三度目の「猿山修工作展」を開催しています。我々は伺えず残念ですが、展示風景の写真を送って頂いたのでこちらに公開致します。最新作を含む、多くの猿山デザインをご覧頂けますので、台湾にお住いの方は是非お出掛けください。 9月24日起,小器藝廊將呈現跨領域設計師猿山修企劃展。 以平面設計為原點,產品設計為核心,距離2019年來台展出, 身兼多重創作者身份的猿山修持續地與各界品牌及職人合作, 更多面向地嘗試如皮革、布品等媒材,以猿山修的設計思考呈現素材及機能之美。 這次在小器藝廊展出的作品,除了小器觀眾熟悉的器皿外、餐具以外, 還包括傢俱、包包、文具、飾品,甚至吊飾,當然更少不了設計靈感來源的古董選品。 歡迎大家到場欣賞猿山修與各界作家、品牌、職人等專業技術所共同創作。 - 參展合作作家及品牌: Guillemets Layout Studio(磁器、金工、玻璃、布織品、古董選品) 東屋(陶磁器、木工、金工、玻璃) TIME & STYLE(磁器、玻璃) 竹俣勇壱、田三金属(金工) 濱中史朗(陶磁器) 辻野剛 fresco(玻璃) 杉工場 (木工) 服部植物研究所(卡片) CLASKA (磁器) 首度展出: 猿竹工芸商會(陶磁器、玻璃、皮革布、紙品、木工) MABOROSHI(陶磁器) unefig.(銀飾) - 猿山修 Osamu Saruyama 1966 出生於埼玉縣 1991 開始營運設計工作室 Guillemets Layout Studio 1994 參與多部戲劇、電影及展覽作曲創作、演奏活動 1996 開設古董生活用品店「saruyama」 2001 於劇團「ARICA」擔任作曲及演奏 2018 於小器藝廊首度舉行「猿山修工作展」 2019 位於麻布十番的「saruyama」閉店。設計事務所機能移轉至台東區。 2019 於小器藝廊二度舉辦「猿山修工作展 II」 2022 於GALLERY CLASKA舉辦企画展「猿山修 / Guillemets Layout Studio 工作展」 - 【2022 猿山修工作展 III】 日期:2022.09.24(六)~10.09(日) 時間:12:00~20:00 地點:小器藝廊 xiaoqi+g 地址:台北市赤峰街17巷4號 FB : xiaoqiplusg @xiaoqiplusg #小器藝廊 #xiaoqi+g #MABOROSHI #猿竹工芸商會 #unefig. #東屋 #TIME&STYLE #竹俣勇壱 #田三金属 #濱中史朗 #fresco #杉工場 #服部植物研究所 #CLASKA #ギュメレイアウトスタジオ #猿山修 (小器藝廊 xiaoqi +g) https://www.instagram.com/p/CjHwPMqvOYF/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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この冬はじめての粕汁を。
子供の頃はあのちょっとクセのある香りが苦手だったけど、時々スーパーで酒粕を見つけると あぁ、あったまりたいな。と懐かしい気持ちになります。
買った酒粕がよかったのでしょう、とてもマイルドで優しい味わい。子どもたちにも好評でした。
そうそう、とても素敵なお話しを聞いたので一つ。
あるときお釈迦様が知らない人からいきなり唾をかけられたそうです。
そのときお釈迦様はどうされたと思います?
その唾をかけた人に向かって静かに
「どうされたのですか?」
とたずねたそうです。
私ならびっくりして、怖くなって逃げそうだな。
気の強い人ならきっと、「何するねん!」と言って怒りそうだな。
何がどうなっているのかをよく観ること。
これが変に慌てたり必要以上に怖がる必要がなくなるあり方だなぁと😊
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馬場さんの片口鉢はおつまみなどを盛るのも素敵です。
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2月の営業日
2(金) 9(金) 23(金)
11:00-16:00
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名古屋市天白区の元八事の家の現場は窓の木格子も施工され、杉板のウッドフェンスも途中まで出来てきました! いや良い感じ! 今週末の日曜日(9/2)のオープンハウスですが、まだ空きはありますので気になる方はお気軽��お問合せください! #ウッドフェンス #杉板 #木格子 #桧 #外壁左官塗り #木製建具 #造園工事 #植栽 #オープンハウス #完成見学会 #現場監理 #青木昌則建築研究所 #マイホーム #一戸建て #新築 #家づくり #建築家 #建築家と建てる家 #設計事務所 #設計事務所愛知 #設計事務所岐阜 #設計事務所三重 #建築士 #建築 #設計 #住宅設計 #木の家 #自然素材 #丁寧な暮らし (Nagoya-shi, Aichi, Japan) https://www.instagram.com/p/CiwJX1TrFcP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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特別講義 in 専修大学のイベントレポートが到着!
公開を前に本日10月26日(木)、映画の舞台にロースクールが設定されていることにちなんで、法律家を志す学生が集う専修大学法学部の法廷教室にて本作の特別試写会を開催!上映後には原作小説を手がけた五十嵐律人さん、本作の深川栄洋監督、専修大学法学部の関正晴教授による“特別講義”と称してトークイベントが行なわれました。さらにイベントの途中で、法律家を目指す学生たちにエールを送るべく、主演を務めた永瀬廉さんがサプライズで登場!学生との質疑応答も行なわれ、会場は大きな盛り上がりを見せました。
弁護士でもある五十嵐さんは、原作となる小説を執筆したきっかけについて「もともと法律が好きだったんですが、その面白さがなかなか法律に携わってない方に伝わらないという思いがあり、小説という形で法律の面白さを描けないかと考えました。映画でも出てくる“無辜ゲーム(※生徒たちがゲームとして繰り広げる模擬裁判のようなゲーム)”がアイディアの着想となり、そこからどんどん発展していきました」と明かしました。
深川監督は、この小説を映画にする上での難しさについて「まず法律用語が難しい(苦笑)。若い人にどう見てもらい、乗ってもらうか? どういうふうに広い裾野に物語の面白さ、法律の面白さと危うさを感じさせるかが難しいポイントでした」とふり返りました。
そうして完成した映画について、五十嵐さんは「どの時間を切り取っても面白い。事件だけでなくそこに至る過程や裁判のパートも飽きさせない工夫や展開の仕方があって、原作をより面白く、エンタテイメントにして完成させてくださって感謝の気持ちでいっぱいです」と称賛を送りました。
関教授は法律家の視点で、本作について「いろんな場面で法律の制度や手続きについて出てきますが、そこをうまく使うというのが(よい)アイディアだなと思いました。時効や再審制度、証拠の追加などもそうですし、証人尋問のシーンは特に感心しました。一問一答で現実の裁判に近いものを感じました。普通の刑事ドラマだと主人公が喋りまくって尋問している感じではないんですが、今回の映画は尋問の仕方が実務に近かったです」とそのリアリティを含め、絶賛!これには五十嵐さんも「刑事訴訟法を専門にしている先生のお墨付きをいただけて嬉しいです」と笑みを浮かべていました。
