Tumgik
#i-D JAPAN 1992年10月号
shiro-absence · 6 years
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川久保玲語録 編集 川久保玲は、マスコミからの取材に滅多に対応しないため、実像の多くが謎に包まれているが、数少ないインタビュー記事に見受けられる語録は以下のとおり。 2011 ‐ 2012年  編集 「自由に生きていきたい、皆が幸福でなければならないと思っても、そうできない世の中の仕組みがあります。それに、人間はそれぞれ生まれてきても決して皆同じじゃないし、同じものをもらってない訳ですよね。そういうどうにもならない不平等の中でも、自分は自分だって頑張って生きていかなきゃならない辛(つら)さがある。不条理って言ったら言い過ぎかしらね。子供の頃からずっとそういうものに怒りを感じてきました。その気持ちを今後も持ち続けたい。」 「作り手の側も1番を目指さないとダメ。『2番じゃダメですか』と言い放った政治家がいました。けれども、結果は1番じゃなくても、少なくともその気持ちで臨まなければ。1番を目指すから世界のトップクラスにいることができる。」 「私のやってきたことは決して芸術家としての活動ではありません。『創造を通じたビジネス』を展開することのみを継続してきました。これはあらゆる重要性の中で第一で、唯一で、最も重要な私の方針です。その方針(決心)とは、今までに存在していなかったものを創造することを第一に考え、ビジネス面も成立させる方法でそれを創造し、表現することです。私にとってデザイナーであることとビジネスウーマンであることは分けられません。私にとってはひとつで、同じ意味です。」 「ファッションとは、あなたが自分自身に取り付けた何かであり、そしてファッションが生まれた意味との対話を通じて、あなたが身につけた何かです。着ることなしにファッションは意味を持ちません。この点が芸術と違うところです。」 「人が今、買いたいと望むからファッションなのであり、今、今日、身につけたいと思うからファッションなのです。ファッションはこの瞬間だけのものです。」 「本人の中身が新しければ、着ているものも新しく見える。ファッションとは、それを着ている人の中身も含めたものなのです。」 「私が表現したいのは『感性』feeling-私が全ての時を通じて経験している様々な感情-これは怒りだったり、希望だったり、それ以外のことだったり、様々な角度から見たものです。私はコレクションを造って発表してきて、それは確固たるフォルムを形成しています。それは人々に対して概念的に表現するものであると思います。というのは、それは特定の歴史的・地理学的な指標を持っていないからです。私の出発点は、いつでも抽象的なものだったり、幾重もの意味を持つものだったりするからです。」 「最近ファッションに対して強い興奮を感じられなくなっています。さらに恐ろしいことに、人々は必ずしも強くて新しい服を必要としておらず、同じことを信じている人が私たちの中にも充分おらず、ある種の燃え尽き症候群です。」 「最近はグループのタレントが多くなって、みんな同じような服を着て、歌って踊っています。私には不思議です。」 「人々は安くて簡単に着られる服を着て、他の人と同じ格好をして喜んで、創造の炎が少なからず冷えており、変化に対する熱狂と情熱的な怒り、そして現状に対する反抗が弱くなっています。しかし、私がいまだに愛していることは、バカなことをして、愚か者を演じ、著名デザイナーであることを振りかざしたりすることが、ファッションビジネスを構成する上で必須であり、必要な一部分であることです。そして創造が私を駆り立てます。創造なしでは進歩がありませんから。」 「誰にでもわかって、よく売れそうで、という服を作っていたらコムデギャルソンの存在はありません。」 「いいものは人の手や時間、努力が必要なので、どうしても高くなってしまう。効率だけを求めていると、将来的には良いものが作れなくなってしまいます。」 「若い人たちが考えたり作ったりする楽しみや必要性を忘れていくのが心配なのです。たとえば、ジーンズ1本が何百円なんてありえない。どこかの工程で誰かが泣いているかもしれないのに、安い服を着ていていいのか。いい物には人の手も時間も努力も必要だからどうしても高くなる。いい物は高いという価値観も残って欲しいのです。」 「まずはテーマも決めずに暗中模索で作り始めます。ただ、いつも何かを探していますね。ずーっと。いつも、一歩先に進みたいと思っています。」 「私は、いままでに存在しなかったような服をデザインしたいと思っています。