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#擁壁の上の住居
kent-ar · 2 years
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スレッドデザインが、設計監理をさせていただいた戸建ての事例で、高台に建つ眺望の良い木造の住宅です。 Thread design studio :Mtn-house Photo:(株)VA 岡村靖子 #スレッドデザインスタジオ #Threaddesignstudio #instagramjapan #moderninterior #interiordesign #japan #house #white #residence #名古屋設計事務所 #住宅設計 #住宅 #外観写真 #木造住宅 #高台の家 #眺望の良い住居 #デッキテラス #板張りの軒天井 #大開口サッシ #擁壁の上の住居 https://www.instagram.com/p/Cee5g6avtXm/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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iseilio-blog · 11 months
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05/23  柴寮偶記
【一刀未剪】郭拋"核四"壓制侯友宜自己也倒頭栽?郭台銘喊"重啟核四"救民調 簡舒培:真正走在鋼索上的是郭台銘!張國城曝郭恐失新北300萬票源...│【焦點人物大現場】20230501│三立新聞台 - YouTube 國民黨的族群分裂。 __ 施明德專文:真相,不容掩耳盜鈴─為什麼他們是暗樁?-風傳媒 (storm.mg) 音樂性格、美術性格、老大性格、政治性格 ;性格之一種而已。由於捉大放小,大而化之,所以往往也為細緻的高人所趁。喝咖啡一招,不是不行,只是時機過早。呼風喚雨之餘,倒顯得投機,被看破手腳,與陳文茜有異曲同功之妙。活動力大之外,要做 “政治家”,恐怕格局不足。“性格”、“人設”、“機運” 半天生。政治原本複雜,在台灣歷史上有這麼一段,也是多采多姿,還是應該說聲謝謝! __ 精彩片段》明居正:俄烏問題跟台海問題是連動的...【年代向錢看】2023.05.02 - YouTube 明教授,這個國家是經過文化大革命洗禮的。 ___ 震驚了!中國網路流行語來自台灣!我為什麼喜歡台語!私人歌單!(2023/05/01) - YouTube 不是母語理所當然,沒必要這麼說;倒是很應該來住台灣。我是每兩年回去一次台灣,一次呆約兩個星期。 什麼時候約好去台灣,我帶妳到處吃好吃的,不過相信阿堯一發聲,一定招待之聲蜂擁而來。 __ 最強打炒房政策將上路!終結私法人短期進出房市!8年20萬戶社宅遭疑跳票?林右昌罕見回擊批「國宅」│【官我什麼事】 2023 05 04 - YouTube 要減肥! __ 數字台灣HD457全球亂世中 台灣權變應對 謝金河 明居正 - YouTube 中國與俄國仍舊活在 20世紀初葉。 __ 應《紐約時報》之邀,龍應台談「戰爭陰影下的台灣」:解放軍一彈未發,社會已被分裂傷害-風傳媒 (storm.mg) 她是在說她自己! __ 【迪化街】麵茶到底是什麼身份?買い物中に出会った得体のしれない粉、、、初めての食べ物に困惑...!!【台灣】 - YouTube  迪化街の カラスミ、烏魚子を燒い たら 好吃 よ!還有熱水燒開沖 太白粉 +糖水。 __ 賴清德 4/12/23 台灣與中國自古沒有關係,因此「 逃離中國 」 才是 “事實” ,包括 “中華民國”。說 “兩個中國” 是插花,說 “割讓” 是僭越,如此說法與思維是必需去除的陷阱。
__ 【一刀未剪】戰爭不是選項! 小英總統談"兩岸問題"全球已有共識 要用和平方式解決 人民.社會大眾都是參與者│【焦點人物大現場】20230514│三立新聞台 - YouTube 總統應該多多的與學生交流,因為這樣的交流,可以使學生有跨越式的成長,甚至從中產生日後的政治明星。 __ 【ビクッリ台湾!台灣好吃驚】 第136集 日台の名曲を学びましょ~赤い夕陽の故郷!    台日金曲教唱 - 黃昏的故鄉(完整版) - YouTube 第一個將日語歌曲改為台語歌曲的就是出身日本音樂學校的 文夏(吳晉懷、洪一峰也是。三人都是 singersonwriter。);這一首 黃昏的故鄉 應該是第一首。 ___ 【精華版】潤子聊天氣也能開黃腔XD 大誇台灣是「24小時加濕器」 - YouTube 濕氣應該是盆地的台北而已。 __ 音樂家的無聊人生 FB 5/20/23 迷幻、美麗;我是大粉絲。很難理解為什麼第一代等的旋律,作曲者會是日本人,聽不到日本傳承,即便其中有的曲子源自北歐。或許是從第一代的遊戲 super mario 算起吧。這也很突兀;竟然有音樂長那個樣子。倒是想起了 團伊玖磨 與其它的日本前衛音樂。https://www.youtube.com/watch?v=AoNjglXLpW4 __ 台灣紅媒 民代呼應中共製造混亂 中共設與情調控 養2百萬網軍|20230503| @taiwanplus0709 ​ - YouTube 敵人要打你,毀滅你,是天經地義;問題還是要回到自己的強身健骨;問題在於,從來就無法看到對台灣自身紅媒指名道姓的指控。或許關係到 “傳播自由”,然而隨時就 “事實、事件” 列表公告民眾週知,否則實在是隔靴搔癢。
__ 柯文哲的政治立場大轉變,從網上可查的資訊來判斷,除了可能有把柄在中共手上或被收買外,否則令人費解他的轉變。 - YouTube 一定和女人有關係,以前也發生過。 __ 反戰?反哪個戰?|#宋國誠 #矢板明夫 #汪浩|@華視三國演議|20230325 - YouTube 反戰教授之所以反戰,其實就是統派,從 1949年之後,在台灣很正常的分裂狀態。 __ 黃光芹獨家火線爆內幕!驚曝郭台銘遭朱"禁止發文"長達40天!派黃健庭"以神之名"對郭養套殺?黃光芹再爆:當時郭選到深夜掛急診吊點滴...|許貴雅主持|【新台灣加油 完整版】20230522|三立新聞台 - YouTube “媽祖宮的阿銘”,把郭董說成了角頭兄弟,而且必然是來自其他角頭叫出來的稱號,不會是在地兄弟的稱號。似乎很在地,可惜好像 阿銘 也不會說台語;實在有些奇怪。 __ 《 阿北面對面! 直球對決2024! 你所不知的柯文哲全公開? 》【新聞面對面】2023.05.15 - YouTube 前後說法有跳 tone 之外,世界的國家,甚至最傾向中國的德國都已經掉頭而去。此兄覺得可以改變她,當然來自思維,這並不奇怪,值得注意的是文化有差異,卻毫無所覺。如果瞭解中國的無論內部或內情,都是很複雜的一個國家,就會覺得此兄瞭解的限度;還是 塔山 的說法聽得出經驗,值得參考。 __ 【新聞挖挖哇】五億高中生命案!公公「亂倫造孽」種下悲劇因果?結婚兩小時意外離世?高仁和揭開「神秘人」 疑謀財害命?家族爭產釀人倫悲劇?20230523|來賓:狄志為、黃宥嘉、林萃芬、高仁和、馬在勤 - YouTube 照片誰拍的? __ Noriko Muto  FB 5���24/23 包法是 扁食。•其實餛飩(ワンタン)比較大一些,是 KMT 來台灣之後才出現。台灣原本只有 扁食。似乎 ワンタン 用台語說不出來,台灣���ンタン的包法又不一樣。70多年下來,一切都很混了就是。(有點政治 )•一定很好吃,只能流口水;煮後的麵粉水還是可以做為 清湯,甚至不用加調味料,別具風味。 __ 【台湾居酒屋】日本人も大好きオススメ台湾居酒屋 - YouTube 先是喜歡 Mio,現在看到了隔壁的紅衣女生 . . . . , __ 拜託!別再叫別人照興趣選科系了 - The News Lens 關鍵評論網 可以再寫一篇自己天生的性格“最擅長”的能力是什麼,猜想應該是比較接近的答案,雖然隨著年歲 的增長,由於能量的吸收,可能會有改變。 __ 【精華版】旅遊後愛上台灣 飲食文化衝擊櫻花妹 - YouTube 以前用小石子。 __ 【Mio演出的台灣雜誌】日本語学習の秘訣!看超好笑的書學日文是最好的方式♡ - YouTube 咪喔醬,這是我的方法:https://iseilio-blog.tumblr.com/post/189677946177 * 牛排本身要好!(就是較貴。)
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ttseweb · 1 year
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後天性高床住居
DOG https://dog-archi.com/
竣工写真  高橋菜生
2方向に面する既存擁壁からあえて距離を取らず建物を持ち上げてピロティを作る計画に対し、当初は木造2階建てで計画したものの、がけ条例による崩壊時土圧に対して部分的にRC造とする必要が生じたこと、平面的な剛性バランスの確保の観点から1階をRC壁式構造、2階を木造軸組工法の混構造として計画した。
RC耐力壁と2階木梁、木床構面は、剛性が異なる材料の境界部材となるため、接合部を含め耐力に余裕を持たせた設計としている。また集成材(120x450)梁をRC壁頂部に連続して配置することで、片持ちや丘立ちとなる上階の支持だけでなく、水平ダイヤフラムのフランジとしての役割、およびRC壁頂部への押さえ込みによる境界梁としての効果により構造的な性能向上を図っている。
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cookingarden · 4 years
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スパイク・リー監督・主演『ドゥ・ザ・ライト・シング』 (その2:事件の背景と本作に込めらたメッセージ) 原題:Do The Right Thing 制作:アメリカ, 1989年. ベッドスタイの夏の日の朝、ラヒームの死を思う者は誰もいなかった。しかし、ラヒームは誰かの手で計画的に殺されたわけではない。かといって、「太陽が眩しかった」から殺されたわけでもない。 ラヒームはなぜ警官の犠牲になり、スパイク・リー監督はこの映画に何を込めたのだろうか。本稿では、(その1)の現場風景を手がかりに、映画『ドゥ・ザ・ライト・シング』の背景と本作に込められたメッセージを探ってみたい。 なお、以下の記述のうち現場に関連する多くは、(その1:物語の現場はどうなっていたか)に状況を記し、文中に登場する会話は太字で示した。
            CONTENTS ・日常の均衡を象徴するラヒーム ・黒人と白人双方の憎しみが黒人の犠牲者を生む ・なぜ、ムーキーはゴミ缶を投げたのか? ・黒人殺害事件の背景:(1) 格差の実態 ・黒人殺害事件の背景:(2) 格差を生む教育システム ・黒人殺害事件の背景:(3) 恐るべき警察の収監システム
日常の均衡を象徴するラヒーム 本作はベッドスタイの街を、愛と憎しみが拮抗する日常風景から描きはじめている。全体として怒りと憎しみの描写が目立つが、愛と寛容も描かれている。 DJダディは愛と尊敬を込めて、60人もの黒人ミュージシャンの名前を読み上げる。酔っ払いの老人ダー・メイヤーは、諍いに出会うたびに仲裁し、18年ものあいだ愚痴を欠かさない未亡人に、なけなしの金をはたいてバラの花束を贈ったりもする。 ときには警官も寛容さを発揮する。街の若者が消火栓で水を撒き散らして遊ぶなか、通りかかった白人のクルマに水を浴びせる場面では、告訴すると怒る白人を警官がとりなし、黒人の若者を無罪放免にしたりする。 反対に、生活の苦しさや家族の軋轢を描いた場面は数多くある。ムーキーには恋人のティナとの間にできた男の子がいる。しかし、ティナと同居している母親との折り合いが悪く、寝泊りするのは妹のジェイドのアパートだ。ティナは子守をしてくれない母親と言い争い、面倒見の悪いムーキーに「くたばればいい」と罵声を浴びせる。だが、その母親が子守をするアパートの別室で、ティナはムーキーと愛し合ったりもする。 ラジオ・ラヒームはこの相反する感情のバランスを体現するかのようだ。彼はいつも手に下げたラジオで大音量の "Fight The Power" を鳴らしている。しかしラヒームは、そのことで「戦い」をしているわけではない。「愛が勝つんだ」と言い、子どもと手をつなぎ楽しげに街を歩く姿も見える。ラヒームにとって "Fight The Power" は、日常を彩るラップ曲に他ならない。だがラヒームは、憎しみを忘れたお調子者ではない。 両手にはめた "LOVE" と "HATE" の指輪は、そうした日常の象徴だ。ラヒームはムーキーに、「憎しみで人は殺しあう、愛が人の魂に触れる。最後は愛が勝つ」と話す。このときムーキーは「じゃ、後でな。平和を」といって別れている。ラヒームもムーキーも、憎しみを抱えながら愛の力で日常をやり過ごしている。 街のあちこちで、愛と憎しみのバランスを取りながら生きる人々の姿が伝わってくる。これが真夏のベッドスタイの日常風景なのだろう。スパイク・リー監督が本作の前半でこうした日常を描いて見せたのは、それがひとつの「正しいこと」だからだろう。だがその正しさは、穏健な牧師の説教のようなものではない。 黒人と白人双方の憎しみが黒人の犠牲者を生む 『ドゥ・ザ・ライト・シング』の前半で描かれる日常風景は、事件への伏線に他ならない。 サルのピザ屋にバギンがやってくる。ひと切れのピザに文句をいい、支払いを渋るバギン。それをサルが、「月賦で支払うか?」とからかったそのひと言で、保たれていたはずの均衡が崩れはじめる。このときバギンは壁の写真に黒人が一人もいないと文句を言い、これが高じて店のボイコットへと発展する。 そして、サルがラヒームのラジオをバットで叩き割ったことで、事件はさらに深刻になる。互いの暴力行為が警察の介入をもたらし、警官の過剰対応がラヒームを死に追いやる。過剰対応を招いた警官の心情はほとんど描かれていないが、街をパトロールする警官が黒人に目線を定め「クソったれ」と漏らす場面が描かれている。 このときパトカーにいた二人の警官が、ラヒームを警棒で締め上げ殺害した当事者だ。しかし、同時にこの警官はサルの店でピザを買い、黒人の水遊びに腹を立て告訴するという白人をなだめ、黒人少年を逃したりもしていた。白人警官の黒人に対する憎しみがわずかしか描かれていないのも本作の特徴だろう。 白人もまた黒人に憎しみの心情を抱きながら、なんとか愛と憎しみのバランスに折り合いをつけながらベッドスタイの日常を過ごしている。しかし、このバランスは黒人にとっても白人にとっても、少しの不注意や不寛容で崩れてしまう脆弱なものだ。その上でスパイク・リー監督はアメリカ系アメリカ人の登場と彼らへの悪口を控えているように見える。これは、白人が黒人を貶めるほどには白人を責めてこなかった、黒人の姿の反映かもしれない。 ラヒームが言うように、愛と憎しみのせめぎ合いのなかで人は殺し合う。だが、この日ベッドスタイでKO勝ちしたのは憎しみの方だった。店のボイコットを切っ掛けにラヒームは自らの憎しみをサルに向け、白人警官の憎しみは黒人のラヒームに向けられた。二重の憎悪が愛と憎しみのバランスを狂わせ、ラヒームがその犠牲になった。 黒人と白人の双方が憎みあい、黒人に多くの死をもたらす構造は、過去に起きた同種の事件に共通している。スパイク・リー監督は本作を「エレノア・バンパーズ銃撃事件」他5名の犠牲者に捧げているが、その6人はすべて黒人だ。直近では今年5月25日にミネアポリスで起きた「黒人男性拘束死事件」でも犠牲者は黒人だった。これだけを見ても、映画に描かれた状況は30年以上も変わっていないことがわかる。 なぜ、ムーキーはゴミ缶を投げたのか? 『ドゥ・ザ・ライト・シング』で最も興味深い場面は、ラヒームが死亡したあとの顛末である。パトカーが動かなくなったラヒームを運び去ったあと、ムーキーが思わぬ行動に出る。大型のゴミ缶をサルの店のウインドウに投げつける場面だ。これがきっかけで街の住人は暴徒化し、店の什器は破壊し尽くされ、現金が盗まれたあげく店に火が放たれる。 なぜ、ムーキーは店を破壊する行動に出たのか? それはムーキーが、サル一家を暴徒から助けようとしたから、というのがわたしの見方だ。本作が描く現場には、そう思わせるさまざまな状況証拠がある。 ムーキーがゴミ缶を投げる前、群衆の怒りがサル親子に向けられる場面がある。ムーキーもサルらの側に立ち、詰め寄る人々の怒りに囲まれる。このときのムーキーの表情が印象的だ。彼はサルの家族に視線を向け、祈るような仕草をする。ムーキーは「このままではマズイことになる」と思ったのだろう。 店で妹と食事を楽しみ、サルから給料をもらい、ピノと話が通じるムーキーの心情が、サルたちへの憎しみ一色だとは思えない。「家に帰れ」という警官にムーキーが「ここが家だ」叫んだように、彼らは日常をともに過ごす「家」の住人なのだ。彼はその生活の絆が徹底的に破壊されるのを避けたかった。だからこそムーキーは、群衆の気を引くように「憎しみだ!」と叫びながらゴミ缶をサルの店に投げてみせた。人々の怒りをサルたちにではなく、店に向けさせるために。 ムーキーの心情に憎しみのカケラもなかったかと言えば、そうでもないだろう。彼は何度も仕事ぶりをサルにけなされている。ピノとの折り合いも悪かった。その鬱憤を晴らす気持ちもあったかもしれない。それでもムーキーは、人々を暴動に誘おうとしてゴミ缶を投げたわけではない。彼の行動の本質は、サル一家に決定的な危害が及ぶのを阻止しようとことにある。別な見方はあるかも知れないが、わたしはムーキーの行動をそのように受け止めた。 このことは、群衆の怒りの矛先がコリアン雑貨店に向かう場面と辻褄が合う。サルたちはこのとき、雑貨店が餌食になる様子を息を飲むような表情で見つめていた。そこに、犠牲になりかねなかった自分たちの姿を重ねたからだろう。サルたちは、無関係の彼らが自分たちの身代わりになることを案じたのではなかっただろうか。 他にも証拠がある。翌朝、ムーキーは未払いだった250ドルの給料をもらいに焼け落ちたサルの店に行く。その際のやり取りで、激昂しながらもサルはムーキーがゴミ缶を投げたことを責めていない。普通に考えて、自分の店にゴミ缶を投げつけて壊し放火を招いた相手を目の前に、責めないことがあるだろうか。なぜ、サルはそのことを口にしなかったのだろうか?  それはサルがゴミ缶を投げたムーキーの心情を知っていたからだ。また、ムーキーはサルが投げてよこした500ドルのうち、残りの250ドルもポケットに入れている。このやりとりでムーキーはサルに、「借りておく」と言っている。サルとの関係はこれからも続くということだろう。 店への破壊行為、友人の死、さらには店への放火といった暴力行為を描きながら、この作品を通じてスパイク・リーは、愛と憎しみの平衡を何とか取り戻そうとする主人公の姿を演じている。"Fight The Power" が "Black Lives Matter(黒人も大切にしてくれ)" の叫びに聞こえる。これは本作で彼が監督として示した一貫した姿勢だと思う。穏健な改革派のキング牧師と、暴力を否定しなかったマルコムXを同時に登場させたのもその現れだろう。 スパイク・リー監督が『ドゥ・ザ・ライト・シング』で行って見せたのは、時には暴力に訴えることもあるがやり過ぎてはいけない。ともかく黒人も大切にしてほしいという、ごく当たり前の訴えなのだと思う。 黒人殺害事件の背景:(1) 格差の実態 それにしても、本作に描かれた事件と同種の事件が後を絶たない。本作は制作年の1989年までに起きた同種の6つの事件に捧げられているが、本稿を書いている現在も先月5月25日にミネアポリスで起きた「黒人男性拘束死事件」の余波は世界的な広がりをみせている。 そして、またあらたな事件が起こった。数日前の6月12日、ドライブスルーで警官に撃たれた黒人男性が死亡した。こうした事件は、アメリカで1964年に公民権法が制定された後も絶えることがない。 ミネアポリスの「黒人男性拘束死事件」は、その後 "Black Lives Matter" として世界的な抗議活動に発展し、1) 現在も収まる気配がない。そうしたなか、この種の事件が起こる背景についてさまざまな報道が行われている。その多くは経済格差とその背後にある政治や司法の問題を指摘し、さらにトランプ大統領の政策が影響しているとする意見も多い。 例えば、6月11日付けの日本経済新聞は「黒人暴行死事件の背景を探る」として、黒人の置かれた状況をデータで示すとともに、人種差別の歴史を振り返る特集記事を掲載している。前者の要点は次のようなものだ。個々の詳細は、元記事2) を参照いただきたい。
白人の世帯年収平均金額の中央値は黒人の1.7倍 黒人の無保険者は白人の1.8倍 コロナによる黒人の死者数は白人の約2.5倍 各人口あたりの警官による殺害は黒人が白人の約2.8倍 マリファナ使用による逮捕者数は黒人が白人の約3.7倍 警察の呼び止めを正当と思う人は黒人より白人が多い 黒人有権者のトランプ氏支持率は9% 黒人はバイデン氏の支持率が圧倒的に高い
一見して白人と黒人の間の格差は大きく、記事がいう国家的な仕組みが関係しているとしか考えられないものだ。そうであれば、その制度を擁護し、声高に「アメリカ・ファースト」を主張し、「白人至上主義者にも良い人はいる」といった発言を繰り返すトランプ氏が黒人から嫌われるのは当然のことだろう。 トランプ氏のトレードマークにもなっている「アメリカ・ファースト」については、その差別的な背景について、2018年公開の『ブラック・クランズマン』のなかでスパイク・リー監督が鋭く切り込んでいる。同作品よれば「アメリカ・ファースト」には、明らかに白人の黒��に対する差別が込められている。 こうした差別や格差に関するデータについては、例えばソキウス101の「アメリカの貧困と格差の凄まじさがわかる30のデータ」などにより詳しく取り上げられている。3) 子どもの貧困、寿命格差、食糧支給、ホームレスなど、より広範な視点で世界中に広がる格差の状況を概観することができる。 黒人殺害事件の背景:(2) 格差を生む教育システム だが、こうした記事やデータを読むだけでは不公平な制度の中身はわからない。このため、日経記事が掲げるような問題、例えば黒人が白人よりも大幅に低所得なのは、彼らが働かないからだと思い勝ちだ。 本作でもムーキーがピザ屋に顔を出して最初の会話は、ピノからの「遅刻だ」の一言だ。通りを掃除しろと言われても、「オレの仕事はピザの出前だ」と聞こうとはしない。さらにムーキーは、配達中に道草をしてサルに叱られ「出前にはビトを(見張りに)付けよう」といわれたりする。そもそも、映画に登場するベッドスタイの住人のほとんどは働いていないように見える。 こうした描写を見ると、アメリカの保守派が口にする自己責任論がもっともらしく思えてくる。保守派にしてみれば保険も自己責任で費用を負担し加入しているのであって、働こうとしない人々に自分らが負担してまで保険制度を適用するのは反対だという考え方になる。これはオバマケアでさんざん議論されたことだ。 しかし、雇用、保険、教育など、人間が生きる上での基本的人権にかかわる制度自体に歪みがあり、黒人の雇用が狭められているとすれば、働かないのは働けない仕組みのせいになる。この点について、本田創造氏の『アメリカ黒人の歴史 新版』に次の記述がある。4)
「黒人問題」は、すでに詳しく述べた公民権運動の数々の輝かしい差別撤廃の成果にもかかわらず、依然として解決されていないということである。(…)しかし、黒人大衆の経済状態は、最近では、むしろ悪化さえしている。それは、かれらの存在そのものが、最高度に発達したアメリカ資本主義の重要な存立基盤のひとつとして、この国の社会経済機構の中に差別されたかたちで構造的に組み込まれているからである。 (Kindle の位置No.2903-2908).