そして、イベント中盤に完全サプライズで主演の“セイギ”こと久我清義を演じた永瀬さんが登場すると、会場は悲鳴のような歓声に包まれました! 真ん中の裁判長の席に座った永瀬さんは「緊張します…」とはにかみつつ「(映画の中では弁護士なので)こっち側じゃなかったので、ホンマに全部が見渡せる席で、特別な感覚がありますね」とご満悦。学生たちに向けて「弁護士の役をやらせていただき、ロースクール生の頃も少しだけ演じさせていただいて、弁護士になるために並々ならぬ努力をしないといけないことをこの映画を通じて学びました。みなさんも、そういう思いをされているかと思うと、少しだけみなさんのお気持ちがわかるし、親近感がわきます」と笑顔で語りかけました。
そんな、永瀬さんの劇中での弁護士ぶりについて、関教授は「一問一答の形式で、テキパキと杉咲花(織本美鈴役)から言葉を引き出すところの歯切れが良く、まさに法廷でやっている尋問に近かった」と称え、永瀬さんは良い弁護士になれるか? という質問に「訓練を積んでいけば」という条件付きで太鼓判を押しました。これには、法律用語のセリフに苦戦したという永瀬さんは「えげつない訓練じゃないですか!」と苦笑いを浮かべていました。
学生の中には劇中の無辜ゲームのようなことをやった経験があるという人も。ある学生は、この法廷教室で「模擬裁判をやりました。学生が一からシナリオを考えて、役になり切りました」と明かしました。ちなみに裁判の中身は「殺人事件で死刑か? 無期懲役かなど量刑の争い」とのこと。
別の学生は「おとぎ話の『ヘンゼルとグレーテル』を題材に、2人が魔女を殺したことを立証できるか?」というユニークな模擬裁判をやったと語りました。これに“裁判長”永瀬さんは「テーマが面白いですね!」と感心しつつ「ヘンゼルとグレーテルについてそこまで知らないけど、殺すのは良くないですね。有罪で!」と即判決を下し、会場は笑いに包まれました。
また、法律を学んでいた役に立ったことについて、ある学生は相続法の知識を今後の遺産相続の際に活かせると明かし、労働法を専門とする別に学生は、アルバイト先での有給や休業補償について、バイト先に働きかけた経験を明かし、永瀬さんは「法律は僕らの生活と切り離せないので、知っておいて損はないですよね。知識があると、行動もできますもんね」と感心しきりでした。
またある女子学生は永瀬さんに「法律を学んでいる女性のイメージ」についての質問が。永瀬さんは、法律家になるための勉強の大変さやその量の多さに言及しつつ「過酷な状況に耐えられる忍耐力がある強い女性が多いのかなと思います」と語りました。
また、学生からは本作の撮影において苦労したことについての質問も。永瀬さんはやはり、耳慣れない法律用語に苦労したようで「発音も含めそれらをすらすら言わないといけなくて、常にそうした言葉が板についている感じで芝居をしないといけない。一度、法廷シーンで噛んでしまって、長回しでみなさんに申し訳なかったですが、2回目ももっと噛んでしまって…(苦笑)。スイッチが入ると取り戻しづらい空気感で、大変でした」と緊張感のある法廷シーンならではの苦労も明かしました。
五十嵐さんは、そんな永瀬さんについて「なりたての弁護士という役で、専門家だけどわからないところもあるんですよね。僕も同じ気持ちでしたし、そういう不安や悩んでいる姿や、法律家も完璧じゃないところを表現されていて素敵でした」と自身と重ね合わせてその演技力、表現力を称えました。
さらにある学生からは、King & Princeが歌う本作の主題歌「愛し生きること」について「お気に入りのフレーズは?」というユニークな質問も!永瀬さんは「綺麗な嘘で抱き締めるから」というフレーズを挙げ「全体的に今回の映画のために作られていて、バシッとハマった感覚があるし、どこかで救われた自分がいる感覚もあります。『綺麗な嘘で抱き締めるから』という言葉は、どこかでセイギの美鈴(杉咲花さん)に対する気持ち、馨(北村匠海さん)に対する思いに通じる部分があると思うし、好きです」と明かしてくれました。
イベントの最後に永瀬さんは「この物語はセイギと美鈴と馨がメインで進んでいきますが、それぞれが抱えている過去や思い、人それぞれに自分の正義感があると思うけど、その正義感や信念を突き通すことの苦しさ、つらさ、難しさも含めて描かれてると思います。あまり、法律が近くない存在の人十分に楽しんでいただけると思うし、映画をきっかけにもしかして法律に興味持ってくださる方もいるんじゃないかと思います。余白を残して、考えていただくところが多々ある映画なので、見終わって感想を話し合って、それぞれの意見を交換し合っても面白いと思います」と呼びかけ、温かい拍手に包まれてイベントは終了しました。
公式サイト
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House in Shukugawa
ミニマルな空間と美しい曲線が生む 優しく包容力のある住まい
The minimalist space and beautiful curves create a tender and inclusive home
夙川の家は兵庫県西宮市に位置し、四方を2階建て隣家に囲まれた旗竿型のコンパクトな敷地にあります。
プライバシーの観点から外側に開くことが難しい敷地条件であったため、内側にクライアントのための独立した世界をつくることを目指しました。
“大きな気積をもったドーム”と“適度に求心性のある平面”によって空間に包容力を持たせることで、閉じた箱の中でも窮屈さを感じることなく、美しい緑や光を愛でながら心地良く過ごせる住まいを計画しました。
“House in Shukugawa” is located in Nishinomiya City, Hyogo Prefecture, on a compact flagpole-shaped lot surrounded on all sides by two-story neighboring houses.
The site conditions made it difficult to open the house to the outside for privacy reasons, so we aimed to create an independent world for the client on the inside.
The "moderately centripetal plane" and the "dome with a large volume" give the space an inclusive feeling, so that even in a closed box, the client does not feel cramped, but can enjoy the beautiful greenery and light while living comfortably. The house was designed to be comfortable while loving beautiful greenery and light, without feeling cramped in a closed box.
