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第17回 報告
日時: 2023年 8月5日(土)14:00 - 16:00
場所: 越前市中央図書館グループ室
取り上げた本
かこさとし『海』(福音館書店)
『HIGH TIDE』
斎藤隆介『モチモチの木』(岩崎書店)
五味太郎『みんなうんち』(福音館書店)
宮沢賢治 原作 アーサー・ビナード 訳『雨ニモ負ケズ』(今人舎)
その他
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主催者の都合により、「ブッククラブ 土曜日」はしばらく休会とします。
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第17回 案内
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第16回 報告
日時: 2023年 7月8日(土)14:00 - 16:00
場所: 越前市中央図書館グループ室
テキスト:田坂広志著『死は存在しない』(光文社新書, 2022年)
【感想、意見など】
「ゼロ・ポイント・フィールド仮説、いや、どうもね・・・」といった感想です。ベンローズやホログラム原理といった高名な学者や有名な理論の上っ面だけをあちこちから拾ってきて、無理やりこじつけてつくった理屈のように感じました。現在の学問で説明のつかない不思議は山ほどありますが、もっと丁寧な向き合い方があるはずだと思います。
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初めてこの著者の本を読んだ。現代科学の最先端、量子物理学の世界で論じられている仮説があるという。「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」だ。それは宇宙の歴史が始まって以来の「すべての出来事」が記録され、人類の歴史始まって以来の「すべての叡智」が記録されているという。人は死んだらそこに回帰し自我も無くなりありとあらゆる生き物と混ざりあうとか…あまりにも荒唐無稽な話に聞こえる。もしも将来本当にそのフィールドがあると証明なり発見なりされたら、「人は死んだらどうなるのか、どこに行くのか」という疑問や不安が無くなり安心して生きていけるようになるのか。それとも心の不安が増して生きるのがより辛くなるのだろか。科学は昔から目に見える物だけでなく、多くの目に見えない物が存在すると提唱してきて、それを証明してきている。自分が生きている間にフィールドの存在が確認されると面白いと思っている。
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第16回 案内
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第15回 報告
日時: 2023年6月10日(土)10:00 - 12:00
場所: 越前市中央図書館グループ室
テキスト:北條民雄著『いのちの初夜』
【感想、意見など】
ハンセン病が、り患した人間をその家族や地域から隔離し、社会からも孤立させた歴史をもつことは知っていた。数年前、福井県立図書館のロビーでも、ハンセン病(癩病)施設や当事者を写した写真展が行われ、「差別」と「人権」に対する「啓発」を行なっていた。そうした印象があるので、当事者と社会との断絶を考えざるを得ない。きっと「いのちの初夜」もそうだろうと思っていた。それは間違いではなかった。しかし、それだけではなった。
 主人公の尾田は、り患してはいるが初期の状態であるようだ。物語は、主人公が社会から隔離された病院に向かっていくところから始まる。物語はその入院した病院内での短い期間のいくつかの出来事をつなげながら、主人公のこの先に向けての意志の定まりで終わる。
 主人公に癩病について問いかける、入院患者の付き添いをする佐柄木という男性が出てくる。彼自身も癩病だ。佐柄木は主人公が自殺しようとするところも密かに見ていた。その上で、主人公の死にきれなさを、これまでにも同じようにして死にきれなかった人たちと並列させて語る。この視点は主人公にとっては超越的な視点だ。佐柄木は、主人公の「生きていること」を照らし出す。以下の佐柄木の言葉は、この物語の大きな土台だ。
「つまりこの人たちも、そして僕自身をも含めて、生きているのです。このことを、あなたは不思議に思いませんか。奇怪な気がしませんか」(p.27 角川文庫)
 生きていることは無条件に肯定されるべきで、喜ばしいことだという考えを僕は持っている。生きていれば喜びも、哀しみ、苦しみ、怒りもある。それでも、生きていなければそうした感情を抱くこともできない。生きていることの肯定は、存在することの肯定なのだ。しかし、生きていれば喜びだけを求めたいというのは人情だろう。そうした考えは生きることを捉える上では一面的であることをこの物語は示す。