同書は1964年に旧版が出たあと、公民権運動の中心となった黒人解放運動などを書き加え、1991年に新版として出版された。引用にある「最近」は、映画の舞台となったベッドスタイの時代と重なる。そしてその当時から現在まで、白人と黒人の経済格差はいっこうに縮まっていない。本田氏の言う「社会経済構造のなかの差別」は当時からおよそ30年を経過した現在も続いていることになる。 この制度問題に関する記事は必ずしも多くないようだが、ニューヨーク在住のライター堂本かおる氏が制度的人種差別について、「白人警官はなぜ黒人を殺害するのか 日本人が知らない差別の仕組み」のなかで次の指摘をしている。5)
米国の公立学校の財源はほとんどが固定資産税で賄われており、貧困地区と裕福な地区の極端な税収格差が、子供たちが受ける教育格差に直結している。こうした要素が重なり、貧しい黒人の子供たちが学力格差を克服するのはほぼ不可能に近いとさえ言われている。
また、同記事を補足する形で、ショーンKY氏が「アメリカの格差と分断の背景にある自治体内での福祉予算循環」と題する記事のなかで、アメリカに現存する制度的な差別の実態と構造を詳しく論じている。6) 格差社会アメリカの構造を知る上で有用な内容で、わたしは次の一節に至る理由を読んで、アメリカの格差問題は本当に根が深いと思った。
アメリカにおける自治体別の格差は、本質的には所得格差に由来するものである。これがなぜ人種格差と結びつくかと言えば、(…)それが学校・警察を経由した格差の相続装置であり、一度生じた格差を時間が経つごとに拡大させるエンジンになっているからである。
格差の発生源を「時間とともに格差を拡大させるエンジン」と形容したのは秀逸だと思う。この喩えを広げれば、税収は燃料、教育システムはエンジンと燃料で動く内燃機関になるだろう。 エンジンは富裕層が住むゲートの内側と外側にあり、それぞれの燃料(税収)の多寡に応じて働く。燃料が豊かなゲートの内側では教育設備や環境が整い効率的に富の生産が行われる。一方、燃料が乏しいゲートの外では設備の不足や老朽化が進み、教師も満足とは言えず価値の生産が滞りその質も低下する。 さらに言えば、ゲートの内側では学力の向上が高学歴を促し、生徒が社会に出て政治の世界に手が届くと、豊かな教育を受けた本人は自身の育ちを肯定的に捉え、内燃機関(教育システム)を信奉するようになる。反対にゲートの外側では劣悪な教育が犯罪の温床となり、そこでは機能しないエンジンを直そうとする者も育たない。エンジンの例えが秀逸だと思ったのは、ここで説明されている教育システムが、白人中心に営まれるアメリカ社会の原動力をうまく表現していると思ったからだ。 教育制度が抱えるこうした差別的な構造は、黒人の賃金を抑え白人社会に利益を移転する搾取の問題以上に、学習意欲や労働意欲を阻害する点で、人生により根本的で深刻な危害をもたらす。学校の設備は貧相で古いものばかり、そのうえ教師の能力も劣る。家に帰れば、貧しい家計が食事や医療を圧迫する。そうした環境で多くの黒人が育つとすれば、彼らが白人と同等の学ぶ意欲を持つのは容易ではないだろう。白人が同じ環境に置かれれば、同様に意欲を削がれはずだ。意欲なしには十分な知識や給与は得られない。生きる意欲なしに、一体どうすれば生活が良くなるのだろう。格差は拡大する一方だ。 ムーキーらが暮らす1989年のベッドスタイは、ゲートの外にある文字通り"DO-OR-DIE"の世界である。映画のなかで本の話題が二度出るが、どちらも「お前が本を読むか?」とからかうネタにされている。少なくてもムーキーとティナの子ヘクターがゲートの外にいる限り、彼を働き者に育てるのは容易ではないだろう。社会のシステムが、両親が得た以上の教育を受けることを困難にしているからだ。 映画のなかでムーキーは25歳だ。彼はちょうど公民権法が制定された年に生まれたことになる。本田氏の指摘によれば、その後「黒人大衆の経済状態はむしろ悪化」した。ムーキーの労働意欲の欠如と低い収入は、アメリカ社会の制度的な歪みが大きく関係していると思われる。ベッドスタイの人々の多くは、働かない生活を自己責任で選び取ったのではないだろう。黒人のすべてがそうだとは言えないが、その多くは働く意欲を削ぐ社会的な仕組みの犠牲者だというしかない。 黒人殺害事件の背景:(3) 恐るべき警察の収監システム 教育システムとともに、もうひとつ制度上の大きな問題がある。警察の収監システムである。『ドゥ・ザ・ライト・シング』のなかで収監そのものが描かれているわけではないが、これも当時の黒人の生活や、ラヒームが犠牲になった背景に関係している。 先日の「黒人男性拘束死事件」に端を発したデモの映像で、何度か警察予算の削減を訴えるプラカード "DEFUND THE POLICE" を目にした。7) この標語は "BLACK LIVES MATTER" とともに、この種の事件が発生するたびに何度も使われてきたスローガンである。 英語版のWikipediaによれば、"DEFUND THE POLICE" は警察からの資金を分離し、社会サービス、青少年サービス、住宅、教育、その他の地域社会の資源など、公共の安全と地域社会の支援といった非警察的な形態に向けて再配分しようと訴えるものだ。8) さらに解説を読み進むと、こうしたスローガンが生まれた背景に、凶悪犯罪を取り締まるはずの警察が軽犯罪ばかりを取り締まり、人種的偏見にもとづく、貧困層を狙い撃ちにした逮捕が横行する実態があることがわかる。 映画で描かれたラヒームとサルの喧嘩も、殴り合いだけなら軽犯罪で済んだことだろう。顔見知りで同じ街で生活を共にしてきた二人が、もつれあいのなか相手を殺害するとは考えにくい。もし、そうなりそうなら周りが止めただろう。サルはバットでラジオを壊しはしたが、バットでラヒームに殴りかかりはしなかった。また、ラヒームも凶器を持っていない。それが警察の介入で殺害へと変貌するのは、日常的に繰り返される逮捕の多さと、安易に過剰に走る取り締まりに問題の一端があると思わせる。 軽犯罪を理由に大量の人々を逮捕するには、警官の人件費や装備費に多額の予算が必要になる。こうした実状から、弱いものを狩る部隊と化した警察予算を分離し、弱いものを救うためのサービスに予算を振り替えようといのが "DEFUND THE POLICE" の主旨だが、そうなる理由を掘り下げて考えるには、Netflixが独自に制作した動画『13th -憲法修正第13条-』(以下、『13th』と略記)がひとつの手掛かりになる。9) 動画は奴隷解放がいかにして収監システムに姿を変えたかを、歴史を振り返りながら伝えている。奴隷解放宣言(1863年)のあと公民権法が制定(1964年)され黒人への人種差別はなくなったはずだが、奴隷だった黒人の多くは受刑者として、新たな制度に引き継がれたという。 動画の題名になっているアメリカ合衆国憲法修正第13条は、公式に奴隷制を廃止し、奴隷制の禁止を定めたものだが、「犯罪者を除外する」という主旨の例外規定がある。この例外規定が犯罪者を奴隷扱いすることを可能にしたというのが『13th』の本質を成す主張である。動画は概ね次のように述べている。
公民権法が制定されて、400万人の奴隷をどうするかが問題になった。彼らは南部の経済や生産に欠かせない存在だったからだ。では、奴隷だった者をどうするか? 奴隷の恩恵を得て伸びてきた経済をどうするか? この二つの問題解決に修正13条の抜け穴が利用された。
この抜け穴が大量の受刑者を生み出す原点となった。 いうまでもなく受刑者は刑務所に収監され、社会や家族との接触を断たれる。動画によればその数は、2014年の時点で230万6,200人を数える。国別ではアメリカが世界最多、米国内の人種別では黒人が受刑者の40.2%を占めるという。しかも、1980年から2000年までの20年間で、受刑者の数はおよそ3.5倍という増加ぶりだ。下図にアメリカ国内の受刑者数の推移を示す。10)
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なぜ、これほどの数の受刑者がいて、しかも急激に増えたのだろうか? 動画はこの背景に、刑事司法制度と産獄共同体が抱える問題があると指摘している。前者の司法制度については、そもそも「容疑者に対する裁判そのものが行われていない」として次のように述べている。
保釈金を払って保釈されようと思えば1万ドルが必要だが、貧しい家庭ではできない。そこで、検事から司法取引が持ちかけられる。「司法取り引きするなら3��、裁判をするなら30年の刑だ。それでも裁判をするか?」貧乏人は裁判をしない。拘留された人のうち97%は裁判を断念し、司法取引に応じている。これは考えうる限り、アメリカにおける最悪の人権問題のひとつだ。
有罪か無罪かの真実ではなく、富が結果を決める現実がある。しかも、司法取引に応じて身に覚えのない罪を認め有罪になれば、その後生涯にわたって社会的な制限を受けることになる。 『13th』によればそうした社会的な罰は、学生ローン、事業免許、食糧配給券、家の賃借、生命保険など全部で「4万にもおよび」、「アラバマ州の黒人男性の約30%が、前歴のせいで投票権を永久に失っていることを誰も知らない。」という。掛けられた嫌疑の真実がどうであろうと、いったん有罪の烙印が押されれば、その印は一生ついてまわる。お金の多寡で罪が決められ、社会の仕組みによって罰が与えられるとは、何という悲惨、何という不幸だろうか。 こうした現実が長きにわたって続いているのは、司法制度と産獄共同体(産獄複合体とも呼ばれる)が一体となり、収監システムとして機能しているからだという。上述のWikipediaによれば複合体は、企業、政治家、メディア、看守組合などの利権集団で構成される。このうち『13th』で具体的に言及されるのは、CCA(Corrections Corporation of America)と呼ばれる民間刑務所会社、ロビー団体の米国立法交流協議会ALEC(American Legislative Exchange Council)とその会員企業である。動画はかなりの時間を、産獄複合体の実態についての説明に充てている。 それによれば、CCAはアメリカ初の民間刑務所会社として1983年に発足した。発足当時は小さな会社だったが、現在では全米60ヵ所以上で施設を運営している。Wikipediaによれば、直近の売り上げは約20億ドル、純利益1.9億ドル、従業員14,075人とある。売上高純利益率からいえば、すばらしい成績の優良企業だ。11) CCAがこれだけの好成績を上げていられるのは、刑務所が常に満杯で、しかも年々収容者数を増やしてきたからだ。『13th』はそれがどのように成し遂げられたかを次のように描いている(主旨)。
CCAは州と契約して投資を行うため、州は刑務所を満杯にする必要があった。CCAの働きかけででALECは、受刑者数を増やすための法案を提出した。クリントン政権の時代、「スリーストライク法」「必要的最低量刑法」「刑期の85%を下限にする」といった法律が次々と制定された。全て彼らが作った自分都合の法律だ。受刑者の安定供給によって生み出された利益は株主の懐に入る。80年代後半から90年台前半にかけて、刑務所運営は成長産業になった。成功が確実に保証された事業モデルだった。こうしてCCAは民間刑務所のトップになり、人を罰することで巨万の富を得ている。
「スリーストライク法」は、重刑を三回犯した者を一生刑務所に閉じ込めることを可能にした。「必要的最低量刑法」は比較的軽微な薬物犯などであっても、強制的に一定期間の拘禁刑を科す法律である。「刑期の85%を下限に」も含め、すべてクリントン政権の時代(1993年1月〜2001年1月)に法制化されたようだ。 収容者を増やすための法律という批判に対し、メリーランド州の上院議員がインタビューに「質問の意味がわからない」と答え、クリントン氏が「受刑者の増加率は減った」と反論する場面もあるが、前掲の図のように1993年から2001年のクリントン政権の時代、収容者は大幅に増えている。一方で、凶悪犯の検挙率が極めて低いことを考えると、収容者を増やすための法律といわれても仕方がないだろう。このような背景のもとで、収監システムは民間の刑務所のビジネスを急拡大させ、社会的な存在感を増していった。 『ドゥ・ザ・ライト・シング』が作られた1989年は、こうした時代の真っ只中にあった。司法と刑務所が収監システムへと姿を変え、貧困層の黒人をまるで利益のための餌のように狩る時代の嵐のなかでこの映画は作られたことになる。『13th』は動画の終盤で次のように訴えている。
理解してほしい、黒人の命だけが大切なのではない、全ての人々の命が大切なのだ。例外は存在しない。刑事司法制度の関係者も、産獄共同体の関係者もそうだ。黒人だけの問題ではない。人間の尊厳について、この国の意識を変える必要がる。
これは、スパイク・リー監督にとっても同じ思いではないだろうか。ムーキーは働かないのではない、働くための途方もなく高い壁を乗り越えられないのだ。その一方で、警官はシステムのなかで働く白人の一人としてラヒームを殺害した。その現場でムーキーはひとりの人間として、イタリア系アメリカ人のサル一家を暴徒から守ろうとゴミ缶を投げたのである。 スパイク・リー監督は本作を制作した29年後の2018年に『ブラック・クランズマン』を作った。その映像に彼は、ラヒームと同様に犠牲になった白人女性ヘザー・ハイヤー氏の、「憎しみのうちには、何人の居場所もない」という言葉を添えている。繰り返すが、ハイヤー氏は黒人女性ではない。生前ラヒームが拳を掲げて言ったように「最後は愛が勝つ」。スパイク・リー氏とともに、わたしもその言葉を信じていたい。
(その1:物語の現場はどうなっていたか)
1)BLMの訴え自体は、2013年2月にフロリダ州で黒人少年のトレイボン・マーティンが白人警官のジョージ・ジマーマンに射殺された事件に端を発すると言われている。 Wikipedia「ブラック・ライブズ・マター」 https://bit.ly/2Y5oGfW 2)日本経済新聞「黒人暴行死事件の背景を探る(上)(下)」2020.06.11. https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60150710Z00C20A6I00000/ 3)ソキウス101「アメリカの貧困と格差の凄まじさがわかる30のデータ」2020.4.30. http://socius101.com/poverty-and-inequality-of-the-us/ 4)本田創造『アメリカ黒人の歴史 新版』岩波書店, 1991. 5)堂本かおる「白人警官はなぜ黒人を殺害するのか 日本人が知らない差別の仕組み」文春オンライン, 2020.6.8. https://bunshun.jp/articles/-/38288?page=2 6)ショーンKY「アメリカの格差と分断の背景にある自治体内での福祉予算循環」note, 2020.6.9. https://note.com/kyslog/n/n5b8601ac8905 7)時事ドットコムニュース「「警察に予算回すな」 デモ継続、改革要求強まる―米」2020.6.8. https://www.jiji.com/jc/article?k=2020060800088&g=int 8)Wikipedia “DEFUND THE POLICE” https://en.wikipedia.org/wiki/Defund_the_police 9)Netflix『13th -憲法修正第13条-』2020.4.17. https://youtu.be/krfcq5pF8u8 10)Wikipedia “Incarceration in the United States” https://en.wikipedia.org/wiki/Incarceration_in_the_United_States 11)Wikipedia「コレクションズ・コーポレイション・オブ・アメリカ」 https://bit.ly/2CjUJA5
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shunsukessk · 4 years
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包���だ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業���姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだ���、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示���た。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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mariemot · 4 years
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自主隔離な日々 13
2020年4月7日 火曜日 晴
来月5歳の誕生日をむかえるLに猫を編んだ。うちに来るとまず、我が家の編みぐるみで遊び出す彼女に。完成したが、さて、皆が目に見えぬウイルスを恐れる中、送ってもいいものなのかどうか迷っている。洗ってから、しばらく(ウイルスが不活性化するまで)置いてから(自主隔離させてから?)渡してあげてねとでも伝えればよいのか。悩みながら、最近生まれたばかりのまだ見ぬMに、小鳥のおもちゃを縫い始める。
日本で緊急事態宣言が出された。対象地域は東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の七都道府県だそうだ。地域を限定することになんの意味があるのかとも思ったが、英国に比べ地方分権が確立しており自治体の責任と管轄範囲が大きいというのが理由なのだろうか。協力の心意気を鼓舞するレトリックに比べ、実際に「要請」された感染拡大防止対策はどうも煮えきらない、ふわっとゆるっとした内容だったと感じたが、それもまた日本社会の特色かもしれない。イタリアやフランスのように「上から」強く規制できないのは英国も同様。フィリピンやインドの状況は言わずもがな。スウェーデンがやはり「自粛」頼みの独自路線だったりと、それぞれの国の対策に、それぞれの国の社会の在り様が色濃く反映されているのが興味深い。どれだけ他国の対応対策が気になっても、また「あちらで成功しているから」といっても、右から左にと持ってくるわけにもいかないのだろう。
(何だかアナール学派もどきやな、私)
2020年4月8日 水曜日 晴
散歩中の公園でピクニックをしている人々を2組ほど見かけた。今日は巡査が二人見回っていたが、見つかったろうか、指導されたろうか。見逃してもらえたのならよいが。短パン一枚で芝生に横たわり、どう見ても日光浴中であった男性が、巡査達が現れた途端にこれみよがしに腹筋運動を始めたのが可笑しかった。
今日はスナック財務相から、チャリティ団体への7億5千万ポンドの特別支援の発表があった。チャリティ団体の主な収入源であるショップが閉鎖され多くのファンドレイジングのためのイベントが中止になり、資金不足から活動を縮小または停止しざるを得ない団体が出ると言われていたところだったので、ひとまず安心。このままでは閉鎖せざるを得ずと語っていたホスピスさえもあった。10月に延期となったロンドンマラソンは、チャリティ団体への寄付を募るために参加する市民ランナーも多く、昨年は6600万ポンドの寄付金が集まったそうだ。
公園のコンクリートの擁壁に、色チョークで書かれたメッセージを発見した。子どもの筆跡で
This too shall pass
とある。
I will live and not die
ともある。☼と描かれたのはウイルスか。
This coronavirus shall pass
ともあった。
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2020年4月9日 木曜日 快晴
引越し業者と詳細確認をして料金を払う。今のところ作業日に変更はなし。個人年金の払込額を非納税者の限度額に設定し直し、購入済みのフライトをキャンセルし、新たに関空直行便を取り直す。まだ週に2便は飛んでいる。いよいよだ。残り2週間。
