Tumgik
#吹き付け断熱
yes-keita · 1 year
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ご見学可!😍 何層もスプレーして、スキン層を何枚も重ね合わせた、断熱材気密性能! #シティーボーイカントリー7 #おれんち風味 #おれんちフレーバー # #八幡平市産 #八幡平産 #メイドイン八幡平 #岩手県産 # #八幡平市 #二戸市 #一戸町 #滝沢市 #雫石町 #盛岡市 #岩手町 #盛岡 #雫石 # #ファースの家 #一戸建て #新築一戸建て #吹き付け断熱 #吹付断熱 #エアクララ #断熱気密 #断熱材 #硬質ウレタンフォーム #小屋裏エアコン #全館空調 #全館空調の家 #熱交換換気システム  (Hachimantai-shi, Iwate, Japan) https://www.instagram.com/p/Ck08J7ehRp5/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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delicissors · 2 months
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5年間、たくさんの失敗を重ねた北川さんは、2016年10月のある日、地元のイオンモールのパン屋さんでフランスパンを目にして、閃いた。 「フランスパンって外側は硬いのに、中身はフワフワで芳醇だ。しかも、オーブンに入れたら自然に膨らむ。この構造を使えないか⁉」 にわかに頭が高速回転を始める。パズルのピースがカチカチとはまっていくように、テントシートに空気を送り込んで、内部に断熱材を吹き付けるというアイデアが思い浮かんだ。
体育館に「おうち」ができた…能登半島地震で大活躍する「1棟1万円」の簡易住宅を作った大学教授の使命感 原点はドラゴンボールの「ホイポイカプセル」 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
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kennak · 2 months
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#モヤっとした話 2023年の年末の出来事・・・ 先ず 2022年の秋頃に2階のエアコンの冷房の効きが悪くなったので購入したケーズデンキへ修理の依頼をする。 ↓ ケーズデンキから委託された電気屋?が来る。 室外機と室内のユニットを見て(本当に目視しただけ)吹き出し口の風に手をかざして、 ↓ 電「こんなもんですよ。それにこのエアコンの容量じゃあこの広さは冷やせませんよ」というので、 ↓ 俺「この空間が冷えないと言っているのでは無くて、吹き出し口から出る風が冷えないと言っているのだけど?」と言ったのだが、 ↓ 電「いやぁこんなもんですよ」の一点張り。 ↓ 俺「漏れやガス圧を測ったり有料でも良いからガス補充とかしないのですか?」と聞いても、 ↓ 電「いやぁガス圧を見るまでも無くガスは入ってます!(キリッ)」と言い切って何もしない。 ↓ (そもそも工具を持ってきていたのかも怪しい・・・)で納得いかなかったが出張費用数千円を現金で支払う。 ↓ 1階のエアコンを替えたばかりだったので、サーキュレーターを買ったり、各部屋に冷風扇を買ったりしてゴマかしながら2023年の夏までは乗り切った・・・のだが、 連日真夏みたいな暑さが続いていたのが11月末から突然寒くなり、寒さに弱い妻が耐えられずに発狂! もうエアコンを買い直すか色々考えていたら、ウチで加入している保険が修理だったら出る(買い直しは出ない)事が分かった! ↓ ダメ元でコールセンターに電話し��コールセンターが修理業者を手配する。 ↓ 数日後、委託された電気屋?が来る。 その業者が室内ユニットを見て一言、 ↓ 電「このエアコンの容量だとこの広さを冷やしたり温めたりする事は無理ですね」と・・・。 ↓ 俺「イヤ、吹き出し口の風が生風(冷暖房されていない風の事)の事を言っているのであって、部屋全体をどうこう言っているのでは無い」と返答。(コレはお決まりのセリフなのか?) ↓ 今回の業者は室外機のカバーだけは外して暫く見ていた(この業者も見ただけ)その後自分に ↓ 電「これは減圧弁の詰まりですね(キリッ!)」 ↓ 俺「え!減圧弁って車で言うエキスパンションバルブの事ですよね?この状態は詰まりとは違うと思うのですが?ガス圧を見たりガスを規定量入れ直してもらえませんか?」 ↓ 電「いやぁ減圧弁がこれだけ熱くなっているので間違い無いです(キリッ!)」 ↓ 俺「そうですか。じゃあソコを替えれば直るんですね?」 ↓ 電「ハイ!ただ部品があるのか調べるのでメーカーに確認してからですね。無かった場合は残念ですが修理不能という事で。生産されてから10年経っているのでココだけ直しても他の部品もガタがきてるんですよね〜」 ↓ 俺「じゃあメーカーからの返事待ちと言う事ですね?」 ↓ 電「そう言う事です。また連絡します」 ↓ そう言ってで室外機のカバーを付けて帰る ↓ 数日後、電気屋?から電話が掛かってきて ↓ 電 「先日メーカーに問い合わせた所、一度確認したいとの事なのでお伺いしても宜しいですか?」 ↓ 妻 「どうぞ」 ↓ 電気屋?がメーカーのサービスを連れてきて早速エアコンを確認。その結果が・・・ ↓ メーカー 「この症状はガス漏れですね」 ↓ 電 「えっ?減圧弁じゃぁ・・・」 ↓ メーカー 「いえ、ガスが殆ど入っていない状態でしょうね」 ↓ と言って、室外機と室内ユニットのカバーを手際良く外して、ガス圧チェックとガス漏れの場所をリークテスターで調べ始める。 ↓ その結果、室内の熱交換器から出ているパイプの溶接部分か��漏れていたのが判明! ↓ メーカー 「コレは少し前から徐々に漏れていったと考えられます。それで少しずつ効きが悪くなっていっていると思います」 ↓ 妻 「去年もケーズデンキで調べてもらっても異常無いって言われたんですよね。今回も減圧弁が悪いからと言われて」 ↓ メーカー 「それは〇〇電気(今来ている電気屋?)さんの判断ミスですね(キッパリ)」 ↓ 妻 「え〜・・・」 ↓ メーカー 「熱交換器を取り換えます。部品の手配に少々時間がかかると思いますので、ガスを補充しておきますね。部品が来るまでは充分持つと思いますので。他の部品は全然元気に動いているので部品がある間は修理した方が良いですね」 ↓ 電気屋?知らん顔 ↓ 手際良くガスを補充してカバーを取り付けてエアコンを作動させると、今までのがウソみたいに冷風も温風も出てくる。 こんな事が年末年始にあったのだが、どの業界でもユーザーの話をロクに聞きもしない、工具もテスターも使いもせず「こんなもんですよ」と言う業者はやはり信用ならない事を痛感した。 サーキュレーターと各部屋に買った冷風扇風代で結構高い勉強代になった・・・。
Xユーザーの筑後車輌基地さん
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retepom · 6 months
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推しが好きだと叫びたい[Vol.007]
 お久しぶりです皆さん。狂気の記事が帰ってきました(約7ヶ月ぶり7回目)。単行本17巻18巻は勿論読まれましたね?そうでなければこんな記事は開かないはずだ。そうだな??改めて今ループの活躍目覚ましく表紙にも連続起用される推し…クリード=デッカード(少尉)について語り散らしていきたいと 思うわけです。これまでの歩みはVol.001〜006をご覧ください。今までも頭おかしくなっちゃうくらい語っていますけれど、今ループの活躍は本当に…大丈夫か?となる。大きく戦争編と宇宙編に分けて話しますが長尺記事になるので連休で暇を持て余している方推奨です。
【戦争編】
ブロージャ紛争における情報量があまりにも多くて毎回毎回フォロワーさんに安否確認をされていたような気がします。それはそう。
▷No.145 IN THE WAR
ボイド=ボルクスの加入で大熱狂の中はじまる否定者戦争編。改めて振り返ると鬼の様なテンポです。今ループ初登場のホウキアタマ&傷跡一本&実は公式初登場の喫煙描写&あまりにも胸板が厚いまだ不減じゃないクリードという情報の洪水に死にかけました。ビリーとクリードの煙草の吸い方はやっぱり意図して描き分けられていると感じる。噛み癖って精神的な不安とかが影響してるって聞きますけれど実際どうなんですかね。前ループでも腕組みが多かったのでそういう警戒心の強さとか神経質さがね わかってこう ふふ
▷No.147 RUN−IN
テラーヒロイン回。この悲劇に無慈悲な一撃を食らわせるのは隊長…え!?隊長!!?ここで前ループ9巻プロフィールの“部下へのスパルタ教育”が脳裏を過る。それはそうと口元だけでも顔がいい。非道に見える判断と『情でキレた相手程読みやすい敵はいない』『戦争を終わらせるって事ぁこういう事だ』『早く帰りたきゃ心を悪魔に売れ』という台詞の畳み掛け、表情の険しさ。戦争は善悪じゃない…そういう……覚悟が……必要なんだよなァ…………どうして彼は軍人という職業を選んだのでしょうか。いつか話してくれる日が来ますか。ちなみに「不明瞭な報告はやめろ 死にてえのか」がめちゃくちゃにすきです。ずっと言ってますが言葉選びが全体的に好き。
▷No.148 三番目の犬
こちらの回は情報量的に本誌感想読んでもらっても良いかもしれない。Tumblr版以外だとprivatter版(https://privatter.net/p/9820173)もあります。クリード隊の皆さんがジブリのモブっぽくて好きですね…早くプロフィールを知りたい。ミリタリーバイクで飛び出してくる隊長の刺激が強すぎて本誌当時頭がどうにかなりそうでした。思考がワンテンポ早いという公式の出雲風子所見で涙する。優秀なんだなぁ…ハァ……しかしどの台詞をとっても部下の事…デッカード少尉という立場の開示…敬語が使える…攻めてるの髪型だけでは!?上司にしたい否定者ランキング第一位は間違い無いだろう。学歴もありそうだし免許も資格もそこそこ持ってるんだろうな…収入も安定してるんだろ……しかも顔がいい…完璧かよ…?え??UNDER最凶とまで言われたクリード=デッカード……どんな気持ちで核のボタン押してたんですか。何を感じて男子高校生殴ってたんですか。しかしまぁアレはあれで活き活きしてた気がしなくもない。そういうとこも好き………「命は減ったら戻らない」ことを知っている男が闇競売が行われている豪華客船上でマフィアをドンジャカ撃ち殺すシーンがもうすぐアニメで見られるってマジですか???興奮してきたな………
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▷No.149 You see me now?
ショーン・ダッツメイン回。主な内容についてはこちらも本誌感想を参照のこと。多分書いてたと思います。Tumblrのアーカイブ、PC版じゃないと見られないからちょっと不便なんですよね。ナメてかかった10代に反撃されて負けるノルマでもあるのかこの人はまったく…そういうところも好きです……でもここで見せる怒りの感情は最もなんだよなあ。盾の中に何人か手練れがいる、というシーン、その手練れをまとめて相手にしてるアンタは何なんだ??舌打ちしながら手榴弾も『減らない』って気付くクリード隊長ね…もうね……困るよ…弾幕張りっぱなしで投げてきてるの意味がわからないからね………そしてこの回以降上着が行方不明になります。笑う。
▷No.150 No more war!
出雲風子の功夫にも耐えうる身体!最高です。流石にイチコさんに処置してもらったぽいけれど。ホントに上着どこいったんですか?敵味方両陣営の絨毯爆撃に憤怒し、誰より『減らすための戦争』を望んでいた男。信じてついてきてくれた部下たちを思う言葉。何から何までもう…十三人一首の『戦友の悲願』『戦の理を殺めても』という謎の多かった一節を紐解いていく鍵となる彼自身の人間性が見えてきますね。そして部下を助けてくれた恩を返すと言ってくれる隊長…風子との会話もね……こんなん…ね……「風子からのプレゼント」である不殺のゴム弾。抜けない刀で木を圧し折る侍とか拳だけでど��にかしてるっぽい自分ぐらいデカい男とか更にデカい鎧武者とかに囲まれてんの改めてどうかしてるんですけれどきっちり風子の背中を押してくれるの最高なんだよな……あと今後も度々言うかもしれませんがカタカナ表記の「フウコ」呼びが好きです。単行本だとここにビフォアフが挟まります。横傷の原因は多分ビリーなんですがコレは18巻に入る内容ですね。ちなみに17巻最終の次の回では金斗雲に当然のように乗れることがわかる。
さて皆さんそろそろ18巻の準備をしてね。なんと人物紹介にいるんですよクリード=デッカード少尉が!!!
▷No.152 Gun Fight
UNDERクラスタが突然死ぬ回。焼け野原だよ。ディスクも奪われ半ば自棄を起こして戦いを挑むクリードと受けて立つビリー、最初のコピーが不減ってことは解除される条件も含めて何かしらやり取りがあったはずなのでエピソードオブブロージャは一刻も早くスピンオフしてくれ。頼みました。敵だった俺に声かけちまう甘ちゃんのビリー、という台詞めちゃくちゃ好きです。ここでしれっと横傷の追加と髪型変更が行われている理由はわからないままですが瓦礫の中でもスーツというか軍服を着る選択をしているのは何故なんだろう。これはもう前ループからずっと気になってるところですけれどね。会議っぽいシーンは着る主義なんですか?世界の終わりにも着てたね……基地では着る主義…??あとはファンを勧誘している。やっぱり中国語が堪能なんですか?何故ですか??生物としてのスペックが高すぎるのでは???
