Tumgik
blueharusp · 2 years
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六月十三日、日記
どうかわたしを送り出すときは、悔やむのではなく、お疲れさま、と言って欲しい。頑張って戦ってきたので、もう十分だったので、お疲れさまでした、と。
電気を消して、横になって、眠気に耐えながら日記の続きを書こうとしたらそのまま寝落ちてしまった。次の日の朝、わたしは日記を書こうとしていたことも忘れていて、思い出したころには、メモ帳はまっさらになっていた。いつのまにか昨晩のわたしが全て消してしまっていたらしい。画面を黒く汚す膿のような感情の吐露が自分の意志とは関係のないところでいつの間にか消えてしまったことは、わたしを不思議な気持ちにさせた。悲しくも惜しくもない。ただ、そこにそれがあったことは頭で理解できてもなんとなく信じられないような、妙な気持ちだった。
雨の日の夜、煙草を吸いに外に出た。ふらふらと歩いていたら足が止まらなくなって、しばらく歩き回ることにした。住宅街を抜けて大きな通りに出ると、横を走ってゆく車のスピードが圧倒的に速くなる。スピードが速くなると大きくなる摩擦のせいで、車が通り過ぎる時の音が大きくなる。雨の中を走る車の音がちょうどよくわたしを目立たなく、どうでもよい存在にしていた。泣いたって大丈夫だった。傘の下、すれ違う人々も俯きがちで表情がわかりにくい。
わたしには死ぬときに聴きたい音楽がある。外国の歌で、歌詞はなんとなくわかるけれどちゃんと調べたことはない。たぶん、失った恋人を想う歌。わたしは誰のことも恋しくなくて、ただひとりで死にたいだけだけど。二十三歳、いつ死んでもいいと思い続けている。積極的に死にたいと思うことはあっても、積極的に生きたいと思うことができないのは、わたしの心に問題があるのか、わたしの人生のデフォルトなのか。(両方なのかもしれない。)死ぬことを考えるほうがずっと心が安らぐ。いつか終わる、いつか死ねる、それまでを凌ぐようにわたしは生きている。生きていたいと思わないのに、いつの間にか時間が過ぎてゆく。突然死ぬ人の気持ちがわかる。わたしは外で自分が死にたいと思う人間であることをつゆほども仄めかさないでいることができる人間だからだ。死にたいと思いながらいつも通りにひとに笑いかけたり冗談を言ったりできる。でも、どんなに幸せそうに見えても、どんなに素敵な未来が用意されていたとしても、踏み出すしかなかった一歩がそのひとの全てだ。わたしたちは、あっという間に死ぬ。
ここ数週間ほど、体調が万全でない。精神も、健康とは言えない。寝つきが悪くなったし明らかに食欲が落ちた。料理もできない。かろうじて洗濯はやっているけど掃除はあまりできない。PMSや気候によって心身が影響を受けているのを感じる一方、それ以上に、自分が思うよりずっと精神的に参っているのに不安を煽られる。新しい生活、新しい環境、ある同期との関係、母のこと、大したことはないと思っていたことが思っていたより自分の負荷になっているのかもしれなかった。不安がちらつく。綺麗なダムのことを考える。わたしは果たしてそこまで辿り着けるのだろうか。もう病院に通いたくない、と思っている。ここ最近、本心からそう思う。一方で、このまま頑張り続けるのは難しいかもしれない、と思うこともある。ちゃんとしていたいと思うわたしともろく不安定なわたしが同時に存在していて、わたしを混乱させる。とてもとても混乱させる。わたしはまた、茫漠とした海のような混乱の中に落とされたようだった。
元気?と聞かれて、嘘をつけるようになった。はやくひとりになりたい。はやくたったひとりで、気兼ねなく、この人生を決められるようになりたい。
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blueharusp · 2 years
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二月十日、日記
バイト終わりの気怠い足で、明るい昼の空の下をゆっくりと歩きながら、久しぶりに書いてみたい、とぼんやり思った。今日はよく晴れたいい天気だった。明日の東京は雪が降るらしい。
三日前の真夜中、こんなに泣いたのはいつぶりかというくらい泣いた。こんなに何度も何度もよく新しく絶望できるものだと思う。一瞬で立っていたところよりももっと深いところまで突き落とされた。深くて、深くて、深くて、ただ深い。あまりの絶望感に恐怖すら感じて、痛くて、こわくて、身を縮めて泣き続けた。わたしはよく泣くけど、こんなふうに理性を失って苦痛に悶えるように泣くことはそうあまりない。そのあとどうやって眠ったか、どんな夢を見たか、あまり覚えていない。昼過ぎに目覚めて、それがひどい目覚めだったことはなんとなく覚えている。そのあとの二日は生活の忙しさに頼って、忘れるために、考えないように、視界の端に映っても決してそちらを見ないようにしながら生きた。忘れることでしか生きていけない、となんとなく思ってきたけど、やっぱりまだ難しい。(カウンセラーさんが意識的に考えないようにすること、考えることをやめることも方法の一つですよ、と教えてくれたけど、あくまで方法の一つで、今をなんとか凌ぐための応急処置にしかならないと思った。これを継続的にするのは難しく感じる。)いつかできるようになるのかもわからない。ずっといる。ここにいる。そして、日々、かたちを変えて、増幅して、わたしの人生と生活ぜんぶを、支配している。
