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#玄関施工
katsumosaic · 1 year
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#モンステラの玄関 完成! #モンステラ #monstera #モンステラのある暮らし #もんすてら #玄関ポーチ #玄関アプローチ #玄関 #エクステリア #玄関リフォーム #玄関リノベーション #玄関床 #玄関タイル #玄関周り #玄関前アプローチ  #モザイクタイル #モザイクアート #タイル施工 (Edogawa-ku, Tokyo, Japan) https://www.instagram.com/p/Cp31JYdv5Xs/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kondo-ex-ltd · 1 year
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施工中のお客様のお庭✨ スタイリッシュな表札… 既に格好良いです🥺‼️ 完成が楽しみですね〜♪ #埼玉県 #川越市 #さいたま市 #ふじみ野市 #富士見市 #外構 #エクステリア #お庭 #リフォーム #リガーデン #新築外構 #近藤建材店 #専門店 #お庭の工務店 #設計 #施工事例 #門 #表札 #スタイリッシュ #玄関アプローチ #玄関タイル #タカショー #lixil #toyo #ゆとり https://www.instagram.com/p/CkpNNuhrlr7/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kazuya-ikezoi · 2 years
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さぬき市の焼杉をつかった平屋、 点検に伺いました。 板塀は、造園屋さんとご主人のコラボ作。 色落ちや日焼けで馴染むようにと、無塗装仕上げです。 建物共に、味が出てくる経年変化を 楽しむ家づくり。 もうしばらくで植え込みに入ります! 気になる点や質問があれば、気軽にコメント、 DMお願いします! 他にも様々なお家をHPで紹介しているので @kazuya_ikezoi からとんで見てみてください。 よかったらフォローもお願いします。 #片流れ屋根 #外壁焼杉 #焼杉の家 #焼杉 #外観デザイン #外観 #シンプル外観 #玄関を隠す #外構デザイン #外構計画 #板塀 #施主手配 #施主工事 #設計士とつくる家 #設計事務所とつくる家 #香川 #愛媛 #大阪 #徳島 #コラボハウス https://www.instagram.com/p/CiChiMGPvEj/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 7 months
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JR九州など3社が販売したマンション「ベルヴィ香椎六番館(福岡市東区)」は、施工不良を理由に築25年で丸ごと建て替えられたことで大きな話題を呼んだ。同時に、不動産業界には激震が走った。住民と管理組合の執念が、施工会社や販売会社の「逃げ得」を許さなかったからである。同物件は1995年に竣工、引き渡しが行われた分譲マンションだが、2年も経たないうちに、外壁のひび割れや玄関扉の枠のゆがみなどが発生した。1997年10月、管理組合として販売側へ問題提起したものの、施工会社と販売会社は構造物の瑕疵を否定した。  管理組合はその後も不具合を訴え続け、マンションの傾斜を問題視したのが2016年だ。建物の傾斜により最大10.1cmの高低差が生じ、部屋の壁と天井には「隙間」があった。夜、明かりを消すと隣から光が漏れてきたという。2020年4月、日本建築検査研究所(東京都渋谷区)の調査により建物を支える基礎杭が支持層に届いていないことが判明し、当初施工不良を認めなかった販売3社は同年7月、社長が謝罪した。販売3社は「杭の補修」「建て替え」「販売価格での買い取り」の3案を管理組合に提示した。管理組合は同年11月の臨時総会で全面建て替えを決め、21年4月から建て替え工事が始まった。そして、ついに今年5月、工事と引き渡しが終わった。 自治体は精緻な地盤調査をしてくれない  そもそも、このような欠陥マンションが建設された原因は何なのか。姫屋不動産コンサルティング代表の姫野秀喜氏はこう話す。 「このベルヴィというマンションは8棟で構成されているので、どうして六番館だけミスしたのか、かなり不思議な気がする。例えば、現場調査する人が、単純に納期が迫っていて適当に計算したとか、机上で計算したとか、そういう人為的ミスだったのか。だから、本当に人災なのだろう。しかし、めったに起きるものではない」  一般消費者はJR九州のような大手企業が販売元だと安心して購入しがちだ。とくに地方では、JRや電力会社のブランドへの信用は高い。この福岡の件は、基礎杭が支持層に届いていないことによる傾きが原因で、さまざまな不具合が表面化したわけだが、大手の物件でも、このレベルの欠陥マンションは、よくあることなのか。 「まず、大手だから安心とはいえないことは確か。不動産は一つひとつ、すべて別ものだ。地盤もそう。地盤に関して今は科学的にかなり正確に調査できる。自治体によっては精緻な地盤調査を行い、住民に地盤についての情報を開示してくれるところもある。ただ、多くの自治体では、あえてそういう地盤調査は行わない。というのも。一つは高額な費用がかかるということ。もう一つは、地盤調査をやって、ある部分だけ地盤が緩いというようなことが何か判明すると、その部分の地価の下落を招く恐れがあるからだろう」(姫野氏)  しかし、この福岡の事例は、紆余曲折はあったにせよ、結果的に大手だから建て替えができたともいえる。 「施工・販売が大手だから、数十年後でも会社が存続していて責任を取れる体力があった。だから、建て替えもできた。そういう意味では、大手のほうが安心というのは、本当にその通りだ。地方の建設・不動産会社は中小も多く、タイミング次第で資金繰りがうまくいかなければ倒産してしまう。30年後に存在していない会社だってあるので、何か瑕疵が見つかったときに、施主は訴える先がないということが起こり得る。振り上げた拳の持って行きどころがなくなる。そういう意味で、JR九州が入っていたのは良かったのではないか」(姫野氏) 瑕疵を認めさせることと管理組合での意見調整  建て替えまでにはいくつか大きなハードルがあった。まずJR九州などの施工・販売会社に瑕疵を認めさせること、そして、管理組合のなかで建て替えの承認を得ることだった。一般的に、分譲マンションは区分所有者の意見調整が難しい。瑕疵を認めさせる決め手となったのは日本建築検査研究所の調査レポートだが、そうしたボーリング調査費用にも数百万円がかかる。大規模改修の積立金から支出することになるが、もし結果が出なかったときは無駄になるかもしれないからだ。  建て替えの決定をする際も、実は傾いた六番館の住民の賛成5分の4だけでなく、他の棟を含めたマンション全体で4分の3の承認も必要だったという。他の棟の住民が「うちには関係ない」と考えたとしても不思議ではない。  3つ目のハードルとして時効の問題もあった。欠陥に対する損害賠償請求には期限がある。不法行為に基づく損害賠償請求権には除斥期間があり、20年と定められている。つまり、20年経つと損賠請求できなくなってしまうのだ。さらに住宅の瑕疵については、瑕疵担保責任を追及することができるが、責任の存続期間は、鉄筋コンクリートの建物では引き渡しから10年だ。販売元が長年にわたって、頑なに瑕疵を認めなかった理由はここにある。引き渡しから一定期間が過ぎれば法的には責任追及されないのだ。 相手の姑息な口車には乗らないこと  もし、分譲マンションを購入して、不運にも欠陥が多い物件だった場合、どのようなアクションを取るべきなのか。姫野氏はこうアドバイスする。 「戸建てもマンションでも、基本的に新築物件には契約不適合責任(瑕疵担保責任)が適用される��施工業者や販売業者に対して、不具合や欠陥を指摘して無料で補修や修理を要求する権利がある。ただ、たいていの場合は引き渡しから2年という期限があるので、2年以内に要求することが一番重要だ」  もし、相手側が瑕疵を認めなくても、期間内であれば、弁護士に相談するというのも手段の一つだ。 「業者は最初に小手先のことをやろうとする。例えば、ドアが歪んでいるとなればドアを交換するとか。しかし、小手先の修理で直らないことがわかれば、2年以内にしっかりと何回もチェックすべき。土台が傾いているとか根本的な原因の可能性もある。戸建ての場合、建物全体が均等に沈むのではなく、キッチンの左端だけちょっと床が傾いているみたいな例が多いので、土台の傾きはパッと見てわかりにくい。そして、瑕疵担保といいながらも、住めないほどではないので、建て替えではなく補修になる」(姫野氏)  この福岡の事例では、販売側はのらりくらりと瑕疵を認めず、さらには「お見舞金」として300万円を渡そうとしてきた。口封じ目的の裏金ということか。しかし、住民たちはこのお金を突き返した。 「昔、友人宅の近隣で工事があったとき、ドシンドシンとすごい振動を日々受けたせいで、その周辺の家の外壁にちょっとひび割れが起きた。地盤を叩いたせいで、全体的に少し地盤が動いたのではないかというような壊れ方だった。友人らは補修費用として、ペンキ代程度のお見舞い金を受け取ってしまった。ケースバイケースだが、相手がお金を払ってきたら注意すべきだ。ごまかそうとしているのではないかと疑ったほうがよい」(姫野氏)
傾斜マンション、JR九州など販売元は20年間、施工不良を否定→全面建て替え | ビジネスジャーナル
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nostalblue · 1 year
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門扉修繕
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2000円にも満たない木製ラティスだったが、強い台風の直撃に何度も耐えて来た。設置から5年経ち劣化も進み、補修や補強しながら何とか延命を図ってきたのだが、この師走の暴風で格子が抜けてしまった。早朝、トイレに起きた時にはまだ健在なのが見えたが、その後数時間のうちにこうなってしまったようだ。
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外れた格子はほぼもとの形を留めているので、また枠にはめ込めば使えるようにも見えるが、これが相当劣化していて引き続き使用するには躊躇する。強引に使って強風や動物の攻撃で大破し痛い目に合うよりは、潮時と考えて別の材料で作り直してしまった方がよいだろう。
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とはいえタイムリミットがあり、日���までにある程度の形にしないと夜間に動物侵入の懸念がある。この冬一番の寒波と止まない強烈な西風で手足がかじかむ中、現場で頭をフル回転させて方法を模索する。使える材料や施工時間などを考慮した結果、圃場の再整備で取り外した細目のワイヤーメッシュが有ったので、それを残ったラティスの枠に取り付けることにした。枠サイズより若干大きいが、ワイヤーの端ををうまく折り曲げて合わせることで、ビスを使わずとも固定できることになりむしろ良かった。
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流用するラティス枠も劣化が進んでいるので四隅には補強を入れておく。とはいえ補強材も解体資材の再利用なので強度的にはさほど無く、気休めみたいな物だ。壊れたらまた付けます(笑)。
