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#論語と算盤
nashino-tsubute · 4 years
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決断力
ファイナンス思考が話題となった著書、朝倉祐介氏の「論語と算盤と私」。
自身が経営をしたことがないから、共感できない部分もあるんだけど、
作中のコラムで掲載されている岡田武史氏との対談はすごく印象的。
直感を信じる、ということ。
自分で答えが分かっていても、雑念が遮断することがよくある。
そして、答えを先送りにする。
営業をやっていた時は、必死で情報を取りに行っていた。
その結果、世の中の仕組み、自然の動きみたいなものにハッとする時がたまにあった。
身につけた知識がすぐに役に立ったり、
全く関連性の無いものと思っていたものが、繋がっていたり。
異動してからは、専門的な知識は増えたものの、
その知識の使い方が自分なりに消化出来ていないんだと思う。
それが、どこか面白みを感じれていない部分。
そして、毎日燃焼し切れていない自分や、
後輩に言い訳がましいことをいう自分に嫌気がさす時がある。
必死な人にしか人は付いてこない。
どこかで手を抜くと大怪我になるし、運をつかみ損ねるよね。
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kwon91 · 7 months
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「NARUTO」原作(げんさく)者(しゃ)・岸本(きしもと)斉(ひとし)史(し)が語(かた)るシリーズ総括
〆切りに追われることがなくなったいまでも、ふいに目が覚めて焦ることがある。「寝起きに時計を見て『ヤバい!』となることはありますね。『大丈夫、もう終わったから寝てていいんだ』と言い聞かせています(苦笑)」。そう語るのは漫画家の岸本斉史。言わずと知れた大人気漫画「NARUTO-ナルト-」の作者であり、先日15年におよぶ連載を終えたばかりの、話題の人だ。(取材・文・写真/黒豆直樹)
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「4時間くらいで目が覚める癖がついていて、最近になってやっと8時間くらい続けて眠れるようになってきたかな。連載中はずっと、目覚ましを掛けて、〆切りに合わせて逆算して寝起きしていたので」という言葉から15年におよぶ週刊連載の重みがうかがえる。
15年という歳月は? という問いに、迷わず「ひたすらに長かったです」と言い切る。「長かったし、苦しかったですよ。『長いようであっという間でした』とか言いそうですが、ただ長かったというのが実感ですね」。
【※以下、原作の結末に関する記載がありますので、未読の方はご注意ください】
主人公の忍者・ナルトと仲間たちが、他国との戦争や歴史的な因縁に向き合い、時に葛藤しながらも成長していく姿を描き続け、単行本は現時点で71巻にまで達した。改めて読み返すと、その計算し尽くされた重層的な世界観に驚かされる。ナルトたちの成長にしたがい、どんどん世界は広がっていくが、そこにブレやとってつけた感は見当たらない。
「連載当初からある程度、忍の国の世界観に関しては固めていましたね。例えばナルトがいる、火の国の中の“木ノ葉隠れの里”の他にも国や里が存在し、“五影”と言われる五大国の里の長がいることや、四代目火影がナルトの父親で既に死んでいて、いまは代わりに三代目が里を治めているといったことは最初から決めて、ある程度は物語を広げやすいようにはしていました」。
第四次忍界大戦、世界そのものを覆そうとするマダラとの決戦、忍の歴史の根源とも言える最強の敵・カグヤとの最後の決戦を経て、物語は終わりへと向かうが、岸本自身が具体的な結末について固めはじめたのは、中盤から後半にかけての「ペイン編」と呼ばれるエピソードの頃だった。
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「ナルトとサスケが戦って終わるということだけは、最初から決めていたんです。ではどうやってそれを迎えるのか? 『ペイン編』が終わったあたりから意識して作りこんでいくようになりました。重要なのはサスケをどういう立場でナルトと戦わせるかということ。あくまで完全な敵として対決するのか? それとも、親友として拳をぶつけ合うのか? そこは、どう持っていくかを含め、じっくり考えました。その意味で、最後の『第四次忍界大戦編』は、サスケの立ち位置をしっかりと見せるために描き始めたんですが、つい他のキャラクターのことも大事に描き過ぎて、どんどん長くなっちゃったんです(笑)」。
戦いの行方とあわせて、ファンの中で大きな関心を占めていたのが、最終的にナルト、サスケ、サクラらの関係がどうなるのか? ずばり恋の行方である。この点も、岸本は曖昧にごまかすことなく、キッチリと“答え”を示して連載を終えた。最終話である700話では忍界大戦の終結から10数年後が描かれるが、そこでナルトはずっと彼に想いを寄せてきたヒナタと結ばれ結婚、ナルトが当初、恋心を抱いていたサクラはサスケと結ばれているようだ。岸本はいたずらっぽい笑みを浮かべつつ“内幕”を明かす。
「ナルトがヒナタと一緒になることは結構早い段階で決めていましたね。だからこそ、ナルトとサクラがくっつくかのようにミスリードさせるために、あえてサクラとナルトの母親であるクシナの動きを重ねるかのようなシーンを描いたりもしたんです」。
ちなみに連載終了から間を置かずに公開となる劇場版アニメ「THE LAST NARUTO THE MOVIE」で描かれるのは「第四次忍界大戦」の終結から2年後の世界――つまり2本立てで「週刊少年ジャンプ」(集英社刊)に掲載された699話とその10数年後の未来を描いた最終回700話の“間”に何があったのかを描いているのだ。
画像4
ヒナタの存在にフィーチャーしつつ、原作に描かれなかった“その先”を描く劇場版。自らキャラクターデザインとストーリー監修を務めた岸本は「今回の映画はぶっちゃけ恋愛です!」と公言しているが、ここでも彼は、少なからぬ“論議”を呼んだ最終700話を読み終えたファンに対し、彼なりの“解”を示している。
「ナルトとヒナタの関係性がどうやって、原作の最終回に至るかを描いてはいるんですが、僕が大切だと思って何度も何度も打ち合わせで言及したのが、サクラとナルトのあるシーン。この映画はある意味で、当初からずっとサクラのことを好き好きと言い続けてきたナルトとサクラの訣別の物語でもある。最終回を読んだ読者の方が抱いた疑問やモヤモヤをここでキッチリと解消し、すっきりしてもらえると思います!」
「そう言えば、うちの子どもが幼稚園のとき以来かな? こないだ、久々にキャッチボールをしました」。
岸本はそう言って嬉しそうに笑った。これから成長していく子どもへ父として伝えたいこと――。ナルトや仲間たちを通じて、大切な想いを紡ぎ続けた15年だった。
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ari0921 · 6 months
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我が国の未来を見通す(86)
『強靭な国家』を造る(23)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その13)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
話題が少し古くなりましたが、ウクライナ戦争をめ
ぐる最近の動きとして、9月19日、ゼレンスキー
大統領が国連に乗り込み、初めて対面で演説し、
「侵略者ロシアを打倒するための団結」を訴えまし
た。
しかし、ビデオ参加した昨年に比べて出席者の数は
減って、空席も目立ちました。これについては、ウ
クライナに対する“支援疲れの表れ”との分析に加
え、発展途上国は「アメリカとロシアの対立に巻き
込まれたくないという思いから欠席する国が多かっ
た」とする見方もかなりありました。
しかし、最大の問題は、拒否権を持つ常任理事国の
ロシアが戦争の当事者であることから、ウクライナ
やアメリカなど西側諸国の立場を反映した提案は、
ロシアと中国によって全て葬り去られる公算が大で
あること、すなわち、国連が“平和の維持のための
機能を果たさなくなった”という“現実”を改めて
さらけ出したことにあると考えます。
ロシアによるウクライナ侵攻から1年半以上が経過し、
ウクライナ東部3州への反攻は、黒海艦隊司令部へ
のミサイル攻撃などが話題になっていますが、当初
の計画よりかなり遅延していることは間違いないで
しょう。その主な原因は、戦術行動としての「攻撃」
自体が難しいオペレーションであり、そのための物
心両面の準備が十分でなかったことにあると考えま
すが、最近は、ウクライナ国内に汚職が蔓延し、国
防相や国防次官らが更迭されるなどウクライナ軍の
“タガ”の外れていることやポーランドとの関係も
ぎくしゃくし始めたことなども背景にあるのかも知
れません。
アメリカやカナダは、さらなるウクライナ支援を約
束したようですが、反攻の進展は不透明ですし、国
連が“機能不全”になっていることなどを考えれば、
「停戦合意」などはますます遠のくことを覚悟しな
ければならないでしょう。
ウクライナ戦争の経緯を分析すると、今回、本文で
取り上げる「文明の衝突」を回避したり、拡大を防
止する“特効薬”はなかなか見つからないと認識す
る必要があると考えますが、虎視眈々と様々な企み
を計画している国は、“同じ失敗をくりかえさな
い”ことを最重視しつつ、戦争に絡む軍事・非軍事
あらゆる視点から詳細な分析をしていることでしょ
うから、将来はまた違った“様相”になることも頭
に入れておかなければならないでしょう。
このたび岸田首相もまた、国連で「人間の尊厳」と
か「核軍縮」とか「国連改革」など“理想論”のオ
ンパレードのような演説を行ないました。「理想」
とか「正義」に対して誰も表立って反論はできませ
んが、大多数の国はそれらよりも自国の「国益」確
保を優先しますし、時に「理想」や「正義」さえも
“したたかに活用する”ことを躊躇しないでしょう。
それが「普通の独立国の本質である」と認識した上
での演説なのかどうかは不明ですが、立場を異にす
る国々にはどのように響いたのでしょうか。
話は変わりますが、若干、前回の「教育」を補足し
ましょう。9月27日付の「正論」で藤岡信勝氏が
教科書検定制度の歴史を取り上げ、最後に「今日ほ
ど文科省官僚の権限が強大化し、しかもその官僚機
構に左翼・反日勢力が浸透してしまった時代はない」
と結んでいました。
信じたくないですが、その結果として、我が国の
「国力」増強にさえ反対するような若者が大量に輩
出されるようなことが続けば、「国家100年の計」
として“我が国の未来はますます危うくなる”と感
じざるを得ません。日本の大学の国際的なレベルダ
ウンについては(武士の情けで)あえて取り上げな
かったのですが、それらの改革を含め、「教育改革」
も“任重く道遠し”であることがわかり、気が重く
なっています。
▼「文化」が「国力」に及ぼす影響
さて「文化」です。「文化」こそ、私など素人が立
ち入ることができない分野なのかも知れませんが、
「歴史」を学ぶ過程において、「歴史」と「文化」
が互いに“影響し合っている”ことを何度も実感し
ました。歴史的な出来事や変化が「文化」を形成し、
一方で「文化」がその社会の歴史的経験や進路に影
響を与えているようなことです。
たとえば、大東亜戦争を境に我が国の「文化」が大
きく変わったことなどからもわかるように、戦争と
か革命はしばしば「文化」の変化を引き起こし、逆
に、芸術や音楽などの「文化」が「歴史」に反映さ
れたり、時に社会変革の“触媒”になっているよう
なこともしばしば発見しました。
それでは、この「文化」とはどのようなものか、か
ら入っていきましょう。一般に、「文化」は「人間
が作り出した全てのもの」を指す場合が多いようで
すが、具体的には、「食生活・暮らし方・文字・言
語・農業」など社会の仕組みを担うものから、「哲
学・芸術・道徳・宗教・科学・価値観」など、具体
的な形がない精神的なものまで「文化」と呼ばれて
います。
歴史の例を挙げれば、毛沢東が「文化大革命」とい
う名前をつけた理由は、当時、毛沢東は、中国が資
本主義の復活の危険に直面していると認識し、共産
主義という社会制度やイデオロギーのみならず、
“人間がつくりだす”価値観、つまり「文化」その
ものを根本的に変革することを目指したためと言わ
れております。
さて、「文化」としばしば混同される「文明」は、
「人々の生活を豊かにするための物質的なもの」を
指し、具体的には、「建築・工業製品・交通手段」
などが含まれます。したがって、「文化」は“心を
豊かにするため”のものであり、「文明」は“生活
を豊かにするためのもの”とも定義されていますが、
一般的には、「文明」は“「文化」を含むもっと広
範な概念”であると解釈されているようです。
冷戦が終焉した時、フランシス・フクヤマは、『歴
史の終わり』を上梓し、「リベラルな民主主義が普
遍的になる」ことを主張し、一世を風靡しました。
そのような考えの対極にあったのがサミュエル・ハ
ンチントンの『文明の衝突』でした。ハンチントン
は、「西欧的な民主主義が普遍的になることはなく、
西欧と非西欧、合わせて8つの『文明』が時に対立、
または共存していくのが人類の未来である」と説き
ました。日本版は550ページに及ぶ大作ですが、
私も当時、夢中になって読破したことを覚えていま
す。
ハンチントンは、国際政治の視点から、「文明」は
「広範な『文化』のまとまりである」と解釈しつつ、
「社会制度や宗教など、人間が社会の中で自らのア
イデンティティを定義する決定的な基盤を含む」と
捉えました。一方、「文化」は、「『文明』より具
体的な概念であって、特定の地域やコミュニティに
おける生活様式や価値観を指す」と解釈していたよ
うです。
したがって、「文明の衝突」という表現は、「異な
る社会制度や価値観を持つ大きな集団間の対立」を
強調するために用いられ、国際政治における対立は、
“単なる文化的な違い以上のものである”というハ
ンチントンの視点が反映されているようです。
実際の冷戦後の国際社会は、ハンチントンが予告し
たとおり、異なる「文明」の対立や衝突、時には、
ウクライナ戦争のように「文明内の衝突」を繰り返
しながら、現在に至っていることは説明を要しない
と思います。
さて、ハンチントンが分類した8つの「文明」とは、
西欧、中国、日本、イスラム、ヒンドゥー、スラブ、
ラテンアメリカ、アフリカを指します。つまり、日
本を独立��た1つの「文明」として扱っています
(この点も、同書が日本で人気があった理由でもあ
ると考えます)。
ハンチントンは、「日本文明」を日本という中核国
と同一(つまり、“一国家一文明”)として捉え、
その理由として「日本の独特な文化を共有する国は
なく、他国に移民した日本人がその国で重要な意味