あっという間に、なにもわたしを救わなくなった。物語も、言葉も、大好きなものも、ことも、人も。食べても、眠っても、観ても、聴いても、会っても、味のしないゴムみたいなガムを延々と噛んでいるみたいだ。(外で笑っているわたしは、わたし自身と切り離されたところにいる。)多くの場合、似たような痛みの存在を自分以外の場所で知ることが、わたしを慰めてきた。でも、それはわたしに人生を肯定させない。なにも啓蒙しない。わたしはわたしであるだけだった。いやになるくらいに、ずっと。わたしの苦痛はわたしの中にいる。その事実が不動の石のようにわたしの中心にいて、癒されようとしない。わたしは救われたがっていないから救われないのだと思う。そこにあるものを他の角度から解釈したり、見方を変えたりすることができないから、そうしようとしないから、自分以外の外から得る何もかもが無意味になるのだと思う。なにも受け取れない。器に欠陥がある。自分でもどうしていいのかわからない。やめることを選ばないことは、やめないことを選ぶことだ。でも、選べない。選べない。苦痛に全身と人生を絡め取られて、何かを考えたり選んだりすることができない。わたしは、生きることを選びたいと思っていないのに、生きている。
あなたは幸せになれてよかったね。見たいものを見たいように見て、聞きたいものを聞きたいように聞いて、そうして傷をよいように消化して、自分の人生を切り開いてこれてよかったね。幸せでよかったね。それは心からの祝福である一方で、恨みでもある。わたしは恨みを��り越えるか忘れることでしかおそらく生きてゆけない。幸せになりたいと望む力もない今、ただここに臥せって、灰になりたいと思いながら夜を耐えている。わたしが悪かったのか、あなたが悪かったのか。あなたを悪いと言えないわたしが悪かったのか。わたしにあなたを悪いと言わせなかったあなたが悪かったのか。あるいはすべて、仕方がなかったのか。わたしたちは誰も完璧じゃない。容易く相手を傷つける。一時の感情の暴走と愛情に整合性はない、という話をした。愛されていなかったわけではない。もうそこに混乱はない。わかっている。でも、許すことができない。昔の自分の日記を読んだ。わたしはずっと悲劇のヒロインぶっていただけだったのかもしれない。わたしの傷は嘘だった。何もかもわたしのエゴと我儘だった。もう二度と生まれてこないから許して。こんなふうに思うしかなかった過去をわたしはどう乗り越えればいいのだろう。あなたを責めればいいのか、自分を慰めればいいのか、忘れればいいのか、わからない。過去は確実にいまのわたしを作ってきた。わたしのこれから生きる人生と記憶は不可分だ。これらを忘れるか、乗り越えるか、手を切るか、とにかくどうにかできない限り、生きることを選び続けることはどんどん難しくなっていくだろうなと思う。何年か前まで、辛かった過去のために生きて幸せになりたいと思っていた。でも、いまのわたしは幸せには興味がない。どうでもいい。そんなことより、この苦痛からの解放のほうがずっと欲しい。それがやめることを選ぶことなら、積極的に選びたい。それは全く不幸ではない、と思う。
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blueharusp · 2 years
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12/15
ずっと目の前が薄暗い。未来へ生きていこうみたいな気概も展望もまるでなくて、遠くないうち死ぬからな、という予防線がだいぶんちゃんと張られているのがわかる。意欲的に、こうしたい、こうなりたい、こうありたい、と前は思っていたこと、いや、毎日思っていたわけではないけど少なからず安定してわたしの底流となっていた思いみたいなものがすっからかんになくなってしまっていることに気がついた。なにもかも惰性だった。いまのわたし、死に向かっている、と思う。月が変わって、プロジェクトが終わって、卒論に追われるうちに少し鬱が晴れたかな、と思っていたけど、元通りになれたわけではなかった。暗い、じめついた鍾乳洞に無気力のまま佇んでいるみたいな感じ。寂しくないし怖くない。立っていることはつらくない。ただ生きることがつらい。もうここから一歩も動きたくないし、一歩も動けない気がするし、例え動けても、太陽が照る場所にいくことは難しいだろうなと思う。
ひとりでいることがまるで怖くない。それは一人が快適だからというよりも、なにもかもがどうでもいいからだ、と気づいた。だれかに心を配ったり、配られたり、見せたり、見せられたりするのが億劫だ、と思う。
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blueharusp · 2 years
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12/12
その先の人生で決して自分と切り離せない記憶になるような出来事は、人生を変えた分岐点と言っていい。ずっと、過去に起きた出来事と自分の人生は必然で、不可分だと思ってきた。過去の自分があるから今の自分がある。あの過去があることは決して何もかもが悪かったわけではない。そう思おうとしてきた。でも、本当にそうだろうか。あの夏がなければ。あの出来事がなければ。わたしはもっと違う人生を歩んでいたんじゃないのか。自分の人生をこんなに疎ましく、かなしく、遠ざけたいと思うこともなかったんじゃないのか、と思う。こんなふうになりたくなかった。こんなふうになりたくなかった。こんな自分と出会いたくなかった。
