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#正しい行為の道筋は天にある日や月のようにいつでも輝いて少しも陰ることがない
tecchaso1988 · 3 years
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#読書 #論語と算盤 #守屋淳  Amazonの誕生日欲しいものリストから @1213takumi はまちゃんが選んでくれた本が届きました🙏 良本をチョイスしてくれて感謝✨   道徳と経済的利益追求 両立の可能性を追求する日本人としての志を 後世の僕らに示してくれた方 #渋沢栄一   僕もその遺志 を担う一人の日本人で在れるように頑張ります🙏   #読書メモ #実業とは多くの人にモノが行き渡るようにするなりわいなのだこれが完全でないと国の富は形にならない #国の富をなす根源は何かといえば社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富なのだ #一個人の利益になる仕事よりも多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべきだ #徳川家康という人ほどうまく適材を適所に配置して自分の権勢を上手に広げた謀事の達人は他にいない #人が世の中を渡っていくためには成り行きを広く眺めつつ気長にチャンスが来るのを待つということも決して忘れてはならない心がけである #世間には随分と自分の力を過信して身の丈を超えた望みを持つ人もいるが進む事ばかり知って身の丈を守ることを知らないととんだ間違いを引き起こすことがある #名声とは常に困難でいきづまった日々の苦闘のなかから生まれ失敗とは得意になっている時期にその原因があるこれは真理である #一生涯を通じて大きな志からはみ出さない範囲のなかで小さな志を立ては移り変わり工夫をする #志を立てる要はよく己を知り身の程を考えそれに応じてふさわしい方針を決定する以外にないのである #本当の経済活動は社会のためになる道徳に基づかないと決して長く続くものではない #高い道徳を持った人間は自分が立ちたいと思ったらまず他人を立たせてやり自分が手に入れたいと思ったらまず人に得させてやる #お金の本質を本当に知っている心ある人は良く集めて良く使い社会を活発にして経済活の成長を促すことを是非とも心がけてほしい #世間はお金を大切にするという意味を間違って解釈しているお金に対して無駄に遣うことは戒めなければならないが同時にケチになることも注意しなければならない #人が何か自分の務めを果たすというときにはワクワクするような面白みを強く持ってほしい #理解することは愛好することの深さに及ばない愛好することは楽しむ境地の深さに及ばない #一日を新たな気持ちで日々を新たな気持ちでまた一日を新たな気持ちで #勝つことばかり知ってうまく負けることを知らなければそのマイナス面はやがて自分の身に及ぶ #自分磨きは自分の心を正しくして魂の輝きを解き放つことなのだ #個人の豊かさとはすなわち国家の豊かさだ個人が豊かになりたいと思わないでどうして国が豊かになっていくだろう #信用こそすべてのもととなるわずか一つの信用もその力はすべてに匹敵する #自分ができることをすべてしたうえで運命を待て #人は人としてなすべきことを基準として自分の責任を果たし自分の人生の道筋を決めていかなければならない #現代人の多くはただ成功とか失敗とかいうことがけを眼中に置いてそれよりももっと大切な天地の道理を見ていない #普通の人は往々にして巡り合った運命に乗っていくだけの智力が欠けている #正しい行為の道筋は天にある日や月のようにいつでも輝いて少しも陰ることがない #成功や失敗といった価値観から抜け出して超然と自立し正しい行為の道筋にそ��て行動し続けるなら成功や失敗などとはレベルの違う価値のある生涯を送ることができる https://www.instagram.com/p/COadXnQL1Mv/?igshid=1fyqnna6bgrtb
#読書#論語と算盤#守屋淳#渋沢栄一#読書メモ#実業とは多くの人にモノが行き渡るようにするなりわいなのだこれが完全でないと国の富は形にならない#国の富をなす根源は何かといえば社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富なのだ#徳川家康という人ほどうまく適材を適所に配置して自分の権勢を上手に広げた謀事の達人は他にいない#人が世の中を渡っていくためには成り行きを広く眺めつつ気長にチャンスが来るのを待つということも決して忘れてはならない心がけである#世間には随分と自分の力を過信して身の丈を超えた望みを持つ人もいるが進む事ばかり知って身の丈を守ることを知らないととんだ間違いを引き起こすことがある#名声とは常に困難でいきづまった日々の苦闘のなかから生まれ失敗とは得意になっている時期にその原因があるこれは真理である#一生涯を通じて大きな志からはみ出さない範囲のなかで小さな志を立ては移り変わり工夫をする#志を立てる要はよく己を知り身の程を考えそれに応じてふさわしい方針を決定する以外にないのである#本当の経済活動は社会のためになる道徳に基づかないと決して長く続くものではない#高い道徳を持った人間は自分が立ちたいと思ったらまず他人を立たせてやり自分が手に入れたいと思ったらまず人に得させてやる#お金の本質を本当に知っている心ある人は良く集めて良く使い社会を活発にして経済活の成長を促すことを是非とも心がけてほしい#世間はお金を大切にするという意味を間違って解釈しているお金に対して無駄に遣うことは戒めなければならないが同時にケチになることも注意しなければならない#人が何か自分の務めを果たすというときにはワクワクするような面白みを強く持ってほしい#理解することは愛好することの深さに及ばない愛好することは楽しむ境地の深さに及ばない#一日を新たな気持ちで日々を新たな気持ちでまた一日を新たな気持ちで#勝つことばかり知ってうまく負けることを知らなければそのマイナス面はやがて自分の身に及ぶ#自分磨きは自分の心を正しくして魂の輝きを解き放つことなのだ#個人の豊かさとはすなわち国家の豊かさだ個人が豊かになりたいと思わないでどうして国が豊かになっていくだろう#信用こそすべてのもととなるわずか一つの信用もその力はすべてに匹敵する#自分ができることをすべてしたうえで運命を待て#人は人としてなすべきことを基準として自分の責任を果たし自分の人生の道筋を決めていかなければならない#現代人の多くはただ成功とか失敗とかいうことがけを眼中に置いてそれよりももっと大切な天地の道理を見ていない#普通の人は往々にして巡り合った運命に乗っていくだけの智力が欠けている#正しい行為の道筋は天にある日や月のようにいつでも輝いて少しも陰ることがない#成功や失敗といった価値観から抜け出して超然と自立し正しい行為の道筋にそって行動し続けるなら成功や失敗などとはレベルの違う価値のある生涯を送ることができる
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monqu1y · 3 years
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大戦がもたらしたもの  「大戦が 齎 ( もたら ) したもの」と題する講演を聞きに行った。  講演内容の要旨は、次のとおり。  1939年9月に始まったドイツとポーランドの戦争は、近隣諸国を巻き込んで規模を拡大していった。  イギリス・フランスがドイツに宣戦布告する一方、ソ連軍は、火事場泥棒的に、東からポーランドに攻め込んだ。  翌年、ソ連は、フィンランドを攻撃して領土の一部を奪うとともに、バルト三国を併合した。  ドイツは、デンマーク、ノルウェー、ベネルクス三国、フランスなどを制圧した。ドイツは、イギリスを牽制するためイタリアと、ソ連を牽制するため日本と軍事同盟を結んだ。近衛内閣は、軍事同盟に応じ、且つ、翌年、日ソ中立条約を結んで南部仏印に軍を進めたが、これらはスターリン戦略[砕氷船テーゼ]に沿うものだった。
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 1941年6月、独ソ激突が始まった。  半年後、日本は、アジア植民地解放戦争を開始し、フランス領インドシナ、イギリス領ビルマ、オランダ領インドネシア、アメリカ領フィリピンを占領した。  それに触発された植民地独立宣言の動きは次の通り。
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 1942年2月、中国共産党の中央党学校開校式で、毛沢東が、学風(学習態度)・党風(党活動)・文風(文書類の表現)の三風を整頓し、党内の主観主義・セクト主義・空言主義を克服すべき旨、述べた。三風整頓運動が起こり、毛沢東 側近の張宗可(康生)は、関係者を拷問して自白を得たうえで、政敵を、スパイ,裏切り者,内通者等に仕立て上げた。拷問は本人だけでなく親族や縁戚にまで及び、拷問に耐えられず、身に覚えのない罪を自白する者も多かった。ソ連人脈の王明,博古,張聞天,王嘉翔,楊尚昆,陳昌浩,杜作祥,沈澤民,張秦秋,王宝礼,王盛荣,王運城,朱自舜,李元杰,汪盛荻,北海道特甫,殷剣,元嘉永,徐義新らは、失脚した。権威主義と官僚主義を率直に批判した王実味は、逮捕され処刑された。  1942年6月頃から、[砕氷船テーゼ]の予言通り、経済力と科学技術力を誇るアメリカを擁する連合国側が優勢に転じた。  1943年5月、ドイツと戦う連合国側に与する必要から、ソ連はコミンテルンを解散した。  1945年3月、日本軍がフランス軍を降してベトナムを独立させた。  1945年5月、イタリアが降伏し、ドイツも降伏した。8月には日本が降伏し、五千万(ソ連2060万,ドイツ950万,日本646万,ポーランド560万,中国318万,アメリカ113万,イギリス98万,フランス75万)人以上の犠牲者を出した第二次世界大戦は終了した。  しかし、「尊皇討奸」の志を受け継ぎ、資本家階級を倒して国家社会主義を目指す陸軍将校らは、敗戦受容れの詔を録音したレコード盤を血眼になって探し求めた。
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 彼らの狙いは、ソ連軍に依る日本民族解放を待つための時間稼ぎだった。  近衛文麿人脈が占める政権中枢から「ソ連仲介和平」という口実で情報を得ていたソ連軍は、日本降伏に先立って、軍を極東に集結させていた。  アメリカ軍に依る原爆投下を機に日本への攻撃を始めたソ連軍は、武器を持たない無抵抗の日本人を殺しながら、瞬く間に樺太や千島列島を占領した。
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  占守島 ( しゅむしゅとう ) で樋口中将が抗戦を命じなければ、北海道はソ連軍に 蹂躙 ( じゅうりん ) されていたのだ。
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 ソ連軍は、朝鮮半島も占領したが、アメリカ軍が上陸してくると、米ソ協定に従い38度線以北に退いた。  ソ連軍は、東ヨーロッパの占領地域でも、社会主義人民共和国政権樹立に力を注ぐようになった。  日本の敗戦でベトナムにはフランスの植民地支配者が戻ってきていたが、1945年9月に革命が起こり、ホー・チ・ミンがベトナム社会主義共和国の建国を宣言した。しかし、フランスは、それを認めなかった。  1945年10月、国際連合(本部:ニューヨーク)が発足した。  ��ギリスでは、大戦終了直前の選挙で勝った労働党政権が、「ゆりかごから墓場まで」の福祉充実策を実施し、銀行,石炭,通信,航空,電気,鉄道,ガス,鉄鋼などの重要産業を国有化していった。そのため、産業は競争力を失い、[イギリス病]とよばれるほど国力は衰退した。復活には、1980年代のサッチャー登場まで待たなければならなかった。
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 朝鮮半島では、信託統治(国際連合の信託を受けた国による統治)が検討されたが、まとまらず、アメリカとソ連による分割占領が行われた。  1945年10月10日、中華民国と中国共産党との間で、「内戦を避け、独立・自由・富強の新中国を建設」するための協議が行われたが、双方の思惑は、相手を潰す準備を整えるための時間稼ぎだった。  1946年6月、イタリアでは王制が廃止されて共和政となった。翌年2月にパリ講和条約を結んだイタリアは、エチオピア・アルバニア・リビア・ソマリランドなど総ての海外植民地を失った。  1946年6月、ベトナム南部で、フランス領コーチシナ共和国臨時政府の樹立が宣言された。  1946年7月、中華民国と中国共産党との間で、全面的な内戦が始まった。当初はアメリカの支援を受けた国民党軍が優勢なように見えたが、次第に、ソ連に降伏した関東軍の装備等( 就中 ( なかんずく ) 精鋭将兵の軍事指導)を利用できる中国共産党に形勢が傾いていった。  1946年12月、ベトナム軍とフランス軍の戦争が始まった。フランス軍が優勢だったが、ベトナム社会主義共和国軍はゲリラ戦を展開して頑強に抵抗した。  1947年2月、建国を悲願とするユダヤ人とアラブ人の紛争が絶えなかったパレスチナを持て余したイギリスは、委任統治を放棄し、国連にゲタを預けた。11月、国連総会は、パレスチナの土地の6割弱をユダヤ国家に、4割強をアラブ国家に分割する案を、可決した。倍以上の人口を抱え、殆どの土地を所有するアラブ人側に過酷すぎる不自然な決定は、アメリカ大統領トルーマンのゴリ押しによるものと言われている。
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 そこから、中東戦争が始まり、長く続くこととなった。  朝鮮半島では、統一政府樹立のための総選挙がソ連の反対で実施できなかったので、1948年5月にアメリカの占領下にある南部だけで総選挙が行われ、李承晩が大統領に当選した。8月15日、大韓民国第一共和国の樹立が宣言され、アメリカ軍政が廃止された。  1948年9月9日、朝鮮半島北部を実効支配する勢力(満州派、甲山派、南労党派、中国共産党、延安派、ソ連派など)が、朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言した。  1949年1月、中共軍が国民党軍を敗退させて、北京に入城した。10月1日、毛沢東が北京市で中華人民共和国の建国を宣言した。10月25日、中共軍八個連隊は、対岸の 厦門 ( アモイ ) からの砲兵隊の援護を受け、200隻のジャンクで三方向から包囲するようにして金門島に迫った。これに対する国民党軍(三個師団と保衛一個連隊)は、旧日本陸軍中将 根本博氏の指揮を受け、一発も反撃せず、中共軍を上陸させて島内に誘い込んだ。日没後、国民党軍は、ジャンクに火を放って上陸軍への補給と退路を断ち、総反撃に出た。中共軍は、混乱し、包囲網の開いた一方向に雪崩を打つように殺到して海岸に向かったが、追いかける国民党軍と島陰で待機していた海軍の挟み撃ちに合って壊滅した。以後、中共軍は、対岸から砲撃するだけで、金門島に上陸しようとしなくなった。
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 1949年4月、北米と西欧の30箇国は、軍事同盟NATOを結んで共産圏の脅威に備えた。  1949年6月、ベトナム王国ができ、ベトナム帝国皇帝だったバオ・ダイが国王になった。  1949年12月、南京から逃れ出た蒋介石らは、台湾島の台北に中華民国政府を移転させた。  1950年1月、イギリス労働党政権が、中華人民共和国を承認した。  1950年2月、フランス、アメリカ、イギリスがベトナム王国を承認した。  1950年5月、韓国の総選挙で、李承晩政権に対する不信任の結果が示された。2年後任期満了時の再選を危ぶんだ李承晩は、人気挽回策として、対日戦意を煽り「対馬侵攻」を名目に精鋭軍を南下させ釜山に集結させた。手薄となった首都ソウルは、「国土完整」を唱える朝鮮民主主義人民共和国軍にとって、格好の餌食に見えた。  1950年6月25日早朝、北朝鮮軍による総攻撃が、青天の霹靂の如く、何の前触れも無く始まった。防衛ラインは次々と突破され、韓国軍はひたすら敗走を続けた。韓国政府は非常閣僚会議で、ソウルを捨てて南にある水原への遷都を決め、李承晩は更に南の大田に逃れた。ラジオは「国連軍が助けてくれるから安心しろ」と大統領の肉声を放送し続け、新聞は事実と異なる韓国軍の反攻を伝えていた。大統領が逃げ、国民を欺き続ける中で、北朝鮮の南進を少しでも遅らせる為、韓国軍はソウルを東西に流れる漢江の人道橋を、多数の避難民もろとも、爆破した。後に、橋爆破の現場責任者だったチェ・チャンシク大佐が責任を問われて処刑され、真相は闇に葬られた。  米軍機動部隊が大田に到着し防衛線を築いたが、北朝鮮軍は韓国軍を攻め、それを崩壊させて横にいる米軍を包囲した。韓国軍は大量の米軍装備を放棄して逃げ、それを北朝鮮軍が使い、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況になった。  しかし、李承晩は、韓国軍が前線に立つことを主張し続け、状況は改善されなかった。  その結果、米軍主体の国連軍は敗北を重ね、8月末には、北朝鮮軍が釜山まで60キロメートル余の昌寧郡に迫った。  9月2日、マッカーサー元帥が国連安全保障理事会に「国連軍の活動に関する第3次報告書」を提出し、国連軍増強の必要を強調した。また「北朝鮮軍がカムフラージュの為に民家や民間輸送機関を利用しており、軍事目標を識別することは著しく困難である」旨説明し、民間人・施設に対する攻撃の正当性を説明した。民家人を装い、或は、民間人に紛れ込んで、民間人が攻撃しているように見せかけるのは、共産主義者の常套手段。民間人の犠牲を材料とするプロパンガは、彼らの強力な武器となる。9月15日、国連軍は、仁川上陸作戦を成功させ、ソウルを奪回した。
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 しかし、李承晩の主張に基づき韓国軍を前線に立たせた結果、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況が再現され、翌年1月、中共軍にソウルを占領されてしまった。  その後、戦況は、一進一退を繰り返したが、国連は休戦への道筋を作り、両軍の捕虜送還協定が締結された。  6月18日、李承晩は、国連決議を無視し、アメリカに何の予告も無く、抑留中の朝鮮人民軍捕虜二万五千人を北へ送還せずに韓国内で釈放させ、国際世論の非難を浴びた。この釈放は、不法に抑留した日本人の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として日本の刑務所で収監されている韓国人受刑者に対する放免・日本永住許可付与を要求した手口に相通ずる処がある。  1951年9月、サンフランシスコで吉田茂首相が講和条約に調印し、日本は主権を回復した。朝鮮・台湾・南樺太・千島は放棄し、沖縄と小笠原諸島はがアメリカの占領下に置かれることとなった。調印したのは48カ国だった。同日、日米安全保障条約が結ばれ、アメリカ反共陣営に日本が組み込まれた。  1952年1月、韓国は、 所謂 ( いわゆる ) 李承晩ラインを一方的に設定した。  1953年3月、ソ連の最高指��者スターリンが病死した。  1953年7月、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が、軍事境界38度線を挟む休戦に同意した。軍事委員会委員長に就任した金日成は、朴憲永、金枓奉、崔昌益、許貞淑、金昌満、武亭、朴一禹、朴孝三、方虎山、尹公欽、徐輝、李相朝、金雄、鄭律成、金元鳳、許哥誼、朴昌玉、金烈、朴義琓、総政治局長、崔遠、金七星ら他派の政敵を次々に追い落とし粛正して、権力を強化しいった。  1953年12月、韓国は、日本海で漁船数百隻を拿捕し、乗組員数千人を抑留した。
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 そして、抑留者の返還と引き換えに 日本の刑務所 で常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として 収監 されている韓国人 受刑者 の 釈放 を要求した。日本政府 はこれを飲み、在日韓国人犯罪者472人を放免し、日本での永住許可を与えた。  1954年2月、 嘗 ( かつ ) て中国西北部の陝西省で毛沢東らを迎え入れた高崗が「東北部を独立王国にしようとした」という濡れ衣を着せられて失脚し、半年後に毒殺された。  1954年、ベトナム国王バオ・ダイは、首相にゴ・ジン・ジェムを任命した。翌年、ゴ・ジン・ジェムが国民投票を実施し、ベトナムは共和国になった。ゴ・ジン・ジェムは大統領に就任し、アメリカの軍事援助を取り付けた。バオ・ダイはフランスに亡命した。  1955年、ソ連と東欧諸国は、NATOに対抗するため、軍事同盟WPOを結んだ。  1956年、ソ連での個人崇拝批判の影響受けて、北朝鮮でも金日成批判の動きが出てきたが、金日成は、甲山派と組んで政敵を除名し逮捕した。  1956年5月、毛沢東は、最高国務会議で「百花斉放 百家争鳴」を提唱し共産党への批判を歓迎した。翌年2月の最高国務会議でも中国共産党に対する批判を呼びかけるとともに、翌月6日から1週間かけて全国宣伝工作者会議でもさらに中国共産党に対する批判を呼びかけた。知識人の間で中国共産党に対する批判が徐々に出始めるようになり、共産党の中国支配に異を唱えたり毛沢東の指導力を批判する者も出てきた。5月、毛沢東は、新聞に対して党の批判とあわせて「右派」に対する批判も行うよう命じたが、「右派らは有頂天になっている。まだ釣り上げてはならない」と述べた。6月、人民日報は「右派分子が社会主義を攻撃している」という毛沢東が執筆した社説を掲載した。10日後、人民日報は、毛沢東が 嘗 ( かつ ) て「百花斉放 百家争鳴」を呼びかけた演説内容を掲載したが、演説したという内容は、批判を制約するものだった。党を思い切って批判した知識人たちは社会主義政権破壊を画策した[右派]というレッテルを貼られ、知識人の粛清運動(反右派闘争)が始まった。以後、中国共産党批判は二度と行われなかった。
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toubi-zekkai · 3 years
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厚着紳士
 夜明けと共に吹き始めた強い風が乱暴に街の中を掻き回していた。猛烈な嵐到来の予感に包まれた私の心は落ち着く場所を失い、未だ薄暗い部屋の中を一人右往左往していた。  昼どきになると空の面は不気味な黒雲に覆われ、強面の風が不気味な金切り声を上げながら羊雲の群れを四方八方に追い散らしていた。今にも荒れた空が真っ二つに裂けて豪雨が降り注ぎ蒼白い雷の閃光とともに耳をつんざく雷鳴が辺りに轟きそうな気配だったが、一向に空は割れずに雨も雷も落ちて来はしなかった。半ば待ち草臥れて半ば裏切られたような心持ちとなって家を飛び出した私はあり合わせの目的地を決めると道端を歩き始めた。
 家の中に居た時分、壁の隙間から止め処なく吹き込んで来る冷たい風にやや肌寒さを身に感じていた私は念には念を押して冬の格好をして居た。私は不意に遭遇する寒さと雷鳴と人間というものが大嫌いな人間だった。しかし家の玄関を出てしばらく歩いてみると暑さを感じた。季節は四月の半ばだから当然である。だが暑さよりもなおのこと強く肌身に染みているのは季節外れの格好をして外を歩いている事への羞恥心だった。家に戻って着替えて来ようかとも考えたが、引き返すには惜しいくらいに遠くまで歩いて来てしまったし、つまらない羞恥心に左右される事も馬鹿馬鹿しく思えた。しかしやはり恥ずかしさはしつこく消えなかった。ダウンジャケットの前ボタンを外して身体の表面を涼風に晒す事も考えたが、そんな事をするのは自らの過ちを強調する様なものでなおのこと恥ずかしさが増すばかりだと考え直した。  みるみると赤い悪魔の虜にされていった私の視線は自然と自分の同族を探し始めていた。この羞恥心を少しでも和らげようと躍起になっていたのだった。併せて薄着の蛮族達に心中で盛大な罵詈雑言を浴びせ掛けることも忘れなかった。風に短いスカートの裾を靡かせている女を見れば「けしからん破廉恥だ」と心中で眉をしかめ、ポロシャツの胸襟を開いてがに股で歩いている男を見れば「軟派な山羊男め」と心中で毒づき、ランニングシャツと短パンで道をひた向きに走る男を見れば「全く君は野蛮人なのか」と心中で断罪した。蛮族達は吐いて捨てる程居るようであり、片時も絶える事無く非情の裁きを司る私の目の前に現れた。しかし一方肝心の同志眷属とは中々出逢う事が叶わなかった。私は軽薄な薄着蛮族達と擦れ違うばかりの状況に段々と言い知れぬ寂寥の感を覚え始めた。今日の空が浮かべている雲の表情と同じように目まぐるしく移り変わって行く街色の片隅にぽつ念と取り残されている季節外れの男の顔に吹き付けられる風は全く容赦がなかった。  すると暫くして遠く前方に黒っぽい影が現れた。最初はそれが何であるか判然としなかったが、姿が近付いて来るにつれて紺のロングコートを着た中年の紳士だという事が判明した。厚着紳士の顔にはその服装とは対照的に冷ややかで侮蔑的な瞳と余情を許さない厳粛な皺が幾重も刻まれていて、風に靡く薄く毛の細い頭髪がなおのこと厳しく薄ら寒い印象に氷の華を添えていた。瞬く間に私の身内を冷ややかな緊張が走り抜けていった。強張った背筋は一直線に伸びていた。私の立場は裁く側から裁かれる側へと速やかに移行していた。しかし同時にそんな私の顔にも彼と同じ冷たい眼差しと威厳ある皺がおそらくは刻まれて居たのに違いない。私の面持ちと服装に疾風の如く視線を走らせた厚着紳士の瞳に刹那ではあるが同類を見つけた時に浮かぶあの親愛の情が浮かんでいた。  かくして二人の孤独な紳士はようやく相まみえたのだった。しかし紳士たる者その感情を面に出すことをしてはいけない。笑顔を見せたり握手をする等は全くの論外だった。寂しく風音が響くだけの沈黙の内に二人は互いのぶれない矜持を盛大に讃え合い、今後ともその厚着ダンディズムが街中に蔓延る悪しき蛮習に負けずに成就する事を祈りつつ、何事も無かったかの様に颯然と擦れ違うと、そのまま振り返りもせずに各々の目指すべき場所へと歩いて行った。  名乗りもせずに風と共に去って行った厚着紳士を私は密かな心中でプルースト君と呼ぶ事にした。プルースト君と出逢い、列風に掻き消されそうだった私の矜持は不思議なくらい息を吹き返した。羞恥心の赤い炎は青く清浄な冷や水によって打ち消されたのだった。先程まで脱ぎたくて仕方のなかった恥ずかしいダウンジャケットは紳士の礼服の風格を帯び、私は風荒れる街の道を威風堂々と闊歩し始めた。  しかし道を一歩一歩進む毎に紳士の誇りやプルースト君の面影は嘘のように薄らいでいった。再び羞恥心が生い茂る雑草の如く私の清らかな魂の庭園を脅かし始めるのに大して時間は必要無かった。気が付かないうちに恥ずかしい事だが私はこの不自然な恰好が何とか自然に見える方法を思案し始めていた。  例えば私が熱帯や南国から日本に遣って来て間もない異国人だという設定はどうだろうか?温かい国から訪れた彼らにとっては日本の春の気候ですら寒く感じるはずだろう。当然彼らは冬の格好をして外を出歩き、彼らを見る人々も「ああ彼らは暑い国の人々だからまだ寒く感じるのだな」と自然に思うに違いない。しかし私の風貌はどう見ても平たい顔の日本人であり、彼らの顔に深々と刻まれて居る野蛮な太陽の燃える面影は何処にも見出す事が出来無かった。それよりも風邪を引いて高熱を出して震えている病人を装った方が良いだろう。悪寒に襲われながらも近くはない病院へと歩いて行かねばならぬ、重苦を肩に背負った病の人を演じれば、見る人は冬の格好を嘲笑うどころか同情と憐憫の眼差しで私を見つめる事に違いない。こんな事ならばマスクを持ってくれば良かったが、マスク一つを取りに帰るには果てしなく遠い場所まで歩いて来てしまった。マスクに意識が囚われると、マスクをしている街の人間の多さに気付かされた。しかし彼らは半袖のシャツにマスクをしていたりスカートを履きながらマスクをしている。一体彼らは何の為にマスクをしているのか理解に苦しんだ。  暫くすると、私は重篤な病の暗い影が差した紳士見習いの面持ちをして難渋そうに道を歩いていた。それは紳士である事と羞恥心を軽減する事の折衷策、悪く言うならば私は自分を誤魔化し始めたのだった。しかしその効果は大きいらしく、擦れ違う人々は皆同情と憐憫の眼差しで私の顔を伺っているのが何となく察せられた。しかしかの人々は安易な慰めを拒絶する紳士の矜持をも察したらしく私に声を掛けて来る野暮な人間は誰一人として居なかった。ただ、紐に繋がれて散歩をしている小さな犬がやたらと私に向かって吠えて来たが、所詮は犬や猫、獣の類にこの病の暗い影が差した厚着紳士の美学が理解出来るはずも無かった。私は子犬に吠えられ背中や腋に大量の汗を掻きながらも未だ誇りを失わずに道を歩いていた。  しかし度々通行人達の服装を目にするにつれて、段々と私は自分自身が自分で予想していたよりは少数部族では無いという事に気が付き始めていた。歴然とした厚着紳士は皆無だったが、私のようにダウンを着た厚着紳士見習い程度であったら見つける事もそう難しくはなかった。恥ずかしさが少しずつ消えて無くなると抑���込んでいた暑さが急激に肌を熱し始めた。視線が四方に落ち着かなくなった私は頻りと人の視線を遮る物陰を探し始めた。  泳ぐ視線がようやく道の傍らに置かれた自動販売機を捉えると、駆けるように近付いて行ってその狭い陰に身を隠した。