 ━━じっとそれら(注:膿汁に煙った空間、ズラリと並んだベッド、死にかかった重傷者、繃帯、ガーゼ、義足、松葉杖)を眺めているうちに、尾田は、ぬるぬると全身にまつわりついて来る生命を感じるのであった。逃れようとしても逃れられない、それは、鳥黐(とりもち)のようなねばり強さであった。(p.33 角川文庫)
 生命。それを意識することは稀だ。生命を自らに感じるために、生と死の間を行き来したのが主人公なのだと見えてくる。生きている者でも死者でもなく、その両方の間にあって、両者を照らすのが癩病者ではないか。僕の生は尾田の生とは異なる。僕の生とは何だろうか。照らし出すのは何だろうか。他者との交流の力もこの物語は描いているのだと思う。
2023.6.11
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今年2月の「ラジオぽこりぽこり」(文化放送)で詩人のアーサー・ビナード 氏が国立ハンセン病資料館の企画展「ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち」とそこで展示されているいくつかの詩について紹介しているのを耳にしたのが、今回の課題図書を手にしたきっかけです。ラジオ内では、北條民雄や『いのちの初夜』は、戦後始まった新しいハンセン病文学運動にとっては乗り越えられるべき対象であったと紹介されていましたが、まずは具体的に何を乗り越えようとしたのかを知る必要があると思い、企画展への予習として読んだのが最初です。その時の印象として、施設内の女性患者の描写が印象に残りました。物語を通して、ハンセン病を患った主人公の尾田が、生きようか死のうか迷う心の変遷が克明に描かれているのですが、シリアスな心情を吐露する中にも、異性のちょっとした露出(束ねられたゆたかな黒髪や袖からのぞいた白い腕)を目にしたことによって、俄然情欲が湧いたり生きる意欲を見出したりするところにおかしみを感じました。
読書会で出た感想で、「怖くなって続きが読めなくなった」というものがありました。確かに悪夢から目が覚めたあと、尾田が部屋を見回した時に目にする光景は、作中で尾田に「化物屋敷」と語らしめているように、ホラー的な効果を狙っているように感じます(いたずらなまでに)。この作品が出版された1930年代当時は、いま以上にハンセン病患者の収容施設の実態が明らかにされていなかったでしょうから、当時の読者には「怖いもの見たさ」でこの本を手にした人も多くいたのではないかと思います。
また、尾田の生きようか死のうか迷い続ける心の動きは、「無条件の肯定」という生への態度を問いかけているようだという意見もありました。確かに、自身の生がままならない時に湧きがちな「自分なんか、生きていてもしょうがないんじゃないか」という絶望感は、ハンセン病にかかっていなくとも、現代の人間にも多かれ少なかれ理解できるところがあるのではないかと思います。
物語の最後の印象的なシーンに、主人公にとっての精神的な支柱的存在である佐柄木が、施設の絶望的な状況を生き抜いていくために、「新しい思想と新しい眼を持つこと」(角川文庫版, p46)の大切さを説くところがあります。そんな佐柄木の生き方に見て取れる抽象的でストイックな求道者像は、果たして一般的なハンセン病患者にどのくらい広がりをもったのでしょうか。直後の「苦しむためには才能が要る」(角川文庫版, p50)という佐柄木による言葉も、実際には疎外感すら抱いた患者もいたのではないかとも感じます。本作品は川端康成の力強い推薦もあって当時のベストセラーになったとのことですが、当のハンセン病にかかった人たちはこの物語をどのように受け止めたのか知りたいと思いました。
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第14回 報告
日時: 2023年 5月13日(土)14:00 - 16:00
場所: 越前市中央図書館グループ室
テキスト:レイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』(新潮文庫)
【感想、意見など】
・「子どものころにもっていた自然にときめく心を大人になってももち続けましょう」というのがこの本の主旨だと思うのですが、自身の経験に即して考えてみると逆のように感じます。ある程度自然の理に触れた大人になってからの方が、私の場合、身の回りの自然現象に対して心ときめく機会が増えたように感じます。
・57ページで虫の音の美しさについて言及されていることはちょっとした驚きでした。欧米人は虫の音を雑音のようにしかとらえないと聞いたことがあったので。「センス・オブ・ワンダー」とは、文化的なもの影響以上に、きっと個人の感性の問題なのかなという気がします。