みんなにはなかったんだな、と思う。そういう、徹底的に踏み躙られて、精神や人生そのものの形を歪められるような経験。だからそういうふうに生きていけるのだ。鈍く、楽しく、強かに、愚かに。もうわたしはわたしの人生を誰かと取り換えたりすることは決してできないので、諦めたい。自分と自分の人生と、お別れしたいです。
誰のことも好きじゃない。誰のことも信じたくない。信じることは、難しい。昔から、無邪気にひとの善意ばかりを信じられない人間だった。どんなことでも、起こり得ると思っていた。わたしがかれらに寄せる信頼は何も起こらないことを信じるものではなかった。そんな未来を担保するものではなかった。わたしは裏切られることを知っている。わたしがしてほしいやり方で、わたしと向き合ってくれない人たちのことを知っている。それを責めるべきではない、ということも。わたしたちは違う人間で、違うように生きているから。
わたしたちは偶像と生きている。偶像に本物っぽさを信じて、錯覚して、生きている。なにひとつ、確かであることなんてない。自分の肉体のこと以外。痛くてさびしくて悲しい。
わたしはわたしの人生を許す術を知らない。
こんなふうに生きていくことが果たして正しいのだろうか。わたしにとっての正解は生き続けることなんだろうか。どうにも最近それがはっきりとわからなくて、不安定な足場で揺れている。
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blueharusp · 2 years
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12/4
早く死ぬこと以外どうでもいい 内定先のプロジェクトも、これから先の人生も、どうでもいいし、なんにもいらない よい評価も悪い評価もどうでもいい 友達のこと、大事にしたかったけど、無理なら仕方ない もうあんまり長く生きられない気がするから わたしがこんな人間なばっかりに 人生が、消えるように終わればいいのに 終わりますように
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blueharusp · 2 years
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12/2
少し前まで、なりたいわたしになりたい、みたいなのが異様に切実な願いで、めそめそしていたけど、いま全然違う感じなの笑っちゃうな なりたいわたしはどうでもいいよ 早くわたしと別れさせてくれ
死にたくて、毎日死にたくて、ほんとにどうしたらいい? どうにかしてほしい 生きていくこと、あまりにも耐え難い
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blueharusp · 3 years
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11/26
いよいよ調子が悪い。どのへんで、どれを諦めたらよいのだろうか、とずっと迷っている。生きることを諦めるのが最もはやく、最も簡単。よくわかっていて、そこまで踏み込めないわたしはなんなのだろうか。とんでもない矛盾だ。そのことについて考え始めると思考がごちゃごちゃしてきて、視野が狭くなって呼吸が浅くなるような気がする。ポジティブに生きている実感を感じていた瞬間を思い出せない。わたしはまるで現在を生きているのかよくわからない。ぼんやり、現実か空想か曖昧な霧の中を歩いているみたいだ。
わたしは、だれとも一緒にいないときのわたしが好きだと思う。これは、なんというか、積極的に好感を持てる、という意味の"好き"ではなく、いちばん楽でいられる状態だからという消極的な(消去法的な)意味が最もちかい。わたしは孤独がつらいから死にたいのではない。孤独はわたしにとってそんなにひどいものではない。他者との関係の中でふいに振り下ろされるナイフよりずっと、安心する。わたしは、わたしの選ぶ人生がうとましくて、憎らしくて、苦しくて堪らないから、もう、お別れをしたい。
眉間から額にかけて鈍く痛む。夕方まえくらいからずっと痛い。寒いからだろうか。憂鬱だからだろうか。体調が悪い、と思う。万全でない身体と心を引き摺って、やらなければいけないことに追われている。立ち止まることは、選ばなければできない。選ぶ勇気がなくて、ただ耐えている。
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blueharusp · 3 years
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2021/11/23
ずっとぐらぐらしている。憂鬱だ。誕生日が憂鬱だ。生きていかなきゃいけない気がするから。わたしを祝福してくれるみんなに感謝しなきゃいけないから。わたしはわたしの人生がこんなに疎ましくて憎らしくてたまらないのに。自分の外側と内側で暴れ回るように混在している矛盾のことを思うと、立ち止まって、しゃがみこんで、両手で顔を覆いたくなる。混乱している。わたしはわたしが生きていることにずっと混乱している。
天秤が揺れている。片方に傾かないように、バランスを取るために、わたしは必死でわたしの手を掴んでいる。傾いて、そちら側を完全に選ばないために。でも、なんのために?一体それは、なんのために?