を持つほど人口は多くないし、かといって、日系ア
メリカ人のように移民先の国の文化に同化すること
もない。日本の孤立の度がさらに高まるのは、日本
文化は高度に排他的で、広く支持される可能性のあ
る宗教とかイデオロギーを伴わないという事実であ
り、そのような宗教やイデオロギーを持たないため
に、他の社会にそれを伝えてその社会の人々と文化
的な関係を築くことができない」と解説しています。
まさに“しかり”でしょう。
さて、読者の皆様は、「日本文明」を構成している
「日本文化」というと何を思い出すでしょうか。だ
れもが真っ先に日本人が持つ精神性を表現する言葉
として使われる「和の文化」を思い出しそうですが、
具体的には、歌舞伎、茶道、華道などの「伝統芸能」、
寿司、天ぷらなどの「食文化」、地域ごとに行なわ
れる「祭り」がお盆や正月などの「行事」、神道や
仏教などの「宗教」、木造の伝統建築や庭園などの
「建築」、それに最近は、アニメ、マンガ、ゲーム
などの「ポップカルチャー」でしょうか。
最近、「食文化」や「ポップカルチャー」などは世
界各地に普及し始めていますが、その他の「文化」
が国内から外に出ることはほとんどないでしょう。
よって、ハンチントンは、このような日本を「最も
重要な孤立国である」とも付け加えています。
改めて、「国力」を構成する要素としての「文化」
や「文明」の国際比較は、これらが非常に複雑で多
面的なものであり、その全てを包括的に比較するこ
とは難しいことがわかります。
つまり、その国や地域のアイデンティティや価値を
他の国や地域から区別することは可能であっても、
特に「日本文化」の「孤立性」のような特性を有す
る場合、他の国や地域に対する「影響力」とか「地
位」を高めることなどは不可能に近いのです。
一方、中国のように、「中華民族の偉大なる復興」
を掲げ、東アジア地域のみならず、国際社会に対す
る影響力を“力づくでも”拡大しようとすると目論
む国も存在しています。その中には、社会制度や経
済的影響力に加えて、中国の「文化」まで包含され
ていると考える必要があるでしょう。
▼「文明の衝突」を回避する要件と日本の役割
もう少し続けましょう。私の読み込みが足りないせ
いかも知れませんが、ハンチントンは、ウクライナ
戦争のような“「文明内の衝突」を回避する処方
箋”については具体的な提案をしていません。
『文明の衝突』という書籍名からして、“異なる
「文明」間の衝突”に焦点を絞り、「文明内の衝突」
については、それぞれ相対する国が知恵を絞って解
決しろ、ということなのだろうと推測しています。
一方で、ウクライナ戦争は、ロシアの立場からすれ
ば「文明内の衝突」でしょうが、ウクライナはNA
TO加盟をめざす、つまり、「文明圏の移動」を望
んでいるのですから、この戦争は「文明の衝突」と
も解釈できるでしょう。
同じことは台湾問題についても言えるでしょう。中
国からみれば台湾は国内問題ですが、台湾はすでに
西側の一員とも解釈できますので、かつて「台湾は
中国の一部」と認めた事実はあっても、アメリカや
日本は「中国の国内問題」と簡単に割り切ることは
できないのです。その背景には、中国の野望が“台
湾に留まらず”、やがて世界を2分するような「文
明の衝突」に発展することを警戒し、何としてもそ
れを阻止したいと考えていることもあるのでしょう。
話を戻しましょう。ハンチントンは、来るべき時代
の「文明の衝突」を避けるために重要な3つの要件
を提案しています。
第1の要件は「それぞれの文明国が他の文明内の衝
突への干渉を慎むこと」、第2の要件は「それぞれ
の中核国が交渉を通じて文明の断層線で起こる戦争
を阻止すること」、そして第3の要件は「それぞれ
の文明の普遍主義を放棄して文明の多様性を受け入
れ、その上であらゆる文化に見いだされる人間の
『普遍的な性質』、つまり共通性を追求していくこ
と」としています。
その上で、「それぞれの文明に基づく国際秩序こそ
が、世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置である」と
結論づけました。
昨今の国際情勢をみるに、現実の世界はこの提言を
全く無視していることがわかります。第1と第3に
反することは、冷戦終焉後、アメリカが先頭に立っ
て何度も繰り返し、その反作用が今日の対立を生ん
でいるという見方もできるでしょう。また、そのよ
うな歴史的事実をなんら顧みず、近い将来、手段を
選ばず、同じよう干渉を目論んでいるように見える
国もあります。
私は、「文化」や「文明」自体が大きな影響力を持
たない日本が果たすべき役割は、ハンチントンが提
案する第2の要件の「粘り強く交渉を続け、文明の
断層線で起こる戦争を阻止すること」にあるのと考
えます。
歴史をさかのぼってみても、覇権国・中国に「日出
ずる国」との書簡を送り、「日の本」から「日本」
という国名の由来にもなったことをはじめ、福沢諭
吉がアジア諸国との連携を諦め、「脱亜入欧」を唱
えたことなど、我が国は建国以来、中国や朝鮮半島
とは別の“路線”を歩んできました。
昭和初期には確かに“行き過ぎた”部分もありまし
たが、我が国は今後とも第2の役割を演じる宿命に
あるのではないでしょうか。それこそが、東アジア
の東端に位置し、依然、他の文明と違い、孤立した
“一国家一文明”の「日本文明」を8文明の1つと
して残したハンチントンの国際政治学者としての理
性を超えた、ある種の期待感さえあるような気がす
るのです。
実際に、ハンチントンは、『文明の衝突』に続いて
上梓した『引き裂かれる世界』の中で、「日本は、
その文明の境界が国家の境界と一致している唯一の
国だ」として「自動的に助けてくれる“家族”がい
ない」とする一方で、「日本は独立した調整者とし
ての役割を果たせるユニークな位置にある」と「世
界は日本に『文明の衝突』を調整する大きな機会を
もたらしている」との期待感を滲ませ、「日本はも
っと外向きにならなければならない」と強調してい
ます。
しかし、文明的な孤立国の日本がその自覚と能力を
保持し、“調整者”として役割を果たせるかという
観点に立つと、相当厳しいことも明白です。実際に
は、「文明」は孤立していても、価値観や志を共有
できる「同志国」と連携しつつ、経済力、政治力
(外交力)、そして軍事力など「国力」の他の要素
を存分に活用できるか否かにかかっているのでしょ
うが、「文明」は異なっても“アメリカ寄り”にな
っており、それによって“独立性”を確保できない
ということも足かせになる可能性もあるでしょう。
現下の情勢をみるに、ハンチントンの予想した「文
明の衝突」が現実のものになっていますし、近い将
来、日本自体が当事国になる東アジア地域の「衝突」
も覚悟しなければならないでしょう。
とは言え、まだまだ本格的な「衝突」には至ってい
ませんので、「文明の断層線で起こる戦争を阻止す
る」ため、「日本文明」の中核国として責任の行使
ができるか否か、我が国は人類社会の未来を左右す
る“重要なカギ”を握っているのかも知れないので
す。
▼「日本社会」の現状と課題
繰り返しますが、実際問題として、我が国が上記の
ような意思や資格を含め���“能力”があるかどうか、
について真剣に考えるととても悩ましくなります。
再度、「文化」の定義に戻りますと、冒頭に紹介し
ましたように、「文化」には「哲学・芸術・道徳・
宗教・科学」など、具体的な形がない精神的なもの
まで含みます。我が国にあっては、「自由」「民意」
「平等」「ヒューマニズム」のような形に見えない
ものが「日本文化」を支配しています。つまり、日
本の「社会全体」を指すと言っても過言でないでし
ょう。
作家の三島由紀夫氏は、割腹自殺をする約半年前に、
「このまま行ったら日本はなくなって、その代わり
に、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間
色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東
の一角に���るのであろう」との言葉を残し、将来の
日本を憂いました。
あれから50年余りが経ち、日本はなくなりはしま
せんでしたが、今の日本は、三島氏の予言以上に国
家の基盤も経済状態も一層苦しくなって、日本社会
や国民全体が向かうべき方向を失い、混乱している
ようにも見えるのです。
また、前回も引用した京都大学名誉教授の佐伯啓思
氏も2013年に『日本の宿命』を上梓しましたが、
その動機として「今日の日本社会のありように対す
る絶望的なまでのいらだちを感じ、その真因がどこ
にあるのかを自分なりに確かめてみたかった」と
「あとがき」に本音を披露しています。本書の帯に
は「偽善栄えて、国滅ぶ。」とありましたが、それ
らの細部は省略します。ただ、当時の私には、佐伯
教授の“いらだち”がどこから来ているのか、明確
には理解できませんでした。
しかしこのたび、『我が国の未来を見通す』と題し、
可能な限りのデータを逐一明らかにして、我が国の
未来を見通そうとしましたが、「このままでは、我
が国は人類社会の救済はおろか、数年先の未来さえ
“見通せない”」ことを私なりに発見してしまいま
した。
その原因こそは、「日本社会」そのものにあり、そ
の“ありよう”に対する“むなしさ”とか“やるせ
なさ”がほぼ頂点に達していることも偽らざる心境
なのです。
三島由紀夫氏の“憂い”から50年あまり、佐伯教
授の“いらだち”から10年余りが過ぎ、「日本社
会」は当時よりもはるかにひどくなっており、もは
や限界に近づいているとさえ思うようになって、今
では、両氏の“憂い”や“いらだち”にほぼ完全に
共感できる自分がいるのです。
さあどうしましょうか。次回以降、「国力」を構成
する「ハード・パワー」を総括し、いよいよ「ソフ
ト・パワー」としての「国家戦略」と「国家意思」
を取り上げたいと考えています。「日本社会のあり
よう」の次元を超えて、「国の形」そのものを議論
する必要性を感じています。一個人の知見をはるか
に超えるテーマですが、少なくとも、「問題提起」
まではトライしてみたいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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ogawa-xd · 1 year
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「声の文化と文字の文化」
オング「声の文化と文字の文化」を読む。多くの文献がひかれていて難儀もしたが、ここ数年でも最高度におもしろかった。ページをめくるごとに刺激があり、すべての内容を読み切れてもいないが、熱いうちにまとめておく。この刺激が揮発してしまうのは、あまりに残念すぎる。
「声の文化と文字の文化」W-J・オング
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大筋:
文字の文化の前に声の文化があった。 現在われわれは、文字文化の中にいる。文字文化は手書きからはじまったが、途中では印刷という大きな波を経験し、今はエレクトロニクスという第二の波の最中である。
(ただし執筆は1982年であり、テレビやラジオが主で、コンピュータといってもインターネット普及以前でWebもSNSもない時代だ。BBSがかろうじてあったくらい。2003年に亡くなられているようだが、この時代に関する感想を聞きたかったものだ。)
われわれもはや、声の文化における思考の仕方やものごとの捉え方を忘れてしまっているが、両方をしっかりと考えて位置づけることが、未来をとく鍵にもなる。
文字の文化の前にあった声の文化の重要性。 声文化が文字のベースになっていることはそのとおりとしても、少なくとも、それは文字文化の改良以前の「劣った」前バージョンではない。別のものだ。
第1章 声としてのことば (一次的)声の文化 文字を書くことをまったく知らない人びとの文化、その人たちの世界認識のしかたは、現代のわれわれの想像をはるかに超えたものである。 ことば(声)の獲得以後/ことば(文字)の獲得以前
P.24 現存する言語:3000、そのうち文字を持っているのは78言語 自然言語 → 無意識から生じる コンピュータ言語 → 意識から直接生じる(ので扱わない)
ogawa: 彼の述べている「コンピュータ(言語)」は、インターネット/Web/SNS/ビッグデータ/クラウド/AI以前であり、コンピュータにまつわる彼の理解は今となってはあまり現実的ではない。プログラムによって自然言語を解析したり処理することも、含まれていない。 「プログラム言語」自体の言語性については、彼のスタンスで問題はないと思われるが、コンピュータが「自然言語」に影響する在り様は、印刷術(という技術)が言語に与えたインパクトに匹敵する、というかそれ以上の影響力を持っていると自分は考えている。今はまだその途上であって、途上にして大きな影響が顕在しているので、最終的にはどこまでのことが進展していくのか予想がつかないが、これは自分の最終課題である。
p.26 声 → 一次的なモデリング・システム(表現方法) → 研究が起きない → 集団的な過去に参加することによって学ぶ、見習う 文字 → 二次的なモデリング・システム(表現方法) → 研究は文字あって起きる → 「研究」によって学ぶことができる
p.33 「(ことばで表された)概念は、絶えずその語源を引きずっていく傾向がある」
p.34 ことば → 口頭での話し(声)に基礎を持つ 書くことば → ことばを ”視覚的な場に、むりやり永久に固定してしまう
p.39 声文化の人びと → 今日では文字を学びたいと強く思っているが、同時に、声の文化の心を沸き立たせる多くの愛するものを手放さなければならないことに哀惜の念もいだいている(「ピダハン」は、どうなのか?) → 「生き続けるためには、死ななければならない」
p.40 文字文化 → 先行する声文化を食べ尽くす/声文化が存在したという記憶すら破壊する しかし → 文字文化かぎりない順応性があり/完全でないにしろ声文化の記憶も再建されうる 文字文化による声文化の再建によって、人そのものの意識を高める
ogawa: [声→文字]の変遷の形式を、[文字→コンピュータ化] にシフトさせて見ることに意義がある。
第2章 近代における一次的な声の文化の発見
p.57 ホメロスの時代のギリシア人は陳腐な常套句を評価 → 声文化の認識世界/思考世界全体が、きまり文句的な思考の組立に頼っていたから → 声文化では、獲得した知識を忘れないように絶えず反復しなくてはならなかった   → 知恵をはたらかせ、効果的にものごとを処理するために、型にはめて固定した思考パターンが欠かせない
ogawa: 好きなジュリアン・ジェインズについてまるまる1ページ割かれていてにうれしくなる。細部には難を示しつつも、大筋において好意的や賞賛が感じられる。
第3章 声の文化の心理的力学
p.73 すべての感覚は時間の中でおきる。 なにかをよく調べるためには、それを静止させる必要がある/視覚は固定するのが得意で、それによって視覚は動きを記録する。 しかし、音には静止画にあたるものがない。
