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#足立区土地家屋調査士
ishikawajimusyo · 1 year
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コレね!足立区の農業委員会で貰えるの😋 欲しいって言わなきゃ、出て来ないけど。 『はじめの一歩』の作者がオーナーを務めるJBジム🥊さんは、ウチの事務所から自転車で3.4分。 8年くらい前に、パンチ🤜の出稽古に行った事ある。地元で人気のジム🥊です。 #土地家屋調査士 #女性行政書士 #海事代理士 #食欲 #YouTube #届出 #許可 #農転 #建て替え #図面 #測量 #キックボクシング #ボクシング #CAD #足立区 #ひとりごと https://www.instagram.com/p/CoMEnU4JY1P/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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team-ginga · 10 months
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映画『生きる』
 U-Nextで黒澤明監督、志村喬主演の映画『生きる』(1952)を見ました。
 その昔、母から話を聞いた映画です。母は本が好きな人でしたが、映画も好きだったのかな。おそらく母が話してくれた映画はこれだけだったと思います。
 母曰くーーぼんやりと暮らしていた市役所勤務の男が胃癌で余命いくばくもないと宣告される。男は死ぬ前に何かを成し遂げようと、子どもたちのために公園を作ることにする。公園が完成して男は死んでいく。男が公園のブランコに乗って「いのち短し恋せよ乙女」と歌うシーンは名シーンだ。
 まさにそれがこの映画の中核ですが、実際に見てみると当然ながらそれだけではなく、いろいろなものが付け加えられています。
 主人公の渡邉(志村喬)が胃癌で余命いくばくもないというのはその通りなのですが、実際に医者にそう言われるわけではありません。病院の待合室で見知らぬ患者と雑談をして「胃癌というのは恐ろしいものです。医者は軽い胃潰瘍だと言い、特に消化の悪いものでなければ好きなものを食べていいと言うのですが、あっという間に悪化して死んでしまう」と聞いた渡邉は、医者にその通りのことを言われてショックを受けます。
 直後のシーンで医者同士が「あの人はいつまでもちますかね」ーー「半年くらいかな」と言っているので間違いはないのでしょうが、時代を考えれば本人に宣告しないのは当然としても、家族にも教えないものなんでしょうか。本人も家族も知らず、医者だけが知っているというのは、今の感覚からするとちょっと変な感じがしました。
 渡邉は早くに妻を亡くし、一人で息子を育てました。息子は社会人になり結婚して、渡邉と一緒に暮らしています。
 渡邉は市役所の市民課の課長です。ある地区に住む女性たち(その中には若き日の菅井きんもいます。こんなに可愛かったんだ、菅井きん)が空き地の水たまりをなんとかしてくれと陳情に来ていますが、市民課から公園課へ、公園課から土木課へたらい回しにされるだけで、一向に埒があきません。
 渡邉も若い頃は仕事に熱意を持っていたようで、仕事場の机の引き出しには市役所の運営の改革に関する私案の書類が入っています。若い頃に渡部が書いたのでしょうが、結局提出しないままになってしまったということですね。必死に書いたはずの書類の最初のページを破ってペン先の掃除に使うシーンは、渡邉の現在と過去を一瞬で対比するいいシーンだと思いました。
 癌で余命いくばくもないと知った渡邉は市役所を欠勤し、銀行から5万円おろして飲みに行きます。当時の5万円って今のいくらに当たるんですかね。100万くらい? まさか500万ということはないでしょうが、かなりの金額です。
 でも、遊び慣れていない渡邉は何をすればいいかわかりません。彼は飲み屋で知り合った小説家(演じるは伊藤雄之助。痩せて精悍な感じで、まさに無頼派の小説家という感じです)に余命いくばくもないことを話し、パチンコやキャバレーに連れて行ってもらいます(この時代のパチンコって立ったままやるんですね。知りませんでした)。
 キャバレーでピアニストに「リクエストはありませんか」と言われた渡邉は『ゴンドラの唄』をリクエストし、ピアノに合わせて歌います。
 あ、ここでまず歌うんだ。
 このシーンは凄みがあります。志村喬はうつむき加減で虚空の一点を見つめながら、口をほとんど動かさず、調子はずれに歌います(音をはずすというよりリズムをはずし、ピアノの伴奏と合わない歌い方です)。
 彼の横に座っていたホステスは怖くなってどこかへ行ってしまいますが、むべなるかなーーそれほど鬼気迫る感じです。
 いいなあこのシーン。当然ラストで志村喬はもう一度『ゴンドラの唄』を歌うのですが、私はこっちのシーンの方が好きです。
 一晩中遊び歩いた渡邉は翌朝、自宅に帰る途中、市役所の部下の女性・小田切と偶然で会います。小田切は市役所の仕事は退屈だから転職する、ついては辞表にハンコが欲しいと言います。小田切の靴下が破れているのに気づいた渡邉は洋品店でストッキングを買って彼女にプレゼントします。
 小田切は「これ欲しかっただけど高くて」、「もしこれを買ったら、1ヶ月間お弁当のおかずはメザシになってしまいます」と言って喜びます(彼女は二間のアパートに3家族で住んでいるとも言っていました。まだ日本全体が貧しかったということでしょうか)。
 渡邉は小田切と一緒に遊園地やスケート場や映画館に行きます。息子や息子の妻は年甲斐もなく若い愛人を作ったのではないかと疑います。
 渡邉は息子に病気のことを打ち明けようとします。しかし、息子は愛人ができたという話だと思っているので話が噛み合わず、渡邉は打ち明けるのをやめます。
 一方、小田切は最初こそ渡邉と一緒に出かけるのを喜んでいましたが、だんだん不自然なものを感じて、もう出かけたくないと言います。渡邉は最後に一度だけと言って、小田切を喫茶店に連れて行きます。
 渡邉は余命いくばくもないことを小田切に打ち明け、「私はミイラのように生きてきた」、「君はどうしてそんなに生き生きしていられるんだ」と尋ねます。小田切は「さあ」と言った後、バッグからウサギのおもちゃを取り出し(彼女は市役所を辞めておもちゃ工場で働いているのです)、「これを作ってるからかしら。どこかの赤ちゃんがこのおもちゃで遊んでいると思うと嬉しくなるの」と言い、「課長も何か作ったらどうですか」と言います。
 でも渡邉は何を作ればいいかわかりません。小田切���「あの役所じゃ無理ですよね」と言います。しかし、渡邉は何か閃いたように喫茶店を出て行きます。
 その喫茶店は2階建てで中央に階段があり、渡邉と小田切は2階にいます。階段を挟んだ向こう側では、大勢の若者たちが仲間の誕生日を祝っています。
 渡邉が階段を駆け降りるとき、ちょうど誕生日を祝ってもらっている女性が現れたのでしょう、若者たちは一斉に「ハピーバースデイ」を歌います。
 次のシーンで渡邉は役所の部下たちに市民からの要望に応えて、空き地を整地し公園を作ると言うのですが、そのシーンでも「ハピーバースデイ」が流れます。
 それまでミイラのように生きていた、本当の意味で生きているとは言えなかった渡部が、この瞬間生き始めるということを示す演出ですが、うーん、どうなんでしょうね、これ。わかりやすいだけに少しあざとさを感じてしまいました。
 そこから時間が飛び、渡邉の葬儀の夜になります。これはちょっと驚きました。渡邉の死から遡る形で渡邉のしたことを描くわけですか。なるほど……これは予想していませんでしたが、なかなかいいですね。
 同僚や上司が渡邉の自宅に集まっているところへ、新聞記者たちがやってきます。空き地に公園を作ったのは渡邉なのに、それを自分の手柄にした助役にインタビューしたいとのことですが、そんなことで葬儀の場にまで来るものですかね。
 助役(演じるは中村伸郎)は「記者たちは役所の仕組みを知らないから困る。公園を作ったのは渡邉君ではない。渡邉君一人の力では何もできない」と言い、土木課長や公園課長も「取りまとめたのは助役ですから」とお追従を言います。
 そこへ陳情に来た女たちが焼香にやって来ます。彼女たちは泣きながら焼香をしますが、何も言いません。この「何も言わない」ところがいいですね。下手に何か言うと艶消しです。
 女たちが出ていくと、助役たちは居心地が悪くなったのか早々に立ち去ります。残った市民課の職員たち(藤原釜足がいて千秋実がいて左卜全がいます。いつものメンバーですね)は最初「あの公園ができたのは課長一人の力ではない」と助役たちと同じことを言いますが、若い課員が「いや、あれは渡邉課長の力だと思います」と言うのをきっかけに、渡邉が公園設置のために何をしたか、それぞれが思い出話をすることになり、最終的には「課長は立派だった」、「俺たちも課長のように頑張るぞ」と言います。
 そこへ巡査が現れ、焼香します。巡査は前夜遅く、渡邉が一人で公園のブランコに乗り「ゴンドラの唄」を歌っていたと言い、あの時きちんと保護していれば亡くなることもなかったと悔やみます。
 そこでフラッシュバックーーブランコに乗った志村喬が「ゴンドラの唄」を歌うシーンが流れるのですが、私は知っていたからかもしれませんが、このシーンよりキャバレーで「ゴンドラの唄」を歌うシーンの方が凄みを感じました。
 翌日の市役所ーー職員たちは前夜「課長のように頑張るぞ」と言っていましたが、何も変わりません。以前と同じように陳情に来た住民をたらい回しに��ています。
 葬儀の場で渡邉を擁護した若い職員が、渡邉の作った公園へ行き、子どもたちが遊んでいる姿を見ているところで「終」とでます。
 確かにいい映画です。批判はしたくないしできません。
 黒澤が渡邉という人間の生と死を描くとともに役所の縄張り主義、硬直したシステムを批判しようとしたのはよくわかります。
 でも、個人的にはそういう風刺はどうでもいい、渡邉だけにスポットを当てて欲しかったという気がします。
 志村喬はもちろん名演です。猫背でオドオドして、病気が進むにつれてだんだん掠れ声になっていくところなぞ誰も真似できないと思いますし、『七人の侍』のリーダーと同じ役者がやっているとはとても思えません。
 でもなあ……いつも濡れた目をしている(これももちろん役者としての技術ですが)のを見ていると「病気の犬」か何かに見えてしまうというのもまた事実です。
 息子もかわいそうだよなあ。物語の流れとして息子夫婦には打ち明けない/打ち明けられないというのはわかるのですが、自分が息子なら「親父、どうして言ってくれなかったんだ!」と言いたくなります。
 息子は知る由もありませんが、渡邉は初対面の小説家や職場の部下にすぎない小田切に癌のことを打ち明けています。他人には打ち明けられるのに息子には打ち明けられない……世の中にはそういうこともあるとは思いますが、息子としてはたまらないだろうと同情してしまいました。
 『生きる』はミュージカル化(!?)されているそうです(渡邉役は市村正親と鹿賀丈史のWキャスト)し、最近イギリスでリメイクもされているそうですが、もしあの話を現代に置き換えるとどうなるんでしょう。
 ちょっと見るのが怖い気がします。
追記:  志村喬は1905年生まれ。ということはこの映画のときには47歳。  え? 47歳?  とてもそうは見えません。  もっとも当時の定年は55歳ですから、渡邉はまだ50代前半ということになります。  今とは年齢の感覚が全く違うということでしょうか(『サザエさん』の波平だって50代前半、うっかりすると40代なわけですし)。
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oniwastagram · 1 year
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📸小林古径記念美術館(旧小林古径邸)/ Kobayashi Kokei Memorial Museum Garden, Joetsu, Niigata ——続日本100名城で桜の名所“高田城跡”🏯🌸に残る、近代日本画壇で活躍した画家 #小林古径 の旧宅・アトリエは近代数寄屋建築の巨匠 #吉田五十八 の貴重な戦前の初期作品…国登録有形文化財。 新潟・小林古径記念美術館(旧小林古径邸)の紹介は☟ https://oniwa.garden/kobayashi-kokei-museum-niigata/ ...... 「小林古径記念美術館」は新潟県上越市出身の日本画家・小林古径の名を冠し、氏の作品の中心に展示されている美術館。美術館の庭園内には近代数寄屋建築の巨匠・吉田五十八が設計した小林古径の旧宅も🏡 . 2022年7月、上越市に残る大庄屋/庄屋クラスの豪農屋敷の公開イベント『上越名家一斉公開』を訪れた足で初めて訪れたのがこの美術館。吉田五十八好きとしては一斉公開と同じかそれ以上にずっと訪れたかった場所でもあった…! . 夜桜の名所として有名な『高田城址公園』(高田公園)。松平忠輝(徳川家康の六男)の居城として1614年に築城された『高田城』の跡に開かれた都市公園で、「高田城跡」として新潟県指定史跡&続日本100名城🏯 . なお築城奉行として指揮をとったのは松平忠輝の義父だった大大名・伊達政宗だったとか🌙現在では桜だけでなく、夏にかけてピンクの花を咲かせる外堀のハス群も“東洋一”と呼ばれる名所!🪷 . そんな高田公園内に2001年に移築・復原されたのが地元出身の日本画家・小林古径の旧宅『小林��径邸』。 元は東京都大田区の南馬込…『川端龍子旧邸』なども残る“馬込文士村”と呼ばれた一帯に居を構えていた小林古径。主屋は1934年(昭和9年)竣工で“近代数寄屋建築の巨匠”吉田五十八の現存する建築の中では最も古い戦前の建築(*場所も変えていない条件が加わると別のものになるけれど)。 . 大工棟梁は京都の宮大工 #岡村仁三 。この方が吉田五十八にとっての数寄屋の師だったとか…? . 小林古径の没後は大田区が管理していたそうですが、マンション計画🏢により1993年(平成5年)に解体。 上越市がその部材を引き受け、吉田五十八に師事した建築家 #今里隆 さんや早稲田大学の調査・監修の下、 #宮本忠長建築設計事務所 #大林組 により現在地に復原。なお冬に雪に覆われる土地柄を考慮して見えない部分では随所に補強が加わっているそう。 . 小林古径が吉田五十八にひとこと《私が好きだという家をつくって下さい》と注文し、古径の芸術作品を研究した上で建てられた2階建の住宅。 . 文化財登録の評価などにも「貴重な初期作品で」「近代数寄屋建築の作風を確立する途上」といった評価で、外観は後年の作品と比べると独自色が滲み出る前…って感じだけれど。 玄関ににじり口があったり、『旧山口蓬春邸』で見られるような小堀遠州『孤篷庵』の“忘筌席”オマージュや床の間など随所にその過程が感じられる。 続く。 - - - - - - #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #sukiya #japanesegarden #beautifuljapan #landscapedesign #niigata #yoshidaisoya #美術館 #近代建築 #近代和風建築 #近代数寄屋建築 #数寄屋建築 #数寄屋 #庭園 #日本庭園 #建築デザイン #ランドスケープ #庭院 #庭园 #上越市 #おにわさん (小林古径記念美術館) https://www.instagram.com/p/CmLQSzxv38x/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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minatokucarpet · 1 year
