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#朝の波紋
ryotarox · 1 month
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(倒産寸前だった京都の老舗和菓子店を救った「スライスようかん」:日経クロストレンドから)
倒産の危機にひんしていた老舗和菓子店を救ったのは、全く新しい食べ方を提案するようかんだった。1803年創業の亀屋良長(京都市)は、スライスチーズに着想を得た「スライスようかん」を開発。これが大ヒットし、起死回生を果たした。その開発秘話や、宣伝戦略の進化に迫った。
薄くスライスしたようかんにバター風味のようかんをのせ、けしの実を散らして1枚ずつフィルムで包んだ、京都の和菓子店・亀屋良長の「スライスようかん」。2018年9月の発売以来、累計販売数は約63万袋を記録した。  単身者も多い近年の生活スタイルにそぐわないサイズ感や、カットの手間が敬遠され、「年間50本程度しか売れていなかった」というようかんを、「朝食として食べられる和菓子」として、新たな切り口でリニューアル。和菓子に親しみがなかった層も取り込み、同店の看板商品に成長した。
スライスようかん開発のヒントは、猫の手も借りたい朝、2人の子供にあんこトーストとチーズトーストを別々にリクエストされたこと。「チーズトーストはスライスチーズのフィルムをはがし、パンに載せるだけだが、あんこは固く食パンに伸ばすのが面倒。あんこもシート状なら楽だと思い、ようかんをスライスする案が浮かんだ」(由依子氏)
ただせっかく新しい取り組みを行っても、「広め方が分からなかった」という。スライスようかんの発売時も、特別なPRは行わずじまい。 「当時はプレスリリースの存在すら知らなかった」(良和氏)  「課題は発信力。SNSを活用すべきだ」とコンサルタントに助言され、20年4月、良和氏、由依子氏、30代社員がそれぞれのアカウントでSNS投稿を開始。同年6月、渦巻き状の焼き型で寒天に波紋をつける製造動画を、良和さんがX(旧Twitter)に投稿すると、「波紋の形がミッキーマウスのよう」「焼き型が寒天に押し付けられたときに立てる音がかわいい」と拡散。フォロワーが1日で8000人増え、21万以上の「いいね」を獲得した。  この成功体験をもとに、「雪だるま形の干菓子など、見た目がかわいい定番商品をクリスマスなどの季節イベントに先駆けて投稿。それが若者の間で拡散され、ECサイトでの売り上げが急増、というサイクルを作れるようになってきた」(良和氏)。
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・他にスライス形状にすると良い製品は。 ・どう売るかも大事。ビジュアルが明快。
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yamada50 · 1 year
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下松市の由来となった大内氏始祖伝説をもつ降松神社 ご神紋は大内氏の家紋「大内菱」です 推古天皇の御代に青柳浦の一松の樹に大星が降り七日七夜輝いて「吾は天之御中主尊なり、今より三年ならずして、百済国の王子来朝すべし、其の擁護のために天降りし」という託宣を受けた伝説をはじめとする1700年の古社です これが降松、すなわち現在の下松市の由来です その3年後大内氏の祖先とする百済国の琳聖太子が来朝し北辰妙見社と称え創建しました 周防大内氏の全盛期は南北朝時代から室町初期の9代当主大内弘世、10代当主大内義弘親子といわれますが、そのルーツは「大内氏多々良譜牒」によると推古天皇19年��611)百済国聖明王の第三皇子である琳聖太子が周防国佐波郡多々良浜に着き、摂津国荒陸(あらはか)で聖徳太子に謁見、聖徳太子より多々良姓を賜り周防国に下向し本拠地にしたとあります これは後世になりかなり盛った伝承とされるのが概ねの見識です 大内氏の歴史を見ると貿易商人として手腕を見せるも大体毎回家督継承争いが起きますが室町中期14代当主大内正弘になって「大内氏多々良譜牒」を作成し百済王朝の琳聖太子の子孫を主張しすることで一家をまとめようとしています 多くの大名や武家は源平藤橘にある家を先祖と称することが多いですが、渡来人を祖先とする大内氏は守護大名というより貿易商人としての優位性を見ていたと思います #降松神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 降松神社(くだまつじんじゃ) 鎮座地:山口県下松市河内1984番地 主祭神:天之御中主尊 社格:県社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社#神社巡り#神社好き#神社好きな人と繋がりたい#神道#shrine#shinto#日本の風景#参拝#神社巡拝家#recotrip#神社フォトコンわたしと神社#神社と四季#御朱印#御朱印巡り#御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築#神社仏閣#パワースポット#山口県#下松市#妙見信仰#大内文化 (妙見本宮 降松神社) https://www.instagram.com/p/CnwowqnvQEi/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
    通巻第8070号
 AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
  文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
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 わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
 「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
 このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
 『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
 皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
 しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
 生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
 きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
 文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
 紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
 ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
 「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
 額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
 「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
 ▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