恐る恐る背後を振り返り誰か人が歩いて来ないかを確認すると運悪く背後から腰の曲がった老婆が強風の中難渋そうに手押し車を押して歩いて来るのが見えた。私は老婆の間の悪さに苛立ちを隠せなかったが、幸いな事に老婆の背後には人影が見られなかった。あの老婆さえ遣り過ごしてしまえばここは人々の視線から完全な死角となる事が予測出来たのだった。しかしこのまま微動だにせず自動販売機の陰に長い間身を隠しているのは怪し過ぎるという思いに駆られて、渋々と歩み出て自動販売機の目の前に仁王立ちになると私は腕を組んで眉間に深い皺を作った。買うべきジュースを真剣に吟味選抜している紳士の厳粛な態度を装ったのだった。  しかし風はなお強く老婆の手押し車は遅々として進まなかった。自動販売機と私の間の空間はそこだけ時間が止まっているかのようだった。私は緊張に強いられる沈黙の重さに耐えきれず、渋々ポケットから財布を取り出し、小銭を掴んで自動販売機の硬貨投入口に滑り込ませた。買いたくもない飲み物を選ばさられている不条理や屈辱感に最初は腹立たしかった私もケース内に陳列された色取り取りのジュース缶を目の前にしているうちに段々と本当にジュースを飲みたくなって来てその行き場の無い怒りは早くボタンを押してジュースを手に入れたいというもどかしさへと移り変わっていった。しかし強風に負けじとか細い腕二つで精一杯手押し車を押して何とか歩いている老婆を責める事は器量甚大懐深き紳士が為す所業では無い。そもそも恨むべきはこの強烈な風を吹かせている天だと考えた私は空を見上げると恨めしい視線を天に投げ掛けた。  ようやく老婆の足音とともに手押し車が地面を擦る音が背中に迫った時、私は満を持して自動販売機のボタンを押した。ジュースの落下する音と共に私はペットボトルに入ったメロンソーダを手に入れた。ダウンの中で汗を掻き火照った身体にメロンソーダの冷たさが手の平を通して心地よく伝わった。暫くの間余韻に浸っていると老婆の手押し車が私の横に現れ、みるみると通り過ぎて行った。遂に機は熟したのだった。私は再び自動販売機の物陰に身を隠すと念のため背後を振り返り人の姿が見えない事を確認した。誰も居ないことが解ると急ぐ指先でダウンジャケットのボタンを一つまた一つと外していった。最後に上から下へとファスナーが降ろされると、うっとりとする様な涼しい風が開けた中のシャツを通して素肌へと心地良く伝わって来た。涼しさと開放感に浸りながら手にした���ロンソーダを飲んで喉の渇きを��した私は何事も無かったかのように再び道を歩き始めた。  坂口安吾はかの著名な堕落論の中で昨日の英雄も今日では闇屋になり貞淑な未亡人も娼婦になるというような意味の事を言っていたが、先程まで厚着紳士見習いだった私は破廉恥な軟派山羊男に成り下がってしまった。こんな格好をプルースト君が見たらさぞかし軽蔑の眼差しで私を見詰める事に違いない。たどり着いた駅のホームの長椅子に腰をかけて、何だか自身がどうしようもなく汚れてしまったような心持ちになった私は暗く深く沈み込んでいた。膝の上に置かれた飲みかけのメロンソーダも言い知れぬ哀愁を帯びているようだった。胸を内を駆け巡り始めた耐えられぬ想いの脱出口を求めるように視線を駅の窓硝子越しに垣間見える空に送ると遠方に高く聳え立つ白い煙突塔が見えた。煙突の先端から濛々と吐き出される排煙が恐ろしい程の速さで荒れた空の彼岸へと流されている。  耐えられぬ思いが胸の内を駆け駅の窓硝子越しに見える空に視線を遣ると遠方に聳える白い煙突塔から濛々と吐き出されている排煙が恐ろしい速度で空の彼岸へと流されている様子が見えた。目には見えない風に流されて行く灰色に汚れた煙に対して、黒い雲に覆われた空の中に浮かぶ白い煙突塔は普段青い空の中で見ている雄姿よりもなおのこと白く純潔に光り輝いて見えた。何とも言えぬ気持の昂ぶりを覚えた私は思わずメロンソーダを傍らに除けた。ダウンジャケットの前ボタンに右手を掛けた。しかしすぐにまた思い直すと右手の位置を元の場所に戻した。そうして幾度となく決意と逡巡の間を行き来している間に段々と駅のホーム内には人間が溢れ始めた。強風の影響なのか電車は暫く駅に来ないようだった。  すると駅の階段を昇って来る黒い影があった。その物々しく重厚な風貌は軽薄に薄着を纏った人間の群れの中でひと際異彩を放っている。プルースト君だった。依然として彼は分厚いロングコートに厳しく身を包み込み、冷ややかな面持ちで堂々と駅のホームを歩いていたが、薄い頭髪と額には薄っすらと汗が浮かび、幅広い額を包むその辛苦の結晶は天井の蛍光灯に照らされて燦燦と四方八方に輝きを放っていた。私にはそれが不撓不屈の王者だけが戴く栄光の冠に見えた。未だ変わらずプルースト君は厚着紳士で在り続けていた。  私は彼の胸中に宿る鋼鉄の信念に感激を覚えると共に、それとは対照的に驚く程簡単に退転してしまった自分自身の脆弱な信念を恥じた。俯いて視線をホームの床に敷き詰められた正方形タイルの繋ぎ目の暗い溝へと落とした。この惨めな敗残の姿が彼の冷たい視線に晒される事を恐れ心臓から足の指の先までが慄き震えていた。しかしそんな事は露とも知らぬプルースト君はゆっくりとこちらへ歩いて来る。迫り来る脅威に戦慄した私は慌ててダウンのファスナーを下から上へと引き上げた。紳士の体裁を整えようと手先を闇雲に動かした。途中ダウンの布地が間に挟まって中々ファスナーが上がらない問題が浮上したものの、結局は何とかファスナーを上まで閉め切った。続けてボタンを嵌め終えると辛うじて私は張りぼてだがあの厚着紳士見習いの姿へと復活する事に成功した。  膝の上に置いてあった哀愁のメロンソーダも何となく恥ずかしく邪魔に思えて、隠してしまおうとダウンのポケットの中へとペットボトルを仕舞い込んでいた時、華麗颯爽とロングコートの紺色の裾端が視界の真横に映り込んだ。思わず私は顔を見上げた。顔を上方に上げ過ぎた私は天井の蛍光灯の光を直接見てしまった。眩んだ目を閉じて直ぐにまた開くとプルースト君が真横に厳然と仁王立ちしていた。汗ばんだ蒼白い顔は白い光に包まれてなおのこと白く、紺のコートに包まれた首から上は先程窓から垣間見えた純潔の白い塔そのものだった。神々しくさえあるその立ち姿に畏敬の念を覚え始めた私の横で微塵も表情を崩さないプルースト君は優雅な動作で座席に腰を降ろすとロダンの考える人の様に拳を作った左手に顎を乗せて対岸のホームに、いやおそらくはその先の彼方にある白い塔にじっと厳しい視線を注ぎ始めた。私は期待を裏切らない彼の態度及び所作に感服感激していたが、一方でいつ自分の棄教退転が彼に見破られるかと気が気ではなくダウンジャケットの中は冷や汗で夥しく濡れ湿っていた。  プルースト君が真実の威厳に輝けば輝く程に、その冷たい眼差しの一撃が私を跡形もなく打ち砕くであろう事は否応無しに予想出来る事だった。一刻も早く電車が来て欲しかったが、依然として電車は暫くこの駅にはやって来そうになかった。緊張と沈黙を強いられる時間が二人の座る長椅子周辺を包み込み、その異様な空気を察してか今ではホーム中に人が溢れ返っているのにも関わらず私とプルースト君の周りには誰一人近寄っては来なかった。群衆の騒めきでホーム内は煩いはずなのに不思議と彼らの出す雑音は聞こえなかった。蟻のように蠢く彼らの姿も全く目に入らず、沈黙の静寂の中で私はただプルースト君の一挙手に全神経を注いでいた。  すると不意にプルースト君が私の座る右斜め前に視線を落とした。突然の動きに驚いて気が動転しつつも私も追ってその視線の先に目を遣った。プルースト君は私のダウンジャケットのポケットからはみ出しているメロンソーダの頭部を見ていた。私は愕然たる思いに駆られた。しかし今やどうする事も出来ない。怜悧な思考力と電光石火の直観力を併せ持つ彼ならばすぐにそれが棄教退転の証拠だという事に気が付くだろう。私は半ば観念して恐る恐るプルースト君の横顔を伺った。悪い予感は良く当たると云う。案の定プルースト君の蒼白い顔の口元には哀れみにも似た冷笑が至極鮮明に浮かんでいた。  私はというとそれからもう身を固く縮めて頑なに瞼を閉じる事しか出来なかった。遂に私が厚着紳士道から転がり落ちて軟派な薄着蛮族の一員と成り下がった事を見破られてしまった。卑怯千万な棄教退転者という消す事の出来ない烙印を隣に座る厳然たる厚着紳士に押されてしまった。  白い煙突塔から吐き出された排煙は永久に恥辱の空を漂い続けるのだ。あの笑みはかつて一心同体であった純白の塔から汚れてしまった灰色の煙へと送られた悲しみを押し隠した訣別の笑みだったのだろう。私は彼の隣でこのまま電車が来るのを待ち続ける事が耐えられなくなって来た。私にはプルースト君と同じ電車に乗る資格はもう既に失われているのだった。今すぐにでも立ち上がってそのまま逃げるように駅を出て、家に帰ってポップコーンでも焼け食いしよう、そうして全てを忘却の風に流してしまおう。そう思っていた矢先、隣のプルースト君が何やら慌ただしく動いている気配が伝わってきた。私は薄目を開いた。プルースト君はロングコートのポケットの中から何かを取り出そうとしていた。メロンソーダだった。驚きを隠せない私を尻目にプルースト君は渇き飢えた飼い豚のようにその薄緑色の炭酸ジュースを勢い良く飲み始めた。みるみるとペットボトルの中のメロンソーダが半分以上が無くなった。するとプルースト君は下品極まりないげっぷを数回したかと思うと「暑い、いや暑いなあ」と一人小さく呟いてコートのボタンをそそくさと外し始めた。瞬く間にコートの前門は解放された。中から汚い染みの沢山付着した白いシャツとその白布に包まれただらしのない太鼓腹が堂々と姿を現した。  私は暫くの間呆気に取られていた。しかしすぐに憤然と立ち上がった。長椅子に座ってメロンソーダを飲むかつてプルースト君と言われた汚物を背にしてホームの反対方向へ歩き始めた。出来る限りあの醜悪な棄教退転者から遠く離れたかった。暫く歩いていると、擦れ違う人々の怪訝そうな視線を感じた。自分の顔に哀れな裏切り者に対する軽侮の冷笑が浮かんでいる事に私は気が付いた。  ホームの端に辿り着くと私は視線をホームの対岸にその先の彼方にある白い塔へと注いた。黒雲に覆われた白い塔の陰には在りし日のプルースト君の面影がぼんやりとちらついた。しかしすぐにまた消えて無くなった。暫くすると白い塔さえも風に流れて来た黒雲に掻き消されてしまった。四角い窓枠からは何も見え無くなり、軽薄な人間達の姿と騒めきが壁に包まれたホーム中に充満していった。  言い知れぬ虚無と寂寥が肌身に沁みて私は静かに両の瞳を閉じた。周囲の雑音と共に色々な想念が目まぐるしく心中を通り過ぎて行った。プルースト君の事、厚着紳士で在り続けるという事、メロンソーダ、白い塔…、プルースト君の事。凡そ全てが雲や煙となって無辺の彼方へと押し流されて行った。真夜中と見紛う暗黒に私の全視界は覆われた。  間もなくすると闇の天頂に薄っすらと白い点が浮かんだ。最初は小さく朧げに白く映るだけだった点は徐々に膨張し始めた。同時に目も眩む程に光り輝き始めた。終いには白銀の光を溢れんばかりに湛えた満月並みの大円となった。実際に光は丸い稜線から溢れ始めて、激しい滝のように闇の下へと流れ落ち始めた。天頂から底辺へと一直線に落下する直瀑の白銀滝は段々と野太くなった。反対に大円は徐々に縮小していって再び小さな点へと戻っていった。更にはその点すらも闇に消えて、視界から見え無くなった直後、不意に全ての動きが止まった。  流れ落ちていた白銀滝の軌跡はそのままの光と形に凝固して、寂滅の真空に荘厳な光の巨塔が顕現した。その美々しく神々しい立ち姿に私は息をする事さえも忘れて見入った。最初は塔全体が一つの光源体の様に見えたが、よく目を凝らすと恐ろしく小さい光の結晶が高速で点滅していて、そうした極小微細の光片が寄り集まって一本の巨塔を形成しているのだという事が解った。その光の源が何なのかは判別出来なかったが、それよりも光に隙間無く埋められている塔の外壁の内で唯一不自然に切り取られている黒い正方形の個所がある事が気になった。塔の頂付近にその不可解な切り取り口はあった。怪しみながら私はその内側にじっと視線を集中させた。  徐々に瞳が慣れて来ると暗闇の中に茫漠とした人影の様なものが見え始めた。どうやら黒い正方形は窓枠である事が解った。しかしそれ以上は如何程目を凝らしても人影の相貌は明確にならなかった。ただ私の方を見ているらしい彼が恐ろしい程までに厚着している事だけは解った。あれは幻の厚着紳士なのか。思わず私は手を振ろうとした。しかし紳士という言葉の響きが振りかけた手を虚しく元の位置へと返した。  すると間も無く塔の根本周辺が波を打って揺らぎ始めた。下方からから少しずつ光の塔は崩れて霧散しだした。朦朧と四方へ流れ出した光群は丸く可愛い尻を光らせて夜の河を渡っていく銀蛍のように闇の彼方此方へと思い思いに飛んで行った。瞬く間に百千幾万の光片が暗闇一面を覆い尽くした。  冬の夜空に散りばめられた銀星のように暗闇の満天に煌く光の屑は各々少しずつその輝きと大きさを拡大させていった。間もなく見つめて居られ無い程に白く眩しくなった。耐えられ無くなった私は思わず目を見開いた。するとまた今度は天井の白い蛍光灯の眩しさが瞳を焼いた。いつの間にか自分の顔が斜め上を向いていた事に気が付いた。顔を元の位置に戻すと、焼き付いた白光が徐々に色褪せていった。依然として変わらぬホームの光景と。周囲の雑多なざわめきが目と耳に戻ると、依然として黒雲に覆い隠されている窓枠が目に付いた。すぐにまた私は目を閉じた。暗闇の中をを凝視してつい先程まで輝いていた光の面影を探してみたが、瞼の裏にはただ沈黙が広がるばかりだった。  しかし光り輝く巨塔の幻影は孤高の紳士たる決意を新たに芽生えさせた。私の心中は言い知れない高揚に包まれ始めた。是が非でも守らなければならない厚着矜持信念の実像をこの両の瞳で見た気がした。すると周囲の雑音も不思議と耳に心地よく聞こえ始めた。  『この者達があの神聖な光を見る事は決して無い事だろう。あの光は選ばれた孤高の厚着紳士だけが垣間見る事の出来る祝福の光なのだ。光の巨塔の窓に微かに垣間見えたあの人影はおそらく未来の自分だったのだろう。完全に厚着紳士と化した私が現在の中途半端な私に道を反れることの無いように暗示訓戒していたに違いない。しかしもはや誰に言われなくても私が道を踏み外す事は無い。私の上着のボタンが開かれる事はもう決して無い。あの白い光は私の脳裏に深く焼き付いた』  高揚感は体中の血を上気させて段々と私は喉の渇きを感じ始めた。するとポケットから頭を出したメロンソーダが目に付いた。再び私の心は激しく揺れ動き始めた。  一度は目を逸らし二度目も逸らした。三度目になると私はメロンソーダを凝視していた。しかし迷いを振り払うかの様に視線を逸らすとまたすぐに前を向いた。四度目、私はメロンソーダを手に持っていた。三分の二以上減っていて非常に軽い。しかしまだ三分の一弱は残っている。ペットボトルの底の方で妖しく光る液体の薄緑色は喉の渇き切った私の瞳に避け難く魅惑的に映った。  まあ、喉を潤すぐらいは良いだろう、ダウンの前を開かない限りは。私はそう自分に言い聞かせるとペットボトルの口を開けた。間を置かないで一息にメロンソーダを飲み干した。  飲みかけのメロンソーダは炭酸が抜けきってしつこい程に甘く、更には生ぬるかった。それは紛れも無く堕落の味だった。腐った果実の味だった。私は何とも言えない苦い気持ちと後悔、更には自己嫌悪の念を覚えて早くこの嫌な味を忘れようと盛んに努めた。しかし舌の粘膜に絡み付いた甘さはなかなか消える事が無かった。私はどうしようも無く苛立った。すると突然隣に黒く長い影が映った。プルースト君だった。不意の再再会に思考が停止した私は手に持った空のメロンソーダを隠す事も出来ず、ただ茫然と突っ立っていたが、すぐに自分が手に握るそれがとても恥ずかしい物のように思えて来てメロンソーダを慌ててポケットの中に隠した。しかしプルースト君は私の隠蔽工作を見逃しては居ないようだった。すぐに自分のポケットから飲みかけのメロンソーダを取り出すとプルースト君は旨そうに大きな音を立ててソーダを飲み干した。乾いたゲップの音の響きが消える間もなく、透明になったペットボトルの蓋を華麗優雅な手捌きで閉めるとプルースト君はゆっくりとこちらに視線を向けた。その瞳に浮かんでいたのは紛れもなく同類を見つけた時に浮かぶあの親愛の情だった。  間もなくしてようやく電車が駅にやって来た。プルースト君と私は仲良く同じ車両に乗った。駅に溢れていた乗客達が逃げ場無く鮨詰めにされて居る狭い車内は冷房もまだ付いておらず蒸し暑かった。夥しい汗で額や脇を濡らしたプルースト君の隣で私はゆっくりとダウンのボタンに手を掛けた。視界の端に白い塔の残映が素早く流れ去っていった。
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groyanderson · 3 years
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☆プロトタイプ版☆ ひとみに映る影シーズン2 第七話「復活、ワヤン不動」
☆プロトタイプ版☆ こちらは電子書籍「ひとみに映る影 シーズン2」の 無料プロトタイプ版となります。 誤字脱字等修正前のデータになりますので、あしからずご了承下さい。
☆ここから買おう☆
(シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!!
pixiv版 (※内容は一緒です。)
དང་པོ་
 ニライカナイから帰還した私達はその後、魔耶さんに呼ばれて食堂へ向かう。食堂内では五寸釘愚連隊と生き残った河童信者が集合していた。更に最奥のテーブルには、全身ボッコボコにされたスーツ姿の男。バリカンか何かで雑に剃り上げられた頭頂部を両手で抑えながら、傍らでふんぞり返る禍耶さんに怯えて震えている。 「えーと……お名前、誰さんでしたっけ」  この人は確か、河童の家をリムジンに案内していたアトム社員だ。特徴的な名前だった気はするんだけど、思い出せない。 「あっ……あっ……」 「名乗れ!」 「はひいぃぃ! アトムツアー営業部の五間擦平雄(ごますり ひらお)と申します!」  禍耶さんに凄まれ、五間擦氏は半泣きで名乗った。少なくともモノホンかチョットの方なんだろう。すると河童信者の中で一番上等そうなバッジを付けた男が席を立ち、机に手をついて私達に深々と頭を下げた。 「紅さん、志多田さん。先程は家のアホ大師が大っっっ変ご迷惑をおかけ致しました! この落とし前は我々河童の家が後日必ず付けさせて頂きます!」 「い、いえそんな……って、その声まさか、昨年のお笑いオリンピックで金メダルを総ナメしたマスク・ド・あんこう鍋さんじゃないですか! お久しぶりですね!?」  さすがお笑い界のトップ組織、河童の家だ。ていうか仕事で何度か会ったことあるのに素顔初めて見た。 「あお久しぶりっす! ただこちらの謝罪の前に、お二人に話さなきゃいけない事があるんです。ほら説明しろボケナスがッ!!」  あんこう鍋さんが五間擦氏の椅子を蹴飛ばす。 「ぎゃひぃ! ごご、ご説明さひぇて頂きますぅぅぅ!!」  五間擦氏は観念して、千里が島とこの除霊コンペに関する驚愕の事実を私達に洗いざらい暴露した。その全貌はこうだ。  千里が島では散減に縁を奪われた人間が死ぬと、『金剛の楽園』と呼ばれる何処かに飛び去ってしまうと言い伝えられている。そうなれば千里が島には人間が生きていくために必要な魂の素が枯渇し、乳幼児の生存率が激減してしまうんだ。そのため島民達は縁切り神社を建て、島外の人々を呼びこみ縁を奪って生き延びてきたのだという。  アトムグループが最初に派遣した建設会社社員も伝説に違わず祟られ、全滅。その後も幾つかの建設会社が犠牲になり、ようやく事態を重く受け止めたアトムが再開発中断を検討し始めた頃。アトムツアー社屋に幽霊が現れるという噂が囁かれ始めた。その霊は『日本で名のある霊能者達の縁を散減に献上すれば千里が島を安全に開発させてやろう』と宣うらしい。そんな奇妙な話に最初は半信半疑だった重役達も、『その霊がグループ重役会議に突如現れアトムツアーの筆頭株主を目の前で肉襦袢に変えた』事で霊の要求を承認。除霊コンペティションを行うと嘘の依頼をして、日本中から霊能者を集めたのだった。  ところが行きの飛行機で、牛久大師は袋の鼠だったにも関わらず中級サイズの散減をあっさり撃墜してしまう。その上業界ではインチキ疑惑すら噂されていた加賀繍へし子の取り巻きに散減をけしかけても、突然謎のレディース暴走族幽霊が現れて返り討ちにされてしまった。度重なる大失態に激怒した幽霊はアトムツアーイケメンライダーズを全員肉襦袢に変えて楽園へ持ち帰ってしまい、メタボ体型のため唯一見逃された五間擦氏はついに牛久大師に命乞いをする。かくして大師は大散減を退治すべく、祠の封印を剥がしたのだった。以上の話が終わると、私は五間擦氏に馬乗りになって彼の残り少ない髪の毛を引っこ抜き始めた。 「それじゃあ、大師は初めから封印を解くつもりじゃなかったんですか?」 「ぎゃあああ! 毛が毛が毛がああぁぁ!!」  あんこう鍋さんは首を横に振る。 「とんでもない。あの人は力がどうとか言うタイプじゃありません。地上波で音波芸やろうとしてNICを追放されたアホですよ? 我々はただの笑いと金が大好きなぼったくりカルトです」 「ほぎゃああぁぁ! 俺の貴重な縁があぁぁ、抜けるウゥゥーーーッ!!」 「そうだったんですね。だから『ただの関係者』って言ってたんだ……」  そういう事だったのか。全ては千里が島、アトムグループ、ひいては金剛有明団までもがグルになって仕掛けた壮大なドッキリ……いや、大量殺人計画だったんだ! 大師も斉二さんもこいつらの手の上で踊らされた挙句逝去したとわかった以上、大散減は尚更許してはおけない。  魔耶さんと禍耶さんは食堂のカウンターに登り、ハンマーを掲げる。 「あなた達。ここまでコケにされて、大散減を許せるの? 許せないわよねぇ?」 「ここにいる全員で謀反を起こしてやるわ。そこの祝女と影法師使いも協力しなさい」  禍耶さんが私達を見る。玲蘭ちゃんは数珠を持ち上げ、神人に変身した。 「全員で魔物(マジムン)退治とか……マジウケる。てか、絶対行くし」 「その肉襦袢野郎とは個人的な因縁もあるんです。是非一緒に滅ぼさせて下さい!」 「私も! さ、さすがに戦うのは無理だけど……でもでも、出来ることはいっぱい手伝うよ!」  佳奈さんもやる気満々のようだ。 「決まりね! そうしたら……」 「その作戦、私達も参加させて頂けませんか?」  食堂入口から突然割り込む声。そこに立っていた���は…… 「斉一さん!」「狸おじさん!」  死の淵から復活した後女津親子だ! 斉一さんは傷だらけで万狸ちゃんに肩を借りながらも、極彩色の細かい糸を纏い力強く微笑んでいる。入口近くの席に座り、経緯を語りだした。 「遅くなって申し訳ない。魂の三分の一が奪われたので、万狸に体を任せて、斉三と共にこの地に住まう魂を幾つか分けて貰っていました」  すると斉一さんの肩に斉三さんも現れる。 「診療所も結界を張り終え、とりあえず負傷者の安全は確保した。それと、島の魂達から一つ興味深い情報を得ました」 「聞かせて、狸ちゃん」  魔耶さんが促す。 「御戌神に関する、正しい歴史についてです」  時は遡り江戸時代。そもそも江戸幕府征服を目論んだ物の怪とは、他ならぬ金剛有明団の事だった。生まれた直後に悪霊を埋め込まれた徳松は、ゆくゆくは金剛の意のままに動く将軍に成長するよう運命付けられていたんだ。しかし将軍の息子であった彼は神職者に早急に保護され、七五三の儀式が行われる。そこから先の歴史は青木さんが説明してくれた通り。けど、この話には続きがあるらしい。 「大散減の祠などに、星型に似たシンボルを見ませんでしたか? あれは大散減の膨大な力の一部を取り込み霊能力を得るための、給電装置みたいな物です。もちろんその力を得た者は縁が失せて怪物になるのですが、当時の愚か者共はそうとは知らず、大散減を『徳川の埋蔵金』と称し挙って島に移住しました」  私達したたびが探していた徳川埋蔵金とはなんと、金剛の膨大な霊力と衆生の縁の塊、大散減の事だったんだ。ただ勿論、霊能者を志し島に近付いた者達はまんまと金剛に魂を奪われた。そこで彼らの遺族は風前の灯火だった御戌神に星型の霊符を貼り、自分達の代わりに島外の人間から縁を狩る猟犬に仕立て上げたんだ。こうして御戌神社ができ、御戌神は地中で飢え続ける大散減の手足となってせっせと人の縁を奪い続けているのだという。 「千里が島の民は元々霊能者やそれを志した者の子孫です。多少なりとも力を持つ者は多く、彼らは代々『御戌神の器』を選出し、『人工転生』を行ってきました」  斉一さんが若干小声で言う。人工転生。まだ魂が未発達の赤子に、ある特定の幽霊やそれに纏わる因子を宛てがって純度の高い『生まれ変わり』を作る事。つまり金剛が徳松に行おうとしたのと同じ所業だ。 「じゃあ、今もこの島のどこかに御戌様の生まれ変わりがいるんですか?」  佳奈さんは飲み込みが早い。 「ええ。そして御戌神は、私達が大散減に歯向かえば再び襲ってきます。だからこの戦いでは、誰かが対御戌神を引き受け……最悪、殺生しなければなりません」 「殺生……」  生きている人間を、殺す。死者を成仏させるのとは訳が違う話だ。魔耶さんは胸の釘を握りしめた。 「そのワンちゃん、なんて可哀想なの……可哀想すぎる。攻撃なんて、とてもできない」 「魔耶、今更甘えた事言ってんじゃないわよ。いくら生きてるからって、中身は三百年前に死んだバケモノよ! いい加減ラクにしてやるべきだわ」 「でもぉ禍耶、あんまりじゃない! 生まれた時から不幸な運命を課せられて、それでも人々のために戦ったのに。結局愚かな連中の道具にされて、利用され続けているのよ!」 (……!)  道具。その言葉を聞いた途端、私は心臓を握り潰されるような恐怖を覚えた。本来は衆生を救うために手に入れた力を、正反対の悪事に利用されてしまう。そして余所者から邪尊(バケモノ)と呼ばれ、恐れられるようになる……。 ―テロリストですよ。ドマル・イダムという邪尊の力を操ってチベットを支配していた、最悪の独裁宗派です―  自分の言った言葉が心に反響する。御戌神が戦いの中で見せた悲しそうな目と、ニライカナイで見たドマルの絶望的な目が日蝕のように重なる。瞳に映ったあの目は……私自身が前世で経験した地獄の、合わせ鏡だったんだ。 「……魔耶さん、禍耶さん。御戌神は、私が相手をします」 「え!?」 「正気なの!? 殺生なんて私達死者に任せておけばいいのよ! でないとあんた、殺人罪に問われるかもしれないのに……」  圧。 「ッ!?」  私は無意識に、前世から受け継がれた眼圧で総長姉妹を萎縮させた。 「……悪魔の心臓は御仏を産み、悪人の遺骨は鎮魂歌を奏でる。悪縁に操られた御戌神も、必ず菩提に転じる事が出来るはずです」  私は御戌神が誰なのか、確証を持っている。本当の『彼』は優しくて、これ以上金剛なんかの為に罪を重ねてはいけない人。たとえ孤独な境遇でも人との縁を大切にする、子犬のようにまっすぐな人なんだ。 「……そう。殺さずに解決するつもりなのね、影法師使いさん。いいわ。あなたに任せます」  魔耶さんがスレッジハンマーの先を私に突きつける。 「失敗したら承知しない。私、絶対に承知しないわよ」  私はそこに拳を当て、無言で頷いた。  こうして話し合いの結果、対大散減戦における役割分担が決定した。五寸釘愚連隊と河童の家、玲蘭ちゃんは神社で大散減本体を引きずり出し叩く。私は御戌神を探し、神社に行かれる前に説得か足止めを試みる。そして後女津家は私達が解読した暗号に沿って星型の大結界を巡り、大散減の力を放出して弱体化を図る事になった。 「志多田さん。宜しければ、お手伝いして頂けませんか?」  斉一さんが立ち上がり、佳奈さんを見る。一方佳奈さんは申し訳なさそうに目を伏せた。 「で……でも、私は……」  すると万狸ちゃんが佳奈さんの前に行く。 「……あのね。私のママね、災害で植物状態になったの。大雨で津波の警報が出て、パパが車で一生懸命高台に移動したんだけど、そこで土砂崩れに遭っちゃって」 「え、そんな……!」 「ね、普通は不幸な事故だと思うよね。でもママの両親、私のおじいちゃんとおばあちゃん……パパの事すっごく責めたんだって。『お前のせいで娘は』『お前が代わりに死ねば良かったのに』みたいに。パパの魂がバラバラに引き裂かれるぐらい、いっぱいいっぱい責めたの」  昨晩斉三さんから聞いた事故の話だ。奥さんを守れなかった上にそんな言葉をかけられた斉一さんの気持ちを想うと、自分まで胸が張り裂けそうだ。けど、奥さんのご両親が取り乱す気持ちもまたわかる。だって奥さんのお腹には、万狸ちゃんもいたのだから……。 「三つに裂けたパパ……斉一さんは、生きる屍みたいにママの為に無我夢中で働いた。斉三さんは病院のママに取り憑いたまま、何年も命を留めてた。それから、斉二さんは……一人だけ狸の里(あの世)に行って、水子になっちゃったママの娘を育て続けた」 「!」 「斉二さんはいつも言ってたの。俺は分裂した魂の、『後悔』の側面だ。天災なんて誰も悪くないのに、目を覚まさない妻を恨んでしまった。妻の両親を憎んでしまった。だからこんなダメな狸親父に万狸が似ないよう、お前をこっちで育てる事にしたんだ。って」  万狸ちゃんが背筋をシャンと伸ばし、顔を上げた。それは勇気に満ちた笑顔だった。 「だから私知ってる。佳奈ちゃんは一美ちゃんを助けようとしただけだし、ぜんぜん悪いだなんて思えない。斉二さんの役割は、完璧に成功してたんだよ」 「万狸ちゃん……」 「あっでもでも、今回は天災じゃなくて人災なんだよね? それなら金剛有明団をコッテンパンパンにしないと! 佳奈ちゃんもいっぱい悲しい思いした被害者でしょ?」  万狸ちゃんは右手を佳奈さんに差し出す。佳奈さんも顔を上げ、その手を強く握った。 「うん。金剛ぜったい許せない! 大散減の埋蔵金、一緒にばら撒いちゃお!」  その時、ホテルロビーのからくり時計から音楽が鳴り始めた。曲は民謡『ザトウムシ』。日没と大散減との対決を告げるファンファーレだ。魔耶さんは裁判官が木槌を振り下ろすように、机にハンマーを叩きつけた! 「行ぃぃくぞおおおぉぉお前らああぁぁぁ!!!」 「「「うおおぉぉーーーっ!!」」」  総員出撃! ザトウムシが鳴り響く逢魔が時の千里が島で今、日本最大の除霊戦争が勃発する!