診断を受けても受けなくても、あまり変わらなかったかもしれない。だれかにそれを話せるわけでもないし。ただただ、茫漠とした憂鬱の海が変わらずわたしの足元に広がっている。わたしは終わらない抑鬱感に呻いている。わたしはどうしてこんな人生しか選べない���だろう。どうしてこんなふうにしか生きてゆけないのだろう。ちゃんと掴んだはずの、手にしたはずのものたちが輪郭をなくして、砂のように消えてゆく。それは誰かのせいではなくて、他でもないわたしに問題があるのだと思う。
自分でも自分のことをどう止めたらいいのかもうわからない。明日の誕生日、だれも覚えていなければいいのにな、と最低なことを考えている。わたしのこと、いないことにして。忘れて。人生から消していいよ。お願い。
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blueharusp · 3 years
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2021/11/20
気分変調症という診断を受けた。
なにもする気が起きない。プロジェクト、もう本当にやりたくない。まさかのだれも返信を返してくれなくてびっくりしてしまった。失敗した、と思ったし、レベルの低さに絶望的な気持ちになった。しばらくかれらのような人間たちとも給料一緒なのか〜という最低な気持ちが湧き起こった。ひとに対していらいらばかりしてつらい。心に余裕がないのがわかる。正しく慮れない。
鬱々としている。生きるのはやっぱりつらい。やめたい。死にたい。灰になりたい。わたしでない何かになりたい。もうそれは死ぬしかない。ゆっくり、自分が腐って行くような感じがする。
 
2021/11/21
安心も安全もない わたしはずっと怯えている わたしを新しく傷つけるものから、過去の傷から、逃れようと緊張している
ずっと、生きるために、ただ自分ひとりが生きるためだけに、必死で過去も今も戦ってきたけど、もう疲れたな 本当に、疲れた なんで戦っているのかももうわからなくなってきたよ なぜ、そんなにしてまでわたしは生きたいんだろう
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blueharusp · 3 years
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2021/11/19
あまりにもしんどくて、精神科に予約を入れた。混み合っているらしく、来月でないと予約が取れなかった。三日の午後に入れた。来週誕生日があるし、今月は持ち堪えるだろうか。わからない。三日。あとまる二週間。一生懸命、そのことについて思考を沈めてしまわないように知らんふりをしている。視界の端にだけ留めている。すぐに終わるかもしれない。でも、それでもいい。仕方がない。
死にたいなんて、ひとに相談できない。もう医者にかかるしかない。
人事の人と電話した。ちょっと最近調子が悪いんです、と言った。仕事ができないわけじゃない。メンバーに鼓舞みたいな長文を送った。できないわけじゃない。考えられないわけじゃない。だってわたしはいま、そとがわからつらいわけじゃないから。
ときどき、ドラマや映画で、死ぬ前に〇〇してたんだから自殺なわけない!みたいな主張があって割とそれが理屈としてすんなり通るけど、果たしてどうだろうか、と思う。別に先に楽しい予定があっても、約束をしても、それがその人をこの世に留め得なかったというだけで、死を選ぶこともあるだろうな、とわたしは思う。わたしもそうなるかな。なんかもう、本当にこれから先生きていきたいと思えなくて、ずっと思考が危ないところから戻って来れていない感じがする。もういいですか?いいですよね?