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あの「沈黙の春」の作者レイチェル・カーソンの最後の著書。読み進むうちに鳥の声が聞こえ波の音が迫って来るように感じた。それは少なくとも鳥の声を聞き、また川や海に行って体を水に浸した経験があるから蘇ってくる感覚なのだろう。子供達にそういった経験を積ませてやるのもまた大人の責務であるのではないか。
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カーソンはDDTなど化学物質の自然への影響に警鐘を鳴らした『沈黙の春』が有名だ。そこから読み始める人も多いのかも知れないけれども、僕は『我らをめぐる海』を30年くらい前に読んだのみだ。海洋生物学者として、科学者のまなざしを豊かな感性で語っていた印象がある。この本を選んだのは、本屋でたまたま手にしたから。分量も少なく読みやすいだろうということと、「センス(感覚)」について関心があることが重なったからだ。
カーソンは姪の息子ロジャーを養子として育てた。本書はロジャーを抱いて夜の海に向かうところから始まる。生物は海から陸に上がったけれども、生物である人間が海に向かうことは、いろいろなこと(生き物の歴史、個人の歴史、宇宙に向かう想像など)と向き合うことを示している。
自然と向き合う人間の視点が中心だけれども、もう一つ、人間対人間の視点も含まれていると思う。カーソンとロジャーのように。カーソンはロジャーに神秘を感じていただろうと想像する。答えのない疑問の上にある「生きるということ」と言えるのかも知れない。
カーソンの文章は読みやすいけれども、その内容は汲めども尽きぬ深さがある。あえて事実のみを語ろうとしているようにも感じる。科学者だからだろう。
これから生きていく上で、忘れずにいたいと思う言葉も与えられた。ぜひ読んでいただきたい一冊だ。
  「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
***
  見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです。
 「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら?もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」と。
***
  地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。
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第13回 報告
日時: 2023年4月8日(土)14:00 - 16:00
場所: 越前市中央図書館グループ室
テキスト:灰谷健次郎著『兎の眼』(角川文庫)
【感想、意見など】
今回、読書会に臨むにあたって、あらためて文庫版を求めようとしたところ、どの本屋を訪れてもおしなべて灰谷本は絶滅寸前でした。文庫コーナーに行けば必ず「灰谷健次郎」のタグが設けられており、その棚の半分に10を越す著作が並んでいる…、没後20年が近づいていますが、この作家に関していえば、このような読書環境が10年前までは成立していたように思います。そんな一抹の寂しさと、「なぜ灰谷作品が世に受けなくなっているのか」という疑問を抱きながら読み進めていきました。
再読する前からある程度の見当はついていたのですが、まずは、登場する教員の振る舞いや発する言葉に、今の時代に受け入れられなくなっているものがいくつかありました。ここでそれを逐一挙げていくのはやめておきます。個人的にはこの小説に登場する先生たちのことがとても好きなので、あまりその非をあげつらうようなことはしたくありません。
ただ、小説内でいくつも展開される、子どもたちの生活世界と深く交わるような素晴らしい教育実践は、教師も自らをむき出しにして初めて実現したものだったのではないでしょうか(小谷先生が研究授業で鉄三の作文を読みあげるシーンは、涙なしでは読めません!)。足立先生や小谷先生は、作品の中でまだそれぞれ30代や20代でした。このあともきびしい時代の風に遭う一方で、子どもたちやその保護者、地域と向き合うことを大切にしながら、めでたく定年まで勤めあげられたことを願っています。
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足立先生や、小谷先生子供達への意見も沢山あると思いますが、私が特に引っかかったのは小谷先生の夫の事です。妻の仕事を良く理解せず、家庭に影響及ぼさない程度にやって欲しい。自分は家事などしないで妻にばかり要求してくる。まるで幸福日本一の県の事のようです。その幸福は妻の忍耐力、犠牲によって成り立ってるんですぞ! いつになったらそのことが骨身にしみるのだろうか? まあ、妻が忍耐限界になって、一枚の用紙(妻の名前は既に記入済み)を突きつけられるまでわからないんでしょう。世の中の男性群、御用心あれ。