གཉིས་པ་
 大散減討伐軍は御戌神社へ、後女津親子と佳奈さんはホテルから最寄りの結界である石見沼へと向かった。さて、私も御戌神の居場所には当てがある。御戌神は日蝕の目を持つ獣。それに因んだ地名は『食虫洞』。つまり、行先は新千里が島トンネル方面だ。  薄暗いトンネル内を歩いていると、電灯に照らされた私の影が勝手に絵を描き始めた。空で輝く太陽に向かって無数の虫が冒涜的に母乳を吐く。太陽は穢れに覆われ、光を失った日蝕状態になる。闇の緞帳(どんちょう)に包まれた空は奇妙な星を孕み、大きな獣となって大地に災いをもたらす。すると地平線から血のように赤い月が昇り、星や虫を焼き殺しながら太陽に��達。太陽と重なり合うやいなや、天上天下を焼き尽くすほどの輝きを放つのだった……。  幻のような影絵劇が終わると、私はトンネルを抜けていた。目の前のコンビニは既に電気が消えている。その店舗全体に、腐ったミルクのような色のペンキで星型に線を一本足した記号が描かれている。更に接近すると、デッキブラシを持った白髪の偉丈夫が記号を消そうと悪戦苦闘しているのが見えた。 「あ、紅さん」  私に気がつき振り返った青木さんは、足下のバケツを倒して水をこぼしてしまった。彼は慌ててバケツを立て直す。 「見て下さい。誰がこんな酷い事を? こいつはコトだ」  青木さんはデッキブラシで星型の記号を擦る。でもそれは掠れすらしない。 「ブラシで擦っても? ケッタイな落書きを……っ!?」  指で直接記号に触れようとした青木さんは、直後謎の力に弾き飛ばされた。 「……」  青木さんは何かを思い出したようだ。 「紅さん。そういえば僕も、ケッタイな体験をした事が」  夕日が沈んでいき、島中の店や防災無線からはザトウムシが鳴り続ける。 「犬に吠えられ、夜中に目を覚まして。永遠に飢え続ける犬は、僕のおつむの中で、ひどく悲しい声で鳴く。それならこれは幻聴か? 犬でないなら幽霊かもだ……」  青木さんは私に背を向け、沈む夕日に引き寄せられるように歩きだした。 「早くなんとかせにゃ。犬を助けてあげなきゃ、僕までどうにかなっちまうかもだ。するとどこからか、目ん玉が潰れた双頭の毛虫がやって来て、口からミルクを吐き出した。僕はたまらず、それにむしゃぶりつく」  デッキブラシから滴った水が地面に線を引き、一緒に夕日を浴びた青木さんの影も伸びていく。 「嫌だ。もう犬にはなりたくない。きっとおっとろしい事が起きるに違いない。満月が男を狼にするみたいに、毛虫の親玉を解き放つなど……」 「青木さん」  私はその影を呼び止めた。 「この落書きは、デッキブラシじゃ落とせません」 「え?」 「これは散減に穢された縁の母乳、普通の人には見えない液体なんです」  カターン。青木さんの手からデッキブラシが落ちた途端、全てのザトウムシが鳴り止んだ。青木さんはゆっくりとこちらへ振り向く。重たい目隠れ前髪が狛犬のたてがみのように逆立ち、子犬のように輝く目は濁った穢れに覆われていく。 「グルルルル……救、済、ヲ……!」  私も胸のペンダントに取り付けたカンリンを吹いた。パゥーーー……空虚な悲鳴のような音が響く。私の体は神経線維で編まれた深紅の僧衣に包まれ、激痛と共に影が天高く燃え上がった。 「青木さん。いや、御戌神よ。私は紅の守護尊、ワヤン不動。しかし出来れば、お前とは戦いたくない」  夕日を浴びて陰る日蝕の戌神と、そこから伸びた赤い神影(ワヤン)が対峙する。 「救済セニャアアァ!」 「そうか。……ならば神影繰り(ワヤン・クリ)の時間だ!」  空の月と太陽が見下ろす今この時、地上で激突する光の神と影の明王! 穢れた色に輝く御戌神が突撃! 「グルアアァァ!」  私はティグクでそれをいなし、黒々と地面に伸びた自らの影を滑りながら後退。駐車場の車止めをバネに跳躍、傍らに描かれた邪悪な星目掛けてキョンジャクを振るった。二〇%浄化! 分解霧散した星の一片から大量の散減が噴出! 「マバアアアァァ!!」「ウバアァァァ!」  すると御戌神の首に巻かれた幾つもの頭蓋骨が共鳴。ケタケタと震えるように笑い、それに伴い御戌神も悶絶する。 「グルアァァ……ガルァァーーーッ!!」  咆哮と共に全骨射出! 頭蓋骨は穢れた光の尾を引き宙を旋回、地を這う散減共とドッキングし牙を剥く! 「がッは!」  毛虫の体を得た頭蓋骨が飛び回り、私の血肉を穿つ。しかし反撃に転じる寸前、彼らの正体を閃いた。 「さては歴代の『器』か」  この頭蓋骨らは御戌神転生の為に生贄となった、どこの誰が産んだかもわからない島民達の残滓だ。なら速やかに解放せねばなるまい! 人頭毛虫の猛攻をティグクの柄やキョンジャクで防ぎながら、ティグクに付随する旗に影炎を着火! 「お前達の悔恨を我が炎の糧とする! どおぉりゃああぁーーーーっ!!」   ティグク猛回転、憤怒の地獄大車輪だ! 飛んで火に入る人頭毛虫らはたちどころに分解霧散、私の影体に無数の苦痛と絶望と飢えを施す! 「クハァ……ッ! そうだ……それでいい。私達は仲間だ、この痛みを以て金剛に汚された因果を必ずや断ち切ってやろう! かはあぁーーーっはーーっはっはっはっはァァーーッ!!!」  ���痛が無上の瑜伽へと昇華しワヤン不動は呵呵大笑! ティグクから神経線維の熱線が伸び大車輪の火力を増強、星型記号を更に焼却する! 記号は大文字焼きの如く燃え上がり穢れ母乳と散減を大放出! 「ガウルル、グルルルル!」  押し寄せる母乳と毛虫の洪水に突っ込み喰らおうと飢えた御戌神が足掻く。だがそうはさせるものか、私の使命は彼を穢れの悪循環から救い出す事だ。 「徳川徳松ゥ!」 「!」  人の縁を奪われ、畜生道に堕ちた哀しき少年の名を呼ぶ。そして丁度目の前に飛んできた散減を灼熱の手で掴むと、轟々と燃え上がるそれを遠くへ放り投げた! 「取ってこい!」 「ガルアァァ!!」  犬の本能が刺激された御戌神は我を忘れ散減を追う! 街路樹よりも高く跳躍し口で見事キャッチ、私目掛けて猪突猛進。だがその時! 彼の本体である衆生が、青木光が意識を取り戻した! (戦いはダメだ……穢れなど!)  日蝕の目が僅かに輝きを増す。御戌神は空中で停止、咥えている散減を噛み砕いて破壊した! 「かぁははは、いい子だ徳松よ! ならば次はこれだあぁぁ!!」  私はフリスビーに見立ててキョンジャクを投擲。御戌神が尻尾を振ってハッハとそれを追いかける。キョンジャクは散減共の間をジグザグと縫い進み、その軌跡を乱暴になぞる御戌神が散減大量蹂躙! 薄汚い死屍累々で染まった軌跡はまさに彼が歩んできた畜生道の具現化だ!! 「衆生ぉぉ……済度ぉおおおぉぉぉーーーーっ!!!」  ゴシャアァン!!! ティグクを振りかぶって地面に叩きつける! 視神経色の亀裂が畜生道へと広がり御戌神の背後に到達。その瞬間ガバッと大地が割れ、那由多度に煮え滾る業火を地獄から吹き上げた! ズゴゴゴゴガガ……マグマが滾ったまま連立する巨大灯篭の如く隆起し散減大量焼却! 振り返った御戌神の目に陰る穢れも、紅の影で焼き溶かされていく。 「……クゥン……」  小さく子犬のような声を発する御戌神。私は憤怒相を収め、その隣に立つ。彼の両眼からは止めどなく饐えた涙が零れ、その度に日蝕が晴れていく。気がつけば空は殆ど薄暗い黄昏時になっていた。闇夜を迎える空、赤く燃える月と青く輝く太陽が並ぶ大地。天と地の光彩が逆転したこの瞬間、私達は互いが互いの前世の声を聞いた。 『不思議だ。あの火柱見てると、ぼくの飢えが消えてく。お不動様はどんな法力を?』 ༼ なに、特別な力ではない。あれは慈悲というものだ ༽ 『じひ』  徳松がドマルの手を握った。ドマルの目の奥に、憎しみや悲しみとは異なる熱が込み上がる。 『救済の事で?』 ༼ ……ま、その類いといえばそうか。童よ、あなたは自分を生贄にした衆生が憎いか? ༽  徳松は首を横に振る。 『ううん、これっぽっちも。だってぼく、みんなを救済した神様なんだから』  すると今度はドマルが両手で徳松の手を包み、そのまま深々と合掌した。 ༼ なら、あなたはもう大丈夫だ。衆生との縁に飢える事は、今後二度とあるまい ༽
གསུམ་པ་
 時刻は……わからないけど、日は完全に沈んだ。私も青木さんも地面に大の字で倒れ、炎上するコンビニや隆起した柱状節理まみれの駐車場を呆然と眺めている。 「……アーーー……」  ふと青木さんが、ずっと咥えっ放しだったキョンジャクを口から取り出した。それを泥まみれの白ニットで拭い、私に返そうとして……止めた。 「……洗ってからせにゃ」 「いいですよ。この後まだいっぱい戦うもん」 「大散減とも? おったまげ」  青木さんにキョンジャクを返してもらった。 「実は、まだ学生の時……友達が僕に、『彼女にしたい芸能人は?』って質問を。けど特に思いつかなくて、その時期『非常勤刑事』やってたので紅一美ちゃんと。そしたら今回、本当にしたたびさんが……これが縁ってやつなら、ちぃと申し訳ないかもだ」 「青木さんもですか」 「え?」 「私も実は、この間雑誌で『好きな男性のタイプは何ですか』って聞かれて、なんか適当に答えたんですけど……『高身長でわんこ顔な方言男子』とかそんなの」 「そりゃ……ふふっ。いやけど、僕とは全然違うイメージだったかもでしょ?」 「そうなんですよ。だから青木さんの素顔初めて見た時、キュンときたっていうより『あ、実在するとこんな感じなの!?』って思っちゃったです。……なんかすいません」  その時、遠くでズーンと地鳴りのような音がした。蜃気楼の向こうに耳をそばだてると、怒号や悲鳴のような声。どうやら敵の大将が地上に現れたようだ。 「行くので?」 「大丈夫。必ず戻ってきます」  私は重い体を立ち上げ、ティグクとキョンジャクに再び炎を纏った。そして山頂の御戌神社へ出発…… 「きゃっ!」  しようとした瞬間、何かに服の裾を掴まれたかのような感覚。転びそうになって咄嗟にティグクの柄をつく。足下を見ると、小さなエネルギー眼がピンのように私の影を地面と縫いつけている。 ༼ そうはならんだろ、小心者娘 ༽ 「ちょ、ドマル!?」  一方青木さんの方も、徳松に体を勝手に動かされ始めた。輝く両目から声がする。 『バカ! あそこまで話しといて告白しねえなど!? このボボ知らず!』 「ぼっ、ぼっ、ボボ知らずでねえ! 嘘こくなぁぁ!」  民謡の『お空で見下ろす出しゃばりな月と太陽』って、ひょっとしたら私達じゃなくてこの前世二人の方を予言してたのかも。それにしてもボボってなんだろ、南地語かな。 ༼ これだよ ༽  ドマルのエネルギー眼が炸裂し、私は何故かまた玲蘭ちゃんの童貞を殺す服に身を包んでいた。すると何故か青木さんが悶絶し始めた。 「あややっ……ちょっと、ダメ! 紅さん! そんなオチチがピチピチな……こいつはコトだ!!」  ああ、成程。ボボ知らずってそういう…… 「ってだから、私の体で検証すなーっ! ていうか、こんな事している間にも上で死闘が繰り広げられているんだ!」 ༼ だからぁ……ああもう! 何故わからないのか! ヤブユムして行けと言っているんだ、その方が生存率上がるしスマートだろ! ༽ 「あ、そういう事?」  ���ブユム。確か、固い絆で結ばれた男女の仏が合体して雌雄一体となる事で色々と超越できる、みたいな意味の仏教用語……だったはず。どうすればできるのかまではサッパリわかんないけど。 「え、えと、えと、紅さん……一美ちゃん!」 「はい……う、うん、光君!」  両前世からプレッシャーを受け、私と光君は赤面しながら唇を近付ける。 『あーもー違う! ヤブユムっていうのは……』 ༼ まーまー待て。ここは現世を生きる衆生の好きにさせてみようじゃないか ༽  そんな事言われても困る……それでも、今私と光君の想いは一つ、大散減討伐だ。うん、多分……なんとかなる! はずだ!
བཞི་པ་
 所変わって御戌神社。姿を現した大散減は地中で回復してきたらしく、幾つか継ぎ目が見えるも八本足の完全体だ。十五メートルの巨体で暴れ回り、周囲一帯を蹂躙している。鳥居は倒壊、御戌塚も跡形もなく粉々に。島民達が保身の為に作り上げた生贄の祭壇は、もはや何の意味も為さない平地と化したんだ。  そんな絶望的状況にも関わらず、大散減討伐軍は果敢に戦い続ける。五寸釘愚連隊がバイクで特攻し、河童信者はカルトで培った統率力で彼女達をサポート。玲蘭ちゃんも一枚隔てた異次元から大散減を構成する無数の霊魂を解析し、虱潰しに破壊していく。ところが、 「あグッ!」  バゴォッ!! 大散減から三メガパスカル級の水圧で射出された穢れ母乳が、河童信者の一人に直撃。信者の左半身を粉砕! 禍耶さんがキュウリの改造バイクで駆けつける。 「河童信者!」 「あ、か……禍耶の姐御……。俺の、魂を……吸収……し……」 「何言ってるの、そんな事できるわけないでしょ!?」 「……大散、ぃに、縁……取られ、嫌、……。か、っぱは……キュウリ……好き……っか……ら…………」  河童信者の瞳孔が開いた。禍耶さんの唇がわなわなと痙攣する。 「河童って馬鹿ね……最後まで馬鹿だった……。貴方の命、必ず無駄にはしないわ!」  ガバッ、キュイイィィ! 息絶えて間もない河童信者の霊魂が分解霧散する前に、キュウリバイクの給油口に吸収される。ところが魔耶さんの悲鳴! 「禍耶、上ぇっ!!」 「!」  見上げると空気を読まず飛びかかってきた大散減! 咄嗟にバイクを発進できず為す術もない禍耶さんが絶望に目を瞑った、その時。 「……え?」  ……何も起こらない。禍耶さんはそっと目を開けようとする。が、直後すぐに顔を覆った。 「眩しっ! この光は……あああっ!」  頭上には朝日のように輝く青白い戌神。そしてその光の中、轟々と燃える紅の不動明王。光と影、男と女が一つになったその究極仏は、大散減を遥か彼方に吹き飛ばし悠然と口を開いた。 「月と太陽が同時に出ている、今この時……」 「瞳に映る醜き影を、憤怒の炎で滅却する」 「「救済の時間だ!!!」」  カッ! 眩い光と底知れぬ深い影が炸裂、落下中の大散減を再びスマッシュ! 「遅くなって本当にすみません。合体に手間取っちゃって……」  御戌神が放つ輝きの中で、燃える影体の私は揺らめく。するとキュウリバイクが言葉を発した。 <問題なし! だぶか登場早すぎっすよ、くたばったのはまだ俺だけです。やっちまいましょう、姐さん!> 「そうね。行くわよ河童!」  ドルルン! 輩悪苦満誕(ハイオクまんたん)のキュウリバイクが発進! 私達も共に駆け出す。 「一美ちゃん、火の準備を!」 「もう出来ているぞぉ、カハァーーーッハハハハハハァーーー!!」  ティグクが炎を噴く! 火の輪をくぐり青白い肉弾が繰り出す! 巨大サンドバッグと化した大散減にバイクの大軍が突撃するゥゥゥ!!! 「「「ボァガギャバアアアアァァアアア!!!」」」  八本足にそれぞれ付いた顔が一斉絶叫! 中空で巻き散らかされた大散減の肉片を無数の散減に変えた! 「灰燼に帰すがいい!」  シャゴン、シャゴン、バゴホオォン!! 御戌神から波状に繰り出される光と光の合間に那由多度の影炎を込め雑魚を一掃! やはりヤブユムは強い。光源がないと力を発揮出来ない私と、偽りの闇に遮られてしまっていた光君。二人が一つになる事で、永久機関にも似た法力を得る事が出来る!  大散減は地に叩きつけられるかと思いきや、まるで地盤沈下のように地中へ潜って行ってしまった。後を追えず停車した五寸釘愚連隊が舌打ちする。 「逃げやがったわ、あの毛グモ野郎」  しかし玲蘭ちゃんは不敵な笑みを浮かべた。 「大丈夫です。大散減は結界に分散した力を補充しに行ったはず。なら、今頃……」  ズドガアアァァァアン!!! 遠くで吹き上がる火柱、そして大散減のシルエット! 「イェーイ!」  呆然と見とれていた私達の後方、数分前まで鳥居があった瓦礫の上に後女津親子と佳奈さんが立っている。 「「ドッキリ大成功ー! ぽーんぽっこぽーん!」」  ぽこぽん、シャララン! 佳奈さんと万狸ちゃんが腹鼓を打ち、斉一さんが弦を爪弾く。瞬間、ドゴーーン!! 今度は彼女らの背後でも火柱が上がった! 「あのねあのね! 地図に書いてあった星の地点をよーく探したら、やっぱり御札の貼ってある祠があったの。それで佳奈ちゃんが凄いこと閃いたんだよ!」 「その名も『ショート回路作戦』! 紙に御札とぴったり同じ絵を写して、それを鏡合わせに貼り付ける。その上に私の霊力京友禅で薄く蓋をして、その上から斉一さんが大散減から力を吸収しようとする。だけど吸い上げられた大散減のエネルギーは二枚の御札の間で行ったり来たりしながら段々滞る。そうとは知らない大散減が内側から急に突進すれば……」  ドォーーン! 万狸ちゃんと佳奈さんの超常理論を実証する火柱! 「さすがです佳奈さん! ちなみに最終学歴は?」 「だからいちご保育園だってば~、この小心者ぉ!」  こんなやり取りも随分と久しぶりな気がする。さて、この後大散減は立て続けに二度爆発した。計五回爆ぜた事になる。地図上で星のシンボルを描く地点は合計六つ、そのうち一つである食虫洞のシンボルは私がコンビニで焼却したアレだろう。 「シンボルが全滅すると、奴は何処へ行くだろうか」  斉三さんが地図を睨む。すると突如地図上に青白く輝く道順が描かれた。御戌神だ。 「でっかい大散減はなるべく広い場所へ逃走を。となると、海岸沿いかもだ。東の『いねとしサンライズビーチ』はサイクリングロードで狭いから、石見沼の下にある『石見海岸』ので」 「成程……って、君はまさか!?」 「青木君!?」  そうか、みんな知らなかったんだっけ。御戌神は遠慮がちに会釈し、かき上がったたてがみの一部を下ろして目隠れ前髪を作ってみせた。光君の面影を認識して皆は納得の表情を浮かべた。 「と……ともかく! ずっと地中でオネンネしてた大散減と違って、地の利はこちらにある。案内するので先回りを!」  御戌神が駆け出す! 私は彼が放つ輝きの中で水上スキーみたいに引っ張られ、五寸釘愚連隊や他の霊能者達も続く。いざ、石見海岸へ!
ལྔ་པ་
 御戌神の太陽の両眼は、前髪によるランプシェード効果が付与されて更に広範囲を照らせるようになった。石見沼に到着した時点で海岸���様子がはっきり見える。まずいことに、こんな時に限って海岸に島民が集まっている!? 「おいガキ共、ボートを降りろ! 早く避難所へ!」 「黙れ! こんな島のどこに安全が!? 俺達は内地へおさらばだ!」  会話から察するに、中学生位の子達が島を脱出しようと試みるのを大人達が引き止めているようだ。ところが間髪入れず陸側から迫る地響き! 危ない! 「救済せにゃ!」  石見の崖を御戌神が飛んだ! 私は光の中で身構える。着地すると同時に目の前の砂が隆起、ザボオオォォン!! 大散減出現! 「かははは、一足遅いわ!」  ズカアァァン!!! 出会い頭に強烈なティグクの一撃! 吹き飛んだ大散減は沿岸道路を破壊し民家二棟に叩きつけられた。建造物損壊と追い越し禁止線通過でダブル罪業加点! 間一髪巻き込まれずに済んだ島民達がどよめく。 「御戌様?」 「御戌様が子供達を救済したので!?」 「それより御戌様の影に映ってる火ダルマは一体!?」  その問いに、陸側から聞き覚えのある声が答える。 「ご先祖様さ!」  ブオォォン! 高級バイクに似つかわしくない凶悪なエンジン音を吹かして現れたのは加賀繍さんだ! 何故かアサッテの方向に数珠を投げ、私の正体を堂々と宣言する。 「御戌神がいくら縁切りの神だって、家族の縁は簡単に切れやしないんだ。徳川徳松を一番気にかけてたご先祖様が仏様になって、祟りを鎮めるんだよ!」 「徳松様を気にかけてた、ご先祖様……」 「まさか、将軍様など!?」 「「「徳川綱吉将軍!!」」」  私は暴れん坊な将軍様の幽霊という事になってしまった。だぶか吉宗さんじゃないけど。すると加賀繍さんの紙一重隣で大散減が復帰! 「マバゥウゥゥゥゥウウウ!!!」  神社にいた時よりも甲高い大散減の鳴き声。消耗している証拠だろう。脚も既に残り五本、ラストスパートだ! 「畳み掛けるぞ夜露死苦ッ!」  スクラムを組むように愚連隊が全方位から大散減へ突進、総長姉妹のハンマーで右前脚破壊! 「ぽんぽこぉーーー……ドロップ!!」  身動きの取れなくなった大散減に大かむろが垂直落下、左中央二脚粉砕! 「「「大師の敵ーーーっ!」」」  微弱ながら霊力を持つ河童信者達が集団投石、既に千切れかけていた左後脚切断! 「くすけー、マジムン!」  大散減の内側から玲蘭ちゃんの声。するうち黄色い閃光を放って大散減はメルトダウン! 全ての脚が落ち、最後の本体が不格好な蓮根と化した直後……地面に散らばる脚の一本の顔に、ギョロギョロと蠢く目が現れた。光君の話を思い出す。 ―八本足にそれぞれ顔がついてて、そのうち本物の顔を見つけて潰さないと死なない怪物で!― 「そうか、あっちが真の本体!」  私と光君が同時に動く! また地中に逃げようと飛び上がった大散減本体に光と影は先回りし、メロン格子状の包囲網を組んだ! 絶縁怪虫大散減、今こそお前をこの世からエンガチョしてくれるわあああああああ!! 「そこだーーーッ!! ワヤン不動ーーー!!」 「やっちゃえーーーッ!」「御戌様ーーーッ!」 「「「ワヤン不動オォーーーーーッ!!!」」」 「どおおぉぉるあぁああぁぁぁーーーーーー!!!!」  シャガンッ! 突如大量のハロゲンランプを一斉に焚いたかのように、世界が白一色の静寂に染まる。存在するものは影である私と、光に拒絶された大散減のみ。ティグクを掲げた私の両腕が夕陽を浴びた影の如く伸び、背中で燃える炎に怒れる恩師の馬頭観音相が浮かんだ時……大散減は断罪される! 「世尊妙相具我今重問彼仏子何因縁名為観世音具足妙相尊偈答無盡意汝聴観音行善応諸方所弘誓深如海歴劫不思議侍多千億仏発大清浄願我為汝略説聞名及見身心念不空過能滅諸有苦!」  仏道とは無縁の怪獣よ、己の業に叩き斬られながら私の観音行を聞け! 燃える馬頭観音と彼の骨であるティグクを仰げ! その苦痛から解放されたくば、海よりも深き意志で清浄を願う聖人の名を私がお前に文字通り刻みつけてやる! 「仮使興害意推落大火坑念彼観音力火坑変成池或漂流巨海龍魚諸鬼難念彼観音力波浪不能没或在須弥峰為人所推堕念彼観音力如日虚空住或被悪人逐堕落金剛山念彼観音力不能損一毛!!」  たとえ金剛の悪意により火口へ落とされようと、心に観音力を念ずれば火もまた涼し。苦難の海でどんな怪物と対峙しても決して沈むものか! 須弥山から突き落とされようが、金剛を邪道に蹴落とされようが、観音力は不屈だ! 「或値怨賊繞各執刀加害念彼観音力咸即起慈心或遭王難苦臨刑欲寿終念彼観音力刀尋段段壊或囚禁枷鎖手足被杻械念彼観音力釈然得解脱呪詛諸毒薬所欲害身者念彼観音力還著於本人或遇悪羅刹毒龍諸鬼等念彼観音力時悉不敢害!!」  お前達に歪められた衆生の理は全て正してくれる! 金剛有明団がどんなに強大でも、和尚様や私の魂は決して滅びぬ。磔にされていた抜苦与楽の化身は解放され、悪鬼羅刹四苦八苦を燃やす憤怒の化身として生まれ変わったんだ! 「若悪獣囲繞利牙爪可怖念彼観音力疾走無辺方蚖蛇及蝮蝎気毒煙火燃念彼観音力尋声自回去雲雷鼓掣電降雹澍大雨念彼観音力応時得消散衆生被困厄無量苦逼身観音妙智力能救世間苦!!!」  獣よ、この力を畏れろ。毒煙を吐く外道よ霧散しろ! 雷や雹が如く降り注ぐお前達の呪いから全ての衆生を救済してみせよう! 「具足神通力廣修智方便十方諸国土無刹不現身種種諸悪趣地獄鬼畜生生老病死苦以漸悉令滅真観清浄観広大智慧観悲観及慈観常願常瞻仰無垢清浄光慧日破諸闇能伏災風火普明照世間ッ!!!」  どこへ逃げても無駄だ、何度生まれ変わってでも憤怒の化身は蘇るだろう! お前達のいかなる鬼畜的所業も潰えるんだ。瞳に映る慈悲深き菩薩、そして汚れなき聖なる光と共に偽りの闇を葬り去る! 「悲体戒雷震慈意妙大雲澍甘露法雨滅除煩悩燄諍訟経官処怖畏軍陣中念彼観音力衆怨悉退散妙音観世音梵音海潮音勝彼世間音是故須常念念念勿生疑観世音浄聖於苦悩死厄能為作依怙具一切功徳慈眼視衆生福聚海無量是故応頂……」  雷雲の如き慈悲が君臨し、雑音をかき消す潮騒の如き観音力で全てを救うんだ。目の前で粉微塵と化した大散減よ、盲目の哀れな座頭虫よ、私はお前をも苦しみなく逝去させてみせる。 「……礼ィィィーーーーーッ!!!」  ダカアアアアァァアアン!!!! 光が飛散した夜空の下。呪われた気枯地、千里が島を大いなる光と影の化身が無量の炎で叩き割った。その背後で滅んだ醜き怪獣は、業一つない純粋な粒子となって分解霧散。それはこの地に新たな魂が生まれるための糧となり、やがて衆生に縁を育むだろう。  時は亥の刻、石見海岸。ここ千里が島で縁が結ばれた全ての仲間達が勝利に湧き、歓喜と安堵に包まれた。その騒ぎに乗じて私と光君は、今度こそ人目も憚らず唇を重ね合った。
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fuji-ringo-tex7 · 3 years
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Sketch(OS/死ネタ)
「本番15分前です! 待機お願いします」
 収録開始の時間が間近に迫り、慌ただしくなるスタッフに触発されて、楽屋内の空気が徐々に温まり始める。
  「よっしゃ!」だか、「よーし!」だか。凡そ周囲への活の意味も込められているのであろう、大きな声を上げた松潤と相葉くんに押され、それまで夢中でゲームをしていたニノがやれやれと腰を上げた。
 マイペースながらも気合いを充分に携えたメンバーが、各々指定された場所へと向かって行く。
 そんな最中、俺はまだ手にしたスマホの画面から目を離す事が出来ずにいた。
 ――件目は無いけれど、よく見知った人からの二通のメール。
『今日もお疲れ様。次はいつ会える?』
『今日、この撮影終わったらデートしよう。やっと行きたい所が出来たから』
 一方は、事務所公認の交際相手。至って普通の……それこそ、俺が理想の結婚相手として挙げた条件を、過不足なく満たしているような素敵な女性。世間体を取り持つ為に、といつか表に見せる事を前提に作った相手。
 そしてもう一方も、交際相手。話し上手では無いけれど才能に溢れていて、おおらかな空気感と深い愛を語るような瞳に、どこまでも着いて行きたいと思わせてくれる。そんな素敵な人。二股なんて事務所にはとても言えない。増してや同性で、寧ろ此方が本命だなんて。
 様々な思いを巡らせながら、画面上に表示された文字をそっと指先でなぞる。大野智。長きに渡って活動を共にして来たグループのリーダーでもあり、大切な人の名前。こんな事を言ったら重過ぎて引れそうだけど、俺はこの人の為ならなんだって出来るし、きっと何を失っても後悔しない。そう思えてしまうほどに、好きで好きで堪らない人。
「翔さん、あと5分だって。行かないの?」
 不意に自分を呼びに来た最年少からの声で、はっと我に返る。
 この時間までぼーっとしてるなんて珍しいじゃん、なんて疑問を包み隠す事無く片眉を上げて怪訝そうな顔を向ける松潤に、いつも通りの笑みを作って平然を装った。
「ああ、ごめん。昨日ちょっと飲み過ぎたのかも。行こうか」
 そう言いながら、開いていたメールに『分かった、じゃあいつもの場所で』と返して、楽屋を後にした。
 * * *
「やっと終わったねー、皆! 念願のオフだよ!」
 順調に事が進んだお陰で、早めに収録が終わった。
 楽屋へと戻った瞬間、早くも休日モードへと切り替わった相葉ちゃんが、開口一番に誘いをかける。
 全員が揃ってのオフなんて、一体いつ振りだろう。
 期待を全面に押し出して、子犬のようにはしゃぐ相葉ちゃんの様子に釣られてか、心做しか早く帰り支度を進める松潤が企んだ笑みを浮かべて口を開いた。
「とりあえずあの店行っとく? 実はもう予約済ませてあるんだよね」
「やった! さっすが松潤。ねえニノは?」
 乗せ上手と、乗せられ上手。ただでさえフットワークの軽い二人が、すっかり意気投合して飲み会の計画をし始めると、その勢いは止まらない。
 次いで白羽の矢が立った彼を見れば、荷物こそ纏めてあるものの相変わらず夢中でゲームをしていて。
「俺も行きますよ、勿論。ただもうちょっと待って、今めちゃくちゃ良い所。……あ、因みにリーダーは今さっき一番乗りで出て行きましたね」
 お先に、とか言って。と器用にも画面から目を離す事無く言葉を続けるニノに、一体いつその様子を伺うタイミングが? とも思ったけれど。如何せん感覚に優れている彼の事だから、さして驚きは無い。
 寧ろその言葉を受けて大野さんの姿が見当たらない事に気付いて、急いでスマホを確認すると『待ってる』とだけ書かれた質素なメールが届いていた。
 待ちに待ったデートの約束なのにも関わらず、返事がたった一言だけなのが彼らしい。それで居て素っ気なさを感じさせないのは、多分何かしらの意味合いを込めて添えられたクローバーの絵文字だったり、掴み所がないように見せかけて、時間が取れる時にはこうして余す事無く尽くしてくれる彼の人柄故なのだろう。
 そんな些細な所が、好きで堪らない。
「えー……」
「まあまあ、何か予定が有るんでしょ。ちな翔さんは?」
 肩を落として分りやすく落胆を露わにする相葉ちゃんを宥めながら、松潤が此方を向く。それに併せて皆の視線が注がれたのを感じて、スマホを上着のポケットへしまった。
