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#快適で心地よい暮らし
kyokocanary777 · 8 months
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意外と楽しかったコンビニの派遣バイト
横浜の石川町にいる時、半年間くらいでしたが、コンビニの販売員の派遣バイトしてました。2018年11月くらいから半年程度だったと思います。
コンビニの派遣バイトって、結構時給高くて店を選べば、快適で楽しいです♪
私の場合はコンビニでの勤務経験があったので研修なしですぐ働けました。
実は、時給換算するとライターの方が高いのですが、その頃、家で一人で仕事することに疲れてきてたので、非常に良い気分転換になりましたね。
同じく派遣で働いてる人は、夢や目標を持っていた人が多く、話ししててもかなり面白かったです。
勤務地は、横浜と東京。
最初はローソンに派遣されましたが、あんまり合わなかったのでセブンイレブンに変更してもらい😏
ふつうのところにあるお店だけではなく、大学の中、オフィスビルの中、テレビ局の中、ホテルの中、駅のホームとかとか
ありとあらゆるセブンイレブンで働けましたよ😏
東京の新橋や赤坂、豊洲、品川、田町などは忙しすぎて、さすがに参りましたが、、、あれくらい忙しい方が楽しいかもしれません。
神奈川は横浜を中心に川崎や元住吉、武蔵小杉が多かったですね。
横浜は、近所の中華街に、みなとみらい、横浜駅付近のお店など、怖い人が少ないお店を選んでました。
新型コロナ発生後は自動釣り銭機が導入されたこともあり、私が働いていた頃とは仕事の内容が変わっているはずです。
たぶん、以前よりも仕事が楽になったとは思いますが、個人的にお金を数えて渡すのが好きだったのもあり、ちょっとがっかりしています。。。ヽ(;▽;)
そのうち、支払い票も読み込めるようになって、ハンコを押したり、控えをちぎって渡す作業がなくなってしまうかも?と予想しています。
そうなると、なんだかちょっと寂しいものですね😢
袋が有料になったので袋詰めの機会も減りましたしね。
遠い将来は横浜で暮らすので、その時にもしコンビニの派遣バイトがやっていれば、時々は働きたいです♪
交通費も出るから、ただで東京や横浜のいろんなところに行けるので、勤務時間外に写真とか撮れて楽しかったりします😊
あの街この街、客層もかなり違って、それが楽しかったりします。
浅草付近のお店も、数回だけ行ったことがあって独特の雰囲気でしたね。
まさにお江戸って感じです。
京都の実家に戻ってから、少しだけセブンイレブンで仕事しましたが、やっぱり都会で働くのがいいなぁと思いました。
やっぱり都会は基本的に忙しいのと、ダラダラしないのがいいです。
なかなか楽しい半年でした☀️
また機会があれば、コンビニの派遣バイトで働きたいですね♪
2023/07/23
21:49
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shredderwastesnow · 9 months
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クィアたちのZINE交換【前編】
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発端
ある6月の休日、ZINE交換会に参加した。 主催は、数人のクィアによって結成されたプロジェクト集団「陰気なクィアパーティ」。今年春から、東京と名古屋で、派手なパフォーマンスが苦手なクィアのための穏やかな集まりを開いている。
そもそも「クィア」とは何か
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めない人を指す言葉として、最近様々なメディアで使われるようになった。 元々「クィア(queer)」は「奇妙な」「異様な」という意味の英語で、セクシュアルマイノリティたちを揶揄する蔑称として欧米で使われていた。 しかし社会運動をしていたセクシュアルマイノリティたちが、たとえ端から見れば奇妙でも自分たちはありのままで生きるという決意と共に「クィア」を自称しはじめたことで、かつてのネガティブな意味合いが薄れてゆき、現在に至っている。
「クィア」の意味するところは「セクシュアルマイノリティ」と似ているが、カバーする範囲は「クィア」の方が広い。 紙媒体やネットでこれらの言葉に触れてきた印象では、「セクシュアルマイノリティ」は、性自認・性的指向が明らかにマジョリティとは違うという自覚がある人を指している。 それに対して、「クィア」には、まだはっきり認識できていないものの、世間が想定する性のカテゴリーに今ひとつ馴染めない…と感じているような、マジョリティとマイノリティのあわいにいる人も含まれる。 また、「セクシュアルマイノリティ」には、マジョリティに理解されず、社会から疎外された存在というニュアンスがある(その他の「マイノリティ」=在日韓国人、部落民、外国人などのような)。 この言葉が使われる際は、当事者が法制度などによって不当に権利を制限され、自分らしく生きることを阻まれているという実態がセットで提示されることが多いように思う。
例えば、性自認が男性(シス男性)で恋愛対象は女性(ヘテロセクシュアル)だが、女装をしている時の方が心地よいという人がいたとする。「クロスドレッサー(異性装)」「トランスヴェスタイト」「女装家」などと呼ばれる存在だ。 特殊なセクシュアリティを持っているが故に、街中で後ろ指を指されたり馬鹿にされたりして、尊厳を傷つけられることはあるだろう。 しかし、「ホモセクシュアル」ではないので、同性婚できない日本でパートナーと結婚できずに苦しむリスクはない。 「トランスジェンダー」的な傾向はあるものの、性自認と医学的・社会的に割り当てられた性のギャップに苛まれたり、高額な性別適合手術の必要性を感じているわけではない。 このような人は、「私はセクシュアルマイノリティです」と言っていいのか戸惑いがあるのではないだろうか。 自分の辛さは、法制度と闘わなければならない人のそれに比べたら軽微なのだから、この程度でセクシュアルマイノリティを自称して生きづらさを訴えるのは行き過ぎている…と自粛してしまうことが考えられる。 しかし、男は365日ズボンで暮らすものだという既存のジェンダー観から外れているという点で、彼は間違いなく「クィア」である。「私はクィアです」と言うのは、「私はセクシュアルマイノリティです」と言うよりはるかにハードルが低い。
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めていないが「セクシュアルマイノリティ」の括りから除外される人々もふんわりと包み込む、懐の深い言葉だ。 セクシュアリティは千差万別で、まだ解明されていないことも多く、しかも生まれてから死ぬまでに変化する可能性もあるという揺らぎを前提として生まれた概念なので、より多くの人たちの拠り所になれる。しかし、このふんわりとした性質故に、定義するのは非常に難しい。
参考:
私のクィアネスについて
私は自分が「デミロマンティック」だと思っている。要は、世間一般の人と比べて、恋愛感情が希薄だという自覚がある。
多分「デミロマンティック」は多くの人にとって聞き慣れない言葉だが、「アセクシュアル」「アロマンティック」であれば知っている人はいるのではないだろうか。 「アセクシュアル」は性的欲求を持たない人、「アセクシュアル」は恋愛感情を持たない人を指す。 (日本では「アセクシュアル」は恋愛感情も性的欲求もない人の意味で使われ、恋愛感情はあるが性的欲求のない人は「ノンセクシュアル」と呼ばれるケースもあるようなので、「アセクシュアル」の意図するところは使う人や文脈によって変わりそうだ。なお、「ノンセクシュアル」は和製英語だそうです。)
「アセクシュアル(asexual)」「アロマンティック(aromantic)」の頭に付く「a」は、英語では否定(non-、un-)の意味を持つ。「asexual」=「sexual(性的欲求のある状態)でない」、「aromantic」=「romantic(恋愛感情のある状態)でない」ということになる。 一方、「demi」は、「半分」「少し」の意味を持つ(ヨーロッパ系のカフェでエスプレッソを注文すると出てくる小さなカップ=「デミタスカップ」を想像してもらえると腑に落ちるのではないでしょうか)。つまり「デミロマンティック(demiromantic)」は、「romantic(恋愛感情のある状態)が少なめである」という意味になる。
息抜き:
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当事者の書いた文章や当事者が主人公の小説を読む限り、アセクシュアルおよびアロマンティックの人は、それぞれセックスや恋愛に対して拒否感や嫌悪感がある印象だ。 私はどちらに対してもそこまで強い拒否感はなく、恋愛の延長線上にセックスがあることにもそれほど違和感を持っていないが、いかんせん恋愛感情が起こらない。
学生時代、周囲が少女漫画を貸し借りして「○○君と△△君だったらどっちがタイプ?」「私たちもこんな恋愛したいよね~」と真剣に語り合っている中、私はそのテンションに全く付いていけず、自分はみんなと違うな……と漠然と感じていた。
勉強や就職活動や創作活動などは、将来の自分の可能性や選択肢を増やして今より自由になるための活動であるのに対し、恋愛は、相手と良い関係を作るためのしがらみや我慢を発生させる点で、人生を不自由にする活動だと思っていた。 シスヘテロ男性との恋愛の先にあるかもしれない結婚・妊娠・出産などを想像すると、積極的に恋愛するシスへテロ女性たちは、自ら進んで家父長制に取り込まれにいっているように見えてしまった(ものすごく穿った見方だという自覚はある……彼女たちは自分の意志で恋愛しているのであり、余計なお世話だとは思うけど)。
私の中にこういった思考が育まれたのは、幸せな恋愛やパートナーシップのサンプルを身近に見つけられなかったという環境的な要因に加えて、やはり先天的な要因もあると思う。 近年の脳科学では、外部からの刺激によって脳内の快楽を司る「報酬系」という神経回路が活発化し、ドーパミンが分泌されると恋愛感情が起こるとされている。多分、私の脳ではこの回路があまり活発ではなく、少女漫画という刺激では作動しないのだろう。 (ただ、脳内物質にはドーパミン以外にもセロトニン・テストステロン・エストロゲンなどがあり、これらが出ていれば何らかの感情は発生していることになるので、恋愛感情がないからといって無感動というわけではないのですが。)
参考:
社会人になってから、微妙に恋愛感情が出てきた時期もあるにはあったが、それも数年に一度ぐらいの低い頻度だった。 仕事が忙しければどうでも良くなるし、一人で行きたい場所に旅行したり、カルチャーに触れたりライブやイベントに行ったりすればそこそこ満たされてしまうので、そのうち別にいいやという気持ちになる。
そんな自分のことを、私自身は「ドライな人間」「淡泊なタイプ」だと解釈していた。 ただ、性自認と医学・生物学的な性は一致しており(シス女性)、恋愛感情が起こる場合は異性に向くため(ヘテロセクシュアル)、自分がセクシュアルマイノリティだとは思っていなかった。 しかし、日本でもセクシュアルマイノリティに関する議論が活発になり、LGBT以外のセクシュアルマイノリティやクィアについての文献や記事が広く出回るようになって、やっと「デミロマンティック」というちょうど良い表現に出会えた。
クィアを自覚した後の問題
自分がクィアだと自覚することは、こういう人間は自分だけではないと安心できる点では救いだが、自分は差別される側の人間なのだという疎外感を突きつけられる点で呪いにもなる。 過去にセクシュアリティの違いが原因で周囲から浮いてしまった経験を、差別を受けた体験として捉え直す作業は、それなりの痛みを伴う。 しかし、これを丁寧に行わなければ、自分の生きづらさを解きほぐして緩和することもできないし、この先どう生きるのが自分にとっての幸せなのかも模索できない。 また、自分が生きている日本社会がどんな人間を異端として疎外・排除しているか、あらゆるセクシュアリティが肯定されるために社会や自分自身はどうあるべきかも見えてこない。