 『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
 『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
 古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
 江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
 井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
 上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
 近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
 描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
 谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
 「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
 ▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
 「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
 「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
 「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
 サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
 わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
 こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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kijitora3 · 7 months
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中朝にスポーツの概念は、ない 当然ルールもフェアプレーも関係ない こんな国とは対戦しないことだ こっちが怪我するだけだ 野蛮国は相手にしないことだ
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kennak · 21 days
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大阪市の中学1年生が創刊した手作り新聞「日本中学生新聞」のX(旧ツイッター)アカウントが2日までに更新され、大阪維新の会代表で、大阪府の吉村洋文知事(48)が2025年大阪・関西万博の建造中の木造リング(大屋根)をめぐり、批判的なコメントをしているとして、テレビ朝日系の情報番組「モーニングショー」のコメンテーターで、元テレビ朝日社員の玉川徹氏をやり玉に挙げ「出禁」発言をしたことに言及した。  吉村氏は3月23日、大阪府茨木市で開かれた「大阪維新の会のタウンミーティング」で、「今批判している、名前言いませんけど、モーニングショーの『玉川徹』。今批判するのはいいけど、入れさせんとこかと。入れさしてくれと、これ見たいって言っても、モーニングショーは禁止。玉川徹は禁止って言ったろかな��」と発言。当日に撮影されたとみられる動画がSNSで拡散され、波紋を広げている。  批判の声があがる中、日本維新の会の馬場伸幸代表は1日、自身のXで「イッツ・ア大阪ジョーク。わからんかな?」と吉村氏を擁護したが、この投稿にも多くの批判が寄せられ、火に油を注ぐ状況となっている。  日本中学生新聞は馬場氏の投稿を貼り付け、「万博に行くか行かないかは個人の判断で自由になりますが、大阪府知事、万博協会の副会長の立場である吉村洋文氏の発言として、個人に対して『禁止』の言葉は大阪ジョークではなく、いじめに該当します」と指摘。この投稿にXユーザーからは「中学生の方がしっかりしてる」「吉村も馬場も中学生に怒られる」「いい大人が中学生に諭されるというw」といった声があがった。
「中学生新聞」が吉村知事の「玉川出禁」発言ピシャリ 「中学生の方がしっかりしてる」と反響(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
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takmiblog · 27 days
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音楽の手触りを取り戻す
 「賢すぎる。もっとバカになって!」。リハーサルで、若い奏者に発破をかけ続ける現場に立ち会ったことがある。賢い人は、我を忘れて夢中になる姿をさらすことを恥ずかしがる。分別のつかぬ子供こそ、小澤さんにとっての最上の師だった。
 「バカ」の対極であるアカデミズムからは距離を置いた。独学で作曲家になった武満徹さんの、最良の理解者となった。1967年、邦楽器が独奏を担う武満さんの「ノヴェンバー・ステップス」を世界に放った。内なる衝動が波紋となり、墨がにじんだような茫漠とした輪郭が生まれてゆく。初演地のニューヨークでの熱狂は、音楽の手触りをシステムから人間の手へと取り戻す道を、2人の若き異邦人によって示された衝撃に対する反動だったのかもしれない。
2024/03/30 朝日新聞夕刊(編集委員・吉田純子)
惜別
指揮者 小澤 征爾さん
「もっとバカに」 熱狂を世界へ
Seiji Ozawa
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geniusbeach · 1 year
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石の言葉
 名古屋を巡る車の中で、静岡に砂丘があることを友人から教わった。鳥取以外に砂丘が存在することは意外だったが、私はちょうど、ぼうっと眺めるだけで済む単調な風景を欲していたところだった。というのも、このところ雑事に追われていたせいで、精神は干された雑巾のように疲弊しきっており、何事に関しても乾いた考えしか浮かばなくなっていたからだ。友人に請うて予定を変更し、翌日足を伸ばしてみることにした。
  三月某日。朝から曇天。連休の中日であるせいか車道はしばしば滞った。昼過ぎにようやく浜名湖に着き、そばにある店で鰻を食べつつ、私は植田正治が撮影した写真を思い出していた。白い空と白い砂に二分された画面の中央に、黒い服を着た人物が立っている。現実から遊離した夢のような断片。まるでタンギーの時空にぽつんとある、マグリットのオブジェ。新しいのにどこか懐かしい、シンプルで強烈なイメージだ。そんな不思議な光景が、この先で待っているだろうか。重箱の蓋を閉め、肝吸いをすする。椀のなかにある黒い背景と白い肝のネガポジを反転すれば、近くて遠い異世界が現れるだろう。思いもよらぬ効果は、そのように簡単な操作で得られるのかもしれない。携えたカメラで何かを撮ってみよう。