p.74 声文化の人にとってことばには魔術的な力がある。 かれらにとって、ことばは話され、音として響くもの、ゆえに力によって発せられる 文字文化の人はそれを忘れがち。 かれらにとって、ことばは投げだされた「モノ」で、非活動的で「死んでいる」 → 魔術とは結びつかない
p.76 「知っているというのは、思い出せること」
複雑な問題を考えて解にたどり着いたとする。その問題も解もある程度は複雑である → それらを文字や記録無しで、記憶しておくことは困難である なんの助けも借りず、もう一度思考の流れをたどり、吟味することは不可能である。
声文化の人の長く続く思考は、つねに人とのコミュニケーションと結びついている
どうするか → 記憶できる範囲内で思考する すぐ口に出せるくらいの記憶(量)に基づいた思考に留める
���に出せることが、記憶を助ける → 強いリズムを持つ、均衡の取れた記憶しやすい「型」にはめる、反復や対句、韻を踏む、あだ名のような形容句、きまり文句、紋切り型のテーマ、などなど。
p.92 声文化の中での知識の獲得 → 何年もかけて何度も口に出して根気よく習得し憶えていなければならない → 知識は得がたく貴重で、これを保存している古老が高く評価される  (文字として知識が外化されるようになると古老の価値はさがる   /新しいことの発見者としての若者の価値があがる) → 精神は伝統主義的で保守的な構えとなり、知的な実験を禁止する
p.102 声文化は定義に無関心 辞書にあたるものがない/語の意味はつねに現実の状況に固着している(その変遷や経緯は問わない/問えない)
p.119 声文化の人に関するさまざまな実験から見いだしたこと: 声文化の人の不得手なこと → 幾何学的な図形、抽象的なカテゴリーによる分類、形式論理的な推論手続き、定義、包括的な記述、ことばによる自己分析 → だから劣っているという意味ではない → そういった能力は、テキスト(文字)によって獲得したものであるという事実
p.153 視覚は分離し、音は合体させる 聞くことの中にひたることはできるが、視覚の中にはひたれない 視覚は切り離す感覚、音は統合する感覚。 視覚の理想は明晰判明性/分けて見る、聴覚の理想はハーモニー/一つにすること 知識は究極的には、分断ではなく統合であり、ハーモニーを求めること
p.161 ことばを記号と考えること → 人間的な経験を視覚に類似したものと考えがち カレンダーや時計で時間を理解することは、時間を空間扱い(視覚物扱い)して、わかった気になっているにすぎない → 空間還元主義
空間還元主義 → 計り知れぬほど有用で、技術的な必要性が高い → 否定できない but: 空間還元主義には知的な限界もあるし、ときに人を欺く
第4章 書くことは意識の構造を変える
p.166 書くことは、どんな発明にも増して、人間の意識を作りかえた
p.174 技術は、たんに外的なたすけになるだけのものではなく、意識を内的に変化させる
p.176 道具をみずからの一部とし、技術的なわざを学習することによって、人間が非人間的になることはまずない。むしろ、技術の使用によって、人の心は豊かになり、人間の精神は広がり、内的な生は密度を濃くする。
p.201 印刷物によって、書くことが人々の心に深く内面化されるまでは、人びとは、自分たちの生活の一瞬一瞬が、抽象的に計算される時間のようなもののなかに位置づけられているとは思ってもいなかった。中世、さらにルネサンス期になってもまだ、西欧の人びとの大部分は、いまが暦のうえで何円にあたるかといったことを日常生活のなかで意識していたっとはとても思えない。
p.223 文字言語の語彙が豊かになりはじめたのは、書くことにともなってだが、その豊かさの開花は印刷のおかげである。 文字言語があるところには、その文法と慣用がならずある 秩序(文法や慣用)という概念そのものの感覚的な基盤は、かなりの部分、視覚(文字言語が書かれ印刷されること)にある。
第5章 印刷、空間、閉じられたテクスト
p.242 印刷が → ルネサンス、宗教改革、近代資本主義、大航海時代を引き起こし → 生活と政治、知識を広め、万人識字、近代科学の興隆、社会的、知的生活を変えた そして印刷が人の意識を変えた
p.249 印刷によって、聴覚優位から視覚優位が確固たるものになった。 読みやすさ、速読、黙読を可能に。 語を空間の中に位置づける〜空間の中に釘づけにする → 索引、リスト(一覧表)、内容とレッテル(タイトルページ)、図像的なレッテル
p.260 版面が意味を運ぶ 正確に反復できる視覚情報(※ページの統合的なデザイン/デザインルール) → 近代科学はその一つ:正確な観察を正確な表現に結びつけたこと
p.263 タイポグラフィックな空間/空白 活字の作りだす空間 → 科学的想像力、哲学的創造料、文学的想像力に、はたらきかける
p.266 印刷が → 西洋人の認識のエコノミー「心性」に直接的影響を与えた → レトリック(声の文化にもとづく)技術を学問的教養の中心から追い出した → 数学的分析、ダイヤグラム、チャートによって、知識の数量化をおしすすめた → 辞書(あらゆることばを網羅)、正しい言語規則を打ち立てる欲求を喚起 → 小さく持ち運びできる本 → 一人で静かに黙読 → 内容の私有感覚
p.270 印刷は → テクストが閉じられている感覚をうながす → テクストの「内容」が、ある終わりによって区切られ、「完成」しているという感覚
認識の場が閉じられている感覚 → 書くことにより、思考は、対話相手から切りはなされ、紙面に隔離される
印刷物は → どんな反論にも無関心 → 内容(発話と思考)は、独立し、自足し、完全なものとして提示される (印刷は、同じ作品についての、まったくおなじ視覚的、物理的堅牢さをもった何千部もの版本のなかに、その作品の思考を閉じ込めてしまう。)
第6章 声の文化に特有な記憶、話しのすじ、登場人物の性格
p.285 物語は、いつどこでも、言語芸術の主要なジャンル もっとも抽象的な言語芸術形態の根底にさえ、物語は存在する。 人間の知識は、時間(と、それにしたがう物語)から生まれる。 → 抽象的な科学的知識の背後にさえ、観察の物語があり、抽象的な知識は、そうした物語にもとづいて定式化される。 → 実験室の学生たちは、実験結果を「書きあげ」なければならない。つまりおこなったことと、それをしたときに何が起こったのかを物語らなければならない。ある種の一般化や抽象的結論が引き出されるのは、物語からである。
第7章 いくつかの定理〔応用〕
p.363 声の文化と文字の文化の相互作用 → 人間の究極の関心と願望(としての宗教)にもかかわる   → 宗教的伝統は、声の文化に根ざした起源をもち、話されることばを重んじている   → また聖なるテクスト(ヴェーダ、聖書、コーラン)の発展によって内面化された
p.364 声の文化と文字の文化に関する問題は、いまや無数にある。 声の文化と文字の文化の力学は、現代の意識の進化の流れである、いっそうの内面化と開放にむけて合流していく。
(220929読了)
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shintani22 · 1 year
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2022年11月13日
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【サマリー:J1参入プレーオフ 決定戦】
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【熊本】J1初昇格逃す、大木武監督「こんな経験忘れたほうがいい」プレーオフで京都とドロー(日刊スポーツ)
J2ロアッソ熊本は1-1で京都サンガFCと引き分け、上位の京都が勝利するプレーオフ(PO)の規定により、J1初昇格を逃した。
下克上昇格はかなわなかったが、意地は見せた。同点の後半ロスタイム2分。クロスの流れから、MF平川怜(22)が渾身のシュートを放った。だが、京都FWウタカの“顔面ブロック”に阻まれた。再び目の前にきたボールをシュート。しかし今度はゴールポストにはじかれ力尽きた。
1点を追う後半23分、右CKから、DFイヨハ理ヘンリー(24)が2戦連発となるヘディング弾で同点。ボール支配率で上回り、枠内シュートも互角の7本と健闘した。
とはいえ、負けは負け。来季1年契約で続投する大木武監督(61)は、来季のPOの経験を生かす方法を問われて「いい経験を踏んだなら生かせるが、負けて、こんな経験忘れたほうがいい。サポーターを笑って帰してやれなかったのが心残り」と悔しさをにじませた。
九州のライバル・大分がJリーグ史上初となるJ3を経験してのJ1復帰を果たした18年。くしくも、熊本は08年のJ2昇格後初めてJ3降格の屈辱を味わった。前年の17年は他力ながら21位でギリギリ残留していたが、16年4月の熊本地震の影響もあって弱体化して以降、勢いを取り戻せないままもがき続けてきた。14年度決算では債務超過に陥り、クラブ存続の危機もあった。
だが、広島で強化部長や社長を務め、育成面で評価があった織田秀和氏(61)が18年にGM就任して、徐々に息を吹き返していった。
編成において、資金難ゆえに将来有望で伸びしろのある大学生の獲得に重きを置く。日本代表DF冨安と福岡ジュニアユース時代に同学年だった2年目のMF杉山や、J2得点ランク3位(14得点)で3年目FW高橋ら中心の多くが、大卒から熊本でプロになった選手。その数は、京都戦でのスタメンで6人に及んだ。20年に就任の大木監督が清水、京都監督、日本代表コーチなどを務めた豊富な経験を基に鍛え上げた。
J1の16位とはいえ、予算は約3倍の京都が相手だった。だが、大木監督は「(クラブの)歴史がないとか、経験がないとか、予算がないとかあるが、うちみたいなチームは何も成し遂げていないので、俺らもやれないことはないと思う」と強気で立ち向かった。
就任から3年計画で進化を遂げた“大木チルドレン”が、監督の言う「普段通りにやる」サッカーを体現した。エンブレムに象徴される火の国熊本の“暴れ馬”のごとく暴れた。【菊川光一】
【熊本】来季もJ2で編成面はいばらの道 主力残留望まれるも“草刈り場”になる可能性大(日刊スポーツ)
ロアッソ熊本はJ1参入プレーオフ敗退で来季もJ2となり、チーム編成面では、いばらの道が待ち受ける。
22年度決算見込みは収入約7億円、チーム人件費約3億円の緊縮財政の中、リーグ4位と躍進を遂げた。だが、来季も資金不足により、過度な補強や外国人の獲得はしない予定だ。
永田求社長(71)は「4番バッターばかりをそろえても仕方ないわけですから、野球で言う。ブレずに伸びしろのある若手を育てるチームにする」。編成に関しては、これまで通りお金をかけず、向上心やハングリー精神を持つ大学生の獲得や、ユースからの昇格などをベースにする方針だ。
基本、アンカーのMF河原創主将(24)、J2得点ランク3位のFW高橋利樹(24)、DF菅田真啓(25)ら主力の残留が望まれる。だがJ1からのオファーがすでに届いた選手もおり、他クラブの“草刈り場”になる可能性が高い。J3から昇格1年目で4位躍進した一方で、選手個々の能力もフォーカスされた。
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文科省が「図書館の自由」揺るがす依頼文 「拉致問題の本充実を」(朝日新聞)
文部科学省が全国の公立・学校図書館向けに出した1通の依頼文が波紋を呼んでいる。「拉致問題の関連本の充実」を求めるもので、内閣官房が文科省に依頼した。特定のテーマで国が図書館にこうした文書を送るのは初めてという。これに対し、公益社団法人・日本図書館協会は10月、「図書館の自由に関する宣言を脅かすものであると懸念する」などとする意見書を文科省に出した。
「北朝鮮当局による拉致問題に関する図書等の充実に係る御協力等について」
文科省が8月末、全国の公立・学校図書館あてに送った「事務連絡」だ。文書は、拉致問題の解決には「世論の一層の喚起が不可欠」だと指摘。12月10~16日の啓発週間に向けて関連本を充実させ、テーマ展示をするなどして、「児童生徒や住民が手にとりやすい環境の整備」に協力するよう求めている。
文科省地域学習推進課によると、図書館向けにこうした文書を出すのは初めて。「内閣官房拉致問題対策本部から頼まれたから」で、「図書館の自由を侵害する趣旨ではない。撤回予定はない」という。
拉致問題対策本部も「毎年力を入れている若者の啓発策だった。お願いにすぎず問題があるとは考えていない」との見解を示した。
図書館には戦前の反省から、独立や市民への責任をうたった「図書館の自由に関する宣言」がある。宣言では、「権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任に基づき資料の収集と提供を行う」などと明記している。
このため、図書館協会は依頼文について「外部からの圧力を容認し、主体的な取り組みを難しくする怖れがある」などとして「是認できない」としている。
現場の司書たちにも、危機感が広がっている。
千葉県の公立図書館で働く50代の男性司書は、9月、県から届いたメールで依頼文を知った。違和感を覚えた男性が司書の会議で議題にすると、戸惑いの声が上がった。
「国が依頼してくるのはどうなのか」「拉致問題は重要。本をそろえないということはないが……」
男性は「依頼文の通りに展示すれば『従った』ととられる。もう普通の展示はできない」と話す。
「国は『正しいこと』をやろうとしているのかもしれないが、協力を求めて当然という考え方は怖い」
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ウクライナ廃虚にバンクシー壁画 「不屈の象徴」と住民歓迎(AFPBB)
【11月13日 AFP】英国の覆面ストリートアーティスト、バンクシー(Banksy)が、ウクライナの首都近郊の廃虚と化した建物の壁にグラフィティを描いた。住民は「不屈の象徴」になると歓迎している。
バンクシーは11日、廃虚の壁に描かれた、倒立する体操選手の絵の写真3枚をインスタグラム(Instagram)に投稿。���ャプションには「ボロジャンカ(Borodyanka)、ウクライナ」と記されていた。
首都キーウ北西に位置するボロジャンカは、ブチャ(Bucha)やイルピン(Irpin)と同じく、2月のロシア軍の侵攻開始直後に激しい攻撃にさらされ、4月まで占領されていた町。ロシア軍による徹底的な破壊の爪痕を残す場所として知られている。
「私たちが不屈であることを示す象徴となる」と、オレクシーさんはAFPに語った。「そうとも、わが国は負けない」
ボロジャンカでは、柔道着姿の大人の男性を小さな男の子が投げ飛ばす様子を描いた壁画も見つかった。武道に熱心なロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領がモチーフとみられる。
この作品がバンクシーの作品かは確認できていないが、ウクライナのテレビジャーナリスト、ボグダン・マシャイ氏(30)は「男の子が老人に立ち向かい、打ち負かしている」「バンクシーがここボロジャンカにいるなんて信じられない」と感激を口にした。
