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yachch · 3 months
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2023年のこと
夏に更新して以来すっかり放置していました。こういったブログ系は長続きした試しがない……。けれど、細々とでも記録していかないことには忘れる一方なので、思い出せる範囲で今年の創作活動で主要なところをまとめてみます。 ちなみに、私生活のほうでは仕事関係で異動があり、私は自分の仕事をそのまま持って行く予定でしたが、想定外に業務範囲が広がってしまい、自分の中の困りごとを色々と再認識した一年でした。(こういうふわっとしたことを書くと思わせぶりなことを書くなとか、明文化しろとかチクチク言うひとがたまに出てくるけれど、別に誰かの感情の埋め合わせしたり好奇心に応えたりするために生きているわけではないしな……ということを考える一年でもあった)
新刊『アフターヘブン』の頒布 5月の文学フリマ東京で中編小説を出しました。初頒布に際して書いた記事があるので、よかったら読んでみてください。 手頃な価格で手にとれる本を作ろうと思い立って作った一冊です。ありがたいことにたくさんの方に手に取っていただいて、現在頒布しているものは三刷目になります。 あまり細かいことは気にせず手癖で書いたら、複数の方から「カズオ・イシグロを思い出した」とおっしゃっていただいたのですが、そこは全然意識していないポイントだったのでびっくりした。(カズオ・イシグロは好きな作家です) なお、本作はスペイン内戦における歴史記憶法(通称)から着想を得て制作されたフィクションですが、過去そして現在に渡って続く戦争そして今パレスチナで起きている虐殺には強く抗議するとともに、今まさに傷つき、不安や恐怖を抱えている方々が少しでも早く平穏をとり戻せることを願っています。
家父長制アンソロの告知 11月の文学フリマ東京で、家父長制アンソロジー『父親の死体を捨てにいく』のフライヤー配布、同日X上での告知を行いました。こちらは2024年5月の文学フリマ東京で頒布予定ですので、楽しみにお待ちください。 『その丘が黄金ならば』という小説に父の死体を葬りに行く場面があり、そのイメージがずっと頭の中にあったのが企画立案のきっかけ……なのかな。最近読んだガルシア・マルケスのシナリオ指南本の中に、「イメージが『何か』を語りかけてくる時は、そのイメージの中に『何か』が内包されている」という言葉があり(意訳)、その言葉を借りるなら、父親の死体を捨てにいくことが表象する種々の語り――つまりアンチ家父長制の語り――が集う本になる予定です。楽しみですね。
PNに苗字がついた 黒田八束になりました。きっかけがあったわけではなく、ここ数年ずっとPNを変えたい気持ちがあって、ふと思いついてココナラで姓名判断が専門の方に相談してみました。「八束」がとても縁起の良い名前ということで、さらにパワーアップする形で苗字がつきました。 (須賀しのぶと同じ運勢にしてくれんか? とお願いして、この名前になりました。永遠の曠野を駆けるぞ)
未公開長編の初稿が完成しました 慣れないジャンルで、夏ごろからうんうんと唸りながら書いていた原稿ですが、無事に初稿が上がりました。 こちらは春ごろ告知が出る予定ですので、興味がある方は情報開示をお待ちいただけますと幸いです。
来年のことはあまり明確には考えていませんが、新規の長編を書いて何らかの形で発表するか、『方舟の椅子』を改稿してKindle化できたらいいなと思っています。 来年もなんとかやっていけますように……。
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yachch · 7 months
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0818
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実家ちかくの溜め池で甥っ子とザリガニ釣りをしていたら、クレジットカードの不正利用の連絡がきてびっくりした。ショートメッセージで確認メールがきて、どうやらスペインで使われたらしく、いや、私はお盆休みを満喫して、埼玉の田んぼだらけの土地のど真ん中にいるんだが……と思った。
同日にpictSQUARE関連で個人情報流出の報があり、二重にビビる。しかし私は系列サービスを使ったことはあっても今回対象となっているサービスは使用歴がなく、微妙な感じ。今は詳報を待っているところ。クレジットカードは即止めて、再発行待ち。
ザリガニ釣りは小学生ぶりにやった。溜め池というか田んぼの灌漑用の水路が行き止まりになったところで、昔このあたりは���漑設備がなかったので米が作れず、小麦を作っていたという話を思い出す。ザリガニはうじゃうじゃいて、竹の竿に凧糸を垂らしてするめで釣ったら入れ食い状態でよく釣れた。一番でかいザリガニは片方しかはさみがなかった。
釣ったザリガニはぜんぶもとの水路に戻した。「生態系がおかしくなるから法律で同じ場所にしか戻しちゃだめって決まってるんだよ」と甥っ子が教えてくれた。
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yachch · 10 months
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文学フリマ東京36
2023/5/21(日) 開催の文学フリマ東京36に参加します。 スペース番号は【J-13】。
webカタログはこちらからご覧いただけます。
お品書き。
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今回はcanvaのテンプレートを利用して作成しました。前回の文フリの時にお品書きのテンプレートはなかったので、文明は着実に進んでいる……。
以下、個人誌の紹介です。
【新刊】アフターヘブン
B6サイズ/134ページ/¥600
天国は、居心地が悪すぎる。
あらすじ: 15歳のアンナは、特別な少女たちが集められるシフェンタ女子学校に入学する。 変わり者のリリャ、頑固で勝ち気なヴィオラとともに学校生活を送りながら、アンナは一歩ずつ大人に近づいていく。 それは同時に、生まれ育った土地の歴史、自身の失われた過去と向き合うための道程でもあった。
試読:こちら
今回の新刊です。500円くらいでサクッと読める一冊を出したいと思い書き始めましたが、文字数あれよあれよという間に文字数が増え……。 詳しいことはこちらに書きましたので、よろしければご覧ください。
直接的な表現は一切ありませんが、南コーカサス地域の紛争を彷彿とさせる内容を取り扱っています。私は戦争に対して強く反対する立場であることをここに明記しておきます。
【準新刊】光や風にさえ
B6サイズ/256ページ/¥1000
社会から透明化された女性をめぐる「語り」の物語。
あらすじ: 未亡人として貧しい暮らしを送りながら、日系移民の社会に息苦しさを覚えるナオミ。   あるとき船着き場に現れた2世の少女に導かれ、より生きやすい場所、新天地を目指して開拓地からの逃亡を図る。   事故の後遺症により夫に捨てられた少女、幽閉される先住民の女性、水上で生活する娼婦……。 異国での旅を通じて、ナオミは自身が生まれ持った困難と向き合っていく。
試読:こちら 
前回の文学フリマ東京で発行した長編小説です。社会性に困難を抱えた女性の物語……とまとめてしまうと色んなものをとりこぼしてしまうかな。表現が難しいですが、生きづらさという事象に関して、社会にはびこるナラティブに対してひとつ異なる視点を置いておきたくて書いた話です。
そのほか、「不幸な少女アンソロジー シンデレラストーリーズ」も少部数持ち込む予定です。 通販もありますので、ご都合に合わせてご利用ください。
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yachch · 11 months