 中田島砂丘は浜松の南部に位置し、遠州灘に面している。砂は、その東端が接する天竜川の上流から運ばれてくるそうだ。駐車場に車を停め、滑り止めが敷かれた小道を歩いて登って行く。林を抜けると視界が開けた。友人が声を上げる。空と、一面の砂が広がっていた。砂原へと続く急斜面を、足を取られながら興奮ぎみに降りる。すると、不意に下方から視線のようなものを感じ、私は立ち止まった。目を凝らすとそれは人でも動物でも虫でもなかった。石であった。坂の下に、じっとこちらを見つめている石があったのだ。遠ざかる友人をよそに、砂に顔を打たれながら、私はそれを見た。あたりにごろごろ転がる石とは何かが違う。風と波の果てしない響きのなかで、その石は白くきわだち、寂しそうだった。
 私たちにはどこか通じ合うものがあった。ルートを外れ、靴にざばざばと砂が入り込むのも構わず、石のもとまで無心で下って行った。拾い上げると、それは花崗岩であった。美しい卵型をしており、側面に少し平べったい部分がある。表面はチョコチップアイスを思わせる、白にわずかな黒のまだら模様。握ってみるとたしかな重みがあり、旧知の仲でもないのに、手にしっくりとなじんだ。持ったまましばらく考え、その石を散策の相棒にすることに決めた。
 石は、大人しい。しかしその性質はなかなか気難しい。浜を東へ歩いていく途上、こいつをどう扱おうかと悩んだ。ぐっと握りしめたり、持ち上げたり、掲げたり。ときに置いたり、立てたり、回したり。はたまた投げたり、落としたり、転がしたり。その全面が顔ともいえる、しかしいっさい動いてくれないカタブツをなだめすかしながら、何枚も写真を撮った。そのうち何やら、石の言葉が聞こえてくるような気がした。しかしその言葉とはいったいどんなものだろう。
 雨に濡れて。/独り。/石がゐる。/億年を蔵して。/にぶいひかりの。/もやのなかに。
 そう書いたのは詩人草野心平だが、なんでもない石について、石そのもののごとく簡潔に、そこに秘められた歴史と存在の必然性を言い表している。なおかつ映像的でもあり、事物を外部から見た限界ぎりぎりのところを巧みに描写している。とはいえ、それは石の発した言葉ではなく、あくまで人間から見た石の姿にすぎない。最終的にその主張を想像して汲み取るのは我々読者だ。詩人石原吉郎によれば、詩とは「沈黙を語るための言葉」だという。結局、我々が読めるのは「書かれた詩」でしかない。ほんとうの詩は事物と感興との沈黙の関係にあり、口にしたとたん霧消してしまうたぐいのものなのだ。ただしその意味で、カメラは言葉と同等に詩をつかみ得る道具となる。
 石の言葉の意味は石にしかわからないが、聞くことはできる。それは生成と漂着の場所にこだまする音に根ざしているはずだ。ここは砂丘。海と空と砂と風がある。それらを組み合わせて固めた言語が質量となって、いま手のなかにある。石の組成、つまりこの風土の中心に改めて石を据えてみようと思った。空へと放り投げて、あるいは、太陽と重ね合わせたシルエットに向けて、シャッターを切る。一連の試行錯誤の末、徐々に一個の石の多様な側面が見えてきた。浜にある無数の石の中、風紋を斜めに切る光彩と陰影の間、人の足のような流木の上、それぞれの関係性の中で石は表情を変え、異なる何か訴えかける。それは静かだが、熱のこもった対話であった。
 石のようになかなか動こうとしない私に友人はやきもきし、途中からどんどん先に進んでいった。帰りがけに走って追いついたところ、持って帰るつもりかと聞かれた。私は黙って首を振り、堆砂垣の向こうにそっと転がした。ホテルに戻ると、お気に入りを見つけたと言って、友人はポケットから小さな黒い石を取り出してみせた。彼は彼で写真を撮っていたらしい。そうしてにやりとしながら差し出されたカメラの画面には、私と石の出会いが切り取られていた。少し笑うと、名残惜しさが込み上げてきた。ふたたび永遠の海亀の卵へと還った石は、満月とともに夜を語り明かすにちがいない。ここちよい疲労に包まれてほんとうの石となった私は、夢幻のなかでその会話を聞いただろうか。
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今日のNHKスペシャルは、ジャーナリズムとしての使命を放棄した内容。 『安倍元首相銃撃から1年 事件の深層と波紋』 様々な留意をつけたが、暗殺犯にも理由があると擁護するかのような内容。 紛れもなく暗殺は殺人。 選挙中の暗殺という民主主義を崩壊させかねないことへの危惧は、分析が全く無し。 NHKは、朝日新聞阪神支局襲撃事件も、理由があったと分析し擁護するのだろうか。 絶対にあり得ないことだ。 選挙と民主主義とは何か?テロの非道さを、NHKはしっかり考えるべきではないか。
和田 政宗さんはTwitterを使っています: 「今日のNHKスペシャルは、ジャーナリズムとしての使命を放棄した内容。 『安倍元首相銃撃から1年 事件の深層と波紋』 様々な留意をつけたが、暗殺犯にも理由があると擁護するかのような内容。 紛れもなく暗殺は殺人。…」 / Twitter
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逸脱
 トンネルの入り口に蔦が絡み付いている。名前が書かれたプレートはもうすぐで文字が見えなくなってしまいそうで、まるで血脈を広げるように蔦がトンネルの中へと触手を伸ばしているようだった。僕は、いずれこのトンネルごと蔦に飲み込まれてしまう景色を思い浮かべた。
 多くの通勤者にとって、このトンネルは都心の会社へとつながる道程だった。車道の横に歩道が整備され、車が通ることはほとんどなかった。僕は、このトンネルに毎朝足を踏み入れるたびに、いつもむくむくと心の中で天邪鬼が燻り始めるのを感じる。それというのも、あまりにも綺麗に、歩行者が左と右に分かれて歩いているからである。無論、それは指示されているわけでもなく、導線がひかれているわけでもない。ただ自発的に左側通行を当然のこととして、おそらく無意識のうちに自分の体を左側に寄せるように足が動くのである。その結果、長い列が糸を引くように左右に出来上がるのである。
 それはルールとして当然だろう、という声が自分の中から聞こえてくる。しかし一方で、その行列の中にいる自分を俯瞰的に見ると、違和感を覚えるのだった。あまりにも秩序だった光景のなかに、己が埋没して窒息してしまうような気持ちになった。靴が地面に当たる音がトンネルのなかに一定のリズムで響く。皆、前を向いて、その秩序を乱すまいとするかのような空気。一列の長い行列を作ってトンネルに進入する僕らは、その出口で完成形の戦力として吐き出される企業戦士だった。僕の中の天邪鬼は「お前、真ん中を歩いてみろ」と囁いてくる。しかし、そうすることが憚られるほど、その空間は秩序だっていて、隙間というものが存在しなかった。
 しかし、その秩序のなかに一ヶ所だけ、乱れが生じる場所があった。それは、トンネルのちょうど真ん中あたり。白髪で髭の伸びた男性が、地べたにダンボールを敷いて座っている場所だった。いくばくかの生活の必要なものを詰めたと思われるリュックを横に、いつも男性はじっとうずくまっていた。まるで、一定方向に流れる川の流れが岩にぶつかり、その周りだけ曲線が膨らむように、トンネルの流れは、男性の周りだけ弛緩していた。物理法則のように、男性の周りだけ膨らむ流れは、実際にところは不明だが、多くの通行者にとって男性の存在がその場所にある物のように見えていることを強調しているように見えた。
 僕は、その男性の横を通るときいつも、大勢の靴が地面を蹴る音が、彼にはどのように聞こえているのだろうかということを考えていた。その靴の音はまるで、私たちとその男性の間に一本の線を引くように、暴力的にトンネルの中を鳴り響いていたからである。僕には、その音が、仕事をするもの、しないもの、あるいは生産活動に従事するもの、しないものという、ただその一点のみに集約された区分を強迫的に私たちに突きつけているように感じられた。