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ワイヤーメッシュだけだとすり抜ける動物もいるので、最後にネットを縫い付け。緑色の防獣ネットと迷ったが、100均で買った青い防風ネットのサイズが無駄なく都合良かったのでそれを使った。実は防獣効果もこちらの方が高いのよね(裂けにくい)。心配は風圧だったが、ワイヤーメッシュとの組み合わせでも元の木格子と比較にならないぐらい風圧受けないし、扉開閉も随分と軽くなって快適になった。ラティスのような美観は無くなってしまったけれども、費用も掛けられないから機能性優先になるのは仕方ないわな~。
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番線で作った回転式ドアロックと風鈴を応用したドアベルは引き続き流用。安易に既製品を買わず、カネでなく頭を体を使って同じ機能を実現するのがこの生活の醍醐味であり日常なのよ。
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それにしてもここ数日の風は強烈で、継続して吹いている時間が長いのでいろいろと面倒事を発生してくれる。傾斜地の枯れ大木もこの風で倒壊したが、かろうじて下段の蔓ネットやその支柱から逸れたのは不幸中の幸いだ。枯れてから長いこと経ち水分が抜けているとは言え、太いのはかなりの重さがあるから移動して片付けるは容易ではない。解体できる部分は薪などに流用するとしても、そうもいかない部分は邪魔でも放置して朽ちるの待つしかないかもね。
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oharash · 11 months
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余花に吉兆
1.  友人あるいは恋人のようなことを始めたら、もっと分かり合えて親密な空気だとか柔らかな信頼みたいなものが生まれるかと予想していたが、俺らの空間は特段何かが変化することもなく、近すぎず遠すぎずの関係が果てなく伸びていくのみだった。  大切なものを手のひらに閉じ込めるような日々だった。彼の大きな体は存在感だけでもどこか騒々しかったが、無音より心地よかったのだ。
 うずたかく積もった瓦礫がようやく街から消える頃、俺は人生初の無職デビューを飾った。事務所は畳んだし復興支援委員会の任期も終わった。警察や公安、行政から相変わらず着信や不定期な依頼はあれど、様々な方面からの誘いを断り所属する場所がなくなった俺はぼんやりと初夏を迎えることとなった。  無職になりまして。とセントラルの定期通院の帰り、待ち合わせた居酒屋で焼き鳥をかじりながら言うと彼は呆けた顔で俺を見た。エアコンの効きが悪いのか、妙に蒸し暑くてふたりとも首筋にじんわり汗が滲んでいる。 「お前が?」 「はい。しばらくゆっくりしてから次のこと考えようと思って」 「お前にそんな発想があったとは」 「どういう意味ですか」 「休もうという発想が。いつも忙しく働いとったろーが。そもそも趣味や休みの過ごし方をお前の口から聞いたことがない」 「それ元SKたちにも言われましたわーー。人を仕事人間みたく言わんでくださいよまあその通りですけど。今までやれなかったこと全部やったろ、と思ってたんですけど10日で飽きました。福岡いるとどうしても街の様子気になっちゃうしホークスだ〜〜♡ て言われるし、どっか旅行でも行けばって言われるんすけど全然そんな気になんないんすよ。来月には引きこもりになってるかもしれねっす」  そしたら会いに来てくださいね♡ と言ったら、彼は釈然としないような、そして何かに耐えるような、そんな顔をした。  店を出ると強い風が頬を打った。まだほんのわずか残っていた春の気配が吹き飛んでいく。じゃあ、と手をあげかけたところでデカい手が伸びてきて顎を掴まれた。「飲み直すぞ、うちで」「ひゃい?」かくて俺はそのままタクシーに突っ込まれ(この人と乗る後部座席は超狭い)、轟邸へお持ち帰りされることとなった。
 暗闇の中でうずくまる恐竜みたいな日本家屋。数奇屋門と玄関の間だけで俺の1LDKがすっぽり入りそう。靴を揃えて上り框に足をかけると今度は首根っこを掴まれた。連行されるヴィランそのままの格好で俺は廊下を引き摺られ居間の隣室へ放り込まれる。今夜は何もかも展開が早い。「なになに? 俺には心に決めた人がいるんですけど⁉︎」「使え」「は?」 「この部屋を好きなように使え。しばらく置いてやる」 「もしかしてあなた相当酔ってますね⁉︎」 「あれくらいで酔わん。お前が、ヒーロー・ホークスが行くところがないなんて、そんなことがあってたまるか」  畳に手をついて振り仰ぐ。廊下から部屋に差し込む灯りは畳の目まではっきりと映し出しているけれど、彼の表情は逆光でわからない。 「俺、宵っぱりの朝寝坊ですよ」 「生活習慣までとやかく言わん。風呂を沸かしたら呼びに来てやるからそれまで好きにしてろ」  けれど俺が呼ばれることはなく、様子を見に行くと彼は居間で寝落ちていたのでやっぱり酔っていたのだと思う。デカい体を引きずって寝室に突っ込んだ。風呂は勝手に借りた。
 酔ってはいたものの彼の意思はしっかり昨晩にあったようで、そして俺も福岡に帰る気が全くおきなかったので、出会い頭の事故のように俺の下宿生活は始まった。  「うちにあるものは何でも好きに使え」なるありがたいお言葉に甘えて俺は巣作りを開始した。足りないものはAmazonで買った。徹夜でゲームしたりママチャリで街をぶらついたり(帽子をかぶってれば誰も俺に気づかなかった)ワンピース一気読みしたり豚肉ばかり使う彼からキッチンの主権を奪いそのまま自炊にハマったりもした。誰を守る必要もなく、誰かを気にかける必要もない。誰を満足させる必要もなかった。彼が出かける時間に俺は寝ていたし夕飯も好きな時間に食べていたので下宿より居候の方が正確だったかも知れない。誰かとひとつ屋根の下で暮らすことへの不安はすぐ消えた。早起きの彼がたてる足音や湯を使うボイラー音、帰宅時の開錠の音。そんな他人の気配が俺の輪郭を確かにしていったからだ。  ヒーローを引退した彼は事務所を売却したのち警備会社の相談役に収まっていたがしょっちゅう現場に呼ばれるらしく、出勤はともかく帰り時間はまちまちだった。まあわかる。治安維持に携わっていて彼に一目置いていない人間はまずない(治安を乱す側はなおさらだ)。「防犯ブザーのように使われる」とぼやいていたが、その横顔にはおのれの前線を持つものの矜持があった。どうしてか俺は嬉しい気持ちでそれを見ていた。
2.  ある夜、俺は玄関で彼のサンダルを履き外へ出た。引き戸を開けると明るい星空が広がっていて、それが妙に親しかった。縁側に腰掛けてぼんやり彼方を眺めると星の中に人工衛星が瞬いている。ほとんどの民家の明かりは消えていて、夜は少し湿りそして深かった。紫陽花だけが夜露に濡れて光っていた。  知らない街なのに、他人の家なのに、帰らんと、とは微塵も思わなかった。俺はここにいる。知らない場所に身ひとつで放り出されてもここに帰ってくる。呼吸をするたびに心と体がぴったりと張り付いていった。  気配を感じて振り返ると、あの人がスウェットのまま革靴を引っ掛けて玄関から出てくるところだった。 「風邪をひくぞ」と言われ何も答えずにいると犬か猫みたいにみたいに抱えられ、家の中に連れ戻された。  それからほとんど毎夜、雨でも降らない限り俺は外に出て彼方を眺めた。そうすると彼は必ずやってきて俺を連れ戻した。ある夜「一緒に寝てください」と言ったら彼は呆れたように俺を見下ろして「お前の部屋でか」と言った。そうかあそこは俺の部屋なのか。「あなたの部屋がいいです」と言ったら視線がかちあい、耳の奥で殺虫器に触れた虫が弾け飛ぶみたいな音がして、目が眩んだ。 「そんで、同じ布団で」 「正気に戻ってからセクハラだとか騒ぐなよ」  彼の布団にすっぽりおさまると目が冴えた。やっぱこの人なんか変。そんで今日の俺はもっと変。分厚い背中に額をあてて深く息を吸った。おっさんの匂いがして、めちゃくちゃ温かくて、甘くて甘くて甘くて足指の先まで痺れる一方で自分で言い出し��ことなのに緊張で腹の奥が捻じ切れそうだった。  彼の寝息と一緒に家全体が呼吸をしている。眠れないまま昨夜のことを思い出す。俺が風呂に入ろうとして廊下を行くと、居間で本を読んでいた彼が弾かれたように顔を上げた。その視線に斥力のようなものを感じた俺は「お風呂行ってきまぁす」となるべく軽薄な声で答えた。一秒前まであんな強い目をしていたくせに、今はもう血の気の失せた無表情で俺を見上げている。妙に腹が立って彼の前にしゃがみ込んだ。「一緒に入ります?」「バカか」「ねえエンデヴァーさん。嫌なこととか調子悪くなることあったら話してください。ひとりで抱え込むとろくなことないですよ。俺がそれなりに役立つこと、あなた知ってるでしょ?」 「知ったような顔をするな」 「俺はド他人ですが、孤独や後悔についてはほんの少し知っていますよ」  真正面から言い切ると、そうだな、と素っ気なく呟き、それきり黙り込んだ。俺ももう何も言わなかった。  ここは過ごすほどに大きさを実感する家だ。そこかしこに家族の不在が沈澱している。それはあまりに濃密で、他人の俺でさえ時々足をとられそうになる。昨日は家族で食事をしてきたという彼は、あの時俺の足音に何を望んだのだろう。  いつぞやは地獄の家族会議に乱入したが、俺だって常なら他人の柔らかな場所に踏み入るのは遠慮したいたちだ。けれどあの無表情な彼をまた見るくらいなら軽薄に笑うほうがずっとマシだった。これから先もそう振る舞う。  きんとした寂しさと、額の先の背中を抱いて困らせてやりたい怒り。そんなものが夜の中に混ざり合わないまま流れ出していく。
3.  涼しい夜にビールを飲みながら居間で野球を眺めていたら、風呂上がりの彼に「ホークス」と呼ばれた。 「その呼び方そろそろやめません? 俺もう引退してるんすよ。俺はニートを満喫している自分のことも嫌いじゃないですが、この状態で呼ばれるとホークスの名前がかわいそうになります、さすがに」「お前も俺のことをヒーロー名で呼ぶだろうが」「じゃあ、え……んじさんて呼びますから」「なぜ照れるんだそこで」「うっさいですよ。俺、けーご。啓吾って呼んでくださいよほら」「……ご」「ハイ聞こえないもう一回」「け、けいご」「あんただって言えないじゃないですかあ!」  ビールを掲げて笑ったら意趣返しとばかりに缶を奪われ飲み干された。勇ましく上下する喉仏。「それラスト一本なんすけどお」「みりんでも飲んでろ。それでお前、明日付き合え」「はあ」「どうせ暇だろ」「ニート舐めんでくださいよ」  翌日、俺らは炎司さんの運転で出かけた。彼の運転は意外に流れに乗るタイプで、俺はゆっくり流れていく景色を眺めるふりをしてその横顔を盗み見ていた。「見過ぎだ。そんなに心配しなくてもこの車は衝突回避がついている」秒でバレた。 「そろそろどこいくか教えてくださいよ」 「そば屋」  はあ、と困惑して聞き返したら、炎司さんはそんなに遠くないから大丈夫だ、とまたしてもピンぼけなフォローで答えた。やがて商業施設が消え、国道沿いには田園風景が広がり出した。山が視界から消え始めた頃ようやく海に向かっているのだと気づく。  車は結局小一時間走ったところで、ひなびたそば屋の駐車場で止まった。周りには民家がまばらに立ち並ぶのみで道路脇には雑草が生い茂っている。  テレビで旅番組を眺めているじいさん以外に客はいなかった。俺はざるそばをすすりながら、炎司さんが細かな箸使いで月見そばの玉子を崩すのを眺めていた。 「左手で箸持つの随分上手ですね、もともと右利きでしょ?」 「左右均等に体を使うために昔からトレーニングしていたから、ある程度は使える」 「すげえ。あなたのストイックさ、そこまでいくとバカか変態ですね」 「お前だって同じだろう」  俺は箸を右から左に持ち替えて、行儀悪く鳴らした。 「んふふ。俺、トップランカーになるやつってバカか天才しかいねえ、って思うんすよ。俺はバカ、あなたもバカ、ジーニストさんも俺的にはバカの類です」 「あの頃のトップ3全員バカか。日本が地図から消えなくてよかったな」  そばを食べて店を出ると潮の匂いが鼻を掠めた。「海が近いですね?」「海といっても漁港だ。少し歩いた先にある」漁港まで歩くことにした。