Tumgik
#分譲地
kawasfudosan · 1 year
Photo
Tumblr media
超築浅の区分所有マンションの買取相談をいただきました。 マンション、中古住宅、土地、収益物件などなど、どんどん買い取りますよー!! #マンション買取 #中古マンション買取 #中古住宅買取 #土地買取 #収益物件買取 #アパート買取 #不動産買取 #物件買取 #マンション #分譲マンション #中古マンション #エントランス #不動産売買 #不動産仲介 #不動産屋 #静岡市葵区 #新富不動産スタジオ https://www.instagram.com/p/CpRRIgUvT05/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
shikishimajyuken · 2 years
Photo
Tumblr media
【🏡敷島住研株式会社🏡】 【今週もオープンハウス開催致します✨😊】 こんばんわ❗️ いきなり寒くなりましたね🥶 体調にはお気をつけて下さい😷 今週も寝屋ではオープンハウス開催致します❗️ 寝屋川でご新築をご希望中のお客様❗️ このご機会に、弊社自慢の仕様や構造をご見学ください✨🏡 また、ローンのご相談や不動産に関してお悩み・ご相談等ございましたら、弊社スタッフまでお声掛け下さいませ👌 ご来場、心よりお待ち致しております😄 #不動産仲介 #不動産売買#敷島住研 #寝屋川市不動産 #寝屋川市分譲地 #香里園分譲地 #大阪不動産 #新築一戸建て #注文建築 #リフォーム #一戸建てマイホーム #住まいのことなら当店におまかせ #お問い合わせはお気軽に #オープンハウス開催 #寝屋川市オープンハウス #オープンハウス見学会 #オープンハウス大阪 #オープンハウス開催中 #オープンハウス開催 ☎️0120553089(敷島住研京都支店) (大阪府寝屋川市) https://www.instagram.com/p/CjaJIZeOTIE/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
moja-co · 4 months
Text
第31代アメリカ大統領ハーバート・フーヴァー は、回顧録にこのように書いています。 『6年に及ぶニューディール政策の失敗を糊塗するため、また1000万人の失業者の存在を覆い隠すためだったと推測している。 1938年にはルーズベルトの政策顧問が「日本を戦争に多い込むことで、アメリカの海軍用艦船を建造させ、アメリカの重工業を復活させる」と、語っていたそうだから、早くから日本を戦争に追い込んでアメリカの軍需産業を復活させ不況を克服するという政策がルーズベルトのオーバルオフィスの中で常に議論されていたのだろう。 アメリカの産業を復活させるために、日本は戦争せざるを得なくなって、数百万人の尊い命が失われた。』 さらに、フーバーは著作の中で戦争へと至った19の過ちを指摘している。 1.1933年の国際経済会議をルーズベルトが破壊したこと 2.1933年11月にソ連と共産党を承認したこと 3.1938年、ドイツによるチェコスロバキアのズデーデン地方の   割譲要求を、ミュンヘン融和会議で承認したこと 4.1939年、イギリスとフランスがポーランドと   ルーマニアの独立を保証したこと 5.1941年、ルーズベルトが宣戦布告することなく   ドイツと日本を相手に戦争を始めたこと 6.ルーズベルトが警戒心を持った忍耐政策をとらなかったこと 7.1941年、ヒトラーがソ連を攻撃した時にルーズベルトが   大量の武器を支援してスターリンと共産主義を助けたこと 8.1941年7月、日本に対する経済制裁 9.1941年9月、近衛内閣の和平提案を拒絶したこと 10.1941年11月、日本からの3ヶ月間の冷却期間という提案拒絶 11.1943年1月、カサブランカにおける無条件降伏の要求 12.1943年10月、バルト三国とポーランド東部のソ連への割譲 13.1943年12月、テヘラン会議で7つソ連の傀儡国家を認めたこと 14.1945年2月、ヤルタ会談での秘密協定 15.1945年5月、6月、7月、日本からの和平提案を拒否したこと 16.1945年7月、ポツダムにおけるトルーマンの決断、具体的には   ①共産主義者とスターリンの世界における権力強化   ②ドイツの再興   ③民族追放   ④日本への無条件降伏の最後通牒 17.1945年8月、日本への原爆投下、   実際には日本の18都市への原爆投下を承認したのは   ルーズベルトで、トルーマンはそれを止められなかった   だけなのだが 18.毛沢東に中国を与えたこと、アメリカは   太平洋戦争以前は蒋介石を支援していたのに、   戦後は逆に支援を打ち切ってしまい、毛沢東が勝利した 19.戦後世界に共産主義の種を撒き散らしかしたこと ルーズベルト政権中枢には多数のソ連のスパイが暗躍していたので、 容共は避けられなかったのだろうが、 アメリカも和平を望んでいるはずだと信じて和平工作に明け暮れた近衛内閣が憐れに思える。 東條英機は遺書の中で 『自分はアメリカとの開戦については責任はない。しかし、 戦争によって多くの人が亡くなったことについては責任がある。 アメリカは日本という自由主義の国を破壊して、 世界の赤化の砦を失ったことに対して責任を負わなければならない』 としています。日本、特に近衛内閣などに対しての認識は、正確なものではありませんが、ルーズベルトに対する分析は正しいものであると思っています。
47 notes · View notes
nanaintheblue · 7 months
Text
Tumblr media
 一次通ってた 働きながら1年に2本も長編小説を書いてなんて、ほんの数ヶ月前の自分がやったことなのに不可解すぎる 
こんなこと頭おかしくないとできません 貧乏性も行き過ぎると狂気やね
いろんな人に「順風満帆ですね」「いつ作家になってもおかしくない進捗ですね」「本当に作家になると思ってます」などあかるく声をかけてもらえるのは本当にありがたいことであり、努力量の割には箸にも棒にもだった学生時代のわたしが見たら地団駄踏んで羨ましがる成果かなとも自負があります。でも学生の頃と変わらずものを作ってる時はひたすらしんどく、ゲロ吐きそ〜と思いながらチロチロ書いたり消したりを繰り返すのみです。
え…このペースでやっててほんまに作家なれるんかいな?はよしてくれや わたしこのNo!ルッキズム全盛期の時代にもかかわらず若くて♡スタイル抜群の美人小説家♡として肩書きつけてもらいたいのであまりに先のことだと困るんだよね 学生の時は文壇の久石譲になりたいと言ってましたがさいきんのわたしの中でのブームは文壇の山本リンダになることです 川上未映子とか西加奈子とか本谷有希子とか山内マリコとか綿矢りさとか年齢層固まっててまじ助かった、正直わたしの世代でめちゃくちゃ可愛くてきれいな小説家の方って今誰もいないので狙い目です(大炎上)
