Tumgik
bigbear125-blog · 7 years
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日本におけるしつけと体罰、虐待の文脈
 本稿では、自身含む学生の多数がしつけと銘打った親や教師からの体罰、虐待をしつけと認識しており、体罰や虐待が問題であるにも関わらず子育て場面においてかなり普遍的に行われていることに危機感を抱き、その連鎖の可能性を考慮した結果これを問題視するに至った。保護者や扶養者、子どもと接する人間が当たり前にできていると思われがちなこの点が世間的に軽視されていることは大きな問題であり、早急に解決したほうがよい事案であると思われる。子どもを支援する立場の人間において、教育とは、しつけとは何か、何を行ってよく、何を行うと子どもを傷つけてしまうのかを理解することは支援の根幹にあると本稿では考える。具体的には子どもと関わる人たちや保護者など対し、適切なしつけややってよい行為などを指導することは現今の死亡例や怪我、心理面でのPTSDが増えてきている現状において急務であろう。この立場から、日本におけるしつけ、そして現在不適切とされている体罰、虐待の文脈を把握し、体罰や虐待などの行為を支援の現場で行わないための方略を考えて行きたい。
 日本におけるしつけの研究の先駆者である柳田國男によればしつけとは「あたりまえで無いことを言い又は行ったときに、誡め又はさとすこと」「小さな頃から自分の眼目又は力を以てこの当然なるものを学ぶこと」「徳目によるのでなくして、ただ心持を以て会得すること」「文字や口言葉に表されないで黙々と伝わっている」[i]というものであるという。
 欧米と比較するに、日本のしつけは善悪より恥の概念をより強調する傾向があった。平安時代以降のしつけは礼儀作法を教えるものであり、そして社会教育の予備教育としての機能を備えていた。こう書くと、近代以前の日本の教育観には徳目的、形式主義的な儒教の色彩が強いと捉えられがちであるが、柳田の定義から見るならばもっとフレキシブルでかつ身体的なものだと言えるであろう。戦後に出版された民俗学辞典によれば、具体的にはあいさつやお礼、食事の作法、身だしなみ、道具の取り扱い、身持ちなど、消費を中心とした生活あるいは対人関係の作法について重点的に行われたとされる。手法としては表情、身ぶりや禁止、叱責、批評、風刺、嘲罵、体罰などであった。[ii]基本的には、しつけは共同体で他者と生きていくためのルールをあらかじめ教えるものであった。
 ちなみに、現代の心理学的観点から言えば、上記の手法の中でもしつけの効果を分類することは可能であり、「Hoffman (1977)によると、しつけのタイプは次のように分類することができる。即ち、子どもの行動を統制するために、賞罰を利用する力中心の(power assertive)しつけ、子どもの行動が他者に与える影響を説明したり、説得したりする誘導的(inductive)しつけ、および子どもを無視したり、要求に応えなかったりする愛情の除去(love withdrawal)である。そして、愛情の除去と愛他行動の関連は仮定されていないものの、誘導的しつけは愛他行動の社会化を促進させ、力中心のしつけはそれを抑制することが示唆されている。」「愛他行動は犠牲者の苦痛の低減を目標に動機づけられる行動である」[iii]とされ、力によるしつけで叩いたり、叱ったりするよりも、他者の事情や感情を考慮するよう説得するほうが結果的に共同体生活において他者の事情を慮る振る舞いをする人物となりやすいという研究結果がある。
 しつけとは、近代以前の日本においては家族だけでなく村落などの共同体で行うものであった。
 体罰としつけの関係についても触れておきたい。森田ゆりは『体罰とは、外から痛みや恐怖心などを子どもに与えることによって、子どもの行動をコントロールする方法』[iv]