キーウ近郊ではバンクシー風の壁画が他にも幾つか出現しており、ウクライナの人々は、バンクシーが今も国内で活動しているのではないかと考えている。イルピンの廃虚では、首を負傷してコルセットで固定した新体操の選手が、リボンの演技を披露する姿を描いたグラフィティが見つかっている。
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核ごみ、地下450メートルに 岩盤に密閉、3年後稼働―世界初の最終処分場・フィンランド(時事通信)
【オルキルオト島(フィンランド)時事】原子力発電所から出る使用済み核燃料の処理に各国が頭を悩ませる中、フィンランドは世界初の最終処分場建設を進めている。地中深くに放射性廃棄物を埋める「地層処分」と呼ばれる方式で、3年後の稼働を目指す。南西部オルキルオト島の地下400~450メートルに造られた最終処分場が、時事通信など一部メディアに公開された。
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【図解】核燃料最終処分場「オンカロ」
 ◇100万年先も安全
らせんを描きながら薄暗い坑道を下りていく。道幅は車2台がぎりぎり擦れ違える程度。天井や壁には掘削された岩肌の凹凸がそのまま残る。
核廃棄物の最終処分場「オンカロ」は、フィンランド語で「洞窟」を意味する。使用済み核燃料は約40年間、原発敷地内の貯蔵プールで保管。鉄と銅の容器(キャニスター)で二重に密封した後、オンカロ最深部の縦穴に配置する。
水の浸入を防ぐため、縦穴と容器の隙間はベントナイトと呼ばれる粘土で埋める。すべての縦穴が埋まると、トンネルそのものを粘土とコンクリートで密閉。処分場管理会社ポシバの関係者は「この岩盤は20億年近く安定しており、氷河期など地上の環境変化にも影響されない。100万年先も安全だ」と語る。
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「オンカロ」の粘土とコンクリートで密閉された実験用トンネル=10月31日、南西部オルキルオト島
 ◇透明性を徹底
約5キロ続く坂道を下り、オンカロの最深部に到着した。空気は乾燥し、人や重機が舞い上げた砂ぼこりの臭いが鼻を突く。アリの巣のように張り巡らされたトンネルには、核燃料を埋設する縦穴が数メートル間隔で掘られる。最終的にトンネル数は100本以上、総延長は50キロになる見通しだ。
2025年ごろに稼働し、約100年かけて使用済み燃料6500トンを埋設する。同関係者は「すべてのトンネルや道を埋め戻した後は、地上施設を取り壊し、生物圏から隔絶する」と説明する。
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「オンカロ」の地下450メートルに下りる坑道
スウェーデンは今年1月、フィンランドに続き、最終処分場の建設計画を承認した。だが、日本を含む各国では処分場の建設地選定が難航。フィンランドが他国に先駆けた背景には、伝統的に政府や公共機関に信頼を寄せる国民性もあったとされる。「徹底した情報開示で透明性を確保し、地元住民と協議を重ねた」とポシバ社の広報責任者パシ・トゥオヒマ氏。オンカロの見学希望者は、可能な限り受け入れたという。
オルキルオト島では原子炉2基が稼働し、近く3基目も運転を開始する予定だ。原発とオンカロで20年以上働く地元住民のヤン・ライホネンさん(52)は「多くの住民は原発の安全性を信頼しており、最終処分場もさほど抵抗なく受け入れた」と話している。
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【本日(11/13)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 県内で2105人感染確認3人死亡 13日発表(NHKニュース)
広島県では13日、新たに2105人が新型コロナウイルスに感染したことが確認され、3人が亡くなったと発表されました。
感染が確認されたのは、▼広島市で955人、▼福山市で311人、▼東広島市で162人、▼呉市で120人、▼廿日市市で110人、▼尾道市で78人、▼三原市で74人、▼三次市で65人、▼府中町で52人、▼海田町で29人、▼大竹市で28人、▼庄原市で22人、▼府中市で21人、▼竹原市で18人、▼安芸高田市で11人、▼熊野町で10人、▼世羅町と神石高原町でそれぞれ7人、▼江田島市と安芸太田町、北広島町でそれぞれ6人、▼坂町で4人、▼大崎上島町で3人のあわせて2105人です。
1週間前の日曜日より71人増えていて、9日連続で前の週の同じ曜日を上回りました。
これで県内での感染確認は、のべ49万286人となりました。
また、県内で患者3人が亡くなったと発表されました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後、死亡した人は801人となりました。
新型コロナ県内の医療体制 病床使用率42.7% 12日時点(NHKニュース)
12日の時点で病床の使用率は42.7%(確保病床517床、入院患者221人)、このうち重症患者用の病床使用率は9.5%です(確保重症病床42床、重症の入院患者4人)。
軽症の人や症状がない人が入る宿泊療養施設は1047室を確保し、307人が過ごしています(利用率29.3%)。
直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は556.92人です。
現在、広島県の感染状況はレベル0から4の5段階のレベルのうち、医療体制への負荷が生じはじめていることを示す「レベル2」です。
【新型コロナ 厚労省まとめ】67人死亡 6万8894人感染(13日)(NHKニュース)
厚生労働省によりますと、13日に発表した国内の新たな感染者は空港の検疫などを含め6万8894人となっています。また国内で亡くなった人は67人で、累計4万7579人となっています。
また、今月10日に行われた自主検査を除くPCR検査などの数は速報値で6万5009件でした。
東京都 新型コロナ 3人死亡 6922人感染確認 前週に比べ652人増(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 4人死亡 3269人感染確認(NHKニュース)大阪府内の感染者の累計は221万2402人となりました。府内で感染して亡くなった人は、合わせて6661人となりました。
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飼いネコがコロナ発症 北海道・中標津の獣医師らが国内初報告(北海道新聞)
【中標津】根室管内中標津町の「やまだ動物病院」の獣医師山田恭嗣さん(56)と国立感染症研究所が、新型コロナウイルスに感染し、発症した飼いネコの症例を論文にまとめた。新型コロナウイルスに感染した動物の発症の報告は国内初という。山田さんは飼い主からネコに感染した可能性があるとし、「動物に接する際も感染防止を」と呼びかけている。
症例は今年4月に日本獣医師会雑誌で報告した。
ネコは、同管内の住民が室内で飼育する12歳の雌。2021年8月、飼い主と家族が新型コロナに感染して発症し、その10日後にネコにくしゃみや鼻水などの症状が出た。飼い主はネコの発症の3日後、動物病院に電話し、自身の新型コロナ感染についても伝えた。
山田さんはネコにも感染した可能性があると考え、飼い主に採材キットを送付。ネコの口内などから採取した粘液を国立感染症研究所で遺伝子や中和抗体を分析したところ、ネコが飼い主らと同じデルタ株に感染していたことがわかった。
ネコは発症8日後に食欲減退など症状が悪化。山田さんが抗菌剤や抗ウイルス剤などを投与すると翌日に症状が緩和した。風邪と症状が似ているため、山田さんは「症状だけで新型コロナと診断するのは難しく、飼い主の感染などの申し出が不可欠。情報がなく見過ごされた例もあるのではないか」とみる。
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トム・ヴァーレインのブックセールにて
アレックス・アブラモビッチ
昨年の夏、ブルックリンでこんなミームが飛び交った: トム・ヴァーレインのブックセールの会場でキスしたらどうなる? バンド「テレヴィジョン」を結成し、そのフロントマンを務めたヴァーレインは、2023年1月28日に死去した。彼は長年にわたり、アート、音響学、占星術、UFOなど、さまざまなテーマに関する5万冊、20トン以上の本を入手していた。ブルックリンの隣接するガレージで8月に2日間にわたって行われたこれらの本の販売会は、大変な人気だった。アヴァンギャルドポップ・ミュージシャンのアート・リンゼイが立ち寄った。トニー・アウスラーは短いビデオを撮り、インスタグラムに投稿した。旧友たち(中には数十年ぶりに太陽の下に出てきたかのような者もいた)が、長い行列の中にお互いを見つけた。
ヴァーレインは膨大なコレクションをいくつかの倉庫に分けていた。彼が暮らすチェルシーの1ベッドルームから歩いてすぐの場所に1つ、川向こうのゴワナス運河に近いレッドフックに4つ。ヴァーレインはウーバーを使わなかった。ブルックリンの方の倉庫に行くには、おんぼろの食料品カートを持ってF系統の地下鉄に乗り、街でいちばん標高の高い地下鉄駅であるスミス・アンド・ナインストリート駅まで行き、あとは徒歩で移動した。人ごみの中で、ヴァーレインは目立った。背が高く、痩せていて、きれいな姿をしていた。(「トム・ヴァーレインの首はロック界で最も美しい」とパティ・スミスは1974年に書いている。「本物の白鳥みたい」)。彼は一度もタバコをやめず、フィルム・ノワールの登場人物のようなカーコートを着ていた。しかしそんな彼がカートを押して階段やエスカレーターをガタガタと降り、ブルックリン・クイーンズ・エクスプレスウェイの下をくぐり、7車線の道路を横切��、レッドフックに向かっていた。本をどこかに運ばねばならなかったのだろう。
ヴァーレインはストランド書店の常連で、かつて出荷部門で働いていたこともあった。店の前の1ドル均一のカートのまえにいるところを見かけることもあった。ツアー中にはサウンドチェックから開演までの時間を利用して地元の書店を訪れた。ブルックリンでは、倉庫にあまりにぎっしりと荷物を詰め込んでいたため、彼の遺品整理を任された友人のパトリック・デリヴァズは、箱を動かすスペースを確保するためだけに別の倉庫を借りなければならなかった。テレヴィジョンの直近のギタリストだったジミー・リップは、1月にアルゼンチンからやってきたが、7ヶ月後にまだニューヨークにいて作業を手伝っていた。ブッシュウィックの書店「ベター・レッド・ザン・デッド」のデイヴ・モースとマティ・ディアンジェロも整理に参加していた。
モースは言う。「ふつう、『5万冊の本がある』と言う電話がかかってきても、行ってると500冊くらいなんだ。今回、僕らは箱を数えた。5万冊よりは少しだけ少なかったかもしれない。ヴァーレインはパッキングがとても上手だったからね。たくさんの詰め物が使ってあった。波形の段ボールを折ったりプチプチを使って、即席で巣のようなものをつくってある。がさつではあったけれどとても几帳面で、ほとんどの本は素晴らしい状態だった。僕らは計算し、自分たちだけでは無理だと悟って頭をかいた。そしてスペースを持っている知り合いのディーラーを考えた。
ディアンジェロはワシントンDCのキャピトル・ヒル・ブックスを思い出した。そこはブックストア・ムーバーズという姉妹会社を持っていて、トラックも調達できた。そのトラックはいま、ブルックリンのガレージの前にあって、デリヴァズがみている。中の本は「文学」、「詩」、「宗教」といったテーマ別に分類されている。ディアンジェロは、神話や神秘主義、オカルト、超常現象、スピリチュアリティを指す「MOPS」という新しいカテゴリーを作った。イスラム教の旋舞教団、アレイスター・クロウリー、アントン・ラヴェイに関する本が、チャップブック[17世紀ごろからの冊子]や料理本(ヴァーレインがコンロで作ったのはコーヒーだけだったが)、中国に関する本の隣に並んでいた。読書家として、ヴァーレインは心理学や過激な理論に思う存分傾倒した。しかし、何度も立ち返ったテーマがあり、興味がずっと昔にさかのぼるものもあった。ヴァーレインのかつての親友でありバンドメイトでもあったリチャード・ヘルは、2013年に出版された自伝『I Dreamed I Was a Very Clean Tramp』の中で、彼がとても若かった頃のことをこう語っている:
世界は彼にとって理解不能の異様なところと写っており、空飛ぶ円盤のようなものから、極端な陰謀論、不明瞭な宗教的神秘主義まで、あらゆる種類の非合理的な説明に影響を受けやすかった。彼は、これらの信念や疑念が多くの人々にとってクレイジーに映ることを知っていたし、それが彼が人前に出るのを嫌がっていた理由の一つだ。
ブックセールの数日後、私はリップとデリヴァズに会うためにレッドフックの倉庫まで歩いて行った。彼らはアンプ、スピーカー・キャビネット、真空管でいっぱいのユニットを見せてくれた。それもヴァーレインが収集したものだ。「曲のキーがE♭だと、トムは真空管を交換するんだ。ほら、ここに、彼が印をつけていたかがわかるだろう」
販売会場には『The Tube Amp Book(真空管アンプの本)第4版』というカタログが、ギオルギー・リゲティの伝記とブルーノート・レコードの歴史に挟まれてあった。私はいま、それを買わなかったことを後悔している。ヴァーレインはまだ製造が続いているスロバキアから輸送した新しい真空管を持っていた。eBayから入手した、あるいはeBayが存在する前に購入したヴィンテージの真空管も持っていた。何百という真空管を持っていた。
ヴァーレインは高価な機材には手を出さなかった。(ルナ・アンド・ギャラクシー500のディーン・ウェアハムは、ヴァーレインがかろうじて弾ける12弦のエレキを持ってスタジオに現れ、それを見事に弾きこなしたことや、ヨーロッパ・ツアーを全く機材を持たずに行い、各都市で新しいストラトキャスターをレンタルしたことを覚えている)。しかし、彼は自分のトーンにこだわった。ジェフ・ベックのように、アンプに直に接続し、ギターのボリュームとトーンのノブを操作して、他のプレイヤーがエフェクターのペダルでしか作れないようなエフェクトを得ることができた。彼はおそらく、どこまでも繊細だったのだろう。リップは彼らのサウンドチェックの一コマを振り返った。「トムが弾くのをやめて『ブーンという音がする』と言った。俺らには何も聞こえなかったけれどトムは言い張った。俺らはその音の元を探して、やっと会場のうしろのほうで見つけたんだ。その下まで行かなければわからなかったのに、トムはステージから気づいたんだ」
「トムは非常にガード固かった」とヘルは自伝に書いている。「防御が強いんだ。それには良いことも悪いこともある。それは彼にある種の整合性を与えた。流行に流されることはなく、慎重で信頼できた。でもそのせいで一緒に仕事をするのは本当に難しかった」。しかし、6年ほどの間、ヴァーレインとヘルは(ふたりは一緒にデラウェア州の高校を飛び出し、ニューヨークで再会していた)同じアパートに住み、同じダブルのマットレスで眠り、「テレサ・スターン」として一緒に詩を書き、ヘルが主宰する詩誌『ドット』から出版した(彼が最初に出版したのはアンドリュー・ワイリーの詩集だった)。