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新刊『アフターヘブン』を出します
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2023年5月21日開催の文学フリ���東京36で、新刊『アフターヘブン』を頒布します。約5万字の中編小説、600円。B6サイズ一段組。 特別な条件を満たしたときだけ、死者が蘇ってくる。そんな世界を舞台にした、女の子たちの青春小説です。
物語の根幹には土地に根づいた深い怨恨があって、その中で決められた立ち位置で生きざるを得ない少女たちが、憎しみあうでもなく、ゆるく繋がりながら生きていく話……なのかな。ただ生きることに対してそんな前向きな話ってわけでもないな……。 特に主人公のアンナに関してはかなり迂遠な語りを用いていて、それは傷をつまびらかにすることがこの話の目的ではないから。
女の子たちがぶつかり合いながら成熟、成長していく話ではないです。(作中で喧嘩をする場面はあります)わかりやすい成長物語っていうのが最近は私のなかですごく疑問で、それは結局そのときの社会体制から要請されたひとつの人間性への転化をうながす構造になりがちだと思う。それが「生きやすさ」につながるっていうのは、確かにそういう面もなきにしもあらずだろうけど、でも逆説的に「生きやすい」として構築された社会は容易に他者をとりこぼす。 さらには、「生きづらさ」を抱えた人間のなかでもなんとか「生きのびて」、高い言語化能力を獲得した人だけがそのサバイブを語り得る構造になってしまう。成長、適応というシングルストーリーが強化されていく。
だからどうしたらいいのか、という明確な答えは自分のなかにもないのだけれども、せめてそうでない物語をどこかに置いておきたい、というのがこの話を書きながら思ったこと。それ自体をストレートに表現できているかというとそうではない話だけど、自分はこの方向性でやっていくぞ! という気持ちを強めた……のかもしれない。
あまりまとまりのない話になってしまいましたが、弊サークルの中では価格的にも文字数的にも比較的手にとりやすいかと思いますので、よかったらこの機会にぜひ。通販もあります。
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yachch · 11 months
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アフターヘブン 試読
「おかえりなさい、アンナ。――あなたが生まれ、育まれたグルダに」
 真珠を守る貝のように硬くこわばり、かすかに震えるフランギスの細い腕の中で、アンナはその声を聞いたのだった。  左足に重心をずらそうとして靴のかかとが霜を踏み砕き、その下に広がるぬかるみへと沈みこんでいく。夜の間に凍った地面は太陽のひかりにあてられ、生クリームのようにやわらかく溶けはじめていた。後退しようとすればするほど深みにはまっていく気がして、アンナは据わりの悪い椅子に座るようにその腕の中にとどまるしかない。 ――なにもしらないひとがこの場を目撃したなら、祖母と孫が別れを惜しんでいるようにみえるだろう、とアンナは思う。  ふたりの背後にそびえ立つのは寄宿舎学校の門で、アンナは真新しい制服を着ているのだから。そうした断片的な情報から、規律の厳しい学校生活に入る孫と、その孫を心配する心優しい祖母という構図をあてはめてみることはきっと難しくない。  でも、それは真実から遠くかけ離れた想像だ。  アンナが寄宿舎学校に入ることは事実でも、ふたりは血縁関係にはあたらない。おたがいを家族と認識しあう仲でもない。謙遜でも何でもなく、ただの他人だった。三十年とすこし前、この国で多くの批難を浴びながらも施行された法律によって、たまたま結びつけられただけの。 「ここに来るまでに、ずいぶん身体が冷えてしまいましたね」  抱擁を解くと、フランギスはアンナの冷えた首に自分のマフラーをそっと巻きつけた。  抱きしめられていたのはわずかな時間だったのに、ようやく解放された気がしたのはアンナがずっと緊張していたせいだろう。他人と触れ合うと頭が真っ白になって、全身から汗が噴き出して、そして逃げ出したくなる。フランギスが悪いわけではなく――ふたりは法律によって結ばれた関係だが、フランギスは一貫してアンナを尊重してくれている――誰に対してもそうなのだから、そういう性分と言うほかなかった。 「暦の上では春を迎えたけれど、この時期のグルダは寒いとあれほど言っておいたのに。お前でもうっかりすることがあるんですね、アンナ」  ええ、まあ、とアンナはあいまいに笑う。そんな彼女の首もとでしっかりマフラーの結び目をこしらえてから、「さあ、行って」とフランギスがささやいた。 「私はここであなたを見送ります。心配しないで、私はあなたの代理人ですから、またいつでも会えますよ。困ったことがあったら――」  ぬかるみを跳ね飛ばしながら走ってくる乗用車が目に入り、アンナはとっさにフランギスの腕を引く。しかし弾丸のように飛びかかってくる泥を避けるには、その行動はいささか遅すぎたようだ。 「アンナ、何がみえますか? 私に教えてください」  黒いガウンの裾が泥で汚れるのにも動じず、フランギスはじっと周囲の音に耳を澄ましていた。それでは埒があかないと思ったのか今度はアンナに説明を求める。  通り過ぎるかと思われた乗用車は門からすこし離れた場所で停まっていた。 「一台の車が……門の前に停まっています。窓が黒くて、スモークガラスって言うんでしょうか、乗ってるひとはみえないし、降りてくる気配もないし……誰かを待っているんでしょうか?」 「車体の色、タイヤの大きさ、あと、ナンバーは?」  いつになく焦った様子で、フランギスは次々と質問を重ねていく。  そのひとつひとつに丁寧に回答すると、フランギスは「そう」と小さな溜め息を漏らしたきり、今度は押し黙ってしまった。そのまま宙を仰いだ目線の先を追いかければ、木々の枝にわずかに残された枯れ葉が目に入る。 ――あの枯れ葉は、冬の間、風にも雪にも負けずあの場所にとどまり続けていたんだろうか。 「きっと、天国からお迎えが来たんでしょう」  葉が風にちぎりとられるのと、門の脇にある通用口からひとりの少女が飛び出してきたのはほぼ同時の出来事だった。寒空の下、コートもはおらずに出てきた制服姿の少女は、ふたりなど目に入らないとばかりに押しのけて例の車輌まで駆け寄る。 「あたしに時間をちょうだい! まだ帰りたくない!」  大きな声で叫んだ少女に呼応するように運転席の窓がわずかに開いた。そこで何を言われたのか、少女はずるずるとその場に座り込むと力なく握った拳で地面を叩いた。 「そんな……もうすこしで卒業できたのに……あたし……」  ぬかるみに膝まで浸かって、少女はすすり泣いた。がんぜない背中は悲しいくらい痩せて、ブラウス越しにでも浮き出た肋を両手でつかんでしまえそうだった。  呼吸すら忘れてその背をみつめるアンナの片袖を、後ろから誰かが引く。 「行きなさい、アンナ。ただでさえ到着が遅れてしまったんですから、先生がたもお待ちかねですよ」  爪弾かれたように振り返ったアンナをフランギスは穏やかに諭した。 「でも……、フランギス先生、」  アンナの口を冷たい手でそっとふさいで、フランギスは無言で首を振った。背後にいる少女の存在に触れることは禁忌だとでも言うように。  通用口をふさぐ赤錆びた扉が、勢いを増した風に揺れてぎいぎいと軋む。その音に混ざって、かすかに嗚咽の声が聞こえてくる。  アンナは自分の胸の中で熱いものと冷たいものがせめぎ合うのを感じた。  「――アンナ」  結局、フランギスの呼びかけを無視してでもアンナはその子に声をかけることにした。ハンカチを差し出すと、その子ははしばみ色の目でじっとアンナをにらみつけた。  宙を舞ったナナカマドの枯れ葉がひらりと泥海に落ちる。油をかぶったように黒く濡れた両手を握り込みながら、少女はきつく下唇を噛みしめた。 「……あんたは何回目なの?」  続けざまに少女が「あたしはもう十回よ、十回もくり返した!」と叫ぶと、ぎゅっと力の入った目尻から涙がぽろりと一粒こぼれ落ちた。 「だから、これで完全におしまい。