Tumgik
akanboh · 2 months
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工賃振込みへ変更の通知
がきました。生活介護と就労施設。
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文面を読むと一見、利用者への配慮という印象だが、知的障がいのある、特に重い障がいのある人たちにとって、振り込みというシステムを理解するのは難しい。
施設が30年以上も続けてきた本人への現金支給。
それを急に振り込みに変更するという。
作業の工賃を毎月手渡しされることで、働く意味とやりがいを感じてまた作業に向かう。
それが自分を飛び越えてどこか知らないところに行ってしまい、親から渡される工賃。
現場で渡されることで作業の見透しが分かりやすいはずなのに、どんどん障がいのある本人にとってわかりづらいものになっていく。
なかには、工賃が出る日がわかっていて職員さんにうれしそうに確認してくる人もいるなかで、現金の入っていない明細だけを渡されることに、納得するだろうか。
仕方ないとしてその場は納得したように見えても、がっかり感をもったまま、通所を続けて作業に向かう気持ちを考えただろうか?
なかには、現金が入っていないことを理解できずにお店に入ってしまう人もいるかもしれない。
文面の『事故』は、本人が帰りがけに使ってしまったりなくしてしまったりで 『 本人に渡したはずの工賃が家庭に届かない』 というトラブル。
ちょっと待って。
工賃は家庭に渡すものではなく、本人に渡すもので、渡された工賃は本人が自由に使えるはずのもの。
そこを取り上げてしまう方がよっぽど問題だということが、なぜわからないのだろう。
なくしてしまって困ったら、なくさない方法を考える、取られてしまうなら隠す方法を考える。比較的軽い障がいがある人に起こりがちなトラブルなら、失敗も経験値として活かすことが自立に繋がるんではないかと。。
今回、家庭に届かないという『事故』は、確認してみると、職員さんが本人に渡していないんではないかという家庭からの連絡によるトラブルによるもの。
つまり、職員さんが事故に遭う、職員さんを守るための振り込みに思えて仕方ない。
そして生活介護の工賃1ヶ月なんと500円という金額に振り込み手数料を、年間12回×100人を越える人数分払うという経費。
その分を新年度予算から差し引くのが
目に見えている。
以前くらった園外活動の実質的な廃止が頭をよぎる。
そして、工賃を職場で渡されなくなった本人たちへの影響について、嫌な予感しかしないのは気のせいか。。?
精神的な不安定や触法による事件につながらないよう祈るばかりです。
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akanboh · 3 months
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不要論とかヘイトスピーチ
とかって、どこからきてるか。。実際に会って深く話したり聞いたりをしたことはないけど。
理由つきで書き込まれているのをなんどか読んだことはあったりして。
知的障がいのある人との接触で昔怖い思いをしたことがあってトラウマになっている
とか、今回は某市でのノーマライゼーションの取り組みの現場で、支援の手が回らない障がい児童の給食の場面が破綻していて、それを見ながら食べているクラスメイトの給食が苦痛でしょうがない、等の書き込み。ただでさえ崩壊しているクラスで支援も受けられず、担任も病んでしまっている。。
障がいの表記や表現を変えて、メディアでNGワードを増やしたとき、表向きは障がい児・者への理解が進んでいるようにみえるけど、
ヘイトする人の気持ちが変わるわけではないこと、社会の良識との解離が広がるほどヘイトする人の気持ちは社会の流れからはそっぽを向いていくこと。。
言葉は表現のためのツール。扱う人のありようで、人を救うものになったり凶器になったりもする。
事件が起���たときに凶器のせいにするってことがないのと同じで、言葉そのものが悪いわけではなく、同じ言葉でも、相手に寄り添えていなければ言葉の持つ温度は冷えたものになっていく。
自分に使えば謙遜・自虐。人に使えば悪口という場合もある。
一番怖いのは、自称理解のある人が無意識にしている差別。理解があるから不適切な言葉は使わない。しかし、理解があるといいながら障がいのある人を『不幸な人』『かわいそうな人』と決めつけて哀れんでいる。
自分を高く見て見下していることに気づいていなかったり、家族に対して『障がいのある人を迷惑だから連れてこないでくれ』と言ったり。
言われた方は、いたたまれない気持ちになって、居場所を失ってしまう。
これが差別の現場です。表現だけを変えても、人の心が変わらなければ同じことなんです。
悪い、も 良くない、も言っていることは同じことで別の言い方に変えても意味はおなじ。自分はダメだ(謙遜・自虐)、と、あの人はダメだ(悪口・人間性の否定)、のダメの意味は違う。
使う場面と人の気持ちで言葉の持つ意味は、(とくに曖昧な表現の多い日本語は)変わってしまうんだ、ってことなんです。
わざと伏せ字をつかってNGワードを使う人もいるしね。。 
繰り返しになってしまいますが、ちゃんと相手に寄り添えていれば、選ぶ言葉もそもそも変わってくるってことなんだと思います。
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akanboh · 4 months
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相談も色々
というか、段階も色々、と言った方がいいのかな?
