Tumgik
breakmyjourney · 2 years
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Break your journey...
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"Life is a journey, not a destination." 
Ralph Waldo Emerson
この世に生を受けた人間に平等に与えられているのは、いつの日かこの世から去る「死」だけだと思う。
生まれてから流れている時は同じでも、「時間」は平等ではない。
この平等ではない一生という旅をどのようにデザインしていくかは自由だ。
ただ、この平等ではない時間の流れの中で、
「立ち止まることができる瞬間はどれくらいあるだろうか。」
誰も、立ち止まってはいけないと言ったことはないけど、
立ち止まることに対する 「怖れ」 をもっている。
日本で暮らしていると、、、
大多数の人は、いわゆる「ストレートコース」を歩んでいるような気がする。
小学校から中学校まで義務教育を終えて、当たり前のように高校・大学を受験し、そのまま就職活動の波にのまれる。
就職というよりは、「就社」活動のために自己分析を初めて、本当にやりたいことは自分でも言語化しきれないまま大学を卒業。
ある日、学生から急に社会人モードに切り替えることを求められる。
生活と自分の自由のためにお金は稼ぎたい、
だけど、ワークライフバランスは保ちたい。
仕事と暮らしの両立に苦戦しながらも、
それでも日常は流れ、私たちもまた前に進みつづけなければならない。
漠然と将来への不安、何者かわからない自分が、何者かになりたくて焦り、頑張りすぎてしまう。
心の中に小さく違和感が生まれているにも関わらず、見ないふりして押し殺しながら。
■わたしと私の心の感情
私たちの旅は瞬間の連続で生きている。 瞬間ごとに様々な感情を抱き、身体も何かを感じている。 そしてこの自分自身からの反応こそが旅路の選択に重要なサインだと思う。
一方で、、、
私たちは、幼少期から自分の気持ち(感情)とつながる機会が制限されているように感じる。
自分の大切にしたいものや素直な体の反応(気持ち)よりも、社会や周囲の「あるべき」ルールに見えないうちに縛られていく。
感情とつながらないほうが疲れないとさえ思いながら、 自分が傷つかないように、傷つけないように。。。 各々の人生の旅にはマニュアルなんてない。 それなのに見えないモデルコースのような旅程表に縛られている。
モデルコースの工程表通りにいけないことをネガティブにさえ捉えられてしまう。
最近では、
「人生100年時代」、「好き」を仕事にする時代、遊ぶように生きろという言葉を耳にすることが増えてきた。
いろいろな人生という旅を選べるのは素敵なことだ。
だけど、自分の足元を見る暇もなく走り続け、自分とつながることから避けてきた人たちはどのように、選択肢に気づくことができるだろうか。
気づいたらセットされていたナビを頼りに止まれない、引き返せないハイウェイ上でどうしたら良いだろうか。
もしかしたら、途中でナビが壊れて迷子になり、自分がどこに今いるのかもわからず途方に暮れてしまうかもしれない。
■Parking Area.
自分の人生の旅路を自分で歩んでいる証だ。
立ち止まったら前に進めなくなるんじゃないか。
そんなふうに不安が押し寄せて、止まれなくなるかもしれない。
でも、車の点検時期が定期的にあるように、立ち止まるからこそ私たちはまた歩み続けることができる。
また元気よく歩き出せるようにエネルギーチャージする時間。
路駐なんかじゃなく、駐車場に停めて休憩できる「よりどころ」があったっていいと思う。
ちょっと休憩したいなって思ったときに、立ち寄れるような場所が。
しばしの寄り道、しばしの休憩。 パーキングエリアを立ち寄れることは、 自分の人生の旅路を自分で歩んでいる証だ。 立ち止まったら前に進めなくなるんじゃないか。 そんなふうに不安が押し寄せて、止まれなくなるかもしれない。 でも、車の点検時期が定期的にあるように、立ち止まるからこそ私たちはまた歩み続けることができる。 また元気よく歩き出せるようにエネルギーチャージする時間。 路駐なんかじゃなく、駐車場に停めて休憩できる「よりどころ」があったっていいと思う。
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