――あんたは、うまくやれるといいね。あたしが帰るところが天国なら、ここは……、」  少女が後部座席のドアを開くと、車内に焚きしめられた奇妙な香りが周囲に拡散した。その香りを香りと認識する間もなく、アンナの意識は急にぼんやりする。  意識がもうろうとしたのはほんの数秒だったが、気が付けば車は跡形もなくなっていた。  道のむこうをみればすでに車影は遠く、ベールがかかったように垂れこめる深い霧の中に入りこもうとしている。白い霧に吸い込まれると、車は完全にみえなくなった。  『ここは』――続くことばが何だったのか、アンナはしばらく思い出そうとこころみたが、しびれを切らしたフランギスに呼びかけられて考えるのをやめてしまう。ガムのようにへばりついてくる泥を靴の先でかきわけながら元いた場所に戻る。  フランギスはアンナを叱らなかった。  彼女に見送られて、アンナは先ほど少女が飛び出してきた通用口から学校の敷地に足を踏み入れた。どこからともなく現れた守衛が即座に扉に鍵をかける。錆びた格子越しにフランギスと向き合うと、実は自分は投獄されたんじゃないかという突拍子のない妄想にアンナにとり憑かれた。 「ああよかった」  扉の格子に力なく指をからませて、フランギスがふと溜め息を漏らした。 「ここまでお前を送り出せて。最後の力をふりしぼって、私の善性がそのほかのすべてに勝ったように思います」  そう不可解な発言をするとともに、フランギスは目を細めた。眼球という感覚器官を失った暗い視界の中、何とか一条の光をさぐり当てようとするように虚空を凝視する。  ここに来てから、フランギスはふだんよりもすこしだけ感情的になっているようだ。長い冬を耐え忍んだ病人が春のきざしにふと心身の緊張をゆるめて死に至る、そんなあやうさを秘めているようにもアンナには感じられた。 「行ってきます、先生。またお会いできる日を楽しみにしています」  もしかして、これが今生の別れになるんじゃないか―そんな不安に駆られつつも、アンナはあたりさわりのない挨拶を口にすることしかできない。 「いってらっしゃい、アンナ」  フランギスの声を背に、アンナは自分を待ち構える森をみあげた。
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yachch · 11 months
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八戸
一泊二日で八戸に行ってきた。動画は蕪島。神社のある小さな島で、昔からのウミネコの繁殖地。境内にはウミネコがたくさんいて、周囲を飛び交ったり巣で卵を抱いたりしていた。とにかくフンがたくさん降ってくるので、神社の入口では傘の貸し出しをおこなっている。
蕪島は工藤正市のこの写真をみかけてから、ずっと行ってみたかった場所。
蕪島からは三陸海岸に沿ってずっと遊歩道が続いていく。一帯は景勝地として知られていて、地元の人が熱心に保存活動をなさっているのか浜もすごくきれい。ゴミ一つ落ちていなかった。というのも、少し前に海洋学者のひとと話す機会があり、漂流物に含まれるライターの来歴を辿ることでどこからゴミが流れ着いているのか分析できるという話を聞き、もしみつけられるならみつけたいと思っていたので。(でもこの分析は、海洋学による推測を追認するだけになるらしい)
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海辺では山背と呼ばれる颪が吹いていた。山背は海側から霧や雲を連れてやってきて、あたりをぼんやり霞ませていく。気温は初夏なのにこの風がとにかく寒い。霧に満ちた街並みはなんだか不思議な光景だった。
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八戸は作家の三浦哲郎の出生地でもあり、市街地には生誕の碑が立っている。三浦は八戸にあった呉服屋の出身だが、一家離散で八戸自体に暮らした時期はそこまで長くないようだ。
彼の生家をめぐる話は、私小説である『白夜を旅する人々』が詳しい。
三浦の生家が取り壊された後、近年はしばらく本屋があったらしい。いまはおおきな百貨店に飲み込まれてしまい、その痕跡をたどることはできない。彼が生まれてからまだ100年も経っていないのに、めまぐるしく変わっていく街の光景を思った。
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yachch · 1 year
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0316
出張に行く飛行機の中で、『わたしたちが光の速さで進めないなら』を読み終わった。
一番好きなのは「館内紛失」かな。故人から抽出された人格プログラムが図書館に収納されており、それがお墓の代わりになっている。いつでも亡くなった人に会いに行けて、故人の人格を模したプログラムと会話ができる世界。人格プログラムにはそれぞれ検索用のインデックスが紐づいている。システム上の問題で、故人のデータはそのインデックスに基づいてでしか検索できない。しかし主人公の母親はインデックスが消���されており、館内にはあるものの行方がまったくわからなってしまった……という物語。SFという飛び道具を用いた、機能不全家族の物語でもある。
主人公の母親は、主人公を産んでからこころを病んでしまい、家族に見捨てられたまま亡くなった。主人公は母親の足跡を追い、「何者でもなかった」母親の実像を知る、というストーリー。その人生を追跡することで主人公は自分なりに母の苦しみを解釈していき、最後には理解という「物語」を得る話……といったらすこし意地悪かな。でも、相互理解の話ではない。なんとか館内から探し出して会話を試みた母親の人格プログラムは、あくまで仮想人格であって思考に可塑性を持たない代物でしかなく、主人公が何を話そうとも、それは人形に向かって語りかけるのと同じことだ。母は死んでいるし、母は永遠に回復しない。
この話が印象に残ったのは、これが母娘の物語だからでなく、社会から見えづらくされてしまった人を追う物語だからだと思う。私はそういった構図に対して敏感に反応する。
ブラジルで使用されているポルトガル語では、『社会から遺棄された人々』を意味するアバンドナドスという単語がある。これはざっくり社会的弱者とも翻訳できる単語(あるいは社会学用語かもしれない)。私もよく自分の書く物語で扱う属性について、「社会から疎外された/こぼれおちた」という表現を使うが、実際これはあまり正確な表現でないと思っている。本来、社会はまちがいなくすべてのひとを包摂すべきものだ。でも、わたしたちが「社会」と言うとき、その社会は線引きがあり、対象を限定した何らかのカテゴリであるように感じられることが多い。そういった「社会」が主体となって誰かを遺棄したととれるアバンドナドスということばは言い得て妙で、皮肉がきいている。
より正確に、より迂遠に語ろうと試みれば、ある種の困難により社会という枠組みの中で見えづらい場所にまで追い込まれたひとびと、と私は言うだろうか。そういった人々の語り得ないミクロの物語に、過去から通底して関心がある。そのひとつの表象が『光や風にさえ』という物語なわけだけど、いろいろ宿題があるのも事実だなあ……と思ったりした。
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yachch · 1 year
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0303
地元は養蚕が盛んだった名残で、ひな祭りもお蚕の繁忙期を避けるために1ヶ月遅れでやってくる。と教えられて、実際に実家でおひなさまを飾るのは4月の行事だった。先日、家族LINEを開いたら、母親がおひなさまを飾った写真をのせていた。同居していた父方の祖父は亡くなって久しいし、祖母も亡くなって数年経つ。家の伝統にしたがう必要がなくなったのかもしれないと思った。
気がつけば他の記事を投稿しないまま2月が終わっていた。仕事をして、5月の新刊作業をしていたら時間がすぐに溶けてしまう……。
