Tumgik
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
今日は彼女のことについて書こうと思う。ついこの前付き合って2ヶ月が経って丁度その頃に金沢へ2泊3日で旅行に行った。でも旅行中にお互いで話したのは、もう付き合って一年くらい経った気がするくらいの安心感だった。
彼女の父方の祖父母の家が岡山(上道〜瀬戸らへん)にあるのは知っていたが、思いの外いろんな話が重なってきて、もはや怖い領域まで達している。東日本大震災の時(当時小5,6)に、疎開的な感じで数ヶ月岡山の祖父母の家にいたらしいのだが、その時に駅付近によく遊びにきていたそう。具体的には、イトーヨーカドーのポッポ、ロッテリア、ディズニーストア、3階のゲームセンター、ジョイポリスなど。今あげた場所なんか小学生の時に死ぬほど遊んだ場所じゃあないか!もしかしたらどこかで会っていたり、すれ違っていたかもしれない。イオンとイトーヨーカドーの間らへんにあった大塚矯正歯科クリニックのあたりもよく通っていたという。彼女は中学生になってからもビックカメラ、徳島ラーメン麺王を通り過ぎたところにあるドレミの街(今はイコットニコット)の一階のミスタードーナツのヘビーユーザーだったと言うじゃないか。麺王なんか月2,3回は行ってたぞ。まじですれ違っていたかもしれない。それから倉敷にもよく行っていたという。チボリ公園とか。あと最近の偶然といえば、ホワイトデーにお花とお菓子を渡したのだが、彼女が家に帰ったら全く同じ花が家にあったらしい。というのも、彼女の双子の彼氏(稲荷の友達のny校のやつ、この前会った笑)も彼女におれと全く同じお花をあげていたらしいのだ。なんという偶然。さらには彼女の祖父とおれの親父が高校(金川高校)が一緒らしいのだ。探せばまだまだ出てきそうな感じはある。そんなこんなで次はおそらく岡山を旅行(帰省?)する予定である。主に彼女の昔の記憶のフラッシュバック体験になるであろう。とりあえず今日はこのあたりで。              p.s.無事進級しました。春から5年生です。
9 notes · View notes
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
pt.5
3/8水曜日
ついに帰国日となった。今回の旅は基本的に毎日早起きだったせいか、今日も6時頃目が覚めた。顔を洗い支度をしてチェックアウト(ちゃんとデポジットの500バーツは返ってきた)。電車に乗り空港へ。朝ごはんは3日前と同じ店で同じものを食べた(ガパオライス)。それとマクドナルドのパンケーキ。飛行機に乗ったのだが、残念。隣がおデブちゃんなのだ(自分は窓側、彼は通路側)。しかもまだ離陸前なのにいびきをかいて寝ている。やれやれ、お疲れなのであろう、寝かせてあげよう。いびきだけならいいものの、ブーデーだから自然に腕がこちらの席のテリトリーに侵入してくるのだ。産毛がチクチクと当たる。清潔感のあるタイプのブーデーかと言われれば微妙だがまあなんとか耐えれるレベル。そうこうしているうちに機内食が。内容は豚の生姜焼きに味噌汁、蕎麦なども付いた日本食だった。流石JAL。ハーゲンダッツまでついていた。しかし食後数十分後、お腹が痛くなってきたのだ。おそらくだが朝食べたガパオが辛かったのでそれがキテる気がする。しかし隣のデブは寝ている。隙間を縫って通路側へ出て行けるわけがない。適当にタイミングを見計らい、彼に声をかけてなんとかトイレへ。無事帰還し、席へ戻り外を眺めると、雲の中に一つだけ白い雪で覆われた富士山の頂上付近が夕陽と共に見えた。日本のシンボルだ。やはり上からものを眺めるのは楽しい。スカイツリー、東京タワー、夕陽も一緒に見れてとても綺麗だった。約5時間半のフライトも終わり無事帰国。検疫や税関の申請のあれこれはもう3回目なのであり得ないくらいスムーズにいった。吉祥寺駅行きのバスに乗り無事帰宅。                     一人旅というのは孤独で辛い。一方その孤独で辛い経験をしたからこそ素晴らしいものに出会えることもある。「ラオスにいったい何があるんですか?」その答えは村上春樹も私も明確な答えを持たない。けれどその記憶には匂いがあり、音があり、肌触りがある。絶対に何かがある。それがただの写真とは違うところ。ラオス(ルアンパバーン)にはたった3日間しかいなかったが、私の中ではかなり鮮明に残り続けるだろう。だがこの記憶やら風景やらがなんの役に立つのかはわからない。なんの役にも立たないままただの思い出として終わってしまうかもしれない。しかしそれが旅というものではないか。旅は疲れることも、がっかりすることもある。けれど、そこには必ず何かがある。重い腰をあげてまで行く価値があるかもしれない。
1 note · View note
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
実は今夜タイでは有名な夜市場に行ってご飯でも食べようと思ったが残り185バーツ(600円くらい)しか持ち合わせておらず、市場に行くまでの電車賃、食事代、明日の空港までの電車賃を考えると、とても夜市場に行けるほどの現金に余裕がなかった(電車や屋台は100%現金しか使えない)。丁度飛行機も遅れて時間もなかったので夜の市場は諦めることにした。ホテルの最寄り駅に着いた時にふと気がついた。ホテルの場所がわからないのだ。事前に細かい道を把握しておくべきだった。もちろんインターネット接続がないのでスマホ���役に立たない。しかし幸運にもgoogle mapでホテルの場所をピン留めしていたのでなんとなくその方向へ進んだ(GPS機能はあるのでなんとか現在位置はわかる)。周りの人に聞いても良かったが、英語が通じそうにないのと、大したホテルではないので知らない可能性が高い。一番いいのはGoogle mapで検索することだが、勝手に知らない人のスマホを借りて検索するわけにもいかない。ましてや言葉が通じないのに。適当に歩いてWi-Fiを探すも、そこまで栄えているところではなかったのでWi-Fiは見つからず。結局自力で適当に歩いているとホテルに到着(30分くらいかかった)。ようやく部屋に入れると思いきや、またここで問題発生。デポジット料金が500バーツ(2000円くらい)したのだが、なんとクレジットカードが使えないというのだ。クレジットカードの読み取り機械がないのか、なんだかよくわからないがダメらしい。現金が今185バーツしかないからクレジットカードでお願いしてもダメだ。もういっそデポジット料金なしでもいいだろ、と思いながら、そんなにおれのことが信用できないのだろうか。残る手段は日本円をタイバーツに変えること(なんとか日本円は4000円くらいあった)。この辺りに換金所はあるかと聞くも、このフロントのおばちゃん英語が全く通じない。困った顔でニコニコされても何も起こりませんよ。するとこのホテルに泊まっているであろう女性が自分の部屋に戻ろうとしたところをフロントのおばちゃんが捕まえ、今の状況をタイ語で説明。すると彼女は英語で自分に話してくれて、換金所がある場所も教えてくれ(隣の駅すぐのところに大きなショッピングモールがあるから、そこの換金所を利用しろ、とのこと)、ご丁寧に駅の名前とモールの名前が書かれたメモをいただいた。それを頼りにモールへ向かうことに。一駅だからいいかと思い徒歩で向かったが、想像以上に距離があり、歩いて行ったことを少し後悔。ようやくモールに着くも、換金所がどこかわからない。とりあえずインフォメーションセンター的なところで聞こうにも、このモールなかなか広くて見つからない。やっとインフォメーションセンターを見つけ、換金所の場所を尋ねるも、あまり英語ができないのかgo straight しか言わない。とりあえずgo straightするも、見当たらない。また近くにいた店員に尋ねるとgo straightとまた言われた。もっと先なのか。とりあえずgo straightするも、見当たらない。また近くにいた店員に尋ねるとgo straight and turn left と言われた。今度は違うぞ、左か。と思い進んでいくと換金所があった。しかしそこには今日はやっていないと書かれていた。唖然としていると近くの店員が来てくれ、換金所はgo straight and turn right と言われた。もう気分は市役所だ。あっちへ行け、こっちへ行けと。どうやらもう一つ換金所があるらしい。言われた通りに行くも、どこまでgo straight して、どこでturn right したらいいか全くわからない。