ブライトンに住む古い友人のHとビデオコールをした。高齢で一人暮らしだった母親との同居がやっと可能になったのが2月の末で、それを機に以前の2LDKの��ンションから庭付き一戸建てに引っ越して本当に良かったといっていた。それでも、必要不可欠な仕事をする「キーワーカー」として鉄道のメンテナンスに従事している夫のJは平常通りの勤務で、彼から80代の母親への感染を防ぐ工夫が大変だそうだ。何年も熱心にマーシャルアーツを学んでいる10代の息子二人は、オンラインで練習を続けていること、PR関連の職につく彼女のリモートワークの苦労、ビデオ会議の話(午後になってもドレッシングガウン姿で参加する人、泣きじゃくる幼児を膝の上であやしながら参加する人、女性で化粧している人など滅多にいないという話、背後で吠える犬、画面を横切る猫…大笑いした)そして、この疫病禍が通り抜けたあとの世界はどんな風だろうという話をした。ビジネス関係のフォーマリティやヒエラルキーなどのくだらない風習は崩れ去ってるといいねとか、もっと平等で正直でカジュアルな、生きやすい世界が待ってるかもしれないねという話になった。人々は、お互いに生かし生かされてるって思いを強く持つんじゃないかなとも。帰国する前にブライトンまで会いに行く予定だったのだ。会えないのは残念だけれど、また遊びに来るから、その時はきっと会おうねと約束した。この暗いトンネルを抜けたら、抜け出すことができたら、反対側で待っている今とは違う新たな世界で再会しようねと、涙を拭って電話を切った。
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*** 現在ロンドンでは不要不急の外出を避けよ、公共交通機関の使用は避けよという指示が出されています。なので「私の日常」は「ロンドンの日常」ではなく「ロンドンの東の先っぽの新興開発地に住む独り身のおばちゃんが自転車で30分以内の場所で垣間見たもの」であること、お忘れなきよう。どうぞよろしくお願いします。
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xf-2 · 4 years
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0月24日、ワシントンの政策研究機関「ウィルソン・センター」で行われた、ペンス副大統領の「米中関係の将来」についての演説を全文翻訳にてご紹介します。 スピーチに引用されてるカデットの祈りも翻訳しました。 <ホワイトハウス 2019/10/24>
フレデリック・V・マレック記念講演でのペンス副大統領の発言
コンラッド・ホテル ワシントンD.C. 東部夏時間11:51 AM
副大統領: 温かく歓迎に感謝いたします。そして、新しい議長のスコット・ウォーカー知事、元下院議員ジェーン・ハーマンさん、この歴史的中心の役員全員の皆さん。 ウィルソン・センターは、アメリカのリーダーシップと世界の舞台にとって、自由の素晴らしいチャンピオンであった大統領の名にちなんで名付けられました。
そして同じ精神で、今朝は米国内および世界各地の自由のチャンピオンであるもう一人の大統領からのご挨拶から始めさせていただきます。第45代アメリカ合衆国大統領、ドナルド・トランプ氏のご挨拶を申し上げます。(拍手)
今日は極めて重要な週の終わりにここに来ました。トルコ軍がシリアを侵攻した後、米国大統領の強力な経済的および外交的行動とトルコとクルドの同盟国の協力のおかげで、シリア防衛軍はトルコの軍事支配下にある国境地域から無事撤退することができました。
そして昨日、トルコ国防省は、恒久的な停戦とすべての攻撃的な軍事作戦の中止を確認しました。(拍手)
我が国の部隊が戻ってきます。私は、この停戦を通して、トルコと我が国のクルド人の同盟国が、戦争で破壊されたこの地域のすべての人々の平和と安全を回復すると信じているセーフゾーンを、国際社会が設ける機会を作り出したことを喜ばしく思います。確かに前進ですね。
ですから、本日ここにお集まりいただき、誠にありがとうございます。また、第1回フレデリック・V・マレック記念講演会をお届けできることを大変光栄に思います。
フレッド(フレデリック)を知っている人なら誰でも、彼が誇り高きウェストポイント*(訳注*:陸軍士官学校)の息子で、「義務、名誉、祖国」という言葉で人生を生きていたと述べるでしょう。 彼は他の人に相談する時、彼は、母校のカデットの祈り1)を引用し、「安易な間違った方ではなく、より困難な正しい方を選んでください」と促していました。
フレッドは、何人たりとも―何よりも、国家が自らの価値観を捨てて自国の利益を守ることはできないことを理解していました。今日は、フレッドを偲んで、21世紀の運命の大部分がかかっているテーマ、すなわち米国と中国の関係について議論したいと思います。
トランプ大統領は政権発足当初から、「より公正で安全で平和な世界」を実現するために、誠実さ、公正さ、相互尊重を基盤に中国との関係を構築することを決意していました。
1年前の今月、私は中国の債務外交と軍事拡張主義など、米国の利益と価値に最も有害な中国の政策について多くのことを話しました。信仰の国民への弾圧、監視国家の構築、そしてもちろん、関税、割当、為替操作、強制的なテクノロジー移転、産業補助金など、自由かつ公正な貿易とは相容れない中国の有利な政策についてです。
過去の政権は早くも終わってしまいましたが、皆このような不正乱用を知っていました。こうした不正乱用を容認するだけでなく、それによって利益を得る事が多かったワシントンの既得権益を覆そうとする者はいませんでした。この政治的なエスタブリッシュメントは、中国の経済的侵略と人権侵害に対して沈黙していただけでなく、ほぼそういったことを可能にしました。毎年、アメリカの中心値域では各工場が閉鎖し、北京では新しい超高層ビルが建てれるたびに、アメリカの労働者たちの士気はますます低下し、中国はますます勢いづいてきました。
20年足らずの間に、トランプ大統領が「世界史上最大の富の移転」と述べたように、中国のGDPは過去17年間で9倍以上成長しました。世界第2位の経済大国になりました。この成功の大部分は、米国の中国への投資によってもたらされたものです。
中国政府の動きは、米国の昨年の対中貿易赤字が4000億ドルを超え、米国の世界貿易赤字の半分近くを占めたことの一因となりました。トランプ大統領が何度も述べているように、我が国は過去25年間に中国を再建しました。 まさにそのとおりで、その時代は終わりました。
歴史が示すように、3年も経たないうちに、ドナルド・トランプ大統領はその物語を永遠に変えてしまいました。米国とその指導者たちはもはや、経済的関与だけで共産主義中国の権威主義国家が、私有財産、法の支配、国際通商規則を尊重する自由で開かれた社会に変わることを期待しないでしょう。
その代わりに、2017年の国家安全保障戦略に明示されているように、米国は今や中国を戦略的・経済的ライバルとして認識しています。そして、私が直接証言できるのは、アメリカ国民の圧倒的多数が、都市部と農場で、米中関係に関するトランプ大統領の明確なビジョンを支持しているということです。大統領の立場は議会でも超党派の幅広い支持を得ています。
この支援を受けて、トランプ大統領は過去の失敗した政策を正し、米国を強化し、中国政府に説明責任を負わせ、米中関係を両国と世界のために、より公平で安定した建設的な方向へと導くために、大胆かつ断固たる行動をとってきました。
我々の政権が発足したとき、中国は世界最大の経済大国になる軌道に乗っていました。専門家らは、中国経済が数年内に米国経済を追い抜くだろうと予測していました。しかし、トランプ氏の大胆な経済政策のおかげで状況は一変しました。
この政権の初期から、この大統領は米国史上最大の減税と税制改革に署名しました。米国の法人税率を引き下げたのは、世界中の他の法人税率を反映させるためです。我々は、過去最高水準で連邦規制を後退させました。我々はアメリカのエネルギーの束縛から解き放ちました。そして、トランプ大統領は自由で公正な貿易を強く支持してきました。
その結果は? アメリカは世界の歴史の中で最強の経済力を持っています。(拍手) そして、我が国の歴史の中で最強の経済力。
現在の失業率は50年ぶりの低水準にあります。今日、かつてないほど多くのアメリカ人が働いています。過去2年半の平均世帯収入は5,000ドル以上上昇しました。そして、それは大統領の減税や勤労世帯のためのエネルギー改革による節約を考慮に入れていません。
大統領の政策のおかげで、米国は米国経済に数兆ドルの富をもたらしましたが、中国経済は依然として立ち遅れています。
米国人労働者と理不尽な貿易慣行との公平さを図るため、トランプ大統領は2018年に中国製品に2500億ドルの関税を課しました。そして今年初め、大統領は、もし米中の貿易関係における重要な問題が今年の12月までに解決されなければ、さらに3000億ドルの中国製品に関税を課すと発表しました。
知的財産権と国民のプライバシーを保護し、国家の安全保障を守ために、ファーウェイやZTEなどの中国企業の違法行為を抑制するための強力な措置を講じてきました。また、世界中の同盟国に対して、最も機密性の高いインフラやデータについても中国政府の管理下に置かない安全な5Gネットワークを構築するよう求めてきました。
そして、経済的に力をつけてきた今、トランプ大統領は、一世代を超えて、国防費の大幅な増加にも署名しました。過去三年間だけで国防に2兆5000億ドルの新たな投資が行われました。世界史上最強の軍隊をさらに強化しました。
そして、いかなる国も海洋公共財を領海であると主張する権利を持たないことを中国に明確に示すために、米国は昨年、航行の自由作戦のペースと範囲を拡大し、インド太平洋における我が国の軍事プレゼンスを強化しました。
あらゆる場所の自由を愛する人々の価値観を守るために、我々は中国共産党に対し、中国人の信教の自由を抑圧していることを非難してきました。中国では、何百万人もの少数民族や宗教的少数派が、宗教的・文化的アイデンティティを根絶しようとする共産党の取り組みに抵抗しています。
中国の共産党は、キリスト教の牧師を逮捕し、聖書の販売を禁止し、教会を破壊し、100万人以上のイスラム教のウイグル人を投獄しました。
我々は、先月、トランプ大統領が中国共産党当局者にビザ規制を課した際、中国政府は新疆のイスラム少数民族に対する扱いについて責任があるとしてきました。また、ウイグル人やその他の中国系イスラム教徒への迫害に加担したとして、中国の20の公安局と8社の中国企業に対する制裁も行なっています。(拍手)
そして我々は、台湾がやっと手にした自由を守るために同国を支持してきました。現政権下では、追加の軍事有償援助を承認し、台湾が世界有数の貿易経済国であり、中国文化と民主主義の象徴であることを認めました。
そして、何百万人もの人々が平和的に抗議のデモを行う中、我々は香港の人々を代表して声を上げました。また、トランプ大統領は、1984年の中英連合声明にもあるように、香港の人々の権利を尊重する平和的解決が必要であることを早くから表明してきました。
これらは、すべて歴史的な行動です。中国との関係において、米国の国益をこれほどまでに積極的に推進した大統領はいません。
米国の行動と決意に対して、一部の多国籍企業は、米国の経済政策は厳しすぎるし、米国の利益や価値観を推し進めることは中国とのより良い関係に反すると主張している者もいます。
しかし言うまでもなく、我々はそれに非常に異なる見方をしています。覇権争いが進行中であり、米国の力が増しているにもかかわらず、我々は中国にもっと良いものを求めています。そのため、米国は数十年ぶりに、ドナルド・トランプ大統領のリーダーシップの下、中国の指導者たちを厳密に扱っています。世界の大国の指導者はどのように扱われるべきか―敬意をもって、だが、一貫性と誠実さをもって。
そして、その誠実な精神において、私がハドソン研究所でスピーチを行ってから、中国政府は経済関係を改善するための大きな行動をまだ取っていないことをお伝えしなければなりません。我々が提起した他の多くの問題に関して、中国政府の行動はより攻撃的になり、不安定化しています。 貿易面では、この5月、何カ月にもわたり苦心した交渉の結果、多くの重要事項について合意に達しましたが、最終的に中国は150ページに及ぶ合意を撤回し、双方、振り出しに戻りました。
今でもトランプ大統領は、中国政府が合意を望んでいると信じています。また、我々は、新たな第一段階の協定における米国の農業に対する支援を歓迎し、今週チリで開催されるAPECサミットの直後に署名されることを希望します。しかし、中国は、両国の間には構造的な問題や重要な問題が広範囲に存在しており、それらにも対処しなければならないことを知っています。 例えば、中国の指導者が2015年にローズガーデンで行った一次停戦の合意にもかかわらず、中国は我が国の知的財産の窃盗を支援し助長し続けています。
昨年7月、FBI長官は議会で、1,000件の知的財産盗用に関する現在の捜査の大半は中国が関与していると述べました。米国の企業は、知的財産窃盗によって毎年数千億ドルもの損失を被っています。
このような統計の背後には、企業だけでなく、人権侵害や才能の窃盗によって脅かされる人々や家族、そして夢も含まれています。自由企業体制は、リスクを取る市民が自らの野心を追求し、犠牲から得られる報酬を得るかどうかにかかっています。彼らの労働の産物が盗まれたり、彼らの額の汗が無駄にされたりすると、それは我々の自由企業システム全体を弱体化させます。
昨年だけでも、中国を巻き込んだ知的財産窃盗事件が相次いでいます。テスラは今年3月、元エンジニアが、中国の自動運転車会社に転職する前に、米国で開発した自動操縦システムに関連する30万件のファイルを盗んだとして、元エンジニアを提訴しました。
そして昨年12月、司法省は、中国国家安全部内の悪名高いハッキンググループによる4年近くに及ぶ活動を終結させたことを明らかにしました。これらの中国政府関係者は、10万人の米海軍関係者の名前と資料、船舶の整備情報などを盗み出し、国家安保に深刻な影響を及ぼしました。
中国が中国製のフェンタニルやその他の合成オピオイドを取り締まると約束したにもかかわらず、実際には、これらの致死性の高い薬物が国境を越えて流れ込み、毎月何千人もの米国人の命を奪っています。 そして今日、中国の共産党は、世界がかつて見たこともないような監視国家を建設しています。何億台もの監視カメラがあらゆる視点から見下ろしています。少数民族は、警察が血液サンプル、指紋、音声記録、複数の角度からの頭部撮影、虹彩スキャンまで要求される任意の検問所を通過しなければなりません。
中国は現在、独裁政権で使用しているのとまったく同じ技術ツールをアフリカ、ラテンアメリカ、中東の国々に輸出しています。これらのツールは、新疆ウイグル自治区のような地域に配備されています。多くの場合、米国企業の支援を得て導入されています。 また、中国政府は、民間技術分野と軍事技術分野の障壁も打破しました。このドクトリンは、中国政府が「軍民融合」と呼ぶものであり、法律と大統領令により、中国の企業は、民間、国有、外国を問わず、自国の技術を中国軍と共有しなければなりません。
中国のこの1年間の同地域での軍事行動と近隣諸国に対するアプローチも、ますます挑発的なものになっています。 2015年に中国の指導者がローズガーデンに立ち、中国は南シナ海を「軍国化するつもりはない」と発言しましたが、中国は人工島に建設された軍事基地からなる列島の上に高度な対艦ミサイルと対空ミサイルを配備しました。
また中国政府は、フィリピンやマレーシアの船員や漁師に定期的に脅威を与えるため、「海上民兵」と呼ばれる船舶の利用を拡大していいます。また、中国の沿岸警備隊は、ベトナムが自国の海岸から石油や天然ガスを採掘するのを阻止するために、ベトナムに圧力をかけようとしています。 2019年の東シナ海では、中国の挑発行為に対応して、我が国の親密な同盟国である日本は、過去最多の戦闘機の緊急発進を予定しています。中国の海洋警察も、日本施政権下にある尖閣諸島周辺の海域に、連続60日以上も艦船派遣しています。
中国はまた、「一帯一路」構想を利用して世界中の港に拠点を設けていますが、これは、表向きは商業目的ですが、最終的には軍事目的になる可能性があります。今では中国の国旗がスリランカからパキスタン、ギリシャまでの港に掲げられています。 今年に入り、中国はカンボジアに海軍基地を建設する秘密協定に調印したと報告されています。また、中国は大西洋の海軍基地になる可能性のある場所まで狙っていると報告されています。
そして、米政権は 「一つの中国」 政策を尊重し続けていますが、3つの共同コミュニケや台湾関係法に反映されているように、中国は、札束外交によって、この1年間で、外交承認を台北から北京に切り替えるようさらに2カ国を誘導し、台湾の民主主義に対する圧力を強めています。
国際社会は、台湾との関与が平和を脅かすものではないことを忘れてはなりません。台湾と地域全体の平和を守ります。米国は、台湾の民主化がすべての中国人にとってより良い道を示すと常に信じています。(拍手)
しかし、この1年間、香港の騒乱ほど自由に対する中国共産党の反感を露呈することはありませんでした。 香港は150年間、中国と世界の重要な窓口の役割を果たしてきました。香港は、強力で独立した法律機関と活発な報道の自由を持つ、世界で最も自由な経済圏の1つであり、何十万人もの外国人居住者が住んでいます。
香港は、中国が自由を受け入れる時に、何が起こり得ることかという実例です。それにもかかわらず、中国はここ数年、香港への介入を強化し、「一国二制度」という拘束力のある国際協定によって保証された国民の権利と自由を縮小するための行為に取り組んできました。
しかし、トランプ大統領は、「合衆国は自由の象徴だ」と明言していいます。(拍手) 我が国は、国家の主権を尊重します。しかし、米国は中国政府がそのコミットメントを守ることを期待しており、トランプ大統領は、当局が香港の抗議者に暴力を行使した場合、米国は、貿易協定を結ぶのははるかに困難になるだろうと繰り返し明言しています。(拍手)
その後、香港当局は、デモの発端となった強制送還法を撤回し、中国政府も自制を示したことを喜ばしく思います。 これからも、米国は中国に対し、自制を示し、コミットメントを守り、香港の人々を尊重するよう、引き続き求めていくことをお約束します。そして、この数カ月間、自らの権利を守るために平和的にデモを行ってきた香港の何百万もの人々と、我々は共にいます。(拍手) 我が国は、あなた方に感銘を受けています。我々は、あなた方が非暴力の抗議の道を歩むよう求めます。(拍手) だが、あなた方には何百万ものアメリカ人の祈りと称賛があることを知っておいてください。
昨年私が述べたように、中国は地域や世界に影響力を行使し、中国共産党も米国の企業、映画スタジオ、大学、シンクタンク、学者、ジャーナリスト、地方、州、連邦政府の当局者に報酬を与えたり、圧力をかけたりして、米国における国民的論議に影響力を与えています。
今日、中国は数千億ドルもの不正取引された商品を米国に輸出しているだけでなく、最近、中国は検閲を輸出しようとしています。これはその政権の特徴です。企業の貪欲さにつけ込み、中国政府は米国の世論に影響を与えようとし、米国企業を支配しています。
そして、あまりにも多くの米国多国籍企業が、中国共産党に対する批判だけでなく、米国の価値観を肯定的な表現さえも口を閉ざすことよって、中国の資金と市場の誘惑に屈しています。
ナイキは「社会正義の擁護者」と自称していますが、香港に関して言えば、社会的良識を入口でチェックすることを好んでいます。実際、中国のナイキ店舗は、ヒューストン・ロケッツのゼネラルマネージャーの「自由のために戦え。香港を支持する。(Fight for Freedom.  Stand with Hong Kong)」という7語のツイートに抗議して、ロケッツ��商品を棚から撤去し、中国政府に加わりました。
また、日常的にこの国を批判する自由を行使するNBAの大物選手やオーナーの中には、中国国民の自由と権利に関して声を上げることができない人もいます。中国共産党の肩を持ち、言論の自由を抑圧するNBAは、独裁政権の完全子会社のように振る舞っています。
人権侵害を故意に無視する進歩的な企業文化は進歩的ではありません。抑圧的です。(拍手) アメリカの企業、プロスポーツ、プロアスリートが検閲を受け入れることは、間違っているだけではありません。非アメリカ的です。米国企業は、米国の価値観を支持して、米国内だけでなく世界中で立ち向かうべきです。(拍手)