「俺もお先に。今度絶対埋め合わせするから、今日は三人で楽しんでおいでよ」
 正直な所、大好きなメンバーからの誘いを断るのは中々に心苦しい事だけど。最初から俺の返答を知っていたかのようなニノ、それから何かを察したかのように「了解」と言いながら相葉ちゃんの気を引き始めた松潤に、それぞれ短くアイコンタクトを返してを鞄を肩に掛けた。
 * * *
 駆け足で局の地下駐車場へ向かうと、案の定大野さんはもう既にそこに居て。車を背に、時折白む息を吐きながらスマホで時刻を確認してるあの人。
 深めにキャップを被っていたって、すぐに分かる。
「お待たせ、大野さん。お疲れ様です」
「おお、お疲れ」
 駆け寄ると、大野さんはすぐに此方を向いて、その顔に笑顔を浮かべた。
 それからいつもと変わらない労いの言葉を互いに掛け合う。
「寒かったでしょ、ごめんね。すぐ暖房効かせるから」
「……それ、わざわざ買ってきてくれたの?」
 車のドアへと手を伸ばしかけた折、引っさげた荷物を見て俺の手に触れた大野さんの指先は冷たい。
 いつも通りの待ち合わせ場所。それからいつも通りの、間に合わせみたいに買ってきたコンビニのコーヒー。
 久々のデートだけれど特別な雰囲気とは行かなくて、それでも大野さんは毎回こうして気遣いに気付いてくれる。そして決まって初めての事のように嬉しそうに微笑んで、「全然大丈夫なのに、ありがと」と言ってくれる所が愛しい。
 まるで会えなかった時間を埋めるように、心の奥が一気に充足感で満たされていく。
 言葉を尽くしても足りないこの気持ちを伝える手段は、一つくらいしか思い浮かばなくて。
「コンビニのだけどね、――智くん、」
 一歩踏み込んだ呼び方に視線を上げた彼を構わず抱き寄せて、半ば車に押し付ける形で強引に唇を奪った。
「ん、……翔ちゃん」
 片腕の中で少し身動ぐものの、抵抗はしない。智くんはいつもそう。
 その代わり瞳には「誰かに見られたらどうするの?」なんて躊躇を覗かせながら此方を見上げて、苦しげに解けた口唇を深く啄む頃には静かに瞼を落として、先程まで咎めていた視線が嘘だったかのように熱い舌先が触れてくる。そこで俺はやっと瞳を閉じて、誘われるままに熱を絡め合わせた。
 従順に吸い付いてくる唇が会えなかった間の寂しさを訴えかけているようで、切なみを帯びた吐息とリップ音が、静まり返っていた駐車場内でヤケに響いて聞こえた。
「……っ、はぁ……もう、翔ちゃん」
 暫く唇の感触を楽しんだ後、困ったように眉を寄せた智くんが顔を逸らして不服そうな声を上げた。
 その様子がまた愛しくて、口先から形ばかりの謝罪と一緒に歯の浮くような本音が零れ落ちる。
「ん、……ごめんね。智くんが可愛くて、つい」
 因みに此処は、丁度カメラに映らない角度だから大丈夫。
 そう一言付け加えると、智くんはすかさず「そういう所ほんと狡賢いよね、翔ちゃんは」なんて言って、後ろ頭を掻いた。これは彼なりの照れ隠し。よく見知った仕草だった。
 それから車のドア開けて、漸くそれぞれ助手席と運転席に乗り込む。
「それで、行きたい場所って?」
「えっとね、この道をずっと行った所の――」
 * * *
 智くんの口から知らされた目的地は、意外な場所だった。
 指定された場所は遠過ぎる訳でもない。特にオフの時間を使わなくたっていつでも行けるような場所で、どうしてそんな所に? と思ったけれど、きっと彼なりの考えがあるのだろうと深い理由は聞かないまま車を走らせる。
『今度ドライブでもしようよ、何処でも連れてくから行きたい所が教えて』
 初めにそう提案したのは俺からで、そんな思い付きの口約束からもう半年以上が経っていたから、覚えていてくれた事自体が嬉しくて。久しぶりに二人きりで、ゆっくり恋人らしい事が出来る。
 もう、忙しなく舞い込んでくる仕事の合間にホテルへ行って、互いの温もりだけを欲して日々を食い繋ぐような愛人紛いな事はしなくても良い。
 将来の為だから、と形作られた表の関係――智くんにも当然そんな相手は居て、互いにそれを取り持つように割いていた休日を、今日は心から愛しく思ってる人と過ごせるのだ。その事実さえあれば、些細な事など気にもならなかった。
 無心でハンドルを切りながらそんな事を考えてると、智くんが不意に口を開いた。
「皆はどうしてた?」
「三人で飲み会だって。また智くんに逃げられたって、相葉ちゃんがガッカリしてたよ」
 こんな時までメンバーの事を気に掛けるのがいかにも彼らしくて、思わず笑みがこぼれる。
 誰と居たって、どんなに長く時を過ごしていたって、彼は変わらない。眩しいほどに純粋で、優しくて、現に今も事実を知って少し眉を顰めた。
「そう聞くとなんか申し訳ねえなぁ……」
 ――ねえ、智くん。智くんは俺と一緒に居て幸せ? なんて疑念は先程の思考と一緒に呑み込んで。
「まあね。俺も断るのは心苦しいけど」
「きっと、彼女と過ごすんだろうなって思われてるね」
「そうだね。……俺らがこうして内緒でデートしてるなんて、想像もつかないだろうな」
 どちらともなく口にした言葉には、言外に『そんな存在の人が居て良かった』というニュアンスが含まれている。
 智くんはそれを知ってか知らずか、時折車窓に目を向けては次々と追い越されていく街頭を眺めていた。
 そして度々やってくる束の間の沈黙を薄めるように、智くんは好きな曲のワンフレーズを口遊んだり、信号待ちの間に指先を絡めて来たりして、初々しい程に和やかな移動時間を楽しんだんだ。
 * * *
 目的地に着く頃には、腕時計の針は双方ともに丁度天辺を指し示していた。
「着いたよ。……こらこら、起きて」
「ん……、」
 隣ですっかり安らかな寝息を立てている智くんに一度呼び掛けるものの、返事は無い。
 起きないのを良い事に、その端正な寝顔を観察する。
「本当に寝るの好きね、貴方は」
 それから暫くして、呼吸と共に規則正しく上下している肩を揺らした。
「凄えだだっ広くて何も無いけど、ここで合ってる?」
 車窓から伺える限りの範囲では、辺りには木々が茂っていて、近くに水辺が見える。多分自然公園なのだろう。
 念の為とスマホで場所を確認してみると、三鷹市に位置しているらしい。
 都内ながらも灯りは疎らで、実に閑静な場所だった。
「んん……合ってる、ここ。俺が学生の時によく来てたとこ」
 なんとか、と言った様子で漸く目を覚ました智くんが、背筋を伸ばしながら寝起きでままならないふわふわとした口調で答える。
「ああ……成程、通りで」
 見た事ある地名だと思った。
 高級レストランでも何でもないこの場所を選んだ理由が少しだけ分かったような気がして、肩の力が抜ける。
 たった数時間の間だけれど、こんなに長くハンドルを握っていたのは久々で、すっかり体が固まってしまった。一連の仕草をなぞるようにして大きく腕を伸ばす俺の横で、身を乗り出して窓の外を見上げていた智くんが微笑を浮かべた。
「ねえ、翔ちゃん。空見てみて」
 いつかこの風景を一緒に見たかったんだ、と。珍しく得意気な声に押されて上方を見れば――。
「うわ……凄え、めちゃくちゃ綺麗」
 思わず息を呑むくらい、圧巻の光景だった。
 暗い夜空に所狭しと散った星々が、煌々とそれぞれの輝きを放っている。
 ステージ上から見渡すペンライトの海とも違う。凡そ田舎で見られるようなそれには及ばずとも、喧騒に溢れた世界では決して見る事のなかった景色に言葉を忘れて、暫しその夜空に見入っていた。
「ふふ。気に入ってくれたみたいで良かった」
 そんな俺の反応が新鮮だったのか、横から聞こえてきた小さな笑い声に気付いて、仕業無く乱れてもいない前髪を直す素振りをする。
 年甲斐もなくはしゃいだ俺を見詰める柔らかな瞳が、心地好くも擽ったかった。
「いや、うん……大分気に入った。凄いね。こんな場所あるんだ、と思って」
 思わず切れ切れになってしまった感想に、智くんは言葉を返す事なく小さく頷いて。それから、徐に荷物を漁ってスケッチブックを取り出した。
「描くの?」
「うん。暫く紙に向かうから、翔ちゃんも好きにしてて良いよ」
 なんなら寝てても、と身を案じて、智くんの手が頬の温もりを攫ってく。繊細で、それでいて骨張っている指先が、輪郭を確かめるように優しく眦を掠めた。
 それから智くんはどこか満足そうな顔をしながら、その眼差しを紙面へ向ける。車内の天井から降り注いだ光が、その頬に睫毛を縁取って綺麗な影を落とした。
 俺は彼の横顔を、何をする訳もなく隣で静かに眺めているのが好きだった。
「――じゃあ、俺は真剣な智くんを横で見てるよ」
 智くんがデートの最中に絵を描きたい、と言い出す事はそう珍しくない。
 恋人として、初めて家に招いた時もそうだった。昼下がりに眠気覚ましのコーヒーを飲んでる俺を見て、智くんは唐突に『モデルになって』と、寝起き早々なのに丁度今みたいにスケッチブックを持ち出して。それから唐突に作業し始めた事を少し申し訳なく思ってるのか、紙と向き合いながら一言二言と間を空けて投げ掛けられる言葉を返す内に、『きっと幸せな気持ちの時ほどインスピレーションが湧くんだと思う』と、ぽつりと呟いたんだ。
 だから尚更、こんな時間は嫌いじゃない。
 それに、絵を描いている時の智くんは、皆の前では決して見せないような表情をする。良い顔、と言ってしまえばそれまでだけれど。
 何処か遠くを見ているようで間近を見詰める瞳と、迷ってる時には少し寄せられる眉。恐らく重要な線を引いてる最中は、下唇を薄く噛んで。真一文字の眉が��人気質とも言える彼の性質をよく表しているよう��、すっと通った鼻筋の下で小さく尖らせた唇は多分、集中してる証。
 兎角普段のイメージより豊かな表情に魅せられて、暇をする隙もないほど。
「……ふふ、その内顔に穴が空いちゃうよ。ね、飽きない?」
 絵を描き始めてから暫く経った頃。ふと此方を向いた智くんが、今まで一心に視線を注がれていた事を察して困ったように笑った。
「飽きないよ。美人だなぁと思って、眺めてる」
 そう言葉を返すと、「翔ちゃんはいっつもそうやって揶揄う」だなんて言って、律儀に眦を薄紅色に染めている所が愛らしい。
 気分転換も兼ねてか此方に腕を伸ばして、つい先程までペンを握っていた指先が再び柔らかく頬を撫でる。
 一見小動物をあやすような仕草が堪らなく心地好くて、不意に誘われた眠気に思わず欠伸が零れてしまう。
 ――気が緩んだかな。
「本心なのに、」
「知ってるよ。……こんな所まで運転して来たから疲れたでしょ、少し寝たら? 完成したら起こすから」
「ん、……じゃあ、お言葉に甘えて少しだけ」
 相手の様子を見るに、完成までまだ暫くかかるのだろう。
 心配そうに此方を見詰める瞳が愛しくて、未だに輪郭をなぞって一定の間隔で髪を撫で下ろす掌に唇を寄せると、襲い来た眠気に身を任せるようにそっと瞼を閉じた。
「コーヒー、飲んでね。冷めちゃう」
「うん、分かった。ありがと」
 * * *
「――……ん、さとしくん」
 それから、どの位の時間が経っただろう。そこはかとない浮遊感を纏って浮上した意識の中、朧気に名前を呟いても返事はなくて。
 気怠さの残る瞼をなんとか持ち上げて隣を見れば、スケッチブックを膝に投げ出したまま眠る智くんの姿があった。
 まだ、窓の外に太陽の気配はない。
 此処へ来た時と同じように、空には煌々と夜空の星が光っていた。
「寝ちゃったの?」
 それとも――。
 少し震える手で備え付けのホルダーに収まっているコーヒーカップを持ち上げる。軽い。念の為に蓋を外すと、中身は綺麗に飲み干されていた。
「ちゃんと飲んでくれたんだね、ありがとう」
 ――ちゃんと、飲んじゃったんだね。ごめん。
 俄には受け入れ難いけれど目の前に広がる確かな事実に、紡いだ言葉とは相反した本音がぐるぐると胸中を渦巻く。
 今度は微塵も揺れやしないその肩に触れるのが怖くて、車窓から射し込んだ月明かりを反射して静かに瞼を閉ざした顔が美しくて、運転席から身を乗り出してそっと唇を重ねた。
 たった数時間ぶりのキスなのに、互いの吐息が混じり合う気配は無かった。乾いた唇から、儚くも柔らかい温もりが伝わる。
 そこで漸く彼の鼓動が止んだ事を実感して、生温い雫が堰を切ったように頬をぽろぽろと滑り落ちていく。
 滲んだ視界に溶けゆく大好きな人の姿をどうする事も出来ず、ただその途方もない無力感に咽び泣いた。
「っ……ごめん、ごめんね、智くん――」
 何度その名前を呼んだ所で、返事が返ってくる事はない。分かってる。しっかりとそう理解しているはずなのに、頭の中も、心の中も、全てが灰色で塗り潰されたかのように滅茶苦茶だった。
 計画した時は恐ろしいほど冷静で、名前と財産を使えばすぐに手に入る錠剤をコーヒーに混ぜて、智くんに飲ませれば良い、と。そんな悪魔のような囁きに流される一方で、本当はこの人を幸せにしたかった。
 そして、それが叶うならば、自分の手で。周辺の人に隠す事も無く、沢山の祝福を両腕では足らないほど抱き込んで、幸せそうに笑う彼が見たかった。
 もし、理解者が一人でも居たら――それこそ、俺と彼が心から大切にしている人達の内たった一人にだけでも、この関係を素直に打ち明けて、受け入れて貰えたなら――どれだけ智くんは、喜んでくれただろう。
 いつかは絶対、なんて思っていても実際に行動する事は出来ずに、その所為で自由だったはずの彼を次第に縛り付ける事しか出来なくなって行くこの関係が、苦しくて。時折目を伏せて、諦めたように「それでも良いよ」と常に俺の意志を尊重してくれる智くんが、愛しくて。一方的に別れを告げたとしても、そう言ってくれるのが端から分かっていて、結局執着心を捨てる事が出来ずに此処まで来てしまった。
 幸せに包まれた後で襲い来る息苦しさに、耐えられなかった。
 自分だって表向きの関係を作っていた癖に、自分の知らない所で智くんがそういった愛を象る事を、やがてそれが契りとなって貴方を奪い去って行く事を許せなかったんだ。
「ねえ。こんな俺と一緒に居て、貴方は幸せだったのかな」
 ほんの少しでも、幸せに出来て居たんだろうか。
 どうせ将来が約束されていないなら朽ちるまで想えば良い、と。そう思っていた物が身を結んでしまえば、より一層深い幸せが欲しくなって、確約のない未来なら奪ってしまえば良いと、とうとう貴方自身を手に掛けてしまった。
 それで得られると思っていた幸せは、俺達が定められていた未来よりも不確かな物だったみたい。
 ほんの数時間前まで確かに色付いていたはずの幸福なんか今や見る影も無くて、胸の内にはただ底なし沼のような空虚感が居座っている。そこは、貴方の居場所だったのに。
「俺が居ないと本当にダメだなぁって、叱ってよ」
 次々と零れ落ちた涙が、座席のシートを点々と深い色に染めていく。そんな中で幾ら嘆願したって、智くんは穏やかに目を閉じたままそこに居る。
 状況を理解しても尚受け入れる事は出来ずに、頑なにペンを握ったまま投げ出されていた手を取って、仄かに灯っている温もりに追い縋るようにして頬を擦り寄せた。先程より低まった体温に、いずれ冷めゆく物なのだと解ってしまうのが虚しくて、悲しい。
「……貴方は、最期に一体どんな絵を描いてくれたの?」
 何でも良いから彼が存在していた痕跡が欲しくて、大切そうに膝の上へと置かれていたスケッチブックに手を伸ばす。
 智くんの事だから、使えるのがたったの二色だけでも、きっと綺麗に風景を写し取っているに違いない。
 そう思って開いた一面には、一緒に見たはずの夜空の絵は描かれていなくて――。
「……ねえ、こんなの聞いてないよ」
 嬉しそうに夜空を見上げる俺の横顔と、それを彩るようにして少しの風景が描かれていた。その紙面の端には覚束無い筆跡で、『幸せ』とタイトルが添えられて。
 それから、恐らく一番最初に着手したのだろう。向かいの頁には、くっきりとした文字で長々とメッセージが書き残されていた。
 * * *
 ――翔ちゃんへ。
 俺は今から貴方の似顔絵を描こうと思います。いつだったか、最初にデートをした時みたいに。似てるかどうかは分からないけど、完成品は隣にあります。もし似てなかったら「全然似てないよ、ちゃんと描いて」って、叱ってね。……いや、優しい翔ちゃんの事だから、そんな事言わねえかな。あの日みたいに、「俺こんなにイケメンじゃないよ」って言うのかも知れない。結構長く一緒に居たつもりだけど、全然分からねえや。
 ところで。翔ちゃんがずっと何かで思い悩んでいた事を、俺は知ってます。多分、今度はドライブでもしようって提案してくれたあの時から。
 そして翔ちゃんを悩ませてる原因が、俺との事なんだろうなと気付いたのは、本当につい最近。考え事をする時に唇を触る癖、昔から変わらないね。ずっと一緒に居たのに、今まで上手く寄り添ってあげられなくてごめん。
 気付いた後で、もしかして一般的な恋人同士と違って将来性が見えない俺に嫌気が刺したのかな、とか、単純に冷めたのかな、とか。そんな事を沢山考えました。今度のデートで別れを切り出されるのかなって。そう思ったら、デートの約束なんて忘れた事にしてやろうって、いつになく無い頭を捻って捻って……。子供じみてるけど、本当に色々考えたんだよ。
 でも、実際に合間を縫って会った時の翔ちゃんは、俺に優しいキスをして、欠かさず好きだよと言ってくれて。その内、もし別れを告げられても翔ちゃんの幸せに繋がるなら良いや、と。そう思える所まで来ました。だから、どうせ最後のデートになるなら一番思い入れの強い場所にしようと思って。
 翔ちゃんの手を取った時から、離れ離れになる未来なんて考えようともして居なかったけど、そんな風に思える位に翔ちゃんの事が好きだよ。これを渡せる時が来るのか、来ないのか、離れるなら、一体どんな形でそうなってるのか。全然想像つかないけど、俺はこの気持ちだけでも幸せに生きて行けるんだと思います。現に今だって、幸せで仕方ないんだよ。
 翔ちゃんは、俺と一緒に居て幸せだった? ……ほんの少しでも、そうである事を祈ります。
 追伸――幸せそうに俺を見ている翔ちゃんの顔、やっぱり好きだな。
 大野智より。
 * * *
 胸にぽっかりと空いてしまった穴を埋めるように、何度も何度も智くんの言葉を反芻する。そうして全てを読み終わる頃には空が白み始めていて、スケッチブックの上にぽたぽたと涙が滴っては文字を滲ませていく。
 智くんが残してくれた物を汚してしまうのが嫌で、表紙を閉じたそれをぎゅっと懐に抱き込んだ。
「違う、全然ちがうよ、」
 本当に優しいのは、俺なんかじゃなくて。
 何にも気付けなかったのは、智くんじゃなくて。
 言いたい事は沢山出てくるのに、息が詰まって声を出す事すらままならない。
 手を伸ばせばすぐに触れられる距離に居るのに、留めどなく溢れ出てくる苦しさを、愛しさを伝える相手がもう生きていない事が、こんなに辛いだなんて知らなかった。
 もし意識を失った先で、同じ場所に辿り着けるのなら――智くんに、たった一言でも良いから言葉を返してあげたかった。
「ごめん、ね、……智くんを、一人にはしないから」
 その一心で呟いた声が震えるのは死への恐怖心からなのか、愛する人をこの手で殺めてしまった業が深い自身への恐怖心からなのか。
 推し量る事など到底出来ない感情を振り払うように、上着のポケットから取り出した錠剤を歯で割って、一思いに冷めたコーヒーを煽った。
 左手にはペンを掴んだままの智くんの右手を、ひたすらに強く握り込んで。
 
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<テスト投稿>Robert Haigh1980~1985
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TRUTH  CLUB / FOTE   Slight / Looking  For  Lost  Toy 7"  LE  REY (UK)  LE  REY 1   1980
ギター・ベース・ドラムの3人編成によるボーカル・バンド・スタイルなTRUTH CLUBサイド。ビート楽曲に管楽器やピアノと個性的コーラ スを絡めつつ実験且つアバンギャルド風味を醸し出しながら、熱のないクールさに出来たNEW WAVEサウンドはポスト・ロックを感じさせ る古典B級音楽フリークス向け。SPLIT逆サイドにはTRUTH CLUBに女性ボーカルを加入させての発展バンドFOTE。声色(こわいろ)ボーカ ルを導入してのフリーキーなビート・サウンドは前衛系譜を深めており更にで妙。前衛/実験/アバンギャルドであってもNOISE色には薄く 要点としてはSEMA/ROBERT HAIGH音楽活動最初期記録と言う事になろうか、仮にTRUTH CLUB及びFOTEのメンバーであったROBERT HAIGHが後にSEMAを開始していなかったとすれば、埋もれきったB級NEW WAVEマニア向け地下カルト・アイテムのひとつになっていた と思う。トータル作品その香しさには独特な見映えあり。  (oZ)
VARIOUS  ARTISTS   Hoisting  The  Black  Flag LP  UNITED  DAIRIES (UK)  UD06   1981 cassette  UNITED  DAIRIES (UK)  UDT02   1987 bootleg-cassette  RRR (USA)  UDT02   1987
急隆盛著しく拡散して行ったNEW WAVEシーン、別選択のひとつとして注目されたNOISEその黎明期にも勢いは飛び火する。地下マイナー 自主製作サイドがプレス盤をリリースするには資金面など制約在りきで儘(まま)ならかった当時一般、ジャンル問わずしてコンピLP作に熱量 が集まるのは道筋だったと言えよう、この時期コンピLP作には名盤と言われるものが非常に多い。その内で特出すべきNOISEコンピ作のひと つとなったのが英国NURSE WITH WOUNDが運営するUNITED DAIRIES1981年配給コンピLP作第一弾"Hoisting The Black Flag"本件。前 衛にフリーにアバンギャルド達はNOISEと性交しダダイズムの息吹きを新たに上げ地下闇世界から再び海賊旗を翻す事となる。前年80年に本 レーベルから1st LP作"We Buy A Hammer For Daddy"(no. UD02)と1st12"作"Cake Beast"(no. UD07)の配給があるLEMON KITTENS が第一推薦と言わんばりにA面トップ。形容し難いフリー・スタイルを看做して提出先非在の音実験レポート、鼻唄の様にした怪し気なハミ ングを伴い電子風情に趣きある音が鳴り何かがソフトに内側で転がっている。プレイ断片のテープ・コラージュは奇アッセンブリー、女声の 歌声、男声の語り、調和にない生態系は住処。音の営みに英国的妖精気配、あたかも創造搬出者はエルフやピクシーの類いフェアリーだとし ても小悪魔からの変体。奇怪な森は音による夢物語、そこから緊迫を煽るリズムらとフリーキーなサックスらが追従し迫り出しから蹴破りに 向かうは肉感的鮮度。監禁扱いされていた堕天使世界が違和そのままに羽ばたき起ってから自らを放った事を覚えさせる。魅力として発する 事を覚えた淫らな邪心や醜い妖艶らは獲得から自立。宣言の必要には及ばず様々な線引きを飽和させる秀悦魔術。魔導師降臨、立場目撃者を 実体感させる開口にある。A2にはSEMAで浮上する事となるROBERT HAIGHの再初期活動グループTRUTH CLUB。シングル盤でのバンド 編成演奏スタイルとは異なりアコースティックなアングラ歌曲調サウンドを蔵める。テープ操作音にコーラスとパッカーション、ギター音や エフェクト処理も孕み非常に神隠し的、焚き付けに色濃い儀式最中を促し齎す。A3にはレーベル主NURSE WITH WOUND。フィードバッ ク音とギター・マニュピレート音と異化音源を主成分としたフリー・インプロビゼーションは男女メディア音声のコラージュを伴いつつ混線 呪縛への陥れ、逆襲的且つ強襲立場からのハード電子雑音侵略ぶり。NOISE決起の旗揚げにありアルバム・タイトルに通ずる事となる。間髪 なしでシフトするラスト・トラック、シュールは落書きみたいだから徒花が全うMENTAL AARDVARKS短編がA4に添えられる。化物たち が飛び出したツヅラ箱開けの様にしてオブスキュアやアブストラクトらが音楽牢獄から既存ルール一切に構わずジャンプし具現体化している のがA面だとすれば、音楽エレメント内で海賊旗を掲げていると言えようかエレメント・クーデター色に強いと言えそうなのがB面。英プロ グレ・バンドKING CRIMSONでプレイしていたDAVID CROSSがトップ。打音と弦を主軸にしたプログレとアバンギャルドの混血音楽は効 果音も多分に孕み展開を謳歌するB1。B2には本レーベルからTHE BOMBAY DUCKS名義で1981年に1st LP作"Dance Music"(no. UD05) を配給するPAUL HAMILTON & JOSEPH DUARTE。弦音は内部演奏によるものであろうか、弾く叩く擦ると徹底的に楽器ピアノを活用し た現代アート調。天真爛漫な破天荒が軽快にポスト・モダンを産出し特出する。続いてパワー・エレクトロニクス界の首領WHITEHOUSEが 2トラック。過剰エフェクトされたボイスは原形から遠くNOISE音としての一構成、陰惨質に毒々しいサイクル・パルス状な電子サウンドの B3、奥設置でエフェクトに塗れたボイスを置きシグナル音や電波雑音でエクストリームな闇実験性に高い電子サウンドのB4。電子音楽の奇 形から破壊に及んだ事によって滲み出されているのはその造反行為自体かと存じ察する。B面アプローチ各々ながら想定アカデミックを偽装 にして支援・援護・擁護の姿勢に在らず色濃く炙り出されるものとなれば寧ろでその解体と解放。"Hoisting The Black Flag"全行程を以てそ の全うぶりを確認するに至る。B面ラストにはA面ラスト同様MENTAL AARDVARKS短編が別一片にて徒花を咲かせた。仮に共感を呼んだ としても連帯はない。植え付けられた商業音楽幻想らをいなし起源へと還す。額縁の様なものがあって音を覗いている自分に気が付けば音も 自分を覗いている事に気が付くが関係も距離も変わろうとしないし変わらない。聴き終えた後に自分以外に人は居るのか人間社会はまだある のかと思わせてしまう音盤でもある。芸術やアートらに席を置かないNOISEからの運動。蓋(けだ)し促しているものは孤独にはなく特化でも ない自立である。 (oZ)
FOTE    Perfect  Sense      12"  LE  REY (UK)  LE  REY 2   1981 Shaking  The  House  12"  LE  REY (UK)  LE  REY 3   1981
ROBERT HAIGHがSEMAに移行する前に音楽活動上関係していたグループがFOTEである。1st 12"シングルである"Perfect Sense"と2nd 12"シングルである"Shaking The House"は一枚のLPとしてリリースしても良いぐらい内容に大きな変更がない。変拍子・外されたアクセン トの複合・再々登場するベース/ギターのハーモニックス演奏・効果音的に導入されるTOY系の音・通常の唱法を脱却したボーカルスタイル とバンド編成によるフリー系アバンギャルドで、反対派ロックRECOMMENDED RECORDS系アーティストの色合いがあり、そこに1980年 初頭のNEW WAVEのエッセンスが加わって、淡々という言葉は的確ではないにしても抑制側にあるホットではない演奏をプレイしている。 各々12"ラスト曲では共にバンドという形を解体し、各々楽器の音色をもって作品として再アプローチするような楽曲が収められている。特 に"Shaking The House"の方のそれは落ち着きのないSEMAの様で後の活動の原点的なものが見え隠れしている。総じて音的には何が登場し て来るか分からない程に活気があった1980年前後当時にありがちなB級アバンギャルドの香を強く与えるものであるが、そこにジャケット・ デザインが付加されトータル作品として触れることになると、その格が数倍に跳ね上がる不思議なポジションにあるバンドである。因みにLE REYの1番は前身であるTRUTH CLUBとのスプリット7"シングルで、FOTEサイドには"Perfect Sense"に入っている"Lost Toy"が"Looking For Lost Toy"として収められている。また未聴ながら英レーベルUNITED DAIRIESから1987年にリリースされたカセット作"The Best Of Robert Haigh"(no. UDT034)のA面にて12"作全トラックが聴ける様である。オリジナルでの入手となると難易度激高なレア・アイテム。オ フィシャル・ブート扱いなのか何なのかながらで米NOISEレーベルの老舗RRRがUNITED DAIRIESカセットを再発していたので、意外と音源 の入手だけで割り切ればハードルはそう高くないかもしれない。 (1997年 電子雑音1号より追加編集 oZ)