▷No.153 Fair play
「指揮官がなにベソかいてんだ!!」
「士気が減る!!引っこめろ!!」
全 部 大 好 き
いやもう…読者待望の叱ってくれる大人……こんなん……泣くな!じゃないのがなんか可愛い。引っこめろってのも可愛い。この回、戦争編の大団円なんですがディスクも吹っ飛んじまったって大口開けて笑うクリードが見られるんですよね……なんかもう色々おかしくなっちゃって笑い出す軍人トリオ大好きです………前ループでは見られなかった笑顔なんだ…………軍人が入るんだからキツイの回せって言ってくれる頼り甲斐。でも宇宙って聞いたら流石に驚くのもすき。本当に大好き………ありがとう否定者戦争編……
【宇宙編】
あらゆる面で有能であることが証明されました。この軍人 スケベなだけじゃなくエリートすぎる…推しが推されている世界線で生きていけることに感謝しながら宇宙編、行くぜ!!!
▷No.154 Select
UNION制服の着こなしが高校球児。2m超えしかできないアイコンタクトありがとうございます。突然やってくる推しのモテ期。宇宙に選抜されることが確定している頁で既に死を覚悟したのにもう新装備供給されてて気が狂いそうでした。扉絵だけじゃなかったんかい!!でも扉絵の方見ると既に『5』の数字が。この次点でⅤ席はほぼ確定事項だったんですかね。
▷No.155 お困りのようだな
ジナショ大暴れ!の回です。戦闘員として率先して危険に立ち向かう覚悟…ヒイ……という空気を塗り替えてくれてありがとうジナショ…オマケ頁で怒り狂うニコを取り押さえてるの解釈一致すぎて大喜びしました。
▷No.156 Right Stuff
「処分は?リーダー」という第一声が最高すぎて頭を抱えました。組織に属するものとしてのスタンスが1番ある…立場をわきまえた上で判断を促す言葉をあえて投げかけ『それだけのことをしてしまったんだ』という事実を二人にも暗に解からせるこの……わかりますか!?それはそうと一発一億の武器支給されて「ヒュー!」となる潜在的な茶目っ気も大好きです……ニコがシリアスな考察モノローグしているコマで仕事をやり遂げたショーン=ダッツの頭を撫でてるの隙がない大人!!会話を!!!聞かせてよ!!!
▷No.157 Save You
フィルくんの謎が紐解かれていく回。会話している間通路で見張りしてるのが本当に隙がなくて……役割を徹底して果たせる大人…殿を引き受けながらもシャッターからジーナを遠ざける判断をサッとしてるのもさ…そういうところですよ隊長!!!!
▷No.158 Don't think.Feel
通路に最後まで残って敵の様子を観察している…冷静に分析して……ディスカッションに活かす…え?かっこよすぎませんか??宇宙に来た意味がありすぎる……流石満場一致選抜男………フィルくんの活躍については本誌感想で触れてるのでよければ探して読んでみてね!!次の回で前ループの記憶を手に入れるってことは最後に共闘したのがクリードってこともわかるんだなあって思うと言いようのないエモさが駆け抜けます……
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▷No.160 Welcome to Earth
こちらも主な内容については本誌感想でどうぞ!宇宙船操縦技術をしれっと身につけてんの改めてどうかしてるな……と思いました。ギリギリの状況下で笑うタイプの男…たまんねえよ……地球に帰ってきて一番最初にすんのが喫煙なの戸塚先生の性癖に忠実な描写すぎるから頭おかしくなりそうでした。最高だわ。宇宙で「帰ったら何する」「…煙草だな」「わかる…」って話してたんか!?身体は大事にしてほしいがそれはそうとバカスカ吸ってくれ!!
【〜最新話まで】
宇宙編のあとはメイちゃん遭遇の食事シーンのあとから暫く大きな出番なく過ごしているんですけれど、学園潜入中の留守番組として何してたんだろうとか、15年スキップで誰も連れて行かなかったけれど家族とかはいるんだろうかとか、15年ぶりの部下との再会はどうだったんだろうとか、あまりにも幕間に幻覚の余地がありすぎて楽しいんですがオイオイオイオイオイおなんだその新装備品は!!!!!!!!!!(正気をセーヌ川に投げ捨てる)
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…よし。とりあえず明日の本誌前に頭の中は整理できたかな……ここまで読んでいただいてありがとうございます。これからも元気に推し活していきますので各位よろしくね!!!!そして今月10月20日はクリード=デッカードのお誕生日!!!!!みんなでお祝いしようッッッッ
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yukahatter · 9 months
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【日程変更】京都市中京区床張り7月6-8日開催
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速報かつ日程変更です。6月にやった木造家屋の床張りの第二弾7月7月6日(木)から8日(土)までの三日間で実施する予定です。
今度は[捨て張り12mm]+15mm檜フローリングの組み合わせで床張りをします。また捨て張りに使う合板の継ぎ目に気密テープを貼ることで隙間風を防ぐ工夫を実践します。
極寒の冬が名物の京都ではかなり有用な技術になるのではないかと思う次第です。木金土と三日間平日と土曜開催になります。平日だけだと休みが休みが取れないというお声をいただきまして変更しました。
今回は2階の部屋で、羊毛断熱材は一階の天井に施すことで2階床下の断熱にする予定です。このあたりも現地で解説したいと思います。
依頼主さんからのメッセージです。 ”世界に大きく遅れをとっている日本の住環境。新築でしか省エネ住宅ができないわけではありません。今ある家をごみにしない。活かして快適にする方法を一緒に体験しましょう!” 相変わらずそこかしこで住宅をどんどん壊していますが、家庭での少々のゴミ削減活動も吹き飛ぶぐらいの物量で廃棄物を出すのが建築物です。可能な限り今あるものを生かして住処をつくれるようになるといいと思います。
そこで床張り技術ということです。
[今回の現場の特徴]
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現在は資材搬入のため床が空いています。これは閉じられさらに根太が打たれた状態からスタート。
1.根太にベニア板を打ちその上から少し高級な檜のフローリング板をフロア釘で打ち付け固定します。接着剤は使いません。 …30mmの厚さの檜の板は高いので、合板を張ってその上に現実的な価格の厚さ15mmの檜のフローリング板を釘で止めます。現代は省力化のためエアー釘打ち機仮止め釘(虫ピンみたいなやつ))と接着剤を使うことがほとんどですが、ケミカルですし板の再利用が難しくなりますんで釘で止めます。
2.羊毛断熱材を知る。 断熱材をどこに使うかはそれぞれ狙いがあります。今回は2階なので、一階の天井を断熱することで効果を狙う作戦です。今回はやりませんが、もう一つは床下に断熱材を充填する方法もあります。そちらも解説します。
[京都市中京区床張り概要] ●開催日:2023年7月6日(木)-8日(土) ●時間:6日:10:30開始17:00終了 7.8日:9:30開始17:00終了 ●定員:各日10名 ●内容:今回は、床下の骨組みである根太(ねだ)がある状態からスタートします。これは普段は床板に隠れて見えません。自分で根太からやる時にも大いに参考になるかと思います。 初日の最初は講師(床張り協会伊藤)から床張りの基本的な考え方の説明や中古物件の見方などの話をしつつ実習します。 ●場所:京都市中京区壬生エリア※エントリー後に住所お知らせします ●持ち物:水筒、マイコップなど飲み物道具。以下は、あればお持ちください。上履き、玄能、裁ちばさみ、差しがね定規や、タッカー、鉛筆、のこぎり ※数名でしたら玄能、差しがねを無料で貸し出せます。 ※道具には名前を書いてください。現地でテープも貸し出します。 ●服装:汚れても良い動きやすい格好 ●参加費:3日間15000円(3千円お得)  2日間11000円(千円お得) 1日のみ6000円 ※保険付き ※学割は1日あたり2000円割引です。 ●アクセス:最寄りのバス停は四条中新道、最寄りの駅は、JR二条駅、地下鉄二条駅、徒歩8分。阪急大宮、西院からだと各徒歩15分 駐輪可能、駐車不可。 ●宿泊希望者:宿泊を希望される方は寝袋持参で現場宿泊可能です。ほか紹介もできます。
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ari0921 · 10 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)5月31日(水曜日)弐
    通巻第7775号 
テスラは「人質」である。テスラの総売上高の21%は中国である。
イーロン・マスクが突如、北京へプライベートジェットで乗り付けた
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イーロン・マスクが5月30日に突如、北京へプライベートジェットで乗り付け、秦剛外相と会談した。
マスク所有のジェット機は「2015 ガルフストリーム G650ER」で、アラスカで給油後、日本、韓国上空を飛行したことがロイターの追跡で判明しており、当初の予測ではマスクは北京で李強首相と面会する予定と言われた。
中国外務省によれば、会談で、「テスラはデカップリングや供給網の分断に反対し、中国での業務拡大を続けていく」と話したという。
「米中対立のさなかだが、テスラは中国重視の姿勢をアピールしたい。世界第2位の経済大国(=中国)がさらなる市場開放に向けて努力し、海外投資に対する魅力を高めている状況にあることを世界的に宣伝できる機会ともなった」と関係者は言う。
蛇足だが中国の報道では「秦国務委員兼外相がマスク(世界一の金持ち。資産2000億ドル)と会見」となっており、報道の重点の置き方が、順番と資産にあることを物語っている。
秦剛外相は「テスラを含む諸外国企業に中国が市場志向、法的、国際的なビジネス環境の構築に尽力する。中国の発展は世界にとってチャンスだ。健全で安定した建設的な中米関係は、中国と米国だけでなく世界全体にとっても有益だ」と綺麗ごとを述べた。
 中国に大工場をかかえ年間45万台を上海工場で生産するテスラは、換言すれば「人質」である。なにしろテスラの総売上高の21%は中国である。
 イーロン・マスク訪中の直前にもスターバックスのCEO、ラクスマン・ナラシンハンが、アップルCEOのティム・クック、ファィザーCEOのアルバート・ボウラらが訪中した。
 スタバは中国全土に展開しているが、価格は日本より高いのに���い世代に人気がある。
���アップルのスマホは中国で組み立てられており、またファイザーの中国における売り上げも巨大である。
 ▲マスクはトランプ支持からデサンティスに乗り換えたのか?
 問題はイーロン・マスクの政治的立ち位置だろう。
政治的にはトランプを支援し、巨費を投じてツィッターを買収して、「永久凍結」されたトランプのアカウントを再開する。マスクは共和党支持である。
 ところが一方で、次期大統領選挙ではトランプに挑戦するデサンティスを熱心に支援している。
 マスクの政治行動で気になるのは台湾統一に関して「台湾を特別行政区として統一すれば良い」と中国��に吹き込まれてことを直截に表現していることだ。
バランス感覚から言えばテスラの市場は中国であって台湾ではない。したがって台湾独立には距離をおいているか、無関心である。
 したがってマスクがのこのこと北京へ詣でたことは中国の政治宣伝の鴨だったことにならないか。
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kasumime · 1 year
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五年前、後にも先にもこれ以上はないって具合に熱量を注いで恋をしていた人に告白の返事を断られた理由が「この先三年かけて成し遂げたいことがある」だった。きっとそもそも六つ下の小娘には興味がないっていうのもあったと思うんだけど、その言葉が長く自分の胸中に引っかかり続けていて散々足掻いた。もう完全に吹っ切れられたかと言えば嘘、でも依然として変わらず恋人になりたいとも思っていないのかもしれない。成し遂げたい夢があるから付き合えないなんて嘘八百の理由を突きつけられて振られた事実が悔しくて、できる限りその人が分からない世界に身を置いて距離を置きたかった。何やってるか分からないけれど一丁前に夢を叶えているらしい、と思っていて欲しくてインスタグラムのストーリー機能を使って近況を逐一更新した 恋は闘争心になり得る、とは言い得て妙で、五年の月日をかけて自分を振る口実に使ったそれよりも大きな存在になって見下したかった。あの時よりもずいぶん経験値を積んで大人になったし、お前は友達いないもんねと冗談めかした口ぶりで言われた頃とは環境が変わって今は公私共にサポートしてくれる友人たちに囲まれている。さて、こんなに素敵になっちゃったけど、どうする?もうあなたの心配を買わずとも自由に動ける自分になれた。ここは自分が本当にやりたいことを叶えるために行き着いた場所だけど、あの人の腰を抜かす顔が見たくて辿り着いた場所。しょうもな口実に使った夢よりもきっと私の方が大きい。
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nohitrecord · 1 year
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影響を受けた音楽!
