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#自治会ゴミ集積場
ari0921 · 2 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)2月13日(火曜日)弐
    通巻第8130号 
 『醜い中国人』(柏楊)から『悲しい中国人』へ
  『国進民退』という状況のなか、中国国民は搾取に喘いでいる
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 中国経済は「ルイスの転換点」を超えた。これはアーサー・ルイス(1979年度ノーベル経済学賞)が「途上国で農民が工業化の都会へでて成長するシステムは、ある時点で余剰労働力がなくなる」とした仮説で、「ルイスの転換点」と呼ばれるようになった(ルイスは英国籍の黒人。米国でもプリンストン大学で教えた)。
不動産バブルが瓦解し、都会の建築現場から労働者が去った。地方の公務員、教員らは給与の遅配に喘ぐ。中国各地では米国への輸出が激減したばかりか外資が去って、レイオフがつづき、雇用機会がなくなった。清掃も地方政府の予算が削られて、町中がゴミに溢れ、あまりのことに臨時清掃員を募集すると若者の応募がすぐに集まる。ボランティアを呼びかけても無料奉仕はしない。想定以上に経済の退潮が深刻である。
 かようにして中国においては「ルイスの転換点」が崩れ、労働市場における需給の競争価格は賃金の大幅な上昇(=利潤率の縮小)が起きたが、富の分配を誤り、軍事大国優先としたため西側の制裁に遭遇する。先進国からの設備投資や技術移転による後発発展モデルはここで限界に達した。中国は経済構造の自発的な変革が起こせない。つまりは長期のスタグフレーションに突入する。習近平独裁政権の元では改革の青写真をえがける改革派(=共青団)が悉くパージされたため、高度成長の再現は考えにくくなった。
 中国人の特性は「息を吸うように嘘をつく」。嘘の上塗りが続き真実は誰も知らない。
 官吏の特性とは「賄賂、賄賂、賄賂、賄賂。。。。。。。」(林語堂)
 中国政治の特徴とは「革命 革革命 革革革命 革革革革命。。。。。。」(孫文)
 庶民の特徴は「上に政策あれば、下に対策あり」である。
 すなわち成長がとまったばかりか、中国経済は崖っぷちにあるというのに、GDP成長率が5・2%などと絵空事を唱えるのは、嘘の上に嘘で固めたが故に誰も本当のことが分からないからである。
 かつて中国人人気作家の柏楊が『醜い中国人』を書いてベストセラーとなった。光文社の編集者から原本入手を頼まれ、筆者は台湾の友人に電話して速達航空便で送って貰った。1988年に日本語版(宗像隆行らが翻訳)がでて日本でも評判となった。2022年、柏楊未亡人は、『醜い中国人』を絶版とした。台湾でも中華思想組が残存しているから政治的圧力をかけたのではないかと推測される。
 2024年初頭、中国の株式市場の時価総額は六割減となった。
潤沢にあった投機資金が忽然と「蒸発」していた。外国ファンドは90%が引き上げた。中国証券監督管理委員会の易会満主席は責任を取らされて解任された。
マンション建設が中断し、物件がひきわたされない。けれどローンは自動的に引き落とされる。庶民は不動産ローンの支払い中断で抗議した。不動産デベロッパーのドル建て社債はデフォルトの連続。凄まじい焦げ付き。倒産デベロッパー本社へ抗議活動をおこなうと公安が自宅にやってきて「二度と加わるな」。
個人の預金残をしらべて「不動産を買え」「株を買え」「BYDを買え」と脅迫まがい。
 バブル破綻の惨状は、まだ序の口、これから凄まじい経済破綻の地獄がはじまる。
債務総額1京円。社会融資総額7200兆円(シャドーバンキングを含めて)。うちわけは銀行ローン4600兆円、ノンバンク2700兆円(中国のGDP=2886兆円)
地方自治体の累積赤字は1600兆円(融資平台の債務残高。公称でも1200兆円)。新幹線の累積赤字は114兆円。地方都市の地下鉄も想像を超える赤字。2024年内に償還(返済期限)となる社債は140兆円!
外貨準備が3兆ドルあるのなら、なぜ米国債を静かに売却し、外銀からドルを借りるの? つまり外貨準備高はゼロに近いとみてよいだろう。外国銀行から借りたドルも、外貨準備高に算入していたのだから。
既に十数年前から黄文雄が指摘していた。
若い中国人にアンケートをとると、「来世は豚でもいいから中国人には生まれたくない」と回答するのが60%以上だった。未来が暗くて夢がないのなら、結婚もしない。子供も作らないという人生観に陥る。
驚く勿れ、中国の出生率、日本より低くなった。
富裕層は資産を海外へ移し、子供たちは外国に移住させ人民元の資産を持たない。
2月10日から始まった旧正月で、日本にやってきた中国人観光客がまず何をしたか。福島産魚介の輸入を禁止しているが、その情報を信じていない庶民は寿司屋へ駆けつけた。
爆買いの対象は宝飾品、とくにゴールドか骨董(ローレックス等)。金コイン、ダイヤモンド、宝飾品となった。人民元が崩落しても、価値が保たれる資産への換物投機が、中国国民が出した回答だった。
すなわち「上に政策あれば下に対策あり」の智恵が顕現されたのだ。
このような投資行動の心理的背景には庶民が人民元を信用していないからである。政府を信頼せず、独自の行動をとって身を守るのである。
嗚呼。悲しい中国人!
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patsatshit · 7 months
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現代に蔓延する上っ面の多様性の背後には、互いに認め合い、尊重するためにはそれぞれがそれぞれに誰かの役に立たなければならないという暗黙の目配せがそこかしこに溢れている。取ってつけたような「弱者救済」というポーズの背後に、どれだけの排他精神が蠢いていることか。高齢者、子ども、障がい者、生活困窮者、クィアをある種の符号に落とし込んでマーケティングに利用するのは、いつだって政治的悪辣の最たるものである。本来は音楽という鐘楼に集いし落伍者たちの解放区として機能していたクラブやライブハウスに於いてさえ、いつしか高い倫理観が求められるようになり、暗黙のドレスコードにより、世にも奇妙な選民思想が根付き始めている。互いに認め合い、互いを支え合うことを前提とした空間に、自分のような人間の居場所がなくなりつつあると感じることが少なくない。音楽が爆音で鳴り響く暗闇のなかには聖職者もいれば犯罪者もいる、心優しき英雄もいれば屑のような悪党もいる、互いの胸のうちに共通するものは何もなく、もちろん自発的な歩み寄りもない。鳴り響く猥雑な音楽だけが両者を辛うじて暗闇の内側にとどめ、足もとの溝を埋めていく。いまの時代、そういう多元的な現場や空間はもはや存在しないのかもしれない。
(『僕のヒーローアカデミア』233話より)
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前置きが長くなってしまったが、タラウマラには日々、様々な事情を抱えた「世の人」たちが入れ替わり立ち替わり訪れる。それは決して居心地の良いものではないし、少なくとも当店にとって、彼らは何の役にも立たない。どちらかと言えばこちらのストレスになるだけだ。それでも彼らはやって来る。そういう人たちをこの社会から見えにくくしているのが無自覚なダイバーシティが夢想するユートピアであり、権力者たちが吹聴する「美しい国」の実態なのだと思う。
(世の人①:東淀川を代表するファッショニスタ)
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まず最初に紹介したい人物が、自他とも認める東淀川のNo.1ファッショニスタ、清水氏だ。氏の特徴を挙げるとすれば、とにかくオシャレ、ひたすらオシャレ、無慈悲にオシャレ。この人がひとたび領域を展開したら、その術式から逃れる術はなく、世の中で最も役に立たないゴミのような服飾情報を一方的に脳内に流し込まれ、結果、見事に誰もが骨抜きにされる。かつて偶然にもその場に居合わせたWD sounds のオーナーLIL MERCY氏さえも凍りつかせた脅威の人物だ。自身の首元を指して「これは希少なFENDIのネクタイだ」と豪語するので、恐る恐るネクタイ裏のタグを確認すると、なんとブランドロゴではなく素材を示すflannelの文字。どつくぞ。そんな清水氏の母親が昨年亡くなったのだが、ある日、沈鬱な表情でタラウマラを訪れた氏が朴訥と胸中を吐露し始めた(聞いてもいないのに)。ずっと母の介護に身を捧げてきた自分としては、親の死を簡単に受け入れることができず、いまは食事も喉を通らない。母が使っていたベッドの上で呆然と天を仰いで、そのまま朝を迎えることも珍しくない、日に日に自身の身体が痩せ細ってきたことを自覚しており、周囲の者からも心配されている、というような内容をエモーショナルに語る。さすがに気の毒だと思い、親身になって耳を傾けていたのだが、次の瞬間、この男の口から耳を疑うようなセリフが飛び出した。「俺はもともとスタイルが良いのに、これ以上痩せたらモデルと間違えられるんちゃうやろか。ほんでこのベルトもかっこええやろ?」。恐ろしいことに、またしても僕は氏の領域に引きずり込まれていたのだ。その後もお決まりのファッション自慢を嫌というほど聞かされ、全身から血の気が引いていくのを感じた。最愛の母親の死さえも、己のファッショントークの「振り」に使う正真正銘のク◯である。しかも亡くなって間もない、死にたての状況で。
(世の人②:東淀川のジャコメッティ)
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次に紹介したいのは、東淀川のジャコメッティ。ある日の営業日、下駄履きのおっさんがタラウマラに訪れ、店内の書棚を一瞥して咆哮した。「ここの本ぜんぶキミらが読んでるんか?やとしたら相当わかってるな!」。僕たちは当店取り扱い書籍はすべて自分たちで読んで、仕入れ、仕入れて、読んでいることを伝えた。するとおっさんの眼は鋭く輝き「キミらは大阪の文化を1ミリ底上げしとるな。大阪で1ミリってことは世界で1ミリってことや!気に入った!儂の家にある本を全部キミらにあげよう、今夜でも我が家に取りに来なさい」と快活に言い放った。その後もジャコメッティやカフカ、折口信夫について興味深い話を聞かせてくれた。おっさんの名は矢嶋博士、淀川とともに生きる彫刻家であり歌人であった。博士から自宅住所と電話番号を書いたメモを受け取り、タラウマラ閉店後にお伺いすることを約束した。博士は帰り際に「もし良かったら、儂の家にある本ぜんぶとキミらのジャコメッティを交換しよう」と言った。僕は何となく話題を逸らして、夜を待った。タラウマラ閉店後に近所のキンキーガールりんちゃんを誘って矢嶋宅へと向かった。ゲトーなアパートのゲトーな階段を上がりゲトーな玄関を開けると、果たしてそこは博士のアトリエ兼寝床であった。三畳一間に所狭しと並べられた謎の彫刻と珍奇植物、藁と見紛う敷布団とヘドロ化したホルモン、呑みさしの酒瓶、そしてあっち系のアダルトコンテンツが視界を過ったことは記憶に留めておこうと思った。博士は「何を突っ立っとんねん、腰おろして寛ぎなさい」と着座することを薦めてくれたので、僕は「どこに?」という言葉をかろうじて飲み込んで、藁のような敷布団に腰を下ろした。ぴったり寄り添うようにりんちゃんの背中がある。博士は1,000冊つくって50冊しか売れていないという自著『淀川。よ』(幻冬舎)を僕たちに1冊ずつプレゼントしてくれた。「芸術家なんて世間様に認められたら負けや。儂はいまの生活で十分幸せやから、死ぬまで作品を作っていくだけや。売れたいなんて思ったことない」という博士の言葉に負け惜しみや諦念は微塵も感じられず、寧ろ清々しい。りんちゃんの興奮が伝わってきた。僕たちは小一時間ほど色んな話をして、席を立った。「階段の上に本を置いてるから全部持っていきや!頑張れよ、若者たち」と言って博士は扉を閉めた。ゲトーなアパートのゲトーな階段の上に大量の書籍が置かれていたが、なんとその8割程度が司馬遼太郎の著作だった。ジャコメッティを交換条件として差し出さなかった自分を心から讃えた。僕たちは自転車のカゴに大量の司馬を積み込んで帰路に着き、その足ですべて「本の森」に寄贈した。
(世の人③:ラッパーの母)
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最後はタラウマラの元スタッフであるマリヲ君の実母を紹介する。この方は初来店時に食パンの差入れを持ってきてくれて、淡路商店街で食パンと言えば、当時の人気店「熟成純生 食パン専門店|本多」(2022年9月に閉店)のものに違いないと早合点し「そんな高級なやつ頂いて良いんですか?」と言うと「え?そこのイズミヤで買ったやつよ、え?こっちの方が良かった?」とテヘペロ。なんと僕には廉価食パンを差し出し、ご自身用に高級品を隠し持っていたのだ。2度目の来店時は前回購入してくれたAFTERのTシャツ(画像参照)のコーディネートを見せに来てくれたのだが、タイミング悪くパンク修理の最中だった僕は、店内で少しお待ち頂きたい旨を伝えて作業に注力した。ところがパンク修理を終えて顔を上げると、マリヲ母は嘘のように店内から姿を消していた。それから何度かタラウマラにやって来ては、僕の目を気にしてか、まるでプッシャーマンのような所作で袖の下からマリヲくんに小遣いを渡していたり、連日おばあちゃんの就寝時の写真を送ってきて、マリヲくんが「ばあちゃん元気そうで良かった」と返信すると「おばあちゃんじゃなくて、おばあちゃんが着てるパジャマを見て欲しかった」と返す刀がぴこぴこハンマー。よく見るとパジャマの花柄はすべて微妙に違っていた。そうかと思えば「おばあちゃん、明日あたり死にそうです」と唐突に不安を煽るメッセージを送りつけてきたりもする(因みにおばあちゃんはいまも元気にご存命)。或いは道頓堀川で殺人事件が起きた際には被害者の男性が我が子でないかと執拗に心配していた。報道で被害者はベトナム人男性だと報じられているにも関わらず、だ。
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そして、日々の寂寥感を紛らわせるようにSiriというバーチャルアシスタントと夜毎ピロートークを繰り広げていたある時期のマリヲくんが、酔った勢いでSiriに「好きだ!」と告白した瞬間、マリヲ母から「私も!」とLINEメッセージが届いたとき(別の文脈でのやり取りをしていたらしいが、偶然タイミングが重なったようだ)には膝から崩れ落ちた。やはり異能の子は異能、この親にしてこの子あり、ということだろう。
(マリヲ母については息子の著書に詳しい)
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kennak · 2 years
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長くなります。よかったら読んでください。 まず、私から提案したいと思います。 私の家に遊びに来ませんか。鹿児島県のとある田舎町で農業を営んでいます。新規就農してからまだ半年余りなので、アルバイトをしながら何とかやっている状態ですが。 独り者です。バツイチです。質問者の方が男性でしたら、何日か泊まっていただいても構いません。 柴犬と猫とヤギ、ニワトリがいます。 以下、陰鬱な内容を含みます。耐性の無い方は読まれない事をオススメします。 私もうつ病でした。 それも重度のうつ病でした。主治医には、最終的には脳に電極をつけて電気ショックを施すことを勧められたぐらいです。 入院治療も2度行いました。 最初の入院は、自殺未遂をしてから運ばれました。施錠された病室に隔離されました。常にモニターで監視されていて、トイレなどハナから丸見えです。 1週間の後、一般病棟に移りました。 職場には、主治医からうつ病の為3か月の休職が伝えられました。 2週間後くらいから、躁状態に入りました。 室内では腹筋、腕立てを繰り返し、外出許可をもらってはランニングに勤しみました。 自分自身が何故うつ病になってしまったのか自省し、退院してから復職する迄のやるべき事リストを作り上げました。 前向きな様子を見て、主治医も退院時期を前倒しにしました。 一月後、退院しました。 退院してから、先ずは主夫業に精を出しました。 過剰なまでの不安と心配を与えてしまった妻の為、早起きして犬と散歩に行き、朝ごはんを作り、掃除、洗濯を済ませ、夕ごはんの買い出しに行き、夕ごはんを作って妻の帰りを待ちました。 週に2回の通院は、あえて15キロの道のりを自転車で通いました。散歩にも出かけ、野の花や小鳥なんかをスケッチしたりもしました。 全てはうつ病を克服するためだけに、日々を過ごしました。認知療法、行動療法、薬物療法すべて行いました。 1か月後、再発しました。 休職期間も残り1か月ともなると、緊張と不安が絶え間なく襲ってきます。また寝れない日々が続きます。食欲もなくなり、何をするのも億劫です。 復職1週間前ともなるとある思いが心を支配します。 (死にたい…) とにかく私は死にたかったのです。 いわゆる、希死念慮です。 簡単に言うと自殺願望なのでしょうが、色んな自殺の方法を探りました。 結局は首を吊る事に落ち着きました。 妻の居ない日中に、何度も何度もタオルなどで首を吊りました。でも死に切れませんでした。 勇気を振り絞って復職しました。 3か月ほど働いたでしょうか。職場での日々は、私にとって正に地獄でした。常に緊張していました。頭が上手く回転しません。真っ直ぐ歩くことさえままならず、何故か柱や机の角にぶつかりました。トイレに用がなくても頻繁に入り、周りの好奇な目から逃げました。その度にトイレの窓から飛び降りたい気持ちになりました。自殺を試みた人間に対して、同僚は腫れ物に触るように対応します。 毎週末、今日こそはと思い、首つりを繰り返しました。しかし、最後まで出来ません。 私は思い込みの世界で生き、想像の世界で苦しんでいました。 自殺未遂をしてから、うつ病と告知されてから、いやもっとずっと前から私は、私自身の妄想に自縄自縛の状態でした。 あいつは仕事が出来ない。 あいつのせいでみんな迷惑している。 自殺未遂するぐらいなら仕事を辞めればいいのに。 それでも上司は私を励まします。 君なら出来る。死んだ気になってがんばりなさい。みんな君の事を心配しているんだ。恩返ししないとね。 妻も私を励ましてくれました。 折角、頑張って公務員になったのに、今辞めたらもったいないよ。家のローンはどうするの。その年から転職なんて出来ないよ。あなたの大好きな柴犬も手放して、動物も飼えないようなアパートに移る事になるよ。今が頑張りどきよ。 私はもう限界でした。いや、もうとっくに限界だったのでしょう。主治医からは兎に角強い睡眠剤と抗うつ剤を処方してもらいました。 起きていても何時もボーッとしていました。 漢字もどう書くのかよく分からなくなりました。 ひらがなさえ、「あ」と「お」の違いさえよく分からなくなり、度々授業中の計算ミスを子どもに指摘されました。 ある日、子どもに問いかけられました。 「先生、なんで死のうと思ったの?前の先生が、H先生はぼくたちのことが嫌いで死のうとしたって言ってたけど、本当?」 「そんなことないよ。死のうとなんかしてないよ。」 咄嗟に取り繕いました。 代行の先生が、断片的で恣意的な情報を子どもたちに伝えていたようでした。 再休職することになりました。 うつ病の原因は今だからよく分かります。 新しい学校に移動したものの、子どもたちと以前のような信頼関係を築けないことからの自己嫌悪。 同僚とも良好な関係を持てないことからの苛立ち、不安、不満。 それらから派生するように、仕事への自信喪失。 40過ぎても子どもを持てないことへの落胆。 35年住宅ローンの重圧。 自分の故郷が地震と津波で壊滅的な状況なのに、何も出来なかったことへの後悔。 妻とも友人とも、会話が噛み合わないことからの孤独感。 当時の私は客観的に見ても、八方塞がりでした。 でも多くの方たちも、多かれ少なかれ40も過ぎれば仕事や家庭で問題を抱えています。しかし、うつ病にはならないでしょう。だからこそ私は私自身に失望しました。失望感は再休職したことからさらに募り、積み重なった失望感は、絶望感へと集約されました。 再休職して、私はまさに生きるしかばねの様でした。 以前の休職期間のように、前向きにうつ病治療をすることも有りません。ただ、ただ死なないように生きているだけです。 誰かの歌詞にあったように、 私は小さく死にました。 当時の私は死にたいと云うよりも、「楽になりたかった」のです。 40も過ぎて再休職し、再び同僚や子どもたちに迷惑をかけ、上司の配慮や期待にも応えることが出来ず、その上、妻への罪悪感は筆舌に尽くし難いものがありました。 いつ自殺が成功しても大丈夫なように、定期的に遺書を書きました。妻への謝罪、同僚たちへの謝罪、両親兄姉への謝罪、毎日毎日こんな自分が生きていることが申し訳ありませんでした。 妻は週末になると、神社へとわたしを連れ出しました。近所の神社、箱根神社、鶴岡八幡宮、春日大社��も行きました。 2時間で2万円もするカウンセリングも受けました。 主治医から処方される薬は、5種類まで増えました。病院でのカウンセリング担当医は、大学を卒業したばかりのような若い女性です。彼女なりに真摯に私と向き合ってくれましたが、私は彼女から助けてもらえるとはとても思えませんでした。主治医で院長でもあった先生は、薬を処方するだけです。もしうつ病が治らず、教員を退職する事になったら精神障害者として生活保護を受けるしかないと言われました。 一向に良くならない私の状況に、妻は失望し、疲弊しました。あとで知った事ですが、リストカットなどの自傷行為をしていたようです。 毎晩、妻から叱責をされるようになりました。 このままだとどうなるか分かる?あなたがうつ病を治さないとどうなるか分かる?いい加減、治してよ!どれだけあなたが沢山の人たちに迷惑を掛けているのか分かる?だから早く治して! 時には包丁を持ち出され、一緒に死のうと懇願されました。 一度、人は道を踏み外すととことんまで堕ちるのだと思いました。しかも、底がありません。どこまでも堕ちるのです。 生き地獄でした。 翌年の4月、私は別の学校に移動し復職することになりました。 私は私を偽りました。うつ病は治っていません。しかし、治った事にしないと妻がもちません。 治ったと偽り、主治医にも復職を許されました。 復職して、3週間後の朝、自宅の梁に電気コードを括り付け、椅子を倒し首吊り自殺しました。 死んでいませんでした。 気づくと愛犬の柴犬が必死に私を舐めていました。 何も見えません。呼吸が止まっていたのでしょうか。私は必死に呼吸をしました。呼吸を繰り返し繰り返し行うと暗闇に光が差し込んできました。 何故かコードは解けていました。今際の際で、コードを解いていたようです。しかし自分が何をしたのか暫く理解できませんでした。失禁していることに気づきました。脱糞までしていました。眼球は出血し、白目部分は真っ赤に染まっていました。左半身が上手く動きませんでした。 その日、再入院することになりました。 主治医から、電気ショック治療を勧められました。一定の効果は期待できるが、全身に激しい電気ショックが流れるので多少の骨折や記憶の欠落などのリスクは覚悟してくれと言われました。妻の反対で行いませんでした。 もはや、自分が何をしたいのか、生きたいのか死にたいのか全く分かりません。ただただ矮小で卑屈で社会のゴミのような存在だと思いました。 生きている意味などあろうはずもありません。 でも私は生きていました。あの日以来首を吊るのも止めました。何も考えず何もせず、出されたものを食し排泄し、夜になれば睡眠剤でぐっすり寝て朝になれば看護師に起こされ、何もない1日が始まります。 2か月後退院しました。暫くして、教員を辞めました。無職になりました。新築の家も売りに出しました。妻には当然ですが、見放され東北の実家に帰ることになりました。実家にはまだ思春期の姪たちがいたので、兄がアパートを探してくれそこに1人で暮らす事になりました。 私は何も考えなくていいように、中古のゲーム機を買って一日中ゲームをしていました。たまにスーパーに食料を買いに行きますが、誰かに見られるのが恥ずかしくて、短時間で目につくものをそそくさと買ってアパートに戻ります。何も考えません。感情も有りません。風呂にも入りません。歯も磨きません。ある時、履けるパンツが無く、Tシャツを逆さにして履きました。チンチンが寒かったです。 以前の主治医から実家近くの病院を紹介され、紹介状も持たされていましたが、そこの病院に行く事は有りませんでした。もう精神科医も抗うつ剤も睡眠薬も私には必要ありませんでした。 なぜなら私は人の形をした、ただの醜いぬけがらでしたから。 時間も季節も、世間も仕事も、私には何の意味も有りません。物欲、金欲、食欲といった欲求もありません。ただ日々死なないように生き、金を食いつぶし、秋が来て、冬が来て、春が来ました。 定期的に父から電話がありました。その日は今までにない雰囲気で、もうアパートを引き払えと言ってきました。 実家で両親と兄家族と暮らす事になりました。 父は頻繁に私を外に連れ出しました。80も近い父の運転で、被災地の風景を見たり、故郷の野山を見たり、桜を見たりしました。 5月過ぎ、父が帯状疱疹になりました。 6月になると、胃腸に何らかの不調を訴えるようになりました。 7月、近隣の中核病院に入院することになりました。 最初は泌尿器系の病気が疑われ、手術を受けましたがあまり体調が改善されません。その後、ガンが疑われましたが、その部位が分からないと言われました。原発不明ガンと診断されましたが、本人には告知していませんでした。 父が体調を崩してから、病院の送り迎え、入院の準備や手続き、お医者さんの対応など、私が行いました。初めは嫌々でしたが、結局手が空いているのは私しかおりませんから、仕方なく対処していました。 原発不明のガンなので、具体的な治療方針が決まりません。何故か、一時退院が許されました。 退院してから、定期的に通院する事になりました。その日は泌尿器科の受診の日でした。泌尿器の主治医がお休みで代理の先生に診てもらいましたが、受診後父の様子が変で、帰り道に尋ねるとガンだと告知されたと言います。 何年ぶりでしょうか。私の中に忘れていた感情が芽生えました。 怒りです。 その日告知してきた先生は、あくまで泌尿器科の主治医の代理で、しかもガンの部位はおそらく消化器系だろうと言うことで告知する時期は消化器科の主治医と治療方針と共にこれから考えていきましょうという段取りになっていたのです。 父の落胆は見るからに明らかでした。父はタバコも吸いません。深酒もしません。健康番組が大好きで、健康に人一倍気を使っていました。 食事の世話も私が行っていましたが、食欲もめっきり無くなりました。歩くのも酷く疲れるようになりました。 私は消化器科の主治医とアポを取り、抗議の為病院に赴きました。何の相談もなく、科も違う代替先生が告知をしてしまった事に、平謝りでした。 それから私は、ガンについてできうる限り勉強しました。通院の際は、ノートを持ち込んで先生の所見を事細かくメモしました。 PET検査なるものでガンの所在が分かるかもしれないと聞き、検査機のある病院まで連れて行きました。 しかしながら、ガンの所在、及び部位は特定できませんでした。 8月になり、いつも以上に辛そうな父を見て再入院させる事にしました。