SEMA   Note  From  Underground LP  LE  REY (UK)  LE  REY 4   1982 LP (included in 4LP-BOX "Time Will Say Nothing 1982-1984")  VINYL-ON-DEMAND (GERMANY)  VOD103   2012
SEMAのアルバムはどれも30分前後に収まるもので短い。ままになく塩ビ盤NOISE作には表記なく再生スピード・フリーな作品が存在する。 再生速度表記が無いSEMA本作を一旦で疑ってみて聴き直してみる。B2にてコラージュされる音声音源を始め響きの詳細と且つアルバム・タ イトルを窺ってからその気配となれば33RPM再生ではと判断し起こしていると前置をひとつ。金属音にピアノ音、残響・間・微音。辛辣気 を齎す不協和な一打音系、ピアノ音は虚ろな独り言の如し旋律と不定期に滴り落ちる一雫の様な不協和コード、焚き上げ感を有する音声の様 な鳴りと振幅音の持続に敷き詰められる。時折に不協和ドローンが往来し幻怪・暗度・陰鬱・棲息ら不穏気を漂わせ陰性モノトーンなムード と言うものを催しながら起ち興す抽象オブスキュア。音とリスナーが居る場所を特化空間とし日常現実を闇に差し換え染め潰しながら手を引 いて離脱して行くミュージック・コンクレート。終焉した過去は終わりを拒否し続け蠢きアメージングを蜜にして穏便に拉致する如しにある 全1トラックA面。テープ逆回転音に一打音のアクセント、弦の摩擦による持続音にピアノや音声音源らが散在するB1トラック。憂鬱に悶え る嘗ての優雅は時代の内で場末となった今に密かながらで喘ぎを漏らす。不確かな記憶再生その断片を集積すれば退廃を孕み歪みが生じ不均 衡は地下世界の花園となって解放されてしまう。今と比較すればシンプルな構造ながらバランスに無理や無駄がなく音そのものの響きに趣き があり気配寡黙然としながらも存在としてのテンションを覚えさせる。朦朧に独り虚ろとした現実と非現実の狭界で識別の類いを無効化させ 道連れにし洒脱感に溺れる。B面ラスト短編B2ではギターの即興と不協和持続音と幻聴微音による炎天下真昼の弔い祭事の様な無色彩観で虚 無を描き〆。朧(おぼろ)として虚ろな実存的夢世界半ば、その在り方は負性魅惑を孕みつつ魅了と言うものを然り気なく後押しする。 (oZ)
SEMA   Theme  From  Hunger LP  LE  REY (UK)  LE  REY 6   1982 LP (included in 4LP-BOX "Time Will Say Nothing 1982-1984")  VINYL-ON-DEMAND (GERMANY)  VOD103   2012
塩ビ盤のSEMA並びにROBERT HAIGH作にあっては再生スピード設定を固定せずに接した方が宜しいかもしれないと��案して���る。再生速 度フリーに謀られている設計ありとも思える2nd LP作"Theme From Hunger"。が但し本作にあっては同年に本アルバムA2曲を搭載し出版 された国内プログレ雑誌マーキームーン10号の付録片面ソノシートが45回転再生指定で存在している事、更に本アルバムA1曲のリミックス 相当となる1984年ベルギーLAYLAHから配給された12"作"Juliet Of The Spirits"(no. LAY 9)のB面からしても有力視されるとなれば本アル バムは45回転再生の方が濃厚。紹介立場上からしてソチラの方で一応一旦と。再来訪気配の様にして近づく不協和を孕んだピアノ・プレイで 始まるアルバム・タイトル・トラックA1、古いわだかりを抱えた物憂げを抱く様にして切迫の無闇に催される怪奇にも似た違和感、不調和な オブスキュアと抽象の内で音の響きが神経から皮膜を失わせて行き朦朧と辛辣は波立たないウネリ。一打音による設定変化、不協和な持続音 にシンバルと太鼓、怪しいコーラス音、別持続音の到来重複。弦音複数による鳴り、ジャンク物音にハーモニクス・プレイ、弦の摩擦音、再 度始まる持続音の鳴りらが一打音の切り替えにより展開されるアコースティックNOISEは予見・催眠・暗示を促しながら不遇世界を綴る。逆 回転再生音を孕んだ怪しい発声音の持続、プレイされるピアノ、不協和な持続サウンド、怪ムードを煽る打楽器音と管楽器音。"迫"と"怪"と微 睡みとが狂気前とした現実味を齎し軟禁された仮優美の闇独房。痛みが治まる気配には至らない歪み。おそらくで揺るぎない程に根を張って いるものとなれば退廃。100年前も100年後も覚えとして変遷しない不変内心との接見。波立たない朦朧と辛辣のウネリが自覚なくして刻々 と波紋を広げる地下景の如しにあるA2。盤を返しB1にはピアノ音とシンバル等の打音。残響に傾向したロールシャッハの如しサウンド・ア ブストラクト短編に始まり、B2では管楽器音とピアノ音と打楽器音による無調ムードにピアノ旋律、忽然として抉じ開けられる宵闇幻想な弦 音系アンビエント・ドローンは深い揺らぎに空恐ろしさを隠し持つ。シタシタと溢れる不穏は複合心模様その感覚機微世界。アルバム・ラス トB3では音声音源や物音らも孕んだギターとピアノのプレイ。興しから萌えた記憶、奇妙な郷愁は郷愁から失墜し現存の在処を喪失させ幕を 閉じてしまう。一方として33回転再生の方でも大きな不自然さには遭遇を見る事はないと思う。月下の夜演奏の様に不協和を孕んだピアノ・ ソロから開始し裏ぶれた優雅、痛みの治まらない古傷、或いは悲哀めいた落陽の風景を呑み込み、閉じ込めた夜陰らから余韻などを届けなが ら、特異域意識に在らずしての離反を促す催眠の内で暗みを、密やかに現実的なるものとしてしまう空間化の様なもの。セピアに気だるい退 廃ムード・ラウンジから這い出せないでいるのが愛聴してしまっている私的。強ち一般該当に当て嵌めてみても如何様なものか寧ろ媚薬とも なる曖昧さこそがNOISE。正規仕様と言うものを探りひとつの見解を持つと同時に、その事柄とは別にして最終選択肢はリスナー各位の世界 観に準ずるとすれば音の楽しみ方と味わい方は広がり、強いてその自由な受け取り方はNOISE作品らしさへと通じる。とコレ個人的な見解な れど好機につき御試ししてはと伺ってしまう。 (oZ)
SEMA   S. Minor  Ghosts Flexi (one-side, no-jacket)  MARQUEE  MOON (JAPAN)  MM-0006   1982
国内プログレ雑誌マーキームーン10号の付録45RPM片面ソノシートにつきジャケを持たない本作。逆回転再生音を孕んだ怪しい発声音の持 続、プレイされるピアノ、不協和な持続サウンド、怪ムードを煽る打楽器音と管楽器音。"迫"と"怪"と微睡みとが狂気前とした現実味を齎し軟 禁された仮優美の闇独房。痛みが治まる気配には至らない歪み。100年前も100年後も覚えとして変遷しない不変内心との接見。波立たない 朦朧と辛辣の無気ウネリが刻々と波紋を広げる地下景の如しから漂う退廃亡霊の気品気配。2nd LP作"Theme From Hunnger"のA2トラッ ク"S. S. Minor Ghosts"が"S. Minor Ghosts"と題され収録されたコレクターズ・アイテム。フォーマット違いによるものであろう響きの違 いと再生スピード指定になっている事以外LP作との違いは覚え難かった。テイクとしては同じだと思う。因みにで当時国内プログレ・シーン が前衛繋がりでNOISEの窓口を担っていた事が解る資料価値のある1枚ともなる。80年代初期マーキームーン誌や初期フールズ・メイト誌な どを閲覧すればその時代と共に履歴・資料以上で様々が窺える事と思う。 (oZ)
SEMA   Extract  From  Rosa  Silber LP  LE  REY (UK)  LR101   1983 LP (included in 4LP-BOX "Time Will Say Nothing 1982-1984")  VINYL-ON-DEMAND (GERMANY)  VOD103   2012
弦の摩擦音であろうか獣の鳴声の様な響きが気配を運ぶ幕開け。男声コーラスの反復にピアノのメロディー。雑音が介在した薄気味の悪さを 朧(おぼろ)げに覚える異空間域は月下の秘め事の様。神妙さとはナビゲーター、入口から深部へと駒を進めると禍々しさが潜み入る闇世界、 潜み入っていると思う闇そのもの全体像が獣自体。抱擁されている事に気付かずな神隠し、型崩れしてしまった常識に覚えを持たずしてのア ジール世界アルバム・タイトル・トラックA面。"女神の解剖"とでも訳せば宜しいかB面は1984年英国UNITED DAIRIESからリリースされた コンピLP作"In Fractured Silence"にも搭載されている。A面に仏国のUN DRAME MUSICAL INSTANTAEとHELENE SAGE、B面に英国 のSEMAとNURSE WITH WOUNDから成ったこの4WAYコンピ作は雑音ながらコンテンポラリー色が強く当時の評価としては低い様だった が個人的にはお気に入り。因みに入手難易度激高だったSEMAアルバムからすれば最も出会い易いトラックがコレであった。ディレイを効か せたピアノ旋律、打音を合図とした設定の切り替え、教会の鐘が鳴り響く中で反響に歪む持続音、少女の瞳の奥底に閃光する演ずる事のない 白昼夢の麗しさと等しく、穏やかさに隠匿されたままの残骸標本化された狂気を素晴らしく思う。片面1曲全2曲トータル30分に満たないア ルバムではあるが負性なる潤いに満ちた在処と言うものを然り気なく追憶の如しで呈し格別に揺るぐ。 (oZ)
VARIOUS  ARTISTS   In  Fractured  Silence LP (+ insert)  UNITED  DAIRIES (UK)  UD 015   1984 cassette  UNITED  DAIRIES (UK)  UDT030   1987 cassette  RRR (USA)  UDT030   1987
A面にUN DRAME MUSICAL INSTANTANEとHELENE SAGEのフランス勢、B面にSEMAとNURSE WITH WOUNDの英国勢。各々のト ラックを存分に堪能出来る4WAYなコンピ作。本レーベルの代表的VA作"Hoisting The Black Flag"や"An Afflicted Man's Musica Box"が 強力に目立つあまり存在薄な位置に定着された感ありとも、渋さに出来たこの内容は決してヒケをとるものではなく実に素晴らしいデキにあ る。アコースティックな無調室内楽に効果音を重ねたそれは、まるで60年代後半〜70年代前半のフランス娯楽映画から映像を奪ってサウン ドのみに映し出している様な感じのU. D. M. I. 。半ば無造作な展開ではあるもののドタバタに陥らずに、重過ぎず軽過ぎず仮空と現実の狭間 を産む。鑑賞用な芸術やら文化やらを軽く"いなし"ている品が麗しい。続くHELENE SAGEでは更にサントラ演奏要素が外され、情緒不安定 な無言追跡劇その映像内で繰り広げられているシーン展開を想定したかの如しフィールド・レコーディング記録の様な音演出が登場する。絵 のない物語りへグイグイと引き込んで行く力のあるトラックである。逆面ではROBERT HAIGHによるダーク質な散文的ピアノ曲がエクスペ リメンタルなアトモス音と退廃優雅に踊っている光景とも言えようSEMAの雰囲気良し展開良しな名曲が現れる( 因みに本曲は83年SEMAの 3rd LP作"Extract From Rosa Silber"のB面でも聴ける)。トリはレーベルUNITED DAIRIESの主人NURSE WITH WOUND。艶(なまめ)かし い程の妖艶が怪しく騒がし気な宴の中で展開浮遊しては言葉と言うものを奪っていく、正に有無をも言わせないこちらも名曲。どのトラック もキリリとした輝きを持っていてウットリとさせられるのがこのVA作である。最後に蛇足ながら、UNITED  DAIRIESのアナログ盤はプレス が抜きに出ていて音の再現が素晴らしく良好。まだ未体験の貴兄に宛てては全てアナログ処理で工程が完結しているであろう初期作の最低ど れか一作は入手してみては如何かと伺う。廃盤幾久しくコンディション・ミントは難しいとは思いますが、安価/適価にて遭遇された際には トライして損はないと思います。内にある何かに働きかけ意識なり見識なりが変わる事と思えますので。 (oZ)
ROBERT  HAIGH  AND  SEMA   Three  Seasons  Only LP  LE  REY (UK)  LR102   1984 LP (included in 4LP-BOX "Time Will Say Nothing 1982-1984")  VINYL-ON-DEMAND (GERMANY)  VOD103   2012
SEMAとしてのラスト・アルバムは個人名義を加えROBERT HAIGH AND SEMAで登場した。メロディー比重を上げ更にコンテンポラリー 音楽への色を深めた本作。生楽器音とドローンから産み落された郷愁感さえ含んでいるであろう叙情性。後の2000年前後あたりだったであ ろうか精神安定剤代りに重宝されたフィーリング・ミュージックの先駆け的な様にもあるが、フラットな物でも癒す物でもなく喚起させる働 きかけに出来た幻想幻覚サイドにありアダルトな眩暈(めまい)を垣間見せてくれるであろうA面。更にピアノ・ソロ・サウンド化を促進した 短編群から出来たB面はスタイル・構造・印象からすればNOISEとは言い難く、それは現代アートへの宣言とも看做せようかSEMAを終演さ せ移行したROBERT HAIGH個人名義活動その挨拶状且つ名刺代り。記憶が造った架空庭園、或いは地下シェルターの田園風景など人工的な 意味付けの上に成り立った根のない虚像美世界が刻まれる。SEMA作品の怪しく美しいジャケ・ビジアルに虚ろさを覚えれば音世界内容は準 ずるものとして先ず良いと思う。トータル作品としての完成度の高さがSEMAの音魅力を更に引き立てているのは間違いない。追加として独 レーベルVINYL-ON-DEMAND社から再発される事はないだろうとされて着たSEMAのLP全4作が"Time Will Say Nothing 1982-1984" (no. VOD103)のタイトルで2012年BOX仕様にて奇跡的に再発リリースされた。4作ともオリジナル・ジャケ・デザイン付きで更にボーナス曲と してV.A.参加曲が追加される。オリジナル入手難易度・レア度からしてみても苦労なく一気にSEMA音源と遭遇出来るのでお薦め。 (oZ)
ROBERT  HAIGH   Juliet  Of  The  Spirits 12"  LAYLAH (BELGIUM)  LAY 9   1984 2LP (included in "Cold Pieces 1985-1989")  VINYL-ON-DEMAND (GERMANY)  VOD132.11 / VOD132.12   2014
夜陰の中の廃虚、朧気(おぼろげ)と冷めた追憶を見る様にしての電子ドローン質なオープニング。憂いのあるギターとピアノのメロディーが 主となって流れ、揺らめく赤に染まったジプシーの様な浮き草ぶりを想起させる。やがて音の悪いバイオリンが弾かれ加わり半ば唐突に闇の 中へ放り出す如しの様にしてエフェクト・サウンド・ドローンで幕を閉じるA面。B面では不協和を鏤(ちりば)めたピアノの旋律。一打音によ る設定の切り替えの後、電子持続音と闇儀式的な気配を焚き付ける太鼓の音、不気味なコーラスの浮遊らが混合しゴーストを誕生させる。十 中八九で1983年作SEMAの2ndLPタイトル曲A1"Theme From Hunger"のリメイク版。その後もSEMAでの特徴であった一打音による設定 の切り替えをカット・アップ代わりに多用し展覧させているかの様にしてミュージック・コンクレート/コンテンポラリーを解体展開し不穏 なるアブストラクトへと陥れていく。SEMAラスト・アルバム後に舞降りた残り香的蜃気楼と言えるかもしれない、自分自身の過去に手向け つつ別離と言うものを謳ったと思われる1枚。 (oZ)
VARIOUS  ARTISTS   Devastate  To  Liberate LP  YANGKI (UK)  YANGKI001   1985 cassette  UNITED  DAIRIES (UK)  UDT025   1987 cassette  RRR(USA)  UDT025   1987
HARDCORE PUNKシーンが冴えたるところ、音楽が出来るその可能性、後々のライヴ・エイドらにも通じて行くと思う。この時期しばしば リリースされた政治的運動一環に強いアルバム。アナーキズム的な個人行動を基本とした過度な動物保護活動が集団化すればテロ組織看做し THE ANIMAL LIBERATION FRONT(動物解放戦線)をサポートしたとされるコンピLP本作。とは言うもののB面中盤以後に登場するCRASS ないしその一派は順当としても反社会・反組織・反規則と非属性に強いNOISEアーティストが集い支援するとは俄(にわか)に信じ難く違和感 に埋もれる。音楽シーン内でアナーキスト立場でありテロリスト立場で通じていると言えようNOISEが、政治色に強いCRASS周辺と結託し 解放の為に荒廃させるべく混沌錯綜への陥れが本コンピ作の主旨ではなかろうか、支援そのもの自体に熱量はなく至ってニヒル延(ひ)いては その為の強引用であり借物ではないかと察せられる。A1にはNURSE WITH WOUND、放牧家畜の様な牧歌的POPSがコラージュNOISEに噛 み付かれてから捕食されてしまった如し良トラック。A2には揺れを伴った闇幻常蜃気楼、第一期活動終盤の転換期であったSEMAが珍しく純 然としたドローン・アンビエント作風を収録。A3ではDANIELLE DAXとのデュオNOISEアバンギャルドPOPSバンドLEMON KITTENSを解 消し終わらせたKARL BLAKEによる新バンド、SHOCK HEADED PETERSがギター・フィードバックを唸らせてのヘヴィ��・ロック。モン タージュ・アッセンブリーされたコミカル奇形が音楽モドキを粧いつつ蝿やゴキブリら迷惑愛嬌同等を出現させた如しA4、盆気配なベル打音 余韻を効かせながら物音や作業音らをコラージュしたA5各々印象的な短編2編を蔵めたP16D4。ロックとNOISEとフォークロアを迷彩柄に したと言えそうなA6のCOIL。金属ベル音の反復とフィードバックNOISEに加工された少年少女合唱が被りループエンドレスするA面ラスト は反証性を何かと纏っているであろうCURRENT 93。B面に返しB1トップには雑音使用で仕上げられたエレクトロニクスNEW WAVE調で 新生アバンギャルトなPOPSが先ずはでと目を引くLEGENDARY PINK DOTS。B2のTHE HAFLER TRIOは環境音や電子音らをエレメント にしたコラージュ短編で、エレメントが結合し別エレメントを精製しただけと言えようかコンピ編成内で埋もれる事を弁えたクール、表現無 熱存在に無機質さ全うを覚える事となる。以後トラックではCRASS関連者が連なる。始弾B3にはANNIE ANXIETY嬢、雑音+音源切貼り+ 歌+エスニカルで祭り的なパッカーションからNEW WAVEベースなコラージュ作が聴ける。B4は本件創作意図からして役割メイン・アクト と言えそうなCRASS、ニュース・プログラムなど音声音源らとHARDCORE PUNKなどCRASS演奏プレイが混然となりアナーキー&テロ看 做しを音体現する。B5とB6の短編はBJORK成功への足掛かりであるSUGARCUBESを提供したCRASS系レーベルONE LITTLE INDIAN所 属ユニットD&Vによるパッカーション・リズム+PUNK調ボイスの変則編成曲。ラストは幕引きに際し発生させた単発匿名ユニットであろう 物騒がせな名称WHO WILL CARRY MY ARMS。リズム・ボックスとシンセ・メロによる真夜中無人ながらで運営している誰の為でもない 遊園地メルヘン景の如し短編曲が搬出され〆。支離滅裂的編成CRASS RECORDSコンピLP作にも遠からず近からずで通じるものありな1枚 はROCK/POPSを汚す為の実施現場と言えそうな1枚である。印象的な良トラック多数有りで触れておいて損のないコンピレーション・ア ルバム。 (oZ)
VARIOUS  ARTISTS   The  Fight  Is  On LP  LAYLAH (BELGIUM)  LAY10   1985
NOISE黎明期の後半であったこの頃、音楽要素から掛け離れ尖った存在を翻したのがベルギーNOISEレーベル初期LAYLAHだった。情景や心 情と言った慣れ親しんだ描写の色合いを主役とした表現から脱し、その主役を不在にして現象・形状としたサウンドそのものから齎そうとし た別アプローチに着手し提示したのが本コンピLP作の位置取りだったのだと思う。参加者はA面に負力効果実験となろうCOIL、モンタージュ 化からのカルト促進CURRENT 93、サウンド研究白書を提出したTHE HAFLER TRIO。B面にコンテンポラリーな純然サウンド・プレイの ROBERT HAIGH、アトモスフィア創造LUSTMORD、アブストラクト創造となろうNURSE WITH WOUND。アルバムのラストにコンピ作 参加は稀となる短編2曲を提供したORGANUMも低音ドローンを用いず金属質な軋み音で薄気味の悪い空間を造作する。後々に登場する音響 武装NOISEの祖先的な先駆け存在にあると思う、ポピュラー音楽表現領域から離反しているサウンド達の集合体��ある本作に物足りなさを覚 えたファンは当時少なくはなかった。豪華メンツの割りに評価として余り宜しくなかった1枚ではあるのだが、アンチ・ミュージックとして の反骨心に高く雑音ヒストリー上では然るべきポストにある音盤だと思う。 (oZ)
VARIOUS  ARTISTS   Ohrensausen LP (black or white vinyl)  DOM (GERMANY)  DOMV77-03   1985   2CD (titled "Ohrenschrauben / Ohrensausen")  DRAGNET (GERMANY)  DRAGNET 04   1993
NOISEを紹介すると共にNOISEの翻しへと通じ名盤となった独レーベルDOM配給コンピ作第一弾"Ohrenschrauben"(no. DOM V77-1)に続 き登場した第二弾"Ohrensausen"では、レーベルが嗜好するアーティストを集わせる事でレーベル運営その方向性の絞り込みが行なわれてい ると言える。DOM運営の主眼として本件が浮上させているのは継承から展開へと比重しきったポスト・アバンギャルドである所のNOISE提 唱。NOISEシーン紹介を兼任しながら広報役割を担う。不協和でアンバランスな出立ちが別選択且つ次章的な雑音造形にありリーディング・ ボイスが同位で重層するA1は後にSTEVEN STAPLETONの奥方となるDIANA ROGERSONユニットCHRYSTAL BELLE SCRODD。A2に はNURSE WITH WOUND、気味悪く動きだしたオモチャ仕掛け達がファクトリーする宵闇神隠し。激しい気流の天空に舞い上がり神話をテ クノロジーで啓示している如しA3はCOIL。A4にはピアノとシンバル&ドラムによるアコースティック抽象フリー・プレイのSEMA、オブス キュア表現法を削ぎ落し演奏自体をアブストラクト化としたROBERT HAIGH転換期作が蔵まる。UK勢が続いてからのA5には70年代前半か ら活動しLAFMS(ロサンゼルス・フリー・ミュージック・ソサエティ)に参加していた米国SMEGMA、壊れたバンド編成によるアバンギャル ド・フリー・プレイが提供される。A面ラストDUKA BASS BANDは独H.N.A.S.の初期メンバーによるユニットとの事、管楽器音と電子鍵盤 音とドラムによる感触チープなフリー炎症演奏が配置される。ドイツ勢サイドとなるB面に移れば手始めにとレーベル主H.N.A.S.が高周波と 打音とエフェクト音とピアノやボイスらを組織し、テンションのあるアブストラクト"からの"で何時とはなしに男女ボーカルを配したモダン 電子ミュージックを立ち上げていたテクニカルなトラック。B2のASMUS TIETCHENSでは揺らぎや浮遊、音響研究を兼任した如しで元祖音 響系なアプローチと言えよう学際的トラックが聴ける。B3は1985年スウェーデン・レーベルPSYCHOUT PRODUCTIONSからリリースさ れたH.N.A.S.の1st LP作"Abwassermusik"(no. PSYPRO 005)にて共演したMIESES GEGONGE、ディレイ効果に埋もれたエイリアン雑音 サウンドを排出する。B4にはドイツ前衛NOISEの先駆者P16D4によるテンポの速い物音系コラージュ作。エクスペリメンタル域から永遠に 降りる気配がなく成果と言うものを欲している姿勢にない破壊的構築が頽廃や荒涼と言ったものを暗にして呼びつけている好トラック。ラス トにはA面ラスト同様にDUKA BASS BANDが登場、無自覚性を漂わせた管楽器音と雑音によるフリー・プレイでそれ自体が儀式域である事 を穏便に搬出しアルバムをエンドさせた。レーベルDOM概要を知りたいと言う方に適した本件はNOISEに傾向した所のポスト・アバンギャ ルド初動を知るにも適している。アーティスト側の指向性で委任されてから集合を以って仕上げられたコンピ作につき入門者サンプラーとし ても有効、収録されたアーティストでお気に入りが居ればその音源コレクションにも有益な1枚。 (oZ)
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yo4zu3 · 4 years
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NIGHTCALL(柴君)
 ▽
 その日の君下はすこぶる機嫌が悪かった。
 元々の鋭い目付きと無愛想な性格が相まって、だいぶ人相が良くない自覚はある。それ故に君下はクラスで浮いている存在だった。親しい友人もいなければ、用がない限り誰も彼に近づこうとしない。通常運転で既にこれだから、今日のように君下が青筋を何本も立てて座っていると、あからさまに教室の空気が何キロも重くなった。
 ーー事の発端は前日の練習後に遡る。
 すっかり日の落ちきった午後8時過ぎ。
 その日鍵当番だった君下は倉庫に備品を片付け終えて、鍵を返しに体育教官室へと向かった。ノックをして「失礼します」と声をかけると、白く烟った教官室の奥から「君下、ちょっと」と顧問である中澤の声がした。グラウンドの脇にある小さなプレハブで、ほとんど体育教師たちの喫煙所と化しているそこは、普段ならば生徒が立ち入ることは許されていない。君下は初めて足を踏み入れる場所に少しドキドキしながら、「ッス」と小さく返して扉を閉めた。
「おう。どうだ、新しいポジションは」
 ぎい、と椅子が鳴り、パーテーションの向こうに背伸びをした中澤の頭が見えた。いつ見てもとっ散らかった黒髪にいくらか白いものが混じり、疲労が滲み出ているようだった。
「まあ、ぼちぼちです」
「そうか」
 二人の間でゆらゆらと紫煙が燻っている。中澤は咥え煙草のまま、無言で何か言いたげな目を向けていた。そうして暫くの沈黙が続くと、ようやく君下は腹の底で蟠っていた疑問を口にした。
「でもなんで、俺がフォワードなんすか」
 数時間前、中澤は部活前の君下を呼び止めて、ポジション変更を告げていた。入学して以来ずっとトップ下を守ってきた君下に、センターフォワードに入れと言ったのだ。
 このチームでプレイして半年は過ぎたが、君下には中澤の考えがいまいち分からないままだった。そもそも君下を聖蹟に引っ張ってきたのは他でもない中澤であったが、たかが中学生にエースナンバーをくれてやると約束したこともまた、腑に落ちないことだった。とはいえ当時の君下は、自分の力を過信していたきらいがあった。それに加え貰えるものはありがたく貰う主義なので(俗に言う貧乏性というやつだ)、返すつもりもなかったのだが。
「お前ならできると思ったからだ」
「はぁ」
「まあまだ初日だ。明日も同じ形でいくから、焦らずやってみろ」
 中澤は深くヤニを吸うと、ゆっくりとした動きで目を伏せて灰を落とす。それからもう一度まっすぐ君下と向き合った。
「それと大柴のことなんだが」