 日本の体罰禁止の第一人者は道元と最澄であろう。最澄は日本への『勧奨天台宗年分度式』では「手に笞罰せず。今我が同志、童子を打たずんば、我が大恩となさん」と記している。室町、戦国時代には続く戦乱によって体罰が容認される世情になっていたが、江戸時代の徳川幕府の治世下で、徳川綱吉により生類憐れみの令が出されたことで文治主義、捨て子の保護、体罰禁止、動物虐待禁止の気風が出来ていった。江戸時代中期以降には中国から輸入された体罰禁止に関して書かれた朱子学、陽明学などの儒学者の意見は多く見られ、熊沢番山は鞭を打たずとも統制は取れると主張し、水戸光圀は体罰は教育的効果があるどころかむしろ害であるとしている。江森一郎は江戸期以前のしつけにおいての体罰忌避への感覚が変化したのは明治維新以降の欧米制度の輸入においての時期だとしている。江戸時代の影響を色濃く残す明治初期においては、「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」[v]とお雇い外国人として東大で講師をしていたE.S.モースが記録に残している。
 こういった観点が出てくる理由として、欧州では例えばフランスでは1989年の時点でも、子どもをしつけるという名目で、鞭で子どもを叩くという教育方法が一般的に行われているという事実を勘案することが必要かも知れない。イギリスでも、20世紀前半には鞭打ちは平均的なしつけの方法として民間において行われていた。
 さらに、江森一郎は明治期において体罰の肯定が大きく進んだのは日露戦争前後であったとしている。日露戦争中に兵士の逃亡に苦慮した上層部は、それを防止するために軍規を厳しくし、ビンタや鉄拳制裁はこの頃から目につくようになる。明治時代になって唐突に起こった急激な帝国主義、資本主義の導入は格差を生み出し、過剰な厳しさや暴力を容認する気風を作り出した。陸軍・海軍における教育方法は一般に共有され上下関係によるいじめや八つ当たりが許される、あるいは肯定される側面が民衆の間でもこの頃から強くなっていく。1926年にイギリス人であるバートランド・ラッセルは「近代の日本は、あらゆる大国の顕著に見受けられる一つの傾向を最も明瞭に示している。――つまり、国家を偉大にすることを教育の至上目的とする傾向である。日本の教育の目的は、感情の訓練を通じて国家を熱愛し、身につけた知識を通じて国家に役立つ市民を作り出すことにある。」[vi]と、倫理的暴君性を指摘し、「その教育を制度の保安の下に従属させるという誤り」[vii]を犯していると述べている。明治期の画一的で肩にはめたような教育姿勢への揺り戻しとして大正自由教育運動が1920年代から30年代に関して起こるが、その代表として語られるラッセルの思想は日本の教育観に影響を及ぼしている。彼の教育思想を例を上げて検討すると、しつけに関して、「性格の教育は、訓戒の反復では果されない。訓戒や罰で親切な性格は生れない。教師自らの身をもって示す実例だけが最良で、訓戒の言葉はいらない。」[viii]という論を持ち、暴力を行うとおどかして子どもを言いなりにさせると尊敬を失うため、決してやってはいけない、鞭で子どもを叩くことは今日の教育には相応しくない、小言に厳格に服従させられてきた子どもはいつも非難をされないか怯える人物になってしまう、と述べている。そして、叩く、どなりつける、の対案として理性や訓戒に訴え、適切とされる振る舞いのモデルを親が見せる、他の子どもたちのよい振る舞いを観察させるなどの手法があるとしている。ラッセルは以下の文の後にマリア・モンテッソーリを引いて、「子供が他の子供たちをしつこく邪魔する或いは他の子供たちの喜びを台無しにするような場合、はつきりした刑罰は彼を仲間よけにすることだ。何かこういつた種類の手段をとることが絶対に必要である。何故なら他の子供たちにいやな思いをさせておくことは、一ばん不公平なことなのだから。だが併し、手におえない子供をして自分が悪いんだと感じさせたところで何の役にも立たない。むしろ他の子供たちが楽しんでいる喜びをいま自分は失いつつあるのだと感じさせる方が、一層目的に添うわけだ。」[ix]としつけの実例を挙げている。
 これらの思想は1920年代に既に輸入されていたようであるが、明治大正期の欧米型の育児モデルが民衆まで広がるには、戦後の1960年代から70年代まで待たなければならなかったようである。