 その男性は、あるときは全く姿を見せなくなったり、そうかと思えば、夜、仕事を終えて駅に向かって歩いていると、またそこに戻っているというような具合で生活をしていた。あるときは、どこかで拾ってきた本を読んでいたり、あるときはどこかで調達してきたおにぎりやお弁当を手に持っていたり、そしてあるときは、見知らぬ誰かが、「食べてください。困ったことがあればいつでも連絡ください」とポストイットとともに食料が置いてあることもあった。男性は姿を見かけるときはいつも、静かにそこに佇んでいた。その姿が、僕には全てを達観している仙人のように見えて、いつしか僕はその男性のことを師匠と勝手に心の中で呼ぶようになっていた。
 僕は、師匠が駅の近くで動き回っている様子を見かけたことがあった。車がビュンビュンと走り抜ける通りの反対側で、道端で体を折り曲げながら、なにやらゴミ袋のようなものを運んでいたように見えた。それは、暑い初夏の日で、師匠にも容赦なく太陽が照りつけていた。近くで見ていたわけではないのに、額から汗が吹き出して、汗で背中に服が張り付いている様子が目に浮かんだ。師匠にとってはそれが日常だったのだろう。
 次第に、師匠は僕の決まり切った毎日の生活のなかで、唯一、僕自身という水面に波紋を引き起こす存在となっていった。師匠は孤独ではないのか、師匠にとって生きるとはいかなる意味を持つものなのか、師匠はなぜ生きているのか。そうした問いが僕の中で生まれてはぐるぐると回って、次第にそれは己の中の奥深い部分へと侵入するかのように、全て自分へと問い返されるのであった。
 事件が起きたのは、ちょうどお盆を迎えようかという8月の半ばごろだった。僕がそのことを知ったのは、ネットの記事によってだった。スマホの画面上にいつも歩いているトンネルの遠景写真が載っていた。捜査員が路上で現場検証をしている様子が写っていた。未明に3人の少年によって、ホームレスの男性が襲撃され死亡。師匠のことに間違いなかった。
 僕は、翌日、あのトンネルへと足を運んだ。入り口��ら出口まで、規制線が張られ、警察官が立っていた。誰もいなかった。
 師匠は誰によって殺されたのか。
 僕の頭から離れなかったのは、少年たちの供述として書かれた一文だった。
「遊びみたいなもんだった。ホームレスの人たちを見下していた」
 その一文が僕にとって大きな意味を持った。なぜなら、そうした社会の空気を作り出しているのは、自分がしている仕事そのものではないかと思ったからだった。
 ホームレスは視聴率が取れる。そんな言葉を職場でしばしば耳にすることがあった。僕は、テレビでニュース番組を作る仕事していた。ニュースと言っても、ワイドショーと大差ないようなもので、常に映像にインパクトがあるものが求められた。それが高い視聴率をとる上で鉄則とされていた。ホームレスの人たちは、だから格好のネタと認識されていて、先輩たちは、その認識を疑うこともなく口にした。しかし、どれもこれも、まるで私たちとは違う生き物を興味本位で覗き見するかのような内容のものがほとんどで、それらは単なる好奇な眼差し以上のなにものでもなかった。肥大化した大衆の欲望を刺激し続けるメディアにとって、普通から逸脱した存在は、格好の捕食対象だった。それが僕のしている仕事の本質なのかもしれなかった。
 僕が日々仕事として生産しているものとはなんなのだろうか。それは果たして社会の役に立っているのであろうか。急に僕の目の前にトンネルの光景が広がった。トンネルを歩く人たちと師匠との間に大きな溝が広がっていた。その溝をせっせと掘っているのは、他でもない自分自身だった。そして、一方の溝の縁に立って、多くの群衆が師匠に溝の中に飛び込むように囃し立てていた。僕はただそれを遠巻きに眺めているだけだった。
 師匠を殺したのは誰なのか。
 僕の目の前には、いつもと変わらぬ日常がありふれていた。いつものように、スーツを着た無数の人たちが、いつものように駅のコンコースを歩いて行く。
 あのトンネルに差し掛かろうとしていた。
「お前、真ん中を歩いてみろ」
 天邪鬼が僕に囁いてくる。
 しかし僕はいつものように、体を左側に寄せて群衆の中へと引き寄せられていく。師匠がいた場所の周りは弛緩することなく、革靴がトンネルの中を響いていた。間違いなく僕もそのなかの一人だった。
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jaguarmen99 · 5 months
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25歳で、《稼いだ金で朝から晩まで大麻漬け》になり、26歳のときには《日本でも毎月30g買い始める》ようになっており、27歳のときには《毎月大麻代100万円》使用していたと明かしている。そして、昨年より《日本で大麻会社をしながら近隣諸国で大麻を吸うライフスタイルが完成》したそうだ。現在、このサブのアカウントは凍結されており、これに対して松本氏は20日に、メインのアカウントで《本当の事書いてたら凍結された》と綴っている。
15歳の時に寮で栽培…波紋呼ぶ“大麻グミ”製造会社の社長が明かしていた「長い大麻歴」 - ライブドアニュース
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alen09blog · 9 months
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想成為一次元
我曾經相信,人生只會朝著一個方向流動。當時的一切都更加容易,也更加簡單,只需要竭力擺脫束縛自己的事物就好,只需要看著前方、卯足全力奔跑就好。然而,無止境奔跑這十多年之後,我所到之處依舊是那個原地。 有些記憶永遠不會變成過去。(頁131)
到目前為止,我看過的書都告訴我,苦難與不幸是為了被克服而存在。孫悟空與哈利波特、娜娜與魯夫,一些堪足以承受的考驗加諸於這些角色身上,而這些試煉不過是為了讓即將到來的幸福更加美麗、更加耀眼的一種裝置。 但是,生活中出現的不幸卻沒有那麼容易克服。它會十分漫長,也許終其一生都會用類似的型態反覆出現。我在相對較小的年紀時,就透過父母學到這件事。(頁308)
我過去一直告訴自己。我不想去感受任何的情緒與感覺,或是任何其他東西,結果真的變成什麼都感覺不到了。對於允道、泰瑞和害怕人生就此墜落的那些苦惱,也在頃刻之間成為過往。 我曾經希冀自己能從一切事物中逃亡,哪怕只有一瞬間也好;在耗盡全身力氣後,不知道從何時起,這些事情就像真的沒有發生過一樣,留在心中的只有一片迷茫。就這樣,這個空缺中再沒有任何有價值的事物。 我只是一直空蕩蕩地,在那個位置上慢慢老去。(頁374)
朴相映《想成為一次元》(1 차원이 되고 싶어)(鄧宸瑋譯)
把書闔上,我也想像紋紋一樣,劈頭問主角:「為什麼是允道?」
閱讀此書可算是全球化意義的文化驗收了。出於世代相近作家之筆(朴相映1988年出生),同處上世紀末東亞四小龍經濟共榮圈的成長脈絡,設定其中人物情節,追憶少年昔日,自然而然,具體而微地,召喚出共享之娛樂文本(哈利波特、春光乍洩、重慶森林、霍爾的移動城堡、NANA、Coldplay、艾薇兒等)、社會模式(出櫃與校園霸凌;出國與跑路)、媒體格式(前SNS年代的部落格書寫、電視與雜誌宰制的大眾流行)等風格型態,我完全能同步而無段差地接收。
故事框架在這樣的格局內,即使是酷兒,自不例外;其特殊意義,因時空條件得以展露。這是一份參照式證詞,書寫與遺忘對抗。一方面重建主角破碎的記憶,一方面揭露傷痛的無所遁形,藉此安慰,彷彿鎮魂——始於老城的重建,在廢棄樂園池中,發現了竹馬泰瑞父親的白骨,末了舉辦四十九齋禱告儀式——這首尾相應的安排是過分聰明的酷兒式書寫,關於主角長久抑壓的罪惡感來由,一場揭露實是建造一條甬道,如此包裹,掩飾同時暗示,嚴密把風得以陳情自訴。
同學熙榮藉由緊迫盯人的觀察(監視),誤打誤撞地道出一個又對又錯的事實,「他從來沒有喜歡過任何人,也不懂什麼是喜歡(頁377)。」不容於世道的情感,主角、允道、泰瑞,膝跳反射般全面護衛自我的保全機制,表面上那樣愛護自己,卻又彷彿能為鏡像般的對象粉身碎骨在所不惜,無非是自信心低落,對自我存在澈底輕視。連自愛都沒有的人,又能如何愛人?