自分の過去の作品に似たものも作りたくありません。」 「作品に対し『よかったですね』『綺麗だったですね』と皆から評価を受けたら、不安で仕方ないです。そんなにわかり易いものを作ったのかと、自己嫌悪に陥ってしまいます。」 「無視されるよりも、けなされるほうがましです。」 「すでに見たものでなく、すでに繰り返されたことでもなく、新しく発見すること。前に向かっていること。自由で心が躍ること。」 「いろいろ新しいものを探してさんざん考えた時、服が身体じゃないか、身体が服じゃないか、ということに気がついた。これが新しい服というひとつの考えです。」 「デザインしないこともデザインなんですね、私にとって。デザインすることがデザインとは限らない。」 「無駄や失敗があっても、外へ自力で行って、なるべくたくさんの人と競争しないと、新しい力は生まれません。」 「これをやったら安全でしょう、リスクが無いでしょうということが、コムデギャルソンにとってはリスクです。」 「いちばん大切なものは、仕事。コムデギャルソンの仕事に共鳴してもらい、ギャルソンの服を着た人がドキドキしたり、何か感じてもらえることが一番大事。」 「デザイナーであればこそ経営もする。そうして自己完結できてこそデザイナーとして真の独立が可能なんだと。」 「コムデギャルソンは会社をデザインする企業ですから、デザイナーが社長でないとだめです。」 「本当は私だってそんなに強くはないですよ。ただ、強気のふりも時には必要です。どうしよう、としょんぼりしているだけでは何も変わらない。」 出典:2011年8月25日付ウォールストリートジャーナルインタビュー[12]、2012年1月7日付朝日新聞ロングインタビュー(朝刊)[13]、2012年2月15日号月刊PENインタビュー。 2010年以前 編集 <2009年> 一つの洋服が何かものを言う時代ではないですね。襟がどうしたとかシルエットがどうしたとか、そういうことだけでは新しいことを表現できない時代になっている。コムデギャルソンとしては服だけではなくて、会社の進み方自体が新しくなくてはいけない。だから、いろいろトライしている。デザイナーが一つの服一点作ってってことじゃなくて、会社全体がデザインされるっていうことです。運営の仕方、売り方、ビジネスの方法論など、今までなかったことを実行しなければ、かっこいい新しい会社にはなれない。クリエーションしていないと思うんです。 早くお金を手に入れるのがかっこよくて、安いものを着るのもかっこいい。そればっかりになっちゃうともうおしまいですよね。これでもかこれでもかって安くしているけれど、安いのはただ効率で安くしているだけなのか。いずれにせよ、ある常識外で安いものは、それなりだから安いんですよ。いいものはやっぱり時間とか苦労とかいろんなものがかかっているわけですから、安くはできないんです。単純な理論ですけれど。安いことだけがいいって価値観も恐ろしい世の中です。安く安くっていうので、大きな閉塞感に向かいつつある。いいものは高いんですよ、簡単に言えば。 ファッションはアートではなく商業活動。だから売れなければならない。そこはバランスです。そこは、精いっぱいビジネスをしています。イメージだけで仕事はしていないですよ。たとえばイメージを強く優先する仕事と、もう少し売ることを優先する仕事とか、いくつもいくつも用意して、そのバランスを上手に取りながらですね。かといって、コムデギャルソンとしてはいつも新しいことを実行したいですから、売るためだけというのは、なしです。売るんだけれども、そこに新しい売り方があって、会社としてクリエーションをしていると言える方法論でなきゃダメです。売り方もかっこよくないとダメです。それは人の気持ちを刺激するためです。安いのがいいって言っても、みなさん刺激されたいし、刺激を求めている。人間ですから。 流通では坪いくら売れるという方が勝ちですよ。完全にそうです。おこがましいけど、「コムデギャルソンがここにあることで周りに少し元気を与えるという目に見えない価値観で計算してもらえませんか」とまで言うこともありましたから。それでも数字にならなければ全く考えてもらえない。もがくだけでもいいかなって。 昔みたいに一つの服をオートクチュール的に作りこんでいればいいいという時代じゃないので、もう少し視野を大きく、方法論を大きくです。作るものが個人的な小さいものでもクリエーションといわれた時代ではないので、今はもっと大きい物を作らなければダメだと思います。今、デザイナー兼経営の両方ができている人は、そういうことができる人じゃないですか。