病院に着くともう自力では歩くことが出来ず、車椅子に乗せて診察室まで連れて行きました。 父は気丈で弱音を吐くことを聞いた事がありません。 私が小学生の頃、車のドアで親指を挟み、骨が見えていても自分で運転し整形外科に行き、夕方には仕事をしていました。 私が中学生の時には、母が粉砕機で薬指を切り落としてしまいました。側にいた父は、すぐさま薬指を拾い、氷袋に入れて母を病院まで連れて行きました。指はくっつきませんでしたが。 そんな父が、自ら車椅子に乗っている姿に愕然としました。 主治医からは、胸水が溜まっているのでお辛いのでしょうと言われました。とりあえず、入院治療することになりました。 胸水を抜いてもらい、多少楽になったのか父に少しだけ笑顔が戻ってきました。後から来た母とも談笑していました。 数日後、父は永眠しました。 死因は、原発不明ガンとのことですが直接的な死因は、窒息死です。深夜になって吐いたものが気管に詰まり、自力では解消されず看護師が気づいた時には亡くなっていたのです。 解剖はしませんでした。 母の取り乱しようは筆舌に尽くし難く、身内一同呆然としました。 それでも、お通夜や葬儀は粛々と進められます。 葬儀が終わり、明日早朝に火葬を残すのみという晩の頃、私は葬儀会場で棺の中にいる父と2人きりになりました。 止め処無く涙が溢れてきました。あんなに泣く事はもはやないだろうと思います。 おそらく1時間ほど泣き続けたでしょうか。その間、私は心の中で同じ言葉を繰り返していました。 (ごめんなさい。ごめんなさい。) (もう大丈夫だから。) ほぼ平均寿命とは言え、父は80手前で亡くなるような人ではありません。ましてや、ヘビースモーカーで高血圧の祖父より早死にするような人ではないのです。 では何故、こうも早逝してしまったのか。 原因は、私です。 私の存在がストレスとなり、私のうつ病が治らないこともストレスとなり、40過ぎの息子が無職になって帰ってきて引きこもりになっている現実がこの上なく父に負担を掛けたのは間違いありません。帯状疱疹になったのも、胃腸に不調をきたしたのも、がんと診断されて1か月余りで亡くなったのも、私のせいです。身内は誰も口には出しませんが、みんなそう思っている事でしょう。 それなのに私は、父の棺の前で1時間ほど泣いて泣いて泣き疲れた後、気づいたのです。 うつ病が治ったと…。 皮肉なものです。父の病と死が、私のうつ病を寛解に導いたのです。 半年前まで、私は私の抜け殻でした。 何もせず、何も考えず、ただ無意味に時間とお金を浪費する肉の塊に過ぎませんでした。他人と会話する事は勿論のこと、身内ですら顔を見て話すことも出来ませんでした。 それが3か月前から止むを得ず、父の世話をするようになってお医者さんと交渉したり、看護師と話したり、父の様子を親戚に伝えたりするうちに何となく、うつ病は回復の兆しを見せ始め、最終的にに父の死によって寛解に至ったのです。 父は全く意図していなかったでしょうが、結果的に父の病と死が、私を深い深い谷底から救ってくれたのです。 結局のところ、私のうつ病を治したものは医者でも無く、カウンセリングでもなく、ましてや薬でもありません。タイミングときっかけ、そして行動です。 以下は私の経験則からの私見です。異論がある方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。 うつ病は、薬で治る病気ではありません。 一般的な解釈としては、うつ病は過剰なストレスなどにより、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が上手く働かなくなり、シナプス間における電気信号が不調となる為、活動性が低下し、感情が失われていくとされています。 抗うつ剤などの薬は、上記の神経伝達物質を良好に分泌させる為のものですが、あくまで一時的なものです。言わば、身体が疲れた時のユンケルみたいなものです。ユンケルのような滋養強壮剤の効果は、有って小一時間ぐらいらしいです。医者に聞きました。寧ろ(俺はりぽDを飲んだから元気だ!)といった暗示の副作用の方が大きいといいます。抗うつ剤も同じです。気休め程度にしかなりません。しかも抗うつ剤を服用し続ける事は何の根本的な解決にはなりません。また様々な種類があり、強いものを飲み続けると廃人になるようなものも有ります。ハイリスクローリターンです。 私が知っている精神科医で、うつ病を本気で治せると思っている人はおりません。彼らは、薬を処方し点数を稼ぎ、報酬を得ているに過ぎません。私が暫く通院していた病院は、正にそうでした。2年ほど通いましたが、沢山の精神病患者で寛解に至った方を私は知りません。私の主治医だった精神科医は、患者を1時間待たせ5分の問診で処方箋を書き、効率よく病院に富を蓄積させます。おそらくそれが出世の処方箋なのでしょう。 先日、NHKドラマで阪神淡路大地震を体験した精神科医の話がありました。患者の話を30分でも1時間でも真摯に聞く先生でした。私もそういう精神科医に出会ったら違っていたのでしょうが。 現実は違います。それでも精神科医に診てもらいたければ、開業医をお勧めします。少なくとも組織の中にいる精神科医はダメです。 カウンセリングもお金と時間がかかるばかりで、効果のほどは期待できないと思います。 中には、行動療法や認知療法で寛解する方もいらっしゃるとは思いますが、私は懐疑的です。 そもそもうつ病の根幹的な治療は何か? まず、うつ病に至ったストレスを無くすことです。私は公務員という立場や家のローン、世間体などから仕事を辞めるという選択肢を選ぶのか遅すぎました。 そして、死なないように生き、どこかのタイミングで行動を起こすことです。具体性に欠けますが、深い深い闇の中にいて、抗うつ剤や他人の空虚な言葉が一筋の光になる…なんて事は現実的ではありません。 最初はどんな行動でも構いません。ポイントは、うつ病を患ってからした事がない行動です。 よくうつ病を患った人に、「神様から休み��さいって言われているんだよ。」という���がいますが、うつ病患者は休んでいるわけではありません。深く傷つき、深い闇の中でいつ終わるとも分からない嵐が過ぎ去るのを息を殺し、感情を捨て、ただただ耐えているのです。 話が逸れました。 質問者の方は、生きている意味があるかと問いかけられていますね。 私の答えは、「ない」です。 そもそもが、生きているだけで意味がある人間なんてどれほどいるのでしょうか?人間は人間を特別視し過ぎです。過去には、人間ひとりの命は地球よりも重いと言った政治家が居ました。馬鹿げています。 この地球には、既知の部分だけでも175万種の生命体がいるそうです。未知を含めたら500万とも800万とも言われています。その多種多様な生き物が懸命に命��繋いでいます。その中で、何故人間の命だけが尊いと言えるのでしょうか。 周りを見渡せば、ニュースを見れば犬、猫より価値の無い生き方をしている人が沢山います。蜂や蟻よりも生産性の無い生き方をしている人間がありふれています。 人間の命、そのものには意味がないのです。 あるとすれば、意味ではなく「時間」だと思います。 そして時間があるからこそ、「行動」ができるのです。 重度のうつ病患者は、行動が出来ません。 行動が出来ないということは、時間が止まっているのです。 故に今のあなたが、生きている事の意味を問いかけるのははっきりいって無意味です。 それはあなた自身が本当は理解されているはずです。 けれども今あなたがその漆黒の闇を抜け出せるその日が来た時、あなたの(生)に価値が生まれます。あなたが自分の足で、自分の意思で前に進み始めた時、時間が再び動き出します。 生きている限り、意味はなくてもあなたには「時間」がある。時間があるという事は、あなたの人生は何度でもやり直せるのです。 更にあなたが価値ある、より良い行動をとることで、あなたの(人生)に意味が生まれると思うのです。 人の(生)に意味があるとすれば、価値ある行動を実践した時、初めて生まれると思うのです。 人の人生の評価は何で決まるのでしょうか? 財産、出世、肩書き…人それぞれでしょうが、私は行動だと思います。どれだけ価値ある行動を人生で出来たか、だと思うのです。 だからまずあなたがするべき事は、死なないように生きることです。そして、私のようにきっかけを待つか、自らきっかけを作り行動することです。 正直言って、私のようなきっかけを待つことはお勧めできません。 だからこそ、私のところに遊びに来ませんか? もしかしたら、何かのきっかけになるかも知れません。仮にならなくても、きっかけのきっかけぐらいにはなるかも知れません。 私は今、農業に従事しています。何故、東北から南九州に来て、農業をしているかの経緯は割愛しますが、私はうつ病が寛解してから2年ほどの、50手前のおじさんです。 うつ病が治り、取り敢えず3つの事を目標に掲げました。 ①飼っている柴犬を、日本一幸せな柴犬にする事。 ②最低限、父の年齢まで生きる事。 ③世界の真理を一つでも多く学ぶ事。 です。 農業では、無農薬、無化学肥料での、循環農法を実践しています。なるべく、F1の種に頼らず固定種の種から作付けして、この土地に合った野菜を育て、種取りをして、安全、安心な、究極的には硝酸態窒素を過剰に含まない、ガンにならない野菜作りを目指しています。 知らない土地に来てからの挑戦なので、苦労もありますがやり甲斐も有りますし、生き甲斐も感じています。 何よりも、何度となく死んでしまってもおかしくない我が身がこうしてお天道様の光を浴びて働けることが、嬉しくて嬉しくて仕方が有りません。 昔、ドイツの哲学者が言っていました。 (自らを否定して否定し尽くした時、あなたは超人となるだろう。) 私のうつ病期は、自己否定の繰り返しでした。 もちろん、私は超人には成れておりません。 ただ、周りの人達よりちょっとだけ物事の本質を理解出来るようになったかなと思います。 一昨日、東日本大震災から9年経ちました。 2万人以上の方が亡くなられました。 彼らにはもう時間が有りません。行動を起こすことも出来ません。 だからこそ我々生きている人間は、然るべき行動により、震災を語り継ぎ、亡くなった方たちを忘れずに生きねばなりません。 あなたは生きている。 あなたには時間がある。 あなたは行動を起こせる。 大丈夫。時は必ず訪れます。 最後にアメリカの詩人の言葉をご紹介します。 (寒さに震えた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る これから私は幸福を求めない 私自身が幸福だ) 長文につき、乱筆、乱文ご容赦ください。
私はうつ病です。昔の事も思い出せず、感動せず、感情もわからず、物を覚えられず、体を動かすのもつらく、毎日ただひたすら苦しく、生きているだけでお金がかかるのに生きてる意味ってありますか? - Quora
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yotchan-blog · 1 month
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2024/3/26 22:02:12現在のニュース
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takahashicleaning · 3 months
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TEDにて
ヤニス・バルファキス:資本主義が民主主義を食い尽くす — 今こそ立ち上がろう?(サミュエルソン?)
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
今は、昔に比べてろくな政治家がいない!と思ったことはありませんか?なぜ、行政府は、真の問題を解決できないのでしょうか!
前ギリシャ財務大臣であり、経済学者のヤニス・バルファキスは、今や経済を支配する者たちが真の権力を握り、政治が無力な場合もあるからだと言います。
超富豪たちや企業が政治の世界を食いものにし、経済危機を起こしている、と彼は確信しています。
それでは、ヤニスの理想像 ― 資本と労働が対立し、いがみ合う時代を超えた「自由主義、マルクス主義とケインズ主義が同時に成り立つような世界」についてお聞きください。
事実���今日の自由民主主義の根源は、古代アテネではありません。むしろ、マグナ・カルタや1688年の名誉革命やアメリカ合衆国憲法から発展したものです。
アテネの民主政は、所有者のいない市民を中心に据え、貧しい労働者階級に力を与えたのに対し、我々の自由民主主義は、マグナ・カルタ。ジョンロック、永遠平和の書籍を書いたカント、ルソー
つまり、支配者のための憲章という伝統に基づいています。事実、自由民主主義が浮上したのは、政治を経済の領域から完全に切り離して民主政治のプロセスを政治の領域内に限定することができてからでした。
これにより、経済の領域。いわば、営利企業の世界が、民主主義とは無関係になりました。
さて、現代の民主主義においては、経済と政治の領分の分離。これが始まった途端に双方の間に手のつけられない壮大な争いが勃発しました。
経済界が、政界に侵食し政治を乗っ取り始めたのです。昔に比べるとろくな政治家がいないと思ったことはありませんか?DNAが劣化したからではありませんよ。
現代では、内閣の一員だからといって権力者だとは限りません。権力が政界から離れて経済界に移動してしまったせいです。 先ほど、資本主義はおかしいと思うと言いましたが、考えてみると
これは、例えるならば肉食動物が食糧である被食動物を獲りすぎて、生態系に支障をきたし、根絶やしにしてしまい最終的には飢えに苦しむようなものです。バランスが重要です。
これと同じように、経済界による政治の乗っ取りや共食いが、あまりに行きすぎて、経済そのものが蝕まれ経済危機が起きているのです。なお、日本の全テレビ局は超裕福層に入ります。そして、もう既に権力者です。
同じことを繰り返さないようにみんなで影響力の巨大な権力者を見守っていくことだ。
企業が持つ力は拡大し「政治資本財」の価値は下がります。不平等が進み、総需要が収縮し、企業経営者達は自社資金での投資を渋るというわけです。
つまり、資本主義が民主主義から人民(デモス)を除外すればするほど、2つの山(ツインピークス・パラドックス)は高くなり、人材の無駄や人類の富の無駄が増すばかりなのです。
これが正しいとすれば、政治と経済の領域を融合させねばなりません。できれば、庶民が中心となって行うべきでしょう。古代アテネに倣うのです。ただし、奴隷はなしで女性を除外せずに行うべきです。
これは、何も目新しい考えではなく、100年前。マルクス主義左派が既に唱えていました。でも、失敗しました。ソビエト崩壊からの学びは、新たな残虐行為や無駄を生み出さすことなく
低所得労働者が古代アテネのように再び力を得るのは、奇跡が起こらないと無理だ!ということでした(しかも、インターネットの登場前)
でも、解決策はあります。低所得労働者をなくせばいい。資本主義では、低賃金労働者を人工知能の自動化された機械、アンドロイド。ロボットなどで置き換えています。
ここでの問題は、政治と経済の領域が別々に存在する限りは、どんなに自動化を進めても2つの山はさらに高くなり、ゴミの山は積み上がり社会の葛藤は深くなるのみです。
ブロックチェーンによる世界初の共通のデジタル通貨。それに、ブロックチェーンによるヘリコプターマネー、マイナス金利、ベーシックインカム、人間の限界をはるかに超えたイノベーションによる現代版の再構築が必要です。
ジョン・メイナード・ケインズ。マルクス。ジョン・スチュアート・ミルなどの融合。
最後に、政治にはまったく興味はありません。テクノロジーに興味が有ります。
歴史が示すところによれば、警察が、ひとたび大量のデータを保有し、無実の人々の追尾するようになると暴走し、拡大解釈をし続け、脅し、威嚇、特権意識の乱用や政治的な優位を得る行為、時には、法令を無視した同意や許可申請のない単なる覗き見行為へと濫用されがちです。
幸いにも、我々にも取るべき手段があります。市議会は、地方警察を統制できるので、条例を制定することによって無実の人々の情報を破棄し、保存期間も短期間にすることで、このような技術の合法的な使用のみを認可するのです。
オウム真理教の集団テロ事象の原因は開発独裁特有の当時、自民党55年体制の特権意識による負の遺産とインターネット黎明期にまだ周波数を独占的した民放テレビ局の暴走が談合を産み出し、警察機関が職権乱用して談合に便乗。監視も悪用し権力を思うままにふるまわせたことによる出来事にすぎない。
みなさん。考えてみてください!オウム真理教の集団テロ事象の後の警察権力は拡大してます!防衛庁は防衛省になりましたよね。拡大してます!スピード早くないですか?歴史的に見ると危険です。権力を思うままにふるまわせたことによる証拠です。憎しみの連鎖の起点の一つ。
テレビ潰れろ!なくせ!警察の職権乱用。警察が悪さしないようにまず監視カメラを警察内部につけろ!防衛省を防衛庁に格下げ、警察予算を削減してベーシックインカムの原資にすること。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
According to Michael J. Sandel , because to move the society in accordance with the lowest layer of the benefit from the difference principle of John Rawls is justice
マイケルサンデルによると、ジョンロールズの格差原理から最下層の便益に合わせて社会を動かすことが正義であるため、日本では物価をあげて
And in Japan raise the price . Live while , circulating the money using the latest financial engineering and macro economics until the bottom layer is close to the annual income of about 6 million yen , and then re- distributed from the ultra- wealthy ?
いきつつ、超裕福層から再分配して年収約600万円(中央値)に最下層が近づくまで最新の金融工学とマクロ経済学を駆使してマネーを循環?
This , you might get out from the deflationary spiral will Purasusamu of the place referred to in game theory if the goals and objectives of the country’s elite .
これを、その国のエリートの達成目標にすればゲーム理論で言うところのプラスサムになりデフレスパイラルから抜け出せるかもしれません。
Don tap scott is “block chain revolution”, such as Uber, Airbnb, TaskRabbit and Lyft. We are talking about shared economies. It is that equal peoples generate wealth together and share. It is a very powerful idea.
ドン・タプスコットが「ブロックチェーンレボリューション」の中で、UberやAirbnbやTaskRabbitやLyftといった。共有経済について話題にしています。対等な個人がいっしょに富を生み出し、共有するというのは。とても強力なアイデアです。
But, when you tell me that kind of company does not really share it! ! In fact, the success of these companies is due to not being shared. Furthermore, unless it is a country with high inflation, deflationary spirals will occur and gradually wages will not rise. The only solution at the moment is to tax and distribute widely to platform firms taking de facto standards with redistribution of wealth. This is important! ! I say.
でも、私に言わせるとそういった企業は本当に共有をしてはいません!!実際、これらの企業が成功しているのは、まさに共有しないことによってなのです。さらに、高インフレの国でないとデフレスパイラルが起きてしまい、次第に賃金が上昇しなくなります。現在の唯一の解決法は富の再分配でデファクトスタンダードをとっているプラットフォーマー企業に課税して広く配分するということです。ここが重要!!と言っています。
As a personal feeling, I think that around the dawn of Google until the financial crisis 2008 is the ideal form of redistribution. It might be even better if you incorporate block chains and virtual currency here.
個人的な感覚としては、金融危機2008までのGoogle黎明期の頃が再分配の理想形と思っています。ここにブロックチェーンと仮想通貨を組み込めば、さらに良いかもしれません。
As for the virtual currency, there are possibilities that three scenarios will merge into the hybrid in the future.
仮想通貨については、今後、3つのシナリオがハイブリッドに融合していく可能性があります。
First, virtual currency like bit coin substitutes investment and speculation. Second, platform firms taking the de facto standards issue and use virtual currencies. Third, we will utilize the virtual currency issued by central banks to support individuals with lower annual income (policy of the executive branch like helicopter money)
第一は、ビットコインのような仮想通貨が投資や投機を代用していく。 第二は、デファクトスタンダードをとっているプラットフォーマー企業が仮想通貨を発行、活用していく。 第三は、中央銀行が発行する仮想通貨を年収の低い個人の下支え用に活用していく(ヘリコプターマネー的な行政���の政策)
Current age of artificial intelligence. As other extended ideas such as MBS, REIT and ETF of effective monetary policy measures that began to be utilized after the financial crisis by the central bank, compensation other than options to raise taxes.
現在の人工知能時代。中央銀行による金融危機以降に活用し始めた有効な金融政策手段のMBS、REIT、ETFなどの他の拡張アイデアとして、賠償金をかける、税金アップ以外の選択肢。
In other words, central banks in each country actively purchase and forcibly buy industrial individual securities of platform companies that deflate goods other than the large public goods affecting low-income people who are currently de facto standards Support
つまり、いっそのこと現在デファクトスタンダードをとってる低所得者に影響大な公共財以外の財をデフレストリーム化させてるプラットフォーマー企業の産業個別の証券を各国の中央銀行が積極的に買取り、強制的に下支えして
Idea to stabilize price inflation by indirectly offsetting declines in prices by increasing the income of low-income earners by making profits on securities funded by basic income. Perhaps there is also the effect of increasing real GDP?
証券上の利益をベーシックインカムの原資にすることで低所得者の収入を増やし物価の下落を間接的に相殺させ物価を下支え安定化させるアイデア。もしかして、実質GDPも増加していく効果もあるかも?
In addition, central banks of neutral countries can improve redistribution function at basic income, as Plato says, it is possible to prevent the rise of populism which negatively falsifies dissatisfaction of the disparity which is the blind spot of ideal democratic politics maybe.
さらに、中立の各国の中央銀行がベーシックインカムで再分配機能を向上させることで、プラトンが言うように理想の民主政治の盲点である格差の不満を負に扇動していくポピュリズムの台頭を予防できるかもしれません。
In some ways, the information industry is also similar to credit markets.
情報産業はある意味、信用市場に似ているためもあります。
そして
特に、人材派遣業界に強制適用して事前分配や再分配を行政府は促進させること。
万が一、公人、有名人、俳優、著名人以外の個人情報が無断コピーされたら、データ配当金を回数に応じて、何倍にも増やすことで、法人への罰金として本人が請求できるようにする弱者救済、削除の仕組みも必要。
派遣業界の相場はわからないが、ダニエルカーネマンから年収600万円位で簡単に計算すると時給3000円位が幸福な生活を維持できる分岐点!
今の日経平均株価なら夢ではなく現実で業界イメージ刷新見直しにも?