ただ漠然と不安
なんだかよくわからない、不安でどうしたらいいのかわからない、自分の状態や環境の捉え方もいまいちわからない、
聞いてもらって、同調してもらって、ただ安心したい、気持ちを落ち着けたい。
聞いてもらう=ひとに話すことでなんとなく頭のなかを整理できる、外にアプローチをして、解決するとか、べき論までは求めていない場合、
相談を受けた側がそれを言い放って一方的に話を終わらせてしまうと、悩んでいる側は不安も不満も募らせてしまう。
マウントを取られて見下された気持ちになってしまうと、さらに傷ついて相談したことを後悔したり相談すること自体をしなくなって、SOSを出せなくなってしまう。
相談する相手を間違えちゃっている感じ
こういう場合は、ひたすら傾聴できる人か、同じ環境にいる身近な相手に聞いてもらうのがいいのかなと。
自分の考えを確認したい
不安な時期を少し抜け出して考えが色々わいてくると、どの考え方が的確なのか、自分の考え方が間違っていないのかを、第三者に確認したい、もしくは、自分が正しいことを確認して誰かに背中を押してほしい
こういう時期って、情報集めの時期でもあるのかな?考えが少しでも沸いてくると、疑問や知りたいことも出てきている時期でもあるので、情報を持っている人に聞いてみる、も、ありなのかな。
実際に動き出したい
アプローチの方法を聞いて連絡を取りたいとか、行動の手順を知りたいとか、具体的に動く段階に来ているときは、プロに聞くのがいちばん確実で、例えば障がいで言えば支援センターの相談員さんや市役所のケースワーカーさん、高齢者関係なら包括センター、ケアマネージャーさん等、実際に動いて手配をしてくださる場合もあります。
手前の段階で相談することもできるとは思いますが、ちょっとハードルが高く感じたり、実際に動きだす前だと申し込みには至っていないかもですし、まだ利用している段階でもないかもしれないですし。。
まだそこまでは。と思っているかもですね。。
相手の段階を知る
相談を受ける側が、相手が今どの辺にいるのか、状況を知っておくっていうのが大事なのかなと。実際に会って話を聞くなら、『お話する準備もしたいので、先に簡単に内容だけちらっと聞かせてもらえますか?』とあらかじめ質問しておくと、相手の要求にあった話が聞けたり話せたりするというか、五里霧中状態や、肩透かしを回避できるんでは。。
なんて思ってみたりするのでした。
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akanboh · 5 months
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利口ばか と ばか利口
表現に語弊があるので、記事は とりあえずこちらに置いておきます(^^
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たとえのしかたも誤解があるといけないので、
それも含めて曲解しないようにと、前置きさせてください。
☆※☆※☆
某社長主催の勉強会にて。相当昔の私の記憶を蔵出ししています。
縦軸は成績やら学歴やら有識といわれるカテゴリー。横軸は生活力とか考察力とか判断力とかのいわゆる かしこさのカテゴリーでの、能力の上下を表したものを組み合わせてグラフ上で四分割したもの。
利口利口:学歴や地位が高くて、かつ 賢い
利口ばか: 学歴・地位が高いのに 愚か(失礼・汗)
ばか利口: 学歴・地位は高くなくても、賢い
ばかばか: ☆☆略☆☆
当時は確か、見た目優秀でも実際には?、あるいは自ら優秀を装っている、遠回しに政治家とか有識者とか、社会的な地位の高い人を揶揄していた感じでした。
画像のとおり、利口ばかになるな、ばか利口であれ。
ばか利口
忠臣蔵の、大石内蔵助タイプ。昼行灯と言われて、つまり、昼間に行灯の灯りを点けても、点いてるんだかいないんだかわからない、日中ぼーっとしていることが多かったと、たしか言われていたような。でも実際には相当の切れ者で、日中呆けているように見えていたのは、討ち入りの作戦を色々と考えている時間だったのだと。
利口ばか
高学歴、社会的に地位の高い人
政治家、医者、役人、教師、会社役員。。あまたいるなかで、ほんとに賢い、人間力の高い人もいる一方で、なんでそうなるよ?ってことを自覚なく平気でいう人も多くて。
現場を下に見て、机上でぐるぐる回っているだけの人、なので、知っている = 読んだことがある、聞いたことがある、視察でみたことがある
その先に考えが及ばないので、こちらから話しても、内容をちゃんと理解できないまま、上から見下ろすしかできない人。
なので、知っていると本人が思っているだけで、実は、全然知っていることには なっていない人。
そんなかんじ。これ以上はなにも言うまい(^_^;)
解る人には解る、ってことで。
自分がそうならないように気を付けよう。。っと(笑)
ぁ、高学歴でも地位もないから、なれないけど。
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akanboh · 6 months
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伝わったかなぁ。。
メッセンジャーのポップアップだけ見て本文読んでいないんじゃなかろうか?