1972年、ふたりはバンドを結成した。ヴァーレインはサード・アベニューの質屋でベース・ギターを選び、ヘルに基本を教えた。髪を切り、名前を変え(「マイヤーズとミラー」から「ヘルとヴァーレイン」に)、ネオン・ボーイズと名乗り、ビリー・フィッカを加入させた。数ヶ月間、彼らはヴァーレインのアパートでリハーサルをした。アンプやセットを買う金はなかった。ジャズ志向の優秀なドラマーだったフィッカは、代わりに電話帳でドラムを叩いた。ヘルは「Love Comes in Spurts」、「Blank Generation」、「Eat the Light」など数曲を書いた。ヴァーレインは「Bluebirds」、「$16.50」、「Tramp」を書いた。彼らは『ヴィレッジ・ヴォイス』紙に「ナルシストなリズム・ギタリスト募集、最低限の才能があればOK」という広告を掲載し、何人かがオーディションを受けた(ディー・ディー・ラモーンになったダグ・コルヴィンや、ブロンディを結成することになったクリス・スタインもいた)が、誰もフィットしなかった。1973年になっていた。ヘルとヴァーレインは13番街にある小さな店、シネマビリアで働いていた。マネージャーのテリー・オークは、チャイナタウンのロフトに寝泊まりしていたリチャード・ロイドを推薦し、ロイドを2人目のギタリストに迎えて、彼らはバンド名をテレヴィジョンに変えた。
CBGBのオーナーであるヒリー・クリスタルは、彼のクラブでカントリー、ブルーグラス、ブルースのバンドを取り上げようと計画していた。テレヴィジョンをマネージメントするようになったオークは、代わりに自分のバンドを演奏させるよう彼を説得した。徐々にひとつのシーンが形成されていった。テレヴィジョンはリチャード・ウィリアムズとブライアン・イーノとデモを録音した。もしヴァーレインがイーノのサウンドを嫌っていなければ、イーノは彼らのファースト・アルバムをプロデュースしていただろう。ヴァーレインは、イーノがそのテープをイギリスに持ち帰ったと確信していた。ロキシー・ミュージックの次のアルバムのグルーヴの中に、自分のアイデアが入っているのが聴こえたと思っていたのだ。それが事実かどうかは別として、同じ頃、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドは、とんがった髪、破れたTシャツ、安全ピンといったヘルのルックスや態度をコピーし、セックス・ピストルズにあてがった。ヘルは回想する。「俺らの演奏はまるで反逆のスクラップが転がり落ち、ぶつかり合う音みたいで、同時にそれを遠くから眺めているみたいに美しくて胸が張り���けそうでもあった。感動��せられ、揺さぶられ、目を覚まさせられた」
しかし、テレヴィジョンがファースト・アルバムをレコーディングする頃には、バンドはそのメンバーではなくなっていた。ヴァーレインは、徐々に、そしてその後は徐々にではなく、ヘルとヘルの曲を脇に追いやった。『Marquee Moon』を何年もリハーサルして手を入れ続け、考え続け、それは1977年、ヘルの脱退から2年後に発表された。ヘルの代わりにフレッド・スミスがベースを弾いていた。曲はより慎重に構成され、短編小説のように構成された。ヴァーレインはジョン・コルトレーンとアルバート・アイラーを愛し、彼のレコード・コレクションの大半はESPやインパルスといったレーベルのジャズ・アルバムで占められていた。しかし、コンサートでも、テレヴィジョンがノイジーで自由だった頃、ヴァーレインとロイドが奏でる連動したソロは高度にアレンジされていた。ウィリアムズはそれを「金線細工を施された」と表現した。
彼らの曲は文字通り「文学的」だった。ロックンロールではめったに美徳とされないことだが、ヴァーレインにははまっていた。彼は手がかりや警官、裏切り者、その他ハードボイルドな小物でいっぱいの探偵小説を書き、それを打ち砕いているかのようだった。『Marquee Moon』に収録されている8曲のうち5曲は、夜に起こる物語を歌っている。4曲は過去形と現在形を行き来している。ヴァーレインの描くイメージにははっとさせられる。「素敵な小舟が欲しい/海でできた小舟」、「世界はとても薄かった/俺の骨と皮のあいだで」、「思い出す/雷が雷自身に落ちたのを」。
しかし、パンクの先駆けとなったテレヴィジョン(ヘルが所属していたときのグループ)がアナーキーで、1977年のテレヴィジョンがほとんどプログラムされたようにコントロールされていたとしても、両者を異なるバンドと考えるのはまちがいだし、ヘルとヴァーレインを正反対の人物と見るのもまちがいだ。ヴァーレインの歌声は神経質で切迫していた。彼のアルバムはやはりパフォーマンスであり、素早く録音され、多かれ少なかれライブだった。奇妙で、絶望的で、すばらしかった。1曲目の終わりに「愛する人と未来を引きずり降ろせ」とヴァーレインは10回続けて歌っている。彼とヘルには共通の恍惚感があった。
もちろん彼らは憎み合っていた。「あいつには我慢できない」とヴァーレインは言い、ヘルも手加減しなかった。しかし、『I Dreamed I Was a Very Clean Tramp』のエピローグで、ヘルはほんとうに久しぶりにヴァーレインに会ったときのことをこう語っている:
このあいだ、レストランから家に帰る途中、古本屋の前でトム・ヴァーレインが安売り本の箱を漁っているのを見かけたんだ。俺は彼に近づいて、「空飛ぶ円盤について何かわかったか?」と聞いた。
ヘルはヴァーレインの歯(俺の歯よりもっと悪い」)、顔(「でこぼこで膨張している」)、髪(「白髪まっしぐら」)を描写している。
俺は背を向け、ショックを受けて歩き去った。俺たちはまるで2匹の怪物が打ち明け話をしているようだったが、ショックを受けたのはそのことではなかった。俺が愛を感じたからだ。俺は彼に感謝し、彼を信じ、自分の中で、彼がありえない人間であり、彼を好きになることがありえないことを肯定した。それまでもずっとそうだったのだ。俺はこれまでと同じように彼を近くに感じた。彼のような人間以外に何を信じればいいのだろう? なんてこった、俺は彼と同じなんだだ。俺は彼だ。
ヴァーレインの本は、Better Read than DeadやCapitol Hillのサイトでまだ購入できる。彼のレコード・コレクションは、そのうちグリーンポイントとイースト・ヴィレッジのアカデミー・レコード別館で販売されるだろう。その本やレコードははいまとはちがう時代、いまとはちがう街を思い出させる。書店やレコード店が遅くまで開いていて、CBGBで夜遊びした後でも店を覗くことができて、そこで手に入るものは安かったし、それを保管するのに必要なスペースも安かった。たとえ書店で働いていたとしても、その金でオフセット印刷機を買って自分で詩の版元を始めたり、ソーホーにロフトを見つけて自分のバンドを始めたりできたのだ。
2024.3.4
ロンドン・レビュー・オブ・ブックスに掲載
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shintani24 · 24 days
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2024年3月5日
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昭和50年代 広島市写真展(広島テレビ)
昭和50年代と現在の広島を比較し、変遷をたどる写真展が、きょうから広島市内で始まりました。
カープが初優勝した1975年。山陽新幹線の岡山・博多間が開業し、「カープの優勝は新幹線のおかげ」とも語られました。
旧日本銀行広島支店では、広島市が大きく発展した昭和50年代の街並みと現在を比較する写真、およそ170枚を展示しています。
会場には1981年に撮影された巨大な空中写真も展示。訪れた人たちは現在のマツダスタジアムの近くにあった貨物駅などを見ながらかつての景色を懐かしんでいました。
「ほとんど見たことがある写真団塊の世代ですからちょうど」
写真展は、今月10日まで開かれています。
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減少する街の書店、国が本格的支援へ…読書イベント・カフェギャラリーなど個性的な取り組み後押し(読売新聞)
全国で減少する街の書店について、経済産業省が大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を5日設置し、初の本格的支援に乗り出す。書店は本や雑誌を売ることを通し、地域文化を振興する重要拠点と位置づける。読書イベントやカフェギャラリーの運営など、個性ある取り組みを後押しする方策を検討する。
経産省によると、プロジェクトチームは映画や音楽、文芸などを扱うコンテンツ産業課に事務局を置く。キャッシュレス決済の推進や中小企業支援を担当する部署も参加し、部局横断型で事業内容の議論や調査を進める。
今後、経産省の担当者らと書店や出版関係者による車座ヒアリングの開催を予定。非効率な出版流通の改善や店舗運営におけるデジタル技術活用の必要性など課題を把握する。店主が一冊ずつ良書を選んで入荷し、店のサイトやSNS上で紹介する個人書店や、カフェや文具店を併設し魅力的な読書空間を作る書店チェーンなど優れた事例を共有し、支援策の参考にする。
街の書店は、インターネットの普及による紙の出版物の不振やネット書店の伸長により苦境が続く。日本出版インフラセンターによると、2013年に全国1万5602店あった書店の総店舗数は、22年に1万1495店に減った。
一般財団法人・出版文化産業振興財団(東京)の調査によると、全国の市区町村のうち、地域に書店が一つもない無書店自治体はおよそ4分の1にのぼる。本や雑誌を直接手に取って購入できない人が増える深刻な状況となっている。
本と出会う機会喪失に深刻な危機感
経済産業省が大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を設置する背景には、街の書店が減り、多くの人がリアルな空間で未知の本と出会う機会を失っていることへの深刻な危機感がある。全国の自治体のうち約4分の1はすでに書店がなく、実際に地域による文化格差は生まれている。
世界経済のグローバル化が進む中、経産省は、映画や音楽をはじめコンテンツ産業の振興を掲げる。「経済が成熟する中で、自国のサービスや商品が海外で勝ち抜くには、文化による新たな付加価値をつけることが必要」と語る。だが文化の基盤である活字や本に人々が広く触れる環境がなければ、新たな魅力的な発想は生まれないだろう。
韓国では、日本の文化庁やスポーツ庁などにあたる文化体育観光省管轄の「韓国出版文化産業振興院」が中核になって支援事業を担当。独立系書店と呼ばれる中小の書店が活気づく。
東京都文京区で街の書店「往来堂書店」を営む笈入(おいり)建志さん(53)は、「雑誌が売れた頃は、お客が定期的に街の書店を訪れる習慣があった。今は2000年頃に比べ、お客は7~8割になった感覚だ」と語る。人々が本を買いに店に立ち寄るきっかけを作るため、トークイベントや読書会などを開く工夫をしている。
各地の書店には、優れた選書眼や読書イベントの経験を持つ書店員たちがいる。まずは、現場から優れた事例を集め、何ができるのか国や民間の垣根を越えて知恵を絞りたい。(文化部 小杉千尋)
西川立一(ラディック代表/流通ジャーナリスト/マーケティングプランナー)
見解 街の書店の苦境は、稼ぎ頭だった週刊誌などの雑誌の衰退や漫画の電子本の台頭も要因で、それに店主の高齢化による廃業や後継者不足で店舗数の減少が加速化した。
一方で、若い人を中心に特色ある書店の出店も盛んになりつつあり、紀伊国屋書店をはじめとする大手は堅調で、大型のショッピングモールには書店が必ずと言ってある。
経産省の「書店振興プロジェクトチーム」の設置は、遅まきながらの感もあるが支援は必要だ。ただ、官主導での取り組みだけではなく、地域の人たちがどれだけ書店を必要としているか、そのため主体的に何ができ、何をするのかが求められている。
中井彰人(株式会社nakaja lab 代表取締役/流通アナリスト)
見解 生き残って頑張っている街の書店は、イベントやSNS発信によって文化の灯を消さぬよう努力をしている。しかし、書籍小売業が苦しいのは、本が売れなくなったことに加えて、本がある程度売れたとしても、粗利率が低く抑えられているため(2割強)、収益の確保が難しく、持続するのが困難なことにある。この解決策を見つけたのが、ヴィレッジヴァンガードである。今は店舗を広げすぎて業績が苦しい状態ではあるが、かつて、ヴィレヴァンは、総売上の6割以上を雑貨で構成することで、読んでもらいたい本の売場(売上の3割弱)を維持することに成功した(2002年時点のデータ)。この時の同社の雑貨粗利率36%、本は21%であり、これで事業としての持続可能性を構成していたのである。書店支援は単に予算を流し込むのではなく、書店が事業として収益確保するため、商材やサービス及び、自立的ビジネスモデル開拓の支援に、重点を置いてほしい。
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「書店」10年間で764社が倒産や廃業で消えた(東京商工リサーチ 3月10日)
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「書店」倒産、休廃業・解散、新設法人 社数推移(1-12月)
書店運営会社(以下、書店)の市場退出が止まらない。2014年以降、書店は倒産・休廃業が新設法人を上回る状態が続き、10年間で764社が市場から退出した。店舗数の減少も続いている。経済産業省は3月5日、「書店振興プロジェクトチーム」を立ち上げ、支援意向を示すが、ネット書店や電子書籍に押された書店の減少に歯止めがかかっていない。
書店の倒産 ピークは太洋社破産の2016年
書店の倒産(負債1,000万円以上)は、2014年から2023年の10年間で140社に及ぶ。
ピークの2016年は25社発生した。2016年は、出版取次の(株)太洋社(千代田区)が自主廃業の方針から一転して3月に破産を申請した。連鎖する形で同月30日までに18社の書店が、次々と倒産や廃業に追い込まれた。書店の経営環境が厳しさを増し、書籍を卸す取次店の業績悪化も深刻な時期だった。
その後、書店の倒産は一進一退が続き、コロナ禍では資金繰り支援や巣ごもり需要などを背景に、倒産は減少に転じた。2021年、2022年の倒産は各5社と小康状態にあったが、支援縮小や特需が一巡した2023年は一気に13社と2.6倍に急増した。
書店の休廃業・解散が高止まり
倒産以外で事業を停止した休廃業・解散も分析した。太洋社が破産した2016年の休廃業・解散は63社(前年比28.5%増)と急増。その後も増勢をたどり、2018年は78社、2019年は77社と高水準が続いた。
コロナ禍では倒産と同様、休廃業・解散も減少したが、60社前後で高止まり状態にある。