 具体例を挙げてみよう。現代の日本では、説得、暗示(野菜を食べない子どもに、それだと健康状態が悪くなるのではなかと提示、あるいは嫌いなものを残している子どもに、食べないと片づけてしまうよ?と意思表示)が22.4%に対して2.0%と多くアメリカでは43.1%に対して54.6%と直接命令(歯磨きをしてほしいときに、意見に従ってもらえない場合無理に引っ張ってくるなど)が多かった。そして、日本では地位に訴えたしつけをするのは高い階層に多く、アメリカでは逆に高い階層ほど論理的に理由を述べ、ゆるやかな統制の方法を取るという調査結果が出されている。[x]全体としてアメリカでは「なすべきことを直接的明示的に述べて統制する方略が優勢」日本においては「暗示や示唆など 間接的な方略で、母親は子と情感を共有すること でいわんとすることを伝えようとする 」しつけがメジャーであるという状況が1990年代においても見られ、アメリカのしつけにおける直接命令が強い傾向に関しては1950年代とあまり変化がない。[xi]欧米と日本のしつけ観の対比としては一��江戸時代前後と近しい構造があると言える。
 また、「「今までに父親または母親から体罰をされたことがない」学生は,女子が42.6%,男子が29.6%で あった。これに対して,「体罰経験がある」学生は,女子が16.2%,男子が30%であった。「体罰かどうかは分からないが叩かれたり殴られたりした経験はある」という学生は,女子が41.2%,男子が48.3%であった。「体罰経験あり」と「体罰かどうか分からないが叩かれたり殴られた経験がある」 を合わせると,女子がおよそ6割弱,男子は8割程度になる。」[xii]とある。
 しつけと体罰は関連してきた歴史があるが、しつけと虐待の関係も現代においての争点となっている。保護者による虐待の発覚数は近年増加しており、2012年の時点では66807件とされ、20年前と比較するとその数は60倍にものぼる。死亡事故も2011年においては51件報告され、主に母子関係の間の事故が58.8%と約六割を占める。虐待の動機として、「しつけのつもり」が常に上位に上がってきているのは注目すべき点である。虐待者の両親によって虐待者に対して行われていた行為を被虐待者に対して行ったという述べたてが行われる場合が多く、この場合、加害者当人は児童に対して行ったそれを虐待と解釈していないという例がほとんどである。しつけと虐待の違いについて、「子どもの人格を尊重し、社会規範を常に意識し、理性によるコントロールができればしつけであり、子どもの人格を認めず、社会の規範を無視し、支配・被支配の人間関係に基づき、親の期待通りのこうどうをとらせ、命令や押しつけ、脅迫による場合は虐待である」[xiii]と安部計彦はこの違いを説明している。また、しつけと体罰、しつけと虐待は連続性を持たず、次元の異なるものであるためグレーゾーンというものは存在しない[xiv]と臨床心理学者の西澤哲は述べている。
 保護者などがしつけと思って行っている場合がままある、子どもの手や尻を叩く、足を蹴る、物を投げつける、食事を与えない、ベランダに出す、押し入れに閉じ込める、裸のまま服を着せない、などの行為は虐待に当たる。虐待という定義が明確化日本における虐待の歴史に関しては現状あまり研究がなく、1933 年に児童虐待防止法が制定される以前の文脈はあまりはっきりしない。明治以前には間引き、子殺し、身売り、親子心中などが伝統的に行われてきており、貧困をその大きな理由としている、とされる。家父長的家族間と貧困によって当時の虐待は引き起こされたと考えられている。
  大正期前後からの経済構造の変化、高等教育制度などの拡充によって、子どもを教育するコミュニティが地域から学校へと移ったことで、しつけの質は変わり、直接社会へとコネクトされなくなったという点は念頭に置いておかねばならないだろう。親は子どもをきちんとしつけず、学校に任せているという物語が現代日本では共有されがちであるが、これには具体的なソースは存在しない。現状の子どもの親には負担がかかりすぎている、あるいはそれ以前の共同体によるしつけが行われていた世代の人々の過剰な期待を背負っているのではないかという仮説を立てることができる。心理学的観点からも、松田道雄は「日本の幼児は、いま非常にあわれむべき密室状態のなかにとざされている。