。まだ21時頃だというのに、街ひっそりとして闇だけが主張を強めている。自然と歩みのスピードが上がる。と、僕の不安を洗い流してくれるように綺羅びやかな光を放つ一軒のホテルを発見した。フロントへ入って一泊の料金を訊いてみると、70.00ユーロだと言う。少々高めだが予算にも余裕があったので、即決した。ストロベリーアロマの匂いが漂う瀟洒なフロントで、ウェルカムドリンク(シャンパン!)をもらい、それを飲みながらチェックイン手続きをしてもらう。丁寧且つ親切な男性ホテルマンからバルセロナ市内の地図をもらった上、なんと電源プラグを借りることができた。これでサブバッテリーを含めフル充電すれば帰国までiPhoneとiPodは問題なく保つ。一つ懸念事項が減った。渡されたキーを持って一旦部屋に入り、荷物を置いて外へ出た。大通りを挟んでホテルの向かいにある小さなレストランへ入る。中国人の夫婦が営んでるようだ。オープンテラスのテーブルを確保し、白ワインとベーコン、目玉焼き、サラダ、フライドポテトのプレートを注文し、食べる。
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街の暗さが夜空に浮かぶ満月を際立たせている。ものすごい勢いで食事を終えてホテルへ戻るとテレビでポケモンの映画をやっていた。それを横目で眺めながらFacebookとTwitterに書き込みをする。ポケモンはスペイン語だと「ポークゥェームォーン」なんだな、などというどうでもいい知識を仕入れる。キャラクター達はもちろんスペイン人の声優が吹き替えをしているのだが、ピカチュウは日本語版のままだ。大谷育江さんは世界中の子供達から大歓迎されるであろう。シャワーを浴び、バスタブにも浸かって、久しぶりにカミソリでヒゲを剃った。いつもは電気シェーバーで剃っているので結構引っかかって痛い。眠りにつく前に一本煙草を吸うことにして、フロントへ降り誰も居ないテラスへ出る。肌寒いが、湯上がりにはちょうどいい涼風が火照った身体をクールダウンさせてくれる。プールの水面に触れてみる。水の音が静寂の中で慎ましやかに響く。ビーチチェアに寝そべりながらLINEで日本とコンタクトを取る。シャツと肌の間に風が滑りこむ。人生にはこんなバケーションも必要だな、とあらためて思った。
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FFMCMCABPP "March.15th,2014 Alicante(a.m.)"
ダブルベッドをシングルベッドのように縦横無尽に使いながら眠った夜が明け、朝9:20頃に目を覚ました。昨晩は夜更かししてテレビを点けながら『戦艦武蔵』を読みふけってしまったため、少々遅めの起床である。頭上で寝グセが雄叫びを上げている。時間を無駄にするわけにはいかない。すぐさま身支度を整え、10:00にはチェックアウトを済ます。サービスだと思ってグイグイ飲んでいた冷蔵庫の中のドリンク(日本のホテルによくあるカウント装置のようなものがなかったので)もしっかり代金をとられた。自己申告制とは洒落たことをしやがる。支払いを済ませ、フロントで海までの道を訊くと、ここでも市内の地図をくれた。歩いて15分くらいとのことだ。南国の樹々が植えられフリーマーケットのテントが並ぶ大通りを抜け、港へと向かっていく。
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視界に海が登場すると興奮するのは僕の性だ。快晴の空の下、太陽光線が肌を突き刺し、額に汗が滲む。暑い。 アリカンテ港に立ってみると、カヌーを楽しむ人やルアー釣りに勤しむ青年などがいて、のんびり且つ清楚な雰囲気が感じ取れる。まさにバケーション。アリカンテではこの海沿いのリゾートを満喫してやろうと心に決め、港にあるカフェテリアへ入った。そして朝っぱらからビールを飲み、胃を起動させる。その店は海沿い(まさに海沿い。座った椅子から海まで40cmあるかないか)で、ブルーグリーンの海中を魚の群れがぬらぬらと泳いでいくのがよく見える。そしてその魚群を狙うように、釣り糸だけ(竿は無い)を手に持ったおじさんが、ポイントを物色している。僕は目的意識も美意識もあらゆる哲学も捨て去り、ただ地中海に吹く風を頬で感じながら呆けた。残っているのは緩やかな欲望だけである。つまり、魚を見ていると魚が食べたくなってくるわけだ。
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ビールを飲み干し、続いてビーチゾーンへ移動してみることにする。あまりに暑いので途中広場のベンチでキャリーバッグを開け、Tシャツ一枚に着替えた。 ビーチを見渡してみると、沖でヨットが気持ちよさそうに揺れ、ビーチバレーを楽しむ少年少女たちの歓声が響く。腹がぐぎゅるぅと鳴る。
