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#自粛中の楽しみ方
chikuri · 4 months
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災害時に普段と変わらない生活を送り、楽しい思い出を投稿したり、何かに対してお祝いしたりすると、「不謹慎だ!」「今はそんな状況じゃないだろ!?」「●●の人たちの気持ちを考えろ!!」などと難癖をつけられる事態は、東日本大震災以降目立つようになりましたね。 不謹慎と感じる基準は人によって異なるでしょうが、被災していない地域の人にとっての「不謹慎」の定義を改めて申し述べておきます。 <不謹慎ではない> ・普段通りの日常生活を送る ・楽しい思い出やバカな話を投稿する ・誰かや何かをお祝いする <明らかに不謹慎> ・気象庁の震度速報に誤報があったことに対して、総理会見で「不手際」だと追及し、多くの人命がかかる緊急速報発出を行政に萎縮させること ・情報発信を最優先すべき時に、「誤報を出した原因を特定し、その公表と再発防止策を示せ」と要求し、優先順位が明らかに下位の事象にリソースを割かせること ・逃げ遅れてしまう恐れがある人を避難させるために危機感を煽る目的で、あえて感情を込めておこなっているNHKのアナウンスに対して「ヒステリックでパニック状態」「民放に切り替えろ」と非難すること ・知事は皇居での新年祝賀の儀に参賀するのが慣例で元日は東京にいるものだし、交通網が寸断されているためすぐには現地入りできず、現地対応は副知事がおこなっているし、夜間には充分な調査ができないし、結果的に知事は迅速に自衛隊に出動要請したうえで地元に戻っているのに、それらを一切無視して適当に文句をつけること ・災害時で混乱しており、ただでさえ安全確認の人手が足りない被災地付近の原発に対して不要不急の電話連絡をおこない、現地作業の足を引っ張った経緯を誇らしげに投稿すること ・安全上問題ないと発表されている原発に関して、個人的な想像だけで不安を煽り、被災されている方々にさらなる心労をもたらすこと ・災害時、電気や通信が機能していなくても使え、情報集約も整理も記録もできるホワイトボードを用いた対応を「アナログ」「戦前から変わってない」とバカにすること ・正月休みの真っ只中でありながら、地震発生から5分で総理指示、1時間で官邸入り、4時間で特定災害対策本部会議が開催されるなど、平素からの備えがあってこその迅速対応ができているにもかかわらず、「初動対応の遅れ」などと自分たちの過去の稚拙な対応を忘れて批判すること ホント何なんですかねこいつら。国民一丸となって災害復興に向かっていこうというときに、災害を利用して政府を叩き、自分たちの気に入らない人物の足を引っ張ろうとする、人の命がかかった緊急事態でもイデオロギーでしか物事を考えられない、性根の腐った最低の連中だよ。恥を知れ。 スミマセン取り乱しました。話は最初に戻りますが、被災していない地域の人が、いくら被災地に想いを寄せながら自粛したとしても、何の貢献にもならないんですよ。逆に自粛ムードが広がれば日本経済自体を萎縮させてしまい、復興には逆効果です。我々の支援が必要になるのはこれからなので、しっかり日常生活をおくり、経済を回していきましょう。
新田 龍 / X
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patsatshit · 5 months
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タラウマラのすぐ近くに障がい者福祉サービスを提供している「お気楽島」という事業所があって、理事長で落語家の桂福点さんはじめ、施設利用者さんとは僕も日頃から色んな話をする。我妻ゆりかのことが大好きなNさんとはインスタグラムのお気に入り画像を見せ合いっこするし、淡路周辺のお店事情に詳しいKくんはどこのお店の店員さんが愛想が良くて、どこのお店の店員さんが可愛くて、みたいな情報を常にアップデートしてくれる、絵を描くことが大好きなTさんとは『呪術廻戦』の話でいつも大いに盛り上がる。そんな「お気楽島」のルーキー、Rくんと福点さんがある日タラウマラにやって来て、福点さんが開口一番に「お仕事中に申し訳ないんやけど、Rくんにちょいとばかし性教育をしてもらえないでっしゃろか?」と言う。聞けばどうやらRくん、女性スタッフさんの前でオ◯ニーをしちゃったらしくて、しかもそのまま発射したとのこと。そんな訳でタラウマラ店頭で即席の課外授業を実施。僕はRくんに自分の体験を交えて、人前でチ◯コを出すことの諸問題について講義をした。横で福点さんが「そや」とか「もういっちょ」とか合いの手を入れてくる。どうやらRくんには「スケベ」という単語が突き刺さったようで、これから事業所に戻って、当のスタッフさんと話し合いをしたいと反省していた。その後、Rくんは人前でのオ◯ニーは控えて、ひとりでこっそり楽しんでいるらしい。
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次に知的障がいのあるサドルさん(仮名)の話。サドルさんは定期的にタラウマラで自転車のサドル交換に来てくれる常連さんで、そもそもサドルは交換する必要がないくらいキレイな状態だから「まだ交換しなくても、十分に使えますよ」と指摘するもののサドルさんは「サドル交換して!」の一点張りで、こちらの話を聞き入れる余地はなし。ちゅうことでサドルさんの自転車から取り外したサドルをタラウマラで確保しておいてサドルさんが交換したい気分になった際に交換して、その際に取り外したサドルはまた次の交換時まで確保するというルーチンを僕とサドルさんの間で構築した。因みに小学四年生のサドル上げ下げちゃん(仮名)という子も当店の主要人物のひとりなのだが、彼女は日に何度もサドル上げてー、下げてー、を繰り返す。一時期あまりにも頻繁に上げ下げを繰り返させるもんだから、ついつい冷たくあしらってしまったことがあって、それからしばらく顔を見せなくなってしまい、あとからとても反省した。サドルを上げ下げすることが彼女の本当の目的ではないのだろうし、それを無下にしてしまうことで彼女からの無言のメッセージを一方的に断ち切ってしまうことになりかねない。まぁ、いまはまたサドル上げて下げてが再開されて煩わしいことこの上ないのだけれど(笑)。そんなサドルさんが珍しくサドル交換ではなくパンク修理に訪れたときのこと。タイミング悪くサドルさんが「タイヤべこべこー!」とタラウマラ店頭に姿を現す数秒前に別のお客さんの前後タイヤ交換を依頼されたところだったので、その旨サドルさんに伝えると、瞬間湯沸器のごとく憤怒し、大声を上げて大激怒したのだ。キレたサドルさんを見るのははじめてだったので少し驚いたけど、僕はこういう局面には慣れている。そんな大きな声を出してもどうしようもないよ、静かに待ってもらうか、他の自転車屋に見てもらうしかないからね、先客のタイヤ交換をしながらそう伝えるとサドルさんは更に激昂し、そんなに待てない!遅すぎる!てるてる嫌!わーーーーー!っと、わめき散らした。近隣店舗の方々が店先に一瞬だけ顔を出して、すぐに引っ込めた。僕は粛々とタイヤを交換していくが、サドルさんの興奮はおさまらず、店頭のプライスカードをひっぺがしてアスファルトに叩きつけたり、通行人の方々に対しても威嚇するように大きな声を出し続けていた。するとひとりのおっさんが「なんや、こら、文句あんのか?ああ!」とサドルさんに詰め寄って来た。僕は慌てて工具を床に置き、イヤイヤそんなんよろしいからはよ行ってください、この人は僕に怒ってるだけでお父さんには関係のない話ですから、そう言うとおっさんは「やんねやったらいつでもいったんど、コラ!」と吐き捨て、店を後にした。あんまり大きな声を出してたらこんなことなるよ、僕が作業を再開するときチラッとサドルさんの顔を見ると、その表情は明らかに怖気付いていた。そしていつもよりも倍速のスピード感でタイヤ交換を終わらせて、いよいよサドルさんのパンク修理に取りかかろうかというとき、またしてもタイミング悪く、別のお客さんが「タイヤ交換お願いし��す」とやって来た。せっかく落ち着きを取り戻しかけていたサドルさんがふたたび着火する。お姉さんの前に仁王立ち、鬼の形相で「来るなーー!」と叫んだのだ。すぐさま間に割って入り、事情を説明するとお姉さんは漫画の吹き出しのような大きな大きな「はぁぁぁぁ」というため息を漏らしつつも、自転車を預けて買い物に行ってくれた。僕はサドルさんに「大事なお客さんに来るなとか言うたらあかん!」と一応は注意をして、今度こそサドルさんのパンク修理に注力する。サドルさんは蚊の鳴くような声で「うん」と言い、それからは作業が終了するまで大人しく待ってくれた。そして翌週にはまたいつものようにサドル、ではなく今度はライトの交換をしにタラウマラにやって来た。もちろんそのライトもサドルさんのためにキープ、ライトオン!