倒産と休廃業・解散の合計は、ピークの2019年に101社に達した。コロナ禍では減少したが、2023年は67社に微増し、過去10年間で764社が市場から退出している。
書店は8年連続で純減
一方、書店の新設法人は、2013年が81社だった。2013年の倒産と休廃業・解散の合計は75社で、書店は6社の純増だった。
ところが、新設数の減少から2014年は8社の純減に転じ、2019年は56社まで純減が拡大した。コロナ禍の2022年も21社の純減で、2014年から8年連続で純減が続いている。
電子書籍が浸透し、書店の存在が揺らいでいる。店舗で目当ての本を探す楽しみや、知らない本との出会いも、書店の減少で失われつつある。書店の復活には“待ちの営業”から客足を向かせる創意工夫への転換と同時に、国や出版社の継続的な支援が必要だ。
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takachan · 1 month
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次世代モデル、 Gemini 1.5 を発表
先週、私たちは高性能 AI モデルである Gemini 1.0 Ultra を公開し、Google 製品をより便利にする取り組みの大きな一歩として、Gemini Advanced (英語版のみ)を公開しました。そして本日より、デベロッパーやクラウド 顧客のみなさまは、AI Studio と Vertex AI の Gemini API より、1.0 Ultra で構築をいただくことができます。  Google は、安全性を重視しながら最新の AI モデルの進化を続け、急速な進歩を実現しています。本日公開する次世代モデルの Gemini 1.5 も、さまざまな面で大幅な改善が行われており、1.5 Pro は、より少ないコンピューティングでも 1.0 Ultra と同等のクオリティを担保します。 この新世代モデルは、長文の文脈理解においても画期的な進歩を遂げています。最大 100 万のトークンを継続的に処理することが可能で、扱える情報量が大幅に増加しました。これまでの大規模基盤モデルの中で最長のコンテキスト ウィンドウを実現しています より長いコンテキスト ウィンドウを扱えるようになったことで、様々な新しい可能性が生まれてきます。より有用なモデルやアプリケーションを構築できるよう開発が可能になります。この試験運用機能の限定プレビューをデベロッパーと企業のみなさまに提供できることを嬉しく思います。  Sundar Pichai, Google / Alphabet CEO    Gemini 1.5 を公開 AI が大きな革新を遂げる現在において、この分野の新たな進歩は、今後数年間で AI が数十億の人々にとってさらに役立つようになる可能性があります。Gemini 1.0 の導入以来、私たちは機能のテストや改良、強化を重ねてきました。 本日、次世代モデル Gemini 1.5 を発表します。 Gemini 1.5 は、大幅に強化されたパフォーマンスを提供します。Gemini 1.5の開発は、Google の AI への取り組みにおける飛躍的な変化を表し、基盤モデルの開発とインフラストラクチャのほぼすべての部分における研究とエンジニアリングの革新に基づいています。これには、新しいMixture–of-Experts (MoE) アーキテクチャによる Gemini 1.5 のトレーニングとサービスの効率化も含まれます。 初期テスト用に公開する最初の Gemini 1.5 モデルは、 Gemini 1.5 Pro です。これは中規模のマルチモーダル モデルで、幅広いタスクにわたるスケーリングに最適化されており、これまでで最大のモデルである 1.0 Ultra と同様のレベルでパフォーマンスを発揮します。また、長文の文脈理解に関する試験運用機能も導入しています。 Gemini 1.5 Pro には 128,000 トークンのコンテキスト ウィンドウが標準で付属していますが、本日より、一部のデベロッパーと顧客企業は、AI Studio と Vertex AI より、限定プレビュー版で最大 100 万トークンのコンテキスト ウィンドウをお試しいただけます。 100 万トークンのコンテキスト ウィンドウ全体は計算量が多く、レイテンシーを改善するためにさらなる最適化が必要ですが、規模拡大に向けて積極的に取り組んでいます。  これらの次世代モデルの継続的な進歩が、人々やデベロッパー、企業による AI を活用した新たな可能性を開きます。   高効率なアーキテクチャ Gemini 1.5 は、Transformer および MoE アーキテクチャに関する Google の最先端の研究に基づいて構築されています。従来の Transformer は 1 つの大きなニューラル ネットワークとして機能しますが、MoE モデルはより小さな「エキスパート」ニューラル ネットワークに分割されます。 与えられた入力の種類に応じて、MoE モデルはニューラル ネットワーク内の最も関連性の高いエキスパート パスウェイのみを選択的に有効化することを学習します。そして、これによりモデルの効率が大幅に向上します。Google は、Sparsely-Gated MoEやGShard-Transformer、Switch-Transformer、M4 などの研究を通じて、ディープ ラーニングの MoE 技術を早期に採用し、先駆的な取り組みを行ってきました。 モデル アーキテクチャにおける最新のイノベーションにより、Gemini 1.5 は複雑なタスクをより迅速に学習し、品質を維持できると同時に、トレーニングとサービスの効率が大幅に向上しています。これらの効率化により、チームはこれまでよりも迅速に Gemini のより高度なバージョンのトレーニングや提供ができるようになりました。また、私たちは、さらなる最適化にも取り組んでいます。 より拡張されたコンテキスト、より役立つ機能 AI モデルの「コンテキスト ウィンドウ」は、情報処理に使用される構成要素であるトークンで構成されます。トークンは、単語、画像、動画、音声、またはコードの全体または一部にすることができます。モデルのコンテキスト ウィンドウが大きくなるほど、特定のプロンプトでより多くの情報を取り込んで処理できるようになり、出力の一貫性や関連性、有用性が高まります。 一連の機械学習の革新を通じて、1.5 Pro のコンテキスト ウィンドウの容量は、Gemini 1.0 の 32,000 トークンより大幅に増加しました。現在、最大 100 万個のトークンを実行できます。 これは、1.5 Pro が 1 時間の動画、11 時間の音声、30,000 行以上のコードまたは 700,000 字以上のコードベースなど、膨大な量の情報を一度に処理できることを意味します。研究では、最大 1,000 万個のトークンのテストにも成功しています。 膨大な量の情報に関する複雑な推論 1.5 Pro は、特定のプロンプト内の大量のコンテンツをシームレスに分析、分類、要約することができます。たとえば、アポロ 11 号の月面着陸に関する 402 ページの記録では、文書内にある会話、出来事、画像、詳細について推論することができます。   複数のモダリティの相互理解と推論の向上 1.5 Pro は、動画などのさまざまなモダリティに対する高度な理解と推論のタスクを実行できます。たとえば、44 分間のバスター・キートンの無声映画では、モデルはさまざまなプロットや出来事を正確に分析し、映画内の見逃しがちな小さな詳細についても推論することができます。 パフォーマンスの向上 テキスト、コード、画像、音声、動画評価の包括的なパネルのテストでは、1.5 Pro は大規模言語モデル (LLM) の開発に使用されるベンチマークの 87% で 1.0 Pro を上回りました。また、同じベンチマークで 1.0 Ultra と比較した場合、ほぼ同様のレベルのパフォーマンスを発揮します。 Gemini 1.5 Pro は、コンテキスト ウィンドウが増加しても高いレベルでパフォーマンスを発揮します。特定の事実や発言を含む小さなテキストが長いテキスト ブロック内に意図的に配置される Needle In A Haystack (NIAH) 評価では、1.5 Pro は 99% の確率で、最大 100 万トークンの長さのデータ ブロック内の埋め込みテキストを検出しました。 Gemini 1.5 Pro は、優れた「インコンテキスト学習」の能力も有しています。これは、追加のファインチューンを必要とせずに、長いプロンプトで提供される情報から新しいスキルを学習できることを意味します。私たちはこのスキルを、MTOB (Machine Translation from One Book) ベンチマークでテストしました。このテストは、モデルがこれまで見たことのない情報からどれだけうまく学習するかを評価します。世界中で話者が 200 人未満であるカラマン言語の文法マニュアルを与えると、モデルは同じ内容を学習している人と同様のレベルで英語をカラマン語に翻訳することを学習できます。 1.5 Pro の長いコンテキスト ウィンドウは大規模モデルとしては初のものであるため、私たちは新しい機能をテストするための評価とベンチマークを継続的に開発しています。 詳細については、Gemini 1.5 Pro テクニカル レポートを参照してください。   広範な倫理および安全性テスト Google は、AI 原則と堅牢な安全ポリシーに基づき、モデルに広範な倫理テストと安全性テストを実施しています。加えて、これらの研究結果をガバナンス プロセスやモデルの開発と評価に統合し、AI システムの継続的な改善を行っています。 12 月に 1.0 Ultra を導入して以来、Google はモデルの改良を続け、より広範なリリースに向けて安全性を向上してきました。また、安全性リスクに関する新しい研究を実施し、さまざまな潜在的な危害をテストするためのレッドチームを開発しました。 1.5 Pro のリリースに先立って、 Gemini 1.0… http://japan.googleblog.com/2024/02/gemini-15.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=tumblr Google Japan Blog
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bunshinovel · 2 months
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雑記24.01.14
 森田真生の計算する生命を読んでて、素晴らしい記述があったので、こっちにも引用しておく。
 直観的に自明に思えることほど、厳密な言葉で表現するのは難しい。フレーゲは「1とは何か?」という問いに、論理的に首尾一貫した答えを出そうとした。「1とは何か」は、ほとんど誰もが理解しているつもりだった。だがそれを、フレーゲは直観ではなく、論理で掴もうとしたのだ。そのために彼は、現代の論理学を自力で編み出す必要があった。彼は驚嘆すべき強い意志で孤独なプロジェクトに邁進し続けた。だが、苦心の末に実った体系の基盤に、思わぬパラドクスが潜伏していた。ラッセルによって指摘されたパラドクスの致命性は、フレーゲの体型が十分緻密に編まれているからこそ明らかになった。直観的に自明と思えることを、漠然と信じている限り、新たな認識が生まれることはないのだ。わかっているはずのことを、厳密��掴み直していこうとするとき、その過程で何がわかっていなかったかが浮き彫りになる。漠然と何かを信じる代わりに、自分が何を信じてしまっていたかを明らかにしていくこと。創造の道は、ここから開ける。               新潮文庫版 計算する生命P143 
 数学的思考の本質を直観にではなく、論理に見たフレーゲは、結果として「言語」の問題を哲学の全面に押し出すことになった。デカルトやカントにとって、思考の場はあくまで人間の「意識」にあったが、当時流行の心理主義を嫌ったフレーゲは、内面的な意識ではなく、言語という公共的なリソースの上で、人間の思考の本性を分析する道を開いた。ここに、「心」を「内面」から解放し、他社と共有可能な外部へと開く発想の種子が蒔かれた。                         同 P146
 自分が信じているものを改めて点検し直すこと。それから、言葉での表現とはつまり、心という閉じこもったものを外部へと解放する方法であること、思い直せばそれほど難しいことではないが、そんなことすら日々の生活で忘れてしまう、いやかってに生活のせいにしているが、そうではなくてこれは���くまでも思考のトレーニングの不足である。何かを成す人は、そこを徹頭徹尾、極限まで突き詰めていく。その強さで生きられる人が果たしてどの程度いるか。そしてそれが自分にできるか、やるのか。
 
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takahashicleaning · 3 months
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TEDにて
ダン・ブリックリン:表計算ソフト誕生の話
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
ダン・ブリックリンは、あなたが日常的に使っているであろうMicrosoft ExcelやGoogle Sheetsのお祖父さんにあたる世界初の表計算ソフトVisiCalcを共同開発し、世界を永久に変えました。
ソフトウェア技術者であり、コンピューター界の伝説である彼が語る、最初にした仕事や空想や宿題が絡み合って画期的な発明へと繋がった話に耳を傾けましょう。
Excelのような表計算ソフトを使ったことのある人はどれくらいいますか?大勢ですね。では、フィラデルフィアで小さな印刷業を営んでいた私の父のように会社の簿記を手計算でやっているという人は?ずっと少ない。
それは何百年もの間。ずっと行われていた方法です。1978年の初めに私はやがてVisiCalcとなるもののアイデアに取り組み始めました。翌年それは、新製品だったApple II パーソナル・コンピューター用に売り出されました。
その後の6年の間に 大きな変化があったことは誰もがVisiCalcを知っておりたぶん使ってもいると。ウォールストリート・ジャーナル紙が社説で想定していたことを見ても分かるでしょう。
スティーブ・ジョブズは、1990年のインタビューで言っています「表計算ソフトが PC業界を牽引した」「VisiCalcは、他の何よりもAppleの成功に貢献した」
彼は、より個人的なコメントとしてこうも言っています「もし、VisiCalcが他のコンピューター向けに書かれていたならあなたが今インタビューしている相手は違っていたはずだ」
VisiCalcは、会社でパソコンが使われるようになるきっかけになったのです。それはどうやって生まれたのか?それは何だったのか?どのようにして私はそれを作ることになったのか?