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ビーチを見渡せるオープンテラスのレストランへ入り、白ワイン、アンチョビフライ、ツナサンドを注文。あれは村上春樹の『スプートニクの恋人』だったろうか。ヨーロッパの港町でワインを片手に蒸したムール貝を延々食べる場面があり、僕はそれがずっと憧れだったのだが、残念ながらムール貝はメニューにない。まぁいい。ムール貝がなければアンチョビを食べればいいじゃない。 グラスに注がれた液体が、海風の小さな振動で揺れている。そしてその裸体に椰子の木を反射させている。それは今僕の目前にある景色を映しているはずなのに白ワインのほのかな色味がまるで夕暮れのようなグラデーションを生み出し、グラスの中に別の世界(あるいは、別の過去を)見ているように思える。一口ずつ身体に浸透させていく。アンチョビフライを一尾つまむ。レモンの酸味が現実に一瞬ノイズをかける。 二杯目の白ワインにはサービスで小さなパイがついてくる。よく冷えたワインを口に含むと、真夏の熱帯夜、汗だくで冷蔵庫の扉を開いた午前3:00のように感じる。
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隣の席に座った家族がかわいらしい赤ん坊を連れていた。僕はアイコンタクトで赤ん坊と世界の真理についてひとしきり語り合ったあと、レストランを出て波打ち際に進んだ。 ここでミニ・ビーチコーミングを敢行。ビーチコーミングは僕の最近のマイブームで、要は「砂浜で色んなものを拾う」という原始的な娯楽だ。アリカンテのビーチはゴミも漂着物も少なかったが、それでもいくつかのビーチグラス、磁器の欠片、貝殻を手の中に収めた。
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海の先にあるイビサ島で狂乱する若者が残したビンの欠片が渡ってきたかな、などと想像するとロマンがある。もしかしたら1960年代のリアルヒッピーが残したものかもしれない。 それにしても、キャリーバッグを持ち上げながらビーチを歩くのは拷問のようだし何より不審だ。
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laviverrs-blog · 10 years
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FFMCMCABPP “Interlude 5”
悲しいことに、というか予想通りというか、一週間に一度の更新ペースになっている。旅から帰ってきて既に2ヶ月が経とうとしているのだがまだ「FFMCMCA」までしか到達していない。いったい「BPP」まで書き終わるまであとどれくらいかかるのであろう���。仕事の方も段々忙しくなってきてるし、さっさと完結させたい。あぁでもメタルスラッグディフェンス(iPhoneのゲーム)が面白すぎてやめられない!!
とまぁ、泣き言(というか戯言というか)はこれくらいにして、久しぶりのインタールードである。 かれこれ20年ほど前にテレビ番組『進め!電波少年』の企画で猿岩石がユーラシア横断旅をさせられ、日本中で大ブームを巻き起こしたのがヒッチハイクである。 僕も20歳くらいの頃にアメリカの南の方でアリゾナからテキサスまでヒッチハイクで旅をしたことがある。北海道で函館から札幌まで乗せてもらったこともある。 そういえばあの時のおじさん僕を乗せてから一言もしゃべらず中島美嘉のMDを延々とリピート再生しててマジで恐かったなぁ。お元気だろうか……。
いや、中島美嘉おじさんのことはいいとして、なんでこんなことを書いているかというと、次回のアリカンテ編から先、僕は純度100%のノープラン状態に陥っており、そもそもパリまで期日までに到着できるのかどうかも曖昧なままだったのである。当初は「まぁ金なくなったらヒッチハイクでパリまで行く最終手段もあるしー」とか高を括っていたのだが、マドリッドからアリカンテまで鉄道で移動してみた感覚から、これはヒッチハイクで行ってたら絶対パリ着かない!飛行機乗れない!お母さん僕パリジャンになっちゃうよ!!ということになることは火を見るより明らかになっていたのである。
しかも当時と違い僕は今30歳。もはや「若き旅人」ではないのだ。むしろヒッチハイカーに見せかけたレイプ魔だと思われてスルーされる可能性の方が高い。というかそもそもスペインからフランスまでって国境越えるのだが、ヒッチハイクで越えるとか可能なのか?国境近くの山中で捨てられるとかやだぞ、そんなわけで僕はヒッチハイクによるパリ到達を選択肢から除外し(これでもうたぶん一生やらないと思う)、この先は午前中にその都市を観光、午後に鉄道でなるべく長く移動してパリに近づく、というフローを踏むことになる。タイトルの最後が「PP」になっていることからお分かり頂ける通り、結果的にパリに早く着きすぎた。アリカンテとバルセロナは老後に再訪してのんびりしたいと思う。
May.27th,2014
アイスティー一杯でカフェに居座りながら。
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laviverrs-blog · 10 years
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FFMCMCABPP "March.14th,2014 Alicante(p.m.)"
