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#障子のある暮らし
takumi-of-kude · 2 years
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考えて、考えて、考えて続けてこの形になりました。 #Repost @kude_happy_factory_kizahashi with @use.repost ・・・ リフォーム事例 〜玄関の開き戸対策〜 「せっかく塗り直した土壁なのに、開き戸のドアレバーが当たって凹んでしまい、毎日見る度に気になる、、、。」という施主様のリクエストにお応えして、組子細工パネルを設置させていただきました。 ドアの固定に戸当たりなどの金物も使いたくないという事でしたので、組子細工や枠と同じ素材のヒノキでレバーを固定する部品も作らせていただきました。(着脱可能です✨) これで風通しの良い玄関でも開けたドアが、風に吹かれて土壁を傷つける事も、勢いよく閉まることもなくなりました✨ 凹んで出来た壁の傷もパネルを固定する枠ですっかり隠れて施主様もご機嫌でした🙏 「こんなに玄関を綺麗にしてもらったんだから頑張って長生きしないと!」というお言葉が何よりのご褒美でした🙏 オーダーメイドだからこそ出来るジャストサイズの施工です👍 「組手のある暮らし」をこれからも提案していきます♪ #組手のある暮らし #ヒノキ #組手幸房 #階 #KIZAHASHI #伝統工芸 #組子細工 #組手障子 #kumiko (組手幸房「階」 Kude Happy Factory ~Kizahashi~) https://www.instagram.com/p/Ch6x-fNvjSX/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nostalblue · 3 months
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ガステーブル給電方法の変更
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山の中暮らしをしているので、薪を薪ストーブだけでなく風呂や調理の熱源にも利用出来れば、自給自足の理に適うし経済的でもある。ただ現実的には専用のカマドや風呂釜が必要となるし、それに必要な量の薪を集め常に保持するのは口で言うほど簡単ではない。冬場の薪ストーブ用だけでも薪狩りは重労働なのに、独り暮らしで自給農もしながらそれを行うなら時間や体力をさらに酷使することになる。毎日そういう暮らしでも苦にならない人はやったらいいと思うけど、短時間での湯沸かしや温調制御の利いた温水シャワーの便利さ、快適さを知ってしまった身としては、それを放棄してまで熱源の自給には拘れないと言うのが正直なところだ。
そんなわけで、うちでは熱源としてガスも使っている。さすがに都市ガスは来ないが、LPGはこんな僻地でも供給される。
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キッチンのガステーブルは移住時に中古品を入手し、各所劣化しながらもだましだまし使ってきたのだけど、先日片側のコンロが燃焼維持できなくなった。状況からみて原因は中央部にあるSiセンサー部の故障と見られる。内部構造を確認するとコネクターで繋がっているだけなので、部品さえ手に入れば自分で容易に交換できるのだが、五徳なんかと違いこの部品は一般向けに販売されない。安全機能に関わる部分だからと言うのが建前なのだろうけど、メーカーに送って部品交換して貰えばそれだけで何万円と掛かってしまうので現実的でない。コンロが一箇所だけだとかなり不便だし、全体的な劣化も相当進んでいるので丸ごと買い換えを決断した。
とは言え、ガステーブルは安い物ではないので、今回もオークションサイトやフリマサイトで中古品を探すが、そうすぐには都合の良い物は出品されない。じっくり腰を据えて長期戦で臨めばいずれ妥当な物が手に入るだろうけど、それまで不便な状態が続くのが許容できないので、断腸の思いで新品入手することになった(痛)。
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家庭用のガステーブルは2008年からSiセンサー搭載が義務づけられていて、天ぷら油の過加熱や消し忘れが原因の火災防止には大きく貢献しているようだが、調理の種類によっては邪魔な機能だったり、今回のようにセンサーが壊れればまったく燃焼させることが出来なくなってしまうというデメリットがある。
またこのセンサーは電気で機能させているのでコンロ使用時には常に給電する必要がある。今まで使っていた��ステーブルは単1乾電池×2個で給電するタイプだったが、センサーの消費電力が大きいためか割と頻繁に電池交換が必要だった。そして届いた新品のガステーブルは、何と単3乾電池×2個使用タイプ。センサーの消費電力が同等ならこれまでよりさらに頻繁に電池交換するハメになるだろう(怒)。乾電池って再利用も出来ないし、簡単に捨てられないし、液漏れとかするから嫌いなんだよね。
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これまでも何とかしたいと思いつつ先送りしていたが、今回ガステーブルを交換したのは良い機会なので、この給電方法を変更してやることにした。具体的には昔秋葉原で買ったスイッチング電源モジュールを発掘したので、これを使いAC100Vを乾電池と同等の直流電圧に変換して供給する。ちなみにこのモジュール、袋に300円の値札が付いていた。安かったからとりあえず買っておいたのだろうね(忘)。
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電気的絶縁性の高いポリプロピレン製のタッパー容器を筐体にし、3mmのボルトナットを使ってモジュール基盤を少し浮かせた状態でその中に固定する。入力側は壁のACコンセントからケーブルを引いてくるが、プラグ抜き差しによるON-OFFがやりにくい位置にあるので、トグルスイッチ経由で基盤に配線する(ハンダづけ)。出力側端子は独特の形状だったが、たまたま上手く填る脚付き端子台があったのでそれを利用して被覆電線を接続した。部品を一通り接続したらビスを使って筐体を壁に固定する。もろもろ邪魔にならないよう床から1.8mの位置とした。
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出力電圧をチェックすると開路状態で約3.4V。最大開路電圧の規定はアルカリ乾電池で1.68V(2本直列で3.36V)、マンガン乾電池で1.73V(2本直列で3.46V)なので問題無しと判断。
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スイッチング電源は電力変換効率が高いので発熱は多くないと思うが、念のため筐体蓋に放熱用の穴を開けておく。ホコリや虫などが入ると不具合の原因になる為、穴径は小さめで。
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仕様の順電圧値が丁度良い感じの緑色LEDがあったので出力端子間に挟んでみた。筐体蓋を取り付けた状態でもその光は透過し、通電状態が確認出来る。
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電源については順当に用意できたが、肝となるのはこの先。ガステーブル自体には手を加えずに製作した電源から給電してやりたいのよ。いろいろ模索したが、最終的には電源から配線したダミー電池をガステーブルの電池ボックスに填める方法で行くことにした。
ダミー電池は、一段小さな規格の乾電池を流用する為の「電池スペーサー」を利用して作成する。これにもいろいろなタイプがあるが、金属の電極板が付いている物を使うと便利だ。電源と繋がる電線をそれぞれ極に対応する電極板に接続する。ハンダづけしても良いが、電極板の材質によっては付かない場合もあるのでその場合はひと工夫必要となる。私が入手した電池スペーサーは電極板を外側からはめ込んでいるタイプだったので、その穴に電線端を噛ましてはめ込み直したら圧着端子のようにしっかりと固定できたのでそれで良しとした。
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電池ボックスの構造をよく観察し、直列乾電池の両端になる接点にそれぞれ対応する極性の電極板が当たるようにダミー電池をはめ込む。向きを間違えると華麗にショートするので要注意である(後日対策済/後述の追記参照)。電線は電池ボックスの内側から下方に引き抜く。ガステーブルの下面はガラ空きで蓋などないので取り回しは容易だ。ただ調理で使っているうちに油や汁が飛んで電線を汚しそうなので、ガスレンジに近い場所は保護の為樹脂製の可とう電線管を通すことにした。