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敷地のロケーション
立地は兵庫県西宮市。周辺は自然が豊かで古くからの邸宅街が広がる夙川沿岸の閑静なエリア。地価が高く坪単価も比較的高いため、土地が細分化され密集している地域も多くみられる。 敷地はそのような地域の旗竿型のコンパクトな土地であり、四方を2階建て隣家に囲まれ決して条件が良い方ではなかった。クライアントは、周辺環境の良さと幼い頃から慣れ親しんだ地域であるという点を重視しこの土地を購入された。
要望
クライアントから伺った理想の住環境や要望は、次の5つに整理できる。
自然とのつながり(緑、光、風、四季を感じれること)
プライバシーを確保しつつhyggeを大切にできること(hygge:デンマーク語で「居心地がいい空間」や「楽しい時間」をさす言葉)
陰翳礼讃の精神で光や陰翳を繊細に感じられること、照明計画にも変化や緩急があること
空間の多様性、ボリュームのメリハリ
普遍性のあるデザイン
デザインコンセプト
プライバシーの観点から外側に開くことが難しい敷地条件であったため、内側にクライアントのための独立した世界をつくることを目指した。共有していただいた好みのインテリアイメージにはヨーロッパの空気感を感じるものが多く、意匠にもそれらの要素を取り入れることにした。
まず敷地に対して可能な限り大きく建物のフットプリントを設定し、外に閉じた箱型の計画とした。内部でも自然や四季を感じ取れるよう、比較的採光が確保しやすい北側の角に中庭を配置。その周りにリビングダイニングやキッチンなどのアクティブスペースを設けた。寝室や浴室といった個人の休息スペースは、必要最小限の大きさにして2階に配置した。 また外に閉じた住まいの中で窮屈さを感じることなく、家族や親しい人達と親密な時間を過ごすことができる空間を目指して、この住まいの最大の特徴であるドームホールが生まれた。適度に求心性のある平面が団欒を生み、ドームの大きな気積により人が集まっても居心地の良さを担保できる。暮らしを受け止める包容力のある空間となっている。
さらに完全にプライベートな空間である2階に対して、1階は住宅でありながらセミパブリックな空気感を持たせることで、狭い箱の中に変化と奥行きを生み出そうとしている。床のタイル仕上げ、路地のテラス席のようなダイニングテーブル、吹き抜けに突き出したバルコニーのような踊り場、ドームとシンボリックなトップライトが醸し出す少し厳かな雰囲気、などの要素が相まって1階の空気感をつくり出している。
採光については、単に明るいことだけではなく相対的に明るさを感じられることも重要である。ホールの開口部は最小限として全体の照度を下げつつ、中庭に落ちる光が最大限美しく感じられるように明るさの序列を整理した。また壁天井の仕上げは淡い赤褐色の漆喰塗りに統一することで、明るさを増幅させながら光の暖かさも感じられるようにした。
空間操作としては、中庭外壁隅部のR加工、シームレスな左官仕上げとしたドーム天井、ドームと対照的に低く抑えた1階天井高などが距離感の錯覚を起こし、コンパクトな空間に視覚的な広がりをもたらしている。
構造計画
木造軸組構法の構造材には、強度が高いことで知られる高知県産の土佐材を使用。上部躯体には土佐杉、土台にはより強度や耐久性の高い土佐桧を用いた。工務店が高知県から直接仕入れるこだわりの材であり、安定した品質の確保とコスト削減につながっている。
造園計画
この住まいにおける重要な要素である中庭は、光や風を映し出す雑木による設え。苔やシダなどの下草から景石や中高木まで、複数のレイヤーを重ね、コンパクトでありながらも奥行きのある風景をつくり出している。またコンパクトな分植物と人との距離が近く、天候や四季の移ろいを生活の中で身近に感じ取ることができる。石畳となっているため、気候の良い時期は気軽に外へ出て軽食を取るなど、テラスのような使い方も可能。草木を愛でる豊かさを生活に取り入れてもらえることを目指した。
敷地のアプローチ部分には錆御影石を乱張りし、大胆にも室内の玄関土間まで引き込んで連続させている。隣地に挟まれた狭い通路であるため、訪れる人に奥への期待感を抱かせるような手の込んだ仕上げとした。また石敷きを採用することにより来訪者の意識が足元に向かい、ホール吹抜けの開放感を演出する一助となっている。
照明計画
ベース照明は、明るすぎず器具自体の存在感を極力感じさせない配置を心掛けた。特に中庭の植栽を引き立てる照明は、月明かりのように高い位置から照射することで、ガラスへの映り込みを防止しつつ、植物の自然な美しさを表現できるよう配慮している。ホールについても、空間の抽象度を損なわないために、エアコンのニッチ内にアッパーライトを仕込み、天井面に器具が露出することを避けた。
対して、人を迎え入れたり留まらせる場(玄関、ダイニング、リビング、トイレ)には、質感のある存在感をもった照明を配置し、インテリアに寄与するとともに空間のアクセントとしている。
室内環境
居心地のよい空間をつくるためには快適な温熱環境も不可欠である。建物全体がコンパクト且つ緩やかに繋がっているため、冬季は1階ホールとキッチンに設置した床暖房によって、効率よく建物全体を温めることができる。壁天井には全体を通して漆喰(マーブルフィール)による左官仕上げを採用し、建物自体の調湿性能を高めている。
換気設備は「第1種換気※1」を採用。温度交換効率92%の全熱交換型換気ファン(オンダレス)により、給排気の際に室内の温度と湿度を損なうことなく換気を行うことができるため、快適で冷暖房負荷の削減に繋がる。CO2濃度や湿度をセンサーにより検知し、自動で換気量を増やす仕組みも取り入れている。
また断熱材は、一般的なボードタイプよりも気密性が高く、透湿性に優れた木造用の吹き付けタイプを使用。サッシはLow-E複層ガラス+アルゴンガス充填で断熱性を高めた。
※1「第1種換気」..給気、排気ともに機械換気装置によって行う換気方法
まとめ
近隣住宅が密集する環境の中で、周囲を隔てて内部空間を切り離すことで、住み手のための世界を築くことができた。仕事で毎日を忙しく過ごすクライアントだが、ここでの時間は、仕事を忘れ、好きなものに囲まれ、家族や友人たちと心から安らげる時を過ごしてほしい。心身共に癒やされるような家での日常が、日々の活力となるように。この住まいがそんな生活を支える器になることを願っている。
建物概要
家族構成 |夫婦
延床面積 |70.10㎡
建築面積 |42.56㎡
1階床面積|39.59㎡
2階床面積|30.51㎡
所在地 |兵庫県西宮市
用途地域 |22条区域
構造規模 |木造2階建て
外部仕上 | 外壁:小波ガルバリウム鋼板貼り、ジョリパッド吹付
内部仕上 | 床:タイル貼、複合フローリング貼
壁:マーブルフィール塗装仕上
天井:マーブルフィール塗装仕上
設計期間|2022年11月~2023年7月
工事期間|2023年8月~2024年3月
基本設計・実施設計・現場監理|
arbol 堤 庸策 + アシタカ建築設計室 加藤 鷹
施工 |株式会社稔工務店
造園 |荻野景観設計株式会社
照明 |大光電機株式会社 花井 架津彦
空調 |ジェイベック株式会社 高田 英克
家具制作|ダイニングテーブル、ソファ:wood work olior.