 その名前を耳にして、君下の顔がぴく、と引き攣った。なんとなく、こちらが話の本題なのだろうと思った。中澤もそれに気づいたようで、言葉を区切ると片眉を僅かに上げた。
「なんだ、なにか聞いていたか?」
「いや、なにも」
「そうか」
「で、何なんすか」
「一週間ほど休むそうだ」
「……は?」
 君下はぽかんと口を開けながら、なるほど合点がいった。
 君下がいきなりフォワードにコンバートされたのは、正規のフォワードである大柴が何かしらの理由でポジションを外れたから。大柴がいない理由などそんなことはどうでもいいが、問題はなぜパサーである君下がそこに入るのかということだ。
 選手層の厚いこの学校にはフォワードをやるものはいくらでもいる。それに君下がトップ下を離れるのならば、ふたたび開いたその穴には一体誰が入るというのだろう。
 君下の賢い頭脳は一瞬にしていくつもの疑問が浮かべたが、そのどれもが意味のないことのように思えた。中澤の光のない瞳がじっとこちらを伺っている。監督には何か考えがあるのかもしれなかった。
「……ポジション交代はその一週間だけっすよね」
「いや、それはわからん」
「おいおい、俺は嫌ですよフォワードなんて」
 よりによって、あいつの代わりだなんて。
 そう言い返すのも憚られた。そのぐらい、君下は大柴喜一という男が気に食わなかった。
 蘇る中学都選抜時代の記憶。同じチームにいながら味方同士で競い合うようにボールを奪っていたあの頃。たしかに君下は、最初からパサーをしていたわけではない。むしろ今の大柴のように、自分で積極的にゴールを狙うようなプレイスタイルだった。頭も切れて自分で点を取れる。それ故に中学選抜でついたあだ名は「悪童」であり、おそらく中澤もそれを知っているのだろう。そうでなければこの指示には疑問点があまりに多い。
 いつのまにか握った拳に汗をかいていた。君下が目の前の男を睨むように立っていると、煙草の火を消した手でぽん、と肩を叩かれる。力強いが、そ��でいてやさしい手つきだった。
「君下。賢いのは随分だが、そうあまり深く考えるな。俺はこのチームのありとあらゆる可能性を試したいだけだ」
「……」
「やるだけやってみろ。ただ、チームが今のままでは勝てる試合も勝てん。そのぐらい、ピッチに立っているお前なら分かってるだろ」
「ッ……クソが」
 君下は昨日のことを思い出して、小さく舌打ちを零した。
 結局何も言い返すことができなかった。中澤の突拍子も無い提案はともあれ、言っていることはあながち間違いではなかったからだ。
 七月、夏のインターハイは予選決勝で敗退した。
 一年生である君下にとって高校最初の大舞台だった。敗因はオフェンス陣が思うように点が取れなかったことと、チームの司令塔である君下との連携がほとんど機能しなかったことだった。
 苦汁を舐めることは二度としたくなかった。あんな無様に敗けるのは御免だった。中学時代の大敗を教訓にしてきたつもりだったが、その結果がこれだった。
 勝てない。
 だから君下は的を絞るために、チームの頭脳であり心臓であるパサーに徹することにした。たとえ自分の得点を捨ててでも。
 だがそれでも勝てなかったら、あの努力の日々には一体何の意味があるのだろう。
「おーい君下、寝てんの?」
 唐突に声がして、背後から肩を叩かれ君下はハッとした。そこでようやく自分がぼんやりとしていたことに気がついた。
「うぉ、何���よ」
「何だよじゃねーよ、さっきから何回も呼んでるんだけど」
「悪い……」
 君下に声をかけたのは鈴木だった。同じサッカー部の一年で、レギュラーではないがそこそこ上手い経験者。地味だが人好きする性格で、部内でも浮き気味の君下に気軽に声をかけてくるような男だった。
「どうした、寝れてないのか? すごい顔してるぞ」
「うるせぇこれは元からだ」
「それは否定しないけど、今日は特にひどいぜ。乾燥した日のグラウンドみたいな顔色してる」
「お前わりと失礼だな……」
 あまりにもじっと見つめられるので、君下はなんだか気恥ずかしくなってきた。目を逸らして、「何でもねぇよ」と小さく呟くと、鈴木は紙パックの牛乳を啜りながら「ならいいけどさ」と、さして興味もなさそうに教室の入り口を見ている。
「君下がいつもに増してすげー顔してるから、みんな怖がってるぜ」
 そう言われて、君下はようやく周りを見た。昼休みである今、自分の周りの席はおろか、君下の席からきっちり教室半分は人が居なかった。ドアの周辺に佇んでいる、不安げにこちらを見つめるクラスメイトの集団に気づいたところで、再び鈴木に視線を戻す。君下と鈴木を見つめるたくさんの目は、まるで檻の中にいる猛獣でも見ているかのような視線だった。
 見た目で勘違いされやすいが、君下はいわゆる不良などではなかった。根はクソがつくほどの真面目であり、寧ろ学業における成績は優秀で、入学以来ずっと学年一位をキープしている。それに加えて強豪サッカー部の特待生で奨学金を貰っている身であるから(君下の家は貧乏な父子家庭だった)、素行不良などどうしたってできるわけがなかった。
 ただ大柴と居ると、腹の奥底から湧き上がる得体の知れない感情に左右されやすくなる。あのふざけた態度と面を見ているだけで、どうにも我慢が効かなくなってしまうのだ。
 顔を合わせればどちらかがーーどちらかと言えば大柴からの方が多いがーー喧嘩を吹っかけて、その場で睨み合いや口論になる。悪ければ互いに手がでることもあるが、大抵の場合がその場に居合わせた誰かの仲裁で未遂に終わった。そう言うことがしばしば起こり、いつのまにか二人は犬猿の仲として学校中に認知されるようになったのだ。
 ▽
「あの赤アタマ、とうとうクビになったのか?」
「さぁ、知らね。ともかく1つ席が空いて良かったよな」
「ほんとそれ。ただでさえレギュラーなんて狭き門なのによ、一年が二人も居座っちゃあな」
「最初から先輩に席を譲れってんだよ」
「言えてる」
「つーか君下もだよ、なんであいつがフォワードなんだよ」
「あーあれ監督の指示だとよ。臼井が聞いたって」
「マジ? なんでよ」
「知らん」
「ついにケツでも開いたか?」
「ギャハハあり得る」
「おい! きったねぇなー、飛ばすなよ」
「だってよぉ、夏負けたの、明らかにあいつのせいだったろ?」
「な、流石の悪童もブルっちまったんじゃね?」
「あーあったな悪童とかいう大層なあだ名」
「ハッ、どこでもいいから使ってくれってか、一年坊が。調子に乗りがって」
 大柴がいない部活はいつも通りだった。
 入学早々レギュラー入りを果たした君下や大柴が、控えの上級生に陰口を叩かれているということはなんとなく想像がついた。今までだって何度も似たような経験をして、その度に結果で黙らせてきた君下だったが、こんなあからさまな陰口を偶然聞いてしまって、素直に気分がいいとは言えなかった。
 大柴の不在についてミーティングで中澤は何も言わなかったし、それについてわざわざ聞き返す者もいなかった。君下が大柴の居たポジションにコンバートされた今、大柴はドロップアウトと考えるのが妥当だった。
 君下は当然のようにフォワードの練習に混ぜられ、久しぶりにも感じるシュート練習に身を入れた。トップ下でもそれなりに蹴る機会には恵まれるが、聖蹟高校の得点数の8割以上は、伝統である三本の矢からなるフォワードの功績だった。総シュート数で考えても、圧倒的に場数が違う。
 加えてフォワードは敵ディフェンダーとのぶつかり合いになることが多い。前線でボールを保持するための身体の強さは勿論のこと、それを振り切るだけの脚力と、飛んできたボールに合わせられるジャンプ力や背の高さも必要になる。
 君下はそのどれもを持っていない。背や筋肉量といった先天的なフィジカル面も足りなければ、瞬発力だって左サイドの水樹に比べれば今ひとつだった。だから何も持たない君下が前線で勝負するためには、シュートの精度を上げる以外に道はない。
 慣れない雰囲気での練習を終え、君下は日課にしている勉強もそこそこに眠り込んでしまった。一日中気が立っていたこともあり、無意識のうちに疲労が溜まっていたらしい。夢も見ないほどぐっすりと眠り、目が覚めたのは翌朝5時だった。
「……寝すぎたな」
 ベッドの上で背伸びをして、ブランケットに包まったままカーテンの外を見る。秋の朝は遅い。空は夜を色濃く残したまま、まだ星がいくつか輝いていた。こんな時間に目が覚めたのはあの夏の試合ぶりだった。
 だが起きるのには僅かに早い時間だった。自主参加の朝練には顔を出すつもりだが、それでもあと30分は眠れるだろう。君下はゆるく瞼を閉じて、再び睡魔がやってくることを祈った。
 そうして暫くうとうととしていると、ブルッ、と枕元のスマホが振動した。震え続けるスマホに苛立ち、チッと短く舌打ちをしてもぞもぞと手繰り寄せる。
「あ?」
 あれからまだ十分も経っていなかった。当然アラームも鳴っていない。ホーム画面に残っていたのは、メッセージアプリからの通知で「バカ喜一:不在着信」の文字。
「電話……あいつが?」
 中学都選抜の付き合いで止むを得ず連絡先を交換した記憶はあるが、実際に番号を使ったことなど今まで一度もなかったはずだった。メッセージアプリって電話帳が勝手に登録されるのか? 寝ぼけた頭でそんなことを考えていると、手の中のスマホがもう一度震えだす。また「バカ喜一」からの着信だった。本当に本人なのか怪しいところだが、君下は出るかどうか迷った末、緑の通話マークに触れた。
「……おう」
『お、繋がった。そっち何時だ?』
「はあ?」
『だから、何時だって聞いてんだろ』
 電話の相手はちゃんと大柴だった。だが言われた言葉の意図がよく分からない。もしかしてかけ間違いなのか? 偉そうな口調はいつも通りなのに、随分と久しぶりに声を聞いたような気がした。
「朝5時過ぎだが」
『ア? んな早く起きてるとか、ジジイかよ』
「んだとテメェ」
 親切に教えてやった挙句に罵られ、カッと頭に血が上った君下は通話を切った。強制終了。二度とかけてくるんじゃねぇと思いながら、ブロックしようと思ったがどうにもやり方がわからなかった。覚えていたらあとで鈴木に聞こうと思った。
 へんな電話のせいですっかり目が覚めてしまった。少し早いが支度をして、まだ空が暗いうちに家を出た。その後電話がかかってくることもなければ、人の疎らな電車に揺られてぼんやりとしていると、あれだけ嫌っていた大柴から着信があったことなどすっかりと忘れてしまった。いつのまにか日が昇っている。たくさん寝たからか、昨日よりは少しマシな気分だった。
「お、昨日より元気そうだな」
 そう言われて君下が振り返ると、いつのまにか鈴木が後ろの席に座っていた。鈴木はいつものように牛乳パックのストローを噛みながら、片手であんぱんの袋を破っている。この男はたしか君下の隣のクラスだったはずだが、まるで最初から自分の席だと言わんばかりの態度で他人の席に腰掛け、口の端からパンくずをぼろぼろと零していた。
「食い方が汚ねぇ……」
「いやこれパッサパサなんだって。見ろよ、半分食ったのにまだあんこが出てこない」
「やめろ、食いかけを人に向けるな」
「絶対あんこ入ってないよな? チクショウ売店のおばちゃんに文句言ってくるわ」
 ドッコイセ、ととても高校生に似合わない掛け声とともに、鈴木はのそりと立ち上がると大きく背伸びをした。くああ、と大きく口をあけて欠伸をする鈴木に向かい、「お前こそちゃんと寝てんのか?」と問いかけると、背伸びのせいではみ出したシャツをスラックスに押し込みながら「いやーホラゲ実況見てたら寝れなくなってさ」とケシの実のついた口でぼそぼそ呟いている。
「あ、」
 唐突に声を上げた君下は、そういえばこの男に聞きたいことがあったはずだった。律儀にも椅子を元に戻した鈴木が「ん? なに?」と首を傾げていたが、やっぱり思い出すことができずに「いや、忘れたわ」とだけ返した。鈴木はしばらく不思議そうな顔をしていた。
「君下ってわりとおしゃべりだよな」
「別に、普通だろ」
「なんか色んな噂が立ってるからさ、てっきりヤバいやつかと思ってたけど。口が悪いしちょっと変だけど、思ったより親しみやすいっていうか」
「変って、どこが」
「そのインナーの信じられないほどのダサさとか」
「ハァ? 目ぇついてんのか格好良いだろうが」
「あとそのネックレス、田舎のチンピラみたい」
「お、お洒落だろ……」
「全然。てか普通に怖いからやめたほうがいいよ」
 そんな感じでああだこうだと一通り文句をつけて、鈴木は去っていった。不思議な男だった。それでも嫌な気がしないのは、陰口を言う上級生たちとは違い、この男に一切の悪気が感じられないからだろうか。
 ▽
 枕元で長い振動がして、君下は無意識のうちにスマホを手に取ったらしい。枕に顔を埋めたままそれを耳元へ当てると、ガザガザとしたノイズに混じり、男の低い声がする。
『おい、起きてるか』
「んーー……ぁんだよ、」
 喋りながら、寝起きの君下は自分が誰と話しているのかわからなかった。頭が重い。昨夜は遅くまで予習をしたから、あまり寝たような気がしなかった。そんな君下の都合など知らない男は、『なんだよ、毎朝5時に起きてるんじゃないのか』と不貞腐れている。
『寝ぼけてんのか?』
「………………っるせーんだよタワケが」
 ムニャムニャと呟いて、諦めたように薄っすらと目を開ける。ぼやけた視界が捉えたスマホの通話画面には「バカ喜一」の文字があった。ちょうど朝5時を過ぎたところで、昨日も似たような時間に電話があったことを思い出した。
「テメェ……ふざけんのも大概にしろよ。こんな朝っぱらに電話してきやがって」
『るせぇな、俺だって暇じゃないんだよ』
「つーかお前、今どこに居んだ」
『イギリス』
「ハア? テメェのほうこそ寝ぼけてんのか?」
『昨日言っただろうが』
「聞いてねぇ。 つか、イギリスがどこか知ってんのかよ」
『当然だろ、馬鹿にするな』
「馬鹿だろうが」
『ブッ殺す』
 そこでブチッと通話が切れた。大柴が切ったようだ。
「いや……何なんだよ」
 君下はスマホを放り投げると目を瞑り、ごろりと仰向けになった。両腕を額の上に乗せて、はぁーっと長い溜息をついた。
 ……イギリスだと?
 学校も練習も来ないやつが、なんで突然そんなところに居やがるんだ。テメェが練習に来ないせいで、俺はやりたくもないフォワードをさせられているというのに。
 ブーッと再びバイブレーションが鳴った。また大柴からの着信だった。自分から切っておいて掛けてくるとは、奴は余程暇なのだろう。電話に出るか迷った君下は起き上がり、のろのろと部屋を出て小用を足しに行��た。戻ってくるとまだスマホが健気に鳴っているので、仕方なく濡れた手で通話ボタンに触れる。
『遅い』
「うるせぇ俺はテメーと違って暇じゃねぇんだ」
『せっかく俺様が起こしてやったってのに』
「早すぎだ馬鹿が。そっちは……夜8時ってとこか」
『ああ、結構寒いぞ』
 君下は通話開始5秒で電話に出たことを後悔した。どうやら大柴はモーニングコールのつもりで電話を掛けてきたらしい。余計なお世話だ。
 だが本当にイギリスにいるのだな、と君下は思った。そもそも日本にいるのならば、大柴がこんな時間に起きているはずがない。
「つーか、なんで急にイギリスに?」
『従姉妹の結婚式だ。俺も練習があるし、最初は行く予定じゃなかったんだが無理矢理母さんが……まあ、いろいろあんだよ。家庭の事情ってやつだ』
「ハッ、金持ちも大変だな」
『そういうお前は、練習はどうだ?』
「あぁ……」
 君下は黙ってしまった。あれだけ練習に不真面目だった大柴が、部活のことを気にかけているのが心底意外だった。だからこの男に本当のことを言うべきなのか、少しの間迷ってしまった。
 俺が今、お前のポジションをやっていること。俺のいたポジションには、大して上手くもない三年が入っていること。そのせいでなかなか連携が取れずに水樹が苦労していること。皆はお前がもう戻って来ないと思っているということ。
 ……というか、お前は本当に戻ってくるんだよな?
 そんならしくもない疑問までもが浮かんできたところで、電話の向こうから『喜一、そろそろ出掛けるわよ』と彼の姉らしき声が聞こえてきた。
『悪い、もう行くわ。今から夕食なんだ』
「あ、ああ……そうか」
『じゃあな、俺の分までしっかり練習したまえ』
「うるせぇタワケが。お前こそサボってんだから筋トレぐらいしとけよ」
『余計なお世話だバーカ』
 ブツリ、そこで今度こそ通話は終わった。
 最後、咄嗟に口うるさいことを言ってしまった君下に対し、大柴は本気で怒っている様子ではなかった。どちらかというと仲の良い友人に対して使うような、気安い軽口のような「バーカ」だった。聞きなれない声になんだか胸のあたりがむず痒く、自分のベッドの上だというのに居心地が悪かった。
 いつのまにか、普段起床する時間になっていた。アラームのスヌーズ機能を切った君下は、もうすっかりと目が覚めている。 
 ▽
 
 翌朝も大柴から電話が掛かってきた。やはり朝5時ちょうどだった。
『起きてるか?』
「ン゛……んだよ喜一……」
『おい起きろよ、俺は夕食前しか時間が取れねぇんだ』
 聞き飽きているはずの大柴の声はどことなく落ち着いていて、寝起きの耳にやさしい、低い声だった。君下は練習の疲労が溜まっているせいか身体が怠く、目を閉じたままごろりと寝返りを打って仰向けになる。
『お前が疲れてるなんて珍しいじゃねぇか』
「別に、いつも通りだろうが」
『あっそ』
「それで結婚式とやらは終わったのか?」
『いや、明後日だよ』
「そうかよ……」
 一言二言と適当に話しているうちにだんだんと頭が回ってくる。冷静になった君下は、なぜ俺はこいつとどうでもいい話をしているのだろう、と訳がわからなくなった。思い返してみれば大柴と、こんな友人同士の世間話のような会話をしたことがなかった。
 昨日だってそうだった。部活の様子を聞いてきた大柴があまりにも意外だったので、君下はつい本当のことを言い止まってしまった。つまり君下は大柴に気を遣ったのだ。この犬猿の仲である男に、悪童と呼ばれた男が、だ。信じ難いことである。
『そういや今日筋トレしたぞ』 
「テメェどうせ腹筋10回とか、そんなしょうもねぇこと言うんだろ」
『なぜ分かった?!』
「バカじゃねーの」
『う……で、でも走ったぞ! ホテルの横にバカでかい公園があって、デカイ犬もいっぱい走ってた』
「へーへー」
『んだよ舐めやがって……フン、まあいい。俺様は今からレストランへ行くからな』
 今日はロブスターだ! と電話口で叫ばれ、思わず顔を顰めているとそこで電話は切れていた。ロブスターは羨ましいが、一体あいつは何がしたいんだ。
 その日は土曜日で、午後の練習では他校との練習試合が組まれていた。相手は東京でベスト8に残る常連校であり、選手層も厚く、攻守ともにバランスのいいチームだ。そこへ君下が初めてフォワードとして、ボールキックをすることになったのだった。
「君下、お前は無理に取りに行かなくてもいい。が、来たボールは必ず拾え。自分で狙えるなら狙って、無理ならいつも通り水樹か、右サイドの橋本に流せ。俺はお前にフォワードに入れと言ったが、お前のやることは普段と少しも変わりないよ」
 試合前に中澤の言葉を聞いた君下は、あぁなるほど、と思った。まだ一年の君下にエースナンバーを与え、トップ下としての才能を見出したのは中澤であり、敗戦が続いた今でもその可能性を見捨てられたわけではないことを理解した。
 要するに司令塔のポジションが一列上がっただけだ。とは言えそこはチームの最前線であり、全体の指揮を執るには偏りすぎている。後列を動かすためにはどうしたって中盤、とくに��ップ下を経由しなくてはいけない。その為の「大してうまくもない三年生」だった。つまり君下が全てパスで動かせばいい。
 結果は、数字だけで見れば引き分けで思うようにはいかなかったが、君下にはたしかに手応えがあった。課題も見えた。後半で蹴ったフリーキックがうまく入ったとき、求めていた何かが満たされる感覚があった。本来ストライカーならば持っているはずの獰猛さを、この練習試合を通して君下はまざまざと思い出したのだった。
「おつかれ〜」
 首元をひやりとしたものが触れ、君下は思わず「ヒッ!」と悲鳴を上げた。ゾゾゾ、と鳥肌を立たせながら振り向くと、冷えたスポーツドリンクを片手に鈴木が立っていた。その後ろに佐藤という、いつも鈴木と組んでいる男もいる。
「テメェは……いつもいつも俺の背後に立つんじゃねぇ」
「こわ、どっかの殺し屋みたいだな」
 君下が「ほい」と手渡されたドリンクを受け取ると、二人は君下の隣に座り込んだ。試合に出ていない二人は何をするわけでもなく、ただ君下が靴紐を解いているさまをじっと見ているだけなので、どうにも居心地の悪い君下は「んだよお前ら」と渋い声を出す。
「君下、なんか今日は吹っ切れたみたいな顔してる」
「そうか?」
「うん、ちょっと嬉しそうだよ。な、佐藤」
「うーん、ごめん。俺には全然わかんないんだけど」
 いきなり話を振られた佐藤は、眉を下げて困ったように笑っている。君下はあまりよく佐藤のことを知らないが、こいつは苦労人タイプだろうなと思った。
「でもお前、あれはまさか狙って打ったのか?」
「あのフリーキックな。相手チームもびっくりしてたよな」
「まあ、あんなのはマグレだ。毎回入るようなもんじゃねぇ」
 半分は謙遜だったが、それを百発百中にするための練習をしてきたつもりだった。今日入ったのはそのうちの何割かに過ぎないのだろうが、キックの精度は経験の数に比例すると君下は思っている。しばらくどん底を歩いてきた分、この1点は希望を持つには十分な1点だった。
「ていうかさ、大柴って辞めてないよな」
 何気ない佐藤の一言に、君下は飲んでいたスポーツドリンクを吹き出しそうになった。寸でのところで飲み込むと、気管に入ったのか「ゴホッ!!」と大きく咳き込む。鼻の奥がつんとする。
「うわッ大丈夫か?」
「……な、何でもねぇ」
「あー佐藤、こいつの前で大柴の話はナシだろ」
「え、そうなの?」
 君下は口元を拭いながら、キッ、と隣の鈴木を睨んだ。当の鈴木は涼しい顔で、しかしぺろりと舌を出している。なんだか嫌な予感がしていた。
「喧嘩の相手がいなくなってさ、ほんとは寂しいんだよこいつ」
「おい、何バカなこと言ってやがる」
「そうなのか?」
「あ、水樹先輩」
「なっ……?! アンタも信じてんじゃねぇ!」
 鈴木の両頬をつねる君下の後ろに、いつのまにか二年生である水樹と臼井が立っていた。「いひゃい、いひゃい」と抵抗する鈴木の声に、通りかかった他の先輩らも「え、なになに?」「何してんの?」と次々と群がってくる。
 君下は咄嗟に鈴木の顔から手を離し、「あ、いや、何でもないっす」と、わざとらしい笑顔を貼り付けて肩を組んでみせた。これ以上鈴木が何も言わないように、肩を組むふりをして首を締めようという魂胆だったが、水樹の隣に立っていた臼井が唐突に「それにしても、今日のお前はすごく良かったよ、君下」と褒め出したので、それがあまりに意外だった君下は「あ、あざす……」と答えることしかできなかった。
「確かにあのキックは痺れたわ」
「わかる、最近めっちゃ蹴ってたしな」
「ポジション変わって大変だったろ? ほんとお前はよくやってるよ」
 結果は引き分けで褒められたものではない。だがそれでもきちんと評価してくれる者もいる。その事実にほんの少しだけ泣きそうになっていると、首を大きく傾けた水樹に「今日の君下は、なんか大柴みたいだった」と言われて、君下はその日で一番キレ散らかしたのだった。
 ▽
 電話が鳴っている。
 君下はスマホを手に取り、「着信:バカ喜一」の文字をぼうっと眺めた。
 大柴がいなくなって既に5日が経っていた。
「おう」
『あ? なんだ、起きてやがる』
「毎日テメェに起こされるのも癪だからな」
 自分で言いながら思わずふ、と小さく笑うと、聞こえていたらしい大柴が『なんだよ、気持ち悪いな』と笑っていた。
 未だに電話で話していることが幻のように感じるのは、大柴の声が記憶の中よりも柔らかいからだろうか。あの嫌味ったらしい顔も見えないせいなのか、不思議と君下が本気で苛つくことはなかった。
『さっきまで隣の公園で子供たちとサッカーしてたんだ。俺様の圧勝だったけど、でもさすがはヨーロッパって感じだったな。俺らが子供のときより上手いかも』
「へぇ、折角だから負けてくれば良かったのに」
『負けねーよ。俺を誰だと思ってる』
「大人げねぇな」
『それで急に土砂降りになって、慌てて戻ってきたところだ』
「そりゃあ、災難だったな」
『うわ、道が冠水してやがる。酷いなこれ』
 大柴の声が遠くなったので、恐らく窓を見に行ったのだろう。そういえば電話に出たときからザーザーと雨のような音がしてた。
「明日なんだろ、結婚式。あ、待てよ、日曜なら今日か?」
『明日で合ってる』
「せいぜい楽しんで来いよ」
『ん。式が終われば明後日にはもう飛行機だ』
 あ、帰ってくるのか、と、君下は当たり前のことを思った。中澤にも言われていたので分かってはいたが、なんだか実感がまるでなかった。
 大柴は戻ってくる。そうしたら君下はもうフォワードじゃなくなる、かもしれない。元に戻ることは喜ばしいことのはずだった。
 だが君下は、昨日の練習試合で何かを掴みかけた気がした。出来ることが増えるということは、単純に考えて良い事のはずなのに、大柴の居ないチームがうまくまわりはじめてなんだか寂しく思ったことを、鈴木に言われた君下は気づいてしまったのだ。
 同時に君下はずっと苛立っ��いたのだ。
 大柴がいなくなり、それを受け入れはじめたチームと君下自身に。
 当然のように中澤が君下をフォワードに置き換えたことに。
 君下に黙って、勝手にイギリスなんかに行ってしまった大柴に。
「ハハッ」
 思わず君下は笑った。自分でも気味が悪かった。それでも笑わずにいられなかった。お前がいなくて寂しいと言ったら、この男はどんな顔をするだろうか。そう考えて、今だけは電話越しで顔が見えないことが惜しかった。
「さっさと帰って来ねぇと、寂しくて泣いちまうだろうが」
『……へ? な、なに言って……おま、』
 予想通りの反応を見せた大柴がおかしくて、笑い死にそうだった。君下は暫く笑いを堪えていたが、どうしても漏れてしまう吐息を聞いて、本当に泣いているのだと勘違いした大柴が「いや、仕方ねぇだろ……」と慰めのような言葉を吐くので、もう限界だった。笑いすぎて本当に涙が出てくる。
「冗談だバーカ。だがぼーっとしてると、俺がテメーの背番号貰っちまうからな」
『あ゛?! なんでそうなるんだよ!』
「ああ、言い忘れてたが、俺いまお前のポジションしてんだわ」
『ハア?! 聞いてねぇぞ!』
「まあ言ってないからな。お、練習の時間だ。せいぜい旅行を楽しめよ」
『おい待てっ!』
 ブツリ。通話を切って、ついでに電源も落とした。
 君下はもう寂しくなどなかった。
 君下の電話に怒り狂った大柴が帰ってくるのが楽しみだった。 
 
( NIGHTCALL / おしまい )
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lostsidech · 6 years
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 みつが出ていく朝で、春の「春」の記憶は幕を閉じている。その日、ちょうど神奈神社の境内では庭の桜が盛りの最後を迎えようとしていた。