砂利道を進んでいると背後から車がやってきたので、俺は道路側を歩いていた炎司さんの反対側へ移動した。  潮の香りが一層強くなって小さな漁港が現れた。護岸には数隻の船が揺れるのみで無人だった。フードや帽子で顔を隠さなくて済むのは楽でいい。俺が護岸に登って腰掛けると彼も隣にやってきてコンクリートにあぐらをかいた。 「なんで連れてきてくれたんですか。そば食いたかったからってわけじゃないでしょ」  海水の表面がかすかに波立って揺れている。潮騒を聞きながら、俺の心も騒がしくなっていた。こんな風に人と海を眺めるのは初めてだったのだ。 「俺を家に連れてきたのも、なんでまた」 「……お前が何かしらの岐路に立たされているように見えたからだ」 「俺の剛翼がなくなったから気ィ使ってくれました?」  甘い潮風にシャツの裾が膨らむ。もう有翼個性用の服を探す必要も服に鋏を入れる必要も無くなった俺の背中。会う人会う人、俺の目より斜め45度上あたりを見てぐしゃりと顔を歪める。あの家で怠惰な日々を過ごす中で、それがじわじわ自分を削っていたことに気づいた。  剛翼なる俺の身体の延長線。俺の宇宙には剛翼分の空白がぽっかり空いていて、けれどその空白にどんな色がついているかは未だわからない。知れぬまま外からそれは悲しい寂しい哀れとラベリングされるものだから、時々もうそれでいいわと思ってしまう。借り物の悲しさでしかないというのに。 「俺より先に仲間が悲しんでくれて。ツクヨミなんか自分のせいだって泣くんですよかわいいでしょ。みんながみんな悲壮な顔してくれるもんだから、正直自分ではまだわかんなくて。感情が戻ってこない。明日悲しくなるかもしれないし、一生このままかも。  あなたも、俺がかわいそうだと思います?」 「いいや」  なんのためらいもなかった。 「ないんかい」 「そんなことを思う暇があったら一本でも多く電話をして瓦礫の受け入れ��を探す。福岡と違ってこの辺はまだ残っとるんだ。それから今日のそばはおれが食いたかっただけだ」 「つめたい!」 「というかお前そんなこと考えとったのか。そして随分甘やかされとるな、以前のお前ならAFOと戦って死ななかっただけ褒めてほしいとか、ヒーローが暇を持て余す世の中と引き換えなら安いもんだと、そう言うだろう。随分腑抜けたな。周囲が優しいなんて今のうちだけだ、世の中甘くないぞ、きちんと将来のことを考えろ」 「ここで説教かます⁉︎ さっきまでの優しい空気は!」 「そんなもの俺に期待するな」  潮風で乱れる前髪をそのままにして、うっとり海に目を細めながらポエムった10秒前の自分を絞め殺したい。  彼は笑っているのか怒っているのか、それともただ眩しいだけなのかよく分からない複雑な顔をする。なお現在の俺は真剣に入水を検討している。 「ただ、自分だけではどうしようもないときはあるのは俺にもわかる。そんな時に手を……  手を添えてくれる誰かがいるだけで前に進める時がある。お前が俺に教えてくれたことだ」 「ちょ〜〜勝手。あなたに助けてもらわなくても、俺にはもっと頼りたい人がいるかもしれないじゃないですか」 「そんな者がいるならもうとっくにうちを出ていってるだろう。ド他人だが、俺も孤独や後悔をほんの少しは知っている」  波音が高くなり、背後で低木の群れが強い海風に葉擦れの音を響かせた。  勝手だ、勝手すぎる。家に連れてきてニートさせてあまつさえ同衾まで許しといて、いいとこで落として最後はそんなことを言うのか。俺が牛乳嫌いなのいつまでたっても覚えんくせにそんな言葉は一語一句覚えているなんて悪魔かよ。  俺にも考えがある、寝落ちたあんたを運んだ部屋で見た、読みかけのハードカバーに挟まれた赤い羽根。懐かしい俺のゴミ。そんなものを後生大事にとっとくなんてセンチメンタルにもほどがある。エンデヴァーがずいぶん可愛いことするじゃないですか。あんた結構俺のこと好きですよね気づかれてないとでも思ってんすか。そう言ってやりたいが、さっき勝手に演目を始めて爆死したことで俺の繊細な心は瀕死である。ささいなことで誘爆して焼け野原になる。そんなときにこんな危ういこと言える勇気、ちょっとない。 「……さっきのそば、炎司さんの奢りなら天ぷらつけとけばよかったっす」 「その減らず口がきけなくなったら多少は憐れんでやる」  骨髄に徹した恨みを込めて肩パンをした。土嚢みたいな体は少しも揺らがなかった。  
 車に向かって、ふたりで歩き出す。影は昨日より濃く短い。彼が歩くたびに揺れる右袖の影が時々、剛翼の分だけ小さくなった俺の影に混じりまた離れていく。 「ん」  炎司さんが手でひさしを作り空を見上げ、声をあげる。その視線を追うと太陽の周りに虹がかかっていた。日傘。 「吉兆だ」
4.  何もなくとも俺の日々は続く。南中角度は高くなる一方だし天気予報も真夏日予報を告げ始める。  SNSをほとんど見なくなった。ひとりの時はテレビもつけず漫画も読まず、映画だけを時々観た。炎司さんと夜に食卓を囲む日が増えた。今日の出来事を話せと騒ぎ聞けば聞いたで質問攻めをする俺に、今思えば彼は根気よく付き合ってくれたように思う。  
 気温もほどよい夕方。庭に七輪を置き、組んだ木炭に着火剤を絞り出して火をつける。静かに熱を増していく炭を眺めながら、熾火になるまで雑誌を縛ったり遊び道具を整理した。これは明日の資源ごみ、これは保留、これは2、3日中にメルカリで売れんかな。今や俺の私物は衣類にゲーム、唐突にハマった釣り道具はては原付に及んでいた。牡丹に唐獅子、猿に絵馬、ニートに郊外庭付き一戸建てだ。福岡では10日で暇を持て余したというのに今じゃ芋ジャージ着て庭で七輪BBQを満喫している。  炭がほの赤く輝き出すころに引き戸の音が聞こえ、俺は網に枝豆をのせた。 「今日は早いですね〜〜おかえりなさい」 「お前、無職が板につきすぎじゃないか?」 「まだビール開けてないんで大目に見てください」  家に上がった彼はジャージ姿でビールを携えて帰ってきた。右の太ももには「3-B 轟」の文字。夏雄くんの高校ジャージだ、炎司さんは洗濯物を溜めた時や庭仕事の時なんかにこれを着る。そのパツパツオモシロ絵面がツボに入り「最先端すぎる」と笑ったら「お前も着たいのか?」とショートくんと夏雄くんの中学ジャージを渡され、以来俺はこの衣類に堕落している。遊びにきたジーニストさんが芋ジャージで迎えた俺たちを見てくずおれていた。翌々日ストレッチデニムのセットアップが届いた(死ぬほど着心地がよかった)。  焼き色のついた枝豆を噛み潰す。甘やかな青さが口の中に広がっていく。 「福岡帰りますわ、ぼちぼち」  彼の手からぽとりとイカの干物が落っこちた。砂利の上に不時着したそれにビールをかけて砂を流し、網の上に戻してやる。ついでにねぎまを並べていく。 「……暇にも飽きたか」 「いや全然、あと1年はニートできます余裕で」  ぬるい風と草いきれが首筋をくすぐり、生垣の向こうを犬の声が通り過ぎていく。いつも通りのなんでもない夕方だ。そんななんでもなさの中、現役の頃は晩酌なんてしなかっただろう炎司さんが俺とビールを開けている。俺らはずいぶん遠くまで来た。 「福岡県警のトップが今年変わったんですけど、首脳部も一新されて方針も変わったらしくて、ヒーローとの連携が上手くいってないらしいんすよね。警察にもヒーローにも顔がきいて暇な奴がいると便利っぽいんで、ちょっと働いてくるっす。そんで、俺のオモチャなんですけど」整理した道具たちに目をやる。「手間かけて悪いんですが処分してくれませんか?」 「……どれも、まだ使えるだろう」 「はあ。リサイクルショップに集荷予約入れていいです?」 「そうじゃない。処分する必要はないと言ってるんだ」  的外れと知っていてなお、真っ当なことを言おうとする融通のきかなさ。その真顔を見て俺この人のこと好きだな、と思う。子どものまま老成したような始末の悪さまで。 「それは荷物置きっぱにしてていいからまたいつでも来いよってことでしょーーか」 「……好きにしろ」  唸るような声はかすかに怒気をはらんでいる。さっきまで進んでたビールは全然減ってないしイカはそろそろ炭になるけどいいんだろうか。ビール缶の汗が彼の指をつたい、玉砂利の上にいびつな模様をつくっていく。 「じゃあお言葉に甘えて。それとツクヨミが独立するってんで、事務所の立ち上げ手伝ってほしいって言われてるんすよ、なんでちょくちょくこっちに滞在するので引き続きよろしくお願いします具体的には来月また来ます♡」 「それを先に言え‼︎」  今度こそ本物の怒りが俺の頬を焦がした。具体的には炎司さんの首から上が燃え上がった。七輪みたいに慎ましくない、エンデヴァーのヘルフレイム。詫びながら彼の目元の皺を数えた。青い瞳にはいつも通りに疲労や苛立ち、自己嫌悪が薄い膜を張っている。今日も現場に呼ばれたんかな。ヒーロースーツを着なくなっても、誰かのために走り回る姿は俺の知ったエンデヴァーだった。腕がなくなろうが個性を使わなかろうが、エンデヴァーを許さぬ市民に罵倒されようが。だから俺も個性なくてもできることをやってみっかな、と思えたのだ。ここを離れ衆目に晒されることに、不安がないわけではないけれど。  疲れたらここに帰ってまたあの部屋で布団かぶって寝ればいい。家全体から、やんわり同意の気配が響くのを感じる。同意が言いすぎだとしたら俺を許容する何か。俺のねぐら、呼吸する恐竜の懐の。 「その……なんだ、頑張れ」 「アザーース」  帰属していた場所だとか、背にあった剛翼だとか。そんなものがごっそりなくなった体は薄弱で心もとない。だから何だ、と思う。俺はまだ変わる。  空があわあわと頼りない色合いで暮れていく。隣にしゃがんだ炎司さんの手が俺の背に添えられた。翼の付根があったあたりにじわりと熱が広がり、そのまま軽く背を押されて心臓が跳ねる。 「来月はそば打ちでもしましょうね」  短い肯定が手のひらの振動から伝わる。新たな命を吹き込まれる俺の隣で、炭がぱちりと爆ぜた。
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ietattafukuoka · 11 months
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アウトドア趣味の収納場所
こんにちは!イエタッタ福岡です!
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キャンプなどのアウトドアの趣味がある方は、 道具の収納場所に困るというお悩みがある場合が多いのではないでしょうか。 これから家づくりをしていく際に事前に収納スペースを確保しておけば、 アウトドア趣味を不便なく楽しめるかと思います。 今回は、アウトドア趣味の収納場所などについて簡単に解説していきたいと思います。
アウトドア道具の収納場所 玄関 道具の汚れを落としやすいし、多少汚れがあっても玄関の清掃をすれば清潔に保てます。
ガレージ ガレージに収納スぺ-スを作ると、 車から降ろすだけで良いので持ち運びが楽です。 また、ビルトインガレージにすると雨風を完全に防止することができます。
階段下の収納 デッドスペースになりがちな階段下のスペースを活用するのもいいでしょう。 その際は汚れを完全に落としてから収納することで、 階段下の収納を清潔に保つことができます。
専用の収納部屋 思い切って庭の空いたスペースにアウトドア専用の収納部屋を作るのもいいでしょう。 ガレージに近い場所につくると持ち運びが便利になります。
収納する際のポイント 汚れを落としてから収納する 道具を収納する際はしっかりと汚れを落としてから収納しましょう。 収納場所の近くに下水道があると、 道具の汚れを落とす場所と収納する場所がまとまります。 また、水洗いした際はしっかりと乾燥させましょう。
詳細が気になる方はイエタッタ福岡の家づくりコラムをご確認下さい♪
https://www.fukuoka-ietatta.com/column_detail.php?id=100
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この度2022年9月よりイエタッタ福岡がオープンしました。 イエタッタ福岡では、 家づくりをしたい人を応援しております! 家を建てる前に知るべき基礎知識や、 福岡県内(筑豊エリアを除く)のハウスメーカー・工務店・設計事務所・施工事例・イベント情報などを発信!
