Tumgik
cosmo-alien · 3 years
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パリピに情緒がないと思うな
小説を書くとか詩を書くとか、そういう時にどういう文体とかどんな印象とか、そういうイメージみたいなものが固定されていること。それが何となくだけど、かなり悔しい。“私の”イメージじゃなくて、小説とか詩そのもののイメージの話。殊更詩はそれに当て嵌まるような気がしている。 春になれば花の美しさを比喩で以って使ったり、水をモチーフにすれば透明感のあるさらさらした文体にするような。というか、そういう“美しい”ものばっかり詩になるから、詩を書くという行為が何か“美しいものを生む”行為とイコールで結ばれているような気持ちになる。他にも、教室の隅っこにいた人の煮込んでいた感情が、作品としては良しとされるようなそんなこと。別に、汚いコンクリートの上にさらに吐き捨てられたガムとか吸い殻とかが積もり積もったクラブの詩とか、スワッピングの詩とか、そんなものがあってもいいと思うのに。これは詩が俳句とかそういう文化に近いから、所謂“下品”なカルチャーとは結びつかないのかもしれないけれど、なんのための自由律だ、なんのための令和だ、と思う。#創作 にある無数の詩のどれもが美しくて、上品で驚く。本当はもっと、みんなもっと下品なことばかり考えているはずなのに。「もっとお金が欲しい、もっと名声が欲しい、もっと結果が欲しい、もっと愛が欲しい、もっと触って欲しい、もっと見て欲しい」そんなもっと、もっと、ばかりの世界のはずなのに、感情を映す詩というスクリーンに綺麗なものばかりが流れているのはおかしい。私だって思う。好きなあの子を孕ませたいから朝になったら股からチンコ生えてないかなとか。それじゃダメかな、ダメなんだろうな。 だから私はHIPHOPが好きだ。コンプラ超えたら逮捕される、それだけ。音楽に乗せなくてももっと、欲が欲塗れであればいいのにと思う。もともと臭い身体に香水を振り撒いたら余計に臭くなるんだから、いっそ真っ裸で歩きたい。
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cosmo-alien · 3 years
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東京になりかけ
外に出るのが億劫で買えていなかった漫画や雑誌を買いに行った。有楽町の三省堂は広くて好きだ。というか、有楽町という街が好きだ。けれど、まるくて小さい有楽町はきっと実際はそんなに小さくない。おそらく私が通っていた幼稚園が有楽町にあって、その頃に目にしていた有楽町に比べれば今の有楽町は小さい。半径30mくらいの球体にマルイやJRの駅があるこの街がなんとなく小さく感じるのは、交通会館周りにそういう大きな建物が集まっているからだろう。そして、まるく感じるのはロータリー沿いの道が丸いカーブを描いているからだ。頭に浮かぶイメージはかなり安直で、詩的じゃない。誰が来たって、有楽町は小さくてまるい街だ。晴れて青すぎる空の下でブルーピリオドBRUTUSを買った。あと文學界も買った。安直な言葉の結び付きが少し愛おしい。そしてビックカメラで炊飯器を買った。ビックカメラはそこそこ混んでいて、店員が捕まらないまま炊飯器売り場が見つからず、必要もないのにオーブンレンジ売り場をウロウロしていた。ようやっと捕まった店員はチャキチャキのオバチャンで、「一人暮らし用の炊飯器を探してるんですけど」と言うと腕をまくって「こっちね!」と炊飯器売り場に連れて行ってくれた。腕まくりは本当にしていた。IHの炊飯器はマイコンより美味しく米が炊けること、3合も一気に炊かないからと1.5合炊きの炊飯器を使うと美味しく米が炊けないこと。そんなことをポンポン話すオバチャンに、私はふんふんと頷いていた。ポイントを使って買いたいことを伝えると、オバチャンは意気揚々と2万円超えのIH炊飯器を勧めてきたけれど、そんな高級家電を買う余裕はないのでその隣にあった1万円ちょっとのIH炊飯器を買った。「これでも全然美味しいからね、大丈夫大丈夫」とオバチャンはマスクがズレる勢いでダンボールの山から炊飯器を取った。レジで支払いを済ませると至近距離の真後ろにオバチャンがいて、ぐるぐる巻きに包装した箱を持って「気をつけてね、がんばってね」とチャキチャキしていた。オバチャンだなぁ、と思った。マスクをしていてもオバチャンのまるい眼鏡が曇らないのは、オバチャンの喋る勢いが凄すぎてマスクがズレるからだと思う。ありがとうございました助かりました、と告げるとオバチャンは親指を立ててきた。オバチャン。シュワちゃんみたいで愛おしい。
炊飯器のダンボールを抱えて有楽町から山手線に乗った。昼過ぎの山手線はそこそこ人で混み合っていて、一つ空いていた席の足元にダンボールを置いてそこに座った。隣に座っていたおっちゃんが小説を読んでいて、私も鞄の中の文學界を取り出した。ぽやぽやと明るい車内で雑誌を開くと、必要以上に紙が照らされて眩しい。サンルームみたいに明るくて暖かい車内は、もしかすると私が来ているMA-1が季節外れになりかけているから暖かいのかもしれない。少し汗ばむくらい暑かった。136頁から始まるDJ松永の連載を読んで、不覚にも泣きそうになってしまった。人生でほとんど初めて電車に乗った彼の話に、高輪ゲートウェイに到着したあたりで、あまりのリンクしなさに愛おしくなっていた。私は小学校から電車通学だったから、逆に自転車と車があればどこにでも行けると思っていた彼が初めて電車に乗ったときの感動を知ることはない。知ることはないことが、寂しくて、なんとなく嬉しかった。五反田駅に着いて、炊飯器を抱えて山手線を降りた。中途半端に大きくて持ちづらい箱を抱えたままエスカレーターを上ったり下りたりした。背中のまるいオバチャンの後ろを歩いていても、持っている荷物が煩わしいから舌打ちは聞こえてこなかった。そんなことより、外に出ても暑かったし空はバカみたいに青かった。電車を乗り継いで新居まで炊飯器を運ぶ。毎日これを使って、これで炊いた米が私の身体を作るのだと思うと、なんだか不思議な気持ちになった。死ぬほど重いわけではないけれど、持ち運ぶには煩わしい重さ。生活の鑑のような気がしていた。私がこれから暮らす街は、有楽町のようにまるくないけれど小さい。例えて言えば、LEGOで作った街によく似ている。万人の想像上の都会で生まれて育った私は、小学生の頃この辺りに住んでいる友人の家を訪ねたとき「〇〇ちゃんちは東京じゃないの?」と聞いたことがある。失礼すぎる。でも本当にそう思ったのだ。私の目に映る東京も、テレビで見る東京も、同じようにビルばかりあったから東京にはビルしかないと思っていた。そんな私が炊飯器を抱えて三階建てのアパートの階段を上る。これはなんだか少し滑稽で、愛おしい。今の私はLEGOで出来た小さくて可愛い建物たちが身を寄せ合っている東京も好きだし、人間の欲の塊みたいな東京も好きだ。空っぽだったワンルームにちまっこい家具や家電を置いて組み合わせていく生活も、少しLEGOに似ている。8畳間のミニマム東��は、私のためだけにあって、私のためだけの東京に誰かを呼びたくなる。一番にあの子を呼ぶという約束は守れそうもないけれど、もう少しワンルームが都会になった頃に呼べたらいいなと思う。ワンルームにしちゃあ窓が大きいこの部屋から見える空も、やっぱりバカみたいに青かった。カーテンもラグも青いので、青がゲシュタルト崩壊しそうだ。そんな青だけの小さい部屋の真ん中で黒いMA-1を着た私が、ポチポチと文章を綴っている。青だけの空に墨汁をぽたっと落としたみたいで、ちょっと興奮する。帰ったら、母が鍋を作って待っている。実家に戻るとき、いつまで私は「帰る」と言うのか、今から少し楽しみなのだ。今あぐらをかくベッドの上に、身体をホカホカにしたあの子が横たわることぐらい楽しみ。米みたいに肌が白いあの子が炊飯器の蓋を開けて、ふっくら笑うその顔が青の中に包まれるときはきっと、たぶんもう少しワンルームは東京になっている。
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cosmo-alien · 3 years
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今ならスーツも着れるのだ
大人になる ということはどういうことを指すのか、最近は というか時折これを考えている。何か答えがあると思っているわけではないけれど、考えては何も答えが見つからないことに嬉しくなって、また繰り返し考えている。大人になるとはどういうことなのかを。そういえば、つい最近スマホでできる電子決済を導入した。コンビニで携帯の画面を見せてバーコード決済で支払う行為は、なんだかちょっと大人になったような気がしている。そういえば、最近は金髪にしたいとか軟骨にピアスを開けたいとか、そういうことをあまり思わなくなってきた。これも、なんだかちょっと大人になったような気がしている。 ドレスコード という言葉は確かに存在している。ドレスコードとまではいかなくても、例えば面接ではスーツを着ないといけないとか、オフィスカジュアル指定の会社とか、接客業では金髪にしてはいけないとか、そういう類のマナーというものは往々にして存在していて、その一々にかつての私は「なんの必要があるんだ」と半ば憤っていた。けれど、最近は少し変わりつつある。これは、なんだかちょっと大人になったような気がしてしまうわけよ。 好きな服を着ること。それは誰にでも与えられた自由であり、権利だ。それを縛る権利は誰にもないのだけれど、それはそれとして「今日はちゃんとした服を着ないといけないなぁ」という日はある。例えば、彼女の実家に結婚の挨拶をしにいくとき、彼氏が金髪にスウェット、クロックスで行ったとする。それは甚だしくマナー違反であり、ご両親もガッカリするだろう。そして、彼氏がそんな人間なのだと、きっと娘(彼女)も信用を失う。もし私自身がこの彼氏の立場だったとして、結婚まで考えている大切な人が家族の信用を失うことは悲しい、できるだけ、そうはならないように努めたいところではある。つまり、この場合での“服装”は、自分自身ではなく自分の大切な人を守るための鎧になるのだ。 恋人同士でなくでも服装は鎧になる。例えば仕事をするとき、人間はどう足掻いてもたった一人で仕事をすることはできない。自分がいて、協力してくれる人がいて、取引先がいる。取引先と直接会って話をするとき、もし自分がほぼパジャマみたいなだらしない服装を着て行ったとする。すると、きっと取引先は自分だけでなく、自分の後ろにいる仲間も同じようにだらしない人間だと思うだろう。何かを背負うということ、何かを守るということ、そのために“服装”はいつでも自由というわけではないのだと思う。ここ最近はそれをよく考えている。自分の好きなときに好きな服を着る。それももちろん大切なことだ。でも、自分の大切な人たちを大切にするために着る服も存在する。きっとそう思って着るスーツは息苦しくないし、そう思ってスーツを着ているから大人は格好良く見えるのだと思う。きっと今じゃなきゃ気付けなかったし、今じゃなきゃわからなかったことだ。