そして、中国の経済的、戦略的行動、米国の世論を形成しようとする試みは、私が1年前に述べたことを証明しています。今日まで、まさに真実です。中国は異なる米国大統領を望んでおり、それはトランプ大統領のリーダーシップが機能しているという究極の証です。 米国経済は日増しに成長し、中国経済がその代価を払っています。大統領の戦略は正しい。大統領は、これまで誰も経験したことのないような、アメリカ国民のため、アメリカの仕事のため、アメリカの労働者のために戦っています。そして、私は皆さん方にこの政権が決して屈しないことをお約束します。(拍手)
とはいえ、大統領は同様に、米国は中国との対立を求めないことを明確にしました。私たちは公平な競争の場、開かれた市場���公正な取引、そして我々の価値観の尊重を求めます。
我々は中国の発展を封じ込めようとしているのではありません。我が国は、何世代にもわたって中国国民と享受してきたように、中国の指導者と建設的な関係を築くことを望んでいます。もし中国が一歩踏み出し、この歴史上ユニークな瞬間をとらえ、アメリカ国民をあまりにも長い間利用してきた貿易慣行を終了させ、新たなスタートを切るならば、私は、ドナルド・トランプ大統領が新しい未来を始めるための準備、意欲があることを知っています。—(拍手)—アメリカが過去にそうしたように。
鄧小平の「改革開放」政策が外部世界との関与と交流を奨励した時、米国はこれに積極的に応じました。我が国は、中国の台頭を歓迎しました。我が国は6億人の人々が貧困から抜け出すという驚くべき成果を祝いました。米国は、中国の経済回復に、どの国よりも多くの投資を行いました。
アメリカ人は中国国民ためにより良いものを望んでいます。しかし、そのためには、我々は、中国がいつかそうなるかもしれないと想像したり希望したりするのではなく、現実のあるがままに受け入れなければなりません。 また、トランプ政権が中国から「デカップル(分断)」を望んでいるかどうかを問われることもあります。その答えは明らかに「No」であり、米国は中国と中国のより広い世界への関与を求めています。しかし、公正さ、相互尊重、国際的な商取引のルールに合致した方法での関与です。
しかし、これまでのところ、中国共産党は真の開放や世界的な規範との融合に抵抗し続けているようです。 中国政府が今日行っていることは、サイバースペースにおける共産党の巨大なファイアーウォールから、南シナ海の砂の万里の長城(グレートウォール)まで、香港の自治に対する不信から、あるいは信仰心の抑圧からも、すべて、何十年にもわたって中国共産党が世界から「デカップル(分断)」していることを示しています。
習近平国家主席自身も、党総書記に就任した直後に非公開の演説で、中国は「2つの社会システムの間の長期的な協力と闘争のすべての側面に対して誠実に準備するべきだ。」と述べたと聞いています。彼はまた、当時の同僚たちに、西側の回復力を過小評価しないようにと述べました。そして、それらの言葉には分別がありました。
中国は、自由を愛する米国民の回復力や米国大統領の決意を過小評価してはなりません。(拍手) 中国は、米国の価値観が深く根付いていること、これらの価値観に対する米国のコミットメントが建国の父たちに対するコミットメントと同じくらい強力であること、そして米国に民主主義と自由の明るい光が消える日は決してないことを知るべきです。(拍手)
アメリカは抑圧と専制に対する反乱から生まれました。我が国は、並外れた勇気、断固たる決意、信仰、そして火のような独立と意志を持つ人々によって建国され、定住され、開拓されました。何世紀にもわたって何も変わっていません。
米国人は、すべての男性と女性は平等に創造され、創造主によって、生命、自由、幸福の追求という、不可分の権利を与えられていると信じています。そして、これらの信条を変えるものは何もありません。(拍手)  これらの信条こそが我々です。我々はずっとこれらの信条を持ち続けるのです。
そして、我々は、民主主義の価値観―個人の自由、宗教の自由、良心の自由、法の支配―が米国と世界の利益に役立つとこれからも信じます。そして、人類の野望を解き放ち、世界のすべての国家と国民の間の関係を導くための最良の政府であり続けるでしょう。
米中関係において我々が直面している多くの課題にもかかわらず、ドナルド・トランプ大統領のリーダーシップの下では、米国はこれらの挑戦が中国との具体的な協力を妨げることは許さないと断言できます。
我々は、中国との経済関係において長年待望されてきた構造改革を実現するための誠実な交渉を継続します。そして、今朝、再び大統領から伺ったように、トランプ大統領は合意に達することができると楽観的なままです。
我々は、教育、旅行、文化交流を通じて、両国国民の間に絆を築き続けます。 また、中国と米国は、北朝鮮の完全かつ最終的かつ検証可能な非核化を確保するために協力するための関与の精神を維持し続けます。 また、ペルシャ湾における軍備管理及び米国の制裁措置の実施について、より一層の協力を求めます。
米国は中国との関係改善を模索し続けるでしょう。その際には、率直にお話ししたいと思います。なぜなら、これは米中両国が正さなければならない関係だからです。
米国は引き続き、中国との関係の抜本的な再構築を追求するでしょう。そして、ドナルド・トランプ大統領のリーダーシップの下、米国はこの方針を維持します。米国民と両党の選出議員は、今後も決議を維持します。我々は、我が国の利益を守ります。我々は、我が国の価値観を守ります。そして、我々は慈善と万人のための善意の精神でそうします。(拍手)
トランプ大統領は習主席と強い個人的関係を築いています。その上で、両国国民のより良い暮らしのために両国の関係を強化する方法を模索し続けます。 そして、我々は、米国と中国が共に平和で繁栄した未来を共有するために努力することができ、またそうしなければならないと強く信じています。しかし、率直な対話と誠実な交渉だけがその未来を現実にすることができます。
1年前にスピーチを締めくくったように、今日は終わりにします。アメリカは中国に手を差し伸べています。そして我々は、中国政府が近いうちに、今度は言葉ではなく行動で、そして米国への新たな敬意で立ち返ることを願っています。
「人間は目の前を見ているが、天は遠い将来を見ている。」という中国のことわざがあります。我々が前に進むとき、決意と信念を持って平和と繁栄の未来を追求していきましょう。トランプ大統領のリーダーシップと米国経済と世界における米国の地位に対するビジョンへの信頼、そして中国の習近平国家主席と築いた関係への信頼、そして米国民と中国国民との永続的な友好関係への信頼。 そして、天が遠い将来を見るという信念、そして神の恵みによって、アメリカと中国はその遠い将来に共に出会うでしょう。
ありがとうございました。神のご祝福がありますように。アメリカ合衆国に神の祝福がありますように。(拍手)
END
(海外ニュース翻訳情報局 樺島万里子)
カデットの祈り¹⁾ 神よ、私達の父なる神よ、人間の心の探究者は、私達が誠実さと真理であなたに近づけるよう助けてください。私達の信仰が歓喜に満ち、また私達があなたを自然に賛美しますように。 誠実なふるまいと清廉な思考への称賛を強め、高めてください。偽善と見せかけに対する嫌悪がなくならないようにしてください。私達が一般的な生活水準以上の人生を送ろうと努めることを勇気づけてください。安易な間違ったものではなく、より困難な正しいものを選ぶようにし、全てが得られるときには、半分の真理で決して甘んじることがないようにしてください。高潔で価値のあるすべての人への忠誠心から生まれた勇気を与え、悪と不正に妥協することを軽蔑し、真理と権利が危険にさらされても恐れを知らない勇気を私達に与えてください。命の神聖なものにおける軽薄さと不敬さから私達を守ってください。新しい友情の絆と新しい奉仕の機会を私達に与えてください。明るい表情の人たちと心を共にし、悲しみ苦しみを受ける人たちへの同情で心に明りを灯してください。 無機質で汚されていない陸軍工兵隊の名誉を維持し、汝と我が国に対する義務を果たす上でのウェストポイントの理想を私達の生活の中で示すために、私達を助けてください。これらすべてを、偉大な友とすべての陸軍修士の名においてより頼みます。 アーメン (樺島万里子訳)
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戦後の事件簿  「日本が受諾したポツダム宣言は、イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において発された。ソ連は後から加わり追認した。中共は、抗戦相手ではなかった。大日本帝国の一部を形成する朝鮮半島の住民と内地の住民も、戦火を交える敵同士ではなかった。しかし、どこまでも敗戦革命にこだわる報道関係者たちは、中国や韓国や北朝鮮に戦勝国とウソをつかせたうえで、日本に対する理由のない非難と恐喝をするよう唆している。そして、韓国人や朝鮮人は本名を隠し日本人名を名乗っている。彼らの犯罪は、日本人による犯罪のように報道されるか、犯罪そのものが報道されない」という話を聞いた  図書館に行って朝鮮人の犯罪を調べたら、次のような記録が見つかった  1945年10月22日、大阿仁村事件が起こった。秋田県北秋田郡阿仁合町の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁村の伏影集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、双方数名が負傷した。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧の為に急行した  1945年12月24日、生田警察署襲撃事件が起こった。午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた。捜査員らが脱出に成功した一方で、暴徒によって署内の警察電話線が切断されたため、警察署は外部との連絡手段を絶たれてしまった。その後、事件を聞きつけた連合国軍部隊によって暴動が鎮圧された。襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。もっとも以下に挙げた資料には、確かに報復を仕掛けたのは朝鮮人の一団であったが、元の拳銃強盗事件の犯人が朝鮮人であったのかどうかまでは記されていない  1945年12月29日、直江津駅リンチ殺人事件が起こった。午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで彼らは列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。列車が直江津駅に到着すると、3人組は���分たちを阻んだ男性��対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した  1946年1月3日、富坂警察署襲撃事件が起こった。正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した  1946年1月9日、生田警察署襲撃事件が起こった。翌年、三宮ガード下で賭博団が検挙されたことを受け、30 - 40人の朝鮮人が犯人の奪還を目的に再度署内に侵入したが、この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3人を検挙した  1946年5月13日、長崎警察署襲撃事件が起こった。午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始し、日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、長崎警察署に連行した。その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。午後2時30分頃、朝鮮人や中国人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲・襲撃した。これにより警察官1人が死亡、10人が重軽傷を負った。その後、余勢をかって東浜町派出所や港町派出所も襲撃し、警察官に対し暴行を加えている  1946年8月5日、富山駅前派出所襲撃事件が起こった。午後6時50分頃、富山駅において闇米取り締りを実施し、朝鮮人3人を検挙した。しかし、それを見ていた朝鮮人2人が妨害し、3人を逃走させた。そのため自治隊員2人を公務執行妨害罪で逮捕し、富山駅前派出所に連行したところ、朝鮮人約30人が包囲し険悪な雰囲気となった。署に救援を頼んだが、その前に大乱闘となった。その直後に、救援隊が駆けつけて朝鮮人たちを実力で排除した。この乱闘で警察官1人が負傷した  1946年9月22日、坂町事件が起こった。午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された  1946年9月26日~29日、新潟日報社襲撃事件が起こった。在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。両社は「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を掲載することで話がついた。9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した  1946年12月20日、首相官邸デモ事件が起こった。の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党の徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた  1947年10月20日、尾花沢派出所襲撃事件が起こった。朝鮮人7人は警察によるヤミ米摘発の鬱憤を晴らすべく、派出所の襲撃を計画し、午後3時頃に楯岡警察署の尾花沢派出所に乗り込んだ。警察官が不在だったため、派出所内の器物を破壊し、門標を取り外した後引き揚げた。その後、外出から戻った警察官が、派出所内の惨状を見て驚き、直ちに署に連絡した。その直後、前述の朝鮮人7人と他の朝鮮人30人が派出所を取り囲み、火鉢を投げつけるなどの暴行を働いた。楯岡警察署は隣接の新庄警察署や進駐軍の応援も得て、29人を逮捕した  1948年4月23日~25日、阪神教育事件が起こった。9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府知事・赤間文三との交渉を行うことになった。12時30分、大阪府庁知事室において副知事と朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが合意には至らず、15時になって在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中からシュプレヒコールが起こった。同時に50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を突破した。15時30分には行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を占拠。副知事は警察官の誘導で、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。17時頃には群衆が知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといった行動に出る。日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は川上貫一衆議院議員とともに知事室に駆けつけたが、収拾がつかない状態だった。夜になって大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人によってかがり火が焚かれ、朝連としては川上を代表として交渉の場を作ろうとした。しかしそこへアメリカ軍や武装警官が到着し、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らと乱闘。在日朝鮮人のうち1人が死亡し20人が負傷した。警官側の負傷者は、31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。4月25日には朝連や日本人約300人が南警察署に押しかけ逮捕者の釈放を要求したが、抗議に来た群衆に向けて警官隊が威嚇射撃を行い追い返した。翌4月26日に朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催。午後には朝鮮人代表者と赤間府知事との間で再度交渉が行われたが、15時40分に別室で待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示。これに対し在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始。武装警官隊は消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲した。この衝突で当時16歳であった在日朝鮮人金太一が死亡する。検挙者は軍事裁判にかけられ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。このうち当時の朝鮮総連の朴柱範兵庫県本部委員長は神戸刑務所に服役し、1949年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが僅か数時間後に死亡した。事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。兵庫県非常事態宣言布告を報じた朝日新聞号外アイケルバーガー司令官の神戸視察を報じた神戸新聞10日に兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して封鎖命令を発令。これを受けて14日に朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的・脅迫的になった。4月23日に警官隊と米軍MPが朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖すると、翌24日に封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が兵庫県県庁前に集結。9時30分に兵庫県庁知事室で、岸田知事と神戸市長・小寺謙吉、検事正ら15人が朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。協議が行われているとの情報は朝連にも伝わり、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後、壁を打ち破って知事室になだれ込み岸田知事やMPを拉致監禁するに至る。知事室に乱入した在日朝鮮人や日本人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを岸田知事に要求。半ば監禁状態にあって岸田は、17時に諸要求の受け入れを誓約。しかしその日の22時に岸田知事と吉川覚副知事・市丸検事正・田辺次席検事・出井兵庫県警察長・古山神戸市警察局長らが、占領軍兵庫県軍政部に召集され、23時に兵庫県軍政部が「非常事態宣言」を発令。軍政部の非常事態宣言によって兵庫県と神戸市の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入り、兵庫県庁への乱入者の徹底検挙命令と共に岸田知事が一旦受け入れた在日朝鮮人の要求への誓約を無効とした。25日早朝にMPと米軍憲兵司令官指揮下の警官による県庁乱入者の検挙を開始し、29日までに、1590人もしくは7295人 を検挙。日本共産党の神戸市議会議員・堀川一知も拘引された。4月28日には米軍軍政部の非常事態宣言も解除。検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。唯一の日本人被告人だったは堀川は重労働10年の判決を受け、在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出されて刑期終了後は本国に強制送還されることになった  1948年10月11日~12日、評定河原事件が起こった。の10時から開会式が始まった。