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muraie0413 · 2 years
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Rの家の調律
「空間を調律する」 
本計画はいわゆる千葉の郊外に建つ一般的な古い戸建住宅の内装改修です。現場を拝見させていただいた時に古い戸建住宅特有の小割のプランと低い天井高さが暗い空間を生み出していました。また、この住宅にお住まいになれるのはお施主さんのお母様で、一人で住まわれることが前提でした。健康上の理由もあり、日々の暮らしの大半を家の中で過ごされています。そこで「暗い・低い=気分の上がらない空間」に対して「空間のコントラストを整える」をコンセプトに、スケール感の強弱、新旧素材の対比、細やかな色彩計画を調整することで場所ごとのキャラクターを際立たせ、光やスケールの変化が生み出す、居住の楽しさを感じていただける住まいを目指し、日常の暮らしを少しでも楽しんでいただける計画を目指しました。
 玄関と廊下の空間はこの住宅の目指す調律の方向性を示唆させる場所であり、各場所へのアクセスの起点となる場所のため、極力ニュートラルな色彩計画とスケール操作に終始しています。1階に壁を撤去し、広々とした一室空間へプランを変更しつつ、白色の壁を基本としながら、既存木軸との対比を意識した開放的で明るい空間とし、昼間の活動を明るくのびのびと過ごしてもらえる空間を試行しました。階段を上がるとワークスペースが広がっていて、作業や仕事の集中力を高められる場所となるようグレー色を基調色とした色彩計画としています。隣接する寝室はベージュ色の空間で家の中で床に近い居住域の場所になるため、天井高さも低く抑えて落ち着ちつきのある場所としています。
今回の計画では特別なことはしていません。厳しいコストコントロールや施工性のために、既製品も積極的に活用しています。コンセプトの言葉の通り、空間のコントラストを整えることに注力しながら、暮らしの中の場面に合うキャラクターを与え、暮らしの場面転換が居住する楽しさを生み出しています。その設計操作は「改修」という大げさなものではなく、住まいの空間を「調律」したという表現が適切なのではないかと考えています。
 写真撮影:松崎直人
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2023年2月11日朝6:30、コーク市内のフラットを出る。約2時間半、電車を乗り継ぎ、キルデア州キルデア(Kildare, Country Kildare)を目指す。
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朝8時17分、乗り換えのサーリス(Thurles)駅プラットフォーム。日照時間がまだまだ短く、朝8時過ぎでも明け方の気配が残る
雨上がりの生臭い都市のにおいと、町外れから風にのって運ばれてくる野原のわずかなにおいが混ざりあって、日の出前の暗闇がつつむ冷たい空気に溶けている。
サマータイムのはじまりまで残り一ヶ月半、日中の陽が短く、曇天と雨の日ばかりが続くアイルランドの冬の厳しさは、南米や南ヨーロッパ出身の友人たちのメンタルを目に見えて明らかにすり減らしていた。
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霜が降りたフィッツジェラルドズパーク(Fitzgerald's Park, Cork)、リー川(River Lee)沿いのキンポウゲの葉
「あなたは日本でも北の方の出身だから、こういう冬の気候に慣れているんでしょ?」と、げっそりした表情の移民の友人たちが訊ねてくるたびに「アイルランドにおける英語の『冬』と、日本語の『冬』は、その言葉に含まれているバックグラウンドが違う、このふたつは完全に違う季節だと思う」と答えた。
彼らが「冬」と呼ぶ、11月初旬から3月後半あたりまで、わたしたちのイメージする冬らしい冬の日もあるにはあったけれど、それはせいぜい1ヶ月半くらい。あとのおおよそ4ヶ月間は、気温一桁台から二桁台前半あたりをうろうろする。メキシコ湾からアイルランドとイギリスに届く暖流の影響で、振り続ける雨は雪になること無く、その影響で湿度が下がらない。体感は寒いのに、大気は霧と湿度に包まれてなんとなくじめじめしている。
要するに、冬の厳しさの質が全く違う。
東北の冬が、雪という抗いようのない大きな重量を持った物体に対して、歯を食いしばりぐっと耐え忍ぶようなイメージなら、アイルランドの冬は、浴室に生えるカビのように毎日少しずつ心の中のしんどさの領土を広げていく。
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コーク郊外、冬はよく町が霧に包まれる
春が来る。
2月1日はケルトの暦の春分の日、ゲール語でインボルク(Imbolc)。
暦の上での春と、体感としての春におおよそ1ヶ月の時間が空くこと、そしてその到来がそこに住む人々にとって他の季節のどれよりも特別であることは東北と同じだ。
前回記事のハグ・オブ・ベアラ(Hag of Beara)についての文献を調べていたときに何度も目にしたブリジッド(Brigid)の名前は、ケルト神話に登場する存在だった。
なので当然、2月1日の聖ブリジッドの日(St. Brigid’s Day)の日や、その名前を冠して2023年から公式にアイルランドの祝日になった2月の第一月曜日も、それに関連する日だと思い込んでいたがどうやら違うらしかった。
聖ブリジッド(St. Brigid)は現在の北アイルランドとの国境近く、ラウス州フォアハート(Faughart, Country Louth)に生まれ、5世紀から6世紀にかけて実在していたとされるアイルランド人の修道女だ。
幼い頃から貧しい人々に施しを与え、アイルランドの守護聖人である聖パトリックによって洗礼を受けたあと、各地で教会や修道院、アートスクールまで設立したと言われている。
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1902年から続く雑誌 Ireland’s Own の表紙の聖ブリジッド、手には彼女の信仰の象徴の十字架の藁細工
彼女に関して興味深い点がふたつある。
ひとつは、彼女が実在したことを確実に証明できる文献が残っていないこと。
そしてふたつめは、前述の通り全く同じ名前のケルト神話の女神が存在することだ。
日本に五穀豊穣や学業成就を祈るためのモチーフとしての神々があるように、キリスト教圏の聖人にもその多くに守護の対象がある。聖ブリジッドの守護対象は家畜、詩、歌、鍛冶、病気からの回復など、周知されているものだけでも非常に手広い。
そしてそれらの守護は、女神ブリジッドの守護するものと同じだ。
普遍的な祈りである「病気からの回復」は、アイルランドにおいて井戸や湧き水と関連付けられることが多い。古くはドルイドの信仰の対象であり、地下から湧き上がる水は癒しや命の源とみなされ、アイルランド国内に約3000ある「聖なる井戸」の内の少なくとも10の井戸がブリジッドと紐付いて周知されている。
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聖ブリジッドの泉の井戸、井戸の水自体は正直あまり綺麗な水質には見えなかった
彼女が修道院と教会を建てたあとそこに没したとされる町、キルデアの町外れには、それらを巡礼する人々のために用意された聖ブリジッドの泉(St Brigids Garden Well)がある。
もともとの小川の曲線に沿って整備されたと思われるその小さな公園には、聖キルデアの銅像が経ち、彼女に対する崇拝の象徴であるイグサや藁で編まれた十字架のモチーフが散見される。
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聖ブリジッド像、聖ブリジッドの日から5日後だったこともあり供えてあった花はすべて瑞々しい
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外壁に刻まれた聖ブリジッドの十字架(St.Brigid’s Crosses)モチーフの彫刻。2月1日にこの十字架を玄関に飾るとブリジッドの守護が受けられるという信仰がアイルランドにおいて広く分布する
その周囲や周りの木々、公園の奥に位置する井戸の近辺には多くの供え物が並ぶ。供え物の多くは治癒を望む体のパーツにまつわるものであるらしく、パンデミック後ということもあってかマスク(文脈を知らず一見すると捨てられたマスクのゴミに見える)が目立った。
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ストッキング、マスク、靴紐、靴下、スカーフ、ネックレス、供え物は様々。木から供物が落ちると祈った箇所が加護を受け、病気や外傷が治癒すると信じられている
町外れに位置するにも関わらず、絶えず入れ替わり数名の人が訪れる。
録音レコーダーをまわしながら、来訪者が途切れたタイミングで公園の全景を眺める。澄んだ小川が風を運び、もとの地形にも配慮されデザインされたと思われる、心地の良い公園である。にも関わらず、なんだか妙な感じがした。
公園の奥にある井戸と、入り口付近を流れる小川が繋がっていないのだ。地下で繋がっているのかもしれないと思い小川の上流を視線でたどっても、井戸とは90度逆の方向だ。上流は茂みの奥へと続き、その先は見えなかった。
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公園全景。撮影地点の背後に井戸がある。小川は写真左奥の茂みの方から水が流れて来ている
録音を終えると、キルデアの中心部に向かう。
中心部といっても、人口9000人に満たない小さな町だ。もとは数えられるほどのパブとカフェ、そして聖ブリジッドが設立したといわれる中規模の教会がある比較的静かな町だったが、2007年にオープンした大型アウトレットモールには隣県である首都ダブリンからも大型バスが乗り入れる。
土曜日の昼下がりに町を歩くほとんどの人が、有名ブランドのショップバッグを持ち、駅の方角へと歩いていく。
中心部にやって来たのは聖ブリジッド大聖堂(St Brigid’s Cathedral)に行くためだった。だが、この日に限ってメンテナンスのために敷地全体が閉鎖されていた。
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聖ブリジッド大聖堂、閉じられたメインエントランスのフェンスに手をつっこんで撮った写真……
アイリッシュ・ナショナル・スタッド&ガーデンズ(Irish National Stud & Gardens)に向かった。
時間が余ったらついでに行けたらいいかな、と思っていた場所だ。
競走馬の繁殖とトレーニングの場として20世紀初頭に設立され、今では市民に親しまれる広域公園としても機能するこの場所には日本庭園がある。
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1906年、ロンドンで日本趣味の骨董品店を経営し、自身も骨董商だった Tassa Eida (日本名: 飯田三郎)は、日本庭園をつくるためにキルデアに派遣され、その後の4年間を彼の息子 Minoru と共に造園に従事する。
(彼らの詳細については こちら と こちら の記事が詳しい、どちらも素晴らしくリサーチされたポスト)
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手入れの行き届いた枯山水
19世紀後半から20世紀初頭にかけてジャポニズム、つまり「日本っぽいもの」がヨーロッパで流行ると、貴族たちはこぞって「日本っぽい建築」や「日本っぽい庭園」を作りたがった。
ただし、やはりそれは「日本っぽいもの」の域を出ないものが多く、日本で生まれ育った人間が見ると、形容し難い、ちょっとした居心地の悪さのようなものを覚えるようなものが多い。
そういう類のものだろうとあまり期待せずに訪れると、良い意味でその期待を裏切られる。
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庭園の動線、ちょうどまんなかあたりにある洞窟?からの景色。右にあるのは藤棚で春にはきれいに藤の花が咲くらしい
清らかな水が美しい動線で引かれ、人が生まれてから死ぬまでを表現したその庭園は、当時イギリスで流行したエドワード様式建築の影響を受けて少しだけ華美ではあるものの、正真正銘の日本庭園だった。
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庭園の石灯籠によじ登っていた鬼。庭園にある多くの植物やオブジェクトが日本から輸入したものだが、たまにこういう西のものとも東のものとも分からないモチーフも見かけて興味深かった
町の中心部に戻ると、帰路の電車の出発まで1時間弱の時間があった。
少し散策したあと、聖ブリジッド大聖堂に戻ってくる。
地域の人だけが使う入り口とかあってそこから入れたりしないかな……などと不届きなことを考えて外壁の周りをうろついたが、それらしきものは見つからなかった。
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入り口を探っているときに外壁から見えたラウンドタワー、実際に登れるものとしてはアイルランド国内でいちばん高いらしい
しかたなくキルデア駅に向かう。
プラットフォームの椅子に座って電車を待っていると知らない女性に、どこから来たのか、と声をかけられた。
薄暗いプラットフォームで目をこらすと、大聖堂に戻る前に一瞬だけ立ち寄った、メインストリートから少し外れた場所にあった雑貨屋の店員だった。
日本から来たこと、リサーチに関すること、井戸とスタッドガーデンの方には行って、教会にどうにか入れないか模索したが結局入れなかったことを拙い英語で説明する。
すると「どっちの井戸に行ったの?」と訊ねられた。
聞き間違いかと思い、どういう意味ですか?と返すと、彼女が説明してくれた内容はこうだった。
ブリジッドの井戸はふたつあって、ひとつはおそらくあなたが行った聖ブリジッドの泉、 聖人の方のブリジッドを祀ってるところ。地元民にとってはずっと特別な場所だったけど、パンデミック中にきれいに整備されて、観光客が来たり滞在したりが以前よりも更に容易になった。
もうひとつあるのが、Wayside Well(日本語直訳: 道端の井戸)と呼ばれている場所。こっちがキリスト教伝来前のドルイド(ケルト人たちの信仰における祭司)のブリジッドを祀っていると言われている。スタッドガーデンの駐車場からすぐそばの、とても素朴な井戸で、観光客はまず行かない。
そして、聖ブリジッドの泉の公園を流れる水は、Wayside Wellが源泉。
そう、この話を初めて聞いたとき、わたしもとてもおもしろいと思った。
地味で、ほぼ地元民しか知らない、古代ブリジッドの方から湧き出た水が、キリスト教のブリジッドの方に流れていって、そしてその公園の方が立派に整備されていて、人がたくさん来る。歴史が辿ったストーリーと水の流れが同じなんて、ちょっとロマンチックだよね。
そして、あなたの旅のことも同じようにロマンチックに感じる。
日本庭園に行ったんだよね?