世の中がこんなことになってしまったから、自由に会いたい人にも会えない。こんなに天気が良くても、こんなに寝起きの顔がスッキリしていても。世知辛いなぁと思いながらも、自由に遊んでいる人はわりかし自由に遊んでいるのでまた苦しくなる。決して、外に出るなとか非常識者!とかそういうことが言いたいのではなくて、己の好きなときに好きな人と遊びに出かけるのは��いに結構!と私は思う。思うけれど、自分の状況を鑑みて、私はそれができないなぁと思うだけだ。例えばこのご時世に、私が体調を崩したとする。アルバイト先は一旦でも店を休業せざるを得なくなる。家族は私を隔離しながら、怯えながら生活せざるを得なくなる。学校にもゼミにもサークルにも、癌を抱えさせることになる。きっと気を付けながら生活していても、病気になるときはなるのだ。でも、自分が予防を怠ったから罹ったんじゃないかと思いながら、自分が怠ったから、私の大切な人たちを困らせるんじゃないかと思いながら生きていたくはない。というか、単純に大切な人たちを困らせたくはない。誰かのために、自分が少し行動を考えること。少し前まで、私は「誰かのために」の行動も結局は自分に返るのだから、と思って生きていた方だった。でもそうじゃない。「誰かのために」の行動は確かに存在している。大切な人を悲しませたくない、悲しんでいるところを見たくない、という結局自分自身に返ってくるのかもしれないけどね。それはそれとして。責任とか信用とか、まとめて言ってしまえばそんなことだ。嫌々ではなく自主的にそういうことを実感するようになったから、なんだかちょっと大人になったような気がしている。 先日、私の恋人も同じようなことを言っていた。「迷惑をかけたくない」これは国民性なのかもしれないけれど、真っ直ぐに受け取って「大切な人を大切にしたい」という意味でいいと思うのだ。県境など有って無いほど近くにいるのに、会えない。いや、会おうと思えば会えるのだけれど、選んで「会わない」。時々死にたくなるほど苦しくなる。孤独だとどうしようもなく悲しくなる。けれど、「会おう」と私が言って、恋人の信用を失いたくはない。私は大人でありたい。そう互いに思えるからきっと大人になったような気がしているのだろうし、「大人だから大丈夫だ」と笑って“いつか”を信じることができる。 好きなときに好きな服を着れることも、責任のために着る服を選ぶことも、どちらも大切なのだと思う。誰かのため をなんの照れもなく選べるようになった自分を誇りたい。白鳥は当たり前を変えながら、真冬の空に羽を落とすのだから。
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cosmo-alien · 3 years
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踏み外したレールの向こう側には
 息をしているだけで2020年が終わろうとしている。これまで22年間、本当に息をしているだけで過ごしてきたような自虐心に、今でもたまに襲われるけれど、きっと息をしながらも私は地面を這うようにしながら生きているのだ。何もないようで私自身も気がつけていない何かで、私の人生は満たされている。 一生許さないつもりでいた友人から突然連絡が来て、私はやっぱり嬉しいと思っていた。ああ嫌だ、嫌いだと思った瞬間に絆も何もかも自ら捨てされてしまうようなタチ。それに加えて、自分が心底大切だと思うものに裏切られたくはないから、自らその大切なものを丸ごと捨ててしまえるようなタチ。そんな私でごめんと、日々思っているのだ。こうして一人一人途切れてしまう縁を、友人は繋ぎ止めてくれて、それが本当に心底嬉しかった。今も、ずっと嬉しい。刹那の中で出会える脈であることを分かりながら、それでも嬉しい。私が大切に思う大切なものが、私を大切に思ってくれることが嬉しい。私は、私にまつわる何もかもを愛していて、あなたにまつわる何もかもをも同じように愛しているのだ。 いつだって、刹那主義の博愛主義で生きているから、それは自己犠牲にもよく似た感情であるけれどそれは違う。私は私が可愛い。そのエゴが伝播して、あなたも可愛い。そういうふうにできている。 同じ気持ちでなくてもいい。今、同じ気持ちでいられないことを君は謝ったけれど、それでいいのだ。これまで君と過ごしてきた時間、ずっと君と私は同じ方向を向いていたけれど、尽く抱える思いは違っていた。違っているからたくさん話すし、分かりたいと思う。そうして交わしてきた無数の言葉たちを愛しているし心地良いと思うから、私は君が好きだし一緒にいたいと思う。たくさん話そう、大切なことも大切でないことも。大切でないことを何気なく話すのは、君も私も苦手なのだけど。大人とはいえ、時間はたくさんあるのだから。同じになれなくても、話して分かって知って、知り合っていこうと。あっけらかんに言った私の声が少し震えていても、それがもし電話越しの声に隠せていなくても、君が答えた肯定と覚悟をそれも嬉しく思うのだ。君が私と同じ気持ちを持っていれば、それに越したことはないのだけど、この道の先がどうなるのか知らないから知ってみたいし、一つずつ君を知れるなら傷付くのも検討事項なのだ。いつだって、音楽が私を育てるし、音楽が私と誰かを繋ぐ。 膨大に広がっていく未来が私は怖くて仕方ないけれど、その道中に君がいることが嬉しい。嬉しいのだと、君に直接言葉を紡げることが嬉しい。 何度も「ごめん」を繰り返してしまってごめん、とそれしか言えなくてごめん。ごめんでバランスを取っていないと身体が宙に浮いてしまいそうなのだ。でもそれを、隠せていたらいいなと思う。どうやっても、私は君の前では気丈で格好良く強くありたい。
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cosmo-alien · 3 years
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Bye by me
待ち合わせが18:30のところ、プレゼントを買うために家を早めに出たら(加えてとても暇だったので早めに家を出た)想像以上に時間を持て余してしまった。持て余してしまっているので、カフェに入って時間を潰しているがそれにしたって時間を持て余しているので、こうして無計画に徒然と文字を綴っている。
10年来の友人が結婚するということで、今日は彼女のためのちょっとした祝賀なのだが、プレゼントに何を買おうかと考えあぐねた結果、フレーバーティーのセットを買った。消えものの方がいいだろうという思いと、お菓子は好き嫌いが分かれるだろうという思いで選んだのだが、パッと思い返してみると私は人へのプレゼントによく茶葉を渡しているような気がしている。私個人は珈琲の方が好んで飲むのだが、何故だろう。特に理由はない。当たり障りのなさとパッケージの可愛さだけかもしれない。あと、少しの欲。紅茶を飲む優雅な時間に、私との他愛のない会話を思い出してくれたらいいし、別にそんなこと思い出してくれなくてもいい。そのくらいの気軽さが好きなのかもしれない。まぁ、特に理由はないのだ。プレゼントというものに何やら重い理由付けをしてしまうと、何かを期待してしまう気がする。恋人に渡すプレゼントに込められた意味とか、ハンカチを渡すとどうとか、クッキーを渡すとどうとか、考えればキリがない。結婚おめでとう、と馬鹿やっていた君が結婚なんてウケるね、と。それぐらいの気持ちしかないのだ。良くも悪くも。
昨日、近所に住んでいる従兄弟と嫁と私の母と私でランチをした。5つ上の従兄弟だ。特別仲が良かったわけでもない。良くも悪くも。そんな従兄弟がとんでもなく可愛らしい1つ歳上の彼女を連れてきたとき、申し訳ないが私はとても驚いたのだ。そりゃあ従兄弟も1人の人間で、恋もするのだろうが、近しい親戚の恋人となるとやっぱり面映い。結婚しても面映さは変わらなかった。そんなとんでもなく可愛らしい嫁が、とんでもなく可愛らしい表情で私の向かいに座っていて、「昨日凄く酔っ払って帰ってきてね、凄い怒ったんだよ」と笑っていた。彼女の隣で従兄弟はとんでもなく面映い顔をして頭を掻いていた。帰宅して母が「ちゃんと夫してるなぁって思っちゃったよね」と笑っていた。ちゃんと夫してる従兄弟を見て、私も面映くなって笑っていた。「(嫁)ちゃんも、同じように可愛がってあげなきゃね」と言っていた母の言葉が、なんとなく胸に残ってしまっている。私は母に、私と同じように可愛がってあげたくなるパートナーを見せてあげることができるのだろうか。見せてあげることが出来たとして、それは複雑な思いを内包したものにさせてしまいはしないだろうか。そんな、どうにもならないことを考えている。
それから昨日はバイトに行った。とても混雑していて、とても疲れた。隣のレジで働いていたベトナム人の男の子と「帰りて〜!」と唸りながら働いていた。忙しなく手を動かしながら私は、君の声が聴きたいと思っていた。思い出したように突然電話をかけてしまいたい気持ちになった。そういえば、私が君に電話をかけるタイミングはいつも、私が酷く疲れているときなのかもしれない。「頑張ってるね」「おつかれさま」と言われたいわけではない。ただ、君が取り止めのない暮らしの話をする、その声を聴きたいだけなのかもしれない。そんなプラトニックなものではないかもしれないけれど、これは少しの脚色だ。でも疲れているときは考えが悪い方悪い方に向かうもので、付き合ってるわけでもないのにこんな夜に突然電話をするのもな、と思いとどまった。折衷案で、事務連絡のようなLINEを君に送った。そうしたらすぐに返信が来て、やっぱり電話をかければよかったなと思った。「付き合ってるわけでもないのにこんなにちょくちょく電話するのもな、と思ってLINEにしちゃった」と勢い余って伝えたら、その部分には特に返事はなくて、また考えが悪い方悪い方へと向かっていく。ウケる でもなんでも良かったのだ。とにかく温度のある言葉が欲しかった。付き合ってるわけでもないから、そんな言葉はない。付き合ってるわけでもないのだ。ちゃんと、悲しくなる。