ダイニングチェア:tenon
インテリアスタイリング|raum
撮影 |下村写真事務所 下村 康典 、加藤 鷹
資金計画・土地探し・住宅ローン選び|株式会社ハウス・ブリッジ
テキスト|加藤 鷹
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
通巻第8118号
孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
*************************
自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
高杉晋作も久坂玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』である。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知��ざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間���り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し、その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
(十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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<砂上の安全網 ①>
「お父さんが大変なことになっているので、すぐ見に行ってください」
2015年7月、群馬県桐生市に住む黒田正美さん=仮名=の携帯電話が鳴った。声の主は同市福祉課の職員だった。
◆木くずで起こした火で煮炊きしていた父
当時、黒田さんは30代後半。父の杉本賢三さん=仮名、当時(61)=と市営住宅で同居していたが、結婚で独立し、杉本さんは単身生活を送っていた。駆け付けると、ライフラインは全て止められ、石油ストーブの燃焼筒に外で拾い集めた木くずを入れてマッチで着火し、わずかに残ったコメを煮炊きしていた。窮状を見かけた近所の住民が市へ通報したのだという。
杉本さんは料理人として働いていたが、心臓疾患などによる体調悪化で就労困難な状態が続いていた。黒田さんは市福祉課に相談したが、「家族で支え合って」「実家に戻りなさい」と相手にしてもらえなかった。同年8月、杉本さんはやむを得ず市内の実家で暮らす妹、黒田さんにとっては叔母の家に身を寄せる。
しかし、以前から折り合いが悪かったため、杉本さんは母屋に入れず、隣接する廃工場に身を置いた。猛暑で知られる桐生市でエアコンも風呂もない住環境は、ただでさえ万全ではない体力を奪った。
◆「家計簿をつけて」「1日800円で生活」
叔母は無職、黒田さんは当時子育て中で働いておらず、夫の収入も父親を養うだけの余裕はなかった。窮状から脱するには生活保護以外に道はなく、黒田さんは父と叔母の生活保護を申請するため、市福祉課を訪れた。しかし、担当職員は「1カ月、家計簿をつけてください」と告げる。「生活保護を受けている人で1日800円で生活している人もいる。見習うように」と申請させなかった。いわゆる「水際作戦」だ。
さらに、同課職員が自宅に来て夫の通帳を見て収入を確認し、家賃や車のローン残額などを聞き出した。「なぜそんなことまでされないといけないのか」と憤ったが、ここで職員の機嫌を損ねたら、さらに不利な扱いを受けるかもしれない、という懸念から何も言えなかった。
見かねた友人から、黒田さんは困窮者支援に取り組む仲道宗弘司法書士(群馬県伊勢崎市)を紹介され、窓口に同行してもらったことで、同年9月にようやく保護が決まった。
◆暴言「社会性のなさから生活保護になった」
その際、担当職員は窓口で黒田さんに「お父さんの社会性のなさから生活保護になった」と、大声で暴言を吐いたという。窓口は個室ではなく、執務フロアで周囲に大勢の職員や他の来訪者もいた。黒田さんは「悔しくてたまらなかった」と振り返る。
黒田さんは仲道司法書士の助言で、一連の経過をメモで記録していた。
「町でぐうぜん父の姿を見かけ、びっくりする。ホームレス状態」「市へ電話をすると、『家族で支え合って』『実家にもどれ』の一点ばり」
これが生活保護の水際作戦…電気も水道も止められているのに「家族で支え合って」と突っぱねた市職員:東京新聞 TOKYO Web
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2024年3月5日
昭和50年代 広島市写真展(広島テレビ)
昭和50年代と現在の広島を比較し、変遷をたどる写真展が、きょうから広島市内で始まりました。
カープが初優勝した1975年。山陽新幹線の岡山・博多間が開業し、「カープの優勝は新幹線のおかげ」とも語られました。
旧日本銀行広島支店では、広島市が大きく発展した昭和50年代の街並みと現在を比較する写真、およそ170枚を展示しています。
会場には1981年に撮影された巨大な空中写真も展示。訪れた人たちは現在のマツダスタジアムの近くにあった貨物駅などを見ながらかつての景色を懐かしんでいました。
「ほとんど見たことがある写真団塊の世代ですからちょうど」
写真展は、今月10日まで開かれています。
減少する街の書店、国が本格的支援へ…読書イベント・カフェギャラリーなど個性的な取り組み後押し(読売新聞)
全国で減少する街の書店について、経済産業省が大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を5日設置し、初の本格的支援に乗り出す。書店は本や雑誌を売ることを通し、地域文化を振興する重要拠点と位置づける。読書イベントやカフェギャラリーの運営など、個性ある取り組みを後押しする方策を検討する。
経産省によると、プロジェクトチームは映画や音楽、文芸などを扱うコンテンツ産業課に事務局を置く。キャッシュレス決済の推進や中小企業支援を担当する部署も参加し、部局横断型で事業内容の議論や調査を進める。
今後、経産省の担当者らと書店や出版関係者による車座ヒアリングの開催を予定。非効率な出版流通の改善や店舗運営におけるデジタル技術活用の必要性など課題を把握する。店主が一冊ずつ良書を選んで入荷し、店のサイトやSNS上で紹介する個人書店や、カフェや文具店を併設し魅力的な読書空間を作る書店チェーンなど優れた事例を共有し、支援策の参考にする。
街の書店は、インターネットの普及による紙の出版物の不振やネット書店の伸長により苦境が続く。日本出版インフラセンターによると、2013年に全国1万5602店あった書店の総店舗数は、22年に1万1495店に減った。
一般財団法人・出版文化産業振興財団(東京)の調査によると、全国の市区町村のうち、地域に書店が一つもない無書店自治体はおよそ4分の1にのぼる。本や雑誌を直接手に取って購入できない人が増える深刻な状況となっている。
本と出会う機会喪失に深刻な危機感
経済産業省が大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を設置する背景には、街の書店が減り、多くの人がリアルな空間で���知の本と出会う機会を失っていることへの深刻な危機感がある。全国の自治体のうち約4分の1はすでに書店がなく、実際に地域による文化格差は生まれている。
世界経済のグローバル化が進む中、経産省は、映画や音楽をはじめコンテンツ産業の振興を掲げる。「経済が成熟する中で、自国のサービスや商品が海外で勝ち抜くには、文化による新たな付加価値をつけることが必要」と語る。だが文化の基盤である活字や本に人々が広く触れる環境がなければ、新たな魅力的な発想は生まれないだろう。