所以,儘管主角與允道的初戀悲哀作結,「一次元世界」自始作為二人約定的生存之道:
如果你跟我連結在一起,就會形成另一條線,也會在窗外創造出另一個世界(頁122)。
只要縮小成一個點,什麼也不是,便無所畏懼;彼此連結,足以抗衡無垠暗夜。作者引為一種酷兒書寫的敘事策略,主角連結起自己的過去與現在,兩點一線,穿過了盤據在天花板牆角「壓迫著我的整個存在(頁130)」的黑影,沿此視線,艱難回望,「彷彿是很久很以前的我,把頭轉向現在的我(頁400)。」終於取得諒解。
......
老實說,我無法釋懷,二度撕掉泰瑞(告白?)信、丟掉泰瑞送的書(《涼宮ハルヒの憂鬱》),甚至推泰瑞去死的主角(!)。
不過,到底是主角還是熙榮,誰更瘋呢?
(頁45提到) Nell - 어차피 그런 거(反正那種事)
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minatokucarpet · 1 year
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palakona · 1 year
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阪奈園へら鮒センターでジャミに襲われる
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2023年4月、阪奈園へら鮒センター(大東市) PENTAX Optio W60
どうも、こんにちは。4月9日(日)は、阪奈園へら鮒センターに行ってきました。前日は強風、この日は冷込み…。天気は良いんですが、渓流釣行は山間部に行くことになるので、この冷込みだと寒いのではないかと。なので、へら釣りに行くことにして、阪奈園へら鮒センターにやって来ました。
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2023年4月、阪奈園へら鮒センター(大東市) iPhone11
先々週、Fさんがこの釣り座で30枚の釣果があったとのこと。空いてた〜(嬉)とワクテカで座りました。エサ打ちすること約1時間…浮子が動かへん(悲)
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2023年4月、阪奈園へら鮒センター(大東市) iPhone11
ピクッという小さな魚信を捉えて手応えあり!やっと釣れた〜と思ったが、引きが変。掻いてますやん…(ノ_-;)ハア…
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2023年4月、阪奈園へら鮒センター(大東市) PENTAX Optio W60
あまりの釣れなさに、魚信が渋いのかとウドン浮子に換えてみました。感度はいいはずなんだけどな〜。そもそも魚信がない。
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2023年4月、阪奈園へら鮒センター(大東市) SONY α7+SELP1650
午前中、まさかのボウズ。Fさんが30枚釣れたという釣り座を捨てて東側に移動しました。竿も8尺に尺数変更。しかし〜、浮子が全く動かない。糸スレもなし、サワリもなし。
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2023年4月、阪奈園へら鮒センター(大東市) iPhone11
天気はむちゃくちゃ良いんだけどな。1号池はオタマジャクシだらけ。写真の水面に見える波紋もオタマジャクシ。釣れなさすぎて、ひょっとしてオタマジャクシの所為とちゃうかと。水底がオタマジャクシだらけやったら、底釣りしようにもヘラブナが餌を食いにくいとか。
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2023年4月、阪奈園へら鮒センター(大東市) iPhone11
2号池に移動したら、浮子が動くw。朝から動かない浮子を眺めていたので、触りに飢えてますw。喜んでたら釣れました…ジャミが。しっかりフッキングしてる。
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2023年4月、阪奈園へら鮒センター(大東市) SONY α7+SELP1650
両ウドン床釣りデビューをする前、両グルテン床釣りで釣ってた時に、昨秋9月か10月の隠れ谷池でジャミの多さに驚いたことがあるのですが、阪奈園へら鮒センターのジャミの猛攻にビックリ。ウドンて固形餌なので、ジャミに強いと思っていたのですが、まったく無力でした。エサを投入して浮子が馴染むのは一瞬で、すぐに浮子が返り始めて数秒でエサ落ち目盛が出てしまいます。釣りにならへん(悲)。始めてまともにドロを使ってみましたが、ほとんど効果がありませんね。しばらく使ってましたが、手も道具も汚れるし、ジャミに全く効果がないのでドロをやめました。それでも、ヘラブナの魚信が混じるのではないかと期待していたら、浮子がスーッと横に移動。アワセてみたら釣れました。ヘラブナもジャミサイズなんですね。一応フナですし、ボウズ脱出で良いんですかね…
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2023年4月、阪奈園へら鮒センター(大東市) PENTAX Optio W60 
やっと釣れた2枚目もこのサイズ。まったく嬉しくなかったので、どうやって釣ったかも覚えていない。しかし、どんな状況でも釣る人はいるもので、2号池陸桟橋南向き中央で釣ってた人は、ジャミの猛攻を凌いでヘラブナを寄せたらしく、バンバン釣ってた。僕が見た限り、この日一番釣ってましたね。1号池陸桟橋北向きでは釣りクラブの例会をやっていたが、一番釣ってた人で5枚ぐらい?釣ってた人も先週ボウズって言ってたなあ。
ということで、4月9日の阪奈園へら鮒センターは、小鮒2枚でした。実質的にボウズですね。
では、また。
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ari0921 · 9 months