私は君のことが好きだけど、同じように家族や親戚や友人たちのことも好きだ。誰も悲しまないような、誰もが幸せになれるような未来が来ればいいのにと身勝手に願っている。私以外の幸せはイコール私の幸せでなくても構わない。これは自己犠牲とかそんな綺麗な感情じゃなくて、なんと言ったらいいのか難しい。とにかく、私の手が届く範囲の全ての人が私と関わったことで少しだけ幸せになってほしいと思っている。勝手だ。恐ろしいほどに。空っぽの私に中身を注いでくれるのは、君だからその実、君が悲しまないでくれればいいのだけど、私が欲に走ると君が悲しむのかもしれないと思うと足が竦む。というか、現在進行形で竦んでいる。幸せな誰かを見ているだけで満たされる心の反面、それと比例して心のどこかに同じ大きさの空洞が生まれる。私自身は本当に、どうなっても構わないのだけれど、出会った誰もが幸せに、誰かと生きてほしいと心から、本当に心から思っている。特別に、君には幸せになって欲しいと願うから、これが愛なのだと思っている。何度も答え合わせをして、間違いかもしれないと見直して、それでも答えは変わらなかったのだと自信を持って言えるのに、それを伝えることは間違いな気がしてならない。肝心なところで私は誰かに背中を押してもらいたいと思っていて、そういうところがダメなのだ。面映い表情で笑い合っていた従兄弟夫婦を、私はやっぱり羨ましいと思ってしまっている。
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cosmo-alien · 3 years
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日々のストロボ
 毎日を比較的誠実に過ごしているほうの人間であるという自称が、実は最近少しずつ生まれつつある。遅くても10時までには起きるし、一人暮らしに向けて貯金をするために週6で働いているし、なんだかんだ小忙しくても小説は書いている。発表するかは別として2週に一編ほどは2万字程度の小説を執筆しているのだから儲け物だ。チマチマ依頼で原稿を書き、近頃は振付業にも戻りつつある。このまま何者とも言えないような存在のままいられたらと思いながら、その実、脳内は色ボケ野郎になっている。近頃の私は何を隠そう色ボケ野郎だ。色ボケ野郎になったらクソつまらん文章しか書けなくなるか、もはや文章を書きたいという気持ちがなくなってしまうと思っていたのだが、意外とそんな変化は訪れなかった。創作意欲が沸き立っているというわけでもないが、特に変わらず書きたいときには書くし、書きたくないときに依頼が来たときもブツブツ文句を言いつつ書いている。何も変わらない。よく考えれば色恋で鈍るほどの欲求だったらとっくに鈍っているのだ。常に何かに恋い焦がれているような野郎なのはもともとだった。 そんな色ボケ野郎の躁鬱は激しくて、華やかで輝かしい未来を妄想してはニンマリしたかと思えば、わざわざ茨の道を選ばなくていいのではとつまらん鬱に襲われている。私は彼女のことが好きで、それだけならいいのにそれだけじゃ堪らなくなるから色ボケ野郎になってしまうのだ。ここ1ヶ月ほどで私の心の中の四季は10周ぐらいしている気がする。妄想性気候、だ。なんだかね。 甘えてくる人が男であれ女であれ苦手なのだが、例えばこうやって思い悩んで落ち込んでいてもそれはやっぱり君が好きだからなんだよと伝えてみたい気持ちは確かに私も持っている。それは甘えと言えるのだろうし、開き直って言えば私は彼女に甘えたいし、一つのソファーを分け合って座りたいし膝枕だってしてもらいたい。そんなものは甘え以外の何物でもない。以前交際していた男性が、付き合う前は恋愛事情に関して淡白な印象だったのだが、付き合って期間を重ねれば重ねるほど甘えたになっていったことがあった。別れてから私は散々キモいキモいと騒いでいたけれど、最近になってそれは私が愛されていた証だったのかもしれないと気付いてきた。膝枕してよと言われたときに恥ずかしいから嫌と断らなければよかった。果てしなく自分勝手なことを言うけれど、彼女に膝枕を断られたら家に帰っても引きずるだろう。悪いことをしたなと思い今になって反省している。考えてみれば、かつての恋人に謝りたいことがたくさんあるのだ。相手に思った不満と同じ数だけの反省が日々降り積もる。それと同じことを彼女に背負わせるのかという葛藤と、そんなことを投げ打っても伝えたい色ボケ野郎の特攻。 何にせよ、私の脳内の思考できる部分は日に日に肥大している。色ボケ野郎と哲学者とロマンチストとオタクは一つの脳内に同居している。パラパラ漫画の1ページが抜け落ちても特に不便はないけれど、なんだか違和感が生まれるのときっと同じだ。何かがなくなったら私は私だけれど私ではないような気がして、じゃあ私というものは一体何なのかと考えると別に何でもない。そんな葛藤を頷きながら、きっと分かってないけれど真摯に聞いてくれた彼女のことをやっぱり想っているのだ。別に瓜二つなわけじゃない。何なら性格は正反対で、だから好きなのかもしれないと思って、また心に春がやってくる。もし伝えて、キモいなんて言われたら私はどうするつもりなのだろうか。きっと笑って「冗談だよ」と言えるのだろうな。何処かから引っ張り出してきた私を器用に操って、本当に冗談にしてしまうのだ。そんな、非誠実な愛を誇りたいなんて、こんな甘えを日々のストロボに映し出している、秋。
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cosmo-alien · 4 years
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ラブソング
大切な人がたくさんいる。本当にたくさんいるのだ。さっき郵便局に向かう道すがら見かけた、バスケのゴールしかない小さな公園で小雨の中一人でシュート練習をしていた彼も、名前も知らないけれど凄く好きなのだ。好きであることに、名前を知っている必要があるのだろうか。感じたものが全て、なんて言葉は大袈裟な気がしなくもないけれど、それでも良いような気もしている。それでもいいのだということを、私だけが知っていれば良い。 私は何もかもが好きで、何一つ諦めないために生きている。だから、そんなことしてる暇なんてないんだよ!と結果的に何かを諦めてしまうこともあるけれど、それはそれで良いじゃないか。3分ちょっとのエクスタシーの中に込められないものも、それはそれで見えないわけじゃない。存在しないわけじゃない。それくらいのことは分かるのだ。ひとよりも頭が良い自分を誇りたいよね、そこは。 家出した日の夜に転がり込んできた私を快く受け入れてくれた先輩がいる。ちなみに彼女は私のために来客用のマットレスを新調してくれた。本当にありがたいことです。床でいいのに。そんな先輩と先日、バカみたいに飲んで、バカみたいに語り合っていた。彼女という人間のこと、私という人間のこと。私は彼女に憧れていたのだ。今も、憧れている。大学にいるときの彼女は、音楽にもダンスにも小説にも造詣が深くて、私も当時から小説を書いていたものの、恐れ多くてそんなことは一言も口にすることができなかった。しかしそんな彼女が時々つく嘘に、私は気がついていた。元来、相手が何を考えてその発言をしているか、その発言や言動は嘘か誠か、私はそういったことにひとよりも気が付けるタチだから、そんなものかと聞き流していた。先日もそうだ。本質的に話の筋に関係のない些末な嘘も話題の根幹に関わる嘘も、なんとなく気が付きながら私は無視をした。何も知らないバカのフリをした。思えば近頃の私はバカのふりをするのが上手くなった。水深1kmぐらいまで分かり合えているような顔をしながら、何も言わない私自身が水深10cmほどしか本当は分かり合えていないことを分かっていて黙っている。嘘をついているわけではないのに、とても心暗い。なぜ、嘘をついているわけではないのにこんなに罪悪感を覚えるのだろう。いつまで経っても解決しない、解決したくもない問題である。
10代前半までは、私はわりと『すぐキレる子』だった。怒りだけじゃなく、何か言われたら反射的に反応を返せるし、瞬間的に論破することだってできた。今考えたら凄いことだ。喧嘩で負けたことがなかったのだ。しかし今は違う。何か嫌なことを言われた時、理不尽なことを言われた時、その度にすぐに謝れるようになった。「ごめんね、私が悪い」「わかんなくてごめんね」謝ったその瞬間は本当に申し訳ないと思っているのだ。だが、徐々にその感情は時間をかけて形を変える。そしてふとしたときに思うのだ。「ああ、私はあの時怒ってたんだなぁ」と。そんな不完全燃焼の怒りが毎日溜まって、溜まって溜まって溜まっている。その結果、ひとには「優しいけれど、たぶん頭ではいろいろ考えてる人なんだろうなと思う」や「私が知る中で一番、突然いなくなりそう」などと言われ���人間になった。当たらずとも遠からずなのが怖い。私自身も、私が突然いなくなりそうで怖いよ。母には「文章に消化できて良かったね」と言われたが、これは消化ではない。強いて言うなら『鎮火』だ。消えはしない。消えないからこそ、全ての怒りが私の体内に組み込まれるし、それを今は誇りに思う。誇りに思うしか道がない。先輩は性悪説のもとに生きているから、爆発力で呼吸ができるが、私は性善説のもとで生きているので、何もかもを愛することでしか呼吸ができない。それすら誇りに思おう。思ってないとやってられんよ。 「博愛主義と無関心は同義だよ、一番残酷。」頭蓋に響くこの言葉に、私は笑って頷いたけれど、この不明瞭な感情がいつか怒りに転化するのだろうか。「愛しているものは愛しているのだ!」とはっきりとした怒りになるのだろうか。好きの反対が無関心なのだとしたら、私の居場所はどこにあるのだろうか。そんな自虐感情にも飽きたし、謙虚に我が物顔で生きるのだ。勿体ない、と他人に言われても、もう二度と傷付かなくていいように。自分を愛するようにお前も愛する。全部一緒くたに愛せる私を、私が愛していれば、それはそれでもう充分なのだ。欲しがらないし求めない。過去も未来も含めた現状を愛していることを、誇りに思う。針飛びを恐れずに、愛全開で。