私がプログラミングを学び始めたのは、1966年15歳の時でこの写真を撮った2ヶ月後のことです。当時はコンピューターに触れられる高校生なんてそういませんでしたが、私は幸運とものすごい根気強さのお陰で地元のコンピューターの利用時間を手にできました。
ウッドストックのぬかるみで寝た後、MITに進学しバイトでMulticsプロジェクトの仕事をしました。Multicsは対話的タイムシェアリングシステムの草分けでした。
LinuxとかUnixというのを聞いたことがあるかもしれませんが、あれはMulticsから生まれたものです。私はMulticsのためのインタプリタ言語に取り組みました。端末の前に座って計算を行うコンピューターが専門でない人たちが使うものです。
MITを卒業するとDECに就職しました。DECでは電子化組版という新しい分野のソフトウェアを開発し、新聞社が記者の使うタイプライターをコンピューターに置き換える手助けをしました。ソフトウェアができたらカンザスシティ・スター紙のような現場に赴いてユーザーのトレーニングをし、フィードバックを集めました。
この時の実体験は、MITの研究室で見てきたのとは随分違っていました。その後、私はDEC初のワープロソフト開発でプロジェクトリーダーになりました。また新分野です。
組版の時と同様、重要だったのはコンピューターに詳しくない人たちが自然に効率良く使えるユーザーインタフェースを作ることでした。DECの後、マイクロプロセッサを使ったファストフード業界向けの電子キャッシュレジスターを作る小さな会社で働きました。
でも、私はMulticsプロジェクトで出会った友人のボブ・フランクストンと一緒に会社を始めたいとずっと思っていたので大学に戻りビジネスについて学べるだけ学ぶことにし、1977年秋にハーバード・ビジネス・スクールのMBAコースに入りました。
そこの学生で私のようにプログラミングの経験がある者はごくわずかでした。卒業アルバムには最前列に座っている私の写真があります。
ハーバードでは、ケーススタディを使って学びました。毎回3つくらいの事例を検討します。それぞれの事例は特定のビジネス状況に関する何十ページかの記述からなっています。それにはよく別紙が付いていてその想定状況に関する資料やデータがありました。
それぞれが何かしら違っていました。これは私のやった宿題です。筋が通るように構成された数字や記述が並んでいます。沢山の計算が必要で私たちはいつも電卓を手元に置いていました。これが私の使っていた電卓です。ハロウィーンの時も電卓を身に付けたものです。
授業のはじめに先生が誰かに事例の説明をさせます。学生は状況を説明してデータを読み上げ、先生がそれを教室の前にある何枚もの電動式黒板に書き取ります。それからみんなで議論します。すごく苛立たしかったのは宿題をすっかり済ませ、翌日授業に出ると計算間違いがあって自分の出した数字が全然駄目だと気付いたときです。
そうなると授業であまり発言できなくなりますが、評価は授業への貢献度でなされるのです。他の87人の学生達とその教室にいて私はよく夢想していました。
当時のプログラマーの多くは、メインフレームで在庫システムや給与システムや請求支払いシステムなんかを開発していましたが、私には対話的ワープロソフトやオンデマンドの個人向けソフトの開発経験がありました。そのためプリンタ出力やパンチカードというインタフェースではなく「魔法の黒板」を夢想していました。
数字を消して新しい値を書くと他の数字が自動的に再計算されるという数字のためのワープロみたいなものです。私がイメージしていたのは底がマウスのようになっている電卓と戦闘機みたいなヘッド・アップ・ディスプレーがあって数字をタイプし、まるで囲んで合計ボタンを押すと交渉しているその場で答えが得られるというものです。
その夢をどうにか現実にしたいと思いました。
父は私にプロトタイピングというのを教えてくれました。冊子を印刷するときページ上の配置を決めるために使う実寸大のひな形を見せてもらったことがあります。顧客からフィードバックを得るのにそれを使いOKが出たら印刷にかけるんです。作ろうとしているものを単純化した実際に動くものを作ることで主要な問題点が浮かび上がり、そのような問題への解決策をずっと少ない費用で見つけられます。
それでプロトタイプを作ってみることにしました。
ハーバード大のタイムシェアリングシステムに接続された端末に行って取り組み始めました。私がまず直面した問題の1つは式の中の変数をどう表現するかということでした。どういうことか説明しましょう。考えていたのはこうです。どこか指定して言葉を書き別のところに数字を入れさらに別の数字を入れます。
答えを出す場所を指定してから最初の数字を指し、マイナスを押し2番目の数字を指すと結果が現れます。問題は、式をどう表すか?ということです。何が入るのかコンピューターに分かるものにする必要があります。そして、画面のどこが参照されているのか式を見れば分かるようにする必要があります。
はじめの案はプログラマー的なやり方で最初にどこかを指定したとき、識別名をユーザーに付けさせるというものです。これは面倒くさすぎるということがすぐに分かりました。コンピューターが自動的に名前を付けて保持しておくようにする必要があります。
では、作られた順番で名前を付けたらと考えました。変数1、変数2という具合に。しかし、変数が何個もあるとどこにどれがあるのか覚えられなくなってしまいます。それなら、変数をどこにでも置けるようにする代わりに碁盤目上に制限したらどうかと考えました。
マス目を指定したとき、その行と列を名前にすることができます。地図みたいに上にABC、横に123と書いておけば、式の中に B7とあったとき、画面上のどこを指すのか一目瞭然です。式を自分で書く場合もどうすればいいかすぐわかります。ユーザーを碁盤目上に制限することで私の問題は解決しました。
同時に一続きのマス目を指定できるといった新しい可能性も開けました。それでいて、この制限はきついものではなくユーザーは好きな値や式をどのマス目にでも入れることができます。そして、これは40年後の今もそのまま使われている方法です。
友人のボブと私はこの製品を一緒に作ることにしました。そのプログラムがどう振る舞うべきか見極めるため、私はさらに取り組みました。ドキュメントとなるものとして説明シートを書きましたが、それはまた作っているユーザーインタフェースが普通の人に対し簡潔明瞭に説明できるものにする上でも役立ちました。
ボブはマサチューセッツ州アーリントンに借りたアパートの屋根裏で作業していました。これがその屋根裏部屋です。ボブがMITのMulticsシステムの利用時間を購入してこのような端末を使ってプログラムを書きました。それから電話回線と音響カプラを使い借用したApple II にテスト版をダウンロードしてテストを行います。
テストの一環として「ペプシチャレンジ」の宿題を使いました。印刷機能はまだできてなかったので全部手で書き写す必要がありました。保存機能はまだできてなかったので、プログラムがクラッシュするたびに式をすべて入力し直さなければなりませんでした。
翌る日。授業で私は手を挙げて指されると事例の解説をしました。5年の予測をしあらゆる種類のシナリオを考察しました。この事例でAの評価をもらいましたVisiCalcはすでに役立っていたのです。
先生に「いったいどうやったの?」と聞かれましたが、我々の極秘プログラムのことを明かしたくはなかったので。
「これにこれを加えて、これを掛けてこれを引きました」と言うと
「比を使わなかったのはどうして?」と聞くので
「比なんか正確じゃありませんよ!」と答えましたが、実際は割り算がまだできるようになってなかったんです。
そうこうするうちにVisiCalcはお披露目できるまで出来上がりました。マーケティングに使える説明シートのサンプルを父が刷ってくれました。
1979年6月に発売元がVisiCalcの告知をしました。ニューヨークで行われた巨大なナショナル・コンピューター・カンファレンスの小さなブースでのことです。ニューヨークタイムズ紙がこのカンファレンスについてユーモラスな記事を書いています。
「機械が宗教儀式に 見えることを行う信者たちが集まる中、コロシアムの画家たちが殿堂に付け加える黄色地に黒で大きく書かれた「VISICALC」の文字をVISICALCを賛美せよ!」 (おおっ) ニューヨークタイムズ曰く「VISICALCを賛美せよ」
その後、2年くらいは大手のビジネス誌が電子表計算ソフトに言及することはありませんでした。ほとんどの人はまだ理解していなかったのです。理解した人もいましたが1979年10月にVisiCalcが発売されました。こんなパッケージに入っていて Apple IIの上でこんな感じに動作しました。
その後のことは皆の知る通りです。
まだまだ話し足りないことがありますが、それはまたの機会にしましょう。ただ1つだけハーバードが記憶してくれていることについてこれが例の教室です。そこで起きたことを記念するプレートが飾られています。
同時にこれが伝えているのは、皆さんもまた自分独自の事情や能力や要求を生かし、プロトタイプを作って重要な問題を見つけて取り組みそれを通して世界を変えるようにということです。
ありがとうございました
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
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na1129 · 4 months
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きんようび通信No.677📚
2023年12月8日
▲12月9日は、1975年第30回国連総会で「障害者の権利宣言」が採択された日。日本では、国際障害者デー(3日)から9日を「障害者週間」として様々な啓発活動が行われています。その日に合わせて始まった「ヒューマンウェーブ集会」は、今日33回目を迎えます
▲今年は4年振りに、屋外の対面式での開催を準備しました。コロナやインフルエンザ感染に考慮し、デモは行わず府庁本館前でのスタンディングアピールを設定。短時間ですが、掲げた要望を可視化することで多くの方に知ってもらおうと計画しました。個人請願署名は1月末提出です
▲私たちの要望と密接に関係してくるのが、2025年・開催予定の大阪万博。会場建設費増額やパビリオン建設の遅れが連日報道される中、世論調査で7割近くの人が関心のない状況です。「もうやめたら」と思いますが、機運醸成の名目でもさらにお金がつぎ込まれています
▲何故ここまでこだわるのか。理由は、万博開催に合わせた基盤整備をその後のIRに使うためです。4日には整備工事が並行して開始されました。大阪市長は「(両方とも)滞りなく取り組んでいきたい」と語ったそうですが、他にやることあるやろと紙面に向かって叫んでしまいました
▲さて、今日は82年前に太平洋戦争が始まった日です。イスラエル・ガザでの戦闘が再び始まり、毎日多くの人がいのちを落としています。「戦争と福祉は相いれない。いますぐ止めろ」、そんな願いも参加者と確認出来たらと考えています。私だちにできること、全てやっていきましょう
【今日は何の日📌】
【今週の一句🔖】
酒飲み🥃🍻川柳
コロナ明け
後遺症には
気をつけて
【今週の歌🎸🪕🎻】
・辻井貴子…「わたしのうた」アルバム・ダイジェスト
来年1月1日発売予定の辻井貴子ファーストアルバムのトレイラー動画。むっちゃ楽しみです😆😆😆
#辻井貴子
youtube
【今週のグルメ情報😋】
・釜盛…国道1号線須山町交差点京都方面向き(枚方市)
なかなかボリュームのあるカレーうどんでした😌
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【追伸🗓️】
ちょっとギター欲しい病にかかりそうです。マーティンDー28とか、ギブソンいいですよね。取り急ぎ、目の保養に「御茶ノ水」に出かけたいです🥹
#きんようび通信 #ヒューマンウェーブ #万博中止 #戦争反対
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
 
令和五年(2023)3月22日 (水曜日)弐
     通巻第7680号 
 シリコンバレー銀倒産は「トランプの責任」とこじつけ論
   暗号通貨投資が多かったのはNY基盤のシグニチャー銀行だ
************************
 米国のリベラルなメディアにSVB(シリコンバレー銀行)の倒産は「トランプの責任」とこじつけ論が目立つようになった。
 2018年のトランプ政権時代に小規模な銀行(資産2500億ドル以下)への監査基準が緩和されたからだ。
 したがってFEDサンフランシスコ支部もSVBに対して「乱高下が烈しいハイテク企業への投資や暗号通貨保有」に関して何度か警告を発していた。暗号通貨への投資が多かったのはNY基盤のシグニチャー銀行だった。
 FEDには注意するだけで、それ以上の行政命令権は付与されておらず、法改正はトランプ時代だったとして金融危機を招いたのは法律を緩和したトランプだと牽強付会な論理をリベラルなメディアが展開をしている。
 「2022年7月にFEDは全面的警戒を発し、SVB幹部を呼んで話し合いを持ったが『金利が上昇するので大丈夫』」と見通しを語ったとか。たしかに金利は上昇した。それは銀行経営を利したのではなく危機を深めた。2023年初頭、リスクマネジメントが必要と危機ランプが点った」(NYタイムズ、3月21日から要約)
 SVBの取締役会は2020年選挙でバイデンに11900ドルの政治献金をしており、CEOのグレグ・ブレィデイは個人的にも5600ドルの献金をバイデン選挙本部にしたことは報じられていない。
 
 問題は25万ドル以下の預金者の預金保護だが、FDIC(連邦預金保険公社)にはそれだけの資力はない。アメリカ人の預金総額は18兆ドル(正確な数字は17兆9750億ドル=邦貨換算で2336兆円強)。
 ちなみに日本人の預金好きは世界的にも有名で、2000兆円の金融資産がある。
 今後もずるずると地方銀行、小規模な銀行が経営危機に直面するだろう。フランスやドイツが試みたように銀行国有化とう最後の手段を唱える論客も出始めている。
 一方、クレディスイスが起債したAT1債(ADDITINAL TIER ONE)が紙くずになるが、保有者は裁判の準備に入った。
2月末時点でAT1債保有が大きいファンドには、ラザード・フレール・ジェスティオン、PIMCO、GAMインベストメンツが運用するものが含まれている。
 この金融危機はウクライナ戦争のように長引く可能性がある。
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akubiiim · 4 months
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– 教育経済学とは、家計や政策上の教育に関する意思決定を経済学の理論やデータで分析すること
– 進学校にそこまで高いリターンはないのは経済学者の中では比較的知られている事実だが、一般の人にはあまり知られていない
– 小さな池の大魚効果(所属する集団のレベルが高すぎると有能感が薄れて能力が落ちてしまう。次なる努力の意欲が湧かなくなる
– 進学校の深海魚とは、最初の試験で運悪く下位になると浮かび上がれないこと
● 将来、学歴・収入においてどちらが良いとされる?