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blueharusp · 3 years
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2021/11/18
あまりにも、つらくて、みじめで、なみだがでる。わたしには家族はいるけど、でも助けを求めたい相手じゃない。求められない。傷つくから。みじめで、みじめで、仕方ない。情けない。こんなふうに、心を病まなければいけないことが。抑鬱感に耐え難い午後を過ごした。思わず電話したメンタルクリニックは休みだった。途中で帰ろう、と思いながら普通にバイトをした。わたしは元気がない。元気がないし体調が悪いけど、元気なふりができてしまって、つらい。死にたい。ある日突然、死にたい。明日の朝、目覚めたくない。いつの間にか死んでいたい。どれだけ時が経っても、わたしと別れることはできない。わたしの人生と手を切ることはできない。だったら、どれだけ生きても、どれだけ耐えても変わらない。生きることにどんな意味もない。コロナはわたしたちの生活を制限した。そして、コロナやワクチンを巡る意見や言説はわたしたちを細かく分断した。コロナがなければなかった分断だ。わたしはそのために、より深い分断を経験せざるを得なかった。時間をかけて、距離を取って、気持ちの整理をつけながら、修復していきたいと思っていた家族関係において。コロナに対す��恨みは尽きない。自分の人生に対する恨みもかなしみも忌避感も終わらない。はやく、諦めたい。終わりたい。わたしは、灰になりたいです。できることならいますぐ、遠くないうちに。
もうできることは全部やったよ。必死でこれまで戦ってきたよ。一生懸命、過去と、いまと、みんなには黙ったまま、必死で戦ってきたよ。もう、頑張りました、乗り越えました、あの頃はつらかった、でも今は、と語ることが耐え難い。そんなふうになれない。わたしの人生は苦しみと地続きだ。わたしは過去と解けない糸で、あるいは手で、繋がっている。見方を変えろと言われても、事実、いまのわたしは過去から、逃れられないのだから、どうしようもない。わたしはもう自分を騙すことも騙されてあげることも、できないのかもしれない。
一生懸命に戦ってきたけど、もうここ以上が見えないな。もうずっと前から見えなかったけど、見えると思いたかったんだな。わたしって、本当によく頑張ってきた。なぜ、いま諦めてはいけないのだろう。こんなにいやになるまで、自分と付き合ってきた。もうお別れしてもいいだろうか。お別れさせて欲しい。あなたのこと、きらいじゃないけど、でももうたくさん肯定してあげられないし、なにより苦痛と切り離されたいよ。そうしたくて、堪らないよ。
そとがわからつらいのではなく、うちがわからつらい わたしははやくわたしと別れたい わたしのこと、憎しみでいっぱい 手を離して、二度と会いたくない 灰になって消えていきたい
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blueharusp · 3 years
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2021/11/15
なぜこんなにずっと当たり前みたいに死にたいのか。何もかもがどうでもよくて、どうでもよい。期待をかけたいもの、生きてまで縋りたいものがない。なぜ心の底から、二度と血の巡らない、息づかない肉の塊になって焼かれて灰になることにこんなに憧れてしまうのか。死ぬこと。いつかみんなにやってくること。できればはやくわたしのもとに来てくれたらいいな、と、心の底から、純度の高い気持ちで以って、思う。絶望はしていない。絶望はもう通り過ぎた。わたしにとって瞬間的な苦痛は希死念慮と結びつかない。それはただの苦痛。痛いと感じるから死にたいのではない。もう死ぬことでしか解決できないと知ってしまったのだ。
わたしはわたしを憎むわたしと、わたしの人生を憎むわたしとどうしてもこれ以上生きてゆきたいと思えない。好きなひとがいる。大事なひともいる。そのひとたちに肯定されるたび、大切に思われて優しくされるたび、本当に嬉しくて涙が出る。幸せだ、と思う。でも、それよりもずっとずっとずっと、わたしがわたしやわたしの人生を憎み厭う気持ちが強いのだ。わたしは、もう、こんなわたしと別れてしまいたい。自分と別れるためには死ぬ以外に方法はない。それだけのことで、それは仕方のないことだ、と思う。
いいですか。生きていた方が幸せだっただろうに、と死を悼むのは傲慢です。生きることを肯定できるあなたの価値観はあなたのもので、わたしのものではないから、押し付けないでほしい。苦痛そのものの人生を引き受け続けることが幸せだと思いますか。いつかその苦痛が癒えるなんて、あなたは百%の責任を持って言えるんですか。わたしでもないのに。一般論は完全ではない。辿り着けないかもしれない場所のために生きろと強いるのはやめてください。手を引いてその場所まで連れて行けるわけがないのだから。もっと一緒にいたかった、と寂しく思わせるのは、ほんとうにごめんなさい。でも、いつかみんな死ぬんです。いつかみんな永遠に会えなくなるんです。それがすこし早く来ただけだ、と思ってください。でも、寂しい気持ちは失った場所が埋まるまではなくならないから、抱えているしかないよね。それは、本当に、ごめんね。ごめんなさい。