時給3000円位を目標にして法人単位では異なるから行政府が最低賃金以外の経路で下支えし底上げする現在の政策を維持して
派遣業界の再分配も促進させるとブーストしていいかもしれない
次に
金融の概念で分けられてはいる名称だが、既存通貨に色は付かないので行政府が勝手に決めてる概念という前提で以下に展開します。
1、贈与。2、寄付。3、金融の貸付。
違いは、言葉の定義。 1、親族内。 2、他人同士で金利ゼロ返済不要。行政府経由なら「給付」という言葉の定義になる。サンデルの言う強者から低収入者にマネーが100%流れれば善悪ない。 3、他人同士で金利ゼロか有りの返済付きで場合によりマイナス金利もある。
この場合、既存通貨は、追跡できないことが問題点。低収入者をしつこく追跡することは法律違反で独占禁止法の優越的地位の濫用になります。通貨や人間が悪いわけではない場合が多い。
なら、政治資金規正法改正して、既存通貨の他に追跡できるデジタル通貨の形式で政治家限定で歳費支給したらどうなるだろうか?現状の歳費支給にプラスしてデジタル通貨分もプラスするから給与アップになる。追跡できるから不正もできない。
政治家への既存通貨での寄付は厳格に条件を決めた範囲内で政治資金規正法で透明化するのはいいこと。現実的に現状このルートは、デジタル通貨にせず、日本の場合は検察当局の存在理由も維持するためもあります。将来的にはデジタル通貨に完全移行が望ましいけど。
政治家からの既存通貨での低収入者個人(選挙区内)への寄付は、自らの裁量で年収の低い低収入者(選挙区内)だけに行うなら善性に沿うかもしれない。この場合のみ政治資金規正法を改正しても問題ない。こちらも将来的には、デジタル通貨なら自動で透明化、効率化できます。
なお、国内の格差縮小にも貢献できるだろうし、万が一、強欲大中法人が賃金を下げてしまっても政治家が下支えできるという政治家本能やお互いの幸福も社会システムに組み込めます。
政治家から弱者低収入個人への寄付は概念では分配だと思うが、現行法では汚職?
法律が低収入庶民を苦しめる不思議?憲法違反?
続いて
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権��ないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、��の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
その��め、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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kanglo · 8 months
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これまで放置、放任されてきた人類思想の時代は20世紀をもって終わっている。
然し、天より既に、人智では“否”という判断が下され、あらゆる権限をはく奪されているにも関わらず、人類は未だに呑気に強欲ぶりを発揮し続けている。
既に、人間側の都合による方便の世は終わり。
そのことを、もはや人類は、受け入れねばならぬ。
天より既に試されの世となっていることを推して知るべし。
「へ?何言っちゃってんの?煽ったところで、別に周りは平和じゃん。今、めっちゃゲームで楽しんでるところなんだから邪魔しないでほしい!」
「ああ、そうですよね。こんなに激しく気候変動による災害が世界中で起きている中で、人間は成す術なしですものね。この自然の猛威は、神様から逆鱗に触れているということなのでしょうね」
「だから、神だの仏だの、そういうの都市伝説だから。別にいいじゃん。毎日楽しく暮らせていれば。世の中、どんどん便利になってスゴイし。見たい動画とか、食べたいものとか、行ってみたいところとか、やりたいことばっかだから、そんなこと考えてる暇ないんで」
「自分は、今、仕事だけに集中してます。今がんばれば、同期の中でトップ取れるかもしれないんで。夢叶ったら、独立して、会社を上場させて、億万長者になりたいんです。そうすれば、なんだってやりたいことが出来る。財があれば、人助けだってできるし、もっと社会の役に立つことが出来るかもしれないし。だから今、一生懸命に営業しまくってます」
「人間って、なんでこんなに愚かなんだろう。確かに便利な世の中にはなったと思うけど、もう十分だし。それよりも海や自然をゴミで汚染されるのは耐えられない。なんで平気でゴミを道端に捨てられるのか意味不明。こんなこと続けていたら、人間はAIとかに取って変わられちゃうよ、きっと」
「私は、毎日、地震とか、災害とか、テロとか、ウィルスとか、そういうのに怯えています。不安だからマスクも手離せません。どこに行くにも心臓がドキドキします。自分の身に何かあったらと思うと、怖くて何も出来ないんです。私、どうしたらいいのでしょうか」
「カミとかカネとかケンリョクとか、そういうのどうでもいいし。結局は、自分次第。全ては自己責任。だから、毎日、気合を入れて自分を鍛えて、勉強して、強くなるしかない。俺はそうやってこれまで生きてきました。どうでしょうか、間違ってますか俺…」
…。
まだ十数年しかこの世を生きていない者もいるだろうが、実相は、既に末法の世に入っている。
人間の唯物思想、科学への過信、成金主義、歪んだ正義、勘違いの自由、行き過ぎた個人主義、無慈悲で無関心な関係、そして極度の無知。
これが天が人類自身による統治を諦めた理由。
もはや、試し厳しくなるが耐え抜けよ。
そのことを肝に銘じ、現実社会の中で積み上げてきた人類の業に対するツケを認め、本来あるべき道を探し、進み行きます。
有難う御座います。
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enrichmyheart · 11 months
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心の拠り所の100%をエビデンスに預けることの危険性
かつてのモノづくり大国としての成功経験から、日本国民がコツコツとした地道な作業、丁寧な仕事が得意であることは理解されています。輸入された大量生産・大量消費の価値観によって、その実績は押し流されてしまったかに見えますが、何世代にもわたって組み込まれてきた根底のプログラムは、そう簡単には消えていないはずです。まやかしマジックで見えなくなってしまった部分は、これから筋力をつけることで徐々に復活させることが可能です。
ペコペコと慇懃に頭を下げるのが、こびりついた国民性のようですが、そこがもっともグローバル化に乗り遅れたガンの根っこです。謙虚は美徳などというガラパゴスこそ世界標準には通用しませんから、今すぐにその姿勢はあらためた方が良いでしょう。お人よしは取って食われるのが世界標準です。
良質な商品の価格が高くなるのは当たり前で、これは贋物が高いこととはまったく別の話です。強気なプレゼンテーションも中身が本物であれば、いずれは評価を受けることができるはずです。強気なプレゼンに説得力を持たせるためには、あらゆる角度から検証可能性を考察して宣伝材料を集めることです。この多角的考察が成功につながるカギは、その商品が真実に基づいていること前提です。こういった理由で、贋物のプレゼンには筋の通らない矛盾が生じてきます。
また買い手は、データの蓄積が多い人ほど贋物のプレゼンに潜む矛盾、偽りといった小さな違和感をすかさずキャッチしますので、嘘に引っ掛かりにくくなります——全体の民度が上がるほどに国力は強くなります。
ここまでの話を人的資本(真面目にコツコツ働く国民性)の観点から総括しますと、日本国内だけで見れば、思想が自由な土壌さえあれば日本は潜在的な宝の山です。思想の自由という土壌を不自由な国と下方比較しても意味はありません。私たちは日本国内で戦っています。
また、政治の市場介入がいかに市場を歪めて来たかも、よくわかると思います。政治が市場介入をして弱者を救済してくれるのは、その国の政府がクリーンであることが前提です。しかし世界を見渡してみれば良くわかります。どの国を見ても、カネと権力が人を狂わせ、志が高き者もカネと権力の前には、無力に散っていきます。
人間という生物がカネや権力に弱いことを前提とするならば、制度設計としては、その前提をもとにガバメントをつくることが必要になるということでしょう。実現可能性については今のところ、懐疑的にならざるを得ませんが。それこそAIが解決してくれるかもしれません。AI自体はカネや権力に興味がないので、希望的観測としてはそれに期待したいところです。
シャブ漬け生娘大作戦は、国力を削ぐという意味では最悪手である、ということがよくわかりました。
ということで、引き続きまやかしマジックによって思想の自由を奪っている犯人の皮をはがすべく、たゆまぬ努力を続けたいと思います。
本物の商品。その長期的で莫大な利益=キャッシュインは、贋物を売った一時金、あぶく銭とは比べ物になりません。ホンモノにはクレジットが伴いますが、ニセモノにはリスクがつきまとい続けます。どちらが賢い選択であるかは、すぐに気づくことができるはずです。
分析して流れを丁寧に紐解いてゆけば、実は成功とは突飛なものではなく、誰でもやろうと思えばできる単純なことの連続であった、ということになります。行動力ははじめの一歩であり、小さなコツコツの連続に耐えうる精神力=筋力を身につけることが肝要です。その際、周りのペースに惑わされてはいけません。ひとは一人一人、違うからです。たとえて言うならば、目の前に落ちているゴミくずをひとつ、拾ってゴミ箱に片づける。はじめの一歩とは、そういうことです。
ここから話を切り替えて、また我が道を阻害する要因について分析してみます。
実験や統計によるデータの疑義性については何度かお話をして参りました。ここではスマホ依存症についてフォーカスしたいと思います。
マクロは社会観察、ミクロは身近な人々で観察してみれば、実際にスマホ依存症と思しきヒトは簡単に見つけることができると思います。
広義の依存症の定義についてみてみると、一般的には社会的生活に困難をきたしている人、とされます。
社会的生活が困難なことの具体例としては、まず“常識”と定義される社会的生活上での営みがあって、それに沿った生活が困難であること。そこからの地続きで『そのヒトが依存症であることによって、そのヒトと時間を共に過ごす周囲の人々が迷惑を被っていること』が挙げられます。
依存症者の常套句である「誰にも迷惑はかけていない・生活には困っていない」は主観による認識の言葉で、それが主観であるがゆえに治療に結び付けづらい、とされています。本人は困っていないが家族が困っている、そこまで悪化してしまっているような場合、メタ視点を養う力はもうほとんど残っていません。もっともセーフティーネットに繋げたい人が、もっともセーフティーネットから遠い位置にいる、という現実があります。セーフティーネットは基本的に、自己申告制だからです。また、ニセモノ商売だとか反社会的な方法で目先の利益を取ろうとするヒトは、このクレジットやリスクについての関係性を良く理解できていないので、常に綱渡りな人生を送っています。彼らにももう手は届きません。これはセーフティーネットの限界もよく現しています。
これらに伴い、識字力や読解力、共感力等の観点から、私のメッセージは実は伝えたい人々にはほぼ届かないことも前提になっていますが、波及効果を期待してさらに発信を続けます。
スマートフォンが誕生してから20年弱、コンピュータの進化スピードについては論を俟ちません。人間の能力などはとうに駆逐していますから、たとえば「エビデンスがー」などと言っているうちに、あっという間に飲み込まれていきます。
何度もお話をしてきた依存症者の大量発生の原因についてもまさに、人間のデータ収集能力を置き去りにして加速度的に社会が発達したことの証左、と考えることができると思います。
「エビデンスがー」というスタンスは、巣の中で口を開けて餌を待っているひな鳥に似ています。
しばらく黙っていようと思っていましたが、なぜまたリスクを冒して発信するに至ったかというと、インスタントなヒトによる犯罪、特に幼子が手にかけられる痛ましい事件は看過できないと感じたからです。
この関係性を社会の構図で見たとき、浮かび上がってくる画があります。
経済格差の二極化とよく言われますが、二極化というのは上層と下層をピックアップして論じているに過ぎません。実際の分布は、社会を観察してみると早いと思います。“今のところは”問題を起こしていない、無害の中間層を脇に置いた議論です。この二極化論を突き詰めると、忍耐力という、しなやかな筋力を持っている者と持たざる者、という対比が浮かび上がります。たしかにこれがより格差を鮮明にさせれば、社会環境はますます悪化する懸念があると思います。私が個人的な提言をしているのは筋肉の部分です。
因果関係を、先天性や親を選べない不幸という結論に帰結して議論終了にした場合、不都合な親の元に生まれた子供たちは残りの人生をその“不動”とされる結論に左右されなければなりません。この不幸は、長寿化によってさらに拍車をかけてしまいます。もっとも、酷い場合はその不幸さが寿命を縮める結果になってしまう懸念もあります。
危険性を訴える人々、警鐘を鳴らす人々のことを「エビデンスがー」と議論もせずにインスタントに切り捨てた未来は、どのようなものでしょうか。真実は歴史が証明、などと悠長なことも言っていられません。放置による失策の数々なども歴史が証明していますが、変化を嫌い現状維持が大好きな、人間という生物の特性をよく現しています。
前に『(今ある)目の前のタスクすらコツコツする能力がないのであれば~』という言葉を投げかけましたが、もう少し丁寧に説明をします。
私はあまり「能力」という言葉を使うのが好きではないのでここは訂正すると「コツコツする筋力すら持たない(今後もつける気もない)のであれば~」となります。
他人の成功譚は、タイパが大好きな人々にはうってつけの“エンターテインメント”となるでしょう。エンターテインメントの部分を今一度強調します。他人の成功譚は、消費するエンタメには、もってこいのテーマのひとつです。
成功者の一分、一秒の単調な日々に光が当たることはほぼありません。
事件を起こした容疑者にフォーカスしてみるとやはり、彼らはいくつかの依存症によって経済的にも心理的にも困窮していたり、性急に結論=快楽を求める癖がついているあまりに、自分を優先させることによって他者に害を及ぼすことに対しては無頓着、興味がなかったりします。彼らは皆、時間の上手な使い方が分からずに育ってしまった憐れな犠牲者でもあるかもしれませんが、実際に世の中にそのような教育は存在しません。精神的な幼さも肉体年齢が成人を超えていれば「自己責任」で片づけられてしまいます。
“議論封じ”を封じるために、恐縮ですが今一度書かせていただきました。議論封じは見方を変えると、弱い自分の心を守るためのひとつの手段なのかもしれません。お互い様でもありますが、なるべく建設的な議論を交わせる社会になってゆけばと願っております。
結論すれば、一人でも多くの快楽依存症者を減らしたい、というのが今回の(も)目的になります。
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almostautohonyakudiary · 11 months
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クリームに対するものすごい考え方
ロザンナ・マクラフリンによるエッセイとタルト・ディジョネーズのレシピ
コベントリーのど真ん中に住んでいたにもかかわらず、祖父母の家の玄関は日中いつも開いていた。画家であった祖父は、人と会い、スケッチすることに貪欲で、それでさまざまな人物が予告なしに家にやってきた。全身緑の異教の衣装を身にまとい、バグパイプを担いで玄関で大音量で演奏していた「グリーンマン」のバリーだったり。祖父が電動車椅子で外出中に仲良くなったパンクスだったり。近所に住む問題児のオペラ歌手は、パーティでわざとワインをカーペットにこぼしたところを祖母に見つかって以来10年間も出入り禁止だったが、やがて再び仲間に迎え入れられた。
コーラスガールと工場労働者の娘だった祖母は、1954年に祖父と結婚した。祖母は生涯、文学愛好家であり、家族で初めて大学に進学した。祖父は、ロンドン周囲の保守的なホームカウンティーズの家庭には思いがけない子孫であり、素晴らしく風変わりだった。慢性的に不衛生な男で、バスタブは汚れた皿を入れるところ、手は絵筆を持つために存在し、プディングは天からの贈り物だと信じていた。二人とも、家庭的な世間話など大嫌いだった。お客が美とか詩のような高尚なことを議論していないことに苦々しく思った祖父が、「学位を持っているのにゴミ箱の話をしているのか」と言ったことがある。でも、そんなふうに表向きは下世話な話を嫌っていたにもかかわらず、祖母はものすごく料理が上手く、キッチンは祖父母の社会生活の心臓部だった。
そのため、来客はいつ来るのがベストなのか、すぐに察しをつけるようになった。午前11時ならコーヒーとビスケット、正午ならラムシチューやクレソンスープ、プレイス[***カレイの一種]のパン粉焼き、洋ナシと赤ワインゼリー���チョコレートプディングなど、祖母��日常的に作っていた素晴らしい昼食を食べるチャンスがあった。ある夏の朝には、祖父母の生活で転倒が頻発するようになり、定期的に呼ばれるようになった救急隊員が、あまりの楽しさに無線を切って数時間、庭にいたのを覚えている。私は祖母に頼まれてフランス産のバタービスケットとコーヒー(いつもクリーム入り)を皿に載せて持って行き、救急隊員はそれを蔦の陰でくつろぎながら楽しんでいた。
祖父の死から数年が経った昨年11月、祖母が亡くなった。今、二人のことを思い出すと、最後まで親しい人々で賑わっていた家のことが思い出される。祖父は救い難い甘党で、糖尿病で片足を失った後も道路を隔てたリドル・スーパーマーケットからルール違反のヌガーを入手していたことを思い出す。祖母の台所に座り、食事の準備を手伝いながら、文化や政治に関するあらゆる事柄について祖母の強い意見に耳を傾けたことも。あるとき、エンドウ豆の鞘とったり、ジャガイモの皮を剥いたりしながら、肥満に対処するためのおせっかいな戦略に関する記事について話し合ったことがある。「たとえ顎をワイヤーで固定されていたとしても、ストローでダブルクリームを吸うわ」と彼女は宣言した。また、80代後半になって、サリー・ルーニーの小説を読んだ後に、「英語は完全にあきらめた、これからはフランス語の小説しか読まない」と宣言したこともあった。
でも私がいちばんに思い浮かべるのは、タルト・ディジョネーズだ。チーズ、マスタード、卵、クリームを混ぜた濃厚なソースをシュー生地に塗り、玉ねぎとパプリカを重ねたもの。妻のメリッサと私が訪れると、祖母はよくこのレシピを選んだ。私たち夫婦はベジタリアンという恐ろしいものの手中に落ちており(祖母はあるときそれを選ぶことは「反社会的な行為」だと表現していた)、それはオムレツと並んで、彼女が作る数少ない肉や魚を使わない主食のひとつだったのだ。昼になり、私たちが祖母の料理と文化的見解と無尽蔵の赤ワインを求めて集まった客人たちに混じると、そのタルトが台所のテーブルに頻繁に並んでいた。
晩年、祖母の足が不自由になると、台所が心許ない場所になることがあった。パントリーの棚に腐ったクリームケーキが置かれ、その横のジャガイモはあまりに青く芽吹いていてまるでウニのようだった。その頃には、祖母は口述でほとんどの料理をするようになっており、リビングルームの肘掛け椅子から家族に指示を出した。祖母は年をとるにつれてほとんど家から出なくなったが、気前のいい食卓が、世界を彼女の方へと連れてくるのだった。祖母は、料理が友情とコミュニティを維持するために果たす役割を知っていた。料理は、人々を結びつける善意と優しさの行為だった。
数年前、メリッサに頼まれ、祖母はタルト・ディジョネーズのレシピを書き出した。パントリーにあったデリア・スミスの料理本の表紙の裏に挟んであった黄ばんだ新聞の切り抜きを写し、括弧書きで自分のコメントを加えた。メリッサと私は自宅で何度もこのタルトを作ったが、祖母の死後数か月間は、このタルトを作るとほろ苦い気持ちになった。タルトの生地は、クリームとマスタードとチーズを乗せる土台であると共に、悲しみの受け皿でもある。それでも料理は、コヴェントリーから数百マイル離れたサセックス海岸の私たちの台所へ、祖母を呼び寄せる手段なのだ。
タルトを包丁で切るときのカリカリという音は、祖父母の台所の小さな食卓を囲むグラスの音や、チラシやバスの時刻表や古い果物の種が山積みになった本棚に囲まれたダイニングルームでの食事を思い起こさせる。炎のように赤いパプリカは、祖母のもてなしと同じように鮮やかで、マスタードの刺激には祖母との会話と同じような満足感がある。タルトはいつもおいしくできるが、クリームに対するものすごい考え方を持った祖母が手順を見守っていた時のおいしさとは、比べようがない。
***
タルト・ディジョネーズ (「メゾン・ベルトー」のタルトをベースにしたマーク・ヒックスのレシピ)
シュー生地 250g(20×30cmの大きさに伸ばしたもの。わたしは既製品を使う)
玉ねぎ 大1個(みじん切り)
赤パプリカ 2個(種を取り除き、細かく刻む)
オリーブオイル 大さじ2
ミディアムまたはストロングチェダー 150g(細かくすりおろす)
卵 2個(軽く溶きほぐす)
ダブルクリーム 大さじ2
ディジョンマスタード 小さじ2(好みでもっと加えてもいい)
塩 適量
挽きたての黒胡椒 適量
オーブンを200℃に予熱しておく。20×30cmくらいのベーキングトレイを用意する。深さ1~2cmの浅いものが理想的。ベーキングシートを敷いておく。
中くらいのフライパンに、みじん切りにした玉ねぎとピーマンとオリーブオイルを加える。蓋をして中火にかけ、よく混ぜながら約15分、野菜が柔らかくなり、焼き色がつくて前まで炒める。火からおろし、そのまま冷ます。
野菜が冷めている間に、ベーキングトレイにペイストリーを敷き、10分焼く。ペストリーは少し盛り上がって淡い黄金色になり、冷めるとまた沈む。
玉ねぎとピーマンを炒めたものに、チーズ、卵、クリーム、ディジョンマスタード、塩、コショウを加える。混ぜ合わせ、味を整える。
トレイの中のペイストリーシートを裏返し、その上にトッピングを厚く、均等に広げる。オーブンに戻して18~20分、縁に軽く焼き色がつくまで焼く。
できれば温かいうちに、サラダと一緒にでも召し上がってください。
Vittlesに掲載 2023.5.31
ロザンナ・マクラフリンは、イースト・サセックスを拠点とするライター兼編集者。著書に『Double-Tracking:Studies in Duplicity』(Carcanet、2019年)、『Sinkhole:Three Crimes』(Montez、2022年)がある。『The White Review』[***アートと文学の雑誌]共同編集者。
Vittlesは、レベッカ・メイ・ジョンソン、シャランヤ・ディーパック、ジョナサン・ナンが編集し、ソフィー・ホワイトヘッドが校正と副編集を担当している。『Cooking from Life』のレシピは、ルビー・タンドウによって試作されている。
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tsukubaremodel · 2 years
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集合住宅や自治会ゴミ集積場などで使用されるダストピットの交換を致しました。 ヨド物置 DPMA2200 前面開閉式になっていますので動物や鳥からの被害を防ぐ事が出来ます。景観を損なう事のないシンプルなスタイルで床も簡単に取り外し可能なのでお掃除もラクラクです◎ダストピットは清潔感、機能性と共に充実しています。つくば市 つくば市にありますリフォーム会社です。 さまざまなリフォームのご依頼承ります🏠 全面リフォーム、部分的なリフォーム、外構工事等小さな事でもお気軽にご相談ください。 お問い合わせ************************************** [email protected] Tel 029-896-5656 茨城県つくば市上広岡429-1 当社ホームページhttp://www.tsukubaremodel.co.jp *************************************************** #ダストピット #ゴミ集積場 #自治会ゴミ集積場 #集合住宅ゴミ置場 #物置設置 #物置 #ヨド物置 #カーポート #ウッドデッキ #リフォーム #リフォーム専門店 #リフォーム事例 #つくばリモデル #外構工事 #外構フェンス #uvフロアコーティング https://www.instagram.com/p/CWZrlVsFIwj/?utm_medium=tumblr
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ko-shio · 3 years
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2021.3.15 合図