最近はキム・チョヨプ『わたしたちが光の速さで進めないなら』を読んでいる。軽めのSF短編集で、隙間時間に読むのがちょうどいい感じ。
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yachch · 1 year
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0205
5月の文フリ東京で出す本の原稿をやっている。5万字くらいの薄い本になる予定で、久々に女の子主人公の話を書くとやっぱり楽しい。少女小説のようなYAのような……、でも手癖で書いてる部分も多く、なんとなくこれまで書いた話の中庸に位置するような本になる気がしている。
1月の文学フリマ京都に参加するのに併せて、京都で写真を撮ってもらった。着付けとヘアメイクもしてもらって、写真を撮ってくれたのは普段ドラァグクイーンの舞台なんかを撮影してる方で、全体を通してすごく親切にしてもらって、とても楽しかった。ヘアメイクはヴァイオレット・チャチキ風にしてもらった。
なんとなく20代のうちの自分を記録しておきたかった……できればあまり行儀のよくない形で……というのは成人式や就活の証明写真のような決まりきってない形で、という意味で、あまり大きな動機はなかったけど、本当にすてきに撮ってもらえたのでここにも数枚残しておく。
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指示されたポーズをとるにも筋力が必要で、体幹がグダグダなわたしには大変だったけど、良い思い出になりました。
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yachch · 1 year
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冬の思い出
大学生のとき、アルメニアに行った。トビリシから夜行列車に乗って、一晩かけて首都のイェレヴァンをめざした。
ソヴィエト時代の古い列車でトイレは壊れていた。狭いコンパートメントにはベンチを引き出して使うタイプの二段ベットがふたつ詰め込んであり、熱気がむんむんとこもっていた。
夜中に一度乗務員に叩き起こされる。外に連れ出され、国境の駅でジョージアの出国審査とアルメニアの入国審査をおこなう。同じ列に並んだシーク教の格好をしたおじいさんは別室に連れられていってしまう。入国審査は英語での簡単な質問だけで終わり、アルメニア軍のひとたちが日本語で挨拶をしてくれる。
イェレヴァンには早朝に到着した。天気予報には「霧氷」と表示されるようなひどく寒い朝だった。唯一開いていた駅前の両替所で、ドルをアルメニアの通貨に両替する。窓口から差し出されたトレイには、お金と一緒にみかんが乗っていた。コーヒーももらって、街が動き出すまでしばらくそこで休んだ。
そういえば、独立を求めてジョージアと紛争をしているアブハジアは世界的なみかんの産地だ。これを題材とした『みかんの丘』という映画もある。トビリシにある青果店の軒先にはこぼれんばかりのみかんが積んであった。
アルメニアの両替所で食べたみかんの味は覚えていない。たぶん甘かったのかな。その後、イェレヴァンの案内をしてくれた親切で謎なおじさんが家でご馳走してくれたシェリーのジュースの味も、どんなふうだったか忘れてしまった。(パラジャーノフの博物館に行きたいといったら別の美術館に連れて行ってくれた。そこもよかった)
『みかんの丘』を上映した岩波ホールももうなくなってしまった。いろんなことが瞬く間に過ぎ去っていく。トイレでぼんやりしていたら思い出したので書き留めておく。
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yachch · 1 year
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2022年総括
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2022年は、2021年から引きずっていた宿題をようやく完済できたかなという一年だった。とはいえ前半は体調が悪く滅入る日々が続いた。夏になるにつれて持ち直し、長く取りかかっていた原稿を完成させることができたのでホッとしている。
◎「光や風にさえ」を頒布
2020年の終わりごろから制作をはじめた長編小説「光や風にさえ」を完成させ、秋の文学フリマ東京で発行した。 花嫁移民として異国に渡った日本人女性が、人生の終末期に差しかかって、自分の半生を語りはじめる……という建付の話。
・自家通販 ・Kindle
発行して一ヶ月ほど経ち、書ききれなかったこと、不十分だったことがさまざま自分のなかで浮上してきており、無力感で胸がいっぱいになっている。それでも読んでくださる方がいるのはほんとうにありがたいことだと思う。あるいはこれでしばらく私の話はいいかな、と思われるかもしれないが、また未来にでも、気が向いたら手にとってもらえるとうれしい。私自身、この話を書いたことで多くの課題をもらったので、また次の話に取りかかる動機を得たように思う。
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◎ テネブレの電子書籍化
前段の「光や風にさえ」を発行する際に、電子書籍で同時発行したいと考えていた。いきなり新刊で試すのは抵抗があったので、以前発行して完売した小説を試験的に電子書籍化することにした。 テネブレは2017年ごろに初版を出した同人誌。 岩塩鉱床を擁する霧深い土地に蔓延する奇病と、200年前に滅んだ一族をめぐる物語。 これまで出した本の中ではかなりたくさんの方に読んでいただいた小説だと思う。今はなき創元ファンタジィ新人賞で1次選考に残った、思い出深い小説でもある。
・Kindle
テネブレ自体、長年電子書籍にしたいと思っていたが、作業が面倒そうで後回しにしていた。やってみたら呆気なくデータを作ることができ、拍子抜けした……。凝ったことはまだ難しいが、要領はわかったので、今後も積極的に同人誌の電子書籍化をやっていきたい。
◎その他
2020年に発行した「不幸な少女アンソロジー シンデレラストーリーズ」が沖縄県久米島町の図書館に所蔵された。 アンソロ参加者のご家族が寄贈※してくださったそうで、ほんとうにありがとうございます。同人誌の頒布という形ではリーチしづらい層にも届けられる可能性を思うと、何だかロマンがある話……。 ※本の寄贈を受け入れる基準は図書館によってまちまちなようです。
今年読んでよかった本は、 ショクーフェ・アーザル著「スモモの木の啓示」を挙げたい。イラン・イスラーム革命に翻弄される家族を、ひとりの少女の視点から書き切った物語。マジック・リアリズムは現実の痛みを和らげるかもしれないが、けっして現実を超克しない。その重み、手ざわりを感じることのできる小説だった。
◎2023年のこと
2023年にやりたいこと。
・文学フリマ東京36で新刊「アフター・ヘブン(仮)」を発行する 今プロット作業をしている。 女の子ふたりをメインにした中編小説の予定。 ・「聖なるもの」を電子書籍化する 在庫が残り10部を切っており、これが完売したら電子書籍に移行したいと考えている。これも来年中にやりたい。 ・短編、中編を書く しばらく長編にかかりきりだったのもあり、来年は短い話をいっぱい書きたい。長編だとどうしてもアウトプット行為自体に時間がかかってしまうので、短・中編で作劇の練習をできれば、と考えている。 機会があれば公募型のアンソロジーなどにも積極的に参加していきたい(が、現状予定はない……)
どこまで実現できるかわからないけれど、来年も無理しない程度に創作活動に励みたい。 2023年もどうぞよろしくお願いいたします。
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yachch · 1 year
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『光や風にさえ』装画について