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ペルシャ 絨毯 高額買取り
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ペルシャ 絨毯 高額買取り   またペルシャ絨毯の他にも近年ではギャッベと呼ばれるイラン系遊牧民が用いる毛足の長い絨毯にも人気が集まっております。ギャッベは素朴な絨毯で「用の美」を兼ね備えた民芸とも言えます。 どんなペルシャ絨毯・買取されるのか? ペルシャ絨毯は人気の産地や工房によって買取価格が大きく変わってまいります。 主な産地はクム・ナイン・カシャーン・ケルマン・イスファハン・タブリーズとあり、それぞれで文様などが異なります。 クム産のペルシャ絨毯はクムシルクとも呼ばれており日本で高級ペルシャ絨毯として高い人気を博しております。一方でイスファハン産のペルシャ絨毯はウール製であることがほとんどです。日本ではシルクの方が高級というイメージがございますがウール製のペルシャ絨毯に高額買取となるものも多くございます。   ペルシャ絨毯には高値買取対象となり工房も存在します。 例えばクム産のシルク製ペルシャ絨毯ではジャムシディ工房が有名です。 またペルシャ絨毯は玄関マットのサイズからリビングやダイニング用のサイズと様々で、買取価格が異なります。   ギャッベはイランの高原地帯に住むカシュガイ族という遊牧民に伝わる伝統的な手織り絨毯となります。ウール100%の草木染めで科学染料や揮発性有機化合物を一切使用していないためアレルギーのある方でも安心して使えると人気の絨毯です。 ギャッベの文様は、ペルシャ絨毯のような緻密かつ絢爛豪華なものではなく、羊や山羊などの動物文様など自然をモチーフとした素朴なものが多いのが特徴です。   ギャッベは厚くふっくらしており冬暖かく、夏は逆に熱を逃がしやすく快適な絨毯です。 ギャッベも玄関マットサイズのものからリビングサイズとあり、買取価格が異なります。   ペルシャ絨毯を高額査定します ペルシャ絨毯の査定は、前提として本物かどうかが重要です。クム、タブリーズ、イスファハン、カシャーン、ナインなどイランで製造され、手織りで製造されたもの、手触りの良いものが本物と査定さます。 次に重要なポイントは「美しさ」です。色の深さ、素材の手触り、デザイン、密度が関係してきます。また、使用頻度が低く、汚れがないものは高額査定が期待できます。 変色しないように、カーテンなどで直射日光を当てすぎないように気をつけましょう。また、掃除機は絨毯の毛の向きにそって優しくかけてください。  
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xf-2 · 3 years
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コロナ禍による海外への渡航規制で、中国を含む渡航移植手術のあっせんを停止していた日本のあるNPO団体は、最近、渡航移植の案内を再開した。団体によれば、中国では「捨てられるほど」移植のための心臓と肺があるという。中国では、日本や米国より超短期間で移植手術が可能だ。これは、生きたまま確保された相当数の「ドナー」がいるためだとして、国際人権組織は深刻な人道犯罪の可能性を指摘している。
このあっせん団体は、心臓と肺移植の中国渡航移植を2020年10月に案内している。移植は「指定された移植センターの教授の執刀に限り、中国政府より招請状の発行が許可される見通し」としている。
この案内の3カ月前、ある中国人女性の技能実習生(24)が名古屋滞在中に重度の心臓病を患い、心臓移植手術のために中国に帰国し、武漢協和病院で移植手術を受けている。日本および中国のマスメディアは「日中命のバトンをつないだ」として話題にした。中共ウイルス(新型コロナウイルス)の世界的流行により、日本と中国を結ぶ空の便は全面停止していたにもかかわらず、両国当局は名古屋発武漢行きの特別チャーター便を手配した。技能実習生は、転院からわずか13日後に心臓移植手術を受けた。その間、4つの移植心臓が出処したという。人民日報が同年7月、「美談」として特集記事で詳細を伝えている。
この事案を、あっせん団体は2021年2月、日本における移植希望者への案内として紹介している。「藤田医科大から中国の武漢協和病院へ渡航した女性が、到着後13日目に心臓移植を受けられています。(短期間に4つの心臓が出処した)」(原文ママ)
別の文章では、団体は、出所不明な臓器の移植には関与しないと強調し、違法性を否定している。ドナーに関する説明では、「当事国の法令に従い医療機関が手配している。私たちは臓器の出どころに一切関与していない」。
ドナーは誰?
しかし、中国移植業界は、国際機関の第三者による現地調査を拒否しており、透明性が欠如している。中国衛生部や赤十字は、ドナー登録者が人口の約0.1%にすぎず、その上2015年から「死刑囚の臓器利用を停止」しているにもかかわらず、なぜ豊富な移植臓器が提供できるのかについて説明を行なっていない。また、ドナーが誰であるかを一切明らかにしていない。
あっせん団体は、法輪功迫害や新疆ウイグル自治区における人々からの「臓器強制摘出」について、過去の問題であるとし、現在進行形ではないとしている。
中国共産党体制による系統的な臓器強制摘出が今も続いていることは、国際的な人道犯罪を検察、人権弁護士、医師などの第三者からなる判事団が検証し、裁量する「民衆法廷」により明らかになっている。議長は、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷でセルビアのスロボダン・ミロシェビッチ初代大統領を起訴したジェフリー・ナイス卿。
英ロンドンで行われた民衆法廷の最終裁定では2019年6月、1年に渡り約50人の証言者や専門家の資料から、中国の臓器強制摘出は「合理的な疑いを超えて、中国でかなりの期間、極めて多くの良心の囚人からの強制臓器収奪が行われていることを確信する」との結論を下した。また、その最も多くの犠牲者は法輪功学習者で、近年は、大量収容が指摘されるウイグル族も含まれるとした。
中国共産党当局により大量拘束されているウイグル族は3グループに分けられ、そのひとつは「臓器摘出用」に分類されているとの情報もある。2020年1月21日付のメディア記事は、党高官と間接的な接触を持つ、光学技術者のエルキン・シディック教授の話を伝えた。
仲介者を通しての党高官からの機密情報だという。それによると、「中国共産党は100万人以上のウイグル人を各省に輸送・分散させ、彼らを3グループに分けている。臓器摘出用、生体実験用、ほかは分散させて殺害する(distributed killing)など、他の目的のためだ」。臓器摘出や生体実験の目的は、「共産党は広大な強制収容所を維持するための資金を使い果たした」ためであり、人身削減や資金集めを行なっているとみられる。
あまっていて、捨てられる
一般的に臓器移植は、亡くなったドナーひとりから移植可能な臓器が、各臓器の移植を待つ複数人の希望者に分配される。臓器の分配システムと呼ばれる。腎臓や肝臓は他の移植に比べて手術希望が多く待機時間は長い。
このあっせん団体によれば、中国では現地市民にとって心臓や肺の移植は高額で、需要は少ない。このため、なくなったドナーの身体から腎臓や肝臓は摘出されても、心臓や肺の多くは廃棄されているという。
腎臓や肝臓の移植の場合、臓器提供者は必ずしも死亡しないが、心臓や肺はドナーが確実に死亡(脳死を含む)した場合に限る。心臓や肺の移植が「超短期間で移植可能」ということは、いつでもオーダーの度に殺害される人々が、何らかの形で「確保」されているということだ。あらかじめ血液型と組織型の検査を受けた人々は、これらが合致する移植希望の日本人患者が注文する度に、殺されている可能性が高い。
日本は、渡航移植を極力抑制し自国内で移植努力を誓う国際宣言「イスタンブール宣言」(2008年)に同意している。
世界各地へ渡航移植のあっせんを行い、「その規模は日本一」と豪語するあっせん団体の理事は、大紀元の取材に対して、中国では「廃棄される臓器がある。日本では移植を待つ人々がいる」として、命を救う機会の提供ができることはイスタンブール宣言の主旨に反しないとの考えを示し、渡航移植の正当性を語った。また、宣言には法的効力がないことも強調した。
また、コロナ禍で海外渡航が規制されているが、あっせん団体に問い合わせをしている渡航移植希望者は、二桁に上ると述べた。理事は、移植希望者に対して、渡航先の状況や病院について紹介しながら「最終的には顧客が渡航先を選択している。中国を希望する場合もある」と話した。
あっせん団体は、中国へ渡航移植の手配を中心に活動しているとみられる。公開されている団体の事業報告書によれば、「海外医療事情調査」として過去4年間の全ての海外渡航について報告がある。渡航先の96%は中国で、2016年は12回、2017年は8回、2018年は7回、2019年は6回訪問している。
検死の開胸
あっせん団体は、法輪功学習者の迫害やウイグル族からの臓器強制摘出を否定している。団体は、中国当局が関与する組織的な臓器強制摘出、いわゆる「臓器狩り」ではなく、人権団体らが掲げる開胸痕のある被害者の遺体は、検死の開胸にすぎないと主張している。
迫害および臓器収奪の停止を、日本を含む世界各地で伝え続ける法輪功学習者は、バナーなどで、開胸痕の遺体写真を使用している。中国本土の法輪功迫害情報を伝えるウェブサイト・明慧網によれば、一人は山東省威海文登市の劉玉風さん、もう一人は、黒竜江省の王斌さんだ。2人は外的損傷で、死亡したとされている。
法輪功学習者に対する中国共産党の迫害は非人間的だ。警察病院では「生きたままの死体解剖、霊安室の冷凍庫で保管、ボイラー室で焼却処分」など、惨たらしく弾圧され殺害されるケースは明慧網で多数報告されている。この中国共産党の振る舞いから、中国の「検死の開胸」が必ずしも臓器取引を否定できるものではないと言える。
中国の気功修練法・法輪功は21年前の1999年、当時の中国共産党書記・江沢民が弾圧を開始した。静かな個人の修練にもかかわらず、中国共産党は「思想拡大は体制維持の脅威」と断じて警察、司法、メディアを駆使した全土規模の弾圧を開始した。時期を重ねて、中国各地では600以上の移植病院が建設され、免疫抑制剤の臨床研究が急増した。
「収容所内の人々は、国内外の臓器移植希望者のために、本人の承諾のないドナーとなり、臓器を強制摘出され、殺害されている」この戦慄の医療殺人について、2006年、カナダの人権弁護士デービッド・マタス氏とカナダ政府元アジア太平洋地域担当大臣デービッド・キルガー氏による独立調査報告書が公にした。調査団の後続の報告によれば、中国の年間移植手術数は6万~10万件で、犠牲者数はそれよりも多いと推計している。
この報告が明らかになった翌2007年5月、中国政府は「臓器移植法」を施行した。同法は臓器売買を禁止している。同年7月の通知文書「外国人への臓器移植の適用についての問題」では、旅行で訪中する外国人に移植手術を行うことを禁止している。しかし、地方衛生部は許可した外国人患者を受け入れている。同じころ、官製メディア・中国網は、衛生部副部長(厚生副大臣)で「中国移植界の権威」と呼ばれる黄潔夫氏の話として「全国に移植病院が600カ所、移植医は1700人以上いる」と報じている。
臓器移植病院が乱立する前、中国では移植法が整備されておらず、ドナー登録制度、臓器分配システムはなかった。にもかかわらず、年間数万件の移植手術が行われていた。
中国、渡航移植は「日本の問題」と強調
中国のオンライン百科事典で「ウィキペディア」に相当する「百度百科」に、移植ツーリズム(器官移植旅游)の項目がある。ここでは、日本は臓器の供給不足で、中国などに「移植渡航の違法なあっせんを行っている」と強調されている。
この項目には、2009年、広州の移植病院が日本のあっせん業者を通じて17人の日本人移植希望者を受け入れていた、との共同通信の記事を引用している。この記事は、人民網などの官製メディアにも転載され、中国全土で波紋を呼んだ。ネットユーザたちは、規則違反だとして、日本人の臓器移植手術を請け負った医師や病院に対し、厳重な処罰を科すべきだと主張した。
さらに、ある著名な中国ネット世論のインフルエンサーは、「同胞は臓器提供を待ち、病床で苦しみもがき死んでいるのに、(移植病院は)暴利のため���貴重な臓器を日本人に提供した」「国格を損なう恥ずべき行為は、抗戦期の漢奸(裏切り者)と、どう違うのか」と共同通信の報道を受けて厳しい反応を示した。当時、中国衛生部は関係部門の調査を行い、規則違反の病院は法令に基づき処罰すると発表した。
このように、中国国内では、外国人が中国で臓器移植を行うことに良い印象を抱いておらず、取り締まりを示唆している。状況に応じて、中国共産党は「法執行の完全性」を世論向けにアピールするために、渡航移植の関係者を拘束する可能性は否定できない。
実際、外国人の渡航移植を多く受け入れ、中国の移植業界の発展・拡大に「貢献」した、天津第一病院の東方移植センター長・沈中陽医師は、2020年1月に中国共産党全国委員会の委員資格を剥奪され、失脚した。沈氏は、日本で移植技術を学んでいる。
さらに、前出の2007年7月に発表された「外国人への臓器移植禁止」通知から3カ月後、日本人のブローカー長瀬博之氏が、上海市で逮捕された。中国渡航移植は、渡航者の身の安全をリスクに晒すいくつもの要素が存在している。
前出の民衆法廷の最終裁定で、議長のナイス卿は、臓器強制摘出を行う中国を「犯罪国家(Criminal State)」と形容し、中国との関係の見直しを促した。「医師、医療機関、産業、ビジネス―特に航空会社、旅行会社、金融機関、法律事務所、製薬会社、保険会社などは、自分たちが犯罪国家と関わっていることを認識すべきである」
(佐渡道世)