あそこを流れる小川の水も、同じWayside Wellから引いた水だよ。
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スタッドガーデンの日本庭園に流れる小川
水の情報記憶に関する文章を読んだことがある。
スプーン1杯の水が1TB分の情報を記録できる、という科学研究だ。
信仰が人々の普遍的な祈りを運ぶ船だと考えたとき、わたしたちは船を替えても、変わらず同じ水の上に浮かぶ。
あれこれ考えて右往左往するよりも、もっと単純に、すべては最初から土地とそこを流れる水にメモリーされていて、わたしたちはきっと、そのぼんやりとした断片にただ触れることだけができるのかもしれない。
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聖ブリジッドの泉公園を流れる小川。水がとても綺麗でクレソン?が群生していた
ふたつの井戸の話にあまりにも驚いて「そんな情報、どこにも書いてなくて全然知らなかった、道端の井戸(Wayside Well)の方にも行くべきだった」とわたしが言うと、彼女は微笑みながらこう言った。
「また来ればいいよ、水が止まることはきっとないからね」
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tokyomariegold · 1 year
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2023/2/4〜
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2月4日 型抜きを買ってクッキーを型抜く日! なのでネイルオフをしてもらいに、朝はネイルサロンへ行った。
上野で待ち合わせをして合羽橋へ向かう。 合羽橋の道具屋街のビルに、バルコニーがコーヒーカップになっているデザインの建物があったり、コックのおじさんがそびえ立っていたり、たくさんの食品サンプルが実際の食事よりも高価だったり楽しい街。 またふらっと遊びに行きたい。
1階から8階まで型抜きがずらーっと並ぶお菓子道具屋さんで、3人それぞれお気に入りの型を見つけて買った。 友人は小さい魚とうさぎ。わたしはおばけちゃんにした。
上野駅横の首都高は改築工事をしていて、日本橋の首都高を地下化して空を取り戻す計画、の一環らしい。
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クッキーを作るため、友人の家へ移動。 移動中に見えるスカイツリーや川で、自分の住んでいるまちとの位置感覚を掴んでいて、まさかスカイツリーが、川が、シンボルとして自分の生活に入り込む日が来るなんて〜、と思った。
友人2人は、小さい頃おばあちゃんの家でクッキーを焼いていたらしい。クッキー用のミックス粉とバターをスーパーで買って、やっぱり節分を過ぎて春が来たのか、暖かいね、と言って歩いた。 誰かのお家に行くと、みんな生活をしていてえらいな〜、という気持ちになる。 今1番の苦痛で抗いたいものが生活になってきている。生活のために社会にも出ているし、生活が忙しくて頭が毎日混乱していて、生活をさぼると精神衛生がよくない。そしてずっと回っていくんだな、と思わせてくる生活って怖い。
クッキーを作りながら、写真を撮ったり色んな話を取っ替え引っ替えしたり、昔、みんなでガスコンロでマシュマロを焼いた日のことを思い出して、こーゆーことしたい!という事ができて幸せだった。
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この数日、すごく不安でSNSにも頼れないで、でも漠然と安定した30歳でいることが悲しかったので、今日の型抜き会はとても救われる時間だった。
バターを溶かしている間に、バレンタインのチョコレートを交換しあった。特に予定してなかったのに3人ともそれぞれ用意していて、幸せな机の上になった。
今朝、3時ごろ目を覚まして、レトルトのほうれん草カレーをそのままスプーを突っ込んで食べていた話をしたら、友人1人はあんバターサンドを作って食べていて、もう1人はグミを食べていて、なんか少し安心した。 カレーを食べながら、IMAのコンペの講評トークのアーカイブを鑑賞した。久しぶりに長島先生のお話を聴けて、少し遠い存在の人から自分の写真について話してもらえて、これは幸せな事で、やっぱり写真を通して人と関わりたい、と思った。 写真、というか、私がしてきたこの7,8年間の生活を、みてもらえている感覚。写真を通して人と関わることが、1番望ましい自分との出会い方なのかも知れない。今は具体的な方法はわからないけれど、生活と写真をどうにかしたい。
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2月5日 昨日のクッキー作りの会が幸せだったな〜、と色々思い出しながらも、生活がだるくてしかたない1日。 昨日クッキーを作った3人は、それぞれ誕生日の季節が違う。みんな自分の季節でない秋が好きなので、秋に祝いたいね、と合同誕生会を秋にすることに決めり、Perfumeのチョコレート・ディスコの“なぜか教室がダンスフロアに”は、聴き取れないよね、と話したりした時間がとても良かった。
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そして今日はフィルム現像を待つ間にデパートのチョコレート売り場を眺めた。モロゾフのナインチェチョコを思わず買ってしまいそうになったけれど、ちゃんと手を止められた。 他のフロアでは5のつく日にくばられる100円引きクーポンをもらって、クーポン墓場(お財布)へ行く前に、お花を買って使っちゃおう!と思ったところで、こんなと前にも日記に書いたな…と思い出す。 今日はお花を買うのをやめた。
帰宅するとamazonセールで買った、本当に必要なモノ、だけが入った段ボールが置き配されていた。
本当に生活にまみれていて、よくわからないことがなくて、悲しけれどずっと真顔。 生活したくないのに目の前のちょっとした汚れを落とすことに身体を使っている。
何となく昨日行った友人の部屋を思い出しては、今頃あのソファに座っているのかな?とか台所でお湯を沸かしているのかな?とか時々他人の生活までも考える日だった。
わけの分からないことをすることに歯止めばかりかけていて、もらったハンドパックをした直後にガシャガシャ手を洗った事くらいが、今日の私の面白さのハイライト。
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2月6日 忌引で休暇していた上司が今日から出勤されていて、社会人として当たり前のことなのだろうけれど、えらいな〜…と思ってしまう。 必要以上に振られた他愛ない話を広げてしまっている自分がいる。 なぜ私の方が気が動転してしまっているんだろう。 そして今日は血糖値お化けをしてしまっている。 朝からコンビニを梯子して食べられるお菓子をさがしてしまい、買ったものを全部一口ぐらいだけ食べて捨てて、をしてしまった。 昨晩NHKオンデマンドで観た某女子校の29歳の同窓会のドキュメンタリーに、大学時代のサークルの後輩が出演していて、思わず彼女にスクリーンショットとメッセージを送ってしまった。 私は、彼女と、��女の高校時代の友人達(バンド仲間、といってしまうのはおこがましい程のとても愛おしい関係の方々)の関係性がとても好きで、彼女以外の方と直接面識はないけれど、彼女達のSNSを今でも見に行ってしまう(フォローはしていない)。 初めて会った時、こんなに若くて(一つしか違わないけれど)コンセプチュアルにセルフプロデュースできる女の子がいるなんて!!!と思って、今でも私にとってはアイドルでしかなくて昨日のメッセージを送るのも少し緊張していた(お高い感じは全くない、とてもかわいくて気さくな彼女なのに)。 その番組を観ていて、29歳の同窓会という文字に、29歳ってだいぶ大人だな〜とふと思って、私はそれをもう超えていることに一瞬で落ち込んだりもした。 友人からのラインを確認しようとして、届いていたメッセージの文頭から、妊娠の報告なのかもしれない!と察知して、なんだかどうしていいか分からずメッセージを開けずにいる。 オンライン機種変をしたiPhoneを途中駅のauショップに受け取りに行かなくてはいけないのに、全てが面倒でふらふらで、今日はやめておこうかな、と思っている血糖値お化け。
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2月7日 ちゃんとiPhone14を受け取りに行ったよ。えらい! ショッピングモールの3階のテナントがauショップ。3階は主にレストランフロアなので今まで行ったことがなかった。 平日の夜のショッピングモールって従業員の方が多いんじゃないかな、というくらい穏やかで、でも不思議と閑散とした印象ではないのは、このまちの雇用を守って回っている経済が確かにあるからなのかもしれない、と思った。 ショッピングモールのテラスや外の広場は、上品に程よくイルミネーションが施されていて写真を撮りたくなる。バスから降りて歩く30分ほどの道でも、あ、ここで写真を撮ってみたいかも!と思うスポットがいくつかあるのに、今朝もカメラと三脚を玄関で持ち上げてはその重さに断念してしまった。 長島先生の講評を聞きながら昼休みを過ごしている。 セルフポートレートのこともだけれど、先生はキャプションをとても大切に考えていることがよくわかって、文章と写真のことも考えたいと思っていたので、その辺りもお話ししてみたいな〜、と思った。 ムキムキにならなくても三脚とカメラを持ち歩いてどこでも自撮りをしたいし、 頼り甲斐がない物言いのままでも、自分と同じ内容を言っている年上の上司のように社会の人たちに話を聞いてもらえるようになりたいし、 がに股で歩いて舌打ちしないでも夜道で変なおじさんに暴言を吐く当てにされないように、30年で培ったどこまでもふわふわへにゃへにゃな自分を、 誰かでなくて自分で守っていきたい。 年賀状のお年玉は一枚も当選していなかった。
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2月8日 2期下の方をお昼のおしゃべり相手にお誘いしてみた。 半分は写真を撮って過ごして、半分をお話する時間に充てて昼休みを過ごしてみる。
ご飯を食べられないので、ひたすら歩いてラジオを聴いたりトークイベントを聴いたりして過ごすお昼休みを、誰か他愛無い身の上話をして過ごして、いつものお昼休みに起きている時間の使い方の迷いや後悔の焦りがなかったので良いことなのかも知れませんね。 でもとてもあれ?えっとなんだっけ?という気持ちで、帰り道を歩いてた。 そろそろ日記をノートに書く余裕がある気がする。 でもここでノートに戻したら、その瞬間また寒気が舞い込んで来る気がして、寒さは心理戦。
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2月9日 今日は三脚を持って出勤して、少し写真を撮ることができた。 そして、とても楽しかった。 明日の東京出張が、また雪予報でどうなってしまうか不安だけれど、フィルムを出して現像の合間に用務を済ませて、帰りに受け取って帰る予定を立てたので、楽しみになっている。 今は自撮りと一緒に伝えたい言葉が明確にあるわけではないけれど、自分の置かれた環境が変わったところでもう一度我に帰りたいと思って、三脚立てて写真を撮ってみている。 バスを途中下車して帰り道でも写真を撮るぞ〜と思っていたら、一期下の方に声をかけてもらって、お話ししながらバスに乗った。 「今日はこれから写真を撮って帰るので、わたしはここで降りますね」と言って三脚をガタガタさせながらちゃんとお断りを入れて途中下車させてもらった。こんなに堂々と写真を撮っていて、そのことを他人に話していて、わたし大丈夫かな? 職場の二期下の方はベローチェを知らない。時間つぶしにカフェに入るようなことはしなくて、車でわざわざカフェに出かけるとのこと。もう2時間も居座ってしまったから流石に移動しようかしら、と、ベローチェからドトールへカフェ梯子をするような経験はないのでしょうね。 スタバよりベローチェのある街が都会だと思っています。
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myonbl · 2 years
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2022年8月13日(土)
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毎月1日付けで<京都市民しんぶん>が、15日付けで<下京のひびき(市民しんぶん下京区版)>が発行される。今朝は<下京のひびき>を組内に配付した。今回の特集は<敬老乗車証制度の見直しについて>、赤字が酷いので対象年齢を引き上げるというものだ。<敬老乗車証制度は、現在、70歳以上の希望する市民の皆様に、 所得に応じた負担金(年額0円~15,000円)で市バス・地下鉄共通全線定期券 (年額20万円)相当の価値があるフリーパス証を交付する、 高齢者の社会参加支援を目的とした福祉施策>なのだが、私の場合で言えば73歳から対象となる。施策についての批判はあるが、まずは73歳まで元気に社会の一員であろう・・・、何て健気な納税者!
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5時30分起床。
日誌書く。
シャワー。
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納豆そば+そば湯+ヨーグルト。
涼しいうちに、<下京のひびき>を組内に配付する。
ツレアイはチラシ睨んで買物計画、私はあれこれ家事。
麺つゆを作って冷やす。
キュウリのしょうゆ漬けを仕込む。
枝豆を茹でる。
糠床メンテナンス。
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Apple から Magic Trackpad が届いた。実はこのところ、2日おきくらいに充電しなければならなくなってしまった。さほど古いものではないと思うのだが、使い勝手が悪いので新調したのだ。
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ランチ、息子たちには出石蕎麦、私たちは残り物を片付ける。
録画番組視聴。
▽桂りょうば 落語「強情灸」▽酒井くにお・とおる 漫才
初回放送日: 2022年8月13日
土曜の早朝は、関西の笑いを、たっぷりと!今回は桂りょうばさんの落語『強情灸』と酒井くにお・とおるさんの漫才です。▽ご案内は南沢奈央さんと桂あおばさんです。
軽く午睡。
資料整理。
夕方、長男夫婦来訪、玄関先で近況報告会。先日の奈良旅行の土産を渡す。
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早めに夕飯準備、暑さの中で揚げ物を頑張った。何しろ、大きなカボチャを処理しなければならず、それならと安売りの地鶏も唐揚げにした。
熊野のHさんから電話、昨日送った残暑見舞いが届いたとのこと。やはりコロナの影響で盆の帰省客は少ないとのことだ。
録画番組視聴。刑事コロンボ
(47)「狂ったシナリオ」
何度見ても新しい!ミステリードラマの金字塔。若き特撮映画監督が旧友を殺害し、遺体の身元がわからないよう工作…パトリック・ウィリアムズの音楽がエミー賞にノミネート
 映画監督アレックス・ブレイディのもとを、旧友のレニーが1本のフィルムを持って訪ねてくる。そこにはブレイディの秘密が映し出されており、それを公表するというのだ。キャリアを守りたいブレイディは、レニーをオープンセットへと連れ出し感電死させる。その後、身元をわからないようにして海岸に遺体を遺棄した。だが、遺体のそばに落ちていた1冊の本から、ブレイディのシナリオは狂い始める。
早めに片付け、そのまま布団の中へ。
露の新治さん、鈴本3日目は<魂切源五郎>とのこと。
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3つのリング完成は最初から諦め、水分は2,000ml達成。
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shintani24 · 17 hours
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2024年4月19日
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コロナワクチン用冷凍庫、どこへ 全国約2万台 処分に動く自治体(朝日新聞)2024年4月19日
埼玉県白岡市が新型コロナウイルスのワクチン保管用に国から無償譲渡されていた冷凍庫。すぐに引き取り先が見つかった=2024年4月10日、埼玉県白岡市保健福祉総合センター「はぴすしらおか」、佐藤純撮影
新型コロナウイルスのワクチン接種を全額公費でまかなう「特例臨時接種」が3月末で終わり、国から自治体へワクチン保管用に無償譲渡された冷凍庫も役目を終えた。マイナス60~85度の超低温を保てる特殊な機種が含まれており、家庭用には向かない。自治体は譲り先や売却先を探すなど、一斉に処分に動き出した。
埼玉県白岡市保健福祉総合センター「はぴすしらおか」の廊下に9日、4台の冷凍庫がズラリと並んだ。接種を担う市内の医療機関に置かれていたが、この日、市の担当者が回収してきた。