これまでに多大な影響を受けた音楽について書き記したいと思います。
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『ファイナルファンタジー6』通常ボス戦BGM。
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同じく『FF6』対アルテマウェポン戦BGM。
いつも相棒犬インターセプターと行動を伴にするシャドウは、映画『マッドマックス2』の主人公を彷彿とさせます。
少年好みの冒険譚だった前作とは異なり、帝国に支配された中世ヨーロッパ風の暗澹たる世界観や、後半の荒廃した雰囲気が賛否両論の本作ですが、作曲者の植松氏いわく音楽的にシリーズの中で特に苦心したのがFF6なのだとか。
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『FF6』名場面オペライベント。
なんとリメイク版はボーカル入り!(多言語対応)
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◆第一楽章「Hell」 - 地獄
◆第二楽章「Purgatory」 - 煉獄
◆第三楽章「Heaven」 - 天国
◆第四楽章「Omen」 - 不吉な前兆
◆妖星乱舞 「Dancing Mad God of Magic」
前代未聞のクラシックとプログレッシブロックの融合が『FF6』のラスボス戦BGMです。
古くからヨーロッパの画家やクラシック作曲家は精神疾患者が多く、70年代のイギリスで流行ったプログレッシブロックもそれを題材にしたものが目立ちます。
教会に納めるための絵画や彫刻、及び教会音楽などのヨーロッパ文化にとって《宗教》は源でもありましたが、それが呪縛にもなりました。たとえ富や名誉を手に入れたとしても、心の脆さは拭えないことに気付いてからが最後の戦いになるのでしょう。
ちなみに教会や神殿などの宗教施設の建築技術や、神話体系の精巧さでその国の文化レベルが分かるのだとか。
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筆者が音楽で初めて感動したのは、4歳の頃に聴いた『聖剣伝説2』のOP曲でした。
特に音楽教育を受けたわけでもないのに、歌よりもフュージョンや楽器の音に興味を持つ園児でありました。
もし、この曲がなかったらRPGやBGMに興味を持つことはなかったのかもしれません。
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13歳の頃に楽譜の読み方と音楽理論を検索で知り、『時のオカリナ』のBGMでチャーチモードスケールについて覚えました。ゲーム本編は11歳の頃に攻略。「サリアの歌」はリディアンスケール!
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ロンロン牧場の歌(エポナのテーマ)は今でも大好きな曲です!
11歳の頃に週刊ファミ通を読んで知ったニンテンドー64『ゼルダの伝説 時のオカリナ』を衝動買いして大いにハマり、後にゲームキューブ移植版で追加されたハードモードを一切の攻略情報を参考にせず攻略しようとしましたが、後半の難所「闇の神殿」の一箇所だけ仕掛けの解除方法を発見できずにやむを得なくネットで攻略方法を確認したのが、今にしては悔やまれます。
***
▽『ゼルダの伝説 時のオカリナ』あらすじ
ハイラル王国に広がる深き森にはコキリ族という子供のまま永遠に年を取らない代わりに、森から出ると死んでしまう種族が住んでいた。
主人公のリンクはコキリ族として育ったが、ある日に森の守護神デクの樹よりハイラルの危機と、これからハイラル城に向かい、そこでハイラルの運命を左右する神に選ばれし姫に出会うことを告げられる。
斯くして、時さえも越える冒険の旅は始まった。
幼馴染の少女サリアは、リンクを大切な友達と思う一方で、自分とリンクがどこか違っており、やがて別れの時がやってくることを察知していたようだ。
森の住民にさとられないように森を後にしようとしたリンクだったが、出口の手前にある吊り橋の上でサリアが待ち伏せていた。そこでリンクは声を掛けれ、オカリナを手渡された。
「オカリナを吹いて、思い出したら帰って来てね」
故郷を離れたリンクが初めて訪れたハイラル城下町で出会う少女のマロンは、ハイラル平原の中央に位置する牧場の一人娘だ。
父親と牧場を切り盛りしており、亡き母に代わって少々だらしがない父親を支えるしっかり者だが、いつか白馬に乗った王子様が迎えに来てくれると思っていたり、密かに夢見がちなところもある。
歌が大好きで、仔馬の“エポナ”を可愛がりながら、幼い頃に母から教わった唄をよく歌っている。
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幼馴染や救出した各国の��君の心をわりと射止めるような気がしないでもないわりに、自分の功績を誰に告げて自慢するわけでもなく、颯爽と愛馬エポナに跨り駆け去るリンクは、僕にとって永遠の憧れであり、英雄であり続けるのでしょう。
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「正しいことってどんなこと? 正しいことをすると……みんな喜ぶのかな」
「君の友達ってどんな人? その友達は君のことを友達と思っているのかな」
「君の幸せってどんなこと? 君の幸せはみんなも幸せになるのかな」
「君の本当の顔はどんな顔? お面の下の顔が本当の顔なのかな」
「誰もいなくなったな、鬼ごっこ。そうだ鬼ごっこがいい。鬼は逃げるだけだ。いいな」 (『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』任天堂, 2000年)
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作曲を開始した当初に、ゲームボーイアドバンス移植版をプレイして多大な影響を受けた作品でした。
以前Twitterのスペースでポーランド人の絵師さんと日本語で話した時、『MOTHERシリーズ』では通じませんでしたが、どうやら海外では題名が違うようでした🌎
・『MOTHER』の音楽は鬼だった。|ほぼ日刊イトイ新聞
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『北欧神話』主な登場神とアイテム オーディン - 主神、創造神の一柱で隻眼 グングニル - 主神オーディンの持つ槍 ヴァルキュリャ - 主神オーディンに仕える戦乙女 フレイ - 豊穣の神、数多い豊穣神の中で最も重要 ロキ - 奸計・悪意の神、オーディンの義兄弟 フェンリル - ロキの息子の巨大な狼
『北欧神話』の世界は、9つの世界が「世界樹ユグドラシル」により繋がる構造です。さらに3つの魔法の泉「ミーミルの泉」「ウルズの泉」「フヴェルゲルミル」に根を張りそこから水を汲み上げています。その一番下では「嘲笑する虐殺者」の黒竜ニーズヘッグがユグドラシルの3番目の根を齧っています。
▼第1層 ⑴ アース神族の世界「アースガルド」 ⑵ ヴァン神族の世界「ヴァナヘイム」 ⑶ エルフの世界「アルフヘイム」
▼第2層 ⑴ ドワーフや小人の世界「ニダヴェリール」 ⑵ 黒エルフの世界「スヴァルトアルフヘイム」 ⑶ 人間たちの世界「ミッドガルド」 ⑷ 巨人の世界「ヨトゥンヘイム」
▼第3層 ⑴ 炎の巨人スルトの住む灼熱の世界「ムスペルヘイム」 ⑵ 氷の巨人たちの世界「ニヴルヘイム(ヘルヘイム)」
『北欧神話』では、世界の終末が巫女の予言という形で書き記されています。フィンブルの冬と呼ばれる厳しい冬が訪れ、夏がなくなり3度の冬季が続き、人心は荒廃して各地で戦乱が頻発します。さらに光の神バルドルの死を契機に、神族と巨人族の間で最終戦争ラグナロクが勃発します。
ドイツや英国にあったゲルマン神話の多くは、民話などに残滓を残すだけで文書化されることなく消滅しました。しかし北欧ではキリスト教化を受けながらも、9~12世紀に口承の詩という形で神話が保存されました。これが13世紀に詩集『サガ集』として書き起こされ、『北欧神話』の基礎となったのです。
『北欧神話』に登場するユグドラシルとは、世界を体現する世界樹のことです。アースガルズ、ミズガルズ、ヨトゥンヘイム、ヘルヘイムなどの「九つの世界」を内包する存在とされます。
ロマン派歌劇の頂点ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』の冒頭では、運命の女神ノルンがワルキューレの岩の上で「一人の神が泉にやって来て、永遠の叡智を得た代償に片方の目を差し出しました。世界樹トネリコの木から枝を一本折り、その枝から槍の柄を作りました――」と歌います。
曜日のTuesdayは戦いの神テュールの日。Wednesdayは主神オーディンの日。Thursdayは雷(thunder)神トールの日。Fridayは愛と豊穣の女神フレイヤ(Freyja)の日。出典は『北欧神話』です。
『北欧神話』はノース人の信仰に基づく神話でありゲルマン神話の一種。ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、アイスランド、及びフェロー諸島に伝わっていた神話の総称です。しかしながら、フィンランド神話とは別の系統だとされます。
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▲ヴァルキリープロファイル ~死の先を往く者たちに贈る福音書~
当時購読していた週刊誌の付録が残っておりました!
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■『ヨッシーアイランド』クッパ戦|YouTube
任天堂の『スーパーマリオ』シリーズは「キノコを取ったら大きくなる」など、臨床心理学の抑圧やリビドーの概念が投影されているのは有名な話です。
ユング心理学の夢診断では、「剣」「銃」など棒状のものは男性器の暗示。「リンゴ」「袋」などの果実や容器は女性器の暗示とされます。
■スプラトゥーン3 公式紹介|YouTube
■ヒノエ姉さまがあざといシーン集(モンハンライズ)|YouTube
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RPGにおけるラスボス戦のBGMを大きく分けると、勇者視点の勇敢な曲か、魔王視点の禍々しい曲のどちらかが多いようです。
『ドラクエ3』のラスボス戦曲は、勇者視点と魔王視点のテーマが交互に入れ替わる当時としては斬新な構成です。
流石は発想のレベルが違う!