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掃除等でガステーブルを移動することもあるだろうから、電線は途中で差込型端子を使って接続し、着脱容易にした。全てが繋がった状態になったので着火・燃焼を試すが問題無し。新品のガステーブルは数十年ぶりに購入したが、やっぱり気持ちが良いね!。懐は痛いけど。
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ちなみに停電時はスイッチング電源から給電されなくなるが、ダミー電池を一時的に外し、乾電池を電池ボックスに填めればガステーブルは使用できる。一方、ガス給湯器は停電時には動作不可なので風呂や温水シャワーは使えなくなってしまうが、そんな時でもガステーブルで湯を沸かしたり調理することが出来るのは意義が大きい。まあ停電なんてこの国では滅多に起きないが、以前この場所で3日程停電した時はなかなか大変だったからね~。
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2024/02/04 追記:
後日、片方のダミー電池の両極にスイッチング電源からの配線を接続し、もう片方のダミー電池は両極を内部でバイパスするように変更した。これによりダミー電池の左右を入れ替えても動作するし、填める向きを間違えてもショートする危険性は無くなった(逆極性となり動作しないだけ)。初めからこうすればクールだったに(悔)。
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kotanifumi · 8 months
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あの木造の平屋が、取り壊された日。
近くの公園で、数年ぶりの、盆踊り。
その昭和ながらの木造の平屋には、
おじいちゃんがひとり、
ひっそりと、暮らしていた。
春、梅の花が咲き、
庭の雑草が生えはじめると、
まだ大きくならないうちに、
草抜きをして、
大きなビニール袋に詰める。
夏、台風が来そうな夕暮れは、
木の鎧戸をピチっと閉めて、
早くから嵐に備える。
秋、枯れ葉が庭の数カ所に丸く集められ、
庭に大きな茶色いパンケーキが、
いくつもできたようになる。
冬、雪が降り積もると、
平屋と庭の境がなくなり、
雪の奥にすっぽり包まれ、
巨大なカマクラみたいに冬を過ごす。
ずっとそこにあると思っていた暮らし。
でも、ある日、
雑草がボーボー生え、
木の鎧戸は、
ずっと閉まったままになった。
どうしたんだろう。
大丈夫かな。 
そう思って、しばらく。
庭に、いくつもの重機が。
鎧戸どころか、
その奥の窓まで取り払われ、
部屋の奥の奥まであらわになっていた。
控えめに見てしまったが、
平屋は思っていたずっとより広く、
まだ真っ白な障子やふすまが、
眩しかった。
家の外だけなく、内も、
整えらた暮らしだったことに、
妙な答え合わせをしてしまった気分。
おじいちゃんの暮らしぶり、
見てはいけない種明かしを、
見てしまったような気持ちにもなった。
そして、門にぽつんと残された、
ボロボロのミニーちゃんの人形。
おじいちゃんと、
きっとおじいちゃんの家族の、
暮らしを何十年守ってきた平屋。
ひとりになったおじいちゃんの、
暮らしを見守ってきた平屋。
いや、暮らしそのものだった平屋。
1日で、あっけなく、取り壊されて、
茶色く、そっけない、さら地になった。
おうちが、暮らしが、
ひとつ消えた町に、
盆踊りの音楽が、
どどんがどーんと流れる。
「花の都の真ん中で〜」と、
東京音頭。
い��、ここは、
花の都のだいぶ外れだよと、
思いながら。
花の都から遠く、
小さな町のすみずみまで、
響いておくれ。
お見送りの音色響く、
まだ暑さ拭えぬ初秋の夜。
小谷ふみ☺︎
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killsmells · 7 months
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郷土無い
私には地元というものがない。ついでに実家もない。親戚の縁も薄い。今でも交流があるような幼馴染といえる人もいない。義務教育時代の同級生たちは恐らく私の生死すら知らないと思う。幼稚園から高校卒業まで京都で暮らしていたがその間家は2回引っ越し、いずれも借家であった。父も母も京都の人間ではない。2人とも住みだして長いが、三代住まねば京都人と言えないらしいのでうちは末代(おれ)までよそさんである。生まれたのは母の地元・島根県である。それも限りなく山口県に近い。確か最寄りのコンビニは山口県だった気がする。母ですら松江には中学の部活の大会でしか行ったことがないという。
早くから協調性ゼロ・言う事聞く耳持たずの自閉的お絵描き少女だったので両親には猪か山犬の子として育てられてきた。しかし彼等もまたかなり前衛的な人間であった。専門職で休日も本に埋もれた机に向かう友達0人の父に対して庭でインパクトドライバーや鉋を繰り出すDIY主婦の母、そんな2人の新婚旅行はタイとネパール、結婚当初は福井県の田舎で職場の同僚に貰ったジープを乗り回し、これまた貰い物のカワハギを台所で捌いていたという。母曰く「新婚なのに今までの人生で1番隠居のような暮らしをしていた」。確かに私の記憶でも当時の時間の流れは緩やかで、人生の終末に近いものを感じる。そんな若隠居の両親の下、幼い私は車道に横たわり、猿よけの電線を掴んで感電し、スイカを皮ごと喰らうなどして天真爛漫に過ごしていた。そんな穏やかな日々は長くは続かず、訳のわからぬまま京都に引っ越すこととなる。
京都の日々は正直なところ記憶から抹消したいことばかりだ。思春期の毒気が充満する精神状態に加えて己の出自が若干複雑で(ここで詳しく書くことは控えるが戸籍上イレギュラーな問題がある。ただ私の場合さほど差し障りなく生きて来れたのは時代と運が良かったと思う)どこの誰として振る舞えばいいのかわからなかった。中学生の時「男はつらいよ」を全部見たが(勉強もできない、運動もできない、周りと馴染めず友達がいないスクールカースト下層部の人間は他にやることがないのである)寅さんがフーテンできるのは帰る家があるからだと羨ましかった。京都に馴染めたらそれでここが故郷だと納得して楽になれたかもしれないが、それもできなかった。一番ネックなのは言葉だった。主に母や母方の親戚に育てられ、古い漫画を読み漁って言葉を覚えたのでべらんめえ調の標準語と中国地方の訛りが私の基本だった。関西弁が主言語の地域では私は異邦人なのである。前衛的精神の両親とも幾度となく衝突した。彼らは自分たちの思い通りにならずどんどん山犬になっていく娘に対して心の整理が追いついていなかった。人と暮らすことに不信感が募り、全てを振り切るように広島に進学した。島根に近いから関西弁を喋れなくても済むだろうと思ったのである。
来年とても円満な形で一家離散する。田舎暮らしに憧れて島根の母の実家に居候する父、京都でまだやりたいことがあるため残る母、5年前に広島に出てったきり帰る気配のない私というように西日本3拠点に散ることとなった。
それぞれが三叉路に立って「じゃっ!」と手を振り合い、それぞれの道を行くような清々しさである。バラバラで神経質のベクトルが全員違うような家族だ。共に暮らすことはそれなりに無理があったのかもしれない。今、ようやく信頼に満ちた我々にとっての家族のスタンダードができたと思う。どうだろうか。
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kennak · 4 months
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視覚障害者の女性を狙う性加害の卑劣な手口や被害の実態が近年、障害者団体の調査などで分かってきた。加害者は相手の目が見えにくいことにつけ込み、盗撮や痴漢、つきまといなどを行うケースが多い。こうした被害を防いだり、被害に遭った人をケアしたりする取り組みも広まりつつある。(坂戸奎太) 7割が被害  関東在住の全盲女性(30歳代)は、一人暮らしだった2017年頃、知らない男に自宅の合鍵を作られ、部屋に盗撮カメラを仕掛けられた。部屋を訪ねてきた母親が気づき、警察に通報。男は20年に逮捕され、「目が見えないのでばれないと思った」と供述した。  男は女性の 白杖(はくじょう) に目をつけて尾行し、自宅を割り出したとみられる。女性は「犯人が捕まるまでは知人を疑ってしまった。白杖を使うのが不安になった」と明かす。  女性が入会する支援団体「日本視覚障がい者美容協会」(埼玉県)は、この事件などを機に、視覚障害者の女性に性被害のアンケートを21年に実施。68人が回答し、7割の48人が「障害に乗じたと考えられる状況で被害に遭った」とした。  場所(複数回答)は電車内(30人)や街���(27人)、被害内容(複数回答)は、同意のないボディータッチ(32人)、痴漢(27人)、つきまとい(23人)が目立った。  先天性の弱視で白杖を使う20歳代の女性は、通勤途中の駅で男に声をかけられ、手を握られたり、背中を触られたりし、つきまとわれる被害が約2週間続いた。同僚に付き添ってもらい、収まったが「本当に怖かった」と振り返る。  