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横浜林市長のIR誘致について
林文子市長は先月22日の会見で「飛躍するにはIRが必要だと判断した。市の試算では、カジノが開業すればIR施設に年間2,000万~4,000万人が訪れて、法人市民税や固定資産税、入場料収入などで年間820億~1,200億円の増収が期待できる」と説明しました。
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このことでメディアが取り上げているのが〝反対派〟
メディアが“ハマのドン”と呼ぶ「横浜港運協会藤木幸夫会長」と地元ヤクザの反対運動です。
横浜がカジノを設置しようとしている場所の近くには『日本3大ドヤ街(東京山谷/大阪西成)』と呼ばれる地区があって日雇い作業員の派遣事業がチンピラ企業のシノギになっています。
このチンピラ企業は風俗店や違法カジノと関連しているので、横浜にカジノができるのは死活問題になります。
しかし、「俺を殺すか、どこか拉致するか、俺が死ぬか、それしかない。俺が生きているうちはダメだ!」とカジノ誘致に反対しても、その反対派の影響は皆無なので「ダメだ!反対だ!」と誰がどんなに騒いだところで、その影響が反映されることはありません。
IGAが注目するのは「IR誘致」です。
それと、横浜市の場合は「入札」についても問題があります。
横浜市はIR誘致に向けた資料づくりとして『IR(統合型リゾート)等新たな戦略的都市づくり検討調査業務委託』の入札で、国会で水道事業者からの接待疑惑が追及された菅長官の元補佐官の出身企業「EY新日本有限責任監査法人」の名前があり、市役所内でも『長官案件』と理解されています。
横浜市の役所には専門家がいないので、行政が関わるIR誘致は無理です。
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《IRとは》
IRは「統合型リゾート」を意味する案件用語です。
簡単に説明すると「カジノありきの国際観光関連イベント誘致プラン」ということです。
賭博法についてはマスメディアが騒ぐほどの問題は全く無く、現実的には風営法など複雑な法律が絡んでいますが、政府の目論見は「世界中の企業が集結して開催する超巨大イベントの誘致」です。
背景には日本政府が枯渇する歳費に「外貨収益」が必須になっている台所事情があります。
現状で日本の収入源は「国民からの税金搾取」しか無いのです。
まとめると以下の通りです。
①巨大な展示会イベントを開催できる会場を作る
②巨大な施設を維持する為にカジノを作って管理維持費用を捻出する
③カジノだけでは法案が通りづらいので、ホテル事業者に投資させて宿泊施設を開業させる。
④キャンブラーと企業だけのメリットが目立つので、ショッピングセンターや飲食店、映画館などエンターテインメントを取り入れたM I C Eを条件にする。
⑤カジノは、法律を改正するのではなく、風営法の範囲内で現行の刑法から阻礙することで合法化とする。
と、しています。
すなわち、箱物は維持費がかかるから、その費用をカジノで埋めよう。という考え方です。
IGAは、この発想に大反対し猛反発するものです。
考え方が甘い上、現実的な発想ではありません。
現実を知らない人たちには魅力的な話ですが、現実は極めて厳しいものです。
今回のIR法案で設置するカジノは全て失敗します。
絶対に成功しません。
間違いなく大失敗です。
従って、横浜でも大阪でも無理です。
経緯は次の通り。
必要性については以下の背景から理由付けられました。
①年々歳費(国家予算)が増加しているのに、収益が減ってる。
②消費税やこじつけ税なども限界。
③日本国内資源が枯渇したので、外貨収益が激減した。
すなわち、日本が現状維持するための国家予算が、今のままでは足りなくなるということです。
日本には収益を得る自然資源が0なので、外貨を稼ぐ必要があります。
コンピューターや製造業は国内生産高が低いので、安倍政権は政府が一丸となって投資する政策に全てをかけています。
投資はギャンブルです。
安倍政権はギャンブルで日本の国家予算を維持し、確保しようとしているのです。
その中で、カジノを合法化することで外資企業から莫大な投資を得ようと考えたのが「統合型リゾート」の発想の原点です。
〝IR〟は、カジノを合法化しようと考えたことからスタートしています。
まず、カジノを合法化させるための理由付けが必要です。
最初に目を付けたのが「展示会イベント」です。
欧米やシンガポールなどでは巨大な展示会イベントが開催され、その収益は莫大な金額です。
日本も世界規模の展示会イベントを誘致しようとしますが、企業やプロモータは日本を選びません。
その理由の1つは、会場が無い。ということです。
世界���模の展示会イベントを開催する大きさの会場が日本には存在しません。
例えば、オリンピックを誘致した東京を見ても、東京だけでは会場を確保できず、関東圏に拡大しての開催になりました。
そのため、この世界規模の「巨大展示会イベント」を日本で開催するために、巨大なコンベンションセンター(展示場)を建設しなければなりません。
しかし、数千億円の費用と箱物を管理維持する費用は日本政府が捻出することはできませんし、日本の企業でも投資メリットが無く現実的では無い。という話で、カジノを合法化すれば数千億円を投資する外資企業が現れた。ということです。
そこで、政府は「IR」として巨大なコンベンションセンター(展示場)を建設するために外資企業から投資を得ることになります。
そして、法案を通すために「M I C E」という政策を立ち上げて全国の自治体に巨額の助成金を匂わせます。
地方自治体のメリットは、恒久的な収益の確保でした。
M I C Eは、長期的な展示イベントや巨大企業の勉強会を開催する政策を意味します。
魅力は以下の通りです。
①業界全体での展示イベントを開催できれば、日本国内は元より世界中から企業がブースを出展します。
②企業がブースを出すことで、会場周辺に長期間滞在するスタッフが集中します。
③イベント開催期間の前後も関係者が滞在することで、長期間周辺飲食店が儲かります。
④展示イベントは、企業の新入社員や新規事業のスタッフが勉強会の機会とすることが慣例で、欧米の企業は家族を連れて参加します。
⑤展示会イベントで働くスタッフの家族は、その期間に開催地で観光します。
ということで「観光庁」ができました。
国土交通省が兼任していた「観光」という分野を国家戦略のトップに位置付けようとしましたが、人材がいません。
結局、国土交通省の担当者が全員、そのまま移行したので、観光庁は全く機能していません。
フランス観光局からは「日本の観光庁は最悪」と機関紙で酷評しています。
成功メリット
①外国人が日本国内で大金を使ってくれる
②国内の観光ツアーが増加してお土産店や飲食店の売上増加
③飲食業界が儲かる
④日本国内の様々な関連企業が儲かる
⑤宿泊施設の売上増加
⑥日本のサービス産業のレベル増加
⑦その他、関連産業のメリット
これらの政策を日本では「M I C E(マイス)」と読んでいます。
デメリット(成功できない根拠)
①その巨大な会場を利用する企業やプロモーターが日本を選ばない
②20年前、世界中のカジノは少なかった。令和時代、カジノは世界中に存在し、日本の法案で作られるカジノに魅力を感じるプレイヤーがいないので、カジノを作っても収益は見込めない。
③IRが成功する条件は〝業界エンタメ〟ですが、日本での成功例が1度も無い。その理由が理解されていない為、開国の観光局からバカにされてしまう。
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《法律について》
弁護士や警察官でも知らない「賭博の法律」
ご存知でしょうか ? 
日本に「国民個人に対して賭博を禁止する」という法律は存在しません。
「賭博に関する法律」
刑法185・186・187条
江戸時代に作られた法律が全く変更されることなく令和の時代にも適用されいるもので、江戸幕府は「組織的な賭博を禁止した法律」として、開張と、その賭場で博打をする者に刑罰を与えるという法律です。
個人が賭け事をしてはいけないという法律は現在でも作られていません。
江戸時代の刑罰は、初犯は「科料」から始まり、流刑になり、開帳罪では死罪もありました。
幕府は「賭博開帳」を取り締まるために、賭場で負けた借金や物品を取り立てられた場合、それを帳消し、時には取られたものを返還する。という御触れも出しています。
賭け事は許可されていました。
罪になるのは「賭博をした者」ではなく「賭博を開帳した者と組織」に対して作られた法律なのです。
従って、憲法に触れる刑法の改正をする必要は無く、その刑法を阻害して賭博場を許可する法律が新たに作ることが可能にしています。
マスコミや専門外の弁護士がテレビや各種メディアで誤った解説をしているから複雑になっていますが、賭博罪に関わる「刑法185・186・187条」の全ては組織犯罪法のことで、厳密に云えば、日本国民個人が賭博をしただけで罰せられる法律は日本に存在しません。
江戸時代から現在に続く「賭博法」の原点は、詐欺などの組織犯罪によって、騙された者が他の犯罪に走る。または、借金返済の為に暴力団や犯罪組織に加わる。という犯罪増加に繋がることを阻止する法律です。
現在では、ギャンブルの種類も急増して複雑になっています。また、機械化されたことで「ギャンブル依存症」や「マネーロンダリング」の2大課題が注目されるようになています。
江戸時代と令和の違いはこの2点のみで、法律の趣旨に違いはありません。
岩屋氏は「ギャンブル等依存症対策基本法」や「カジノ管理委員会」を設置して対応すると説明していますが、新たな利権が生まれ、その大きな利権を巡って天下りが過熱することは避けられません。
現在のIR法はザル法で、このままカジノが開業することになれば大きな損失は避けられないでしょう。
日本で唯一の専門機関内閣府認証非営利団体として、対策する必要がありますが、こちらも人材が育っていません。
日本の未来が心配ですね。
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《IGAとは》
内閣府認証の日本で唯一の専門機関で「国際ゲーミング協会」のことです。
目的は、「テキサスホールデムの〝トーナメント〟を日本の観光事業として確立させめ為の活動をしている団体」です。
活動内容は・・・
①テキサスホールデム・トーナメントの開催規約とルール策定
②上記のトーメント開催に必要なディレクターとディーラーの育成
③トーナメント専用のプロプレイヤーを育成する
④トーナメントのエンターテインメント運営と企画
⑤日本全国でのトーナメント誘致と配給
⑥テキサスホールデムの機材デザインと販売
⑦テキサスホールデム・トーナメント全般のプロモーション
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ishikawajimusyo · 1 year
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おっきなフロアで、更に複数階に渡る『会社事務所』さまにて、内部計測📏 広いし、棚や間仕切り多めで、⚠️通常業務中⚠️という事も有り、社員の方々を潜り抜け、神経をすり減らしながらやってきたー😆疲れた〜。。 #土地家屋調査士 #女性行政書士 #海事代理士 #行政書士 #YouTube #石川温彦 #測量 #図面 #計測 #足立区 #境界 #西新井 #トータルステーション #測量機 https://www.instagram.com/p/Cqcip8puVFT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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okuizumi-risako · 5 years
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動きはじめる身体のために
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 かつて、世界は今よりずっと、見通せるものだった。だだっ広く広がる土地には、はるか遠くに、水や地面の終着する線だけが見える。教科書で習った知識に基づけば、その線の向こうは、きっと地球が球体であるから見えないのだろうし、はるか遠くの地面の小さな凹凸がまるで気にならないのは、われわれの視力が、そこまで鋭敏ではないからだろう。それから長いときが経って、世界の多くは、細かく細かく分割され、整備された。そこで暮らす人間の分だけ家ができ、彼らが快く暮らせるように、数多くの機能を持つ構築物が生まれた。川の向こうに難なく渡れるようにもなり、地面から離れた場所に上っていく経験を簡単に得られるようにもなった。辿り着ける場所が広がるにつれ、街は見通せなくなっていった。身体の自由はおそらく増えた。人は、かつての人が、一生のうちに移動していた距離をずっと超えて、想像できたよりもずっと突飛な場所に、行けるようになっただろう。そうして、目は、随分と近くを見るようになった。構築物が周囲全方位から眺められるということは、ほとんどなくなったし、見えないくらい遠いものに出会うことも少なくなっていった。目は、多くの制限を受けるようになったとも言えるし、目のための足掛かりが、この世にたくさん作られたとも言えるだろう。
 意識を持ち、自分の身体が自分のものだと気づき、概ね自由に動かせることも把握したとき、人は、世界が自分の身体とは関係なくただ周りにあるのだ、ということをすでにわかりはじめている。さて、どこまで関係なく、しれっと存在しているものなのだろうか、なにせ私たちは、この地面に支えられているのだ、この壁のせいで向こうが見えないのだ、この窓のお陰で陽を浴びるのだ。身体と世界の関係、と言ってしまうと随分と大げさな響きだけれど、身体と身の周りのもの、自分の扱う範囲で言えば、身体と建築の間にある緊密な関係、そこに興味のすべてがあった。身体が動けば、見えているものは変わる。乗り物の動きに合わせて、車窓から見える風景が後方に滑っていくのと同じように、世界は、建築空間は、私の身体の動きと逆方向にぬるりと動いていく。そしてその身体の可動範囲は、建築によって定められている。床がなければ進めやしない。建築は、人の身体の位置を規定しながら、人の視覚の中に動きとして立ち現れるのだ。そして、足掛かりのたくさんあるこの世の中で、視覚は身体よりも、遠くまで届く。建築空間は、動きはじめる身体のためにあった。そして、動かずに建築を訪れる、ということはできない。