11/20の文学フリマ東京から気が付けば一ヶ月以上経っていました。わたしはこの一ヶ月、観葉植物が枯れそうだったり、置き配を盗まれたりしていますが、気鬱であることを除けばまあまあ元気です。
おかげさまで『光や風にさえ』もたくさんの方が手にとってくださり、中には感想をお寄せくださる方もいて、しみじみ喜びを噛みしめています。どうもありがとうございます。閉じこもって書いているとどうしても自分の作品の至らない点ばかりが目につきがちなのですが、あたたかいコメントを寄せてくださる方が多く、救われています。 ところで、この物語がとても難産だったことはくり返し語ってきました。 何とか本の形に漕ぎ着けられたのは、まちがいなく、執筆当初から装画という形でお付き合いくださったフィビ鳥さんがいたからです。 この装画なくしてこの物語はなかったし、この装画を世に出さないわけにはいかない……と言うとおこがましく聞こえますが、そういった意識もたしかにありました。重ね重ね、感謝申し上げます。
私の装画の依頼の仕方、進め方などはあまり褒められたものでなく、参考にもならないのでその部分は割愛します。 (その節は本当にご負担をおかけして申し訳なかったです) イラストと物語が相互に作用して作品世界が変容、拡張していく体験は、何にも代えがたく、稀有な体験だったことを申し添えておきます。
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こちらは表1案のラフ。 表紙はマヤ単体のみ、もし背景を入れるなら作中に登場する移民街(階段or中庭)という条件を提示させていただきました。 移民街のイメージはペドロ・コスタ映画的な……という話をした記憶があります。こういうの。
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こちらは表4案。 案1で決定→2枚目で細部を詰めています。
表1のマヤが表4では変身している。これは、主人公であるナオミが認知する世界の揺らぎをみごとに表現してくださっています。 仕上がった装画は、ヤスミヤ様に題字入れ等デザインいただきました。 完成形がこちら。
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表1と表4で題字が変化しています。かっこよすぎる。 表1の題字は特色を使っているので、実物はとっても鮮やかに印刷されています~!
また、製本版は挿絵(扉絵)もついております。 フィビ鳥さんが「肉体×植物」というかたちで考えてくださいました。
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こちらはぜひ製本版でご確認ください。 マヤはナオミの妄想、と言ってしまえばそれまでです。 でも、そもそも個人が認識する世界は誰であってもそのひとの妄想でしかないとも考えています。 隣に立つ人と同じ景色をみていたとしても、その景色から得られる情報と解釈は常にずれていて、完全には一致しない。それどころか、 わたしが認知する「青」と隣のひとが認知する「青」が同じ色であることは誰にも保証できない。 莫妄想ということばがありますが、わたしはそれぞれが自分の妄想の世界のなかで踏ん張るしかない……。と考えています。
ここから先は、頂いたFA(一部再掲も含みます)をまとめました。
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↑実際の本編からは削除してしまいましたが、こんな場面もありました。
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『光や風にさえ』書誌情報
【あらすじ】 未亡人として貧しい暮らしを送りながら、日系移民の社会に息苦しさを覚えるナオミ。あるとき船着き場に現れた二世の少女に導かれ、ナオミはより生きやすい場所、新天地をめざして開拓地からの逃亡を図る。事故の後遺症により夫に捨てられた少女、幽閉された先住民の女性、水上で生活する娼婦……。異国の旅を通じて、ナオミは自身が生まれもった困難と向き合っていく。
【入手方法】
・自家通販(匿名配送) ・Kindle
※Kindleには挿絵がついていないのでご注意ください。
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yachch · 1 year
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雑記
・イリナ・グリゴレ『優しい地獄』を読んでいる。私はここ数年、自分の中で失われた言語のようなものを追いかけている気がしていて、もう二度と取り戻せないものだとわかっているんだけど、その言葉を手にしていた時のことを思わずにいられない。そうした感覚にこのエッセイの文章のひとつひとつが重なり合ってくる。
・『もう二度と戻るまいと決めた旅なのに』『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』も読んだ。『優しい地獄』はルーマニア・チャウシェスク政権の崩壊がひとつの起点となって語られいて、これらのエッセイも旧ソヴィエト-社会主義国の歴史を外から内から語るもの。歴史のマクロなうねりに攪拌される、ひとびとのミクロな生。
・冬の寒さが堪えて、苛立ったり落ち込んだりが激しく何もできない……。最近カフェインとアルコールを近いタイミングで摂ると交感神経がめちゃめちゃになるのか脳がバラバラになってしまい、控えている。
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yachch · 1 year
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熱帯環境博物館に行ってきた。
雲霧林エリアがあって、けっこういろんな蘭がある。
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これはCoelogyne pandurataという種らしい。花はもう枯れて栄養が溜まってるバルブ(球根みたいに膨らんでる部分)だけ残ってるみたい。また新芽が生えたとき、古いバルブが養分になって新しい花が咲く。かも。
画像検索すると緑色の花が咲くようでかなりかわいい。花の見頃にまた行ってみたい。
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新刊でもちょっと書いたけど、蘭の花は宇宙からきたみたいな形状や柄をしていてかわいい。これは名前を失念してしまったけど、コスタリカあたりが原産の蘭。
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yachch · 1 year
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頒布物紹介
前回の記事でも案内したとおり、今週末に開催される委託イベントに同人誌を委託します。 委託する作品は以下の通りです。イベントによってお願いしている本が異なっているのでご注意ください。 ※各イベントの開催日時、概要については各リンク先からご確認ください。
■ ブックハンターセンダイvol.4 ・光や風にさえ ・不幸な少女アンソロジー シンデレラストーリーズ ・聖なるもの ■ ふらっとぺらっとpage1 ・光や風にさえ
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●光や風にさえ
B6版/256ページ/カバー仕様、スピン製本
(あらすじ) 未亡人として貧しい暮らしを送りながら、日系移民の社会に息苦しさを覚えるナオミ。あるとき船着き場に現れた二世の少女に導かれ、ナオミはより生きやすい場所、新天地をめざして開拓地からの逃亡を図る。事故の後遺��により夫に捨てられた少女、幽閉された先住民の女性、水上で生活する娼婦……。異国の旅を通じて、ナオミは自身が生まれもった困難と向き合っていく。
(試読) コチラからどうぞ。 (コメント) イチオシ。2022年11月発行の新刊です!