 一七になった女中の黒髪に桜の花びらが張り付いていた。別れの挨拶をしたみつの笑顔と一緒になって、それはお化粧の一部のように見えた。綺麗な人だったのだな、と春は思う。顔立ちがというよりも、その笑い方とか、門扉をくぐって駅に向かう、その後ろ姿とか。  何かを、その道がなんであれ、この道で生きていく、と決めた人はこんなふうに見えるのだろう。春は目を細めてその背中を見送った。 「あのね」  老宮司が首を傾げて言った。勤めの宮司もみつには世話になっていたので挨拶に来ていたのだ。  老人は庭の季節呆け桜に手を当てていた。すっかり葉と萎れ花が混じって不愛想になった老木に並び、宮司のしかめ面も一緒に木の皮みたいに見えた。 「桜って、花だけで咲くんじゃないんですわ。幹や枝の見えない中にね、こう、燃えるような紅色が流れているから花が薄く染まるって、私ら内々でよく言う。ほら、光に透かすとね、枝の先が桜色に見えるでしょう」  老人のありがちな説教がはじまる、と春は肩をすくめた。母の清子は音もなく先に背を向けてその場を離れていた。このあと言うことを聞く一二歳の春を捕まえて、御陵(ごりょう)の宮司は話をするのだ。だから春ちゃんや、見えないところでもきちんと勉強しなさい……要らないと思う手習いもきっちり練習しなさい……  けれど御陵老人は気難しげに眉根を寄せたままだった。 「ふつう、その色が染め物なんかにいちばん強く出るのがね、開花前の三月あたりなんだよ。花の終わった後にこんなに紅が残るかねえ」  薄い青空にふわっと風の光が散った。  その中で揺れた枝葉の影が確かに桜色をしていた気がして春は目をしばたいた。  庭の季節呆け桜はただでさえ花期が長いうえに、どうやらまだどこかで咲く気があるらしい――そういうことだろうか。  京に新しい季節が来る。一二歳の春を戸惑いにつつんで。 ×  神奈神社の例祭は九月に行われる。  表立って人を呼ぶことのない内々の祭りで、神奈と御陵の巫女・宮司両家の関係者と、一部の周辺有力者などを招いて儀式を行い、喫食するだけのものだ。この準備は毎年度三月の打ち合わせにはじまり、たっぷり半年をかけて構築されていく。春は夏から少しずつ大人たちの組む準備の日取りの中に組み込まれはじめる。例年のことでもう身体は覚えてしまっているが、祭りの目玉になる舞を行うのは春の役目なのだ。  弔花(とむらいばな)、あるいは弔花祭(ちょうかさい)。古くにあった大災害を鎮めるために執り行われたのだという古い儀式で、今も年に一度、京の都の平穏を祈念して繰り返される。  主儀式では巫女である春が神刀を用いて原初の風景を再現するくだりがある。紫の袋鞘から白刃を解き放ち、楽に合わせて短く舞い踊って膝をつく。足元に刀を置いて死を表現し、すでに散っていった命をとむらい、災いが鎮まることを祈る。巫女はかつてこうして舞いを捧げ、今ではもう名前の廃れてしまった土地の神さまの力を借りたのだそうだ。その功徳を引き継ぐために後から建てられたのが神奈神社。春たちは彼女の子孫にあたる。  刀は最初の巫女が用いたものの模造ではあるけれど、しっかりと白銀の輝きを放っている真剣で、儀式の模擬引き継ぎがはじまった当時六歳であった春にはたいそう恐ろしく見えた。それも一二歳の春からするとほとんど両手の中に重心の収まってしまう小さな懐刀である。  春と清子の夏は弔花の準備で慌ただしくやってきて、慌ただしく過ぎていく。 「春さま、どこに」 「ちょっと知りたいことがあるの」  御陵の若い衆を振り向いて春は声を張り上げた。石造りの古蔵では屋根を叩く雨音が大きく反響する。ええ、と聞き返されたがそれ以上説明はしなかった。奥の梯子に陣取って片端から保存されている書物を開き始める。  梅雨ごろ、周辺の神社とのやり取りがあるとかで蔵が開放されて、ひらめいたのだ。今年は弔花の詳細を自分で調べたい。毎年祭りの当日に定型で繰り返される説明は聞き飽きて暗唱できるほどになったけれど、蔵にある資料の数からいえば、いかに大火で焼けたといってももう少し詳細な祭りの来歴が残っていておかしくないだろう。神奈神社の関係者にはもう何代もお世辞にも学があるとは言えなかった。どちらかというとそのせいで記録を読み解く力が失われ、神奈神社の歴史は消えたのではなかろうか。  とにかく資料を探すこと、精査し、穴を正確に掴むこと――あらゆる学術の根本としてなつめに(どちらかというと翳島に)叩き込まれた基本はいつの間にか春の身体の動きにも根付いている。  春はひとつ己に課した。――この課題を一人で解けるかどうか、自分を試そう。甘えてばかりの勉強だって楽しかったけれど、春はそのままではいたくなかった。一人で答えを探して――納得できるものを、何かひとつ掴んだら、そこで仲間たちに会いに行こう。  雨の降る六月は研究向きの環境だった。  春はすぐに没頭した。石蔵の瓦屋根を雨粒が跳ねるようにずっと叩いていた。雨どいの細い筒越しにちょろちょろと心地よい音が流れていた。  雨が降り、また翌日も雨が降り、深い青のあじさいが咲いた。  煤けた表紙を湿気にうねらせたぼろぼろの資料は比較的すぐに積み上がっていった。神奈神社の建立初期の神職たちが残した書き付けを、また聞きではあろうがまとめた記録帳が見つかったのだ――当時の京都には大きな「なゐ」があった。つまり地震だ。その平定を行った女性が神奈神社の最初の巫女になった。身分は農民だったので正確な名前は残っていない。  春はすこし微笑む。春がその巫女の子孫であるなら、迷える時代の農民の出であるとしたら、それは春の憧れの人と同じだ。  平安の都といえば、文治の大地震だろうか――授業で読まされた方丈記の知識をもとに、別の歴史書をぱらぱら捲ってみる。神奈神社の建立をうつした走り書きと文治の記述とは、被害区域や死者の規模が食い違っていた。おそらくもうすこし小さな地震だ。そうだろうな、と春は思う。それだけ悪名高い厄災を正式に治めていたら神奈神社にはもう少しちゃんとした記録や伝説が残っていてもいいはずだ。あるいは政官とのつながりとか。  そして、神の名前はなんだったのか。巫女が舞いを捧げ、地震を宥めたという土地の神。  春はそれが知りたかった。  祭神が特殊な「姫」という呼び名だけで呼ばれ、神話に系列化されていないことが神奈神社の社格がたいへん低い理由でもある。神奈家にお金がないのもある意味そのせいだ。  それを知ることができたら――その思いは、己の育った家に向いていると同時に、ずっと寄り添ってきてくれたぬくもりにも向いている。  粉屋の教室に行く時間がほとんど取れなくなっていた。あるいはどこか自然に足が遠くなっていた。自分で調べ物に没頭しはじめると、どこかで意地を張って。 (姫さま、わたしが、ね、一人でものを為すことができたら)  今年の弔花には、ひとつ問題がある。 (わたしをわがまま娘ではなく、巫女として、あなたに並び立つ友だちとして認めてくれるかしら)  姫の声が聞けることだけが取り柄だった不出来な巫女が、四月に姫と喧嘩したきり、一度もその身体に姫を降ろしていないことだ。 ×  ちいさい頃、春が今のような儀式前の期間中にわあわあ泣いたことがあった。 「姫さま、姫さま、お母さまは春のことが嫌いなの」 『これこれ、何を言う。急にどうした、春』  姫さまがふわりと降りてきて春をぬくもりに包んだ。春は触ることのできないけはいに縋り付いてしゃくりあげた。 「春はね、とても頑張っているのだけど、お母さまは一度も褒めてくれないの。黙ってわたしを見ているだけなの。お母さまは春のことが嫌いなのかな。春なんかいなければよかったって思ってるのかな」 『そうではない』  そう囁いて、春の手を握るようにあたためてくれた姫さまがいなければ、春はきっと、今のようには生きていかれなかったと思う。 『おぬしが、立派になるはずと信じておるのじゃ。ここで褒めるよりもずっと、もっと先の立派なおぬしの姿を見つめておるのじゃ』  あのぬくもりを、春は、思い出したい。 ×  梅雨明けが近づき、あじさいは色あせた赤に移っていった。  小雨の空に晴れ間が覗くようになり、古蔵を叩く雨音もどちらかといえば不規則な水音に変わりつつあった。  午前にあった舞の打ち合わ��明けに昼食をとって、眠たい時間をうつらうつらと古書に埋もれる。大事な資料に頭をぶつけそうになって何度かはっと目を覚ました。神奈家の記録は古いほうからだいぶ後代まで見尽くしてしまった。あとは春たちにも比較的近代の記憶としてなじみ深い時代の記録だけだ。当初の来歴を知るには手づまりになってきた感がある。  記載の作法なのか祭神は常に婉曲的に表現されて直截に名前を呼ばれたりはしていない。  いけないいけないと頭を振って、休憩を取るために腰をあげた。  根を詰めすぎるより、適度な休息と甘味が学問の効率を上げるものなのだ。気を逸らした瞬間に妙案が浮かぶこともある。セレンディピティといって、昔セイロンの王子たちが探し物の天才で、いつでも探すのをやめた瞬間に大事なものを発見することにちなんでいる。これもなつめ(と翳島)の教えだ。  空がだいぶ明るくなっていた。高い小窓から見上げるついでに、座りっぱなしで痛くなった腰に手をあてた。雨上がりの匂いのする七月の空気が心地よい。  そのまま背筋をそらして身体を解したとき、机代わりにしていた棚の端に肘を引っ掛けた。 「わっ!?」  振り向いて目を見開いた。押してしまったのは積んだ書物の山だった。大事な資料が順番に崩れて床の上に落下していく。  とっさに両腕をさしのべて床の上に身を投げ出した。ときに己の心身よりも先人の知を重んじる見習い学問者としての性であった。  ばさばさと倒れた春の上に残りの古紙の山が積み重なった。知の結晶を守れた気はあんまりしなかった。 「っつう……」  むしろどちらかといえば自身の体重で押しつぶしてしまった気がする。本の上で後悔に震えながら呻く。一人で何かをやろうとしても、春はまたこれだ。いつだってそそっかしくて、熱中するとまわりが見えなくて。身体を起こすと辺りの紙片がぱらぱらと落ちる。春自身も舞い散った埃でけほけほと咳き込んだ。  どだい、こんなへっぽこ巫女ひとりで一〇〇〇年の神社の謎を解こうなんて、無理な話だったのかもしれない。笑い話のような状況と相反して心境が曇り始めた。涙ぐみながら春は本や冊子を拾い上げひとつひとつ頁を伸ばす。  そのひとつを手に取ってふと動きをとめた。  昔願いをこめて神社に贈られたという詩歌のいくつかが厚紙に綴られている。  セレンディピティ。  春は破れかけの古紙をつまみ上げて窓の光にずっと翳していた。 ×  古書の包みを抱えて三条の昼下がりに繰り出した頃、晴れ間はいつしかじりつく日差しに変わって鮮やかな初夏の様相を呈していた。  藍の絽単衣に紅花柄の白い帯。春にしては珍しい落ち着いた色の着物だ。なんとなく気が締まって〝多少の背伸び〟のつもりで装った。でもやっぱり落ち着かなくて頭の後ろにこどもっぽいリボンを結んでいる。粉屋をあけていた期間はひと月にもなるかもしれない。春があけているからといって神奈神社に来るような人たちでもないから、顔を見せるのはほんとうに久しぶりだ。  少しは大きくなったように見えるかしら。見た目はそうそう変わらないんだけど。ちょっとつま先立ちで背筋を伸ばして、どきどきしながら三条の門を叩く。 「あ」 というのがその春に対する最初の出迎えだった。  麻見冬子であった。両手で携えていた帳面をぱたんと閉じた。  その手元から帳面に挟んでいたらしい紙の切れ端がいくつか滑り落ちて床に散った。春はとっさに拒絶めいたものを感じてしまって戸口で立ち尽くした。冬子は春と逆に彼女にしてはめずらしい稚気のある格好をしていた。というか冬子の夏服姿を初めて見た。橙の鮮やかな縞単衣。  心の中に一瞬うそ寒い風が吹き抜けた。  冬子とは春の終わりに橋げたですれ違ってからまだきちんと話をしていない。――姫さまと話さなくなってから。  あのあと何度かここに来たときにことごとく冬子はいなかったから、なんとなく彼女はここから自然に剥離して引退でもしたかのような気でいた。 「……冬さん」  意識的に気持ちを解凍するつもりで春は口を開いた。一方的に気まずくなったってしょうがない。ひと月会わなかったのは当たり前だけど春の勝手だ。 「なつめさんたちは?」 「あぁ、うん」冬子は粉屋の日陰でひとつふたつ瞬きした。「出てる」  ひと言。春は何が何やらわからない妙な心地になって唇を結んだ。  冬子はもとから決して口数の多いほうではない。けれどたった三文字で表されたその呟きが、冬子となつめたちの思わぬ近さを示しているように思われたのだ。 「わたし……」  でも、春は、冬子に意地を張るために来たわけではない。  ここで黙り込んでしまったら、あるいはいっそ「じゃあいいです」なんて背を向けてしまったら、春はきっと姫さまと喧嘩した頃と一緒だ。春は姫さまや、春が認めてほしいたくさんの友人たちにきちんと顔を向けたい。  冬子だって友人の一人だ。なつめが認めた春たちの仲間なのだから。  春は改めて息を吸った。決意の表明だった。 「わたし、聞いてほしいんです。大事な発見をしました。まだ仮説ですが。この発見の確実性を、誰かに聞いて判断してほしいんです」  冬さんは賢い女性だから、となつめが言ったのを思い出している。  冬子がなつめの言うような賢い人であるのなら、春の思いついたことだって理解して、一緒に考えてくれるだろう。ぴりっと心の中を複雑な思いが駆け抜けた。冬子と学問的な話をしたことは春はほとんどない。  冬子は粉屋の日陰から黙って見ている。  思いを押し流すように、先手を打って喋った。 「わたしの家、神奈神社、は冬さんも、話にくらいは知っていますよね。麻見さんの家に比べたら噂にもならない田舎者で恥ずかしいのだけど……わたしが自分の家の『姫さま』と一緒に暮らしてきたのも、なつめさんたちから聞いてるはず」  息継ぎをする。己の言うことにどきどきしている。 「その姫さまの正体が、ずっとわからなかった。なつめさんたちも一緒に、それを調べようってずっと言ってて」  持ってきた包みをあけて、書物を取り出した。それはかつて有力な参拝者たちから神奈神社に贈られた歌を複製した、重たい和綴じ本だった。ここまで持ってくるのにも少しそわそわしたけれど、たぶん神奈神社ではもともとこの手の記録のたぐいがあまり丁寧に扱われていない。  春は机の端に本をどんと開いた。古い墨と埃の混じりあった匂いが頁の間から立ち昇って鼻腔に触れた。 「『佐保姫の秋も統べたるかむながら花も紅葉も錦とおもへば』」  読み上げた。 「佐保姫」  季節の「春」の神さまである。  もとは確か奈良の佐保山の神格だったはずだ。しかし佐保山が桜の名所であったことから桜や春霞を司る神となった。芽吹きの季節を象徴する女性神としての佐保姫は、歌集などに織り込まれて全国で登場する。  その姿は一般に薄い衣をまとった若い女性だ。 「『春の』神さまなんです……ふつうは秋の歌に歌いません。この歌、時代表記は江戸の文政、時節は神無月になっています。この頃はまだ神奈神社に伝承がきちんと残っていたのかもしれません。かむながらというのは神無月と響きを掛けているのでしょう。それと、神奈神社とも」  秋に災害を鎮めたという神奈神社とも。  心臓が高鳴っていた。神奈家の神木は桜の花だ。秋にも咲くことがあるという季節呆け桜――実際に咲いたら、特に災害の後の哀れな人民の前に咲いたら、彼らはこぞって自分たちの生き抜くための伝承を、その花に与えたがるだろう。  春はだから、己の姫を、佐保姫と定めて考えてみたのだ。  佐保姫の秋も統べたるかむながら、花も紅葉も錦とおもへば。  解題をしてみよう。春も齧る程度なら古文が読める。春の神であるはずの佐保姫が、秋の季節をも統べている。それが神無月、神奈の神の意志なのだ。桜も紅葉も、山を飾る錦という意味では、神さまも同じだと考えているから。  由来はどうだろうか。南やまとの国から来た、平穏の象徴のような春の神。神奈の最初の巫女が、そのお姫さまに世の平定を託したのだとしたら。 (素敵じゃないか)  それは、とても素敵な空想だ。胸の中で入り混じった桜と紅葉の風景が咲く。ふわっと風の匂いが重なって匂い、春の心を遠くに運んでいく。 「私さ」  冬子が口を挟んだ。冷静な声だった。  春は粉屋に引き戻された。  また遠くに意識が飛んでいた。悪癖だ。慌てて応じて頷く。  冬子はちょっと困ったような眉をして姿勢を正していた。粉屋は夏の日陰を落としていた。 「そういう研究とかなんかは全然わかんないって、前に言ったよね」  春は咳払いをして体裁を繕った。説明を足そうかと思ったのだが、冬子は迷惑そうだ。 「あの。でも、じゃあ、どうして今……何をしてたんですか」  春の目がうろうろと動いた。床に滑り落ちていた走り書きの紙を見る。冬子が最初に取り落としたものだ。いくつかの図案と英字が筆写されている。なつめが昔読んでいたはずのなんとかっていう科学者の本。  冬子はこれを読んでいたのじゃないのだろうか。自分で勉強するために……  冬子が身を乗り出して春の視界を遮った。  その死角越しに、素早い手つきで紙片を拾い集めて懐に仕舞った。一瞬の動作だった。春がきょとんとしていると、切れ長の目が無表情に春を見据えた。  聞かないで、と言わんばかりの。  なぜかさっきよりもずっと、拒むみたいに。 「一つ、私に言うことができるなら」  意図して表情を消したみたいなその話し方で、春は思わずたじろいだ。 「わからないけれど、その歌一個で決めちゃいけないんじゃない。ほかに根拠があるならいいんだけど」  春は口をつぐんだ。そもそも今日は指摘をもらいにきたのであり、そういう助言はむしろ歓迎のはずなのだ。なのに傷ついたのは、気づいていなかったことを指摘されたから以上に、冬子がそれを言ったという驚きのせいだった。  だって、冬子はいままで、調査や考察について意見を求めても、ほとんどまとまった考えを述べることはなく過ごしてきたのに。なつめの本で勉強をして、春のいないあいだにずっと詳しくなったのだろうか。 「どういう意味で……」 「私にはその歌、必ずしも神格についてのものだって思えなかったけれど。神奈神社って確か、変な時期に咲く桜があったでしょ? たまたまその年の秋頃に咲いて、綺麗だなってだけの歌かもしれないじゃない。佐保姫なんてほぼ、枕詞みたいなものだし」 「でも……」  春は眉を寄せる。神社に納める歌に、そうそう祭神と違う神の名前を含めて詠むだろうか。  冬子は続けて、首を振った。 「そうじゃなくても、神さまの名前や正体って、時代とともに変わっていくことがよくあるでしょ。私、別に春の思いつきを否定してはいないのよ。だけど、順番が逆かもしれないのではない? 当時もすでに神奈神社の神格はわからない状態になっていた。そこに桜が秋に咲いたから、きっと佐保姫だ、って歌われたとしても、理屈は通る。私が無学なだけ?」  春もそこまで言われて気が付いた。庭の神木は確か樹齢が一〇〇年と言われていたはずだ――神奈神社が建立された一〇〇〇年近い昔から、ではない。  だとすると、むしろあの樹は、この歌が詠まれたあと、後付けで神木になったとしてもおかしくない。  一〇〇年前、文政……。突然、手の中に携えた古い本が心象として重く、価値として軽く思われはじめた。そういえば春の部屋にある掛け軸だって文政のものだった。あのときは遠い昔のことだと思ったのに。  たった、一〇〇〇年のうちの一〇〇年。同じ時間をあと九回延長しなければ姫さまの「最初」には届かない。  心にずっと空いたままの空洞に、びゅんと歴史の風が吹き抜けたような気がした。  春にはまだ……届かない。 「そんな」  冬子が端正な顔をふとしかめた。 「そんなに思い詰めることかな。色々頑張ってまで」  その独り言に春は刺された気がしてぱっと顔を上げた。 「冬さんは」  思わず言い返しかけてあまりに刺々しい言葉になりかけたのですぐに呑み込んだ。冬さんはお家とずっと喧嘩してるからそんなことが言えるんだ。そんな意地悪を言いかけたのだ。  でも、冬子だって意地悪だ。春にとって姫さまはずっと家族で最愛の友人だったのだ。彼女を知りたい、また戻ってきてほしい気持ちは、外からじゃきっとわからない。  はしたない言葉を頭から掻き消す。代わりに春は別のことを言う。 「冬さんだったらどうやって探しますか。正解を。求めている謎の向こうを」  冬子は諦めたように鼻から細い息を吐いた。そのまま長いこと沈黙していた。 「私はね」  低い声で、 「何かをそんなに、知りたいと思うことがないから。知りたかった頃に、戻りたいことはあっても」  その手の中で、かさりと紙が音を立てる。  目を伏せた春は、その意味を考えた。冬子は前にもおとなになんてなりたくなかったって言った。そうやってまるで春との間に断絶があるみたいに振舞って、春を突き放す冬子のことが春はやっぱり好きになれない。もちろん冬子は年上の綺麗な女の人だけど、仲良くしたいと思うくらいには身近で生活している人なのに。  風呂敷を包み直すために手にとった。春にとっては意味のある発見だった。けれど、一を知って満足してはいけないのだと冬子は言う。正解が別の場所にあるのだとすれば、まだ突き止めるために探さなくてはならない。  無力感を振り払って力を込めたとき、冬子はもう一言言い足した。 「誉」  最初、その音が何を示すものなのか、春姫は聞き流しかけた。  それからはっと顔を上げた。 「誉?」  ほまれ? あの……僧服の少年の誉か? 他に思いつかなかった。けれどあまりに唐突だ。 「誉なら、もっと手がかりを知ってるかもしれない」  冬子はそう続けた。  なぜ冬子から、今、ここで、その名前が出る? 「冬さん……も、知り合いなんですか」  も、と付け足したのはなつめと翳島の顔が浮かんだからだ。春が知らないうちに仲間たちの内にあった共通観念としての少年。姫さまだって彼の名前を口にした。いつだってあの黒い影が春の近くについてまわる。  冬子は黙って宙を睨んで、小さな声で呟いた。 「春は、知らないでしょう」  何を。 「神奈神社は、高瀬川の警察ともともと関係がある」  不安がすうっと胸中を過ぎった。  ちょうど窓から差す夏の光に雲が覆いかぶさって粉屋の中も一瞬暗くなった。春は目線を合わせてくれない冬子の横顔を見つめながら当惑して呟いた。 「関係って……?」 「知らないわよ、私だって。みんなが言うのを聞いていただけ」  神奈神社は、高瀬川の警察ともともと関係がある。春にとってそれはひどく不穏な言葉だ。だから姫さまも誉のことを知っていたのだろうか? 誉が姫さまに語りかけることができたのも……?  冬子は両目を眇めて、先を続けた。明らかに意図を持って、抑揚を消したような言い方で。 「高瀬川に言えないから、まだ神奈神社にも黙っておこうとか。なつめ君が」  なつめ。  が、そう言ったって。  春は奇妙な感触が込み上げるのを胸のあたりを押さえて我慢した。 「なつめさんは」  震える声で。 「何かをわたしに、隠しているんですか……?」  誉と春に、関係があるということを。  ゆっくりと雲が動いて雲間から目も眩むような陽光が降り注いだ。春の中に遠く一年前の姫さまの声がよみがえってまたたいた。あやつ、何か隠しておろう。気に入らぬ……  冬子が頷いた。 「うん」  一言。  裏の勝手口ががらがらと開いて、少年たちの笑い声がいっせいに響いてきた。  春は後ずさって、とっさに自分の風呂敷をつかむとそのまま後ろの扉を飛び出した。粉屋の見えないところまで離れたのは、ほとんど無意識だった。  息せききって橋の欄干に縋りつき、ようやく汗だくで顔をあげたとき、春の眼に柱の銀のプレートが写った。  高瀬川だ。
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toubi-zekkai · 3 years
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 月の見えない暗い夜が明けると太陽の見えない白い朝が訪れた。  二つの瞳は夢から半ば覚めていなかった。白い蛍光灯が縦一列に並んでいる天井が酷く眩しく見える。熱を感じさせない観念的なその光は吊り革の丸いプラスチック製の輪、中吊り広告紙の表面、ステンレス製の網棚や手摺り、エナメル質の白い床、シート座席の前に投げ出されている革靴といった列車内の物質に硬い光沢を纏わせ、橙色のシート座席に座っている乗客たちの顔を一つ一つ鮮明に照らし出していた。毎朝見掛けているその顔たちは皆一様に寡黙でモノレールの列車が線路の上を滑る音だけが車内に響いている。その音も地上を走る普通の電車に比べると非常に大人しく、意識していないと忘れてしまう程で、むしろ耳にする頻度が一番多い大きな音は列車が駅に到着する毎に開閉する自動ドアの作動音だった。その音が聞こえて来る度に微睡みの淵へと沈みかけていた意識が再び現実へと戻され、ぼやけた双眼に見慣れた駅名板と開いたドアから入って来る見慣れた乗客たちの姿が朧げに映り込んだ。一日の汚れや垢の臭いに未だ汚染されていない���潔な始発運行列車��中に乗客たちは少しずつ生活の腐臭を運び込んで来た。しかし昼間のましては夕方の列車内におけるあの耐え難い生活の腐敗臭と比較するとやはりそれは遥かに清潔な車内と言うことが出来た。
 列車と列車間の連結部には仕切りのドアが設置されておらず、座席に座っていても右や左に視線を遣れば先頭から最後尾に至るまで列車内部の全景を見渡すことが出来た。清潔と静謐の中で蛍光灯に照らされている白い床と両脇の細長い座席に座っている人間の俯いた横顔が真っ直ぐに延びている様子は病院の長い一本の待合い廊下を思わせた。しかし暗鬱な表情をして彼らを待っているものは病気の診断結果ではなくてこれから始まる膨大な一日の耐え難い重圧であり、そういう意味では懲役刑の執行を待つ囚人を乗せて走る護送列車と言い直した方が適切であった。受刑者たちの数は音を立ててドアが開く毎に黙々と増えて、同時に刑の執行される時間も確実に迫っていった。それは夜と朝の狭間を走る列車であり、車内の清潔さや静けさが作り出している安全と秩序の雰囲気がかえってこれから先乗客たちに降り掛かる太陽の暴力と未だ生々しく夜が残る彼ら自身の内に渦巻く闇の暴力を鮮明に際立たせているのだった。  直線的に延びた白い廊下と両脇の長椅子に座り込む人間たち、それは一枚の陰惨な静止画の様に永久に動きを見せないかの様に思われたが、列車が線路のカーブに差し掛かると先頭の車両から順番に右や左にずれていった。顔や身体は依然として微動だにしないままに、今までは見えていなかった一番奥の車両の人間の顔が見え始め、同時に今まで見えていた中腹の車両の人間の顔が消えていく、或いは逆の現象が起こった。手前に見える横顔だけは如何なる時も動かなかった。  それよりも更に注意を引くものがあって、それは列車がその細長い車体を曲げた時に露見する列車と列車を繋ぐ連結部の蛇腹であった。あらゆる構造物がステンレスやガラス、プラスチックといった硬い物質で構成されている鋼鉄の列車内において柔らかそうな灰色のビニールで作られている蛇腹がうねうねと曲がりくねっているその様子はそこだけが異様に生々しく有機的で不吉にさえ映った。それは戦士の全身を完璧に包み込んでいると思っていた鉄の鎧兜に隙間とそこから覗く肉の肌を見つけてしまった時のように、熱中して読んでいた難解な哲学書のページの上に小さな虫が動いている姿を発見した時のように、完全無欠であると思い込んでいた鋼鉄の観念が不意に裂けて生の現実が顔を現す瞬間だった。傷付けられた人体の皮膚と同様にして一度引き裂かれたた観念が回復するには長い時間を必要とし、その間、鎧の戦士は唯の脆弱な肉の塊へと堕落し、哲学書は無意味な文字記号が黒いインクで染み込んでいる唯の紙へと堕落する。それは普段人間によって意識の地下室へと巧妙に且つ厳重に隠蔽監禁されている生の現実が人間に対して復讐する瞬間であり、こういう時に私はいつも生の現実の甲高い笑い声を聞いているような気がする。時にはその顔姿までが心にはっきりと浮かんで来ることもあって、それは挑発的で豊満な肉体を真っ黒なドレスに包んでいる魔女だった。優雅に伸びた両腕の先に細い指の一本一本が独立した生き物の様に蠢き、鋭く尖った鉤爪が空中に赤い軌跡を描いている。気品ある白く細い首元には逆さの十字架に絡まっている髑髏のネックレスをぶら提げ、嘲弄と侮蔑に歪んだ笑窪と蠱惑的な赤い唇からはありとあらゆる下品で下劣な罵りが最も高貴な言葉で語られる。高慢さの象徴である高い鼻、救いや同情の声などには一切反応しない冷酷に尖った両の耳、やはり嘲弄と侮蔑に歪んでいる細長い眉の付け根、長い睫毛の下に隠されがちな暗い夜そのものを映し込んでいる虚ろな瞳……全ての物を飲み込んでしまう相対性の黒い魔女。  唸る様な囁く様な声を響かせて巨大な蛇に変身した魔女が今もその艶めかしい蛇腹を右に左にくねらせている。不安や不快感が心に押し寄せて私は列車の連結部から目を逸らす。しかし気が付くと直ぐ蠢く蛇腹の襞に見入っている。見たくないのにどうしても見てしまう。それは自分の肌に出来た裂傷を絆創膏を捲って何度も何度も見てしまう、更に重症化すると傷口に指先を這わせてその苦痛を味わおうとする、あの感覚に酷似していた。  普段から意識の散漫な私は道端で転んだり硬い机の角に脚をぶつけたりするなどして腕や脚に怪我を負うことが少なくはなかった。そうして怪我をする度に肌の表面に造られる傷跡や青痣は酷く私を高揚させた。更にもっと酷い傷を負い、鮮血が流れ出した場合などは尚の事私の興奮は音楽の様に高まった。  偶然の怪我は自分を包み込んでいると頑なに信じていた肉体という観念の鎧を容易に破壊した。肌の裂傷、青痣、赤い血は私内部の露出した生の現実であると同時に刻みつけられた外の世界の生の現実だった。傷跡は私の内と外の現実を一つに繋ぐ結合地点、私の肌に刻まれた世界そのものの爪痕だった。傷跡が自分の身体に出来たその夜は恋人につけられた首筋の噛み跡を愛でる様に新しい傷跡を撫でてながら安心してベッドの上で眠った。  しかし私は自分で自身の肌を傷付けようとは思わなかった。或いは或る種のマゾヒストたちの様に誰かの指に握られた薔薇鞭に尻を打たせようとも思わなかった。自分の意志が僅かでも混入していたらそれは純粋に外の世界の生の現実が付けた傷跡ではなくなり、私の内側と外側を一つに繋ぐ聖痕としての資格を失うからであった。完全に偶然、つまりは不意に訪れる運命の一撃だけが唯一正統な傷跡を創成することが出来るのであり、更にはこうして傷を受けることを望み意識している状態で傷を受けることさえも傷跡の純粋さを著しく傷付けるものだった。だから自暴自棄の人間に聖痕が刻まれることは永久にないのであって、その点、私は或る程度合格点に達しているようだった。それが擦り傷であれ青痣であれ出血であれ、普段日常の私は自分の身体が傷付けられる事を他の何よりも恐れ且つ拒否していた。  