ホームのベンチに腰を据えて一心不乱に鬼神のごとき勢いで文章を書き殴りこましていたところ、列車の発車時刻12:41のはずが腕時計が既に12:50を表示している。はっと我に返りホームの奥を見やると、どうやら座っているベンチの位置が停車位置から除外されているらしい。なんということだ。ここまで長々と待ったというのにさらに乗り過ごすなどという不運があっていいものだろうか。絶望に打ちひしがれていると遠くの点が少しずつ近づき、大きくなってきた。つまり列車が来た(到着が遅れていたのか次の次発だったのかは不明)。乗り込んで車内のモニターを確認してみると、どうやらこれもアルカーサル・デ・サン・ファンへ行くらしい。10分ほど乗っていると無事にアルカーサル・デ・サン・ファン駅へ到着し、ホームの自動販売機に1.00ユーロコインをねじ込んでミネラルウォーターを購入する。そして本日の最終目的地であるアリカンテまでのチケットを求めに窓口へ行きその旨を告げると、職員のご婦人が目を丸くしている。ぬ?英語による説明を詳しく聞いてみると、次のアリカンテ行き列車は17:00だと言う(現在時刻は13:00である)。はっはっは、ご婦人冗談を言っちゃあいけませんよ、とでも小粋な英語で言ってやりたかったが、おとなしく切符を購入する。おばさんは「いいのね?マジでいいのね?」とでも言いたげな表情で、僕から31.30ユーロを受け取った。高い。尚、アリカンテまでの所要時間は約3時間で、到着は20:33とのこと。モロッコでの長時間鉄道監禁旅がフラッシュバックする。しかしながら、しょぼくれていてはもったいない。せっかくなので駅の外を散策してみようではないか。
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アルカーサル・デ・サン・ファンはビルディングなどの高層建築物がなく、のどかで小綺麗な町だ。駅周辺を歩きまわってみるが、平日の真っ昼間だからか人の往来は少ない。とにかくどこか時間を潰せるところはないか、パチンコ屋でもないかな、などと考えながらうろついていると、小さなバル(日本でいうところの居酒屋みたいなもの)を発見したので入ってみることにした。ビールとタコフライのバゲットを注文する。
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英語を話せる男性が一人居たので雑談していると、明らかにタコフライではなくてイカフライが挟まれたバゲットが運ばれてきた。僕は心が広いし美味しいので許すことにする。僕は座席付きのテーブルを確保したのだが、立ち飲み専用のカウンターでは近隣住民と思われる爺さんが真っ昼間だというのにオリーブをつまみにしながら白ワインをぐいぐい飲んでいる。なにやってんだこの国は……と呆れたがよく考えたら我らが日本国にも上野アメ横という真っ昼間からおっさんが酔いどれるための街があったではないか。というか同じく真っ昼間からビールを飲んでいる僕が爺さんに呆れる資格など毛の先ほども無いのである。タコフライあらためイカフライのバゲットが4.00ユーロ、ジョッキビールも4.00ユーロ。二杯目のビールを注文したが、英語が通じなかったのか、なかなか出てこない。日本の居酒屋でこんなことが起きようものならば店員の目をひたすらに睨みつけるという陰湿な手を使う心の狭い僕だがなんせスペインである。欧米コンプレックスの呪縛にいまだ縛られた日本男児としては文句も言えない。英語が通じる男は既に出て行ってしまった。カウンターにはおかみさんが一人。ビール……まだですか……と心の中で繰り返し泣き言を言っていると、カウンタ���奥の壁に掲げられた黒板が目に入った。もちろんスペイン語表記ではあるが、ブドウのイラストが添えられているのでワイン情報だと解る。ここで弟から与えられた伝家の宝刀である電子辞書をキャリーバッグから取り出し、ようやく使ってみることになった。黒板に書かれたスペイン語単語をひとつずつ調べていく。ワイン:vinos、赤:tintos、白:blancos、週:semana。なるほど、つまり「今週のワイン」が書かれているわけだ。しかしさらなる難題が振りかかる。黒板の文字は当然手書きなわけだが、ワインの値段として書かれている数字が「1.50E」なのか「7.50E」なのか判別できない。お分かり頂けるだろうか、数字の横でっぱりの長さがものすごく微妙なのだ。7にしては高い、それにしても1にしてはいくらなんでも安すぎないだろうか。これがファンタグレープだったら1だと断定できるところだが、相手はワインである。7.50ユーロじゃなくて750ユーロ、ということすらあり得るのがワインという魔物なのだ。確証を得ないまま注文したらスペインの片田舎で身ぐるみ剥がされて皿洗いなんていう(それはそれで面白いが)ひどい結末が待っているかもしれない。僕は黒板の数字をできるかぎりトレースし、付箋(メモ用に持ってきていたもの)にボールペンで書いた。それをスペイン語しか通じないおかみさんに見せ、「これは1なのか7なのか答えよ」と伝えた。おかみさん曰く、「ウーノ(1)」。スペインではビールよりワインのほうが断然安いという素晴らしいことを覚えた僕は、運ばれてこないビールのことを忘れて、赤ワインをグラスで注文したのであった。 時刻は15:55、ワインも既に3杯目が終わろうとしている。