もう一度教えてくれ店員に確認すると、換金所まで連れて行ってくれ、ようやく換金所に到着。しかしそこにはかなりの人が並んでいた。整理券を取り20分ほど待って、ようやく目的のデポジットの500バーツを入手できた。しかしこの時自分は既に喉が渇きまくっており、はらぺこだったのだ。もう時間は19時になろうとしている。実は今日朝ルアンパバーンのホテルの冷蔵庫の水を持っていくのを忘れてしまった。暑い中空港まで1時間ほど歩いたのに、飲み物がない。ルアンパバーン国際空港で買おうにも、クレジットカードが使えないと言われ断念。ようやく水が飲めたのは機内食の時だった。すぐに飲み干してしまい、そこから水を口にしていない。お腹も鳴っている。ホテルのフロントのおばちゃんが待っていると思いつつも、クレジットカードが使えないそっちが悪いと判断し、モールの地下にあるフードコートに向かった。こっちに来てからはガパオばかり食べていたので、違うもので��食べるかと思い、パッタイを食べることにした。しかし今度はこのフードコートではなかなか英語が通じそうにない。おそらくカニだろうけど尋ねても困った顔をされた。まあエビでいいかと思いエビのパッタイを注文。いくらか聞くと、あっちへ行けと言われた。どうやらカードに現金をチャージしてカードで支払い、カードに残ったお金は後で払い戻されるというシステムらしい。そんなことがタイ語でわかるわけない。なので困っていたら近くのバキ童似の男性が英語で教えてくれた。コップンカー。水も買いなんとか持ち直す。帰りは電車で帰ろうと思ったが、これまた迷った。ここには二つの駅があって、自分の行きたい駅がなかなかない。フラフラ歩いているとなんとか駅に着き、無事ホテルに戻った。おばちゃんが笑顔で500バーツを受け取ってくれ、なんとか部屋に入れた。ここのホテルWi-Fiが強く、水圧も良い。お湯も出て良いかと思ったらドライヤーがない。まあ良しとしよう。シャワーを浴び、今日のことをつらつらと彼女と電話をしながら爆睡。
1 note · View note
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
pt.4
3/7火曜日 
一回も目が覚めることなく、5時過ぎに起床。今回の旅行は睡眠がとても調子が良い。今日も托鉢を見に行く予定だが、昨日とは違う通りを見てみようと思う。まだ薄暗く肌寒い街を歩いていると、まだ5時半頃というのに家の前を掃除している人やお店の準備を始めている人、托鉢の準備をしている人、様々な人がいた。昨日自分が托鉢をした場所はどうやら観光客向けのところらしい。隣の通りではもう既に托鉢が始まっていた。とある1つの列(特にちびっこが多い)に注目してその列に着いて行った(基本的にお寺から出てくるわけだが、最後はおそらくお寺に帰るのであろう)。すると托鉢をしている脇の方で小さい子供たちがザルを持って手を合わせて待っているではないか。これは托鉢でお供え物をもらった僧侶が、そのお供え物を食べるものがない貧しい子供達に分けてあげているのだ。なんという光景だ。しかもたまに大人も恵みを望んで手を合わせて待っている。親切かと思いきや意外にもそこまでお供物を分けてもらっていた訳ではなかった。さらに列に着いていくと、途中で一行が立ち止まって何やらお経を唱え始めた。これはどのタイミングでどういうお経を唱えているのかは不明だが2,3回行っていた。そして最終的には自分たちのお寺へ帰って行くところまで見届けた。托鉢をしている最中は一切喋らずに黙って歩くお坊さんたちだったが、お寺に着いたらちびっこたちは、今日いっぱいもらったんだー(のような会話、推測)とか、友達と戯れあったりしているのが垣間見えた。帰り道に朝市場を軽く覗いてホテルへ戻った。少し休憩して、朝食を食べた。バナナパンケーキとハチミツを頼んだ。これがめちゃくちゃ美味かった。ルアンパバーンはパンケーキとかフレンチトーストとかそういう甘いものが美味いのだろうか。とにかくめちゃくちゃ柔らかくてバナナの香りがしてとてもおいしかった。部屋に戻り用意をし、チェックアウトをし、フロントのお姉さん(色々教えてくれた)に別れを告げてホテルを後にした。さて、普通はルアンパバーン市内から空港までは基本的にトゥクトゥクかホテルの手配してくれたタクシーで向かう(何回も言うが、これらで空港まで行くと日本円にして800円くらいだが、ルアンパバーンでは死ぬほど高い、超超ぼったくり)わけだが、いかんせん現金がないもので(基本的にこの街はカードは使えない)、歩いていくことにした。しかし意外にも距離は4キロほどで、ゆっくり歩いても1時間ほどで着く。時間もあることだし歩いていくことにした。しかしルアンパバーンの道は舗装されておらず、スーツケースのコロコロが傷んでしまってはいけないので途中途中持ち上げてひたすら進んだ。すると途中誰かに肩を叩かれた。道中でタクシーやトゥクトゥクの勧誘がすごかった(スーツケースを持って空港の方へ向かっていたから)ので、またかよと思いながら振り返ると、なんとユウヤではないか。丁度彼はツアーオフィスに象使い免許の書類を受け取ろうとしていたらしい。そして彼は午後に電車でルアンパバーンを発つらしい。世話になったと挨拶をし、彼と別れた。空港に行く途中には今にも崩れそうな幅1メートルもないようなトタンの板でできた橋を渡ったり、だだっ広い何もないところがあったり、犬がゴミ箱を漁っていたり、と徒歩ならではの楽しみがあった。しかしスーツケースを転がすのが面倒なのと、だんだん暑くなって汗をかいてきて、まだかなぁと思っていたら空港の入り口が見えた。時間にして50〜1時間ほど歩いてようやく到着した。私は今まで色んな空港に行ったことがあるが徒歩で空港に行ったのはおそらく人生で初めてではないかと思う。空港に着いたら、汗をかきまくったのでTシャツと靴下を新しいものに着替えて、搭乗時間まで待った。少し到着が遅れて飛行機が着陸。行きとは違って超満員だった。しかし機体はまたもやチャーター機。機内食はチキンとキュウリ、トマトそれからライス(餅米?)なのだが、このチキンとお米が死ぬほど硬い。食べ終わった頃には顎が疲れた。そんなこんなでバンコクに到着。イミグレも空港内も空港直結の鉄道も3日前に全て見たのでなんの新鮮味もない。違うことといえば3日前は早朝であったが今日は昼時だったので人が多いくらいか。日本人もちらほら見える。とりあえずホテルに向かうことにした。
0 notes
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
つづき
ユウヤと一緒に船の外側に乗り、洞窟に着くまでの間彼と色んな話をした。と言っても8割英語での会話になったが。彼の苗字はキセキというらしい。どういう字を書くのか聞かなかったが後々になって気になってきた。彼は東南アジアを色々と回ったことがあり、ラオスは特にお気に入りらしい(ルアンパバーンは初めて、お気に入りはバンビエン)。またタイで出会ったタイ人の彼女がいるので明日会いに行くそう。自分も医学生で今しか休みがないから旅を楽しんでいる旨を伝えた。しかしそこで私は大変な事実に気づく。象使いの国家資格の書類をもらっていないのだ。あれがないと証明にならない。マズいと思ってユウヤにその話をしたら、気が効くのか彼は先ほど施設のスタッフに尋ねたところ、もう時間がないから書類を作るのは難しいね、また今度だね。と言われたそう。ルアンパバーン市内のツアーオフィスでも無理かと尋ねても無理と言われたらしい。これにはかなり落胆した。しかしまだわからないので後で市内のツアーオフィスに行き、ダメならメールでPDFにしてでももらおう。でないと気が済まない。そうこうしているうちにメコン川の川岸にある洞窟に着いた。この手の洞窟は中に釈迦の建築物やら黄金の像があるパターンだと見る前から目に見えていた。実際に行ってみるとビンゴ。あーまあこんなもんだよねえ、とユウヤと言いながらすぐ船に戻った。するとユウヤの隣に座っていたスキンヘッドのタイ人が絡んできた。日本人というととても食いついてきた。彼は友人たちと4人で旅行に来ているらしい。たこ焼きが大好きだと言っていた。そしてユウヤはタイ語を少し話せるらしく、そのスキンヘッドのおっちゃんに気に入られていた。そして私は医学生であることを言うと、ダイモンミチコ!ドクターX!ブラックジャック!と色々言ってきたのだが、唯一「ドクターK」だけは知らなかった。画像まで見せられたがわからなかった。どうやら昔の漫画らしい。でも知らない。すると向かいに座っていたオランダ人社老夫婦が君たち(私とユウヤ)は日本人?