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 leaf throughという言葉を、タイトルに掲げてみることとした。自分の思う建築体験を、的確に表していると考えたからだ。〈(本の)ページをめくる、ぱらぱらと繰る〉というこの言葉には、フリップブック、いわゆるパラパラ漫画についての記述を読んでいたときに、ふいに出くわした。『観察者の行方−ポスター、絵本、ストーリー・マンガ』(鈴木雅雄) の中に出てくるその記述は、映画と同時代、19世紀末以降に流行・定着したこの装置を取り上げて、” 単純と言えばこの上なく単純なこの遊具が、映画の時代にそれと並行して存続し、今にいたるまで命脈を保ってきたという事実には、何か感動的なものがある。それは映画の代理ではなく、自らが出来事を作り出しているとともに、その出来事が自らとは切り離されたものとして現象してしまうというあの矛盾した体験−動いてしまうイメージという体験−を、何度でも生成させるためにこそ要請された装置ではなかっただろうか。” と、装置のもつ〈運動を自ら操作する〉という側面に重心を置いたものである。ここに続く記述は、女性が衣服を脱いでいくようなポルノグラフィックなフリップブックが多数存在することを取り上げ、単に〈彼女〉が服を脱ぐだけでなく、〈私〉がその出来事を作り出すということに対する、危うい欲望に触れている。“ 私は出来事を作り出し、そのスピードを操作することさえできる。思いのままに出来事を止めて、気に入ったポーズに見入ることすら自由なのだ。それは単に運動への欲望ではなく、動かすことができ、また止めることもできるという驚異への欲望である。”
 この危うい欲望は、建築空間を体験するわれわれの快楽そのものだ。ある空間は私たちを、機能や好奇心などの要請により、その先へと歩かせる。そのとき私たちは、身体の動きと逆方向にぬるりと動きながら、徐々に展開していく建築空間に直面するわけだが、足を早めればそのスピードは上がり、のろのろと歩けば緩やかになる。また、ぴたりとその動きを止め、もと来た道を引き返し、それ以上知らずに帰ることもできる。さすがに、ばっとページを開くように、ランダムなあるシーンだけを不意に知るということは、実空間には難しいが−ただ、建築写真などで、不意に知ってしまうこともある断片的なシーン同士の繋がりを、実際に流れで見てみないと全貌は知り得ない、という点は、また似ている。知ってしまっても、何度でも、もう一度見ることができる。先ほどとはまた違う速度で。少し違う角度で。建築空間は、視点の埋め込まれていないフリップブックだ。対象を観る目の角度は、鑑賞者が選ぶことができる。場合によっては別の順番で観ることもできるし、〈私〉と同時に、横に並んで入った〈あなた〉の目に展開する建築空間は、また少しだけ角度の違うものになるはずであるし。
 建築は時間芸術ではないというのは自明すぎる命題だが、映画や音楽と比較するとそうなのだ、と言えるだけであり、実際には、流れていく時間と切り離して語ることはできない。鑑賞する目、もちろん目に限らず、空間を知覚する身体は、その身体能力によって制限を受けている。フリップブックをめくる速度がどんなに自由だと言えども、実在する紙である以上そこには限界があるように、空間を体験するわれわれの身体には、歩く速度、走る速度、見える角度や視野などの限界がずっとつきまとっている。動いていく身体とともに、ある程度規定された見えが移り変わっていく���という当然の事実を、あらゆる建築物に当てはめてみるところから、リサーチを始めた。
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 〈第一の部材としての身体〉と名付けた1つめのリサーチは、物質として立ち現れ、この世に確固とした存在感を放っている建築物と、それをふらりと訪れる〈私〉の身体の位置関係を記述したものである。空間は、〈私〉以外のものとして体験することはできないために、このリサーチはかなり主観的な性格を帯びるはずだが、〈私〉がごくごく一般的な〈人間〉の形をしている以上、記述されている図は一般化できるものになる。図はすべて〈鑑賞者の身体の位置を含んだ空間構成のコンポジション〉だと言い換えられる。そして、コンポジションの問題として扱うと、広大な地平線から展示室に置かれた椅子までを、身体との位置関係で見え隠れするものとして並列に考えることができる。こうして、furniture・architecture・landscape・earthという4つの区分で、今までに訪れた建築における空間体験を記述していった。
 リサーチは、ひどく単純なところから始まる。初期のいくつかの図版が示すものは、ドイツ・ケルンにある教会Bruder-Klaus-Feldkapelle、スリランカの名作ホテルLunuganga、ドイツ・ミュンスターの中心街にあるLWL-Museum für Kunst und Kulturなどに通じる、身体の動きと共に移り変わるシークエンスである。ここでは、自由に歩く鑑賞者に委ねられていると言えるはずの建築空間の体験が、外部からの要請によって生まれる〈人間〉一般の常識的な動きによって、思いのほか画一化されていることが見いだせる。例えば、広大な広場の上に道が1本あれば人はその上を歩くし、ホテルに到着し荷物を置いて腰掛けるとき、身体の向きはベンチに影響される。階段を後ろ向きで上ることもないし、空間の幅によって見通せるものは定まる。図面には身体に対して持っている強制力があること、やさしい言葉を使えばエスコートの意図が張り巡らされていることを再確認することができる。
 この動きと連動した視界の変化は、アサヒビール大山崎山荘美術館の下り階段や、Boa Nova tea-houseのエントランスのように〈徐々に視界が閉じていく/開けていく〉など、人間を包み込む空間全体に影響する使われ方をする��ともあれば、Tomba Brionの、手前の飾りと奥のスリットのように〈観る位置によって揃って/ずれて見えてくる〉ことで、身体の位置により細かな影響を及ぼすこともある。また、Church in Marco de Canavezesの祭壇の向こう側の〈観る位置にかかわらず見えない〉空間を構成する角や目地などのように、視線の届く範囲を制御することによって、建築物側を知り尽くせないものとして保つ、ということもあり得る。
 身体の位置をさりげなく/強制的に定める建築物によって作られるのは、建築空間の立体的な造形に対する〈観察者の位置〉である。動きを伴う場合、移動していく〈観察者の位置〉は、空間を動くカメラワークの動線のようなものであった。続いては、この動線の中で、人がふと足を止めるような場面を想定するときについて考えてみる。もっともわかりやすく極端な例は、Villa Malaparteだ。この作者不詳のヴィラは、Jean-Luc Godardの映画に登場したこともあり名が知れており、容易に場所を知ることもできるが、敷地に向かう道は途中で、扉と有刺鉄線により閉ざされている。恐らく数多の人間がここまで来たのだろうという証拠に、インターネット上にはその扉の前から撮影された、一定の角度のVilla Malaparteの写真が並ぶ。ここでは、立ち入り禁止という強制力によって外観を見るための〈観察者の位置〉が限定され、逆説的にその建築を代表する外観のショットが決定されている。
 多くの建築物においては、Villa Malaparteの例のような動線の行き詰まりとは無関係に、立体的な造形に対する気持ちのいい見えというものが存在する。これは、建築のファーストイメージが描かれたドローイングのように、設計者によって意図される場合もあるだろうし、偶然生まれる場合もあるだろう。また、外側から建築本体に向かう視線ではなく、景色を観る外側への視点場として設定される場合もある。いずれにせよ、つい足を止めて眺めてしまったり、カメラを取り出したくなるような場面についての話である。リサーチの図版を見ていくと、建築物のもつ象徴的な見えというものが、その建築のもつ平面・立面・断面形状という独立した形の問題である以上に、どこから眺め得ることができるか、というその土地の制限に関わる〈観察者の位置〉の問題であることが浮かび上がってくる。
 例えば、スイスの山奥に建つCappella Santa Maria degli Angeliでは、山を登り入り口までまわり込んでいく道の途中で、山頂に突き刺さるような教会全貌の造形を真横から眺めやることができる。建築家、Mario Bottaがどんなにこの見えに拘り完璧な立面造形を作り上げたとしても、この道がなければこの見えに到達するものはいなくなるのだ。もう少し偶然に近いもので言えば、FirminyにあるUnitéd’Habitationの台形形状の列柱が挙げられる。この柱と柱が重なる見えは、三角形の空隙を作り出す。この空隙に丘の上で遊ぶ子供がボールを追って入り込んでくると、この三角形は、ユーモラスな光景を再生し出す窓として機能し始める。また、見通せたり覗き見たりできることばかりではない。パリの都市部に建つTafanel Logistics Hub and Officesは、長く長く続く三角形の連続屋根が特徴であるが、あまりの長さと都市部の道の狭さにより、どんなに身体を目一杯引いたとしても全貌を視界に収めることはできない。
 このような事例から、建築において重要な問題は〈どのような形が存在するか〉ではなく、〈どのような形に対し、どの位置に立つことができるか〉であることが実感される。そしてこの先、空間を移動するカメラワークのような動いていく身体、また不意に足を止めシャッターを切るような静止する身体が、純粋なビデオ・カメラではなく、われわれの身体、曖昧な知覚を持つ〈人体〉であることが問題になっていく。
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 形と身体の位置の書き出しは、観る位置と角度の問題にとどまらない。このリサーチが単純なコンポジション以上の問題を含み得ることに一番初めに気がついたのは、ブリュッセルの町外れにあるKersten Geers David Van SeverenのDrying Hallに、車で近づいたときの体感である。この建築物は出荷前の植物を24時間乾燥させるための風通しのいい倉庫であり、白く閉ざされたような外観をしている。この倉庫の周囲をぐるりと周って内部に車のまま入り込み、内側の壁全面から外の景色を透かし見ることができた瞬間、一体どうして、と息を飲んだことを覚えている。知ってしまった今では単純な話であるが、風通しのために倉庫の壁は小さな穴が無数に空いた素材でできていて、走る車の中からは確認できなかったが、車を降りて近づけば、光が差し込む方に透けている理由も端的に理解できるというわけだ。
 ここで、建築物からの身体の拘束方法に〈乗り物〉という可能性が足されると共に、〈視力〉という〈観察者の位置〉よりも、一歩人体側に踏み込んだ要因が取り上げられた。Azkuna Zentroaの多様なデザインの柱にひとつずつ近づいてみたくなってしまうことや、Insel Hombroich Museumの異様に遠く美術館本体がなかなか見えてこないアプローチも、視力と造形の問題になるのだろう。そして、視力の問題が細かいデザインに用いられているのが、集合住宅OFFICE 131の屋上にある柵である。この柵は、細い縦部材と少し太い横の部材で構成されており、その端部はすぱっと断ち落とされたような状態になっている。地上階から眺めるしかない住人以外の人々にとって、断ち落とされた柵は、密接する隣家の壁に接続しているように見えるのである。
 また、Grundtvigs Kirkeの美しい全体造形が、近づいていくほどに異様なレンガのディテールとして現前することも、無関係ではないだろう。このとき〈観察者の位置〉が変わることによって起こるのは、単に見えていなかった細かい部分が見える/見えなくなる、ということ以上の、見え方の変化である。漠然とした空間の形、が、積み方のわかる煉瓦の集積へと瓦解していくこと。見る距離と視力によって変化するのは、空間から捉えられる意味の総量でもあるのである。〈見る距離と視力によって、空間から捉えられる意味の総量が変化する〉ここから派生していくのは、人間は見たものの意味を読み取る、という、目が紐づいている身体を含めた側面と、人間の視覚と距離の関係、視覚自体の性能という側面である。
 前者は、建築のボキャブラリーとしてしばしば登場する。人は何かを見た瞬間にその対象を自動的に理解しようとする。自分の周囲で起きていることや、視界に入り始めたことを、秩序立て理解できるものに変換する。その精度は必ずしも正確なわけではないために、一瞬で受けた印象が実空間とは異なるものとなり、続けて体験する空間から意外な印象を受ける、というようなことも起きる。ここでの好例は、富山にあるミュゼふくおかカメラ館と、イタリアの海岸沿いに建つOscar Niemeyer Auditoriumである。円筒形がパッと目につくミュゼふくおかカメラ館は、その内部形状も同時に想像されてしまうような、明快な佇まいをしている。しかし、エントランスから内部に入ったときに見えるものは、想像していた円筒の内部ではなく、あるはずのない奥行き方向に伸びていく空間と中庭である。Oscar Niemeyer Auditoriumにおいても似たようなことが起きている。外観で特徴的なアーチ型の形状は、奥に見えるホールの空間の硝子に近づき沿っているように見える。しかし、裏手に周りそのアーチのなかに入り込んだとき、思いのほか広いその隙間から不意に海を見渡し、私たちは立ちすくむ。
 一瞬で受けてしまう初期の印象、は、部材や素材の話と接続することもある。スイス、Plantahof Auditoriumの建築全体を支えているような部分。大阪に建つ住宅Tritonの、一見すると分厚い石に見えるファサード。空間体験ではっと立ちすくむこととはまた別の、意味により絡め取られるような足止めも、建築には起こり得る。
 そして後者、人間の視覚と距離の関係は、意図的に設計へと活かされるというよりも、自然の摂理として起きていることだと考えられるが、顕著に現れているものとしては、パリに建つCinémathèque française、また、ローマ近郊の都市EURにあるPalazzo della CiviltàItalianaのことが思い出される。
 Cinémathèque françaiseでは、大小さまざまな造形を施された搭状の空間が上に伸びており、それらを地上階から眺めやる天窓が作られている。この天窓から見える上の部分は、ほとんど垂直に建っているはずのものでありながら、中心部に向かって、ぎゅうと密集しているように見えてくる。遠くのものは小さく、近くのものは大きく見える。また、これは聞いた話だが、Hagia Sophiaの大空間の内部では、同時に視界に入る、人間の近くまで吊り下がる照明と遠い天井の動きの差異を観ることで、遠すぎる天井への妙な実感が湧くという。距離と大きさの問題は、距離と移動速度の問題でもある。