自分の中のクィアネスに向き合うことを意識し始めてから、同じように既存の性のカテゴリーからはみ出している人がどう生きているのか知りたいと思うようになった。 コロナが沈静化したタイミングで読書会やコミュニティを定期的に検索していたところ、「陰気なクィアパーティ ZINE交換会」の告知に出会った。 クィアとして生きる実感をZINE作りという形で語り直す作業を、この機会にやってみたいと思った。
限られた時間の中で何とか内容をまとめ、A5版12ページ、6,000字強のZINEが完成した。 会場で7部を交換し、2部は手持ちのZINEがなかった人に渡した。
「陰気なクィアパーティ」の大らかさ
私は「LGBT」ではないし、「アロマンティック」「アセクシュアル」のいずれでもないので、そういった人を対象とするコミュニティへの参加には抵抗がある。 でも「クィア」を冠したコミュニティであれば、私もここにいて良さそうだと思える。
会のグラウンドルールには、このような文言がある。
陰気なクィアパーティは、セーファースペースであり、あらゆる性のあり方を持つ私たちが共にいるための空間です。 差別の構造を解体する空間であるためには、参加者全員の協力が必要です。 自身の境界と他者の境界を尊重し、全ての人が居心地良く過ごすことができる対話空間作りにご協力ください。
この宣言はとても心強い。 このような場なら、「性的指向も性自認もマジョリティと変わらないくせにマイノリティぶるな」とか、「もっと辛い立場にあるセクシュアルマイノリティに比べれば、お前のしんどさなんて取るに足りないものだ」といったような攻撃を受けるリスクは低そうだと感じた。 そして、一定の安全が担保された空間で様々なクィアたちとコミュニケーションする中で、クィアとしてどう生きるかのヒントが掴める気がした。
会場に足を運び、様々なセクシュアリティの参加者からもらったZINEを読んで、自分の想像を超えた差別や疎外感を知り、世界の見え方が少し変わった。 あの空間に、一人のクィアとして立ったからこそ見えた景色だ。 私のZINEも、誰かにとって新たな気付きをもたらすものになっていればいいなと思う。
会社を辞めようとしているタイミングでこのような場に出会うことができ、本当に感謝している。 主催者の皆様、ありがとうございます。
そして今後は、小説の執筆ペースを上げることと並行して、一人のクィアとして考えたことをもっと言葉にしたくなった。 個が尊重されるセーファースペースで、様々なクィアと対話したり励まし合ったりする時間が定期的にあったら、何かと心細いクィア人生も豊かなものになる予感がする。
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lllusioninthehead · 1 year
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プロポーズして3日が経ち、今日が彼女の誕生日である。すでにお祝いは済んでいる(NZ料理を食べた)
釈然としない日々が続いていて、これは彼女の問題というより健全な家庭を知らない自分の心根の問題なのだと思う。
結婚するというのは数多の可能性の芽を摘み、ひとつの可能性の中を進むということ。
では、こんな蒙昧な自分がその決断をできたのか。
彼女の良さを恥ずかしながら書くことでなにか得るものがあるのかもしれない。
ちなみに、若い皆様は特に参考にしなくてよろし。自分の良さを伸ばし、わるきを修正すればいい。その姿勢を持てないことは問題なれど。
・人の気持ちに寄り添える。
理屈で人を突き放すことはせずにいくつかの視点から物事を検証することができる。それにより、相手の事情を考慮して話を進められる。
・きつい言葉を使わない。
生活において、不満が多少あっても「もっとこうしてくれると嬉しい」と言う。しないでほしいはほぼ使わないので快く了承できる。
・常にふたりにとってと考えてくれる。
個人の幸せではなく、二人での幸せを考えてくれる。これによってお互い惜しみなく分け与えることができる。相手の幸せは自分の幸せだからだ。
・相手のどうしようもない事情は気にしない。
例えば健康や家庭環境、親類関係などによって相手への評価を変えない。あくまで恋人がどんな人間かだけで伴侶になってくれる。そして困難に一緒に立ち向かう意思を示してくれる。
・自分のアイデンティティが自分の中にある。
音楽や芸能人、服、お店の好き嫌いはあれど、それに意見を言われても笑って議論ができる。すごく簡単に言うと地雷がない。何かに依存、傾倒してないのでブラックジョーク的な甘噛みもし合うことができる。なので会話が楽しい。
・食べ物の好き嫌いがあまりない。
よく食べてよく飲む。摂生するときはする。美味しいと言い合える。
・経済的に依存しない。
自分の仕事と趣味を持ち、それを自分の収入の中で完結している。なんなら、相手になにかあったときの余力もちゃんと残している。
・友達と適度な距離感で自立して付き合う。
仲の良い友達が複数人おり、ちゃんと信頼関係を築けている。特定の人とズブズブではない。自立とは頼れる先がたくさんあること。を体現している。
・家族と雑に仲が良い。
家族はどんなことがあっても裏切らないものだと思っているので、お互いをやや雑に扱いながらもそばにいることを厭わない。いざとなれば助け合う。動物の群れのような関係を保っている。
・誰に紹介しても問題なく対応する。
どんな人とあっても話を合わせたり、進めたりができる。あまり人の好き嫌いがない(本人はあると言ってるが)安心して友人関係に混ぜることができる。親族への紹介も楽。
・SNSはやっておらず人と比べたりしない。
休みにすることはご飯を食べて散歩をすることくらい。たまに映画。派手な暮らしは好まない。旅行は年一回で良いらしい。ただし、たくさん食べるので食費はかかる。
・趣味を尊重してくれる。
男にとって趣味は実は大切なもの。もっとも大切な趣味(自分ならバスケとカメラ)は尊重してくれる。子供ができたらわからないよ。と言われてるけども笑
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まだまだあるかもしれない。いつかなくなるかもしれない。誇張して評価してる部分もあるかも。
そのあたりは生活の中で見つけたり、見失ったり、ぶつかったり、成形したりしていこう。
忘れてもそれも良し。忘れたくないことだけ残る。
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今年読んで面白かった本まとめ。印象に残った文を添えて。特に順位とかはなく、読んだ順です。 ※リンク先はネタバレが多いです。
ゴーストランド / コリン・ディッキー
"私たちは死にきっていない者たちの間で生き、幽霊の都市に住んでいる。以前は意味も目的もあった建物が―家だけでなく、銀行や庁舎も―かつての意味をすっかり失い、それでもそこに残り、私たちに取り憑いている。可能な人はそこを立ち去り、新たな都市へ、まだ死者につきまとわれていないはずだと思う場所へ移動する。"
話の終わり / リディア・デイヴィス
"きちんと整理をつけたいとは思うのだが、私の頭の中はいつも混沌としている。一つの考えが別の考えに邪魔されたり、互いに矛盾していたりするうえに、記憶は往々にして捏造され、入れ替わり、省略され、混ざり合う。"
「美妙な死体」の物語 / レオノーラ・キャリントン
"時間を直線として考えるのは単なる偏見よ。だって何も直線でなくて、螺旋とか、折れ線、円とかなんでも私達が勝手に考えるような線も描けるんだから。時間というのは何か必ず始まりがあって終わりがあるものとして考え出されたものだもの。"
愛 / ウラジーミル・ソローキン
"・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・手が"
国書刊行会50年の歩み / 国書刊行会
"あれは煉獄の焔で焼かれた本だから、カバーは燃えちゃったんですよ。"
アライバル / ショーン・タン
※この本だけ文字がないので引用なし。
こんとんの居場所 / 山野辺太郎
"俺も人間だったから知っているつもりだけど、人間の体も心も、自分で思っているほど頑丈じゃないってことがある。すっかりくたびれ果てて、何もかも投げ出してしまいたくなることがあるかもしれない。ただ生きつづけているだけでもつらい、なんてことがないともかぎらない。そんなとき、この島のことを思い浮かべてほしい。こんな生きかただってあるんだ。"
平ら山を越えて / テリー・ビッスン
"おかしなことに、アパラチア山脈は消えてなくなったが、その幽霊が道路にとり憑いている。"
生きづらさ時代 / 菅野久美子
"それって、すごいことなんだよ。人生は、確かに悲惨なことが色々ある。だけど、その一つひとつの選択が今の自分に繋がっているってこと、まずはそれを認めてあげて欲しいよね。だって今、生きているんだから"
共同体なき死 / 真鍋厚
"わたしたちが生きている快適性追求の時代は、中身を伴わない「死の情報」だけが氾濫する一方、「死の現場」を生活空間から周到に排除したことによって、実像ではなく虚像による不条理と付き合わざるを得ない新しいフェーズに入っているのだ。"
※以下、なぜかリンクを直接貼れなくなってしまったので(10個が限界?)タイトルにリンクしてあります。
死後を生きる生き方 / 横尾忠則
"僕の場合は目の前に死がちらほらすると、逆に死に対する恐怖というのは、あんまりないなぁと思うんですね。苦しんだり、痛がったりして死ぬのは嫌だけれども、そうでなければ、まぁ、悪くないんじゃないかなぁと思うわけです。"
インヴィンシブル / スタニスワフ・レム
"すべてのものが、あらゆる場所が、われわれのためにあるのではない――斜面をゆっくり下りながら、彼は思った。"
泰平ヨンの航星日記 / スタニスワフ・レム
"「人びとはそれほど不死を渇望してはいませんよ」すこし間をおいて、私はつづけた。「ただ死にたくない、と思ってるだけです。人びとは生きることを望んでいる。足もとに地面を感じ、頭上に雲をながめ、他の人びとを愛し、いっしょに暮らして、お互いのことを考えることを望んでいる。これ以上なんにもない。これを超越して主張されたものは、すべてうそです。無意識のうそです。"
今年は去年ほど読めなかったなあ。最近になってやや読むようになってきたので、この感じで色々読んでいきたい。買ったのに読んでない本はたくさんあるし…。
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zikzwz · 7 years
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2017年ギリシャ旅行記
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2017年のギリシャ旅行の写真をまとめました。上の写真はスニオンのポセイドン神殿
飛行機は関空発ドバイ経由エミレーツ。快適でした。
入国審査で引っかかり(写真の人相が違いすぎた)心が折れそうになるも、気さくなタクシーのおじちゃんやバスターミナルのおじちゃんに優しくしてもらい元気になれた初日でした。この日は遠目にアクロポリスを拝んでホテルに戻る
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翌日はアクロポリスからのスタート!アテナ・ニケ神殿の裏っかわを拝んだり門?をくぐったりしながら奥にすすむと…
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パルテノンだー!写真で何度も見たやつ!!!