と聞かれてyesと答えると、なぜ英語で会話しているの?と聞かれ、会話が始まった。その夫婦は日本が好きらしく、孫娘の名前がクロ(黒色が好きでblackではなく、日本語のクロにしたとのこと)であり、その孫娘も日本のことが大好きで日本のアニメやマンガを見て日本語や日本のことを勉強中らしい。そして自分は医学生であることを毎度説明し、色々大変ねえ、と言うような近所のおじさんおばさんのような感じで、とても人がよく話しやすかった。すると今度船はウィスキービレッジ(本日2度目)に到着。どうやら違うウィスキービレッジらしい。この辺りには観光目的のウィスキービレッジがいくつかある模様。船で待ってても良いが、することもないのでユウヤと行くことに。しかしフランス人カップルはつまんないから船で待っていると言っていた。また朝と同じ説明を聞き(またもや聞いていない)、朝と違うところといえば、巨大なヤモリが漬かったウィスキーがあったことくらいか。それにやたらと興味を示していたタイ人おじさん。試飲は遠慮していたところタイ人おじさんがちょっとだけといい50%のウィスキーを小さじ1くらい注いでくれた。なんのお酒かわからんが飲んだら一気に喉〜胸が熱くなった。不味い。流石に吐いたり気持ち悪くなったりしないが、やはりアルコールはダメなのがわかった。この村の奥の方には子供がたくさんいて戯れていた。こう言うところで撮る子供達の写真が一番絵になる。遊ぶ様子も動画に収めた。なかなか良い場所であった。帰ろうとしているとタイ人の連れの金持ちそうなメガネをかけたデュフデュフしている男性が高級そうなアクセサリーのお店で悩んでいた。タイ人おじさん曰く、彼は行くところ行くところあらゆる場所でお土産を買っているらしい。絶対。彼は訪れる場所に寄付をしているんだ!と笑っていた(ちゃんと彼はウィスキーを買っていた)。船に戻ると段々と陽は傾いていた。なかなか船が出発しないなぁと思っていたら例のデュフデュフタイ人がビニル袋をぶら下げて戻ってきた。しっかりと買ってきたのだ。ありがとうございます寄付者よ、と盛大に煽るタイ人おじさん。このやりとりが面白い。船が出発し、夕陽が赤く燃えている。メコン川に夕陽が映る。船は静かにメコン川を進みながら今日出会った人たちと色んな話をして夕陽を眺める。色々と美しい景色を見たが、これは忘れられない景色になりそうだ。途方もないほど美しい景色を見た時に、みんなにもこの景色を見て欲しいし、写真を撮って送りたい。同じ感動を同じ場所で分かち合うことに意味がある、そのための旅であると思う。今回は今日出会った人たちとそれを共有することができてよかった。まさに一期一会というやつか。するとスタッフがビールとおつまみを用意してくれた。なんと気が効くのだろう。みんなで乾杯をし、その後も色んな話をして、メコン川サンセットクルーズを楽しんだ。向かいに座っていた若い超イケメンだが多分クソ���キャフランス人男性に日本のことを尋ねられた。6月に1ヶ月ほど日本に行く予定なんだけど、おすすめの場所ある?と聞かれた。無難に東京、大阪、京都、あと北海道も言っておいた。東京の特におすすめを新宿、渋谷、原宿、浅草、東京タワーなどをおすすめした。彼はカラオケを楽しみたいらしい。かわいい。ご飯はどこも美味しいから安心して、とりあえず寿司食べとけ、とも言った。そして彼は柔道をやっているので(意外と知られていないがフランスは柔道がめちゃくちゃ盛ん)、本場日本で柔道を体験したいとも言っていた。また、自分の前に座っていた、聞くからに完全なイギリス英語で話していた同い年〜少し上くらいの超イケメン兄やん2人組に、イングランド代表のユニフォーム着てるじゃん、いいね!と言われた(寒くなってきたのでサッカーイングランド代表のユニフォームを着た)。イングランドのサッカー好きなんですよねー。お宅はどこ出身?(もうほぼわかっているが一応)と聞くともちろんイギリスと答える。僕はイギリスのサッカーリーグが大好きだよとお馴染みの会話をした。すると2人のうち1人が私とファンチームが一緒ではないか。お互いにグーパンチ(あれなんていうだろう)をして打ち解けた。その後もユウキをはじめとして船に乗っていた人たちとたくさん話し、船はルアンパバーンの街へ着いた。船に乗っている最中、ずっとまだ象に乗っている感覚だった(あの象の股関節が左右に揺れる感じ)。タイ人おじさんに一緒に夕食を食べないかと誘われたが、相変わらず現金が全然ないこと(日本円であと1200円くらい。これであと3日過ごす)、ホテルに帰って休みたいことを伝え、船に乗ってた御一行とはそこで別れた。しかし流石ににお腹が減ったので、ナイトマーケットにふらっと立ち寄り、またクリスマスマーケットスタイルのところでお馴染みのガパオライスと水を注文。なかなか席がないのでハットを被った白髪の白人老人男性と相席をすることに。もう疲れていたので、話しかけなかった。おじいさんも疲れている様子だった。ガパオライスをかけ込み、水をがぶ飲みしたらホテルに戻った。シャワーを浴び、象使い免許の書類をもらいたいのでツアーオフィスに行くことを考えたが、流石に夜遅いのでもう開いてないかと調べてみると夜22時までやっているらしい(現在20時過ぎ)。着替えてツアーオフィスに向かった(徒歩10分ほど)。すると名前と生年月日と写真をメールで送って、と言われて5分ほど待つと書類完成。もうもらえないと思っていたのにもらえるとは。感無量である。ちなみにユウヤの分の書類はもうすでにできていた(おそらく彼は事前に名前と生年月日と写真をメールで送っていたのだろう、マメなやつだ)ので、その旨を伝える(インスタを交換したからDMした)と、彼もまた喜んでいて(彼も私と同じくあの象使い免許の資格が欲しいがためにはるばる来た感じであった)、明日の朝取りに行くと連絡が来た。書類はしっかりと封筒にしまい大事に折れないようにスーツケースにしまった。その後夜は涼しい部屋のバルコニーでゆっくりし、今日あった出来事を彼女に電話で話した(話しきれていない)。その後も会話に盛り上がり、電話を切り就寝。
0 notes
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
つづき
基本的にはドイツ人と南アフリカ人カップルがひたすらみんなに質問を投げかけていた。とくに皆さんそれぞれの国でロックダウンはいかがでしたか、とか。南アフリカ人女性は中国で英語を教えていて、中国は大変だったと。日本人女性(ガチで中国人かと思ってた)は滋賀県生まれで仕事をしていたが、もう仕事は辞め、現在はいろんなところをフラフラしているらしい。旅慣れている様子。次はインドに行くとのこと。仕事もせずにフラフラするってどこからお金湧いてるのだろう。まあ気にしないでおこう。そして日本人(仮)の男性だが、名前はユウヤというのだが、(仮)はどういうことかというと、出身は神戸らしいのだが、日本に住んでいたのは最初の3,4年だけで、それからはずっとオーストラリアの学校に行き、大学もシドニー大学に行っていたので英語はもちろんできるが日本語があまりできない。そして就職活動を終え、春からは大阪でホテルに勤務するとのこと。今は休みで1人で色々と回っているらしい。フランス人カップルについては、彼ら同士でおしゃべりしていたのであまり彼らのことはわからない。昼食を取ったら、午後はどうなるのかと思ったら、日本人のユウヤ、私、フランス人カップルのみが1dayツアーだったらしく、他の人たちはhalf dayツアーだったらしい。なので自分たち以外はここで解散となった。そして残された1dayツアーな4人はというと、もう一度象に乗るか(大体同じ道を回る)、船に乗ってメコン川の洞窟の方へ行くか、のオプションに迫られた。しかし我々意外と象に乗ることが気に入った(もちろん私は象に乗ること一択。そのためにはるばる日本からやってきたのだから)ので、とりあえず象に乗ることに。先ほどとは少し違うルートでまた象に乗る。午後はブンピンではなかったが、唯一の角の生えているオスの象に乗った(名前を聞いたが忘れた。そしてなぜかフランス人美女はmahoutがおらず、1人で乗せられていた)。またメコン川に入り、肩辺りまで浸かった。やはり寒い。そして今度は午前中に来たとこよりももっと奥の方へ進んで行った。あるところで象から降り、象は施設の方へ戻っていった(後述)。着いた場所は象がいつも放し飼いされているところだった。特に何もない原っぱだった。そこからは徒歩で施設まで戻るわけだが、いかんせん道が悪い(泥沼のような感じ、少し小川が流れている)。ビーサンが沼にハマってフガフガしているとビーサンが壊れてしまった(足の親指と人差し指を隔てている部分が抜けた、両方)。抜けてしまっただけなので徒手整復は可能であったが、取れやすくなってしまった。もうほぼ後半の方はずっと素足で歩いていた。そこでスタッフはみんなが泥沼にハマって歩きづらそうにしているのを見て、いかに象に乗ることが楽チンかわかっただろ〜。象に乗れたらスイスイ〜っと行けるぞ。と言っていた。そんなこと言わずに早くみんなを助けろ。施設に近づくと象たちは他の観光客を"カゴ"に乗せてもてなしていた。なんだか自分たちの象が取られた気がして少し悲しい気持ちになった。しかしスタッフは、君たちはもう立派なmahoutだ。mahoutはラオスで象使いを意味する。彼ら(カゴに乗っている観光客たち)はmahoutではない!とディスっていた。まあそんなこんなでまたシャワーを浴び着替え終わると、もうすぐ洞窟行きのサンセットクルーズの船が行っちまうよ!急げ!と、ドラクエばり(まるで自分達を待っていたかのような、自分たちが乗ったらようやく船が出航し、イベントが進む的なやつ)の感じで急いで船に乗った。本当に自分たち(フランス人カップル、ユウヤ、自分)が乗った瞬間に船は出航した。