長編で、文庫本2冊分くらいの長さになっています。いわゆるロードムービー的な要素を含んだ、とある女性の語りの記録、という建付の物語です。 ひとりの女性が過去を振り返って、信憑性に欠けた記憶を語る――それは彼女自身の特性からくる生きづらさや、人生に対する屈託を受容するためのリフレーミングの道筋のようでもある。
ガルシア・マルケスの「生きて、語り伝える」というエッセイには、マルケスの生育環境がこと細かに記載されており、祖母が一族の過去を反芻して語るめくるめく独言が「百年の孤独」につながったともとれるのですが、雰囲気としてはそんな感じのものに近いです。 しっかりストーリーを追って起承転結を楽しむというよりは、現実と幻想の入り混じった語りの波間を漂う話です。そういうのがお好きな方に届くといいなと思っています。 『鉄の時代』『白夜を旅する人々』『侍女の物語』『グアテマラ伝説集』『エレンディラ』など、私の好きな小説のオマージュもいろいろ詰まっています。
●不幸な少女アンソロジー シンデレラストーリーズ
B6版/ 348ページ/カバー仕様、口絵、ホロ��ラム箔
(あらすじ) 『不幸な少女を主人公にした、シンデレラストーリー』をテーマにした、創作小説アンソロジー。 青春、和風伝奇、ホラー、中華・西洋風ファンタジーなど、多種多様な作品を収録。
(試読) コチラからどうぞ。
(コメント) 私が主催した文芸アンソロジーです。 参加作品のレギュレーションは以下のとおり。
① 「不幸な少女」が主人公であること。 ② シンデレラストーリーであること。 ※シンデレラストーリーの定義は「童話シンデレラのように、有名ではない一般女性が、⾒違えるほどの成⻑や幸福を⼿にし、芸能界や社交界、その他一流の場などにデビューしたり、あるいは資産家と結婚したりする成功物語」
これらの条件を満たしつつ、自由な発想で執筆された短編がたっぷり10本詰まっています。たとえばこんな感じ。
・ ゾンビになったYouTuberの女の子の話。 アンチもつくし炎上もする!?(「イタい死体、燃えたら灰」(トウフ)) ・文化大革命を背景に、3人の女性が登場するシンデレラストーリー(「本身 Benshen」(跳世ひつじ))
その他にも、男装ものや異類婚姻譚、百合など、みっちりバリエーション豊かに収録されています! 冬ごもりの読書をお探しの方にぜひおすすめしたい一冊です。
●聖なるもの
文庫判/248ページ/カバー仕様、箔押し
(あらすじ) ナパタ族の娘・ナサカは、首長である父親の命令で四十歳上の男に嫁ぎ、平凡な女として一生を終えるはずだった。しかし誘拐され、失われた神聖王権の復古をめざす戦士たちの隠れ里に連行されてしまう。 ナサカはそこでひとりの女と出会い、自身の運命を決定的に変えられることになる。
(試読) コチラからどうぞ。
(コメント) 2019年発行の長編小説です。これまで出した同人誌の中では一番部数が出ていて、いろんな方との縁をつなげてくれた作品です。(感想まとめ)
物語のキーワードは呪詛なのかな……。 性規範、信仰、血縁・地縁といったさまざまなしがらみに縛られ、そこに従属するしかない女性たちの物語です。そして、ナサカというひとりの女性が生まれてから死ぬまでの数奇な人生について。
こちらは今ある在庫がはけたら終売とする予定です。いずれKindle化する予定ですが、本の形でほしい方はぜひこの機会に。
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委託イベントに参加するのははじめてなので緊張しています、、、 いずれのイベントも企画・運営のみなさまが大変丁寧に対応してくださり、心から感謝しております。今回現地に足を運ぶことはかなわないのですが、本の委託頒布以外にもいろいろと面白い企画が予定されており、いつか実際に訪れてみたいです! イベント当日も盛り上がりますように。
なお、イベントには参加できないけど本がほしいよ~、という方は、各イベントで実施する通販(詳細は各イベントページをご覧ください)や自家通販をご利用いただければさいわいです。
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yachch · 1 year
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文学フリマ東京35ありがとうございました
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文学フリマ東京がぶじに終わりました。 当スペースまで足を運んでくださった方、本をお迎えくださった方、誠にありがとうございました。長く手がけていた新刊をようやく手放すことができて、なんだかホッとした……というのが心情的には一番近いような。 すこしでも楽しんでいただけますように。 自家通販も変わらずやっていますので、こちらからどうぞ。
年内のイベント参加予定ですが、仙台と福岡のイベントに新刊中心で委託をお願いする予定です。
■ブックハンターセンダイvol.4 開催日時:2022年12月3日13-18時 & 4日10-15時 開催場所:ギャラリーチフリグリ
■ふらっとぺらっとpage1 開催日時:2022年12月4日11-17時         開催場所:天神チクモクビル
年明けには文学フリマ京都にも参加予定です。こちらはおいおい。
また、5月の文学フリマ東京にも申し込みました。 こちらは新刊が出る予定です。いわゆる行きて帰りし物語で、そんなに長くない、中編くらいのものを考えています。まだプロットも装丁も全然詰めていませんが……。仮タイトルは「ヘブン」で、傷ついたり人生に倦んだりした人たちの共同体で育った女の子の物語……かな。多分……。 「光や風にさえ」も補陀落渡海の話だったし、 これまでずっと行って帰らない話ばかり書いていたので、たまには帰る話を。行きて帰りし物語の中では映画『イーダ』が好きなので、そういう雰囲気のものを書ければいいなと思っています。