そういえば小3の頃に友達と情報交換しながら攻略本なしでゾーマ城まで進行したものの、途中で無限ループする廊下の突破方法が分からずに中断。その数年後にふと未攻略だったことを思い出し、ネットで攻略サイトを参考にして一人でクリアした悲しい思い出があります。
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yachch · 1 year
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新刊『光や風にさえ』試読
プロローグ アサイラムにて
 おぼえているかしら、ねえさん、裏庭にあったブランコのこと。古びたユーカリの木の枝からぶら下がっていた。嵐の晩にどこかへ飛ばされてしまって、どんなに探してもみつからずに、枯れ葉の下で朽ちて、土に還っていった。  妹の声がよみがえってきたのは、シャワールームにいるときのこと、わたしはバスタブに寄りかかってシャワーの水があたたまるのを待っていた。給湯器の調子が��くて、適温になるまで何分もかかったから。わたしは両足を開いて床に座り、陰部にできたしこりをいじっている。クリトリスを挟むようにできたしこりは痛みこそないけれど、時間をかけ、ゆっくり成長している。  妹とは夕方に十五分くらいビデオ通話で話した。電話代だってばかにならないのに、水曜日になるとかならずかかってくる、儀式めいたもの。でも、このところの彼女は、どうにも歯切れが悪く、あたりさわりのない話題ばかり選んでいるようだ。衛星がぐるぐる回るように、迂遠な語りばかり重ねている。だからふたりの会話はいつも迷走して、着地点を見失って終わる。頻繁に話しているわりには印象に残りづらい、無意味な語りかけは、けれどもトゲのようにわたしの胸に刺さった。  かつて家族で暮らした一軒家には、たしかにユーカリの木があった。赤土にどっしり根を張り、枝という枝からボロ布のようにウスネオイデスをぶらさげていた。けれども、その枝にブランコをぶらさげたことは一度もなかったと記憶している。妹と一緒に暮らす両親すらおぼえていないと言うのなら、もうたしかめようのないことだ。火の不始末で、わたしたちの生家は祖母ごと燃えてなくなってしまったことだし。  でも、たしかめようがないからこそ、おぼえているかしら、と妹は語りかけてきたのかもしれない。記憶という本来わかちがたいものを共有したいと思い、願ったから。不幸にもその記憶はだれにも受けとめられず、宙に浮いてしまった。蓋然性を失し、空想の、あたかも物語であるかのような語りに変質していった。ただ生きているだけの、とるにたらない人間の記憶の正誤など、いちいち検証してはいられない。記憶を共有する誰かが、たしからしいと証明しないかぎりは。だから、記憶を共有できないというのは、物語と区別がつかなくなることに近しいのではないか、とわたしは思う。  眩暈が波のように押し寄せてくる。貧血からくるそれを床に伏せてじっとやり過ごす。気を取り直して、シャワーが適温になったことを手のひらでたしかめた。  バスタブに入り、半身に湯水を浴びて、肉体の痛みがどこか遠い場所に去ってくれることを期待する。湯気にかすむ天井をぼんやりながめていると、ふと、半年くらい前におなじ体験をしたのだ、ということに思い至った。あのときの彼女も、わたしに対してこのように語りかけた。Tal vez te acuerdes(おぼえているかしら)、と。耳朶に直接吹きつけられたかのように、息づかいや吐息の熱とともに、なまなましくよみがえるその声。  泡沫のように予期せず浮かび上がってきた記憶が、異なる記憶と共鳴し合い、痛みからの逃避を求めるわたしをその渦に飲みこんでいく。  ――きっかけはロドリゴだった。半年ほど前だったか、彼から電話がかかってきて、たまたまそれを受けた。テニュア審査に落ちた彼が市内の別の大学に転籍するのと、わたしが自分の研究室を閉めたのはほぼ同時期で、以来、一年半にわたって彼からの連絡を無視していた。だからわたし電話口に出ると、彼はとてもびっくりした。  彼は興奮ぎみに近況を話し、非常勤講師としてなんとか食いつないでいると言った。わたしはすでに大学を退職していたけれど、自分からは話さなかった。用件はこうだ――調査に同行してくれる日本語通訳者をさがしている。  たしかにわたしは日系三世で、日系移民の帰国事業を見越して親も桂(ケイ)なんていう日本的な名前をつけ、日本語の教育を受けさせた。でも、第一言語は彼とおなじスペイン語で、妹ほど流暢にはしゃべれない。正直にそう話すと、いいから、とロドリゴは言った。実は、日系移民の女性に会いに行くんだ。貴重な一世さ。スペイン語が通じなかったとき、ちょっと手助けしてくれるだけでも――本音をいうと、きみに会えるかもしれない、ってのがうれしくてたまらないんだ。ロドリゴの声は弾んで、涙まじりだった。すこし前だったら、不愉快になっていたかもしれない。あなたが想像したり、ときに期待したりするほど、あっというまに死ぬわけじゃないんだと嫌味を言っていたかもしれない。でも、電話に出る気になったのと同じ理由で、わたしは柄にもなく浮かれていた。病気が寛解し、経過観察になったから。血流に放たれたエクソソームが臓器を耕し、いずれはまた悪いものの芽を生やすとしても、たとえいっときでも心身をどろどろにする化学療法から離れられた。  ロドリゴは以前とかわらず、『トラタミエント』と呼ばれる処置を受けた臓器提供者たちの追跡調査を続けていると話した。くだんの日系移民の女性もそのひとりだった。長く非合法の臓器提供者として生計を立て、その最後の段階として、いまは心臓の提供先を探しているという。わたしの祖母と世代が近く、長く市内のアサイラムで暮らしているとの話で、どこかで祖母とかかわりがあったかも、と考えたことをおぼえている。昔からここに住んでいる日系人はめずらしかったので。  約束をとりつけて、数日後には彼女のもとに足を運んだ。彼女の暮らすアサイラムまでは、最寄りのバス停からけっこう距離があって、何度も階段路地をのぼったりおりたりするはめになった。歩きながら、ロドリゴは飼っているデグーの話をした。わたしは適当に相づちを打ちながら、どうしてこのあたりはこんなに臭いんだろうと考えていた。アサイラムは移民街のなかほどに位置していたが、腐った歯のようにバラックが密集して、有機物の発酵しゆく臭いが充満していた。  さんざ迷った末に目的地に到着し、受付にいたアサイラムのスタッフに彼女の所在をたずねると、あのひとならいつも中庭よ、と言われた。日陰で根を生やして、じっとしているはずよ。案内された中庭は狭く、きたならしかった。年老いた女性が地面を転がりながら煤けた肌をかきむしっていた。なにをそんなに恐れているのか、ずっと声を震わせながら怒鳴っている男性もいた。でも、大抵のひとは、死んだように目を閉じて、その場でじっとしていた。コントロールしやすいように毎日多量の鎮静剤を与えて、市街からかき集めてきた浮浪者や精神異常者を押しこめているから。公的給付金を得るためだけに運営される福祉施設のひとつ。  狭い中庭をロドリゴは歩き、すぐひとりの女性に目をつけた。大柄な彼の影にすっぽり収まってしまうくらい小柄な女性で、膝を抱えて座りながら、じっと地面の一点をみつめていた。  ――なにをみているんですか?  地面に膝をつき、ロドリゴが問いかけるが、女性はひび割れたタイルを凝視するだけで答えない。まばたきをしないので、眼球がすっかり乾いて、充血していた。目許には脂(やに)が溜まって複雑な地層をなしていたことをおぼえている。  ロドリゴがしばらく無意味な呼びかけを続けていると、屋内からスタッフが出てきて、備えつけのホースで水をまきはじめた。ロドリゴがさっと立ち上がる。彼女の隣には排水溝があって、地面の傾斜に従って水がそこに流れていった――でも、彼女はくるぶしまで水に浸かっても平然としていた。みじろぎひとつせず、修行僧のようにじっと座り続けている。  事前に渡された診断書には、彼女が多数の臓器を喪失している事実とともに、認知能力が極端に低下していることが記載されていた。くずれゆく脳では記憶が更新されず、判断力と遂行力も消失する。外界からの刺激に鈍くなっていた。  スタッフがおもむろに歩み寄ってくる。水の通りが悪くなったのか、排水溝に引っかかるものをつかんで放る。  放り投げられたものは、偶然、彼女の目先に落ちた。  すると、はだしの指の先が、ぴくりと動いた。  彼女はまぶしそうに片目をすがめると、ささやくようにこう言った。  ――あれは蘭。アングロアの根。  何年ぶりかに話したかのように、声はかすれている。  ロドリゴはかすかに身じろぎし、前のめりになると自然と傾聴の姿勢をとった。彼女はスペイン語を話しはしたがひどくなまっていたので、正確に聴き取るためには用心深く耳を澄まさねばならなかった。  ――もともとは寒いところの花……だから、低地で育てると夏越えができなかった。毎年そうだった。  それだけ言うと、また押し黙ってしまう。  ――蘭を育てたことがあるのですね。私の実家の裏庭にも、原種の蘭がたくさん咲いていましたよ。  彼女の目線の先にあるものは、たしかに植物の根のようにもみえた。腐ってカビが密集し、もとが何だったのかは判別がつかなかったけれど。  ――私の家の庭には、アロエやベゴニアがあって……それから。  意外にもしっかり会話がつながったことにおどろいていると、彼女はゆっくり顔を上げ、相手と目を合わそうとすることさえ試みた。  でも、視線の先にいたのは話しかけたロドリゴではなく、どうしてかわたしった――彼女は表情らしき表情を浮かべていた。不自然に顔をしかめるだけだったが、驚愕ともとれた。  ――おぼえているかしら?  口の端にほほ笑みをにじませ、彼女は語りかけた。分かちがたく、不可侵の記憶の一片を、わたしが受けってくれることを願いながら。  ――わたしの庭に蘭があったこと、おぼえているかしら、アングロアの、赤ん坊の花。  あとになってわたしは思う。もしかしたら、あの瞬間、彼女はみずからをとりまいていた深い暗闇をぬけだして、くずれゆく自己をほんの一片でもつかみとったのかもしれないと。  この不可解なできごとを前に、ひとつ思い出すものがある。  いつかSNSで拡散されていた、ある動画のこと。再生をはじめると、どこかの高級な養老院とおぼしき明るいホールが映る。そこでは老人たちが談笑しており、カメラのレンズはそのなかのひとり、車椅子に座った老女に近づいていく。赤子のように無垢な目で虚空を眺めていた老女は、ホールに音楽が鳴り出すやいなや、不自由な上半身を繰って、何とも生き生きと踊りはじめる。見間違いようもなく、アルゼンチン・タンゴのふりつけで。タンゴは足さばきに目がいきがちだが、軸が置かれるのは上半身だ。上半身の動きがあってこそ、複雑なステップが生まれる。だからこそ老女が上半身をよじり、そらすだけで、タンゴという共通言語をもつ者の目には自然と優雅な足どりが浮かぶ――動画の最後には、老女がかつて一世を風靡したアルゼンチン・タンゴのスターであり、現在は深刻な認知症で自分の名前すら思い出せない旨が記される。奇跡の数分間。でも、そのうつくしい再現はけっして奇跡の賜物ではないことをわたしは知っている。単に彼女が長い時間をかけて軟骨をすり減らしながら、必死にタンゴのリズムを身体に記憶させたという証左でしかない。身体記憶は、自我や認知とは異なる場所に保管されるものだから。ゆえに自分の名前を忘れても、タンゴは忘れないという不可解な状況も成立する。  だから、彼女はあの腐った根をみて、土をいじる感触、花と緑葉の香りを想起したんじゃないだろうかとわたしは想像する。身体記憶をきっかけに、ほどかけかた自己が偶然にも結び直されて、泥河に沈んでいた物語に光が当てられたのではないかと。  そうでなければ、説明できないとも思う。  ――だいじょうぶ、ちゃんとやるわ、私。あなたのためなら、心臓をあげたってかまわない。約束したものね。  ――約束って?  ロドリゴの質問に、彼女は穏やかに話した。  ――仏さまに近づけるって、あなたが言ったんじゃない、マヤ。  ――マヤって?  ――私の娘。そうでしょう?  わたしはとっさにかぶりを振る。  すると彼女は語りはじめた。  真偽不明で信憑性に欠けた、一編の長い物語について。
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crydayz · 1 year
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230305 STRETCH
唐突逆フードファイト初日ログ
財布の中に1000円ある。唐突縛りゲーム開始。
今月、食費をこの1000円だけで過ごす。
残り26日
既にあるストック、「人から貰ったもの」に関しては自由に食してよい。
---   【今の環境】
■ウォーターサーバーあり ■コーヒーストックあり --- 【ストック食料】 ■パックごはん×4(2.5日ぶん) ■玉子4個(1日ぶん) ■サラダ(0.2日ぶん) ■袋麺×1(0.5日ぶん) ■COMP 半袋(0.2日ぶん) ■サラダチキン缶(0.4日ぶん)
--- 【サブアイテム】
■コーン缶:小 ■エビオス錠 ■ふりかけ / お茶漬けのもと
問題は「ただ生きてる」だけではなく普通以上に仕事しなければならない点。
タンパク質さえ補充できりゃなんとかなる。
----------------------- プラン:
今日は唐揚げ2個食べたのでタンパク質は十分。 あとは適当にしのぐ。
「ラッキーを使った!」
会社が備蓄用の非常食を入れ替えの為フリーで配っていた。 カンパンを7個確保。お湯で作れる五目ごはん260gを7個確保。
1日カンパン半分、五目ごはんを寝る前に1個で7日分の基本食料となる。
まあ、上記を配布してるのを見たからこのゲーム始めようと思ったようなもんなので動機としては逆である。これならゲームを始められる、ラッキー! というわけである。
無論、成人男性一人が毎日頭脳労働しつつ生活する上でカンパンや五目ごはんだけではエネルギーが足��ない。肉が必要だ。
食費は1000円縛りだが交通費は別途使ってもよい。つまり、別の場所に食料確保に行く事は可能だ。中野のKKアニメスタジオで毎日弁当が社員一人に一食配られており、食べない人のやつがフリーで大体1~2食残っている。
肉が入っているものがあればそこから肉を摂取。早々に拠点を中野に移すべきだろう。正直無料食料インフラは既にかなり整っていると言える。
「食に関する自由と能動性」の一切を諦めれば、1日1食分はほぼ確実に確保できる。あとはスーパーかドンキで安めの皮なしソーセージ。これをちょっとずつ食し3日ほど持たせる。
一日1.5食をデフォに。タンパク質の確保がポイント。十分な準備なしにいきなり始めるから面白いしやり甲斐がある。
栄養失調に陥り判断力が低下しうつ状態となり無駄行動始めてしまう前にエネルギー確保しなければならないというスリル。時間とカロリー無駄にできないね。やるぞ。
----------------------- 【10:00】 カンパンを0.5消費。
今日の食プラン: 14:00にカンパン残り半分とサラダ半分、玉子1個を消費予定。
17:00にソーセージを買いにいく。 ソーセージを5個食べる。
23:00に五目ごはんを1食消費し、今日の食事の感想を書く。
----------------------- 【15:30】
缶詰めLOGと並行してこっちも書いていく。面倒くさいな。 だがそれがよい。
[LINK] https://projecthedz.fullmecha.com/post/710898301213474816/ 4h寝。
起きてカンパン0.5消費。1缶終わり。 メカ原稿ペン入れ。車両シャーシ部90%完了。原稿スキャン。
サラダ食べる。
----------------------- 【17:30】
カンパン食べて1時間ちょい仕事してからサラダ食べ。
玉子2個入れ、コーン缶小を1/3使い、チーズドレッシングとマヨネーズかけて食べた。
今朝から味気ないものしか食べてなかった所為かめちゃくちゃ美味い!