協会は「視覚障害者は白杖を使うなどし、目立ちやすい。性加害を 企(たくら) む人物から『自分の姿が見えない相手だし大丈夫』と標的にされがちだ」と分析する。  アンケートでは「誘導の際、手をつながれた」との声も多かった。協会は正しい誘導法を啓発する冊子を作成した。「相手に触らず、自分の腕をつかませることが誘導の基本。不自然な誘導を見かけたら『お困りですか』『私も手伝います』などと声をかけて助けてあげて」と呼びかける。 鉄道での放送取りやめ  鉄道では従来、視覚障害者や車いすの利用者らの乗降を駅員がサポートするため「○両目お客様乗車中」などと駅のホームで放送するケースがあった。  だが、障害者団体でつくる「DPI日本会議」(東京)の21年の調査で、放送を聞いた乗客に自身の存在を知られ、痴漢やつきまといなどの性的嫌がらせを受けたとの相談を障害者団体に寄せた人が30人以上いるとわかった。大半は女性だった。  同会議は国土交通省に改善を要望。同省は21年、別の方法で情報伝達するよう鉄道各社に要請した。各社は関係者以外にはわからない方法への変更を進める。関西のある鉄道は、駅員らが旗を振って合図する形に変えた。  社会福祉法人「日本視覚障害者団体連合」(東京)は昨春、視覚障害者の女性の性被害に関する全国初の相談窓口事業を開始した。これまでに計4回実施。法人の幹部や臨床心理士らが電話や対面で、相談者の話にじっと耳を傾ける。  「学生時代の被害が今でもフラッシュバックする。区切りをつけたい」  ある女性が寄せた相談は30~40年前の性被害だった。法人は、この女性が別の性被害の当事者とつながりを持つための仲介など、支援を続けている。  相談件数はまだ少ないが、法人女性協議会会長の阿部 央美(てるみ) さん(66)は「窓口の存在を知らない人も多いはず。周知を進めて悩む人を支えたい」と語る。次回の相談対応は3月に行う予定だ。
「白杖」狙い尾行・合鍵作り盗撮カメラ、誘導時につきまといも…視覚障害者狙う性加害明らかに | ヨミドクター(読売新聞)
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特番で後味悪すぎて現在進行形のやつ。 新聞配達の少年がたまたま通りかかったDQNのガキ集団にリンチされて昏睡。DQN放置。 4時間後に心配して探していた母親が発見。 命を取り留めるも知的障害、記憶障害、顔面麻痺、指先の機能障害が残ってしまい、 進学を諦め学校を退学せざるをえなくなった。 成人して暫く経つが仕事がみつからない。勤め先をつてを頼りに公務員の障害者枠に入れ、事務や雑用をこなすようになる。
その姿をカメラで撮影。両親が控え室からモニターで見て 「よかったね。ああ、ちゃんと仕事を覚えられるんだ。忘れないんだ。よかったよかった。」 と涙を流していた。 取材中、チェーンの飲食店で記者と差し向かいでハンバーグ食べるシーンがあるんだけど 「口が閉じられないんだ。だからこうしてるの」と 咀嚼のたびに手で顎と唇を閉じているのが悲しかった。手を添えないと顎がだらりと下がってしまう。 「熱いうちに食べて火傷しないの?」の問いに「美味しいものは熱いうちにたべたいから」 と麻痺した顔でぎこちなく笑うのが今思い出しても胸苦しいわ。彼は一生後遺症に苦しまないといけないんだから。
一方DQNのガキどもは一番重い刑で1年ぐらい少年院に入って みんな結婚して子供作って普通に暮らしているという。
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hirowrite-o0 · 30 days
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おいも 人生で初めて職務放棄する
執筆者: プリンス聖徳
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あいつな、とうとう仕事サボったんだって!(笑)
あ。あいつっていうのは、妹子のことだぞ。真剣な顔して資料の写し書きをしてたと思ったら、急に姿が見えなくなったんだってさ〜。
その話が私の耳に入ったのは、多分偶然だと思うんだけど。
多分っていうのは、騒がしい現場を見かけた私がそこへ割って入って行った時に、聞かされた情報だったから。
そこは朝廷の中庭が見渡せる廊下で、丹塗りの柱が何本も並ぶ、まあまあ壮麗な場所だったんだけどさ。そこに人だかりができてんだ。廿人以上はいたかな?みんなしてガヤガヤやってたからさ、気になって私も人だかりの中へ割って入って行ったんだ。
そしたらたまたま強く肩がぶつかっちゃったのかな、一人の子が私に気がついたんだ。
「あっ。太子………様?」
「うん。お疲れ。これ何の騒ぎ?」
「ああ…詳しくは知らないんですが、どうも小野先輩が逃げ出したらしくて」
「え?妹子が?」
呆気に取られて聞き返すと、彼は「はい」って頷いて困った顔をしてた。どうやら妹子に見てもらわなければならない書類があったらしくて、多分それだろうなって文書の束をギュッと抱き締めてた。
「それ妹子じゃないとダメなやつ?」
抱き締められて今にも潰れそうな文書が不憫だったんだよ(笑)
私がそれらをチラッと見ながら言うと、彼はすがるような目で私を見てきた。
「いえ、別に…。記録の取り方や書き方なんかで、きちんと書けているか見ていただきたいだけだったので。公文書ですし…」
「そうなの?じゃ私が見ておくよ」
「えっ」
彼の表情が、焦りとも安堵とも言えない顔になったのが分かったよ(苦笑) 多分新人なんだろうな。冠位も拾弍位だし…
となるともう、今度は文書よりこの子助けてあげたいってなるじゃない?(笑)
そんな悪いですよ、とか、とんでもございませんとか言ってたけど、最終的には半ば無理矢理私が見てあげることになって。
妹子もさ、疲れてると思うんだよね。
前に渡随をお願いしたら発狂して嫌がってたし、帰国以降は冠位も上がって上の顔色も下の顔色も伺わなきゃいけなくなったから。
ちょっとでもあいつの負担を減らしてあげられるかもなって、
なんかそんな気持ちもあったんだよな(笑)
たかが書類数束だけどさ。
まあそんなこんなで書類受け取ってさ
このまま戻るのもなんだから、他の人たちにもいろいろ聞いてみたんだこの件のこと。おいもとはいえ、心配じゃん?
(以下、スーパー聖徳聡耳で聞き取った内容。)
【Aさん(拾位)からの情報】
先に居合わせた先輩官吏から聞いた話とのこと。一緒に仕事してた妹子の先輩が「そろそろ息抜きしろよ」って声をかけておいもの方向いたら、既に姿がなかったらしい。ついさっきまでいたし、何なら咳払いの音とかも聞こえてたのに。
【Dさん(玖位)からの情報】
妹子が部屋から出て行く所を見たとのこと。突然障子と障子の間からゆらっと出てきて、そのまま真っ直ぐ、Dさんの視界を横切る形で歩いてったって。お疲れの様子だったから心配になって、妹子が歩いてった方向を目で追ったけど、その時にはもう妹子の姿は見えなくなっていた。
【Zさん(伍位)からの情報】
Dさんと同じで、妹子が部屋から出て行く所を見たとのこと。疲れたから一服しようと思って今の場所に出てきて、柱にもたれてぼ〜っと遠くを見ていたら、中庭を突っ切って歩いて行く妹子が見えたんだと。ちなみにこの人妹子の知り合いで、私の手が空かなくておいもがぼっちの時だけ一緒にお昼ごはん食べる間柄なんだって。だからちょうどいいタイミングで妹子見つけたと思って「小野ー!今日はどうー?!」って大声で呼んだらしいんだけど、無視されたと怒ってた…。
【E氏(参位)からの情報】
妹子に用があって、会いに行ってたんだって。(妹子がいなくなった騒動から30分くらい前とのこと。)妹子と話をしていたら、突然はっとした表情で顔を上げて、辺りをきょろきょろ見回して。その時は「ん?」 「いえ別に」みたいななんでもないやり取りで終わったみたいなんだけど、その後も同じようなことがニ、三回あったらしくて。「疲れてるなら少し休みなさい」 って言って、別れたんだと。
【Sさん(拾弍位)からの情報】
こいつが人だかりの原因らしい。妹子と一緒に仕事をしてた先輩とたまたまここで出会して、おいもがいなくなったことを聞いたとのこと。それは大変だと思い、大声で「妹子さんが逃げたー!!!仕事ほっぽってどっか行ったらしいでーーーーーーーーーーーーーーーーす!!!!!!!!!!!!!」と叫んだ。しかも何回も。この大声で人が集まってきてくれたと言っている。
以上。あとは皆大体似たり寄ったりな話をしてたから割愛するぞ〜。
妹子の居所を掴むような有益な情報はなかったけど、でもホラやっぱりさ?妹子も疲れてるんだよな、きっと。皆からの話を聞いていてますます思ったけど。
だって毎日仕事詰めの残業だもん。
そりゃ疲れるし、逃げたくもなるよ。
私は全然いいと思う。
仕事したくない気分の時はさ、何も考えずに��うたったり走り回ったり、ワンちゃんのこと考えたり。な?
そんでカレー食べて寝れば気分サッパリリフレッシュするって〜♪♪
そんで気持ちがスッキリしたら、そのうちブラッと帰ってくるだろ。おいももヤワじゃないからな。
でも心配ではあるから、日が暮れても戻ってこなかったらちゃんと探しに行くぞ!その準備も今からしておく😤🍙
……………それから念のため言っとくけど
皆は絶対探しちゃ駄目だからな?