北朝鮮国旗の掲揚をめぐり仙台市警察が警告を発するなどのトラブルがあったが、1日目は特に混乱も無く終了した。2日目の10月12日は運動会が開かれた。国旗掲揚の代わりに国旗を頭上に捧げ持って行進したため、米軍の憲兵が行進の中止を命じた。その後、運動会は再開され、16時30分頃に閉会式が開かれた。そのとき、酒を飲んだ数人の朝鮮人が会場内に入って歌を歌い始めた。これに同調する者が次々と現れ、赤旗を掲げてデモ行進するなど不穏な空気に包まれた。その中で、北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進をし、米軍憲兵の制止を無視し行進を続けたため、米軍憲兵は国旗を押収し、参加者4人を検挙した。その後の米軍憲兵隊の捜査で、更に2人が検挙された  1948年12月9日、宇部事件が起こった。約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集し生活擁護人民大会を開催していた際に、在日本朝鮮人連盟山口県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕した。大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして警察側と衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなったが、警察側の発砲によって鎮圧された  1949年1月25日、益田事件が起こった。島根県美濃郡益田町の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したものの、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために警察官と乱闘になり48名が検挙された。逮捕されたもののうち9名が起訴され、騒乱罪で有罪となった  1949年4月6日~13日、枝川事件が起こった。午後6時頃、3人の捜査員は主犯を発見、逮捕しようとした。しかし主犯は別人を主張、周りの朝鮮人数人も捜査員を見ていたため、任意同行に切り替えた。そして、屋外に出ようとしたところ、主犯は捜査員を突き飛ばし、裸足のまま逃走した。捜査員は拳銃を3発威嚇発砲して制止しようとしたが、逃走を続けたため、遂に主犯に向けて発砲した。そしてなんとか逮捕することができたが、主犯はその際に負傷した。それを見ていた約40人の朝鮮人が「仲間を殺したやつは殺してしまえ」と捜査員2人に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加え重軽傷を負わせた上に在日朝鮮人連盟の施設に連行した。もう1人の捜査員は、事態の重大性を察知し、近くの民家の電話を借りて枝川地区を所轄する深川警察署と月島警察署に通報した。まもなく深川警察署と月島警察署の応援部隊が在日朝鮮人連盟の枝川支部に急行したが、激しい抵抗にあい、警察側に負傷者を続出させたが、アメリカ軍憲兵隊が来ると急に態度を軟化させた。その後の交渉で朝鮮人側は暴行犯人の引渡しを確約したが、4月8日になっても引き渡さず、逆に捜査員の処分を求める有様であった。4月9日より、警察は枝川地区に架かる橋に検問所を設置、通行者全員に検問を開始した。それと並行して内偵調査を行った。その結果、警察官に暴行した容疑者が割り出されたため、4月13日に一斉捜査が行われ、容疑者5人が逮捕された。4月19日までに更に10人が逮捕された  1949年4月7日~11日、高田ドブロク事件が起こった。午前6時頃、取締部隊は朝鮮人集落に到着し一斉取締を開始した。早朝であったため、この取締そのものは整然と行われ、午前8時30分頃には引き上げた。午前10時40分頃から朝鮮人たちが高田市警察署に集結し始め、正午頃になると200人に膨���上がり、検挙者の釈放を要求した。しかし警察側が断固拒否したため、警察署に向かって投石を行い窓ガラス十数枚を破損させた。4月8日も朝鮮人約200人が警察署前に集結し、釈放を要求した。4月9日正午、一人の朝鮮人女性が高田税務署に現れた。一人であったことから税務署を警備していた警察官も、一般の利用者と思って油断していたところ、あっという間に14・15人の朝鮮人女性が集まり、署長との面会を要求してきた。警備の警察官が退去を勧告したところ、「人殺し」と叫び座り込みをはじめた。午後1時になると多くの朝鮮人男性が押しかけ、税務署内に突入しようとしたので、小競り合いになり双方に負傷者を出した。4月10日、検挙者の自供により、高田市においても密造酒の醸造が行われていることが判明したため、在日朝鮮人連盟信越支部などを家宅捜査した。4月11日、約500人もの朝鮮人が高田市に集結、デモ行進を行った。彼らは市民に対して「警察が朝鮮人に対して不当な弾圧を加えている」「放火して高田市を灰にする」などと叫び牽制していた。ここに至り、警察もデモの首謀者12人を検挙したため、この事件も収束に向かい始めた  1949年6月2日~11日、本郷村事件が起こった。国家地方警察福井県本部若狭地区警察署の本郷派出所の警察官が朝鮮人地区の地図を作成したことについて、在日本朝鮮人連盟の幹部が抗議した。幹部は一旦戻り、在日朝鮮人70人を引き連れて、派出所を包囲した。そして中の警察官に暴行を加え、そのまま居座り続けた。若狭地区警察署は署員を急派したが、なおも居座り、6月4日になってようやく解散した。朝鮮人側は 暴行警察官の罷免 被害者に対する損害賠償 朝鮮人に対する謝罪 朝鮮人問題については、事前に朝連と連絡協議をすることなどを要求したが、警察は6月10日に朝鮮人2人を逮捕するために現地に向かった。待ち構えていた朝鮮人200人が、石や糞尿を投げつけて逮捕を妨害したが、なんとか強行突破し、2人を予定通り逮捕した。その後朝鮮人たちは、「民族弾圧、ファッショ警察の再現」と叫んで警察署前に居座ったり、「ファッシズム国警若狭地区警察の真相」と題するビラをばら撒くなど示威行動を続けた  1949年8月20日、下関事件[騒乱]が起こった。19日午後11時頃、朝連事務所前に約150人の在日朝鮮人が集結し、民団を非難する集会を開いた。集会そのものは特に問題なく終了したが、警備に当たっていた朝連の構成員と民団の構成員が路上で遭遇、乱闘となり、民団側が所持していた日本刀で朝連側に負傷者を出した。朝連は、これに報復すべく8月20日午前2時30分頃、構成員約200人を招集し、民団下関支部や民団構成員の自宅を襲撃した。そして被害家屋から金品を略奪するなどの狼藉を働いたあと解散した。このため、未明にも係らず市内は一時大混乱になった。下関市警察は、直ちに国家地方警察山口県本部に応援を要請した。国家地方警察は、自治体警察を含む山口県内の全警察に非常招集を発令、警察学校の学生をも動員した。県内各地から来る応援部隊の到着後、朝連や民団の施設を一斉に捜索を開始し、939 人の警察官のうち 14 人が負傷したが、73人を検挙した。翌日8月21日には、下関市警察と国家地方警察の合同による「下関事件合同警備本部」を設置するとともに、市内各所に検問所を設けて逃亡を阻止した。最終的に208人が検挙され���殺人未遂罪のほか、騒擾罪などで75人が起訴された  1950年3月20日、台東会館事件が起こった。10日午前9時、東京都の係官が台東会館に赴いた。警視庁では不測の事態に備えて多数の警察官を警戒に当たらせた。係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。旧朝連側は接収予定日の前日から、会館入口にバリケードを設け、周辺道路を巡回して警戒していた。3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため警察は強行突入を断行し、朝鮮人119人を検挙した  1950年8月15日、連島町事件が起こった。1949年9月8日、GHQの指示を受けた法務府は告示第51号を出し、在日本朝聯と在日本朝鮮民主青年同盟に対し団体等規正令を適用して解散命令を下す。また朝鮮学校と民団総連も解散請求を受けた。これらの措置は在日朝鮮人の生活に直接の打撃を与えた。将来に不安を抱いた朝鮮人同胞らの中には、革命を叫んで公共施設を不法占拠し火炎瓶で武装した事件が起きた。こうした世情不安の中、岡山県浅口郡連島町で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり集会を強行したため、これを制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した  1950年11月20日~27日、長田区役所襲撃事件[第二神戸事件]が起こった。午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。11月27日朝、24日に逮捕された仲間の奪還などを求め、姫路市、明石市、尼崎市などから約600人の朝鮮人が神戸に向かっているとの情報が警察にもたらされた。警察は甲号非常招集を発令、神戸市警察および国家警察兵庫県本部の警官約3000人に待機命令をかけた。長田区にある西神戸朝鮮人学校に神戸市在住の者も含め約千人の朝鮮人が集結。「祖国統一決起大会」を開催し、投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された  1951年1月23日、四日市事件が起こった。旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った事件。そのため、執行係官7名が全治2 - 3週間の重軽傷を負った。警察が出動して、公務執行妨害容疑で15名を検挙した  1951年3月7日、王子朝鮮人学校事件が起こった。当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った  1951年6月13日、神奈川事件が起こった。横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。運動会終了後、約500名の在日朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで奇声をあげた。 そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した  1951年10月22日、下里村役場集団恐喝事件が起こった。下里村において、在日朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために村役場に押しかけた  1951年12月1日、東成警察署襲撃事件が起こった。午前11時頃、朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校に集まり、東成警察署までデモ行進した。その後、元御幸森朝鮮人学校に集合し、12時15分ごろ東成警察正門前に到着した。さらに同署の東方道路から約20名、南方道路から20名が殺到し気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸入りサイダーびん3本、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された 。12月16日午後、不法デモをおこない3隊に分かれ、生野区、巽町の工場を襲撃した  1951年12月18日、日野事件が起こった。10月18日午前11時30分、滋賀県蒲生郡桜川村に、在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊のメンバーが集結し、自転車にスピーカーを取り付けて自転車デモを行おうとした。滋賀県公安条例の届出を出していない違法デモであった。国家地方警察滋賀県本部蒲生東地区警察署では、これを制止しようとしたが、デモ隊は強行突破し、日野町内に侵入した。デモ隊は日野郵便局前で「朝鮮人強制送還反対」「軍事基地化反対」などの演説を行った。その間、周辺在住の朝鮮人が集まり、ピケを張ったりバリケードを作ったりした。そして警官隊に棍棒で襲い掛かったため、公務執行妨害罪で20人が検挙された  1952年2月21日~23日。木造地区警察署襲撃事件が起こった。国家地方警察青森県本部木造地区警察署は、傷害容疑で在日朝鮮人2名を逮捕した。これに対し、在日朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。2月23日に入り、在日朝鮮人約70名が署内への侵入を図って警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。また同日午後7時、応援に駆けつけていた弘前地区警察署の署員11人が、国鉄五能線木造駅を警備していたところ、在日朝鮮人に取り囲まれ、警棒を奪われる事件も発生している  1952年3月26日~30日、多奈川町事件が起こった。以前より多奈川町警察は、隣接の国家地方警察泉南地区署の応援を得、幾度も朝鮮人による密造酒の摘発を行っていたが後を絶たず、増加するばかりであった  1952年3月24日、大阪国税局は、同局泉佐野税務署・大阪地方検察庁岸和田支部・国家地方警察泉南地区署と合同捜査会議を行い、一斉摘発を決定。同年3月26日午前5時40分ごろ、泉南地区署に、国税局員45名・検事1名・副検事1名・検察事務官12名・制服警察官50名の合同捜査チームが集合。10班に分かれ、トラック10台に分乗し、多奈川町9ヶ所、深日町1ヶ所、計10ヶ所の密造場所に向かう。納屋や豚小屋に偽装された密造工場の各所で、朝鮮人による抵抗に遭うも、検察庁職員によって容疑者の逮捕、国税局員によってドブロク・コウジ・蒸留機などの酒造器具を証拠品として差押さえるなどし、各班は逐次南海電気鉄道多奈川線多奈川駅前に集合。この時、婦女子を先頭にした朝鮮人約200人がトラックの前に座り込んだり、大きな石をいくつも道路上に置いて交通を妨害。これを排除しようとした警察官が激しい抵抗に遭っている間、手薄な警備に勢を得た朝鮮人の数はさらに増え、ついには「生活権」を訴える怒号に扇動された朝鮮人が「殺してしまえ」とわめきながらトラックに殺到し、タイヤの空気を抜く、窓ガラスを叩き割る、トラックの運転手を袋叩きにする、差押えた証拠品を叩き落して破壊・強奪する、被疑者を逃がすなどの暴挙に出た。 この危機を脱したトラック3台は集合場所の大阪拘置所に向かったものの、残る7台は駅前の国道で立ち往生となる。1個班につき警察官が5人と言う手薄な警備体制が招いた失敗であった。不測の事態を受けた合同捜査チーム総指揮官大坪検事及び泉南地区警察署長は、深日町警部派出所から国家地方警察大阪府本部に応援を要請。検挙は後日に譲ることとし、後日の検挙に備え多数の現場写真を撮影、道路上の妨害を排除しつつタイヤの空気を入れなおし、午前7時半ごろ、捜査チームは泉南地区署に引き揚げた。午前8時過ぎごろ、朝鮮人約30名が多奈川派出所に押しかけ「俺たちの生活をどうしてくれる」と抗議。間もなく代表者3名を残し引き揚げる。午前9時ごろ、取材に来ていた毎日新聞社大阪本社の記者がドブロク密造地区捜査取材のため多奈川派出所に向かう途中、朝鮮人の暴徒に囲まれて殴打され、石を投げつけられ、全治2週間の怪我を負う事件が発生。また、この騒ぎで城東税務署員も右手に怪我を負っている。事態を重く見た国家地方警察大阪府本部は27日・28日の2日間にわたり、現場証拠写真、現場に出動した警察官、第三者の証言から被疑者の割り出し、証拠収集にあたる。結果、被疑者17名を特定し、29日、暴力行為等処罰に関する法律違反、公務執行妨害および傷害ならびに酒税法違反容疑で逮捕状・捜査令状を大阪地検より受けた。同年3月30日午前2時、検事らをはじめ、大阪府下8地区署から制私服警官警察官・警察学校生徒など、約450名が大阪市城東区関目の大阪府警察学校に集結。午前5時すぎ、自動車・トラック約30台に分乗して多奈川町小田平、朝日、東、湊、深日町兵庫の5地区21ヶ所に急行し、逮捕、押収捜索にあたった。捜査員が被疑者を逮捕しようとした際、人糞を降りかけられる、手を噛まれる、水桶・たらい・マキなどを手当たり次第投げつけられる、クワ・こん棒などを振り回して暴れる、トウガラシの粉を投げて目潰し戦術に出るというようなことがあり、捜査員3名が打撲傷などを負ったが、前回ほどの組織的集団抵抗はみられなかった。この検挙の際、26日の暴行首謀者とされる3名が逃走。緊急逮捕を含む27名の逮捕者は取り調べののち、5名を釈放。残り25名を酒税法、公務執行妨害、傷害、業務妨害などの容疑で大阪地検に送庁、19名が起訴された。3月30日の検挙活動の際、朝鮮人1名が職務質問を受け逃走、追いついた警官ともみ合いになり拳銃の引き金が引かれ、弾が右腹部を貫通、重傷となり、数日後に死亡した  1952年5月1日、血のメーデー事件が起こった。GHQによる占領が解除されて3日後の、第23回メーデーとなったこの日の中央メーデーは、警察予備隊についての「再軍備反対」とともに、「皇居前広場の開放」を決議していた。大会は午前10時20分ごろ開会され、途中、全学連を中心として人民広場への乱入を扇動しようとする乱入者が相次いだものの、午後0時10分に閉会し、同25分より、北部・東部・南部・中部・西部の各コースに分かれて、予定のデモ行進に移った。デモ行進の途上でも、人民広場への乱入を扇動しようとする試みが相次ぎ、一部のデモ隊は当初のコースから外れて投石などを行ったほか、西部コース指導者は人民広場への乱入を拒否したために暴行を受けるなどの混乱が生じたものの、最終的には午後2時から4時にかけて順次に予定の解散地点に到着し、解散した。しかし特に混乱が著しかった南部コースを中心として、日比谷公園で解散したデモ隊の一部は、その中の全学連と左翼系青年団体員に先導され、朝鮮人、日雇い労務者らの市民およそ2,500名がスクラムを組んで日比谷公園正門から出はじめた。警視庁は、会場や行進中には主催者の自主的統制に待つこととしていたが、5,600名の部隊を編成して雑踏警備にあたっていたほか、各署員1万名以上を待機させて即応体制を整えていた。日比谷交差点を通過して無届デモを開始した群衆に対して、まず丸の内警察署長以下60名が制止したが、投石や竹槍・棍棒による攻撃を受け、13名の負傷者を出した。デモ隊は外国人の自動車19台に投石して窓ガラスを次々に破壊しながら北上した。馬場先門においては、第一方面予備隊と三田・東京水上・高輪の3警察署による470名の部隊が警備にあたっていたが、方面予備隊の一部が拳銃および若干の催涙弾を装備していたほかは警棒を携帯しているのみであった。またデモ隊は極めて先鋭的であったことから、周囲の一般通行人への被害も憂慮した方面予備隊長は車道の警戒線を解き、デモ隊は皇居前広場になだれ込んだ。乱入したデモ隊は、二重橋正面で警備にあたる丸の内警察署員および増援の第一方面予備隊2個中隊に対して投石を開始した。祝田町警備巡査派出所ではボックスが押し倒され、警察官は袋叩きにされて拳銃を奪われた。警察部隊は催涙弾を使用して鎮圧にあたり、午後3時頃には暴徒を中央自動車道まで後退させ、にらみ合いの状態となった。しかしこの頃、桜門および祝田橋でも警戒線が突破されたことで暴徒は8,000名に増加した。警察側も逐次に予備隊を配置転換して体制を強化したが、暴徒との攻防は激しく、一部ではやむなく拳銃を使用した。この結果、暴徒が混乱に陥ったことから、警察側は体制を整えて一気に鎮圧を図り、午後3時40分までには暴徒の大部分を広場外に排除した。しかし広場外に排除された暴徒はその後もしつこく攻撃を繰り返し、祝田橋では第一方面予備隊の隊員4名が包囲され、角棒で乱打のうえで凱旋濠に投げ込まれ、更に投石を加えられた。また他の隊員4名も包囲されて同様の暴行を受けそうになり、拳銃の威嚇射撃でやっと難を逃れる状況であった。またこのほかにも、警察官への暴行が相次ぎ、拳銃を奪われる例もあった。午後3時50分頃には、桜門前濠端側に駐車されていた外国人自動車14台を転覆させて火を放ち、炎上させたほか、付近をサイドカーで通行していた交通第一課員を取り囲んで暴行を加え、サイドカーにも放火した。その消火のため出動した消防隊も投石や殴打を受けて13名が負傷、ホースも切り破られた。これらの暴徒も午後4時頃には離散しはじめたが、その後も有楽町巡査派出所が襲撃されたり、また一部は日比谷公園に逃げ込んで投石を続けていた。皇居前広場・日比谷公園が平静を取り戻したのは午後6時過ぎのことであった。これらの騒動の結果、デモ隊側は死者1名、重軽傷者約200名、警察側は負傷者832名を出す流血の惨事となった。当日は警察予備隊の出動も検討されていたが、一般警察力によって収拾されたため、出動を命じられるには至らなかった。 なお、この事件に出動した「予備隊」とは「警視庁予備隊」のことであり、後の機動隊である。警察予備隊のことではない
