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daiichinichiyou · 5 years
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2019.05.11 岸 政彦『マンゴーと手榴弾 ―生活史の理論―』
岸 政彦 著 『マンゴーと手榴弾 ―生活史の理論―』(けいそうブックス、2018年)
*筆記役が、「受験勉強」という個人的な事情で、勉強会の議事録の掲載を放り投げておりましたが、勉強会自体の活動は、ずっとつづいております。これからはTwitterと並行しつつ、今後も「ゆるさ」を大切に、気になる本について、はなしていきたいとおもいます。
今回は、岸 政彦『マンゴーと手榴弾 ―生活史の理論―』を読みました。話し言葉を書き言葉にするときに生じる違和感やむずかしさは、わりと想像しやすいもの、あるいは、近しい問題としてとらえられるものです。そこからどのように考えるか、つまり、著者が提示するあらたな方法を、各人が受け入れられるものなのか、行なえるものなのかどうか、意見がわかれました。
今回の本は、よくもわるくも「社会学者」のイメージを変えるものだった。
谷富夫が沖縄人への差別がなかったとは一言も言っていないことには注意しなければならない。しかし谷は、沖縄の人びとが語ったUターンの「理由の語り」を、そのままUターンの「理由」として再記述している。そして、「差別されたから帰ったのではなく、故郷の共同体に帰りたくなったから、帰ったのだ」という語りを、そのまま理由として「鉤括弧を外して」採用するということは、少なくとも、「理由となるような差別は存在しなかった」ということと、広い意味においては同義である。(岸 政彦「鉤括弧を外すこと――ポスト構築主義社会学の方法」p. 77)
しかし、鉤括弧を暴力的に外すことを回避するために、鉤括弧を外すことそのものを禁止するよりも、私たちは私たち自身の理論や解釈にその場で変更を加え、対話の相手の合理性や信念の正しさを保持することもできるはずである。ここで問われているのは、「他者への配慮」を保持して相手の尊厳や合理性を尊重しながら、どうしたら私たち社会学者が地の文で何かについて書くことができるのか、ということである。(同上 、p. 106)
理由のないところに理由を見つけることが社会学の仕事のひとつであるなら、人びとの合理性をもういちど記述するために、その人びとがどういう存在で、どういう状態にあるのかを、私たちは書かなければならない。そしてそのためには、語りと実在とのつながりを取り戻し、語りから鉤括弧を外す必要がある。[改行]したがって私たちは、もういちど「社会について書く」ために、量的・質的データから事実に到達する際の「さまざまなやり方」を考えなければならない。私たちは、実在について語るだけでなく、実在について「正しく」語ることが必要である。そういう「さまざまなやり方」としての方法論を、なんとか考えださなければならないのだ。このことは、どうしたら可能になるだろうか。(同上、p. 112)
私たちにできることはただ、特定のケースについての事実を蓄積していくことと、それを公の場で討議していくということしかない。この問題については改めて議論したい。(同上、p. 113)
社会学者はいままでは、『鉤括弧「」をつける人』というイメージがあった。
岸さんによる「語り」は、まるで小説や戯曲のようにも感じた。
そこには、厳密な記号による臨場感の演出(たとえば、声を荒げて、静かな口調で、など)は、ない。
それは学問領域が違うからだろうか?
語り方について
お喋りや語りなど、口伝のものは、文字に起こしたときに伝わりにくいものになったり、あるいは、そこで伝えきれないものが生じたりする。
けれども、たとえば口癖や間のようなもの(なんか、ちょっと、…など)は、すべて書き起こされると、逆に読みにくいものができる。
すべてを書き起こすことは、その語りを再現することから遠ざかってしまう。
文字に書かれる場合は、恣意的に省かれているものがあるのではないか。
論の着地点は?
岸さんはなんのために語っているのだろう?
それにたいして以下の3つの考え方ができる。
①社会の常識と、実際の語りの現実とが、一致しているのかを調査している。
②語りのまわりにある諸問題から、別の解答として、あらたな調査法を定義している。
③著者自身の個人史を作成しているという意識を反映させている。
語りへの配慮について
「配慮」とはどのような意味を指しているのだろうか。
しかし、この配慮が、まず枠組と実在の二分法、あるいは語りと社会の二分法と結びつき、「仝面的な翻訳の失敗」として社会学が捉えられるとき、私たちはどの語りからも鉤括弧を外すことができなくなり、結果的に私たちは何かの対象について何も語れなくなってしまうという、非常に奇妙なことが起こるのである。(同上、p. 108)
「配慮」とは、語り手本人や当事者に言えるかどうかの話だろうか?
語りをどう扱うかという、語りにたいする誠実さという問題だろうか?