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大きい、全てが。もっといろんな建物撮ってあるんですけどたんぶらの制限でなんと1投稿30枚に収めなきゃいけない 頑張れ
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"都市守護神ゼウスの聖域とアテネの街なみ" zikzwz on twitter
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裏手に回ってディオニュソス神域とディオニュソス劇場、アスクレピオス神域
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日が変わります。ゼウス推しのハドリアヌス帝が力技で建てたゼウス神殿。でっっっかいぞ!ここは元々昔からゼウス神域だったそうで、もしかしたら何か下に埋まってんのかな
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こちらは古代アゴラ。役所が集まってます。奥がヘパイストス神殿、手前はアレス神域
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"アゴラ泣きながら歩き回った…とっても広くていろんな施設が集まってる…古代の人々の声が聞こえて来そうだった…" zikzwz on twitter
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"その後はアゴラ前でちょっと遅めの昼食でした!メニュー見てたらお店のお兄さんが話しかけてくれた助かった…生搾りレモンジュース(たぶん砂糖入ってない)が疲れた体に染み渡った…ムサカ食べた後に飲んだらめっちゃ酸っぱかったから相当疲れてた" zikzwz on twitter
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日付が変わり、この日は高速バスでネメアに向かい、ゼウス神殿を訪れました。ギリシャの三大競技祭開催神域の1つであり、ギリシャの三大ゼウス神域の1つ。
神域の近くには禊のための浴場があり、道路を挟んだ場所に競技場があります。ピストルの代わりに棒を倒して競争の合図をする装置があって、それが競技場に現存してる!
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ぶどう畑に埋もれるみたいに佇んでいるゼウス神殿。行きのバスで降り場所を間違えてカフェのお兄さんにタクシー呼んでもらったり、神殿近くのワイナリーで試飲してお土産ワイン買ったり地元の人との接点が多かった。この日はネメアだけで燃え尽きました。
"あづううううう16時の日差しじゃないっての!!!" zikzwz on twitter
"あととかげいすぎ。これがお家の中入って来たら確かに鬱陶しい…" zikzwz on twitter
これはトカゲ殺しのアポロン(害虫駆除)を思い出してのツイート
"トラクター通るし…のどかだなあ…" zikzwz on twitter
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日付が変わります!この日はテラモン兄弟の生まれ故郷、サラミス島を訪れました。最初ピレウスに来たらそこからは船があんま出ていないと分かり、隣の港ペラマまで移動…
松と岩に覆われた島です 発掘途中っぽそうなミケーネ時代の遺跡はフェンスがない場所もありました。それでいいんか
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魚介類さんのテラモン兄弟Tと一緒にパシャリ!テラモン兄弟もこの風景を見ながら暮らしてたのかな〜
ひとしきり見終わって行きのタクシーのおっちゃんに電話するも塩対応でお迎えも来ないという恐怖体験。かける番号名刺の裏表で間違えてた
"あー浜辺で降ろした日本人ね!おっけーおっけーおっけー!!!って言われたあったけえ…そしてすまん" zikzwz on twitter
"おっけーおっけーおっけー!すらギリシャ語という英語は通じにくい島です…こんなところにバルバロイ1人乗り込んですみません…ありがとう…" zikzwz on twitter
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旅行最終日、早起きしてバスに乗り、まずはアッティカ半島の突堤先スニオンに来ました。
"おはようございまーーーす!開館前に開けてくれた!貸し切り!!!スニオン岬のポセイドン神殿" zikzwz on twitter
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朝日が反射する海を見ながらビスケットをかじりました。この旅行はご飯をかなり疎かにしてた反省
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スニオンのかわいいイワシャコちゃんをご覧ください 枚数制限があるなか3枚貼っちゃうぞ
このあとはアテネ考古学博物館にほんのちょっとだけ寄って帰路につきました。予定が押し押しになって展示物しっかり見て回れなかったのでリベンジしたいところ。
この旅ではアクロポリス博物館、ネメアの神殿横の博物館に行きました。古代アゴラ内の博物館も見そびれてる…
"私が無事帰ってきたら相川みたいなどんくさいやつでもギリシャ行って来れたんだからわたしなんか楽勝!っていう人が増えてみんな気軽にギリシャ行くようになる。TLにギリシャの写真が増える。幸せ。" zikzwz on twitter
2017年のギリシャ旅行はこんな感じでした。みんな気軽にギリシャ行こう!やさしい人たくさんいるよ!
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newpntls-blog · 6 months
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2023.9.26(火)晴れ
月火と休みだった。最高に楽しかったので日記。めずらしく気持ちが元気。
月曜日、地獄の日曜出勤を終えて昼ごろに起きた。何度も夢を見た(内容は忘れた)。最近はまってるヨーグルト食べて準備、愛の後輩たち(井出健介と母船/牧野ヨシをコピーしたメンバー)とドライブに行く日。化粧がうまくいった。井荻で待ち合わせし、トムヒデの運転する車でfishmansの LONG SEASONのジャケ写のロケ地を探すべく奥多摩へ。サスケくんと後部座席に座り、BOATやHALCALIを教えてもらう(めちゃくちゃサイコー)。途中でお腹すいたとごねる私たちは青梅の中華屋に寄る。寝ていたおじいちゃんが起きてお店を開けてくれた。私は中華丼頼んで、みんなでそれぞれ頼んだものを分け合ったら私のがいちばんおいしかったらしい、ラッキー。おもしろかわいいおじいちゃんだった(トムヒデが幸先いいねー、と言っていてよかった)。以下はその最高の中華屋の写真。
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コーラの代わりにファンタ買った(ファンタ飲んだの本当にいつぶりだろう)。奥多摩は遠い!途中でやる気がすごいコンビニで下車、アイス食べた。甲田くんはソフトクリーム食べてて、僕はソフトクリーム食べてる人を見ると嬉しくなるから自分がその役を引き受ける使命なのだとか言っていた。車停めてやっと奥多摩。ダムを見て、川沿いの遊歩道(かなりの岩場)を駆け抜ける。HARUTAのローファーで駆け抜ける岩場はかなりゲーム。岩に寝そべって男の子たちの水切りを見てるの、最高にいい時間だった。LONG SEASONのロケ地はよくわからなかった、日暮れごろに引き上げる。以下は奥多摩の写真(ダムの水、嘘みたいな色だった!)。
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目当ての喫茶店は閉まっててコメダに駆け込んだ。だらだらとサスケくんの話聞いて、あーだこーだ話した。私とサスケく���はわりと考えすぎなほうで、甲田くんはわりとその逆にある人みたいなのでおもしろかった(1を2で考えるくらいがちょうどいいこと、心に刻みたいねー)。サスケくんにもうしばらく祈りをこめる。閉店ギリギリに退店。帰りの車でサスケくんと最近の話やバンドの話をした。これからも楽しいこと、増えていくはずだね(また一緒に演奏したい!)。この後輩たちは、楽しいことや自分の快適な方向に向かう術を考えつく(自然と選びとれてるのかも)のがうまい人たちだと思う。全員適当で噛み合ってないところも居心地がいい。私はすぐにこういう人たちに憧れてしまうのだけど、絶対になれるわけもないので自分とのグラデーションの違いを毎度発見しておもしろがっていこうと思う。少年の心を持つ、ありがたい人たち。
トムヒデが車で家まで送ってくれた。基本的に悲しいことしかない家の最寄りに最高の人たちがいるのが不思議だった。ありがとー、とか仕事がんばってねー、と言われながら解散。かなり楽しくてちょっと寂しかった。友だちとこんな風に遊ぶの久しぶりで、ちょっと忘れてた気持ちだった(あと、旅行したいなー、とまた思った)。家帰って本読んでたら電気つけたまま寝てた。もうすぐ金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』読み終わりそう。早朝に電気消してまた寝た。
火曜日。かなりがんばって洗濯をし、散らかった服も片付けた。ラーメン作ってたら意外と時間なくて急いで幡ヶ谷。私たちのバンドはもうすぐレコーディングをする、今日はその打ち合わせ。はじめてお邪魔したマンションの部屋はおもしろいくらい快適だった。有坂さんの差し入れたコーヒー豆でコーヒーを淹れてもらい、足がしびれながら結局かなり長いこと滞在していた。会話に独特の間がある人を、かなり久しぶりに見た。間がある人はいい。みんなで駅前のサイゼリヤ行った。
ハモニカで開催される自分の23歳のバースデーイベントに出勤する人、赤坂の高級ステーキ屋の皿洗いに出勤する人、眠気で帰宅する人と散り散り。私はかなり久しぶりにひなこさんと会った。ひなこさんがタバコをやめたことを忘れていた。タイムスに行く。ひなこさんと喫茶店で話すのは楽しい、結構いつまでも話していられる。最近の話、引っ越しの話、バンドの話、不安を感じた時の対処法の話なんかをした。ひなこさんが暮らす街はひなこさんの雰囲気によく合っていると思う。暮らしている人と暮らしている街がよく合っていると、すこし感激する。ひなこさんと近所になれたら本当にうれしい。
私はひなこさんからしたら趣味が多いらしい(本とか漫画とか映画とか爪とか服とか)。自分からすれば私はゲームもアニメもスポーツもギャンブルも知らなくて興味もないし、音楽も詳しくないし、そう思ったことは一度もないけど。私はたぶん、不安を感じた時、そういう、人がつくったものを必死に集めて触ることによって別の人の感覚を追体験して楽になってるんだと思うということを伝えた(そういう風に考えたことはこれまで一度もなかったけど、なぜかすらすらと言葉にできました、そういうことらしい)。ひなこさんはかなり時間をかけてナポリタンを食べていた。楽しくてうれしい時間だった。また���える時に会いたい、明日からもお互いにすこやかで。
かなりたのしい二日間だった。仕事をしてないとこんなに気持ちが柔らかくなるのかと、間抜けな感じがする(でも仕事はしばらくやめられないので行く)。あとは、自分のためにしてあげること、ある程度意識的にむりやりにでもしていた方がいいと思いました。それが絶対に明るいものにつながる気がする。明日からまたしばらくは仕事なのでまたきっと頭がおかしくなります。音楽を聴いてしのぐ。また今度。
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kennak · 1 year