つまりね、何が言いたいのかというと、
今やっていることはとても大事なことだとはおもうけど。
そこにそのままいたんじゃ、全国区にはなれないよ?ってこと。
全国区になる人って、ちゃんと足をはこんでいるのよ。地元でなかなか認知をされないのは、全国区になっていないから。地元は実は一番最後。
地元の人たちが何を見ているのかを、なにから情報を得ているのかを、ちゃんと考えたかな?
地元ドームでライブを開いた有名ミュージシャンは元々全国区で活動をしていてそれを知っていたから地元の人が集まるわけで。
地元出身で誇らしいのは、全国区で有名になった人が地元に名にかを何かを還元できたとき。
地元の人って、最初から応援してくれるというより本当に成功するのかを少し距離をおいて見ている人たち。
ビッグになるっていって何かを始めた人が、誇らしいと思えるか、恥ずかしいと思ってしまうか、どちらだかわからないから、ちょっと冷めたところから見ている人たち。
自分のやり方で誰かを成功させる
成功するのは自分じゃなく『相手』
だから、相手にとって、どうなのか。
相手がどうなりたいのか。
地元から全国区に羽ばたいていくのが夢なら
まずそこをやらないと、地元から成功した人と認知されないのでは?
そういう人たちの姿をみせたかったんじゃなかったっけ?だからああなりたい、ってあとから続いていくんじゃないのかな。
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akanboh · 7 months
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やるか、やらんか。
やる!←ちっちゃい( 〃▽〃)
考えたらできないよ? 
やりたい、そのうち、できたらいいなぁ、と言っているうちはできません、かんがえずにやる、
なにかおきたらそのときにできる方法を探す
修正する、失敗を重ねてよい方法を模索する
やるかやらんかのどっちかしかないんだから。
今が一番若いんだから、今やらなかったらいつやるの?
リエールサキュレントのパパさんの言葉。
呼びたいなぁ
って考えてるだけ、言ってるだけじゃできないよね。追い風が吹き始めたかもしれない。
母体をどうするか。御輿を担いでやるか
母体を立ち上げるか。垣根を作らない方が響く人が増えるのは間違いない。
(知的)障がい者の自立の形、当たり前の暮らしと住まい、(強度)行動障害
親元(自宅)に住んでいることが条件での福祉サービス、(居住)施設利用と同時に手放す移動支援と行動援護、居宅介護(帰省中も利用する権利がない)
車の免許を返納してしまうと施設に迎えにもいけなくなってしまう制度。
親元に住めなくなったので施設に入るという考えなので、施設に入る=本人が外には出られない状態であるという意味のわからない縛り。
障がい者であっても人として当たり前の暮らしをするという概念が地元行政にないので、
親がみれなくなったので施設が面倒を見てあげる
という未だに家族の自助頼み。ここはそうなんですという改善の気もない、もと日本で一番住みやすい。。はずの中核市。
施設入所、病気になって入院、病院で看きれなくなり出される、入院時に施設退所扱いになるので施設に戻れない、親が高齢で自宅にも戻れない、施設をたらい回し中に命を落とす。。
あちこちで入所後のあり得ない話を聞くのに、クレームも出せない土壌。施設内で干されてしまう。それが怖いから表沙汰にはならない。
声を出さなきゃそのうち絶対虐待事件が起こる環境。
利用者本人主体の
支援、その種まきしか今はできていない状態。
今の現状を耕していく。そこに種を撒く。
親からなら支援計画に要望として出せる。
まずはそこから撒いていかないと、現場が変わっていかない。古い常識を耕して掘り起こさないと。。じつは行政のなかにも、当事者家族がいたりもする。一波揺らいで万波動くか。
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akanboh · 8 months
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『やさしいひと』 に気をつけて
やさしい、と思う人が、必ずしもそうとは限らないから気を付けなさい、と昔母に言われたことがある。そのとき、まぁ、そうかもしれないし、そんな人もいるよね、くらいに思っていた。私が結婚する前のシーン。
その後年を重ねてそれなりの色んな人と関わってきているけれど、そんななか
誰に対してやさしい人なのか
これに気づいたときに、その人の本質がわかってしまうなぁ。。と最近思う。
何に対しても、いいよ、いいよ、とOKのやさしい返事。
何でも、その人のかわりにやってあげてしまったりもする。
どうぞどうぞ、と強く勧めてくる。
深くつきあってくるうち、本心がわかってしまう瞬間。
いいよ、と言われて、それについてあとで聞き返したときに、こちらが何を聞いたのか、話の内容を覚えていない。
なので普段も、確認したはずの内容と同じことを初めてのように聞いてきたりする。
あぁ、このひとは全然人の話を聞いていないんだな、となると、いいよ=面倒だからそう答えておく人なんだってわかってくる。
やってあげるから座ってなよ、自分がやるから、となんでもかわりにあるいは先回りしてやってあげてしまう人。さらには、やってあげたアピール、そして、やってあげたのに、という期待はずれアピール。感謝されたいという見返りは相手のためではなく自分のため。