 Palazzo della CiviltàItalianaで扱えるのは、距離と立体感の問題である。近づいてもかなり抽象的な造形を持つ建築物だが、不気味なまでの存在感を発揮するのは、都市を横断する道路沿いに遠く遠く離れたときである。道路の中心に見えるこの建築は、決してよれない紙をぺらりと置いたような、平面的で硬質な様相を帯びている。マッシブな造形が紙に姿を変えてしまうというのは一体どういうことなのか、を考えていくと『観察者の系譜−視覚空間の変容とモダニティ』(Jonathan Crary)、及び『造形芸術における形の問題』(Adolf von Hildebrand)のなかで度々触れられている、目と視覚対象の距離の問題まで遡ることができるだろう。
 以上、建築と建築を観る身体の位置、というシンプルな記述方法から、観る位置、順番、角度、距離に留まらない、視力、見立て、判断、遠近法、移動速度、触知的な視覚と遠隔像、などという、さまざまな視覚の問題が立ち上がった。これは建築の、身体と世界の間に建つ触媒のような側面に着目して設計を行うための試論に向かう、足掛かりである。
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 リサーチ〈第一の部材としての身体〉で触れてきたのは、既に存在する建築物を注意深く観るための技法であった。つまりここでは、物質の実際の建て方を扱う設計者という立場以前に、観察者としての立場に立って調査をしていると言える。また、建築物は原則として実際の世界に建つものであるし、調査方法も〈実在のものを/実体験をもとに〉と限定していることから、ここまでで提示されているのは、自然の摂理に即した、ありのままの世界で起きている現象である。
 観察から立ち現れる建築とはなんであるか。設計、という行為は、まだそこにないものの組み立てを定めることだと言える。そして、まだそこにないものを作り出すとき建築家は、その敷地と、そこに作られるであろうものに対する0人目の観察者であると捉えられる。いかになにもない敷地だとしても、現実の世界である以上は、完全になにもないということはない。建築を建てるということは、敷地と敷地の周囲に既にあるものを観察し、その中心にある空白に、身体と目を制限するような場を増やしていくことに他ならない。
 ここで着目し始めたものが、映画、小説、漫画、アニメーションなどの〈なにもないところから世界を立ち上げる〉視覚文化の表現技法である。
 なにもないところから始まる表現芸術において、描かれないものは存在しない。このとき古くから人は、現実に存在するものをいかに正確に書き写しとるか、ということに拘ってきた。表現芸術の発展の歴史をすべて追っていくにはあまりに力不足なのだが、例えば、カメラ・オブスキュラに関するJonathan Craryの記述、 ”視覚的=光学的基盤を理解していた者にとっては、この器具は、完全に透明に働いて、再現=表象(リプレゼンテーション)の光景を提供してくれるものだったし、原理に無知な者にとっては、それは幻覚=幻像(イリュージョン)の快楽を与えてくれるものであった。” これだけを見ても、現実世界の表象を取り出し切り離して観てみること、に価値が与えられていたことは明らかである。また、有名すぎる話だが、Eadweard Muybridgeの撮影した写真から、人々が走る馬の正確な形を初めて知ることができたことなども、身の周りの物事は技術の発展とともに徐々に把握されはじめ、真実に近づいていった、という流れが感じられる代表例だろう。
 しかし、物語世界−必ずしも、物語(ストーリー)を伴うわけではない、作品世界−を作り上げようという欲望は、そのように現実の写しとしての精度を上げていくことだけに執着した訳ではなかった。ここから、現実を再現=表象するだけにとどまらない幻覚=幻像への欲望、正確さを欠いていたとしても魅力的な架空の世界を描き出すこと、への舵取りが始まる。この方向性の先には、3DCGなどを駆使したあたかも実在するような虚構を描き出す道も想像されるが、ここで注目していきたいのはそういった〈過保護〉な表現ではなく、観察者である受け手本人の身体に補われることによって完成する、物語世界の表現手法である。
 例えば、建築に近しいものでいうと、現代アニメ���ションには、遠近法やイラストレーションに馴染んでいる私たちであれば容易に空間を認識することができる、簡潔な表現が多数見受けられる。なにもない場所、奥行きも動きもない場所に空間性を描き出すようなアニメーションの試みに関しては、( http://okuizumi-risako.tumblr.com/post/175221555384/奥行きなき世界の奥行き) にまとめている。また、フレームを固定し、その内部に描かれるキャラクターの大きさが変わることによって、キャラクターが接近していると思わせる漫画表現や、登場人物の顔が画面に近づくにつれ、睫毛など顔を構成する部分が仔細に描かれるゲームやアニメによく見られる手法などからも、現実の世界の見えを紙面や画面の中で再現=表象し、より効果的に感情を喚起させるような工夫を感じられる。また、より普遍的な、ふきだしやテロップ、ワイプなども、見慣れているから疑問を感じないというだけで、かなり独創的な、声や別空間の表象方法の確立であると見ることもできるだろう。これらに共通するのは、鑑賞する身体が、その表現物が前提とする規則をきちんと理解し、必要に応じて現実から関連項目を引き出し重ね合わせてくれるだろう、という、観察者の身体への素朴な信頼である。
 忘れてはならない前提は、多くの視覚芸術が前提としている観察者の目の動きは、さほど自由で多岐に渡るものではないということである。観る距離によって像を正確に結ぶ絵画や、観る位置の差異により像を切り替えるレンチキュラーなど、わずかな身体の微動をその想定に含むものはあるが、基本的に視覚芸術は、動かずに対象を見つめる身体のことを、鑑賞者と呼んでいる。これは〈動かずにはいられない〉建築の鑑賞者とは大きく異なる。そのため、視覚芸術の中から見つかった技法は〈物語世界で自由に動くことのできない〉鑑賞者が〈実在しない〉虚構を見出していくこと、つまり、こう描かれたものはこう見えるはずだ、という視覚の仕組みの側からの逆引きにより、虚構の世界が構築されていくというわけだ。このとき、人間の身体こそが、見知った現実世界の情報を適度に虚構世界に照射して、描かれた世界を立ち上げていくための装置となっている。
 よって、視覚芸術を観る身体と、表現されている虚構のバリエーションを見ていくことは、人間の知能の中で行われる処理の構造を知ることに繋がる。しかし、ここで建築との大きな差異として立ち現れるのは、観ている身体が動かない、ということだけではなく、観ている身体が、その身体が誰であれその鑑賞がいつであれ、ある一つの点/シーンごとに切り替わる一つの視点に固定されているということである。映画館の座席は、その位置によって異なる鑑賞体験を期待させるものではない。受け手���性格・感情・その日の気分など不確定な要素が鑑賞体験に影響を及ぼすことや、ある一つの作品が人によって異なる受け取られ方をすることはあれど、視点の位置は固定されているのだ。それにより起こるのは安全圏にいる鑑賞者の特権化であり、それ以前に立ちはだかる作者の特権化でもある。鑑賞者は与えられるままに、安全な場所から目の前で起こることを享受し、飽きたら消してしまうということができるし、作品に目を留めている以上は、その目の位置を定めているのは作者である。
 さて、建築の場合も、ある程度の身体の位置は設計者により定められており、その範囲の中で鑑賞者は自由に動き回ることができた。このことだけを考えると、あらゆる視覚芸術と比べて、建築はもっとも自由で能動的なものであると言えるような気がしてくる。けれども実際には〈鑑賞物〉と対象を括った時点で、私の身体とは無関係な鑑賞対象、見る−見られるという二項の向こう側に対象を当てはめてしまうものであり、身に迫る鑑賞、自分の身体にまで影響を与えてくる鑑賞というものは難しい。
 もっと言えば、建築は〈鑑賞物〉として享受されているのだろうか、という疑問すら湧く。建築を観る、という意識は、本来建築を観に行くのが好きな人だけが使う言葉だ。一般的に建築というのは、生活のために必要で、機能に合わせてその場の雰囲気に寄与することもある〈道具〉であると捉えるのが妥当だろう。あるいは、広義の建築…屋外広場や、東屋の屋根、そのような漠然とした建物未満のものも含めて考えると、建築というのは床があり、そこに立つことができ、ときに屋根や壁があって風や雨から身が守られる、というような、生まれたときから親しんでいる世界そのものと同じ見えをしている、というべきかもしれない。いずれにせよ、建築を観はじめた、建築を観終わった、などという判断を下すことは、実生活においてほとんどないものだと考えた方がいいのだろう。建築は〈世界〉と〈生活〉のあいだで透明化している。
 以上のことから、鑑賞している身体とその鑑賞物(あるいは、身体とその視界に入っている物)は、それが実空間にせよ物語世界にせよ、その関わりが意識されにくいものだと言える。鑑賞物は、人間の知覚能力に半分乗り上げるようにして立ち現れているというのに。
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 ここから、視覚文化に対するリサーチは、漠然とした鑑賞者に対する工夫を集めるものから、無自覚のうちに、観る側、という立場に安堵しきった鑑賞者を揺さぶる可能性のある表現を探る試みへと変わった。その取っかかりとなった、安全圏を脅かされることに関するテキストは( http://okuizumi-risako.tumblr.com/post/175562702374/観客の安全圏) であり、ここでは、パフォーマンスアートのように見られる身体が現前する例からはじめ、どちらかというと映像の中のものごとを自分ごととして受け取れるような、感情移入に近い問題を扱っている。ただ、感情移入の問題は〈現前する事象が自分のいる世界線とは切り離されている〉という前提のもとに、それでも入り込んでしまうものとして有効なのである。目の前の現象も、全て現実の出来事であるのが当たり前である建築の場合、この話はあまり有効だとは言えない。
 ここで思い出しておきたいのは、”〈私〉と同時に、横に並んで入った〈あなた〉の目に展開する建築空間は、また少しだけ角度の違うものになるはずである” という、この文章の序盤で確認をした事実である。建築において特筆すべきことは、その空間を体験しているのはあなたひとりではなく、同時に体験しているいくつもの身体があること。そして、その身体たちにはそれぞれ、空間を立ち現せる知覚の能力があり、その身体は別々の角度から空間に対面しているということである。
 
 視覚文化のうち、鑑賞者に影響を及ぼすような表現を探っていくと、このような、異なる水準に属する人・物たちがその階層を明らかにするような表現に出会うことがある。例えば、クロアチアの現代アニメーション作家による『Technement』では、SFのようなテイストで描かれた登場人物たちが物語を進めていくのだが、最後のシーンで不意に、鳥のような女性のようなかたちをしたキャラクターが、画面に向けて手を広げ、画面(あるいは、光景を記録していたカメラ)を覆い隠す、という出来事が起こる。そのとき私たちが直面するのは、油断しきって画面を見つめていた自分の存在が、登場人物たちにずっと前から勘付かれていたかのような気まずさであるが、これは、画面のなかの登場人物たちに、私たちと同等の知覚の能力を認める瞬間、ということでもある。私たちの娯楽のために、台詞や振る舞いを徹底し、物語を遂行しているかのように見えた身体が、〈知覚する身体〉であったことを知る、という話である。
 このような、作品世界の側が、その作品を成り立たせる仕組み自体に自覚的になるような表現は、小説の1ジャンルとして始まったメタフィクションや、自己言及型芸術などと呼ばれるジャンルに属している。
 鑑賞している自分以外の身体に知覚能力を認めること、作品世界を閉じたものとして捉えずに、鑑賞者の世界と地続きのものとして扱うこと。それを意識したときから、こうした工夫のある作品を収集し、建築の問題と関係して考える可能性を検討し始めた。今までに述べたような、鑑賞者の目への映り方に自覚的な表現であり、複数の階層の知覚する身体を扱っている、ということに加えて、多くの自己言及型芸術が、普段は見えていない仕組みを可視化してしまう工夫である、という点も可能性を見出した理由である。
 例えば、先ほど取り上げたアニメーション『Technement』においては、独立しているように見えた作品世界を覗き込んでいたカメラが、最後に姿を現した、と考えることもできる。アニメーション『カモにされたカモ〈Duck Amuck〉』、Lucio Fontanaによる『空間概念 〈Concetto spaziale〉』、手塚治虫の『ビッグX』などの例を通すと、このイメージをより明確に伝えることができるだろう。これらの作品の当該の場面において作品は、キャラクターの動きや、色彩や、表情や意味内容から、鑑賞者の気を逸らせるような要素を持っている。『カモにされたカモ〈Duck Amuck〉』におけるその場面は、画面の中でユーモラスに動きながら台詞を言っていたダフィーダックが、その身体が描かれたフィルムごと上にずれ込んでいってしまうというものであり、『ビッグX』においては、漫画のキャラクターが作者・手塚治虫に、気を失ったキャラクターの目を開かせるよう懇願し、作者のペンが登場してそれを描き直す、という表現である。また、『空間概念 〈Concetto spaziale〉』は、絵画であるため性格は異なるが、絵画において前提となっているキャンバスそれ自体を切り裂く、という革新的なシリーズを指す。ここで一般的に鑑賞対象とされている〈内容〉と呼ばれるような要素から、私たちの意識が移る先は、動きを生み出しているフィルム・漫画を描いている作者・前提となっているキャンバスであり、これらは普段、アニメーションや漫画、絵画などを鑑賞するときには、ジャンルを成り立たせる〈形式〉として、透明化されているものだと言える。
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 建築は〈世界〉と〈生活〉のあいだで透明化している、と先ほど記述した。ここで、他の芸術における〈形式〉/〈内容〉と、建築におけるそれを比べてみると、建築において〈形式〉は生まれたときから親しんでいる世界そのものであり、〈内容〉は生活のために必要で、機能に合わせてその場の雰囲気に寄与することもある道具的な側面である、と当てはめて考えることができる。
 あらゆる形式をもつ芸術において、メタフィクションは、前提を盲目的に信頼する我々を軽やかに欺く態度、あるいは、形式すらも物ともしない果敢な表現である。ただ、その形式が世界そのものと一致する存在であった場合− その形式にまとわりつく制約が、紙の大きさでも、ビデオテープの録画可能時間でも、美術館の搬入口の大きさでもなく、この世界の重力や光や影、風が吹くことや、雨が空から降ること、それから使い慣れたこの身体のことであった場合− メタフィクションは、生活に塗れ透明化している都市を、空間を、もう一度見つめるための表現となる、と、言い切ってみることもできるだろう。