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1974年に出された本書の小学生の登場人物は、僕と同学年でもあり、自分自身の物語として読んだ。そのことが現在と「時代のちがい」を感じさせた。具体的にはこの本が出された頃は、「正解を求める」ことが今と異なっていたのではないかという点だ。学校が物語の舞台であるけれども、子供のみならず、子どもたちを教育する先生(=大人)も間違うことがあるのだということが、この本の土台にあったように思える。つまり、学校は子どもたちだけでなく、先生も学ぶ場であるということが、認識されていたように感じた。正解を求めれば、あれもこれも正解ということにはならない。間違いがどれかを示すことが難しくなるからだ。そうした教育が全面的によいことだとはいえないのではないか、という問いが物語には隠されている。
この本が出た当時は、戦前教育を受けた人たち(50代前後)が社会の中心になっていただろう。そうしたこともあり、戦争にまつわる人(植民地だった朝鮮の人たちを含む)や、出来事を問い直すような話も出てくる。高度経済成長の末期、学生運動の衰退の中、社会全体の変わり目、小学校を舞台にした物語で改めて日本全体に「問いかけ」を行ったと言える。
著者は教師であったこともあり、登場人物を設定した後、それぞれが自由に動きだすその動きを書き留めていったように思える。この作品からあふれる生き生きとした力は、著者の創作の力以上に、人が本来持っているエネルギーを解放することにあると感じた。昔の言い方で知恵おくれのみな子が、にこにこしながら走っていく様子は、僕の心に強く印象付けられた。ラスコーの壁画のように。
著者の場面を切り取る際の詩のような描写が、人物だけでなく「もの」の声をも浮かび上がらせる。その点も本作に欠かせない要素だ。
読んで話し合う、対話のための作品だと思う。だから終わりがない物語なのだ。
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第12回 報告
日時: 2023年3月4日(土)14:00 - 16:00
テキスト:斎藤幸平著 ゼロからの『資本論』(NHK新書, 2023年)
【感想、意見など】
参加者4名。前回取り上げた『人新世の「資本論」』と比べると、気候変動に関する記述は軽くなった一方で、表紙カバーの宣伝文句「コミュニズムが不可能だなんて誰が言った?!」が物語るように、コミュニズムのイメージを刷新し、読者にポジティヴなイメージを持ってもらうことに、より労力が割かれていたように思います。具体的には、第5章「グッバイ・レーニン!」で、ソ連や中国といった国家社会主義によって色塗られた負のイメージを払拭し、第6章「コミュニズムが不可能だなんて誰が言った?」では、コミュニズムの歴史的実体や現代的萌芽が確認されていきました。
この構成に、参加者の中には、「(特に後半が)単なる事例の紹介に終わっている」という印象を抱き、さきほどの宣伝文句の問いとしては不十分に感じた人もいたようです。しかし、それはないものねだりというものではないでしょうか。マルクスがあえて具体的に未来社会を描かなかったように、斎藤氏も、具体的なコモンの再生の仕方は、個々人がそれぞれの場所で取り組むべきものだと考えているはずです。
『人新世の「資本論」』では紹介されていなかったキーワードでおもしろいと思ったのは、「法学幻想」という考え方です。法学幻想とは、社会を自分たち自身で変えていこうとするのではなく、国家や政治権力に依存し、そこで作られる法律や制度にて社会問題を解決していこうという態度のことで、マルクス自身も強く批判したものです。この視点からだと、昨今話題になっている経済格差対策(ベーシックインカムやMMT理論)だけでなく、戦後に資本主義国家がとった福祉国家政策も、抜本的な解決には不十分なものだということがわかります。またこのような政治主導の考え方は、市民運動の参加者の間にも根強いものがあるのではないかという問題提起がなされました。
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・資本主義の問題点をマルクスの『資本論』を通して分かりやすく解説してくれている。特に「物質代謝と労働」、「価値と使用価値」、「富と商品」、「物象化」、「価値増殖運動」などは重要な概念で、現在の問題を考える起点になる。
・奴隷や身分制のみならず、生産手段からも自由になった(生きていくために必要なものを生産する手立てを持たない)という「自由」が、私たちが「労働を売る」ようにするという指摘は、資本主義(経済)だけの問題ではなく、思想や文化にも大きく影響していると思う。誰もが、何か実存に関わることを求めるような社会になっているのではないか。