相手がどうしたいか、どうされたいかまでは考えていなかったりする。
なので、実は相手がやりたいことを邪魔しているだけだったり、相手の仕事を奪っていることに気づいていなかったり。
どうぞ、と人に何かを勧めているのが好意なのかと思いきや、手元にあるものを無くしたい、持っていたくないので人にあげたいと思っている人。
しかし相手には理由があって辞退している。勧められた相手は困っているのに、受け取ってもらえないと腹を立てる。人(自分)が親切で折角あげるって言っているのに、と。いや、それ親切って言わないです。相手を困らせているだけ。
手元が片付くと期待していたのに受け取ってもらえず気分が悪い、というのが実は本心。
あるいは、相手が喜ぶと期待してあげたものなのに喜ばれなかった、断られたというプライドの高さ。なので、ちょっと考えれば常識はずれで迷惑なことを勧めているってことにさえ気付けないでいる。せっかく(自分が)用意したんだから受け取れと無理強いまでしてしまえば、距離をおかれてしまっても、まぁ仕方がないのかな、とも思う。。
結局は自分にやさしい人
自分がどう思われているかを気にする人、
優しい人と思われたいとか、いい人だと思われたいとか、体裁を異常に気にするとか。。
感謝されたいとか。。
それって全部自分のためであって、相手への思いやりとはほど遠い。
やってあげたい、そう思うことは悪いことではないし、相手の要求にあったことであれば喜んでもらえてよかった、とホッとするのも悪くない。
ただし、やってあげたい、は、あくまでも自分の思いであること、必ずしも相手に喜ばれるとは限らないこと、相手の辞退も受け入れること
自分が考えることと相手が考えることを混同しないこと。。かな。
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akanboh · 8 months
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これ。作り出してる説
子どもたちの母校である特別支援学校、在学当時小学部~高等部まであった時代、教室不足がカオスだった。定員の倍、300人を越えて、職員室・会議室・特別室・用具室・更衣室までが次々に教室として使われていた。
やっと隣市に特別支援学校ができて、一部の生徒が転校していったが焼け石に水、さらに高等部が他市に移転、約半数がそちらに移ったことで、定員近くの生徒数になるはずだった。
しかし、そのうち小中学部だけでもとの300人越えとなり元のパンク状態に。
どういうこと?
何が起こっているのかを後輩の保護者さんに聞いたところ
障がいにより紙パンツ対応の児童・生徒がすべて特別支援学校へ進学することになったと。
つまり、紙パンツを使用していれば支援級に通えていた生徒を閉め出したことで特別支援学校がパンクしている、ということらしい。
視力が悪ければ眼鏡をかけたりコンタクトレンズを使用するのは当たり前なのに、排泄に支障があって紙パンツを使用するのは禁止?なんだと。
教育を受ける権利を奪って起きている、特別支援学校の生徒数の増加。
そして、最重度含め、高等部の生徒全員を市外に放り出すこの中核市。
市立の支援学校を創って欲しいと長年要望を出しても予算がないと断り続ける市が、市立の高校を設立、式典に出席した保護者がホテル並みの豪華な校舎を見て怒り心頭していた件。
私もそのチラシを見て思わず『金あるじゃん』(言葉が汚なくてスミマセン)と、チラシを握りつぶした1人。
今時の優生保護が、住みやすい市の中核市で起こっている。
そして、納税者になれそうな生徒向けの特別支援学校の高等部を分校形式?(普通高校の教室を間借りする方法)で作ろうとして、特別支援学校を作っているアピール。
確かに、高等部は義務教育ではないので、普通校に特別支援クラスはない。特別支援学校に全障がいの生徒が集中してしまう。
上手くカリキュラムを考えないと障がいの重い生徒も軽い生徒もお互いに不都合が生じてしまうし、必要な環境も違ったりするので大変かとは思うけど、教育を受ける権利は等しくみんなにあるはずだから、納税者を育てるイコール生徒をコスパで考えるみたいなやり方は、人としてどうなのかと、考えてしまう。
その辺が、高層マンションをたくさん建てて人口が増えれば税収が上がると単純に考えて住みやすさを土地の利便性でアピールしても、結果中身が伴っていないとすぐにバレてしまい、住みやすさナンバーワンも過去の栄光となってしまうのも当然だと思ってしまうのでした。
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akanboh · 9 months
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思考回路を変えないと。
知的に軽い障がいがあって普通小学校に通いたい生徒さんのためにサポートの職員さんが加配で付いている。。他校の校長先生がその職員さんを労って言いました。
『あなたみたいな方がサポートしてくださって、学校側はとても助かっていると思いますよ』
その思考回路。障がいのある生徒が入学を希望してきて受け入れ側は大変。なのでサポートの職員を配置した。学校側は助かっている。
もうちょっと平たく表現すると、お呼びじゃない生徒が入ってきたので、担任にサポートをつけた。
そう聞こえる。その空気って、障がいのあるその生徒に伝わるよね?そんな気持ちで学校に行きたいと思うかな?それが不登校なんじゃないの?