 建築における透明さ、〈形式〉としての透明さは、他の芸術と同じく、そこにあることが前提となりあえて気にする必要がない物事のことだ。その代表格として、1つめのリサーチで述べていたような、次々と露わになる視覚の問題、身体にかかっている制約、また、知識や経験があるからこそ自動的にできてしまう判断などの、鑑賞する〈私〉自身の身体の性能があるのである。そして、もう一つ意識から消えているものは、慣れ親しんだ自然の摂理そのものだと言えるだろう。透明化しているそれら二つの要素は、冒頭で掲げたフリップブックと建築の、数少ない相違点でもあると言えよう。
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 以上のことを踏まえて、リサーチ〈第一の部材としての身体〉と視覚文化についてのリサーチをベースに、実空間の中で、各人物が固有に持っている知覚が、不意に隣接したり遠く離れたりするようなことを起こし得る設計の技法を探っていく。つまり、視覚文化のリサーチを建築にそのまま転用するのではなく、透明さを可視化する表現として参考にした上で、あくまでも現実世界での現象を基準に考え、複数の階層の接し方・離れ方の図式としての転用可能性を検討する、ということである。
 設計には2つのフェーズがあり、2つめのフェーズは、現在ようやく手法が定まったという状態である。まずは、1つめのフェーズ、都市の中で透明化しているものを見出すことや、複数の〈知覚する身体〉の関係を描き出すことに着目し、具体的な敷地を設定して行った4つの設計の実験について記していく。
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 敷地は具体的な場所である必要があった。なぜならこの制作は、現実世界に建つ〈建築〉の問題を扱うものであるからだ。メタフィクションは、鑑賞者と作者の間にフィクションをまず描きだし、それを共有してから始まるものである。この制作において、作者の頭の中で作られた敷地や抽象的な敷地から考え始めてしまっては、他の作品世界のメタフィクションのコピーとなってしまい〈建築〉を考えることにはならない。
 よって、フェーズ1の設計はすべて、都市の中に既に存在する公共空間や空き地を足がかりに行なわれるものとなった。
 敷地は、目黒川沿い、及び山手線目黒恵比寿間の線路沿いから選び出した。それぞれ、既存部分の形状や環境など、よく見ているとどこか引っかかりのある場所、を理由として選んでいるが、ここで川や線路など視界の抜けが目立つ敷地ばかりが揃ったことには、身体の位置によって視界の到達範囲が大きく変わるような場所を選ぼうという意思が働いていたのだろうと考えられる。また、小さな実験の場として公共空間に取り付くような形式をとることに関しては、1から10まで自分で作り出し完全なフィクションになってしまうことを避けようという意図でもある。
 1つめの敷地は、目黒区目黒1丁目付近の交差点、橋上道路の上から見える、向かい合うビルに挟まれた川とその周辺道路である。この土地には、東から西陽が射している。そういうと嘘か出鱈目のように聞こえるのだが、実際には、西に向いた大きなガラス窓が連なるファサードに光が反射し、反対側のアパートの東側立面を照らし出している、というわけである。この、ふたつの太陽がある状態だとも言える場所に、橋をかけ、その橋の上にベンチを並べる計画を立てる。橋は、橋上道路へと向かう川沿いの坂道の下部分の構造体、アーチ状になっている空間への出入りを可能にする。この空間は、反射した光が当たるため草が生い茂り、整備すれば都市から不意に離れた休憩所になりそうだが、現在はアクセスする方法がないために放置されているのだ。ここで注目すべきところは、川の流れる方向と西陽の射す方角が、垂直に交わってはいないという点である。そのため、反射を起こすビルと光を受けるビルの間には、a.西陽だけが射す空間/ b.西陽と反射光、ふたつの光が当たる空間/ c.西陽はビルによって阻まれ、反射光だけが当たる空間 の3つのゾーンが存在することになる。これにより、均等に並んだベンチは、東側・両側・西側へと、リズミカルな影を落とす。この場所に人が増えていくと、その人々もそれぞれ、立つ場所によってさまざまな方向へ影を落としていくことになる。橋の上から眺める人々の中には、自然光しかないはずの屋外空間に複数の影が落ちていることに、ふと足を止める人もいるかもしれない。
 2つめの敷地はこの橋上道路の反対側、道路へと上がる階段と坂道、及び橋上道路の欄干である。川沿いの道路は標高5m、橋上道路は10mであり、道路の上に出るには西側の上り坂か、東側の階段を上がることになる。ここで考えていたのは、人は、自分の身体が直面している以外の知覚を想像できるのかということ、近くて遠い別の場所と、関係を持つことはできるのだろうか、ということである。ここでは、東側の川沿いの道と階段横の手すり、そして橋上道路の欄干の形状を変え、その一部を広場とする計画をした。東側の川沿いの道の傾斜は非常にゆるく、ここを歩く人は、対岸の上り坂を上がっていく人の身体の上昇をずっと横目に見ながら、最後の最後に階段を駆け上がり追いつく、という形式を持つ。しかし、15mを越える川幅を隔ててそれを意識することは少ない。そこで、傾斜の少ない地面の手摺を外し、対岸の斜面と同じ角度を持つ斜めの壁を建てる。この斜めの壁にはスリット状の窓をいれ、道を歩く身体が、向こう岸で上がっていく斜面を意識に留めながら見え隠れするように設計する。西側から眺めるとこの水平窓は、東側の道を歩く人が徐々に見えてきて、その身体が川を難なく覗き込めるようになった次の瞬間、急に駆け上り、足だけが見える、という状態を映し出すのだ。また、橋上道路の欄干は、道路へと向かう斜面を歩く身体の角度と同様に傾ける。この細かい操作によって、斜面を平行に見下ろす道路の上の身体と、斜面を登っていく人から見て、奥行きの見え方がずっと変わらない開口部分ができるのである。手摺、欄干の形が変わることにより、両岸とそれを繋ぐ橋上道路の上の身体たちは、別の場所を眺め、意識することになる。
 3つめの敷地は、目黒川を北へと遡り、目黒区民センターの2階部分と対岸を繋げる大規模なタイル貼りの橋である。橋の上のタイルは9cm角で、1cmの目地によって繋げられ、橋の床一面を埋めている。この橋の階下には、川沿いの道がある。現状では、対岸に渡るには一度川沿いの道から上がり、2階のレベルまで上がってから再び降りるという動線になっている。ここでは川沿いの道同士を繋ぐ地面を、この橋の下に計画する。着目するのは、人の視点から見た足元のタイルの大きさである。通常、成人の目は、地面からおよそ140-170cmのところについており、距離を隔てるほどに視界に映るものは小さく見えていく。そのため、タイルの大きさが9cmであると頭で理解していても、その大きさがありのまま9cmに見えているわけではない。ここで、既存の橋の欄干をやや外側に付け替えるとともに、広い橋の床面に吹き抜けを空けて、計画する階下の橋の床面を見通せるようにする。そして、階下の橋の床面には、既存の橋から見通したときに9cmのタイルと同じ大きさに見えるように、サイズの大きなタイルを敷いていく。既存の橋から階下の橋の床面までの距離は4.7m、この距離を隔てて9cmに見える正方形は、一辺が40cmのものとなる。また、1cmだった目地は、5cmにまで広がる。スケールの問題を扱うことにより、5cmの目地をもつタイル貼りの床、という不自然なディテールが生まれていく。上から見下ろす人々は同じ大きさに見える床にすぐさま疑問を抱かないかもしれないが、階下で人が滞在しているのを見るとき、その人と、人が立つ地面のグリッドの大きさのバランスに、疑問を抱くかもしれない。
 また、このとき、追加で行う操作として、人間の目に近い手すり子の上面の正方形を、それぞれの床面のタイルと同じ大きさに見えるように設計していく。そうすることで、同じ高さに手摺を設定しているのにも関わらず、既存の橋では20mm角、階下の計画部分では75mm角と、手摺の有り様が変化し、掴んだ時の印象にも差異ができるのである。
 余談ではあるが、既存の橋に空ける吹き抜けの位置は、橋の上にもともとある二股に分かれた街灯の、低い方の光の下を基準にしている。都市の中の街灯の形状は逐一着目するものではないが、高さの違う光源の片方が階下のための照明に見えたとき、街灯の存在感は少しだけ後押しされることだろう。
 最後に、4つめの敷地は、目黒川沿いからは離れ、山手線の線路沿いにある一つの空き地である。ここは、線路を越える橋上道路から覗き込める位置にあり、線路からおよそ3m上/橋上道路からおよそ3m下、というレベル差を持つ土地で、山手線が平均3分に1度は通過するために、3分に一度は振動している土地であるとも言える。敷地の手前にはバス停があり、現状では、バス停のすぐ後ろにある簡易フェンスとロープにより仕切られた穴、という様相をしていて、土地を見学するための簡易階段が階下まで取り付けられている。この土地を線路から区切るコンクリートの擁壁は、分厚く安定したものだと言える。この擁壁の内部を掘り込んで地下空間を作り、100角の鉄骨で組んだ華奢な構造体で屋根をかけることによって、電車による振動を可視化するような建築物を計画できないかと考えた。建築物は2階建てとし、1階部分は、擁壁によって堅く守られた地下空間、そして二階部分は、バス停を待つ人が休憩に気楽に降りていけるような、橋上道路から階段4段分ほど下がった半屋外空間とする。そして、2階部分の床にはグリッド状に6cmの孔を空け、天井梁から階下へと続くランプを吊るしていく。最大で8mほどに及ぶ紐で吊られたランプは、電車の振動を屋根が拾う時、暗い地下空間を緩やかに動きながら照らすことになる。通常、人は、地面が不意に揺れたとしても、その揺れ自体を見ずにすぐその原因に思いを馳せてしまう。都市の振動は直裁的に、車や電車の存在、あるいは災害を意味するものであった。ここでは、観る対象となっていない揺れそのものを、ただ観測する、という経験を作り出している。
 また、副産物とも言える地上階の部分は、わずかな柱を除き、天井から吊られる華奢な紐と椅子のみで構成された空間となる。人の身体がこの紐に不意に触れるとき、その衝突は、また階下の暗がりに影響を与えることになる。
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 これらの設計はそれぞれ、知覚する身体が���市のなかでなにを観るか、なにに気がつくのか、ということを意図しているが、その実験的な性格ゆえに、具体的な建築の計画として提示するにはあまりに局所的であり、テーマがひとつに絞り込まれすぎているような感覚を覚える。これらの設計で起きたこと、具体的な実感を持って示せそうなこと、というのを基に、空間構成の問題として、より複雑な内部空間の作り方を実践してみたいと考える。ここからが、フェーズ2に向かう試論である。
 また、ここで自覚すべきことは、各設計物が、自ら人の知覚に訴えかけるような要素を持つために “作者が気づき、鑑賞者が未だ気づいていないことに気づかせる” という、押し付けがましい性格を帯びてしまうことへの危険性である。この特権的な、全てを把握している作者の立場、とでも言えるようなものは、多くのメタフィクション作品が陥っている “結局のところ作者の手のうちであるのだ” という興ざめにも繋がるものであるし、建築が訪れる身体によって再生され立ち現れる、という、理想とする体験の快楽から離れてしまうものである。このメタフィクションのマンネリ化と、ではそこで、鑑賞者が能動的であるためにはどのようなあり方があるか、という問いの投げかけは『あなたは今、この文章を読んでいる』(佐々木敦)の中心を担うテーマでもある。 
 この本の序章で佐々木敦は〈メタフィクションの問題〉という見出しのついた章の中で、どんなに複雑に仕掛けられたメタフィクション作品にも、その外延には常に現実の作者がいるという事実と、その〈作者の実在〉という事実こそが担保になって、読者が様々な仕掛けを安心して享受することができる、という実状に触れている。そして、この提起に続く一説は、建築のメタフィクションを考える上での大きな問題を提示してくれているとも言える。
  ”「メタフィクション」の「仕掛け」とは、じつは「作者」と「読者」が暗黙に協力し合いながら行う演戯のようなものである。そして、この「演戯」は、それがどれほどリアルに感じられたとしても、やはり本物の「現実」とは断絶した、つまりは誰かが造った絵空事なのであり、そうでしかないという事実性をあらかじめ/どこまでも保証されている。つまり、「メタフィクション」こそは「フィクション」が本来的に有する安全無害さを強調するものなのだ。” 
 設計において、鑑賞者よりも先に設計者がその内実を知る、という順番は、逆転し得ないものだ。ただ、ひとつの設計物において、 “作者が気づき、鑑賞者が未だ気づいていないことに気づかせる”という性格が出てしまうと、いかにその設計物が見えていないものを見せる効能や興味深い要素を持っていたとしても、ある単一の目的のための〈装置〉になってしまう。そのとき建築は、世界の複雑さのほんの1要素だけを提示する、作者から与えられた安全無害なフィクションに成り下がるのだ。 
 『あなたは今、この文章を読んでいる』の副題は、『パラフィクションの誕生』である。この〈パラフィクション〉という考え方は、本文章のはじめの方で触れたフリップブック、鑑賞者がいることによって生まれ出でる動きの創出、という話と通じるものがある。”ある小説は作者以外の誰かに読まれた時にはじめて実在する。そうでない場合、それはいわば存在はしていても実在はしていないのだ。” という言い切りは、まさに鑑賞者と鑑賞物が接したところから体験が立ち上がる、物は物だけで実在するのではなく〈知覚する身体〉に受け取られてはじめて動き出す、という態度である。そして、この問題に最も差し迫るのが、作家・円城塔の技法に触れながら展開する〈README〉の章である。
 ”「README」は際立って特殊であると言える。「README」というアルファベット六文字それ自体にかんして見るならば、それは常に既に読まれているからだ。「私を読みなさい」と読んだ時、私はもうそれを読み終わっている。まさしく自己回帰的な行為遂行文。このような意味で「README」と完全に同じ次元にある同様の指令文は他には存在していない。ある文章を読んでいる時、私たちがしているのはそれを読んでいることである/でしかないのだから。”