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reportsofawartime · 2 months
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速報:ハマスの公式声明 ラファでのスーパーボウル虐殺について 「今夜のナチス占領軍によるラファ市への攻撃と、これまでに100人以上の殉教者の命を奪った無防備な民間人や避難民の子供、女性、高齢者に対する恐ろしい虐殺は、虐殺の継続であると考えられている。戦争と、それがパレスチナ人民に対して行っている強制移住の試み。 ラファ市に対する敵のテロリスト軍の攻撃は複合犯罪であり、大量虐殺戦争の継続であり、この都市が暴動により経験している悲劇的な状況を考慮すると、我々の人民に対して行っている虐殺の範囲の拡大である。 140万人近くの市民がそこに集まり、生活の基本的必需品が欠如した結果、非常に困難で残酷な状況で暮らす避難民のための街路がキャンプに変わりました。 ネタニヤフ首相のテロ政権とナチス軍は2週間前に下された国際司法裁判所の判決を無視し、大量虐殺行為とみなされるあらゆる措置を停止することを含む緊急措置を承認した。 アメリカ政府とバイデン大統領は、昨日ネタニヤフ首相にゴーサインを出し、殲滅戦争を続けるために資金、武器、政治的隠れ蓑を彼に提供した公然とした支援のおかげで、この虐殺について占領政府に対して個人的に全責任を負っている。そして虐殺。 私たちはアラブ連盟、イスラム協力機構、国連安全保障理事会に対し、シオニストの侵略と、ガザ地区で無防備な民間人に対する進行中の大量虐殺犯罪を阻止するために、緊急かつ真剣な行動を取るよう求めます。」 #SuperBowl2024
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kijitora3 · 11 months
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『師岡康子弁護士は「帰れ」発言が歴史的な差別性があると指摘。「在日コリアンは植民地支配された結果、やむをえない事情で住んでいる。祖国に帰りたくても帰れない背景がある」と説明した。』
だってさ 戦前から日本で一旗揚げたるぜって来たのが大多数 朝鮮人が内地へ押し寄せるので戦前は朝鮮人の内地移住を制限してたぐらいなんだが 強制連行とかいうけど、それは当時日本人だった朝鮮人が応募して働きに来たのが大多数で、国民徴用で内地に来たのは280名ほどでそのほぼ全てが戦後韓国へ帰り、残った者は自由意志だった
これは確か戦後民団が自ら出した書籍にも書かれていたことだが
ちなみに当時は内地の日本人中学生も軍需工場で働いていた時代だ
つまり、今日本に住んでいる韓国人、朝鮮人で戦前に強制連行されてきて以来住み着いているのはほぼいない 戦前に仕事求めてきて、戦後も朝鮮戦争でぐじゃぐじゃだった朝鮮半島に帰らず自らの意思で日本に残ったのだ その他は戦後経済的に割のいい仕事を求めて日本に来たニューカマーで日本の植民地支配にそもそも何の関係もない
 そんな事情なのに、日本人を徹底的に敵視して洗脳捏造偽史で日本を憎み罵倒するもんだから、「そんなにお嫌いなら、帰って祖国で幸せに暮らせば?」ってことを日本人は言うだろう
これは差別でも何でもない 嫌いで嫌いでしょうがない日本に我慢している理由がないから、好きに帰ればいい それだけだ
それなのに阿呆な弁護士グループが、捏造偽史をがなりたてて、日本人を敵視して罵倒するもんだから、ますます日本人は「韓国、朝鮮人とは関わりたくない あいつら、あんなに日本きらってるくせに何で帰らないんだ?」ってことにしかならない
「祖国に帰りたくても帰れない事情」をじっくり説明してもらいたいところだが、それが金がないとか、仕事がないとかだったら、マジ日本人も怒るで 単なる経済移民だって自白してるだけだろうがって
在日は本国で差別されるってのは、日本には一切関係ないし むしろ日本で「差別」されるっていつも言ってるなら、まだ本国で差別された方がましだろう 同じ韓国人同士で解決してくれ 日本人は一切関係ない
日本占領基本法である日本国憲法には、移転の自由が認められている その権利は日本国籍を有するものだけでなく、外国人であっても最大限に保障されるというのが、確立した判例だ いつでも好きなように朝鮮半島に帰ればいいのだ
まじで、在日韓国人、朝鮮人は、「植民地支配で無理やり連れてこられた俺たちは本当は帰りたいのに、日本のせいで帰れないんだ!」って思ってるのか? もし本当にそうだとしたら、そりゃアタマおかしい そうでないなら、サヨク弁護士と一部の在日が利権ビジネスで騒いでいるだけということになる
それから根本的なことを一点 川崎市のヘイト条例は在日に対する批判を全てヘイトとして口を封じ、言論の自由を押し殺すものだということがこの件で立証された 自由と民主主義を掘り崩すもので危険極まりない 一刻も早くこの条例の廃止を
さらに「在日コリアン」との言葉を使う者は一切信用できないことを指摘しておく 朝鮮人という言葉が差別的だから、という屁理屈だが、朝鮮人という言葉の印象が悪いのは、戦前戦後にかけて続いた朝鮮人による犯罪、暴行襲撃など自らの行為の為である そこの反省など一切なく、名前を変えて誤魔化そうという性根と、朝鮮人との言葉そのものをサベツだとして言葉狩りまで行うのもまさに、自由の侵害である
かつて敗戦直後日本人が疲弊しきっていたころに、朝鮮人は自らを「我々は敗戦国日本の人間ではない!! 戦勝国民だ!」と称してあちこちで警察や役所を襲撃したり、電車で日本人をリンチしたりしていた 当時は日本の警察が弱体であったので占領軍アメリカ軍のMPがでて朝鮮人を治安維持のために取り締まったぐらいだ その際に朝鮮人がみずからを戦勝国民だと言い張るので、米軍が作り出した言葉が、「朝鮮は敗戦した日本の一地方であるから、戦勝国ではない しかし内地とはことなる事情があるので日本と同一視も違和感があるので、戦勝国でも敗戦国でもない、第三国とする」というものだった
 ここから朝鮮人をさすのに三国人という言葉が広がったが、その言葉も戦後の朝鮮人の暴虐のためすっかり印象が悪くなってしまい、その後「三国人は差別語だから使うな!!」とか言い出した
 朝鮮人をコリアンと言い換えるのと全く同じことを戦後すぐの日本で既に行っていたのだね
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dvdhappycom · 1 month
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たい焼きちゃん。初対面のオジサンにおもちゃをまんこに入れられ観光地デート。敏感になったまんこを何度も
たい焼きちゃん。初対面のオジサンにおもちゃをまんこに入れられ観光地デート。敏感になったまんこを何度も スタジオ: FC2 更新日: 2024/02/20 時間: 89分 女優: 諸事情で中々出せなかった動画です。この撮影のあと動画の中のおじさんはしばらく世間と断絶した暮らしを送ることになりました。何とか帰ってこれたのでリスクはあるのですが公開することができました。短期公開になる恐れもあるため早めにダウンロードしてください。※あくまで個人的に楽しんでください。たい焼き屋でバイトしてるあの子です。バイトだけじゃ大変なのであうことになりました。相変わらず色白で細いのにおおきなおっぱいで感度もいいです。今回初対面のおじさんにリモコンおもちゃで遊ばれながらのデートです。心なしかホテルでもいつもより乱れているようです。若干遅漏だと言っているこのおじさんが外出しで精子まみれのまんこ ***********************************
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ari0921 · 9 months
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 安倍政治は若者世代を元気づけた
  櫻井よしこ
安倍晋三総理が亡くなって1年。7月8日、各地で偲ぶ会が催され、東京・元赤坂の明治記念館での「安倍晋三元総理の志を継承する集い」はネット中継された。冒頭、2014年5月30日に安倍総理がシンガポールのアジア安全保障会議で行った基調講演の一部が紹介された。第二次政権を12年12月に発足させた安倍氏は、13年12月、靖国神社に参拝し、英霊たちに感謝を捧げ、日本人皆が夢をもって暮らせる国を創りたいと、アベノミクスを始動させた。エネルギーに溢れ、溌剌とした様子で氏は語っている。
「私はこの1年と半年近く、日本経済を今一度イノベーションがさきわい、力強く成長する経済に立て直そうと粉骨砕身、努めてまいりました。アベノミクスと人は���れを呼び、経済政策として分類します。私にとってそれは、経済政策をはるかに超えたミッションです。未来を担う新しい日本人を育てる事業にほかなりません」
新しい日本人とは「昔ながらの良さを、ひとつとして失わない日本人です」と簡潔明瞭だ。