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また別の自閉症スペクトラム症の青年の話。いつも親子で来店してくれる物腰の柔らかい人たちなんだけど、息子さんの自転車のタイヤが不具合だという理由で持参されたときは、珍しくふたりともやけに険悪なムードで来店時からずっとささくれ立っていた。あんたがきちんとメンテナンスしてないからやで、と母が言えば、あなたは自分の責任を棚に上げるのですね、と息子が切り返す。一体いつになったら私の付き添いなしでやっていけるの、との母の言葉に、お兄さん、うちの母は二重人格なのでこの人の話に耳を傾けないで下さい、と息子。修理の最中も互いの罵詈雑言は途絶えることなく、しまいには母がヒステリックにいい加減にしなさい!と叫んだ。すると青年は口ごもるように、またそうやってエルヴィン団長みたいにキツい言い方をする……と呟いたのだ。瞬間、僕は修理の手を止めてふたりの前に立ちはだかり、右の拳を左胸に抱えて「心臓を捧げよ!」と叫んだ。するとどうだろう、たちまち青年の顔がほころんだではないか。母もぷっと吹き出した。それから修理が終わるまでずっと三人で『進撃の巨人』『呪術廻戦』『チェンソーマン』の話をして盛り上がった。やっぱりアニメも観とくもんやな、いや、ほんまに。青年の人生ベストアニメを聞き出すのが当面の目標です。
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myonbl · 7 days
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2024年4月18日(木)
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既視感のある画像でごめんなさい。春用のシャツ、月・火と首回りのボタンが留まらなかったのだが、水・木の動物シリーズはちゃんとはめることができた。一気に減量成功・・・と言うわけではもちろんなく、商品には個体差があることを再認識させられた。それにしても、猫と梟の形・大きさが似ているのは同一デザイナーの仕事なのだろうか。何であれ、減量は粛々と進めなくてはならないのだ。
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5時45分起床。
洗濯。
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朝食。
珈琲。
木曜日はツレアイの弁当のみ。
プラゴミ、30L*1&45L*1。
彼女の職場経由で出勤する。
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朝の燃費が大分よくなってきた。
来週の<スタディスキルズ(第3回)>の資料を作成する。
自宅から研究室への図書の移動はあらかた済んだので、次は処分の順番を検討する。とりあえず、場所を取っている「柳田國男全集」を最初のターゲットに決定。
木曜日3限は<スタディスキルズ(教育学科)>、先週欠席した学生が今日も来ていない、どうやら他の授業も来ていないようだ。O姉のクラスでも問題のある学生がいるそうで、明日は情報を集約してA兄に報告しよう。
授業内容は教科書に沿って進めるが、火曜日クラスで実施したノートの取り方は省略、このクラスは進行に時間がかかるので。
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名神第1出口が混雑していたので第2出口で下りる、やはり距離は少し伸びる。
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西大路七条の<笹寿し 伍十>で、還幸祭(おいで、4/21)用に弁当を注文、鯖寿司は欠かせない。
コレモでレタス・トマト・アジフライを買って帰宅。
昨晩茹でたタケノコの処理、明日は可燃ゴミなので助かる。
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食事の準備を終えた頃、左人差し指の爪が剥がれたことに気づく。1月の中之島でのイベント時に鉄製扉で思い切りはさんだ箇所、外で剥がれるといやなのでバンドエイドで保護していたのだが、恐らくタケノコの処理の途中で剥がれたのだろう。いやぁ、楽になった。
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タケノコとソーセージのバター醤油、ベーコンとキャベツとシメジの酸っぱい蒸し、レタスとトマト、キュウリのぬか漬け。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第11話「悪の温室」/ The Greenhouse Jungleシーズン 1, エピソード 11 深夜、キャシーのもとに夫トニーを誘拐したという電話がかかってくる。キャシーは、トニーの秘書グロリアに電話をかけた後、叔父ジャービスに電話をかける。ジャービスは、1時間経ってトニーが帰ってこなければ、警察に連絡するようアドバイスするが、実は、誘拐はジャービスとトニーの狂言だった。
終わる頃には瞼が重く、そのまま布団の中へ。
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夕飯後に町内ウォーキングするつもりだったが、寝てしまったのでリング完成ならず。
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shredderwastesnow · 10 months
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クィアたちのZINE交換【前編】
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発端
ある6月の休日、ZINE交換会に参加した。 主催は、数人のクィアによって結成されたプロジェクト集団「陰気なクィアパーティ」。今年春から、東京と名古屋で、派手なパフォーマンスが苦手なクィアのための穏やかな集まりを開いている。
そもそも「クィア」とは何か
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めない人を指す言葉として、最近様々なメディアで使われるようになった。 元々「クィア(queer)」は「奇妙な」「異様な」という意味の英語で、セクシュアルマイノリティたちを揶揄する蔑称として欧米で使われていた。 しかし社会運動をしていたセクシュアルマイノリティたちが、たとえ端から見れば奇妙でも自分たちはありのままで生きるという決意と共に「クィア」を自称しはじめたことで、かつてのネガティブな意味合いが薄れてゆき、現在に至っている。
「クィア」の意味するところは「セクシュアルマイノリティ」と似ているが、カバーする範囲は「クィア」の方が広い。 紙媒体やネットでこれらの言葉に触れてきた印象では、「セクシュアルマイノリティ」は、性自認・性的指向が明らかにマジョリティとは違うという自覚がある人を指している。 それに対して、「クィア」には、まだはっきり認識できていないものの、世間が想定する性のカテゴリーに今ひとつ馴染めない…と感じているような、マジョリティとマイノリティのあわいにいる人も含まれる。 また、「セクシュアルマイノリティ」には、マジョリティに理解されず、社会から疎外された存在というニュアンスがある(その他の「マイノリティ」=在日韓国人、部落民、外国人などのような)。 この言葉が使われる際は、当事者が法制度などによって不当に権利を制限され、自分らしく生きることを阻まれているという実態がセットで提示されることが多いように思う。
例えば、性自認が男性(シス男性)で恋愛対象は女性(ヘテロセクシュアル)だが、女装をしている時の方が心地よいという人がいたとする。「クロスドレッサー(異性装)」「トランスヴェスタイト」「女装家」などと呼ばれる存在だ。 特殊なセクシュアリティを持っているが故に、街中で後ろ指を指されたり馬鹿にされたりして、尊厳を傷つけられることはあるだろう。 しかし、「ホモセクシュアル」ではないので、同性婚できない日本でパートナーと結婚できずに苦しむリスクはない。 「トランスジェンダー」的な傾向はあるものの、性自認と医学的・社会的に割り当てられた性のギャップに苛まれたり、高額な性別適合手術の必要性を感じているわけではない。 このような人は、「私はセクシュアルマイノリティです」と言っていいのか戸惑いがあるのではないだろうか。 自分の辛さは、法制度と闘わなければならない人のそれに比べたら軽微なのだから、この程度でセクシュアルマイノリティを自称して生きづらさを訴えるのは行き過ぎている…と自粛してしまうことが考えられる。 しかし、男は365日ズボンで暮らすものだという既存のジェンダー観から外れているという点で、彼は間違いなく「クィア」である。「私はクィアです」と言うのは、「私はセクシュアルマイノリティです」と言うよりはるかにハードルが低い。
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めていないが「セクシュアルマイノリティ」の括りから除外される人々もふんわりと包み込む、懐の深い言葉だ。 セクシュアリティは千差万別で、まだ解明されていないことも多く、しかも生まれてから死ぬまでに変化する可能性もあるという揺らぎを前提として生まれた概念なので、より多くの人たちの拠り所になれる。しかし、このふんわりとした性質故に、定義するのは非常に難しい。
参考:
私のクィアネスについて
私は自分が「デミロマンティック」だと思っている。要は、世間一般の人と比べて、恋愛感情が希薄だという自覚がある。
多分「デミロマンティック」は多くの人にとって聞き慣れない言葉だが、「アセクシュアル」「アロマンティック」であれば知っている人はいるのではないだろうか。 「アセクシュアル」は性的欲求を持たない人、「アセクシュアル」は恋愛感情を持たない人を指す。 (日本では「アセクシュアル」は恋愛感情も性的欲求もない人の意味で使われ、恋愛感情はあるが性的欲求のない人は「ノンセクシュアル」と呼ばれるケースもあるようなので、「アセクシュアル」の意図するところは使う人や文脈によって変わりそうだ。なお、「ノンセクシュアル」は和製英語だそうです。)
「アセクシュアル(asexual)」「アロマンティック(aromantic)」の頭に付く「a」は、英語では否定(non-、un-)の意味を持つ。「asexual」=「sexual(性的欲求のある状態)でない」、「aromantic」=「romantic(恋愛感情のある状態)でない」ということになる。 一方、「demi」は、「半分」「少し」の意味を持つ(ヨーロッパ系のカフェでエスプレッソを注文すると出てくる小さなカップ=「デミタスカップ」を想像してもらえると腑に落ちるのではないでしょうか)。つまり「デミロマンティック(demiromantic)」は、「romantic(恋愛感情のある状態)が少なめである」という意味になる。
息抜き:
youtube
当事者の書いた文章や当事者が主人公の小説を読む限り、アセクシュアルおよびアロマンティックの人は、それぞれセックスや恋愛に対して拒否感や嫌悪感がある印象だ。 私はどちらに対してもそこまで強い拒否感はなく、恋愛の延長線上にセックスがあることにもそれほど違和感を持っていないが、いかんせん恋愛感情が起こらない。
学生時代、周囲が少女漫画を貸し借りして「○○君と△△君だったらどっちがタイプ?」「私たちもこんな恋愛したいよね~」と真剣に語り合っている中、私はそのテンションに全く付いていけず、自分はみんなと違うな……と漠然と感じていた。
勉強や就職活動や創作活動などは、将来の自分の可能性や選択肢を増やして今より自由になるための活動であるのに対し、恋愛は、相手と良い関係を作るためのしがらみや我慢を発生させる点で、人生を不自由にする活動だと思っていた。 シスヘテロ男性との恋愛の先にあるかもしれない結婚・妊娠・出産などを想像すると、積極的に恋愛するシスへテロ女性たちは、自ら進んで家父長制に取り込まれにいっているように見えてしまった(ものすごく穿った見方だという自覚はある……彼女たちは自分の意志で恋愛しているのであり、余計なお世話だとは思うけど)。
私の中にこういった思考が育まれたのは、幸せな恋愛やパートナーシップのサンプルを身近に見つけられなかったという環境的な要因に加えて、やはり先天的な要因もあると思う。 近年の脳科学では、外部からの刺激によって脳内の快楽を司る「報酬系」という神経回路が活発化し、ドーパミンが分泌されると恋愛感情が起こるとされている。多分、私の脳ではこの回路があまり活発ではなく、少女漫画という刺激では作動しないのだろう。 (ただ、脳内物質にはドーパミン以外にもセロトニン・テストステロン・エストロゲンなどがあり、これらが出ていれば何らかの感情は発生していることになるので、恋愛感情がないからといって無感動というわけではないのですが。)
参考:
社会人になってから、微妙に恋愛感情が出てきた時期もあるにはあったが、それも数年に一度ぐらいの低い頻度だった。 仕事が忙しければどうでも良くなるし、一人で行きたい場所に旅行したり、カルチャーに触れたりライブやイベントに行ったりすればそこそこ満たされてしまうので、そのうち別にいいやという気持ちになる。
そんな自分のことを、私自身は「ドライな人間」「淡泊なタイプ」だと解釈していた。 ただ、性自認と医学・生物学的な性は一致しており(シス女性)、恋愛感情が起こる場合は異性に向くため(ヘテロセクシュアル)、自分がセクシュアルマイノリティだとは思っていなかった。 しかし、日本でもセクシュアルマイノリティに関する議論が活発になり、LGBT以外のセクシュアルマイノリティやクィアについての文献や記事が広く出回るようになって、やっと「デミロマンティック」というちょうど良い表現に出会えた。
クィアを自覚した後の問題