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cosmo-alien · 4 years
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愛のゲシュタルト崩壊
 10年来の友人が結婚することになりまして。このご時世だけれども、かつて仲の良かったメンバーで集まって結婚祝いの会を小さく執り行おうということになった。しかし、身近な友人が結婚するという出来事自体人生で初めてなので、どうにも私は食らってしまっているのだ。一緒にバカやってた2つ年上の友人が、本当に良い家柄の(本当に)資産家っぽい家庭の息子を捕まえたと聞いて、失礼ながら心底驚いたのだ。このコロナの騒動が落ち着いたら軽井沢で挙式を行うらしい。なんだ!その!幸せ家族計画の1ページ目のような結婚は!と爆笑してしまうぐらい幸せそうで困る。誠に勝手ながらこっちが困る。マークシート式のセンター試験にも、筆記式の学部考査でも、ボコボコにされた企業面接でも、どこでもそんな“正しく”幸せになる方法なんて教えてくれなかった。大学卒業と同時に彼氏と同棲を始めてそのままゴールインして、いずれは小さくてもいいから自分のダンスレッスンスタジオを持ちたいなんて夢を語る彼女。いいじゃん素敵だね、なんて軽薄な薄ら笑みを浮かべて言う私。馬鹿馬鹿しくて嫌になる。彼女がじゃなくて、私自身が馬鹿馬鹿しくて嫌になる。(プロになりたいって言ってたじゃん)とこの後に及んで裏切られた気になっている自分が馬鹿馬鹿し過ぎて嫌になる。詰まり過ぎた愛が破裂して、22歳。置いていかれた気になって悲しくなって、22歳。何にせよめでたくて、単純に嬉しくて。これだから、世界は諦めようがないほど愉快で、言うほどチョロくない。そう、世界はチョロくないらしいのだ。お恥ずか��ながら、私はごく最近それを知った。 30歳前後の異性に、とてもとても性的な魅力を覚えがちな性癖を持っている。これはどこかで耳にした又聞きだが、人前に出る仕事をしている男性は結婚するとその魅力が半減するというのは“マジ”らしい。不特定多数に撒布していた魅力物質が一人の女性に向くことで、人前に出た時の見え方が変わってくるらしい。本当かよと思いつつ、人前に出る仕事をしている女性にはその理論は当て嵌まらないらしいので、ちょっとそこの信憑性は信用してしまいたくなる。又聞きの覚書なので全く根拠も何も説明出来ないが、今私が好きで好きで仕方ない彼も結婚したらその魅力が半減するのかと思うと、それはそれでとても人間らしくて色っぽい。その迂闊さ、エロい。迂闊さってエロいよな。これも最近の気付き。迂闊さをコントロールできる人間には負けてしまうし、液体のような愛を注ぎ込みたくなる。人間が迂闊な瞬間、人格の揺らぎが生じて、それで出来た隙間に他人が入り込むんじゃないだろうか。まぁ、これもテキトーな話。 巷に溢れる、画面やイヤホンの向こう側にいる、しょうみ知らない人への愛燦々。こっちは向こうのことをこんなにも知っている(気でいる)のに、向こうは私の存在すら知らないと思うと、こんな狂った関係性は他にないと半ば感動してしまう。だって凄いよ。こちらは人格形成に関わるほどの影響を与えられているのに、向こうにとってのこちらは顔も見えないし言葉の一つだって届かない。狂ってるよな。だからこんなに盲目に愛せる。相互認識の上だったら、こんなに愛すことはできない。忘れちゃいかんと思うけど、こちらは向こうさんについて「コンテンツだなんて消費するようなことは出来ない!」なんて口にするのは勝手だが、どう足掻いてもこちらは向こうさんのコンテンツとしての側面しか知ることができないし、こちらにとって向こうさんの存在は“コンテンツ”以上でも以下でもない。どんなに人生を救われていて、どんなに愛していても。だから楽しい。こんな世界が楽しすぎる。 分かり切ることのできないことを割り切って生きればその分の大きさになるだろうし、馬鹿なフリをして「なんかもしかしたらアレもコレもできちゃうんじゃないの…?」と走り回ってみればデカくなれるのかもしれない。そのための燃料にどこかしらから得た愛を注ぎ込まないとならないのだとしたら、その給油スポットはできるだけ多い方がいい。馬鹿なフリをして国道をベタ踏みでツッ走るのだ。同じエンジンで軽油もハイオクも使ってみようや。いつか爆発するエンジンを燃やして、いつか炎上するボロ車のケツを叩いて。 結局のところ、世界は誰かの空想上に成り立っている。だから楽しい。俺の世界は俺の空想上に成り立っている。こんな世界が楽しすぎる。World is fancy? テキトーなこと言ってんな。愛と空想、楽し過ぎちゃって。ちょっと困る。
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cosmo-alien · 4 years
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今も可愛いぼくらへ
くだらねぇプロフィールなんて捨てちまおうや、とほざいてみようか。どこまでも行けたはずのぼくら、君の部屋の扉も私の部屋の扉も何も違わずどこでもドアなのだ。そう教えてくれたあの漫画だって 今も変わらずにここにある。この勇気が音楽から得たドーピングみたいなものだったとしても、それでも少しなら強くなれた気がしたんだ。 私は本気で本当に宇宙飛行士になりたかったのだ。世界に貢献したいとか、そんな思いは1ミリもなかったけれど。どうしても宇宙に行ってみたかった。あわよくば、宇宙の端っこには何があるのか知りたかった。今でも知りたい。どのぐらいの勢いで空間は広がっていっているのか、空間のない空間には何があるのか、今でも知りたい。とても知りたかったのだ。それでも、初めての物理のテストの点数が100点満点中24点だったときに悟った。壊滅的に物理ができないこと。そもそも理解ができないこと。どうしてこの計算が必要で、この計算結果がどういう意味を持つのか。この、公式・数式の原型を知りたがる癖は数学では良き影響を与えたのだが、高校物理の範囲では確実に不要なものだった。過剰な好奇心が衝動の初めだったはずの宇宙への憧憬は、過剰な好奇心が閉ざした。あの時にテストを受けなければ、テストの問題が違ければ、私は理系の大学に進んでいたのだろうか。憧れだった宇宙工学を学んでいるのだろうか。結局、いま何者でもない私がここにいる。 14歳の私は楽譜の一つも読めないのに、ベースを買いたいと家族に相談した。「よりによってなんで地味な方なんだ」と詰められて購入を断念したけれど、あの時「それでもやりたいんだ」と突っぱねていたら、今の私は少し違かったのだろうか。何者かになれていたのだろうか。ダンスを続けていたら、英語ができたら、社交的だったら、器用貧乏じゃなかったら、小学校受験に失敗していたら、今の私にはどんな可能性があったのだろう。 T字路でもY字路でもないこの道。道ですらないかもしれない。ほとんど生まれてきてからずっとレールの上を歩いてきたような気がするけれど、そんなことはないのかもしれない。否、これからはそんなことはないのかもしれない。今日の昼食のメニューを選ぶように、自分の数年後を選び取る。変わり続けていく私自身を、私自身が誰よりも愛していることをちゃんと自負して選び取る。そりゃあ、橋本環奈にくらべちゃブスだけど、自分の顔だって好きなんだ。だから化粧をするし肌を整える。ご自愛という言葉の意味を噛みしめる。自分が自分のために生きる。そう、生きたい。見過ごしてきた分岐点の数々を振り返ったりなんてしない。あったはずの過去、あったはずの未来。そのどれもは、捨てたんじゃなくて飲み込んだのだ。カービィよろしく、私は息をするたびに大きくなる。葛藤も心配も、それら全部インプットになるべくしてなっている。物理もできないし、ベースも弾けないし、ダンスも上手くないし、職人にもなれないけれど、私には世界が見える。宇宙の端は見えなくても、世界は見える。自分のこの目で世界を見て、自分の頭で考えて、自分の言葉で吐き出す。誰かのためじゃない。可愛い自分自身のために、この言葉は全て可愛い私自身のためにある。だから、くだらねぇプロフィールなんて捨てちゃおうか。 いつまでも新人で、いつまでも世間知らずで。そのままで、なんでも出来る気がするしさ。
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cosmo-alien · 4 years
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あの日踏み外したレールの向こう側に
 時々、「私はこんなにも真面目に生きているのに」と思うことがある。そして時々、「こんなにも適当に生きているのだから当然か」と思うことがある。昼夜いつでも何かを考えながら22年間生きてきたけれど、何か好ましい答えを見つけられた事は未だない。何もない。私には何もない。何もないけれど、こうして文章を紡ぐことが好きで、物語を作ることが好きだから、それを続けようと思った。真面目に続けてみようと思った。適当に、続けてみようと思った。衝動的に紡ぐ文字。それでも今日は、ほんの少しだけ真面目に紡いでみようと思う。縦糸と横糸の隙間がなるべく生まれないように。いつもよりも少しだけ伝えたいと、分かって欲しいと祈りながら紡いでいこうと思う。これは私のエゴだ。エゴでしかない。私は、最強で単純で最低な奴なのだ。