本当に大きいクリエーションをやりたければ、表現の材料は服そのものではないです。もうちょっといろんな材料で表現しないと。それがこれからの人には大事かな。そういう頭の構造、回路を持っている人はなかなかいないけれど。 出典:2009年12月7日付 繊研新聞「川久保玲インタビュー」 [14][15] <2008年> 例えば黒が好きだから黒をテーマにしたいと思います。だけど色としての黒だけをテーマにしてもおもしろくないですね。例えば抽象的な意味の黒もあるし、政治的な意味の黒もあるし、例えば未来の黒は何なのかって。自分にそういう風に宿題を出すんですね。それを解きながら少し出てきたら、それで、どんな方法で服を作ろうかと仕事に入る。それがわかってから、生地なりパターンなりの仕事が始まる。だからそれまでが私には大仕事です。それが決まらないと皆も動きにくい。待っている。なんとなくわかっていただけると思うけど。だんだん年をとると複雑に自分に宿題を出すんですよ。1本じゃなくて。経験したことはやれないし。前やったことは考えたくないし。そうなるとどんどん自分を追い詰めるでしょ。できないでょ。その繰り返しで何十年もやってきた。こういうこと話すの初めてです。大橋さんだからわかると思って。 やっぱり納期があるし、決まったプライスゾーンの中で作らなきゃいけない。だからしょっちゅう考えています。考えていない時はないですね。次々と宿題があるから、これをやらなきゃ、あれをやらなきゃと、店を作る話があったり、我々期中って言ってるんですけど、シーズンの中に、ショーでも展示会でも出さなかった商品を作るんですね。そうしないと売り上げが作れないので。それもやらなきゃいけない。そのうち次のシーズンがやってくる。そういうことの繰り返しと積み重ねの日々ですね。 出典:Arne25号 2008年9月15日発行(アルネ[要曖昧さ回避] 発行・編集人/大橋歩、発行所/株式会社イオグラフィック) 特集「コム デ ギャルソンをつくる 川久保玲さん」 大橋歩・川久保玲対談 <1992年> 今もそうですが、あの頃私も周りで一緒に働いている人々にいつも力づけられていました。当時の私の目標は、デザイン活動よりもむしろ自分自身の力で何かを為すということにありました。独立した人間として働くことが私にとって最も重要と思われたのです。その仕事が偶然ファッションの世界にあったというだけのことです。自分の名前を売るつもりはなかったので、ブランドネームに自分の名前は付けませんでした。コムデギャルソンという言葉は、その響きが好きで選びました。その頃の私には、今のようにコレクションを開くなどということは想像もできませんでした。 今回は、今までより精神的な表現を目指しました。構成にあたってはまず、自分が創りたいものの抽象的な概念と漠然とした感覚を基に、さまざまなテクニックでの表現を試みます。今回は民族的なテイストと精神的な要素を結び付けようと思いました。 ファッションは着る人の人間性を包含するものです。それは常に政治や経済と密接に関わっており、変化し続けているので私は退屈しません。美しさや格好良さに対する感覚は人それぞれです。私の感覚も常に変化しています。だから私には美とは何かという確固たる定義がないのです。ショーのモデルには、強くて自立した人を選びます。人によっては彼女たちを嫌うかもしれませんが、私はそういう女性が好きです。 私の作る洋服は高価ですが、それは特別の生地を作って、あらゆるディティールにまで確かな技術を追求した結果そうなるのです。3着の洋服を買う代わりに、どうしてそのお金で1着買ってそれを楽しもうとしないのでしょう。世の中には不必要なものが多すぎます。この会社がたくさん洋服を作らなくても経営がうまくいくように願う一方で、人々の価値観が変ればいいとも思います。 静寂はとても大切です。ひとりでいる時、私はとてもリラックスしています。東京に本当の静けさはありませんが、朝は落ち着いています。 好きな場所は、歴史的、文化的な背景をもった場所に魅せられます。それから大きな木の下も好きです。だからパリでは通りを歩いているだけで心地よくなります。 私は観る人の価値観を問うコレクションを創りたいと思います。話さなくても洋服を見れば私のことが分かります。言いたいことは全部、洋服の中にあるのです。 毎年たくさんのラインを発表し続けていますが、プレッシャーを感じることはありませんか?…「そんな時は『きっとやれる』と自分に言い聞かせます。中途半端や軽薄なことは大嫌いです。コレクションの度にこれが最後かもしれないと思います」。 将来の夢はありますか?…「いいえ!あなたにはあるんですか?」。 