韓国では、日本の文化庁やスポーツ庁などにあたる文化体育観光省管轄の「韓国出版文化産業振興院」が中核になって支援事業を担当。独立系書店と呼ばれる中小の書店が活気づく。
東京都文京区で街の書店「往来堂書店」を営む笈入(おいり)建志さん(53)は、「雑誌が売れた頃は、お客が定期的に街の書店を訪れる習慣があった。今は2000年頃に比べ、お客は7~8割になった感覚だ」と語る。人々が本を買いに店に立ち寄るきっかけを作るため、トークイベントや読書会などを開く工夫をしている。
各地の書店には、優れた選書眼や読書イベントの経験を持つ書店員たちがいる。まずは、現場から優れた事例を集め、何ができるのか国や民間の垣根を越えて知恵を絞りたい。(文化部 小杉千尋)
西川立一(ラディック代表/流通ジャーナリスト/マーケティングプランナー)
見解 街の書店の苦境は、稼ぎ頭だった週刊誌などの雑誌の衰退や漫画の電子本の台頭も要因で、それに店主の高齢化による廃業や後継者不足で店舗数の減少が加速化した。
一方で、若い人を中心に特色ある書店の出店も盛んになりつつあり、紀伊国屋書店をはじめとする大手は堅調で、大型のショッピングモールには書店が必ずと言ってある。
経産省の「書店振興プロジェクトチーム」の設置は、遅まきながらの感もあるが支援は必要だ。ただ、官主導での取り組みだけではなく、地域の人たちがどれだけ書店を必要としているか、そのため主体的に何ができ、何をするのかが求められている。
中井彰人(株式会社nakaja lab 代表取締役/流通アナリスト)
見解 生き残って頑張っている街の書店は、イベントやSNS発信によって文化の灯を消さぬよう努力をしている。しかし、書籍小売業が苦しいのは、本が売れなくなったことに加えて、本がある程度売れたとしても、粗利率が低く抑えられているため(2割強)、収益の確保が難しく、持続するのが困難なことにある。この解決策を見つけたのが、ヴィレッジヴァンガードである。今は店舗を広げすぎて業績が苦しい状態ではあるが、かつて、ヴィレヴァンは、総売上の6割以上を雑貨で構成することで、読んでもらいたい本の売場(売上の3割弱)を維持することに成功した(2002年時点のデータ)。この時の同社の雑貨粗利率36%、本は21%であり、これで事業としての持続可能性を構成していたのである。書店支援は単に予算を流し込むのではなく、書店が事業として収益確保するため、商材やサービス及び、自立的ビジネスモデル開拓の支援に、重点を置いてほしい。
「書店」10年間で764社が倒産や廃業で消えた(東京商工リサーチ 3月10日)
「書店」倒産、休廃業・解散、新設法人 社数推移(1-12月)
書店運営会社(以下、書店)の市場退出が止まらない。2014年以降、書店は倒産・休廃業が新設法人を上回る状態が続き、10年間で764社が市場から退出した。店舗数の減少も続いている。経済産業省は3月5日、「書店振興プロジェクトチーム」を立ち上げ、支援意向を示すが、ネット書店や電子書籍に押された書店の減少に歯止めがかかっていない。
書店の倒産 ピークは太洋社破産の2016年
書店の倒産(負債1,000万円以上)は、2014年から2023年の10年間で140社に及ぶ。
ピークの2016年は25社発生した。2016年は、出版取次の(株)太洋社(千代田区)が自主廃業の方針から一転して3月に破産を申請した。連鎖する形で同月30日までに18社の書店が、次々と倒産や廃業に追い込まれた。書店の経営環境が厳しさを増し、書籍を卸す取次店の業績悪化も深刻な時期だった。
その後、書店の倒産は一進一退が続き、コロナ禍では資金繰り支援や巣ごもり需要などを背景に、倒産は減少に転じた。2021年、2022年の倒産は各5社と小康状態にあったが、支援縮小や特需が一巡した2023年は一気に13社と2.6倍に急増した。
書店の休廃業・解散が高止まり
倒産以外で事業を停止した休廃業・解散も分析した。太洋社が破産した2016年の休廃業・解散は63社(前年比28.5��増)と急増。その後も増勢をたどり、2018年は78社、2019年は77社と高水準が続いた。
コロナ禍では倒産と同様、休廃業・解散も減少したが、60社前後で高止まり状態にある。
倒産と休廃業・解散の合計は、ピークの2019年に101社に達した。コロナ禍では減少したが、2023年は67社に微増し、過去10年間で764社が市場から退出している。
書店は8年連続で純減
一方、書店の新設法人は、2013年が81社だった。2013年の倒産と休廃業・解散の合計は75社で、書店は6社の純増だった。
ところが、新設数の減少から2014年は8社の純減に転じ、2019年は56社まで純減が拡大した。コロナ禍の2022年も21社の純減で、2014年から8年連続で純減が続いている。
電子書籍が浸透し、書店の存在が揺らいでいる。店舗で目当ての本を探す楽しみや、知らない本との出会いも、書店の減少で失われつつある。書店の復活には“待ちの営業”から客足を向かせる創意工夫への転換と同時に、国や出版社の継続的な支援が必要だ。
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杉並分室につきまして
[杉並分室]
三ヶ月程度ごとに行われる、とても小さな個展です
いつも新作があるわけでも無い
展示のために作られた部屋というわけでも無い
とても地味な空間を始めます
そのかわり、と言えるかどうかわかりませんが、お一人、あるいはお二人だけで、お茶でもしながら、せめてのんびり過ごされてください
- - -
※ご応募が募集総数に達しましたので、今回の募集は締め切ります。6月末か7月初旬あたりで次回開催できたらと考えております。
4/19
16:00 - 18:00
19:00 - 21:00
4/20
10:00 - 12:00
13:00 - 15:00
16:00 - 18:00
19:00 - 21:00
4/21
10:00 - 12:00
13:00 - 15:00
16:00 - 18:00
19:00 - 21:00
予約制 / ひと枠二時間
杉並区某所(中央線)
詳しい所在地は予約受付の際お伝えします
来場費:無料
-
- 予約受付について -
※募集総数に達しました。ありがとうございました。
3/19の午前0時から開始します。
予約方法は、上記の時間枠をご確認の上、
1. 氏名
2. 電話番号(可能であれば)
3. 希望の枠(できれば第三希望くらいまで)
4. 人数(1名か2名)
以上を添えて下記メールアドレスへお送りください。
柴田高志 宛
先着順です。
ご希望に添えない場合ももしかしたらあるかもしれません。何卒ご了承くださいませ。
. . .
一昨年の12月、東京を離れました。
東京での暮らしは、大事に思えるものが多くあり、それらをもたらしてくれたのは、間違いなく当時居住していた部屋でした。杉並の住宅街の、奥まったところに建っている風呂の無いとても小さな一軒家で、七年間、たくさんの絵を描きました。
入居したての頃、部屋には文字通りトランク一つだけ、コップすらないので、手で水を飲みました。どうしてか、とても心が踊りました。
大して日当たりの良くなかったその部屋も、入居日、春のある日、大変暖かく、何にもないけどしみじみと、いい部屋だな、と思ったことを今でも思い出します。
そんなこの部屋もここ一年ちょっと、東京滞在時に泊まるためと、絵の置き場所としてしか使っていませんでした。オープンアトリエにする計画は転居前からありましたが、壁を作ったり照明をいじったりが大変だなと二の足を踏み、どういう風に室内を仕上げたものかと考えあぐねていました。
(自分にとってはですが)気持ちの良い部屋なのに...