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5W1H+Then状況説明 Who(誰が) 劣悪な家庭環境で精神の療養をしていた筆者が、 When(いつ) いちおうアラサーのとき、 Why(なぜ) 実家での療養に行き詰まりを覚え、命の危機すら感じたので、 Where(どこで) 実家から出て生活保護を受給し、一人暮らしをしながら療養することを決めた。 What(何を) その際、転居後、プロフェッショナルをはじめ可能な限り多くの人たちの支援をできるだけたくさん受けられるよう、 How(どのように) また、しんどいメンタルの中でもそれをスムーズに行えるよう、調査・相談・計画し、実行に移していった。 Then(どうなった) 結果、自分を支援してくれる医療福祉リソースの「最強デッキ」を作ることができ、次第に格段に心身の状態が良くなった。 前提条件 父はひどいコミュ障かつ恐らく結構なASD、母は統合失調感情障害かつ恐らくASD+ADHDであった。 筆者は家族とうまくコミュニケーションをとったりすることができず、家庭内別居というか引きこもり状態であった。 なぜやってよかったのか 一人暮らしを改めて始めたことで、自分自身への責任と自由が得られた。何にも遠慮しなくてよくなった。 心身の状態が格段に良くなった。QoLが上がった。未来はまだ見えないが暗いものではなくなった。 多くの専門の医療者福祉者友人たちなどの目があること、相談できること、頼れることで、孤独でなくなったほか、心身の状態を比較的よい状態に維持できるようになった。 やらなかったらどうなっていたか 筆者の心が壊れたり、筆者に何かあったときに親に頼ろうとしても応えてもらえず、同じ家の中なのに野垂れ死にしてしまう可能性があった。実際それを実感する出来事もあった。 転居し生活保護を受けても、「最強デッキ」がなければ、精神をより病んでいた可能性がかなり高い。生活保護での生活が安定するまで、とても心身が辛かったことが証左である。 現在のように、少しずつよくなっていってるし、良くなっていけるだろうから、まずはそれでいい、という発想にも至らなかっただろう。 実際の流れ〜事前の検討 まず情報収集と検討を行った。市役所の福祉課に行き相談して、生活保護の制度について詳細に伺った。優しく丁寧に些細に教えてくれた。シェルターの利用も検討し、福祉課から紹介されたシェルターを運営する(全国的に有名な)NPOに伺い相談した。 また、地域包括支援センター(筆者のいた市の場合。一般的には相談支援事業所)に相談し、担当してくれたスタッフともよく相談し、通っていたカウンセラさんにもよく相談し、引越して生活保護を受給し始めたあと、「どんな医療体制・福祉サービス体制で、どんな生活が出来るだろうか」を幅広く検討・イメージし、洗い出した。 実際の流れ〜転居まで 筆者の場合は、引越し生活保護を受けるまでの資金として、父に「手切金のようなもの」を要求した。父は長い間計画の実現可能性を信じず応じなかったが、カウンセラさんを交えた気の長い説得と、市役所福祉課に一緒に来てもらって実現可能性などを確認したことで応諾した。 手切れ金の額は数ヶ月分の家賃や生活費用、家具などの初期費用、引越しにかかる費用などから算出した。 実際の流れ〜転居後したこと 転居先には、親しい友人がいたり、筆者が昔暮らしていて馴染んでいる土地で、都会を選んだ。 物件は転居する地域の生活保護の基準程度のものを選んだ。手切れ金の額は、選んだ物件の保証会社の保証に必要な金額を上回っており、無事転居できた。 転居して、まず、区役所と警察で住民票の閲覧制限をかけた。 次に区役所の福祉事務所への生活保護の相談をした。快く応じてくれた。何事も事前に相談ができるならそれに越したことはないし、相談しておけば差し迫ったときにもスムーズに話が進むものである(実際に生活保護の窓口では事前の相談を推奨している)。 そして、保健相談センター(保健所)の保健師さんと面会・相談し、今後のこと(医療サービス福祉サービスの利用)についてどんなサービスが利用できるか幅広く相談し検討し、利用の作戦を立てた。 各種サービスの利用には申請が必要とか確認が必要とか手続きが必要など色々あって複雑であったが、事情を知った有能な保健師さんが可能な限りの使えるサービスを教えてくれ、さまざまな関係機関との調整もしてくれた。 実際の流れ〜生活保護受給以降 数ヶ月して、資金が切れる見通しとなったので、生活保護の申請をした。書類上の審査のみで、DVがあったことから家族・親族に連絡もいかず、無事2週間程度で保護が決定した。 利用することになったサービスは、通常の精神科受診のほか、精神科看護のプロによる訪問看護、事情をわかってくれるヘルパー(家事(調理や清掃など)援助)であり、のちに入院や、入院した病院で、退院後も継続的に、保護費の医療扶助の範囲内でカウンセリングが受けられることになった。 そしてこれこそが筆者の心身をさまざまに支え、筆者が回復していくための「カード」(デッキ)であり、筆者の知る限りこの組み合わせが「最強」である。 現在 精神科の主治医、週に3回の訪問看護、週に1度のヘルパーさん(調理・清掃)、主治医とは別の精神科病院での保険診療内の心理カウンセリング、親しい友人たち、パートナーさんに支えられ、引き続き療養している。 以上のような「最強デッキ」に支えられ、少しずつ心身が回復していっている。転居し生活保護を受けしばらくまでは非常に精神が辛かったが、ここ数年で見違えるほど安定し楽になり、ときに就職に挑戦したりするようになった。今でもひどいうつなどで入退院を繰り返すなどしているが、精神的にはずいぶん楽になったのは間違いない。 今後の人生ももっとよくなっていくという確信が持てている。 備考 飽くまでこれはさまざまな条件に恵まれたケースであることであり、それが特記すべきことであることは否めない。 また、筆者が医療者福祉関係者の利用の仕方がうまいとか、出会った全てのスタッフが素晴らしいスタッフだということも特記すべきであるかもしれない。 しかしながら、制度自体は全国どこでも同じであり、原理的には全国どこでも似たようなデッキを組めるはずである。とはいえそれは理想論で現実にはそこまでうまくいかないことが多いことは容易に予測できるし、色んな人の話を聞いていると実際そうである。そのためにも、大きな都市でこれを試みることが極めて重要なのだと思う。 また、もっと色んな人の力を借りて、こうしていきたいと思ったり、プロフェッショナルに支えてもらいたいと考えることも肝要だと考える。 これはメンタルを病んでいる人がどのように医療資源・福祉資源を利用したらいいか、ということでもある。メンタルを病んでいるからこそ、医療福祉資源カードの最強デッキが必要なのである。 自分の場合はこうだとか、ここをもっと教えて欲しい、ここはどうしてるの、ここはどうしたらいいの、といった事柄があればコメントなどで教えて欲しいです。適宜更新します。 過去のまとめ このお話は、過去にTwitterでもつぶやきTogetterでもまとめています。 一方で、健エミュを知り、この体裁のほうがわかりやすいだろうということで、この投稿を作りました。 Togetterのまとめとこの投稿で重点を変えていますので、ご興味の方はこちらのまとめをご覧ください。 最後に ここまで読んでいただきありがとうございます。長々と難しいことを書きましたが、「できることをできる範囲で、できるかぎりやった」「自分自身のサポート体制を整えようとした」この2点が一番大きいです この記事を書くにあたって、健エミュDiscordサーバの方々から有用なアドバイスを頂きました。感謝します。 最強デッキを授ける前に、猫の日にお空へ旅立ってしまった友人に、この記事を捧げます。
毒親など辛いメンタルから逃げるには、自分自身を支援してくれる人たちの「最強デッキ」を組むとよい - 健常者エミュレータ事例集 カウンセリング
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yknov7 · 1 year
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31st, Dec, 2022
1月
年越しから卍に夢中になって絵を描いた 結局情緒不安定になって反応が気になって夢の中でも反応を確認する始末
ディズニーに妹と言ったけど乗れるアトラクションが少なくて早く帰った
絵を夜中まで描いていたせいで毎日寝不足、アイナナのライブに行って号泣する
2days行けばよかったとしぬほど後悔しながら部屋で2days目を視聴した
卍に飽きる
2月
アイナナにハマる 在宅が始まり本格的に就職活動を始める
妹に彼氏ができて一人暮らしをしたいと言われてメンタル崩壊する
美術館へ行ったら本当にいやな気持になってさらに追い込まれる
バチェロレッテにハマる 「愛は花びらのよう」 詩的な言葉だ
3月
本格的にメンタル崩壊する
内定取り消しになって、一年前にキャタピラーを選ばなかった自分を恨んだ
同期が辞めて焦りだした
初めてパリジェンヌをして失敗するも脱毛を契約
3回目ワクチンの副反応で高熱が出た
大森の桜が綺麗でなみだが出た
4月
黒田さんにつきまとわれてうんざりした
乙仲の会社と散々迷ったけど転職先を決めて、引き継ぎ書を作ったり好き勝手に半休を取った
新人が入ってきて教育を頑張った
毎日残業ばかりだった
ブルガリの送別会は地獄だったけどラグジュアリーな雰囲気は楽しかった
久しぶりに軽井沢へ行った
交際を決断
5月
物件を探してやっと引っ越し先が決まり、大掃除をした
社長に辞めると言いだすことは緊張したけど言えば楽になった
顧客全員で送別会ができてうれしかった
家具ばかり見ていた
6月
水溜りボンドにハマる
一人暮らしが嫌になってきて家族との時間が大切になった
妹とディズニーに行ったら空いてて快適だった
でもすぐ結婚したら嫌だなと思って複雑な気持ちだった
黛灰にハマる 黛 辞めるな
自分はというと会社になじめず辞めたくなった
暑いのもつらかった
7月
週末に実家に帰る日々が始まる
洋書を再び読むようになる
エアコンを買って、椅子も買って、マットトッパーも買って部屋はよくなったけど、コロナ陽性になる
症状は咽頭痛のみだったけど咳がひどかった、しかも減給
眠りが浅くなり再び精神的に不安定になる
黛ばかり見て、インナーカラーを真似しようか迷う
ずっと見ていないと知らない間にいなくなってそうで生前葬をつけっぱなしで眠った
夢の小説を再び読みだす
8月
またpubgをやり出した
れいしーの配信もよく見るようになった
るろ剣を見て作画監督を見直した
暑くて暑くて妹のコロナ陽性を言い訳にリモートに入った
夏休みが長くて助かったけど駅から職場までの道のりが長くてつらかった
しかし脱毛効果がすごくて毛がどんどんなくなって感動した
9月
職場が嫌で嫌でしかたなかった
展示会だったけど久しぶりにビッグサイトへ行けてうれしかった
川野さんに会ったり、顧客の人に会えてうれしかった
だんだん一人暮らしに慣れてきて、居心地がよくなってきてうれしかった
pugbのためにipadも購入
結婚の話になるもマリッジブルーになる
スパイダーマンにハマる
カルロスからメッセージが来て驚き、また連絡を取るようになる
ルルの目が白内障なんじゃないかと不安になる
10月
涼しくなってきて湯船につかって映画を見たりキャンドルを焚いたりするようになる
肌の乾燥を指摘されて化粧水と乳液を全身に塗るようになる
彼と結婚を前提に泊まりする話になり、面倒になる
が、インターコンチでの夜は素敵だった
仕事がクソ暇すぎて仕事中に簿記の勉強をしたり、カルロスとひたすらメッセージをやり取りしだす
英語の動画をたくさん見出す
11月
あったかシーツ難民になる
誕生日と祝日を重ねて連休を取ったら東京のおじさんが亡くなる
ルルの目のことが不安で仕方なかった 粘膜の傷らしい
お兄ちゃんに久しぶりに会えてうれしかった
マーナ本社は綺麗だったし浅草はいいところだった 揚げ饅頭おいしかった
久しぶりに岩下さんに会えたのもうれしかった
本格的にマリッジブルーになる
宮野のライブチケットをゲットする
ブリティッシュアクセントを習得する
寒すぎてストーブを購入するも電気代とガス代がやばくて笑う
12月
宮野のコンサートに行って沼る
ゴキブリを退治する出来事が起きて、マイナンバーカードも作成した
ほぼ毎週末だれかに会い、体調を崩した
毎年同じ時期に体調を崩す
ブリティッシュアクセントがあるねと言われてうれしくなる
宮野にベタ惚れすぎてイブに名古屋へ行くことを決意
毎日宮野の動画を見るように
23は顧客のみんな、イブは宮野と名古屋でホワイトクリスマスイブ、当日は家族で過ごしてしあわせだった
見送りに行ったことは死ぬほど後悔したけど年末家族全員で過ごせてうれしかった
bye.