出典:「i-D JAPAN 1992年4月号」 インタビュアー:テリー・ジョーンズ、翻訳:石川れい子 [16] マスコミ評 編集 THE WALL STREET JOURNAL 彼女がCOMME des GARÇONS-仏語で「少年のように」というブランドを立ち上げたのは41年前(注2011年現在)。川久保玲は常に彼女独自のルールを貫いてきた。旧態依然の美の基準に挑戦することに魅了されてきた彼女は、ジャケットの左半分に別のジャケットの右半分を縫いつけたものと、彼女が所有するヴィンテージスカーフから造られたアシンメトリー(非対称)なドレスを複合した、全く新しい服を再構築した。これらは最新の彼女のショーに見られるものである。このことは単に着る物を造り出しているのでなく、むしろ思想の表現である。(出典:2011年8月25日付ウォールストリートジャーナルインタビュー)[12]。 THE NEW YORK TIMES Cathy Horyn(NY TIMES記者)は、川久保玲のこれまでの作品を調べた上で、彼女��デザイン手法の源泉について質問をしました。その後Eメールで川久保玲から回答が返ってきました。Cathy Horynは、メールを受け取って以下の結論を出しました。「川久保玲のデザインの源泉は、自分達記者があれこれ書くよりも、Eメールの川久保玲の言葉をそのまま記載したほうがいいことを悟ったので、以下に原文のまま記します」……(川久保玲のメール原文記載)……『私のデザインプロセスは、始まりもなければ終わりもないです。いつも生活の中の些細なことから何かを得ることを望んでいます。私はデスクワークをしませんし、コレクションのためにスタートを切るというポイントをつくりません。これは決してムードボードがあるわけではないし、生地の見本も見ない、スケッチもしない、閃く瞬間もない…何か新しいものを探すのに終わりはないのです。普通の生活をする中で、私は「考えること」のクリック、スタートのきっかけを望みます。そして次の段階として、全く無関係なものがイメージとして発生します。さらに次の段階、恐らく3番目の無関係な要素がどこからともなくイメージとして来るんだと思うんです。多くの場合、各コレクションでは3粒、あるいはもっと多くの種子が偶然に形成され、最後のプロダクトとして発芽します。しかし、それは私にとって永久に終わることない作業です。だから、明らかなことは、自分は仕事をしているということを考えた瞬間は一度もありません。というのは、一瞬でも作品が完成した、終わった、と思ってしまったら次のことができなくなるからです。(川久保玲のクリエーションは)しばしば、要素どうしは「時間」と「次元」で完全に分離されます。①情動 ②パターン ③どこかで見たことがある写真・絵。この3つの種子が、いつのもので、どこから来たのか、どうして一緒になったのかは私にもわかりません。ただ、自分のシナジーと変化を信頼します。例えば、2012年-2013年 A/W パリコレでは、自分の考えとして「デザインしないことがデザイン」だと思っていたのです。それは普通の生地で行うのが強く表現できる。何とかして、これで自分の思考の二次元のレベルは明白になりました。皆に受け入れられる、分かりやすすぎるコレクションでは、私は幸せにはなりません。私にとって、ホワイトドラマ(2012年S/S)はあまりに理解しやすいもので、コンセプトがはっきりしすぎていた。だから、私は2012年-2013年 A/Wのほうが良いと思っています。なぜなら分かりやすくないからです…例えば(レビューされている)インターネットの時代とか。全く関係のない仮定を立てられていることも良いのです。新しいものを見つける努力は、時間と経験でますます困難になっていくのです。したがって、2012年-2013年 A/Wは、自分の感情をコレクションに入れないで作ることにしました。』……以上、川久保玲のデザインの源泉がこのメールの1文に書かれています。それは何かというと「日々の些細なことと、散らばっている点と点を彼女の中で結んだ結果」だったのです。(出典:2012年5月31日付ニューヨーク・タイムズ記事「川久保玲はまるでモナ・リザ?」)[17] [18] 朝日新聞 川久保玲はファッション界では珍しく、写真の被写体になることを強く嫌い、また寡黙なデザイナーとして知られる。今回も作品と震災の関係については、言葉少なかった。その代わり、発表する作品はいつも全く違ったテーマや新しい手法で、世の中に強く訴えかける。見るものを戸惑わせ、深く考えさせ、心を揺さぶる。ぼろぼろにほつれた服を引っさげて、パリモードの伝統に風穴を開けたパリ・コレデビューから31年。