ぼんやりと、内装のことを考えるでもなく考えていく間に、そんなにがんばらなくても、もともと自分が好きだった空気を保った部屋であることが一番なのかな、という、妥協することで最良と思われる納得に至り、ほんの少しだけ部屋を整え、2024年の春に予約制で公開することとしました。
部屋の名前について。以前お世話になったブックギャラリーポポタムさんでの個展の後、ちょうどコロナ禍が始まるかというくらいの時に、同じくポポタムさんが当時運営していた「ポポタム分室」という部屋で非公開個展をさせていただく機会をくださいました。
その時の個展での発見や気付きが、今回の公開につながっています。
今は無いポポタム分室に敬意と感謝を持ちつつ、東京都杉並にあるわたしの分室、ということで「杉並分室」という名を当ててお知らせしていこうと思います。
いつまで続けられるかわからない細々とした活動になりますが、お付き合いいただければ幸いです。
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- 杉並分室について -
滞在中、部屋の中にはあなただけです。わたしはいません。
折角、誰の視線も気にせず、日中は自然の光を受けた、日が沈んでからはあったかい照明の光に照らされた絵を、見るともなく見てもらえるのんびりした場所を用意しているのですから。お茶かコーヒーくらいはお出しします。置いている本も自由に読んでください。
わたしは部屋の外で本でも読んでますので、ききたいことがある、ちょっと話したい、一緒に外を散歩しましょう、などあれば、いつでも呼んでください。
部屋の中には手のひら大の小さな絵から、20号程度の絵あたりを数点展示予定です。ストックもあるので、ご希望があればお出しできるようにもしています。
もちろん絵や冊子などの購入は可能ですが、この部屋で絵をご覧いただけるだけで、わたしはとても嬉しいです。自分が一番長い時間、自分の絵を眺め、描いていた空気感そのままに、ご覧いただけることがとても嬉しいのです。
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さて、ここからは注意事項です。
1つめ
この部屋は住宅街の、入り込んだ場所にある大変小さな一軒家です。
基本的に、部屋の中ではお一人かお連れ添いお二人で過ごすことになり、希望されなければ室内にわたしは入りません。
ただ、あなたがたは知らない人の部屋に訪問することになってしまいます。
中には不安感を抱かれる方もいるかと思いますので、ご予約の前に、今一度お考えの上、ご連絡ください。
二つめ
建物はとても小さな一軒家です。二階部分が当部屋なのですが、狭めの階段がある上に、上がりきったところがまた極端に狭くなっています。脚が悪く階段を昇れない方や、特別身幅が広い方は、もしかしたら通過できないかも知れませんのでご了承ください。
三つめ
現在、向かいの家が更地になっています。もしかしたら四月ごろには何かしらの工事が行われているかも知れません。普段は大変静かな場所ですが、タイミング悪く騒音が響いてしまうことも懸念されますので、その際はどうぞ悪しからずご了承下さい。
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ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
少し先の話ですが、ほんの少しでもお気に留めてもらえれば幸いです。
柴田
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"駆け付けると、ライフラインは全て止められ、石油ストーブの燃焼筒に外で拾い集めた木くずを入れてマッチで着火し、わずかに残ったコメを煮炊きしていた。窮状を見かけた近所の住民が市へ通報したのだという。"
"杉本さんは料理人として働いていたが、心臓疾患などによる体調悪化で就労困難な状態が続いていた。黒田さんは市福祉課に相談したが、「家族で支え合って」「実家に戻りなさい」と相手にしてもらえなかった。"
"杉本さんは母屋に入れず、隣接する廃工場に身を置いた。猛暑で知られる桐生市でエアコンも風呂もない住環境は、ただでさえ万全ではない体力を奪った。"
"担当職員は「1カ月、家計簿をつけてください」と告げる。「生活保護を受けている人で1日800円で生活している人もいる。見習うように」と申請させなかった。いわゆる「水際作戦」だ。
さらに、同課職員が自宅に来て夫の通帳を見て収入を確認し、家賃や車のローン残額などを聞き出した。"
"担当職員は窓口で黒田さんに「お父さんの社会性のなさから生活保護になった」と、大声で暴言を吐いたという。窓口は個室ではなく、執務フロアで周囲に大勢の職員や他の来訪者もいた。黒田さんは「悔しくてたまらなかった」と振り返る。"
https://is.gd/BURfOi
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このポストからするに杉尾は仕事がろくにできない人だろうということだけはわかります。あと杉尾秀哉は常に上から目線で偉そうな態度だけはブレません。立憲民主党仕草ではありますが……。
通常の道路工事であれば「この先通行止め」みたいな看板を設置できるでしょう。
ですがそこかしこが寸断されていてそんな中で急ピッチで道路の復旧作業を行っているのです。非常事態なんですよ。
現場の迷惑になるし、二次被害にもなりかねないので来るなと言われているところにわざわざやってきて手伝いもせずに上から目線で偉そうなことだけを言うだけ。
これで本人は仕事をやっているフリができていてパフォーマンス的にはプラスだと考えていると思うと、やはり立憲民主党の議員たちに政権は不可能だと思います。
得意の「欧州を見習え」を言わないの? | パチンコ屋の倒産を応援するブログ
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三度目の「猿山修工作展」を開催しています。我々は伺えず残念ですが、展示風景の写真を送って頂いたのでこちらに公開致します。最新作を含む、多くの猿山デザインをご覧頂けますので、台湾にお住いの方は是非お出掛けください。 9月24日起,小器藝廊將呈現跨領域設計師猿山修企劃展。 以平面設計為原點,產品設計為核心,距離2019年來台展出, 身兼多重創作者身份的猿山修持續地與各界品牌及職人合作, 更多面向地嘗試如皮革、布品等媒材,以猿山修的設計思考呈現素材及機能之美。 這次在小器藝廊展出的作品,除了小器觀眾熟悉的器皿外、餐具以外, 還包括傢俱、包包、文具、飾品,甚至吊飾,當然更少不了設計靈感來源的古董選品。 歡迎大家到場欣賞猿山修與各界作家、品牌、職人等專業技術所共同創作。 - 參展合作作家及品牌: Guillemets Layout Studio(磁器、金工、玻璃、布織品、古董選品) 東屋(陶磁器、木工、金工、玻璃) TIME & STYLE(磁器、玻璃) 竹俣勇壱、田三金属(金工) 濱中史朗(陶磁器) 辻野剛 fresco(玻璃) 杉工場 (木工) 服部植物研究所(卡片) CLASKA (磁器) 首度展出: 猿竹工芸商會(陶磁器、玻璃、皮革布、紙品、木工) MABOROSHI(陶磁器) unefig.(銀飾) - 猿山修 Osamu Saruyama 1966 出生於埼玉縣 1991 開始營運設計工作室 Guillemets Layout Studio 1994 參與多部戲劇、電影及展覽作曲創作、演奏活動 1996 開設古董生活用品店「saruyama」 2001 於劇團「ARICA」擔任作曲及演奏 2018 於小器藝廊首度舉行「猿山修工作展」 2019 位於麻布十番的「saruyama」閉店。設計事務所機能移轉至台東區。 2019 於小器藝廊二度舉辦「猿山修工作展 II」 2022 於GALLERY CLASKA舉辦企画展「猿山修 / Guillemets Layout Studio 工作展」 - 【2022 猿山修工作展 III】 日期:2022.09.24(六)~10.09(日) 時間:12:00~20:00 地點:小器藝廊 xiaoqi+g 地址:台北市赤峰街17巷4號 FB : xiaoqiplusg @xiaoqiplusg #小器藝廊 #xiaoqi+g #MABOROSHI #猿竹工芸商會 #unefig. #東屋 #TIME&STYLE #竹俣勇壱 #田三金属 #濱中史朗 #fresco #杉工場 #服部植物研究所 #CLASKA #ギュメレイアウトスタジオ #猿山修 (小器藝廊 xiaoqi +g) https://www.instagram.com/p/CjHvIlUPOVv/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Would you get off with “Karami”? (prose)
backpack
I lived in the mountains 30 years ago. It was a fruitful period in my life. Every day, I went to the forest plantation, about 300 meters above sea level from where I lived at the time, to take care of the ``cedar child.'' Most of the cedars had already been planted, but some of the cedars were dying, and cutting down the weeds that grow in the summer was also an important role.
Then, when I came down from the mountain with an empty backpack or basket, I was asked by the people on the mountain, ``Are you going home with Karami (empty backpack)''? What this means is that, while it is natural to take fertilizer and cedar seeds with you into the mountains, you should also take something with you when you come down, such as harvested vegetables or firewood.
I see, I thought. You can do two jobs with just one effort. The more I became acquainted with life in the mountains, the more I felt ``I see.''
The way people in the mountains think about money is also interesting, and I worked as a civil engineering worker when a dam was being built to prevent the cliffs of private houses from collapsing. However, the housewife of this house, an old woman, also participated in the construction work and was paid a wage. No woman living in the city would do something like this.