障がいがあっても等しく教育を受ける権利があって、楽しく学校生活を送る、その生徒を助けるためのサポートのはずが、
教師の職場を働きやすくするための制度であると勘違いをする。
不登校を作り出してるのって、受け入れている学校側なんでは?
私も誤解をしているのかな。
障がいがあっても受け入れてあげたい生徒がいるのに
いまの体制では無理だから、ひとりサポートを加配でつけたいと思っていた。なのであなたみたいなひとに引き受けてもらえて助かっている
後者であって欲しいと、切に願うのでした。
前者だったら、ノーマライゼーションなんて夢のまた夢。。実現なんて絶対無理な話です( ´Α`)
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akanboh · 11 months
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実はメインの2つ目
息子のこと、登園拒否後の変化についてブログでそのうち。。と公表しながらも、どうしたもんかと。
同窓生の親御さんたちに心配をかけてしまうなと、
施設の方の役員のおかあさんたちには会長(現在は交代しているので、元、です)経由で伝わっているのだけれど。。
どうやら、目がよく見えていないらしい→眼球使用困難症ではない��と。目を開けなくなってしまい手探り生活。たまに、あれ?見えているんじゃ?というシーンも見られるので、完全失明というわけでもなさそう。
すでに役員仲間のお母さんたちにはずいぶん心配をかけてしまっているみたい。
なので、ちょっとこちらで公表の練習をしようと。
公表には違いないけど、閲覧者はほぼ0の裏垢と思われるのと、DEEPな感じのひとしか、ここにはたどり着かないでしょうと思われるので、いきさつ整理と推敲兼ねて。
経過としては、引きこもり状態で見た目は摂食障害と体重の減少、眼球使用困難症?
摂食障害:『早食いと丸飲み、誤嚥、咳、吐く』→ 『食欲亢進からの食べ過ぎ→逆流性食道炎もあり?』→咳がなくても食後横になって吐く→吐きぐせにつながってこだわりとか刺激で習慣化?
体重減少:血液検査では異常なし、
従来の投薬を拒否しだす→デパケンをやめたことで痩せた(体脂肪率が40%台だった)と同時に吐くことで食事の摂取量が減った、在宅で運動量が激減し、筋肉量が減った。
自律神経:気圧の変化に弱い、睡眠障害(気圧で興奮状態~夜寝ない~貫徹後も寝ない)後に発作兆候
傾眠:アレルギー薬とリスパダールもあわさり傾眠~施設を遅刻・欠席が増えだす
てんかん発作:元々ミオクロニー発作持ち
デパケンを飲めなくなったことで、大発作を起こす→イーケプラを服用し寛解中
医療:引きこもりにより外来が本人抜きが続くので血液検査できず、訪問診療開始、上記の血液検査は訪問診療にて自宅で。
支援:施設とは毎日連絡を取り合う→欠席の連絡と状況報告、相談員さんから毎週の訪問看護を勧められるが、居宅介護から外出に繋げる支援を希望するも、できない(認められないから申請できない)と断られる
支援会議(施設職員・支援センター相談員※後述)→状況報告と希望を伝える→訪問看護よりも居宅支援の希望が通る
会議後すぐあたりから目が見えなくなり始める:どうやら、目からの情報を受け取る神経~脳で混乱しているのでは?
居宅支援:週1回の訪問に繋がり現在に至る。
☆眼球使用困難症の情報がネットで出だす☆
そのなかに、向精神薬の使用によるもの、という情報あり→イーケプラの服薬の間隔を少し広める→目を開けだす
6月12日現在、摂食障害はほぼ改善、しかし傾眠すると痩せだす、ほぼ開いていなかった目が開きだしている。。外出はまだできていない。
本人については、また別記事で。
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akanboh · 11 months
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予告しながら先伸ばしの2件
ひとつは、ここ。
大丈夫そうなら非公開記事をリンクします、のままでした。が、ちょっとガチでした。。
父親が元気なうちに祖父のことを聞いておこうと
聞いてみたところ、なんだ、知らなかったのか、という返事。別に深刻とかそういうんじゃないけど、一社員、という感じでもなかった、
とだけ、ここでは。還暦まであと少しになるまで自分が知らなかった、っていう。。
自分が育ってきた身内環境をこの歳になるまで知らなかった、ってマジか。
でも、知れてよかった、とも思う。
DNAの記憶って、どこか片隅にあるもんなんだろうな。。コネを忌避しようとするなんか直感みたいな潜在的な感じとか、大好きな人達だけど、同じにはならないぞ、というアウトサイダー的な感覚とか。ぁ、これはおばあちゃんの記憶なのかも。。
コネを蹴りまくって、親の期待通りに動こうとしない親不孝だったとは思うけど、
お膳立ての上に鎮座するとか、あり得ないっしょ
誰の人生なのよ、と、やはりおばあちゃん譲りとか、なんと鹿児島気質を受け継いでいるのか?とか今になって思う。
だから、身内環境はよく知らなくても、何となく感じるものがあって、抜けたパズルのピースを探すみたいな、不完全な感覚を確かめたくなっていたり。
ネットでたどり着いた空知に、呼ばれていたんだろうな。。無言の観光案内。
ま、自分にとっては普通の、追分け団子とゴルフが大好きなおじいちゃんなんだけど。子供の頃、トランプでよく遊んでくれた、ラストカード。
私が、合流すると聞いて、私と一緒に食べるからと朝御飯を食べないで待ってくれていた、晩年のおじいちゃん。
年を重ねるほどに親に似てくるのは、DNAの記憶が表面化してくるからなのかもしれないね。。
色々纏ってきたものが、経年劣化で(笑)剥がれてきたあと、コアに残っているものが表から見えやすくなってくる。
自分の構成成分サイトが再燃していたけど
我が道を貫いているようで、実際にはDNAに動かされているだけだったりするのかな?