具体的には「貧困を憎み、勤労の喜びに普遍的価値があると信じる日本人は、アジアがまだ貧しさの代名詞であるかに言われていたころから、自分たちにできたことがアジアの他の国々で同じようにできないはずはないと信じ、経済の建設に孜々(しし)として協力を続けました」と、アジアのリーダーたる自負心を語った。中国を強く意識した言葉でもあろう。
日本は中国とは違って、国民を大事にし近隣諸国を尊重する。日本の国柄はずっと前から古代の先人達がつくりあげ、残してくれたものだ。安倍氏は言い切った。「新しい日本人は、こうした無私無欲の貢献をおのがじし、喜びとする点で、父、祖父たちとなんら変わることはないでしょう」。
首相再登板を果たした安倍氏に世界は注目し、各国指導者たちは安倍氏に幾度も拍手を送った。日本の自分たちにできたことがアジアの国々で同じようにできないはずはない。相手への信頼、相手の可能性を評価し抽き出す前向きの姿勢は、インドをはじめアジア諸国に大いに歓迎された。それは日本の若者世代にも向けられていた。
命日の朝日社説
にも拘わらず、このような前向きの姿勢を見ることなく、何があっても安倍氏非難しかしないような朝日新聞は命日の社説で、安倍政治は「分断に満ちた荒々しい政治」だったと貶めた。
確かに平成から令和へと、日本社会における不公平感は高まった。また、社会保障のツケは次世代任せとでもいうかのような世代間の不公平という話で終わらせるのではなく、自分のことはもっと自分でやるのがよいと、自立を促す気概が強まった。朝日はそれを「分断に満ちた荒々しい政治」と切り捨てる。だが若者が置かれていた苦況を改善し、皆が働ける社会を創ったのは安倍氏である。21年12月3日の「言論テレビ」で安倍氏は語った。
「私が政権を取った2012年(民主党政権時代)の就職内定率は68%で、就職氷河期より悪かった。安倍政権時の最終的な就職内定率は98%に上がりました。すると新卒者が増えます。新卒者の給料は低いですから、平均実質賃金は低くなります。65歳以上で300万人が働くようになりましたが、現役時代よりは給料が低い。女性も300万人、新たに仕事を始めた。高い給料の方もいらっしゃいますが、結婚、出産を経て職場復帰した当初は、給料は低かったりします。パートから始める人もいますから、それらを足し合わせて平均すれば、実質賃金は低くなる。
しかし、その後は、だんだんと実質においてもプラスになっています。大切なことは総雇用者報酬、みんなの稼ぎを足し合わせたものです。総雇用者報酬は、民主党政権時代にはマイナス2兆円、安倍政権ではプラス35兆円です」
第二次安倍政権前の3年余りの民主党政権時代は若い世代にとっては極度の就職難だった。12年の正社員の有効求人倍率は0.48倍、安倍政権発足8年目の19年には1.14倍に上がった。全都道府県で1倍を超えたのは史上初めてだった
安倍氏は経済を成長させて皆が働き自立できる社会を創ろうとした。可能性が花開き、夢が叶う。広い未来が開ける。そんな社会を若者や女性に用意した。朝日新聞は認めないが、安倍氏の政策を真っ当に評価し、希望を託した人々は数知れない。そうした人々、老若男女が、安倍家による法要が営まれた東京芝の増上寺にも、奈良市の近鉄大和西大寺駅前の献花台にも、長い列をつくり献花した。
「勝てるんですか」
明治記念館での集いではもうひとつの安倍氏の肉声が伝えられた。19年1月28日、国会での施政方針演説だ。安倍氏は平成から令和への御代替りに触れ、平成の時代に起きた阪神・淡路大震災、東日本大震災に関して、天皇、皇后両陛下のお励ましが国民をどれほど慰め力づけたかを語った。その上で、明治天皇の御製を紹介した。
「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」
今を生きる日本人も同じ気持ちで共に日本の明日を切り拓こう、と呼びかけた。
ロシアのウクライナ侵略戦争は、来る中国の台湾・沖縄侵略戦争と重なって見える。それ以前から米国の力は相対的に低下し、中国の脅威が強大化していた。100年に一度の危機に直面して、安倍氏は15年、野党とメディアの凄まじい反対、非難キャンペーンの中で支持率を13ポイントも下げながら平和安全法制をまとめた。
当時、自衛隊の最高幹部達に、安倍総理が聞いた。「勝てるんですか」と。その場に激震が走ったと当時の国家安全保障局次長、内閣官房副長官補、兼原信克氏は振り返る。
自衛隊は憲法上も政治上も厳しくタガをはめられていて、「米軍が助けに来なければ必ず負けるように作られた軍隊」だから、勝てるはずがない。それでは日本国は持たず日本国民は救われない。だから安倍氏は総理退任後も、台湾有事は日本有事、日米同盟有事だと警告した。GDP比2%の防衛費、核共有論の議論の勧めなどを提案した。
政治家として全力を尽くした安倍総理を振りかえるのに、朝日は相変わらず統一教会問題をとり上げる。9日の社説、「教団と自民党 社会の不信に向き合え」で安倍氏が「国政選挙で『教団票』を差配していたといわれる」と書いた。教団票は全国で6万~8万票、創価学会の力は600万~800万票だ。朝日が統一教会の6万~8万票を大仰に問題視するのなら、その100倍の創価学会をなぜもっと追及しないのか。
安倍氏貶めに走る余り、我を忘れる朝日の主張は的外ればかりだ。
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helloharuo-diary-2023 · 2 months
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茶畑庵→新松戸→水道橋→Motown→蒲田
Saturday 1 March 2014
今日坐禅会は、禅寺の都合でお休み。真観は、始発バスに乗って東京へ向かった。バスが新宿に着きその後山手線に乗り日暮里駅へ。常磐線に乗り換えて新松戸駅へ。余裕で到着したのでマクドナルドで暫し休憩。今日は撮影日。撮影は身体障害者の方だった。中々いい表情が撮れなかったが一瞬の笑顔を逃さず撮影出来た真観。その笑顔の写真を最後に撮影は終了。
スタッフと別れ1人東京のオフィスに戻る真観。帰りは、日暮里駅から秋葉原駅に移動し総武線で水道橋駅まで。オフィスに着くとUさんはまだ来ていなかった。機材をオフィスに起きてランチを食べに餃子の王将へ。餃子とミニ天津飯を食べる。531円也。Uさんといつも水道橋で食事をするがUさんは餃子の王将はガヤガヤとうるさいから好まない。真観は、1983年の上京以来お世話になっている。
オフィスに戻るとまもなくUさん登場。そしてOさんも登場。この3人でおしゃべりすることがオフィスでよくある。話題の一つは、Oさんが撮った真観のポートレイト写真。その写真を真観がFBにプロフィール写真として公開すると結構な数の「いいね!」を頂いた。そのお礼をOさんにしながら真観は。自分の考えたことを2人に伝えた。
今日3月1日は、坐禅会に参加して1周年になる日。 昨年の3月から7月までの4ヶ月FBを休止し再開するに当たってすべての友人のフォローを一旦止め真観の投稿記事に対して反応をしてくれた友人からやり取りを始めた。その後、自分からフォローする友人も少しずつ増やして行った。これはSNSのコミュニケーションから振り回されることに対しての苦肉の策だった。そして今日の朝、晴れて真観はFB上の友人(610人ほど)すべてをフォローすることに決めそれを実行した。これは坐禅の経験から得た回答だった。
夕方になりUさんと2人で新宿で開催されている真観の生徒の写真展に赴いた。この週末又雪が降るのではないかと懸念されていたが小雨止まりであった。水道橋駅から四谷駅、四谷駅から四谷三丁目駅に電車で移動。その後は写真展まで小雨の中歩いた。真観はよっぽどの大降りでないと傘は使わない。写真展は、「Motown』と題され愛知県の豊田市をテーマにしていた。真観のクラスの生徒なので作品内容は知っていたが改めて展示された写真たちは展示用に再プリントされまた違う顔を見せていた。写真は、4x5ネガフィルムで撮影されていて生徒自身でプリントしていたが印画紙が以前と変えた様でコントラストがあり見栄えが良い写真になっていた。Uさんも一通り写真を見て生徒に感想として展示レイアウトについて助言した。このテーマを今後彼が続けて行くかどうかは分らないが1年続け2年続け10年続いた後に同じギャラリーで同じ枚数の写真を展示すれば印象は当然変わって来る。この生徒に対して学校の先生方の期待は大きい。でも期待など全く意味がない。これも坐禅をして得た回答の一つ。ただやる気があるならこのテーマ続けるがよろしい。それだけだ。
写真展を後にしてまた小雨の中歩くのもなんだとタクシーを拾うことして信濃町駅に移動。今夜は、Uさん宅にお泊まりするので蒲田駅までさらに電車で移動。Uさん宅はこれで2回目の訪問となる。蒲田駅に着いてから駅ビルのレストラン街で麦とろ定食を食べる。近くのテーブルで酒を飲みその勢いで声の大きい2人組がいたがやや不快だった。仕方ない公衆の場だ。でも食事は美味しく頂き麦飯をご飯茶碗に2杯食べた。食事の後Uさん宅まで歩く。途中Uさんは酒屋でワインを1本と干しホタルイカを購入。