地下倉庫の南京錠をカチリと開けるとき、牢屋の扉を解錠したような気持ちになるのはどうしてなんだろう。棚に雑然と積まれたコンテナや袋を開いては、置きっぱなしにしていた私物を探す。一番上の段は、脚立を使えばどうにかなるけど、埃っぽいし重そうだったので少し考えて、触れるのをやめた。ずっと無くしたと思っていた、サーモスの水筒だけ、結局見つかった。赤い塗装がところどころ擦れて剥がれていて、明らかに自分以外の誰かが使用した形跡があった。たぶん今後自分では使わないような気がしたのに持ち帰ったのは、外装の汚れに対して綺麗な内側を見て、こっそり盗んでしっかり使ってしっかり洗ってしっかり干して返しただろうそのいびつな優しさを覚えておこうと、嫌なことばかりじゃなかったと、思いたかったからだと思う。さようなら、いつもひんやりしてて狭くて、静かで、好きだったよ倉庫。扉の鍵を閉めてしまうと、さっきまでひとつひとつ影を持って、色とりどりに並んでいた備品たちの姿はぼんやりブラーがかって、記憶の隅へ歩いていく。反対側に歩いたり、階段を昇ったりして、のりこさんにも挨拶をしにゴミ集積室のドアをノックしてからそっと向こうに押す。良さげな粗大ゴミを持ってない様子を見て、なにしにきたんね、とのりこさんはいじわる女のふりをする。うそよ嘘って分かってること知ってておどけるのりこさんと、不燃ゴミと可燃ゴミとなんだか分からないくずとかにおいに囲まれて話すと、いつもしてる青いゴム手袋を片方外して、右手を差し出してくれた。のりこさんだから、きっと誰よりもこのビルで消毒している手だった。サコッシュに入れてた携帯用のジェルで濡らした手を、その手のひらに重ねる。年上の女の人の、少し薄い皮膚と冷たさ。のりこさんの手が湿っているのか、出しすぎたアルコールがだぶついているのか、よく分からないことがたぶん、悲しかった。これからこのビルを通り過ぎることがあれば、色んなことを思い出すだろうけど、集塵室に連れ込んでくれて、冷たい紅茶を自販機で買ってきてくれて、思う存分泣かせてくれた、何百人分かのごみくずの中で凛としてるのりこさんこと必ず思い出します。のりこさん、さようなら。わたしは次の待ち合わせがあるので帰ります。部屋を出てから、最後まで目がちゃんと合ったことなかったかもしれないなとぼんやり歩いて電車に乗る。何も示し合わせていないのに、同じ紺色のボーダーを落ち合ったときにはもうふたり着ていて、華子も青いボーダーを映画の中で着ている日があって、スクリーンの前ではなるべく自我をどろどろにしたかったのに、少し恥ずかしかった。とても嬉しかった。東京が舞台の映画が終わっても帰るのは東京だから、彼女たちもどうにか今日も生きているんだろうね、とかっこつけずにただ思って、新宿の駅前を風や車や人並みやに流されるまま、きっちり3周した。ショーウィンドウの向こうはもう暗くて、入り口も出口も施錠されたたくさんの店らしき建物たち。黒いガラスにボーダー柄がきっちり反射する。アスファルトの継ぎ目に誰かから舞った冬のほこりが引っかかっている。雨に降られて、自転車に轢かれて、硬くなった元ふわりの破片が、また誰かからまった春のほこりを捕まえる。そうした継ぎはぎを目線が辿っていくと、伊勢丹がライトアップされたまま眠っている。Apple Storeがいつでも最大明度でいることは、彼には関係がない。見えていても、見ていないことになっているかもしれない。変なところに、というのは、カラオケ館の前に、まだ若そうな桜の木が数本ぴかぴかに咲いていて、通りかかろうとしていた人が立ち止まってiPhoneをかざしているのを、それよりも話に夢中だったから通り過ぎてこの街のこととか話しながら歩き続けた。寝る前に古地図を見たら、明治にも江戸にも、わたしたちが桜の木を通り過ぎた大通りはどんと走っていた。新宿が新宿になったのは、大きな街道があって人があちらこちらから何のためか、やってきて、歩いてすれ違っていたからということを何となくいつも忘れている。思い出した途端に、幻の新宿通りが2倍速で動き出して自然といま目の前にある風景になる。そうはいかない場所も多いけど、今日はうまくいった。東京の背骨をずいずいなぞって降りた場所で、乗客2人のバスに追加で乗り込む。2段になった窓の上段がところどころ開いていて、2021年3月15日の柔らかくてとろりとした風が舞い込む。1人がけの椅子に深く身を預けちゃって、斜め上の半端に開けられた隙間を見やれば、星がひとつだけフレームに収まっている。やったー!パンチャパンチャだ!これは紛れもなく、そうでした、と韓国語の先生に반짝반짝を今度報告しようとなるべく静かに視線で光をなぞっていると、急に空が揺れて、郊外の白けた平日夜の道路に体が降りていった。次の下り電車が到着して、何人かがその足でバスステップを踏んだ。少しの揺れも、宇宙を壊しかねないということを、ここ2年くらいでよく学んだ。すべてが多様なものに変化していく過程に置かれている。いまは早く新しい土地に引っ越して、大きな春に思うまま会ってみたいです。
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xf-2 · 3 years
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2020年の選挙を救ったシャドウキャンペーンの秘密の歴史
11月3日の選挙直後に奇妙なことが起こった。何もない。
国は混乱に備えていた。自由党グループは、国中の何百もの抗議を計画して、通りに行くことを誓った。右翼民兵は戦いに身を投じていた。選挙日の前の世論調査では、アメリカ人の75%が暴力について懸念を表明しました。
代わりに、不気味な静けさが降りてきました。トランプ大統領が譲歩を拒否したので、反応は大衆行動ではなくコオロギでした。メディア組織が11月7日にジョーバイデンのレースを呼びかけたとき、人々がトランプの追放をもたらした民主的なプロセスを祝うために米国中の都市を襲ったので、代わりに歓喜が起こりました。
Reactions Throughout the U.S. After Biden Wins Presidential Race in Unprecedented Election共有
動画を再生します
トランプが結果を逆転させようとした中で、2番目の奇妙なことが起こりました。企業のアメリカが彼をオンにしました。何百人もの主要なビジネスリーダーは、その多くがトランプの立候補を支持し、彼の政策を支持しており、彼に譲歩を求めた。大統領にとって、何かがおかしいと感じた。トランプ氏は12月2日、「すべてが非常に奇妙でした。選挙後数日以内に、多くの主要な州がまだ数えられているにもかかわらず、勝者に油を注ぐための組織的な努力を目の当たりにしました。」
ある意味、トランプは正しかった。
舞台裏で陰謀が繰り広げられ、抗議行動を抑制し、CEOからの抵抗を調整した。両方の驚きは、左翼活動家とビジネスの巨人の間の非公式の同盟の結果でした。協定は、選挙日に発表された全米商工会議所とAFL-CIOの簡潔であまり知られていない共同声明で正式化されました。双方は、それを一種の暗黙の交渉と見なすようになり、夏の大規模な、時には破壊的な人種的正義の抗議に触発され、労働力が資本の力と一緒になって平和を維持し、トランプの民主主義への攻撃に反対した。 。
ビジネスと労働の間の握手は、選挙を保護するための広大な党派横断キャンペーンの1つの要素にすぎませんでした。投票に勝つことではなく、自由で公正、信頼でき、腐敗しないことを保証するための並外れた影の努力です。一年以上の間、彼らが無慈悲なパンデミックと自主的に傾倒した大統領からの同時攻撃を受けたとき、緩く組織された工作員の連合はアメリカの機関を支えるためにスクランブルをかけました。この活動の多くは左側で行われましたが、バイデンキャンペーンとは別のものであり、イデオロギーの境界を越え、無党派で保守的な俳優による重要な貢献がありました。影の運動家が必死に止めようとしたシナリオは、トランプの勝利ではありませんでした。それは非常に悲惨な選挙だったので、結果はまったく識別できませんでした、
彼らの仕事は選挙のあらゆる側面に影響を与えました。彼らは州に投票システムと法律を変更させ、公的および私的資金で数億ドルを確保するのを助けました。彼らは有権者抑圧訴訟をかわし、投票労働者の軍隊を募集し、何百万人もの人々に初めて郵送で投票させた。彼らはソーシャルメディア企業に偽情報に対してより厳しい方針を取るよう圧力をかけ、バイラルスミアと戦うためにデータ主導の戦略を使用することに成功しました。彼らは、アメリカ人が投票数が数日または数週間にわたってどのように展開するかを理解するのを助け、トランプの陰謀説と勝利の誤った主張がより多くの牽引力を得るのを防ぐ全国的な啓発キャンペーンを実行しました。選挙日の後、彼らはトランプが結果を覆すことができないことを確認するためにすべての圧力ポイントを監視しました。
トランプと彼の同盟国は選挙を台無しにするために彼ら自身のキャンペーンを実行していたからです。大統領は何ヶ月もかけて、郵便投票は民主党の陰謀であり、選挙は「不正」であると主張した。州レベルの彼の手下はそれらの使用を阻止しようとしましたが、彼の弁護士は投票をより困難にするために何十もの偽の訴訟を提起しました。これは共和党の抑圧的な戦術の遺産の強化です。選挙の前に、トランプは正当な投票数をブロックすることを計画しました。そして、彼は11月3日以降の数か月間、敗訴した選挙を盗もうとして、訴訟や陰謀説、州や地方の役人への圧力、そして最終的には致命的な暴力に終わった1月6日の集会に支持者の軍隊を召喚しました。国会議事堂で。
民主主義運動家たちは警戒しながら見守っていた。「毎週、国が解き放たれる本当に危険な瞬間を経験することなく、この選挙をやめようと奮闘しているように感じました」と、超党派の選挙保護の調整を助けたトランプ支持者である元共和党代表ザック・ワンプは言います評議会。「振り返ってみると、これはかなりうまくいったと言えますが、9月と10月にそれが当てはまるかどうかはまったくわかりませんでした。」
11月7日にレースが呼び出された後のフィラデルフィアのバイデンファン ミシェル・グスタフソンfor TIME
これは、2020年の選挙を救うための陰謀の裏話であり、グループの内部活動へのアクセス、これまでに見たことのない文書、および政治的スペクトル全体からの数十人の関係者へのインタビューに基づいています。これは、前例のない、創造的で断固としたキャンペーンの物語であり、その成功は、国がどれほど災害に近づいたかも明らかにしています。「選挙の適切な結果を妨害するすべての試みは打ち負かされました」と、無党派の法の支配擁護団体であるProtectDemocracyの共同創設者であるIanBassinは言います。「しかし、それが偶然に起こったのではないことを国が理解することは非常に重要です。システムは魔法のように機能しませんでした。民主主義は自己実行的ではありません。」
だからこそ、参加者は2020年の選挙の秘密の歴史を伝えたいのです。それは妄想的な熱の夢のように聞こえますが、業界やイデオロギーにまたがる強力な人々の資金が豊富な陰謀団が舞台裏で協力して認識に影響を与え、ルールを変更します。と法律、メディア報道を操縦し、情報の流れを制御します。彼らは選挙を不正に行っていませんでした。彼らはそれを強化していました。そして彼らは、アメリカの民主主義が持続することを確実にするために、国民がシステムの脆弱性を理解する必要があると信じています。
建築家
2019年の秋のいつか、マイクポドホルツァーは選挙が災害に向かっていると確信し、それを保護することを決意しました。
これは彼の通常の権限ではありませんでした。ほぼ四半世紀の間、米国最大の組合連合であるAFL-CIOの会長の上級顧問であるポドホルツァーは、その支持された候補者が選挙に勝つのを助けるために最新の戦術とデータを整理してきました。控えめでプロフェッショナルな彼は、ケーブルニュースに登場するような髪の毛が生えた「政治戦略家」ではありません。民主主義のインサイダーの間では、彼はここ数十年の政治技術における最大の進歩の背後にある魔法使いとして知られています。彼が2000年代初頭に集めたリベラルな戦略家のグループは、政治運動に科学的方法を適用する秘密の会社であるアナリスト研究所の設立につながりました。彼はまた、主要なプログレッシブデータ会社であるCatalistの設立にも関わっていました。
ポドホルツァーは、「政治戦略」についてのワシントンでの終わりのないおしゃべりは、変化が実際にどのように行われるかとはほとんど関係がないと信じています。「私の基本的な政治観は、それを考えすぎたり、一般的なフレームワーク全体を飲み込んだりしなければ、すべてがかなり明白だということです」と彼はかつて書いた。「その後、執拗にあなたの仮定を特定し、それらに挑戦してください。」Podhorzerは、そのアプローチをすべてに適用します。DC郊外で、今は大人の息子のリトルリーグチームを指導したとき、彼はほとんどのピッチでスイングしないように男の子を訓練しました。これは、彼らと相手の両親の両方を激怒させたが、チームに勝った一連のチャンピオンシップ。
2016年のトランプの選挙は、かつてAFL-CIOを支配していたブルーカラーの白人有権者の間での彼の異常な強さのおかげで、ポドホルツァーに有権者の行動についての彼の仮定に疑問を投げかけました。彼は毎週数を計算するメモを小さな同盟国に回覧し、DCで戦略セッションを主催し始めましたが、選挙自体について心配し始めたとき、彼は妄想的に見えたくありませんでした。彼が2019年10月のニュースレターで懸念を紹介したのは、数か月の調査の後でした。大統領自身が選挙を妨害しようとした状況では、データ、分析、投票の通常のツールでは不十分でした。「私たちの計画のほとんどは、選挙日を通して私たちを連れて行きます」と彼は言いました。「しかし、私たちは2つの最も可能性の高い結果に備えていません」-トランプは負けて譲歩を拒否し、そしてトランプは、主要な州の投票プロセスを破壊することによって選挙人団に勝ちました(人気投票を失ったにもかかわらず)。「私たちは、この選挙を体系的に「レッドチーム」にする必要があります。そうすることで、私たちが直面するであろう最悪の事態を予測し、計画することができます。」
これらの用語で考えているのはポドホルツァーだけではないことが判明しました。彼は力を合わせたいと熱望している他の人たちから聞き始めました。「レジスタンス」組織の連合であるファイトバックテーブルは、選挙の争いの可能性についてシナリオプランニングを開始し、地方および全国レベルのリベラルな活動家を彼らが民主主義防衛連合と呼んでいるものに集めました。選挙権と公民権団体は警鐘を鳴らしていた。元選出された役人のグループは、トランプが悪用するのではないかと恐れている緊急権力を調査していました。Protect Democracyは、超党派の選挙危機タスクフォースを結成していました。「大声で言うと、人々は同意したことがわかりました」とポドホルツァーは言います。「そしてそれは勢いを増し始めました。」
彼は何ヶ月もシナリオを熟考し、専門家と話をしました。トランプを危険な独裁者と見なしたリベラル派を見つけるのは難しいことではありませんでしたが、ポドホルツァーはヒステリーを避けるように注意しました。彼が知りたかったのは、アメリカの民主主義がどのように死にかけているのかではなく、それがどのように生き続けられるのかということでした。米国と民主主義への理解を失った国々との主な違いは、アメリカの分散型選挙制度は一挙に装備することができなかったということでした。それはそれを支える機会を提供しました。
同盟
3月3日、ポドホルツァーは「2020年選挙への脅威」というタイトルの3ページの機密メモを起草しました。「トランプは、これは公正な選挙ではないこと、そして彼自身の再選以外は「偽物」で不正なものとして拒否することを明らかにした」と彼は書いた。「11月3日、メディアが別の方法で報道した場合、彼は右翼の情報システムを使用して彼の物語を確立し、支持者に抗議するよう促します。」このメモは、有権者への攻撃、選挙管理への攻撃、トランプの政敵への攻撃、そして「選挙の結果を逆転させるための努力」という4つのカテゴリーの課題を示しました。
その後、COVID-19は予備選挙シーズンの最盛期に噴火しました。通常の投票方法は、投票所に通常スタッフを配置する���権者やほとんどの高齢のボランティアにとってもはや安全ではありませんでした。しかし、郵便投票に対するトランプの十字軍によって激化した政治的意見の不一致により、一部の州では不在者投票を容易にし、管轄区域はそれらの投票を適時に数えることができませんでした。混沌が続いた。オハイオ州は、プライマリーへの直接投票を停止し、投票率はごくわずかになりました。ウィスコンシン州の民主党の黒人人口が非常に多いミルウォーキーでの投票所労働者の不足により、182か所から5か所の投票所が残った。ニューヨークでは開票に1か月以上かかった。
突然、11月のメルトダウンの可能性が明らかになりました。DC郊外の彼のアパートで、ポドホルツァーは彼の台所のテーブルで彼のラップトップから働き始め、進歩的な宇宙全体の彼の連絡先のネットワークで1日何時間も連続したズーム会議を開催しました。プランドペアレントフッドやグリーンピースのような制度的左翼。IndivisibleやMoveOnなどのレジスタンスグループ。プログレッシブデータオタクとストラテジスト、ドナーと財団の代表者、州レベルの草の根組織者、人種平等活動家など。
4月、Podhorzerは毎週2時間半のZoomのホストを開始しました。それは、広告が機能していたものからメッセージング、法的戦略に至るまで、すべてについての一連の5分間の迅速なプレゼンテーションを中心に構成されていました。招待制の集会はすぐに数百人を魅了し、困難な進歩的運動のための珍しい共有知識の基盤を作りました。「左についてゴミを話す危険を冒して、良い情報共有はあまりありません」と、世論調査でテストされたメッセージングガイダンスがグループのアプローチを形作ったPodhorzerの親友であるAnatShenker-Osorioは言います。「ここでは発明されていない症候群がたくさんあります。そこでは、人々がそれを思い付かなかった場合、人々は良い考えを考えません。」
会合は、重複する目標を共有したが、通常は協調して機能しなかった、左側にいる一連の工作員の銀河中心となった。このグループには名前もリーダーも階層もありませんでしたが、異種のアクターの同期を維持していました。「ポッドは、移動インフラストラクチャのさまざまな部分の通信と調整を維持する上で重要な舞台裏の役割を果たしました」と、働く家族達の党のナショナルディレクターであるモーリスミッチェルは述べています。「あなたには訴訟スペース、組織スペース、Wに焦点を合わせた政治家がいて、彼らの戦略は常に一致しているわけではありません。彼はこのエコシステムが連携することを許可しました。」
選挙を守るには、前例のない規模の努力が必要です。2020年が進むにつれ、議会、シリコンバレー、そして国の州議会議事堂にまで拡大しました。それは夏の人種的正義の抗議からエネルギーを引き出し、その指導者の多くは自由同盟の重要な部分でした。そして最終的には通路を越えて、民主主義への攻撃に愕然としたトランプに懐疑的な共和党員の世界に到達しました。
投票の保護
最初の課題は、パンデミックの真っ只中にある、アメリカの不安定な選挙インフラストラクチャの見直しでした。選挙を管理する何千人もの地元の、ほとんど無党派の役人にとって、最も緊急の必要性はお金でした。彼らはマスク、手袋、手指消毒剤などの保護具を必要としていました。彼らは、不在者投票ができることを人々に知らせるはがきの代金を支払う必要がありました。州によっては、すべての有権者に投票用紙を郵送する必要がありました。投票用紙を処理するには、追加のスタッフとスキャナーが必要でした。
3月、活動家は議会にCOVID救済金を選挙管理に振り向けるよう訴えた。市民と人権に関するリーダーシップ会議が主導し、150以上の組織が、20億ドルの選挙資金を求める議会のすべての議員に宛てた書簡に署名しました。それは幾分成功しました。その月の後半に可決されたCARES法には、州の選挙管理者への4億ドルの助成金が含まれていました。しかし、救援資金の次のトランシェはその数に追加されませんでした。それは十分ではありませんでした。
民間の慈善活動が違反に踏み込んだ。さまざまな財団が選挙管理資金に数千万ドルを寄付しました。チャンザッカーバーグイニシアチブは3億ドルをチップしました。「2,500人の地方選挙職員が彼らのニーズを満たすために慈善助成金を申請することを余儀なくされたのは連邦レベルでの失敗でした」とホームインスティテュートで無党派の全国投票を率いる元デンバー選挙職員であるアンバーマクレイノルズは言います。
マクレイノルズの2年前の組織は、適応に苦労している国の情報センターになりました。研究所は、両当事者から国務長官に、使用するベンダーからドロップボックスの配置方法まで、すべてに関する技術的なアドバイスを提供しました。地方公務員は選挙情報の最も信頼できる情報源ですが、報道官を雇う余裕のある人はほとんどいないため、研究所はコミュニケーションツールキットを配布しました。ポドホルツァーのグループへのプレゼンテーションで、マクレイノルズは投票所の列を短くし、選挙危機を防ぐための不在者投票の重要性を詳しく述べました。
研究所の仕事は37の州とDCが郵便投票を強化するのを助けました。しかし、人々が利用しなければ、それはあまり価値がありません。課題の一部はロジスティックでした。州ごとに、投票をいつどのように要求して返送するかについて異なるルールがあります。投票者参加センターは、通常の年には戸別訪問を展開する地元のグループが投票を行うのを支援していましたが、代わりに4月と5月にフォーカスグループを実施して、人々が郵送で投票できるようにする方法を見つけました。8月と9月に、主要州の1,500万人に投票用紙を送付し、そのうち460万人が投票用紙を返却しました。郵送やデジタル広告で、グループは人々に選挙日を待たないように促した。「私たちが17年間行ってきたすべての作業は、民主主義を人々の玄関口にもたらすこの瞬間のために構築されました」と、センターのCEOであるTomLopachは述べています。
努力は、いくつかのコミュニティで高まった懐疑論を克服しなければなりませんでした。多くの黒人有権者は、フランチャイズを直接行使することを好むか、メールを信用しませんでした。国の公民権団体は地元の組織と協力して、これが自分の投票が確実にカウントされるようにするための最良の方法であるということを知らせました。たとえば、フィラデルフィアでは、支持者がマスク、手指消毒剤、情報パンフレットを含む「投票安全キット」を配布しました。「これは安全で信頼性が高く、信頼できるというメッセージを発信する必要がありました」と、All Voting IsLocalのHannahFried氏は言います。
同時に、民主党の弁護士は、選挙前の訴訟の歴史的な流れと戦いました。パンデミックは、法廷での当事者の通常の絡み合いを激化させた。しかし、弁護士は他の何かにも気づきました。ブレナンセンターの投票権専門家であるウェンディ・ワイザー氏は、「トランプキャンペーンによって提起された、郵便投票に疑問を投げかけるためのより広範なキャンペーンを伴う訴訟は、斬新な主張を行い、裁判所がこれまで受け入れたことのない理論を使用していた」と述べています。 NYUの正義のために。「彼らは、法的結果を達成するのではなく、メッセージを送信するように設計された訴訟のように読んでいます。」
結局、2020年には有権者のほぼ半数が郵送で投票しました。これは事実上、人々の投票方法に革命をもたらしました。約4分の1が期日前投票を行いました。投票者の4分の1だけが、従来の方法で投票を行います。選挙日に直接投票します。
偽情報の防御
虚偽の情報を広める悪意のある人物は目新しいことではありません。何十年もの間、選挙は選挙が再スケジュールされたと主張する匿名の電話から候補者の家族についての厄介な塗抹標本を広めるチラシまで、キャンペーンはすべてに取り組んできました。しかし、トランプの嘘と陰謀説、ソーシャルメディアのバイラルな力、そして外国のメドラーの関与は、偽情報を2020年の投票に対するより広く、より深い脅威にしました。
カタリストを共同設立したベテランの進歩的な工作員であるローラ・クインは、数年前にこの問題の研究を始めました。彼女は、オンラインで偽情報を追跡し、それと戦う方法を見つけようとした、これまで公に議論されたことのない名前のない秘密のプロジェクトを操縦しました。1つのコンポーネントは、他の方法では気付かれずに広がる可能性のある危険な嘘を追跡していました。次に、研究者は、情報源を追跡して公開するために、キャンペーン担当者またはメディアに情報を提供しました。
しかし、クインの研究からの最も重要なポイントは、有毒なコンテンツを扱うことはそれを悪化させるだけだったということでした。「攻撃されたときの本能は、押し戻して、「これは真実ではない」と言って声をかけることです」とクインは言います。「しかし、エンゲージメントが増えるほど、プラットフォームはそれを後押しします。アルゴリズムはそれを次のように読み取ります。 'ああ、これは人気があります。人々はそれをもっと望んでいます。」
解決策は、偽情報を広めるコンテンツやアカウントを削除することと、そもそもそれをより積極的に取り締まることの両方によって、プラットフォームにルールを適用するよう圧力をかけることであると彼女は結論付けました。「プラットフォームには特定の種類の悪意のある動作に対するポリシーがありますが、それらを強制していません」と彼女は言います。