気づいたんだがチーズドレッシングとマヨネーズにコーンと玉子って、ほぼ「ピザ」と同じ構成なんだ。支持体がサラダなだけで上モノはほぼピザだこれ。
玉子2個を溶き、そこにドレッシング類を混ぜてコーン缶の汁も入れてサラダとよく混ぜる。隅々まで味が行き渡りサラダを食べている感覚はほぼなくなる。
卵かけごはん食べてるようなスムーズさだ。
玉子、相当強いぞ。玉子を2個使えればサラダは超美味いしタンパク質の補充も十分いける。サラダはお得用のデカいの買って1.5~2日で食べる。
サラダ環境作る上ではドレッシングが超高いのだ。
これを誰かに恵んでもらいたい・・ そうすりゃサラダライフは完璧だ。
次回。玉子溶いてチーズドレッシングちょっと混ぜたのをよくかき混ぜ、レンチンしてみる。カンパンも砕いて入れてみる。かなり美味そうな予感。
美味いとそれだけで頑張れるな。栄養価と美味さが両立されてさえいれば量なんて全然いらんぞ、これ。
食費一ヶ月1000円は流石にしんどいが2500円なら超余裕(職場からたまに7日ぶんくらいの食料調達できる事前提で)。そこから削りに削って「1500円縛り」あたりが最もゲームとしてはエキサイティングだ。
1000円は凌げはすれど確実に栄養失調になる。栄養失調に近づくと判断力とメンタルがおかしくなってしまう。仕事を遂行する上でそれは本末転倒。
文字数制限の時と同様、成果物を上げるごとに貯金を降ろせるシステムにするか。月に使えるMAXが2000円で、1ヶ月むっちゃ頑張って働くと15日くらいまでには合計1000円降ろせるくらいのバランス。
A4原稿1枚埋めるごとに50円降ろせる。毎日2枚ぶん描けば10日で1000円引き出せる。普通のペースでやれば3日で200円くらいか。想像するだけでしんどい。ゲームバランス調整むずいなー。
----------------------- 【19:00】
このケチゲームを逆フードファイトと名付ける。 いかに安く適量で栄養と満足度を満たすか。
カンパン美味くて2つめの缶8割食べてしまった。 たまに入ってるキャンディの糖分が癒やし効果ある。
腹減ってきた。半袋残ってたCOMPを水に溶いて飲む。1日のタンパク質は十分。しかし空腹感は消えず。
面白いこと考えながら耐えて慣らしていくかー。
逆フードファイト中の卵料理とサラダのセットはかなりモチベ向上が期待できる。
原稿1枚できたので50円ゲット。残金1050円
----------------------- 【20:00】
カンパン2缶目を完食。残り5缶・・
猛烈に腹が減って横になっていた。お腹も鳴る。慣れろ自分。 備蓄僅かな船で遭難してると思え。
あ。オートミール5食分くらい残ってたわ。これでさらに3日分の栄養確保。けど炭水化物系は超眠くなって仕事できなくなるから寝る前にのみ食べる。よって日中用のタンパク質メインの食料が必要。
楽しまざるもの食うべからず。これをクライデイズの標語に足そう。
安くて栄養価高い、会社の電子レンジで調理し冷蔵庫で保存できる「スーパーかドンキで買える食べ物」教えて。
----------------------- 【22:00】
腹が減りすぎて哲学が加速してしまう。餓死は病気で死ぬのとはまた別の苦しみがありそうだな。生きたい、食べたい、という本能が目覚める。
そう、実にプリミティブな欲。お腹が空きすぎて眠れないという感覚もわかる。予定より1時間早めに五目ごはんを作る。この非常食がどれだけ癒やしを与えてくれるか。熱湯入れて15分待つ。水だと1時間だって。いずれにせよ調理時間長いな。食べたい、早く食べたい。けど、未来の食事の事も考えなければならない。今だけ満たされても何にもならないのだ。
このシビアさ、この現実感。たまらない。これが大人のリアリズムだ。
----------------------- 【22:20】
食べた。なんだこれは! 食べ物じゃない!
これは「食の安全地帯」だ! 吹雪の雪山で見つけた山小屋のような救いだ。ゾンビまみれの洋館のタイプライターある部屋だ!
味云々よりも「助かった」という安堵感の方が凄い。なんというエンタメだ。
炭水化物の満足度、ヤバい。小さい袋ながら茶碗中盛くらいは十分あるイメージ。途中で味が淡白過ぎる事に気づいたので醤油と粉チーズを足し。味的にはちょっとリゾット味がでてくる。美味い!
無論このあと睡魔に襲われるから夜しか食べられないが、あと6日ほどこのエンディングが得られるなら「生きていける」って感じする。
20:00-22:30あたりが空腹の限界だな。ソーセージ買いに行くのを忘れてた。出かけてこよう。
ああ・・感謝の気持ちが凄い。氏にたいみたいな贅沢な欲求がゼロ。他罰をする余裕もなし。ただ「食べて生き延びたい」という原始の欲求のみがある。
心地よい獣の満足。これでいい、ずっとこのサイクルでいい。もっと感じたいぞこの飢餓感。
【✓】
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usickyou · 2 years
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What a wonderful worldend
 今日、南極点のそばで美波ちゃんに出会った。  偶然だね。そう言った彼女も、聞けばどうやら探し人の途中らしい。「寒いところで、生まれた子だから」って北極に次いで南極に訪れたという彼女を「効率悪いねえ」って揶揄したら、「本当にね」ってくすくす笑ってたから、それが彼女たちのリズムなんだろうなって、あたしは妙に納得してしまう。  ちょっとおしゃべりしようよ、って白夜に放棄された基地へ忍び込んで、運良く残っていた燃料で暖を取りながら肩を並べる。「元気にしてた?」「全然。美波ちゃんは?」「私も全然。あの子には会えそう?」「にゃは、意趣返しだ」「違うよ。会ってほしいって思うから」。  それは、本心なんだろう。彼女はそういうふうにできていて、それだけは、全てが変わろうと何も変わらない。「金色の、風が吹いてるんだよね」「うん」「たどっていけば、会えるって思うんだ」「うん、素敵だね」「美波ちゃんにもそういうのない?」「うーん……そうだ。流れ星、追いかけてみようかな」「幸せだねえ」「うん、幸せだよ」。  そうやってのろけ話を交わして、朝、目を覚ましたら彼女はもういなかった。物質的な痕跡は何も残さず、ただ眠る寸前に寄せた右肩の感覚だけが残っていた。  彼女は本当に、ここにいたのだろうか。  どちらでもいいし、それに、またいつか会えるだろう。  だって、世界の終わりにはみんな、誰かを探してる。
 *
 通り雨が上がって、ぬかるんだ地面に足を取られた。けれど汚れたのは右手と左手も若干それだけで、上手に処理したなあってアイドルだった頃の努力を今さらにも感じていたら、押しころすみたいな笑い声が聞こえてきた。  フランス、シャンパーニュ。右手に広がる常盤色のブドウ畑、その向こうに万年雪のお化粧をしたアルプス連峰。左手もブドウ畑、小屋や農機具。後ろ、歩いてきた茶褐色の道。前、進んでいく未舗装の道。「3、2、1……」「ごめんなさい、つい」。そう、この道を形成する石垣の影から静々と現れたのは奏ちゃん。手に持った葡萄を差し出して「どう?」「やだよ、酸っぱいでしょ」「私も食べる前に知りたかったわ」って苦笑い。石垣に腰を下ろして、インディゴのサテンワンピースから伸びた脚は宙をぶらぶら泳いでいる。  何してるの、って聞こうとして寸前にそれが無意味だって気付いた。「どうしてここなの?」「だって、あの子すごく自由でしょう」「にしても、もっとそれらしい場所ありそうだけど」「思いつくような場所は行ったわ」「それもそうだね」。風が、あたしたちの髪を揺らした。南から吹く、温暖な風。たくさんのものが変わってしまって、失われて、そうして自然は少しだけ優しくなった。  葡萄を一つもらって、かじってみる。それはやっぱり酸っぱくて、だけど新鮮な果実の甘みは思いがけない喜びをもたらした。一緒に食べたら、エメラルドみたいな瞳はどんなかがやきを見せてくれるだろう。「志希は、訊くまでもないわね」「聞いてくれてもいいよ」「パリ、どれくらいかしら」「一緒に行く?」。そんな気もないのに、言ってみる。「あなたが望むならね」。彼女は石垣を下りて、あたしが来た方の道へ歩き出した。裸の足が柔らかい土を踏みしめるたびに鳴る音は、確かに生命を感じさせて、だけど振り返ればきっと彼女はそこにいないんだろう。  さようならって声が聞こえた気がしたけど、答える代わりに葡萄をもう一個、口に放り込む。
 *
 真っ赤な凝灰岩と赤煉瓦の建造物に焼けるような夕日が射して、世界は燃えている。「暑いねー」「これ、冷えてるわよ」「それ、もっと熱くなるやつ」「そんなことないと思うけど」「ほっぺ赤いよー」「だって、暑いんだもの」「なによりだね」。かつてこの国、イランには禁酒法があったらしいが、それは全く正しい判断だったとその人は身を以て教えてくれる。  こんなに暑い昼間のうちに歩き回らなくても、と入り込んだ煉瓦の家に、楓さんはいた。やけにターバンが似合って、「異国情緒よねえ」って皮袋から何らかのアルコールを摂取して、なんだかその姿は、誰よりもこの世界を楽しんでいるように映る。「だって、私たちアイドルでしょう」「うんうん」「……」「お酒、おいしい?」「ええ、とっても」。  日が沈むと、この国はよく冷えた。とは言え気候としては過ごしやすく、眩しいほどの星明かりの下をあたしたちはふらふら。訊けば探し人は、月がよく似合うらしい。「なんだか、予感がするわ」「何度目の?」「初めて。あの人と会う時は、いつもそう」。そう言った、横顔があまりに美しいから、空を見上げた。綺麗な月だ。もしかしたら、あたしの探し人はそこにいるのかもしれない。月がちょっとだけ金色に輝いているのは、そこで彼女が歌っているからかもしれない。なんて考えていて、地上に意識を戻した時には、楓さんはもういなくなっていた。  きっと、そこに行ったんだろう。  彼女の歌が聞こえたか、帰ってきたら教えてもらおう。そう心に結んで、残していったターバンを巻いてみる。  なぜか心地良い、アルコールの香り。ほんのりと。
 *
 みんな、その色がこんなにも美しいと誰かに伝えたくて仕方がないから、この街は思い思いの好きで溢れている。けれど、降り注ぐ太陽があまりに優しくて、あたしは、今はもういない彼らの願った通りにたくさんの色を好きになっていく。  キューバ、トリニダ。ここは、そういう街だった。  彼女なら、どんな色を選ぶだろう。萌黄色か、コーラルピンク、ベイビーブルーもいいかもしれない。毎日その日の気分で家の壁にペンキを塗って、そんな毎日を過ごすのもいい。「げ、志希」「にゃは、奈緒ちゃんだー」「逃げていいか?」「いいけど、すぐ捕まえるよ」「……だろうなあ」「よしよし」。  市街に描かれた緩やかな曲線を、のんびりと下っていく。気候は暑くも寒くもなく乾いても湿気ってもいない。降りてきた天国のようだった。白い窓枠を花が伝って、さながらニンフェットの住処だと思っていたら、「海に行きたいって言ってたから」と彼女がぽつりとこぼす。「そこにいるかも?」「いやーどうだろ、けっこう回ったんだけど」「案外、渋谷のマクドナルドとか」「否定しきれないって」裏とか表とかそういうのがバカらしくなるくらいの笑顔は、やっぱり今日の太陽によく似合って、あたしは彼女のことをもっと好きになる。  でも、この海はちょっと特別かも。そんなことを言おうとしたけれど、彼女が駆け出したせいで行き場を失った言葉は潮風に溶けて消えていった。「海だー!」子供みたいに大声を上げて坂を下っていく背中に「転ばないでねー」ってまるでママみたいな言葉を送って、ちょうど差しかかった木陰で足を止める。なるほど見下ろした海のアクアマリン、乱反射する光に誘われて、駆け出したくなる衝動で脚は疼いていた。  だけどもう少し。たとえばこの坂道を一緒に下って、波間に踊るその手足を想像していたい。それからでも、何もかも遅いってことはもう、この世界には一切なくなってしまったのだから。  そうしてあたしは、すっかり見えなくなってしまった彼女に手を振った。
 *
 タンザニア。この砂と礫の海で人間は誕生した、という説がある。正確には、あった。その真偽は保留するとして、ここは、そう考えるにはあまりにロマンのない場所だ。少なくとも、彼女の起源を辿ればここに行き着く、なんて説はあたしの知の全部を尽くして否定しなければならないだろう。  けれど、良いところもある。たわむれに蹴った石が傾斜を転がり落ちて、生まれたのは跳ねる音符、やけにハッピーなメロディ。意味もなくばらまいた砂粒は、陽光にきらめく極小のトパーズ。「あーあ」ってため息がこぼれて、乾いた喉に流し込んだ水は信じられないくらいおいしくて、もっと、彼女に会いたくなった。  どこにいるんだろう。  終わってしまった世界で、あたしは彼女を探し続けている。(まだ、何歩か進んだだけだよ)(あたし我慢って苦手なんだよね)(泣き言なんて、似合わないわね)(そう聞こえた? ならそうなのかも)(ちょっとくらい、休んでもいいんじゃないかしら?)(止まったものを動かすのって、エネルギー使うんだよ)(あいつも、志希のこと探してるんじゃないか?)(自分だって、そう言われても待てないでしょ)。それぞれが、それぞれ勝手に喋りかけて、まあ、退屈はしないけど。  でも悪いけど、今日は閉店。洞穴に入り込んで、涼やかな風を楽しみながら、目を閉じる。瞼の裏に、何度か彼女の色が射した気がして目を開くけど、その度見えるのはゴツゴツした火成岩の岩肌。外はもう暗くなっていて、もう寝ちゃおうってちゃんと目を閉じたら「そのまま、開けちゃダメだよー」って、聞き間違えるはずがない、ずっと、ずっと聞きたくて、何度も思い返して、夢にだって数え切れないくらい見たんだよ。「もしかして、夢?」「なら、開けたら覚めちゃうよ」「そっか、目、閉じてれば覚めないんだね」。  あたしたちは、たくさん話した。最初は、見てきた景色のこと。モンゴルの草原で寝ころんで見上げた空の深さ。スイスのなだらかな丘陵で牛に葉っぱをあげたこと。カナダ、メイプルの群生林で凍えていた夜。フォークランド諸島で追いかけまわしたペンギンたち。「ぜんぶ、一緒が良かったんだよ」「うん、ふたりで行こうね」。それから、出会った人のこと、出会わなかった人のこと。咲いていた花の名前。月齢の数え方やアーチ状の格子窓がどれだけ綺麗か。そうして、この世界がどうやって終わっていったか、なんてつまらないことを話そうとしたらキスをされて、言葉は消えてなくなった。抱きしめられて、空間が消失した。幸せで、満ち足りて、もう何もいらないなあ、なんて思ったけれど、「またね」「うん、ありがとう」って目を開けば朝日は柔らかく射し込んでいて、周囲に人間が存在していたことを示す痕跡は何一つ残っていなかった。  洞穴の外に広がる礫砂漠をぼんやりと眺めていたら、あくびが一つこぼれた。もうちょっとだけ眠ろうとする体を「よいしょ」って起こして、タンザニアの青い空、太陽の下へ足を踏み出す。  金色の風は、今日も彼女と同じ温かさで、あたしの手を引くみたいに、吹いていた。
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psytestjp · 11 days
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shimoda-text · 12 days
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シロクマハウスについての6つの文章
-------------------------------------------------- [テキスト] シロクマハウス:たとえば6つの解釈  ■1.住宅としての解釈  ■2.構造からの解釈  ■3.生態的な解釈  ■4.形式への解釈  ■5.コーリン・ロウ風の解釈  ■6.音楽としての解釈
■1.住宅としての解釈
 シロクマハウスの住人は、むかしから慣れ親しんだ実家の土地に新しく家を建て住まうことを決めました。建てた家は、折しもウッドショックや戦争の影響による資材高騰があり、また雪国特有の条例(建物外壁は隣地から1m以上の離れが必要なこと)などから、敷地に対してとてもコンパクトな立方体形状の家となりました。  全体の構成は、一辺が2.3mの立方体を8つ、それぞれ95cmずつ、外側は30cmずつ離して配置した、全体6.15mの立方体を基本としています。この立方体は敷地に収まる最大の容積を根拠に大きさを決めたため、人間のスケールや生活を根拠にしたものではありません。  この立方体を「建築」と仮託して、そこに土地の状況や生活の観点から、〈明るい場所〉〈暗い場所〉〈大きな場所〉〈小さな場所〉を住まい手とともに見極め、想像しながら「暮らし」として意味付けをしていきました。「建築」に「暮らし」を見出していくなかで注意したのが〈リビング〉や〈ダイニング〉などの言葉で使い方と場所を結びつけない、ということでした。明るくて爽やかな場所、大きくてふわっと明るい場所、小さくてしんと暗い場所、などを見つけながら、でも、意味を付けすぎないように、という作業を根気強くつづけました。吹抜けのある大きな場所は朝食を食べてもいいし、一段上がったキッチン横の場所は夕食が合うかもしれない。浴槽のある場所はいちばん明るくて爽やかな場所なので、そこで読書しても気持ちよさそうです。立方体の組み合わせによる単純な「建築」に対して「暮らし」が応答して出来上がったかたちは、とても複雑で多様な場所を生みました。  建物として家は完成しましたが、ここから住まい手自身が愛着をもって意味付けをしていければ、そこは唯一無二の大切な〈わが家〉になっていくでしょう。その意味付けのきっかけは〈他と少し違う外観〉かもしれないし、〈壁の手触り〉かもしれないし、〈台所の音〉や、あるいは〈匂い〉かもしれません。柱梁がむきだしの部分、段々に角がある部分、ざらざらした部分、つるつるした部分など、いまはまだよくわからないかたちにも、暮らしていくなかでその都度、意味を見出しながら使いこなして〈わが家〉にしていく、そういった主体的な暮らしの準備ができたと思います。
■2.構造からの解釈
 モノの流通が滞り、普通にあったものが手に入らなくなったり、高くなったりしている昨今、建物の材料や作り方を再考する必要性が生じています。このプロジェクトは北海道という土地柄、早くから構造材の四寸(120 mm幅)シリーズが品薄となっていたこともあり、一番手に入りやすくて安価な「三寸五分の正角材(105 mm×105 mm)のみの構造」、そして施工業者を選ばない「最低限の技術レベルでの組み立て」、その結果として「構造にかかるコストを最小にすること」は、今を反映した一つのプロトタイプになりえるのではないかと考えました。  プ��ンは 2.3mを最大スパンとしているため、軸力も小さく柱は105 mm角で問題ありません。ただ、曲げがかかる梁ではそれでは役不足なので、柱を結ぶ大梁の位置では逆V字の斜材を上下の梁材の間に入れることによりトラス効果で床荷重を支持することとしました。  大梁で囲まれた2.3m角の床面は、通常のように一方向に小梁を流すと四周の大梁に均等に力が流れず、その負担分に差が出ます。そこで、力の方向性をなくすこと、スパンを減らすこと、トラスの斜材に直に力を流すこと、の3つの理由から火打ち梁のようにダイヤ型に梁を配置しています。  基本的には木造在来軸組み工法なので、簡易な構造といえます。トラス梁部分は少しイレギュラーですが、斜材端部は梁にその一部を差し込むことで、離れ止めのボルトのみで緊結するというシンプルなものです。このように特別な金物を使わないことは製作および現場施工を容易にし、コストも下げられます。 (文:正木構造研究所:正木健太さん)
■3.生態的な解釈