綿に首を絞められるような心地がする。死にたいが昨夜のわたしから今朝のわたしに伝播する。生きながら、希死念慮に苛まれている。その苦痛。わたしは、全然だめな人間なのだ、と思う。なによりももうこんな自分のことをあまり愛せない。肯定してやれない。だから、お別れしたい。わたしと、わたしの人生と。
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blueharusp · 3 years
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十一月十三日、日記
十一月十三日。いまこれをこうして書くことになんの意味もないんだけど、わたし、多分、そう遠くないうちに死ぬ、と思う。留まりたいと思うものにあといくつ出会えるかで変わるかもしれないけど。でもね、そんなものにそう簡単には出会えないよ。
全く同じではないにしろ、似たようなことをここ数年、毎年秋や冬がやってくるたびに思っている気がする。いつか本当に死ぬのか、そう言いながら気がつけば何十年も生きているのか。さきのことはわからない。でも、生き続けることにどうしてもしがみつく気になれない。ずっと、手放してもいいものの一つで、その考えはすごく日常的だ。生活だ。悲嘆に暮れた末のそれではない。(これと出会うまでの過程に悲嘆も苦痛も絶望もたくさんあったけれど、でもそれはそんなに重要ではない。)ただ、ずっといる。ずっとわたしの隣で一緒に息づいている、わたしのつっかえ棒みたいな存在として、一緒に生きて、夢想している。
多分、死にたくてたまらない時期が長すぎた。でも、それが悪かったとは思わない。仕方がなかった。人生では過去と現在と未来は地続きで決別できないから、生きながら生まれ変わることはできないから、わたしは一生懸命それらを忘れようとしながら、記憶の棚の見えないところに仕舞い込もうとしながら、結局それらは自分の人生と不可分で、隠すことはできても、完全に手を切ることはできないのだと知った。絶望ではない。でも、それらは確実に時間とともにわたしの形を変えてしまった。変わってしまったものを元の形に戻すことはできない。ただそれだけのことだ。そう思う。
多くの有名な御伽噺や言説で、なぜ、苦しみは癒されるもので傷は治るもので最悪のあとには最高がやってくると描かれるのだろう。そのパターンを刷り込みのように信じてきた。自分にも"その瞬間"がやってくると疑わなかった。けれど、そのパターンが正しいのなら、この世の真理なら、いまの世の中はもっといい世のはずだ、とぼんやり思う。そうではないから、そうあって欲しいという願望によってそれらが支持されてきたのだろうとここ数年、考えるようになった。わたしはもうあんまり信じていない。物事が運良くそう転ぶとき、それはたまたまで、同じくらいの確率で真逆に転ぶこともあった、と思う。生きることは幸せではない。決して。わたしは、抱える苦痛とどう付き合い、どう距離を取り、どう見ないふりをして、自分を誤魔化していくかばかりを考えて、迷って、生きている。
いつか死ぬ、そう遠くないうちに。そう思うことの方がずっと希望かなにかに近い。
わたしは無神論者なので、死後はただの灰になる以上のなにかを期待していない。何年も前のわたしもよく、ただの灰になりたい、肉体も、精神も、感情も、理性も、涙も、魂も、なんにもない、ただの灰になりたい、と日記に書いていたことを思い出す。誰かの記憶に残っても残らなくてもどうでもいい。積極的に忘れてくれとは思わないけど、覚えていてほしい、とも思わない。わたしは特別な人間じゃないし、例え生きている人間の価値に差異があるとしても、灰に差異はない。優劣も。だから、なんでもない、ただの灰になることはそんなに悪くない、と思う。
生きててよかった、みたいな感情を忘れたわけではない。そういう瞬間はわたしにも稀にやってくる。ちゃんとやってくる。でも、いつか死ぬ、いつか自分と別れられる、と思うこ��の方がずっと現実的にわたしを支えている。
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blueharusp · 3 years
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十一月七日、日記
十一月七日。なにもかもが生理のせいなのはわかっている。もちろん、わたしの不甲斐なさもあるだろうけど、でも、こんなに体調が悪いのにどうやっていつも通りに過ごせというのだ、と思う。どうやって頑張れというのだ、と思う。痛い、気持ち悪い、苦しい。ベッドの上でのたうち回るしかない。お腹を抱えて蹲る。血で汚れたナプキンを取り換えるとき、あの独特の嫌なにおいを嗅ぐたびにげんなりする。泣いてもどうしようもないのに涙が出る。悔しい。悔しい。悔しい。こんな身体でなければできたことが毎月あって、それを積み上げたらどれほどの差になるんだろう、と思う。これまでベッドで起き上がれなかった時間を普通に生活できていたら。考えるたびに死にたくなる。もしわたしがこんな身体でなければ今日までに行けたところ、できた経験、どれくらいあるんだろうな。傲慢だろうけど、過信かもしれないけど、そう思ってしまう。みんなが平等に持ち得る時間は、決して平等ではない。あちこちに行って回れる24時間と腹痛を抱えて這うように過ごす24時間が同じなはずがない。月一でこのやり過ごせない痛みや抑鬱感に見舞われるわたしとあなたが同じなわけない。同じではない、決して。