 世の中には、たくさんのモノが溢れている。多くの目を引く美しいモノや、誰の目にもつかない小さくて見窄らしいモノまで。その一つも見落とさずに、無関心にならずに生きていたいと思うから、私は生きるのが楽しい。その瞬間だけをただ、唯一楽しいと感じる。あの日、四ツ谷の地下のだだっ広いスタジオで、あの子が振り付けを間違えて、私以��誰も気が付いてないであろうその些細な間違いにあの子自身が小さくはにかんだことを、私は今でも鮮明に覚えている。その瞬間、私はあの子を愛おしいと思った。普段は凛としている彼女が、ほんの少し照れた顔で舌を出してから、誰も彼女の間違いに気がついていないことに安堵する一連の仕草が堪らなく愛おしかった。今でも、愛おしいと思っている。 3年前から、彼女は私の片割れのように傍にいた。私は一つ年上の彼女のことを出会ったときから好ましく思っていたし、彼女も一つ年下で生意気な私のことをはじめから慕ってくれていた。吐き溜めのような環境でダンスを続け、共に理不尽な出来事に怒り、喜ばしい出来事には共に笑い合った。いつだって彼女は私の傍にいたし、私は彼女の傍にいた。 あの頃持っていた限りでの金や時間や感情、それら何もかもを犠牲にしてステージに立っていた。最後の曲が終わり私がステージの中心でマイクを握って「ありがとうございました」と叫んだあと舞台裏で待っていた彼女と数分間に渡って交わした抱擁に、劣情は何もなかった。衣装の布地が汗ばんだ首元に張り付いても、私が彼女の剥き出しの肩に生暖かい涙をボロボロと溢しても、痛いほどの力で私の背中に回っていた腕のこと。忘れてしまえた方がいいのに、私は温度ごとまるごと忘れられずにいる。何もかもが、私の中で止まっている。霞んだ景色も、向かい合った彼女も顔を歪ませて泣いていたことも。私の中だけで止まっている。 2年前、彼女が私に渡した手紙は何度探しても見つからない。見つからなすぎて、もしかしたらなかったのかもしれないとすら思っている。唯、私への労いと葛藤と愛でしかない言葉が紡がれた手紙。見つからないなら見つからない方がいいのかもしれない。飲み会の途中で彼女が不意に手紙を取り出したこと。「絶対家で読んで」と笑っていたこと。耐えきれずに始発の中で読んだこと、内容。いつだって彼女は私の傍にいたのに、その時の私はそれに気付けていなかった。気付けていなかったのだと、その時に気が付いた。 1年前、私は彼女に手紙を渡して、彼女は私に手紙を渡した。こちらは今でも大切に保管してある。この時はもう、私は戻れない場所にいた。1年前にはなかった新たな葛藤、わざと距離を置くようにした一年間でお互いに見えるようになったもの。私は近付きすぎたことで見えなくなっていたものたちに触れて、それらが結果的に彼女の大切さを教えてくれたのだと思って止まなかった。そして、彼女からの手紙にそれと同じことが書いてあったとき、私は言葉を失った。「離れたことで大切さに気がつくなんて、皮肉なことだと思いました。」そう紡がれた文字を見て、私は怖くなった。彼女と共依存のように過ごした2年前のこと、そこから抜け出すためにお互いに距離を取ろうとしていたこと、結局距離を取ったところで手放すことができなかったこと。 一つ年上の彼女は、私を置いて社会へと飛び立った。チャンスだと思った。彼女は、私の知らないところで知らない人と幸せになってくれればいい。見えないところで、徐々に私の知らない人になってしまえばいい。私が知る限り恋人も恋愛経験もない彼女を籠の鳥の如く囲っていたのは、ほかでもない私自身なのだ。分かっていて、3年間そうし続けた。 最後のステージが終わった日、打ち上げの帰り道、衣装が入った大きな荷物を抱えながら「これが最後だ」と思っていた。大勢の中で二人だけで話すことも、酔ったふりをして彼女に触れることも、全てが最後だと思えば何でも言えるような気がしていた。しかし、現実の私はそんなに無鉄砲じゃない。いつものように、彼女から少し離れた場所で彼女と彼女を含んだ大勢と話して、「またね」と別れた。彼女のためだけに作った振付と曲。それを、みんなのためを装って披露する。そんなことしかできない。私は、そんなことしかできないのだ。  会わなければ、きっと無くなるだろう。少なくとも、彼女の中から私が無くなってくれればいい。あの頃あったあんなこと。青春。友情。そんなふうに思っていてくれればなお嬉しい。あの日、振付を間違えてはにかんだ彼女を偶然見てから、こうして何にもならない文章を紡いでいる今まで、私は毎秒泣きたくなるほど彼女を愛している。無責任に、ここだけならば無責任に言わせてほしい。誰よりも、何よりも、もし彼女を苦しめる何者かがいるのなら私が全部やっつけてしまいたいぐらいには、彼女を愛している。だから、彼女には私のことを忘れてほしい。そして、私の知らない誰かと幸せになってくれればいい。  そう思うのは嘘じゃないはずなのに、私は今でも夢を見る。また彼女と二人で街を歩く夢。彼女の手を握る夢とその先。 だから、何にもならないこの思いを、私は文章にぶつける。馬鹿正直に紡いだこの文章が、遠くにいる知らない誰かの心を揺さぶることを願って、私は文字を産み出し続ける。心と体の恥部を晒して、あの頃ステージの上から身体中で叫んだ衝動を、今は文字に起こす。 愛がなんだ。私は、最強で単純で最低な奴なのだ。
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cosmo-alien · 4 years
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夜に賭ける
死にながら生きるような世界。だからこそ生きている気がするのだと、今なら分かる。昨今、大好きだった人が次々とそうではな��なっていくけれど、私はいつだっておもちゃ箱の中に取り残される人形と同じだけど。でもそれでも、何かに縋らずに生きたいのだ。それが短命の要因だとしても、それでも。私は私の大好きだった人を連れ去ってしまった世界を許さない。絶対に許してなんてやらない。人はどこまでいっても、自分のためにしか生きられないのだ。誰かのことを愛していても、誰かのことを救ってあげたいと思っていても、その気持ちのどこにもエゴがないなんて誰にも証明できない。彼を愛するその気持ちのどこにも自己愛がないのだとしたら、そこに人間性はない。それは、ただのファンと言う。ファンだって自己愛と同居するモノであるかもしれないから、結局人は、自分を愛するところからしか始まらない。それを認めた上で、私は人を二度と愛することができないと思った。どこまでいっても自己愛の欺瞞なのに、私は誰かにもう一度「愛してる」を伝える勇気がない。そんな、資格もない。愛して、愛されて。そのギブアンドテイクで正当に愛を測れるほどドライな人間でもないし、一心不乱に愛されるような可愛らしさもない。そんなことを考えながら誰かを愛する体力も時間もない。だから私は、私しか愛せない。そう、数時間前に悟った。途端、激しい胃痛が襲った。じゃあ私は何のために生きているのか分からなくなった。確実に死ぬ私という人間のためだけに私は生きて、死んだあと私はいなかったことと同じになるのだろうか。私が生まれていた世界と私が生まれていなかった世界は同じになるのだろうか。そう思うと怖くなった。私の今は何のためにあって、今何のために金を稼いでいて、何のためにこんなことを考えているのか。何もかもが無意味なのは確かだ。無意味なのに、私はこうして生きている。その意味で、私は死にながら生きている。そんな心持ちで帰宅しても、猫は可愛いし父親は憎い。もう15年近く私は父親のことを恨み続けている。昨日だって、父親は私に聞こえるように私の失敗を取り上げて大きな声で笑っていた。「ああ、いたのか。」なんて言いながら。死んでしまえばいい。全部、ここにある何もかもが死んでしまえばいい。無意味なのに。大変な思いをして金を稼ぐことも、子を育てることも。何もかもが無意味なのに、こうして生きている。私も父も、猫も。 自由になりたい。何も、生き死にも自由で、誰にも何も決められなくて。友達だっていなくていい。いつか死んでしまうのなら、誰かに連れ去られてしまうのなら、そんなものはなくたっていい。ただ、何にでもなれる自由を。流行の歌だって、一番好きだと言い張れる自由を。好きを好きだと叫べる自由を。愛を何の見返りもなく放てる自由を。文字にすることを厭わない自由を。文字を放ることを厭わない自由を。夜を駆け巡る自由を。一銭にもならない人生を、自分で賭ける自由を。私はもう、子供じゃないのだから。
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cosmo-alien · 4 years
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変わるものまでまるごと全部
変わるものまでまるごと全部。これは私が花も恥じらう女子高生だった頃に叩き出したパンチラインの一つである。私はこれまでこうして徒然なるままに文章を書き綴る場を、自らの為に大変身勝手にご用意させていただいているけれど、その無数の��字列の中には何年間もずっと覚えていられるようなセンテンスがごく稀に生まれる。「変わるものまでまるごと全部」これはその最強センテンスの一つだ。このフレーズを書き殴ったとき、私はどんな生活を送っていてどんな感情だったのか。それはあまり定かではない。おそらく高校生活のほとんど全てを捧げていた部活動を志し半ばで辞め、教室でも帰り道でもイヤホンと二人きりの生活を送っていた頃だと思う。当時の私はとんでもない心労を抱えていたのかもしれないが、どうしても今の私にはその頃のリアルな感情を思い出すことはできない。経年変化、というものかもしれない。何にせよ、当時の私はパンチラインメーカーだったのだ。家でも学校でも一人だったとき、私は一種の解放感を覚えていたのだ。今になって思い出すとそんな気がする。一人で好きな時にトイレに行けること、授業終わりに分からなかったところを先生に質問できること、帰りにスタバに寄ってなけなしのお小遣いを浪費しなくてもいいこと。その全てが悲しくて、幸せだった。夕日でいっぱいの東横線の車内にて、まだ分厚かったスマホの中でいくつかの私の文章は生まれた。「変わるものまでまるごと全部」このフレーズもきっと夕方の東横線で生まれた。たぶん。これは記憶が定かではないための希望的観測であるかもしれないけれど。 今日この頃、「変わるものまでまるごと全部」という文章の価値を感じることが多い。価値というか、意味の方が近いかもしれない。この文章を綴った時の私は「変わるものまでまるごと全部」どうなるつもりだったのだろう。変わるものまでまるごと全部呪ってやるなのか、変わるものまでまるごと全部ぶっ壊すなのか。はたまた変わるものまでまるごと全部愛してる、なのか。当時の私がどう考えていたのかということ自体には然程意味がないので、たった今の私が「変わるものまでまるごと全部」どうしたいのかを考えている。