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出国前に業界の偉い人から頂いた記録小説『戦艦武蔵』(吉村昭著)を本格的に読み始めたが、酔いも手伝って非常におもしろい。特に、三菱重工長崎造船所の営業係長が、海軍から委託された武蔵建造の見積もりで交渉する場面が最高である。いくら戦艦だといっても民間企業が受託するならば海軍相手でも金額交渉するのだ。さすが業界の偉い人、本のチョイスが最高だ。テンションを上げながら4杯目のワインを注文する(一応頭の中で合計支払い金額を計算しながら飲んでいる)。スペインといえばかの名高き無敵艦隊の国である。その国で戦艦武蔵の小説を読みながら酔っ払っているのだ。なんとシュールな光景であろうか。 脳内で無敵艦隊と戦艦武蔵の海戦をシミュレートしながら16:40までしこたま飲み続けた。いいかげん足がふらふらだが、そろそろ列車の時刻が近づいている。おかみさんの息子だろうか、ユアン・マクレガーによく似た店員にお金を渡し、駅へと戻る。僕が飲み続けている間も近所の若者から老人から、とにかく客が途切れることはなかった。スペイン人は陽も高いうちからよく飲むなぁ、という感想をぶらさげつつ列車に乗り込み、定刻通りの発車でアルカーサル・デ・サン・ファンに別れを告げた。
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僕は基本的に飲んだら寝る、という習性の持ち主なので案の定車中で眠りこけていたのだが、隣の席には旅行者らしき若者達が陣取り、賑やかに話していてくれたのでスリの心配はなかっただろう。18:30頃、日が暮れ始める。うとうとしながら車窓を眺めていると、人生の真理に迫るような考えが浮かんだような気持ちになることがあるが、覚醒と同時にその考えは思い出せなくなる。そんなものは窓の外に捨ててしまえばいい。 20:33、告げられていた時間通り、終点のアリカンテ駅へと到着した。隣の若者達は結局最後までけたたましく話し、笑い合っていた。一人旅は好きだが、こういう時はさすがに寂しくなるものだ。さて、このアリカンテだが、駅の表示は「Alacant(アラカント)」となっている、何故「アリカンテ」と「アラカント」2つの名前があるのかはわからない。帰国後に調べてみることにする。アリカンテはターミナル駅だけあって巨大で、施設としても綺麗に整備されている未来的な建築だ。外はすっかり暗くなっている。胃の中でちゃぷちゃぷと揺れているワインで少々気持ち悪くなっていたので、駅前にあったホテルにすぐさま入ることにした。このホテルは一泊55.00ユーロで問題ない範囲なのでチェックインを決めた。部屋は広く、ベッドもダブルサイズ、バスタブも綺麗、部屋の中でWi-Fiが使えるという文句の無い環境だ。テレビでスペイン語の番組を観ながら寝転がっていると、料理番組が和菓子特集をやっていて、日本人の和菓子職人が登場していた。舌がそれに反応し、和食を恋しがりはじめた。帰国したら何を食べようか。吉野家の牛丼にしようか。そんなことを考えながら、酔っぱらいの一日は終わった。
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laviverrs-blog · 10 years
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FFMCMCABPP "March.14th,2014 Campo De Criptana(a.m.)"
閉じた瞼を通して朝の光を感じる。サイドテーブルに置かれたiPhoneに手を伸ばしカチッとボタンを押すと、8:20と表示された。起床。よく眠れた。この旅が始まってからというもの一度もアラーム機能を使っていない。見事な早寝早起きサイクルに入っていて何よりだが、列車の中でもしばしば眠りに落ちているので少々寝すぎている感もある。まだiPhoneのバッテリーは保ちそうだ。ここは全室禁煙のホテルのため、のそのそとベッドから這い出しクロックスを履いてロビーへ行くと、まだ扉がすべて施錠されており外に出れない。薄暗いロビーで椅子に座ってぼけーっと待っていると昨晩とは違う髭面のホテルマンが起きてきて、オープンの準備を始める。僕はまるで放牧される羊のように中庭へ出て煙草を一本吸った。今日も気温が低い。
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朝食は9:30くらいで、とホテルマンへ告げて部屋へ戻る。マドリッドで買ったM&Mチョコを一粒口に放り、脳を起動させる。朝食までの間にシャワーを浴びた。シャンプーとボディソープが備え付けられていたが、どっちがどっちか判別する術がない。青とオレンジだ。こういう時は頭を洗ってみて、髪の毛がキシキシするのがボディソープと決まっている。それで判別すればよい。うわーい、どっちもキシキシする。 キシキシの髪のまま1Fのカフェテリアへ行きテーブルへ座ると、テレビでスペイン語吹き替えの『FRIENDS』(アメリカのTVドラマでシットコムの伝説的番組。僕の人生のバイブルと呼べる作品)が放送されていた。5秒ほど画面を見つめただけでどのシーズンのどのエピソードか瞬時にわかる。これがDVDをすべて自宅に揃えている『FRIENDS』マニアの能力である。見慣れた顔がテレビに映っているだけでだいぶ安心するものだ。そういえば20歳の頃アメリカでヒッチハイク旅をした時も、片田舎のモーテルで『FRIENDS』が放送されていて安堵感を覚えた記憶がある。10年であまり成長していない、と苦笑いしていると料理が運ばれてきた。
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メニューはバゲットに潰したトマトを塗ったもの。こういう食べ方は初体験だったが、さっぱりしていて美味しい。オリーブオイルを垂らしてみるとこれまた美味しい。オレンジジュースとコーヒーを飲みつつバゲットを完食した。朝はこれくらいの量でいい。昨晩は調子に乗って食べ過ぎた。さて、一服したらドン・キホーテがケンカを売った風車とやらを見に行ってみよう。