第一希望に入学した最下位の子
第二希望に入学した1位の子 ← 答えはこちら
これは、埼玉県の大規模調査を使った研究で同じ結果が出た(日本だとアメリカほど長く調査できない。同じ子を5年間、小学校から中学校まで追跡した)
– アメリカの研究で小学校3年生の時に自分が学校内の順位が高かったか低かったかが30歳時点の収入に影響を与える研究が出てる。原因は自己肯定感が大きいと考えられている(結論は出ていない!?)
– 最近の研究では、順位の伝え方として「あなたの順位は前回より何位上がりました」という言い方をした方が全体として成績が上がっていくことを示した研究がある
● 相対的剥奪:将来、学歴、収入においてどちらが良いとされる?
昇進率の高いグループが満足度が高い
昇進率の低いグループが満足度が高い ← 答えはこちら
仮に昇進率が高いグループにいた場合、昇進できなかった時は、何かを剥奪されたと感じる。2の昇進率が低いグループの中で昇進できるとすごく幸福感が高くなる
– 大人も周りの人たちのとの比較で自分の評価や幸せを感じる
– 周りの人と比較することで自分の価値を決めてしまう傾向は、欧米よりもアジアの方が強い。受験競争や出世競争など競争が厳しいことが影響している可能性がある
– 統計学における教育方法で外部妥当性(特定の研究結果がどの程度一般化できるのか?)や平均処置効果(統計的に導き出された平均的な効果)には気をつけないといけない
– ご褒美は与え方によって効果が違う(ハーバードグループが行った研究の結果重要なインプリケーション)90点取れたら二千円あげますというご褒美よりも1回本を読んだら百円、遅刻せずに行ったら五十円みたいに行動に対して細かくお小遣いを与える方が成果が高い
– 理由は、子供たちはどうやって90点を取って良いか分からない。行動の指針となるようなことに細かくお小遣いを与えた方が自然と成績が伸びる
– 教育方法と科学的な結論では、有名な経済学者のアングリストの学級規模を縮小すれば学力は上がるということは研究当時は言われていたが、その後、時代や社会的な背景によって科学を示す結果が変わった。どうしてそうなったのか理解することが大切。
– 有名なノーベル経済学賞をとったヘックマンたちの研究だと、教育の効果があるのは10歳くらいが一つの閾値として言われていて、そこまでは教育のリターンが高いと言われている。その後は機会費用が高くなっていく
– それでは何をしたらいいか?一般的に言われていることと学問的に言われていることが違うことがある。例えば、小さい頃にあまり早い頃から読み書き、算盤をやらせるのは教育学、経済学の研究どちらも支持していない
– ヘックマンの有名な研究、認知能力(学力)、非認知能力(人格、忍耐力、自制心、やり抜く力、好奇心が強い)人生の初期にまず非認知能力を獲得する、それが元手になって、新たな認知能力や非認知能力を獲得するのに役立つ
– 非認知能力を養うのには、音楽、絵を描く、運動をして体を動かすことが良い。特に、音楽や美術は複雑な活動で、意思決定も多い、耳も目も使うので脳も刺激される。
– 楽器に取り組む、博物館や美術館に行っていた子は非認知・認知能力が高い。この研究では、新しい美術館が建って、子供たちを招待したことで調査。新しいことに関心を持つこと(好奇心)は大事
– 中高時代にスポーツをやっていた人は将来の賃金が高い。スポーツを通じて非認知能力が高くなる。女の子の方が効果があった。
– 他分野との融合は経済学で非常に多く行われている、応用言語学(どのように英語を勉強すると効果的か)インプットを教育経済学、心理学的な方法で測る、アウトプットを脳科学で測るようにようなやり方をすることもある。
– 非認知能力が賃金に与える影響は30−40代で最も大きい。学歴が与える効果よりも非認知能力が与える効果が大きいかもしれない
– 認知能力が伸びる限界は早い段階でくるが、非認知能力は成人後も伸びるといっている研究がある
– 賃金に最も影響を与える人格的要因は、誠実性と勤勉性
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nagachika · 4 months
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不自然な宇宙 を読んだ
副題は「宇宙はひとつだけなのか?」
最近YouTubeの「宇宙ヤバいチャンネル」を購読して最新の天文学の発見の話題などを仕入れるようにしていてそのきっかけでどこかでみかけたかなにかで読もうと思った、ような気がする。
前半は普通の宇宙論の話や歴史的な宇宙観の変遷の話題もあるけど本題は「マルチバース」つまり「宇宙はたくさんある」というのをいくつかのレベルに分けて紹介している。この中盤の議論の下敷きになっているのはマックス・テグマークという人が提唱したレベル1からレベル4までのユニバース/マルチバースの概念。
レベル1は現実的な話で光の速度と宇宙の誕生からの時間からくる観測可能な範囲の宇宙というものをユニバースと呼び、その外にも時空は連続しているのでそこには(現時点では)観測不可能な別のユニバースがある、という意味でのマルチバースが拡がっているのだ、という話。この時空間の拡がりが無限であった場合その中の粒子のパラメーターがまったく同一であるようなクローンユニバースがこれまた無限に存在する、というニーチェみたいな話になる。しかしこれは論理的な帰結なので本当に空間的に(観測範囲外の)宇宙が無限に続いているならこれは認めざるを得ない(宇宙を既定するパラメーターが可算無限なのか? というところで疑義を提示する余地はありそう)。
レベル2はもうちょっと夢想的ではあるけどレベル1と地続きな理論でインフレーションによる指数的膨張のあとの相転移によってレベル1のマルチバースが複数/階層的に生成されるという理論。これは最近「宇宙ヤバいチャンネル」でも紹介されてたな。
レベル3はがらっと意味合いが異なっていてこれは量子力学の観測問題のエヴェレットによる多世界解釈の話。ちなみに個人的には多世界解釈のほうが「観測」というのを特別視していなくて納得感がある。その点の説明も本書の解説はよくある誤解を指摘していて良かった。
そしてレベル4 はさすがにちょっとトンデモだなーと思うけど、プランク定数や光速、4つの力の強さの強弱などのバランスが現実の世界では極端だったり、生物が誕生するような宇宙になるように都合が良すぎるといったことを指摘して、それを人間原理(統計学的な意味での観測選択効果)によって説明するには実際にいろんなパラメータの世界(宇宙)があるはず、という考えかた。まあでも有効な反論はないというか、むしろその反証不可能性からいって科学的ではないという指摘はできるけど、否定のしようはない。これはレベル3についても同様。
一応真面目な話ではあるとは思うけどそうだとしてなんの意味があるのという理論ではあると思うのでなんかちょっと期待したのとは違ったなーと思いつつもおもしろい本ではあった。多世界解釈についての解釈は得に。あと「ビッグバン」という語彙は元々はこの理論に反論している学者が揶揄するためにつけた呼称で、通りがいいのでそれが定着しちゃったというのは初耳。「ダークエネルギー」は「ダークマター」とは全然関係ないんだけどなんかそっちのほうがバズりそうだからって理由でそっちに寄せて命名したって話も最近きいたし、宇宙のこのへんの名前割と適当につけてるよな。「ビッグバン」という名前のせいかこれが宇宙が1点に収束してた状態で爆発した、という誤解を招いているけど実際には時間を遡ると「宇宙が高温高密度な状態だった」という時点があり、その「状態」のことを指しているというのが正しい理解とのこと。その後密度が下がって光子が(つまり光が)まっすぐ飛べるようになった「宇宙の晴れ上がり」以前の状態のことってことかな? なので背景放射がビッグバンの観測的証明になるということか。
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tumnikkeimatome · 5 months
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AIに関するアメリカ大統領令の中で定義されている用語解説
人工知能(AI)の定義 「人工知能」または「AI」という用語は、人間が定義した目的のために、現実環境または仮想環境に影響を与える予測、推奨、または決定を行う能力を持つ機械ベースのシステムを指します。 これらのシステムは、現実または仮想の環境を認識し、自動化された分析を通じてその認識をモデルに抽象化し、情報や行動の選択肢を導き出すためにモデル推論を利用します。 AIモデルの概要 「AIモデル」とは、AI技術を具体化し、与えられた入力から出力を生成する計算、統計、機械学習の技術を活用する情報システムのコンポーネントです。 これにより、AIはタスクを遂行し、問題を解決するための基盤を提供します。 AIシステムの範囲 「AIシステム」とは、全面的にもしくは部分的にAIを利用し、データ処理、ソフトウェア、ハードウェア、アプリケーション、ツール、ユーティリティなどの動作に影響を与えるシステムを意味し…
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View On WordPress
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jidaishakumamoto · 5 months
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管理会計(2)
 10月23日は熊本学園大学にて、中小企業の管理会計やアントレプレナーシップを専門とされる飛田先生によるご講義がありました。テーマは「管理会計(2)ー自分が見たいものを見るために管理会計を活用するー」です。講義の力点は、お金の細かい流れやノウハウではなく、むしろ企業が付加価値をどう創出するか、そして組織で働く人々のモチベーションを向上させる経営管理の設計をいかにするかということに置かれていました。  様々な業界で人材不足が叫ばれ、今後も労働人口が減ってゆく未来が見えている現在、企業は労働分配率を維持しながら優秀な人材を確保する必要があります。それにはイノベーションを起こして新しいマーケットを作ることが望まれるわけですが、そこで必要なのが起業家精神(アントレプレナーシップ)なのです。アントレプレナーシップとは、闇雲に何か新しいことにチャレンジすることではなく、コントロール可能な資源を超越して機会(あるいは勝ち筋)を追求することだと飛田先生は言います。
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 では、新しいマーケットのヒントはどのようなところにあるのでしょうか? 飛田先生はまず、今の時代のビジネスと社会の状況を過去と比較しながら説明してくださいました。端的にいうと、20世紀に多かったのは、企業が価値を生産して顧客が価値を創造し、双方の間に交換価値があるGDL(グッズ・ドミナント・ロジック)。そこから昨今は、顧客と企業が価値を共創するSDL(サービス・ドミナント・��ジック)へとビジネスモデルが大きく変化しました。SDLモデルの方は、商品を売り切ったら企業と消費者の関係が終わりではなく、企業は顧客をしっかりと掴み、顧客をリサーチしながら商品をブラッシュアップしていくことが求められます。
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 このように顧客を掴んで離さない状況をどうやって作っていけばよいのか? そのためには、顧客の声をきちんと聞くことが大切です。いかにして顧客との継続的な接点を作り続けるか(使い続けてもらうか)が肝要なのです。
 また、昨今、アントレプレナーシップの分野で大切にされている考え方として、飛田先生からは「エフェクチュエーション」の紹介もありました。これは、目的ありきでいわば積み上げ式で進む「コーゼーション」に対して使われる用語で、手段ありきで、今ある物を使ってできることをしていくやり方です。採算ラインは決めておくものの、自分たちが持っているものから始め、不確実性が高い事業機会の中でもコントロール可能な部分に集中することで、勝ち筋を見つけることに繋がるのだそうです。
 そして、講義の中では、イノベーティブな中小企業の管理会計や業績管理の事例もいくつかご紹介いただきました。ある製造業の企業では、製品ごとの粗利(付加価値)を可視化し、組織成員の長所を引き出すための目標設定を行ったそうです。それにより、組織成員がいくらコストをかけているかではなく、自分の仕事が付加価値創出にどう結びついているかが組織成員からも見えるようになったそうです。この例は、組織成員が力を発揮できる状況を仕組みに落とし込むことで、付加価値創出につながるということを示しています。
 ほかにも、企業内の部門同士で融通を利かせて、売買をしていることにしている製造業のケースも紹介していただきました。たとえば製造部が生産した物を販売部が一方的に顧客に売るのではなく、製造部と販売部が時には交渉して価格を決めるとのこと。社内で互いの部門が納得してやりとりしていくことは、社員のモチベーション向上につながります。また、製造・販売の両部門を限界利益によって管理することによって、原価、収益のみでなく、利益獲得に向けた全社的管理を図ることができるのだそうです。
 講義の終盤では、経営管理システムのデザインについてのお話がありました。管理会計理論の前提は組織の統率で、経営者が設計した戦略・計画を組織成員がいかに遂行するかが重要とされてきました。しかし、上司が思うほど部下は腹落ちしていないと飛田先生は言います。重要なのは、組織成員が受容できる仕組みをいかに作るかということ。経営管理システムを整備し、経営理念(目的)を共有しながら、互いが納得できる目標を設定し、実行できる仕組みづくりが、付加価値を持続的に生み出す組織にとっては重要なのです。会計に関しても、立場によって見たいもの、見えてくるものは違います。基本的には経営者は将来のことを考えているのに対し、従業員は今起こることに集中しているもの。しかしそうした乖離を、マネジメントの仕組みを導入することで埋めて、見えている世界を共有することが大事なのだと飛田先生は言われました。
 最後にはケースディスカッションを行いました。熊本の下通のお好み焼き屋を例に、付加価値を決めていくグループワークへ。単価とターゲットを決めて、働き方や店の規模まで考えながら付加価値の創出について考えを巡らせる練習です。
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 どのチームも条件を決めていく難しさと楽しさの間で行き来しながら、和気藹々とワークを進めて、最後にチームの見解を共有して終わりました。
 受講生のみなさんには、この講義とディスカッションをぜひ咀嚼して、経営者としての目で、日々の仕事やマネジメントについての検討にチャレンジしていただけたらと思います。
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