 この、「README」という一つの理想形、これは、行為と指令の不可分で同時間的な一致である。この六文字は確かに人間に対する乱暴なまでの強制力を持つのだが、ここで起こっているのは、作者の押し付けがましい意図ではなく、もっと大きな〈そうなってしまう他はない〉システムの動きによって、鑑賞者の身体が動かされている現象だ。
 文字を見るときほど素早く確実なわけではないが、現実を生きる〈知覚する身体〉は視界に入ったものを、自動的に確実に処理していくという事実を、私たちは信用すべきである。これもまた、作者だとか鑑賞者だとかという区分を越えた、大きな自然の摂理である。見なさい、と誰かに命じられているわけではなくても、目は周りを見て、自動的に理解していく。設計はやはり、ただ何もない場所を分割していくことであるし、そうしてできる空間には、更の敷地よりも多くのピントの受け皿があり、見える/見えない、という問題が大量に発生する。そして小説と異なり、実空間においては、鑑賞者は同時に複数のところに存在し、それぞれの〈知覚する身体〉に対して、身体の可動範囲/目の可動範囲を持つ。この、身体と目それぞれの可動範囲を持つ複数の〈知覚する身体〉を考えていくということに、この知覚を扱う試論を、空間構成の問題へと接続する鍵があると考える。
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 “ 二十七階分の距離を隔てた場所で、信号待ちをしている人たちがいて、いちばん先頭にいる女の人が、こっちを見上げているように見えた。一時間くらい前、同じ場所にわたしが立っていて、同じようにこのビルを見上げていた。(…)一時間前、そこには、交差点を見上げているわたしを見下ろしている人がいたかもしれない ”
−柴崎友香『寝ても覚めても』
 この小説のさりげない一節が感じさせるのは、人物の移動とそれに伴う時間であり、空間が身体に与える制限の範囲で、〈私〉の位置は、別の身体の位置と交換可能であることの証明である。また、建築を一望し、全てをひとたびに把握することは原理上不可能であるため、少し過去である〈私〉と少し未来にいるところの〈私〉という、時間を隔てた同一人物同士の関係も見出せる。ある1本の柱をぐるりと周って把握するだけのことだとしても、その柱の裏側については、1秒前にそこを見ていた〈私〉の知覚と協力し合うしかないからである。
 さらにここでは、二十七階分、という、身体が自力で移動するにはあまりにも遠い距離が、視覚によって容易に飛び越えられていることも示されている。小説の文章の中では軽やかな時間を感じさせるこの記述だが、現実の世界で想像してみると、信号待ちをしている人たちのいちばん先頭にいる女の人にとっては、この窓枠は、ぺたりとひらべったい遠隔像であるし、二十七階から見下ろす〈私〉にとっては、窓枠は質感も厚みも確かにそこにある窓枠そのものなのである。遠隔像と触知的な知覚の転倒、過去と未来の自分の身体も含む、他者との視覚範囲の交わり。複数の〈知覚する身体〉が、効果的に空間を立ち上げていくこととは、交換可能な身体と視覚の可動範囲が、重なったり離れたり、線引きされたりすることだろう。このとき、身体も目も、作者の意図によってある一点に誘導されるのではなく、切り替わり交換されていく前提として扱われ始める。
 この前提を付加した上で、1つめのフェーズで行なったような透明化している人体と自然の仕組みを探る空間の構成を、立体的に展開していく。このとき、勿論、空間の各場所にいる身体から、そのとき見えるものを扱っていくのだが、2つめのフェーズでは、見せるべき限定したものを示すのではなく、敷地の各場所から認識できる身体の可動範囲〈身体のための敷地〉と、視線の可動範囲〈視覚のための敷地〉両方を別のものとして分け、すべてプロットし、取りこぼすことなく扱っていく。〈視覚のための敷地〉は、敷地境界線の範囲内に収まっているとは限らない。開口部などを通して視線が建築物を通り抜けるとき、隣家の壁までを、川の向こうの岸壁までを、無限遠とも言える空までを、〈視覚のための敷地〉の内部として扱うことができるからである。また〈視覚のための敷地〉は身体を越えて自由に拡張されるように見えて、簡単に阻まれ失われてしまうものでもある。なぜなら、ある更地の中央に柱がたった一本建てられただけで〈視覚のための敷地〉には把握できない空隙が生まれてしまい、その土地をぐるぐる歩こうにも、その空隙は方角を変えて残り続けるからだ。
 ある敷地を設定したとき、あらかじめその周囲を囲んでいる隣家や周辺の構築物が〈視覚のための敷地〉の臨界線となるわけだが、どの構築物が臨界線としての役目を担うのかは、観察する身体の位置との関係による。同一平面上での〈視覚のための敷地〉の範囲は、計画される壁と開口部によって定められていくが、ここで最も広範囲の〈視覚のための敷地〉に影響するものは、観察する身体が立っている地面のレベルである。例えば地面から高さ2200を越えると、一般的なコンクリートブロック塀は視線を阻まなくなる。一軒家の高さを越えると視線の広がる範囲はさらに増え、遠くの団地が臨界線として登場する。さらに団地の高さも越えると、ほとんどの屋根は飛び越えるが、遠くのゴミ処理場の塔にはぶつかるかもしれないし、遠近法により縮んだ塔は、視線の衝突を免れるかもしれない。鑑賞者の視覚は〈身体のための敷地〉に制御された上で、任意の〈視覚のための敷地〉を体感するというわけである。
 以上を踏まえて2つめの設計実験では、壁や柱を1枚建てるごとにこの2種類の敷地をプロットし、各箇所にいる〈知覚する身体〉のもつ〈視覚のための敷地〉の重なり合いや、見える範囲と距離の変化による認識の変化を取り扱っていく。こうしていくことで初めて、建築空間のもつ、人の身体の位置を規定しながら、人の視覚の中に動きとして立ち現れてくる側面や、知ってしまっても何度でももう一度見ることができるという性格を、設計手法のプロセスの中で取り扱うことに近づけるのではないか。
〈どのような形に対し、どの位置に立つことができ、どこまでのものが、どう見えるのか〉 これは余りに当たり前のことにも感じられるが、誠実に扱い切れる問題だとは到底思えないのである。よって、引き続き試してみたいと思う。 
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THE END OF HEISEI
平成が終わる
故小渕総理が記者会見し世間に公表された。元号は閣議決定で決まるそうだ。
誰がこんな世の中になると想定できたのか?
平成の御世でどんな災害、事故、人災、事件が起こったのか総括してみたいと思う。
災害年表
1989年、三陸沖北部地震
1990年9月19日、台風19号
1990年3月18日、長崎屋火災(放火事件)
1991年、雲仙普賢岳の噴火火災
1991年5月14日、信楽高原鐵道列車衝突事故
1991年3月14日、広島新交通システム橋桁落下事故
1993年、平成五年八月豪雨
1993年1月15日、釧路沖地震
1993年2月7日、能登半島沖地震
1993年7月12日、北海道南西沖地震
1994年5月26日、JR貸切バス事故
1994年4月26日、中華航空140便墜落事故
1994年10月4日、北海道東方沖地震
1994年12月28日、三陸はるか沖地震
1994年、全国的な異常猛暑
1995年、透明山北バス事故
1995年4月1日、新潟県北部地震
1995年12月27日、三島駅乗客転落事故
1996年2月10日、豊浜トンネル岩盤崩落事故
1996年8月11日、宮城県北部地震
1997年2月1日、アイシン(トヨタ子会社)火災
1997年3月11日、動燃東海事業所火災爆発事故
1997年、二度にわたり鹿児島県北西部地震
1997年6月25日、山口県北部地震
1999年6月5日、神扇スプレー倉庫爆発火災
1999年9月30日、東海村JCO臨界事故
1999年11月28日、東名高速飲酒運転事故
1999年6月27日、福岡トンネルコンクリート塊落下事故
2000年3月、口蹄疫
2000年、茨城県沖地震
2000年10月3日、鳥取県西部地震
2000年、根室半島沖地震
2000年3月8日、営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故
2001年7月21日、明石花火大会歩道橋事故
2001年9月1日、歌舞伎町ビル火災
2010年、再び口蹄疫
2010年、再び全国的な異常猛暑。30年に一度と形容サル
1989年から2010年の間に災害だけでこれだけが列挙できる。まだまだあるが次は事件を挙げて生きたいと思う
事件年表
1989年2月10日、オウム真理教による初めての殺人事件
同年、片瀬江ノ島駅前暴走注意事件
同年4月5日、熊谷養鶏場宿舎放火殺人事件
警察庁広域重要指定118号事件
佐賀女性7人連続殺人事件
1989年11月4日、坂本堤弁護士一家殺害事件
同年9月27日、札幌抗争
女子高生コンクリート詰め殺人事件
同年2月24日、中央自動車道切り通し爆破事件
同年12月16日、中国民航機ハイジャック事件
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件
同年5月16日、中村橋派出所警官殺害事件
東郷神社爆破事件
同年6月30日、横浜捨て金庫事件
1990年5月12日、足利事件
同年、オウム真理教国土利用計画法違反事件
北関東連続幼女誘拐殺人事件
同年11月、警視庁独身寮爆破事件
同年11月21日、皇居外苑汚物散布事件
国勢調査員殺害事件
札幌信金OL殺人事件
赤報隊事件
同年1月18日、長崎市長銃撃事件
同年11月13日、新潟少女監禁事件
同年6月2日、練馬三億円事件
1991年7月11日、悪魔の詩訳者殺害事件
茨城CC事件
オウム真理教女性信者殺害事件
尾上縫による巨額詐欺事件
外務省審議官実父宅放火殺人事件
風の子学園事件
共和汚職事件
1991年11月21日、札幌両親強盗殺人事件
下館事件
スナックママ連続殺人事件
1997年8月27日、いわゆる電通事件
1992年、いわゆる飯塚事件
1992年、市川一家四人殺害事件
1992年、多摩市パチンコ店強盗殺人事件
大阪愛犬家連続殺人事件
長崎佐賀連続保険金殺人事件
オカムラ鉄工のっとり事件
第23次西成暴動事件
東村山警察署旭が丘派出所警察官殺害事件
福山市女性強盗殺人事件
町田市立てこもり事件 (1992年)
松戸ガソリンスタンド店長殺害事件
スナックママ連続殺害事件
1993年、オウム真理教男性信者逆さ吊り死亡事件
同年、大阪バラバラ殺人事件
同年8月23日、のぞみ24号殺人事件
同年10月27日、八戸市女子中学生刺殺事件
同年12月14日、日野OL不倫放火殺人事件
警察庁広域重要指定121号事件
藤沢放火殺人事件
甲府信金OL誘拐殺人事件
埼玉愛犬家連続殺害事件
同年11月23日、森安九段刺殺事件
1994年4月23日、井の頭公園バラバラ死体遺棄事件
同年7月10日、オウム真理教男性信者リンチ殺人事件
同年9月28日、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件
大阪北区ホテル客室女性殺害事件
大阪連続バラバラ殺人事件
会社員VXガス殺害事件
品川医師射殺事件
同年9月14日、住友銀行名古屋支店長射殺事件
同年5月9日、滝本太郎弁護士サリン襲撃事件
つくば母子殺人事件
日蓮正宗住職交通事故死事件
日本テレビ郵便爆弾事件
福岡スナックママ連続保険金殺人事件
福岡美容師バラバラ殺人事件
福島悪魔払い殺人事件
福徳銀行5億円強奪事件
松本サリン事件
松本市女性社員殺害事件
1995年、SMクラブ下克上殺人事件
同年9月1日、朝木明代市議転落死事件
同年9月4日、沖縄米兵少女暴行事件
同年3月30日、警察庁長官狙撃事件
公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
同年4月30日、新宿駅青酸ガス事件
全日空857便ハイジャック事件(函館ハイジャック事件)
同年3月20日、地下鉄サリン事件
同年5月16日、東京都庁小包爆弾事件
同年5月13日、同志社大学テニス同好会新歓コンパ溺死事件
同年7月30日、八王子スーパー強盗殺人事件
同年7月22日、東住吉事件
福島悪魔払い殺人事件
同年7月26日、北大人骨事件
本庄保険金殺人事件
1996年、旭川女子中学生集団暴行事件
足立区首なし殺人事件
同年4月11日、池袋駅構内大学生殺人事件
オレンジ共済組合事件
北関東連続幼女誘拐殺人事件
同年9月9日、柴又女子大生放火殺人事件
広島タクシー運転手連続殺人事件
御嵩町長襲撃事件
1997年4月17日、JT女性社員逆恨み殺人事件
神戸連続児童殺傷事件
城東署覚醒剤所持捏造事件
同年8月28日、宅見若頭射殺事件
同年3月9日、東電OL殺人事件
流山女性殺害事件
奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件
日本テレビ郵便爆弾事件
同年3月22日、三重・菰野町少年主婦刺殺事件
山一証券顧客相談室長殺人事件
同年10月10日、山一証券代理人弁護士夫人殺人事件
1998年11月18日、伊勢市女性記者行方不明事件
川崎協同病院事件
同年2月28日、北九州元漁協組合長射殺事件
群馬一家3人殺害事件
同年1月8日、堺市通り魔事件
坂出送電塔倒壊事件
同年12月18日、館山市一家4人放火殺人事件
同年1月28日、栃木女性教師刺殺事件
同年7月2日、富士銀行行員顧客殺人事件
同年7月25日、和歌山毒物カレー事件
1999年、安室奈美恵実母殺害事件
同年9月8日、池袋通り魔殺人事件
同年10月26日、桶川ストーカー殺人事件
京都小学生殺害事件
同年7月10日、杏林大病院割りばし死事件
同年9月29日、下関通り魔殺人事件
同年7月23日、全日空61便ハイジャック事件
同年12月4日、栃木リンチ殺人事件
名古屋市西区主婦殺害事件
同年11月11日、成田ミイラ化遺体事件
同年4月14日、光市母子殺害事件
2000年3月、恵庭OL殺人事件
同年8月14日、大分一家6人殺傷事件
神奈川県警女性隊員殺害事件
歌舞伎町ビデオ店爆破事件
筋弛緩剤点滴事件
同年9月29日、江東区亀戸漫画家女性殺人事件
世田谷一家殺害事件
同年7月23日、高岡暴力団組長夫婦射殺事件
同年3月2日、テレクラ放火殺人事件
同年5月1日、豊川市主婦殺人事件
同年4月4日、ドラム缶女性焼殺事件
同年9月1日、中野会若頭射殺事件
同年5月3日、西鉄バスジャック事件
広島市佐伯区スーパー強盗殺人事件
福岡スナックママ連続保険金殺人事件
茂原市重機オペレーター殺害事件
山口母親殺害事件
ルーシー・ブラックマンさん事件
どうだろうか?これが果たして平成な世の中だったのだろうか?色々な意見があるだろうが、日本の憲政史上の中で一番酷い極悪な世であったのではないだろうか?例えば平成の世に入る前、巨額詐欺事件があった。いわゆる豊田商事事件である。
youtube
その他に連合赤軍事件や渋谷であった少年ライフル乱射事件などがあるが、平成の世で敢行された犯罪に比べれば易しいものだ。何故人心が荒廃し乱れに乱れた世の中になったのだろうか?