自分がクィアだと自覚することは、こういう人間は自分だけではないと安心できる点では救いだが、自分は差別される側の人間なのだという疎外感を突きつけられる点で呪いにもなる。 過去にセクシュアリティの違いが原因で周囲から浮いてしまった経験を、差別を受けた体験として捉え直す作業は、それなりの痛みを伴う。 しかし、これを丁寧に行わなければ、自分の生きづらさを解きほぐして緩和することもできないし、この先どう生きるのが自分にとっての幸せなのかも模索できない。 また、自分が生きている日本社会がどんな人間を異端として疎外・排除しているか、あらゆるセクシュアリティが肯定されるために社会や自分自身はどうあるべきかも見えてこない。
自分の中のクィアネスに向き合うことを意識し始めてから、同じように既存の性のカテゴリーからはみ出している人がどう生きているのか知りたいと思うようになった。 コロナが沈静化したタイミングで読書会やコミュニティを定期的に検索していたところ、「陰気なクィアパーティ ZINE交換会」の告知に出会った。 クィアとして生きる実感をZINE作りという形で語り直す作業を、この機会にやってみたいと思った。
限られた時間の中で何とか内容をまとめ、A5版12ページ、6,000字強のZINEが完成した。 会場で7部を交換し、2部は手持ちのZINEがなかった人に渡した。
「陰気なクィアパーティ」の大らかさ
私は「LGBT」ではないし、「アロマンティック」「アセクシュアル」のいずれでもないので、そういった人を対象とするコミュニティへの参加には抵抗がある。 でも「クィア」を冠したコミュニティであれば、私もここにいて良さそうだと思える。
会のグラウンドルールには、このような文言がある。
陰気なクィアパーティは、セーファースペースであり、あらゆる性のあり方を持つ私たちが共にいるための空間です。 差別の構造を解体する空間であるためには、参加者全員の協力が必要です。 自身の境界と他者の境界を尊重し、全ての人が居心地良く過ごすことができる対話空間作りにご協力ください。
この宣言はとても心強い。 このような場なら、「性的指向も性自認もマジョリティと変わらないくせにマイノリティぶるな」とか、「もっと辛い立場にあるセクシュアルマイノリティに比べれば、お前のしんどさなんて取るに足りないものだ」といったような攻撃を受けるリスクは低そうだと感じた。 そして、一定の安全が担保された空間で様々なクィアたちとコミュニケーションする中で、クィアとしてどう生きるかのヒントが掴める気がした。
会場に足を運び、様々なセクシュアリティの参加者からもらったZINEを読んで、自分の想像を超えた差別や疎外感を知り、世界の見え方が少し変わった。 あの空間に、一人のクィアとして立ったからこそ見えた景色だ。 私のZINEも、誰かにとって新たな気付きをもたらすものになっていればいいなと思う。
会社を辞めようとしているタイミングでこのような場に出会うことができ、本当に感謝している。 主催者の皆様、ありがとうございます。
そして今後は、小説の執筆ペースを上げることと並行して、一人のクィアとして考えたことをもっと言葉にしたくなった。 個が尊重されるセーファースペースで、様々なクィアと対話したり励まし合ったりする時間が定期的にあったら、何かと心細いクィア人生も豊かなものになる予感がする。
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ymifune · 2 months
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口の慎み
3月10日。できたことを中心に。 3月5日にCD Babyから入金があった。153.91 USD。今回はすぐ日本円にしてゆうちょに送金してもらった。円安が続き、この金額でも日本円で22007円になった。 給料日で、今月は134602円が給料だった。今現在の預金残高は363699円と出ている。 つみたてNISAの口座開設が完了した。ようやく。ネットだけで済むものかと思ったら、意外とそうでもなかった。iDeCoは結局、スルーすることにした。とりあえずつみたてNISA一本で投資を始め、今後どうなるか見守ろうと思っている。4月1日に最初のつみたて購入が始まる。毎月5000円、SBI証券の全世界INDEXのものを買っていく。先進国のものも、日本のものも、発展途上国のものも入っているものだ。どうなるか、見守ろう。 有給が取れて、3月29日金曜日から4月2日火曜日まで京都に行ってくる予定である。ホテルを検索してみたのだが、ホテルの値段があまりに高騰していたので、驚いた。カプセルホテルでも1泊1万円するレベルだ。流石に泊まれない。去年もだいたい同じ時期に京都へ行ったのだけど、その時は本当に京都滞在が始まる直前にドタキャンが入ったであろうビジネスホテルを1泊6500円ぐらいで予約したのだ。今年も一応それは狙ってみるつもりではある。が、まあそんなに期待せずにやろう。春休みにモロ被りしているし、桜のシーズンとも被ってしまっているのだから。 毎週こんなことを書いている気がするのだが、体組成計の結果が振るわず、今週は筋肉量が-1.2kg、体脂肪量が+0.6kgと出ている。体重は今82.2kgと、だいぶ1月から減ってしまった。まだ2ヶ月終わったところだし、夏はこれからなのだから、こちらも弛まず粛々と続けよう。 昨日から少し時間があり、新曲のスケッチに着手できている。Chris Brownの"Call Me Everyday"のビートをお借りしている。何度もループさせて聴いても飽きがこないビートさえ作れれば、なんというか、あとはどうとでもなるものだなと改めて思っている。飽きが来るビートを作ると、逆にどう上物を重ねても魅力的に感じられなくなるのだ。 新曲の仮タイトルは"Monday Love"と付けた。ダンクラとして知られる"Saturday Love"のオマージュである。が、結構ダウン系の曲になってきていると思う。ブラコンの香りは残って・・・いる?ちょっとわからない。真っ先に耳に入ってくるコード進行にEmulatorを使っていて、若干サンプルベースなのだけど、ダウン系のPadを使っている。 少なくとも、新曲・・・それもシングルカットできるかもしれない曲が作れていることがとても嬉しい。 来週も少しは作る時間が持てるだろう。 来週の週末は結構楽しみな展覧会が目白押しで、うれしい悲鳴である。アピチャッポン・ウィーラセタクンの新作にはぜひ行っておきたい。渋谷のBunkamura跡地でも、Anomaly所属作家の何かインスタレーションが始まると聞いている。 金曜日に国立新美術館で、かなりグサっと来るグループ展を見た。遠距離現在というタイトル。いくつかあるのだが、Belanciegeという労働者のためのブランドを作り、Balenciagaとベルリンの壁崩壊後20年の資本主義のあり方をめぐる考察の作品、デンマークにおける孤独死をテーマにした作品、憂鬱なプロットをAIに学ばせることでイメージを作り続ける作品、ネットミーム的な画像をとにかく大量に敷き詰めた空間など、ヒリヒリしてすごかった。会場にいる間、こんなものを見て、これからどうやって微笑んだら良いのかわからなくもなった。Belanciegeのインスタレーションの部屋で今の笑えなくなってしまった自分の顔を撮影してみたのだけど、驚くほど目が落ち窪み、眉間には皺がより、肌の色が土気色をしていた。カタログまでは買っていないのだけどね。コンセプチュアルなものだけで構成されたグループ展で深く刺さるものが多かったのは結構久しぶりだったように思う。 今日は筋トレ中少し、苛まれの状態に陥って窮した。そこまで深くはないのだけど。雑駁にだけど、書いておきたい。 使う言葉、口にする言葉には全力で気をつけないといけないんだなと改めて思っている。主語が単数のものは主語を単数のままにとどめ、大きい主語を使って全体化しないこと。そうなってきたとか、そうなっていくとか、累加の表現をできるだけ避け、今はそうであるという現状認識だけがドライに表現できる言葉を極力選んで使うようにすることとか。流れや潮流があるかのように考えないし、かつ口にしないことで、自分の現状認識が「今/ここ」からずれないことがとても大切。 また、結構前々から言われていることではあるけれども、他人の話す言葉はそれを話す本人自身に向けて発される言葉を他人に投影しているだけで、良くも悪くも向かい合った私に言われたことだと引き受けてはいけないということ。そういう厳格さや言葉の厳密さ、口の慎みが自分を含め、結構多くの人を救うんじゃないかと思っている。 土曜日にはフランスのCと会ってきた。最近、Cは口腔内のケアをきちんとするようになったようで、口が臭くなかった。が、今も若干かそれ以上にCの行動原理というか、言動の根本にあるものはわからない。何回か書いたことがあると思うのだが、Cは一度俺との縁を明確に切ろうとしたのだ。が、その数ヶ月後、Cからメールがあり、なんの気はなしにメールを返し、会うようになったところ、なぜか俺への評価が180度変わっていた。セックス自体はもちろん大好きだし、楽しいのだ。セックスをきちんとすることでしか満たされないものがある。少なくとも自分には。結局これが2024年初のセックスとなってしまったし。 寝よう。 なんにせよ、幸せな週末だった。 今週も生き延びるので、どうか見守っていて欲しい。 これを読んでくれた人がいたら、どうか平穏無事な1週間を過ごしてもらいたい。
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ari0921 · 2 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月28日(水曜日)弐
   通巻第8154号
 「借金の罠」を仕掛け、結局は自らも「借金の罠」に嵌まった中国
   BRI(一体一路)は汚職の伏魔殿、不良債権の山となっていた
*************************
「債務の罠」とは中国が展開した海外プロジェクトで、「新興国など債務国が中国から借りたカネの返済ができなくなり、国際機関から有形無形の拘束を受ける状態」を意味する。債務の代償として中国は合法的に権利を取得することになる。たとえばスリランカのハンバントタ港、パキスタンのグアダール港などがそうである。
この「債務の罠」というタームは、インドの地政学者ブラーマ・チェラニーが「中国のBRI(一体一路)プロジェクト外交と搦めて提議したのが最初だった。
債務国は返済計画もずさんで、放漫な財政政策や経済運営など「モラル・ハザード」がおこる。債権国は相手国の過剰債務を梃子として政治武器化し、債務国を経済的支配下に置く戦略が隠されていた。ジブチがその典型だろう。同国は一万人の中国軍基地の造成を認めざるを得なくなった。
 しかし債務国が罠に落ちることもさりながら、あまりに肥大化し、膨張した中国の債権は、債務国に返済能力がないわけだから、事実上の「不良債権」である。むしろ中国自身が逆ブーメランのごとく「債務の罠」に陥没する。この諧謔的な結末を最初に言い出したのは筆者ではないかと思っている。
さて中国の官吏の特徴は文豪の林悟堂が言ったように「賄賂賄賂賄賂賄賂賄賂」である。海外プロジェクトほど、賄賂と汚職が蔓延しているのに誤魔化せる分野はない。政府の交渉人、窓口の役人、融資する銀行、資材企業、労働者斡旋起業、運送会社などなど。海外の実情を当局はすぐに把握できないため、「汚職の伏魔殿」と言われた。
 不良債権の山とは汚職の積み重ねの結果でもある。
 習近平が2013年から開始した「一帯一路(BRI)」ではアジア・アフリカから中南米、南太平洋の島嶼国家にいたるまで、インフラ建設が目白押しになった。どの国の山奥へ行っても中国企業の看板があった。
たとえばパブアニューギニアの国際会議場は中国が建てた。東チモールの山奥でも中国企業の旗、橋梁工事をしていた。「JICAが金を出し、中国企業が請け負う」という定番である。対外宣伝で中国はBRIに1兆ドルを注ぎ込んだとしているが、実質上7000億ドル前後をBRIに投じた。そして大規模な汚職が進行していた。
 ▼汚職腐敗をとりしまれと習近平が大号令をかけたのだが。。。。。。。。
中国の汚職摘発機関(中国共産党中央紀律検査委員会=CCDI)は『BRI汚職』の捜査を開始することになった。
2月25日に公表されたCCDI報告で「BRI構想下のインフラ建設プロジェクトを捜査対象に挙げた」とインド、香港のメディアが報じた。腐敗の防止・対策・摘発に重点が置かれている。
 これまでのCCDIの捜査実績は国内が対象で、「長江公司事件」では当時北京市党委書記で、大規模な汚職事件に密接に関わった陳希同を政治局委員から解任、中央紀委書記��った尉健行が北京市の党委書記を兼任した。陳希同は江沢民最大のライバルだった。
 「遠華密輸事件」ではCCDI副書記だった何勇が陣頭に立って捜査にあたった。主犯はカナダに逃亡したが、十年後に中国に送還された。この間に関係者の多くが不在となって、真相はいまも謎のままである。
 CCDIの歴代書記は、朱徳、董必武、陳雲、喬石ら党の大物が務めてきた。1992年頃から党の序列人事となって、尉健行、呉官正、賀国強らがポストに就いた。
習近平時代には、このポストを政治の武器として活用することが露骨になった。辣腕家の王岐山が登板し、江沢民派、団派という敵対派閥、ライバル派閥の汚職にメスを入れた。これは同時に習近平派が利権を手に入れたことを意味する。
その後、趙楽際は自らも多くの汚職に手を染めていたため辣腕を振るえず、2022年からは李希が中央紀律検査委員会を率いている。
これまで李希CCDI書記は国内の汚職の温床を捜査対象としてきたが、海外プロジェクトが絡むと外国の政治家や国際金融尉官が絡んでくるため、対外的な対応ができる権限をもった新組織が必要となると提議してきた。
そこで、習近平は2024年1月9日に「中国共産党20期中央紀律検査委員会第3回全体会議」を召集し、次を強調した。
「反腐敗闘争は強力な腐敗撲滅キャンペーンを経て、圧倒的な勝利と全面的な強化を得た」。しかしながら「情勢は依然として厳しく複雑である。われわれは反腐敗闘争の新たな状況と動向に対する冷静な認識、腐敗問題が生まれた土壌と条件に対する冷静な認識を持つ必要がある」
 つまり同委員会の改革を示唆したのである。
 ▼汚職捜査の責任者、李希とは何者か?
 さて中央紀律検査委員会書紀は、政治局常務委員で序列七位の李希である。
 この人物は、福建閥でも清華大学閥でもない。ほかの政治局常務委員はなんらかの腐れ縁があって習ファミリーにおける習の子分たちだ。
 ところが、李希は習のミウチではないのに、どうしてこうも大出世が可能となったのか?