クインの研究は、ソーシャルメディアプラットフォームをより厳しい方向に向かわせることを提唱する支持者に弾薬を与えました。2019年11月、マーク・ザッカーバーグは9人の公民権指導者を自宅での夕食会に招待しました。そこでは、すでにチェックされずに広がっている選挙関連の虚偽の危険性について警告しました。出席した市民と人権に関するリーダーシップ会議の社長兼最高経営責任者(CEO)であるバニタグプタは、次のように述べています。夕食はツイッターのCEO、ジャック・ドーシーらとも会った。(グプタはバイデン大統領から司法次官に指名されました。)「苦労しましたが、彼らが問題を理解するようになりました。十分でしたか?おそらくそうではありません。思ったより遅かったですか?はい。
言葉を広める
悪い情報と戦うだけでなく、急速に変化する選挙プロセスを説明する必要がありました。トランプ氏の発言にもかかわらず、郵送による投票は詐欺の影響を受けにくく、一部の州が選挙の夜に開票を終えなければ正常であるということを有権者が理解することが重要でした。
民主党の元下院の指導者であるディック・ゲッパートは、強力なロビイストになり、1つの連合を率いた。「私たちは、主に一般市民へのメッセージだけでなく、国務長官、司法長官、知事などの地方公務員との話し合いを目的とした、元選出された公務員、内閣秘書、軍の指導者などの本当に超党派のグループを作りたかったのです。嵐の目-私たちが助けたいと彼らに知らせるために」と、民間部門で彼の連絡先を働いて努力の後ろに2000万ドルを置いたジェファードは言います。
元GOP下院議員であるWampは、無党派の改革グループであるIssue Oneを通じて、共和党を結集させました。「私たちは、自由で公正な選挙を構成するものの周りに、超党派の統一要素をもたらすべきだと考えました」とワンプ氏は言います。選挙の完全性に関する国民議会の22人の民主党員と22人の共和党員は、少なくとも週に1回ズームで会合した。彼らは6つの州で広告を掲載し、声明を発表し、記事を書き、潜在的な問題について地方公務員に警告しました。「これが正直であるという考えに基づいて評議会で奉仕することに同意したトランプ支持者が熱狂的でした」とWampは言います。これは、トランプが勝ったときにリベラル派を説得するためにも同じくらい重要になるだろうと彼は彼らに言った。「どちらの方法でも、私たちは一緒に固執するつもりです。」
Voting Rights LabとIntoActionは、州固有のミームとグラフィックを作成し、電子メール、テキスト、Twitter、Facebook、Instagram、TikTokで広め、すべての投票をカウントするように促しました。合わせて、10億回以上視聴されました。Protect Democracyの選挙タスクフォースは、政治的スペクトル全体で著名な専門家とのレポートを発行し、メディアブリーフィングを開催しました。その結果、潜在的な選挙問題が広く報道され、トランプの虚偽の主張が事実確認されました。組織の追跡調査では、メッセージが聞かれていることがわかりました。選挙の夜に勝者を知ることを期待していなかった一般市民の割合は、10月下旬までに70%を超えるまで徐々に増加しました。過半数はまた、長期のカウントは問題の兆候ではないと信じていました。「私たちはトランプが何をしようとしているのかを正確に知っていました。彼は、民主党が郵送で投票し、共和党が直接投票したという事実を利用して、自分が先を行っているように見せ、勝利を主張し、郵送による投票は不正であると述べ、彼らを捨てさせようとした」とプロテクトは言う民主党の盆地。事前に国民の期待を設定することは、それらの嘘を弱めるのに役立ちました。
アンバー・マクレイノルズ、ザック・ワンプ、モーリス・ミッチェル レイチェル・ウールフfor TIME; Erik Schelzig-AP / Shutterstock; Holly Pickett—ニューヨークタイムズ/ Redux
同盟は、Podhorzer'sZoomsで発表されたShenker-Osorioの研究から共通のテーマを採用しました。調査によると、投票が重要であると思わない場合や、投票が面倒になることを恐れている場合は、参加する可能性がはるかに低くなります。選挙シーズンを通して、ポドホルツァーのグループのメンバーは、有権者の脅迫の事件を最小限に抑え、トランプが譲歩を拒否すると予想されることについてのリベラルなヒステリーの高まりを抑えました。彼らは、彼らを関与させることによって虚偽の主張を増幅したり、不正なゲームを提案することによって人々を投票から遠ざけたりしたくありませんでした。「あなたが言うとき、 『これらの詐欺の主張は偽物です』、人々が聞くのは 『詐欺』です」とシェンカー・オソリオは言います。「私たちが選挙前の調査で見たのは、トランプの力を再確認したり、権威主義���として彼をキャストしたりすると、人々の投票意欲が低下したということでした。」
一方、ポドホルツァーは、世論調査がトランプの支持を過小評価していることを知っているすべての人に警告していた。選挙日の前にポドホルツァーと話をした主要なネットワークの政治ユニットのメンバーによると、彼が選挙を呼ぶメディア組織と共有したデータは、投票が行われたときに何が起こっていたかを理解するのに「非常に役立ちました」。ほとんどのアナリストは、主要な戦場に「青方偏移」があることを認識していました。これは、郵送投票の集計によって引き起こされた民主党への投票の急増ですが、選挙日にトランプがどれほど優れているかを理解していませんでした。 。「不在者投票の規模と州ごとの差異を文書化できることが不可欠でした」とアナリストは言います。
人々の力
5月のジョージフロイドの殺害によって引き起こされた人種的正義の反乱は、主に政治運動ではありませんでした。それを導くのを助けた主催者は、それが政治家によって採用されることを許さずに選挙のためにその勢いを利用したかった。それらの主催者の多くは、民主主義防衛連合と提携した激戦州の活動家から、黒人生活運動で主導的な役割を果たしている組織まで、ポドホルツァーのネットワークの一部でした。
人々の声が確実に聞こえるようにする最善の方法は、投票する能力を保護することであると彼らは決定しました。「私たちは、伝統的な選挙保護地域を補完するだけでなく、警察への通報に依存しないプログラムについて考え始めました」と、働く家族達の党の全国組織ディレクターであるネリーニスタンプは言います。彼らは、従来の世論調査ウォッチャーとは異なり、エスカレーション解除技術の訓練を受けた「選挙擁護者」の力を生み出しました。期日前投票中および選挙日に、彼らは都市部の有権者の列を「投票への喜び」の努力で囲み、投票をストリートパーティーに変えました。黒人の主催者はまた、投票所が彼らのコミュニティで開かれたままであることを確実にするために何千人もの投票所労働者を募集しました。
夏の蜂起は、人々の力が大きな影響を与える可能性があることを示していました。トランプが選挙を盗もうとした場合、活動家はデモを再演する準備を始めた。「トランプが選挙に干渉した場合、アメリカ人は広範な抗議を計画している」とロイターは10月に報告した。そのような多くの話の1つである。Women'sMarchからSierraClub、Color of Change、Democrats.comからDemocratic Socialists of Americaまで、150を超えるリベラルなグループが「ProtecttheResults」連合に参加しました。グループの現在は機能していないウェブサイトには、400の選挙後のデモンストレーションがリストされた地図があり、11月4日からテキストメッセージでアクティブになります。
ストレンジベッドフェロー
選挙日の約1週間前に、ポドホルツァーは予期しないメッセージを受け取りました。全米商工会議所が話したかったのです。
AFL-CIOと商工会議所には長い敵意の歴史があります。どちらの組織も明らかに党派的ではありませんが、影響力のあるビジネスロビーは、国の組合が数億ドルを民主党に注ぎ込んでいるように、共和党のキャンペーンに数億ドルを注ぎ込んでいます。一方は労働であり、他方は経営者であり、権力と資源をめぐる永遠の闘争に閉じ込められています。
しかし、舞台裏では、経済界は選挙とその余波がどのように展開するかについての独自の不安な議論に従事していました。夏の人種的正義の抗議は、事業主にも信号を送りました:経済を混乱させる市民の混乱の可能性。商工会議所の副大統領兼最高政策責任者であるニール・ブラッドリーは、次のように述べています。これらの懸念により、商工会議所は、ワシントンを拠点とするCEOのグループであるビジネス円卓会議、および製造業者、卸売業者、小売業者の協会との選挙前声明を発表し、投票が数えられるにつれて忍耐と自信を求めました。
しかし、ブラッドリーはより広く、より超党派的なメッセージを送りたかったのです。彼は仲介者を通じてポドホルツァーに連絡を取り、両方の男性は名前を挙げなかった。彼らのありそうもない同盟が強力であることに同意して、彼らは公正で平和な選挙への彼らの組織の共通のコミットメントを誓約する共同声明について議論し始めました。彼らは慎重に言葉を選び、最大の影響を与えるために声明の発表を予定しました。それが完成するにつれ、クリスチャンの指導者たちは参加への関心を示し、その範囲をさらに広げました。
この声明は、選挙日に、商工会議所のCEOであるトーマスドノヒュー、AFL-CIOのリチャードトルムカ会長、および全米福音派協会と全米アフリカ系アメリカ人聖職者ネットワークの長の名前で発表されました。「選挙管理人には、適用法に従ってすべての投票を数えるためのスペースと時間を与えることが不可欠です」と述べています。「私たちは、メディア、候補者、そしてアメリカの人々に、通常よりも時間がかかるとしても、私たちのシステムへのプロセスと信頼に忍耐を行使するよう呼びかけます。」グループはさらに、「投票の上下で望ましい結果に常に同意するとは限らないが、暴力、脅迫、または国家としての弱体化をもたらすその他の戦術なしにアメリカの民主的プロセスを進めることを求めて団結している」と付け加えた。
見せて、立って
選挙の夜は、多くの民主党員が絶望したことから始まりました。トランプは選挙前の世論調査に先んじて走り、フロリダ、オハイオ、テキサスを簡単に勝ち取り、ミシガン、ウィスコンシン、ペンシルベニアを呼び寄せることができなかった。しかし、私がその夜彼に話しかけたとき、ポドホルツァーは動揺していませんでした。リターンは彼のモデリングと正確に一致していました。彼は何週間もの間、トランプの投票率が急上昇していると警告していた。数字がドリブルしたとき、彼はすべての票が数えられている限り、トランプは負けるだろうと言うことができました。
午後11時のズームコールのために集まった自由同盟。数百人が参加しました。多くの人がびっくりしていました。「私とその瞬間のチームにとって、私たちがすでに知っていたことが真実であると地に足をつけるのを助けることは本当に重要でした」と民主主義防衛連合のディレクターであるアンジェラ・ピープルズは言います。ポドホルツァーは、勝利が手元にあることをグループに示すためのデータを提示しました。
彼が話している間、フォックスニュースはアリゾナにバイデンを呼んでみんなを驚かせた。啓発キャンペーンはうまくいきました。テレビのアンカーは、注意を促し、投票数を正確に組み立てるために後ろ向きに曲がっていました。次に、問題は次に何をすべきかということになりました。
その後の会話は、抗議戦略を担当する活動家が率いる難しい会話でした。「私たちは、大勢の人を通りに移動させるのに適切な時期がいつであるかを意識したかったのです」とピープルズは言います。彼らが力を発揮することを熱望していたのと同じくらい、すぐに動員することは裏目に出て人々を危険にさらす可能性がありました。激しい衝突に発展した抗議は、トランプが夏の間持っていたように連邦捜査官または軍隊を送る口実を与えるでしょう。そして、同盟はトランプと戦い続けることによってトランプの不満を高めるのではなく、人々が話したメッセージを送りたかったのです。
それで、言葉は出ました:立ちなさい。Protect the Resultsは、「今日、全国の動員ネットワーク全体を活性化するのではなく、必要に応じて活性化する準備ができている」と発表しました。Twitterで、憤慨した進歩主義者たちは何が起こっているのか疑問に思いました。なぜ誰もトランプのクーデターを止めようとしなかったのですか?すべての抗議はどこにありましたか?
ポドホルツァーは、活動家たちの抑制を認めています。「彼らは水曜日に街頭に出る準備をするのにとても多くの時間を費やしました。しかし、彼らはそれをしました」と彼は言います。「水曜日から金曜日まで、誰もが予想していたようなアンティファ対プラウドボーイズの事件は1件もありませんでした。そしてそれが実現しなかったとき、私はトランプキャンペーンがバックアップ計画を持っていたとは思わない。」
活動家たちは、週末のお祝いに向けて、プロテクト・ザ・リザルトの抗議行動の方向を変えました。「私たちの自信を持って彼らの偽情報に対抗し、祝う準備をしてください」と、11月6日金曜日にリベラル同盟に提示されたメッセージガイダンスShenker-Osorioを読んでください。雰囲気:自信があり、前向きで、統一されています。受動的ではなく、不安です。」候補者ではなく、有権者が物語の主人公になるでしょう。
祝賀会の予定日は、11月7日に行われた選挙と偶然に一致しました。フィラデルフィアの街で踊っている活動家は、トランプキャンペーンの記者会見の試みでビヨンセを爆破しました。トランパーズの次のコンファブは、市内中心部の外にあるフォーシーズンズトータルランドスケープに予定されていましたが、活動家は偶然ではないと信じています。「フィラデルフィアの人々はフィラデルフィアの通りを所有していました」と、働く家族達の党のミッチェルは鳴きます。「私たちは、民主主義の楽しいお祝いと彼らのピエロのショーを対比することによって、彼らをばかげているように見せました。」
投票は数えられていた。トランプは負けていた。しかし、戦いは終わっていませんでした。
勝利への5つのステップ
ポドホルツァーのプレゼンテーションでは、投票に勝つことは選挙に勝つための最初のステップにすぎませんでした。その後、カウントを獲得し、認定を獲得し、選挙人団を獲得し、移行を獲得しました。これは通常は手続きですが、トランプが混乱の機会と見なすと彼は知っていました。地元の共和党員に対するトランプの圧力が危険なほど働きに近づき、自由主義的で保守的な民主化推進勢力がそれに対抗するために加わったミシガン州ほど、それが明白な場所はありません。
デトロイトでの選挙の夜の午後10時頃、大量のテキストがArt ReyesIIIの電話を照らしました。多数の共和党選挙監視員がTCFセンターに到着し、そこで投票が集計されていました。彼らは開票台を混雑させ、マスクの着用を拒否し、ほとんどが黒人労働者をやじていた。We the PeopleMichiganを率いるフリント出身のReyesはこれを期待していました。何ヶ月もの間、保守的なグループは都市の不正投票について疑惑を投げかけていました。「言葉は、 『彼らは選挙を盗むつもりです。デトロイトでは、投票が行われるずっと前に詐欺が発生するでしょう」とレイエスは言います。
トランプ支持者は、11月4日にデトロイトのTCFセンターで投票数を混乱させようとしています エレインクロミー—ゲッティイメージズ
彼はアリーナに行き、彼のネットワークに言葉を送りました。45分以内に、数十の援軍が到着しました。彼らが内部の共和党のオブザーバーにカウンターウェイトを提供するためにアリーナに入ったとき、レイエスは彼らの携帯電��番号を削除し、それらを大規模なテキストチェーンに追加しました。デトロイトウィルブリーズの人種平等活動家は、フェムズフォーデムズの郊外の女性や地元の選出された役人と一緒に働きました。レイエスは午前3時に出発し、テキストチェーンを障害者活動家に引き渡しました。
彼らが選挙認証プロセスのステップを計画したとき、活動家は人々の決定権を前景にし、彼らの声を聞くことを要求し、黒人デトロイトの権利を剥奪することの人種的影響に注意を喚起する戦略に落ち着きました。彼らはウェイン郡の選挙運動委員会の11月17日の認証会議にメッセージの証言を殺到した。トランプのツイートにもかかわらず、共和党の理事会メンバーはデトロイトの投票を証明した。
選挙管理委員会は1つの圧力ポイントでした。もう1つは、共和党が管理する立法府で、トランプは選挙の無効を宣言し、自分の選挙人を任命できると信じていました。そのため、大統領は11月20日、ミシガン州議会の共和党指導者であるリー・チャットフィールド下院議長とマイク・シャーキー上院議長をワシントンに招待した。
それは危険な瞬間でした。チャットフィールドとシャーキーがトランプの入札を行うことに同意した場合、他の州の共和党員も同様にいじめられる可能性があります。「私は物事がおかしくなるのではないかと心配していました」と元ミシガン州共和党の事務局長であるジェフ・ティマーは反トランプ活動家になりました。Norm Eisenは、それを選挙全体の「最も恐ろしい瞬間」と表現しています。
民主主義の擁護者たちは、全面的な報道を開始した。Protect Democracyの地元の連絡先は、議員の個人的および政治的動機を調査しました。Issue Oneは、ランシングでテレビ広告を掲載しました。商工会議所のブラッドリーは、プロセスを綿密に監視していました。元共和党議員のワンプは、元同僚のマイク・ロジャースに電話をかけた。マイク・ロジャースは、有権者の意志を尊重するよう当局に促すデトロイト新聞の論説を書いた。ミシガン州の元知事3人、共和党のジョン・エングラー、リック・スナイダー、民主党のジェニファー・グランホルムは、ミシガン州の選挙人票をホワイトハウスからの圧力から解放するよう共同で求めた。元ビジネス円卓会議の責任者であるエングラーは、影響力のあるドナーや、議員に個人的に圧力をかけることができる共和党の長老​​政治家に電話をかけた。
民主化推進勢力は、共和党全国委員会の議長であるロナ・マクダニエルと、元教育長官で億万長者のGOPドナーのメンバーであるベッツィ・デヴォスの同盟国によって支配されているミシガン州のトランピッドGOPに反対しました。11月18日の彼のチームとの電話で、バッシンは彼の側の圧力がトランプが提供できるものに匹敵しないことを発散した。「もちろん、彼は彼らに何かを提供しようとします」とバッサンは考えたことを思い出します。「宇宙軍の長!どこへでも大使!にんじんを提供することでそれと競争することはできません。スティックが必要です。」
トランプが個人的な好意と引き換えに何かを提供した場合、それは賄賂を構成する可能性が高い、とバッシンは推論した。彼はミシガン大学の法学教授であるリチャード・プリムスに電話をかけて、プリムスが同意し、公に議論するかどうかを確認した。プリムス氏は、会議自体は不適切だと考え、州の司法長官である民主党員は調査せざるを得ないだろうと警告するポリティコの論説に取り掛かったと述べた。記事が11月19日に投稿されたとき、司法長官のコミュニケーションディレクターはそれをツイートしました。Protect Democracyはすぐに、議員が翌日トランプとの会合に弁護士を連れてくることを計画しているという知らせを受けました。
レイエスの活動家は、フライトスケジュールをスキャンし、シャーキーのDCへの旅の両端で空港に群がり、議員が精査されていることを強調しました。会談後、二人は大統領に彼らの構成員にCOVID救済を提供するよう圧力をかけ、選挙プロセスに何の役割も見られないと彼に知らせた。それから彼らはペンシルバニアアベニューのトランプホテルに飲みに行きました。ストリートアーティストは、THE WORLD IS WATCHINGという言葉とともに、彼らのイメージを建物の外に投影しました。
それは最後の一歩を残しました:2人の民主党員と2人の共和党員で構成された州の選挙運動委員会。DeVos家の政治的非営利団体に雇われたトランパーである1人の共和党員は、認証に投票することを期待されていませんでした。取締役会の他の共和党員は、アーロン・ヴァン・ランゲヴェルデというあまり知られていない弁護士でした。彼は自分が何をしようとしているのかについての合図を送らず、全員を追い詰めた。
会議が始まると、レイエスの活動家たちはライブストリームを氾濫させ、Twitterにハッシュタグ#alleyesonmiを付けました。一桁の出席に慣れているボードは、突然数千人の聴衆に直面しました。数時間の証言の中で、活動家たちは、公務員を叱るのではなく、有権者の希望を尊重し、民主主義を肯定するというメッセージを強調した。Van Langeveldeは、前例に従うことをすぐに合図しました。投票は3-0でした。他の共和党員は棄権した。
その後、ドミノが倒れた。ペンシルベニア州、ウィスコンシン州、およびその他の州が選挙人を認定しました。アリゾナ州とジョージア州の共和党幹部は、トランプのいじめに立ち向かった。そして選挙人団は12月14日に予定通りに投票した。
私たちがどのように閉じるか
ポドホルツァーの心に最後のマイルストーンが1つありました。1月6日。議会が選挙人団を集計するために会合する日に、トランプは集会のために彼の支持者をワシントンDCに召喚しました。
驚いたことに、彼の呼びかけに答えた何千人もの人々は、事実上反対デモ参加者に会いませんでした。安全を確保し、騒乱のせいにされないようにするために、残された活動家は「対抗活動を激しく思いとどまらせた」と、ポドホルツァーは1月6日の朝、指を交差させた絵文字で私にテキストメッセージを送った。
Incited by the President, Trump Supporters Violently Storm the Capitol共有
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トランプはその日の午後、議員やマイク・ペンス副大統領が州の選挙人票を拒否する可能性があるという嘘を売り、群衆に話しかけた。彼は彼らに国会議事堂に行って「地獄のように戦う」ように言いました。それから彼は彼らが建物を略奪したのでホワイトハウスに戻った。議員たちが命をかけて逃げ出し、彼自身の支持者が撃たれて踏みにじられたとき、トランプは暴動を「非常に特別」だと賞賛した。
それは民主主義に対する彼の最後の攻撃でした、そして再び、それは失敗しました。立ち上がることによって、民主主義運動家は敵を追い出しました。「正直なところ、私たちは歯の皮で勝ちました。それは人々が一緒に座る重要なポイントです」と民主主義防衛連合の人々は言います。「有権者が決定し、民主主義が勝ったと言う衝動があります。しかし、この選挙サイクルが民主主義の強さを示していると考えるのは間違いです。それは民主主義がいかに脆弱であるかを示しています。」
選挙を保護するための同盟のメンバーは、別々の道を進んでいます。ファイトバックテーブルは存続しているものの、民主主義防衛連合は解散しました。民主主義を保護し、良い政府の支持者たちは議会の差し迫った改革に注意を向けました。左翼活動家は、新たに権限を与えられた民主党員に、彼らをそこに置いた有権者を覚えておくよう圧力をかけている一方、公民権団体は、投票に対するさらなる攻撃を警戒している。ビジネスリーダーは1月6日の攻撃を非難し、バイデンの勝利を証明することを拒否した議員にはもはや寄付しないと言う人もいます。ポドホルツァーと彼の同盟国は、まだズーム戦略セッションを開催しており、有権者の意見を測定し、新しいメッセージを作成しています。そしてトランプはフロリダにいて、2度目の弾劾に直面しています。
私が11月と12月にこの記事を報告していたとき、私はトランプの陰謀を阻止したことで誰が信用を得るべきかについて異なる主張を聞いた。自由主義者は、ボトムアップの人々の力の役割、特に有色人種や地元の草の根活動家の貢献を見逃してはならないと主張した。他の人々は、ヴァン・ランゲヴェルデやジョージア州務長官のブラッド・ラフェンスパーガーのような共和党幹部の英雄的行動を強調しました。真実は、どちらも他がなければ成功しなかった可能性が高いということです。「私たちがどれほど近づいたか、これがどれほど壊れやすいかは驚くべきことです」と、元ミシガン州共和党の事務局長であるティマーは言います。「ワイリーE.コヨーテが崖から逃げるようなものです。見下ろさなければ、倒れることはありません。私たちの民主主義は、私たち全員が信じて見下していなければ生き残れません。」
結局、民主主義が勝ちました。人々の意志が勝った。しかし、振り返ってみると、これがアメリカ合衆国で選挙を行うのにかかったものであるというのはクレイジーです。
– LESLIE DICKSTEIN、MARIAH ESPADA、SIMMONESHAHによるレポート
訂正が追加されました、2月5日:この物語の元のバージョンは、ノーム・エイセンの組織の名前を間違えました。これは有権者保護プログラムであり、有権者保護プロジェクトではありません。この物語の元のバージョンはまた、ミシガン共和党でのジェフ・ティマーの以前の立場を誤解していました。彼は会長ではなく事務局長でした。