キーボードに猫が乗っかってくるのを何とか阻止しながら、そんなことを考えている。そういえばさっき、座椅子で漫画を読んでいたのだが、何となく座椅子の背もたれに寄りかかって、座椅子を斜めに傾けながら座っていた。漫画の内容に集中しかけたとき、座椅子が重力に負けてひっくり返った。座椅子と一緒に私もひっくり返った。ひっくり返ったテントウムシのような状態。宙に投げ出された脚で反動をつけて起き上がろうとしたけれど無理だった。筋力体力の低下。ちょっと前までは簡単に起き上がれたのになぁ、と思いながら寝返りを打って起き上がった。 結局何が言いたかったのかというと、特に何か言いたいわけではない。「変わるものまでまるごと全部」どうしたいのか、私はずっと考えている。私は、変わるものまでまるごと全部を愛してるし、変わるものまでまるごと全部を殺したいほど憎んでいる。自分が正しいということを疑わず、何もかもに立ち向かえたずっと幼い頃の私には吐き出せなかった「変わるものまでまるごと全部」というフレーズを、私は愛しているのだ。そして、このフレーズを吐き出した頃の私に書けた文章を、今の私は書けない。そういうものなのだ。きっと、一年前に書けていた文章だって今の私には書けない。それを誰が憂おうが悔もうが特に私は何も感じないけれど、私は私自身の変わるものまでまるごと全部を認めていられるようでありたい。自分を好きでいるとかそういう話ではなく、自分の嫌いな部分や「どうせ私なんて」と思う部分まで飲み込んで私でありたい。何者かである前に自分であることを、その部分は不変であることをどこまでも諦めないでありたい。それだけの話。それだけの話を寝起きに思ったのだ。
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cosmo-alien · 4 years
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紙の上の魔物
明日中に送りますわ!と言われた音声原稿を待ち続けて3日目。諸々はっ倒すぞという気持ちで安静に日々を過ごしています。 約束と時間を守れる貴方のような素敵な大人に、私はなりたい。どんな文章を書いていても、その全てがゴミセンテンスにしか感じられない時期があってそれが今。悲壮感も自己否定もないけれど、不定期に一週間ほどやってくるこの期間が早く去らないかという気持ちで安静に日々を過ごしています。「振り絞ってこそ得られる生きてる実感」 全てに対して相対的に自分の姿を俯瞰することに疲れて、とりあえず外出した。数日前に観た映画のこととか昨夜読んだ漫画のこととか、ただそういうことにだけ頭を巡らせて気が付いたら乗り換え駅に着いている。タワマンのウォークインクローゼットぐらいのワンルームと一畳ぐらいのデスクを行き来する生活。ここで打ち込む全てが無造作に人知れず世間様にブチ撒けられる。暖簾に腕押し、馬の耳に念仏。「何遍だってまたここに」 顔も知らない、死ぬまで知ることのない意識高い系の誰かの上に無思考の自分が立つ。気が付くと10分も20分も歯を磨いていて、溢れそうな唾液と歯磨き粉のカクテルを若干飲み込む。黄色くなった年代物の前歯と生きた化石こと口内炎。サンダルとスウェット。欲がない代わりに夢だけ持つような素敵な(笑)人生。「末路憐れも覚悟の上」 教室の中心にいた秀才のあの子がツイッター廃人になっていて安心する人生。アンタもこっち側だったじゃん、と数年越しの同族好愛。メンヘラとサブカルとアル中とヤニカス。世の中にいる人間なんて、全員この中のどれかなんだからイイ顔すんなアホけ。安静に日々を過ごすだけで溢れてくるヘイト。beefとも言えない主張が浮かぶだけ浮かんで、石油の上積みになる。「無冠の帝王じゃ終われへん」 おもろくないことやってる暇なんてないので、おもろそうなことにだけ時間を使いたいのだが、おもろそうなことだけを選び取っておもろさを享受するのもそれはそれでコストがかかる。でもおもろなさそうなことに消費されるほど、私らの時間は無価値じゃないから選び取る。鼻から吸う粉より飲み干す消毒液より回数合わせのセックスより、そんなモンよりずっとブッ飛べる方法を知っている。鉛筆がシャーペンになり、キーボードになった。チラ裏が原稿用紙になり、Wordになった。今の今まで変わらない、ずっと。倒置法の効果的な使用法。言いたいことなど何一つないけれど、呑み込まれる前に足掻き倒す。「つまらねぇお前の人生はつまらねぇ」 隣の大人の声も遠くの大人の声も、聞こえなくなるぐらいのボリュームで打ち込む。打ち込んで打ち込んで打ち込む。今日もまた新たなペンネームが生まれる。P.Nヒグラシ。世の中は君の声にだけ耳を傾けてる。そんな未来が見えなくても、とりあえず打ち込む。いつかのワナビーが居場所をこじ開けるその日まで。否、その日が来てもワナビーはワナビーのまま。「みたいな日々の鍛錬が飯の種」
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cosmo-alien · 4 years
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ヒネクレ音楽論
 二十歳になったばかりのある日、おそらく誕生日の翌日ぐらいだったと記憶している。私はコンビニのレジに並びながら、およそコンビニのレジ待ちとは思えないほどに緊張した面持ちで立っていた。固い意思の殻の中に潜むのは8割の好奇心と2割の背徳感。財布のすぐ取り出せる場所に免許証を忍ばせて、手のひらには真新しい100円ライターを握りしめて。口の中で呪文のような英語と数字の文字列を繰り返し繰り返し反芻する。言い澱んだり間違ったことを言ったりしたら…。万が一年齢確認をされた時には何てことのない顔をして免許証を出すのだ。だって私は昨日二十歳になったのだ。何も悪いことなんてない。この行為は法律にも条例にも反していない。だってそうだ。二十歳になった私には確かめたいことがあったのだ。ハタチになったらタバコってマジで買える…?という今考えると大変しょうもない好奇心。目の前のレジが空いた。私���番が来た。緊張を悟られない程度に息を吸うと、喉の粘膜同士がくっ付き合うような気がした。「Winston Casterの1ミリを、一箱ください。」ビニールを纏った手のひらサイズの白い箱が、私には銀色に輝いているように見えた。 その翌日、私は恋人と会って食事をしていた。1軒目で夕食をとって、2軒目でバーに入るいつものコース。ほろ酔いのままバーを出て、終電の時間までホテルに籠る。これもいつものコースだ。でも、その日はいつもと違った。心持ちが違かった。何せ、今日の私はパンツのポケットに新品のタバコを忍ばせているのだ。前回のデートの(19歳の)私とはワケが違う。一つ大人になっちゃっているのだ。君の知らない間にね。私は頭も素肌も惚けた状態でホテル街を歩きながら、唇をニヨニヨと歪ませて彼に言った。「そういえば昨日、タバコ買っちゃったんだぁ」私の言葉に彼はその目を大きく見開いた後に、新宿の街中に響き渡るんじゃないかというぐらいの声量で笑い出した。イキったなぁめちゃくちゃダサいじゃんと笑いながら私の短い髪を捏ねくり回していた。ダッセェと笑った年上の彼に私は多少なりとも苛ついていたが、その怒りは決して見せない。だって私は大人になってしまったのだ。そのくらいの苛つきは笑って流せるよ、大人だし。何買ったのと聞かれて半ば自慢げにポケットの中の白い箱を掲げたら、彼は1ミリかよと言ってまた笑った。結局私は彼の横腹に一発パンチを決めて、タバコの箱を奪い返した。苛ついてなどいない。だって大人だし。(今考えたらイキってクソダサいので大いなる黒歴史である。)
初めてオールナイトイベントに参加した時、私はライブハウスのフロアでタバコを吸っていた。その時は多分Winston Casterの5ミリ。味の違いなどよく分からないままカッケー気がする方のWinstonを吸っていた。一緒にいた友人はメビウスのなんとかメンソールとかいう銘柄を吸っていた。そういえば成人式の二次会で10年ぶりくらいに会った中学の同級生もメビウスの何とかかんとかとかいう銘柄を吸っていたので、もしかすると学生の間ではメビウスを嗜むのがメジャーなのかもしれない。なるほど、だったら私は頑なにWinstonを買い続けてやろう。結局私は今でもWinstonを購入し続けている。(メンソールの誘惑には負けたが。)バーカンでジンライムを頼んで、片手には火のついたタバコ。最高にカッケー私がそこにいた。色の薄いダボダボのデニムに首元の緩いTシャツ。色素の薄い短髪に目元に赤いシャドウを引いたサブカルスタイルで下北沢の街を闊歩する私。最高にカッケかった。私を最強の女にしてくれたのは、いつだって一本のタバコだった。 世の中がこういう、なんとなく家から出辛い環境になるまで、私は友人と酒を飲む時しか喫煙していなかった。嫌煙家である家族に隠れてタバコを買っていたので「居酒屋がめちゃくちゃタバコ臭くて…」という言い訳を使えるときしか嗜んでいなかった。それに、喫煙者の友人とジョッキを傾けながらタバコを吹かすのは私の中でいっとうカッケー行為だったのだ。ラッパ飲みよりも、ナンパの奢りで飲む酒よりも、なんか「わかってそう」な顔をしながらたまに日本酒をロックで飲んじゃうような喫煙女がカッケーだった。(まぁ、その価値観は今もそんなに変わらない。)しかし、所謂自粛期間になってからは事情が変わった。コロナの流行と自分の就職活動が重なっていた私は、どうにもならない現状からの一瞬の逃避のためによく散歩に出かけた。そしてその散歩先で見つけたひとけの無い緑道で1本か2本タバコを吸ってから帰宅するようになった。それまでタバコは「誰かに見られている時に吸うもの」だったのが「自分が自分のために吸うもの」変化した。全く眠れなかった日の朝の散歩。不採用通知を受け取った日の夜の散歩。フラストレーションが溜まれば溜まるほど、私はタバコの甘さを知った。酸素の代わりに汚い二酸化炭素を��ばされている可哀想な私の赤血球。そんなことを思いながら、ほとんど深呼吸のように煙を吸い込んだ。おそらく、きちんと余さず肺まで吸い込む方法を会得したのはこの頃だったと思う。全力で息を吸い込んでも噎せなくなった。逆に言えば、それまでは噎せてたのかという話だ。見栄を張りたがる女の中身は、いつだって後から追ってくる。 そして今。特に悲しいことも腹が立つこともない。自宅にいる猫と戯れるために、喫煙本数は少し前よりも減った。愛猫に嫌われるのはどうしても避けたい。それでも週に何度かは緑道のベンチで喫煙している。来週から勤務するスーパーマーケットに向かう道中にその緑道があるので、きっと退勤後には毎度ここに寄ることになるだろう。おそらく、それくらいの付き合い方がいい。誰にも見られない、誰にも迷惑をかけない���のベンチで吸うタバコがいっとう甘いことに気がついてしまったのだ。 私はタバコに逃避するたびに、自分の幼さに向き合う。どんなに嫌なことがあっても腹が立つことがあっても、喫煙という行為は何の解決にもならない。そんなこと知ってるよ!と思う自分がいる反面、脳を焼くような逃避の方法を知ってしまったからこその蟻地獄的な葛藤もある。アレはきっと麻薬の一種なのだろう。合法的なトビ方をなんとやらというやつだ。まぁ、心得たところで今日も今日とて私は適当なことを言っている。