0 notes
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
pt.3
 
3/6 月曜日
スマホのアラームで目が覚めた。朝の5時前。ダブルサイズのベッドで寝ていたせいか隣に人がいるような気がしたが誰もいない。当たり前か。眠い目を擦りながら顔を洗いメガネをかけてテラスに出るとまだ外は暗い。肌寒いので少し着込んで外に出る。托鉢はいくつかの通りで行われるらしいが、昨日ホテルのお姉さんに教えてもらった通りの時間と場所に向かった。5時過ぎになって目的地に着いたが、托鉢の用意はしてあるけれども、まだ早かったせいかそこまで人はいない。そこにいたおばさんに言われるがままにお供え物を買い(約800円もした。絶対ボッタクリだ。高くない?というと全部一律この値段と言われた。まあお坊さんにあげる物だから仕方ない。800円で托鉢の経験ができると思うと安いのかもしれない。この時点で残りの現金は約1200円)、靴を脱いで座る。しばらくすると中国人観光客がたくさんやってきて同じように座って準備をする。5:30〜6:00の間に托鉢があるよ、とホテルのお姉さんに言われたものの5:30になっても始まらない。まあ待つかと思って待っていると、鮮やかなオレンジ色の僧衣まとったたくさんの坊主頭の僧侶たちが裸足でゾロゾロと歩いてきた。よくわからんけれど見様見真似でお供え物を渡す。お供え物は自分のところにあったのは3種類。お菓子、葉っぱで包まれたお餅?、それから炊けたご飯一合ほど。ご飯はビニル手袋で一口大の大きさに丸めて渡す。一列になってお坊さんがゾロゾロと来るわけだが、タイミングよくお供え物をスムーズに渡さなければならない。先頭を歩くのはおそらく位の高い僧侶。後ろに行くにつれどんどん若坊主になっていく模様。後ろの方には小学生低学年くらいの見習い僧侶もいた。ランドセルをやっと背負えるくらいの小さい子もいる(もちろん背負うのはランドセルではなく、お供え物を入れる壺)。事前に調べたことによると、お坊さんの前を横切ってはいけない、お坊さんよりも高い位置にいてはいけない、お坊さんに触らない、フラッ��ュ撮影禁止など。しかしあろうことか中国人、我こそは、と超近距離で写真を撮り、思いっきりフラッシュ撮影をしている。おそらくルアンパバーンはこれを観光化しているのであろうか、これがお金になり、写真を撮られ、それでまた新たな観光客が訪れ、またこれがお金になり、写真を撮られ、というようなサイクルになっているのかもしれない。生きていく上では仕方のないこともあるのだろう。正直なところ、見様見真似でやっただけで何かわからないけど、儀式の力というか、場の力というか、何かは感じるものが少しあった。写真や動画では伝わらない、実際そこに行き経験することが旅の醍醐味ではなかろうか。托鉢が終わるともうすでに朝市場が始まっていた(6:30過ぎ)。基本的には食材が売ってあった。野菜や果物はもちろん魚や肉、虫も少し売っていた。今お金が全然ないことと、この後の象のことを考えると、ここでお腹を下す訳にはいかない。ホテルに戻り朝食を食べる。普通のイングリッシュブレックファーストを食べ、用意をしてホテルの前で待っていると、ツアーの案内人が迎えに来てくれた。こういうツアーに申し込むと、もしかしたら送迎が来ないまま終わってしまうのではないかと不安になる。バスに乗り込み、色んなホテルを回ってツーリストを集めていく。バンは満員になった。両隣にアジア人(多分中国人)、後ろの方は白人。1人で来ている人が半分くらい。全部で10人ほど。バスに揺られること30分、ウィスキービレッジに到着。これはツアーに含まれていた内容。外国のローカルツアーあるある。コブラやサソリ、ムカデが漬かったお酒。どうやってそのお酒が作られるかの説明をつらつらとしてるようだが全く興味がないので全然聞かなかった。もちろん試飲もしていない。私と同じように全く興味のない人たちは説明中ながらもフラフラと違うところへ行ったり、勝手にトイレに行ったり、隅の方でタバコを吸ったりと、自由な感じであった。一方このお酒に興味を示している人も一定数いた。試飲をしてあーだこーだ言って結局買わない。あるある。その後はそのウィスキービレッジを一周して、土産物などが売っていたが誰も買わず少し早めに出発。15分ほどすると象のいる施設に到着。かなりのどかな場所で、綺麗な花が咲き、芝生はある程度整えられていた。一行は奥まで案内され、好きな飲み物を冷蔵庫から出して、テーブルに座るように指示された。なぜかこの時点で小太りのスモーカー白人とラテン系おばさんが消えた。どうやら少し違うプランらしい。数分待つと支配人的な人が出てきた(いわゆるwelcome to elephant camp 的なあのジュラシックパークの白髪のおじさんのような感じ)。詳しい内容は割愛するが、要するにラオスとはどのような国なのか(変な英語であんま聞けなかった)、ルアンパバーンとの関係性、象について(この施設には象は10頭いる。オスは角があって、メスは角がない。動物園はダメ、あそこはジャンキーフードを与えている。象の密猟を止めることは不可能。象の起源はラオスである。今現在生き残っている象は数百年前に比べると1/100にまで減っている。象を森へ帰して、自由にそこでのびのびと暮らさせてあげよう。人間が象の体に乗ることなんて象にとっては屁でもない、など)の説明を受けた。そこで毎回タバコを吸っているマッチョ系ドイツ人がちゃちゃを入れて話を遮って質問をしている。同じくフランス人スモーカーの美女も。一同ヘラヘラしながら説明を1時間ほど聞き、実際に象に乗ることに。その前にmahout(マホートとはラオスでは象使いを意味する)のユニフォームに着替えた。青いようわからんやつだ。でもなんとなく雰囲気は出る。まずは象にバナナ(まだまだめっちゃ青い)をあげて餌付けさせ(さっき動物園であげるようなバナナやリンゴは象にとってジャンクフードだからダメだ、とか言っときながらバナナあげるんかい、どういうこっちゃ)、象に慣れていく。そして早速1人1頭の象に乗る(この時後ろにガチmahoutがついてくれる)。僕は一頭のメスの象に乗った。名前はブンピン。いざ乗ってみると思ったより高くてちょっと怖い。ブンピンの頭に手を置くのだが、頭の毛が1本1本太くてチクチクしている。この毛を引っこ抜きたくなったが、ブンピンがびっくりして転倒してはいけないので我慢した。ブンピンに乗った際にスタッフにスマホを預けて写真を撮ってもらう。なのでブンピンに乗っている時の写真や動画は撮れなかった。1,2分乗るとすぐに慣れてきた。前後で悲鳴が聞こえるが無視。コツとしては跨った時に太ももでしっかり挟むことである(内腿が疲れる)。そうして適度に力を抜いてバランスを取ると支える必要がなくなり両手が空いた。とはいえ空いた手ですることもないので、手はブンピンの頭の上に軽く添える(左手は添えるだけbyスラムダンク、あんま知らんけど)。ズンズン進むブンピン。前の象は、よそ道をしておりなかなか進んでいない。ガチmahoutが象に一生懸命指示していた(おい、早く進め!的なことを言っていた)。意外にも象の上は安定していた。しかし自分が乗っている場所がおそらくちょうど象の肩甲骨あたりに跨っていたので、象の前足が一歩進むごとに肩甲骨が上がり、自分のお尻あたりがモコっと盛り上がる(伝われ)。これがなんともいえない感覚なのだ。