 李希は甘粛省生まれ、蘭州市の秘書長になるまで地味な、まるで目立たない地方官吏でしかなかった。
陝西省に飛ばされ延安市書記になった頃、突如、ツキがまわった。
 
李希が陝西省延安市トップの党委書記を務めていた頃に、習近平がやって来たのである。
 共産革命のメッカといわれる延安は毛沢東の「長征」の終着駅。革命の聖地と言われる。実態は毛沢東らは穴蔵に籠もり、共産革命の美名に酔って馳せ参じた女たちをハーレムとしていた。
 その延安のはずれ、梁家河村は、文化大革命のころの「下放運動」で習が15歳から7年間過ごした場所なのである。
洞穴のような横穴式住居に暮らし、農民になり、苦しさに耐えた青春時代を、習近平は懐かしむ。延安市党書記だった李希は「全力を挙げて梁家河村を『模範村』とし、党中央や習近平同志に安心してもらおう」と呼びかけたのだった。
 その後、李はとんとん拍子の出世階段を驀進し、2011年に上海市副秘書長、2014年に遼寧省長、17年に政治局員となって広東省書紀(上海、広東は出世コースのひとつ)、そして2022年にトップセブンにのぼった。
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poetohno · 2 months
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混沌の洪水 9 おまけトーク(現実にではなく、観念にダメージを受けている)
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「断罪」
迸るように激しく 溢れるように流れ 世界の色彩は閃く
ギロチンが音を立てて待ち構えている 帰りを待っている 朝が来て 夜が来て
断罪の音が木霊する 日々音が近づいてくる どこにいようとも 何をしようとも
迫り来る 祭壇への 道 生きること 鼓動が 導く 避けようのない 運命
心臓は高鳴る 警鐘のように
逃れることはできないからこその 運命 受け入れる気はない 別の運命をたぐり寄せようと手を伸ばす
火薬に火を点け 計画を粉々に砕く 燃え広がり 海の中に灰を蒔く
未来への標を失った 命の計画書は塵となる 何を望める 運命の音は木霊する
細胞が 共食いし 命を 食らう 身体が 身体を 貪り 食らう
破壊されてしまえば 消えてしまえば
破壊された溝を 埋めることはできない 困難な道 茨の導き 血を流して軌跡とする 運命の音が迫り来る 脳裏に浮かぶ祭壇 恐怖 震える手 未来のための標は 失われてしまった 命は彷徨う
どこにいようと安全な場所など無い 安らぎなど仮初めの姿
真実から目を背けたいだけ なくなることはない 遠ざかろうとすればするほどに 音は轟き 心臓を掴む
心臓が肺を囓る音がする 恐怖 細胞の痛みが奔る 絶望
警鐘が鳴り 断罪は 雷鳴に似て 思考は 混濁 喪失し 生命の 破壊
時は近い 運命は変えられないのか 遙か昔に決定されていたこと
狂うことができれば どれ程の 救いだろう 不安 恐れ 失望 痛み
全てが降り注ぐ 矢のように 裁きのように のたうち回り 足掻き 藻掻き 懸命に走る
それしかできない どんなことがあっても 自身が歩む道でしかない
全ては耐えられるからこそ 与えられてしまうもの 運命には 望みも 願いも 何ら関係がない 微動さえしない
太古の昔から脈々と流れてきた 巨大な奔流 都合よく 未来と名づけて 必死に生きることしか できない
彷徨い歩き 倒れた時 後ろで音がした 刃物が落ちた音 影の首を切る 崩れ落ちた
逃れれば救いと呼ぶのか 自分勝手―それでも 生きろというのか 葛藤も 矛盾も抱えて 醜い心さえ携え 夜明けの美しさを焼きつけて
不穏
砂漠から立ち上る蜃気楼 海に浮かぶ砂上の城
既に失われた楽園
人々は泥を財宝と錯覚して身につける
美しさを求めて泥を身体に塗りたくり穢す
愛というものは季節のようにすぐに移ろう幻
秋が訪れれば 葉が枯れゆくように 万物は逃れられない 太陽と月さえも支配されている
熱せば冷める水と同じ 酔えば醒める甘美な酒 死のような恍惚の眠りと失望した現実への目覚め 彼らは皆求めたがゆえに失った
強固な大理石に罅が入る 溶けるように風化していく 化石のような残骸が残る
硫酸に溶かされるかのように消えていく
永遠を望むということは時の移ろわない砂時計を望むことと同じこと
籠は骨でできている やがて塵となり 土に還る時の流れに 抱擁されている
海水を啜る者達は飢えに我慢ができなかったのだろう 心の欠乏に 自らが欠陥を抱えた存在であることを認められないがゆえに より渇くとも知らずに
飢え求めるからこそ 貧しくなる 覚悟していようとも 本能と欲望は抗えない 偽りを本物と気づかずに
ほくそ笑むだろう 欲する者達は煌めきに眼は眩んでいる 砂粒が宝石に見える
自らが富を得て 豊かに 幸せを身につけているのは 全ては錯覚でしかない
より得るために 偽りを求めて 自らが代償に支払うものは自らの命の欠片 刹那の幸福の感情と引き換えに奪われていく
声が聞こえる 単なる砂上の王国だったと知る 愕然とする 人生は何だったのか 幻に踊らされていた 真実は常に痛みと共に襲い来る 恍惚は彼方に蜃気楼となる 幻 記憶は美化して輝かしくする 後悔が押し寄せる 人生の意味は失われた どのようにして取り戻せというのか 全てを奪われたと同時に 知った真実が 青空にすら星となって輝き消えない道を照らす
駒でしかなかったのか 運命という盤上の人形でしかなかったのだろうか
星は導いて満足したか 風は欺いて楽しんだか
闇さえも光の姿をして注いでいたのかもしれない
風を射抜いた旋律は 闇夜から零れ落ちた銀貨のように
命の目指す標
大洪水 無数の理由
無数の理由の柵(悪意 利己 執着)
混沌の渦に己の道を敷き秩序を描く
内なる音楽が消える時 引き寄せられる
記憶のない場所に 罪の意識と共に 自ら招いた意識の果て 無意識という 果ての無い宇宙 無音であり 万物の音よりも 雄弁に語る
契約という宇宙と星との密やかな画策
誰も知らない 己が契約書にサインをしたことを
気づきようがない 魂に封印されている
知らずとも 道を辿っている 未来と過去とが 出会う場所で 偶然に 必然を見出し 運命と名づけて 全てを背負って
宇宙はただなすがままに実行するだけであり 機械的であり 無常で��り 非情ですらある この世界は自然的な法則で動いている
天に何を見出す
物事は淡々と生じ 粛々と過ぎる あるがままと言うか 自由と呼ぶのか
どこに自由がある��必然だらけの世界であり 星の配��により定められ 物事の数列により決められ 命はただ従い 抗い 藻掻くに過ぎない
逃れることはできない シナリオから 血管が証 血脈が奔り 施されている 心臓に託された運命の契約書
生者は 蘇る 第二の生へと
魂は目覚める時を待っている 蘇る瞬間の訪れを 心臓に閉ざされ 封じられ
生者は 蘇る 第二の生へと
欲望と混沌に見失う 広大な宇宙に彷徨い 見失った光 心臓が深淵に出会う時 時計は 針が 刻々と 時を刻む 時は動き出す 肉体の鼓動ではない 魂の表出 世界が孵化する瞬間 囚われた精神が光を見出し 頂よりも高く飛翔し 観念としての意味と価値を超越する 高潔と無垢との刃によって 柵と呪いは断たれる 命は鼓動し 星は光り 宇宙は万物を生み出し 破壊さえもする 混沌に 産声を 響かせ 奏で 紡ぐ 存在のために 精神は目覚める
幸福 安らぎ 存在理由 存在価値の全てが列なる 万物の意味 未来と過去の全ての暗号が解かれる
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kennak · 8 months
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とっくの昔に旬を過ぎている質問と思われますが、面白そうなので回答します。 一般的に思われている「クラシック」とは、ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽です。古典派の時代くらいから市民階級を対象とした「コンサート」が行われるようになり、レパートリーとして交響曲をはじめとする器楽曲が数多く書かれ、19世紀を通じて隆盛を極めました。はじめは存命の作曲家の作品ばかりが演奏されていたようですが、コンサートの数が増えるにつれ、曲が足りなくなり、「すぐれた作品であれば、故人のものでも演奏しよう」ということになります。数々の音楽雑誌が創刊され、音楽に関する言論が盛り上がります。シューマンが創刊した「新音楽時報」が代表格で、これは現在も刊行されています。音楽雑誌の主要な関心は、「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定」でした。現在コンサートのプログラムを飾る数々のクラシックのレパートリーは、こうした中で選ばれてきたものです。バロック時代の作品はいわば「前史」として、後に発掘されたものです。メンデルスゾーンがバッハを発掘した例はあまりにも有名です。 作曲家たちは、こうした中で勝ち残りつつ、世俗的な成功をおさめようとしのぎを削っていました。みんな「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を目指していた、といっていいと思います。が、19世紀後半に爆発的な数の作曲家が出て、個性を追求しようにも、もはや音の組み合わせが尽きつつあるのではないか…その問題から逃れようがなくなっていきました。そもそもオクターブに12音しかないものを、多くの作曲家が競争して曲を書いて行ったら、可能性を汲みつくしてしまうのではないか…そういう種類の問題です。 その問題の処し方は、ヴァーグナーが切り開いた半音階和声の道や、国民楽派が切り開いた民族性追求の道、フランス人たちが切り開いた旋法や非機能的和声の活用の道でした。 20世紀に入っても、少なくとも第一次世界大戦まではこの延長上で数々の作曲がなされていました。民族性追求はジャズやガムランなど非ヨーロッパ音楽への関心を生み、そのよって立つ民族を広げながら続いていきます。フランス人たちの切り開いた道も、それはそれで継承されていきます。 が、半音階和声の追求の中からシェーンベルクが無調の道を開き、一般の聴衆と決別する傾向が出て来ます。複調を多用した作品でスキャンダルとなったストラヴィンスキーの春の祭典も、同じように言えるかもしれません。新しい作曲技法の追求は、第1次世界大戦前の段階で、「クラシック」の前提であった「市民階級を対象とした芸術音楽」から外れ始めたのです。簡単に言えば、「最新の技法で曲を書くと、市民に聞いてもらえない」「市民を置き去りにしないと、最新の技法を試せない」という状態に陥ったのです。 第1次世界大戦以降、ロマン的な感覚が毛嫌いされ(民族主義を盛り上げる=ナショナリズムに訴える=戦争に結果的に協力する部分があったのは否定できません)、クラシック界は新古典主義の時代となります。シェーンベルクは十二音技法を開拓しますが、これも言ったら無調のシステム化であり、理性的です。中には新古典主義の語法を適度に取り入れつつもロマン的な曲を書いた人もいますし(バーバーとか)、ルネサンス期の舞曲や民謡を編曲した懐古的な作品も見られますが、例外的です。 ただ、この新古典主義ですが、形式への回帰とロマン的な感情表現の否定、下手をするとオリジナリティの否定(民謡と現代的な作曲技法を結びつけたりしています)ですので、大物は出て来にくいです。最大の大物はラヴェルとバルトークだと思いますが、フランス6人組といっても一般的には知られていないでしょうし、コダーイやカゼッラやマリピエロも通常は知らないでしょう。 何より、第1次世界大戦が、それまでの「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定を行う市民階級の共同体」に物理的・経済的に深刻なダメージを与えたことは間違いないでしょうし、それまでのようにナイーブに共同体の共同主観を信じることも難しくなったでしょう。