これは、TIMEの2021年2月15日号に掲載されています。
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guragura000 · 4 years
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自殺未遂
何度も死のうとしている。
これからその話をする。
自殺未遂は私の人生の一部である。一本の線の上にボツボツと真っ黒な丸を描くように、その記憶は存在している。
だけど誰にも話せない。タブーだからだ。重たくて悲しくて忌み嫌われる話題だからだ。皆それぞれ苦労しているから、人の悲しみを背負う余裕なんてないのだ。
だから私は嘘をつく。その時代を語る時、何もなかったふりをする。引かれたり、陰口を言われたり、そういう人だとレッテルを貼られたりするのが怖いから。誰かの重荷になるのが怖いから。
一人で抱える秘密は、重たい。自分のしたことが、当時の感情が、ずっしりと肩にのしかかる。
私は楽になるために、自白しようと思う。黙って平気な顔をしているのに、もう疲れてしまった。これからは場を選んで、私は私の人生を正直に語ってゆきたい。
十六歳の時、初めての自殺未遂をした。
五年間の不登校生活を脱し高校に進学したものの、面白いくらい馴染めなかった。天真爛漫に女子高生��満喫する宇宙人のようなクラスメイトと、同じ空気を吸い続けることは不可能だと悟ったのだ。その結果、私は三ヶ月で中退した。
自信を失い家に引きこもる。どんよりと暗い台所でパソコンをいじり続ける。将来が怖くて、自分が情けなくて、見えない何かにぺしゃんこに潰されてしまいそうだった。家庭は荒れ、母は一日中家にいる私に「普通の暮らしがしたい」と呟いた。自分が親を苦しめている。かといって、この先どこに行っても上手くやっていける気がしない。悶々としているうちに十キロ痩せ、生理が止まった。肋が浮いた胸で死のうと決めた。冬だった。
夜。親が寝静まるのを待ちそっと家を出る。雨が降っているのにも関わらず月が照っている。青い光が濁った視界を切り裂き、この世の終わりみたいに美しい。近所の河原まで歩き、濡れた土手を下り、キンキンに冷えた真冬の水に全身を浸す。凍傷になれば数分で死に至ることができると聞いた。このままもう少しだけ耐えればいい。
寒い!私の体は震える。寒い!あっという間に歯の根が合わなくなる。頭のてっぺんから爪先までギリギリと痛みが駆け抜け、三秒と持たずに陸へ這い上がった。寒い、寒いと呟きながら、体を擦り擦り帰路を辿る。ずっしりと水を含んだジャージが未来のように重たい。
風呂場で音を立てぬよう泥を洗い流す。白いタイルが砂利に汚されてゆく。私は死ぬことすらできない。妙な落胆が頭を埋めつくした。入水自殺は無事、失敗。
二度目の自殺未遂は十七歳の時だ。
その頃私は再入学した高校での人間関係と、精神不安定な母との軋轢に悩まされていた。学校に行けば複雑な家庭で育った友人達の、無視合戦や泥沼恋愛に巻き込まれる。あの子が嫌いだから無視をするだのしないだの、彼氏を奪っただの浮気をしているだの、親が殴ってくるだの実はスカトロ好きのゲイだだの、裏のコンビニで喫煙しているだの先生への舌打ちだの⋯⋯。距離感に不器用な子達が多く、いつもどこかしらで誰かが傷つけ合っていた。教室には無気力と混乱が煙幕のように立ち込め、普通に勉強し真面目でいることが難しく感じられた。
家に帰れば母が宗教のマインドコントロールを引きずり「地獄に落ちるかもしれない」などと泣きついてくる。以前意地悪な信者の婆さんに、子どもが不登校になったのは前世の因縁が影響していて、きちんと祈らないと地獄に落ちる、と吹き込まれたのをまだ信じているのだ。そうでない時は「きちんと家事をしなくちゃ」と呪いさながらに繰り返し、髪を振り乱して床を磨いている。毎日手の込んだフランス料理が出てくるし、近所の人が買い物先までつけてくるとうわ言を言っている。どう考えても母は頭がおかしい。なのに父は「お母さんは大丈夫だ」の一点張りで、そのくせ彼女の相手を私に丸投げするのだ。
胸糞の悪い映画さながらの日々であった。現実の歯車がミシミシと音を立てて狂ってゆく。いつの間にやら天井のシミが人の顔をして私を見つめてくる。暗がりにうずくまる家具が腐り果てた死体に見えてくる。階段を昇っていると後ろから得体の知れない化け物が追いかけてくるような気がする。親が私の部屋にカメラを仕掛け、居間で監視しているのではないかと心配になる。ホラー映画を見ている最中のような不気味な感覚が付きまとい、それから逃れたくて酒を買い吐くまで酔い潰れ手首を切り刻む。ついには幻聴が聞こえ始め、もう一人の自分から「お前なんか死んだ方がいい」と四六時中罵られるようになった。
登下校のために電車を待つ。自分が電車に飛び込む幻が見える。車体にすり潰されズタズタになる自分の四肢。飛び込む。粉々になる。飛び込む。足元が真っ赤に染まる。そんな映像が何度も何度も巻き戻される。駅のホームは、どこまでも続く線路は、私にとって黄泉への入口であった。ここから線路に倒れ込むだけで天国に行ける。気の狂った現実から楽になれる。しかし実行しようとすると私の足は震え、手には冷や汗が滲んだ。私は高校を卒業するまでの四年間、映像に重なれぬまま一人電車を待ち続けた。飛び込み自殺も無事、失敗。
三度目の自殺未遂は二十四歳、私は大学四年生だった。
大学に入学してすぐ、執拗な幻聴に耐えかね精神科を受診した。セロクエルを服用し始めた瞬間、意地悪な声は掻き消えた。久しぶりの静寂に手足がふにゃふにゃと溶け出しそうになるくらい、ほっとする。しかし。副作用で猛烈に眠い。人が傍にいると一睡もできないたちの私が、満員の講義室でよだれを垂らして眠りこけてしまう。合う薬を模索する中サインバルタで躁転し、一ヶ月ほど過活動に勤しんだりしつつも、どうにか普通の顔を装いキャンパスにへばりついていた。
三年経っても服薬や通院への嫌悪感は拭えなかった。生き生きと大人に近づいていく友人と、薬なしでは生活できない自分とを見比べ、常に劣等感を感じていた。特に冬に体調が悪くなり、課題が重なると疲れ果てて寝込んでしまう。人混みに出ると頭がザワザワとして不安になるため、酒盛りもアルバイトもサークル活動もできない。鬱屈とした毎日が続き闘病に嫌気がさした私は、四年の秋に通院を中断してしまう。精神薬が抜けた影響で揺り返しが起こったこと、卒業制作に追われていたこと、就職活動に行き詰まっていたこと、それらを誰にも相談できなかったことが積み重なり、私は鬱へと転がり落ちてゆく。
卒業制作の絵本を拵える一方で遺品を整理した。洋服を売り、物を捨て、遺書を書き、ネット通販でヘリウムガスを手に入れた。どうして卒制に遅れそうな友達の面倒を見ながら遺品整理をしているのか分からない。自分が真っ二つに割れてしまっている。混乱しながらもよたよたと気力で突き進む。なけなしの努力も虚しく、卒業制作の提出を逃してしまった。両親に高額な学費を負担させていた負い目もあり、留年するぐらいなら死のうとこりずに決意した。
クローゼットに眠っていたヘリウムガス缶が起爆した。私は人の頭ほどの大きさのそれを担いで、ありったけの精神薬と一緒に車に積み込んだ。それから山へ向かった。死ぬのなら山がいい。夜なら誰であれ深くまで足を踏み入れないし、展望台であれば車が一台停まっていたところで不審に思われない。車内で死ねば腐っていたとしても車ごと処分できる。
展望台の駐車場に車を突っ込み、無我夢中でガス缶にチューブを繋ぎポリ袋の空気を抜く。本気で死にたいのなら袋の酸素濃度を極限まで減らさなければならない。真空状態に近い状態のポリ袋を被り、そこにガスを流し込めば、酸素不足で苦しまずに死に至ることができるのだ。大量の薬を水なしで飲み下し、袋を被り、うつらうつらしながら缶のコックをひねる。シューッと気体が満ちる音、ツンとした臭い。視界が白く透き通ってゆく。死ぬ時、人の意識は暗転ではなくホワイトアウトするのだ。寒い。手足がキンと冷たい。心臓が耳の奥にある。ハツカネズミと同じ速度でトクトクと脈動している。ふとシャンプーを切らしていたことを思い出し、買わなくちゃと考える。遠のいてゆく意識の中、日用品の心配をしている自分が滑稽で、でも、もういいや。と呟く。肺が詰まる感覚と共に、私は意識を失う。
気がつくと後部座席に転がっている。目覚めてしまった。昏倒した私は暴れ、自分でポリ袋をはぎ取ったらしい。無意識の私は生きたがっている。本当に死ぬつもりなら、こうならぬように手首を後ろできつく縛るべきだったのだ。私は自分が目覚めると、知っていた。嫌な臭いがする。股間が冷たい。どうやら漏らしたようだ。フロントガラスに薄らと雪が積もっている。空っぽの薬のシートがバラバラと散乱している。指先が傷だらけだ。チューブをセットする際、夢中になるあまり切ったことに気がつかなかったようだ。手の感覚がない。鈍く頭痛がする。目の前がぼやけてよく見えない。麻痺が残ったらどうしよう。恐ろしさにぶるぶると震える。さっきまで何もかもどうでも良いと思っていたはずなのに、急に体のことが心配になる。
後始末をする。白い視界で運転をする。缶は大学のゴミ捨て場に捨てる。帰宅し、後部座席を雑巾で拭き、薬のシートをかき集めて処分する。ふらふらのままベッドに倒れ込み、失神する。
その後私は、卒業制作の締切を逃したことで教授と両親から怒られる。翌日、何事もなかったふりをして大学へ行き、卒制の再提出の交渉する。病院に保護してもらえばよかったのだがその発想もなく、ぼろ切れのようなメンタルで卒業制作展の受付に立つ。ガス自殺も無事、失敗。
四度目は二十六歳の時だ。
何とか大学卒業にこぎつけた私は、入社試験がないという安易な理由でホテルに就職し一人暮らしを始めた。手始めに新入社員研修で三日間自衛隊に入隊させられた。それが終わると八時間ほぼぶっ続けで宴会場を走り回る日々が待っていた。典型的な古き良き体育会系の職場であった。
朝十時に出社し夜の十一時に退社する。夜露に湿ったコンクリートの匂いをかぎながら浮腫んだ足をズルズルと引きずり、アパートの玄関にぐしゃりと倒れ込む。ほとんど意識のないままシャワーを浴びレトルト食品を貪り寝床に倒れ泥のように眠る。翌日、朝六時に起床し筋肉痛に膝を軋ませよれよれと出社する。不安定なシフトと不慣れな肉体労働で病状は悪化し、働いて二年目の夏、まずいことに躁転してしまった。私は臨機応変を求められる場面でパニックを起こすようになり、三十分トイレにこもって泣く、エレベーターで支離滅裂な言葉を叫ぶなどの奇行を繰り返す、モンスター社員と化してしまった。人事に持て余され部署をたらい回しにされる。私の世話をしていた先輩が一人、ストレスのあまり退社していった。
躁とは恐ろしいもので人を巻き込む。プライベートもめちゃくちゃになった。男友達が性的逸脱症状の餌食となった。五年続いた彼氏と別れた。よき理解者だった友と言い争うようになり、立ち直れぬほどこっぴどく傷つけ合った。携帯電話をハイヒールで踏みつけバキバキに破壊し、コンビニのゴミ箱に投げ捨てる。出鱈目なエネルギーが毛穴という毛穴からテポドンの如く噴出していた。手足や口がばね仕掛けになり、己の意思を無視して動いているようで気味が悪かった。
寝る前はそれらの所業を思い返し罪悪感で窒息しそうになる。人に迷惑をかけていることは自覚していたが、自分ではどうにもできなかった。どこに頼ればいいのか分からない、生きているだけで迷惑をかけてしまう。思い詰め寝床から出られなくなり、勤務先に泣きながら休養の電話をかけるようになった。
会社を休んだ日は正常な思考が働かなくなる。近所のマンションに侵入し飛び降��ようか悩む。落ちたら死ねる高さの建物を、砂漠でオアシスを探すジプシーさながらに彷徨い歩いた。自分がアパートの窓から落下してゆく幻を見るようになった。だが、無理だった。できなかった。あんなに人に迷惑をかけておきながら、私の足は恥ずかしくも地べたに根を張り微動だにしないのだった。
アパートの部屋はムッと蒸し暑い。家賃を払えなければ追い出される、ここにいるだけで税金をむしり取られる、息をするのにも金がかかる。明日の食い扶持を稼ぐことができない、それなのに腹は減るし喉も乾く、こんなに汗が滴り落ちる、憎らしいほど生きている。何も考えたくなくて、感じたくなくて、精神薬をウイスキーで流し込み昏倒した。
翌日の朝六時、朦朧と覚醒する。会社に体調不良で休む旨を伝え、再び精神薬とウイスキーで失神する。目覚めて電話して失神、目覚めて電話して失神。夢と現を行き来しながら、手元に転がっていたカッターで身体中を切り刻み、吐瀉し、意識を失う。そんな生活が七日間続いた。
一週間目の早朝に意識を取り戻した私は、このままでは死ぬと悟った。にわかに生存本能のスイッチがオンになる。軽くなった内臓を引っさげ這うように病院へと駆け込み、看護師に声をかける。
「あのう。一週間ほど薬と酒以外何も食べていません」
「そう。それじゃあ辛いでしょう。ベッドに寝ておいで」
優しく誘導され、白いシーツに倒れ込む。消毒液の香る毛布を抱きしめていると、ぞろぞろと数名の看護師と医師がやってきて取り囲まれた。若い男性医師に質問される。
「切ったの?」
「切りました」
「どこを?」
「身体中⋯⋯」
「ごめんね。少し見させて」
服をめくられる。私の腹を確認した彼は、
「ああ。これは入院だな」
と呟いた。私は妙に冷めた頭で聞く。
「今すぐですか」
「うん、すぐ。準備できるかな」
「はい。日用品を持ってきます」
私はびっくりするほどまともに帰宅し、もろもろを鞄に詰め込んで病院にトンボ帰りした。閉鎖病棟に入る。病室のベッドの周りに荷物を並べながら、私よりももっと辛い人間がいるはずなのにこれくらいで入院だなんておかしな話だ、とくるくる考えた。一度狂うと現実を測る尺度までもが狂うようだ。
二週間入院する。名も知らぬ睡眠薬と精神安定剤を処方され、飲む。夜、病室の窓から街を眺め、この先どうなるのかと不安になる。私の主治医は「君はいつかこうなると思ってたよ」と笑った。以前から通院をサポートする人間がいないのを心配していたのだろう。
退院後、人事からパート降格を言い渡され会社を辞めた。後に勤めた職場でも上手くいかず、一人暮らしを断念し実家に戻った。飛び降り自殺、餓死自殺、無事、失敗。
五度目は二十九歳の時だ。
四つめの転職先が幸いにも人と関わらぬ仕事であったため、二年ほど通い続けることができた。落ち込むことはあるものの病状も安定していた。しかしそのタイミングで主治医が代わった。新たな主治医は物腰柔らかな男性だったが、私は病状を相談することができなかった。前の医師は言葉を引き出すのが上手く、その環境に甘えきっていたのだ。
時給千円で四時間働き、月収は六万から八万。いい歳をして脛をかじっているのが忍びなく、実家に家賃を一、二万入れていたので、自由になる金は五万から七万。地元に友人がいないため交際費はかからない、年金は全額免除の申請をした、それでもカツカツだ。大きな買い物は当然できない。小さくとも出費があると貯金残高がチラつき、小一時間は今月のやりくりで頭がいっぱいになる。こんな額しか稼げずに、この先どうなってしまうのだろう。親が死んだらどうすればいいのだろう。同じ年代の人達は順調にキャリアを積んでいるだろう。資格も学歴もないのにズルズルとパート勤務を続けて、まともな企業に転職できるのだろうか。先行きが見えず、暇な時間は一人で悶々と考え込んでしまう。
何度目かの落ち込みがやってきた時、私は愚かにも再び通院を自己中断してしまう。病気を隠し続けること、精神疾患をオープンにすれば低所得をやむなくされることがプレッシャーだった。私も「普通の生活」を手に入れてみたかったのだ。案の定病状は悪化し、練炭を購入するも思い留まり返品。ふらりと立ち寄ったホームセンターで首吊りの紐を買い、クローゼットにしまう。私は鬱になると時限爆弾を買い込む習性があるらしい。覚えておかなければならない。
その職場を退職した後、さらに三度の転職をする。ある職場は椅子に座っているだけで涙が出るようになり退社した。別の職場は人手不足の影響で仕事内容が変わり、人事と揉めた挙句退社した。最後の転職先にも馴染めず八方塞がりになった私は、家族と会社に何も告げずに家を飛び出し、三日間帰らなかった。雪の降る中、車中泊をして、寒すぎると眠れないことを知った。家族は私を探し回り、ラインの通知は「帰っておいで」のメッセージで埋め尽くされた。漫画喫茶のジャンクな食事で口が荒れ、睡眠不足で小間切れにうたた寝をするようになった頃、音を上げてふらふらと帰宅した。勤務先に電話をかけると人事に静かな声で叱られた。情けなかった。私は退社を申し出た。気がつけば一年で四度も職を代わっていた。
無職になった。気分の浮き沈みが激しくコントロールできない。父の「この先どうするんだ」の言葉に「私にも分からないよ!」と怒鳴り返し、部屋のものをめちゃくちゃに壊して暴れた。仕事を辞める度に無力感に襲われ、ハローワークに行くことが恐ろしくてたまらなくなる。履歴書を書けばぐちゃぐちゃの職歴欄に現実を突きつけられる。自分はどこにも適応できないのではないか、この先まともに生きてゆくことはできないのではないか、誰かに迷惑をかけ続けるのではないか。思い詰め、寝室の柱に時限爆弾をぶら下げた。クローゼットの紐で首を吊ったのだ。
紐がめり込み喉仏がゴキゴキと軋む。舌が押しつぶされグエッと声が出る。三秒ぶら下がっただけなのに目の前に火花が散り、苦しくてたまらなくなる。何度か試したが思い切れず、紐を握り締め泣きじゃくる。学校に行く、仕事をする、たったそれだけのことができない、人間としての義務を果たせない、税金も払えない、親の負担になっている、役立たずなのにここまで生き延びている。生きられない。死ねない。どこにも行けない。私はどうすればいいのだろう。釘がくい込んだ柱が私の重みでひび割れている。
泣きながら襖を開けると、ペットの兎が小さな足を踏ん張り私を見上げていた。黒くて可愛らしい目だった。私は自分勝手な絶望でこの子を捨てようとした。撫でようとすると、彼はきゅっと身を縮めた。可愛い、愛する子。どんな私でいても拒否せず撫でさせてくれる、大切な子。私の身勝手さで彼が粗末にされることだけはあってはならない、絶対に。ごめんね、ごめんね。柔らかな毛並みを撫でながら、何度も謝った。
この出来事をきっかけに通院を再開し、障害者手帳を取得する。医療費控除も障害者年金も申請した。精神疾患を持つ人々が社会復帰を目指すための施設、デイケアにも通い始めた。どん底まで落ちて、自分一人ではどうにもならないと悟ったのだ。今まさに社会復帰支援を通し、誰かに頼り、悩みを相談する方法を勉強している最中だ。
病院通いが本格化してからというもの、私は「まとも」を諦めた。私の指す「まとも」とは、周りが満足する状態まで自分を持ってゆくことであった。人生のイベントが喜びと結びつくものだと実感できぬまま、漠然としたゴールを目指して走り続けた。ただそれをこなすことが人間の義務なのだと思い込んでいた。
自殺未遂を繰り返しながら、それを誰にも打ち明けず、悟らせず、発見されずに生きてきた。約二十年もの間、母の精神不安定、学校生活や社会生活の不自由さ、病気との付き合いに苦しみ、それら全てから解放されたいと願っていた。
今、なぜ私が生きているか。苦痛を克服したからではない。死ねなかったから生きている。死ぬほど苦しく、何度もこの世からいなくなろうとしたが、失敗し続けた。だから私は生きている。何をやっても死ねないのなら、どうにか生き延びる方法を探らなければならない。だから薬を飲み、障害者となり、誰かの世話になり、こうしてしぶとくも息をしている。
高校の同級生は精神障害の果てに自ら命を絶った。彼は先に行ってしまった。自殺を推奨するわけではないが、彼は死ぬことができたから、今ここにいない。一歩タイミングが違えば私もそうなっていたかもしれない。彼は今、天国で穏やかに暮らしていることだろう。望むものを全て手に入れて。そうであってほしい。彼はたくさん苦しんだのだから。
私は強くなんてない。辛くなる度、たくさんの自分を殺した。命を絶つことのできる場所全てに、私の死体が引っかかっていた。ガードレールに。家の軒に。柱に。駅のホームの崖っぷちに。近所の河原に。陸橋に。あのアパートに。一人暮らしの二階の部屋から見下ろした地面に。電線に。道路を走る車の前に⋯⋯。怖かった。震えるほど寂しかった。誰かに苦しんでいる私を見つけてもらいたかった。心配され、慰められ、抱きしめられてみたかった。一度目の自殺未遂の時、誰かに生きていてほしいと声をかけてもらえたら、もしくは誰かに死にたくないと泣きつくことができたら、私はこんなにも自分を痛めつけなくて済んだのかもしれない。けれど時間は戻ってこない。この先はこれらの記憶を受け止め、癒す作業が待っているのだろう。
きっとまた何かの拍子に、生き延びたことを後悔するだろう。あの暗闇がやってきて、私を容赦なく覆い隠すだろう。あの時死んでいればよかったと、脳裏でうずくまり呟くだろう。それが私の病で、これからももう一人の自分と戦い続けるだろう。
思い出話にしてはあまりに重い。医療機関に寄りかかりながら、この世に適応する人間達には打ち明けられぬ人生を、ともすれば誰とも心を分かち合えぬ孤独を、蛇の尾のように引きずる。刹那の光と闇に揉まれ、暗い水底をゆったりと泳ぐ。静かに、誰にも知られず、時には仲間と共に、穏やかに。
海は広く、私は小さい。けれど生きている。まだ生きている。
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plasticdreams · 5 years
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56: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区) [BR] 2019/05/08(水) 11:06:52.21 ID:SLbOsl/a0 >>1のサービスの場合は事業ゴミで間違いないけど、たとえば「BBQした場所からゴミ集積所まで あなたに代わってゴミをお運び致します」みたいな介助的な仕事でも事業ゴミと指摘できる? いえないとしたらサービス全般からゴミ回収部分だけ業務分割して別会社化すればいい 82: 名無しさん@涙目です。(東京都) [US] 2019/05/08(水) 11:34:51.49 ID:/J5/L5E60 >>56 廃掃法読んで。 他人のゴミを運搬するには許可が居る。 他人にゴミを委託する場合は契約が必要で、捨てるときはマニフェストが必要。 68: 名無しさん@涙目です。(愛媛県) [FR] 2019/05/08(水) 11:18:34.77 ID:V6yEqjvW0 >>56 それは家庭ゴミだとしても一般廃棄物処理業として許可もらわないといけなくなるから まず許可降りないな 73: 名無しさん@涙目です。(チベット自治区) [BR] 2019/05/08(水) 11:22:39.92 ID:SLbOsl/a0 >>68 ゴミ袋をゴミ箱まで運ぶだけでは処理とは言えないんじゃ? もちろん分別とかまでやっちゃったら処理も一端を担うことになるけど 77: 名無しさん@涙目です。(愛媛県) [FR] 2019/05/08(水) 11:29:10.79 ID:V6yEqjvW0 >>73 ああごめん、「運搬」も許可いるから。 普通のゴミ収集車だってクリーンセンターまで運搬してるだけだからね
準備から片付けまで全てやってくれる「バーベキューのデリバリー業者」がゴミを公園に捨てている:お料理速報
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福島事務局の大塚真理さん、大いに語る。
東北ユースオーケストラ結成のきっかけは、スイスの世界的に高名な音楽祭、ルツェルン・フェスティバルから東日本大震災のための復興イベントを行いたいとの相談を受けたことからはじまります。
大震災直後から被災三県の学校の楽器を点検、修理し、音楽活動を支援してきた「こどもの音楽再生基金」では、発起人である坂本龍一さんから「子供たちによるオーケストラができないか」というアイデアが出ていました。
2013年のルツェルン主催の宮城県松島での音楽イベントに「東北ユースオーケストラ」という混成オーケストラを編成して指揮者グスターボ・ドゥダメルさんや坂本龍一さんと共演する機会があれば、日本のみならず世界に復興途上の現地の子供たちの姿が発信されるのではないか。
この大きな構想を受け止めてくださったのが、当時福島市のテレビ局、福島テレビが運営されているFTVジュニアオーケストラで事務局を担当されていた大塚真理さんでした。大塚さん無しには、「ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ 松島2013」で「東北ユースオーケストラ」が生まれることはあり得なかったでしょう。そういう意味でも、大塚真理さんはTYOの母であります。
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以来、2015年の団員募集ではチラシを抱えて地元を駆け回ることから、合宿での急病人の対応から、福島市での毎月の合同練習会で団員が出したゴミの後始末から、何から何まで気の効くサポートを受け続けて来ています。時に原発事故の話題になると、国や東電の対応や深刻な影響について声を荒げて話されることがあり、折に触れお話を伺ってきました。しかし、これまで一度もいわゆる「インタビュー」をしたことがなかったと気づきました。そこで、今年も311が近づく2月の1泊2日の合同練習会で二日に渡ってお話を聞いてみたのです。
ー 今日はあらためてお話を伺いたいと思います。まずは福島テレビ(FTV)に入社された頃の話からでいいですか?