例えるなら少し揺れている電車の方が寝やすい的な感覚なのかもしれない。軽く登ったり下ったりしながらどんどん森の奥へ入る。そして小川に入った。すると前の象が道の脇へ行き、立ち止まった。何かと思ったらお花を摘んでいるのだ。真後ろで見ることができていかにも光栄だった。うちのブンピンはお利口はんな��うで、寄り道もせず淡々と進んで行った。来た道を戻り今度はメコン川の方へ向かう。ゆっくりとブンピンはメコン川に入る。しかし象とは大きいもので、川の奥へ入っても全然体が浸からない。そこでガチmahoutが何やら指示を出すとブンピンは一気に潜り始めた。ここでようやく自分は腰〜胸の辺りまでメコン川に浸かった。少し寒い。しかし象の中にはサービス精神旺盛な象もおり、鼻で水を吸って乗っている人にぶっかけているではないか。その人は頭からずぶ濡れになっていた。まあいい経験になったであろう。メコン川を出て最初のところに戻り下車(下象)。とりあえずシャワーを浴びることに。するとそこで参加者たちの間で、体が濡れてるアピールが始まった。ついには体が濡れてないのがダサいみたいな雰囲気になった。自分はそこそこ濡れていたが、頭から全身濡れている輩が2人もいたので完敗。シャワーを浴び着替えて昼食を取る。バイキング形式でドリンクもフリー。そこで参加者たちでいろいろな話があった。まず端に座っていたゴリマッチョスモーカードイツ人(男)とタトゥーの入った整形チックな鼻をしたスモーカー南アフリカ人(女)のカップル。二頭筋のあたりにワンポイントタトゥーと鼻ピアスをした汚い茶髪のベイプを吸っている日本人(女)。メガネをかけてひょろっとした大人しめな日本人(仮、後述)(男)。清潔感のあるイケメンスモーカーフランス人(男)とその美人妻スモーカーフランス人(女)、そして私。
0 notes
ko07300730 · 1 year
Text
つづき
Tumblr media
1時間ほど歩いて休憩がしたかったので雰囲気が良さそうなメコン川を望めるカフェに入った。白人の外国人観光客が数人いた。メコン川をボーっと眺める。白人の会話。船が動くエンジン音。ニワトリの鳴き声。たまに通り過ぎる車の音。川辺で聞こえる現地の人の何語かもわからない会話。時がゆっくりと流れる。ハエがいることと話し相手がいないこと以外は最高だ(あいにく高温多湿は結構好き)。アイスティーとフレンチトーストを注文(このフレンチトーストが死ぬほど美味かった。量も多く、フワフワだった。全部で300円ほど)し、ここで村上春樹の本を読み、この紀行文をひたすら書いた。おそらく2時間くらいいただろうか。やはり僕はのんびりとゆっくりするのが好きなようだ。ここのカフェ、立地はいいわ���味はいいわ、のどかで最高。食べログがあったら間違いなく星5をつけたくなるようなお店であった。一応今日の街の散策の目的はメコン川付近散策、プーシーの丘で夕日(18:30頃)を見ること、ナイトマーケット(日の入り以降)である。日の入りまで時間があったので近くマッサージのお店に入った。タイ同様ルアンパバーンもマッサージが盛んなようだ(おそらくルアンパバーンの場合は観光客向け)。英語が全く通じなかったが、なんとかジェスチャーで事なきを得て、フットマッサージをしてもらった(1時間700円ほど)。店にいた子供たち(店主の子ども?)はずっとスマホをいじっており、TikTokを見ていた模様。そのうちの1人が聞いたことのあるK-popを奏でながら踊ってTikTokを撮っていた。やることはどこの国も同じなのだろうか。マッサージの質はそこまで良いものとは思えなかったが別にそこを期待していなかったのでなんでも良い。あと何故かこのマッサージ店に猫でもいたのか急に目が痒くなってきて危なかった。明らかに花粉の時の痒さではなく、アレルギー反応が起こっていた。マッサージを受けている間も村上春樹の本と紀行文を書いた。正直この村上春樹の本を速攻で買ったのは大正解であった。欲を言えばもっとルアンパバーンについて書いてほしかった。ルアンパバーンについて知りたくなった。フットマッサージを終え、夕日を見るために街のど真ん中にある丘に向かった。向かっている途中に何やら人混みがあって何かと思ったらもう既にナイトマーケットが始まっていた。どうやら夕方から始まるらしい。とりあえず丘を登る。これまた中国人が大量にいる。どこにいやがったんだこいつら。少し登ると料金所。ここから先はお金がいるらしい。せっかくだから上まで登って夕日を眺めたいから200円ほど払った。登っている道中も中国人で溢れている。10分ほどで頂上へ到着。大量の人。ガチカメラマンも結構いた。ぼーっと夕日を眺めるよりも、人間観察の方をしてしまった。気付いたら太陽は雲に隠れてだんだん暗くなっていった。プーシーの丘は綺麗だと聞いたが、そこまでだった。メコン川が見えれば話は別だったのかもしれないが。丘を降りるともうナイトマーケットが本格化してきていた。人はどんどんと増えている。よーく見ると売っているものはパターン化しており、大体定時価格の8割ほどで買えるようだ(要discount)。少々の土産を買ってナイトマーケット終わりかと思いきや、そこにはフードマーケットが広がっていた。溢れんばかりの人。一体どこからやってきたというのか。昼間はあんなにのんびりとしていたのに、夜になるとこうも賑やかになるのか。何が売っているのかというと、いわゆるアジアン料理のオンパレードである。イメージとしてはクリスマスマーケットの夏バージョンと考えてくれればいい。適当にチキンライスとラオスビール(美味かった)を頼んで待っていたら、黒人ニキに相席いいかと言われ、もちろん承諾。どうやら彼も1人のようだが、ワイヤレスイヤホンをつけてずっとスマホを眺めている。やはり1人ではつまらんのだろう。もっとも、Wi-FiもSIMカードもない私の方が暇だが。彼が一生懸命スマホを眺めていたので一体何を見ているのだろうと思い覗くと、なんと私が大好きなプレミアリーグ(イギリスのサッカーリーグ)を見ているではないか(私のファンチームとは違うチーム)。すかさず、そのチーム好きなの?と聞くと、僕は大ファンだと話す彼。その後はサッカーの話で盛り上がった(僕のファンのチームは10位で絶賛低迷中。しかし彼のファンチームは現在1位で絶好調。10位であることをいじられた!しかも彼のファンチームには日本人選手が1人いるのでそれも話のネタになった)。彼はイギリスのロンドン出身で1人で旅行に来ているらしい。普段は薬剤師をやっておりパートでジムのトレーナーをしている。身長190cm超えで黒人で髭面でかなりイカつい感じだが意外とこういう黒人ニキの方が優しくて話してくれるのを私は知っている。彼も暇なのだ。せっかくラオスのルアンパバーンに来たのにスマホを眺めながら食事をするのと、現地で会った人とたわいもない身の上話をして食事をするのはどちらがいいかは言うまでもない。私は今医学生で休みを利用して1人で旅に来ており、滝には行けなかったけど明日象に乗りに行く旨を話した。すると彼は意外にも医学生であることに興味をもち(おそらく彼が薬剤師で同じ医療系だから)、将来安泰だねとか、親が喜ぶねと話してくれた。そしてイギリスの医療従事者の給料はすこぶる低いことを愚痴ってきた。やはり夢はアメリカにあると。ルアンパバーンで何をしたか、何をするのかなど適当なことを話し、インスタを交換して一緒に写真を撮って彼の泊まるゲストハウスの近くで解散した。彼の英語はとても聞き取りやすかったし、自分も文法が適当ながらポンポンとワードを浴びせながら会話はしっかりと成立。英語が少しはできてよかったと感じる瞬間。彼と会えてよかったと思う。あそこで彼がプレミアリーグを見ていなかったらおそらく話しかけなかったであろう。恐るべし世界のフットボール。思いがけずこんなことがあるとは思ってもなかった。滝に行かなくて正解かどうかわからないけれど、街を散策してこうやって人々と触れ合うのは間違いなく大正解だった。この話を誰かに話さすにはいられない。夜彼女と電話をして今日の出来事を話した。彼女のアドバイスがなかったら今日のことはなかったと言っても過言ではない。本当に感謝しかない。部屋に戻ってシャワーを浴びようとしたわけだが、前泊したバンコクのホテルでは水圧は弱いわ、お湯は出ないわで散々だったが今回はいかに。なんとお湯が出るではないか!しかも水圧もめちゃくちゃ強い。日本と変わらないレベル。これには感動した。暖かいお湯で体を洗い汗を流した。最高だった。そしてドライヤーも付いているというオプション付き。おかげで早く髪の毛が乾いた。明日は早起きをして托鉢の体験&見学に行くので早めに就寝した。