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hiraharu · 11 months
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スタッフの飼い猫ちゃんもくつろぐ、パシーマのキルトケット。医療用純度の脱脂綿とガーゼから作られています。
パシーマは、医療用脱脂綿を寝具に応用しようと考え生まれたシリーズです。中綿の脱脂綿、側地のガーゼともに医療用純度に高めたものを使用しており、清潔な上にやわらかな肌触りが特徴。世界トップレベルの安全な繊維製品の証「エコテックススタンダード100」を取得しており、アレルギーや肌にお悩みの方でも安心してお使いいただけます。
中綿の脱脂綿と側地のガーゼは吸水性、吸湿性、通気性に優れており、睡眠中に汗をかいても湿度を保って蒸れにくい作りとなっています。またシングルサイズで約930g、ダブルサイズで約1115gと軽さも特徴で、体にかければふわっとしたかけ心地のブランケットに。脱脂綿とガーゼは保温性にも優れているので、夏などはこれ一枚でお過ごしいただけます。
購入してすぐは少し固い印象があるかもしれませんが、洗うほど肌触りが柔らかく変化していきます。パシーマは洗濯機でそのまま丸洗いできるので、簡単なお手入れで清潔に保てます。また、使い始めの際も一度洗ってからご使用いただくとより柔らかな風合いになります。
お洋服や器などと違って、寝具は家族以外の人の目に触れる機会がほとんどありません。そのためついつい後回しに考えがちですが、毎晩ここで何時間も眠っているわけで、実は暮らしのアイテムの中で一番使用頻度が高いといってもいいのが寝具です。だからこそ、気持ちのいい、お気に入りの寝具と出会えると、毎日の満足度が格段に上がりますよ。
これからジメジメとした梅雨となり、その後は暑い夏がやってきます。パシーマのキルトケットで、夏の夜を快適にお過ごしくださいね。
パシーマ キルトケット https://wazawaza.shop-pro.jp/?pid=158036136
・・・・・・・・・・・・・・・ #パンと日用品の店わざわざ #わざわざ #wazawaza #パシーマ #キルトケット #寝具
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forslagdesign · 11 months
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「リネンときどき猫」
一年中リネンに囲まれていますが
最もリネンのありがたみを感じる季節がやってきました。
すでに今月入荷したものは
欠品してしまったアイテムも多いのですが...
いまさらながら改めてご紹介。
待ちわびていてくださった方も多かった
リネンナプキンとリネンタオル。
リネンタオルについては
キナリノモールではじまった連載の初回でも
語らせていただきましたので
お暇なときにでも読んでみてください。
https://kinarino.jp/cat2/46594
ちなみにこちらはその連載のために
撮影した���ネンタオルのアザーカット。
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今年から保護猫姉妹と暮らしはじめまして
猫用の食器を拭くのにもリネンタオルが活躍中。
きゅきゅっときれいに拭きあげられて気持ちいいんです。
猫用のタオルには2匹の名前の刺繍を。
もはや夫も読めなかったぐらい下手くそですが、分かればよし。
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うちのかわいい子たちをみせたい気持ちが前に前に出すぎてしまった写真。
ありがたいことにリネンタオルは残りホワイトのみ。
同じような用途で使えるサイズ違いのリネンナプキンは
まだ色もお選びいただけますので、こちらもぜひ。
ループはないですが、ハンカチとしてもよし
お弁当を包むもよしの使い勝手のいいサイズです。
お気づきの方もいるかと思いますが
リネンアイテムがまた値上がりしてしまいました…。
どうしたもんかと頭を抱えているわけですが、
リトアニアでもリネンの価格がどんどん上がっていて
そこに追い討ちをかけるように円安が続いており
値上げをせざるをえないという状況です。
私自身もノットさんが高級リネンのような位置付けになることは
まったく望んでなく、日常に当たり前にあるリネンであってほしいと
心から願っているので、値付けに関しては
店としてもできるだけ頑張っています。
しかしながらどうしても値上げは避けられず
大変心苦しいのですが、ご理解いただけますと幸いです。
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そしてリネンのプルオーバー!
昨年からずっと作りたかった形をようやく実現しました。
ありがたいことにホワイトとブラックは売り切れてしまったのですが
一押しサンドギンガムはあと一枚だけあります。
ご存知かつ持っている方も多いかと思いますが
これまで何度も販売していたルーズリネントップスに、
最強の普段着としてずっと愛用してきた
フレンチボーイフレンドリネンシャツの襟元を合わせました。
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ゆったりとしたシルエットは余白があって
風通しがよくて肌にまとわりつかずに夏でも快適。
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首元の風通しもよくて、着心地は抜群かと!
毎年一気に暑くなるゴールデンウィークに大活躍の予感です。
今年は旅行に行かれる方も多いと思うので
くるくるっとまるめて一枚持っていくと絶対使えるはず。
...GW直前のご紹介になってしまいましたが。
そして書ききれませんでしたが母の日におすすめの
肩がこらないショートエプロンも再入荷しています。
リネンのクッションカバーもまだまだお選びいただけますので
夏を迎える準備にリネン選びを楽しんでいただけたら嬉しいです。
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こちらもただ載せたかっただけの写真。
▶︎ not PERFECT LINENのリネンアイテムはこちら
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yebisucat · 2 years
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2022.7.24 エビちんは、涼しい場所を あちこち知ってるようです。 * 最近、眠りが浅いのもあって、 久しぶりに昨夜、 長編の夢を見ました。 夢の中では、私はまだ若く、 新人の舞台女優のようで、 オーディションに初めて受かり、 地方に巡業に来ているようでした。 その中で、別の俳優同士がトラブルになり、 一人が失踪という流れ… 詳細はもう覚えてないんですが、 とにかくバタバタしてて、 すっごく疲労感のある夢でした。 多分、これには原因が… * ウチは比較的、窓が多くて、 高台にあるので、 夜は風通しもよいと、エアコン無しで眠れるので、 それを期待して、眠りについたのですが、 無風で暑かったのでした(泣 恐らく、それが夢に繋がったと思われ、 同じ夢を見るなら、 快適な室温で、幸せな夢を見るべきだと言う結論に(笑 ではどんな夢が幸せなのか… * 私は、未だ見たことのない、 大切なだった、ダイちゃんの夢… ダイちゃんの夢が見たいのです。 一度も夢に出てきてはもらえず。 ご機嫌に 虹の橋の下で暮らしているのでしょうか… まあでも、病気もない空の上だと安心ですが。 しかし、約10年近く前のスマホのカメラと、 今のカメラだと全然画質が違いますね! ちなみにGALAXYで、当時は かなり画質がよかったのですけど、 時代は進んでいますね。 ダイも いい画質でたくさん撮ってあげたかったなぁ〜 * フルーチェと生クリームで、 冷たく冷やした朝のおやつで、 疲労感をリセット! ハーゲンダッツが溶けたような食感♪ 美味しいなぁ〜 みなさん、よい休日を。 * #朝のおめざ #フルーチェアレンジ https://www.instagram.com/p/CgYHi_9hjvH/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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mitsu-maru · 1 year
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Bleu
 記憶というのはポインタとデータで出来ている。いつからか、そのように僕は信じている。忘却とはデータの在り処を指し示すポインタを失った状態であり、データそのものは確かに残っているのだと。何らかの切っ掛けでポインタが復元された時、記憶は鮮やかに蘇る。たった今まで自分が忘れていたことにすら驚くほどに。紅茶に浸したマドレーヌは暮らしに満ちている。長く生きれば生きるほど、過去が未来よりも重くなるから。
 記憶のポインタは厳密な一対一対応ではなく、大なり小なり誤差が生じる。本来想起されるべき思い出の一部が欠落したり、少しずれた思い出が蘇ったりする。あるいは、なかった記憶が新たに生成されたりもする。これは僕が2022年11月20日の午後、「Solarfault, 空は晴れて」という本を読んだ時に生じた反応を元に生まれたテキストである。記憶というのは揮発性であるだけでなく発泡性でもあるから、1週間という時間は記憶を発酵させるに十分な時間だ。読んだ小説の感想文が新たな小説であっていけない理由はない。
 青い、作用の定かでない、おそらくはあまりよろしくない液体。小瓶。『ロスマリン』だと思った。図書館で借りたハードカバーの本だった。少年たちが夏休みに高層ビルディングを抜け出して旅立つ先は暖かい海だった。映像の中で少年と犬が白い浜辺を走っていた。オゾンホールが話題になっていた世紀末。姉はフロンが使われているという理由で旧型のエアブラシをゴミの日に捨てた。その頃、一度塗った色をCtrl+Zすることはできなかった。読み終えた本の感想をTwitterで検索することはできなかった。Amazonは夜中に切らしたPPC用紙を翌日の夕方に届けてはくれなかった。
 大学進学を機に上京し、僕は私鉄の駅から坂道を登って、サンドイッチ屋のT字路を左に曲がってどこかの企業の借り上げ社宅の側を抜けた先にある青いアパートで暮らした。とても青い家だった。九州から上京した人間には東京の日暮れは地球が丸いことを実感させるほどに早く、うどん屋のつゆはありえないほど黒かった。レンタカーで意味もなく夜の新宿を走り回って、ラーメンを食べた。殺人事件が起きそうな間取りの海辺の一軒家でペペロンチーノを作った。サークルに入って本を書いた。酔い潰れた関西人の介抱をしながら、寝言も関西弁なんだと妙に納得した。