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我が国の未来を見通す(77)
『強靭な国家』を造る(14)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その4)
宗像久男(元陸将)
─────────────────────
□はじめに
 前回、字数の関係で先送りした“論点”を先に紹
介しておきます。先日、都内某駅前の道路を歩いて
いた時、ある建物の入り口いっぱいに「軍拡より生
活 平和な未来を」と2行にわたる大きなポスター
のような看板が目に入ってきました。確かにそのよ
うな主張する政党などもありますので、政党か何か
の建物かと思って注意深くみてみますと、何と、立
派な“病院”でした(細部はあえて省略します)。
しばらくの間、「病気やけがを治し、人の命を救う
病院の玄関にふさわしいのだろうか」との疑問が頭
から離れませんでした。
最近、沖縄の与那国島では「自衛隊が来たからミサ
イル攻撃の目標になるのが怖い」と発言する住民の
声があたかも島民の大多数の考えのように報道され
たり、石垣島では「自衛隊を人口に含めるな」との
某地元紙の社説も波紋を呼びました(さすがに後日、
謝罪記事を掲載したようですが)。
現役時代から、何度もこのような主張を耳にしてき
ましたが、立場上表立った反論はできませんでした。
今はもう“失うものはない”ので、あくまで個人的
な率直な印象のみを述べておきたいと思います。
病院の看板は、「軍拡、つまり防衛力を増強すれば、
生活が苦しくなり、平和も壊れる」と言いたげなフ
レーズですが、逆に「軍拡さえしなければ、生活が
豊かになり、平和も続く」と信じ込んでいるのでし
ょうか。
言うまでなく、防衛力を増強し、自衛隊を国土の隅
々まで配置する目的は、現在の国民の生活や我が国
の平和が永遠に続くよう万全を尽くすとともに、万
が一にもそれが侵されそうな事態になった時には、
まさに“病院が病人やけが人を治す”ように、被害
を最小限にするための処置です。つまり、上記のフ
レーズは、言葉を代えれば、「病院があるから、病
人やけが人が出る」と言っていることと同じなので
す。優秀な医者の先生方の集まりである病院がなぜ
そのことに気がつかないのか、不思議でなりません。
残念なのは、このような方々は、「普段の生活や平
和がどうやって維持されているのか」などには全く
考えが及ばず、それどころか、「何も抵抗せずにし
て外国に占領されても、普段の生活や平和が維持で
きる」と勝手に思い込んでいる節があることです。
古くは欧米列国の植民地、現在でも中国の占領下に
あるチベットや新疆ウイグルで何が行なわれている
かを知れば、そのような考えは一挙に吹っ飛ぶはず
です。
関係しているマスコミ人も同様の認識なのでしょう。
「表現の自由」を盾に、「自衛隊がいなくなれば、
簡単に占領されてしまう可能性がある」ことなどに
は全く思いが至らず、“思慮が至らない”街中の声
をあたかも真っ当な意見のように報道するのだと思
います。
我が国は、戦後70年余りの間に、どうしてこのよ
うな“能天気な大人たち”を大量に輩出してしまっ
ているのでしょうか。それでも、一般の国民の皆様
には正確な情報が届かず、学校でも教えられず(た
ぶん、逆のことを教えられ)、国の防衛などについ
て考える機会も余裕もなかったと言い訳ができるこ
とでしょう。
しかし、一部のマスコミや政治家、そしてその道で
は優れた知見をお持ちの高名な有識者の中にも同じ
ような思想を持っている人がかなりおられるのはシ
ョックです。一例を挙げましょう。最近、手に取っ
て読ませていただいた1冊に『主権者を疑う』(駒
村圭吾著)があり、「主権者とは何か」を考えさせ
てくれる、私に取りましてはとても興味深い1冊で
した。
しかし、その「はしがき」には、「改憲と言う重大
なプロジェクトの前提となるような、“今そこにあ
る危機”や“忍び寄���危機”がどうしても見当たら
ない。少なくともそれらが“国民に共有される”よ
うなかたちで議論が展開されていない」として、著
者は、「憲法改正を否定しているわけではないが、
私が否定的なのは、意味不明な政治状況で改憲が提
案され、議論されることに対してである」との立場
を述べていました。
ことさら批判する気はありませんが、正直、「これ
ほど優秀な方が、またこれほど勉強しているのに、
もったいないな」との印象を持たざるを得ませんで
した。書籍を発刊するような有識者は、少なくとも
国民を誤って誘導するような言動は厳に慎むべきと
思いますが、現時点においても我が国には様々な課
題が山積しており、近未来も、遠い将来も、国内外
の情勢がますます厳しくなる可能性が大と考えます。
一方、これほどの「危機」が差し迫っていても、
“眼をふさぎ、耳を閉じ、関心を持たなければ”何
も見えません。そして、そのような自分自身を、不
勉強とも、偏っているとも、恥とも思っていないこ
とでしょう。
私が「もったいない」と考えたのは、少しでもそれ
らに気がつけば、また違った視点で「主権者」につ
いて解説できたのではないか、と考えたからでした。
このような認識の方々から導かれる結論は、せいぜ
い「今のままで何が悪いのか」でしょう。かなり多
くの政治家、マスコミ人、有識者、そして我が国の
未来などに関心もなければ考えたこともない、大多
数の国民はこのような認識で留まっているものと想
像します。そして、そのような“現実”を知ってい
るから、小室氏のような方でも“歩き出す”で止ま
ってしまったではないでしょうか。
我が国の最大の課題・問題点は、小室氏が「アノミ
ー」と表現した社会現象に代表され、かつ「権利の
み主張し、義務を果たさない国民」とか「3メート
ル以内しか関心がない若者」と揶揄されるような、
多くの日本人の「行動原理」にあると考えます。そ
れが「政局と選挙しか考えない政治家」とか、自己
主張に固守し「目立つことしか考えない言論人」な
どを生み出し、それが巡り巡って、このような現状
を“矯正”できない主要因となっていると考えます。
よって、少数の先見者が様々な形で警鐘を鳴らして
も、あるいはウクライナ戦争のような具体例をもっ
て注意喚起してもほとんど届かないのでしょう。
我が国が少なくとも現状程度の「国力」を保持し、