不合理なことを、敢えて書き言葉にして記すのは本来むずかしい。
だが、すでに多くのものによって何度も指摘されている通り、他者の合理性は、それほど簡単に理解し、再記述できるわけではない。人びとの、そして私たちの行為や動機は、非合理性に満ちている。この場合の「合理的でないこと」は、広い意味での利益や有用性と矛盾する、ということである。(同上、p.67)
物事にたいして客観性=信頼性があるものかどうか、支持される理由にはその客観性が要求される。しかし「配慮」とは少し異なる問題である。
(たとえば、語り手にとって不快などといった)感情に響くのは、どのような調査方法であるかよりも、書き方による。そのため、どのような手法でおこなわれても、結論がどうであっても、それはよいものになりうるのではないか。
デイヴィッドソン「寛容の原則」とは
途中、デイヴィッドソンの「寛容の原則」が出てくるが、それはどういう意味だろうか。
ここで、その再解釈は、コミュニケーションの相手がだいたいにおいて正しいことを発話している、という前提に基づいている。この前提のことを、デイヴィドソンは「寛容の原則」と呼んでいる(同上、p. 94)
原則として私たちは、対話の相手がおおまかに正しく合理的であることを想定しなければならない。この原則が寛容の原則である。(同上、pp. 104-105)
他者認識の構造にかんする理論であり、それぞれの人が、それぞれの語りを、それぞれ現実に即して発言しているという見解である。
「世界と切り離す」とは
ここで言われる「世界」とはなんだろうか。
私たちは、語りを聞き取る現場に居合わせることで、多くの場所にまたがる、長い時間のかかるプロセスのなかに、必然的に巻き込まれる。そしてそのような社会関係のなかでは、私たちはその語りを、私たちの好きなように自由に受け取ったり捨てたり、解釈したり忘却したりすることはできない。まして私たちは、聞き取った語りを、それが語っている世界と切り離すことはできない。しかし私たちは、しばしばそれをおこなってしまう。特に、大雑把に構築主義とかポストモダニズムとよばれる思想において、そういうことがよく主張されている。(「マンゴーと手榴弾」p. 37)
この本の語り自体が、岸さんの個人史としての「世界」とはならないのだろうか?
ここでは、語られたことを翻訳不可能ものとして神聖視するべきであって、語られたことから新たに語り直すことをしてはいけないと言っているのでは。
つまり語りを翻訳不可能にすること。
語り=調査史自体のことでは。
「私たちは語りを、ただ語っているのである」とは?
しかし私たちは、語り「によって」何かをおこなっている(たとえば、「現実を構築している」)のではない(そのような解釈も常に可能だが、そこには常にある種の「切断」がともなう)。私たちは語りを、ただ語っているのである。(同上、p. 37)
調査史自体が語っていることであるという、ポストモダンにたいする反論では。
つまり、形式自体が内容であることを、「語り」に適応するのはむずかしいため、「語り」を語るために使うのではなく、「語り」をそのまま使いたいという著者の主張なのではないか。
*以上のほかにも、「語り」がどこからはじまるのかを取り上げている部分もあり、それも含めて、とても興味深い内容でした。今後さらに、岸さん以外にも社会学関係の本を読んで比較してみたいという意見がでました。
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daiichinichiyou · 6 years
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2018年11月17日(土)13時から
第8回の勉強会は、スーザン・ソンタグ「反解釈」「様式について」がテーマです。 開催は2018年11月17日午後1時から4時頃まで、場所は京都市立芸術大学の芸術資源研究センターを予定しています。
. 【課題図書】 スーザン・ソンタグ 著 , 高橋 康也 翻訳『反解釈』ちくま学芸文庫、1996 .
こちらの文章を読んできて、お話する場にしましょう。 .
提案者によるコメント
“「反解釈」には以下のような文があり、現代の批評を考える上でも興味深いです。 「批評の機能は、作品がいかにしてそのものであるかを、いや作品がまさにそのものであることを、明らかにすることであって、作品が何を意味しているかを示すことではない。」(「反解釈, p. 34」) 収録されている「《キャンプ》についてのノート」もおすすめです。"
. ご興味あられる方は、どなたでもぜひご参加ください。 また、次回は2018年12月中旬の開催を予定しています。
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daiichinichiyou · 6 years
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2018年10月13日(土)13時から
第7回の勉強会は、ポール・ヴァレリー「精神の危機」「ムッシュー・テスト」がテーマです。 開催は2018年10月13日午後1時から4時頃まで、場所は京都市立芸術大学の芸術資源研究センターを予定しています。
.