仕方がないことだと飲み込め、とどうかもう言わないで欲しい。もう耐え難くて耐え難くて仕方がない。なぜいつもいつも、元気なわたしだったらうまくやれただろうな、普通にできただろうな、と失望を重ねなければいけないのだろう。それまで一生懸命に積み上げてきたものが当日、生理のせいで全然上手くいかなかったとき。大事な日だったのに、その日に結果を出さなければいけなかったのに、いつも通りにやれなくて失敗したとき。運だ、自己管理だ、性別だ、と全てをわたしが引き受けて飲み込まなければいけなかったのだろうか、とずっと思ってきた。特別なことを望んでいるわけじゃない。いつも普通に行けているバイトが何十倍も辛かったり、いつも普通に集中すれば読める文献がどうしても読めなかったり、いつもだったら普通に受けられる講義が受けられなかったり、いつもだったら普通に家から出られるのにベッドから起き上がることも儘ならなかったりする。そういう日常生活が普通にできるようになりたいだけだ。みんなが当たり前に普通に日々過ごしている日常が毎月来て欲しいだけだ。もう、やりたくてもやれない、と歯を食い縛って泣きたくない。ずっとこんなことが続くのならもうはやく死にたい。なんにも頑張りたくない。どうせ無駄になるなら。
今日、帰りに寄ったスーパーで、レジを済ませた後、思ったより会計が高いなと思っていつもは見返さないレシートを見た。レシートの一番下、購入したものの中で夜用のナプキンだけが10%課税になっていて、死にたくなった。なんなの?したくもない痛い思いを毎月しながら仕方なく買っているこれが「生活に最低限必要なもの」じゃなくて新聞より課税が高いってどういうこと?好きで買ってない。こんなもの、好きで毎月買ってないよ。
今月からピルを飲み始めた。まだ飲み始めで効果は感じられていないけど、来月以降、少しでもマシになるといいなと思う。ずっと、どれほど辛くても女だから仕方がない、と言い聞かされてきて、自分でも自分をその言葉で納得させようとしてきた。でも、方法があるのなら、試すべきだった、と思う。もちろん、健康上の懸念はあるけど、毎月死にたいのに今更どちらを取るかと天秤にかけるのも馬鹿らしく思えた。経済的な余裕も特にないけど、あまりにも辛いから、もう我慢できない。貯金ができなくてもいい。社会人になったわたしが頑張ってくれる。そう託すしかない。
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blueharusp · 3 years
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十月十六日、日記
十月十六日。この絶えず空にのぼっていく煙のように途切れない憂鬱と抑圧感と渇望と耐え難い苦痛をどうしてゆけばよいかわからない。火元はわからない。いや、わからないことはない。でも、距離を保って見ることができない。ちゃんと語ることができない。わたしは不完全だ。家族とうまくやれないから。わたしはわたしでよい。わたしはわたしをわたしのまま、肯定する権利がある。わたしはわたしでよい。そんなことは、長く時間をかけて理解してきたつもりだ。でも、ある一点において、それを信じることが難しくなる。愛されることを、自分以外の彼らに肯定されることを、諦めることができないから。そのままでいい。そのままでいいはずだ。いいはずなのに、いい、と言ってもらえない。きっとこれから先も。結婚を選ばないこと。出産を選ばないこと。自分の身体について、精神について、自分で判断すること。わたしのあらゆる考え方、選択、人生。全てを尊重されたい。愛してると言うなら、抑圧しないでほしい。わたしを無視しないでほしい。押し付けないでほしい。
縁を切りたいまでに思ってしまうことがほんとうに、心の底から、かなしくてたまらない。疎遠になりたい。声も手も届かないところにゆきたい。元気でやるから。健康でいるから。わたしはわたしの幸せを選ぶから。わたしはただ、なりたいわたしになりたい。わたしでいたい。本当に、それだけだ。それを、肯定して欲しい。抑圧しないで欲しい。押し付けないで欲しい。わたしの人生だから。他でもないわたしがわたしの精神と身体で切り開いて歩いてゆかねばならない人生だから。
ずっと謝りたい。あなたたちとうまくやれないこと。あなたたちが望むわたしでいられないこと。でも、あなたたちが望むわたしでなくても、わたしは幸せになれるよ。
ひとりで生きてゆく覚悟をずっとしている。きっとどこかで、彼らと決別しても生きていけるように、と思って生きている。自分の経済、精神、身体、すべての健康、幸福について、考えながら、準備をしている。愛を信じてないわけじゃない。でも、わたしを傷つけたり抑圧したりするものは愛として受け取れない。それはナイフを向けられたり振り下ろされることとあまり変わらないことだ。だから、いつ、彼らから完全に逃げ出すときが来てもいいように、自分が自分一人で自分の人生の責任を持てるように、足場を組んで準備している。胸の底がひやりとする。怖いからだ。自分の人生の全てを引き受けることは、まだわたしには怖いからだ。でも、いつかやって来る。決別しなくとも、死別もやってくる。いつかやって来る。だから、いつでもなりたい自分になるための選択を選べるように、わたしは彼らから与えられる何もかもから自立したい。
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blueharusp · 3 years
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十月十日、日記