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 1952年5月12日~25日、大村収容所事件が起こった。法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した  1952年5月13日、広島地裁被疑者奪回事件が起こった。午後2時55分から広島地方裁判所第二号法廷で勾留理由開示を開くことになっていた。対象となった被疑者は、4月30日と5月1日に、国警広島県本部安佐地区署古市町駐在所と民家に、それぞれ火炎瓶を投げつけて放火した容疑で逮捕された朝鮮人4人であった。勾留理由開示は予定通りに開廷されたが、傍聴席には多くの朝鮮人が陣取り、赤旗や北朝鮮旗が掲げられるなど異様な雰囲気での開廷であった。閉廷直前の午後5時20分、傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、被疑者に手錠をかけようとした看守を妨害して、被疑者4人を奪還した。広島地方裁判所の事務室には、万が一の時のために広島市警察の警察官約70人が待機していたが、現場に駆けつけたときには、既に逃走された後だった  1952年5月26日、高田事件が起こった。民団愛知県本部の顧問は、北朝鮮系の在日朝鮮人の脅迫を受け続けてきた。同年3月には自宅を襲撃されたり、殺害予告のビラが貼られたりしていた。午前5時40分頃、北朝鮮系朝鮮人数十人が顧問宅に侵入、ドアやガラスを破壊したりするなどの狼藉を働いた。顧問は何とか逃げ出し、名古屋市警察瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。まもなく顧問を追跡してきた一団が高田派出所に押しかけ、備品を破壊したり火炎瓶を投入したりして焼き討ちした。顧問は警察官の誘導で裏口から退避し、道を隔てた高田小学校正門より用務員室に向かったが、追いつかれ暴行により全治10日の傷を負った  1952年5月31日、奈良警察官宅襲撃事件が起こった。25日、桜井町で民団磯城支部書記長が、旧朝連系の在日朝鮮人に襲われる桜井町事件が発生した。国家地方警察奈良県本部は犯人を検挙し、奈良地検に送致した。5月30日、奈良市警察に国警磯城地区警察署から「在日朝鮮人の一団が奈良市に向かっている」との連絡が入った。在日朝鮮人の一団が奈良地検に突入したため、奈良市警は実力で排除した。このことから、旧朝連系は奈良市警に反感を持つようになった。襲撃を受けた奈良市警の警察官宅は、桜井町事件が発生した桜井町に所在していた。5月31日、桜井町の奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の在日朝鮮人が覆面姿で押しかけて戸を叩いた。巡査部長の父親が戸を開けたところ、いきなり暴行を加え意識不明の重体にした。そして窓ガラスや障子を破壊して逃走した  1952年5月31日~6月5日、万来町事件が起こった。当時、宇部市には約3100人の在日韓国・朝鮮人が居住しており、大半が生活保護受給者だったが、市当局は彼らが「日中ブラブラしていた」ことから、「潜在収入がある」として、生活保護費増額を見送っていた。朝鮮人側はこれに激昂し、以降、連日宇部市福祉事務所に押しかけ、市職員を吊るし上げた。6月3日になると約400人に達したため、宇部市警察は全職員を動員して対処したが、朝鮮人側はその隙をねらって、留守中の上宇部派出所を襲撃した。6月5日、宇部市万来町において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に宇部興産の工場に乱入、守衛を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて民団の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は投石などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは催涙ガス弾も導入してようやく鎮圧した  1952年6月10日、島津三条工場事件が起こった。午後4時頃、トラックに乗った祖国防衛隊所属の在日朝鮮人約50人が、京都市中京区にある島津製作所三条工場に押しかけ、守衛の制止を振り切って中に突入、破防法反対のアジ演説を行った。工場側の要請を受けた京都市警察堀川警察署の署員約15人が現場に急行、五十代くらいの朝鮮人が妨害したため、ただちに検挙し京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。すると、付近にいた朝鮮人約100人が騒ぎ出した。パトカーがサイレンを鳴らして発進し、春日通三条にさしかかったとき、多数の朝鮮人が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込んだ。パトカーはたちまち火の車となり、道を大きくそれて京都市バスの車庫に入り込み、バスに激突した。乗っていた8人の警察官は重軽傷を負った。検挙者も火傷を負ったが逃げおおせることに成功した  1952年6月13日、醒井事件が起こった。滋賀県坂田郡醒井村では、民団系と在日朝鮮統一民主戦線系の在日韓国・朝鮮人間で対立が起きており、10日と6月11日の2日連続で乱闘事件が起きていた。午前5時頃、国家地方警察滋賀県本部坂田地区警察署の警察官は、被疑者逮捕のために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知し、ピケを張るなどして自宅に立て篭った。朝鮮人側が、投石や棍棒を投げつけるなど被疑者の逮捕を妨害したため大乱闘となったが、警察はこれを鎮圧し公務執行妨害罪で48人を逮捕した  1952年7月7日、大須事件が起こった。日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が、ソ連及び中共を訪問して日本国政府の方針に反する「日中民間貿易協定」を結んだ後に帰国し、6日に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約千人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。7日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の中区大須球場に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生がアジ演説を始め、その煽動によって約千人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車��解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する事件も発生している。この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人を検挙した。その内、半数以上が在日朝鮮人だった。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたことが分かった  1952年11月9日~12日、大村収容所事件が起こった。5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した  1952年11月19日~26日、五所川原税務署襲撃事件が起こった。仙台国税局は警察の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の在日朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、密造酒約100石、酒粕約400貫、その他容器約200点などを押収、酒税法違反として45名を検挙した。また、摘発を妨害したとして、在日朝鮮人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。その後、在日朝鮮人は「生活権の保障」と「職の斡旋」を要求し、国警板柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行った。11月26日には約60名が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署を占拠した
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kent-ar · 2 years
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スレッドデザインが、設計監理をさせていただいた戸建ての事例で、高台に建つ眺望の良い木造の住宅です。 Thread design studio :Mtn-house Photo:(株)VA 岡村靖子 #スレッドデザインスタジオ #Threaddesignstudio #instagramjapan #moderninterior #interiordesign #japan #house #white #residence #名古屋設計事務所 #住宅設計 #住宅 #外観写真 #木造住宅 #高台の家 #眺望の良い住居 #デッキテラス #板張りの軒天井 #大開口サッシ #擁壁の上の住居 https://www.instagram.com/p/CepPWPJvg74/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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iseilio-blog · 2 years
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7/22 柴寮偶寄
7/22 柴寮偶寄
平埔族非原住民?西拉雅爭取正名!稀釋原民資源?釋憲案言詞辯論!(公共電視 - 有話好說) - YouTube •已經漢化,連自身語言都不會說,因此不接受為原住民族,就如同戰後第三代河洛人、客家人不會說台語,所以不認同自己的原本身份,同樣的荒謬。•忘了是基因,還是血液;可以自己查。•以資源分配不足,或者報名日期為理由來作為族裔之歸屬,應該受到譴責。•不想說的是,這是 “”殖民” 的結果,此所以福建沒有這個問題。記得台灣統獨問題檯面化的時候,談話節目就有來自東南亞的 call in,斥責台灣搞獨立。再去看看新加坡父子的言行,就知道這種問題其實很複雜。不妨參考 “後殖民理論與文化認同”、麥田出版。 ── 來賓親身經歷! "夜行軍"深山奇遇 二兵師公喊"見鳥就跑" 預言!?|【驚爆大解謎】|三立新聞台 - YouTube 我們連上有乩童。 ── 還在等一個"仁"? 北市長成大位跳板 經濟.國際連結 陳建仁恐為最合適人選 陳時中再等等? 王時齊:陳建仁出線將為民進黨加分|姚惠珍主持|【周末版鄭知道了 PART1】20220702|三立iNEWS - YouTube 陳建仁應該選總統。 ── 做錯什麼養出啃老兒! 我的退休金怎麼辦!2020.10.17【財經週末趴 全集】 - YouTube 過度的呵護,與變態的日本社會,反差太大,當然造成繭居族;應該受到檢討的是 文化本身。 ── 【台灣美食系列第16集】台南實在好吃的東西太多.這次吃的是小卷米粉.好吃~ 台南はおいしい小吃がいっぱい。今回食べたのは小卷米粉(イカ入りスープビーフン)。おいしかった~ - YouTube 木瓜牛奶;不過木瓜要夠熟,木瓜味道才夠、釋迦,要傳統釋迦,也是夠熟味道才夠、鯊魚煙、旗魚米粉。 ── Precise Bearing | Facebook RPM 40000 ── 反攻大陸、省籍情結、台式民主、皇民影響、日本崇拜……退役上校談敏感話題,原來台灣如此錯綜複雜┃周愚·專訪(中篇) - YouTube •理性的胡說八道;四萬換一元是因為受到上海法幣垮臺的牽連。現在的中國人思維其實一直沒有變,當然像洛奇一樣的人還是有,可惜出不了頭。•訪談對象應該找能夠提昇上進的人士。•是陳儀。 ── 巴赫的無伴奏作品|沒事別聽古典樂 #鏡新聞 @音樂家的無聊人生 Musician Seacow - YouTube 問過德國人 Bach 如何發音,的確比較像是 巴 -,不過後接有氣音,這個氣音翻成 哈 或 赫,可以見仁見智,中文字面顯示的確不同。自己兩個方式都試試看,就傻掉了。哈,連著 巴 張嘴,赫,是 巴 的 氣切?不同,但是很難解釋。聽音樂 聽音樂 . . . . . ── 紅白一家親?四叉貓爆民眾黨屏東黨部主��向白狼敬酒 李正皓更踢爆民眾黨雲林議員參選人王新堯竟是統促黨顧問?|許貴雅 主持|【新台灣加油 PART1】20220706|三立新聞台 - YouTube •蔣萬安的市政論述可能放在適當時機發佈,一衝刺,可能就突破陳時中而當選。•他一上場為什麼會毫無論述,可能因為的確不適合,另一個看法就如上述;意思是必需提防。總統夢還太早。 ── 烏凌翔 FB  07/06/22  •呂翔禾 台灣將是只剩下老弱婦孺的僑鄉。• 不了解的是中國如果突破瓶頸,開發出自己的 IC,它的構成(!?)是否會相同於美規?如果不同,那世界就一分為二,一為歐美台日的美規與亞非拉的中規了。 ── nippon.com 繁體字  FB 07/06/22
馬關條約,台灣割讓給日本之後,日本糖的生產,可能都轉移由台灣供給,因為二戰之後,由於台日交通的暫時中斷,台灣人赴日不免都會帶上一大袋糖,出售以供川資。 ── 中共武力犯台 台灣能否撐100天? 台灣人民會放棄自由民主保平安? 台海成國際戰略 中共經濟愈下滑愈要擴張 台灣還在想一家親。 220706 - YouTube 中國民主化,台灣將是只剩下老弱婦孺的僑鄉。 ── 安倍晉三辭世 中國民間歌頌兇嫌"抗日英雄" 范世平曝中國滲透日本自衛隊 日媒曾踢爆自衛隊士兵多娶"中國籍"妻子│姚惠珍主持│【周末版鄭知道了 PART1】20220709│三立iNEWS - YouTube 安倍訪台時,馬桶讓他搭計程車。 ── Facebook 深慶得人! ── 政治科學新書介紹:《外包式鎮壓》在中國 – 菜市場政治學 (whogovernstw.org) 以前在日本稱做 “地上げ 屋”。 ── 每天喝臺灣高粱酒的爸爸.. 愛上了臺灣愛文芒果和金門高粱酒的組合?! - YouTube 真的不能偷生。 ── 【台湾グルメの③⓪⑦】台湾名物、油飯!開店直後から満席&行列の名店! - YouTube 油飯はその昔,あかちやん が 生れて一個月、“滿月” と言う時に親友達にくばるおみ上げです 。 ── 安倍「最後的演說」勉永不放棄 百萬網友看哭:觸動人心 - 國際 - 自由時報電子報 (ltn.com.tw)https://www.youtube.com/watch?v=hGNEIPOCllE •很上品,很高雅的一首曲子,彈得很有感情。• 聽完這樣的演講,覺得日本人實在很幸福;感謝! ── 纪录片《长江》.(Yangtze).1981.佐田雅志 - YouTube 沒關係應該是構わない。 ─ 喬幼-鴛鴦溪(官方KTV版) - YouTube 日文怪怪的,中文這麼說也怪怪的。 ─ 日本虎被中國逼得解除封印?! 亞洲最強的海軍是日本! 中國網友嘲弄安倍遇刺 逼日本修憲軍事不再被動? 習近平臉綠了急消失小粉紅...|許貴雅主持|【新台灣加油 精彩】20220713|三立新聞台 - YouTube 偉大的舵手,人民的導師毛主席字潤之澤東同志說:那裡有壓迫,那裡就有反抗。 ─ 政治科學新書介紹:《外包式鎮壓》在中國 – 菜市場政治學 (whogovernstw.org) 鎮壓看起來似乎遠比民主來得有效率,只是這顯示的是一種國家的體制,這樣的體制會顯示在執政的各個方面,尤其嚴重的是思考的單一化。沒有任何議題需要理性、深入的探討研究;這就是民主與獨裁一決勝負的關鍵。從世界大戰發生以來,民主好像都是戰勝的一方,然而由獨裁者取得勝利的也是不在少數。民主終究遠優於獨裁;以中國來說,資訊益愈透明,中國人民應該已經日漸唾棄中國共產黨,只是要如何讓擁有 9000萬黨員交出政權,恐怕是非得來一場大戰,將中國共產黨徹底摧毀,否則難見其功。就台灣來說,中國永遠維持獨裁統制是最重要的自我救贖。中國一旦民主化,台灣大概就成了僑鄉,除非早日完成現代化改革,才有辦法如同中國周邊國家一般維持真正意義的獨立國家,而不會在意識與作為上混肴不清。 ── 斐姨所思【阿姨想知道】EP16 誰來推銷台灣鳳梨?談安倍,與後安倍時代的東亞政治|野島剛 x 陳方隅 - YouTube •她說她在美國住很久。•我不是很了解,不過也可能是覺得輕鬆的姿勢談硬幫幫的政治問題,可以緩和氛圍,所謂羽扇綸巾,談笑自若,天下大勢盡在掌握之中,很是厲害;這是很過癮的一段時間。 ─ 巴塞隆納 的 大和撫子(二) https://iseilio-blog.tumblr.com/post/652338636278382592 ─ 賴怡忠專欄︱安倍身故後的印太戰略發展與台日關係 – 思想坦克|Voicettank 中國周邊國家一般是以中國為重心作為中美關係中的一方,台灣則處於不知如何定位的角色,因此台灣要如何接替後安倍時代的角色,恐怕不容易。尤其對中國來說,台灣本身就是一個早晚要接收的 “標的物”,這些現實,中國周邊、尤指東南亞,不知如何看待。 不過,台灣的確是可以深入思考自己如何去成為觸發國際抗中連線的重要力量。經濟、內政、外交,全方位的提升(去中國化)、更加主動的出擊,不要不敢嗆聲,尤其對那些不三不四的小國;這時以色列不免就浮上了心頭。以前可能國內外扞格太多,現在情勢已經不同;台灣條件比以色列強太多了。主要的不同在於以色列不搞模糊;立場、作為清清楚楚,誰也拿她沒皮條。 ─ 藏紅花:入股紫光,鴻海有苦說不出? – 思想坦克|Voicettank 也沒什麼不好,反正用你的土,糊你的壁。至於紫光財務內容,以郭的能耐與經驗,應該難不倒他。 ─ 中共武力犯台 台灣能否撐100天? 台灣人民會放棄自由民主保平安? 台海成國際戰略 中共經濟愈下滑愈要擴張 台灣還在想一家親。 220706 - YouTube https://iseilio-blog.tumblr.com/post/653010118295879680 1900年八國聯軍攻入清朝「紫禁城」歷史照片,看完讓人唏噓不已...,這才是真歷史!【楓牛愛世界 - HD】 - YouTube ─ 【#1955直播】0722 新台灣加油LIVE直播 |許貴雅 主持│【新台灣加油 完整版】20220722│三立新聞台 - YouTube 中、台 軸線翻轉了。 ─ 精彩片段》明居正:共產黨可能會丟掉政權...【年代向錢看】2022.02.03 - YouTube 捨吊逺的腐敗阿富汗,全力對付中國,應該是不錯。 ─ [訪問完整] 阿中真的超人氣! 首場見面會深入"藍大於��"選區人潮依舊爆滿 但陳時中強調選舉不分藍綠白"所有市民都是服務對象" 有需要就好好做│【焦點要聞】20220725│三立iNEWS - YouTube 阿中的講話清楚而坦率。 ─ 70歲李昂痛失一子,孩子爸身份曝光震驚全臺,和施明德分手內幕終真相#李昂#新聞挖挖哇#風華絕代 - YouTube 劍俠唐璜 ─ 【新聞挖挖哇】館長一輩子的痛!無法原諒!那些悲傷家醜陰影!爸媽給的傷好不了!|20220725 來賓:陳珮甄、邱文仁、雷丘律師、林萃芬、黃益中 - YouTube 家長的嚴厲其實很單純就是粗暴,主因還是在文化不足,和所受教育也不一定有關。 ─ 【新聞挖挖哇】離婚後的人生!最精彩的一集!20171002 (鄧惠文、苦苓、黃越綏、賴芳玉) - YouTube 好像基督教文化的國家比較少這類在台灣視為理所當然的粗暴的管教方式。(我不是基督徒。) ─ 習近平培養了失控的中國民族主義 玩火自焚全變戰狼?叢林法則推向世界 暴力愛國式民族主義自卑仇外。容不得批評中國一點 新紅衛兵顛覆世界秩序? 220727 - YouTube https://iseilio-blog.tumblr.com/post/682415282482970624/ ─ 【現場直擊】新黨召開記者會做出重大宣示 盼不要再出現下一個龐建國 20220112 - YouTube 一切看選舉,選輸了就說不公,沒有說服力;死了剛好。 ─ 樓起樓塌風流覺|清零封城中國夢|#謝金河 #矢板明夫 #汪浩|@華視三國演議|20220730 - YouTube 〔人間 を幸福しない日本という システム〕Karel van Wolferen,新聞記者,阿姆司特丹大教授 「企業同志所有,關係企業間彼此互相持股,而決定關係企業間的第一條件不是 經濟,而有著某種程度的 政治。 因為如何維持集團全體的生存才是主要目的。生存比營利重要。 在這樣的構造中,都市銀行 就有著重要的角色。關係銀行在 1950年代末,事實上成了無盡藏的資金源。這些銀行的融資由其他先進國家來看,在經濟上有很多是不妥當的。 隸屬於關係集團的好處是不會倒閉。至1990年代初,日本的大企業除了政治原因之外,沒有倒閉的。大企業的命運如果由經濟原因左右,在景氣衰退期,幾百間都要垮掉。」 • 通日文網友可以瞄一下標題 :http://www.ac-net.org/common-sense/00b-wolferen.html ─ 終於知道!俄入侵烏真正理由 無關北約東擴。安倍遇刺日圓急漲 亂世中日本穩居強國地位 避險首要。喪權辱國 安倍遺產奠定根基 政治解放 財政堅實 何來失落30年? 220730 - YouTube 對經濟發展,日本原本有不同的非主流看法: 低成長 的 幸福 https://iseilio-blog.tumblr.com/post/186856644487  這應該更適合人口眾多的中國。 ─ 藏疆港盡皆沉淪|中流砥柱唯台灣|#曾建元 #矢板明夫 #汪浩|@華視三國演議|20220724 - YouTube 中國民主化對台灣沒有好處;資產階級、精英份子,無論有否愛國心都會跑去中國發展,也許還包括在座各位。這類說法,台灣其實是排在中國後面的第二位。台灣對中國的影響,只可能來自台灣對自己的自重與重視,才有可能及於界外。從 2000人發展到 2000000人,台灣大概也可以打包穿唐裝了。西藏、新疆會去關心中國嗎?不會,因為自顧不暇。台灣處境較好,還需要國際支持才能夠保平安,如果不是台灣海峽阻隔,在過去中國高速發展的三十年間,回歸祖國應該就是台灣人的選項。