[ベルクマン・アレンの法則]  「ベルクマンの法則」とは、ドイツの生物学者ベルクマンが発表した法則で、恒温動物について、同じ種でも寒冷な地域に生息するものほど体が大きいという法則です。例えば熊は、マレー熊など南方の熊は体が小さく、ホ���キョクグマなど北方の熊は体が大きい傾向にあります。また反対に「アレンの法則」とは、恒温動物について、寒冷な地域に生息するものほど耳や尾などの突出部が短くなるというものです。ホッキョクグマの小さな耳はこの法則にのっとっているそうです。  さて、札幌の住宅を眺めると大抵どれも大きく箱型で、かつ、陸屋根というかたちをしています。これは東京などの都心部とは異なる土地事情によって一軒あたりの土地面積が比較的大きいこと、積雪に対しては落雪させずにスノーダクトを用いて雪を処理すること、などの要因が大きく関係していることはすぐに想像できるのですが、ここに「ベルクマン・アレンの法則」が見いだせるのではないかとも思っています。  あらためていまの札幌の住宅を眺めてみると、庇も少なく勾配屋根もあまり見られません。また外壁の凹凸も比較的少ない傾向に見えます。一方、建物全体のボリュームは都内の狭小住宅などに比べると、ひとまわり、ふたまわり、大きいような印象があります。つまり、突出部が小さく、かつ、その表面積に比べて体積が大きい、ホッキョクグマの体のような傾向がなんとなく見えてきます。  「ベルクマン・アレンの法則」は放熱の問題で説明されます。つまり、表面積に比べて体積を大きくすることは、体内の熱生産量に比べて放熱量を小さくする工夫だというのです。シロクマハウスの胴体にあたる立方体は球に次いで表面積の小さなかたちです。シロクマハウスは中心の大きな立方体をメインに、その少し外側に付加断熱を加えた外壁が「毛皮」のように取り巻き、また、生活に必要な玄関や納戸などの非居室が「鼻」や「尻尾」のようにくっついたかたちをしています。  この建物を設計していくなかで、なんとなく通称として仮に呼びはじめ、なんとなくしっくりきている〈シロクマハウス〉という名前は、このような北国の生き物、建物、の立ちあらわれ方を象徴しているようにも思えます。
■4.形式への解釈
[一辺が6.15mの立方体が与えられたとする]  「立方体」というのは公理に非常に近く、証明しようのない、根拠の無い、論理式に近いかたちです。いってしまえば、とても意味の無い、無意味なかたちともいえます。  四角い箱にはおおむね作られる意味があります。中にリンゴを入れるため、あるいは人が上に乗るため、など、いろんな意味のために四角というかたちをつかって箱は作られます。でも、四角というかたち自体に意味をつけることは、実は難しかったりします。四角がなぜ四角なのか、いろいろと意味を付けてみても、それら全部が上滑りしてしまうのが純粋な幾何学のかたちの不思議なところだと思います。むかしから四角いかたちの造形物(モノリス)が、異様な、未来からのものに見えたり、過去世界の遺物に見えたり、別世界のものにみえたりするのは、その純粋幾何学のかたちの無根拠さゆえかもしれません。  一方で、世界のありとあらゆるものをどのように意味付けて解釈するかは私たち人間に任されています。あらゆるものに意味をつけて世界を存在させること、それが私たちの主体性であって自律性でもあります。しばしば建築家によって〈自律的な建築〉とか〈他律的な建築〉とかいった言葉がつかわれますが、それは結局、ある人からはそう見える、というくらいのことなのかもしれません。建築自体の自律性や他律性を考えるのも面白いのですが、人間として主体的によく生きたいという、より根本的なものを目標にすれば、建築を含めたこの世界を意味付ける、人間の自律性の方がはるかに重要なものに思えます。  たとえば住まいをつくろうと考えたとします。たとえば住みたい場所が寒い地域だったとします。そういったなんとなく与条件として意味付けられるものたちと、立方体のような、あからさまに根拠が無くて、意味のよく分からないものを、同列に並べてみましょう。それらをあらためて自ら意味付け、解釈しようとするところに、私たち、設計者や住まい手の主体性や自律性は自覚されて、自分が置かれた環境を積極的に肯定していく人間的な暮らしにつながっていくのではないでしょうか。
■5.コーリン・ロウ風の解釈
[理想的ヴィラの数学]  「この住宅は立体の表象であるという観念が実現されるとき、ヴェルギリウスの夢という意図も果たされるのである。ここには絶対的なるものと偶然的なるもの、抽象と自然の衝突があり、理想世界とあまりに人間的な現実の急務とのギャップが悲哀に満ちて示されている。」 コーリン・ロウ『マニエリスムと近代建築』(伊東豊雄、松永安光訳、彰国社、1981年)より。
 この住宅は、前後に付加された勾配屋根のヴォリュームを除けば、基本的なヴォリュームは 1 対 1 対 1 の立方体である。平面の構成は、中央の柱間を 1 とすると、前から後へおよそ 1/3 対 1+√2 対 1 対 1+√2 対 1/3 の比で進む。この比の構成は左右方向についても、また垂直方向についても徹底して保たれている。中央部のスパンに対して中間部のスパンが白銀比に近似している点は日本的比例の美学というよりは偶然的なものであろうが、その膨張した中間部のスパンに対して外周部のスパンが極端に圧縮されることによって、関心は中央から中間部へと移されることになる。3軸に同じ比が徹底されることによって中間部には 1+√2 の立方体が8つ現れており、それぞれの中心に重心が等しく置かれていることが暗示される。この住宅では3軸のシンメトリー 構成の中で、中央部への集中でもなく、周縁への離散でもなく、中間部において複数の中心の遍在というものが強調される。  この3軸が等しくシンメトリーな構成の中で、なおも上下左右を等しく相対化しようという試みに、床や壁、柱や梁といった構造も参加する。中央右手では吹抜けに面して2層をまたぐ壁面が垂直性を強調する一方、2層目左では同じ大きさの床面が水平性を強調している。柱や梁は同じ太さで縦横に現れ、重力の存在を示唆するのは二段梁の間を繋ぐ山形の方杖のみである。こうして通常、重力に基づいて積み上げられる壁・柱の垂直性や床の水平性は、ここでは解体され、立方体の6面すべてに均等な重要性が割り当てられることになるのである。均等に重力を与えられた6面は、離散することなく幾何学的配置にその中心を留め全体を構成する。  このように集中的なヒエラルキーを排しつつも離散を避けようとするどっちつかずの態度は、恐らく、多様な中心の遍在を認めるリゾーム的世界観によるものであろう。多様化した社会において、ある建物を住宅たらしめるのは行為として表現される暮らしそのものであり、慣習に拠る美を持ち込み、継承し、再生産し続ける「文字以前の文字(プロ・グラム)」である。一方、この住宅の理論は一種のポストモダンであり、過去の客観的美学=数学的規範を持ち込みつつ、それによって過去の構築を相対化し、集中と離散の二項対立を脱構築しようとする分裂的な試みである。そしてプロ・グラムと衝突するこの理論こそ、普遍的な生き生きとした力を喚起する幾何学なのである。
■6.音楽としての解釈
[マイルス・デイビス]  「非常にわかりやすい、見え見えなぐらいな部分と、全く意味不明の謎の部分というのが、丁度半分半分混じっていく、というのが、マイルス・デイビスの音楽であり、人となりであり、パッションであり、あらゆる彼の行動規範に張り付いているアンビバレンスです。」ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔さんはマイルス・デイビスをこのように解説しました。  マイルスによって完成された「モード・ジャズ」は、それまでのコード進行によるモダン・ジャズとは異なり、「モード」と呼ばれる音階内でのアドリブを特徴とするものなのだそうです。それまでのジャズの歴史でどんどん複雑化していたコード進行を極端に単純化したうえで、モードによってより自由な演奏を可能にしました。モードとは、西洋音楽の音階とは異なる音階、日本のヨナ抜き音階や、琉球音階、インドネシアのガムラン音階など、土着的で民族的なものを指し、マイルスはカリンバのアフリカ的な音階に出会ってモード・ジャズを完成させたともいわれます。おおむね7つの音で構成されるモードと、それを用いたモード・ジャズについて、菊池成孔さんは「少ない音、7つだけの音で自由に演奏しろと言われた場合はですね、自由度が高すぎてサウンドの審美眼とかセンスが露骨に出るので、非常に難しい、」と解説します。  シロクマハウスも、もしかするとそのモード・ジャズ、あるいはマイルス・デイビスのように解釈することができるかもしれません。シロクマハウスは、8つの立方体の間に95cm幅のスリットをたてよこ水平に入れるという「非常にわかりやすい見え見え」な構成ですが、その構成の根拠は恣意的かつ薄弱で「意味不明」でもあります。一方で、暮らしによって立ちあらわれている壁や窓や棚などの部分は、意味としては「見え見え」ですが、複雑で過剰なその全体のかたちは「意味不明」でもあります。  つまりシロクマハウスは、あからさまに単純な構成を〈コード〉とし、北海道という土地や社会などの〈モード〉のなかで、設計者の恣意性や手癖・住まい手の趣味や暮らしによる〈アドリブ〉が行われる、そんなモード・ジャズ、という見方ができるかもしれません。そしてそれは、意味とあらわれのアンビバレンスが振動するようなグルーヴを生んでいくのかもしれません。
-------------------------------------------------- [Text] Six Interpretations of the house “Polar bear”, for example      1. Interpretation as a HOUSE      2. Interpretation from STRUCTURAL engineering      3. Interpretation from ECOLOGICAL point of view      4. Interpretation in terms of FORM      5. Interpretation in the style of Colin Rowe      6. Interpretation as MUSIC
1. Interpretation as a HOUSE
     The owner of this house decided to build a new house on a site in Hokkaido, which he had grown accustomed to living in since long ago. The house was built in a very compact cube form concerning the site, due to the rising cost of materials caused by the wood shock and the war, as well as a regulation unique to snow country (the building envelope must be at least 1 m away from the neighboring site). The overall composition is based on eight cubes of 2.3 meters on each side, 95 cm apart on each side, and 30 cm apart on the outside, for an overall cube of 6.15 meters. The size of this cube was defined based on the maximum volume that could fit on the site and is not based on human scale or traditional modules.      We considered this cube as "Architecture," and together with the owner and his family, we discovered and imagined "bright places," "dark places," "big places," "small places", etc. in terms of local conditions and lifestyles, and gave meaning to them as "living". In trying to give "Architecture" a meaning of "living," we were careful to avoid using generic terms such as "living room" or "dining room" to link behavior with place. We patiently continued our exploration, finding bright and breezy places, large and softly bright places, small and dark places, etc., without adding too much meaning to them. The large area with the atrium could be used for breakfast, and the area next to the kitchen, one step up, might suit dinner. The bathtub area is the brightest and most refreshing place, so it would be pleasant to read a book there. The resulting house, in which "living" responds to the plain "Architecture" of overlapping cubes, has generated a complex and diverse place.      The house as a building has been completed. However, the attachment of the owner and his family and the meaning they give to the house will make it a unique "home." The trigger for this attachment may be "the somewhat strange facade," "the hand feeling of the walls," "the sound of the kitchen," or even "the smells." The owner and his family are now ready to live with a sense of agency, finding meaning in forms that are not yet understandable, such as exposed pillars and beams, several intricate corners, rough and smooth surfaces, and so on, and using them to make the house his "home" while living in the house. 
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2. Interpretation from STRUCTURAL engineering
     Recently, the distribution of goods tends to be stagnant, and what used to be commonplace has become unavailable or expensive, making it necessary to reconsider building materials and construction methods. Because of the location of this project in Hokkaido, where the 120 mm width series of structural timbers were in short supply from early on, we thought that "structure using only 105 mm x 105 mm structural timbers," which is the most accessible and inexpensive, and "construction at the minimum technical level" that does not require special contractors, and thus "minimizing the cost of the structure" could be a prototype that reflects the social situation of the present day.      The maximum span of the columns is 2.3 m, so the axial force is small, and 105 mm square columns are sufficient. However, this is not enough for beams that are subject to bending, so an inverted V-shaped diagonal timber was placed between the upper and lower beam members at the position of the girder connecting the columns to support the floor load with a truss effect. The 2.3m square floor is surrounded by girders, if the beams are placed in one direction as usual, the force will not flow evenly to the girders on all four sides, resulting in a difference in the amount of load. Therefore, the beams are placed in a diamond shape like a corner brace for three reasons: to nullify the direction of force, to shorten the span, and to flow the force directly to the truss members.     It can be said this is a simple structure because it is essentially a Japanese conventional post and beam structural system. The truss section is a bit irregular, but they are simply tied together by inserting a portion of the truss member into the beams and bolting them together. Thus, the absence of special hardware facilitates fabrication and construction, as well as lowers costs. (Translation by the author with some changes from the original text by the structural engineer)