1 note · View note
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
pt.2 
3/5日曜日
4時すぎにタイマーで起き、冷たい弱いシャワーを浴びた。幸いシャンプーとボディソープは付いていたからなんとかなった(トリートメントと洗顔しか持ってきてない)。ただ水量が弱すぎるのでまず体を洗って体を拭いてから、前屈みになって頭だけ洗った。ドライヤーはない。タオルでワシワシの髪を拭きながら、普段の生活でお湯が出ること、ドライヤーがあることの大切さに気づいた。当たり前は当たり前じゃないことに気付かされる。これでこの部屋に冷房とかなかったらかなりやばかった思う。当たり前に気付けるとか以前に熱中症になっちまう。シャワーを浴びてからはまだ時間があったから、ひたすら彼女とのLINEの会話を遡る。寂しい。やっぱり1人は寂しい。話す人がおらず孤独を感じる。確か丁度3年前にヨーロッパ1人旅をした時にも孤独を感じ、もう一人旅しないって決めたはずなのに。恋人がいると余計恋しい。彼女の動画を繰り返し見すぎてセリフを完コピしてしまう。そうこうしているうちにチェックアウトをし、駅へ向かった。日曜日の早朝だからか人は少ない。無事空港へ到着。朝ごはんを空港ガパオとチャーハンを食べた。空港だからかバンコク市内に比べるとかなり割高であった。ガパオはうまいが結構辛かった。搭乗の時間に迫っていたから急いでゲートに行くも、まだ全然搭乗は開始していない。全部で30人くらいが搭乗を待っていた。その9割が白人だった。隣の中年男女の集団はフランス語を話していた。その他の白人は大体齢60〜70前半あたりの余生を謳歌しているタイプの人間であろう。あとはバックパッカー系で1人で来てるタイプの白人。アジア人はおそらく中国人?の家族4人。割れ物注意のステッカーを貼ったまんまの風情ある日本人おじいさん。よく見る女子一人旅!みたいな日本人(スマホがチラリと見えて日本語のLINEをしていた)。そして僕。飛行機というかチャーターは人がガラガラのまま出発する。コロナ禍になったばかりのケルン〜ヒースローのフライトは自分を入れてたった3人の乗客しかいなかった。あれを超えることはないだろう。座席からプロペラが見える。エンジン臭い。離陸時はまさに零戦のような音。離陸。ラオスのビザを受け取り記入。向かいのアメリカ人ババアがなかなかうるさい。機内食のオムレツがゴムのような食感だった。2時間程のフライトで無事ラオス、ルアンパバーンに到着。正直タイ(バンコク)には来たことがあったし、それほど不安はなかった。でもラオス(ルアンパバーン)には行ったことがないし、どういう街なのかわからないからかなり不安はある。でも今回の旅行の目的だから楽しみたいと思う。チャーター機を降りるとまさかのタラップではなくそのまま地上へ上陸。ルアンパバーンの地に辿り着いた。そもそもなんでルアンパバーンに来ようと思ったのか。普通に生活していたらおそらく知らないまま一生を終えるであろう場所。時は4年以上遡り、浪人をしていた時のこと。同じ予備校の寮に6つ上の石井さんという人がいた。家が医者で医学部に入って欲しかったらしいが、浪人をする前に1,2年だけ遊ばせてくれ、というので最初の数年は遊んでいたそう。その遊んでいた時にラオスのルアンパバーンに数週間いたらしい。そこで初めて象使いの資格をとったこと、滝が綺麗だったことを聞いた。是非行ってみてほしいと。その時に初めて象使いの免許の存在を知って、面白すぎると思って絶対行きたいと思った。しかしタイミングがなかなか合わず結局今回になってしまった。ルアンパバーンに来てすぐに思った。なんとも言えない雰囲気。それは良い意味と言えるのか悪い意味と言えるのかはわからない。ただ、今までに味わったことのないような不思議な感じがした。同じチャーターに乗っていた人たちはホテルのツアーか何かに予約していたのであろう、すぐに迎えの車に乗り込んだ。日本人たちも何やら友人?親戚?のような人たちと楽しい会話をしながら車へ乗り込んで行った。僕はというと何も予約してないもので、タクシーにでも乗ろうと思っていたが意外とタクシーの押し売りに合わない。小さくtaxiと書いてあったのでホテルの場所を言い乗車。料金は200バーツ(日本円で800円ほど)。しかし距離は4キロ程で10〜15分で着く。これはルアンパバーンにとってはあり得ないほど高い。ルアンパバーンでタクシーに乗る人は観光客しかいないのだ。しかしスーツケースを持って1時間ほど歩くわけにもいかない。仕方なくタクシーに乗る。乗り合いタクシーだったのか、他の観光客も数人乗って街の方へ。車を走らせること10分。ホテルの付近へ着く。街の中心部(といっても特に何もない)は外国人観光客で溢れていた。特に白人。バカンスに来ているのだろう。こういう辺鄙なところに他の国の外国人がいるとホッとする。コロナ禍になったばかりのベルリンの壁とモロッコのユダヤ人街には全く観光客がいなかったので変に不気味に感じたし、不安をそそられた。ホテルに到着すると、フロントはどこ?というような感じであった。宿泊者のリストが書かれたノートとペンが机の上に煩雑に置いてある。おそらくここがフロントであろう。しかし誰もいない。Helloと口にすると階段を降りた下の方からオーナーらしき男性がやってきた。すぐ側で奥さんが洗濯をしていた。時間が早かった割にチェックインすることができたが、清掃があるから30分ほど待ってくれと言われた。クァンシーの滝に行きたいと言ったが11:30のツアーのバスが最終だから(その時は12:30)明日だね、と言われたが明日はMahout(ゾウ)があると言うと、13:30の便があるかもと言って仲間?に連絡してくれた。またあとで話すよ、と優しく教えてくれた。ホテル周辺をうろうろ(犬の写真を撮ろうとしたらガチで吠えられた。そんなに吠えなくても、、)していると部屋が片付いたそうなのでチェックイン。ルアンパバーンの中では中の上くらいの宿を予約したが、前泊のバンコクに比べると全然いい。シャワー���水圧も良さげ。ウッドの建築。いわゆるログハウス的な感じ。リゾート感が増してとてもいい。さらにはバルコニーにはテラス席もあってくつろげそう。最高。エアコンとファンの2機掛け。素晴らしい。あとで町を散策して気づいたが、おそらくルアンパバーンのホテルはどこもこんな感じ(ログハウスみたいな)であろう。13時を過ぎたくらいにフロントへ13:30の滝へのツアー(送り迎え)はどうなったか聞こうとしたが例の男性はおらず、代わりに30代くらいのお姉さんがいた。滝のことを話すと11:30が最終だからもうないよ。明日だね。と言われた。おれは3回言った。さっきの彼が13:30のがあるかもって連絡してくれたんだよ!って。そうしたら彼女、No,tomorrowと言う。3回このやり取りをした。もう僕は諦めた。滝までは今いる中心部から車で片道50分〜1時間ほどかかる。個人タクシー(トゥクトゥク)ではどうかいうと、バカ高いからやめとけと言われた。4000〜5000円するらしい。そんなに今キャッシュを持ち合わせていないし、ぼったくられていくのはなんか嫌だったから大人しく街を散策することにした。このお姉さんになんかこの辺りを散歩するのにおすすめはないかと聞くと、地図を出して色々と丁寧に教えてくれて、メモももらった。一旦部屋に戻って散歩に行く支度をしていたら、せっかく滝を見たくてわざわざ来たのに滞在日数が少な過ぎて行けないと思うと急に悲しくなってしまった(自分的にはルアンパバーンの目的は象>滝だったから耐えた。滞在日数に関しては本当は初日のバンコクに着いたらすぐにルアンパバーンに乗り換えだったのだが、なぜかその便が欠航となってしまい、やむを得ずルアンパバーンの滞在日数が1日減ってしまったのだ)。しかしここでまた彼女が素晴らしいことを言ってくれた。あの時の自分では到底考えつかないようなポジティブなこと、励ましの言葉をいただいた。シュンとなっていた自分にとっては最高の処方箋となった。離れていて会えなくても、LINEの文面だけでこんなに自分を良い方向に変えることができる人物は他にいようか。もう彼女なしではやっていけないのかもしれない。気を取り直してメモを頼りに街をブラブラ散歩することにした。やはりなんとも言えない街である。寺院がそこらにある。ちなみにルアンパバーンの街は世界遺産に登録されている。高層建築物もない、ショッピングセンターもない、スターバックスもマクドナルドもない。信号さえもない。一言で言えばのどか。ただ歩いていて思い出した。村上春樹の紀行文集「ラオスにいったい何があるというんですか?」では、村上春樹は滝にも行ってないし象にも乗っていない。彼はただルアンパバーンという街を満喫していたのだった。それに気付いてからは気が楽になり、ゆっくりとルアンパバーンの街を楽しむことにした。村上春樹はメコン川について詳しく書いていたのでとりあえずメコン川を見ることにした。10年ほど前にベトナムでメコン川を船で下ったのだが全く覚えていない。そしていざメコン川を目にするとなんとも言えない景色が広がった。底が見えずひどく濁っており、しかし穏やかで、淡々と流れている。なかなか言葉では表しづらい。ただ村上春樹は「不穏な、得体の知れないとも表現したくなるような気分さえ感じられる。〜略」と表現していた。