あんたには分かるでしょ。私はタバコの話なんかしていない。
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cosmo-alien · 4 years
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怒りに似た感情が常に心臓の裏側に張り付いている。ワイドショーのコメンテーターに怒り、友人の舐め切った持論に怒り、タイムラインの胃もたれする舐め合いに怒り、結局自分自身の何も無さに怒っている。空洞では音がよく響くから、いつも私の声は私の中で大きく増幅される。「どうせ私なんて」と思いながら、心のどこかでは確実に自分はマジョリティとは違う特別な人間だと信じ込んでいる。マジョリティではないのかもしれないけれど、それが優劣に繋がることなどなく、もしかするとこんな自己分析もマジョリティの中では至極当然誰でも通り過ぎる葛藤なのかもしれない。誰でもいい、替えの効く人間ではいたくないと思いながら、そうならないでいられる方法が解らないまま死んでいくのだろうということにちゃんと気づいている。こうしてどうにもならない心情と何かに向けた怒りを、ぬかるみより汚い語調で書くしか吐き出す手段が無い。世界は欲しいもので溢れているのに、本当に欲しいものはこの世では見つからない。そのことに気が付いた彼は首を吊って死んでしまった。私は彼のことを、コンクリートの打ちっぱなしの壁に囲まれた広い部屋に一人で住んでいて、その部屋には冷蔵庫の他には家具は一つもないような、そんな暮らしをしているサイコパス感を見ていた。当たらずとも遠からずではあったのかもしれない。大音量の外国語で耳も脳も支配されてしまう前に、彼は欲しいものに手を伸ばした。彼はそうあって生き切って、それが間違いかどうか解らないまま私は生きている。「〇〇での演技が凄く好きでした。」「順風満帆な人生だと思ってたのにどうして」「信じられない」どれも全部、全部。全部全部!生身の人間が紡いだ言葉だと思ったら、寒気がした。悪寒がした。信じられないとショックを受けてから数分後、きっとあなたは何食わぬ顔をしてテレビを見ながら笑っているのだ。それがとても恐ろしくて、怒りを覚えた。同情か、その類の勝手な心情。私はここ数年でいくつ死んでいくものを見取らなくてはいけないのだろう。死んでいくものたちに同情よりも羨望を抱く。欲しいもので溢れていたはずの世界に、私は世界の全てに対して怒りを覚える。トラップビートの上で、怒りを増幅させるようなフロウに自分を乗せて怒りを正当化する。怒って怒って、怒って。私は結局何者でもないのだと気づき、その怒りは自分に向く。爆走していた船を一旦止めて、それで何が見えるのだろう。酒を飲んでタバコを吸って、それで結局何になるのだろう。何者かになりたいという欲求は、何者にもなりたくないという欲求と同居するもの。何者にもなりたくないから何者かになろうとする道を自分で断つ。自分で断った道の続く先を見て、嫉妬し忌避する。自分で断ったのに。馬鹿みたいだ。 何もかもに怒っている。あなたの言葉にも、私自身の言葉にも。怒りそのものを創作意欲に転換して、それをクリエイトみたいな顔をして図体のデカさだけを誇る。恥ずべき生き方をしている。それでも、いつまで経ってもおさまらない怒りを持病のように抱えている。脳が焼ける感覚だけを頼りに世界を歩く。欲しいもので溢れていたはずの世界を、終わりの見えない世界を歩く。明日、苦労したくないという姑息な欲望だけで生きてきた私は10年後も20年後も、世界に怒りながら生きているのだと想像すると、それだけで恐ろしくなる。怒りは人間を焼き殺す。どうにもならない怒りが、燻るよりも燃え盛る。燃え盛って自分自身を焼き殺す。超ビックリみたいな感じ。40度のアルコールで喉を焼いたって、焼死出来ない。彼が首吊りで死んだなら、私は焼け死にたい。これだけ感情がいつでも、いつでも溢れていつも溢れていたのだと、翌朝の新聞に載ってみたい。死ぬよりもずっと、私はあなたの感情が15cm定規に収まってしまったことの方がずっと悲しい。怒りすら覚えない。怒りすら覚えないことに怒りを覚える。諦念。諦念、諦念、諦念。期待と諦念。期待に次ぐ諦念。ここまで生きてきて気がついたのは、人生は諦念の積み重ねだということ。面白いと思っていたものが、実際はつまらなかった。そんなことの繰り返しでしかない。0⇄100のメンタルで生きていると、すぐに死にたくなる。私はもう、あの子のことを好きだと言えない。限界を見ると、途端に興味を失う。私はどこから何を見ているのだろう。その全能感に浸りながら、結局のところ「どうせ私なんて」が蔓延るから死にたくなる。 スタジオに入りたい。何も考えなくていい、あの場所。髪を振り乱して、鏡に映る自分とだけ向き合えるあの場所。上手く踊れなくても、私はどう足掻いてもあの場所に戻ってしまう。苦しかったことも悔しかったことも全部美化してあの場所に戻ってしまう。踊れないのであれば、私は死んでしまいたいと思うのです。あなたには分かってもらえなくてもいいけれど、私は総じて踊りに呪われた女なのです。つまり、演技に呪われた彼のことを、私は彼が死んでから愛おしく思ったのです。彼は死んで、それで彼になったのだと。そんなことを書いたら怒られてしまいそうだけれど、私は怒っているあなたの100倍の見えない何かに怒っていて、結局死ねない程度に自分自身を炙っている。炙りながら苦しんでいる様子を世間様に見せつけて興奮する変態性にマイノリティとしてのアイデンティティを感じながら、結局「どうせ私なんて」に足を引っ張られている。何者でもない私に誇りを持ちながら、何者かになった友人たちに嫉妬する。こうやって、死んでいく。��んで死んで、死に続けながら生きていく。世界は欲しいもので溢れているのに、欲しいものに手を伸ばしながら。けれど、私の角膜では欲しいものすら見えないまま。夢の中で遺骸に愛してると囁いた。
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cosmo-alien · 4 years
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父と母と、家族になれなかった娘
 私の父親は、ひどく前時代的な人間だ。前時代的な性格がどういう人物を指すのかは定かではないが、私の父親は偏ったジェンダー観を持つ、乱暴で暴力的な人間だと思う。良家の長男に生まれた私の父親は、今や立派な敏腕会社経営者となった。同時に娘に暴力を振るい、意のままに動かすことにすら無意識な男になった。私自身、それが異常だと気が付いたのはつい最近のことだ。私の父親は、本当に狭い狭い世界で生きてきて、このまま死んでいくのだろう。私自身、そのことにひどくガッカリしたのだ。
 私は幼稚園児の頃、とても引っ込み思案な子供だった。絵を描くことが好きで踊ることが好きで、けれど言葉と態度での自己表現が下手くそな子供だった。そんな幼稚園児は父親に「自分の気持ちはちゃんと口に出せ」と怒鳴られ、本格的に自分の気持ちを家族に打ち明けられない子供になった。それは今も変わらない。私は今でも本当にやりたいことを家族に話さないでいる。 家庭のおかしさに気が付かないまま、私は成長した。父親のことも母親のことも尊敬していた。「家族の尊敬しているところはどこですか?」と聞かれたら言葉に詰まったかもしれないけれど、『両親は尊敬すべし』という教訓めいた思い込みを疑うことはなかった。父親は私を殴るし、母親は私を殴る父親を止めなかったけれど、私は両親のことを尊敬していた。だって、家族なのだから。 私が中学生の頃、父親が家を出て行った。私と母親の二人暮らしが始まった。この頃の二人暮らしは、本当に順調だったのだ。貯金を切り崩して二人で海外旅行に行ったり、遅くまで一緒にテレビを見たりした。思い返してみれば、父と母と私の3人で行く旅行は酷く窮屈だったのだ。車が好きな父親のために何時間もオープンカーの後部座席に押し込められ、三半規管の弱かった私は自分の吐瀉物をそのまま飲み込んでいた。吐いたら、またぶたれると思っていた。友達がハワイに行ってとても楽しかったらしいという話をすると、お前に自我はないのかと殴られた。翌朝起きると、旅行先は私の知らない場所に決まっていた。旅行はつまらないものだと思っていたのだ。母と二人で行った旅行は本当に楽しかった。これまで抑圧されていた気持ちが爆発したのかもしれないが、もしかすると人生で一番楽しい旅行だったかもしれない。 旅行から帰ってきた頃から、母の体調が悪くなっていった。寝たきりになる日が増え、夜中に錯乱することが多くなった。母はそのまま入院することになり、家に父親が帰ってきた。それまで父親がどこに行っていたのか私は知らない。ただ、母が病気になって父親が帰ってきた。母は入退院を繰り返し、退院しているときは父親は家にいたし、入院しているときは父親は家に帰ってこなかった。母が入院している間、私は一人暮らしだった。独居だ。やたら素麺だけを摂取し続けた一人暮らしだった。 その頃から、私は自分の将来についてなんとなく「こんな業種に就きたい」と考えることがあった。自分の就きたい職業である会社でアルバイトをし、着々と就活をしなくていい準備をしてきた。(私はこれまでの人生で、受けるべき試験を受けなくていいようにスルスルと避けてきた小狡い人間なのである。)