ナイーブに自国の素晴らしさと誇りを信じた結果、破局的な大戦に至り、ドイツ・ロシア・オーストリア・オスマンの4帝国は解体となりました。フランスは人口構成が変わるほどの大ダメージです。ロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」という理想自体が、技術的にも理念的にも疑わしくなったと言えるのではないでしょうか。 悪いことは続くもので、ソ連では社会主義リアリズムが叫ばれるようになり、音楽は大衆に奉仕するものとして、人為的に古めかしい様式で書くことを強制されるようになりました。ナチスは実験的な音楽とユダヤ人の音楽を抑圧しつつ東方に勢力を広げました。ここでもロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を試みるための自由が奪われたわけです。結局、そうした自由が残っているのは実質アメリカだけのような状態になりました。ガーシュウィンやグローフェやコープランドやバーバーやケージなど、アメリカだけがかなり元気に見えるのは、絶対に偶然ではないでしょう。 要するに、戦間期の段階で、すでに「クラシック」を生み出してきた種々の条件が大幅に崩れています。オリジナリティの余地は狭まり、オリジナリティ自体の正当性が疑われ、クラシックを支えてきた市民階級の共同体は物理的・経済的・精神的に力を失い、やがては全体主義国家による抑圧も行われるようになった、ということです。こうした時代に、ベートーヴェンのような素朴な市民共同体の信奉者や、ショパンのような詩人や、ヴァーグナーのような誇大妄想狂が伸び伸びと作曲できたでしょうか。 さらに、凄惨な独ソ戦はドイツ以東を滅亡の淵に突き落とします。一応戦勝国のはずのフランスも、ドイツに率先して協力した者を糾弾するなどで戦後は内輪もめです。クラシックを支えてきた市民階級の(ある意味のんきな)共同体など、大陸諸国では崩壊したものと思われます。おまけに戦後は鉄のカーテンで、東欧は全てソ連の影響下となり、抑圧体制となります。社会主義リアリズムは粛清を伴う形になり、自由な創作は生命の危険を伴う状態にすらなりました。社会主義リアリズムとは「強制されたロマン主義音楽や民族主義音楽」と言えると思います(ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンを聞けばわかります)。ソ連の音楽界は、西側諸国から離れ、ガラパゴス的な世界となりました。 対抗上、西側諸国では、いわゆる前衛音楽が各国政府によってバックアップされ、自由のアピールとされました(ロマン主義・民族主義・新古典主義のどれをやっても、社会主義リアリズムと被ってしまいます)。前衛音楽は新しくていいのですが、一般市民にアピールする力はありません(ヨーロッパの音楽愛好者が、「前衛音楽は、風変わりな音が古い城の大広間などで演奏される様が最初は非常に新鮮で面白かったが、すぐに飽きた」などと書いています。一番好意的な反応でこのくらい、と考えられます)。受け取り手の共同体が崩壊し、作品をつくる側が市民階級から背を向けていたとしたら、巨匠が出てくる余地があるわけがないではありませんか。 一応、メシアンだのブーレーズだのケージだのライヒだのと、主要な作曲家を挙げることはできますが、おそらく一番影響力があって楽壇をリードしていたブーレーズが、ある時期からほとんど作曲をしなくなり、指揮ばかりするようになってしまったのが象徴的です。要するに、「クラシック」を生み出してきた種々の条件が完全に崩れてしまったのです。質問に対する直接のお答えは、これです。 戦後に起きた大きな変化としては、世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったこと、旧体制(ナショナリズム的な国家体制)が若者世代から各国で猛反発を食らい無視できなくなったこと、貴族主義やエリート主義の崩壊(といって悪ければ地下化)などがあるでしょうが、これもすべてクラシックの首を絞めています。代わりに台頭した音楽が、アメリカ起源のロックで若者対象の音楽であることが象徴的です。 それでもクラシックに関心のある層は、クラシックの新作ではなく、指揮の巨匠によるレコードの演奏の違いに関心を寄せるようになりました。が、徐々に生演奏のハッタリ要素は自粛され、レコードにしても傷のない演奏をコンサートで行うのが当たり前になり、クラシックは新作という意味でも、演奏という意味でも、活力を削がれる形になっていきます。1960年代くらいのライブ録音など聴くと、相当にロマン的な無茶をやっていて楽しいですし、各国のオーケストラにもまだ明確にエスニシティがありますが、70年代以降どんどんそれは消え失せていきます。演奏に全く傷のない録音とそれとそん色ない生演奏の極北は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団だと思いますが、あれはあれで尖った個性だったと思います。しかし、もはやその路線もありません。クラシックのCDは、どれをとっても似たような穏健な解釈とそこそこ傷のない演奏により、聴く人の「既存の曲のイメージ」をほぼ再確認するだけのものになっているように思います。おまけに値崩れも甚だしく、昔の巨匠と世界的オーケストラの録音が、500円くらいで投げ売りされていたりします。 それでも、宮廷料理に起源のある高級料理が滅びないのと同様、クラシック音楽が絶えることは一応ないでしょうし、また映画音楽などのネタ元として、クラシック音楽は活用され続けるでしょう。もしかしたら、一応西欧文明の影響下にある国々に普遍的に流行する音楽も書かれる余地はあるかもしれません(クラシックではありませんが、Let it goが世界43か国語に訳されて歌われたのはなかなかエポックメイキングだと思います)。が、その時に使われる作曲技法は絶対に最新の前衛的な技法などではなく、多くの人にわかりやすいロマン的あるいは民族的あるいは新古典的な様式でしょう。 クラシック的(あくまで「的」ですよ)な作曲法で大流行した例としては、パーシー・フェイスとか、ヘンリー・マンシーニとか、ポール・モーリアとかが挙げられるでしょう。映画音楽は後期ロマン的な様式で書くというルールがハリウッドで確立されており、ジョン・ウィリアムスはその巨匠です。日本だと久石譲ですね。こうした音楽は、おそらく今後も書かれ続け、一定程度の人気を得る曲も出てくると思われます。 が、クラシックの系譜に直接つながる音楽=ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽で、作曲家が世界で自分にしか書けない鮮やかな個性を目指して最新の技法で書き、多くの人に受け入れられた上、歴史の審判を経て残る音楽=はもはや、存在しえないと思います。
なぜ、現代に、クラシックの大作曲家が輩出されないのですか?大昔の作曲家のみで、例えば1960年生まれの大作曲家なんていません。なぜでしょうか? - Quora
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0nce1nabluemoon · 1 year
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泉に戻ることを望む者は、流れに抗して泳がなくてはならない
[東ドイツ ある家族の物語] P.265
しかし日本は、国を失ったことはないでしょう
[また、桜の国で]P.115
今、僕の国では、未だかつてないほどに、武士道や大和魂という言葉が使われているよ。でもね、覚えておくと良い。濫用される時は必ず、言葉は正しい使い方をされていない。
[また、桜の国で]P.482
誤解せんで欲しいが、資本主義が勝利するわけではないぞ。敵を見失った資本主義は、これまた果てしなくモラルを失っていく。どんな形で崩壊するのか、それとも再生できるのか。
[プラハの春 下]P.366
犠牲者を追悼する際、たとえ何百万単位で数えられたとしても、彼らは個人であり、集団ではないと覚えておかねばならない。どのような形であれ、殺された人々を集団として記憶しようとするのは死者を否定し、還元し、再び消滅させてしまう行為である。まさに犠牲者を殺害した人たちの思うつぼなのだ。さもなくば記念碑は忘却と否定の文化に取り込まれてしまう。私たちが忘れてしまうのは単純に忘れた方が楽だからであるが、不安や恐怖の時代にそれをしてしまっては無責任である。忘却は無知に自由な支配を許すことになる。つまるところ、心に留めておきたい歴史が何であるのか、あるいは過去を意図的に消そうとする理由は一体何か内省してみれば、私たち自身が何者であるのかが見えてこよう。
[ポスト・ヨーロッパ 共産主義後をどう生き抜くか]PP.214-215
あたしはずっと歴史を教えてきたけど、歴史上の出来事のどれひとつをとってもわたしたちが最後まで知っていることってありません。経験したどれをとっても。真実のすべてを......
[戦争は女の顔をしていない]P.46
僅か十日のあいだに、日本の国民はこれだけの大きな自由を奪い去られたのだ。
[風にそよぐ葦(上)]P.199
そしてこの動乱の時代には、すべての愛情が悲劇の原因になるのだ。裏切られなかった愛情がどこにあるだろう。悲劇をもたらさなかった愛情がどこにあるだろう。人間と人間のつながりが、兵役法だの徴用令だの動員規定だの、その他無数の法令によってばらばらに切りはなされ、愛情の幸福はその根底を失ってしまった。
[風にそよぐ葦(下)]PP.76-77
榕子は日の丸の旗が嫌いであった。それは残忍きわまる国家権力の象徴であった。ここ数年来、国家とは国民の不幸の象徴ではなかったかろうか。良人を奪い子を奪い富を奪い食を奪い、あらゆる生活の根底を破壊し去ったものはこの日の丸の旗であった。
[風にそよぐ葦(下)]P.93
道徳も義理も人情も、そういう美しいものはすべて生きるための邪魔ものであった。
[風にそよぐ葦(下)]P.198
国家が国民に要求する犠牲がその極限に達し、その極限を過ぎて、血をすすり肉を啖い尽してから、戦争指導者と重臣たちとはようやく降伏を決意した、それまでは決断がつかなかったのだ。
[風にそよぐ葦(下)]P.271
古今の歴史は、為政者たちの暴政や侵略者たちの暴虐による人間の悲劇を、幾つとなく記録しているが、どれほど凶暴な力に打ちたおされても、それが人間の本質的な姿を変えることはできなかった。ヒトラーやムッソリーニや東条が、あのなさけ容赦ない強制と圧迫とを加えてみても、ついに蹂躙することのできなかった(人間の最後の自由)というものがあるのだ。ソヴィエトの圧制者たちがあれほどの秘密警察と懲罰主義とをもって、幾度か血の粛清を行なって見ても、どうしても奪い去ることのできなかったスラヴ人の自由というものがあるのだ。全体主義者たちが最後につきあたるものは、この、人間が人間であるという真実であるに違いない。自分の思考をもち、自分の欲望をもち、自分の理想をいだき自分の幸福を求める、人間としてのその本質的な希望は、国際関係が緊迫してきた現代の社会ではほとんど許されなくなってしまった。しかし、最後に残るただ一つの自由は、拒否するという意志に於いて表現されるのではあるまいか。
[風にそよぐ葦(下)]PP.464-465
しかし、どんな時代が来ても、人間の心の奥底にある、孤独感というか、一人きりでは生きて行けない、誰かを愛し、誰かを信じないでは居られない、そういう本質的な弱さ、・・・弱さと言ってもいいだろうね。・・・そういうものの美しさを信じることはできるんだよ。
[風にそよぐ葦(下)]P.536