なんて。
自分が健常者だなんて、ただの思い込みだった
そんなこともあるんじゃないかとさえ、普通に思っていたりします。
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akanboh · 1 year
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二次災害が警官によって起きている件
赤信号で停車中の接触事故。後続車がブレーキを踏み遅れたとかなら即謝罪、そりゃあるでしょうが。。
後続車もブレーキを踏んでいて起きた事故。
前の車が下がってきたか、後ろの車がブレーキを緩めたかのどちらか。
後続車に車載カメラなく、知的で自閉症スペクトラム(障害区分6)27才の女性が助手席に同乗。
警察待ち、到着後の聞き取り中に上記障がい者がパニックを起こして車から降りてしまう。
普通なら、両者から事情を聴き、状況のみで事故証明を作成し、物損だけなら警察官は退場する。
あとは保険会社同士のやりとりで、トラブルを少なく抑える段取りで現場は終了するのだか
当事者同士では、すでに話がついているにも関わらず
警察官が事故証明を渋ったことが原因で現場が長引き、パニック起こした障がい者がアスファルトに寝転び自傷で後頭部を何度も打ち付け負傷しているにもかかわらず、気にも止めずに、後続車が謝罪をしないと事故証明が書けない、裁判になったら高額費用がかかる、保険会社を使いたいなら全面認めろと強要してくる警官。
その交渉のための保険会社!アホか。
話をこじらせたあげく、結局最後に言った一言が、『保険会社同士で交渉した方がトラブルが少なくてすみますよ』
そんなこと、あたりまえー。最初から当人同士わかっているしそのつもり。警官が感情で話をこじらせているだけで、二次災害が起きていることすら頭にない。
安全確保のために車は移動している。どちらの車にも損傷がない、だから多分その場で加害者を決めないと追突事故としての書類が書きにくかったのだろうけど、接触事故として扱えば、あとは保険会社のやりとりで済んだはず。
その現場で、障がい者が車道に飛び出して車に牽かれたらどうするのか。
以前にも似たようなことがあった。車の行き来があまりない、田んぼのなかの道。一時停止の違反者を見張っている、研修中らしきパトカー。
車道に車は違反車一台のみ、ほかに通行車両なし。
降りてくる警官、パニックを起こす同乗の障がい者。
やはり車から降りて走り出そうとしていて、事情を話すと、しまった!という顔の教官らしき警官の方。
にもかかわらず、新人に書類を書かせている。
案の定不馴れな新人警官がなんども書類を確認するために教官との間をいったり来たり、なかなか手続きが進まない。
障がい者が親の手を振りきって走り出そうとするのを必死におさえながら手続きを待っているのに
障がい者の安全確保は全くしようとしない。
ほかに、右折車線前方での事故を避けて右折矢印点灯中に進行する際に、対向車線から来た別のパトカーが
野次馬で停止してしまい進行車両の進路妨害。停止せんより前に出ている進行車両が危うく他の事故を起こしかねない状況だった。
状況判断で的確に処理してくれ、かつ安全確保まで気にしてくれる警官も多い中、結局は人格なんだなぁと思うし、二次災害を起こさないように気を配る責任も当然あるはずなわけで、声をあげないと改善もされないんだろうと思ったりするわけなのでした。
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akanboh · 1 year
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デリケートな時期なので
あまり大っぴらには言えないというか、立ち位置も微妙だったりするわけだけれど
方向って360°あるから、自分が前に進んでいると思っていても、ほんとにそっちか前なのか(^^;
立体的にいえば、上下もあるなら、普通は太陽が上る方が上で、地下鉄が走る方が下。
北が寒くて南は暖かい
おーい、オーストラリアは、北が暖かくて南が寒い
白夜の北欧は、太陽は昇らないから下にあるし
東京と同緯度なのはヨーロッパじゃなくてエジプト。
コスタリカの地名は、リカ。コスタは海岸。
メコンのメは水。だからメコン川ではなく、コン川。
エジプトの首都は、ミスル(アラビア語)
正しいと信じていることが、実は全然違うことがある。そこにいかなきゃわからないことがたくさんある。
飛行機、格好いい。
何に使うかが問題。
いつのまにか、なしくずしに決まっていくことで
方向を間違えていないか、気づくことを忘れないようにしないと、
着地点を間違える。
多数決に流されちゃいけないときもある。
違うでしょ、と発信することを諦めたときに
困ったことにならないように。。
走るにはエンジン、モーターが必要、
でも、それを止めるブレーキも、方向を変えるハンドルも必要。
要望を叶える力があって、それには感謝しなくちゃいけない、けど、ハンドルもブレーキもない車に乗ることはできないのよ。
デリケートな時期なので、ここまでしか言えないけれど。
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akanboh · 1 year
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一番安全で危険な場所にいる。
安全なのは、たぶん潰れない、直営、たぶんなくならない。あんぜん?そうじゃない、安心、それも違う、愚鈍? は言い過ぎか。
思考を停止させる方へ。
団結させないために、関係を薄く保つ。
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akanboh · 1 year
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リスク管理、行政、わかってる?