 敷地の外れの外れに、今はないその建物はあった。自治の名の下にビラがばら撒かれ、インクの匂いが漂い、アニメソングが館内放送で流れるような建物だ。そういえばビラを配っていたあの団体も青という字を冠していた。季節を問わず週に一度僕たちは集まって、ただひたすらに話をした。それが僕たちの活動だった。生協の缶ジュースは少しだけ安かった。年齢も専門もバラバラな学生たちが、教養を無駄遣いしていた。時々真面目に小説を書いて本を作り、批評会で真剣に意見を交わしたりした。僕たちの掟はただ一つ、描き始めた物語を必ず完結させること。開い��物語は閉ざされなければならない。それさえ守れば何をやろうと自由だった。その頃茨城県でバケツで流し込まれた液体が青い光を放った。
 学園祭で小遣い稼ぎをするために部員総出で占い師の真似事をした。タロットカードから客が望む物語を紡ぎ出すのは即興小説の訓練だ、というのが建前だった。原価がただ同然の占い屋はなぜだかいつも大繁盛で、僕たちのサークルは本の印刷代には困ることがなかった。
「久しぶり」
 堤が話しかけてきたのは、夫の不倫を見て見ぬふりをしつつ、別れる決心ができないと悩んでいる女性の背中を押してしまった直後だった。
「俺のことも占ってよ」
「顔見知りのことは占わないようにしてるんだ」
 本当に占いがお望みなら、と後輩のテーブルを指差す。堤は肩を竦めて、三百円を支払った。後片付けを終えた後、二人でステーキを食べに行った。安くて硬い牛肉にニンニクと醤油でえげつなく味をつけた代物だが、その頃の僕らにはそれでよかった。紙エプロンに跳ねたステーキソースが抽象画のようだった。
「なんだ、その。元気そうだな」
「どういう意味だよ」
「別に」
「ああ、聞いたのか」
「聞いたとも。なんで教えてくれなかった」
「教えたからといって、何が変わるわけでもないだろう」
「そりゃあ、そうだけどよ」
「じゃあ、いいだろ」
 堤は煙草をくるくると回して言葉を探した。最後まで、出てこなかった。
 小さなゲーム会社でアルバイトをした。携帯電話で話をしながら深夜の住宅街を歩いた。千駄ヶ谷のモスバーガーが秘密基地だった。自分たちが作っていたゲームのことは欠片も好きになれなかったけれども、スタッフ同士で話しているのが好きだった。六本木のライブハウスには月一で通っていた。お目当てのバンドの対バン相手のファンが自分の周りで激しく踊り出して、つられて踊っていた。強い人が集まる、という噂のファミリーレストランに自転車で乗り込んでカードゲームの対戦を挑んだりした。初めて中央特快に乗って八王子まで行った。
「で、いつ?」
 帰りの電車は適度に混んでいた。冷蔵庫にマグネットで貼り付けたメモのことを思い出した。換気扇の調子が悪いから業者に連絡すること。そうメモしてから何ヶ月が経っただろう。その頃僕はもう自炊することを止めていて、冷蔵庫には赤ワインとチーズしかなかった。黒い服ばかり選んで着るようになっていた。たまたま見つけた美容院の美容師と気があって、好きなように自分の頭を作品にしてもらうことしていた。この時は確か、虎をイメージした金のメッシュの入った黒髪だったと思う。ギターなんて一度も弾いたことがないのに、スタジオを借りてエアバンドのアー写を撮った。悪ノリしてロゴも作った。
「まだ決まってない。決まっていたとしても、お前には教えない」
「そう」
 エアバンドのベースは、本当のベーシストだった。本当はギターが弾きたかったらしいが、手が小さくてコードがうまく押さえられなかったんだと笑っていた。雷と餃子で有名な街から、時々都内に遊びに来ていた。常軌を逸した方向音痴の彼にとって、乗り換えはいつだって至難の技だった。コンピュータグラフィックスを専攻していた彼を、八王子の某大学の教授のところまで無事に送り届けるのが今日の僕のアルバイトだった。この頃のインターネット回線はZoomで面談するほど力強くもなく、クラウド環境はGitHubで自分のポートフォリオを公開できるほどではなかったから、修士論文の指導をしてもらうために直接会いに行く必要があったのだ。
「お前がいなくなるのは嫌だなあ」
 そんなことを面と向かって言われたのは当たり前だが初めてだった。正直少しだけ心が揺らいだ。努めて僕は平静を装い、東へとひた走る列車の窓から外へと視線を移した。刻一刻と時は迫っていた。冬が始まっていた。セーターの袖を鼻に押し当てた。
「バンドはエアなんだ。ギタリストがいなくたって、やっていけるさ」
「エアじゃなかったら、よかったのにな」
「そうしたら、ツアーには必ず宇都宮を入れてやるよ」
「絶対MCでいじられるやつじゃないか」
 東武線の駅の側、一階が物販になっているライブハウスを幻視する。もちろんバンドはエアなので、歌詞も曲もない。それでもステージの上で僕たちは青いライトに照らされていた。ライブの後半で必ずやる定番のバラード曲を歌えば、正確にハモってくれるという信頼があった。電車が新宿駅について、ベーシストと一緒に湘南新宿ラインのホームまで歩いた。
「それじゃあ、またな」
「ああ。今日はありがとう」
 手を振って僕らは別れる。僕には、これが最後だと分かっていた。携帯電話が鳴る。新宿駅は人が多すぎて、誰も僕のことを気にも止めない。運命が僕を迎えに来る。もうすぐだ。こうして世界は分かたれる。
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yachch · 1 year
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新刊『光や風にさえ』試読
プロローグ アサイラムにて
 おぼえているかしら、ねえさん、裏庭にあったブランコのこと。古びたユーカリの木の枝からぶら下がっていた。嵐の晩にどこかへ飛ばされてしまって、どんなに探してもみつからずに、枯れ葉の下で朽ちて、土に還っていった。  妹の声がよみがえってきたのは、シャワールームにいるときのこと、わたしはバスタブに寄りかかってシャワーの水があたたまるのを待っていた。給湯器の調子が悪くて、適温になるまで何分もかかったから。わたしは両足を開いて床に座り、陰部にできたしこりをいじっている。クリトリスを挟むようにできたしこりは痛みこそないけれど、時間をかけ、ゆっくり成長している。  妹とは夕方に十五分くらいビデオ通話で話した。電話代だってばかにならないのに、水曜日になるとかならずかかってくる、儀式めいたもの。でも、このところの彼女は、どうにも歯切れが悪く、あたりさわりのない話題ばかり選んでいるようだ。衛星がぐるぐる回るように、迂遠な語りばかり重ねている。だからふたりの会話はいつも迷走して、着地点を見失って終わる。頻繁に話しているわりには印象に残りづらい、無意味な語りかけは、けれどもトゲのようにわたしの胸に刺さった。  かつて家族で暮らした一軒家には、たしかにユーカリの木があった。赤土にどっしり根を張り、枝という枝からボロ布のようにウスネオイデスをぶらさげていた。けれども、その枝にブランコをぶらさげたことは一度もなかったと記憶している。妹と一緒に暮らす両親すらおぼえていないと言うのなら、もうたしかめようのないことだ。火の不始末で、わたしたちの生家は祖母ごと燃えてなくなってしまったことだし。  でも、たしかめようがないからこそ、おぼえているかしら、と妹は語りかけてきたのかもしれない。記憶という本来わかちがたいものを共有したいと思い、願ったから。不幸にもその記憶はだれにも受けとめられず、宙に浮いてしまった。蓋然性を失し、空想の、あたかも物語であるかのような語りに変質していった。ただ生きているだけの、とるにたらない人間の記憶の正誤など、いちいち検証してはいられない。記憶を共有する誰かが、たしからしいと証明しないかぎりは。だから、記憶を共有できないというのは、物語と区別がつかなくなることに近しいのではないか、とわたしは思う。  眩暈が波のように押し寄せてくる。貧血からくるそれを床に伏せてじっとやり過ごす。気を取り直して、シャワーが適温になったことを手のひらでたしかめた。  バスタブに入り、半身に湯水を浴びて、肉体の痛みがどこか遠い場所に去ってくれることを期待する。湯気にかすむ天井をぼんやりながめていると、ふと、半年くらい前におなじ体験をしたのだ、ということに思い至った。あのときの彼女も、わたしに対してこのように語りかけた。Tal vez te acuerdes(おぼえているかしら)、と。耳朶に直接吹きつけられたかのように、息づかいや吐息の熱とともに、なまなましくよみがえるその声。  泡沫のように予期せず浮かび上がってきた記憶が、異なる記憶と共鳴し合い、痛みからの逃避を求めるわたしをその渦に飲みこんでいく。  ――きっかけはロドリゴだった。半年ほど前だったか、彼から電話がかかってきて、たまたまそれを受けた。テニュア審査に落ちた彼が市内の別の大学に転籍するのと、わたしが自分の研究室を閉めたのはほぼ同時期で、以来、一年半にわたって彼からの連絡を無視していた。だからわたし電話口に出ると、彼はとてもびっくりした。  彼は興奮ぎみに近況を話し、非常勤講師としてなんとか食いつないでいると言った。わたしはすでに大学を退職していたけれど、自分からは話さなかった。用件はこうだ――調査に同行してくれる日本語通訳者をさがしている。  たしかにわたしは日系三世で、日系移民の帰国事業を見越して親も桂(ケイ)なんていう日本的な名前をつけ、日本語の教育を受けさせた。でも、第一言語は彼とおなじスペイン語で、妹ほど流暢にはしゃべれない。正直にそう話すと、いいから、とロドリゴは言った。実は、日系移民の女性に会いに行くんだ。貴重な一世さ。スペイン語が通じなかったとき、ちょっと手助けしてくれるだけでも――本音をいうと、きみに会えるかもしれない、ってのがうれしくてたまらないんだ。ロドリゴの声は弾んで、涙まじりだった。すこし前だったら、不愉快になっていたかもしれない。あなたが想像したり、ときに期待したりするほど、あっというまに死ぬわけじゃないんだと嫌味を言っていたかもしれない。でも、電話に出る気になったのと同じ理由で、わたしは柄にもなく浮かれていた。病気が寛解し、経過観察になったから。血流に放たれたエクソソームが臓器を耕し、いずれはまた悪いものの芽を生やすとしても、たとえいっときでも心身をどろどろにする化学療法から離れられた。  ロドリゴは以前とかわらず、『トラタミエント』と呼ばれる処置を受けた臓器提供者たちの追跡調査を続けていると話した。くだんの日系移民の女性もそのひとりだった。長く非合法の臓器提供者として生計を立て、その最後の段階として、いまは心臓の提供先を探しているという。わたしの祖母と世代が近く、長く市内のア��イラムで暮らしているとの話で、どこかで祖母とかかわりがあったかも、と考えたことをおぼえている。