【課題図書】

ポール・ヴァレリー「精神の危機」『精神の危機 他15篇』岩波書店、2010、p.7-53 ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テスト』岩波書店、2004 こちらの文章を読んできて、お話する場にしましょう。 提案者・佐々木愛によるコメント “20世紀フランスの知性、ポール・ヴァレリー。 課題図書は『必読書150』(太田出版、2002)のうちのひとつ「精神の危機」と、生涯をかけた連作小説「ムッシュー・テスト」です。「精神とはなにか」が読みとく手がかりのひとつだといわれています。”
ご興味あられる方は、どなたでもぜひご参加ください。 また、次回は2018年11月17日の開催を予定しています。
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daiichinichiyou · 6 years
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2018年8月4日13時から
第5回の勉強会は、W.ベンヤミン「技術的複製可能性の時代の芸術作品[第3稿]」がテーマです。
開催は2018年8月4日午後1時から3時頃まで、場所は非公開で行います。参加希望の方は場所についてお声掛けくださると幸いです。
【課題図書】 W.ベンヤミン「技術的複製可能性の時代の芸術作品[第3稿]」『ベンヤミン・アンソロジー』河出文庫、2011、p.295-358
こちらの文章を読んできて、お話する場にしましょう。
ご興味あられる方は、どなたでもぜひご参加ください。
また、次回は2018年9月初旬の開催を予定しています。
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daiichinichiyou · 6 years
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2018年5,6月 勉強会レポート
第2,3回のレポートを掲載いたします。
また、こちらのURLからはpdf版がご覧いただけます。(https://drive.google.com/drive/folders/1zHGqYc0g9tRYzjvpaOvR8h0NYnUqXKyw?usp=sharing)
なお、第1回の富岡鉄斎のレポートが、あるデバイスではうまく表示されなかったようです。これに関しては、余力があれば今後修正する予定です。ご不便をおかけしますがご了承下さい。
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勉強会 視点から読み解く近現代の美術
*この文章は、勉強会で話し合ったことをもとに、さらに話を展開させて書いたものです。勉強会の対話をそのまま書き起こしたものではありません。
前回の富岡鉄斎からは一転して、今回は近代から現代にかけてのテキスト、古谷 利裕さんの「「幽体離脱の芸術論」への助走—メディウムスペシフィックではないフォーマリズムへ向けて— (http://ekrits.jp/2018/03/2515/)」を扱いました。このテキストでは、視点という切り口から芸術を読み解いています。絵画における地の多重化、袋詰め的な入れ子構造、食人文化、幽体離脱といった個々の具体的な事例がたいへん魅力的です。一度、5月に話し合いをおこないましたが、論の展開や背景をより深く知るために、なにか事例を持ってくるという課題を設け、もう一度6月に話し合う時間を設けました。そこで話し合ったことをもとに、事後考えたことを含めて、ここでは書いていきたいと思います。
1.テキストの大まかな流れ
話し合いの内容にふれる前に一度、ここでテキストの大きな解釈を試みたいと思います。まず提示されるのはミニマリズムの実践です。1960年代ごろ、アメリカ芸術の方向性として、図と地の関係が絵画のなかで終始するものではなく、観客をも地=背景に含めるような拡張された意味が見出されました。図と地というのは、対象を捉えるとき、背景となるのが地で、浮かび上がって見えてくるものを図といいますが、絵画においてはそれにさらに意味が加わります。マティスの《ブルーヌード》(参照 https://www.henrimatisse.org/nu-bleu.jsp)が、図が定まると地が自然に定まることを示しているように、地である周りの環境(会場や観客)によって、図となる作品が決定されるという、いわば作品が揺れ動くかのような状況をドナルド・ジャッド(参照 https://www.tate.org.uk/art/artists/donald-judd-1378)は創り出したといえます。しかしながら、その理論とは別に、絵画の実践には地の多重構造を示すものもある。それが、たとえばマティスの《赤い部屋》(参照 http://www.henri-matisse.net/paintings/bba.html)に見られるような、すべてが同一平面上に描かれることで、手前奥の判断が複雑化する構造であるといえます。この試みにこそ、現代的な側面を見出すことができると筆者である古谷さんは考えます。
図と地といったいわば二項対立の関係性ではなく、たとえば「知覚」といったそれらを包括する概念を持ち出すことで、「図と知覚」、「地と知覚」、「図と地」、これら三者の関係を入れ替えて考えることができます。そうすることで、「作品を図とし、観客を地として考える」といった図と地の解釈の拡大のみならず、「地が複数存在していることを知覚させる」といったさらなるアイデアが生まれる可能性が示されます。
筆者はここから知覚の主体である「わたし」の視点について、さらなる考察を加えています。すなわち、「わたし→対象」という一方向性の視点に疑問を投げかけます。小説において、他者や世界から見られる主人公の描写がなされるとき、なにか一人称の語りを包括するような、さらに大きな視点を読者は感じ取ることができます。現実においてもそのような感覚に襲われることがあります。人間を特別視しない文化では、ある意味、動物といった別のいのちを食べる行為は、すべての生き物に存在するいのちを食べるという意味において、共食いだとも考えられるでしょう。これは、さらに大きな視点から見ているために生じる考え方といえます。