私は罰を受けている・・・でもどうして?もしかして、人を殺したから?時々そんなふうに思います。年をとると、昔より時間がたくさんあって・・・あれこれ考えてしまう。自分の十字架を背負って行くんです。毎朝、ひざまずいて、窓の外を眺める。みんなのことをお願いするの。すべてを。夫を恨んではいないわ。許しました。彼のために祈ります。責めません。私が女の子を産んだ時、彼はしげしげと眺めて、すこし一緒にいたんだけど、非難の言葉を残して出て行ったんです。「まともな女なら戦争なんか行かないさ。銃撃を覚えるだって?だからまともな赤ん坊を産めないんだ」私は彼のために祈るの。もしかして彼の言うとおりかもしれない。そう思うことにする......これは私の罪なんだって......私はこの世で何よりも祖国を愛していた。私は愛していたんです。誰にこんなことをいま話せます?自分の娘......あの子にだけ......私が戦争の思い出話をすると、あの子はおとぎ話を聞いているんだと思ってるんです。子供用のおとぎ話を。子供のおそろしいおとぎ話を。
[戦争は女の顔をしていない]P.369
スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情と流した血に対して。
[戦争は女の顔をしていない]PP.430-431
だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵さ。人間がどうにかできるようなものじゃないんだから......。
[戦争は女の顔をしていない]PP.480-481
「本当の親か、本当の子かなんてことはね、誰にもわかりゃしないんだよ」良太郎は仕事に戻りながら、いかにもやわらかに云った、「お互いにこれが自分のとうちゃんだ、これはおれの子だって、しんから底から思えばそれが本当の親子なのさ、もしもこんどまたそんなことを云う者がいたら、おまえたち��ほうからきき返してごらんーーおまえはどうなんだって」
[季節のない街]P.276
「おてんとさまばっかり追いかけるなよ」
何のことなのか理解出来ず、私は父を見た。七十年生きてきて、ようやく判ったのだと父はつづけた。自分は、日の当たっているところを見て、いつも慌ててそこへ移った。けれども、辿り着くと、そこに日は当たっていず、暗い影になっている。また焦って走る。行き着いて、やれやれと思ったら、たちまち影に包まれる。振り返ったら、さっきまで自分のいた場所に日が当たっている。しまったとあと戻りしても同じことだ。
[血の騒ぎを聴け]P.23
私は深夜、寝つけなくて、無数の映像と無数の音楽について考えた。どのような映像の彼方にも見えないものがあり、いかなる音楽からも聴こえないものがある。それを立ちあがらせるのが言語ではないか。文学は、終わるどころか、これから真の力を発揮する時代に入る。そう確信して、夜明け近くまで起きていた。文学が負けるのではない。虚無や時代への迎合というらくな階段を昇り降りし、訳知り顔に民衆をなめる作家や編集者が負けるのだ。
[血の騒ぎを聴け]P.47
文学が、結局は、死と恋に集約されざるを得ないのは、その哀しみと、そこから得るものが、数学の試験のように、一プラス一イコールニとはならないからであり、いかなる言葉を尽くしても、自分の心を表現することができないからであり、「別れ」が、なぜか個々人の人間のグラスを、ほんの少し大きくしてくれるからである。
[血の騒ぎを聴け]PP.287-288
われわれが実際に建設しているのは、投機を行うための都市であって、人々が住むための都市ではない。
[反資本主義]P.107
人が受け取ることのできる他人のあり方などほんの断片であり、一個人の持つ複雑な内面の全てを推し量ることなど決してできない。
[歌われなかった海賊へ]PP.362-363
王や神は書く必要がない。その存在は自己自身のうちで絶対的に充実しており、他者との関係を必要としない。王は書くことなく語る主体であって、自分の声をただ書きとらせるだけなのだ。
[デリダ]P.73
「一者」への結集は、「他の他者たち」に対してのみならず、「自己における他者たち」に対しても「暴力」となる。
[デリダ]P.293
そういう生まれつきの能を持ってる人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ。
 [さぶ]P.291
この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無智からきているとすれば、少なくとも貧困と無智を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。(略)「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、ーだが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富栄えている者よりも、貧困な無智のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来に希望が持てるように思えるのだ」
  「赤ひげ診療所」 P.178
見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。
「赤ひげ診療所」P.298
「……そういう人たちと別れ、戦地から戻って日銀に復職したら、なんだか妙にシャクにさわってむかむかしてきたんだな。わが身が大事のエリートが威張りくさって、トラックでわたしが一緒に働いたような、学歴のない人たちが、ここでもやっぱり下っ端として馬鹿にされて理不尽な目にあっている。こりゃなんだ、戦争は終わったのに、何も変わっていないじゃないか、と」「わたしはトラック島で部下だった工員たちに救われていた部分がずいぶんあった。そんなかれらが価値のないものとして否定されて、軍人より先に死んでいかなきゃいけないのが戦争だった。同じことが、まさにわが職場で行われているとわたしの目には映った。こりゃあ黙って見過ごしちゃいかん、と思ったんだな。大げさに聞こえるかもしれないが、それはわたしなりの、死者への責任でもあったんだ」
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]PP.60-61
彼らにとっての祈りとは、死者を自分の裡に住まわせてこの世を生きる、その生き方そのものではないかと思った。→デリダの幽霊
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]P.121
われわれの歴史だって、いつか、誰かによって演じられたものなのかもしれない。そしてわれわれは、その時と同じような敗北に向かって、同じような手で、コマを進めているのかもしれない。このベラミとそっくりのきちんとしておとなしい男が、かつては、象牙海岸で黒人狩りをおこない、ハイチやルイジアナへ船で運び、その途中、船倉でくたばるものはくたばるにまかせていたこともあり得る。そのベラミには、当時なんの悪気もなかったのである。いつの時代でも、ベラミには悪気はなかった。だから、始末にこまるのである。
「山椒魚戦争」 PP.242-243
市民であることとは、市民をケアすることでもあり、民主主義そのものをケアすることである。
「ケアリング・デモクラシー」 P.ⅻ
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chaukachawan · 5 months
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かみ
みーらです。
稽古日誌を当て忘れました。
みんな中間テストで忙しそうなので、今日は私が書きます。
と、言っても。
今日は演出として本当にあるまじき態度で稽古に臨んでしまいました。脚本のことで頭がどうかしてることを加味しても、今日は酷かった。
発声して、とりあえず地位エチュードして、途中まで書いてある脚本を演じつつ、シーンの最後までアドリブで繋ぎ切るという無茶振りもしました。ひらりとゆにがコテコテの方言でやってたの面白かったな。
白子君が来てくれてからは、各シーンの役者が集まって、読み合わせをするように指示を出してくれました。ありがとう白子。明日には僕の心の整理がついて、もっと前向きに稽古に臨めると思います。
稽古場を回すのって、実はめちゃくちゃ大変なんだなぁということを実感しています。黍さんもベガさんも、やっぱりすごい人なんだなぁ。タウリン楽しみにしています。
脚本・演出の自分に対して色々思うところはありますが、噛み砕いて言えば、もっと勇気を持ちたいものです。
粛聖!!ロリ神レクイエム⭐︎ という曲をご存知の方にお聞きしたいのですが、「ロリ神」ってなんて読んでますか?「ろりかみ」?「ろりがみ」?
私はずっと「ろりがみ」と読むものだと思い込んでいたのですが、どうやら本家は「ろりかみ」を想定しているらしいです。
でも、「折り紙」は「おりかみ」じゃなくて「おりがみ」だし、「笑神様は突然に…」というテレビ番組もやはり、「わらがみさま」と読むそうですので、「ろりがみ」の方がいいと思うんですけどね。
そろそろ髪を切りたい気もします。
ってことで、まだまだパワーアップしていく新人公演。お楽しみに。Coming soon. かみだけに。
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manganjiiji · 6 months
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噂わさわさ
今日は一秒も勉強をしていない。10月朔日以降、誰とも会う約束がないのに勉強をしていない日というのは初めてだと思う。とにかく今日は休日にした。ぱっとしない休日だった、というか、どちらかというとパニックに襲われたような(そんな大袈裟なことはない)一日だった。もくりでも誰とも喋っていな��。変な感じに静かで、しかし荒れていた日だった。
まず朝、生理痛で目が覚めるが、痛くて起きることができない。11時からせっかくのジムだったのに、とても行くことができず、欠席。もったいない。しかし体調のことは仕方ない。気を取り直して、夜に次の予約を2回分入れた。
生理痛がおさまってきて、友人から頼まれたGUの店舗受取の品をお迎えしに、何年ぶりかわからないけれど西武新宿のPePeに行った。来る度に、色々な人と来たなという思い出が蘇る。1人でエレベータで5階まで行き、粛々と品物を受け取って、スタバを覗いたが席がないのでそのまま出た。東口に向かう流れで、新宿のこちら側は相変わらずだ、と思った。歌舞伎町と縁があったのはもうかなり昔のこと(と言いながら3年〜4年前くらい)で、でももうできるだけ近寄りたくないなという感じがする。どちらにしろ私はもう若くなく、太っており、歌舞伎町の「風景」にしかなれない。前景になることはない。老けたし、「おばさん」だ��と思った。今日はZOZO中古で買った黄色いワンピースを着ていたが、それが肉でぱんぱんで、顔も肉でぱんぱんで、たいそうみじめな思いがした。太っていることは悲しいことだ。私にとって。(他の人にとっては、他の人の事情なのでわからないし、何も思わない。)
その後三丁目で電車に乗るのだし、と思って、三丁目のスタバに行ったら席が空いていたので、友人がGUお使いのお礼にとくれたドリンクチケットでホワイトモカ・ホット・トール・ソイ変更を頼み、ニューヨークチーズケーキまで食べた。ここで摂取した脂質がものすごいことになっている。せめてニューヨークチーズケーキをやめろ、と思うのだが、とにかくお腹がすいてへろへろだった。夜になってさまざまに「痩せるための計画」を書き出したのだが、とにかくもうスタバに行くなとしか言えない。スタバにはアイスティーもないし、とにかく駄目だ。どんなに好きでも駄目だ。ホワイトモカをソイやアーモンドミルクに変更したくらいじゃ脂質は大幅にオーバーする。
スタバで燐一小説を書こうかと、『やがて秋茄子へと到る』をひらき、いくつかの歌を書き写す。音楽も今書いている話のためのプレイリストなので、かなり燐一の気持ちになった。小説は書けなかったが、短歌を三つ作ってTwitterに貼った。とくに誰からもなんの反応もないが、やはりこういうこと(自分の好きな情感を自分の好きな文字と情景にのせて整えること)は自分に必要だと思った。