新刊はイベントと通販で3分の1程度が出たのかな。今回はかなり多めに刷ったのと、強く訴求するような話でもないので、好きそうな人のところに届くように、ゆっくり売っていければいいなと思っています。 上のイラストは、装画を担当してくださったフィビ鳥さんが描いてくださったマヤ。ぼちぼち本も人の手に渡りはじめたのもあり、せっかくなので載せてみました。 マヤの名前の由来は製本版にだけ書いたのですが、その話をしたときにフィビ鳥さんが同じ由来で名付けられた猫を知っているとのことで、猫と一緒に描いてくださいました。かわいいな。
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yachch · 1 year
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新刊『光や風にさえ』試読
プロローグ アサイラムにて
 おぼえているかしら、ねえさん、裏庭にあったブランコのこと。古びたユーカリの木の枝からぶら下がっていた。嵐の晩にどこかへ飛ばされてしまって、どんなに探してもみつからずに、枯れ葉の下で朽ちて、土に還っていった。  妹の声がよみがえってきたのは、シャワールームにいるときのこと、わたしはバスタブに寄りかかってシャワーの水があたたまるのを待っていた。給湯器の調子が悪くて、適温になるまで何分もかかったから。わたしは両足を開いて床に座り、陰部にできたしこりをいじっている。クリトリスを挟むようにできたしこりは痛みこそないけれど、時間をかけ、ゆっくり成長している。  妹とは夕方に十五分くらいビデオ通話で話した。電話代だってばかにならないのに、水曜日になるとかならずかかってくる、儀式めいたもの。でも、このところの彼女は、どうにも歯切れが悪く、あたりさわりのない話題ばかり選んでいるようだ。衛星がぐるぐる回るように、迂遠な語りばかり重ねている。だからふたりの会話はいつも迷走して、着地点を見失って終わる。頻繁に話しているわりには印象に残りづらい、無意味な語りかけは、けれどもトゲのようにわたしの胸に刺さった。  かつて家族で暮らした一軒家には、たしかにユーカリの木があった。赤土にどっしり根を張り、枝という枝からボロ布のようにウスネオイデスをぶらさげていた。けれども、その枝にブランコをぶらさげたことは一度もなかったと記憶している。妹と一緒に暮らす両親すらおぼえていないと言うのなら、もうたしかめようのないことだ。火の不始末で、わたしたちの生家は祖母ごと燃えてなくなってしまったことだし。  でも、たしかめようがないからこそ、おぼえているかしら、と妹は語りかけてきたのかもしれない。記憶という本来わかちがたいものを共有したいと思い、願ったから。不幸にもその記憶はだれにも受けとめられず、宙に浮いてしまった。蓋然性を失し、空想の、あたかも物語であるかのような語りに変質していった。ただ生きているだけの、とるにたらない人間の記憶の正誤など、いちいち検証してはいられない。記憶を共有する誰かが、たしからしいと証明しないかぎりは。だから、記憶を共有できないというのは、物語と区別がつかなくなることに近しいのではないか、とわたしは思う。  眩暈が波のように押し寄せてくる。貧血からくるそれを床に伏せてじっとやり過ごす。気を取り直して、シャワーが適温になったことを手のひらでたしかめた。  バスタブに入り、半身に湯水を浴びて、肉体の痛みがどこか遠い場所に去ってくれることを期待する。湯気にかすむ天井をぼんやりながめていると、ふと、半年くらい前におなじ体験をしたのだ、ということに思い至った。あのときの彼女も、わたしに対してこのように語りかけた。Tal vez te acuerdes(おぼえているかしら)、と。耳朶に直接吹きつけられたかのように、息づかいや吐息の熱とともに、なまなましくよみがえるその声。  泡沫のように予期せず浮かび上がってきた記憶が、異なる記憶と共鳴し合い、痛みからの逃避を求めるわたしをその渦に飲みこんでいく。  ――きっかけはロドリゴだった。半年ほど前だったか、彼から電話がかかってきて、たまたまそれを受けた。テニュア審査に落ちた彼が市内の別の大学に転籍するのと、わたしが自分の研究室を閉めたのはほぼ同時期で、以来、一年半にわたって彼からの連絡を無視していた。だからわたし電話口に出ると、彼はとてもびっくりした。  彼は興奮ぎみに近況を話し、非常勤講師としてなんとか食いつないでいると言った。わたしはすでに大学を退職していたけれど、自分からは話さなかった。用件はこうだ――調査に同行してくれる日本語通訳者をさがしている。  たしかにわたしは日系三世で、日系移民の帰国事業を見越して親も桂(ケイ)なんていう日本的な名前をつけ、日本語の教育を受けさせた。でも、第一言語は彼とおなじスペイン語で、妹ほど流暢にはしゃべれない。正直にそう話すと、いいから、とロドリゴは言った。実は、日系移民の女性に会いに行くんだ。貴重な一世さ。スペイン語が通じなかったとき、ちょっと手助けしてくれるだけでも――本音をいうと、きみに会えるかもしれない、ってのがうれしくてたまらないんだ。ロドリゴの声は弾んで、涙まじりだった。すこし前だったら、不愉快になっていたかもしれない。あなたが想像したり、ときに期待したりするほど、あっというまに死ぬわけじゃないんだと嫌味を言っていたかもしれない。でも、電話に出る気になったのと同じ理由で、わたしは柄にもなく浮かれていた。病気が寛解し、経過観察になったから。血流に放たれたエクソソームが臓器を耕し、いずれはまた悪いものの芽を生やすとしても、たとえいっときでも心身をどろどろにする化学療法から離れられた。  ロドリゴは以前とかわらず、『トラタミエント』と呼ばれる処置を受けた臓器提供者たちの追跡調査を続けていると話した。くだんの日系移民の女性もそのひとりだった。長く非合法の臓器提供者として生計を立て、その最後の段階として、いまは心臓の提供先を探しているという。わたしの祖母と世代が近く、長く市内のアサイラムで暮らしているとの話で、どこかで祖母とかかわりがあったかも、と考えたことをおぼえている。昔からここに住んでいる日系人はめずらしかったので。  約束をとりつけて、数日後には彼女のもとに足を運んだ。彼女の暮らすアサイラムまでは、最寄りのバス停からけっこう距離があって、何度も階段路地をのぼったりおりたりするはめになった。歩きながら、ロドリゴは飼っているデグーの話をした。