この①「大きな視点」と②自分の一人称的な視点と、③自分が見る「対象の景色」——つまり複数の視点が同時に感じられること——は、空間認知に関係していて、科学的にも体験可能だということが幽体離脱の経験から示されます。また芸術作品においても、それを観客に体験させることが可能であると筆者は考えます。そこには、同時代に生きる人々に訴える必要があるために、その社会の考察は不可欠です。このような細やかな考察によって、それを可能にすることが目指すべき方向であるとここでは語られています。
2. 話し合いでの解釈
このテキストをもとに、話し合いでは持ち寄った事例と合わせて解釈を試みました。まず注目したのは、図と地の入れ子構造、すなわち地が複数あることを示唆するものについてです。これは、たとえば、1945年頃、フォートリエは断片化した人体として特に人体の頭部を描きました(参照 https://frieze.com/article/jean-fautrier)。これはキュビスムの実践[対象を複数の視点で捉えること]によって、断片的な対象の描写が見られることから発展したものといえますが、フォートリエに特徴的なことは、この断片化した人体が戦争の悲惨さと合わさり、時代の精神を投影するものとして高く評価されたことだといえます。この事例から考えると、作品の達成にはその時代や社会状況に関係しているといえます。テキストの終わりに述べられる「気持ち悪さ」とは、同時代のリアリティの表現とも言い換えることができるのではないでしょうか。
しかし、このわかりやすさ=手応えが、ある抜き差しならない気持ち悪さとして立ち現れる時、この「気持ち悪さ」そのものに立ち会うこと、それ自体が知性だと言うべきなのではないでしょうか。
では、リアリティや同時代性とはどのようなものなのでしょうか。いろいろ考えられますが、そのなかの要素の一つには、解像度の高さがあげられるといえます。つまり、もはや質の悪いメディア[媒体]では通用しない、そのような時代に私たちは生きている。
まさにこれが幽体離脱における「世界視点」ではないかというもの、その事例として、「Tasty Japan」(https://www.youtube.com/channel/UCilGprjH_UBgR5vLVXPff3Q)の料理動画があがりました。従来の料理番組とは違い、料理の過程を直上の視点から捉えていることが特徴的です。ここには、料理をしている主体が見る視点と、それとはわずかに異なる普段料理をしている実際の視界の記憶とが、潜在的にではありますが、同時にとどまっている状況が作り出されているといえます。また、逆に自分がそこにいるとは考えられない視野だと感じるものには、たとえば、映像のなかの人物がこちらを凝視してくるものがあげられます(たとえば80年代のPVなどに見られる)。まるで映像のなかの人物がこちらに気づいているように感じると、そのカメラの視点を自分の視点として捉えようとすることができなくなります。
このように、視点における事例を確認したうえで、同時代性における「気持ち悪さ」とはなにかについて、もう少し考察してみます。奇しくも、隣の小ギャラリーでは澤 あも愛紅さんの個展(http://www.kyogei-ob.jp/kgg/?p=6613)がおこなわれていました。絵画が宙に浮かぶように展示されており、会場自体に安定しない空間性が感じられます。また、急な角度であがっていく地面の描写は、自分の足場が揺らぐような感覚を与えるものでした。
韓国・ソウルを拠点とするアーティスト・ユニット、Part-time Suite(パート・タイム・スーツ、2009年-)(http://www.parttimesuite.org/)の作品には、都市の風景に別のイメージが導入され、ジャギーやグリッジといった手法を想起させます。それらにおいて気持ち悪さとは、自分の足下が揺らぐような空間の表現のみならず、安定した視覚を疑うような不安定さにも見出されます。また、扱っている内容は、日常生活や記憶から忘れ去られようとしているものに焦点をあてているように感じられます。
自国の歴史や国民性に着目してみましょう。アーティストは話題の提供のために国民的モチーフを扱うのではありません。むしろ、それが見てきた現実であり、日常であるから、イメージに立ち現れるのだといえます。
最新のファッションのコレクション(たとえば、GUCCI https://www.fashion-press.net/collections/brand/56)では、イメージソースをつなぎ合わせているような表現が見られます。まるで文化融合を表しているかのようです。これを産業的な戦略として見ることもできますが、そうならざるをえない今日の状況を表しているとも考えられます。たとえば、家庭、学校、会社、地域、そしてインターネット上の自分といった複数の自己をつくり演じていく生活は、いわば多重人格化の一面と捉えることもできるでしょう。自分がここにもいるし、あそこにもいる。かつて録音した声や写真に写る自分の姿に違和感を覚えたような感覚がなくなり、今では、別の角度から捉えられた自分の投影が複数あることに慣れてしまう状況があるといえます。このような時代に求められる表現は、おのずと複数の視点を取り入れるようなものになってくると考えられます。
3. 話し合い後の考察
ここからは話し合いから発展させて、個人的な考えではありますが、もう少し別の観点についても書いていきたいと思います。これまで取り上げてきたように、現実の不安定性を明らかにする多視点的な体験を目指す作品がある一方で、分散した個人を一人の個人として集中させていくような、いわば逆の方向もまた芸術が目指す方向としてあると私は考えます。形式主義の追求は、考えすぎだとは思いますが、1940年代の抽象表現主義の作家たちを思い起こさせます。つまり、苦しい社会状況のなかで自由を追求するために、芸術家一人の人生を捧げることを余儀なくされる、芸術と社会の関係性。それとは別に、たとえばマリーナ・アブラモヴィッチの観客一人ひとりと対面する作品(参照 https://www.ted.com/talks/marina_abramovic_an_art_made_of_trust_vulnerability_and_connection?language=ja)は、作家と人々との関わり方がまた異なる印象を受けます。つまり、個人としての一人をはっきりと認識させるような作品であることは、作家と観客の新しい関係性の提示と考えられるのではないでしょうか。
もちろん異なる方向性の作品というのは、数え切れないほど存在します。しかしながら、ある一定の枠組み(時代やジャンル)を超えて言及することが、より開放的なアイデアにつながるとは考えられないでしょうか。このように考えると、別の事例の提示によってさらに開放的な着想につながるという期待が、今回のテキストに示されていると感じられます。ある一つの事柄(視点)を設けて、ジャンルを超えて論じていく魅力的な展開こそ、このテキストの最大の強みだといえるのです。