FTVには1977年、昭和52年に入社しました。最初は営業管理部で、スポットデスクに配属されました。
(注:「スポットデスク」とは番組と番組の間に入るスポットCMの管理を行うセクションです)
その後は、制作部でサブディレクターになりました。県庁担当で「市政たより」やお母さんのための幼児教育番組「小さな世界」などの制作をしていました。弁当やお花の手配ばかりしていたので、自分のことを「弁当ディレクター」と言っていました。
鼓笛隊パレードとか、当時はジュニアオケの番組もありました。毎年土曜日午後の1時間半番組でスポンサーもついていたんです。昔は自社制作番組が結構ありました。
ー 今では地方局は東京のキー局の番組ばかりになってますからね。福島テレビは当時からフジテレビのネットワーク局だったんですか?
その頃はフジテレビとTBSの2局のネット局だったんです。最強だったですよ。ドリフターズの「8時だよ、全員集合」も「花王名人劇場」も「ザ・ベストテン」も「夜のヒットスタジオ」も金八先生のドラマも「なるほど!ザ・ワールド」も同じ局で放送していたんですよ。
ー それはすごい!わたしが子供の頃に見ていた番組ばかりです。きっと仕事も面白くてしょうがなかったでしょうね。
はい、楽しかったですから結局結婚まで10年勤めました。当時の福島だと30過ぎると結婚が遅いほうなので周りに心配されました(笑)
ー ということは今や珍しい寿退社ですね。一旦お辞めになってからまた復職されたのですね。
わたしの主人が亡くなった時に戻ってこないかと声をかけてもらいました。15年ほど前、いまとにかく困っているから事務を手伝ってくれと言われたんです。
ー 困った時には大塚さんですね(笑)
平成15年、2003年に福島テレビの事業部一年間、契約社員で働きました。そうしたら翌年の2004年からFTVジュニアオーケストラの事務局をやってくれとなりました。その頃には福島テレビの女性社員はほとんどいなくなってたんです。
ー オーケストラとは昔からつながりがあったんですか?
制作部時代、ジュニアオケの番組収録の時にタイムキーパーとして何度か手手伝ったくらいでした。だから頼むれた時も「え、オーケストラ? 音楽は知りませんよ、でも事務はできますよ、予算管理ならできますよ」と言いました。
社内の人たちはよく知ってるし、社内交渉はできる。それに営業と制作で鍛えられたので、段取りはよくわかっている。人生何事も経験で無駄なことは無いとつくづく思います。若い頃の経験が役立ちました。
ー それは大塚さん、適任ですね。でもオーケストラの運営には専門知識も必要ですよね。どうされたんですか?
そもそもトランペットとトロンボーンの違いもわからないくらいだったんです。だから必死で本を読みました。「音楽の友」など音楽雑誌を毎月読んで、フルトヴェングラー、カラヤン、ウイーンフィルなどについての本を気の向くままに読みました。特にNHK交響楽団のオーボエ奏者茂木大輔さんの本は役立ったと思います。
指導していただく先生方の話もチンプンカンプンだったので、楽譜を読めるようにドイツ語とイタリア語の対照表も自分でつくりました。「やさしいクラシック」のような入門向けのCDも片っ端から聴きましたね。
— オーケストラの運営となると、この世界ならではの業務もありますよね。
まずは一所懸命に楽譜の整理をしました。もうそれはそれは楽譜がバラバラだったんです。東京から指導に来ていただいていたパーカッションの先生、大塚敬子先生に教えていただいて、パートごとの並べ方や番号の方を教わったり、それはとても助かりました。
3年やってようやく慣れたかな。予算のこと、楽器のこと、テクニカルタームもわかるようになってきました。だんだん実務が楽しくなってきて、自分から企画が出せるようになってきたんです。
— 大塚さんにとってジュニアオケでの転機となるようなことはありましたか?
6、7年目かな。福島県文化センターでクリスマスコンサートとして竹内ひとみバレエ団とチャイコフスキーの「くるみ割り人形」の全幕をやりました。この企画を出した時は、子供たちがオーケストラピットに入って演奏するから脇役になると、先生方は反対でした。でも子供たちはやりたいと言うんです。だから押し切った(笑)。前半と後半に分けて負担を減らすようにしてね。
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— 一番思い出深いコンサートとなると、どうですか?
ベートーヴェンの第九ですね。わたしがFTVジュニアオーケストラの事務局を辞める年、2013年12月30日でした。会場が福島県文化センターという県の公共施設ですから、年末は通常28日で仕事納めなんです。それを「開けてください」とお願いして、ホールの歴史で初めてのことでした。 この時も大人は反対でした。「忙しいから駄目だへ、無理だべ」とさんざん言われました。でも、子供たちに聞くと「やってみたい」と言うんです。実際やれるんです。子供は「やるよ」と言ったら、やるんです。大人が決めてはいけないんです。
このことは、子どもたちに教えられたことです。子供たちってすごいんですよ。わたしは若い人たちにパワーをもらって生きてきた、助けられて生きてきたんです。大震災から2年経って、福島の復興への想いもありました。
わたしはジュニアオケの仕事も10年で辞めるからと言っていました。わたしの子供も大学を卒業するし、60歳から先は自由に生きるのだと決めていた。だから「歓喜の歌」である、第九をやって締めくくりたいと思ったんです。第九の合唱団も公募で大変だろうと言われたけど、好きなことだから頑張れるんです。そしてサポートしてくれる、先生や周りの人に恵まれていました。
おかげさまで演奏会は大成功となりました。
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— いつも団員インタビューで聞いている質問です。311の時、どこで何をしていましたか?
福島テレビの旧館5階の事務局に一人でいました。いつも2時40分が仕事のひと区切りがつく時間だったんです。だからその日もコーヒーを淹れようと立ち上がったら、携帯の地震警報が鳴りました。もう激しく揺れだしてびっくりしました。逃げようと廊下を走ったけど思うように前に進めないんです。すると壁が部分的に崩れてきた。譜面台は一斉にバタバタと音を立てて倒れ、階段を降りることもできず、エレベーターの角の柱につかまっていました。すると、わたしの背後でコピー機が左へ右へと走ったんです。もうびっくりして、あの時はこのまま一人で死ぬんだと思いましたね。
2回目のほうが揺れが大きくて、長く感じました。そうこうしていると、4階の秘書室の部長が上がってきた。バタンバタン大きな音を立てて動いていた防火扉を止めるためにです。
それで揺れもおさまって3階の事業部に戻ったところ、危ないので外に出ろと言われた。外に出たら、こんどは雷と吹雪になりました。 報道と制作が入っていた新館は、それほどの被害は無かったのですが、旧館が酷かった。あらゆるガラス、窓ガラスがほとんど割れたから、そのあとずーっとベニヤ板で覆うような状態が続きました。よく怪我人が一人も出なかった、奇跡に近いと言われましたね。もう壁もひび割れて「メロンハウスだね」と言って笑うしかなかった。
— 外にしばらくいたのですか?
いったん家に帰れと言われました。家族の安否を確認するために連絡を取りました。そしていったん5階の事務局に戻ったら、テレビもファックスも吹っ飛んでいましたね。ようやく鞄と靴を探して、コートを持って車に乗りました。車内のラジオで津波が発生と聞きました。被害が出てると言うけども、よくわからなかったです。車を運転しても、信号が止まっているので、渋滞はしてなかったけど、道路を渡ることすら思うままにできなくて、交差する車同士で「ごめんなさい」と道を譲ってもらったり譲ったりで、踏切の無い道を選んで車を走らせました。 水道管が破裂したところは、もう道路がわからない状態で、運転しながら足が震えました。もう自分の家が無いのではと思いながら、運転するのに必死でした。道路が陥没して軽自動車が落ちてる脇を通って抜けた時の恐怖。あの時のことを思うといまだに怖いです。 おかげさまで家はあったし、屋根も損傷受けずでしたが、電気ガス水道が止まりました。
— ご家族はみなさんご無事だったのですか?
当時23才だった上の娘が勤めていた銀行がたまたま仕事休みで、いつもはぼーっとしてる娘がセブンイレブンに買いに走ったけど、ほとんど何も無かったと報告してくれました。 78才の父は犬が飛び出さないよう抱えて、いったん家を出たそうです。 80才の母は玄関で動けないでいた。あまりにびっくりして、記憶が無いと言っていますね。もう、ぼーっとしてるしか無かったと。 家族と家は大丈夫だと実際に安否確認でき、会社に報告したらしばらく出社しなくていいと言われました。ちょうど金曜日だったので、それからしばらく家にいましたね。
— 津波のことは後から知ったのですか?
ラジオだけの情報でした。だから津波の悲惨な状況を聞いても想像できなかったですね。電気が戻ってから、テレビの映像で津波を見てショックを受けました。まるで映画のワンシーン。こんなことが起きるんだと思いましたね。家族でみんな生きているに感謝しました。
— 避難所には行かれました?
結局、避難所には一度も行かずでした。2000年問題の時に電気が止まると言われていたので、ストーブがあって、灯油もあったので寒さはしのげました。あと近所の飲めない井戸から水をもらって、ストーブでお湯を沸かして湯たんぽをつくり、その水を利用してトイレも使えました。 近所の井戸水で飲める水があるとの情報を聞きつけ、ガソリンあるうちは車を走らせてもらっていました。 やはり困ったのは水、電気でした。夜は庭の太陽光で発電する照明を家に持ち込んだり、ロウソクの生活が続きました。テレビも見れなかった。 ガスが最初に復帰して、1週間もかからなかったですね。水道は1週間かかりました。そしてうちは電気が一番最後に復旧しました。道路の反対側まで電気が来てるのに、あともう少しなのにとせつない思いになりましたね。街の中は電気ガス水道ともに全然大丈夫だったんですが。
— 原発の事故はいつ知られましたか?
大震災の週明け火曜日に会社に行って、はじめて原発がたいへんなことになっていると知りました。それまで、そんな重大なことと思わなかったです。家に帰って「どこに逃げようか、どっち方向だろう、貴重品を持ち出せるように、いつでも避難できるようにしよう」としましたね。 水をもらうために外で2時間とか平気で並んでました。原発が深刻だと思わなかった。学校行ってないから子供が外で並んでたんですよ。もうちょっと教えてくれたらと今になって思いますね。もっと広報の仕方とか方法が無かったのかと。確かにそれどころでは無かったかもとは思います。誰も経験したことの無いことだったから。福島は災害が無かったから、災害の無い県と思い込んでましたね。それに「原発は安全だ」と思い込んでいました。地震はともかく、津波の恐ろしさ。あの津波さえなければと思いますね。
— 福島市から逃げようとはされなかった?
逃げて行っても、生活の場が無いですしね。できるだけ外には出ない、窓は締める。ガソリンがあるうちは車で移動。必要以外は外に出ないとしました。 それでもしばらく余震が続きました。地震警報におびえる生活が続きました。家の中でも寝る時もジャージで、一階の和室で生活をしすぐに外に出られるようにしていました。 いつから普通の生活に戻ったんだろう。記憶はあいまいになっていくものですね。
— これもいつも団員インタビューで聞いている質問なのですが、311で変わったことは何ですか?
日々何事も無く過ごしている有り難さを感じるようになりましたね。電気ガス水道の有り難さ。そして、なにごとにも感謝です。
平凡が一番、普通が一番。
なにごとにも「ありがとう」感謝の気持ちを持てるようになり、気持ちが穏やかになったと思います。
それから、普段からの災害への備えをするようになりました。それでも、またあったらうろたえるのだろうなとも思いますけど。
— FTVジュニアオーケストラの団員の子供たちに変化はありましたか?
ジュニアの子どもたちのうち、自主避難でいなくなった子が3人いました。逆に浪江町から避難してきた子が一人入団しました。福島テレビの社員でも小さなお子さんのいる方は3人は辞めました。
福島県でも飯館村とか、伊達市とか、思わぬところで放射線の線量が高いです。出て行った若い人は戻らないでしょうね。もう年寄りばかりです。避難した地域は生活ができないですから。店や病院もありません。
— 今の福島についてどのように思われていますか?
福島県に中高一貫校を新設するとか言っていますが、世間の目を欺くためではないかと思ってしまいますね。政府などへの不信感もあります。東京にオリピックを呼ぶために安倍総理がいくら「原発事故はコントロールできている」とプレゼンしても、「嘘つけ!」と思ってしまいました。
除染したと言っても限界があると思います。イノシシ、豚とか、山の中を動き回って、汚染された餌を食べている訳ですから。
— つい最近、除染が来たとおっしゃっていました��。
ようやく去年の暮れに家の近所の側溝の除染に来ました。いまだに除染土が家の庭にありますよ。大きい袋ですからね、目に入ると気が重いです。なかなか持って行ってくれないんですよ。
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(大塚さんご自宅の庭に置かれたままの除染土の写真です)
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線量が高いところからはじめて、一年くらい後にうちの家に来て、「今ごろやっても無意味なんじゃない」と、みんなそう言ってますよ。気休めのような気がする。
— 実際のところはどうなんでしょうね。
噂では癌患者が増えてると聞きますが、あまり表には出て来ないですね。最近の国の「不正統計問題」を見ても、情報に対する信頼度が落ちてると思います。都合がいいことだけ発表して、情報統制しているのではと思ってしまいますね。
沖縄の人に「福島の人はおとなしいね」と言われました。沖縄なら毎日デモだよって(笑)
— 政府や国の行政にこれだけはお願いしたいということはありますか?
本当のことをしっかり発表して欲しい。今、現在どうなってるかを知りたい。福島の街にいくら線量計があっても気休めなんだと思うんですね。
それにこれだけの事故を起こしながら、原発を、海外に売ろうとしたでしょ。いったい福島のことをどう思ってるのかと。
国ってなにを考えているのかなと悲しくなります。
ヒロシマ、ナガサキ、唯一の被爆国ですよ。
今の日本が悲しいですね。
— そんな状況の中で東北ユースオーケストラの活動はあります。どのようにお考えですか?
主役は子どもたちのことだから、大人は政治的なことを押し付けはいけないと思いますね。
でも代表・監督の坂本龍一さんは、はっきりものをおっしゃいます。偉い。勇気があると思います。影響力のある人が発信することが大事なんです。
坂本さん、凄いなって、いつも尊敬してます。
— 震災のあともFTVジュニアオーケストラの活動が続いてきたからこそ東北ユースオーケストラが生まれましたね。
震災の後、ジュニアオケは活動をやめたらどうかという話になりました。でも子どもたちはやりたい。しかし、毎週練習に使っていた福島テレビの旧館の社屋は、使えない。2011年の5月の連休明けからしばらくして練習を再開しました。もうあちこち転々と1週間ごとに楽器を運んで練習を続けました。時には関連会社の会議室で練習しました。そして、7月に定期演奏会ができたんです。よくできましたね。子どもたちが絶対やりたいて言うからね。親御さんのサポートもありました。おかげさまで福島市音楽堂が再開してすぐのコンサートを開くことができました。
— 2013年のルツェルン音楽祭の復興イベントから東北ユースオーケストラは始まりました。その立役者が大塚さんだったわけですが。
2013年のルツェルンのイベントは、無我夢中でした。自分でもよくできたと思う。子供たちのために今やらなきゃというエネルギーですね。何かをやっていたほうが、自分も楽な時期でした。止まっちゃうと駄目なんです。
わたしとしては、機会があれば子どもたちをどこかに福島の外に連れて行きたかった。そして、世界に眼を向けさせる。いろんな人を知る。ルツェルンの復興イベントは、そんな絶好の機会だと思ったんです。
しかし、FTVジュニアの先生方からも反対されました。子供たちの負担になると言うんです。大人はいつも安全パイを選んでしまう。こんな、世界とつながれる機会はないですよ。行ける子どもだけでもと、FTVジュニア以外にも近隣の高校の吹奏楽部などにも声をかけました。
ドゥダメルや坂本龍一という世界に通じる人と、松島の特別な場所で、いい経験が積めたと思いますね。
子供たちが坂本さんにサインをもらってうれしそうに笑っているのを見て、うれしかったです。
— そのルツェルン音楽祭で好評だったため、東北ユースオーケストラは一般社団法人化しました。
組織がしっかりすることはいいことです。続いていくことは、有難いことだと思ったし、何より親御さんからの信用、社会的信用が生まれます。
最初はゼロから募集をかけて人数を集めるとなった時に、集まるか不安でした。140通を超える応募の数には正直びっくりしました。
— かれこれ組織としては、東北ユースオーケストラは5年が経ちましたね。感慨深いです。
何しろ最初の夏合宿が沖縄県の宮古島だったでしょ。行動力がすごい。いろんなことを1つづつ叶えていく、その実行力には頭が下がります。最初は運営も危なっかしくってね、どうなることかと思いました。ただ夢中で子どもが演奏だけに集中できる環境をつくろうとしていました。もう大丈夫ですよ(笑)
— 最後に、これもいつも団員インタビューで聞いている質問です。今後、東北ユースオーケストラでどんな活動をしたいですか?
卒団した子どもが練習や演奏会にやってくるじゃないですか。そういう場があることが素晴らしいと思いますね。だから長く続けて欲しい。
海外公演も実現して欲しいです。よちよち歩きから始まった東北ユースオーケストラが、ルツェルン音楽祭で凱旋公演できるといいですね。あの2013年の松島のルツェルンのイベントの時のオーケストラがこんなに立派になって、と言われたら最高じゃないですか。
いち早く多額の支援をしてくれた、親日家の多い台湾公演もできたらいいですね。
東京オリンピック・パラリンピックでは何かしないんですか?
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このインタビューを行なったのが先月の1泊2日の合同練習会だったもので、土曜日の練習を終え、JA共済さんにご手配いただいた宿泊組の宿へと向かうバスを見送る団員、大塚さん、そして同じく福島事務局で団員の演奏指導もお願いしている竹田学さんです。
あらためて大塚真理さんのお話を伺って考えさせられたのは、強い使命感と子供たちへの無償の愛です。通奏低音として「大人は子供のことを、子供の可能性をわからないのだ」という姿勢があって、だから大塚さんの子供へのまなざしには上から目線が微塵もありません。とてもふらっとです。だから子供たちも大塚さんのスタンスを動物的に嗅ぎ取って自然と寄って来るんだと思うのです。
「大人の都合で子供のことを考えるなよ」は、肝に命じたいフォームです。とと同時に「子供も大人の事情を考えろよな」と言いたくなってしまうのは、大人気ないことなのでしょう。反省反省。
実際にお聞きした内容にはとても刺激的なことも含まれていて、本当はノーカット無編集で「大塚さん大いに語る」を掲載したかったのですが、それはそれで品位に悖るような気がしまして、細かな配慮ができたかどうかは別として編集をいたしました。
311から8年です。大震災は続いています。そのことを知って欲しいと思います。それが東北ユースオーケストラの存在意義の一つであるからです。
引き続き東北ユースオーケストラへのご支援をお願いいたします。
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cotochira · 2 years
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 もう二度と戻ってくることはないのだという過去のある時期に思いを馳せたり、そうした記憶の泥沼からなんとか周りに引っ張りあげてもらったりして、今こうして暮らしていることの偶然に目を見張るときはじめて写真や動画といった目に見えるなにかで瞬間瞬間を残そうという行為も切実さを帯びてくる。しかし撮られる側の気持ちにはなかなか考えが及ばない。ど��いう気持ちでいるんだろうと腕を組むと、なにも話は沙知に限った話ではなくて画面に映る全員がそうだろうと思い当たる。「春原さんのうた」の話です。監督のインタビューを読むと作中のいろんな要素が撮影を取り巻く巡り合わせを取り入れたものらしくて、こういったことを考えるのもこの映画自体が、映画の撮影という行為によって生じた現実と虚構の間の軋みみたいなものへの関心がつよいというか、かなり私的な記録としての性質をもふくんでいるからなのだろう。抑制されたカメラワークでほとんどいつでも同じ方向から眺める日高さんの部屋の中は時期もあってほとんど常に窓が開け放たれていて、その方向もちゃんと見れば覚えていられそうで実際に覚えるかどうかはさておき親しみが積み上がっていく。そこで起こるいろんな人の会話や感情の動きは、いろんなことがわざわざ説明されないので相手の話をだまって聞いている様子や細かな視線の動きから読み取るしかなくて自然と画面へ前のめりになっていく。マスクの扱いがとても自然で新鮮だった。必要に応じてつけたり外したりするのもぼんやりしてると取りこぼしてしまいそうだけどきっちり演出の一つとしてリアリティを担保しているし、みんなマスクしてるからこそ「春原さん」のむき出しの横顔の印象が強まったりもしているのだと思う。
 映画を終えると外は下北沢なんだけど荷物も重いし時間も限られてるからそんなにウロウロする気にならない。とはいえ手ぶらで帰るのも癪だからなんとなく古着屋とか並んでいる駅前の通りをウロウロしているとバーガーキングがある! バーガーキングは良い。一番良い。
 ゆっくり食べながらGoogle Mapを開くと下北沢から渋谷って歩いて40分くらいらしかった。全然歩けるな。荷物もまあかさばるけど言うほど重くはないので、歩いて行ってちょっと渋谷を見て回ったら6時くらいにはなるだろう。
 なんとなく、小さな建物の並ぶ下北沢の風景から、渋谷の喧騒までは、歩いていればグラデーションがあっていつの間にか変わっているのだろうと思っていたが実際歩いてみるとかなり直前まで同じ気持ちで歩いてしまった。イヤホンを外すと不自然なほど静かだ。近畿の住宅街みたいに掃除機や騒ぐ子供の声が聞こえないのは昼間はみんな出払っているからなんだろうか? それとも、土地が狭いので一軒家でもマンションに住むように息を潜めて暮らしているのか、どっちにせよ景色も音も大して変わらない。ただ路上のゴミがなんとなく増えてきて店も並びはじめ、歩く人の格好もそれらしくなってきたかなと思ったあたりで携帯の充電が怪しくなり、ドトールで地図を見てみるともう2,3本先がスクランブル交差点だという。土曜日だしどうせ人も多い。ギリギリまで粘って、人混みに揉まれるのは必要最低限に抑えることにした。
 スクランブル交差点を抜けて渋谷駅へ。ふざけてるだろ! 五歩に一歩くらい人とぶつかった。複雑な駅前の構造にも辟易しながらコインロッカーに荷物を預けて、ライブの会場への行き方を調べた。さすがにこういう時に今から20分歩いてください、みたいにならないあたりが東京だ、4,5分で到着した。
 ワンドリンクでビールもらって席へ着く。こういうときアサヒスーパードライの優秀さを思う、アテなしに水みたいに飲める。グッズもそんなに見る気にはならなくてインタビューとか読んで時間を潰していると周囲の席も徐々に埋まっていく。左右どっちもドリンクはビール。右隣に座っていた女性はフレームの大きなメガネをかけていた。頭には目立つ髪飾りをしていたが、開演まで5分を切ったあたりでそれを外し、メガネも外し鞄にしまった。全力でライブに集中しようとしているのだ(ということはメガネは伊達だ)。ぼくも見習おうと姿勢を正して、こっちは逆にカバンから取り出したメガネを掛けスマホをしまい、瞼を閉じて目を休めながらじっとその時を待っていると、暖色の照明が頭上からふっと消えて、目を開けるとステージ奥のスクリーンを照らす青い光だけが見えた。それを遮る人影がポツポツ現れる。それぞれ位置を定めて楽器を手にすると、背後のスクリーンに「夕暮れ」の字とともに、ほとんど夜に近い色の風景の映像が流れはじめる。あっちには挨拶をする間も、こっちには拍手をする間もあたえないで、耳を引っ掻くようなノイズから一曲目がはじまった。
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 そこから、基本的には「往来するもの」以降の楽曲を中心に組まれたセトリの移り変わりとともに背後では夜が深まる。生で聴く「four eyes」は痺れるくらいかっこよく、また音源ではもっと普遍的なことに聞こえていた歌詞が、目の前で歌われると音楽活動をする上で自分達の感じている違和感のようなものを歌っているように聞こえるのも新鮮だった。それとサポートギターの西田修大が「reverie」「声」あたりの曲で鳴らす、鋭いギターノイズがめちゃくちゃいい!