わたしは適当に相づちを打ちながら、どうしてこのあたりはこんなに臭いんだろうと考えていた。アサイラムは移民街のなかほどに位置していたが、腐った歯のようにバラックが密集して、有機物の発酵しゆく臭いが充満していた。  さんざ迷った末に目的地に到着し、受付にいたアサイラムのスタッフに彼女の所在をたずねると、あのひとならいつも中庭よ、と言われた。日陰で根を生やして、じっとしているはずよ。案内された中庭は狭く、きたならしかった。年老いた女性が地面を転がりながら煤けた肌をかきむしっていた。なにをそんなに恐れているのか、ずっと声を震わせながら怒鳴っている男性もいた。でも、大抵のひとは、死んだように目を閉じて、その場でじっとしていた。コントロールしやすいように毎日多量の鎮静剤を与えて、市街からかき集めてきた浮浪者や精神異常者を押しこめているから。公的給付金を得るためだけに運営される福祉施設のひとつ。  狭い中庭をロドリゴは歩き、すぐひとりの女性に目をつけた。大柄な彼の影にすっぽり収まってしまうくらい小柄な女性で、膝を抱えて座りながら、じっと地面の一点をみつめていた。  ――なにをみているんですか?  地面に膝をつき、ロドリゴが問いかけるが、女性はひび割れたタイルを凝視するだけで答えない。まばたきをしないので、眼球がすっかり乾いて、充血していた。目許には脂(やに)が溜まって複雑な地層をなしていたことをおぼえている。  ロドリゴがしばらく無意味な呼びかけを続けていると、屋内からスタッフが出てきて、備えつけのホースで水をまきはじめた。ロドリゴがさっと立ち上がる。彼女の隣には排水溝があって、地面の傾斜に従って水がそこに流れていった――でも、彼女はくるぶしまで水に浸かっても平然としていた。みじろぎひとつせず、修行僧のようにじっと座り続けている。  事前に渡された診断書には、彼女が多数の臓器を喪失している事実とともに、認知能力が極端に低下していることが記載されていた。くずれゆく脳では記憶が更新されず、判断力と遂行力も消失する。外界からの刺激に鈍くなっていた。  スタッフがおもむろに歩み寄ってくる。水の通りが悪くなったのか、排水溝に引っかかるものをつかんで放る。  放り投げられたものは、偶然、彼女の目先に落ちた。  すると、はだしの指の先が、ぴくりと動いた。  彼女はまぶしそうに片目をすがめると、ささやくようにこう言った。  ――あれは蘭。アングロアの根。  何年ぶりかに話したかのように、声はかすれている。  ロドリゴはかすかに身じろぎし、前のめりになると自然と傾聴の姿勢をとった。彼女はスペイン語を話しはしたがひどくなまっていたので、正確に聴き取るためには用心深く耳を澄まさねばならなかった。  ――もともとは寒いところの花……だから、低地で育てると夏越えができなかった。毎年そうだった。  それだけ言うと、また押し黙ってしまう。  ――蘭を育てたことがあるのですね。私の実家の裏庭にも、原種の蘭がたくさん咲いていましたよ。  彼女の目線の先��あるものは、たしかに植物の根のようにもみえた。腐ってカビが密集し、もとが何だったのかは判別がつかなかったけれど。  ――私の家の庭には、アロエやベゴニアがあって……それから。  意外にもしっかり会話がつながったことにおどろいていると、彼女はゆっくり顔を上げ、相手と目を合わそうとすることさえ試みた。  でも、視線の先にいたのは話しかけたロドリゴではなく、どうしてかわたしった――彼女は表情らしき表情を浮かべていた。不自然に顔をしかめるだけだったが、驚愕ともとれた。  ――おぼえているかしら?  口の端にほほ笑みをにじませ、彼女は語りかけた。分かちがたく、不可侵の記憶の一片を、わたしが受けってくれることを願いながら。  ――わたしの庭に蘭があったこと、おぼえているかしら、アングロアの、赤ん坊の花。  あとになってわたしは思う。もしかしたら、あの瞬間、彼女はみずからをとりまいていた深い暗闇をぬけだして、くずれゆく自己をほんの一片でもつかみとったのかもしれないと。  この不可解なできごとを前に、ひとつ思い出すものがある。  いつかSNSで拡散されていた、ある動画のこと。再生をはじめると、どこかの高級な養老院とおぼしき明るいホールが映る。そこでは老人たちが談笑しており、カメラのレンズはそのなかのひとり、車椅子に座った老女に近づいていく。赤子のように無垢な目で虚空を眺めていた老女は、ホールに音楽が鳴り出すやいなや、不自由な上半身を繰って、何とも生き生きと踊りはじめる。見間違いようもなく、アルゼンチン・タンゴのふりつけで。タンゴは足さばきに目がいきがちだが、軸が置かれるのは上半身だ。上半身の動きがあってこそ、複雑なステップが生まれる。だからこそ老女が上半身をよじり、そらすだけで、タンゴという共通言語をもつ者の目には自然と優雅な足どりが浮かぶ――動画の最後には、老女がかつて一世を風靡したアルゼンチン・タンゴのスタ��であり、現在は深刻な認知症で自分の名前すら思い出せない旨が記される。奇跡の数分間。でも、そのうつくしい再現はけっして奇跡の賜物ではないことをわたしは知っている。単に彼女が長い時間をかけて軟骨をすり減らしながら、必死にタンゴのリズムを身体に記憶させたという証左でしかない。身体記憶は、自我や認知とは異なる場所に保管されるものだから。ゆえに自分の名前を忘れても、タンゴは忘れないという不可解な状況も成立する。  だから、彼女はあの腐った根をみて、土をいじる感触、花と緑葉の香りを想起したんじゃないだろうかとわたしは想像する。身体記憶をきっかけに、ほどかけかた自己が偶然にも結び直されて、泥河に沈んでいた物語に光が当てられたのではないかと。  そうでなければ、説明できないとも思う。  ――だいじょうぶ、ちゃんとやるわ、私。あなたのためなら、心臓をあげたってかまわない。約束したものね。  ――約束って?  ロドリゴの質問に、彼女は穏やかに話した。  ――仏さまに近づけるって、あなたが言ったんじゃない、マヤ。  ――マヤって?  ――私の娘。そうでしょう��  わたしはとっさにかぶりを振る。  すると彼女は語りはじめた。  真偽不明で信憑性に欠けた、一編の長い物語について。
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