*参考図書など
「偽日記@はてな」 (http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/)今回のテキストの著者、古谷利裕さんのブログ。たいていの美術用語は検索にかけて出てきます。
「Lexicon 現代人類学」(奥野克巳・石倉敏明 編、以文社、2018年)パースぺクティヴィズムなど用語の説明がとてもわかりやすく書かれています。
今回の勉強会の参加者は、岡本、大槻、豊増、佐々木、そして、雁木 聡(かりき さとし)さんが来てくださいました!とくに海外のアーティストについてお知恵をいただきました。この場をかりてお礼申し上げます。
2018年7月14日
(執筆者 佐々木愛)
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daiichinichiyou · 6 years
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2018年7月14日午後1時から
第4回の勉強会は、《アンビリーバブル号の財宝》(2017 82分)を視聴します。 開催は2018年7月14日午後1時から4時に、場所は京都市立芸術大学の芸術資源研究センターを予定しています。
《アンビリーバブル号の財宝》は現代芸術家ダミアン・ハースト(1965-)が2017年に開催した展示、Treasures from the Wreck of the Unbelievable 展が題材になっています。
https://www.netflix.com/jp/title/80217857 ダミアン・ハーストについては、事前に各々リサーチし、映像を鑑賞できたら幸いです。
【第3回の勉強会で出た推薦書】 『美術手帖』2012年07月号 ー特集 ダミアン・ハースト 

ご興味あられる方は、どなたでもぜひご参加ください。 また、次回は2018年8月初旬の開催を予定しています。
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daiichinichiyou · 6 years
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2018年6月9日午後1時から
第3回の勉強会は、引き続き、"「幽体離脱の芸術論」への助走"がテーマです。開催は2018年6月9日午後1時から4時に、場所は京都市立芸術大学の芸術資源研究センターを予定しています。 “「幽体離脱の芸術論」への助走 メディウムスペシフィックではないフォーマリズムへ向けて” の特に4章以降に注目し、筆者の論に自分が該当すると思うもの(美術作品以外も可)を持ち込み、何故そう考えるに至ったかについて話し合う予定です。 本論は様々な分野の論を引用しながら展開しています。読者側も実例を挙げることで、更に論の理解を深めようとする試みです。
【課題図書】 「幽体離脱の芸術論」への助走 http://ekrits.jp/2018/03/2515/#c3s4 こちらの論文を読んできて、お話する場にしましょう。ご興味あられる方は、どなたでもぜひご参加ください。 今回は読んでいない方にも本論と例にあげる作品がどのように繋がるか、内容が伝わるように各自準備する予定ですので、オーディエンスとして参加していただけると幸いです。
また、次回は2018年7月初旬の開催を予定しています。
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daiichinichiyou · 6 years
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『中国近代絵画と日本 : 特別展覧会』京都国立博物館,2012年
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参考論文:呉孟晋 『中国絵画の近代化と日本——筆墨と美術のあいだで』
近代中国絵画の大きな流れ 「国画」と「洋画」
1. 国画(伝統的な水墨表現に新意を加える)
・呉昌碩(ごしょうせき、1844-1927)
・斉白石(せいはくせき、1863-1957)
・高剣父(こうけんぶ、1879-1951)
・黄賓虹(こうひんこう、1865-1955)
・張大千(ちょうたいせん、1899-1983)
2.西欧のアカデミズムを吸収した洋画
・徐悲鴻(じょひこう、1885-1953)
・劉海粟(りゅうかいぞく、1896-1994)
大都市による流派のちがい 「海上派」「嶺南画派」「京派」
1.国際化した上海で好まれた海上派(海派)
・虚谷(きょこく、1824-1896)作品はこちら
・任伯年(じんはくねん、1840-1896)作品はこちら
・胡公寿(ここうじゅ、1823-1886)作品はこちら
・呉昌碩(ごしょうせき、1844-1927)作品はこちら
*呉昌碩(ごしょうせき)は金石画派の趙之謙(ちょうしけん、1829-1884)の継承者であるだけでなく、任伯年(じんはくねん、1840-1896)にも師事し、両者の画風を取り込み、この時期を代表する画家となる。
2.広州を拠点とする嶺南画派
・高剣父(こうけんぶ、1879-1951)作品はこちら
・高奇峰(こうきほう、1889-1933)作品はこちら
・陳樹人(ちんじゅじん、1884-1948)作品はこちら
*彼らは、隣国日本の、竹内栖鳳(たけうちせいほう、1864-1942)、山本春挙(やまもとしゅんきょ、1871-1933)らの作品を模倣、創造して新しい国画をつくる。
3.北京を中心とした京派(けいは)
・陳師曾(ちんしそ、1876-1923)作品はこちら 山水画・軸・弟子の斉白石と
・姚華(ようか、1876-1930)作品はこちら
従来の文人画を再評価
古画学習を積極的におこなう
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大きくまとめると…
近代中国絵画の特徴
・複数の大都市を中心に展開
・新興の美術学校や絵画団体に支えられる
海派と京派
・新興商人層の購買力とその嗜好に支えられた南都上海
・清朝の故都にして北京大学を抱える文教都市であった北京
*上海の呉昌碩(ごしょうせき)作品はこちら(墨の色が艶やか!!)
*北京の斉白石(せいはくせき)作品はこちら(09:05からがおすすめ)(ゆるっとしてる!!)
(どっちも筆づかいが見事!)