Uさん宅に着くと家猫のニーチェがいるのだが今夜は真観を警戒して顔を見せない。初めて訪れた時は膝の上に乗ったんだがなぁ。ニーチェにとってはいい迷惑かもしれない。だとしたらごめんよ。でもそれも分らない。分らないなら放っておけばいい。
Uさんとの語らいは、まるで先生と生徒の様。Uさんは惜しみなく真観の疑問から様々なキーワードを与える。真観は、メモを書き込むためペンとノートを用意した。
苦海浄土石牟礼道子>森崎和江全共闘運動のスローガン「連帯を求めて孤立を恐れず」谷川雁キリスト教原罪塩狩峠三浦綾子氷点内藤洋子ビッグバンライプニッツウィトゲンシュタインヒットラー血盟団事件唐牛健太郎60年安保の全学連委員長吉本隆明田中清玄児玉誉士夫渡辺芳則組長・・・
2人でワイン1本飲み干したら深夜1時になっていた。楽しい夜になった。真観は、1月に亡くなったUさんのお母さんが使っていた部屋で寝た。
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canty-essay · 3 months
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考えてみる、サバイバル
              
                                  
 今年は元日に突然携帯の地震を知らせるアラームが鳴り出し、ギョッとなった。まもなく、能登で大きな地震があったことを知った。本当にいつどこで地震に遭うのかわからない今日この頃だ。日頃の備えが大事というが、どんな備えをすればいいのだろうか。どうすれば、自分や家族や周りの人の命や財産を守れるのだろうか。
 「サバイバルファミリー」という映画を観た。どういう話かというと、主人公は東京のマンションに住む、中年の夫婦と高校生の息子と娘の一家。お父さんは平凡なサラリーマンで、会社から帰れば、晩酌しながらテレビをみている。息子と娘は親に関心がなく、勝手なものを食べている。お母さんはひとり台所で、実家の鹿児島から送られてきた大きな丸一匹の魚を捌こうと格闘しているけれど、誰も手伝わないし、食べたがらない。
 そんなある日朝、突然電気という電気がみな停まってしまう。電気ばかりでなく、乾電池や車のバッテリーも全く働らかなくなる。お父さんと子どもたちは、文句を言いながらとりあえず会社や学校に向かう。自分のマンションだけでなく、かなり広範囲に停電していることがわかってくる。スマホで検索しようと思っても、画面には何も映らない。お母さんがスーパーに行くと、みな買い出しに来ているが、レジが動かずそろばんで計算するので、長蛇の列となる。
 三日ぐらいは、ロウソクとカセットコンロとレトルト食品で凌いでいるが、水道からの水も出なくなり、会社や学校も休みとなり、多くの人がだんだんと東京脱出を始める。大勢の人が家族を伴って、ガラガラとスーツケースを引いていく。この一家はお父さんがうまく調達したおかげで、一人一台自転車がある。途中の商店では、ペットボトルの水が一本2500円の高値で売りに出されている。この家族も高値承知でありったけを買い占め、旅を始める。お母さんの実家の鹿児島を目指して。途中のお米屋さんでは、水や食べ物を持って行くと、お米一合と交換してくれる。そこにロレックスや高級車の鍵を持って交換に来る人物が現れるが、「そんなもの食えるかい! 」と突き返される。
 「大阪から先の関西では電気が来ているらしい」という噂が飛び交い、今や車の走らない東名高速道路を大勢の人が歩いたり、自転車だったり、中には荷車を引く人も、西に向かう。途中のサービスエリアで野宿。寒い季節ではないのが、まだよかった。寝ている間に、水を一本盗まれて、息子がすぐに追いかけるのだが、盗んだ家族には赤ちゃんがいて、取り返すのをやめる。
 脱出から16日目高速道路を降りて、川で洗濯をする。水が一見きれいだからと飲んだお父さんが下痢をする。強風に煽られて転倒し、自転車やお母さんのメガネが壊れる。次に通りかかったちょっと大きい街の無人のホームセンターを覗くと、食べ物はとうに無いが、キャットフード、精製水( コンタクトレンズに使うもの? )、自転車の修理材料などを手に入れる。火おこししようとしたもできないお父さんを横目で見つつ、おいしくないキャットフードを食べる。
 さらに高速道路を走り続ける。長いトンネルの入り口で報酬と引き換えに、トンネルの案内を買って出る盲目のお婆さんたち。無視してトンネルに入るも、真っ暗な中、停まっている車や障害物に阻まれて進めなくなり、盲目のお婆さんに手引きしてもらう。
 次はいやに元気な家族と遭遇する。彼らは日頃サイクリングしながらキャンプをしているらしく、装備も揃っていて、みなで楽しそうに食事をしている。「食料や水はどうしているんですか」と尋ねると、山の中の岩場の間から湧き出ている水は、周りに苔が生えていればそれは安全な証拠なのでそういう水を汲んだり、地面から直に生えているオオバコのような植物は食べられますよ、セミなどもおいしいですよ、と教えてくれる。
 43日目、やっと大阪に到着。電気は来ていない。通天閣のタワーの入り口には、たくさんのメモ紙が貼ってある。「岡山のおじさんのところに行く。◯◯」などの伝言が。娘がブチ切れて「もう嫌だ! お父さんが大阪に来ればなんとかなるって言ったよね?」「そんなこと俺いったか? 」「ほら、そうやってまたいつもの責任のがれ」「親に向かってなんだ、その口の聞き方は! 」すると息子が「親らしいことしてくれたことあったかよ! 」今度はお母さんが、「いい加減にして! そんなこととっくにわかっているじゃないの、お父さんがそういう人だってこと」ここでお父さんはがっくりとなってしゃがみ込んでしまう。水族館の前で、飼っている魚を調理した炊き出しの列に並ぶも、自分たちの前で終わってしまった。お父さんは調理していた人に、土下座をして「せめてこの子たちだけにでも何か食べ物を」と懇願するが、「無いものは無い」と断られる。
 67日目、食料も水も無くなり、岡山あたりの田舎道をとぼとぼ歩いている。と、一頭の豚が目の前を通り過ぎていく。えっ、となり夢中で追いかける。四人でやっと捕まえてみたものの、どうやってとどめを刺すのと手間取っているところ、後ろから「うちの豚に何をする! 」とお爺さんの怒鳴り声。お爺さんのうちの電気柵が働かなくなり、豚たちが逃げ出したのだった。お爺さんが、持っていたナイフで手早くとどめを刺し、豚を運ぶのを手伝い、そのお爺さんの家に。庭先の井戸水を汲ませてもらい、ごくごく飲む。久しぶりの白いご飯に、卵や野菜のおかずに豚肉の燻製。近所のお婆さんがキャベツや大根を届けてくれる。「あれまあ、お客さん? お孫さんたちが帰っているのかと思った」お爺さんの家族はアメリカにいて、連絡もつかないのだ。
 ご飯の後は、さっきの豚の解体を手伝う。バラバラにした肉に塩をすり込む。一週間ほど熟成させてから燻製にするのだそうだ。逃げた他の豚も、みんなで追いかけ回して捕まえる。井戸水をバケツで汲んでは、お風呂に運び薪でお風呂を沸かす。何十日ぶりのお風呂に入り、夜はお孫さんたちが着る予定だった新しい寝巻きを貸してもらい、これまた久しぶりの布団に横になる。
 毎日薪割りしたり、洗濯をしたり、お爺さんの手伝いをして過ごす。一週間後、豚肉を燻製にしながらお爺さんが語る。「お前さんたちさえよければ、ここにずーっと住んでもいいんじゃぞ。わしも年取って、一人で車も洗濯機も使えない生活では大変でなぁ・・」と誘われるが、この一家は鹿児島にいるお母さんの実家のお父さんの安否も気になっていて、結局お爺さんの申し出を断り、たくさんの食料をもらって、また自転車の旅を続ける。
 そのあともいろいろあって、命の危険にも晒されて、奇跡的に誰かが動かしてくれたSLに拾われて、ようやく108日目に鹿児島のお祖父ちゃんの家にたどり着く。お祖父ちゃんは元気だった! お祖父ちゃんは浜で魚釣りをしていた。それからは村人同士助け合って、魚を捕りに行ったり、畑をしたり、鶏の世話をしたり、お婆さんに機織りを教えてもらったりして、みんなで元気に楽しく一生懸命に暮らし始める。
 それから、2年と126日目の朝、突然村のスピーカーから埴生の宿のメロディーが流れてくる。みんなが驚いて家を出てみると、街灯が次々と点き始めた。すっかり忘れていた電気が戻ってきたのだ。そして場面は変わって、東京の一家のマンション。日常を取り戻し、以前の生活に戻る。テレビからは、「世界同時停電の原因は、太陽フレアか彗星の異常接近ではないかと、専門家からは語っている。サイバーテロの疑いはなくなったとのことです・・」停電前はそれぞれ勝手に心もばらばらに生きていた家族だったのが、思いやりのある温かい家族になっていた。
 とまあ、そういう話であったが、いろいろといいヒントがあった。非常時にはアナログが強いこと。キャンプ生活などに慣れておくこと。北杜市に住んでいて、地震などで自分の家が壊れていない限りは、ここにいた方が湧き水もそばにあるし、薪や焚き木を燃やして暖を取ったり煮炊きすることもできる。むしろここは、首都圏からの避難地域となるだろう。今できることといったら、いつでも人を迎えられるように、家の中を整えておくこと、食料や薪を備蓄しておくこと?