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ztl-garden · 3 years
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2020 Lifelog Archive
日常隨手記精選集存檔
11/1
“eadem mutata resurgo”(滄海桑田,依然故我) / y=e^x ── Jakob I. Bernoulli 墓誌銘
構思作品時又想到夢枕貘《上弦の月を喰べる獅子》,發現有網路上有人簡評中,把這部和Ted Chiang〈Tower of Babylon〉(中譯:巴別塔)對標,並附上伯努利(Bernoulli)的墓誌銘。我喜歡《獅子》中文版把「SUMERU(मेरु)」翻譯成「蘇迷樓」(通常會稱作「須彌山」),這也是我心中最好的科幻小說之一,但更令人敬佩的是,大師(們)在早年(夢枕貘是35歲、姜峯楠是23歲)寫完這種叩問究極、幾乎要將自身直逼絕境的作品之後,還能繼續在人世好好生活數十載,因為這種作品都指向「絕對」和「破幻」啊。那是在心中有大覺悟之人才能做到的,所以夢枕貘先生才會在書中藉人物說出「希望成為能結出稻穀的稻子」,這種帶有「輪迴不須斷,本來無輪迴」知曉的話吧,姜先生則也屬於那種「一輩子只寫一個故事」類型的作者,而他說「自從尼爾墮入地獄,離開上帝的視線,許多年過去了。他仍舊愛著上帝。這才是真正的信仰」。
10/16
A Rose Is A Rose Is A Rose Is A Rose
「一個誠實的人是從不面對選擇的,那條路永遠會清楚無二地呈現在你面前,這和你的憧憬無關,就像你是一棵蘋果樹,你憧憬結橘子,但你還是誠實地結出蘋果一樣。」 ── 顧城
昨夜和中國友人通話開會完後,就看到顧城這段話,而朋友說:「天琳,要找到我們這種人(有一定的專業年資和實力,但也還算年輕,有長期陶冶出來的美學底蘊,看得懂前沿科技演進的意義又能進行啟發性的運用,對東方文明與古典美學有自己深層的理解,又能兼容西方文明、當代時尚和藝術智能,並能將雙方融會貫通,以獨特的美意識語法輸出給世人),很難的,太少了。」
在現世翻滾經年,現在覺得真會喜歡的就會喜歡,同類終會相認並相知,絲毫不必刻意勉強,有時保持疏離才合禮與美。
9/10
Hoʻoponopono:平靜從我開始。
由日本名作家吉本芭娜娜和平良愛綾合著的《內在小孩[※]快樂,你才快樂》,以對話錄的形式,深入淺出分享及交流她們各自的生命經驗,這本書在起初特別吸引我的一點是,她們談到「間距」這件事,「我認為人作為一種生物,看清彼此的間距是種基本能力。… 這是人類和人類、靈魂和靈魂之間的間距。如果不懂得掌握,最後就會引發糾紛。」之所以會受其吸引,和我不久前生活碰到的事件有關,讀完後也深感釋然。
面對有些初階的靈性追求者,常見的一個問題是當事人會將「萬物一體」的概念和「內心有傷」的渴愛,對應成向外界的無度要求和自我放縱,過度強迫自己和他人要樂觀、正向、溫暖,相對的就是否認壓抑的負面性、慣性對自己說謊而不自知,而這自然會造成失衡乃至孳生衝突(業力)。當我們是一位相關服務者,掌握好自身的界限、與外界的間距和平衡,在該說「不」的時候果斷說拒絕,是非常重要的。「慈悲」來自於真實的「自信」,而非委曲求全的溫情。
閱讀本書的過程中,也讓我回想起《空之境界》── 影響我甚深的經典文學,是我年少時期(甚至現在亦然)的聖經 ── 在書中作者藉主角提及過「殺人」和「殺戮」的差別,這個部分可能很少人能領會,在此提供一個參考的見解:在禪宗中有此說法,若一個處於空性、極致狀態中的人,在與根源合一下的情境況殺了人,那他也是無罪的,《空境》女主角兩儀式的經典台詞「即使是神我也殺給你看」,則源於「遇神殺神,見佛殺佛」的究極覺悟。
以下摘錄書中文句:
「人類是為了什麼而誕生?就是為了找到真正的自己。」 「當心靈位於較低的層次,接觸到壞的東西,便會陷入負面循環、變得越來越壞,靈魂便逐漸受到汙染。但只要渴望進入好的狀態,好的能量就會不斷增加,還能獲得較高層次者的幫助。」 「減少自身的雜音,盡可保有自己真實的樣貌,不斷成長。」 「只要有一個人為了地球、宇宙、環境或這個世界,找回真正的自己,便能對周遭帶來正面的影響。對於自身所作所為完全負起責任,便是遇見真正自己的寫照。」 「光是站在那裡,便足以讓人明白『這個人身上沒有一絲多餘』。」 「在沒有任何人論斷的地方,只有自己的靈魂知道『對』與『錯』。她在這種地方不斷累積善行,因此不會受到任何人的迷惑。… 無懼於隨之而來的人際衝突。」 「所謂的富足,也包括品嘗困境,所以我們應該享受人生中的各種困境。絕對不能將別人的框架套在自己身上。一步步解決自身困境的過程,才是真正的富足。」
※ 補註:廣為人知的「內在小孩」(Unihipili),其實就對應佛家中的「阿賴耶識」和「末那識」,四句話(對不起、請原諒我、謝謝你、我愛你)作為最當下的清理工具,訴說的對象並非受傷的小我或外界,而是同時謝罪與寬恕遠離本源的偏執。
9/8
人們容易誤以為所謂「知天命」、「最高劇本」是AVG鎖定式真結局(True Ending),但它不是,它是無鎖定的實時運算量子態,在當下依據你常態振頻和最強信念導致的坍縮實相。
因此當我們透過創世冥想(Genesis Meditation)進行天命/��來預演,或去重演、改寫過去時,對一個目前卡關的人而言,就是讓你允許自己有個偏離至今慣性的契機,切換、平移到另一種時空版本的軌跡去體驗,並顯示出一些被你壓入潛意識底層的渴望;而對一個已在他的正道上的人而言,則能讓他先知道更多的關鍵細節,並強力優化他現在的實相軌跡,協助他校準在目前所能投射的最高頻版本。
9/7
沒有人是真正在體制外的。 例如我們正在使用Facebook,或台北捷運系統之類的東西,就是個龐大的體制,你目前需要它,甚至沉溺其中或恨它,那麼就要有意識掌握好平衡的距離。 當萬物緊密互聯,斷聯、離線有時就是種奢侈。 大自然/宇宙本身就是最終極的體制,差異在於其高度複雜、完美和諧而大道至簡,關鍵是對多元個體性的愛與尊榮。尊重不代表你非得喜歡,而是允許存在,並視情況選擇親和或疏離。
什麼是「神的自畫像」? 它的其中一層意義是:人們喜歡向外尋找神(性)的存在感與庇護,例如台灣宮廟香火鼎盛,卻忘了要禮敬自身與他人內在本然的神性。而心裡有神的其中一層意義,就是無條件地愛你自己所是,並尊重和感恩他人的存在、榮耀多元個體性。拜拜求保庇沒什麼不好,但若在執行這種儀式的過程中,更加以平等的覺知去對待,那自然就更完美了。
能用錢解決的都算小事。 世上真正貴的是有錢也換不到的東西。用現有金錢多寡作為判斷一個人實力的絕對、單一標準,是荒謬而錯誤的。
真正的同理心是雙向的。 人們通常傾向要求被普遍判定為社會優勢/贏家的人,必須主動關懷、為那些被判定相對弱勢/輸家的人讓步,但有了這種先決認知也是種障壁,而雙方可能各懷苦痛與無明,而正是這種對彼此苦痛與無明的了悟,能通向真正的同理心。
6/12
有時,「不做」(Be)比「去做」(Do)更難,而一個人可能要經歷過山窮水盡,才會明白這個道理。
外顯的果源自隱匿的因。當障礙顯化在生活中,首要做的不是匆忙地處理 — — 一顆浮躁紊亂的心,只會越理越亂。我們真正需要的是願意停下來,讓自己趨近靜止點,趨近空性,騰出空間清明地重新觀照這一切,真正的解方才會被照見。這看似是什麼都沒做,但真正的「無為」需要極大的勇氣與信任,當一個人擁抱無為空性,當下的思言行亦會隨之校準回最高品質。
5/26
昨晚對好友說最近反思人生的結論: 我們看似在前往和移動至某處,其實哪裡都沒去。外在的旅行,其實是一種意識形態的轉換,地球上人類棲地,都有山、海、城市,在這裡看這座山和去那裡看另一片海,客觀而言差異並不大,我們在經驗的內在寰宇的拓展與理解。
世上的各式文明,是人類心智的多元顯化,例如一個人去到另一處遊覽或旅居,真正發生的是從原先慣常的意識型態,切換並與另一種意識型態整合的過程,但一個平常太固著於單一意識型態的人,與其它意識類型交互時,自然感到震驚。
在地球上,人類的特異功能是打破大自然平衡,所謂自由意志在過往的世代常被用來體驗極性,這沒有絕對的好壞 — — 舊的平衡被打破之處,就是創新發生之時。終究會重新找回平衡,然後再打破,這是全息碎形的運作現象。我們正好又到了要重建平衡的時代,相對於像工業革命就是破壞平衡的時代。
最終真正重要的,是靈魂的相認與共創,例如我和你這樣。這才是我們來到世上真正在追尋的。
3/31
如果你準備好了,將會能夠接受並活出這道知識: 「我不需要再療癒內在小孩創傷/原生家庭議題,因為我就是『世家』,是自己的祖先,也是自己的後代。」(可參考科幻影集《Sense 8》)
所謂還原愛的序位(家族排列),就是不再緊抓過去曾發生過的事件、放下舊襲的業力,回到當下歸零開創。在靈性傳承中,「祖父悖論」成了實際情況,等待你向自身解謎揭密。(可參考電影《Predestination》)
而所謂「斷輪迴(靈魂結業)」,就是「我將不再(在地球或同等級星球/宇宙)出生(修行)」。(可參考科幻小說《The First Fifteen Lives of Harry August》)
3/27
* 行動是物質實相的語言。 例如你曾有出身顯赫、統御國度的轉世, 而今世則選擇一個相對困乏的環境出生, 靈魂的轉世遺產都在,過去世的富貴會相隨, 但你仍要透過採取精確的行動來解鎖。 當你真正知道了,你就會直接去做到。 而當你這樣履行的同時,就是在在告訴宇宙: DEAR GOD, I’M READY.
* 地球轉世劇中,沒有絕對的善或惡。 每個人都可能曾是那「正義」 或「邪惡」的一方,而更多時候, 則在亦正亦邪之間搖擺不定。 這乍聽之下可能會令一些人難以接受, 但實際上,只要反躬自省,向內試問: 我是否每個當下都永保正念,而從未 投射出一絲偏邪、惡質的妄念? 如此一來,正解即呼之欲出。
而當我們面對所謂的「敵人」時, 不妨如此想像:若此時對方 顯現出的樣態,正是過去世 曾犯過錯的我,那我將如何待他? 也正因如此,在《長安十二時辰》中, 周旋、背叛兩黨的姚汝能,豁出性命 敲響的那聲「不退(轉)」,才能 震撼所有真情實意的愛人之心。
3/25
想要有個怎麼樣的最後一世? :一種介於李泌(唐朝仙才宰相)和嵇叔夜(竹林七賢之首)兩者之間的人生。 在這個時代,主要可以藝術的創作、供藏、策展、出版、講學等形式,分享個人生命經歷與知識洞見及協助他人靈性發展,放下並對激烈的使命感一笑置之,以相對退隱、閒雲野鶴的姿態,與世間保持一定的距離,維護充分隱私及高品質的生活/人際圈,全然依照自己的心意而活,實現心目中那最輝煌的靈魂藍圖/人生劇本。
既然是在地球的最後一世, 要成就「不退轉」功德, 就勢必只選最好的。 讓每個當下的思、言、行, 都必須是 Best Choice。 而這是已深刻領悟到 所有選項全部平等、可行, 明白何為「過去/現在/未來 心不可得」的終極結果。
3/17
種下新的業力種籽 = 選用新版覆蓋舊有劇本 每個人各自所體驗到的實相, 是自身振頻對應出來的投影。 所有「別人」都是我們的鏡子, 為了照見現在的「我」是誰, 也就是所在的頻率帶、是哪一個「我」。
為什麼要透過別人種下業力種籽? 除了靈性或道德的「慈悲」、「心裡有別人」, 以科學的角度,當你看見另一人透過你 而獲得你正所願的事物時,鏡像神經元 所學到的就是:「我能實現我的願望。」
別忘了,你在每一次投生前所決定的 人生角色與命運劇本,都是靈魂/高我 精心挑選的,與神和所有宇宙生靈 所許諾、締結下的 最深刻的愛之盟約。
3/15
《金剛經》在表達的,是一切皆「(空)」。 「 」(空),不是什麼都沒有,反而更像什麼都有。畢竟,人類所認知的「無」,其實也是一種「有」,對人類而言真正的「無」,在你意識能感知的範疇之外。 「 」(空),是對「所有的可能性」的了悟與接納,因而能無中生有,有中見無。 但這無法透過人類的言語和頭腦辯證,而必須經由世間各種生命體驗、穿行過種種事相,才會更接近圓滿地「明白」,而終究「無所從來,亦無所去」地「就在這裡」。
3/6
「你是萬物的一部分。你是西藏白雪皚皚的山脈,也是非洲一名新生兒的氣息;你是北極清新的空氣,也是洛杉磯的裊裊煙霧;你是一個聖人的神聖能量,也是一個幫派成員的焦慮 ── 這一切都是你,也是我。但,我們只有在非常高維度的意識狀態下(或者在我的情況,是近乎死亡),才會理解這個事實。」 ── Denise Linn
2/28
* 我是不是忘記了,這些「我想做、要做的事」, 本來就都已經是我曾(在其它轉世中)做過的? 這些都是我做過(類似)的事。所以我現在不過是要將這「最後一世」,演得更出神入化、爐火純青而已。
* 過去的你所留下的智慧印記,也會幫助到現在和未來的你。 所以真知、智慧是超越時空限制的,也因此,眾生內在皆有佛(覺)性,萬物皆是神的化身。
2/24
凡事回歸原則,則能御繁為簡。
2/19
今天傍晚時,在河旁靜坐唸《金剛經》,唸到快結束時,一隻很活躍的黑狗跑過來找我玩,前腳撲上來,我也很開心地摸摸牠的頭,牠又飛快地和牠的主人長揚而去。其後,我才發現經書頁和我的褲子,被那孩子的腳凳上泥印,而我輕輕拍掉書頁和布料上的塵土,收拾物件,散步回家。
2/18
「『愛』是一個很廣闊的字,是一種語言,是可以被翻譯的:想要共情、傳達,也期待接收。愛是一種深思熟慮後的平衡。我希望的愛是一種沒有時效性的感知,不論我在何時,在世界哪個角落,我都能清晰地感知過去、現在及將來的愛。」 — Yimiao Liu
2/12
Now, it’s Our Time. Be the Lodestar, not the Captain. 留下道標,不作船長。
1/25
2020:朝「活成一座廟宇」的方向演化。
1/20
這次台北當代中,最喜歡的作品之一是 Olafur Eliasson 令人想到 Hilma af Klint 的新作《Protosolar times (icy)》,由德國 neugerriemschneider 代理展示。在眾多藝廊中,neugerriemschneider 的策展思路也令人印象深刻,將一線大師們的代表作,擺設成如壇城般兩相對應的四方場域。
這次看展,發覺一個有趣的現象是:確實可以直接透過藝術品,感知出自誰的巧手與心靈。單看藝術品,就能認出藝術家個體的獨特頻率。因此,所謂的原創性(Originality),是指振頻。
逛藝博會或群展,我通常是先憑直覺閱讀作品一輪後,再去看作品名牌和策展人、藝術家的論(自)述。而在這次台北當代,撞見特別吸引我們的作品後,查找藝術家名字時,驚喜連連。例如:和朋友同看完一幅畫作後,發現是趙無極大師的作品。或像這件複合媒材、介於裝置與畫作之間的藝術品,由 Olafur Eliasson 所創作。也有張白底畫,則出自 Lee Bul 的手筆。而一些藝術語彙極鮮明的大師,如宮島達男、白南準、Kiki Smith、Anthony Gormley 等,自然是更不用說了,一看便知。
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當生命過得太破碎,被大量碎片化的信息、事件、熱點、煩惱切割,人會逐漸在內心喪失完整的時空。
這世上有各式各樣、紛繁斑斕的事物,但作為一個人,永遠無法、也不必掌握所有一切。作為一個人,真正需求的並不多。活在人類世,懂得拒絕,和懂得擁抱同等重要。
每一道信息雖然都是一道信息,但其質量、次第有別,以此淬煉明智的愛,也就是具有辨識力與同理心的愛,通稱「慈悲」。 而信息必須透過人的實驗,轉化為「知識」。
歸於中心之必要。人若缺乏核心,易中捕風捉影之毒。
應無所住,而生其心。 覺知,清醒。 有時,「覺醒」是: 知曉自己當下是誰、將往何方。
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* 這世間本質上無難事,一切煩惱惟心造。 當一個人真正開始領略空性,他會明白這句話。 大道至簡,當時機成熟,一個人/靈魂跨越過某個轉換的節點,驀然回首,看見塵世萬象的繁複脈絡,在他眼中竟變得一一清晰可辨。 於是降伏其心。
* 富裕是一種選擇,尊貴是一種品質。 每個當下,都作榮華富貴、大自在的決定。 世上極致之美,因其貼近本質,故也最為實用。 (例如我祖父用家栽扁柏的樹幹,親手製成的登山拐棍,就是這樣的好東西)
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* 直覺/靈感並非屬人類通常意義的理性(邏輯推演)或感性(情緒反應)任一方,而是來自更高處、深層的界域,它們看似不循常理,卻通常更貼近真相。催眠/冥想/深層溝通等類靈性引導技術,就是在協助繞過案主受制於頭腦禁錮的囚牢,將源於靈魂/神性的正義之聲解放出來。
* 金流的本質是:與萬象共時交互、與眾生共享協作的現象。 金錢是目前人類集體意識所運用的一種代表象徵物,用來讓你看見能量的轉換流通。 因此,我們真正需要做的不是努力賺錢,而是維持自身與他者之間,能量、天賦交換進程的完善有效。 掃蕩你內心隱匿的怕死陰影吧!用這個最當下的宣告,為我們的潛意識重新設定: 「天地生我,必然護我。宇宙會無所不用其極把我養好,為我帶來最適切、助我發展天性的貴人與資源,無論那是什麼。而我,也將以心念和實際行動,勇於回應祂的愛。」
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kinakotrpg · 6 years
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共に誓った騎士の道友と交わした一つの誓い 懐中時計が刻むのは、歩んだ時間と友の無事 遠くに居ようと、止まらぬ限りは共にある 夢にも思わなかったのだその時計の針を止めるのが 己の手であるなどと
それは誓いの果て、友をその手で消し去るまでの物語。 常夜国騎士譚RPGドラクルージュ 「刻む時は誰のため」 ようこそ紅月に誓いし騎士。優美絢爛たる舞踏会へ  
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シナリオ諸元
推奨プレイヤー人数:1人推奨 PC逸話数:1
篇:1 レギュレーション:基本ルールブックがあれば遊べます。
■物語の背景
友であるルッツが堕落し、彼を自分の手で地獄へ送ってやるのが友として最後にできることだとPCが最後の戦いに挑む。
■物語の真相
友が堕落したきっかけは、主による妬みであった。 その矛先が友人であるPCに向かった事で彼は主へ剣を向けしてしまう。 主へ刃を向けてしまった事、友を巻き込んでしまった事に罪悪感を感じ、さらに自らの罪を受け入れる形で渇き、堕落する。 主の罪もすべてを引き受けて、彼は地獄へ落ちるつもりなのだ。 そのことにPCは気づくことができるのか、気づいたとして、全ては手遅れなのだが…。 彼を地獄へ送ってやることだけが、今友としてできる最後の事であろう。
■物語の時系列
 物語が始まるまでの時系列は次のようになっている。