十月十日。調子が悪い。何もかもの調子が悪い。壊れかけた接続の悪いBluetoothのイヤホンみたいだ、と思う。まさにいま、使っているイヤホンが壊れかけている。片方だけ音が途切れたり、音が嫌な感じに乱れたり、雑音が入ったり、突然聞こえなくなったり。調子が良くなったり悪くなったりを繰り返す。でも、慢性的にずっと調子が悪い。どこか、修理をしなければいけない箇所が出てきているような気がする。夜が憂鬱だ。寝付きは悪くないけど、朝早くに目覚めて数時間眠れなかったりする。食になんの意欲も湧かない。でも空腹感はあるから、毎日起きてから一番の食事(朝の十時だったり昼の十四時だったりする。)は食パンとインスタントのコーンスープ。もうそれ以外考えたくない。一番困るのは夕食だ。一日の中の二回目の食事。陽が落ちてからの食事。作りたくない。作る元気がない。どうでもいいものでお腹を満たす。授業は辛うじて受けられている。オンデマンドは溜まっている。バイトにもギリギリ行けている。行けばなんとかなる。わたしは外に行けばほとんど違う自分が勝手に"わたし"を代わってくれるから。内定先のプロジェクトもたぶん、なんとかなっている。夜、帰宅して、外で、或いは外向きに、やらなければいけないことを全て終えたわたしが手につかないほどひどい。ひどい夜がつらい。涙が止まらない。希死念慮に苛まれる。どうしてよいかわからない。苦痛がなにもかもを塗り潰す。あらゆる意欲も、希望も、必死に積み重ねてきた自尊心も。人間関係の維持が億劫だ。だれとも繋がっていられない。とにかくここではないどこかに行きたい。この苦痛の記憶やそれと切り離せない現在と共にある身体から解き放たれたい。逃げ出したい。忘れたい。わたしをやめたい。もう、もう、もう、これ以上どうやって戦えばいいのかわからない。
縁を切りたい。愛してるけど、縁を切りたい。もう関わりたくない。つらかったこと全部思い出す。彼女の思う通りにならないわたしが否定される。今だってそう、何年先の未来でもそう。わたしたちはわかり合えないから。尊重し合えないから。わたしたちは傲慢で独りよがりな愛という名前のなにかだけを持ち寄って、お互いを大事にできない。わたしはわたしでいたい。なりたいわたしでいたい。それをあなたにだけは否定されたくない。たしかに、あなたに否定されてもわたしの価値は変わらない。変わらないだろう。変わらないけれど、でも、まだ、子供のままのわたしがそれを諦めきれない。諦めることができないまま、それにずっとずっと傷ついて、駄々をこねて泣いている。だからわたしはまだ、苦しいままだ。それを飲み込めるまで、子供のようにベッドの上でめそめそと泣き続けるしかない。
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blueharusp · 3 years
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九月二十九日、日記
九月二十九日。このところ、はやめのPMSか、低気圧か、季節の変わり目だからか、ずっと体調が悪かった。微熱とまではいかないけれど平熱よりは数度高い体温に身体は一日中変に火照っていたし、食欲もほとんどなくて、夜はひどい寝付きの悪さだった。眠れないということが本当にストレスだった。眠れないたびに死にたくなったし、夜がやって来ることが本気で憂鬱で仕方がなかった。一時は不眠外来にかかることも考えたほどだったけれど、ここ二日ぐらいでだいぶん良くなってきた。食欲も戻りつつある。
こうして文章が書けるようになるまで、だいぶん苦しかった。久しぶりに、つらくて起き上がれず、意味もなく涙が出てくるような状態までいった。Twitterの下書きには、死にたい、人生を諦めたい、という言葉たちがいくつか残っている。(日記を書くためにノートを立ち上げるほどの気力がないとき、Twitterの下書き機能に自分の気持ちや現状を書き捨てることは多い。)
死にたいが渦巻いている。渦巻いている。わたしの頭上あたりで。つらい。人生を諦めたい。やめてしまいたい。ごめんなさい。なんでこんなふうにしかなれなかったんだろう。
やはり、母との間に起こっていたことはまだ暫くの間わたしを苦しめるのだろうと思う。記憶は上塗りされていく。当時のまま、そのままに冷凍保存されている記憶などない。きっとわたしは自分の記憶を悪いように悪いように書き換えたり、バイアスをかけたりしている。わかっている。でも、あのころ傷ついていたわたしは確かにいた。記憶が書き換えられていたとしても、傷付いていたわたしはいなくならない。ここのところ、ずっと謝っていた。でも、まだ、謝りたい。こんな娘でごめん、ひどい娘だ、とあなたに言わせてごめん、ごめん、そうわたしを詰ったあなたを許せなくてごめん。ごめんなさい。
わたしは他者から、軸のあるひと、とか、意志が強いひと、という評価を得ることが多い。それは多分、間違っていない。じゃあわたしはなんでそんな人間になったんだろう。確固たる道を、信念を、考えを、持たなければ、わたしを否定するあなたの力に抗えなかったからじゃないか。芯のない根無草のような人間では、あなたの言葉に薙ぎ倒されてしまったからじゃないか。ずっとずっと考えて考えて考えて、考え続けて、特定の具体的な敵ではないくるしみという影と戦い続けて、いまなお答えを探している途中だ。でも、世の中には、おんなじようなひとがいる。答えの出ないくるしみと延々と戦い続けて、いまなおそれと向き合い続けている人がいる。それが少なからず、救いだと思う。
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