 もうひとつ気になるのが、「年長者としての知恵」のようなもの。年長者はパソコンやスマホに弱く、操作方法などは若者に訊かないとわからないことばかり。でももしパソコンやスマホが一切使えない世の中になった時に、どこまで年長者がサバイバルの知恵を出せるだろうか。本当に長く生きた分だけいい知恵があればいいけど。
 さっきの映画の話では、最初はばらばらだった家族の気持ちもだんだんとひとつになり、お互いにかけがいのない家族として心が結ばれる。停電が終わり東京に戻るのだけど、本当に戻る必要はあったのかなぁ。鹿児島にいた二年半は、みなで漁をしたり、畑をしたり、はた織りしたりして、お金も介在せずに生きていたわけだ。これからこの地震や災害の多い日本で生き抜くには、都会を出て地方でコミュニティを作って、いろんな年齢の人が、各々出せる力を合わせて生きていく以外の得策は無いのではないかしら。
 2024年1月
映画「サバイバルファミリー」は、2017年2月に公開された。監督 矢口史靖。
主演 小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな
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shredderwastesnow · 3 months
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長々と「ゴーストワールド」考
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私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴー��トワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあ���てもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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kennak · 11 months
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https://anond.hatelabo.jp/20230503204955この増田も言及しているが、富山から若い女性が流出しているというニュースで地元が炎上している。ネット上で憶測が憶測を呼びとんでもないことになってやがるので、当事者として事実を書こうと思う。以下、大変不名誉なことに例の記事で「問題のある層」として紹介されてしまった「富山から出た20代女」として書きます。とりあえず、自分の実体験を踏まえて誤解は誤解、合っている部分は合っていると説明する。0歳から18歳になるまで富山の中心地富山市で見聞きしたことですが、地域によって違いはあると思う。富山を出た理由はい、まずこれですね。ご期待に沿った回答でなくて申し訳ないが、私の場合は「都会の企業より待遇・条件のいい企業がないから」です。私は大学進学で富山を出て、そこから新卒で就職した。国内外でそれなりに知名度のある大企業の専門職で働いており、ハッキリ言って内定が出た都会の企業以上の待遇が期待できる会社は富山にはなかった。海外赴任したいし。仮に私が男性でも、それは変わらなかったと思う。「女はお洒落でキラキラした都会に憧れるから」とか「いい男を捕まえるために都会で遊びたいんだろ」とか的外れな女性蔑視考察をしていた方々!超地味〜な理由で申し訳ない!と私の場合はそうなんですが、実際に皆様が指摘されている「若い女性の扱いが酷いから」「陰湿な県民性だから」というのも正直富山を出る理由の一つにはなると思います。それについてこれから書きますね。男尊女卑についてこれは間違いなくある。あちこちで言われている「富山は共働き率が高いが家事・育児は全て女負担」「専業主婦は遊んでいると言われる」は残念ながら私の周りでは事実です。冬は雪かきもあるけど、それも女の仕事。【捕捉】私の周りでは女が雪かきしていたが、冒頭にも書いたように地域によって違いはあると思う。あと、富山市の場合は、余程狭い道じゃない限り除雪車がまとめて雪をどけて道を作っていた。うちの家庭の話をする。私の母は富山では珍しく管理職で社会的地位が高い。収入も父より上だ。しかし家庭内での家事や育児は、ほぼ全て母か私が負担していた。私は小学生の頃から事あるごとに父から家事労働や弟の面倒を見ること、祖母(父の母)の介護をすることを求められてきた。理由を聞くと毎回「女の子なんだから」「長女として」という言葉が出てきた。今問題視されている「ヤングケアラー」扱いされてきた。そして母より稼ぎが少なく家事・育児をしない父は、仕事以外では家でゴロゴロしているか遊び歩くかしていた。それでも一族の扱いは「一家の大黒柱」。このように、女性であることを理由に理不尽に家庭内労働を押し付けられる文化は今でも根強くある。でも男性は男性で、一人立ち後や結婚後も仕送りして親や兄弟を養って当然という空気もあるため、問題は「男尊女卑」というより「性差別的な価値観」「性的役割の押し付け」な気もする。県民性について県民性をまとめるなら下記の3つだと思う。年齢や性別、職業に関係なく、富山では下記が「普通の人」として扱われていた。無論まともな富山県民もいるが、あくまでも富山のマジョリティは下記なのだと思う。⚫︎差別意識が強い⚫︎集団で束になり個人を虐げる⚫︎嘘をつく⚫︎差別意識が強い地方だから…と一括りにするつもりはないが、全体的に差別意識が強い。また、息をするように人権侵害レベルのことをする人がかなり多い。陰湿な村社会のようなコミュニティがあちこちにある感じ。これは性差別だけでない。県外から来た人や外国人等、周りとは違う人に対する差別が本当にひどい。実際、国外や県外から来た人が口を揃えてそれを指摘し「富山にはもう2度と住みたくない」「陰湿な人が多すぎて暮らせない」と言っている。⚫︎集団で束になり個人を虐げる学校や会社で束になり村ぐるみで追い込んで組織から追い出した、という話は頻繁に聞く。また驚くことに、ほとんどの人がそれを酷い事、恥ずかしい事だと思っていないため、加害者側の人たちが笑いながら話しているのをよく見る。「集団とは違う存在を皆で一致団結して追い出す。」彼らはそれこそが「正義」だと疑ってない空気すらある。法律や倫理観なんぞより、自分たちの村の平穏を維持することが大事なのだ。⚫︎嘘をつく「嘘も方便」のような嘘ではなく、自分の利益のため息をするように人を騙す詐欺師タイプの人が当たり前にいた。というより、富山ではそういう人が「普通の大人」だった。医者・歯科医が患者に「ここを治す必要がある」と嘘をつき多額の金を巻き上げる。営業や店員が商品の説明の際に「こんな機能がある(実際にはない)」と客を騙して買わせる。中学や高校の教職員が生徒に「個人スマホからのネットの閲覧履歴や書き込み履歴は全て学校側が把握しているから余計なことをすれば分かる」等の嘘を教え従わせる。全て身近で目にしたことだ。富山市の進学校付近でこれなので、自分の周りが特別治安が悪かったわけではないと思う。都会に出てみると、自分にメリットがあろうがなかろうが関係なく嘘をつかず誠実に対応するのが当たり前という人ばかりで本当に驚いた。個人的には一番富山とのギャップがあり驚いたことである。【余談】「少子化対策のため未婚化を阻止」のグロさスルーしてる人が多いのだが、個人的にこのニュースで一番問題だと思ったのはここ。つい最近、国連が下記の提言をしたにもかかわらず、真逆のことを当然のように行っていて頭を抱えた。富山県民はあまりにも人権意識が低すぎると言われても、私は反論できない。「出生率押し上げより男女平等を」 国連人口基金が提言国連人口基金(UNFPA)は19日、2023年の世界人口白書を公表した。人口が減少に転じる国もあるなか、出生率を政策で操作しようとする国が増えており、女性に悪影響が及ぶと懸念を示した。出生率にこだわらず、男女平等で社会や経済の発展を目指すべきだと提言した。(2023年4月19日 日本経済新聞の記事より)●少子化対策まず、富山県民に限らずこれを言う人は「健康で生活保護等を受ける事なく働いて納税し社会を��える人がほしい」という意味で言ってるんだと思う。逆に言えば、その「増やすべき人間」に中に納税奴隷にならない人や障害者年金を得て暮らす障害者、生活保護を受けなければ生きられない人は入っていない。また、病気や性的指向等で子供を作れない、またはなから作る気のない人たちもその中には入らない。つまるところ、「少子化対策」とは優生思想に基づいて、人間を生産性だけで見ているからこそ出る言葉だと思う。そもそも、妊娠・出産は女性の体や脳にとんでもない負荷をかけ、最悪後遺症が残ったり死ぬこともある重大事項だ。それをやる・やらないを決める権利は本人にしかない。「妊娠から出産後に至るまで死ぬほど苦しむし、マミーブレインで頭悪くなるし、結構���確率で後遺症残ったり死ぬけど子供産んでくれない?」と他人が推奨できる類のものではない。子作りを推奨する側は、男女問わず子供さえ作ってくれれば相手の体なんぞどうでも良いと言わんばかりにそのマイナスな医学的事実を伏せたまま妊娠・出産は「幸福なこと」だと喧伝する。また、Twitterで散々言われていたように子供を本人の同意をなくこの世に生み出し、義務だからと強制的に労働させるのは倫理的に考えても利己的でグロテスクだと反出生主義的な指摘をされても仕方ないだろう。●未婚化を阻止はい、言うまでもなく人権侵害の極みですね。男女を結婚させ出生率を上げるという発想自体、女性を産む機械、男性を産ませる機械として見ている。人間には結婚する・しない、子供を作る・作らないを決める権利がある。また、結婚するにしてもその性別は当然異性である必要はない。長々と批判ばかりしてないで富山のいいところも言え・魚が美味い!・米が美味い!・家賃が安い!以上、今絶賛問題児扱いされてる富山を出た20代女でした!