センター内の別の場所などにある3台と合わせ、計7台が2021年度に国から譲渡された。健康増進課によると、3月までに接種を受けた市民は延べ約19万5千人。市外で接種を受けた人が一部含まれているが、ほとんどの人たちはこれらの冷凍庫で保管されていたワクチンを接種された。
特例臨時接種の終了を前にした昨年12月、厚生労働省は全国の自治体に事務連絡を出した。冷凍庫の譲渡や売却などでの有効活用を求めつつ、廃棄も認める内容だった。
市はこれを受けて、医療機関に打診したり、4月初めからホームページで引き取り先を募ったりした。その結果、冷凍庫を置いていた医療機関が1台をそのまま引き取るほか、市の農産物販売施設「しらおか味彩センター」の指定管理者や県外の動物病院などに5台を譲ることに。残り1台は、災害時の医薬品保管を念頭に市が引き続き保有する。
大瀧明志・市健康増進課長は「無事に有効活用してくれる先が見つかり、ほっとした」と胸をなで下ろした。
厚労省によると、ファイザー社のワクチン向けの超低温冷凍庫9900台、モデルナ社のワクチン向けの低温冷凍庫1万2千台を計90億円余りで調達した。全国の自治体の希望に応じて計約1万4700台を無償譲渡したほか、国が7千台余りを保有して職域接種をする企業などに貸した。耐用年数は6~10年程度。同省も国保有分の処分方法を検討している。
県のまとめでは、県内63市町村のうち、横瀬町を除く62市町村と県に、計788台が無償譲渡された。最も多かったのはさいたま市の108台。川越市45台、川口市39台と続いた。
さいたま市は、ワクチンの配送を委託した業者の倉庫に108台をまとめて置かせてもらっていた。2月に業者から見積もりを取り、川口市の中古機器業者に約58万円で売却することを決めた。4月早々に引き渡した。
県は譲渡された13台のうち1台を県衛生研究所で活用するが、12台は引き取り先が見つからず、すでに14万円余りかけて廃棄したという。8台使っていた八潮市は、市内外の研究機関や医療機関に無償譲渡する。4月中に引き渡す予定。
蓮田市は3月、ホームページで譲渡された6台の引き取り先を募った。21件の応募があり、市内の医療機関2施設に1台ずつ、県内の大学2校に2台ずつ譲ることにした。
市によると、6台中2台は一度も使わなかった。当初4台で対応していたが、故障した場合に備えて、追加で確保したのだという。担当者は「無事に接種をするために必要だったと考えている」と説明する。
さいたま市でも108台のうち数台を使わなかったという。
厚労省予防接種課は「当初、冷凍庫が壊れてワクチンが使えなくなり問題になった例があったので、貴重なワクチンを大事に使うため、自治体の工夫で予備を確保したとしても、否定的にとらえていない」としている。(佐藤純)
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湖の底に武田信玄の墓? 子どもの頃に聞いた昭和の謎「捜索」、社長が追う歴史ロマン かつて騒がれたひし形の巨大構造物は…(信濃毎日新聞)
長野県の諏訪湖、ダイバーや水中ドローンで「解明」試みる
諏訪湖底の構造物を調査
湖底に眠るは「武田菱(びし)」か否か―。長野県の諏訪湖で、1980年代に国土地理院の調査で存在するとされた湖底の構造物に迫ろうとする調査が行われた。諏訪湖に戦国武将・武田信玄の「水中墓」がある―と聞いて育ち、謎に憧れ続けた京都市の出版社社長宮下玄覇(はるまさ)さん(50)が、信州大諏訪臨湖実験所(長野県諏訪市)の元所長で調査経験のある信州大名誉教授の沖野外輝夫さん(87)=諏訪市=に協力を依頼。ダイバーや水中ドローンによって「解明」を試みた。
【動画】水中ドローンも駆使して湖底に眠る「信玄の墓」を捜索
信玄の遺骸を納めた石棺が沈んでいる―との言い伝え
87年、旧建設省国土地理院の地形調査で水中音波探知機が湖底を調べたところ、一辺25メートルのひし形の構造物があることが判明。地元ではコイの網いけすの残骸と考えられた一方、信玄の遺骸を納めた石棺が沈んでいる―との言い伝えがあり、構造物の形が武田家の家紋「武田菱」に似ていたことなども人々の想像力を刺激、信玄の水中墓では―といった見方も出た。
88年、諏訪臨湖実験所が調査し、その後もテレビ局が大規模調査を行ったが構造物は見つからず、近年は調査は絶えていた。
「諏訪湖には信玄の遺骸が眠っている」。宮下社長は幼いころから諏訪市出身の母からそう聞いて育ち、調査を特集するテレビ番組なども見た。ロマンを長年温め、数年前から沖野さんに接触しようやく実現にこぎつけた。
沖合約500メートルの地点付近を約2時間調査
14日の調査は宮下さんや出版社の社員、沖野さん以外に、関心を持った県内外のダイバー6人がボランティアで協力。諏訪市豊田からボートを出し、下諏訪町の諏訪湖博物館の沖合約500メートルの地点付近を約2時間調査した。
ロープに沿って並んで潜るなどしたものの、水の濁りなどに阻まれて視界が悪い。水中ドローンも駆使したが、かつての調査で目印とされたドラム缶も発見できなかった。
宮下社長は「このままでは終われない。次は金属探知機を使って調べたい」と再挑戦を誓った。ダイバーとして参加した塩尻市のダイビングショップ代表の清沢康成さん(50)は「何か見つかれば地域も盛り上がるし、わくわくする」。調査地点の案内などに助言した沖野さんは「また(調査の)光景が見られるとは思わなかった」と感慨深げだった。宮下さんは調査の経緯などを本にまとめ、今後出版を予定しているという。
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yotchan-blog · 25 days
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2024/3/26 7:01:08現在のニュース
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kennak · 9 months
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ユニークなCMで話題の大手格安住宅メーカー、オープンハウス。同社の新築戸建てに対し、施工不良を指摘する声が上がり、トラブルになっていると「文春オンライン」に報じられた。報道によると、その内容は「壁や床の傷」「壁やクロスの剥がれ」「ドアのネジが締まっていない」「基礎が傾いている」「玄関にシロアリが発生」といったものだ。建物の構造に関わる部分は深刻で、「キッチンの床が傾いているせいで冷蔵庫の冷凍室がうまく閉まらない」という証言も紹介されている。4棟並んだ同社の新築戸建てのうち、他2棟でも同様の施工不良が見つかったという。姫屋不動産コンサルティング代表の姫野秀喜氏は、報道を見て「ちょっと意外」という印象だと話す。 「オープンハウスに関してそうした施工不良の話を聞いたことはなかった。同社の戸建て建築現場を何回も見たことあるが、ローコストでも意外なほどしっかり作っていた。ただ、成長企業で年間かなりの数の住宅を建てているので、一定割合で不良物件が発生しても不思議ではない」  とはいえ、4棟並んだ新築戸建てのうち3棟で施工不良が指摘されており、場所が集中しているのもおかしな話だ。施工を担当しているのが同じ下請け業者である可能性が高く、「下請けや提携業者の技術レベルが低かったのではないか」というのが姫野氏の見立てだ。 「木造2階建て・3階建て程度の軽い建物は、基本的に木の骨組みを作ってパネルを貼っていくという、すでに確立された技術なので、ミスは起きにくい。とくにオープンハウスは既製服と同じで、1つの型を作ったら似たような家をバンバン作っていく。設計は類似しており、コスト下げるために見栄えはそこそこという量産型だ。だから、床が傾くというのは、地盤がもともと緩かったのに気づかなかったという可能性もある」(同)  姫野氏は「重要なのは、施工不良が指摘されたときに、自動車メーカーでいうところのリコール対応をすること」だと強調する。リコールとは、メーカー・販売者の判断で、無償修理・交換・返金・回収などの措置を行うことだ。しかしながら、報道によれば、オープンハウスはいろいろな理由をつけて根本的な修繕をしようとはせず、瑣末な部分しか直そうとしないという。施工不良は重大な問題だが、メーカーとしての姿勢もまた問われている。 住宅ローンの不正利用 「文春オンライン」では、施工不良以外にもオープンハウスによる住宅ローンの不正利用疑惑が報じられている。営業担当者が顧客に対して、住宅ローンで購入した家を賃貸に出して別の物件を購入するよう提案していたというのだ。住宅ローンで購入した家は、ローンの借主自身が住むという契約になっている。物件を賃貸に出すには金利の高い投資用ローンで購入しなければならない。住宅販売の現場で今回指摘されたような営業トークは日常的に行われているものなのだろうか。 「個人的にそんな話は聞いたことがない。オープンハウスに聞けば、会社ぐるみだとは絶対に認めないだろうし、そんな指導はしていないと答えるだろう。営業担当者個人の問題ではないか」(同)  しかしながら、姫野氏は、投資用マンションの営業では住宅ローンの利用をすすめる不正が行われているという話をよく聞くという。もちろん、本人が住まないのであれば、不正利用だ。 「個人的にヒアリングした話だが、投資用マンションを住宅ローンで買った人が業者からもう1軒買いましょうと言われ、もう1軒のほうも住宅ローンの申請をしたらしい。すると、片方の物件について賃貸用の物件であることがバレてしまった。金融機関は他の金融機関の借り入れについてすぐにわかる。で、両方の金融機関から一括返済を求められたということだ。悪いことはできない」(同)  そういうケースでは自己破産しなければ返済できないのかといえば、そうでもないらしい。 「そもそも投資用マンションに住宅ローンを使うことが問題なので、金利の高い投資用ローンに借り替えすることはできる。ただ、住宅ローンだと金利が例えば0.5%だったものが、投資用ローンだと4~5%とかになるので、月々の賃貸収入がマイナスになってしまうという話だ。住宅ローンを投資に転用するのは、本当に危険なので絶対にやめたほうがいい」
床が傾斜…オープンハウス、住宅購入者の被害相次ぐ:営業で住宅ローン不正を提案
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yukahatter · 11 months
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[京都市中京区床張り特訓]6月12-13日
速報です! きたる6月12日(月)と13日(火)の二日間、京都市は中京区の民家にて床張り特訓を開催します。 「床さえ張れれば家には困らない」が合い言葉の「全国床張り協会」ですが、最近は羊毛断熱材普及にも取り組んでいてモンゴルで製造された羊毛断熱材を断熱材に使うようになりました。
その縁で今回、エコライフを研究する団体から依頼がありまして、引っ越し先の床張りのワークショップの開催することになった次第です。 なんでも、底冷えがすごいと言われる京都市ですが、依頼主さんも分厚めの床材を使い断熱すればかなり快適に暮らせるようになったという経験が今回の企画のきっかけであるそうです。 依頼主さんからのメッセージです。 ”世界に大きく遅れをとっている日本の住環境。新築でしか省エネ住宅ができないわけではありません。今ある家をごみにしない。活かして快適にする方法を一緒に体験しましょう!” 相変わらずそこかしこで住宅をどんどん壊していますが、家庭での少々のゴミ削減活動も吹き飛ぶぐらいの物量で廃棄物を出すのが建築物です。可能な限り今あるものを生かして住処をつくれるようになるといいと思います。
そこで床張り技術ということです。
[今回の特徴]
1.根太を省略して大引きだけで床板を支えます。 …普通にやるとたわみますので、分厚い床板を使います。固定は折れやすいビスではなく曲がりに強い釘を使います。
2.断熱材を床下に固定する施工を知る。 さらに床下を断熱するために、床板の下に断熱材を保持できないといけないので支える板を床下に設置して断熱材を固定できるようにします。これは大工さんがやっておいてくれますのでどうなっているのかを見て勉強します。完成すると見ることができなくなります。
[京都市中京区床張り概要] ●開催日:2023年6月12日(月)13日(火) ●時間:12日:10:30開始17:00終了 13日:9:30開始17:00終了 ●定員:各日10名 ●内容:中古物件の床は一度解体済みです。そこから新しい床を作ります。まず、床下に羊毛断熱を入れてから床材を張っていきます。全体の広さは約60m2となかなかの広さなので十分に実習ができるでしょう。 初日の最初は講師(床張り協会伊藤)から床張りの基本的な考え方の説明や中古物件の見方などの話をしつつ実習します。 ●場所:京都市中京区壬生エリア※エントリー後に住所お知らせします ●持ち物:水筒、マイコップなど飲み物道具。以下は、あればお持ちください。上履き、玄能、裁ちばさみ、差しがね定規や、タッカー、鉛筆、のこぎり ※数名でしたら玄能、差しがねを無料で貸し出せます。 ※道具には名前を書いてください。現地でテープも貸し出します。 ●服装:汚れても良い動きやすい格好 ●参加費:1日のみ6000円 2日間11000円(保険付き) ※学割は1日あたり2000円割引です。 ●アクセス:最寄りのバス停は四条中新道、最寄りの駅は、JR二条駅、地下鉄二条駅、徒歩8分。阪急大宮、西院からだと各徒歩15分 駐輪可能、駐車不可。 ●宿泊希望者:宿泊を希望される方は寝袋持参で現場宿泊可能です。1泊3000円のカンパで近所にご案内も可能です。
【床張り合宿申し込み】
床張り合宿エントリーフォーム 「人類は二種類に分けられる、床が張れる側と張れない側である」玄翁持って会いましょう! エントリーされた方に開催前に参加詳細メールが届きます。 全国床張り協会 伊藤洋志
氏名 *
電話番号 *
Email *
大工仕事の経験 釘打ったことがない、少しある、など参考まで※選考には関係ありません
<![if !IE | (gte IE 8)]> 参加日程(参加多数の場合は全日程希望者を優先) <![endif]>
12-13日(月火)2日間参加 12日(月)1日間参加 13日(火)1日間参加
<![if !IE | (gte IE 8)]> 移動手段(現段階の予定で可) <![endif]>
公共交通 自家用車
<![if !IE | (gte IE 8)]> 滞在の有無をお知らせください(寝袋持参で滞在可能枠あり/寝袋持っていない方ご相談ください) <![endif]>
宿泊滞在予定 通い(近郊の方)
意気込みなど 多数の場合は、意気込みを元に選考いたします。
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shimoda-text · 1 month
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シロクマハウスについての6つの文章
-------------------------------------------------- [テキスト] シロクマハウス:たとえば6つの解釈  ■1.住宅としての解釈  ■2.構造からの解釈  ■3.生態的な解釈  ■4.形式への解釈  ■5.コーリン・ロウ風の解釈  ■6.音楽としての解釈
■1.住宅としての解釈
 シロクマハウスの住人は、むかしから慣れ親しんだ実家の土地に新しく家を建て住まうことを決めました。建てた家は、折しもウッドショックや戦争の影響による資材高騰があり、また雪国特有の条例(建物外壁は隣地から1m以上の離れが必要なこと)などから、敷地に対してとてもコンパクトな立方体形状の家となりました。  全体の構成は、一辺が2.3mの立方体を8つ、それぞれ95cmずつ、外側は30cmずつ離して配置した、全体6.15mの立方体を基本としています。この立方体は敷地に収まる最大の容積を根拠に大きさを決めたため、人間のスケールや生活を根拠にしたものではありません。  この立方体を「建築」と仮託して、そこに土地の状況や生活の観点から、〈明るい場所〉〈暗い場所〉〈大きな場所〉〈小さな場所〉を住まい手とともに見極め、想像しながら「暮らし」として意味付けをしていきました。「建築」に「暮らし」を見出していくなかで注意したのが〈リビング〉や〈ダイニング〉などの言葉で使い方と場所を結びつけない、ということでした。明るくて爽やかな場所、大きくてふわっと明るい場所、小さくてしんと暗い場所、などを見つけながら、でも、意味を付けすぎないように、という作業を根気強くつづけました。吹抜けのある大きな場所は朝食を食べてもいいし、一段上がったキッチン横の場所は夕食が合うかもしれない。浴槽のある場所はいちばん明るくて爽やかな場所なので、そこで読書しても気持ちよさそうです。立方体の組み合わせによる単純な「建築」に対して「暮らし」が応答して出来上がったかたちは、とても複雑で多様な場所を生みました。  建物として家は完成しましたが、ここから住まい手自身が愛着をもって意味付けをしていければ、そこは唯一無二の大切な〈わが家〉になっていくでしょう。その意味付けのきっかけは〈他と少し違う外観〉かもしれないし、〈壁の手触り〉かもしれないし、〈台所の音〉や、あるいは〈匂い〉かもしれません。柱梁がむきだしの部分、段々に角がある部分、ざらざらした部分、つるつるした部分など、いまはまだよくわからないかたちにも、暮らしていくなかでその都度、意味を見出しながら使いこなして〈わが家〉にしていく、そういった主体的な暮らしの準備ができたと思います。