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10:10頃、荷物をまとめてホテルをチェックアウト。支払いは昨晩のディナーを含め58.00ユーロであった。ノートに貼りつけてあった風車の写真を髭面に見せると、カンポ・デ・クリプターナ町内の観光用地図を渡され、ペンで道を説明してくれる。ここは本当に親切な人が多い町だ。ホテルを出て右へ進む。周囲の家々は青と白のペンキで塗られていて清涼感のある町並みが迎えてくれる。
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地図を見ながら進んでいくとこの町にもマドリッドと同じくマヨール広場と銅像がある。さらにフエンテ・デル・カーノという坂道を登っていき、突き当りの学校(らしき場所)で右に曲がると、求めていた物が目に飛び込んできた。風車だ。カンポ・デ・クリプターナの風車には一つ一つ名前が付けられていて、最初に遭遇したのはエル・レガルトと呼ばれる風車だった。階段から丘へ登ってみると、そこには目を疑ってしまうほど美しく儚く非現実的な無音を纏った光景が広がっていた。寂寥とした丘に9つの風車が堂々と立ち、カンポ・デ・クリプターナの町を見下ろしている。
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遠くユーラシアまで続いて行きそうな涼風が身体を通り抜けていく。絶景だ。ドン・キホーテが風車を巨人と思い込んでいたのも頷ける。しこたま酔ってこの丘に放り出されたら、僕だってそう思ってしまいそうだ。まだ朝早く(加えて平日だったからか)、丘には町の人々が数人しかいない。犬の散歩をしたり、風車をスケッチしたりして過ごしている。ここまで美しい風景が世の中にいくつあるだろうか。来てよかった。ふと思ったが、藤子・F・不二雄がもっと長生きしていたら、いつかドン・キホーテをモチーフにした大長編ドラえもんを描いていたのではないだろうか。『ドラえもん のび太と風車の巨人』とかそんなタイトルで。
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ひとしきり写真を撮り終え、駅へと戻ることにする。昨晩車に同乗させてくれた旦那さんの話だとホテルから駅までが2kmくらいとのことだった。地図さえあれば充分歩ける距離だ。インファンテとポヤトス(それぞれ風車の名前。かわいらしい)の間の道を抜け、駅の方へ下っていく。道をうろついている白黒の犬(首輪をしているので飼い犬だろう)が地図をチェックしている僕を物珍しそうに何度も偵察しにくる。
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町の住民は年齢層が比較的高いように思われる。皆目が合うと「オラー」と声をかけてくれる。老後はこんな町に住みたいものだ。 それはさておき、地図というものはなんて素晴らしいのだろうか。現在どこにいるかを把握し、次どちらへ行くのか、これが分かるだけで心が弾む。テストの答え合わせをしているような気分である。二次元の地図と三次元の自分が一体化する快感とでもいおうか。とにかく自信満々に歩けるというのは良いものだ。町にはドン・キホーテの像がいくつか存在する。アントニオ・エスピンとアグスティン・デ・ラ・フエンテという2つの通りが合流するところにはキチガイじみた目つきの像があった。なかなかいい面構えだ。
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柔らかな陽を浴びながらの散歩は12:00ぴったりに終わった。明るいところであらためて見てみるとカンポ・デ・クリプターナの駅舎は本当にこじんまりとしている。文字通り「スペインの片田舎」だ。駅内の小さな窓口で次なる目的地「アリカンテ」まで行きたい旨を告げると、スペイン語で長々とした説明をされる。なるほどさっぱり分からない。頭から大きなクエスチョンマークを出していると、駅員さんがパソコンモニターを僕の方へ向け、映しだされている画面を指さしながら引き続き説明される。スペイン語ヒアリング率2%くらいだったが、聡明で想像力のある僕は「つまり、カンポ・デ・クリプターナから直接アリカンテまでは行けないから一回���ルカーサル・デ・サン・ファンへ戻ってそこでチケットを買い求めよ」という意味であることを察知、ジェスチャーを交えながら英語でそう言ってみると駅員のおじさんは喪黒福造のごとくビシっと僕を指さした。合っているようだ。そうなれば話は早い。アルカーサル・デ・サン・ファンまでの切符を2.40ユーロで購入し、ヴィア・ウーノ(すなわち一番ホーム)で40分ほど待つことになった。ノートに日記をしたためながら、ホテルの部屋から失敬してきたラズベリー味のキャンディを口に放る。少年時代に覚えた旅の重要なコツだ。ポケットの中に隠してある一粒のキャンディは靴下に隠してある1万円札より心強い仲間なのである。
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laviverrs-blog · 10 years
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FFMCMCABPP "March.13th,2014 Campo De Criptana(p.m.)"