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3. Interpretation from ECOLOGICAL point of view
[Bergmann's and Allen's rules] “Bergmann's rule” is an ecogeographical rule that states that within a broadly distributed taxonomic clade, populations and species of larger size are found in colder environments, while populations and species of smaller size are found in warmer regions. For example, bears living in the southern areas, such as Sun bears, tend to be smaller, while bears living in the northern areas, such as Polar bears, tend to be larger. Conversely, "Allen's rule " refers to the fact that animals that live in colder regions tend to have shorter ears, tails, and other protruding parts than those that live in warmer regions. Polar bears' small ears are said to be following this rule.      When we look at houses in Hokkaido today, we can see that they are generally large, box-shaped, and have flat roofs. The reasons for this can be easily imagined to be that the area of land per house is relatively larger than in urban areas such as Tokyo, and snow ducts are used to deal with snow accumulation instead of letting it fall. And in these points, I suspect we can find " Bergmann's and Allen's rule " as well. Looking again at the houses in Hokkaido today, there are not many eaves, and pitched roofs are not seen very often. The exterior walls also tend to be relatively less uneven. On the other hand, the overall volume of the building seems to be larger than those of narrow houses in Tokyo. These facts suggest that the tendency of the polar bear's body to have a small protrusion and a large volume compared to its surface area seems to be somewhat common to the features of these houses.      The "Bergmann's and Allen's rules" are explained by the issue of heat dissipation. In other words, increasing volume compared to surface area is a device to reduces the amount of heat dissipated compared to the amount of heat produced in the body. The shape of the body of this house is a cube, which is the second smallest geometric form in surface area after a sphere. This house consists of a large cube in the center, with exterior walls with additional insulation surrounding it like "fur," and non-habitable rooms necessary for daily life, such as an entrance and a storage room, attached to it like a "nose" and a "tail”.      The name of this house, "Polar bear," which became somewhat comfortably familiar to us as we began to call it tentatively in the process of designing this house, seems to symbolize the appearance of this kind of northern creature and building.
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4. Interpretation in terms of FORM
[Suppose you are given a cube with a side of 6.15m.] The "cube" is very close to an axiom, a form that can never be proven, that has no ground, and that is very close to a logical formula. In other words, it is a very nonsense and meaningless form.      A square box usually has a meaning. Boxes are made in the shape of a square for various purposes, such as to put an apple inside, or for a person to ride on top. However, it is difficult to assign meaning to the square shape itself. The mysterious thing about the form of pure geometry is that even if you try to attach various meanings to why a square is a square, all of these meanings will slip over and over. A square-shaped object (monolith) often looks strange, like something from the future, a leftover from the past, or another world, perhaps because of the groundlessness of its pure geometrical form.      Meanwhile, it is up to us as human beings to make meanings and interpretations of everything and anything in the world. To create meanings for everything and bring the world into existence, that is our agency and our autonomy. Sometimes, architects use terms such as "autonomous architecture" or " heteronomous architecture," but it may just be that this is how it seems from their point of view. It is interesting to consider such autonomy and heteronomy of architecture, but if we focus on the more fundamental subject that we as human beings want to live well, the autonomy of human beings that makes sense of this world, including architecture, seems to be much more important.      For example, suppose you are thinking of building a house. Suppose, for example, that you want to live in a cold climate. Let's put such things that we can somehow make sense of as given conditions and things like cubes, which have no obvious basis and whose meanings we are not sure of, in the same line. In trying to redefine and interpret the meaning of these things, we, the designers and homeowners, become aware of our agency and autonomy, and this may lead to a humane lifestyle in which we actively affirm the environment in which we are placed.
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5. Interpretation in the style of Colin Rowe
[The Mathematics of the Ideal Villa] ... and the realization of an idea which is represented by the house as a cube could also be presumed to lend itself very readily to the purposes of Virgilian dreaming. For here is set up the conflict between the absolute and the contingent, the abstract and the natural; and the gap between ideal world and the too human exigencies of realization here receives its most pathetic presentation. …  (Colin Rowe. 1947. The Mathematics of the Ideal Villa. AR)
     The basic volume of this house is a 1:1:1 cube, except for the pitched roof volumes added to the front and rear. The configuration of the plane proceeds from front to back in a ratio of approximately 1⁄3 to 1 + √2 to 1 + √2 to 1⁄3, with 1 between the central columns. This ratio configuration is thoroughly maintained for horizontal as well as vertical directions. The fact that the middle span approximates the silver ratio to the center span may be more by chance than Japanese proportional aesthetics, but the extreme compression of the outer span relative to the expanded middle span transfers interest from the center to the middle. Also, the same ratio is thoroughly applied to the three axes, so that eight cubes of 1+√2 appear in the middle part, implying that gravity is equally placed in the center of each cube. In this house, the three-axis symmetrical configuration emphasizes the omnipresence of multiple centers in the middle, rather than their concentration in the center or their dispersion to the periphery.      In this symmetrical configuration with equal symmetry of the three axes, the structural elements such as floors, walls, columns, and beams also participate in the attempt to relativize the top, bottom, left, and right equally. On the right side of the center, the verticality is emphasized by the wall surface that spans the first and second floors of the atrium, while on the left side of the second floor, the horizontality is emphasized by a floor surface the same size as that wall surface. Columns and beams appear horizontally and vertically with the same thickness, and the only suggestion of the existence of vertical forces is the triangular truss members connecting the upper and lower beams. Thus, the verticality of the walls and columns and the horizontality of the floor, which are usually constructed by gravity-based stacking, are here deconstructed, and equal importance is assigned to all six sides of the cube. The six equally gravitated sides, which are not discrete, keep their centers in a geometric placement and make up wholeness.      This ambivalent attitude of avoiding discretization while eliminating centralized hierarchies is probably due to a rhizomatic worldview that recognizes the omnipresence of diverse centers. In a diversified society, what makes a building a house is the life itself, which is expressed as an action, and the "pro-gram" that continuously reproduces, inherits, and brings in customary beauty. Meanwhile, the theory of this house is a kind of postmodernism, a schismatic attempt to bring in the objective aesthetics of the past = mathematical norms, but thereby relativize the construction of the past and deconstruct the dichotomy between concentration and dispersion. And this theory that conflicts with the pro-gram and evokes our universal life force is geometry.
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6. Interpretation as MUSIC
[Miles Davis] “The ambivalence that characterizes Miles Davis' music, persona, and passions, and that accompanies all of his codes of conduct, is a half-and-half mixture of the very straightforward and obvious, and the completely mysterious and unintelligible.” (Translation by the author) Commentary on Miles Davis by jazz musician Naruyoshi Kikuchi.