行政上の手続き書類。記入欄にマイナンバーを書く欄があるんだが。それ、他人に知られないように管理する番号なんじゃないの?
アメリカでは夫婦間でも知られないように扱われているものなのに、紙に書いて普通郵便で送るってことが、どういうことなのか未だにわからないのが不思議。
ポストに入れて手を離れたら、誰に開けられるか本人にはわからない流れになんで気づかないの?
追跡もできないシステムに、そんな大事な番号を、なんの疑問もなく書いて送れと。
その番号を、身分証明になる健康保険と運転免許証に紐付けると。
身分証明書をクラウドに向かって投げ放つなんてさ、どういうことなのかわかってるんかね。。
プライバシー云々じゃないでしょ、
その身分証明書で他人が借金をしたり契約したりとか、
できちゃうんじゃないの?
暗証番号があるから大丈夫、って正気なのかな
鍵ってさ、本体を持っているのは自分かもしれないけど、照合するのは相手側よ?
誰の手に渡っているか確認できない場所に放つなんて、あり得ないでしょ?
暗証番号は、自分だけが知っているって、そりゃ勘違い。最初に書いて渡している相手がみんな握っているんだってばさ。
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akanboh · 1 year
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さぁ、風穴をあけられるか?
堅い、とにかく堅い。
日中の支援無しか、幽閉かを選べという。
なんそれ、行政。
やりたきゃ親がやれと。(自助:家族や親戚がいる場合は障がい者は家族・親戚が看ることが原則)
そりゃさ、大切な家族だからそうするでしょ、でも
施設が一杯で遠方しかない場合、親が車を運転して迎えに行き連れて帰る、そして送り届けることになるのだけれど、高齢で免許を返上したら、最重度で親よりちからが強い子を電車バスで送り迎えは体力的に無理、となり、その時点で、
もうこれで最後ですと、どこかで必ず言わなくちゃいけなくなる。
自宅に住んでいることが条件の移動支援と行動援護。
そこに本人への支援という視点が、なぜ存在しないのか。なきゃいけない場所で利用できない支援。
どこに住んでいようと、移動を制限される筋合いはないわけで。
基本的人権は、障がい者には適用されないこの行政。
自立支援ってなんのためにあるのか?
家庭から自立したら支援を打ち切られてしまう重度の障がい者。家族の手を離れて入所したら移動することすらできなくなる仕組み。
どゆこと? 自立ってなに?
行動援護を利用できる期間でも、移動にしか使えませんとか、移動先の活動は本人を放り出すような縛り。
最重度よ?公園で一人で歩いて遊べ? 
公園で親が待っていろっていうのか?
人としての視点が、何故ないのか。
なぜ、施設から一旦自宅に戻らないと移動支援も行動援護も使えないことになるのか。
なぜ、自宅からでないと使えないのか謎すぎる。
障害があるからって、なぜそんなに縛り付けるのか。
この市はそうなんです。この一言で閉店ガラガラ。
福祉は美味しい仕事だと宣伝しているみたいな窓口。
業者様々。障害福祉課から一歩出ると、もうそこは
アウェイワールド。
障がい者のイメージ=車イスと医療介護=高齢者福祉との混同。
自力で立てて体が動けるから障害は軽い人という認識。
知的障害=精神の病気という勘違い
重��と言われている人は、暴力をふるう人というざっくりすぎる知識。
車イス生活になってしまった人が障害に打ち勝つ美談からいまだに抜け出せていない感覚、からの
障がい者のイメージ。
知的、というだけで関わりが薄くなる。
納税の義務が果たせない人には人権を与えない
基本的人権のなかでの縛りは、他人の人権を侵害しない、そこだけ。
そこに義務は存在しないこと、知らないの?
移動の自由も住居の自由も、基本的人権のなかに織り込まれているのよ。障害があろうとなかろうと、人として存在するために取り上げてはいけないもの。
本人の命と健康と尊厳を守るために支援は必要だから、
支援を断る制度が存在する理由はないんだべさ。
そのために行政があるんじゃないの?