スタバからの帰り際、事件が起きた。しかし、この事件は生涯おのれの胸に閉まっておくことにしようと思う。本当にやばかった。犯罪までいかないがあきらかに「罪なる行為」をしてしまった。動転してそのまま店を逃げ出した。とにかくおそろしかった。ただここには書かない。数年後に思い出したら書くかもしれないが、いつもの自分なら処理できたことも、今日の私にはなすすべもなかった。朝からずっと動揺していたのだと気づいた。
スタバでの動転を引きずったまま、最寄り駅で降り、スーパーで牛乳とバナナを買い、帰宅。朝からずっとマッチングアプリを(久々に)いじっていて、複数の女性とせっせとメッセージを交換しかなり気疲れした。相手が男だとこういうのは「営業」と思って割り切ってやれるが(慣れているというのもある)、相手が女だとかなり慎重になるし、アプリもレズビアン界隈のこともよくわかっていないので(それこそ多種多様な人がいるし)、手探りな面が多く、またこちらもそれなりに真剣なので疲れた。男性相手のマッチングアプリは今はやっていない。アイカツ!を通じて知り合ったお兄さんと月一で会っているが、今月は私の試験もあるしまだ次の予定は立っていない。私がマッチングアプリを使う時の癖として、同時に5〜6人とメッセージを交わし、その時間は集中してマッチングアプリに向き合い、やらない時は完全に放置する、というサイクルを繰り返すというのがある。今日も、1週間ぶりくらいに一気に返信して、それに返信してくださった方と、新たに知り合った方とで、やはり5〜6人とのやり取りになった。そういうことをしているから疲れるのかもしれないが、私にとってはこれがスタンダードである。基本的に人と常になんらかのやり取りをしていないと、私は狂ってしまうのだと思う。
帰宅してから燐一小説の続きの書写をやろうかと思ったが、なぜか爪を塗り始めてしまう。黄色のポリッシュを頂いたので、今回もそれを主役にして、下地にsopoのミカヅキイエローを塗り、rihkaのcelosiaを塗り、osajiの横顔と文通をそれぞれ根元と爪先に塗った。トップコートは二度塗った。
ノートにとにかく感情を書きつける。いつのまにか毎日の生活のタイムテーブルをどうするかという話になっていて、どうやら22時に寝て6時に起き、朝からウォーキング、筋トレ、そして朝ごはんとする、というサイクルにしたいようである。早速今は0:38なので22時に就寝できていないのだが、ともかく毎日の行事として設定した「湯船につかる」は達成できた。汗もかけた。朝より体重が0.5kg、体脂肪率が2%減っており、もしやスタバでの事件が関係しているのであろうか、と思った。(風呂の前にも測定しており、結果は同じだった。)早くジムのちゃんとした測定器で体脂肪率が実際どうなっているのか確かめたい。次の予約は4日土曜日だ。
10月中に願書を印刷すると言っていたが、ふつうに出来なかった。普通にできろよ、そこは。と思うが、まあ、生理痛が悪いよね。今日まではできなくて仕方ないと思う。明日に期待します。明日の体調がよいことに期待します。朝昼晩の寒暖差、これはみんなひとたまりもないと思うけれど、私はどこまで煽りを受けるのか、やや戦々恐々。11/8(水)必着なので、とにかく土日に速達で出せばなんとかなる。それまでに印刷して必要書類を集めることができるのか。そこが問題です。主に試験のための費用を払い込み、その証明を得ることなど。
風呂の後納豆を生卵に入れて食べ、ソイプロテインを飲んだので、胃がいきなりの高負荷な栄養価にひとたまりもなくやられている。横になったらましになったが、かなりの胃痛だった。冷たいものをいきなりたくさん食べるんじゃあない。
明日も朝から晴れるといい。ウォーキングの道すじは決まっていないが、とりあえず明日はルート決めになると思う。音楽を聴きながら歩くのは好きで、楽しみである。基本的にその時書いている話のプレイリストを聞いて歩くと、その話が頭の中で書かれてゆくので、昔は歩かないと書くことができなかった。最近は書写しているあいだに書けるようになった。でも基本的には体を動かしている時に考えたり頭の中で書いたほうがいい。そのほうが文に酸素が入る。
昨晩、9月と10月の支出についてのスペースを録音したのだが、恥ずかしすぎてリンク先の載ったツイートを消した。これはさすがに公開するものではないな、と、朝になって冷静になった。ただ、オタクの支出が気になると言っていた友人にはLINEでスペースのリンクを送った。かなり呆れられるというか失望されること請け合いだ。送ってから取り消そうかと葛藤したが、まあ、いいか、となり、かき捨てられない恥を友人に押し付けてしまった。喋っている声もかなりいい加減な発声で、まじで人に聞かせるものじゃないなと思った。後悔先に立たず。覆水盆に返らず。もういい。忘れよう。私なんてどうせその辺のヘドロです。生活態度がね。頭の中身は頑張って作ってきたのでヘドロではないが、とにかく生活態度や人生に向き合う姿勢というものは自己評価でいくと地を這っている。
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2023.11.1
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shredderwastesnow · 4 months
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2023年、会社を辞めてからのあれこれ
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7月末に会社を辞めて、5ヶ月が経過した。 8月末からハワイに1ヶ月留学し、9月に帰国。10月からは大学の通信で学芸員課程の勉強を始め、現在に至る。 4単位分の課題とテストは終わり、2単位分は課題を出してテスト日程を調整中。今はさらなる2単位分の課題をやっている。来年の6月までに20単位を取って、7月に実習(3単位分)をクリアできれば、9月には晴れて課程修了となる。その先の転職活動がどうなるのか全く予想がつかないが、とりあえず今は単位取得の心配をする時間……と思うことにする。
勉強と並行して、昨年4月の引っ越しから手つかずになっていた段ボールの開梱も進めた。40個近くあった段ボール(私が一人暮らししていたアパートと実家の一軒家からの引っ越し荷物)を6個まで減らし、もう使わないものは断捨離した。本は古本屋に70冊ほど売り、CDも中古CD屋に30枚ほど売った。 本棚や収納の中にとりあえず入れたものは後で確認して捨てるか残すか判断しなければならないが、その作業ができるスペースを確保するためにも段ボールを減らす必要があったので、年内にここまで進められたことは大きい。
今は課題も進めつつ、服の断捨離をしている。箪笥やクロゼットの中の服をすべてベッドに並べ、迷った時はその場で着てみて、残すかどうか判断する。古くなった服や、買ったものの結局あまり着なかった服をまとめて捨てた。会社員時代によく着ていた紺のブラウスは、襟の部分がすり切れかけていたので、一緒に処分した。このブラウスを着て、その上に黄色いカーディガンを合わせた格好でよく出社していたな、と記憶が蘇った。 手持ちの服を把握できたことで、今後どのような格好をしたいのか、そのためには何を買い足すと良いのかも具体的に考えられるようになった。12月に入ってからは、ブラウスや靴下を新たに買った。裾の縫い目がほどけてしまった夏のズボンと葬儀用のワンピースもお直しに出した。
そして、会社員時代の遅れを取り戻す気持ちで、色々なことをインプットしている。 呪術廻戦や少女革命ウテナなどのアニメを観る。気になっていた音楽をまとめて購入して聴く。読書会でジェンダー・セクシュアリティを考えるヒントになるような本を読み、人と感想を言い合う。(半分は課題のためだが)美術館に行く。舞台や映画を観る。パレスチナに関する展示を見たり、デモに行ったりする。
身辺が整ってきて、今後どう生きるか考える時間も持てるようになった。
会社員時代には、「作家かライターに転職したい」と強く思っていた。 でも時間ができた今は、私は純粋な作家には向いていない気がしてきた。何時間もパソコンや原稿用紙に向かうことを毎日繰り返しても、書けない時は書けない。収入も不安定だ。執筆も人生も計画が立てづらく(私が書きたいのはエンタメでなく純文学寄りの作品なので)、書いたものが誰かの人生を照らすまでには長いタイムラグがあり、場合によっては努力して書いても的外れな批判に晒され、それでも自分なりの良い作品の基準を持ち続けなければならない人生を思うと、それに飛び込むだけの覚悟が今の自分にはないことに気付く。 会社員だったら、とりあえず出社して手を動かせば、日によって出来にばらつきはあっても一応誰かの役には立ったことになり、その労働に対する報酬が月1回支払われる。会社員時代は日々のストレスで「もっと違う生き方がしたい」という気持ちが強まっていたが、私は決して会社員生活自体が嫌いではなかったのだと思う。業務内容や環境に納得できれば、会社員をやっている時間にも楽しみを見出せる気がする。 退社前の私は、文芸を生業にすることの大変さを真剣に想像できていなかった。そして、自分が優位に立っていることを事あるごとにアピールせずにはいられない父がいたことで、分かりやすく成功したいというエゴに囚われてもいた。「作家やライターになることで、自分は本当に幸せになれるのか?」と冷静に考えることができていなかった。 もちろん書くことは続けたいが、権威のある文学賞からデビューして、年間1冊は作品を出して……というような生活を私が目指す必要はないと感じている。自分のペースで、肩の力を抜いて、地道に書いていきたい。
手つかずになっていたタスクが少しずつ片付いてゆき、徐々に心がクリアになっている感覚がある。 来年の秋に学芸員課程を終えた私は、どんな未来を思い描いているのか。 残された時間は、まだ9ヶ月ある。慌てて答えを出そうとせず、散らかった身辺の整理と今後に向けたインプットを粛々と進めながら、冷静に心の声に耳を澄ませたい。
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sakanafromhell · 1 year
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幻想キッチン(2555字)
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 世の中には2種類の人間がいる。などと俗悪なレトリックに頼るのは癪だけど、世の中には2種類の人間がいる。  ホームパーティが大好きな人間と、そうではない人間だ。  私は完全な後者。300歳まで生きたとしても、ホームパーティを主催するような錯乱状態に陥ることはないだろう。でも、お誘いを受ければほいほい参加してしまう。何も不思議じゃない。私だって皆さんと同じ、社会的動物に過ぎないのだ。
 知人の新居お披露目パーティに出席した私は、酒に酔う前に人に酔っていた。大豪邸で、50人近い参加者のほとんどが初対面だ。家主がサンフランシスコ帰りであるためか、パーティはアメリカ式で人口密度が高い。狭くるしい島国に住む日本人はひろびろとした場所でのパーティを好むけれど、管理しきれないほどの国土を持つアメリカ人はパーティではぎゅうぎゅうになりたがる。  私はどちらも好きじゃない。
 ホームパーティを嫌う人間がなぜホームパーティを嫌うのかというと、話は単純。傷つきたくないからだ。  傷つきやすい性質であることを日々さりげなくアピールしている面倒な人間(すなわち私みたいなタイプ)は、ホームパーティのような防御の効かない場所では深く傷つけられてしまう。毎回違う場所を、毎回違う方法で。
 私は広大なリビングの喧噪を早々に逃れ、キッチンで一人、牛乳を飲んで過ごしていた。  誰もいない、他人の家のぴかぴかのキッチン。  楽しげなお喋りや音楽が漏れ聞こえるなか、普段は飲まない牛乳なんかをちびちびやるのはなかなか気持ちの良いことだ。  時折この部屋に迷い込んでくる者もいる。私はそれらの漂流者たちと短い会話を交わすのが好き。万能の占い師みたいな気分になれるから。