The ``hot goat milk'' I received from an old woman during construction was delicious! And then, for some ridiculous reason, I climbed down the mountain. ...with "Karami". Afterward, when I visited the mountain again, I visited her house, and she said, ``Oh, Rei-chan!'' And welcomed me with the goat's milk.
Then, a few years ago, when I called my “girlfriend's house”, I was told that she had already passed away. This village has now surpassed the level of a ``marginal village'' and will probably no longer exist. But this place is burned into my heart.
「からみ」で降りるか?(散文詩)
私は20年前に山暮らしをしていた。私の生涯のうちでは、実り多い一時期だった。
私は「杉の子」の世話をするために、当時の住居から標高差300mくらい上の植林地に毎日向かった。すでに杉の植え付けは大体終わっていたが、枯れる杉の子もいたし、夏場に生える雑草の刈取りも重要な役割だった。
そして、山から背負子(しょいこ)だか背負い籠(しょいかご)��空っぽのまま降りてきた際、山の人に「「からみ」で帰るんかい?」と言われた。これはどういう意味かというと、山に肥料とか杉の子を持っていくのは当たり前であるが、降りるときにもなにか・・・収穫した野菜とか薪とかも持ってかえるべし、という教えなのだった。
なるほど、と私は思った。一度の手間で、2つの仕事ができるのである。山の生活に密着すればするほど「なるほどなあ」という感慨が湧いたものだ。
山の人の金銭感覚も面白く、崖ぞいの民家の崖が崩れぬように「堰堤(えんてい)」という施設を作っていた際、私は土方(どかた:土木作業員)として働いていたのだが、この家の主婦のオバサンも工事に参加し、賃金をもらっていた。都市の取り澄ました女性にはこういったことをする人はいないであろう。工事の合間にオバサンからもらった「ヤギのホットミルク」の美味しかったこと!!そして、やんごとない理由で、私は山を降りた。・・・「からみ」で。
その後、再び山を訪れた際、オバサン宅に御邪魔したら、「森ちゃんじゃないか!!」と言って歓迎してくれた。例のヤギのミルクで。
そして数年前、オバサンの家に電話したら、彼女は鬼籍に入ったと聞かされた。この集落も、今や「限界集落」のレベルを超え、もはや存在しないであろう。でも、私の中にこの部落のことは熱く焼き付いている。
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啟翔輕金屬-陳百欽,以創新的綠能環保愛地球的政策,打造綠色智慧生態之輕金屬科技創新園區
新屋區的啟翔輕金屬科技股份有限公司,專注於金屬鋁製品的製造。該公司由陳百欽董事長領導,曾榮獲34屆創業楷模獎和創業相扶獎。陳百欽董事長表示,協信鋁材成立於民國73年,為確保永續經營,陸續建立了凱鉅鋁業股份有限公司和啟翔輕金屬科技股份有限公司。這形成了一條龍的鋁產業生產線,不僅能就近取得原料供應,還能大幅減少包裝、運輸、倉儲等成本。藉由這些效益,公司成功提升了產品的精密度。
日前開南大學產業菁英班參觀該園區時陳百欽也親帶領學員們參觀5.6萬坪大的廠房,陳百欽表示,台灣的鋁產業約有80多家公司,產值約200億元,啟翔市占率逾10%,在業界算是第一名。而公司也不斷的研究開發創造優質產品,更以服務客戶、貢獻社會以及提升員工福祉的經營理念,追求企業長青的終極目標。
開南大學產菁班的蘇杉郎董事長表示,啟翔公司最令他印象深刻的,該公司採行綠能環保愛地球的政策,使工廠園區成為一座綠能智慧生態之輕金屬科技創新園區,其中水資源設置了雨水集中池、生態池及淨化池,可使用於冷卻水及生活用水達成100%自給自足,降低對水資源的依賴。而該公司的設計也採綠建築方式規劃,符合綠建築之規範與節能減碳的要求,並規劃人造濕地及植栽,具降溫及美化生態的效益。
陳百欽表示,一個企業的成功,除了經營者旺盛的企圖心與堅定的決心外,更要靠全體成員一致的向心力與意志力,不畏艱難共同在既定的目標下全力以赴,追求完美。公司有多元化的產品,包括電子電機類、綠能環保類、生活家具類、建築材料類的不同的鋁製產品,並擴展歐洲、美國、日本、東南亞、澳洲等外銷市場,比例超過50%。
陳百欽指出,啟翔輕金屬創新園區,擁有完整的產業聚落,提供一次性的解決方案,並已精實的生產模式,提供產一元化及時供應的優質服務,工廠生產採「一條龍」的生產模式,就是從原料到成品,所有工藝都可以在園區一次完成。主要效益就是提高效率與品質,同時降低損耗與成本,以促進產業升級,創造產品價值,提升競爭力。
陳百欽解釋一條龍生產是指,從原料的鋁錠到合金鑄造,到「鋁擠成型」再到表面處理,而表面處理又包括陽極處理、粉體塗裝、氟碳烤漆及特殊表面處理四大項;再下一步就是「加工」,而加工部分更細分門窗、帷幕牆、板金、CNC精密加工、鋁製車斗、3C電子產業、太陽能光電產品及醫療產業與汽車工業等,最後再經組裝、成品就運輸出貨,完成一條龍的生產,既省時也省錢。
面對ESG趨勢 再生鋁勢在必行
在ESG趨勢及為政府要求碳足跡追蹤管制下,國內鋁產業鏈重量級企業正共同研商採用能大幅降低碳排的再生鋁(又稱為環保鋁或乾淨鋁)的可行性,待材料標準確立、材料的製程、抗拉、降伏、化性、擠型條件、折彎、焊接等特性符合加工需求後,預期「再生鋁」將成為鋁業發展新思維以及迎接ESG挑戰的絕佳方案。
鋁門窗業更是鋁材使用大戶,鋁錠大多以火力、燃煤發電來進行鋁礬土電解,每噸鋁排碳16-18噸,水利發電的電解鋁錠一噸約排碳4噸,相較之下,回收及生產再生鋁只產生2到3噸碳,能大幅降低碳排。除此,在俄羅斯因烏俄戰爭被管制出口或貿易制裁,俄鋁又為全球第三大鋁業,因此鋁材出現供應失衡現象,另在全球ESG的趨勢、我國政府開始要求建材業ESG以及碳足跡追蹤管制,因此可以預見「再生鋁」勢將成為鋁產業一項必須面對的重大議題。啟翔輕金屬科技董事長陳百欽表示,再生鋁材是一種環保友善、可持續發展的材料,其重要性不僅體現在減少對自然資源的需求,更在於降低能源消耗和減少廢棄物的產生。透過再生鋁材的使用,我們有機會減緩對地球的環境衝擊,同時能有效推動循環經濟的實踐。支持再生鋁材不僅是對可持續發展的一種承諾,更是對地球未來的愛護和負責任的表現。這種綠色的選擇不僅在企業層面推動了環保理念,更引領了產業和消費者朝向更可持續的未來邁進。