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akanboh · 1 year
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それって立ち向かうものなのか
よく、障がいを克服する、とか立ち向かうとかっていう美談をテーマにするメディアがあるけど。
治療して寛解するとか完治する、病気とか怪我とかならその言葉は当てはまるものだとは思う、
でも、知的障がい児・者の障がいが軽くなることはあっても、なくなるものではないし、立ち向かうものでもなく克服するものっていうのもちょっと違う。
だから『障がい』なわけだから。
勝ち負けも違う。打ち勝つ、って何?
じゃあ何なのか?
自分の一部と受け入れること、自分そのもの。
それがありのままの自分で
敢えていうなら、一緒に歩くもの、相手。
克服する相手が違うでしょ。
なにもできないと思ってしまう気持ちと環境
それに打ち勝つというなら、それ正解。
そうじゃない?
できる何かと出会うこと、車線変更、まさにそれ。
まだ観てないけど、でも、予告編のフレーズが
やっぱり観客動員を目的にしてしまうメディアの『ずれ』みたいなところに違和感を感じてしまう。
美談を人寄せに使うの、やめない?
人寄せパンダみたいで、すごく居心地が悪い。
障がいって、美談で解決するものなんかじゃないんですけど。感動してまたもとの生活に戻ったとき、
別に障がいがなくなるわけでもなく、また障がいとともにあるいていく、いつも通りの生活が
笑ったり面白がったり、本人にとって普通の、自分の生活がそこにあるんで、障がいがあるから可愛そうな自分でもなく、ましてや不幸な自分でもない、
ただ、健常者といわれるひとたちの環境が、障がいがある人や子どもたちにとって、すこぶる不便で困ることが多い、っていうことなのです。
社会の基準が健常者だから。
それともうひとつ。
全員が同じ環境のなかに一緒にいることが平等だという勘違い。
例えば。。自分のからだのサイズや好みに合った服を選んで着るって当たり前で自然なことだと思うけど、
人それぞれ身長も体重も年齢も性別も好みも違うことが前提でいろんな服、靴、色々あるわけで、
『選べる』のが当たり前になっている。
高校も大学も職業も、それぞれの進路や専門によってみんな選んで決めていくわけで。
で、障がいがあることを理由に学校を分けるなとかっていうけど、分けることよりも、片方をなくして選べなくする方がよっぽど問題なんであって、頑張ればついていける子もいれば、頑張っている時点で無理をしている子、そもそも集団に入っていけない子、椅子に五分しか座れない子、鞄を持ってもその場に置いて歩いていっちゃう子、床の色が違う部屋に入れない子、排泄に支援が必要な子、洋服を自分で着れない子、いろんな子を何十人も一人担任のクラスで40分も授業ができるのか?っていう話。
生活面ならお友達が助けてくれるかもしれないけど、
授業というものがあるかぎり、全員一緒なんてあり得ないと思うのです。全員前を向いて座る、その間に消ゴムを口に入れちゃったり食べちゃったり、配られたプリントの存在自体理解できずに破いたり丸めたりを普通にしちゃう知的に最重度の子だっているんです。
じゃあ、その子だけ渡さないの?ってなるでしょ?
定型発達と言われる子のクラスだって普通に崩壊しているのに。加配といっても障がいが重ければ、ほぼマンツーが必要な子もいて、そこにいること自体本人が苦痛なら、そりゃ地獄ですよ。
授業を聞きに来ている子だって受験も控えていれば、奇声で先生の声も聞こえない、集中できない、教科書やノートだって破かれちゃうみたいなことが日常にあったら、どうなのよ?あ、予備校に行けばいいんだっけ?
って、現状を知らずに想像だけで物事を決めてトップダウンで実行に移せば功績が残ると勘違いしている偉い人の鶴の一声に、忖度が必殺技の取り巻きが美味しいポストを夢見てる。
名誉とか功績とかの自分の結果(=欲)を目的に進むと、歩く道もゴールも見失う、本末転倒な結果になること
その目的(自分の欲)は一旦置いといて、誰のために、何のために動くのか、いつのまにか欲を忘れて動いた結果、あとからついてくるもので、
それって自分の前にあるんじゃない、
自分の後ろに出来るもの、神様からのご褒美として
いつのまにか与えられているものなんだ、ってことだと思うのです。
一緒にするなら、どうすれば一緒にできるのかをとことん本人サイドも含めて時間をかけて『一緒に考えて決める』その際に別の選択も本人達のために残しておく。なくされたことで行き場を、居場所を失うこどもたちもいるんです。
前例があるとかないとか、決めたことだから従ってくれないと面子が立たないとか困るとか、やってあげたのに、ということが起こるのは、みんな一方的に決めて本人たちが置き去りになっているから起きる当たり前の不具合。
そのあたりでウロウロしている間は、実現は無理だってこと。
偉い人、スーツを脱いでジャージ着て本人達の活動のなかに混ざりましょう。そこじゃないと見えない景色だらけだから。
スーツを着て視察なんかじゃ、絶対わからないと思いますよ。
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