国際社会で「名誉する地位」を保ちながら、後世に
この日本を残すために、私たちの世代がやらなけれ
ばならないことは、「国力」の要素のどれ一つとし
て簡単なものはないと思います。どうしても「ソフ
ト・パワー」として、個々の要素を束ねて向かうべ
き方向を定める「国家戦略」のようなものが必要と
考えていた矢先でした。
偶然にも「戦略は統治を超えられない」という言葉
を見つけ(『軍事と政治 日本の選択』(細谷雄一
編)より)、再び立ち止まりました。歴史を振り返
ると、大正時代の政治家や有識者たちも当時の内外
情勢の変化などに無頓着で、主に大日本帝国憲法に
謳われている我が国の「統治機構」がこのままでよ
いのか、などには露ほども思いが至らなかったよう
ですが、それが「激動の昭和」を迎える大きな要因
にもなりました。
見方によっては、大正時代と現在は“よく似てい
る”と考えますが、最大の違いは「主権が国民にあ
る」ことでしょう。つまり、最終的には、どうして
も“統治”の主役である「主権者」の「行動原理」、
その基となる「国民の精神」に行き着くのです。
「戦略は統治を超えられない」は、改めて、「現憲
法下で我が国は未来へ立ち向かうことができるのか」
を私達に突き付けているような“重い言葉”となっ
て響いてきます。そしてその先に、大方の“能天気
な国民の精神”を、戦争や天変地異や外圧に委ねる
ことなく、“内側からの改革”として、どのように
変えていけばよいのだろうか、という命題に突き当
たるのです。
細部はいずれまた触れることにしますが、またして
も「任重く道遠し」の感を一層強くしながらも、気
を取り直して、今回以降、再定義した「国力」のそ
れぞれの要素を分解しつつ、我が国が向かうべき方
向、私たちの世代があらゆるものに優先してやるべ
きこと、やらなければならないことを微力ながら導
き出そうと思います。
▼「人口」が「国力」に及ぼす影響
「はじめに」が長くなりました。さっそく 前回取
り上げたように、「国力」の柱となる「ハード・パ
ワー」のそれぞれの要素から考えてみましょう。そ
の筆頭は「人口」です。
これについては、本メルマガの第1編で18回にわ
たり、様々な角度から割と詳しく分析し、書き綴り
ました。興味ある方は、バックナンバーをお読みい
ただきたいと思います。それにしても、最近、「少
子化対策」などを取り上げる記事や解説が目立つよ
うになりました。「少子化」などの文字自体が多く
の国民の目に触れることはとても良いことと思いま
す。
私はすでに、「少子化対策」として「“3人産んだ
ら家が建つ”くらいの超異次元の政策が必要」と主
張しましたが、マクロ経済学の専門家・小黒一正氏
も「第3子以降、1時金1000万円に」と抜本的
な対策を提案していました(産経新聞6面(7月9
日朝刊))。小黒氏は、「“既婚者にさらに一人で
も多く産んでもらう”『有配偶出生数』を引き上げ
ことに資源を集中すべき」として、そちらの方が婚
姻率などを高めることなどより“近道”としていま
す。
最近、マスコミでは「500万円の壁」が話題にな
っています。内閣府の資料では、男性の有配偶者の
年収「500万円」が“子供を持つかどうかを分け
る最低ラインになっている”とのことです。一方、
既婚男性の年収は400万円台が最多で、不足分は
共稼ぎによって「500万円の壁」を突破している
ようですが、そうなると、出産・子育てを機に仕事
を辞めざるを得ないケースも珍しくありません。
すでに、パパ育休制度の推進とか児童手当の増額な
ども「こども未来戦略方針」に盛り込まれています
が、「月額数万円を増額したことで結婚や出産に踏
み切る人は少数派だろう」と分析されていることも
事実です。その対策として、公務員やサラリーマン
など社会全体で、“子育てが終了した世代の賃上げ
は抑制してでも、若者世代の賃上げを優先する”よ
うな、思い切った給与制度の改善なども必要なので
しょう。
イマイチ盛り上がりに欠けることに危機意識を持っ
たのでしょうか、岸田首相は、「政策を気兼ねなく
活用してもらうために社会が変わらなければならな
い」として、「少子化対策国民運動」をスタートす
ることを決意したようです。
しかし、今後、この国民運動が盛り上がるかどうか
は疑問でしょう。「どうやって社会自体をかえてい
くか」の提示もなければ、「最近の支持率低下を防
止するためのその場凌ぎ」などと揶揄されているよ
うでは、首相の“発信力(本気度)”が国民に届く
可能性が低いように思えてなりません(読む限り、
関連記事も1回のみでした)。
メルマガですでに取り上げましたが、我が国は、非
嫡出子が2.3%と50%を超えるフランスや北欧
諸国などと比較してとても低いことを例示しながら、
「日本の『少子化』の原因は、『直系家族病の病』」
だ」とするような意見(『老人支配国家日本の危機』
(エマニエル・トッド著))もあります。
トッドは、「核家族」化が進んできたとはいえ、
「日本に依然として強く残っている『家族』の過剰
な重視が『非婚化』や『少子化』を生み、逆に『家
族』を消滅させてしまっている」というのです。そ
の対策として、欧米のように、子育ても老人介護も
公的扶助によって「家族」の負担を軽減させる(ほ
ぼゼロにする)必要があると提言します。
これは、後に述べる日本の「文化」の問題でもある
のですが、「人口」は「経済力」と正比例の関係に
あることから、「国力」維持の“一丁目一番地”と
も言えるでしょう。その「人口」を確保するために
は、我が国の伝統的な「文化」の領域にまで踏み込
んで考える必要があるという点には私も同意です。
さて、「人口」の中の要素の「人的資源」について
これまでほとんど触れませんでした。世界に誇れる
「ものづくり」の精神や技術、及び(すでに紹介し
ましたような)無形の価値としての「インタンジブ
ルス」のようなものはすべてこの「人的資源」に包
含されると考えます。
一方で、後に詳しく述べる「教育」の実態や最近の
若い世代の価値観、そして「働き方改革」などによ
って大きな曲がり角にある雇用環境など考える時、
「将来の『人的資源』は大丈夫だろうか」との懸念
を払しょくできないことも事実です。
「少子化」になればなるほど、一人ひとりの「真の
力」が試される機会が増えることは間違いないでし