・マルクスは資本主義に私たちの生活を豊かにする側面があったこと否定していないという(p.139)。また、資本主義に抵抗するうえで重要なのは、国家権力の奪取や政治体制の変革ではなく、経済の領域で物象化(人間がモノに振り回され、支配されるようになること p.42)を抑えていくことだと著者は主張する(p.168)。モノは実用性だけでなく、精神的な満足を得るためのモノ(=商品)もある。それが「豊かさ」として感じられることも含むから、資本主義への抵抗は、自らの豊かさと欲望への問いかけとなる。物象化を抑えるため、「豊かさ」が限定される(自然に優しいもの以外は良いとされないなど)ことにはならないのだろうか。
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第12回 案内
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第11回 報告
2月11日(土)10:00~12:00 テキスト:森嶋通夫著『なぜ日本は没落するか』(岩波現代文庫,2010年)
【感想、意見など】
革命が必要ですな!😎んーーーーーー??家計に直結する話でしたが、何をどうすればいいのかもうよくわからないー!具体的には蓄財に勤しめば良いのか?否!それは抜本的な解決にはならないですよね。ずーーと繁栄し続けると思っていたのが、幻影だったって思い知らないと。
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本書が手に入ったのが、読書会の1週間前だったということもあり、全体の三分の一程度しか目が通せないままの参加となりました。
筆者の専門は経済学ですが、その視点はあまり出さずに、人口構成や自身の教育体験などをベースにして、本書が描かれた当時から半世紀後の日本を予想する仕方は思い切りが良いく、読者を大いに惹きつけているように思えました。いま流行りの「それってあなたの感想ですよね」というツッコミで切り返されてしまうような主張に満ちているといってしまえばそれまでですが(笑)、数値化されたエビデンスでガチガチの意見よりも、このような大風呂敷を広げるようなやり方の方がより説得力があるように思えました。
教育についても一家言ある人だと聞いていたので、教育に関する箇所にはひと通り目を通しました。感想として、「教育」というか、どちらかというと、高等教育の制度設計に興味の矛先が向かっているのかなと思いました。上位15%の国家エリート育成論では、やはりモノ足りなさを感じます。「残り85%はどうでもいいの?」という疑問がおのずと湧いてきます。一部のエリートだけでなく、社会全体で自分の頭で考えられる人間が増えてこそ、国にも活力が生まれてくるのではないでしょうか。また、教育効果を10代後半に集中させるという主張もちょっと飲み込めません。当読書会のような、青年期をとうに過ぎた人間が集って本を読む様子などは、筆者にはどのように映るのでしょうか。訊いてみたいところです。
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今年の正月、NHK BSで放送された「欲望の資本主義2023 逆転のトライアングルに賭ける時」にて、紹介されていたことから読書会で取り上げたいと思った。現在の日本社会は閉塞した状況にある。賃金が上がらず、物価は上がる。新型コロナウイルスの感染拡大で生活や仕事の環境が変わった。人口減少と高齢化など。それらに対してよく効く薬のようなものはない。したがって将来が不安になる。だから金は使わず貯蓄に回す。景気が良くならない…。
将来がどうなるかは分からないが、これまでの経過をたどることはできる。たどることで「何が問題だったのか」を考えることができる。日本の来し方を振り返り、現在の問題を腑分けし、将来をよきものにするために書かれたのが本書だ。著者はロンドンを中心に教鞭をとった経済学者だ。かの地にいることで日本の問題がよく見えたのだろう。その結果、著者の専門である経済学のように数理的な分析ではとらえられない問題の大きさにことばを失ったのではないか。
問題は戦前までさかのぼる。人間が形づくる社会は人間の資質によって左右される。その資質を作るのは教育だ。敗戦を境に、個人主義的、成績主義的、普遍主義的(縁故者優遇などしない)、平等主義的であるように教育した。日本は「平和国家」へと転換したのだ。しかし、その陰には、朝鮮・ベトナム戦争があり、戦争による需要の高まりが日本経済の成長を促した事実がある。
教育は自分を形成するけれども、一方で日本の繁栄が他国の戦争に支えられているという現実を顧みる資質、つまり「自分を疑う」ことを培うものでもある。そうした点から、本書は著者がいう「交響楽的社会科学(経済学、社会学、教育学、歴史学など社会科学領域での学際的総合研究)」という形をとった「教育の書」だと思う。そうであれば、本書の既存の社会科学との違いは、それ自身「問いかけ」として受け止められるのではないか。「問いかける」ことは、教育の大きな一つの要素だろう。ぜひ読んでいただきたい。著者が考察の照準とした2050年を27年後に控えながら、すでに「没落」は始まっていると言わざるをえない。