1 note · View note
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
pt.1
 
ラオスの計画を立てていた時にふと見ていたサイトの端の方に丁度自分が行く予定のルアンパバーン(ラオス)について村上春樹が本を出していたので速攻でAmazonで買った。ルアンパバーンについてはその本の一部しか書かれてなかったが、他の章で旅行記を書くと面白い(特に一人旅)というようなことが書かれていたので書くことにした。本当は紙とペンで書きたかったがあいにく持ち合わせていなかったのでとりあえずメモに残す。
3/3金曜日
また羽田空港に到着。ついこの前見た景色。行く前や計画しているときはワクワクして楽しみではあったけど、いざ行くとなると不安や寂しさが募る。また恋人と1週間弱会えないと思うとなかなか辛い。Wi-FiもSIMカードも持たず、なんとなく頭に入ってる地図と適当な荷物で行く旅。コスタリカの時差ぼけがあったせいか、羽田〜バンコクの飛行機約7時間はずっと寝ていた。
3/4土曜日
早朝5時。バンコク・スワンナプーム国際空港に到着。着いたら部活動のことに関するラインが色々来ておりテンションダダ下がり。色々考えなければならなくなった。特に何も考えずにボーッとするために来たのに。とりあえずホテルに荷物を置きに空港直結型の地下鉄道に乗る。最寄駅から足場の悪い道を徒歩5分ほど歩くとホテルに着いた。荷物を置かせてもらい、近くの公園を散策。朝市場をやっているとの情報で行ってみたのだが、実際にはランニングをしたり、トレーニングをしたり、太極拳をしたりとのどかな雰囲気だった。結局朝市場はやってなかった。まあいいや。そのまま近くの駅から電車に乗り、水上マーケットとやらが毎週土日に開催されているというので向かうことにした。電車を降りて30分ほど歩いても何もない。川はあるけど人も少ないし、活気がない。どうやらやってない模様。同じ川なのでやっているだろうと言う気持ちで、一本違う道から水上マーケットに向かったのだが、行ったが何もなかった。川沿いをさらに15〜20分ほど歩けばあるのかもしれないが、かなり暑かったのと、やっている確証もないし賑わっていなかったので諦めた。おそらくだがコロナ禍でタイの観光地やその他繁華街などはガラリと変わってしまったのかもしれない。気を取り直して30分来た道を歩いて電車に乗り、今度はモールが集う街の中心部へ行くことにしたのだが、そこで電車を乗り換えた際に結構な人がいてびっくりした。特に若者が多い。今日は土曜日だからかみんな街へ出るのだろう。白人の外国人観光客もちらほら見えた。いざモールへ入ってみると冷房が効きすぎて風邪を引くレベル。海外あるある。GUCCI、LOUIS VUITTON、CHANELなどの高級ブランド店が立ち並ぶ。ここでやっとWi-Fiが繋がった。無数のフリーWi-Fiの中で一つだけ有効なものがあった。DIORでもなくCELINEでもなくVan Cleef だった。LINEで部活を続けるかどうかの相談をしていたら、彼女から素晴らしい意見をいただいた。やっぱりすごい。偉大である。本当に尊敬できる人物だ。自慢の彼女である。さてこのモール、デカすぎるしブランド品には特に用がなかったので、隣の普通モールに移動した。そこでガパオを食べた。ガパオはかなり美味かったのだが、その他の副菜、スープやらが全部パクチー臭いのだ。やられた(パクチーはあんまり得意ではない。あの風味が嫌)。ここもとにかく寒い。午前中に汗をかきまくったから体が冷えて風邪をひきそうで困る。しかし外はクソ暑い。ホテルのチェックインが14時だから適当に時間を潰す。モールに来ている人を観察すると、だいたい若い女の子同士もしくはカップルが多い。暑いからか露出が多い服を着ている。同じアジアだからか、割とファッションは日本に似ているのかもしれない(特に女性)。それと意外にもタトゥーを入れている人が多いのには少し驚きだった。比較的お尻がでかい人が多かったコスタリカに比べると、タイは割と細い人が多い。アジア人は比較的細めなのだろうか。アジア人あるあるとしてマスク美人が多い気がする。パッチリとした目だけどマスクを取ったら、おっと誰かが来たようだ。(タイ🇹🇭、コスタリカ🇨🇷似てる)異国の地でも比較的適応しやすいのか、まだバンコクについてから6〜7時間程度だが、すっかりタイに慣れてしまった。もう電車も乗りこなしたし、バンコク市内の地図は計画を立てる時に見まくったので頭に入っている。自分がよく見ている筋トレとかをメインでやってる登録者数8万人くらいのとあるYouTuberがいるのだが、彼はたしか去年あたりからタイに住んでいるのだ。同じようなYouTuberも今タイに住んでいて、好きな芸人も現在タイ住みます芸人として活動し、タイで大ブレイクしている。なんとなくだけど確かにアジアで親近感もあって、人も優しいし住みやすいのかもしれない。あとどうでもいいけど、エスカレーターの速度が異様に早い。せっかちなのだろうか。時間になったのでホテルに行きチェックイン。一泊¥3800くらいだったので、まあこんなものかと。とりあえず軽くシャワーを浴びようとしたのだが水圧が弱い、お湯が出ない。眠くて疲れてたから仕方なく冷たい水で体を軽く流した(実際には水量が少なくて流せてない可能性が高い)。この部屋、鍵と電気が一致してるタイプのやつ。つまり冷房も同じように動く。なので鍵を抜いたら部屋は暗くなるが冷房はストップ。鍵をつけたままだと部屋は明るいが冷房は効いている。冷房>部屋の明るいの気分だったので鍵は差しっぱなしに。部屋着に着替えてタイマーを17時頃にセット。その時は起きて夜活動しようとしていた。がしかし、起きたら目が乾燥してコンタクトを取りたくなって、なおかつ全然まだ眠い。最終的にチェックアウトに間に合えば良いのでタイマーを朝の4時頃に設定。爆睡。1時頃目が覚める。そこから1時間ほどスマホをいじって明日のことを調べて2時頃また就寝。
3 notes · View notes
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
付き合い始めてそろそろ3週間が経つが、この子、とても頭が良い。それ故に会話が面白いし、いろんな話をしたくなるような人である。それから今まで付き合ってきた人(分母は3笑)の中でダントツでしっかりしている。多分自分よりしっかりしている。自分よりしっかりしている女性を見たのは母親を除いて初めてかもしれない。ずっと友達だった人と付き合うという感覚がとても変な感じがするけど、だんだん慣れてきた。そしてこの子も何人か元カレがいたわけだが、ダントツでおれのことを気に入っている(じゃあなんで今まで友達だったねん)。付き合う前は「会うのは別に月1でいいかなー」とか「LINEとかめんどくさいじゃん」といったような割とサバサバしてる、自分の芯を持ってるタイプの人間だったのに、実際となると「月1じゃ絶対無理」、「同棲したい」などと仰るのだ!でも実際今までの元カレとは月1とかで全然やってきたそうなのだがなぜかおれの場合は例外らしい。嬉しいことじゃないか!!
さらにこの前彼女の家(実家)にお邪魔したのだが、パパ、ママ、双子の姉に気に入られてしまった。というのもパパは岡山出身で上道駅(石粉)の近くにずっと住んでいたというではないか!操山中高からの慶應らしい。なんでもおれとは一年生の頃から話してみたいと思ってたらしい。岡山の話に花を咲かせてずっと岡山トークをしていた。いやパパ岡山好き過ぎでしょ!!ママもめちゃくちゃ美人でかなり天然なところがあってそこもまた面白いのだが、おれがセンスがめちゃくちゃいいというのを彼女が家族みんなに言ったせいか、最近家をリフォームしたからソファーの色や素材をおれに選んで欲しいとママは仰るのだ!いやプレッシャーすごいな!家具はご自身で選んでくださいよ!!