ょう。幸い、AIをはじめデジタル化やロボットの
活用など、人的資源を補完する資源が増える傾向に
ありますが、それらを有効かつ適切に使いこなすの
は何と言っても「人間」でしょうから、「人口」の
質的側面の尺度としての「人的資源」は、“その時
代時代に適合する人材をいかに多く抱えるか”に集
約されると考えます。そのような視点に立った教育
や人材育成が求められてきていますが、それぞれの
“現場”はどうなっているのでしょうか。この続き
は、「教育」のところで触れたいと思います。
「高齢化」の問題点については第1編で詳しく取り
上げましたので省略しますが、焦点は、“「少子化」
がさらに加速すれば、国が滅ぶ”との「危機意識」
を全国民が共有できるかどうか、そしてどのように
して共有するか、にかかっていると考えます。
このような発言をすると“袋叩き”に遭うような気
もしますが、かつての日本には「産めよ、増やせよ」
という時代があったのです。この後に「地に満ちよ」
と続くフレーズは旧約聖書の言葉ですが、大東亜戦
争最中の昭和16(1941)年1月22日に閣議
決定されました。いわゆる“敵国”のフレーズをそ
のまま引用して人口増加を目論んだ当時の為政者た
ちは相当先の日本まで思い描いていたことでしょう。
今では、「軍国主義の象徴的な人口政策で、個人の
権利を侵害する決定であった」旨の批判もあります
が、翌日の「朝日新聞」1面は、「日本民族悠久の
発展へ」の大見出しで本閣議決定がトップ記事で紹
介されていました。敗戦はしましたが、この「唱導」
(当時は、このように呼んでいました)のもとの国
民精神が全国津々浦々に行き渡り、終戦時の約7千
2百万人から、終戦直後のベビーブームを含めて、
現在の1億人を超える大国になるまで成長させたの
でした。
ちなみに昭和26年生まれの私は、7人兄弟の末っ
子ですが、私たちの親の世代は、終戦後の食料事情
が極端に悪い中でも、我が国の未来のために子孫を
残してきたのです。「時代が違う」と言えばそれま
でですが、戦争を体験した世代のご苦労に比べれば、
「500万円の壁」などはさほどの障壁ではないと
思ってしまいます。要は、国民がこぞって「危機意
識」を持つかどうかにあると私は考えます。
そのためには、目先の「少子化対策」とか、言葉だ
けが先行している「こども未来戦略方針」などの内
容では何とも不十分で、冒頭に述べたような、「国
の形」を問う「国家戦略」の範疇に及ぶものと考え
ます。それについてはのちほど取り上げましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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kijitora3 · 8 months
Text
バスケに興味ないスポンサー企業のお得意さんにチケットばらまいたんでしょ そういうスポンサー企業はバスケを盛り上げたい!!っていうよりW杯でうまいこと宣伝したい!!!って方がメインで、もちろん金出してるから相応数のチケットは手に入るがその意味、値打ちがわかってないんだろうな
文化の死滅を見るようだ
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kennak · 8 months
Quote
ドメスティックバイオレンス(DV)の被害者を守るため、自治体が加害者側の追跡を阻む仕組みがある。来年で創設20年となるDV等支援措置だ。被害者が安心して新生活を送るために欠かせない制度だが、裁判の行方によっては根幹を揺るがしかねない訴訟が高松地裁で争われている。 支援措置は2004年、国が住民基本台帳の事務処理要領を改正して始まった。 所管する総務省はホームページでこう説明する。 《配偶者からの暴力、ストーカー行為等、児童虐待及びこれらに準ずる行為の被害者の方については(中略)「支援対象者」となることにより、加害者からの住民票の写し等の交付の請求・申出があっても、これを制限する(拒否する)措置が講じられます》 総務省は18年、加害者の代理人弁護士からの請求にも同様の対応をするよう自治体に通知した。弁護士が訴訟手続きのために住所情報を求めることは日常的にあり、自治体が反射的に交付し「支援対象者」の転居先情報が加害者側に漏れる事案が相次いだからだ。 それから約3年が経った21年2月、香川県三木町から対象者と認められた40代女性は、自分の住民票記載住所などが載った戸籍付票の写しが、同町役場を通じて元夫側に交付されたことを職員からの電話で知った。前年にも同様に元夫側に交付され、指摘をしたばかりだった。DV被害女性の住所情報漏洩をめぐる訴訟で、町は情報漏出を認めながらも法的責任は否定しました。 町の主張が通れば、国の被害者保護制度が揺らぎかねない、との懸念が広がっています。 同居していた頃、女性と長男は元夫から暴言を吐かれ、暴力を受けてきたという。離婚後も車で追走されることが続き、相談した警察で勧められたのが支援措置の利用だった。女性と長男が対象者と認められた。町の担当者、確認不足は認める 2度にわたる元夫側への情報漏出に、町の担当者は確認不足を認め「今後は厳格に文書審査をおこなう」と文書で釈明した。 町の資料から、情報を請求したのは弁護士で、申請書には依頼主の元夫の名前は記されておらず、利用目的は訴訟手続きと記載されていたことが分かった。一方、町のシステム端末には、支援対象者の情報であるという警告メッセージが表示されていた。 「元夫が現れるのではないかという恐怖で、安心して暮らせない。あってはならないミスが2回もあったのに、再発防止策も示さず町の対応は鈍い。私だけの問題ではすまない」 女性は昨年8月、総務省の通知などを根拠に、「町には依頼主が誰かを確認すべき注意義務があった」として、過失責任を問う損害賠償請求訴訟を起こした。 町の担当者が確認不足を認めていたことから、女性側代理人は主に損害の有無や程度を争うことになると考えていた。だが、訴訟での町側の主張は予想に反するものだった。
DV元夫側に住所情報 被害者に責任問われた町の主張が波紋:朝日新聞デジタル
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