マドリッドはスペインの(まぁだいたい)中央部分に位置している。そして地中海は言うまでもなくマドリッドの南である。僕には「方向さえわかってればどこでも辿り着ける」というあまり褒められたものではない持論があり、日本にいる時でも鉄道の乗り換えだとか時刻表だとか、そういう知識を放棄して「進みゃいいんだよとにかく」というスタンスで旅をする。ゆえに、マドリッドのソル駅からメトロに乗り込んだ僕の頭にあるのは「南へゴー」、この一点であった。今日一日で海沿いまで進むのはさすがに困難だと判断し、まずは『ドン・キホーテ』(スペインの作家セルバンテスが1600年代に発表した小説)の舞台となったカンポ・デ・クリプターナという町を本日の宿泊地にしてみようと考えた。幸いスペインを網羅する鉄道のざっくりとした路線図をコピーしてノートに糊で貼り付けてきたので、南へ向かうにあたってまずはアランフエズという駅まで行ってみることにする。4.00ユーロのチケットを購入し、電車に乗り込む。座席に座って車窓を眺めていると、突然社内にギターの音が鳴り出した。鳴り始めてしばらくは、ずいぶん車内BGMの音量が大きいな、と思っていたのだが視線を左にずらすと弾いてる奴がそこに居た。車内でギターを弾いている。非常に鍛錬を重ねたことがわかるスパニッシュギターの調べに耳を傾けながらその男を凝視していると、5分ほどで演奏が終わり、男は「グラシアス」と言いながら客席を回りチップを受け取った。なるほどこういう商売なのか。日本の通勤電車でやったら無言の殺意で即死してしまいそうだ。そんな物珍しい光景を楽しみながら電車に揺られていると、40分ほどでアランフエズ駅へと到着した。
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アランフエズ駅で窓口で中継地であるアルカーサル・デ・サン・ファン行きのチケットを買いたい旨告げると、次の電車は19:00だと言う。そしてさらに乗ってから1時間もかかるという。カンポ・デ・クリプターナへの道は険しい。しかしながら今からマドリッドへ戻るわけにもいかない。10.35ユーロでチケットを購入し、電車が来るまで2時間ほど待つことになった。駅は小さいくせに装飾が豪華なので期待してみたのだが、外に出てみても店などは一切無い。完全な片田舎である。僕はため息をつき、ベンチにキャリーバッグを押し載せると、それをテーブル代わりにノートにイラストを描きはじめた。これが一番の暇つぶしなのだ。
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窓から漏れる陽光が少しずつ夕闇を纏っていくのを耳の後ろ辺りで感じながらボールペンをノートに走らせていると、ようやく電車の時間が近づいてきた。改札を抜けホームへ出て到着を待つ。電車は定刻通りにホームへ滑り込み、僕は無事に指定席へ着いた。スペイン語で刻印されたチケットを見ながら単語を覚えていく。「Fecha」は日にち、「Salida」は発車駅、「Llegada」は到着駅、「Coche」は車両番号、「Plaza」は座席番号だ。日本の特急列車と違い、各席で通し番号になっている、「28のA」ではなく、28の隣は29、という具合に。車内モニターを見ているとどうやらこの電車は目的地であるカンポ・デ・クリプターナも停まるらしい。アルカーサル・デ・サン・ファンまでのチケットを買ったが、ちょうどいいので乗り越してみよう。巡回の車掌さんに乗り越しについて尋ねてみたが問題ないようだ。 19:00を回ってようやく日が暮れてくる。列車がスペインの草原を走っていく。広大な草原に、遊びに夢中になりすぎて門限を破ってしまった子供のようにぽつりぽつりと樹が立ち尽くしている。夕焼けは東京と色が違う。パープルとブラッディオレンジの重なり。別れの朝に恋人が引くアイシャドーみたいだ。丘のなだらかな曲線(そして時に直線)が、窓ガラスをただ静かに撫でている。 アルカーサル・デ・サン・ファン駅を過ぎると、あとは10分程でカンポ・デ・クリプターナに着く。車掌さんが親切にも僕の席までわざわざ教えに来てくれた。荷物を下ろしてドア前に移動すると中年女性が大荷物を持って到着を待っていた。駅に到着したので僕は手動でドアを開け、レディファーストということで彼女を先に通した。英語で声をかけられたので「この町に住んでいるのか?」と質問してみたところ、家族が住んでいるらしい。一旦別れたが、駅の出口から外に出ようとした時に呼び止められた。「何か探しているのか?」と訊かれたので、予約していないがホテルを探すんだ、と返答すると、なんと彼女の旦那さんの車でホテルまで送ってくれると言ってくれた。なんと親切な方だろうか。迎えに来ていた彼女の旦那さん、娘さん、おじいさんと一緒に車に乗り込み、娘さんの運転でこの町唯一(と言っていた)のホテルまで連れていってもらった。しかもそのホテルのフロントマンと旦那さんが友人だということで、宿泊費の交渉までしてもらった。40.00ユーロでの宿泊が決まった。予算を大幅に下回る結果に内心ガッツポーズを決めた。「情けは人のためならず」という言葉があるが、まさにこういう現象を指すのではないだろうか。
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ご家族に丁重にお礼を言い、僕はキーを持って部屋へ向かった。110号室は小さいながら、暖房、シャワー、テレビ完備。これで文句を言ったらバチが当たるというものだ。随分前から空腹だったので、ホテル内のレストランで夕食を摂ることにする。宿代が浮いた分、少し奮発して魚の煮込み料理とビールを注文し、スペインで魚料理を食べるという目標が達せられた。煮込み料理は若干塩気が強いものの、とても舌に合う。ビールも嬉しい。喉が喜んでいる。 Wi-Fiに接続しつつ、FacebookやTwitterなどに書き込みを行って食事終了。ホテルの外に出て冷えきった夜空の下で煙草を一本吸う。スペインは路上喫煙者が多い割にホテルなどは全面禁煙なのだ。二本目の煙草に手を伸ばしたが、ギブアップした。それくらい寒かった。ロビーのテーブルでは近所の人だろうか、おじさん達が楽しそうにビールを飲み交わしている。フロントのお兄さんはあまり得意ではなさそうな英語で一生懸命対応してくれる。僕はカンポ・デ・クリプターナという町の純朴さに頬をほころばせながら、暖かい布団に入り込んで、目をつむった。
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laviverrs-blog · 10 years
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FFMCMCABPP "March.13th,2014 Madrid(a.m.)"