・ルッツが騎士に叙勲され、その際に「友情の予言」を受ける。 ・ルッツが現在の主の近衛になる。 ・予言の友を探していたルッツとPCが出会う。お互いに信頼し合う友となる。 ・ルッツの才覚が現れ、周囲の信頼と期待を背負うようになる。それにより、徐々に主はルッツへの妬みを募らせていく。
 そして、とうとうその妬みは……彼を陥れるために刃となって彼の友へと向けられようとしていた。
ハンドアウト
推奨の道 夜獣以外 消えざる絆: ルッツ・ヘルロット・フォン・ヘルズガルド【友】 貴卿の目の前には一人の憐れな堕落者がいる。 それはかつての友であり、断罪すべき憐れな獣。 友の名はルッツ・ヘルロット・フォン・ヘルズガルド。 真面目で仏頂面のその騎士は、貴卿の自慢の友であった。 剣を構え、対峙して思い出すのはかつての姿。 かつて共に騎士として戦場を駆け、語り合ったときの事を、思い出していた。(この物語は、過去の回想から始まる)  開幕前 基本ルールブック223ページの記述に従い、「開演前」の項目を実行する。 PCとルッツの出会いや、友になった経緯などを話し合い決定する。
序の幕  基本ルールブック226ページの方式に従う。
●状況説明 物語の背景を読み上げる。 その後、現在の状況の描写をする。 +---------------------------------+ 目の前で吠えるは心無き、殺戮のみ行う恐ろしき獣。 不徳をその身に宿したかつての騎士と 対峙し剣を構えるは 〝PCの二つ名〟(PCのフルネーム)。 (PCの目の色)の瞳に、浮かぶ感情は怒りか、憐みか。
(ここまで読み上げたところで、人獣となったかつての友を前にして、どんな言葉を紡ぐのかPCに問う。 これは終の幕の演出にも使用するので、メモを残しておく。)
告げられた言葉に、もう答える友はいない。 聞こえるのは、ただただ吠える獣の声。 その声すら遠く感じるくらいに貴卿の脳裏を駆けるのは 友との穏やかな日々。 +---------------------------------+ その後篇を開始する。
常の幕 このシナリオでは、「常の幕」「戦の幕」のうち、まず「常の幕」が発生する。 幕の諸元 NPC 種別 【脇役】ルッツ(シナリオ後述) 【領民】(味方役:基本ルルブ 285P)  NPC 配置 庭園:ルッツ/宮廷:領民 / 玉座:なし 存在点 ルッツ:5点 領民:1点 行動値 ルッツ:12 領民:なし 場所 庭園:街 宮廷:街 玉座:街はずれの木陰 伴奏 ルッツ:【友】
この幕では、人狼となってしまったルッツと対峙し、過去を思い返す場面が描かれる。
過去を回想する場面になることをPLに伝え、演出する。 ルッツのPC設定を参照するとRPの助けになるだろう。 ●口上 DRは次の口上を読み上げる。 +---------------------------------+ それは友との穏やかな日々。 近衛として、主たる領主を支えるルッツと○○(PCの道)であるである貴卿は、お互いに会える時間は限られている。 それでも、時間を見つけては短い会話を楽しむのだった。 ルッツは決まって、街の外れの木陰の下で待っている。 +---------------------------------+   ラウンド開始前に「時計の交換」を行う。 これは今回のキーアイテムであり、PCからもルッツへ時計を具現化してもらう事。 できればどのような時計か聞いて、描写に盛り込むとより特別な時計を演出できるかもしれません。 +---------------------------------+ 「そうだ、これを。」 ふと思い出したように、ルッツは手を差し出す。  そこには、今しがた具現化した金色の懐中時計がかしゃりと音をたてて現れた。 「知っているか? 今騎士の間の流行ごとらしい。」  互いの時を刻む時計を交換し、その歩みを見守るのだ。  お互いの時を感じられるように。  共に歩む時を、意識するために。   「俺の時計が刻むのはお前のための時、お前の時計が刻むのは俺のための時だ。」 +---------------------------------+  その後常の幕のラウンドを開始する。  他愛のない二人の会話が中心になるだろう。  友との交流を楽しんでいるルッツは、ルージュを拒否することはまずない。 ・ルッツセリフ例 「お前の名がこの地まで流れてきたぞ。友として誇らしい」 ※少し伏線を張るために、会話に以下の内容を入れる。  辺りを見回し、ため息を一つく。 「ああ、いや。きにするな。最近誰かに見られているような気がするんだ」 「主もどこか落ち着かない様子でな…」 ※ルッツの様子をうかがう主やその配下の視線である。 「心配するな。次に会う時までには解決させておくさ」 ・壁の華  主の元へ帰っていく。    壁の華になるか二ラウンド経過すると、ルッツは主の元へ帰っていく。  二人が別れたところで、この幕は終了する。 +---------------------------------+ 「さて、そろそろ戻らねば。また会える日まで」 「この時計がある限り、お互いの時を、歩みを知れる。これからは今までよりもお前を近くに感じていられるのだな」  ルッツは愛おしそうに時計へと口づけた。 それが、彼と過ごした穏やかな最後の時。 +---------------------------------+
戦の幕 この幕では、彼が乱心し主を打ち取ろうとしていると噂を聞きつけ、PCが駆け付ける場面になっている。
端役の従者の少年が無事であるか否かでシナリオが分岐することをPLにつたえる事。
幕の諸元 NPC種別 【脇役】ルッツ(シナリオ後述) 【端役】従者の少年(味方役:基本ルルブ 2852) NPC配置 庭園:なし / 宮廷:なし / 玉座:ルッツ・少年 存在点 ルッツ:5点  従者の少年:1点 行動値 ルッツ:12 従者の少年:なし 場所 庭園:屋敷玄関 宮廷:屋敷ホール 玉座:屋敷奥 伴奏 ルッツ:【燐】
●口上  DRは次の口上を読み上げる。   +---------------------------------+ とある事件が、貴卿の耳に飛び込んできた。 主に逆らい、仕える民もろともその手にかけようとしている騎士がいるらしい。 その騎士の名は、 ルッツ・ヘルロット・フォン・ヘルズガルド。 そんなわけはない、そんなのはおかしい。 彼がそのような男でないことは、貴卿が一番知っているはずだ。 渡された時計は、手の中にある。 けれど、わずかに……針が刻む時は、狂い始めていた。 噂を聞き、貴卿が屋敷へ駆けつけた時。 目を疑う光景がそこにはあった。 広がるのは赤。 血に濡れた、まるで生を感じられない空間。 その真ん中に、一滴落とされたような漆黒が。 あまりにも美しく佇んでいた。 彼はPCに真実を知らせず、自分に失望させ打ち取ってもらう事を望んでいます。 しかしそれでも友の事を大切に思う気持ちはあるために、どこか物悲しい表情を見せる。 「お前は騎士だろう、ならばすべきことは決まっている」 +---------------------------------+ ・壁の華 割れた窓から外へ飛び出してゆく。 2ラウンド経過するか、壁の華になった後ルッツは割れた窓から逃走する。 その後、従者の少年が生きているのであれば以下のシーンを入れる。 壁の華になっているのであればそのまま終の幕へ移行する。 ●マスターシーン 追加でシーンが発生する場合、描写を読み上げる。 ルッツが居なくなり、屋敷は静寂に包まれる。 そこに、小さな少年のうめき声が響いた。 どうやらけがは無いようだ。 彼を濡らす赤い血も、彼自身の物ではない。 少年は起き上がり、周囲の凄惨な光景に口を覆う。 しかし、この場にいる騎士が、ルッツの友であることを知ると、決意した瞳を貴卿へむけた。 少年はぽつりぽつりと話し始める。 「……ここの領主様は、とても穏やかな人でした。」 「とても優しかった、けれど、誰かに認められたいという思いも、人一倍あったのです。」 彼は決して無能な騎士などではなかったのだ。 ただ、彼よりも才のある騎士がそばにいただけで。 「優秀な従者を、とてもとても、頼りにしていたのです、けど」 いつしか、それが妬みになり、憎しみとなり。 「騎士として、自らよりも才のある、ルッツ様を陥れようと……彼の、もっとも大切なものへ手を出そうと考えたのです。」 「……彼が、ずっとずっと欲していて、ようやく手に入った、大切な……大切な、友へ」 「(PCのフルネーム)卿へ」 「僕とルッツ様は、たまたまその話を聞いてしまったのです。」 「……誰にも言ってはいけないと、ルッツ様は言いました。」 「……誰にも知られてはいけないと、言いました。主の罪も何もかも、自分がすべて持っていくからと。」 「どうか、どうか騎士様。あの優しい、憐れな騎士様、どうか……。」 そっと差し出された少年の手には、(PCが具現化した時計の特徴を入れる)の懐中時計があった。 「自分にはふさわしくないからと。置いていかれました。」 「けれど……。」 「この時計が刻む時は、僕や貴方の為ではないでしょう?」 PCがルッツの後を追ったところで、シーンを切り替える。 貴卿は後を追う。かつての友を。
+---------------------------------+ 友を追い、夜闇を駆け抜ける。 その先で、領地を見下ろし外套を風にたなびかせるルッツ卿の姿があった。 「……どうした、打ち取りにきたか?」 「……それとも、あの少年は約束を守れなかったのか。」 「友との誓いを破った俺が言えたことではない、か。」 「……。」 「……あんな人ではなかったのだ。」 「あまりにも、悩んで、心を閉ざしてしまっただけなのだ。」 「お前に、主を恨んでほしくはなかった。」 +---------------------------------+ ルッツはPCの手で断罪を受けたいと懇願する。 それをPCが承諾しようとも、拒否しようとも彼は堕落し、冒頭のシーンへと戻っていく。 +---------------------------------+ 「どうか最後の門を潜るまでは、お前の手で。」 「さようなら。我が唯一であり、最愛の友に感謝を。」ルッツは穏やかに微笑みながら目を閉じる。 影が形を変える。 浮かび上がるのは黒い獣の影。 それは大きく咆哮し、街へと飛び降りた。 そうして針が告げる時は、今へと。 +---------------------------------+ 
終の幕  この幕は冒頭のシーンへと戻り、人狼との最後の戦いの場面が描かれる。
幕の諸元 NPC種別 【脇役】ルッツ(人狼) (シナリオ後述) 【端役】領民(味方役:基本ルルブ 285P) NPC配置 庭園:領民 / 宮廷:なし / 玉座:ルッツ 存在点 ルッツ:15点 領民:1点 行動値 ルッツ:15 領民:なし 場所 庭園:住宅街 宮廷:商店街 玉座:中央広場 伴奏 ルッツ:【燐】
●口上 DRは次の口上を読み上げる。 +---------------------------------+ 民は驚き逃げ惑う、獣は吠えて襲うのみ。 誰もが恐れ、震える中で。 一人の騎士が人狼と対峙する。 不徳をその身に宿したかつての騎士と、対峙し剣を構えるは 〝〇〇卿〟(PCの二つ名とフルネームを入れる) (PCの瞳の色)の瞳は、確かに決意を固めていた。 騎士は告げる。 「(冒頭シーンでPCが告げた言葉を入れる)」 その言葉の真意を、領民達は知る由もなく。 口々に叫ぶ。 「全てはルッツ卿の仕業だったのか。」 「おそろしい。」 「友に裏切られた(PC名)卿は、さぞ心を痛めているのだろう。」 「その堕落者を打ち取れ!」 自ら人狼へと堕ちた、悪名だかき騎士をその手で打ち取れと民衆がさけぶ。 目の前のかつての友は、ただただ吠えるのみ。 もはや言葉など通じぬ獣。 さあ、騎士よ。 己の正義で彼の獣をつらぬくのだ。 +---------------------------------+
・獣について もはや言葉は通じない。語り掛けても言葉が返ってくることはない。 時おり、攻撃をためらうようなしぐさがあるかもしれない。 ・描写例 振り下ろされた爪も、牙も、騎士を傷つける事は出来よう。 しかし決意を砕くことなどできはしないのだ。 壁の華になった後、PCがヘルズガルドならば地獄の門を開くなどの描写を入れる。 その他の血統であれば、どこからともなく鎖が現れ、人狼を地獄へ連れて行く。 これはヘルズガルド当主〝断罪公〟マルグリットが封じたためである。 PCと会話をさせ、淡々と褒めて帰っていく描写を入れてもいいだろう。
後の幕 この幕ではルッツを地獄へ送った後が描かれる。 地獄へ送り届けられたか、堕落してしまったかでエピローグが別れる。 ●人狼に勝利した 次の描写を読み上げ、セッションを終了する。 +---------------------------------+ 獣は鎖にからめとられ、地獄の門を潜っていった 手元に残っていた、ルッツが具現化した金の時計は、塵となり、風にさらわれて消えていく。 民は歓喜に声を上げる 「堕落者を打ち取った騎士よ永遠なれ!」 「堕落者を打ち取った騎士よ永遠なれ!」 手元に残ったのは、自らが具現化せし、たった一人の為の時計のみ。 くるくる回る針は止まることを知らず その時計を送った騎士が歩みを止めるまで、ずっと。   常夜国騎士譚RPGドラクルージュ 「刻む時は誰のため」 他の誰でもない、友のために。 +---------------------------------+ 
 ●PCが完全なる堕落をしてしまった +---------------------------------+ 次の描写を読み上げ、セッションを終了する。 ああ、なんと言う事だ。 騎士は堕落し、我を忘れて、超えてはならない境界を越えてしまったのだ。 けれどそれは友と共に地獄へ堕ちる方法のひとつであることも確かである。 手元に残る、友へ贈った懐中時計が霧となり消えていく。 もう針は進まない。 時は刻むことをやめ、永久に動くことはない。 いずれ友とも再開できよう。 深い地獄の底で、鎖につながれることになるだろうが。 +---------------------------------+ ●シナリオNPC ◆ “希求卿”ルッツ・ヘルロット・フォン・ヘルズガルド 性別:男性 血統:ヘルズガルド 道:近衛 騎士歴:70 髪:濡れたような黒 瞳:天の月の如き紅 叙勲年齢:27 特徴:表情に乏しい。官能的な肢体 優秀な近衛として主を守り、支えている。 それゆえ周囲からの信頼も厚く彼に寄せられる期待も高い。 しかし、主よりも彼のほうへの期待と信頼が傾くにつれ、主の心は閉ざされていってしまった。 叙勲時に『友情の予言』を受け、その相手が PC であると確信しており、とても大切にしている。 どんなことがあろうとも、友を守ると誓っている。 流行すたりには疎いが、たまたま耳に入ってきた『時計を交換する』ということには興味津々でPCに持ち掛ける。 お揃いで持つという事に多少のあこがれもあったようだ。 小さく可愛らしいものを愛でる傾向があり、屋敷に仕える少年をとても可愛がっている。 ◆行い一覧 常の幕 《視線と共に通ず》 基本ルルブ186P 《包み込む抱擁》 基本ルルブ186P 《ただ傍にあれば》 基本ルルブ255P 戦の幕 《騎士のたしなみ》 基本ルルブ186P 《悪行には報いを》 基本ルルブ256P 《断固たる執行を!》 基本ルルブ256P 《不退転の覚悟》 基本ルルブ256P 終の幕 《獣のあぎと》基本ルルブ285P 《同族喰らい)基本ルルブ285P 《肉裂く突進》基本ルルブ285P 《哀れな孤独》基本ルルブ258P
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shimoda-text · 4 years
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勝手に月評:新建築住宅特集2020.03月号
 3月号は「平家のすすめ」特集である。  まずは2月号への座談月評。塚本由晴が「『新建築』の掲載作品は用途も規模もさまざまだから、プログラムの背景やプロジェクトの経緯を説明するだけでも、それなりに読めるストーリーになります。しかし『新建築住宅特集』の掲載作品は基本、住宅だからそういう違いは少ない。だからその作品が何と隣り合わせなのか、何と関係づけられるのかがもっと創作の問題として語られてよいと思います。」「そういう意味で『新建築住宅特集』の発表文章は、ある種の創作として、設計者がしっかり、かつ謙虚に向き合わないといけないと感じています。」と発言している内容は、前回の勝手に月評の内容とも重なり同意する。しかし、一方で平田晃久が先の言を受けて「それはまた、雑誌編集と建築家の文章双方に対する強烈な批評ですね。取り立てて批評性のない個別の『創作』文が漂う誌面はどうなのかと。」と返した上で、「建築家の創作の在りどころは建築作品にあるので、大抵の場合文章としての創作はいらないのではないかと僕は思います。」と自身の姿勢を示している。  建築を考え/つくることが主題の建築家にあっては、建築作品のみがその本質であることは(多少原理主義的であっても)否定のしようがない。作品に宿る思想と歴史が言葉で語らずとも価値を持つこと、それがモノとして残る建築の本来の価値であるとも思う。しかし、殊に建築専門誌への発表文章としては、少なくとも設計者個人の思想や歴史観が語られてよいと思う。建築という実地へ赴かなければその実態が掴めないものをあえて誌面で発表するのだから、写真と図面、経緯の解説では圧倒的に概念が不足するからだ。アメリカ抽象表現主義時代のポロックらとグリンバーグの関係のように、作家と批評家が独立して琢磨する関係性は今の日本建築界には乏しいが、逆に自身の作品を自身が解釈して批評解説できる文化/土壌が日本には既にある。自身が主体的にこれからの文化を形成している自覚があるならば、その文化に真っ向から向き合うことも誠実さではないだろうか。もちろん、塚本由晴が文末に釘を刺すように「しっかり、かつ謙虚に」。
 吉田夏雄の「肥田の家」は、今月号で最も美しい家だと感じた。比較的小さなボリューム内部は、かなり重心の低い家具に対して高い天井が落ち着いている。写真は夕景以外、全て自然光の下撮られているようで、室内の仄暗さが居心地よさそうである。シンプルな木造在来工法に対し、小屋組を見せてそれを主張することもせず天井を張っていて嫌味がない。キッチンは書斎机と横並びに連続していて、仮に「職/住を分けるという発想もなかった」と言われても頷けるくらい、人の生活が一体として捉えられていて全体にも腑に落ちる計画と佇まいとなっていた。  志垣デザイン店の「地の舎」は、牛舎や駅舎などに通ずる字形通りの「舎」という佇まいである。平面図を見るとこの家には記号的な玄関がないことに気づく。「下駄箱」と表記がある小さな一画も建物入口から対角の最も遠いところに位置しており、各室を「アメーバ状に」つなぐ中庭のどこか町家の通り庭のような構成と印象も相まって、おそらくこの家なら「靴なんてどうにでもなる」というようなおおらかな生活像が浮かんでくる。また、おおらかな生活像の一方で、建築としては室外機などの設備機器がしっかりとおさめられている。一点、設計者文中の「周辺に対して開放的に暮らすことができる住宅」という部分の「周辺」がなにを指すのか誌面では読み取れなかった。視覚的/立地的な開放を指すのであれば開口部や擁壁の仕草は逆に内向きに見えて疑問符が残る。敷地内の掘り下げられた部分に限定された「周辺」なのか、あるいは近年の住宅特集に頻出する”家開き”など社会としての周辺を指すのか、などもう少し解説が欲しくなった。  伊藤州平の「日進でのたち方」は、直角三角形の上部ボリュームが印象的な住宅であるが、平面図を見ると主題は平行する複数枚の壁であることがわかる。敷地、生活のシーンを分節する平行壁は、(絶妙に切り替えられる床・壁の仕上げ材/色と相まって)パラパラとずれながら配置されることによって少ない手数で多様な居場所を作っている。直角三角形の上部ボリュームは設計者文中でも指摘されているように「この気積はアイレベルからは見通すことができず、そこに行くこともできない」が、「この気積を介して気配や音などによって変化を感じ取り全体を想像することができる」というように、この建物の背骨として働いているようだ。平行壁というメインの手法に則って手数を減らし整理していくと同時に、建物の上部三角形ボリュームが印象的なアイコンになっていく。平行壁によって奥行きを捨象しつつも、上部ボリュームによって奥行きを作り出していく。このようなどこか矛盾する手つきが興味深く、その矛盾や両義性の間(ま)に着目していくことに可能性を感じた。
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