地域ごとの特徴
1.上海
中国初の本格的な美術学校:上海美術専科学校
・張聿光(ちょういっこう、1885-1966)
・劉海粟(りゅうかいぞく、1896-1994)
・黄賓虹(こうひんこう、1865-1955)
・謝公展(しゃこうてん、1885-1940)
・王済遠(おうさいえん、1893-1975)
らが教鞭を執る。
黄賓虹(こうひんこう、1865-1955)らは、
中国最大の国画団体である中国画会を結成。
2.北京
金城や陳師曾(ちんしそ、1876-1923)ら中国画学研究会による理論研究が盛んであった。
国立北京美術専門学校
・姚華(ようか、1876-1930)
・溥儒(ふじゅ、1896-1963)
らが指導。
国画改革の拠点になる。
*陳師曾(ちんしそ、1876-1923)
→斉白石(せいはくせき、1864-1957)を見出す。
→弟子、雪庵瑞光(せつあんずいこう、1878-1932)、王雲(おううん、1887-1938)を育てる。
しだいに「油画」(日本における洋画)も増えていく。
・徐悲鴻(じょひこう、1885-1953))作品はこちら
・劉海粟(りゅうかいぞく、1896-1994)作品はこちら
なお、彼らは国画も描いた(例外は陳抱一のみ)。
参考図書
『中国近代絵画と日本』京都国立博物館、2012年
 展示の詳細はこちら①
 展示の詳細はこちら②(文化庁のサイト)
『「中国の洋風画」展』町田市立国際版画美術館、1995年
『現代の中国絵画』笠岡市立竹喬美術館、2010年
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daiichinichiyou · 6 years
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第1回 勉強会れぽ 2018年3月31日
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  (会場となった京都市立芸術大学 芸術資料研究センター)
毎月第1日曜日(もしくは土曜日)に京都市立芸術大学で開催する、勉強会。みんなで「ものしり」になることを目標に、ゆるっとおこなっています。
今回のれぽ担当者は佐々木です。(出席者:岡本、大槻、豊増、西原、佐々木)
——テーマについて
第1回目は「富岡鉄斎」がテーマでした。
2月の作品展で主催の岡本さんの作品を見て、橋本関雪や富岡鉄斎がおもしろいのではないかと教えてくださった方がいらっしゃったことがきっかけとなり、今回の勉強会の開催にいたりました。
富岡鉄斎(とみおかてっさい、1837-1924年)について、簡単に説明します。
『日本美術館』(小学館、1997年)を参照すると、 「新しい概念や制度から距離を保ちつづけた最後の文人」 と書かれています。
鉄斎の作品についてはこちら
近代の絵画では南画・文人画はあまり好まれず、制度的にも冷遇されるようになりました。
そのような時代のなかで、鉄斎は「詩書画三絶(漢詩、書、画、いずれも超絶していること)」の書画を描き、美術団体からは距離を置いて、徳を高める生活をおくっていました。
鉄斎は西洋のセザンヌに匹敵するほどの役割を果たした最後の文人画家であったそうです!
——課題図書について
さて、今回の課題図書は、戦暁梅『富岡鉄斎の画風についての思想的、藝術的考察 : 鉄斎画の賛文研究を通じて』です。
戦暁梅『富岡鉄斎の画風についての思想的、藝術的考察 : 鉄斎画の賛文研究を通じて』
鉄斎に関する文献は多くありますが、この本は鉄斎の絵画論に注目しているのが特徴的です。
作品の画と賛文とを分けて論じてきたこれまでの研究に対して、鉄斎の「自分の絵を見るときは、まず賛文を読んでくれ」という発言をとりあげて、画と賛文をともに読み解く試みがなされています。
第一章では、文人画家である鉄斎の生涯とその陽明学の思想が整理されており、鉄斎の性格や生き方が読み取ることができます。
第二章からは具体的な作品をとりあげて、画題と賛文の関係を探っています。
ところどころに日本と中国の文人画の紹介があり、興味を広げやすいテキストでした。
——文人画について
文人の余技として芽生えた文人画は、北宗と南宗とで系譜が分かれていきます。
詳細にいうと、まず、山水画には清時代まで大きく二つの流派がありました。 華北系・李郭(りかく)派と江南系・董巨(とうきょ)派です。 江南系・董巨(とうきょ)派から生じた文人画は、明中期から盛んになります。 さらに明末期に董其昌(とうきしょう)が南宗を高く評価したことがきっかけとなり、北宗=職業画家に連なる系譜、南宗=文人画家(董源・巨然から元末四大家)に連なる系譜という図式ができます。 元末四大家の作品はこちら
これらが日本に伝わり、日本では「南画」として発展します。
日本文人画としては富岡鉄斎が最後の巨匠となり、その後は南画においては伝統技法が継承されてきたようです。
——鉄斎の評価について
海外での評価について、まず、鉄斎はアメリカ、ヨーロッパどちらで先に評価されたのでしょうか。
1957年に開催された「アメリカの鉄斎展」では、 批評家が鉄斎と「抽象的表現主義」との関係性を示しています。