母の体調が回復してきた頃、私は就活生となった。そして、アルバイト先から内定を頂いた。事務職でなく、私が就きたかった業種での内定を頂き、「コネじゃなくて、君が優秀だから採用したんだよ」というお言葉まで頂いた。私の就職活動はこの時点で終わっていたはずなのだ。就活らしい就活はしていないけれど、ずっと就きたかった職業に就けて、しかもそれは私がこれまでの人生を丁寧に生きてきたご褒美のような形だったのだから。 しかし、父と母は私を許さなかった。彼らの中で「自己表現が下手くそな娘」は22年間変わらず大きく育っていたらしい。私はその齟齬に酷く落胆した。むしろ自己表現にしか存在意義を見いだせないような22歳の人間が、全くそうは思われていないとき、両親の中で私は「ただの無感情で無趣味で熱量のない娘」でしかないのだ。私が気づいたとき、その齟齬はもう二度と埋められないほど大きくなっていたのだ。父は「自分のやりたいことをやらせてほしい」と土下座する娘に陶器の湯飲みを投げつけて罵声を浴びせた。何のために流れているのか分からない涙が、ただただ溢れた。父は私を掴み起こし、襟首を掴んで壁に押し当てた。母はソファーに座って過呼吸になっていた。いつから。いつからこんなふうになってしまったのだろう。初めからそうだったのだとしたら、私が両親を尊敬していた時間にはどんな意味があったのだろう。今はただひたすらにそれを考えている。  そのあと私は知り合いの家を転々と泊めてもらいながら時間を過ごし、家に帰った。そして先日、父と母と話をした。私はやりたいことがやりたいのだと伝えた。父は『条件』やら『体裁』の話をしていた。母は、娘にとって今が自立の時なのだとしきりに話していた。結局、こんな時まで私達は家族になれないのだと、半分自嘲しながら私は声を震わせていた。父は「まあお前がどこで何をしようが俺には関係ないから」とリビングを出て行った。母は泣きそうな顔で私を見てウンウンと頷いていた。私はただただ安堵していた。これで、家族は家族の形でなくなっても良いのだと、安堵していた。
 3日ほど前から、うちには猫がいる。父が私に湯飲みを投げつけたあの日の翌日、ほとんど鬱病のようになってしまった母を見かねて父が買ってきた猫だ。「猫飼うことになったから」と帰宅早々告げられた私の気持ちを考えることもできない人間を家族と呼称しなくていいことに、今は清々しい思いですらある。娘がダメなら今度はペットか。私はペットと同列の生き物だったのね、二人にとって。これは僻みであり喜びでもある。こんな感情を『残酷』と呼ぶのだろう。  父が私の内定先を貶したとき、私は酷く苛ついたし激情した。内定を受けるかも分からない私に対して、優しさをくれた(今も進行形でくれている)人達を何も知らない人間に貶されることに腹が立った。「私の大切な人になんてことを!」という感情だと思う。それはきっと、家族に対して抱く感情だ。私がこれまで抱いたことのない感情だった。大切な人が、知らないところで貶されていることに無条件に腹が立った。 今度こそ、私は家族になりたい。血のつながりは所詮『血』の話でしかないのだ。「家族」という呪いは世界中のどこにでも蔓延っている。けれど、私は思うのだ。家族と理解し合えなくても愛し合えなくても、家族以外の人間と出会いぶつかり合うことで人間は22年間も生きることができる。家族との『理解』は絶対条件ではない。のらりくらりと過ごし、時期を見る。これは酷く冷たい考え方かもしれないけれど、自分で自分を殺せない弱い私が唯一見出した、自分の愛し方だったりするのだ。
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cosmo-alien · 4 years
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【草案】紙様
 バイト先が潰れた。普段通りに新宿駅まで電車に乗って東口に出た。そこから数分歩いて到着する歌舞伎町のネオンでギラギラの門。さらにそこから数分歩いて到着するゴジラの映画館とラブホ街のちょうど狭間にあるネットカフェ。そこが私のバイト先です。否、バイト先だった。つい昨日までは私のバイト先だった。小汚い雑居ビルの1階から5階までを貸し切って営業していたネットカフェの入り口、そのガラス張りの自動ドアに貼られたA4の紙。閉店のお知らせ。大変申し訳ございませんとかなんとか云々。ふざけんな、今日給料日だろうが。振り込みじゃなくて手渡しなんだから今日までは開けとけよふざけんなオイ。締め切られたまま自動ドアに殴る蹴るの暴行。びくともしないがせめてもの抵抗だ。今日金を受け取れないと今月の家賃が払えないんだよ、ふざけんなマジで。「冴ちゃん、どったの」自動ドアをガツガツ殴っていると後ろから声を掛けられる。同僚の相生さん。年齢は知らないけど、とりあえず先輩なので相生さん。仕事はできない。店が潰れたことを伝える。今日金をもらえないと家賃が払えないことを伝える。金が必要で、なんなら今日給料を受け取るつもりでいたから今���家に帰る金すらないかもしれないことを伝える。伝えたからってどうなるわけでもないが、職がないため時間を持て余したので話す。私の言葉にフンフン頷きながら相生さんは話を聞いていた。聞いてないみたいな様子で頷いていた。聞いていても理解してなさそう。相生さんはそういう人だ。「じゃあ冴ちゃん、次のバイト見つかるまでウチ住む?」ほらやっぱり聞いてない。そういうこっちゃないんだ。金が必要なだけで住処はあるんだよ。分かる?「ほらほらいいよ、遠慮しないで。私夜は仕事でいないからさ。」ウダウダ抜かすのもかったるいのでとりあえず相生さんの家に向かう。「ここから歩いて10分だから〜」って言ってたのに多分30分は歩いた。相生さんの体内時計はおかしい。この人のおかしいところは体内時計だけじゃないけども。相生さんの家から帰るタイミングを逃しながら1週間が経過した。これじゃ立派な同居だ。自分の家の大家から家賃催促の電話がかかってきたが、まあいいかと思って無視を続けている。追い出されても住むとこあるし。「このまま住んじゃいなよ、いいよ私は全然」明け方に帰ってきた相生さんはふにゃふにゃ笑いながらいつもそう言った。安いシャンプーの匂いを漂わせて、白い下着を洗濯機に放り込みながらそう言った。ソープかデリか知らないけれど、相生さんは多分風俗で働いている。だからなんだという話だ。相生さんの下着や服が臭くならないように、私はタバコの本数を減らした。相生さんが帰ってくる時間を見計らって朝食を用意した。(お湯を沸かしてカップ麺をいくつか用意するという立派なお仕事だ。)そんなこんなで私は相生さんのヒモと化した。いつだってバイトを探しに出かけることはできたけれどなぜかそうしようとは思えなくて、ただ相生さんの家に居座り続けた。私が相生さんの家に転がり込んでから2ヶ月が経った。この生活にも慣れてきた頃、相生さんが目の上からダラダラと血を流しながら帰宅した。「殴られちゃった」この後に及んでまだヘラヘラと笑う相生さんの私は腹が立った。相生さんの口座に入金されている額も、相生さんが一晩幾らの女なのかも私は知らないけれど、血管がいくつか切れたんじゃないかってくらい腹が立った。それこそ、目の前にいる女に掴みかかってしまうくらい。「私みたいな人間のこと心配してくれるの、冴ちゃんくらいしかいないから」ヘラヘラとそう言う相生さんに私は口角を飛ばして次々と言葉を浴びせた。だったら私が体を売ります、と口走ったのはだいぶ後半だったと思う。正確には覚えてないけれど。相生さんの話を詳しく聞くと、相生さんはデリヘルのバイトをしているらしい。店で待機し、電話がかかってくればその家に向かう。直接店に来た客に股を開くこともあるらしいが、相生さんは電話での仕事が多いらしい。給料は店から一律で支払われ、稼ぎは良いものの店に搾取されている分も相当額あるだろう。それだったら、と私は知恵を絞った。私の提案に相生さんはまたヘラヘラと笑いながら頷いた。「大金持ちになっちゃうね」風俗店の電話番号が記載された雑誌に私の携帯の番号を載せてもらった。私の携帯に電話がかかってきたら、私か相生さんが出動する。店名なんてなくても、お手��のデリヘル店が完成した。一晩1万から回数を重ねるごとに金額を増した。正規の店舗でないからどんなアブノーマルなプレイにも対応した。相生さんにはやらせないけど。値は張るが太客は増えた。それこそ、相生さんがかつて働いていた店からも多くの客を引っ張ってきた。私の口座はずいぶん前に閉じてしまったから、相生さんの口座にはたんまりと金が溜まっていった。使い道はないのでとりあえず貯めておく。いつかどこかで何かに使うかもしれないし。そう思いながら客に抱かれた。不快感はない。職を見つけたのだ。「いつか二人で広い家に引っ越そうね」ある日、いつものように電話が鳴った。電話を取ると同時に家のドアが激しくノックされた。嫌な予感がした。相生さんは外出中だが、相生さんはノックなんてしない。嫌な予感が高まるのに比例してノックの音が激しくなっていく。私は恐る恐るドアを開くと手首を引かれた。そのまま家の中に押し入られて、引きっぱなしの布団の上に押し倒される。知らない男だ。客じゃない。どこかで会ったか?分からないけど、抵抗する理由もなかった。ただ、股が裂けるように痛かったのを覚えている。相生さんが帰ってきたのは、男達が立ち去った後だった。開け放たれたドアから相生さんが駆け込んでくる。「冴ちゃん、ゴムは?」ゴム。ゴムは使ってなかったかもしれないです。ごめんね相生さん。私働けなくなっちゃうかなぁ。翌日、相生さんが口座の金を確認したら全額引き落とされていたらしい。きっと昨日の男達は相生さんが以前働いていた店の人だろう。私達のせいで店には閑古鳥が鳴いているらしいから、多分そうだ。そして問題なのが、相生さんの口座に金がないということは中絶するのに払う金もないということだ。「お母さんが二人でもいいかなぁ、冴ちゃんのお股から生まれても冴ちゃん、お父さんやってくれる?」私はヘラヘラと笑う相生さんの唇に噛みつくようにキスをした。それからセックスをしたのかもしれない。記憶はいつだって曖昧に残っている。
という小説を書こう書こうと思いながら、この先が思い付かず。ここで閉じていいのでは?と思いながら日々過ごしています。
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