昔からここに住んでいる日系人はめずらしかったので。  約束をとりつけて、数日後には彼女のもとに足を運んだ。彼女の暮らすアサイラムまでは、最寄りのバス停からけっこう距離があって、何度も階段路地をのぼったりおりたりするはめになった。歩きながら、ロドリゴは飼っているデグーの話をした。わたしは適当に相づちを打ちながら、どうしてこのあたりはこんなに臭いんだろうと考えていた。アサイラムは移民街のなかほどに位置していたが、腐った歯のようにバラックが密集して、有機物の発酵しゆく臭いが充満していた。  さんざ迷った末に目的地に到着し、受付にいたアサイラムのスタッフに彼女の所在をたずねると、あのひとならいつも中庭よ、と言われた。日陰で根を生やして、じっとしているはずよ。案内された中庭は狭く、きたならしかった。年老いた女性が地面を転がりながら煤けた肌をかきむしっていた。なにをそんなに恐れているのか、ずっと声を震わせながら怒鳴っている男性もいた。でも、大抵のひとは、死んだように目を閉じて、その場でじっとしていた。コントロールしやすいように毎日多量の鎮静剤を与えて、市街からかき集めてきた浮浪者や精神異常者を押しこめているから。公的給付金を得るためだけに運営される福祉施設のひとつ。  狭い中庭をロドリゴは歩き、すぐひとりの女性に目をつけた。大柄な彼の影にすっぽり収まってしまうくらい小柄な女性で、膝を抱えて座りながら、じっと地面の一点をみつめていた。  ――なにをみているんですか?  地面に膝をつき、ロドリゴが問いかけるが、女性はひび割れたタイルを凝視するだけで答えない。まばたきをしないので、眼球がすっかり乾いて、充血していた。目許には脂(やに)が溜まって複雑な地層をなしていたことをおぼえている。  ロドリゴがしばらく無意味な呼びかけを続けていると、屋内からスタッフが出てきて、備えつけのホースで水をまきはじめた。ロドリゴがさっと立ち上がる。彼女の隣には排水溝があって、地面の傾斜に従って水がそこに流れていった――でも、彼女はくるぶしまで水に浸かっても平然としていた。みじろぎひとつせず、修行僧のようにじっと座り続けている。  事前に渡された診断書には、彼女が多数の臓器を喪失している事実とともに、認知能力が極端に低下していることが記載されていた。くずれゆく脳では記憶が更新されず、判断力と遂行力も消失する。外界からの刺激に鈍くなっていた。  スタッフがおもむろに歩み寄ってくる。水の通りが悪くなったのか、排水溝に引っかかるものをつかんで放る。  放り投げられたものは、偶然、彼女の目先に落ちた。  すると、はだしの指の先が、ぴくりと動いた。  彼女はまぶしそうに片目をすがめると、ささやくようにこう言った。  ――あれは蘭。アングロアの根。  何年ぶりかに話したかのように、声はかすれている。  ロドリゴはかすかに身じろぎし、前のめりになると自然と傾聴の姿勢をとった。彼女はスペイン語を話しはしたがひどくなまっていたので、正確に聴き取るためには用心深く耳を澄まさねばならなかった。  ――もともとは寒いところの花……だから、低地で育てると夏越えができなかった。毎年そうだ��た。  それだけ言うと、また押し��ってしまう。  ――蘭を育てたことがあるのですね。私の実家の裏庭にも、原種の蘭がたくさん咲いていましたよ。  彼女の目線の先にあるものは、たしかに植物の根のようにもみえた。腐ってカビが密集し、もとが何だったのかは判別がつかなかったけれど。  ――私の家の庭には、アロエやベゴニアがあって……それから。  意外にもしっかり会話がつながったことにおどろいていると、彼女はゆっくり顔を上げ、相手と目を合わそうとすることさえ試みた。  でも、視線の先にいたのは話しかけたロドリゴではなく、どうしてかわたしった――彼女は表情らしき表情を浮かべていた。不自然に顔をしかめるだけだったが、驚愕ともとれた。  ――おぼえているかしら?  口の端にほほ笑みをにじませ、彼女は語りかけた。分かちがたく、不可侵の記憶の一片を、わたしが受けってくれることを願いながら。  ――わたしの庭に蘭があったこと、おぼえているかしら、アングロアの、赤ん坊の花。  あとになってわたしは思う。もしかしたら、あの瞬間、彼女はみずからをとりまいていた深い暗闇をぬけだして、くずれゆく自己をほんの一片でもつかみとったのかもしれないと。  この不可解なできごとを前に、ひとつ思い出すものがある。  いつかSNSで拡散されていた、ある動画のこと。再生をはじめると、どこかの高級な養老院とおぼしき明るいホールが映る。そこでは老人たちが談笑しており、カメラのレンズはそのなかのひとり、車椅子に座った老女に近づいていく。赤子のように無垢な目で虚空を眺めていた老女は、ホールに音楽が鳴り出すやいなや、不自由な上半身を繰って、何とも生き生きと踊りはじめる。見間違いようもなく、アルゼンチン・タンゴのふりつけで。タンゴは足さばきに目がいきがちだが、軸が置かれるのは上半身だ。上半身の動きがあってこそ、複雑なステップが生まれる。だからこそ老女が上半身をよじり、そらすだけで、タンゴという共通言語をもつ者の目には自然と優雅な足どりが浮かぶ――動画の最後には、老女がかつて一世を風靡したアルゼンチン・タンゴのスターであり、現在は深刻な認知症で自分の名前すら思い出せない旨が記される。奇跡の数分間。でも、そのうつくしい再現はけっして奇跡の賜物ではないことをわたしは知っている。単に彼女が長い時間をかけて軟骨をすり減らしながら、必死にタンゴのリズムを身体に記憶させたという証左でしかない。身体記憶は、自我や認知とは異なる場所に保管されるものだから。ゆえに自分の名前を忘れても、タンゴは忘れないという不可解な状況も成立する。  だから、彼女はあの腐った根をみて、土をいじる感触、花と緑葉の香りを想起したんじゃないだろうかとわたしは想像する。身体記憶をきっかけに、ほどかけかた自己が偶然にも結び直されて、泥河に沈んでいた物語に光が当てられたのではないかと。  そうでなければ、説明できないとも思う。  ――だいじょうぶ、ちゃんとやるわ、私。あなたのためなら、心臓をあげたってかまわない。約束したものね。  ――約束って?  ロドリゴの質問に、彼女は穏やかに話した。  ――仏さまに近づけるって、あなたが言ったんじゃない、マヤ。  ――マヤって?  ――私の娘。そうでしょう?  わたしはとっさにかぶりを振る。  すると彼女は語りはじめた。  真偽不明で信憑性に欠けた、一編の長い物語について。
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daishi-hamada · 1 year
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愛知県は大府まで出張に行ってきました。 写真は向かう途中にある遠州森町PA。 毎年1,2度はお仕事頂いており、今回このデリカD5で向かうのは初。 都内に行ってから大府に向かうルートで約400km6時間の移動。 こんなに長距離で乗り心地がどんなものか楽しみだったのですが、快適!非常に良かった! 一緒に向かった撮影仲間達からも好評で、ゆったり運転できる感じが良いとの事。 後部座席も広々使えるのでゆったり過ごす事ができ、文句無しでした。 高速での走りも良く、帰りにガソリン満タン入れて都内まで走り、到着した時点で後300km以上の航続可能距離が表示されててびっくり! また大府帰れそうな勢い(笑) 途中渋滞もあったりでしたがレーダークルーズコントロールシステムのお陰でアクセルやブレーキを気にせず運転出来て楽ちん。 以前のアウトランダーPHEVの時よりも性能が良くなっていたので余計に気楽に運転を任せられました。 乗れば乗るほど良い車だなぁと実感。 ちなみに、今回の出張での行く先々で色んなデリカ乗りさんと遭遇しつつ、色んなカスタムされてるなぁと興味津々で見入っていましたw ・ ・ #landlic #ランドリック #landlicマッドフラップ #マッドフラップ #デリカマッドフラップ #wedsmudvance06 #mudvance06 #ウェッズ #ウェッズマッドヴァンス06 #トーヨータイヤ #toyotires #toyotire #delica #delicad5 #デリカd5 #デリカ #デリカにこだわる #デリカのある生活 #デリカのある風景 #デリカd5のある生活 #デリカ好きな人と繋がりたい #デリカのある暮らし #デリカ愛が止まらない #daishidelicaphoto #vanlife #バンライフ #デリカバンライフ #乗り心地最高 #長距離ドライブ #出張撮影 (遠州森町パーキングエリア) https://www.instagram.com/p/Cj5CRkKvV4o/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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violence-ruin · 2 years
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罪なる庭で(at the orchard of redemption)
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 錆びた柵のむこうで、檸檬の樹たちが未熟な実を揺らしていた。
 私は鉄扉をくぐり、果樹園に入る。午後の光はこの先にある真夏の烈しさを忍ばせ、僧衣に隠れていない部分が灼けて痛む。
 歩いているうち、鮮やかな黄色が目を刺した。
 ある一つの樹にだけ熟した果実が生っている。その側に立つ影は樹にほとんど同化していた。
「リーマスさん」
 名前を呼び掛けると、男は顔を上げてこちらを見た。
 葉影に紛れて、顔はよく見えない。灰色のものが混じる髭の中に、謹厳に結ばれた唇が見える。後退した額に生え残っている髪が、水鳥の冠羽のように輝いた。
 いつ見ても、ゴーレムだとはとても思えない。しかし、身に付けている黄色い衣が、彼が罪人であることを証明している。
「七月になりましたよ。今日はいいものを持ってきました」
 ちいさなベンチを目の前に置いた。普段なら、この果樹園を訪なう信徒たちが休めるよう、木陰に置いているものだ。リーマスさんの視線がゆっくりと私と椅子の間を往復した。
「座ってください。見てるだけで疲れちゃいます」
 ちょっと待ってみたけれど、動く気配はなかった。私は大仰に肩をすくめ、収穫に取り掛かる。
 呪刑官のつくるゴーレムには、人間にあるはずの微細な動きがない。微かなみじろぎ、呼吸による胸の膨らみ、眼球の震え、鼓動。それらが欠落した身体は、外見が人間らしいがゆえに違和感を与えたが、次第に慣れた。
 帰ろうとしたところで、唸り声が聞こえた。
「ゴーレムは疲れない。学校で習わなかったか」