Q. 生ハムまだあります? A. あと少しありますよ
Q. あれー? ここトイレじゃないんだ? A. トイレは突き当たりを折れた先です
Q. うちの子見なかった? A. 2階に子供用のホビールームがあるみたいですよ
Q. アンジェリーナ・ジョリーってブラピの前、誰と結婚してたんだっけ? A. 最初がジョニー・リー・ミラーで、その次がビリー・ボブ・ソーントン
Q. 女の子3人でパンクバンドつくったんだけど、何かいいバンド名ありませんか? A. 地獄への3車線
Q. 人って何のために生きてるんだろう? A. 人ってもうみんな死んでるのかもよ?
Q. 私ってオオカミに育てられたんだけど、今もちょっと人と違って見えたりする? A. ぜんぜん。普通
Q. きれいな髪だね。少しさわっても良い? A. 絶対にだめ
Q. 大洪水で世界が終わるのって来月の4日でしたっけ? 14日? A. 明日ですよ。知らなかったの?
 たいていの人は少し酔っ払っているか、ひどく酔っ払っている。  私は何万年も前からこのキッチンに据え置かれているような気分。  高揚している、と言い換えても良い。
 ドアが開いて、また一人が流れ着く。  とても美しい女性だ。  体重がないみたいな軽やかな動作で部屋に入ってくる。
Q. コーヒーをいれてくださる? A. インスタントで良ければ
 よく見ると女性の体はうっすら透けていた。  幽霊だ。  私は幽霊のためにコーヒーをいれることにする。キッチンの棚を勝手に開け閉めし、必要な道具を集めてまわる。  幽霊は椅子に座って天井を見上げ、「酔ったなあ」とつぶやいた。  その姿は、私がずっと好きだった誰かに似ている。  でも、それが誰だったのかは思い出せない。 「少しだけ砂糖を入れてね」と幽霊は注文を付けた。
 私は二つのカップにコーヒーを注ぐと、砂糖の瓶と一緒にテーブルまで運んだ。  幽霊は茶色の砂糖を瓶の中でそっとかき混ぜてから、コーヒーの中にざらりと落とした。とても残酷な手つきだと思った。
 他人の家のぴかぴかのキッチンで、幽霊と向かい合ってコーヒーを飲む。ここだけ区切られた別世界のようだ。
 幽霊は、やはり私がかつて恋い焦がれた誰かに似ている。この恋のためなら命を落としても良い……。そんな強力で幼稚な思考の残滓が、私のどこかに今もまだ息づいているのを感じた。
 自分のものではないキッチンで、ドアの向こうの楽しげな喧噪を耳にしながら、死ぬほど好きだった人の幻を見ている。この部屋は私の人生を見事に表現したひとつの美術品だ。
「明日には大洪水で世界が滅ぶのに、どうしてホームパーティなんか開くのかな」とコーヒーを飲み終えた私が言う。 「大洪水で世界が滅んだのは先月の14日のことだよ」幽霊はコーヒーカップを口に当てたまま答えた。「4日だったかな」 「え?」 「人類は一人残らず滅んでしまった」幽霊は私をじっと見た。「ホームパーティなんかにうつつを抜かすからだ。ホームパーティを好むようなおめでたい人間は死んだ自覚すら持たない。死んだあとも平然とホームパーティを開いたりする。あつかましいことに。お前たちのせいで世界はいつまでも騒々しいままだ。いつまでも馬鹿馬鹿しいままだ。静かにしてください。静粛にしてください。黙って下を見ていてください。下ばかりを見ていてください」
 いつしかパーティの喧噪は止んでいた。  冷蔵庫の鈍い低音だけが響いている。  みんな、自分のことを亡霊だと気づいてしまったのかもしれない。  私たちはすでに滅んでいて、その意思だけが幻のパーティ会場をさまよっているのだと。  目の前の幽霊が急に私に微笑みかけた。
Q. きれいな髪ね。少しさわっても良いかしら? A. ええと
 幽霊の手が伸びてきて、そっと私の髪を撫ぜた。  つめたい指に髪を絡め取られると、私の中に眠っていた密やかな思い出が幾つも蘇った。髪を揺らされるたびに、無作為にひとつずつ掘りおこされていくみたいに。  それらの記憶はヘンゼルとグレーテルの小石みたいなもので、等間隔にばらまかれてはいるものの、本人以外には回収されることもないし、顧みられることもない。  すっかり静まりかえったキッチン。  いつしか幽霊の姿も消えている。  何もすることがないから、私は生まれてからのすべての記憶を、頭の中で正確に反芻することにした。  たぶんそれを、永遠に繰り返す。  私が死んでいるのだとしたら、そうするより他ない。  そういうものでしょう?
Q. そんな私にホームパーティの参加資格はあるのでしょうか? A. ありません。ホームパーティは、正しく生きている人たちを象徴する催しです。まずは正しく生きてみては? 話はそれからです
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ymifune · 11 months
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耳を塞いで
5月18日。まだ朝の9時。 昨日の夕方、ジムで嫌な光景を見てしまった。南アジア系のお客さんが携帯の充電をジムのコンセントを使ってしようとしていたところを、ジムのスタッフが注意していたのだが、その言い方がとても品がなかった。なんというか、外国人に対してその言い方はないだろうという言い方で、聞かされている方が気分が悪くなるようなものだったのだ。 ジムは筋トレさえできれば良くて、いい悪いを含めて他のどんな思い出とも結びつかないニュートラルなものにしたいと思っているので、これはちょっといただけなかった。 年を取るにつれて、なのか、本当はずっとそうだったのに自分が若かったから気が付かなかっただけなのかはわからないのだが、自分がコミットするのかしないのかの境界線を、かなり厳格に保っていないと、自分の生活の平穏が守られなくなってきている。 もしかしたら、両方同程度にそうなのかもしれない。昔から境界線を明確にすることは大切だったけど気が付かなかったことも。今現在のようなSNS全盛の時期に於いては他人と自分のプライベートな領域が危うくなる瞬間があるから、自分なりのガイドラインを明確にしておかないといけないのかもしれない。 ジムの一件だけが原因だとは思わないのだが、少し胃が痛い。休んだ方がいいなと思う。 音楽・・・結局自分はどんな芸術ジャンルの中でも音楽が一番好きだということになるのだが、音楽のいいところはヘッドホンをすれば耳を塞ぐことができることだ。聞きたくないこと、聞かなくてもいいことから耳を塞いで、自分の心身を守ることができる。 日本語教示歴が5年目に入り、そろそろ上級クラスを持つ機会ももらえるようになったのだが、時事ネタに関しては自分はとても弱いので、新聞アプリを入れるといいのかなと思っているのだが、日本のものでも海外のものでも新聞アプリは月額課金にして3000円程度と中々高いものが多く、ためらっている。 新曲"Thirve"を完成させることができた。ボーカルを2本線にして左右に振ったら、意外なほどすぐ収まりよく仕上げることができたのだ。日曜日にミックスダウンまでできたのかな。14日に聞き直したら直したい場所が出てくるから聞かないでおくと書いておいたものが、そのまま最終ミックスとなった。15日月曜日の夜ぐらいに少し時間があったので、CD Babyに投げたら、今朝ほどに審査が通ったという連絡をもらった。7月14日金曜日にリリース予定である。 Bandcampに先んじてDL販売を開始した。 今朝ほどに、Bandcamp用のキャプションを書いた。SNS用の文言を英訳した。Linktreeの更新をした。アーティスト写真を変えて、ページの色彩を変え、Bandcampのリンクを最新のものにした。Teaserのための15秒を切り取った。「品川から乗った記憶羽田行き」の箇所を採用した。この前のラムサール条約登録湿地で撮影した動画にフィルターをかけて、PCに保存した。 明日は"Shipbuilding"の発売日である。先にオリジナル楽曲のシングルをBandcampで発売してしまったが、漸く。カバー曲シリーズは多くの方に聴いてもらえる可能性があるものなので、今回もできるだけ世界の方に聴いてもらえるといいなと思っている。期待はせず、でも着々と、粛々と進めよう。 オリジナル曲もできたので、次はまたカバー曲を1つ選んで、歌ってみようと思う。どんな曲がいいだろうか。着手できるとしても学期間のお休みか、夏休みに入ってからにはなってしまうが、気負わず行こう。 Paypalの残高を日本の銀行に移行した。5月の音楽の収入はピッタリ343USDだった。 今週はディロードウィーク。多少は時間ができるだろう。 転職の本は読み続けている。意外と面白くて、理解しやすくて、助かっている。案外心が軽くなるものだ。もう何冊か買って読んでみるつもりである。 じゃあ、今日を始めよう。 これを読んでくれた人がいたら、どうかいい1日を過ごしてもらいたい。
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kennak · 10 months
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CHEMISTRYや、近年では松下洸平のソロ再デビューも手がけていた 音楽プロデューサーの松尾潔氏がツイッターでスマイルカンパニーの退社を発表。 ここ数ヶ月、激震の続いているジャニー喜多川のセクハラの件について メディアで言及したことを問題視され、契約が途中終了になったとのこと。 会社の方針は、同じスマイルカンパニー所属で先輩にあたる山下達郎も同意だったと書き添えたことで Twitterのトレンドにも達郎の名前が踊っている。 基本的にメディアには顔を出さない達郎が、新作リリース以外でこれほど世間を騒がせることは シュガーベイブ時代からファンを続けている私にも記憶がない。 22時現在、はてなブックマークでもこのニュースがホットエントリー入りし現在トップに表示されている。 コメント欄には「失望した」との声が溢れかえり、黙々と音楽に打ち込んできた達郎にとっては 初めての炎上と言えるかも知れない。 と、私が擁護するつもりだなと思ったら大間違い。 私は達郎の音楽をかれこれ40年ほど聴き続けているが、達郎の人間性は全く好きではない。 作品と人格は別だと言い聞かせて現在に至る。 達郎の音楽人としての経歴を語る上で外すことのできない人物が スマイルカンパニーの元代表取締役である小杉理宇造氏だろう。 1975年にRVCに入社した頃に達郎と出会い、当時はまだほとんど無かった海外レコーディングを実現させた。 (小杉氏がジャニー喜多川氏と知り合ったのもこの頃) その後、アルファの村井邦彦氏らの支援を受けてアルファ・ムーンを設立。 ワーナーミュージック・ジャパンの代表取締役会長を経て 1984年にスマイルカンパニーの代表取締役社長に就任した。 小杉氏の進む道には常に達郎がおり、達郎の音楽人生には常に小杉氏がいた。 2003年には1970年代から30年以上親交のあるジャニー喜多川の依頼を受けて ジャニーズエンタテイメントの代表取締役社長に就任。 近藤真彦、少年隊、Kinki Kids、嵐、木村拓哉と、達郎がジャニーズのタレントに積極的に 楽曲提供しているのは、小杉氏がジャニー喜多川と親交があり 同時に自身のデビュー以降、ずっと支え続けてくれた大恩人であるからに他ならない。 山下達郎は、何かにつけて「自分はサラリーマンである」と発言している。 アーティストなどというそんなお偉いものではない、という謙遜と 町工場などで働く市井の人々こそが最も尊いのだとする信念からの言葉なのだが 同時に「上司の言うことは絶対。だからこの期間で何枚出せといわれれば ノルマ達成のために全力を尽くすのがサラリーマンの務め」だとも語っている。 近藤真彦の元担当ディレクターだった小杉氏は、達郎の所属先のトップでもあった。 小杉氏が近藤と恋仲にあった中森明菜を徹底的に潰すために暗躍した張本人のように語り継がれているが、 これについては都市伝説的な面もあり、いくらかは尾ひれもあるに違いない。 (こちらの記事が、当時の出来事について最もわかりやすく経緯がまとめられている) ただ、竹内まりやのベストアルバムに、中森明菜に楽曲提供した「駅」のセルフカバーが収録された時に、 そのアルバムのライナーノーツを手掛けた達郎が明菜のことを思い切り腐していたのは まりやのプロデューサーとしてと、小杉氏への忠誠心とか半々ぐらいで書いたのだろうと今でも思っている。 冒頭に戻って、松尾氏の件についても、おそらく達郎は忠誠を誓った小杉氏の思いを汲み取り、 スマイルカンパニーに所属するいちサラリーマンのポジションから 会社の方針に逆らうのであれば退社も止むなしと同意しただけで、それ以上の考えはないのではないか。 中森明菜の自殺未遂は既に30年以上昔(1989年)の話なので そこを飛び越えて今回の件を知った人は「失望した」と書いているのだろうが 私から見ればむしろ平常運転であり、「山下達郎は元々こういう人ですよ」としか言えない。 竹内まりやの「今夜はHearty Party」では木村が冒頭「ねぇ、パーティへおいでよ」と囁き 後半の歌詞には「キムタクさえも霞むような男」というフレーズが出てくる。 嵐の「復活LOVE」は作詞が竹内まりやで、作曲が山下達郎である。 Kinki Kidsの周年記念曲でも、木村拓哉のソロアルバムにも達郎は楽曲提供をしている。 偉大なアーティストであると同時に、夫婦揃ってジャニーズのお抱え作曲家のような側面を持っていることは 近藤真彦の「ハイティーン・ブギ」で、当時達郎の弟子のようなポジションだった EPOがコーラスをしていた頃から感じていた。 それはそれで、もう割り切るしかない。 達郎はサラリーマンで、まりやはサラリーマンの嫁なのだ。 でなければ、あれほどミュージシャンの能力について厳しい評価を下す達郎が ●(自粛)や■(自粛)の歌唱力を絶賛するはずがないじゃないか。 松尾氏にしても、今回BBCが記事にして大々的に騒ぎ始めるまで、 トップからジャニーズべったりのスマイルカンパニーに所属していていながら、 そのことを知らなかったはずはない。知っていて黙認してきたはずなのだ。 ジャニーズが泥舟と化した今、我先にと飛び降りる人もいれば 世話になったのだから世間がどうであろうと最後までここに残るぞと決意を固める人もいる。 それだけのことではないかと、私は思っている。
2023年7月2週発売の新作、山下達郎の旧譜再販と、にわかに燃えている松尾潔の件 - 忍之閻魔帳
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