他に参考として引用した書物を参考までに挙げておく。
・兪 炳匡『日本再生のための「プランB」 医療経済学による所得倍増計画』(2021年)
・熊倉正修『日本のマクロ経済政策 ━━未熟な民主政治の帰結』(2019年)
・小松真一『虜人日記』(1975年)
・竹内 好『日本イデオロギイ』(1952年)
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第11回 案内
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第10回 報告
1月14日(土)10:00~12:00 テキスト:ドリアン助川 著『あん』(ポプラ文庫,2015年) 【感想、意見など】  小豆を煮て美味しい「あん」をこさえるのはなかなかに難しい。細かい作業が続き、時間もかかる。味付けもまた、ただ甘いだけではいやらしく、甘み中に塩気はキリッときかせる。目を離さず、手もかけて心砕いて作るのだ。まるで子育てのようではないか。徳江は欲しかった子供持つことが許されなかった。彼女にとってはそれが子育てにの代わりとなったのだろうか。 ------------------------------------------
 2019年5月に旧優生保護法下での不妊手術に違憲判決が出された。小説『あん』は、かつてハンセン病患者の肉体と精神になされたひどい苦痛を世に広く知らしめることで、この歴史的な判決が下される社会的土壌をつくったのではないだろうか。一方で、現実はいまだに障害者の基本的人権が蹂躙される事例が起きており、最近でいうと昨年末、北海道のグループホームで、カップルが同棲や結婚を希望する場合、20年以上に渡って、男性にはパイプカット手術、女性には避妊リングを装着させる処置を条件化してきたことが明らかになった。優生思想を否定できずにいる社会で、いま一度、『あん』を読んでみたいと思った。
 今回の読後に強く感じたことは、たとえ裁判で勝利したとしても、差別を受けた側の苦しみは、裁判後も続いていくということである。作中でも、ハンセン病回復者である徳江の回想の中で、2001年のハンセン病国家賠償訴訟の勝利のことが触れられている。徳江は裁判後に施設を囲う柊の垣根を越え外出するが、喜びも束の間、途方もない孤独に襲われたことを、主人公・千太郎に手紙の中で告白している。施設の外の世界では、当然のことながら知り合いも家族もいない。あらゆる人間関係から遮断されており、ただこれまでの失われた時間の大きさが苦しみとなって襲いかかってきたのである。時間を浪費してしまったという後悔の念は、ハンセン病罹患者ならずとも、多かれ少なかれ誰しも感じたことがあるだろう。しかし、人生の一時期を塀の中で暮らし、作家になるという夢を持ちつつも、ただどら焼きを焼き続けることしかできていなかった千太郎なら、深く共感できたのではないだろうか。
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第9回 報告
12月17日(土)14時~15時45分
テキスト:水谷 緑 著『私だけ年を取っているみたいだ。ヤングケアラーの再生日記』(文藝春秋,2022年)
【感想、意見など】
最後のシーンはハッピーエンドとして書かれている。しかし、主人公はこれから先長い長い再生の旅の緖にやっとたどり着いた所に私には思えた。また、自分の家族を得て負の連鎖が始まる事のないように祈るしかない。
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・主人公のヤングケアラーと母親の関係が、絵を通して感覚的に伝わり大変よかった。文章だけだと説明的になったり、あいまいになるであろう部分が、絵が読み手の領域にゆだねるように表現している。
・主人公が「私だけ年をとっている」と感じることは、「再生」していくことと対になっている。そこが絵で表現されていて、余韻が残った。
・かつて明治時代など、こどもは子守など役割を果たしていた。国や社会の変化が、ヤングケアラーの問題と不可分であると思う。
・2021年の福井県によるヤングケアラーの調査で、「世話を必要とする家族の状況」について、父母の世話をする中学2年生・全日制高校2年生・定時制高校2年生は、「無回答」が最も多かった(各66.7%、78.6%、100%)。母数が少ないため一概に言えないが、無回答の理由が、今回のテキストで主人公が「困っている」と先生に言えなかったことと関係していないだろうか。
・「安心すると事実を事実のまま受け止めることができ」、「自分の感情に気づけるようにな」る。それが「自分を肯定できる」ことにつながり、「再生への一歩」ということがカギ。安心できる場が家庭にないと誰もがヤングケアラーのようになるのではないか。自分の子どものころを振り返って考えてみたくなった。
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