 足を止めて振り返った。木漏れ日のなかで、リーマスさんは不機嫌そうに私を睨んでいた。
「疲れない。快適そうですね」
「感覚がないんだから快も不快もない」
 果樹園を出て聖堂へ帰ると、呪刑官が説教台の前に座っていた。私は、今日の分の収穫を渡した。数を確かめると無言で頷き、足早に立ち去った。
 呪刑官がここへやってきたのはつい先日のことだった。聖堂の裏の果樹園を使用する、という決定事項を伝えに来たのだった。そして、いちばん魔術への耐性が高い私を管理者に指名した。
 罪果の採集が聖堂で行われるのは、聖職者たちが生まれつき魔術を拒絶する体質を持っているからだ。果樹園には呪刑官たち自身が入れなくなるほどの強い防護の呪文を幾重にも張る。聖職者なら、中に入ることができる。
 あの檸檬の樹の根本には、リーマスさんの身体が埋まっている。魔術を掛けられた樹が、彼の記憶を吸い上げ、結実する。ひとつひとつに宿主の記憶が封入されたその実は罪果と呼ばれ、呪刑官のみが口にすることを許されている。呪刑官は、その果実に封じ込められた記憶を追体験し、真実を得る。
 私の仕事は、罪果を余さず採集して呪刑官に渡すことだった。
 *
 ミサが終わり、鐘が鳴る。信徒たちは立ち上がり、世間話に興じながら帰っていく。
 首都から遠く離れたこの聖堂を訪れるのは大体が地元の人々で、近所の大学からも学生が訪れる。彼らの卒業と入学で年月の経過を感じる。今年も、新しい顔がちらほらと見えた。
 回廊を巡りながらステンドグラスや聖遺物たちを眺める彼らを横目に、燭台を倉庫へと運んでいると、後ろから声を掛けられた。
「あの、すみません」
 顔を上げるとくろぐろと濡れた瞳がこちらを見ていた。新入生だろう。
「果樹園には誰でも入ることができると聞いてきたのですが、門に鍵がかかっていて」
「ああ」
 間の悪いことだ、と内心でため息をつく。
「今年は開けてないんです。ものすごい毛虫が出て、葉がダメになっちゃって。前までご案内することはできますけど」
「そうなんですか」
 青年は微かに目を伏せて、残念です、とだけ言い残し、出口へ歩いていった。申し訳ないなと思いながら、私は果樹園へと足を向けた。ちょうど収穫の日だ。
 リーマスさんはいつものように檸檬の木の下に立っていた。ベンチには土埃が付いている。
 収穫しながら、私は理髪師よろしく話しかける。
「息子さん、元気にしているといいですね」
 リーマスさんは首都に住んでいた。魔術師として警備に従事しながら、かつての恋人が遺した子どもを預かって、つましく暮らしていた。
 恋人は人狼との間に子供をなしていた。性徴期を迎えた子供は狼と化し、何人かの市民を襲い、郊外の家畜を殺害した。狼化を抑制する措置を怠ったことについて、リーマスさんは既に罪を負っている。
 子供の行方は分かっていない。リーマスさんが何か手を回して逃がしたことは明白だった。リーマスさんは、自分に口止めの魔術を施していた。呪刑官たちが束になって記憶の錠をこじ開けようとしても、だめだった。言葉か、物か、音か……何が鍵になっているのか、わからなかった。
 だから、からだに檸檬の樹を植えられ、魂を土人形に移し替えられた。呪刑官たちは血眼になって記憶を暴いている。
 蝉の声を聞きながら果実を籠へ放り投げていると、珍しくリーマスさんの方から話しかけられた。
「きみは、魔術を感じられないんだな」
「ええ。見えず、聞こえず。目の前で死の呪文を唱えられてもへっちゃらですよ」
 返答はなかった。私は、リーマスさんとの会話が途切れることを気にしなかった。
 高いところにある実を取ろうと、必死で脚立から腕を伸ばした。どうにかもぎ取った実を満足しながら眺めていると、葉擦れと蝉の声の間に小唄のような呟きが聞こえた気がした。呪文だと思った。告解の典礼文であることに思い至るまでに時間を要した。
 硝子玉の瞳が、脚立に座る私を見据えていた。
「あの子は、人狼であるだけでなく、きみと同じ体質だった」
 私の手から、檸檬が落ちて転がった。
 魔術が効かないということは、魔術による防疫や治療を施すことができないということだ。市居の人々は日常的に地域の治療師たちから病除けを受け、治療を施してもらう。でも、私たちは自然治癒に任せるしかない。
 魔術が身体をすり抜けていく子どもたちは親元から引き離され、教会のもとで保護される。私は孤児院からそのまま修道院へ移った。けれど、人狼の子供がこの体質だったら、どうなるのだろう。魔術によってしか抑制できないのだ。
「あの子を手元に置き続けたのが間違いだったんだろう。何も手を打てなかった。人狼の形質が発現したと疑うべき状況に直面しても、まだ信じられなかった。見て見ぬふりをしたんだ。
 罰せられるべきはおれだ」
 孤児院を脱走して下町で吸血鬼に噛まれたという腕白な男の子がいた。その子の姿を二度と見ることはなかった。
「あなたは、息子さんに逃げてほしいのですか」
 リーマスさんは目を伏せた。
「時間をやりたかっただけだよ」
 *
 八月になるころには、新しい実が付かなくなっていた。
 おそらく、そろそろ記憶が尽きるのだろう。その後で、リーマスさんにはどんな裁きが下るのだろうか。  
 ミサの準備をしながらそんなことをぼんやり考えていると、いつのまにか告解の時間になっていた。
 落ち着かない気持ちで告解室に座っていると、控えめに戸が開いて、信徒が入ってきた。
 仕切りを開くと、ちいさな手が隙間から覗いた。
 互いに誦唱を済ませると、相手は凛とした声で話し始めた。
「司祭さま。ぼくは人を傷つけました」
 言葉が途切れる。無言で続きを促すと、手が服の裾を掴んだ。   
「無意識でした。最初のときは、何が起きたのか分かりませんでした。ふと意識を失い、次に目覚めたときには見知らぬ家に血塗れで立っておりました。何が何やらわからぬまま、手頃な服を奪い、家へ帰って血を落としました。それから何週間か経ち、今度は家畜の骸たちの中に立っていました。そういうことが何度か続きました」
 聞き覚えのある声だった。残念です、という声の響きとともに、黒い瞳を思い出した。
「父には心配を掛けたくない一心で、黙っていました。でもある日、父はぼくを鍵の掛かった部屋に入れました。
 窓から、円い月が見えたことだけを覚えています。
 次に目覚めたとき、部屋の鍵は開いていました。父からの置き手紙には、長期の出張へ行くから南に住む知り合いのもとへ行くように、と書いてありました。
 その方は、ぼくを快く迎えてくれました。でも、満月の夜になると、ぼくに強い睡眠薬を飲ませて、外から鍵の掛かった部屋に閉じ込めます。
 父が逮捕されたと知ったのは最近です。
 ここまで、檸檬の植えてある教会を訪ねてきました。父は、よく檸檬を買ってきたものです。檸檬の樹が沢山生えているところで生まれたからだと、南を訪れてはじめて知りました。父の魂が選ぶ果物は、檸檬の他ないはずです」
 指から力が抜け、裾がぱさりと音を立てて落ちた。
「果樹園を見せて下さらなかったのは、この聖堂だけです。持ち出した睡眠薬は先月の分で尽きました。せめてこのミサだけ最後まで聞かせてください。そうしたら、呪刑官のもとへ出頭します」
 少年は、静かにブースを出ていった。
 引き戸に何かを挟まれたのか、私は外へ出ることができなかった。入れ替わりに告解をしにきた信徒に事情を話してこじ開けてもらったけれど、記憶の中の姿はあやふやで、聖堂のどこにも見つけることができなかった。
 途方に暮れて、果樹園へと向かった。けれど、リーマスさんを見た途端、来たことを後悔した。何も言えるはずがなかった。
 踵を返そうとしたが、肩を掴まれて振り向かされた。私がいつまでも目を合わせないでいると、腕に食い込んでいた指の力が抜け、腕が力なく垂れた。
 リーマスさんは私の手を引いてベンチに座らせ、自分も隣に腰を下ろした。
 はじめて書店に連れて行ったとき、とリーマスさんは話しはじめた。
「あの子は自分で絵本を選んできた。変わり者の吸血鬼たちの話だ。人の血を吸う代わりに、檸檬の実を齧って飢えをやり過ごすんだ」
 ミサが始まる時間だった。鐘の音が遠くから響いてきた。それが止むと、鳥と蝉の声ばかりがあたりを満たした。
「おれに見えるのは青い炎だけだ。樹も、果実も、同じ色に燃えて、おれを焼こうとしているみたいだった。この果樹園でほんとうの色を纏っているのは、きみだけだった」
 リーマスさんはそれきり何も喋らなかった。私は目を閉じて、冷たい炎に包まれた果樹園を想像した。けれど、再び目を開けると、そこには元通りの世界があった。枝葉と果実の緑が陽光のなかで燃え立ち、蝶の羽が鬼火のようにひらめいた。
 私たちはそのまま、ミサが終わるまでとなりに座っていた。
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nakatateyama · 1 year
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『Day2333-5-355』 Yes, we are open til dark. The room is now warm and cozy. 本日も開店! あっ、今夏の大地の芸術祭終了後、管理棟2階の快適化計画を推進してまいりました。 椅子と机あります!暖かいです! 以前はどんなだったか聞かないでください笑。日々、進歩。 先日のこと。 あおがももにふざけてパンチを見舞ったとき。 人類の非暴力化を心より願うももの表情がスゥーっと変化した。 説教が始まるか!と僕が身構えると、ももが真剣な表情で話し始めた。 「あおくん、グゥーパンチは親指を握りしめたらダメ。そう、こうやって、親指は外に出して握るの。じゃないと、強いパンチ打ったとき、自分の力で親指の骨折れちゃうから」。 うーむ、なんと的確なアドバイス。あおがパンチを繰り出したとき、瞬時に握りを確認していたとは笑。 そう、ももも、ボクシング好きの父ちゃんにしっかりと感化されているのだ。 「井上くんにはもう無駄な試合している時間なんてないから、どんどん強い相手と戦ってほしい」と、この間も言っておりました笑。 ただ、非暴力を願うももはもものままであります。 #rurallife #slowlife #notslowlife #countrylife #snowcountry #田舎暮らし #スローライフ #ノットスローライフ #5歳 #fiveyearsold #あおの棚田米 #移住 #コーヒーとタープ #自家焙煎 #microroastery #microroaster #古民家リノベーション #古民家暮らし #yabukozakioutdoors #やぶこざきキャンプ場 https://www.instagram.com/p/ClSPcsWve3l/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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