富山を出た20代女だけど、地元の炎上について言いたいことがある
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kinemekoudon · 2 years
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【7話】 「大麻所持は不起訴を狙える」と弁護士に助言されたときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
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居室で天井を眺めていると、留置官の一人が「5番、病院に薬もらいに行くから出て」と言うので、留置官が鉄格子の扉を解錠した後、僕は居室から出て便所サンダルを履き、留置官の後をついて留置場の出口まで歩いて行った。
留置場の出口の前には留置官が2人待機しており、出口まで案内してきた留置官が「身体検査ーッ!」と大声で号令をかけると、待機していた2人も「「しんたいけんさー!」」と大声で復唱し、3人によって身体検査をされる。
検査が終わり、留置官の1人が「身体検査ーッ、異常なしッ!」と大声を出し、もう2人も「「しんたいけんさー!いじょーなし!」」と大声を出すと、僕は手錠と腰縄をかけられた。
それから、解錠時の号令の後に大扉が開かれると、大扉の先には4人の刑事が待機しており、1人の刑事に僕の腰縄が受け渡される。大扉が閉まると、今度は刑事たちによって再び身体検査が行われた。
検査後、4人の刑事に囲まれながら、エレベーターに連れて行かれると、腰縄を握った刑事が「壁を向いたまま、奥の右角に立って」などと言うので、僕はそのように立った。
エレベーターが地下1階につくと、今度は「ゆっくりと時計回りで前を向いて」と指示をされたので、僕が時計回りに身体を動かすと、背後で腰縄を握っている刑事も、僕の背後をキープするように時計回りに動いていた。
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それから刑事らに連れられ、警察署の地下にある薄暗い駐車場に出た。目の前には、一般車両のように見えるミニバンが停まっており、その奥には15人程度の警察官が並んで立ち、こちらを見張っていた。
前に2人の刑事が乗り、僕は残りの2人の刑事に挟まれる形で後部座席に乗ると、車は警察署を出発し、病院へと向かった。移動中、運転していた若い刑事が「ほんとは大麻やってたんでしょ?」などと聞いてきていたが、僕は「本当にやってないです」などと条件反射のようにシラを切っていた。
しかし���の刑事は、その後も何度も尋問してきたので、「ここで取り調べしても、調書に残せないんで意味ないと思うんですけど」などと鬱陶しげにぼやくと、助手席に座っていた中年刑事が「たしかに意味ねぇからやめろ」などと言ってケラケラ笑っていた。
病院に着くと、手錠と腰縄をつけられたまま、病院の裏口から診察室まで連れて行かれ、問診が始まる。医者は、僕が睡眠障害を患っていて、娑婆では睡眠薬を処方されていた旨を刑事から聞くと、「処方されていた睡眠導入剤は何ですか?」と僕に尋ねてくる。
当時、僕は本当は睡眠薬を処方されていなかったが、「マイスリーです」と過去に飲んでいて好きだった睡眠薬の名前を答えた。続けて医者は「何ミリですか?」と聞いてきたが、僕は何ミリだったかは忘れていたので、「一般的な容量だったと思います」などといい加減に答えた。
しかし医者は訝しがることもなく、「5ミリか10ミリですが…では一応10ミリで出しておきますね」などと気前のいいことを言っていたので、僕は図に乗って、「あと、一応デパス0.5ミリもお願いします」などと言って、ついでに抗不安薬もゲットしておいた。ちなみに医療費はタダであった。
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警察署に着き、留置場の自分の居室に戻されると、ちょうど夕食の時間である18時前になり、留置官が各居室をまわって、食事をする際に下に敷くための丸めたゴザを配っていく。
鉄格子には“配膳口”と呼ばれる、廊下側に開き、そのまま物を置く台となる仕組みになっている小さい扉があり、食事等々の物はこの配膳口を介して受け渡しされていた。
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ゴザを敷いて待っていると、留置官でない一般のおじさんが配膳カートを押してやってきて、各居室にプラスチック容器に入った冷たい弁当と箸を配っていく。続いて、留置官がやかんを持って、各居室にプラスチックのお椀にやかんから味噌汁を注いでいく。
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僕はゴザの上に弁当と味噌汁のお椀を置くと、まずは味噌汁をすすってみる。味噌汁の味はかなり薄く、味噌汁というより味噌風味のお湯が適当だと思う。続いて弁当を食べる。
この日の弁当の中身は、主菜として“塩味の低級豚肉の切り身1枚”とその下に申し訳程度に敷いてある“ほんのりケチャップ味のするスパゲッティ”、副菜として“大豆と千切りされたこんにゃくを異常にしょっぱく和えたヤツ”とその隣に“半分以上片栗粉の餡が占めている肉じゃが”、お新香として“桜大根少々”に、白米であった。
弁当のおかずは全体的に味が薄く、白米が進まなかったが、食べている途中で配膳口から醤油とソースが入れられたので、豚肉に醤油をかけて無理矢理味を濃くして白米と一緒に食べた。
弁当と味噌風味のお湯を完食し、空の容器とお椀を配膳口台に置いておくと、一般のおじさんと留置官が勝手に回収してくれた。回収が終わると、一般のおじさんが、味噌風味のお湯が入っていたお椀にお茶を入れてまわっていたが、お茶もお湯寄りの味だった。
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食事が終わると、僕は床にごろんと寝転がった。ぼうっと考え事をしていると、そういえば職場に出勤の連絡をしてから、パッタリ連絡が途絶えている状態になっていることを思い出し、慌てて近くに居た留置官に外部との連絡手段はあるかと尋ねた。
留置官は“警察の検閲を介して手紙を送る”か“弁護士伝いに連絡を取ってもらう”しか方法はないと言う。しかしそうなると、病院に行く前に来ていたヤブ弁護士は追っ払ってしまったので、手紙の手段しか残されていないことになる。
僕は留置官に頼んで、便せんと封筒、切手を購入し、父親宛に『突然だけど、大麻取締法違反の容疑で捕まったから、会社の人には「詳しい事情は私も分かりませんが、息子は知人のごたごたに巻き込まれ、冤罪で捕まっているようです」みたいなこと言っといて』という趣旨の文章を綴り、留置官に渡した。手紙が届くのは最短で明後日になるそうだ。
手紙を渡した後、(一般的な日本人は、仮に不起訴になったとしても、逮捕されて留置場に入ってたってだけで犯罪者と誤解するんだろうな…)などと少し悲観的な妄想をしていたが、(不起訴なのに解雇するのは不可能だろうし、悪びれず堂々としていればいい)と気を持ち直し、一旦、未来のことを思案するのはやめておいた。
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それから、本を読んで時間を潰していると、就寝時間の1時間前、20時になり、ボールペンと本が回収される。また、20時30分になると、就寝準備のため、居室から歩いてすぐの場所に布団置き場から順番に自分の布団を居室に運び、歯磨きを行う。
運んだ布団を広げようとしていると、突然、留置官が「5番、接見。当番弁護士さん」と言う。僕はなぜ当番弁護士が来たのか分からず、「弁護士ですか? 今日断ったんですけど、どなたですかね?」と聞いたが、留置官は「分からないけど、とりあえず行って。これ、ボールペンと便せんね」と言い、僕を面会室へ連れて行く。
面会室のドアを開けると、その当番弁護士はすでに椅子に座って待っていた。弁護士はロバートの秋山似の顔で、ずんぐりした体型をしており、前に来た弁護士とは対照的に、野暮ったいスーツを着ていた。
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お互いに挨拶を済ませると、弁護士は「今日、当番弁護士が来たと思いますが、その人がこの件について『弁護士倫理に反する案件だったので、お断りしました』というメッセージを残していて、私は次の当番として待機していたんですが、どういうことか気になって来たんです」などと言う。
僕はこの弁護士に期待できる気がして、『前の当番弁護士に、「売人と友達の3人で共謀の上、大麻を所持した容疑で捕まったが、大麻は売人の車に放置された状態で見つかっており、他の証拠は見つかっていないはずなので、罪を犯しはしたが不起訴を狙いたい」と話したところ、弁護士倫理に反すると言って、引き受けを拒否された』という内容を詳細に伝えた。
弁護士は僕の話に真剣に相槌を打ちつつ、事件の内容をメモに残し終わると、「はーなるほど。それは前の弁護士が悪いですね」とはっきり言い切っていた。僕はその言葉を聞き、胸のすく思いがして、「そうですよね!いやーよかったです」などと少し興奮しながら応える。
弁護士はさらに、メモを確認しながら、「うん、なるほど…。こう言ってはなんですけど、おもしろい事案ですね。たしかに、これは不起訴を狙えると思いますよ」と嬉しいことを言うので、僕は「ありがとうございます!ちなみに、不起訴勝ち取れる確率は結構高そうですかね?」と意気揚々と尋ねると、弁護士は「まあ、50パーセントですかね」と言っていた。
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つづく
この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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