■2.構造からの解釈
 モノの流通が滞り、普通にあったものが手に入らなくなったり、高くなったりしている昨今、建物の材料や作り方を再考する必要性が生じています。このプロジェクトは北海道という土地柄、早くから構造材の四寸(120 mm幅)シリーズが品薄となっていたこともあり、一番手に入りやすくて安価な「三寸五分の正角材(105 mm×105 mm)のみの構造」、そして施工業者を選ばない「最低限の技術レベルでの組み立て」、その結果として「構造にかかるコストを最小にすること」は、今を反映した一つのプロトタイプになりえるのではないかと考えました。  プランは 2.3mを最大スパンとしているため、軸力も小さく柱は105 mm角で問題ありません。ただ、曲げがかかる梁ではそれでは役不足なので、柱を結ぶ大梁の位置では逆V字の斜材を上下の梁材の間に入れることによりトラス効果で床荷重を支持することとしました。  大梁で囲まれた2.3m角の床面は、通常のように一方向に小梁を流すと四周の大梁に均等に力が流れず、その負担分に差が出ます。そこで、力の方向性をなくすこと、スパンを減らすこと、トラスの斜材に直に力を流すこと、の3つの理由から火打ち梁のようにダイヤ型に梁を配置しています。  基本的には木造在来軸組み工法なので、簡易な構造といえます。トラス梁部分は少しイレギュラーですが、斜材端部は梁にその一部を差し込むことで、離れ止めのボルトのみで緊結するというシンプルなものです。このように特別な金物を使わないことは製作および現場施工を容易にし、コストも下げられます。 (文:正木構造研究所:正木健太さん)
■3.生態的な解釈
[ベルクマン・アレンの法則]  「ベルクマンの法則」とは、ドイツの生物学者ベルクマンが発表した法則で、恒温動物について、同じ種でも寒冷な地域に生息するものほど体が大きいという法則です。例えば熊は、マレー熊など南方の熊は体が小さく、ホッキョクグマなど北方の熊は体が大きい傾向にあります。また反対に「アレンの法則」とは、恒温動物について、寒冷な地域に生息するものほど耳や尾などの突出部が短くなるというものです。ホッキョクグマの小さな耳はこの法則にのっとっているそうです。  さて、札幌の住宅を眺めると大抵どれも大きく箱型で、かつ、陸屋根というかたちをしています。これは東京などの都心部とは異なる土地事情によって一軒あたりの土地面積が比較的大きいこと、積雪に対しては落雪させずにスノーダクトを用���て雪を処理すること、などの要因が大きく関係していることはすぐに想像できるのですが、ここに「ベルクマン・アレンの法則」が見いだせるのではないかとも思っています。  あらためていまの札幌の住宅を眺めてみると、庇も少なく勾配屋根もあまり見られません。また外壁の凹凸も比較的少ない傾向に見えます。一方、建物全体のボリュームは都内の狭小住宅などに比べると、ひとまわり、ふたまわり、大きいような印象があります。つまり、突出部が小さく、かつ、その表面積に比べて体積が大きい、ホッキョクグマの体のような傾向がなんとなく見えてきます。  「ベルクマン・アレンの法則」は放熱の問題で説明されます。つまり、表面積に比べて体積を大きくすることは、体内の熱生産量に比べて放熱量を小さくする工夫だというのです。シロクマハウスの胴体にあたる立方体は球に次いで表面積の小さなかたちです。シロクマハウスは中心の大きな立方体をメインに、その少し外側に付加断熱を加えた外壁が「毛皮」のように取り巻き、また、生活に必要な玄関や納戸などの非居室が「鼻」や「尻尾」のようにくっついたかたちをしています。  この建物を設計していくなかで、なんとなく通称として仮に呼びはじめ、なんとなくしっくりきている〈シロクマハウス〉という名前は、このような北国の生き物、建物、の立ちあらわれ方を象徴しているようにも思えます。
■4.形式への解釈
[一辺が6.15mの立方体が与えられたとする]  「立方体」というのは公理に非常に近く、証明しようのない、根拠の無い、論理式に近いかたちです。いってしまえば、とても意味の無い、無意味なかたちともいえます。  四角い箱にはおおむね作られる意味があります。中にリンゴを入れるため、あるいは人が上に乗るため、など、いろんな意味のために四角というかたちをつかって箱は作られます。でも、四角というかたち自体に意味をつけることは、実は難しかったりします。四角がなぜ四角なのか、いろいろと意味を付けてみても、それら全部が上滑りしてしまうのが純粋な幾何学のかたちの不思議なところだと思います。むかしから四角いかたちの造形物(モノリス)が、異様な、未来からのものに見えたり、過去世界の遺物に見えたり、別世界のものにみえたりするのは、その純粋幾何学のかたちの無根拠さゆえかもしれません。  一方で、世界のありとあらゆるものをどのように意味付けて解釈するかは私たち人間に任されています。あらゆるものに意味をつけて世界を存在させること、それが私たちの主体性であって自律性でもあります。しばしば建築家によって〈自律的な建築〉とか〈他律的な建築〉とかいった言葉がつかわれますが、それは結局、ある人からはそう見える、というくらいのことなのかもしれません。建築自体の自律性や他律性を考えるのも面白いのですが、人間として主体的によく生きたいという、より根本的なものを目標にすれば、建築を含めたこの世界を意味付ける、人間の自律性の方がはるかに重要なものに思えます。  たとえば住まいをつくろうと考えたとします。たとえば住みたい場所が寒い地域だったとします。そういったなんとなく与条件として意味付けられるものたちと、立方体のような、あからさまに根拠が無くて、意味のよく分からないものを、同列に並べてみましょう。それらをあらためて自ら意味付け、解釈しようとするところに、私たち、設計者や住まい手の主体性や自律性は自覚されて、自分が置かれた環境を積極的に肯定していく人間的な暮らしにつながっていくのではないでしょうか。
■5.コーリン・ロウ風の解釈
[理想的ヴィラの数学]  「この住宅は立体の表象であるという観念が実現されるとき、ヴェルギリウスの夢という意図も果たされるのである。ここには絶対的なるものと偶然的なるもの、抽象と自然の衝突があり、理想世界とあまりに人間的な現実の急務とのギャップが悲哀に満ちて示されている。」 コーリン・ロウ『マニエリスムと近代建築』(伊東豊雄、松永安光訳、彰国社、1981年)より。
 この住宅は、前後に付加された勾配屋根のヴォリュームを除けば、基本的なヴォリュームは 1 対 1 対 1 の立方体である。平面の構成は、中央の柱間を 1 とすると、前から後へおよそ 1/3 対 1+√2 対 1 対 1+√2 対 1/3 の比で進む。この比の構成は左右方向についても、また垂直方向についても徹底して保たれている。中央部のスパンに対して中間部のスパンが白銀比に近似している点は日本的比例の美学というよりは偶然的なものであろうが、その膨張した中間部のスパンに対して外周部のスパンが極端に圧縮されることによって、関心は中央から中間部へと移されることになる。3軸に同じ比が徹底されることによって中間部には 1+√2 の立方体が8つ現れており、それぞれの中心に重心が等しく置かれていることが暗示される。この住宅では3軸のシンメトリー 構成の中で、中央部への集中でもなく、周縁への離散でもなく、中間部において複数の中心の遍在というものが強調される。  この3軸が等しくシンメトリーな構成の中で、なおも上下左右を等しく相対化しようという試みに、床や壁、柱や梁といった構造も参加する。中央右手では吹抜けに面して2層をまたぐ壁面が垂直性を強調する一方、2層目左では同じ大きさの床面が水平性を強調している。柱や梁は同じ太さで縦横に現れ、重力の存在を示唆するのは二段梁の間を繋ぐ山形の方杖のみである。こうして通常、重力に基づいて積み上げられる壁・柱の垂直性や床の水平性は、ここでは解体され、立方体の6面すべてに均等な重要性が割り当てられることになるのである。均等に重力を与えられた6面は、離散することなく幾何学的配置にその中心を留め全体を構成する。  このように集中的なヒエラルキーを排しつつも離散を避けようとするどっちつかずの態度は、恐らく、多様な中心の遍在を認めるリゾーム的世界観によるものであろう。多様化した社会において、ある建物を住宅たらしめるのは行為として表現される暮らしそのものであり、慣習に拠る美を持ち込み、継承し、再生産し続ける「文字以前の文字(プロ・グラム)」である。一方、この住宅の理論は一種のポストモダンであり、過去の客観的美学=数学的規範を持ち込みつつ、それ��よって過去の構築を相対化し、集中と離散の二項対立を脱構築しようとする分裂的な試みである。そしてプロ・グラムと衝突するこの理論こそ、普遍的な生き生きとした力を喚起する幾何学なのである。
■6.音楽としての解釈
[マイルス・デイビス]  「非常にわかりやすい、見え見えなぐらいな部分と、全く意味不明の謎の部分というのが、丁度半分半分混じっていく、というのが、マイルス・デイビスの音楽であり、人となりであり、パッションであり、あらゆる彼の行動規範に張り付いているアンビバレンスです。」ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔さんはマイルス・デイビスをこのように解説しました。  マイルスによって完成された「モード・ジャズ」は、それまでのコード進行によるモダン・ジャズとは異なり、「モード」と呼ばれる音階内でのアドリブを特徴とするものなのだそうです。それまでのジャズの歴史でどんどん複雑化していたコード進行を極端に単純化したうえで、モードによってより自由な演奏を可能にしました。モードとは、西洋音楽の音階とは異なる音階、日本のヨナ抜き音階や、琉球音階、インドネシアのガムラン音階など、土着的で民族的なものを指し、マイルスはカリンバのアフリカ的な音階に出会ってモード・ジャズを完成させたともいわれます。おおむね7つの音で構成されるモードと、それを用いたモード・ジャズについて、菊池成孔さんは「少ない音、7つだけの音で自由に演奏しろと言われた場合はですね、自由度が高すぎてサウンドの審美眼とかセンスが露骨に出るので、非常に難しい、」と解説します。  シロクマハウスも、もしかするとそのモード・ジャズ、あるいはマイルス・デイビスのように解釈することができるかもしれません。シロクマハウスは、8つの立方体の間に95cm幅のスリットをたてよこ水平に入れるという「非常にわかりやすい見え見え」な構成ですが、その構成の根拠は恣意的かつ薄弱で「意味不明」でもあります。一方で、暮らしによって立ちあらわれている壁や窓や棚などの部分は、意味としては「見え見え」ですが、複雑で過剰なその全体のかたちは「意味不明」でもあります。  つまりシロクマハウスは、あからさまに単純な構成を〈コード〉とし、北海道という土地や社会などの〈モード〉のなかで、設計者の恣意性や手癖・住まい手の趣味や暮らしによる〈アドリブ〉が行われる、そんなモード・ジャズ、という見方ができるかもしれません。そしてそれは、意味とあらわれのアンビバレンスが振動するようなグルーヴを生んでいくのかもしれません。
-------------------------------------------------- [Text] Six Interpretations of the house “Polar bear”, for example      1. Interpretation as a HOUSE      2. Interpretation from STRUCTURAL engineering      3. Interpretation from ECOLOGICAL point of view      4. Interpretation in terms of FORM      5. Interpretation in the style of Colin Rowe      6. Interpretation as MUSIC
1. Interpretation as a HOUSE
     The owner of this house decided to build a new house on a site in Hokkaido, which he had grown accustomed to living in since long ago. The house was built in a very compact cube form concerning the site, due to the rising cost of materials caused by the wood shock and the war, as well as a regulation unique to snow country (the building envelope must be at least 1 m away from the neighboring site). The overall composition is based on eight cubes of 2.3 meters on each side, 95 cm apart on each side, and 30 cm apart on the outside, for an overall cube of 6.15 meters. The size of this cube was defined based on the maximum volume that could fit on the site and is not based on human scale or traditional modules.      We considered this cube as "Architecture," and together with the owner and his family, we discovered and imagined "bright places," "dark places," "big places," "small places", etc. in terms of local conditions and lifestyles, and gave meaning to them as "living". In trying to give "Architecture" a meaning of "living," we were careful to avoid using generic terms such as "living room" or "dining room" to link behavior with place. We patiently continued our exploration, finding bright and breezy places, large and softly bright places, small and dark places, etc., without adding too much meaning to them. The large area with the atrium could be used for breakfast, and the area next to the kitchen, one step up, might suit dinner. The bathtub area is the brightest and most refreshing place, so it would be pleasant to read a book there. The resulting house, in which "living" responds to the plain "Architecture" of overlapping cubes, has generated a complex and diverse place.      The house as a building has been completed. However, the attachment of the owner and his family and the meaning they give to the house will make it a unique "home." The trigger for this attachment may be "the somewhat strange facade," "the hand feeling of the walls," "the sound of the kitchen," or even "the smells." The owner and his family are now ready to live with a sense of agency, finding meaning in forms that are not yet understandable, such as exposed pillars and beams, several intricate corners, rough and smooth surfaces, and so on, and using them to make the house his "home" while living in the house. 