子どもたちに自由に活動できる世界をあたえなければならない」「しつけは���親が家庭のなかでこまごまとやる手内職でない」と主張しており、具体的には「生活態度の伝承」がしつけであり、「人はいかに生きるかを、子どもに見習わせること」であるとしており、共同体で他者と実践を行っていくことの必要性を説いている。社会規範と親のしつけとのズレによって子どもが葛藤しやすくなることが現代では問題となっており、閉ざされた関係性において親が子どもと相対することによって、体罰や虐待の可能性も上がることを指摘することは可能である。子ども支援者の中でも、医師、看護師、保育士などは体罰、虐待に気づいて通報や第三者の介入を促す立場になりやすく、子育て支援カウンセラーはしつけの方法論に悩む保護者に体罰や虐待を行わずに済む方法を示すことが可能である。子ども支援者は、地域コミュニティとの繋がりが子どもにとってア・プリオリでなくなった現在、子ども自身や保護者と社会を繋ぐ架け橋であり、子どもにより良い生育環境を保証する立場であることを願う。
 引用
[i]  柳田國男『定本 柳田國男集 第29巻』 p310より
[ii]  民俗学研究所編『民俗学辞典』p261より
[iii] 首藤敏元「幼児の愛他行動に及ぼす理由づけの効果」『教育心理学研究 33巻』p59
[iv]  森田ゆり『しつけと体罰―子どもの内なる力を育てる道すじ』p23より
[v][v]   E.S.モース 石川欣一訳『日本その日その日』平凡社(1970年)
[vi] バートランド・ラッセル『教育論』p50
[vii]  バートランド・ラッセル『教育論』p45
[viii] Bertrand Russell “On Education, especially in early childhood”p138
[ix] バートランド・ラッセル『教育論』p162
[x] 東洋・柏木恵子・R.D.ヘス『母親の態度・行動と子どもの知的発達』p69~77、p174~175
[xi] 柴野昌山『しつけの社会学』p33~41
[xii] 梅津迪子『成育過程の経験によって醸成される体罰観・暴力観の研究』p40
[xiii] 安部計彦『ストップ・ザ・児童虐待—発見後の援助』ぎょうせい(2001年)
[xiv] 西澤哲「しつけと虐待の境目—親による体罰を考える」『児童心理 64号』(2010年)p1122~1127
出典
増田翼「しつけ研究の系譜と課題」『仁愛女子短期大学研究紀要 第46号』仁愛女子短期大学(2013年)
「しつけと虐待に関する認識と実態―未就学児の保護者調査に基づいて―」『日本家政学会誌 63号』一般社団法人日本家政学会(2012年)
山本敏子「明治期の学校管理法と「しつけ」の変遷(上)」『駒澤大学教育学研究論集 第30号』駒澤大学(2014年) 
山本敏子「明治期の学校管理法と「しつけ」の変遷(下)」『駒澤大学教育学研究論集 第31号』駒澤大学(2015年)
首藤敏元「幼児の愛他行動に及ぼす理由づけの効果」『教育心理学研究 33巻』日本教育心理学会(1985年)
土山忠子「日本の保育思想(二) : 「しつけ」を中心として」(1970年)
森田麻友「児童虐待を防止するために必要な支援 ―親子への支援と家族の再統合―」
梅津迪子「成育過程の経験によって醸成される体罰観・暴力観の研究」『聖学院大学論叢』(2003年)
江森一郎『体罰の社会史』新曜社(1989年)
広田照幸『リーディングス日本の教育と社会 第3巻 子育て・しつけ』日本図書センター(2006年)
石川松太郎・山本敏子・藤枝充子『《日本人、育てのなかのしつけ論》文献シリーズ 第9巻』クレス出版(2006年)
柴野昌山『しつけの社会学』世界思想社(1989年)
柳田國男『定本 柳田國男集 第29巻』筑摩書房(1964年)
東洋・柏木恵子・R.D.ヘス『母親の態度・行動と子どもの知的発達』東京大学出版会(1990年)
安部芳絵『子ども支援学研究の視座』学文社(2013年)
 森田ゆり『しつけと体罰―子どもの内なる力を育てる道すじ』童話館出版(2003年)
民俗学研究所編『民俗学辞典』東京堂(1951年)
バートランド・ラッセル 堀秀彦訳『教育論』角川書店(1954年)
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