以下、引用  そして最近日本から帰ってきたメトロポリタン美術館極東美術部長のアラン・プリーストの言によれば、「鐡斎の美術史的位置がセザンヌのそれに相応することは、日本人も西洋人もともに認めるところである。 ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の美術批評家、エミリー・ヂェナウァー——『東洋の藝術家の古典的理念であるところの「典雅なる精神の表現」が、鐡斎の真骨頂で、しかも、鐡斎の精神は、典雅なるのみならず、陽気で愉快であり、そこに鐡斎の魅力がある。』更に、ヂェナウァーは、三人の賢者が同じ舟に乗っている「聖者舟遊図」や、儒・道・佛の三宗教の代表者を示した面白い「三老吸酢図」を例にとって、鐡斎の魅力の根拠としての「フモール」について述べた。 ニューヨーク・タイムズ紙美術批評家のハワード・デヴリー——『鐡斎展について言えば、遠い中国絵画の伝統の趣を留めながらも、その個性と熱情との力により、例えば風景画に於けるボカシの仕方など、今日の表現主義的手法に近い感がある。いや、あちこちにフォーヴ的筆致もある。色彩は豊富ではないが、有効にアクセントを与え、空間処理と本質的に抽象的な形体の把握とは驚くべき完璧度に達している。タイム誌は『聖者周遊図』を掲げ、『鐡斎の作品は、日本画の精緻優雅な伝統から、大胆にも抜けだして、荒々しくも衝動的な筆遣いを用い、もはや東洋的といわんよりは西洋的な感じを起こさせる。…その筆力のほとばしる所、今日西洋で「抽象的表現主義」と呼ばれている、あの近代絵画の原型を、誇らかに示すのである』* (本文、7頁より) (*は レスリ・J・ポートナー氏「アメリカの鐡斎展」『藝術新潮』第8巻第7号、1957年7月より)
1957年ごろといえば、ウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning, 1904-1997年)の『女』シリーズがすでに発表されていた時期です。
たしかに鉄斎の晩年の力強い筆跡には、共通点が見られるかもしれません。
一方、鉄斎の画風からの繋がりで考えると、 アンドレ・ドラン(Andre Derain, 1880-1954年)に代表されるような フォーヴィスムを連想することもできます。
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  (勉強会の様子) 具体的なものを立体物として写実的に描くのではなく、 むしろ光との関係といった見え方の本質を捉えた表現を追求した点に、 鉄斎との類似性があるのではないかと考えました。
日本においては、岡本太郎をはじめとする画家たちに一定の評価を得ている点も鉄斎の高評価の理由です。
——鉄斎の人間性について
第一章では鉄斎と陽明学との関係がくわしく述べられています。
陽明学は朱子学から発展したものですが、より人間の心や情を重視しました。
王陽明は、あるべき姿である「理」と、人間的な「心」は相反するものではなく、むしろ、人間的な「心」こそ規範となるべきであると説きます。
人間の直感感覚を肯定しており、人間の情の側面を重視する態度がみられます。
もともと鉄斎は「石門心学」という学問を学んでいたのですが、 その思想は、人間の本質に関わる部分においては陽明学ととても似ていました。
そのため、鉄斎は若い頃に陽明学に傾倒します。
鉄斎は生涯において「言行一致」「知行合一」を追求しました。
さまざまな相反するような思想をも自身のなかに取り入れ、吸収していく器の大きい性格だったことがうかがえます。
社会活動に熱心で国粋主義的な一面もあったことは、自由な制作活動を展開する鉄斎のイメージとはまたちがった印象を受けます。
もちろん、時代の波があり、作風も年代に沿って変化していく様子がみられます。
余談ですが、年齢による作風の変化というものはやはりあって、花鳥画のように繊細な絵になると、年をとるにつれて描きにくくなると一般的に言われています。
禅の作品などに共通して見られるゆるやかな曲線などは、年齢を重ねた身体の変化によるものでもあったのだろうかと考えさせられます。
——セザンヌとの比較
さきほど、新印象主義との関連性を述べましたが、テキストでは鉄斎とセザンヌとの関係性について、「輪郭を無くした混沌味」と「鮮やかな色彩」が共通点としてあげられています。(本文、8頁)
「輪郭を無くした混沌味」とは、たとえば作品《浮島原晴景》において、境界線は明示されず、色彩の明度によって対象の立体感を表しているが、その境界はぼかされ、細部は見えなくなり、全体の統一感が重視される様子と言うことができるでしょうか。
とはいえ、鉄斎の作品では部分のモチーフがある程度確認できるため、平面性が見られる点において、セザンヌのとの類似性が指摘できます。
また、鉄斎の作品においては、細かな線によってびっしりと画面が埋め尽くされるように描かれていることも特徴的です。
——《三聖吸酢図》(50代)について
さて、第二章からは、具体的に画と賛文を同時に見ることで、作品の解釈をおこなっています。
気になったのは、鉄斎50代のころの作品《三聖吸酢図》についての部分。(本文、41,42頁)
この「三聖吸酢図」の画題は鉄斎が40代から80代にいたるまで描きつづけたものでした。
三聖とは、道教の黄山谷、儒教の蘇東坡、仏教の佛印のことです。
佛印が訪れた黄山谷と蘇東坡に、上等な桃花酸(お酢)を差し出し、味見しようと誘います。
そのとき3人がそのお酢を味見して、3人ともそのお酢によって眉をしかめたことから、三教の説くところは異なるけれども、起源は同じだということを意味します。
賛文には以下のような意味が書かれています。
老子は、好んで清らかにして虚しきものを談じ、釈迦は専ら舎利を説く。孔子がこれを聞いて笑いこけている。(本文、41頁)
これまでの指摘では、「三聖吸酢図」についての内容ではないため、画と賛文が一致しないと考えられてきました。
ここで、筆者は画に注目し、「三聖吸酢図」ではありつつも、そのなかでも桃花酸(お酢)に興味を示している場面を描いているとし、 そのため、一見賛文は異なる内容を書いているようには思えるが、好奇心や面白みといった内容から考えると、同じことを追求していると述べます。
この面白みというのは難しく、主観的な意見であり、話し合いでは完全には納得できなかった部分です。
もともと画賛は画家本人ではなく、別の人が書くものでした。画と賛文の関係も興味が尽きない題材です。
——広がりとして
話し合いの結果、持ち帰って、 今後調べていくことになったのは以下の2つです。
①文人画 テキスト中には、中国文人画の「京派」「海上派」「嶺南派」が取り上げられていました。
そもそも文人画とはということを、遡って学びたいと思います。
②「写意」 テキストに「写意」という言葉が出てきたのですが、 これは家に帰って、
蘇軾 「形似」に対する「写意」(西洋の抽象表現主義に相当)