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2. Interpretation from STRUCTURAL engineering
     Recently, the distribution of goods tends to be stagnant, and what used to be commonplace has become unavailable or expensive, making it necessary to reconsider building materials and construction methods. Because of the location of this project in Hokkaido, where the 120 mm width series of structural timbers were in short supply from early on, we thought that "structure using only 105 mm x 105 mm structural timbers," which is the most accessible and inexpensive, and "construction at the minimum technical level" that does not require special contractors, and thus "minimizing the cost of the structure" could be a prototype that reflects the social situation of the present day.      The maximum span of the columns is 2.3 m, so the axial force is small, and 105 mm square columns are sufficient. However, this is not enough for beams that are subject to bending, so an inverted V-shaped diagonal timber was placed between the upper and lower beam members at the position of the girder connecting the columns to support the floor load with a truss effect. The 2.3m square floor is surrounded by girders, if the beams are placed in one direction as usual, the force will not flow evenly to the girders on all four sides, resulting in a difference in the amount of load. Therefore, the beams are placed in a diamond shape like a corner brace for three reasons: to nullify the direction of force, to shorten the span, and to flow the force directly to the truss members.     It can be said this is a simple structure because it is essentially a Japanese conventional post and beam structural system. The truss section is a bit irregular, but they are simply tied together by inserting a portion of the truss member into the beams and bolting them together. Thus, the absence of special hardware facilitates fabrication and construction, as well as lowers costs. (Translation by the author with some changes from the original text by the structural engineer)
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3. Interpretation from ECOLOGICAL point of view
[Bergmann's and Allen's rules] “Bergmann's rule” is an ecogeographical rule that states that within a broadly distributed taxonomic clade, populations and species of larger size are found in colder environments, while populations and species of smaller size are found in warmer regions. For example, bears living in the southern areas, such as Sun bears, tend to be smaller, while bears living in the northern areas, such as Polar bears, tend to be larger. Conversely, "Allen's rule " refers to the fact that animals that live in colder regions tend to have shorter ears, tails, and other protruding parts than those that live in warmer regions. Polar bears' small ears are said to be following this rule.      When we look at houses in Hokkaido today, we can see that they are generally large, box-shaped, and have flat roofs. The reasons for this can be easily imagined to be that the area of land per house is relatively larger than in urban areas such as Tokyo, and snow ducts are used to deal with snow accumulation instead of letting it fall. And in these points, I suspect we can find " Bergmann's and Allen's rule " as well. Looking again at the houses in Hokkaido today, there are not many eaves, and pitched roofs are not seen very often. The exterior walls also tend to be relatively less uneven. On the other hand, the overall volume of the building seems to be larger than those of narrow houses in Tokyo. These facts suggest that the tendency of the polar bear's body to have a small protrusion and a large volume compared to its surface area seems to be somewhat common to the features of these houses.      The "Bergmann's and Allen's rules" are explained by the issue of heat dissipation. In other words, increasing volume compared to surface area is a device to reduces the amount of heat dissipated compared to the amount of heat produced in the body. The shape of the body of this house is a cube, which is the second smallest geometric form in surface area after a sphere. This house consists of a large cube in the center, with exterior walls with additional insulation surrounding it like "fur," and non-habitable rooms necessary for daily life, such as an entrance and a storage room, attached to it like a "nose" and a "tail”.      The name of this house, "Polar bear," which became somewhat comfortably familiar to us as we began to call it tentatively in the process of designing this house, seems to symbolize the appearance of this kind of northern creature and building.
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4. Interpretation in terms of FORM
[Suppose you are given a cube with a side of 6.15m.] The "cube" is very close to an axiom, a form that can never be proven, that has no ground, and that is very close to a logical formula. In other words, it is a very nonsense and meaningless form.      A square box usually has a meaning. Boxes are made in the shape of a square for various purposes, such as to put an apple inside, or for a person to ride on top. However, it is difficult to assign meaning to the square shape itself. The mysterious thing about the form of pure geometry is that even if you try to attach various meanings to why a square is a square, all of these meanings will slip over and over. A square-shaped object (monolith) often looks strange, like something from the future, a leftover from the past, or another world, perhaps because of the groundlessness of its pure geometrical form.      Meanwhile, it is up to us as human beings to make meanings and interpretations of everything and anything in the world. To create meanings for everything and bring the world into existence, that is our agency and our autonomy. Sometimes, architects use terms such as "autonomous architecture" or " heteronomous architecture," but it may just be that this is how it seems from their point of view. It is interesting to consider such autonomy and heteronomy of architecture, but if we focus on the more fundamental subject that we as human beings want to live well, the autonomy of human beings that makes sense of this world, including architecture, seems to be much more important.      For example, suppose you are thinking of building a house. Suppose, for example, that you want to live in a cold climate. Let's put such things that we can somehow make sense of as given conditions and things like cubes, which have no obvious basis and whose meanings we are not sure of, in the same line. In trying to redefine and interpret the meaning of these things, we, the designers and homeowners, become aware of our agency and autonomy, and this may lead to a humane lifestyle in which we actively affirm the environment in which we are placed.
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5. Interpretation in the style of Colin Rowe
[The Mathematics of the Ideal Villa] ... and the realization of an idea which is represented by the house as a cube could also be presumed to lend itself very readily to the purposes of Virgilian dreaming. For here is set up the conflict between the absolute and the contingent, the abstract and the natural; and the gap between ideal world and the too human exigencies of realization here receives its most pathetic presentation. …  (Colin Rowe. 1947. The Mathematics of the Ideal Villa. AR)
     The basic volume of this house is a 1:1:1 cube, except for the pitched roof volumes added to the front and rear. The configuration of the plane proceeds from front to back in a ratio of approximately 1⁄3 to 1 + √2 to 1 + √2 to 1⁄3, with 1 between the central columns. This ratio configuration is thoroughly maintained for horizontal as well as vertical directions. The fact that the middle span approximates the silver ratio to the center span may be more by chance than Japanese proportional aesthetics, but the extreme compression of the outer span relative to the expanded middle span transfers interest from the center to the middle. Also, the same ratio is thoroughly applied to the three axes, so that eight cubes of 1+√2 appear in the middle part, implying that gravity is equally placed in the center of each cube. In this house, the three-axis symmetrical configuration emphasizes the omnipresence of multiple centers in the middle, rather than their concentration in the center or their dispersion to the periphery.      In this symmetrical configuration with equal symmetry of the three axes, the structural elements such as floors, walls, columns, and beams also participate in the attempt to relativize the top, bottom, left, and right equally. On the right side of the center, the verticality is emphasized by the wall surface that spans the first and second floors of the atrium, while on the left side of the second floor, the horizontality is emphasized by a floor surface the same size as that wall surface. Columns and beams appear horizontally and vertically with the same thickness, and the only suggestion of the existence of vertical forces is the triangular truss members connecting the upper and lower beams. Thus, the verticality of the walls and columns and the horizontality of the floor, which are usually constructed by gravity-based stacking, are here deconstructed, and equal importance is assigned to all six sides of the cube. The six equally gravitated sides, which are not discrete, keep their centers in a geometric placement and make up wholeness.      This ambivalent attitude of avoiding discretization while eliminating centralized hierarchies is probably due to a rhizomatic worldview that recognizes the omnipresence of diverse centers. In a diversified society, what makes a building a house is the life itself, which is expressed as an action, and the "pro-gram" that continuously reproduces, inherits, and brings in customary beauty. Meanwhile, the theory of this house is a kind of postmodernism, a schismatic attempt to bring in the objective aesthetics of the past = mathematical norms, but thereby relativize the construction of the past and deconstruct the dichotomy between concentration and dispersion. And this theory that conflicts with the pro-gram and evokes our universal life force is geometry.
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6. Interpretation as MUSIC
[Miles Davis] “The ambivalence that characterizes Miles Davis' music, persona, and passions, and that accompanies all of his codes of conduct, is a half-and-half mixture of the very straightforward and obvious, and the completely mysterious and unintelligible.” (Translation by the author) Commentary on Miles Davis by jazz musician Naruyoshi Kikuchi.
     “Modal jazz," perfected by Miles, is said to be characterized by improvisation within a scale called a "mode," unlike modern jazz, which was based on chord progressions. And it allowed for more flexible playing through modes, taking chord progressions that had become increasingly complex in the history of jazz up until then, and simplifying them radically. Mode refers to scales that are different from those of Western music, indigenous and folkloric, such as the Japanese "yona nuki" scale, Okinawan scale, and Indonesian gamelan scale, and Miles is said to have perfected modal jazz when he discovered the African scale of the kalimba. Naruyoshi Kikuchi explains that modes, which are generally composed of seven notes, and modal jazz, which uses these modes, are "very difficult to play if you are asked to play freely with only seven notes because the degree of freedom is too high and the aesthetics and sense of the sound come out obviously.” (Translation by the author)       This house could also possibly be interpreted as modal jazz or even Miles Davis. This house has a "very straightforward and obvious" configuration of 95cm-wide slits horizontally and vertically between eight cubes, but the rationale for this configuration is arbitrary, weak, and "unintelligible" as well. On the other hand, the walls, windows, shelves, and other parts that respond to the daily life are "straightforward" in terms of meaning, but their complex and excessive overall form is "unintelligible.      Therefore, this house could be seen as a "modal jazz" in which a straightforwardly simple configuration is the "code," and the architect's arbitrariness, his/her habits, and the residents' tastes and lifestyles are "improvised" within the "mode" of the region and society of Hokkaido. And this may give rise to a "groove” in which the ambivalence between signification and manifestation vibrates.
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