しかし、繰り返し連結部の蛇腹に目を遣ったり逸らしたりしているうちに段々と私は軽い吐き気を伴う眩暈を感じ始めて完全に視線を前方へと固定した。このままその暗い淵に意識を向けていては度々私を襲う狂気の発作が発動するという予感がしたからであった。  視界の向かい側には幾何学模様がプリントされている橙色のシート座席���乗客たちが並んで静かに座っていた。その顔の殆どは俯いていて、例外的に俯いていない顔の大抵は口を開いて眠り込んで居る顔だった。寝顔は間抜けでもあり無邪気にも見えた。それは人間から人間性の全てを剥ぎ取った顔、つまりは一動物の顔であって、間抜けさや無邪気さといった印象はそこから来るものであったが、一動物の顔には危険さも醜悪さも皆無で、永遠に目覚めなければ私はこの顔を愛することさえも出来たかもしれなかった。しかし一方で目覚め始めている顔というのはとても直視出来るものではなかった。それは醜悪さから目を背けるというよりもそうした顔が私に恐怖や不安を呼び起こすからだった。  より厳密に言い表わすならばそれは顔というよりは形成される過程の顔だった。長い夜の間にばらばらに分裂して夜の体液に溶け切った顔は良く晴れた朝ならば朝陽を浴びて迅速且つ順調に形を作っていくのだが、曇って朝の光が乏しい今朝のような条件下では顔の制作工程が著しく停滞するらしかった。中途半端で脆弱な構造しか持っていない顔はその中にある膨大な夜を覆うことが出来ずに、目玉は真っ赤に充血し、顔全体が吹き出物の様に腫れて、毛穴という毛穴から夜が絶えず漏洩している様に見えた。それは無限の夜を圧縮して閉じ込めている爆弾であり、爆弾が周囲に暴力を撒き散らすものならば爆弾そのものと言うことも出来た。  列車の橙色のシート座席の上に爆弾が所狭しと並べられいる。爆弾自身も自らが爆弾であることは十分に自覚しており、瞳を閉じたり俯いているのは爆弾を刺激して暴発することを防ぐ為であった。爆弾が爆発して最初に破壊されるのは作り始めている自分の顔であり、それは自分自身が破壊されるのと同義語であることを爆弾自身が一番認識していた。  しかしこうして動物の顔や爆弾の顔を眺めていると、普段昼間太陽の下で見ている顔が如何に作り物なのかが良く理解出来る。結局、顔というのは衣装と同じで本当の中身を隠すものに過ぎないのだろう。その本当の中身というのは夜であり暴力、更に突き詰めれば虚無であって、ただその虚無を覆い隠す方法の差異が顔貌の差異として表出し見えているに過ぎないのだろう。  それならば一体私は今何を見ているのか?顔ではない。夜と溢れ出ようとする夜を見ているのだ。しかしそういう私自身も目玉が真っ赤に充血し、顔全体が吹き出物の様に腫れて、毛穴という毛穴から夜が漏洩している、今にも爆発しそうな夜の爆弾だった。つまりは夜が夜を眺めているのであった。しかし視線の先に見える夜の傍らに見える窓からは歴然とした朝に包まれている外界が映っていた。私の視線は重苦しい夜の顔たちから逃避する様に窓の外の景色へと吸いこまれた。  窓の外から見える空は遍く白い雲に覆われていた。しかし限りなく密集して飽和状態にある雲はもはや雲としての意味を失い、そこにあるのはただの白い空だった。その白い空の遥か下界には住宅の屋根や自動車が列を作っている道路、時折広大な畑や野原も見えた。走馬灯の様に窓枠の中に現れては瞬く間に消えていく下界の風景は視線の先にどこまでも続いていくかの様に思われた。しかし、彼方の地平線に厳然と聳え立つ蒼黒い山脈が広がっていこうとする風景をその豊かな下半身を盾に堰き止めていた。狂暴な竜の下顎に並んでいる鋭い歯を思わせる山脈の稜線は視線の端から端まで途切れることなく続き、その雄大な体躯は列車がどんなに移動しても微動だにしなかった。  天上は白い空に塞がれて、視界の奥行きは蒼黒い山脈に遮られ、それは無情な観念の世界に逃げ場なく閉じ込められているのだという感覚を強くさせる窓の景色だった。しかし、良く見ると白い空と蒼黒い山脈の間には青い空が垣間見えていて、白い空、青い空、蒼黒い山脈という縦並びの一枚絵が視界の奥に完成していた。白い空と蒼黒い山脈の間になぜ青い空が見えるのか最初解らなかったが、暫くして、この近辺一帯の空は白い雲に覆われているが蒼黒い山脈の上方に限ってのみ晴れ渡っているのだということを理解した。同時にその垣間見えている青空に私の意識は強く惹き付けられた。なぜなら真っ直ぐに引き裂かれたその青い一本線が白い天井と蒼黒い壁に包囲されている密閉空間に唯一開かれた脱出口の様に映ったからであった。  それはドアや窓が無く完全な密室状態だと思われていた部屋の白い壁に小さな穴を発見したようなものだった。穴にぴったりと張り付いた瞳にとってそこから見える青い空は狭い部屋に対する広い世界の、有限に対する無限の象徴として映り込むだろう。やがて小さな穴は狭い部屋に閉じ込められている彼にとって広大無辺の世界に通じている唯一の脱出口として輝き始めるのだ。  しかし、もし仮にだが部屋にドアや窓が付いていた場合はどうだろう。白い壁に空いている小さな穴は脱出口としての意味や条件を失い、脱出という行為そのものが不可能になる。脱出を可能にするためには密室が必要であり、脱出口の輝きが出現するためには完全に部屋を塞いでいる白い天井や白い壁が必要なのだ。  今、街の上を走るモノレールの長椅子に座って窓の外に眺めている彼方の青い空がこの狭い車内及びこの小さな街からの脱出口として急速に輝き始めているのは私の頭上を白い空が覆い隠し、更には視界の行く手に厳然と巨大な蒼黒い山脈が立ち塞がっているからだった。脱出口が完成するためには、つまり密室が完成するためには白い雲に覆われた空だけでは不完全であり、晴れた空と蒼黒い山脈だけでも不完全で、今朝の様に白い雲に覆われた空と蒼黒い山脈が現れることが絶対的な条件なのだ。  しかし、この密室も私にとって完全な密室ではないことは、瞳こそ夢から覚め切ってやや熱くなり始めたものの身体の方は依然として柔らかい長椅子に深く沈まったままである姿勢からも明白であった。何度も何度も窓硝子にぶつかり最後には力尽きて窓の縁で死んでしまう蠅や黄金虫にとっての部屋や窓硝子程の意味にまではあの白い空や蒼黒い山脈も青い空も私の中で到達していないのだろう。  結局は、精神的にであれ肉体的にであれ自己の存在を圧し潰す様な恐ろしい危機だけが脱出を可能にするのだろう。つまりはこう言い換えることも出来る。自己の死に瀕している絶望的な瞬間にのみ彼は本当に自己を生きようとすることが出来るのだ。  しかし私が今こうして通勤の車内に揺られて仕事場へと向かっているのも、仕事に行かなければ肉体的精神的危機を迎えるからであった。とはいってもさほど大した危機などではないことは通勤する私の緩慢な態度からも伺える。本当に危機で本当に脱出口がその先にあるのならばこうして脇目を振って窓の外など見てはいられない筈だ。完全な危機に瀕している人間は脱出口以外に注意を向けることはないし、自分の中にあるありとあらゆる力を動員してそこに向かっていくだろう。  そうした推測からは逆説的な事実が導き出される。それは恐ろしく精力的で活発に動き回る人間、つまり本当に生きている様に見える人間の内側は絶えず精神的肉体的崩壊の危機に瀕していているということである。彼は絶えず彼自身を襲う破滅の危機から逃れるために絶えず活発に動いているのである。  しかし、それならば生きているとはただ単純に死から逃避しているだけなのかもしれない。その死とは肉体的な死というよりも自分自身の死である。  自殺者の瞳に世界は刻々と自分自身を圧し潰す完全な密室の様に映り、だから必死に脱出口探し続けるが、最終的にやっと見つけた壁の小さな穴こそ死そのものなのだ。小さく丸い穴は彼の中で徐々に膨張を開始し、やがて視界の全てを覆う巨大な太陽へと成長する。それは客観的に第三者の瞳から見れば黒い虚無のブラックホールなのだが、究極に追い詰められた人間の瞳には燦燦と輝く光と生そのものである太陽の如く映る。永遠で普遍的な神とほぼ同義語であるその太陽の光や熱に自分自身を同化させることが自分自身を普遍化し永遠に生かし続ける唯一の方法だと考えて、彼は夏の虫たちの様に太陽に向かって飛んで行くのだ。  と考えたとき、突然私の心に日の丸が浮かんだ。同時にあの国旗は密室の白い部屋に空いている丸い脱出口なのではないだろうかと考えた。しかしその穴から見えるのは青い空でも黄色い月でもなくやはり太陽なのだった。それも白い空に赤く燃えている太陽であって、同時にそれは白い観念が引き裂かれて顔を見せた赤い現実であり、白い死に装束を身に纏って果てた人間の打ち落とされた首に浮かぶ赤く丸い傷跡だった。
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toubi-zekkai · 3 years
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ルドンの気球
 昼の盛りを少し過ぎていた。朝早くからの仕事を終えた私は午後から始まる別の仕事場へと移動していたのだが、時間に少し余裕があったので道の途中にある喫煙所に寄り道をして、休憩も兼ねがね空に煙草の煙を吐いていた。
 その喫煙所は市街中央から少し離れた場所にあるホームセンターの入り口脇に設置してあるもので、近頃閉鎖が相次いで喫煙所が皆無であるこの界隈においては屋外で煙草が吸うことの出来る数少ないスペースだった。必然として近隣のあぶれた喫煙者たちは飢えた蠅が残飯にたかるようにこの喫煙所一か所に集まり、連日どの時間帯も紫煙と煙草の香りが賑やかに空へと立ち昇っているのだが、今日は自分以外に人は一人も居なかった。だからといって寂しさが募るわけでもなく、むしろ人の居ない気楽さを煙草と一緒に味わいながら目の前に広がる景色を漫然と眺めていた。  私が履いている二足のスニーカーの先にはテニスコートのような樹脂製の赤茶色をした地面があって、その少し先にはいつもそれ程人が通っていない歩道があった。歩道の先には木蓮の街路樹とつつじの植え込み、白いガードレールを挟んで幅の広い車道が横たわっている。その車道では種々雑多な自動車が途切れることなく右や左に行き交っていて、行き交う度に車が空気を切り裂く乾いた音がここまで響き、時折排気ガスの臭いが微かに漂って来ることもあった。そんな車道の向こう岸にはこちら側と同じように白いガードレール、木蓮の街路樹とつつじの植え込みを挟んで人通りの少ない歩道があり、その先には白塗りの壁に包囲されている広大な空き地があった。  今年になってから巨大商業施設の建設工事が行われているその空き地からは螺旋状のドリルで地面を掘り返している掘削機の重低音や作業員たちの掛け声や怒声が断続的に聞こえてきた。工事の様子そのものは白塗りの壁に遮られてここからは殆ど見ることが出来なかったが、壁の上から空に伸びているクレーン車の長い首の姿だけは幾本か見ることが出来た。空はというと白い雲に一面を覆われているように見えたが、しかし良く見ると、白、灰白色、灰色、と所々に微妙な濃淡の差異が見えて、薄い墨を使って描かれた淡い禅画のようだった。殆ど動きを見せないクレーン車の直線的で無機質な梯子は真冬の空に聳え立っている黒い巨木のように背景の虚ろな空に良く馴染んでいた。  寡黙で怠慢なクレーン車の長い首だったが、時折思い出したようにゆっくりと空の只中を旋回した。先端の小さな頭の下からは細長いワイヤーが垂直に下へと伸びていて、その先のフックに四角い鉄骨の束をぶらさげているのだが、巨大で重量もかなりありそうなその鉄骨の束に比べてワイヤーの方は随分と細過ぎるような気がした。おそらくそれは恐ろしく硬く丈夫な材質で出来ているのだろうが、遠く離れたこの喫煙所から見てもそれは白い空に引かれている縦の棒線にしか見えず、その頼りない細さは空中に鉄骨が浮いているという不自然な状況を更に不自然に不安定に非現実的に見せていた。  束の間、白い空の中を回遊した鉄骨は段々と降下していって、最後には白塗りの壁の下に見えなくなった。暫くするとまた新たな鉄骨が白塗りの壁の上から姿を現し、白い空の中を漂い始める。どこかそれは酷く陰惨な拷問の現場を見ているかのようだった。  飛翔する開放感はなく、上昇する高揚感もなく、ただ白い空の只中に宙ずりにされている存在。色もなく音もない虚空の中で何一つと触れることが出来ない彼の存在を唯一世界の内側に繋ぎ止めているものは自らの身体に巻き付いているワイヤーであって、しかしそれは同時に自らの全体重が喰らい込んでいる耐え難き苦痛の繋ぎ目でもある。その線は言い換えるならば存在と現実を繋ぎ止めている最後の絆であり、ワイヤーが断ち切られた瞬間に彼の身体は地上へと落下して瞬く間に大地と一体化し、切り離された彼の魂は白い空の上へと無限に上昇していく。  言葉に変換されたイメージは少しずつまた言葉からイメージに変換された。しかし、そのイメージはもはや既にクレーン車に吊るされている鉄骨の姿ではなく、白い空の中に突き出している黒い十字架だった。それからイメージは、吊るし首の樹海、冷凍室に吊るされている豚の肉塊、廃墟に浮かぶ風船の群れ、と変転していき、やがて一枚の絵と結び付いた。それはオディロン・ルドンの眼=気球だった。  いつどこでその絵を最初に見たのかは定かでない。ユイスマンスのさかしまの挿絵だったような気がするが、もっとずっと以前からその絵を知っていたような気もする。とにかく長い間、そのルドンの絵が私の意識下無意識下に棲み続けていた。  絵の下方には先細った生気のない数束の草の葉以外に何も見えない荒涼とした平地が広がっている。殆どが黒く塗りつぶされているのでそれが土の地面なのか或いは草原なのか判然としない。ただ生命の息吹を感じさせるような大地でないことは確かで、見方によっては海、それも暗い夜を髣髴とさせるような海にも見える。その上方には私が今目の前にしているのと同じように白や灰白色の混在した虚ろで観念的な空が覆い被さり、その中に黒く巨大な気球が浮かんでいる。その黒さは観念的で非現実的な空の色とは対照的に暴力的で生々しい夜そのものの黒さで、常に破裂の緊張感が付き纏う気球の丸い輪郭線も危険な印象に油を注いでいる。  しかし最も不気味なのは黒い気球の上半円に見開かれている一つの大きな瞳だろう。眼窪のように抉られている気球の上半分に細い睫毛を生やして埋まっているその眼球は黒目が著しく上方に偏り、残された広大な白目には若干血管が浮いている。それは正常な状態における人間の瞳ではなかった。私がごく初期に連想したのは首を締め上げられて死んでいく人間の瞳だった。次には白昼夢を見ている人間の瞳となり、性交の際絶頂を迎えている女の瞳となり、賭博で一文無しになったときのギャンブラーの瞳となり、法悦に浸っている聖人の瞳となり…と気球の瞳は様々な人間の瞳の中に顕現した。そのどれもが快楽の絶頂か苦痛の限界に接している人間の瞳で、つまりは自己を喪失しかけている人間の瞳だった。  黒い気球に見開かれた瞳の下睫毛には黒い円盤のような物が吊るされている。円盤はかなりの重量があるようで、その重みによって細い睫毛はの一本一本が張り詰め、下瞼に至っては一部が捲れ上がってしまっている。つまりはこの円盤の重みが下瞼を開かせているのだった。その力は同時に黒い気球全体をこの虚ろで観念的な空の只中に繋ぎ止めているのであり、もし仮に睫毛が切れた場合、円盤は地上に落下して黒い地面と一体化し、下瞼を閉じてほぼ完全に黒い球体と化した気球はどこまでも空を上昇していき、遠くはその故郷である夜そのものに溶けていくであろうことを予感させる。  というのがルドンの気球=眼に対する私の凡そな見解であったが、今こうして白い空とクレーン車のを見ているうちにまた新たな側面に気が付き始めた。それは至極単純な答えで、あの絵は白い空を見詰めるルドンの自画像だということだった。  ルドンにとって白い画用紙は白い空そのものであり、その白い空を見詰め続けるということは虚無を見詰め続けることと同じ意味を持ち、更にそれは自分自身の虚無を見詰めるということだった。しかしそれは非常に恐ろしいことで、なぜならそれは自分自身が存在しないのだと自分自身が強烈に自覚していく行為であり、刻々と死んでいく自分自身を自分自身が見詰めるということだからである。その死は肉体的な死というよりもより完全に純粋な自分自身の死であり、実際に人間が本当に恐れているのはこの自分自身の死であって肉体の死ではない。肉体の死が必然的に自分の死を引き起こすと仮定するために人間は肉体の死を恐れているのに過ぎない。しかし実はそうした恐怖、虚無に対する恐怖という感情そのものが虚無に接している人間にとって最後に残された虚無的でないもの、つまりは自分自身そのものなのであって、だからルドンの虚無に対する恐怖苦痛絶望といった人間的感情は全てあの黒い円盤の方に詰まっているのである。その円盤を吊るしている睫毛が切れた瞬間、つまりは虚無に対する恐怖苦痛絶望といった人間的な感情の全てが消えた瞬間彼は虚無そのものになり、本当の夜がそこに訪れるのである。  しかし一方で見開いた目玉の黒い気球もルドン自身であることは間違いない。虚無に対して見開かれていているその瞳は自己の存在を否定する虚無の方へと自分自身全体を引っ張っていく、言うなれば自分の中にある他人の瞳である。その他人である彼の瞳にとって虚無は恐ろしい無の世界ではなく、魅惑的な無限の世界=パラダイスとして映っているのだということは、そのどこか夢を見ているような瞳の表面に薄っすらと光が反映していることからも伺える。謂わばそれは太陽の光に魅せられたイカロスの瞳であるのだが、太陽へと真っ直ぐに飛んで行ったイカロスの雄姿はもうそこになく、天上と地上に、神々と人間の間にそれぞれ強く引っ張られ、上下真っ二つに引き裂かれようとしながらも何とか一つの均衡を保って地上すれすれにやっと浮かんでいる有り様である。なぜ、そうなってしまったのか?時は十九世紀であり、神の死とそれに伴う虚無がひたひたと人々の目の前に近付いてきた時代である。もはや人々は空の上に輝く絶対無比の太陽を信じることが出来なくなり、代わりとして空の上に現れたあらゆるものを相対化してしまう絶対的な虚無に不安を感じるとともに怯え始めていた。それは同時に近代自我の目覚めであり、精神と肉体の分離現象であって、タナトスとエロスが袂を分かち始めたときでもあった。死と自らの内に潜む死の欲動に不安と怯えを抱いた人々は硬く小さな円盤に閉じ籠り始め、その重力で黒い死の気球を安全な地上に縛り付けようと画策し始めた。
 しかし、今後この黒い気球は果たして空に上昇していくのだろうか?それとも地上に堕ちるのだろうか?或いは二つに分離してそれぞれ帰るべき場所に帰るのだろうか?ルドン自身がどうなったかは知らないが、その後の人類の歴史を顧みると果たして人類全体は夢見る瞳を空の中に捨て去って地上に堕ちていったようである。
 突然耳に聞こえたライターの点火音が延々と紡がれていくかに思われた思索の糸を断ち切った。現実に引き戻された意識は音が聞こえた方へと向きかけたが、自分の鼻の先でその殆どが白い灰と化している煙草の姿が目に映り、注意はそこに逸れた。いつの間にか意識の完全な枠外で造成されたその灰の塊は無造作でありながら絶妙な均衡を保って自分の左手人差し指と中指の間から空中へと細長く伸びていたが、根元の付近は未だに仄かな煙を流し燻っていて今にも自らの重みによって崩れ落ちそうだった。それが崩壊していく様子を目にするのが何となく嫌な気がして直ぐに私はその灰の塊を自分の手で払い落そうと傍らにある灰皿の方へ振り向いた。するとその灰皿の向こうに女が立っていることに気が付いた。と同時に均衡を失った灰の塊が崩れ、何枚かが空中にひらひらと舞って、残りが灰皿の暗い穴の中へと落ちていった。  その女は短い髪に黒縁の眼鏡を掛け、小柄で線の細い体型に枯葉色の地味なチェック柄のベストと長袖の白いワイシャツを着ていた。蒼白い左手の人差し指と中指の間には細長い煙草が挟まれ、既に火の付けられているその煙草の丸い切れ口からは白い煙が気怠そうに流れていた。右手の中には黒いライターが握られていて、直ぐにそれは先刻耳にしたばかりの点火音と結びついたが、その認識が一致するよりも早く、女は歩き始めた。真っ直ぐに女は歩道の方へ、つまりは喫煙所の前に広がる白い景色の方へと歩いていった。ゆっくりと遠ざかっていく女の背中は痩せているせいか酷く平板でタイル張りの壁のように見え、下半身に穿いている黒いスーツのズボンも黒い板のように直線的で女性らしい曲線は何処にも見当たらなかった。そのスーツの脚と合わせて規則的に動く左右の黒靴は鋭利なヒールの先端を地面へと交互に突き立てていたが、地面が柔らかい樹脂製のために靴音がまるで聞こえず、それが何とも言えない不安な気持ちを興させた。女は歩道の少し手前まで歩いていくと、地面の上に棒立ちになってそのまま殆ど動かなくなった。  地面の上に茫然と佇む女の先程よりも少し遠くなったその後ろ姿は白い景色を前にして朧な木柱の黒い影のように映った。だらりと力なく垂れ下がった両腕の左手指先から流れる煙草の煙だけが有機的な動きを見せていて、まるで女の暗い輪郭そのものが周囲の空気に溶けて蒸発しているように見えた。その前方に広がる白い空は相変わらず白い空のままだったが、クレーン車の方は小休止していて虚空に吊るされていた鉄骨も今は見当たらなかった。休憩に入ったらしく作業員たちの掛け声や怒声も止んでいて、車道を流れる自動車の音だけが寂しい波音のように響いていた。段々と私は前方に実際に生きた女が存在しているという現実が曖昧になり始めていた。同時に自分が今目の前にしている光景の全てが一体何なのか理解することに時間が掛かり始めて、少しずつその所要時間は長くなっていった。しかしながら、ようやく理解出来てもそれは現実の実感と呼ぶのが躊躇われる曖昧な感覚だった。  意識の表面に白い靄がかかっているような現実の曖昧さ、しかしそれは私の生活の隅から隅に至るまで深く浸透していた。  朝、仕事へと赴くとき、外に出て道を歩きながらふと洗面所の蛇口をちゃんと閉めたか不安になる。可能な限り記憶を振り絞ってその場面を思い出そうとするのだがどうしても思い出せない。思い出せないというよりは思い出したその場面が今朝なのか昨日なのか或いは夢の中なのか判然としない状態で、結局いつも駆け足で家へと戻り、靴のまま家の中に上がって洗面所の蛇口が閉められているか確認をする。蛇口はいつも当然のように固く閉められていた。水の一滴さえも零れ落ちてはいない。私は胸を撫で下ろし、自分の心配性を嘲笑う余裕すら出来上てまた玄関へと戻っていく。しかし、背後の洗面所から遠ざかっていくにつれてたった今確認したことが酷く曖昧になり始める。「本当に蛇口から水は流れていなかっただろうか?」自分でも馬鹿らしいとは解りつつも顔から若干血の気が引いている私は再度洗面所に戻って蛇口を確認してしまう。やはり蛇口はちゃんと閉まっている。幾度となくそんなことを繰り返しているうちに時間は恐ろしく浪費され、仕事場へと到着するのはいつも勤務開始時刻寸前だった。  しかし、ここ数か月間というもの症状は尚の事重く悪化していた。私は実際に蛇口を目の前にしながら「これは本当に水が出ていないのだろうか?本当は出ているのに目に見えていないのではないだろうか?」と疑っていた。すると手を伸ばして水が出ていないことを確認しなければならなくなり、終いにはその手の触感に対しても懐疑を抱く始末だった。  そうした現実に対する終わりの無い懐疑の症状は殊に蛇口の確認だけに限ったことではなく、生活のあらゆることに付き纏っていた。次第に私は疲れ切ってしまった。何をするのも憂鬱で億劫になっていった。自然と身体を動かさずにぼんやりすることが多くなり、妄想に費やす時間が増え始めた。すると妄想は生々しく現実味を帯びていき、反対に現実は獏として現実感を失っていった。そうして妄想と現実の境い目は酷く曖昧になり、現実はまた更に曖昧になって��った。  そんな出口の見えない沈鬱とした状況から半ば避難するように私は一日の内三回も四回も浴室へと赴いた。風呂湯の疑いようのない熱さ温もりは私に失われている現実感の手軽な代替品だった。浴室の白い壁や天井はまるで現実を感じさせるものではなかったが、首から下が湯船に優しく現実を保証されているので、私は安心してその白い虚空に想念の気球を飛ばすことが出来た。それは私にとって数少ない安らぎの時間であり、結局はそれがまた更に現実感を失わせる結果に繋がると理解していてもやめることは出来なかった。  掃除も稀にしか為されず、私の生まれるずっと以前からそこに存在している浴室の白い壁は、白い壁とは言ったものの半ば黄ばんでいて、至る所で亀裂が走っていたり表面が剥がれ落ちていたりしていた。黒かびの星座も彼方此方に点々と煌いていた。そんな古い浴室の壁の上を梅雨の時期から夏にかけてはよく蛞蝓が這い回っていた。蛞蝓は梅雨の初めの頃は注意して見ないと壁の黴やしみと見間違える程小さかったが、夏の終わる頃には皆でっぷりと太って禍々しいまでの存在感を発揮していた。蛞蝓を見つける度に私は素手で捕まえて窓から逃がした。突然、壁から引き剥がされた蛞蝓は最初手の平の中で小さく委縮しているのだが、少しずつ顔の上から細い棒状の突起眼が二本伸びてきて、やがてそれは触覚のように左右ばらばら動きながら頻りに周囲を確認し始める。それが落ち着くと今度は手の平を我が物顔で這い回り、蛞蝓はその柔らかい口で一心不乱に手の皮膚の表面を齧り始める。私の手の平を白い壁の続きだと勘違いして食べている、その滑稽で間が抜けた様子と無邪気な食欲の感触は意外にも不快ではなかった。ただそんな蛞蝓を手放した後に残る粘液の感触は堪らなく不快だった。お湯と石鹸でいくら洗ってもそのぬるぬるとした粘液はしつこく手の表面に残り続けた。それが嫌で私は次第に蛞蝓を壁の上に見付けても放って置くようになった。壁の管理人が消えて蛞蝓たちは縦横無尽に壁の上を這い回るようになり、私は温かい湯船に浸かりながらぼんやりとそんな彼らの様子を眺めるようになった。蛞蝓はいつも酷くのんびりと移動してたが、床付近の壁に居たはずの蛞蝓がふとすると天井付近に張り付いていることがあった。その意外な速さに驚いて私は蛞蝓の動きを目で追い始めるのだが、いつも途中でその姿は意識から消えて、蛞蝓は壁の思いもしない位置からふと突然に現れた。その度に今目の前にいるこの蛞蝓が白い壁の亀裂を通って無意識の世界から湧き出して来たかのような不思議な感覚を私は覚えた。  ふと気が付くと、女はこちらの方に振り返っていた。女はそのまま真っ直ぐにこちらへと歩いて来ているようであったが黒いズボンも黒い靴も殆ど動いておらず実際にその姿が近付いているという実感は少しも持つことが出来なかった。まるで女そのものは少しも動いていなくて周囲の風景がその背後へと退いているような、丁度それは海岸の浅瀬に沈んでいる貝殻や���木の朧な姿形が沖合いへと潮が引いていくのに従って���々と明らかになっていくという感じだったが、やがてはっきりと鮮明になったのは先程見掛けた枯葉色の地味なチェック柄のベストや皺一つない白のワイシャツ、黒いスーツのズボンといった身に付けている服装ばかりであって、女そのものの身体は一向にはっきりとせず、その顔に関しても黒縁の眼鏡ばかりが目立つばかりで顔の造りや表情は曖昧で判然としなかった。まるでそれは服や眼鏡だけが絶妙な均衡を保って虚空に浮いているかのようで、そよ風か何かの些細な振動によって今にもばらばらと崩れ去りそうであった。  それから間もなくして透明なその幽霊は私の傍らにある灰皿の向こう側へと戻って来た。灰皿の上に白い手がぼんやりと浮かぶ。その指と指の間からは白い灰の塊が絶妙な均衡を保って虚空へと細長く伸びていた。その灰の塊を見た瞬間、私の中で不安な気持ちが大きく揺れて、現実そのものを確かめるように私は女の顔を凝視せずにはいられなくなった。私からは横を向いているその女の顔は恐ろしく白い色をしていた。しかし、それは人間の肌の自然な白さではなく人工の観念的な白さであった。更に良く見るとその白い仮面は所々深い皺によって裂けその周辺から粉が吹いていて、それが造られた仮面であることを自ら強調していた。その裂け目や空いた穴から覗く生の地肌を見たとき私の心はようやく落ち着きかけた。しかし、ふと女がこちらを向いて俯き、今まで眼鏡の陰に隠れていたその瞳が露わになった瞬間、私の心は再び大きく揺れた。その透明な眼鏡の双眼レンズの奥には血管の赤い亀裂が幾筋も走っている異様に白く生々しい眼球とその眼球の上辺から今にも飛び出しそうに偏っている黒い瞳が二つぼんやりと浮かんでいた。それがルドンの気球と結び付くよりも早く、女の手が白い残像を描いて素早く動き、その指と指の間から灰の塊が崩れ落ちた。私は雪片のように舞い散る灰の幾枚かを視線で追いながら、自分自身がばらばらに崩れていく音を聞いていた。
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