その間ずっと反骨の精神を貫いてきた。サングラスを好み、近寄りがたい雰囲気を漂わせる。だがインタビューではサングラスを外し、「時には強気のふりをしているだけ」とは意外だった。大量消費社会が行き詰まりをみせ、既存の価値観が壊れる中、「ふり」をしながらでも自らを鼓舞して前に進むこと、それが新しい流れを生み出すためにきっと必要なのだろう。(出典:2012年1月7日付朝日新聞ロングインタビュー 朝刊「中見出し:取材を終えて」)[13] WWD japan <EDITOES VIEW BLOG> 前略 川久保玲様…(中略)表参道の交差点の方へほろ酔い加減で歩いて行って、あなたの店の前を通りかかると、なにやら店の模様替えをしているようでした。10時近かったでしょうか。店の中には、見覚えのある小柄で黒ずくめの女性がまめまめしく動き回っているのがガラス越しに見えました。あなたでした。私は思わず携帯電話のカメラのシャッターを押していました。その姿があまりにも神々しく見えたからです。(中略)その後、地下鉄に乗ってあなたを撮った写真を見て、驚きました。コラボ商品の陳列をしているその姿はまるで遊びに夢中になっている少女のようです。論語に「子いわく、これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」とありますが、この写真は艱難辛苦するクリエイターの姿ではなく、仕事を楽しむ少女です。そしてもうひとつ、夢中ではあるが、その「夢中」の加減が半端でないということです。何かに憑かれているような、鬼気迫る妖気が漂っているのです。何気なく押したシャッターが、とんでもない瞬間を捉えていたことに私は気付きました。大袈裟に言えば、あなたの創作の秘密を垣間見たような気持ちになりました。写真嫌いのあなたのことですから、ブログとはいえ、この写真の掲載には眉を顰められるかも知れません。しかし、あなたのクリエイションの素晴らしさを書いた何万字以上に、この写真はその本質を衝いていると私は思います。間違っているでしょうか?(出典:2012年12月5日 WWD JAPAN COM 編集委員ブログ:担当:三浦彰氏) [19] ファッション評論家 平川武治 1972年頃からイッセイ・ミヤケが、その10年後くらいにコム・デ・ギャルソンとヨウジ・ヤマモトが登場し、ひとつの地位を獲得し始めます。その後に続くアンダーカバーにせよ、海外に出て行ったデザイナーの背景には、世代が持ち得たジャポニズムがあります。イッセイは、もともと三宅一生がファッションイラストを学んだ人で、民芸運動等への関心もあったことから、グラフィックを基礎にしながらパリに打って出た。ヨウジやギャルソンは、海外では禅の影響だと言われるけれど、僕にすればイッセイのポジティブなジャポニズムに対し、ネガティブなジャポニズムを引っさげて行き、アンダーカバーは、ストリートのジャポニズムをパリに持ち込んだ。それぞれに世界に持って行けるだけの日本の風土があったと思います。両者の優秀なところは、パリのモードの世界が何を拠り所にしているか理解したことです。山本耀司はそれを「エレガンス」と把握し、そちらに向かった。川久保玲はそれをわかった上で、「自分の居場所はそこではない」と判断し、「ここに立っておれば、自分は自分なりに評価される」という地点を見出した。海外で日本人が受け入れられるには、アジア人でありイエローの心のありさまを表現するしかない。そういうことへの自覚が川久保玲独自のボキャブラリーを培わせたと思います。(出典:MANMO TV:平川武治インタビュー「#289風土のもたらす心のありさまは、新しい世界を開く」)[20] ファッションの世界は"在庫"が儲けの決め所である。商品在庫と原反在庫とである。川久保玲の企業(コムデギャルソン)もそれなりの"在庫"を持っていた。この"在庫"減らしの原反在庫の方を処理しはじめた時期と、このブランド(CdG コムデギャルソン)のクリエーションが"特異性"から"特殊性"へ移行し始める時期が重なる。特に、CdGブランドに於ける"特異性"は素材のオリジナル性が大きな比重を納めていた。が、ある時期からオリジナル素材を使う事が減り始める。寧ろ、在る原反在庫を意識的にデザインによって消化し始める。パッチワーク、染色、プリント、転写、裏使い、生地切替え、異素材ドッキング、製品洗い、リバーシブルデザイン、縮絨(しゅくじゅう)仕上げ、後染め、等によって主にCdGH.P.(コムデギャルソン オム プリュス)ブランドで展開する。(出典:平川武治のノート-ブログ/ The Le Pli: 期限限定ブログ/「なぜ、今頃喋り出したのか?