ちなみに双子の姉は完全にコピーロボットで瓜二つ。なんでもなかなから珍しいミラー型の双子らしい。髪型、服装が全く一緒なら頭がおかしくなりそう。ちなみにこの双子の姉の彼氏がなんと我らが稲荷くんの友人であると言うのだ(慶應NY校舎)!稲荷のインスタやらでなんか見たことある顔だとは思ったがまさかビンゴだったとは。ぜひ会ってみたいものである。
p.s.
元カノのことは若干引きづりつつあったものの、全く気にすることはなくなりました。ざまあみろといったところでしょう。ではお元気で〜。
1 note · View note
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
馴れ初めなどを書きます。
付き合う前に5回くらい出かけて、ぶっちゃけ1,2回目までは友達と出かけてる感覚で、そこまで異性としては見ていなかった(やはり顔はかわいい)。がしかし、3回目くらいから踏み込んだ話とかもし始めたせいか、お互いの壁がなくなってきて、基本的に初対面の人には素が出ずに悪い印象を与えがちな自分だが、割と素の自分が出てきていた気がする。それからその後しばらく時間が経って(年末年始の休みでわいはモロッコに行っていた)、気づいたら会いたいと思うようになってしまっていた。その後2,3回出かけて付き合うようになったと。いろんな誤解から始まったが、結果的には良かったのだろう。
彼女の方から1回目を誘ってきたわけだが、彼女的にはおれは普通に人として気になるし、ちゃんとしっかり喋ったこともなかったからとりあえず行ってみるか、くらいのスタンスだったらしい。でもその1回目でまあまあ好印象だったのと、もう少しおれのことを知りたいと思ったから2回目が催されることになった。3回目はおれと同じく彼女はおれのことを気に入ってくれていた様子。残りの数回はもう消化試合的な感じになっていた模様。
つづく
0 notes
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
ついにhere we go が出てしまった。sちゃんがFC大塚にフリーで移籍となった(契約期間は未定)。そう、付き合うことになったのだ。同大学、同級生ということもあり、どういうことになるのやら。ちょっと困惑しております。まあ何かあればここに書こうかと。
p.s.
最近チェルシーが酷すぎる。祟られている。早くお祓いに行った方が良いでしょう
3 notes · View notes
ko07300730 · 1 year
Text
Tumblr media
最近投稿頻度がめちゃくちゃ上がってるのは、ただ単に暇だからっていうのもあるけど、気づいたこと、感じたこと、思ってることをなるべく書き出して、残そうと思うから。というわけで今日も自分磨き、自己啓発っぽいことをメインに書いていく。
今日また自己啓発というか自分磨きについて語っているYouTuberがいた。その人のチャンネルを漁っていると、「失恋、きつい、乗り越え方」的な動画があった。登録者数は1万人くらいだったけど、この動画が正に自分のことのように思えて見入ってしまった。この人は2年ほど付き合っていた彼女と1週間前に別れてしまったらしい。やっぱり最初は辛くて悲しかったけど、とりあえず落ち着いたから動画を撮っているとのこと。「結局自分がザコで、自分に余裕がなくて、未熟だから別れることになった。自分を満たせないくせに他人を満たすことなどできるわけがない。でもそんなクソみたいな自分の状態に気づかせてくれた彼女には感謝しかない。これは神様からの試練なのだ。今こそ自分が変わる最高のチャンスだ。自分磨きしよう。」今の自分に当てはまりすぎてびびった。そのあとこの人も具体的な自分磨き方法(筋トレ、禁欲、瞑想、ジャーナリングなど)を語っていた。今これをスタバで書いてるけど、さっきまでジャーナリングをやっていた。思ったこと、考えたことなどをとにかく文字に起こして、頭の中を整理する。それによって、目的、目標、手段、何がしたいのかが何となくわかってくる。わからなくてもいい。何かに対して頑張ることが大事なのかなと思う。加えて今日は瞑想をして、ジムに行った。暇なのもあるけど、最近ジムのモチベーションがえぐい。ここ1,2週間走っていたからか、だんだんかつての腹筋が見えるようになってきた気がする。トレーニングを終えてシャワールームでシャワーを浴びているときに自分の顔を見ると少しだけかもしれないけど自信がついていたように見えた。気のせいかもしれない。でもめちゃくちゃポジティブになったし、ジムに行くことも全然苦じゃない。むしろこれで自分が変わって自信がつくなら全然毎日でも行く。そのくらいだ。これからも頑張っていきたい。                        
p.s.
W杯はどこが優勝すると思いますか?僕個人的には南米が来るのかと。ブラジルかアルゼンチンのどっちか。スペインは攻撃力不足。ドイツは決勝、準決勝くらいまでは行きそう(ヴェルナー師匠が怪我で欠場らしいのが悲しい)。イングランドはケインが得点を量産するも、なんだかんだベスト8あたりで止まりそう。ベルギーも予選は突破するもののすぐ敗退の予想。問題はフランス。W杯のジンクスはどうなることやら。グループリーグ敗退なのか、怪我人が多い中どうなるのでしょう。見ものです。
1 note · View note
ko07300730 · 2 years
Text
Tumblr media
数日前にボーッとTikTokを見ていたら自己啓発の塊みたいな外国人が出てきた。それを見てからハッと気がついた。
おれは浪人中は筋トレ、高タンパク食、たまにランニング、禁欲。大学に入ってからはだらけてその習慣は無くなった。彼女と付き合う前、特にコロナ禍になった瞬間の岡山では、ランニング、筋トレは欠かさずにやって、サッカー、ゴルフ、ピアノなど充実していた。彼女ができてからはだらけてその習慣は無くなった。元々ちょっとストイックではあるけど、努力することを怠っていたことに気づいた。それはフラれるはずだ。今までやってきた努力をやらなくなったのだから。それに気づいてからは行動が早かった。とりあえずすぐにランニングをした。それからそのインチキ外国人のYouTubeを見まくり、筋トレ、瞑想、食事、睡眠、読書、その他生活習慣の全てを見直した。言ってることがたまに違う外国人だけど、奮い立たせてやる気を起こす分にはとても良い。「キツい時こそやらなきゃいけないことやろうぜ」とよく言っていた。確かに昼頃起きて、ゲームして、テレビ見て、アマプラ見て、食いたいもん適当に食って、寝て、ポルノ見て、運動もせずに、ゴロゴロ。こんなクソみたいな生活をしてたらそりゃクソな人間になるなと思った。最近別れたから良い機会だと思って、見返すまではいかないにしても少しずつだけど頑張って自分を磨いていこうと思う。
1 note · View note
ko07300730 · 2 years
Text
Tumblr media
別れてから3週間ほど経った。少しずつだけど気持ちが落ち着いてきた。が、昨日、某旅行系?YouTuberに会ったおかげなのかせいなのか、また色々と話してしまい忘れかけていたものがちょっとぶり返してきて少し気が沈んでいる。ただ、別れた話をした人達は 「絶対後悔するよね、こんな良い人と別れちゃったら」 とみんな口をそろえて言ってくれるのだ。実際自分でも割と良い人間だとは思っている(笑)が、"周りにいる人は自分の鏡"と言うように、他人に言われているくらいだから、そうなんだろうと勝手に解釈している。
社会人と学生が付き合うのはやはり難しい。相手がはじめての彼氏で恋愛経験がなかった。タイミングが悪かった。という風にまとめておく。
ちょうど試験終わりの休みで暇になってしまった瞬間に別れたからクソ暇なのである。やはり全てはタイミング。
最近は西くんと古着を見に行ったり、コーヒーを飲んで話したり、足を出している女の子を見て「おおー」と言ったり、服について話したり、恋愛について語ったり、、、
時間が解決してくれるが、そんなすぐには無理がある。新しい恋をしようという方法もあるが、まあそこの話はまた今度しましょう。
写真は最近買った本の好きな箇所を載せました。(20代で得た知見 より)
1 note · View note
ko07300730 · 2 years
Text
Tumblr media
今日10月2日彼女と別れた。経緯を説明すると、この1ヶ月程の間おれが勉強で忙しくてなかなか会えてなかったわけだが、別におれがいなくても何も生活に変化はなく、特に何も感じなかったようだ。嫌いになったとか、新しい人ができたとか全くそういうことではなく、でもこのままただ付き合うのは違うのかなということで別れることになった。円満な別れ方といえば円満なのだが、まあ普通に悲しい。彼女の家から自分の荷物を片付けたりして、いろんな思い出が頭をよぎる。なんだかんだで1年10ヶ月くらい付き合っていたのか。こういう時は何をするにしてもやる気が起きない。ただボーッとしているだけになる。時間が解決してくれるであろうことを願うばかりだ。
1 note · View note