(中国絵画史ノート 宋時代 北宋花鳥画の革新 文人画の芽生え、http://www.geocities.jp/qsshc/cpaint/china9.html、2018年4月2日アクセス)
というものを知りました。
勉強会中では、この「写意」とは、たとえば岸田劉生がいう「質の実感」こそむしろ「写実の美」と考える思想のことだと考えていました。
(ちなみに岸田の思想は以下を参照 物体の正面から光線を与えて、影を作らぬと、その物体は厳しい写実的画境を与えられる。それに反し、そこに多くの影を造るときはそこには厳しさのかわりにロマンチックな感じが生じる。
西洋の美術が多く、美を厳粛なる写実境に見出せず、ロマンチックなところに求めたのは、その材料が皮想の如実感を出すに適し過ぎたが為ともう一つはその民族の科学的気凛に基するものという事が出来る。
(岸田劉生「東西の美術を論じて宋元の写生画に及ぶ」『岸田劉生美術思想集成 うごく劉生、西へ東へ 後編・「でろり」の味へ』書肆心水、2010年、190頁)
この文では岸田は、西洋の美術のように陰影をしっかりと描き、あたかも3次元空間に立っているかのように描くものは、ロマンチックな感じが生じると述べています。
しかし、東洋画では陰影を描かず、厳しい写実的画境を描き出します。
そこでは、形を超えた精神を描き出していると言えます。
質の実感も無論、形を超えたものである。美である以上それは形ではない。只心に影ずる時も、又それが表現される時も、形に宿るだけである。畢竟美とは形に宿る形以上の形である。かくて質の美は質の与える美的精神的感動である点で更に深きものと同じく無形である。しかし、更に深き美術の域の美的感動はその感じに於ては形に即さない。[中略]つまり、何が美しいというのではない。物の美ではない。作に籠る精神、又は画因に宿る精神と言うてもよい。
(岸田劉生「写実論」『岸田劉生美術思想集成 うごく劉生、西へ東へ 前編・異端の天才』書肆心水、2010年、227頁)
そのようなわけで、この「写意」については、「蘇軾 「形似」に対する「写意」(西洋の抽象表現主義に相当)」という意味があることを知り、これについては今後もくわしく調べていきたいと思います。
——余談
これから読みたい本
戦暁梅『鉄斎の陽明学』 (今回のテキストの同著者の本。興味が広がる)
岡﨑乾二郎『抽象の力』 (「写意」つながりで) 東田雅博『シノワズリーか、ジャポニスムか : 西洋世界に与えた衝撃』 (この図書自体が受けている影響について理知的に���えるため)
村山斉『��宙は何でできているか』 (参加メンバーのおすすめ、ダークマターについて。鉄斎とは特に関係はない)
竹浪遠 『唐宋山水画研究』 (京芸の愛すべき東洋美術史の先生の著書。今回扱った近代とは時代が離れているのが残り惜しい)
『中国近代絵画と日本』京都国立博物館 編 (「海派」と「京派」について書かれている。わかりやすい。別の記事で紹介します)
「石岡さんと本屋に行こう!」http://www.kaminotane.com/series/1386/ (こんなふうに本が読めるようになりたい)
西槇偉『中国文人画家の近代 ――豊子愷の西洋美術受容と日本』 (受容研究の参考になった本。とてもよい。なにがよいかというと、豊子愷の絵からは愛情しか感じない。目の保養になる。そんな図版がたくさん。それから、作品記述がまるで物語のよう。こんな記述ができるようになりたい)
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  (桜がきれいに咲いていました)
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daiichinichiyou · 6 years
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2018年5月12日午後1時から
第2回の勉強会は、"「幽体離脱の芸術論」への助走"がテーマです。開催は2018年5月12日午後1時から4時に、場所は京都市立芸術大学の芸術資源研究センターを予定しています。
初めの1時間は前回の「富岡鉄斎」をテーマにした勉強会を通じ、互いに興味を持ったことについてお話しする予定です。
第1回の議事録はこちらです。(作成:佐々木愛)
https://daiichinichiyou.tumblr.com/post/172610355411/第1回-勉強会れぽ-2018年3月31日
【課題図書】
「幽体離脱の芸術論」への助走
http://ekrits.jp/2018/03/2515/#c3s4
こちらの論文を読んできて、お話する場にしましょう。ご興味あられる方は、どなたでもぜひご参加ください。
また、次回は2018年6月初旬の開催を予定しています。
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daiichinichiyou · 6 years
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2018年3月31日 午後1時から
第1回の勉強会は、「富岡鉄斎」がテーマです。開催は2018年3月31日午後1時に、場所は京都市立芸術大学の芸術資源研究センターを予定しています。 主催は京都市立芸術大学日本画専攻の岡本秀です。
【課題図書】
国立国会図書館デジタルコレクション - 富岡鉄斎の画風についての思想的、藝術的考察 : 鉄斎画の賛文研究を通じて
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3186811
こちらの論文第2章までを読んできて、お話する場にしましょう。ご興味あられる方は、どなたでもぜひご参加ください。
また、次回は2018年5月6日(日)を予定しています。
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