東京でいうと1月くらいの気温だろうか。ベッドで目を覚ますとマドリッドの朝の寒さで顔がこわばった。乾燥しないように暖房を切って就寝したのは失敗だったかもしれない。枕元に置いたiPhoneの液晶を見ると時刻は7:20、そしてバッテリー残量が底をつき始めている。昨晩、出国後初めてダンボー(愛用しているサブバッテリー。マンガ『よつばと!』の人気キャラクター「ダンボー」のデザインになっているのでダンボーと称する)を充電しようと、弟に借りてきた全世界対応電源プラグ(トランスフォームするのだ)を使ってみようと思ったのだが、差し込む穴の形は合ってるもののプラグ差込口自体が丸くえぐられた先にあり、全世界対応プラグがそもそもその丸い枠に引っかかって届かない。完全な設計ミスではないか!これは電源確保をどこかでしないとiPhoneが使用不能になってしまう。困ったものだ。という状態にもかかわらず、布団に潜ったままTwitterに書き込んだり今日の予定のための調べ物をしたりしてバッテリーを酷使するあたりが僕の愚かしいところだ。テレビをつけると朝のニュースが花粉症に悩む人々を映し出している。スペイン人も花粉症があるとは知らなかった。天気予報もチェックする。スペイン南部は今日は雨のようだ。そして財布に入ったユーロのことを考える。やはり東京の銀行で両替してくるべきだった。物価の高さに対する不安がまた再発する。
マドリッドには有名な美術館があるという事前情報を元に、とりあえずそこへ行ってみることにした。ホテルをチェックアウトする際、フロントの男性に「ソフィア王妃芸術センター」の場所を尋ねる。彼によると徒歩で10分くらいとのことである。道すがら小さな食料品店でミネラルウォーターとM&Mチョコの小袋を2ユーロで購入。朝食は洒落たカフェテリアのようなものがあったのでそこで摂ることにした。6.90ユーロのハンバーガーを注文。この店も値段が高いが、そのぶん巨大なハンバーガーが出てきた。別のテーブルにいた日本人カップルが店員の「ドリンクは?」という問いに対して「Water Free?」と返していた。なるほど、水がサービスかどうかはそう訊けばいいのか。今度使ってみることにしよう。
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徒歩10分とは言われたものの、実際なかなか遠い。マドリッドの美しく格調高い建築の間を通り抜けながら午前のゆったりとした時間の流れを満喫する。「Oiga(オイガ)」(スペイン語で「さーせん」くらいの意味だと思う)と声をかけて道を尋ねることも覚えた。モロッコのように「道案内しようか?」と申し出てくる人は皆無だが、こちらが質問すれば実に親身になって教えてくれる。スリに注意しろと言われても、この平穏な街でどう注意しろというのか。広場では幼稚園の遠足だろうか、先生に引率されたちっこいのがたくさん集まって、僕に注目している。こんにちは日本人のおじさんだよーべろべろばー、という挨拶を心の中でだけ表現してみる。
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広場のそばで『オズの魔法使い』に出てくる「ブリキの木こり」のコスチュームを着て立っている大道芸人のお兄さんを見つけた。面白かったのでコインをチップとして与えてみたところ、台に乗って一緒に写真を撮ってくれるという。デート中の若いスペイン人カップルが写真を撮ってくれた。ブリキさんは「日本から来たの?コンニチワ!」とにこやかに話しかけてくれた。だいぶ日本人を見慣れているような雰囲気だ。「ところでソフィア王妃芸術センターはどれ?」と尋ねると、「あれだよ」と背後の近代的なガラス張りのビルを指さした。あぁあれか。さっきから見えていた。ブリキさんにお礼を言い、ソフィア王妃芸術センター(以下「ソフィア美術館」)に近づいてみると、看板に日本語で「ソフィア王妃美術館」と書かれている。なるほどここはかなり日本人観光客が多いところなのだな。
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ソフィア美術館に入って8ユーロのチケットを買うと、空港のように厳重に手荷物チェックをされる。さすがにキャリーバッグを引きずりながら館内を歩きまわるのもどうだろう……と思っているとしっかりコインロッカーがあったので、超美人のコンシェルジュのお姉さんの説明を受けて、キャリーバッグもショルダーバッグも預けた。これで身軽だ。ソフィア美術館は広い。そして展示物が非常に多い。僕はノートに気になった作品名や作者、作品の特徴などをメモしながら、そして時に模写などしながら歩きまわった。この美術館の目玉であるパブロ・ピカソの名作『ゲルニカ』の実物が展示されている部屋は観光客や学生集団などでごった返している。