 前半、ステージ中央奥の椅子に座りハンドマイクで歌っていたミゾベリョウに当たる光はさらに奥にあった背の高いフロアライトだけだったのだが、背景が「夜明け」に移り変わった「眺め」のイントロで手前のスタンドマイクまで歩いてくると、そこでやっと光に照らされながら歌いはじめた、この演出もすごく良かった。最後は「未来」「小さなことをひとつ」と盛り上がるというよりかは膨らんでいくように展開して、「虹の端」の歌い出し「あと少しで暗くなる頃…」で夕暮れへと戻ってきて、結局一度もメンバーのMCやこちらの拍手が差し挟まることなく照明が落ちた。アンコールでやっとMCがあって空気が弛緩して、これまた目の前で聴くと直接自分達へ歌っているように聴こえる「望み」でライブは終��る。僕はメガネを外し、隣の女性はメガネをつける。結局Tシャツを買っちゃって外へ出る。
 寒い! スクランブル交差点でまためちゃくちゃ人にぶつかる。ふざけてるだろ! ハチ公前でしばらくじっとして、先輩(ネットで知り合った一個上の人ってだけだけど、一応)と合流。コンビニでビール買って飲みながら、望み薄だけど遅くまで空いている不届き者のお酒屋さんを探す。今日は映画みてライブいきました、と言うと、忙しくてぜんぜん文化的なことできてないよ、とこぼす。忙しいのに来てくれてありがたいことだ。最近は資本論以外本読んでないし、と言ったのにもいたく感動した。そんなにかっこいい読書ないな。
 ろくに大学に通えないで二回だったか三回だったかで退学になった先輩はそれ以来、日雇い同然の現場仕事で食いつなぎながら政治活動に明け暮れている。その日も昼間はロシア大使館前のデモに参加し、シュプレヒコールの上げすぎで喉が痛いという。それに比べて環境に恵まれボンヤリ生きているおれのなんと半端者で生意気なことか! なんとか見つけた居酒屋は安くないし居心地も悪く、ひと通り人間関係の顛末の話など(いやすぎ)をしてからすぐに出た。ぼくはホテルに電話を入れて、先輩の家に泊まりで飲むことにする。
 最寄駅は各停しか止まらないので、特快の止まる国立からそれなりの道のりを歩いて向かう。この辺りは戦後、進駐米軍向けの開発に反抗して文教地区となったのだという。道は広くてまっすぐだ。広くてまっすぐな道って良い。あたりは真っ暗で会話の内容もだんだん生々しい嫌な話になりつつあったが、なんだか晴れやかな気持ちでいた。
 たどり着いた部屋はワンルームマンションだが引っ越してばかりなのと余裕がないのでリビングの照明がない。玄関の灯りと読書灯だけで照らされた薄暗い部屋で、コンビニで買い足したレモンサワーなんかを飲みはじめる。本棚に入り切らないで部屋を囲む本には小説が少なくて政治や哲学に関するものが多い。何もかも違うなあと思う。
 普通に飲んだし話した内容あんま覚えてないな。おれはエロくいたいんだという話をした気がする。そう言われるとこの部屋エロい要素全然ないなあとふたりして見渡した。どちらかというと全体的にアツいっすね。強いて言えば青や灰色の岩波に挟まった涼宮ハルヒがエロかもしれないね。極まってくるとまた最悪な話をしていつの間にか寝ていた。
 先輩が支度をする気配で目が覚めた。8時とか。早起きだ。ぼくも歯だけ磨いたらふたりしてベランダに出る。昨晩から何本か一緒にタバコを吸った。エロくいたいならジッポを買っておくべきじゃない、と夜中に言われた。絶対無くすから喫煙者でいる限りは100円ライターだろう。ベランダからの眺めは隣のマンションに遮られてあんまり良くないが駅が近いので踏切の音が聞こえてくるから広々とした感じがした。
 スーツを着た先輩と一緒にさっさと出かける。駅のホームまで3分もかからない。駅のホームでさっき思いついたしょうもないダジャレをツイートしようとしたらスマホがない! あわてて先輩から鍵を借り、急いで戻るとコンセントに差した充電器ごと忘れていた。すごいな。ダジャレと駅近物件に救われた。
 電車内ではお互いスマホを触ってそんなに喋らないがべつに気まずいとかいう感じでもない。回数数えるほどしか会ってないはずだけど知り合ってからの年数だけでこんなに気を緩めていられるんだから年月ってすごい。一回なんかのはずみにデニーズの話になってwikipediaを読む。当初はアメリカのダイナーキッチンのようなコンセプトで、朝に卵料理を出すサービスなんかもやっていたらしいが、対向店舗やニーズに押されてどんどん普通のファミレスになっていってしまったみたいだ。切ない。
 新宿で乗り換え、今日も忙しい先輩とは山手線の車内で解散する。ぼくは渋谷で降りて荷物を回収し、浅草のホテルへ向かう。
 通された部屋はホステルの一角に造られた個室で、床置きのマットレスとユニットバス以外何もない。風呂に入って布団の中でうとうとしていると、くすりくんから連絡があり、昼過ぎに部屋を出た。
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yamashita03 · 6 years
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迷ったら中米に行こう!~戦々恐々とコスタリカを旅する~
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20代最後の夏に思い切って中米コスタリカへ行きました。
幼稚園からの友人が海外協力隊として現地で活動しており、彼を頼りに8月10日から16日の1週間、初一人海外へ出て行きました。
コスタリカで見たものや経験はどれもみずみずしく新鮮なものばかりで、この気持ちが少しでもフレッシュなうちにメモを残しておきたいと考え、帰国の途につくコスタリカサンホセ空港にてキーボードを叩き始めました。(が結局書ききれたのがだいぶ後になってしまいました汗)散文的な内容になることを恐れずゴリゴリ書いていこうと思います。
【コスタリカの概況】
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言語はスペイン語。国教はカトリック。そのため街の要所には教会が立ち並んでいる。
コスタリカの歴史は基本的にはスペイン人統治時代から始まり、それ以前の先住民の歴史的、文化的な遺産などの観光資源に乏しいのが現状。
しかし、先住民たちが森を切り開き巨大な文明を築かなかったことと恵まれた気候から自然が非常に豊かで九州と四国を合わせた程度の国土面積に、地球全体の5%もの動植物が存在すると言われている。
国はこの点を自国の観光資源として捉え、国土の多くを国立公園として保護し、その自然の中を探索する『エコツーリズム』を世界に先駆けて始めた。これが世界に受け入れられ、それまで農業依存だった国の経済構造を好転させた。
そのほかにも軍隊を持たない平和国家として、軍事費に充てていた費用を教育や医療、再生可能エネルギーなどに投資し、前述のエコツーリズムに加え、中南米で屈指の教育、福祉、自然エネルギーの国として強い国家アイデンティティを保有している。(日本も見習いたい)
街の観光地はどこもごみが少なく、水道水も飲めるのは中米に限らず世界的にも希少な国のひとつではないだろうか。
【コスタリカの人々】
・観光地のガイドからUberのドライバー、クラブに来ていた若者に小学生まで様々な人と触れ合ったが総じて気さくで穏やかな人が多かった印象。車の運転もアジアなどに比べても丁寧な感じだった。
・観光地やホテルでは英語を話せる人が非常に多いため、スペイン語が苦手でもガイドを受けたり簡単なコミュニケーションは十分可能(ただし自分は英語もできなかったため状況は変わらなかった)
・中米の中で治安が良く経済が安定していることもあり、多くの移民が存在し、とくに貧しいニカラグア人が市街地でホームレス化している現状が社会問題となっている。そのほかにも社会情勢が不安定なベネズエラ人なども目立った。
私のコスタリカ旅行
友人が1週間のバカンス休暇を取りほぼ土地勘もコミュニケーションもできない私にほぼ24時間付き添ってくれて様々な場所に行かせてくれました。
現地で撮った写真を見ながら適当な順番と粒度でコスタリカについて語りたいと思います。
1.市街地の風景
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成田からヒューストンを経由し、サンホセ空港に到着。
駅からバスでサンホセ市街地へ出て街を散策。初めての中米だが、町の雰囲気は東南アジアとも近い印象。首都ということもあり、おそらく単純に国の経済力、発展度によって似た雰囲気の街が出来上がってしまうのかもしれない。(日本も昔はこうだったのかも)
市街地には人通りが多い。また、路上に座り大声で物売りをする人も多く見かけたが、友人曰く彼らはニカラグア移民だとのこと。あまり近づかないようにした。
2.食事
「コスタリカの食事はマズイ」と友人から聞かされていたため戦々恐々として乗り込んだものの、総じておいしかった。ただし、値段の割に(というか高い店に限って)全くおいしくない店もあり、その辺はどんな店でも一定のクオリティは保っている日本の外食店文化のありがたさを感じた。
<上流国民編> 
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初日夜は友人の現地の友達で日本に留学経験もあるというコスタリカの方とコスタリカの中ではちょっとハイソな街で夕食。とてもいい方たちだった。
写真は2件目に行ったビールバー。クラフトビールの飲み比べができた。
※ここに関わらず外食費は総じて日本よりやや安いものの大きな差はなく、中米の中では非常に高いとのこと。家族を大事にし、家での食事を重んじる国民性があるとはいうものの、平均月収が日本の数分の一ということを考えると外食はなかなか大変な出費になるのだと思う。
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山でのレジャーや森の散策を楽しめるモンテベルデ自然保護区で止まったホテルの隣にあったレストラン。モンテベルデという土地柄もあり周りは外国の観光客だらけ。
キャンドルがあったりと店の雰囲気は日本の都会のおしゃれレストランさながらな雰囲気だったが、料理は10ドル弱、ワインもボトル15ドル程度となかなかのコスパ。そして味が抜群にうまかった。この旅の中でもトップクラスに満足した食事だった。
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同じくモンテベルデでの食事。わかりづらいが、本物の大木をそのまま残し、その周りに3階建ての建物を巻きつける(?)ような特徴的な構造を持ったモンテベルデの有名レストラン。パスタは15ドル程度と結構お高め。
ただ申し訳ないが味がマズかった。4分の1程度しか食べれなかった。友人が「コスタリカの料理は味が薄い」と言っていたのはこれか!と納得。
その後パスタは宿へ持ち帰るも、部屋に置いておいたら蟻の餌食となり無事死亡。
<庶民編>
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友人行きつけという現地の食堂にて。コスタリカでは米(左)、レモンとパクチーの効いたサラダ(中央)、ポテト(右)、豆(奥)を基本セットに、そこに豚肉やチキンなどのメインが乗るワンプレート料理がスタンダード。
米はタイ米などに近く、日本のよりも細長くて水分が少ない。また、黒い豆と米を合わせて炊くとコスタリカの伝統料理「ガチョピント」となる。
だが、米と豆を別々に食べても味は大差ない。
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これは別の店だが、基本は一緒。そこに焼きバナナなどがついていた。
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モンテベルデの屋台にて。鶏むね肉とポテトというシンプルで豪快なファストフード。非常にボリューミーだが500円程度。美味しかった。
<家庭料理編>
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チフリーゴ。友人がお世話になっているホストファミリーのお家に自分もお邪魔してごちそうになった伝統料理。
ご飯に鶏肉と豆が乗っており、そこに刻んだトマトとパクチー(←これもよくコスタリカで出てくる)をお好みで載せて食べるどんぶり。鶏肉にトマトの酸味や��クチーの刺激が合わさりとても美味しかった。
米を食べる文化があるため、各家庭に炊飯器もある模様。(米があるのはありがたかった・・・)
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朝は旦那さんのほうが準備してくれた。ガーリックトーストにソーセージに卵、そしてパパイヤとかなりボリューム満点でおいしかった。
3.文化編
<原住民編>
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原住民が木の実などをすりつぶす際に使用していたとされる石の机。独特な形状が面白い。石工技術の高さがうかがえる。
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よく日本のテレビなどでもコスタリカを紹介する際に一緒に出てくる謎の石球。その製造年代や製造方法、作られた目的などが不透明で一部ではオーパーツの一つともいわれていたが、現在では研究も進みその謎が徐々に明らかになっているとかいないとか。
ちなみに写真は国立博物館にあったレプリカ。本物はコスタリカの郊外にあるため、観光地にはしばしばこのようなレプリカが置かれていた。
<建造物>
国立劇場
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コスタリカを象徴する建造物の一つ。この建物を壊したくないがために内紛が起こらない、と言われるほど現地人からも愛されているという建物。劇場内部も見学ができる。
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息を飲むほどの迫力。今なお現役の劇場として使用されており、しばしば日本の能や和太鼓の演奏なども上演されるとか。
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受付兼待合室。豪華すぎて落ち着いて待てなさそう。
ロスアンヘレス大聖堂
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首都サンホセの隣の県カルタゴにある大聖堂。国内各地から人々が巡礼に訪れる聖地で建物も非常にでかい。
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中の造りも荘厳で素晴らしい。礼拝に訪れた人は中央の通路を膝立ちで移動して祭壇へ向かう慣習があるようだった。我々は邪魔にならぬよう脇の通路を回って見学した。
<若者文化>
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現地人が多く集まる深夜のクラブへ友人と2日連続で繰り出した。入場前にID(自分の場合パスポート)と場所によってボディチェックが行われ、さらに場所によっては入場料も支払う。
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クラブで飲むのは大体ビール。他の酒より値段が安いため、お金のない現地の人もビールばっか飲んでいるとのこと。
ちなみにコスタリカのメジャーなビールはimperialとPilsenの2種類。そしてちょっと高くてマイナーなBAVARIA(写真)がある。味はimperialが薄くて軽く、Pilsenは少し香りとえぐ味が強い印象。BAVARIAはその中間といった感じ。
美味しかったのは写真に乗せたBAVARIAのゴールド。一番日本のビールに近い。時点でimperialのsilverという種類のもの。
BAVARIAはあまり扱っているところが少ないため、一通り飲んだ後はimperialを選んで飲むことが多かった。
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左の黒人Jango。入場の手続きで手間取っていると後ろから声をかけてきた。身長めっちゃ高いし超怖い。
でも本当は荷物を預ける場所を教えてくれようとしていたこのクラブ界隈の従業員?オーナー?的な人だったらしい。その後テキーラを2杯もご馳走してくれた。めっちゃ気さくでいい人。
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ぶれぶれ。お酒飲みながら爆音の音楽を聴いてるとある若者グループの輪に招かれて一緒に踊ってた。なん���なくアジア人で(自分は楽しんでたけど)周りになじめてないオーラが出ていたのか誘ってくれたのだと思う。
言葉は通じないけどお酒もあいまって身振りや表情でコミュニケーションを取る感じがなんとも楽しかった。
友人が話したところそこのグループにいたほとんどの人がベネズエラ人だったとのこと。ベネズエラといえば近年の超インフレで経済が破綻寸前、首都の治安は世界最悪と言われている国。あんなに気のよさそうな彼らの背景にそんな深刻な事情があるのか、と色々と考えさせられた。
4.自然編
上でも触れたモンテベルデ自然保護区にて、昼と夜の森林散策ツアーやキャノピーなどのレジャーを体験した。
昼はオランダ人の家族と一緒にガイドの話を聞きながら野山を散策。
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トゥカーン(の子供)
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なんか笑顔の木
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景色が一望できる!と思ったもののあいにくの雨。朝は晴れていたのに、、
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羽が透明な蛾?
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ゴミをあさっていたアライグマ。全然人を怖がらない。
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ちょっとここからはモンテベルデではないけど、
これは幻の鳥といわれるケツァールを見にいくツアーでの朝の集合場所のロッジに来ていたハチドリ。
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で、1時間以上何か所もポイントを回ってやっとお目にかかれたケツァール。 これはメスのため尾が短いが、オスはもっと尾が長く色も鮮やか。残念ながらこの日オスはお目にかかれず。
5.その他
帰国最終日にどこ行きたいかを友人に尋ねられ、彼の職場のゴミ収集センターと地域の小学校へ行くことに。
サンホセのゴミ収集センター
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回収されたごみたち。袋の中身はまだまだ分別が行き届いていない状態。
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各地から届けられたごみ袋はこの台で職員の方が一つ一つ開封し手作業でごみを仕分けている。
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普段はこの仕分け作業をおばちゃん2~3人で行うそうだが、この日は民間企業からCSR活動の一環と職場体験ということでさらに数名参加していた。エライ
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ペットボトルは無色と有色のものを分けてプレス。プレスすることで輸送にかかるコストを下げている。
これらは民間の業者に売却され、資源として再利用される。
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段ボールも同様。談笑しながらも手際よく潰してトラックにつめていた。
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外では家庭のごみなどを持ってくる人がごみを捨てていた。まだまだポイ捨てなんかも多く、ゴミに関しての市民の意識が低いとも感じられたが、このように律義にごみを持ってきて捨ててくれる人がいることがありがたいとのこと。
サンホセの小学校
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その後サンホセの小学校にアポなしで突撃するも、友人の顔パスで難なく入れた。
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カメラを向けると照れて顔をそらす子供。なんかとても開放的で自由な雰囲気。
生徒たちは全員1日学校にいるわけではなく、上級生と下級生が曜日ごとに午前、午後の授業日を交代でまわすようなカリキュラムを取っているそう。
例えば月曜日の午前が上級生の授業なら、午後には上級生は下校し、下級生が授業をする。火曜日はその逆、といった感じ。
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後者が”ロ”の字型になっており、中庭が校庭になっており、中央の礼拝堂を挟んでコンクリートのバスケコートが二面あった。
ただしバスケを行っている生徒は誰もいなかった。コスタリカ人はサッカーが好きだからフットサルコートにでもすればいいのに。
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牛乳パックを再利用してできた机だそう。木のように固い。
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体育の時間で誰もいない教室。
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パソコン教育も行われている。ここのパソコンも友人の協力隊活動の一環で企業から提供されたもので、この部屋はそのために新たに作られたものなのだそう。
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食堂。おやつにフルーツを振る舞われることも。
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帰り際に先生に挨拶をすると我々もフルーツをゲット。リンゴをむしゃむしゃ食べながら帰路についた。
さいごに:コスタリカを旅行しての感想いろいろ
1.意外と多かった、日本を親しんでくれる人々
この旅で最も印象深く嬉しかったものの一つが日本に親しんでくれている人が多かったこと。上でも述べた初日に紹介してもらった女性たちのほかにも、例えば2日目に行ったクラブでは「日本人!?」と声をかけてくれたコスタリカ人がいたのだが、彼はなんと3月まで我々の地元の宮城県の東北大学に留学していたとのこと。
さらに4日目に利用したUberの車の後ろにはなぜか日本の国旗が飾ってあって、話を聞いてみると彼は日本にこそ行ったことないものの、日本の興味があり自主的に日本語を学んでいるとのことだった。友人曰くこんなに色々と日本を知っている人に出会うことは珍しくてラッキーだったとのこと。楽しい出会いのある旅行だった。
2.中米への関心が深まった
当たり前すぎる小学生���みの感想だが、こちらも自分の心に大きな変化をもたらした。
先ほども述べたようにあまり日本人にとってなじみのないコスタリカだが、地球の裏側では日本に関心を持ってくれている若者たちがいる。そしてみんな気さくで親しみやすく、とても可愛げのある人たちだった。
日本に興味を持ってくれている人たちがこんなにもいてくれていることを考えるとすごく嬉しく感じたのと同時に、自分たちももっと海外に目を向けていかなければいけないと感じた。
さらに前述したベネズエラ人との出会いも考えさせられるものがあった。恥ずかしながら自分はベネズエラなんていう国は国名を知っている程度の知識で、彼らに出会わなければきっとこの先もベネズエラに関してここまで関心を抱くこともなかったと思う。
帰国してすぐに、超インフレが進むベネズエラでは桁を減らすための新たな通貨の単位を作るという経済政策が打ち立てられたとのニュースが入ってきた。もちろんこんな政策ではさらに経済を混乱させることになりかねないという見方が大半だ。経済が混乱すれば他国への移民問題もより深刻になるだろう。これから先中米はどうなるのか、今後の情勢には色々と関心を寄せていきたいと考えるようになった。
3.外国語を話せるようになりたいと思うようになった
今回の旅行は友人のサポートもあり様々な出会いと気づきのある非常に楽しい旅行だったが、それゆえに言葉を理解して自分の気持ちを伝えられないもどかしさを抱えていた。
例えば彼のホストファミリーの家にお世話になった際も、食事を「美味しい」という気持ちすらうまく伝えられず非常にもどかしかった。お土産に持って行った九谷焼についても、本当はその背景にある日本の文化や歴史なんかを話したいという気持ちはあれどそんな高度なコミュニケーションが取れるはずもなく、、
ホストファミリーのおじいちゃんおばあちゃんが本当に親切にしてくれただけに、自分の気持ちを言葉で伝えられない歯がゆさがあった。
海外旅行は恐らく簡単な英語と身振り手振りで頑張れば、観光地を巡ったり宿に泊まったりなどある程度の目的は達成することができると思うし、実際自分もその程度で良いと考えていた。
でも海外旅行で一番楽しいのは現地の人との生のコミュニケーションだろうと思った。その土地の人が何を考え同くらいしているのか、そういったことを言葉を介して理解し、また自分の考えも相手に伝えられるようになりたいと強く感じた。
せめて日常会話レベルの英語でも身につけたい。。30年弱の人生で今が一番外国語学習欲が高まっていると感じている。今やらないと一生やらない気がするので、ひとまず本を読みながら拙いながらも話せるように勉強中。
4.ごみのことに関心を持つようになった
友人の職場に行き、いろいろとごみへの思いを語ってくれたこともあり自分もごみへの関心が高まった。
自分が普段何気なく出しているごみも処理には多くの人手が必要ということ、作業はハードなこと、そして何よりも地球上の多くの人が関わり、今後も関わり続けていかなくてはならないものだということ。
現地の方の仕事ぶりを見て説明を受けると、自分もなにかできないか自然と思いを巡らせていた。
例えば友人はごみを出す段階で分別がされていないことがひとつの問題と言っていた。
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なるほど、確かにゴミ箱は色分けされてどこに何を捨てるべきかが分かりやすくなっている。
ただ、ちょっとデザインの観点から考えてみるとゴミ箱の上にはごみの種類が分かるような絵を入れたり、ゴミの入れ口を入れるごみの形にしてごみを捨てる行為をアフォードさせるような施策があってもよいかと感じた。
現状だと識別する要素が色と小さく書かれた文字のみのため、例えば歩きながら街を歩く人がごみを捨てようとした際に反射的に自分が捨てたいごみの正しいゴミ箱を判断しづらいのではと感じた。色とごみの種類に明確な関係性がないため、ほかの要素で使い手に正しいゴミ箱を反射的に認知させる仕掛けが必要と考えた。
日本のごみ箱はまだそのへんが少し良くできていて、入れ口の直下に何を入れるごみ箱なのかを絵と言葉で入れることでごみを捨てる人の目に必ず入るように工夫されているとともに、口の形状で何を入れるべきかを感覚的に示している。
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缶やペットボトルなど、入れ口を丸くすることでそのごみ箱が飲み物の容器を捨てるものだと把握できるのと同時に、丸い形状に筒状のものを入れたくなる人間の心理も上手に作用させている。
そんな小さな改善を重ねながら、街がもっと綺麗になってコスタリカ人のごみへの関心が高まることを願っている。
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