3S政策の呪い
陰謀論者が好きそうなキーワードである。セックス、スポーツ、スクリーン。こんなチンケなものでこんなにも人心が荒廃するものだろうか?だが、聖書に登場する偽ユダヤ人、カザールユダヤ人どもが戦後日本人を飼いならした手法であり、未だダマスコミによりこの3Sが垂れ流されている。だがインターネット革命後の日本人、ジャップどもはテレビ、新聞から解き放たれており、ダマスコミを通じた日本国家の弱体化は続かないだろう。
経済大国から途上国への転落
このグラフを見てほしい
経済発展と犯罪率は反比例しているように思われる。不思議なことに少子高齢化と犯罪とは密接にかかわっている。検挙者の平均年齢が上がっており、人口が減ることで犯罪が減るわけではないのだ。
確かに犯罪は減っているのだが、それは検挙率、犯罪認知率が下がっているだけであり、大衆は警察に頼らず自分たちで解決を目指しているのだ。ヤクザは徹底的に干されているがそれでも警察に頼りたくない大衆のお陰で飯の種は温存できているのである。
このような愚かしい意見をいう者がいる。
少子化が進めば生産人口が減る、すると税収が減る。そうなると、当然生活は苦しくなっていくから子供を巻き込む、あるいは子供が関わる犯罪が増える可能性は考えられますね。
この疑問について、こういうところでなく、きちんとした研究機関などにぶつけてみてはどうでしょうか。少子化対策を加速するにはどうするべきかを考えなくてはいけない。「結婚できない」「子育てできない」のは、何が原因かを考え、その対策を打たなくては「結婚は金持ちの特権」になってしまいますよ。
国家とは常に赤字である。国家が黒字なのはありえない。税収が上がらないから緊縮財政体制を採る。この国の惨状を見れば明らかである。緊縮して無駄を減らせば税収の不足分を補うことができるのか?税収が減るから経済が悪くなる?馬鹿か。国は徴税権を持っている。徴税するためには国民に金をばら撒かねばならない。だから本来、中央銀行は国有が望ましいのだが、BSI傘下の日銀は国が55%後は匿名の株主で構成された歪な中央銀行である。
国は日銀に国債を買わせ資金繰りする。日銀は市中銀行に金を融通し国内に還元する。違いがわかるだろうか?
銀行は利子を取るが、国は利子を取らない
市中銀行、日銀も手数料を取り利子を取る。つまり同じ穴の狢だ。だが、国は日銀や国債を保有する国民、法人に金利を払わなければならない。公共投資も払いはするけれども手数料を取るわけではない。いつのまにか馬鹿が増えて国の借金が負債が幾ら幾らでこの国は危ないなんて叫ぶ馬鹿ばかりに成ったが、日本の国債は国内だけで流通しているのが大半で外国人が保有しているわけではない。
寧ろタックスヘブンに流出している巨額脱税資金、アメリカ国債、外貨��備を放出して換金すれば国庫が潤い、公共投資も増え税率も下がる。消費税も要らない。何故バカジャップどもはこんな簡単な理屈がわからないのだろうか?
もはやこれまで
こんな馬鹿ばかりになった国にどんな元号をつけても無駄ではないだろうか?もはや元号は破滅が相応しいのではないだろうか
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toshihikokuroda · 2 years
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ウクライナ侵略1カ月 ロシア 人道無視の戦争犯罪
「侵略やめよ」の世論で包囲へ
2022年3月24日【3面】
 ロシアによるウクライナ侵略の開始から24日で1カ月。攻撃は激しさを増し、ウクライナ国土は破壊され、人口の4分の1の人々が避難を余儀なくされ、人道危機が深刻化しています。「侵略をやめよ」「国連憲章に基づく戦後の国際秩序を守れ」の声は、世界中に広がり、ロシアとプーチン大統領を包囲しつつあります。侵略1カ月の情勢、国連をはじめ国際社会の動きから見えてきたものは―。
国連、非難の総意示す
 国連はウクライナへの侵略開始直後から、ロシアの行動を非難し、平和的解決を求めてきました。
 「国際の平和及び安全の維持に関する主要な責任」(国連憲章)を負う安全保障理事会は侵攻翌日の2月25日、ウクライナ情勢に関する会合を開きました。米国などがロシアによるウクライナ侵略を非難する決議案を共同提案。これには約80カ国が賛同に名を連ねました。
 これはロシアの「拒否権」で否決されました。しかし、同27日には国連総会の緊急特別会合を要請する決議を賛成多数で可決。安保理決議によるものとしては40年ぶりの開催となる特別会合は28日~3月2日に開かれました。
 会合では発言に立ったほとんどの国が「国際法の枠組みや国連憲章の原則が、大きさや地位に関係なくすべての国に安全な環境を提供すると確信している」(ジャマイカ)など、国際法の原則にもとづいて、ロシアの侵略を非難しました。
 会合は2日、ロシアによるウクライナ侵略を国連憲章違反だと断定し、ウクライナでの武力行使停止、軍の「即時、完全、無条件撤退」をロシアに求める非難決議を採択しました。
 賛成は国連加盟国193カ国の7割にあたる141カ国。これは、1989年の米国によるパナマ侵略を非難する決議(同75)などと比べても、圧倒的多数の賛成となりました。79年末のソ連によるアフガニスタン侵攻を非難する決議(同104)は侵略国ソ連を名指しできませんでした。今回の決議は賛成国の多さだけでなく、その内容でもロシアの蛮行を多面的に厳しく糾弾するものとなりました。
 ウクライナは2月26日、国連の主要機関の一つである国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)にロシアを提訴しました。
 ICJは3月7日に審理を開き、ロシア側が出廷を拒否するもと、ウクライナ側は意見陳述で、侵攻の即時停止を命じる仮保全措置を出すよう要求。16日の審理で、ウクライナへの侵攻を即時停止するようロシアに命じる仮保全措置が出されました。
 ICJは、ロシアの侵攻で「人命が失われ、人々が苦しみ続けていることを強く懸念している」と表明。ロシアによる武力行使は「国際法に関する非常に深刻な問題を提起している」と述べました。
 また、国際刑事裁判所(ICC、同)も2月28日、カーン主任検察官がウクライナでの戦争犯罪や人道に対する罪の捜査開始手続きを進める方針を表明。3月2日には、ウクライナでの戦争犯罪や人道に対する罪に関する捜査を開始したと発表しました。英独仏やカナダなど39カ国のICC設立条約締約国が捜査を付託したことを受けたものでした。
 米エール・ロー・スクールのオナ・ハサウェー教授(国際法)は米誌『フォーリン・アフェアーズ』(電子版)で「国際法はウクライナにとってロシアと対抗する最も強力な武器の一つ」と指摘。国際法がよりどころとなって、「前例のない国家連合ができ、ロシアの侵略に反対している」と国連を中心とした国際社会の対応がロシアを追い詰めていると解説しています。
世界
撤退求め数十万の波
 ウクライナを侵略するロシア軍の撤退を求めるなどの反戦集会・行動は、世界各地で広がり続けています。
 欧州の大都市では数万人規模のデモが相次いでいます。スペインの首都マドリードで20日、反戦デモが行われました。参加者は「交渉によって平和を目指す外交努力を強化すべきだ」と訴えました。
 19日、タイの首都バンコクやトルコの首都アンカラ、米ニューヨークなどでの集会・行動では、犠牲者を追悼し、ロシア軍の無差別攻撃に対して怒りの声が上がりました。
 韓国の市民団体で構成する「ウクライナ平和行動」も18日、ソウル市内のロシア大使館の近くで集会を開催。「戦争反対の声が戦争を止める。人ごとではない。戦争反対の声を上げよう」との呼び掛けがありました。
 侵略当事国ロシアの国内でも大規模な反戦デモが行われました。参加者を警察が多数拘束、弾圧してはいるものの行動は収まらず、インターネット・SNSを駆使して反戦メッセージを発信する人たちもいます。
 14日夜、ロシアの政府系テレビのニュース番組の生放送中、女性編集スタッフがキャスターの後方で、「戦争反対」などと書かれた紙を掲げ、「戦争をやめろ」と訴えました。
 多数のロシアの医師・看護師らによるプーチン大統領にウクライナでの戦闘をやめるよう求める公開書簡や、科学者・科学ジャーナリストらのウクライナ侵攻に断固反対する公開書簡も発表されています。
日本
広がり続く「反戦」の声
 ロシア軍の侵攻開始以降、日本全国各地でも撤退を求めるデモやパレード、スタンディングなど大小さまざまな規模の取り組みが続いています。中高生による抗議集会や、日本在住外国人が呼びかけたパレードも。世代も国籍も多様な人々が反戦を訴えています。
 春分の日の21日、東京都渋谷区であった抗議集会には2500人が参加しました。作家の澤地久枝さんらがステージでメッセージを伝えた後、「NO WAR」などのカードを掲げた参加者が、休日の繁華街をデモ行進しました。
 同日、平和問題を学ぶ東京高校生平和ゼミナールと首都圏の高校生らは港区のロシア大使館前で抗議集会���「なぜウクライナの人たちが悲しまなければならないのか。私たちは抗議する」などと声を上げました。18日には愛知県の中高生200人以上が名古屋市の中心街をパレードしました。
 侵攻開始直後の2月26日、JR渋谷駅前で在住ウクライナ人有志が呼びかけた抗議集会にはおとなから子どもまで多数が参加。ネットなどで知った日本人も、ウクライナ国旗にちなんだ青と黄色のカードを掲げるなどして集まりました。時間とともに群衆は膨らみ、一時は2000人が交差点の一角を埋めました。
 ウクライナ人有志らは翌週の3月5日にも、渋谷区内で大規模な反戦パレードを呼びかけ、4000人が参加したと発表しました。
 この日は多くの外国人の姿もありました。
 ロシア人女性の一団は英語で「私はロシア人だ。そして戦争に反対する」と書いた紙を掲げました。40歳代の自営業の女性は「ロシアではプーチン政権のプロパガンダが強いが、戦争の実態を知ればロシアの人も反対する」と口調を強めました。
 (人数はいずれも主催者発表)
人道危機
常態化する無差別攻撃
 当初、多くの専門家は侵略開始から2~3日でロシア軍が首都キエフを包囲または制圧すると予測していましたが、戦闘は長期化の様相を呈しています。深刻な人道危機が広がり、民間人の犠牲者が飛躍的に増加。国連難民高等弁務官事務所によれば、避難者は国内外合わせて人口の4分の1となる1000万人を超えました。
 米国防総省高官は22日、記者団に対し、ロシア軍はこれまでにミサイル1100発以上を使用したと説明。一方、キエフから最短で15キロ地点まで迫っているものの、ウクライナ軍の抵抗に遭い、前進を阻まれているとしています。ハリコフやオデッサなどの戦略目標も攻略にいたっておらず、こう着状態となっています。
 ロシア軍の最大の弱点だと指摘されているのが補給です。とりわけ燃料や糧食、さらに弾薬が不足。指揮統制にも重大な欠陥があり、前線の兵士も戦闘能力や士気の低さがみられるとしています。
 戦争が長期化すれば、経済制裁の影響で、いずれ戦費の調達が困難になります。焦るロシアはウクライナとの交渉で優位に立つため、ここ数日、住宅・学校・病院・避難所・商業施設など民間地域への無差別攻撃を強めています。非武装の一般市民を殺傷して降伏を迫るという、卑劣極まりない戦術です。
 そうした無差別攻撃の最大の犠牲になっているのが、南部の港湾都市マリウポリです。ロシア軍は16日、子どもを含む多くの市民が避難していた劇場を空爆するなど、連日、激しい攻撃を加えており、市街地は焼け野原になっています。国際人権団体「ヒューマンライツ・ウオッチ」(HRW)は、マリウポリだけで民間人3000人以上が死亡した可能性があるとしています。さらに多くの市民が取り残され、水や食料、医薬品も欠如しているといいます。
 ある専門家はこう指摘します。「こうした無差別攻撃は、ロシアがシリアなどで繰り返してきた常とう手段だ。最初に形だけの『人道回廊』を設け、逃げなかった者は『テロリスト』とみなし、あとは無差別に殺害または身柄拘束する」
 ロシア側は、ウクライナが市民を「人間の盾」に利用していると責任転嫁しています。しかし、避難中にロシア軍の攻撃を受けて死亡した市民や、ロシア軍による強制的な連れ去りも報告されています。「残るも地獄、行くも地獄」―市民はこうした状況に追い込まれているのです。
 さらに、米国防総省は、ロシアが生物・化学兵器を使用する可能性を指摘。HRWは、クラスター(集束)爆弾が民間地域で繰り返し使用されたと告発するなど、残虐兵器の投入も危ぶまれます。ロシアがさらに追いつめられれば、戦術核兵器の使用に踏み切る危険も指摘されています。
 ロシアによるウクライナ侵略は主権侵害、領土の一体性を損なう重大な国際法違反です。加えて、戦争下であっても最低限守られるべき民間人の保護を定めたジュネーブ条約など国際人道法を踏みにじるものであり、戦争犯罪そのものです。
対ロ外交
根本的な転換が不可欠
 ロシアは日本政府が科した経済制裁への対抗措置として、領土問題を含む平和条約締結交渉の中断や「北方4島」での経済協力活動の協議からの離脱を一方的に表明しました。
 これに対し、日本共産党の小池晃書記局長は22日の記者会見で、「プーチン政権は国連憲章と国際人道法を踏みにじる侵略を行っており、この政権と平和条約を協議するような条件はありません」と指摘。日本政府の側からこそ、対ロ外交の全面的な見直しが求められると主張しました。「朝日」23日付社説も「懐柔外交から脱却せよ」の見出しで「むしろ、日本側から交渉中断を表明しておくべきだった」としています。
 ところが岸田政権は「極めて不当で受け入れられない」などと“抗議”してみせた一方で、2022年度予算を8項目・21億円の日ロ経済協力関連予算を修正しないまま22日に成立させました。16日の参院内閣委員会で日本共産党の田村智子議員が「侵略行為を正当化する国とは経済協力できないとの表明が必要だ」と迫っても、松野博一官房長官は「予算の執行段階で判断したい」と述べるだけでした。
 こうした及び腰の根底には、ロシアのプーチン大統領にすり寄り、“個人的な信頼関係”で領土問題を扱おうとした安倍晋三元首相の屈従外交があります。16年末の日ロ首脳会談で安倍氏は、官民で3千億円規模を投融資する「8項目の経済協力プラン」に合意。18年の首脳会談では従来の「北方4島返還」から「2島返還」へ後退させました。
 安倍氏は、ウクライナ侵略の発端となった14年のクリミア併合を免罪するなど、権威主義的な体制を強めるプーチン氏に甘い顔を見せ続け、プーチン氏の覇権主義的な行動を助長してきました。その結果として全てを袖にされてしまったのです。プーチン大統領との“個人的関係”に偏重した対ロ外交は総破綻しています。
 日本政府は、これまでの屈従的な対ロ外交を根本的に転換し、旧ソ連、ロシアによる千島列島の占領の不当性を国際社会に堂々と訴えるべきです。
(しんぶん赤旗)
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