もちろん僕は『ゲルニカ』を知っていたが、実物のあまりの大きさにちょっとたじろいでしまった。こんなに巨大な作品だったのか。そして「赤塚不二夫タッチですな!」などと不謹慎なことを考えていた(ソフィア美術館には『ゲルニカ』以外にもピカソの作品が多数展示してあるのだが、ゲラゲラ笑い転げてしまいそうな作品が多かった。ゆるキャラの元祖は絶対ピカソだと思う)。ソフィア美術館では各部屋にキュレーターがいるのだが、彼らは目が合うとニコっと微笑み返してくれてとてもリラックスできる。日本でももちろん美術館は行ったことがあるが、日本のキュレーターは無表情であることが服務規程になってるんじゃないかと思うほど無愛想な人が多い気がする。館内は若干迷路のようになっているものの、建物自体が��ても洗練されており、居心地は最高である。スペイン到着時に感じた殺伐とした心がすっかり癒やされていくのを感じる。美術館は旅行者にとって避難所のような存在なのかもしれない。エレベーターで一緒になった幼稚園児の集団と別れ際に「アディオース」と言ったら、引率の先生も含めて全員で「アディオース!」と返してくれた。か、かわいい……。ゆったりと2時間ほどかけて館内を歩きまわり、せっかくなのでギフトショップを物色してみる。弟用のお土産にピカソの馬の絵がプリントされた小振りな手帳を購入した。彼もこれから社会人になるし丁度良いだろう。さて、美術館を満喫したので、そろそろ次の街へ移動するか、というつもりだったのだが、とにかくどちらを向いても素晴らしい街並みなので、写真を撮りながらもう一寸マドリッドをうろついてみることにした。
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美術館から少し離れると「アトーチャ」というメトロの駅があった。ここが最寄り駅だったようだ。しかしソル駅から十分歩ける距離だ。路線図を見てみると、どうやらマドリッド市内のメトロは駅間が短くそこら中に駅があるようだ。まさにヨーロッパのイメージ図のような建築を楽しみながらソル駅前広場(プエルタ・デル・ソル)まで徒歩で目指す。その道すがら、とんでもなく広大な広場を見つけた。城壁のように建物が取り囲み、その形は正方形のように見える(後々調べて判明、実際は正方形ではない)。中心部には大きなフェリペ3世の銅像が立っている。これがマヨール広場だ(後々調べて判明、この時点でPlaza Mayor=コロン広場だと思い込んでいた)。この広場は宿泊したホテルから至近距離にある。だからホテル・プラザ・マヨールっていう名前だったのか、という今更感漂う気付きで電球マークが僕の頭の上に浮かんだのであった。広場にはたくさんの観光客、街の人々、大道芸(肥満体のスパイダーマンが台の上に立っていた。なんだあれは)が集まり、多くのレストランが空の下にテーブルを並べて通りゆく面々に快活な声をかけている。そして鳩。取り囲む建物の下には土産物屋や雑貨屋がずらりと並び、マドリッドデザインの様々な商品を売っている。とても落ち着く。気づけば僕は、マドリッド、そしてソルという街が大好きになっていた。
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マヨール広場を後にして、雑貨屋で買った缶のスプライトを持ちながらプエルタ・デル・ソルへ戻り、座り込んでまた人の流れを眺める。藤子プロが見たら全力で訴状を送ってきそうなまがい物のドラえもん着ぐるみを着用した大道芸人が観光客に手を振っている。なんという狼藉者だ。
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そんな広場を見ながら、「ソル」と小さな声で言ってみる。スペイン語で太陽を意味する言葉だ。ここは太陽のように暖かい。そして、たくさんの道がこの広場に通じている。太陽の放射線のように。出会いと別れの場所だ。この、マドリッドの(あるいはスペインの、あるいはヨーロッパの)「広場文化」とでもいうべき街の作りは、もう一泊マドリッドに居てみようか、と思わせるほど素晴らしいものだった。さっきから頭の中でドラゴンクエストの街のBGMが鳴っている。一体なんなのだろうこの風景は。僕は本当にここに座っているかい?グランビアもプエルタ・デル・ソルもマヨール広場も、まるで中世にタイムスリップしてしまったかのように、ファンタジックにそこに存在している。そこを車やバイクやスケートボードが通り過ぎて行く。この光景は、あまりにも新鮮で極上だ。
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名残惜しいが旅の日程には限りがある。地中海沿いに向けて移動しよう。僕は腰を上げ、メトロに吸い込まれていった。
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