川久保玲。」/最近の騒ぎについての私感。)[21] 視点を大きく変えてみよう。例えば、このレベルのファッション餓鬼ども(若手デザイナー達のこと)がいちように口にし、この世界を解ったふりしているあの、“CdG、凄い”の川久保玲の今後は? どのように彼女の持ち得た嘗ての“夢”の世界から新たな“夢”へ、どのように完結為さるのだろうか? 川久保玲は、立ち続けて来た自分の立ち居場所を動かず、“特意性”豊かな創作に励み、富も、地位も名声も関係性も全てを、スタイリストを辞めて好きなファッションの作り手世界へ友人3人と始めたブランドの当時の夢はもう既に総て、手中に為さっているのだ。この43年間の継続とは、持ち得た“夢”次なる、新たな“夢”へ、川久保玲も又、自分が持ち得た世界観を“教養とスキルと経験と技術と関係性”を意識し、それらが自分にしかない武器である事に気づき、自分の望むバランス観で調和し昇華させるために、全ては理性と努力と勤勉と責任感と決断力、それにこの人の極めて明解な正確であろう“潔よさ”を持って、もう一つ、“教養ある上手なお金の使い方”で創作と経営をバランス有る調和力を身に付け持ち得た200%の自我をここ迄集約、集中し、継続して来た結果なのであろう。では、そんな川久保玲のこれからの“夢”若しくは、それに変わるブランド継続の大きなモチベーションとは何なのだろうか? 僕の結論は以前にも書いた事があるが、川久保玲という人間が持ち得た“人間のがんばり”である。彼女にはこの“人間のがんばり”が持ち得た責任感の強さと、とてつもない決断力と潔さのバランスで依然、カオス状態でエネルギー源になっている。これに僕は彼女の人間としての深さ、そのスケールを他に見られない凄さとして感じ、リスペクトするのだ。インデペンデントなデザイナーブランドでは多分、日本一のファッションビジネスを展開しているだろう。(世界レベルでも2009年の統計では、既に世界で19位のメゾンブランドだった。/Xerfi700より)よく並び称される“イッセイやヨウジ”にはこのがんばりが少ない。残念だが、単純な理由は男性デザイナーだからというより仕方ないだろう。川久保玲の、“人間のがんばり”には三つの寄与があり、これが彼女の“夢”への最後のモチベーションであり真の立派さである。 一つはこれだけのビジネスを行う事による日本のファッション産業界への寄与である。素材やプリントの開発、デザイン性や生産工程へ���無数なる感性と技術の調和による産業寄与そして、それらは99%は国内生産品(小物革製品を除けば、)であり、使っている素材も多分、全てが国産製品であるという迄の産業寄与を行って現在がある。イタリー製とか中国製という世界はこのブランドには無い。(海外デザイナーたちでさえ例えば、あのP・スミス ブランドの嘗ては、その全てが自国、英国素材を使ってのブランドビジネス。) それから、川久保玲の世界を好きで買って着てくれる消費者たちの欲望への満足度や喜びや安心感や豊かさを与えている寄与。 もう一つはその結果によって、共に働いてくれている仲間即ち、600人と言われているcdgの社員たちとその家族たちの生活保証という現実への責任ある寄与である。 この“人間のがんばり”というエネルギーにはその最終着点は無く、カオスであり、在るのは独りの人間の死でしか無い。従って多分、本人は当然であろうが独りの人間としてどのように与えられた生を自分の世界観の内なる立ち居場所で全うするか。そのためには以前と変わらぬ自分自身の世界観を調和させる事。その立ち居場所で、川久保玲自身にとってはそれが日常性となってしまっているであろう“200%”の自我の世界へ変わらぬ“特意性”を感じる迄の創作活動を続ける努力と忍耐の日々が無事に繰り返される、その継続そのものが今の彼女の“夢”であろう。この“夢”とは三つの寄与、産業のため、社会のため、生活者のためにという自由なる生き方を選んだ人間たちが求めなければならない、為さなければならない”夢”の最高度なる最終段階であろう。従って、CdG、川久保玲は人間本来が持つべき当たり前の崇高なるレベルに迄達してしまっている希有なそして、とても幸せな人である。(出典:2012年10月20日、平川武治のノート-ブログ/「ファッションデザイナーたちはファッションデザインで産業に寄与しているのだろうか?」)[22]
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/川久保玲
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