     “Modal jazz," perfected by Miles, is said to be characterized by improvisation within a scale called a "mode," unlike modern jazz, which was based on chord progressions. And it allowed for more flexible playing through modes, taking chord progressions that had become increasingly complex in the history of jazz up until then, and simplifying them radically. Mode refers to scales that are different from those of Western music, indigenous and folkloric, such as the Japanese "yona nuki" scale, Okinawan scale, and Indonesian gamelan scale, and Miles is said to have perfected modal jazz when he discovered the African scale of the kalimba. Naruyoshi Kikuchi explains that modes, which are generally composed of seven notes, and modal jazz, which uses these modes, are "very difficult to play if you are asked to play freely with only seven notes because the degree of freedom is too high and the aesthetics and sense of the sound come out obviously.” (Translation by the author)       This house could also possibly be interpreted as modal jazz or even Miles Davis. This house has a "very straightforward and obvious" configuration of 95cm-wide slits horizontally and vertically between eight cubes, but the rationale for this configuration is arbitrary, weak, and "unintelligible" as well. On the other hand, the walls, windows, shelves, and other parts that respond to the daily life are "straightforward" in terms of meaning, but their complex and excessive overall form is "unintelligible.      Therefore, this house could be seen as a "modal jazz" in which a straightforwardly simple configuration is the "code," and the architect's arbitrariness, his/her habits, and the residents' tastes and lifestyles are "improvised" within the "mode" of the region and society of Hokkaido. And this may give rise to a "groove” in which the ambivalence between signification and manifestation vibrates.
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ichinichi-okure · 16 days
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2024.3.11mon_okinawa
雨音で何度か目が覚めるくらいに夜からすごい雨だった。水不足が心配な沖縄にあって「少しはダムに水が貯まるかな」なんてことを思いながらも気づいたら朝で、雨は止んでいた。6時過ぎに起きて、簡単に朝ご飯を済ませてから晩御飯の仕込みをしたり、洗濯をまわしたり、少しメールを返していると連れが起きてくる。子どもはまだ起きない。なかなか起きない。仕方がないので起こしにいって、ほっぺにチューをしまくっていたらパンチされる。朝の光が苦手なのでこの子が起きる時は部屋の電気を消して、カーテンを閉めて、できる限り夜みたいにする。朝に慣れてきたらテーブルに座らせて朝ご飯を促す。その間に洗い物をして、また朝ご飯を促す。終わったら連れが着替えを促し、歯磨きをしてさーっとふたりで職場と保育園に出かけていった。これから雨だというので洗濯物は乾燥機にかけたけれど、陽の光が強くなってくる。簡単に掃除機をかけて家事がひと段落。お店に行く前に、先日新しく作った喫茶メニューのケーキの写真を印刷しようとイオン具志川のカメラのキタムラに行くも「機械の故障で本日プリントをお受けできません。」とのことで諦める。牛乳だけ買ってお店に向かう。
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10時半ごろお店に到着。掃除機をかけたり、トイレ掃除をしたりと急いでオープン準備をする。11時に開店。どっとお客さんが来る、わけもなくのんびりそのままメールを返したり、今日やることの確認をする。橋で来れるとはいえ、沖縄島からさらに島にある端っこの本屋に流れる時間は基本的にオープンから閉店までのんびり。最初のお客さんは決まって近所のおじーで、新聞を持ってくる。最近一緒に新聞を取り始めた。朝お店のポストから新聞を持っていって、読み終わったら返しに来るという変な流れ。お店で読めばいいのに、朝一で読むリズムが自分にはちょうどいいと言うのでこうなった。ネタバレしない程度に気になった記事についてなどを話す。3月11日の沖縄タイムスの一面は「勝連ミサイル車両搬入」だった。この記事にある自衛隊の車両搬入(お店のすぐ近く)に対するデモが昨日の早朝にあり、このおじーと一緒に参加してきた(ミサイル配備の先に平和はあるのか?)。琉球新報の取材にこたえていたおじーは、公民館にある琉球新報も見てくるわーと言ってニコニコしながら出て行った。それから2時間くらいは誰も来なかったけれど、午後からポツポツとお客さんが来てくれた。ギャラリーで開催している一乗ひかるさんの展示も最終週ということで目掛けてきてくれている方の姿もあった。平然とお店に立っているけれど、毎日のように誰も来ないかもしれない、いや来ないだろう、でも来てほしいと思ってお店を開けているのでこうして本当に誰かが来てくれるとなんだか不思議な気持ちになる。気づいたら14時46分を少しすぎてしまっていたので落ち着いたところで一人黙祷をした。あの日、僕はどこにいたんだっけ?と思い出していると知り合いが来店。喫茶を頼んでくれて、新しいケーキも美味しい!と言って食べてくれた。最近ケーキを美味しい!って言ってもらえるのが一番嬉しいかもしれない。震災の日ですね、という会話からあの日どうしていたかを話したり、近況などをうかがったりと会話が弾む。喫茶コーナーにパレスチナやウクライナ、沖縄の基地問題の本をまとめていたのでその辺りについても静かに熱く話せて嬉しかった。帰り際、ミュージシャンの江原茗一さんがつくられている「FREE PALESTINE(STOP GENOCIDE)PATCH」をもっていってくれた。昨日のデモで掲げられていた横断幕のひとつにあった「今日のガザは明日の沖縄」という言葉がずっと頭に残っている。
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17:30にお店は閉店。レジ締めをしたり戸締りをしてお店をあとにする。夕方からは雨の気配。昨晩、連れが急に「休肝日を作りましょう」と面と向かって何回も言うので、流れに乗ってみることに。「今日から月木を休肝日にします」と言うと、満面の笑みを浮かべたので良しとする。今日は彼女の誕生日なので、晩御飯を食べたあとにケーキを食べた。週末にもケーキを食べていたので2回目の誕生日ケーキ。ろうそくはいいかなーと思ったけれど、子どもからろうそくコールがあったのでこれまた2回目となるろうそくの火を子どもが勢いよく吹き消した。短期間に二つ歳を取ったのでは?と思いつつも、今日という日をみんなでいられてよかったなーと思う。13年前に震災が起きたとき、働いていた本屋から帰れなくて、家族と連絡も取れなくて、何もできなくて辛くて、自分で商いをすることに本格的に舵を切ったことをこの日にいつも思い出す。
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食器を洗って、子どもとお風呂に入るともう21時過ぎだった。程なくしてベッドに行く連れと子どもを見送り、大詰めの確定申告と姉妹店であるSUNNY BOY BOOKSのオンライン作業をする。気づいたら日付は変わっていて夜中の2時半だった。最近本が読めていないので、寝るときに読んでいる『人新世の「資本論」』 (集英社新書)を数行だけ読んで寝た。
-プロフィール- 高橋和也 37歳 沖縄県うるま市 本と商いある日、とSUNNY BOY BOOKSのひと https://www.instagram.com/hamahiga_aruhi_/ https://www.instagram.com/sunnyboybooks/
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palakona · 1 month
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雨が降ったので中セ池
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
どうも、こんにちは。三連休最終日は雨の日曜日。雨天釣行なら屋内釣り場のある西池を筆頭に、屋根付桟橋のあるコシガ池、寺口釣池となるんですが、ガッツリ降るらしいので雨を気にせず屋内で釣りができる西池はおそらく満席。第4日曜日のコシガ池も生生会開催で屋根付桟橋は満席予想。寺口釣池は屋根付桟橋が1本しかないし、日曜日は来場者も多く釣り席を確保できるかどうか。そんなところで、ふと中セ池に屋根付桟橋があったなと。結構、屋根が高いし、行ってみようかと。画像を見る限り、コシガ池の屋根に比べて張り出しが少ないので雨の吹き込みはあるかなあ。パラソル併用になるんかな?中セ池は最近不調の噂があって、噂を払拭すべく今月(2月10日とのこと)新ベラ放流があったらしい。噂は聞いていたので、カテゴリー4(悲観)にカテゴライズしてたけど、新ベラ放流があったのなら期待が持てるかも?あと、薬を撒いた(薬浴)ので先週は期待が持てないって話もあったのだが、約2週間経って薬浴の影響も薄れているのでは?
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
休日も毎日5時半に起きて釣りに行ってるので、前日の阪奈園へら鮒センターでは、釣れない時間はやたら眠かった。疲れてんのかなあ。雨の中セ池釣行の気分も盛り下がり、阪奈園HCで釣り終えてから残ったウドンを処分しようかと思ったり。結局残して、目覚まし時計を掛けなくても6時に目が覚めて、なんか家でボーッとしててもしょうがないし、中セ池に向かったのでした。中セ池に着いたらガラガラで事務所の前に車を停めれた(驚)。いつも向かいの駐車場なのに。入場すると、西中桟橋には誰もおらず、常連さんは西桟橋に1人、北桟橋に2人。北桟橋では西中桟橋を挟んで両ヘチに2人座っておられたので、僕は東中桟橋のヘチを狙える東詰に座りました。左は桟橋やし波除けパイプが入り組んで釣れそうやん。中セ池の屋根付桟橋は初めてなんだが、尺数規定が8尺〜18尺になっているので、8尺を出してみました。今日の竹竿は「若駒」の8尺です。浮子は「夢」(伊吹)の7番(ボディ7cm)。「床立て」すると、箱池にしてはやたら深く、8尺でチョーチン状態。尺数規定がなくても7尺は無理じゃね?届きませんわ。たぶん。
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
釣り始めたら割とすぐに釣れたけどこのサイズ。ま、床釣りで釣れたし口に掛かってるしボウズ脱出…なんか虚しいw
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北桟橋で1時間ぐらいエサ打ちしたけど、ほとんど魚信なし。真冬の釣りは決断と行動力。誰もいない西中桟橋に移動。
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
30分ぐらいエサ打ちしてても魚信がなくて移動を考え始めた頃、サワリが出て…よっしゃ釣れました!移動できなくなったw。もう少しやってみよう。
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
天気予報じゃ降水量はそれほどでもって感じだったが、結構降るなあ。
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
ボチボチ釣れ始めて午前中7枚釣れました。小鮒が3枚も混じってるけどw。中セ池のヘラブナって白いですよね。かっこいいです。
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
7枚釣ったので、予備扱いで持ってきた「心道」にチェンジ。総高野竹の竿なんですが、剛竿で硬い。西池でよく使っていたので「西池スペシャル」と呼んでいたが、最近は西池行っても8尺は使ってなかったので使うのは久しぶり。
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
また白いフナ。このフナは頬紅をつけているが、これはヒルに食われた痕跡。鰓蓋からヒルがはみ出していたので、フォーセップで取ったった。
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
お巡りさん、このヒルです。グロ画像スミマセン。吸盤でフナの鰓蓋の裏に食いついています。
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
西池のコーヒーサービスはよく知られているが、中セ池は缶飲料のサービスがある。「熱いから冷ましてください」と言われて渡されたけど、熱っ!
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
またヒル付きのヘラブナが釣れた。鰓蓋からヒルがはみ出ています。赤いのは吸盤で食いついているところです。
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
中セ池は35cm以上の大助は買い取ってくれるんですが、35cmありそうなので検寸に持っていったら寸足らずで34cm。シートの皺を考慮していなかったw。
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
今度こそ大助!シートでは38.5cmですが、検寸では36.5cmでした。シートの皺が2cmですね。
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
午後の方がよく釣れて18枚釣れました。一瞬アルビノかと思った白いフナ。
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2024年2月、中セ池(八尾市)iPhone11
ということで、2月25日は、午前7枚+午後18枚で25枚釣れました。中セ池で初めて大助の買取券をもらったけど、50円と引き換えでした。尚、釣り券も帰りしなに事務所で返すと100円割引の金券と引き換えてくれます。
では、また。
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柄&無地シャツなど追加
ご来店お買い物ありがとうございます^ ^
本日も13時〜20時までの営業(電話やSNSなど前日までに連絡頂ければ12時〜営業致します)
体調の優れない方はご来店をお控えください
本日は柄&無地シャツなど
追加しておりますので、ご紹介☆
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Free Time
日本製
印象的な配色のスプレーで吹き付けた様な染め柄がアーティスティックでユニークな柄シャツ
アメカジなボトムはもちろん、スラックスなど合うかと
フリーサイズ、メンズM〜Lサイズくらい
是非♪♪
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DONNA KARAN
香港製
薄っすら青みがかったグレーカラーがクールで間違いなく使える無地カッターシ���ツ
デニムなど合わせても良い感じです
メンズLサイズくらい
是非♪♪
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Art Fish
国内モノ
目をひくピンクカラーに左胸ポケット部分の鳥キャラの刺繍が可愛らしいポリシャツ
襟袖の内側の黄緑色も洒落てます
L表記、メンズM〜Lサイズくらい
是非♪♪
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3月3日(日)10時〜16時 三津浜商店街にて
「みつはま春市」
熱烈歓迎 商品多数
三津浜のいろいろなお店が商店街に大集合します‼︎
雨天時場合前日判断
お時間ご都合の合う方、是非♪♪
それでは本日も元気に営業致します
よろにくです^ ^
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