啟翔輕金屬科技董事長陳百欽表示,可於不久的將來成立一個專注於再生鋁材研發的中心。這個新的研發中心旨在推動再生鋁材的技術創新和應用,以滿足不斷增長的綠色產品需求。該中心的使命不僅僅是開發更高效的再生鋁生產技術,還包括提升再生鋁材的品質和應用範疇。這個著眼於未來的研發中心將匯聚業界頂尖的科學家、工程師和環保專家,共同致力於打造一個可持續發展的綠色解決方案,推動企業邁向更環保的未來。這一舉措不僅反映了企業對環保承諾的堅定信念,也有望在產業內開啟一個新的創新潮流,將再生鋁材的應用推向更廣泛的領域。
參考資料
陳百欽:全鋁家具 Emoono 伊莫諾與台灣鋁業大廠啟翔輕金屬,以「為地球多留一棵樹 由鋁開始」
陳百欽永續經營概念
啟翔輕金屬董事長陳百欽循環經濟
把痛點變新商機,啟翔輕金屬科技從代工到品牌「鋁鋁」創新
經濟部產業發展署專訪陳百欽- 啟翔創新園區
陳百欽「15%哲學」多角化帶領啟翔輕金屬科技踏上創新「鋁」途
陳百欽與何基州:啟翔輕金屬科技的研發之心
陳百欽「15%哲學」多角化帶領啟翔輕金屬科技踏上創新「鋁」途
啟翔創新園區鋁金屬業聚落
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【 寒造り 】
毎年1/20頃が一番寒いとされる大寒。
この寒い時期に伝統的に行われてきたのが日本酒の「寒造り」。
「寒仕込み」とも言われ、冬の季語にもなっています。
その昔、日本酒は長期の保存が出来なかったため、
酒造は四季を通じて行われ、短期間で消費されていましたが、
江戸中期に保存技術が発達したことによって、
材料の調達や高品質の理由から冬季に酒造りを行うことが主流となりました。
この寒造りのために地方の農民が冬場だけ「杜氏」として活躍。
農閑期の副収入にもなって、各地で職人集団が生まれました。
また、この時期に仕込まれたお酒が出来上がると酒屋の軒先などに飾られるのが「杉玉」。
蒼々とした杉玉は新酒が出来ましたのお知らせです。
春から夏を経てだんだんと茶色になっていく杉玉は熟成されていくお酒の味わいの目安。
季節の風情は左党じゃなくても嬉しいものです。
ちなみに「左党」とは大工の左手がノミを持つ「飲み手」のダジャレから、とのこと。
寒造り 女主人の 声の張り 中世古道子
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エネ基計画で日本は自死するな キヤノングローバル戦略研究所研究主幹・杉山大志
日本を取り巻く地政学状況は深刻だ。第7次エネルギー基本計画においては、安全保障と経済を重点とするほかない。経済が重要なのは、それが国家の安全保障の基盤だからでもある。
日欧の産業が大脱出
国連気候変動枠組み条約に基づくパリ協定で各国は2025年2月までに、35年のCO2数値目標を提出することとなっている。日本政府は第7次エネルギー基本計画の見直しに着手するが、それと整合性のあるCO2目標を提出する、というのが政府の考えのようだ。
だがこれは危険極まりない。国際交渉での相場が跳ね上がっているからだ。昨年末のCOP28では35年に世界全体で60%削減(19年比)という数字が打ち出された。それに合わせるとなると、産業に対する死刑宣告に等しい。
すでに産業はCO2規制がむやみに強化されつつあるEUや日本から逃げ出している。ドイツの化学業界は国内生産を縮小する一方、最大手BASFは中国へ100億ユーロを投じて工場を建設する。日本の製鉄業界も国内工場を閉鎖する一方、インドで高炉を建設し、米国の鉄鋼会社を買収する。政府が一部企業に補助金を出して誘致したところで、原資は他企業にさらなるコストとして跳ね返る。無数の企業を大脱出から引き留めることはできない。国家として存亡にかかわる。
世界の脱炭素の終わり
この数年間、EUと米国では左派的な政策を推進する政権が続いてきた。だがここにきて野放図な移民の受け入れに国民の怒りが爆発した。次いで脱炭素政策も、電気自動車の強制や再エネ導入等による国民への負担が明白になるにつれ、怨嗟(えんさ)の声があがっている。米国は今年末に共和党の大統領が選出されれば、トランプ氏であれ誰であれ、パリ協定から離脱し、グリーンディール(脱炭素のこと)を撤廃する。EUでは右派が国政選挙の度に勝つようになっており、今年6月の欧州議会選挙でも躍進するだろう。
グローバルサウスはどうかと言えば、昨年末のCOPでも、G7の「2050年脱炭素」の要請をはなから拒否した。パリ協定は完全に行き詰まり、先進国だけが自滅的な目標に執着している。
米国のバイデン政権、緑の党が入閣したドイツの連立政権のいずれも、支持率が低迷している中にあって、左派の支持基盤を喜ばすために、国際交渉においては環境主義がますます先鋭化している。彼らは「野心的」なCO2目標を掲げ、日本に同調を求めてくる。
だが共和党が大統領選に勝てば米国は百八十度変わり、化石燃料大国として君臨する。
EUはこのままではネットゼロ(脱炭素のこと)政策による自死に至る。だが今年にも政治の右傾化が進み、やがてネットゼロは放棄されるのではないか。グローバルサウスも、米国も、欧州も、どの国であれ脱炭素など不可能であり、見直しは必至だ。
翻って、日本はどうか。10年で150兆円のコストを伴うとされる脱炭素の法制化が着々と進んでいる。慣性のついた行政は氷山が現れても方向転換できない巨大船のようだ。このままでは無謀なCO2目標がパリ協定に沿って提出され、7次エネ基で部門別に割り当てられる。一体どうなるか。
光熱費は高騰し、産業空洞化は加速し、日本経済は沈没する。弱体化した日本は中国の影響力に太刀打ちできず属国となり、言論や政治の自由が制限されるかもしれない。事実上の日本の死である。
7次エネ基計画のあり方
エネルギー自死を避けるために7次エネ基に書くべきは何か。まず光熱費の低減だ。コスト増は国力を毀損(きそん)し安全保障を損なう。付け焼き刃の光熱費補助ではなく、以下の3点を通じ根本的な低コスト化を図るべきである。
第1に原子力の最大限の活用だ。リスクゼロを要求するという不合理をやめるべきだ。原子力を利用しないことによる安全保障および経済のリスクこそ大きい。化石燃料は輸入に依存しており、再エネは不安定で高価だからだ。
第2に化石燃料の安定調達だ。日本のエネルギー供給の柱はいまなお化石燃料である。現行の6次エネ基では、CO2目標に強引に合わせて供給量が少なく計画され、燃料の安定調達の妨げになってきた。この愚を避けるべきだ。
第3に化石燃料の代替技術の開発について。再エネや合成燃料等は拙速な導入拡大を避け、コスト低減の技術開発に注力すべきだ。コスト低減の見込みがないと判明した技術開発は中断して基礎研究に戻す。
最後に、エネ基において部門別のCO2排出量の割り当てをしないこと。無謀な目標に基づく割り当ては、産業に対する死刑宣告となり、大脱出を引き起こす。パリ協定については、政権の意向としてのCO2目標提出はやむなしとしても、後は施策の羅列に留(とど)め無害化する。ただしこれは下策で、この自滅的な協定からは、米国と共に脱退するのが上策だ。(すぎやま たいし)
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