72 notes · View notes
mirorineji · 2 months
Photo
Tumblr media Tumblr media
ちゅうちゅうたこかいな18・19 → ★
東京都 『公社多摩川団地』  調布市染地3丁目1&東京都狛江市西和泉2丁目  タコモドキ滑り台
調布市の南東端部と狛江市の西端部にまたがり 多摩川のほとりに広がっていた多摩川住宅(分譲住宅と 東京都住宅供給公社の賃貸イ・ロ号棟と 各管理組合の分譲ハ、ニ、ホ、ト号棟など)のうち 順次? 2018年頃から解体~ ~建替えの計画があったような・・・
すべり台も 2017年当時はまだあったけど・・・ いまはわからない
24 notes · View notes
Tumblr media Tumblr media
Capítulo 3: El origen de un país y su prehistoria, un paseo por la historia del país del sol naciente.
-
El Pleistoceno:
-
Sean bienvenidos, a una nueva serie, de arqueología prehistórica, en esta ocasión, nos trasladamos al país del sol naciente. En los capítulos anteriores hablamos de: ¿Cuándo llegaron por primera vez los homínidos a Japón? ¿De qué vivían?, hablamos algo de su geografía, aunque no todo lo que a mí me hubiera gustado, por eso en este episodio y en los venideros la iremos analizando y como conformó la prehistoria japonesa hasta su final, también comentamos el inicio de la prehistoria humana a nivel global y de los primeros humanos de africanos que hablamos de forma superficial, también hablamos de ¿Quiénes habitaban Japón cuando ellos llegaron? Y de ¿cuándo llegaron? Respondimos a las preguntas de forma sintética, en los siguientes capítulos hablaremos más de cada uno de ellos en profundidad, como es debido dicho esto pónganse cómodos que empezamos.
-
El pleistoceno fue un periodo glacial en el cual los casquetes polares eran enormes, no toda la tierra estaba cubierta como se ha hecho creer, había zonas con praderas, una vez aclarado esto damos paso a la geografía que la abordaremos unos cuantos episodios para entender mejor su historia, prehistoria entre otros temas.
-
Geografía nipona en la prehistoria:¿Cuándo se formó el archipiélago japonés? Hay dos teorías, la primera dice que lo más probable es que se formaran por partes cada una de las cuatro grandes islas y otra dice que salieron directamente de una sola formación, es decir, que las placas tectónicas en un solo sismo salieron las cuatro islas¿Qué opinan ustedes? Lo que sí se sabe es que hokkaido se formó de una tajada hace 20 millones de años, yo aporto una tercera teoría que hubiera pequeñas islas y que a raíz de lay se formará el resto de las islas, japón se sitúa en el cinturón de fuego, lo que lo convierte en un objetivo de las actividades volcánicas ¿Cómo se llaman las placas tectónicas que forman el archipiélago? Esta pregunta y muchas más la veremos en los próximos capítulos.
-
Vamos a dividir este capítulo en sus epígrafes para poder hablar de la geografía gracias por valorarlo. -
第3章 国の成り立ちと先史、日出ずる国の歴史を歩く。 - 更新世: - 先史考古学の新しいシリーズへようこそ。この機会に、私たちは日出ずる国に移ります。 前の章では、ヒト科が初めて日本に到達したのはいつですか? 彼らは何を食べて暮らしていたのでしょうか?私たちは彼らの地理について少し話しましたが、私が望んでいたすべてではありませんでしたので、このエピソードと今後のエピソードではそれを分析し、それが終わりに至るまで日本の先史時代をどのように形作ったのか、また、古代の始まりについても説明します。世界レベルでの人類先史と、私たちが表面的に語る最初のアフリカ人についても話しますが、彼らが到着したとき、誰が日本に住んでいたのかについても話します。 そして彼らはいつ到着しましたか? 私たちは総合的な方法で質問に答えました。次の章では、それぞれの質問について詳しく説明します。言うまでもなく、安心して始めましょう。 - 更新世は、極冠が巨大だった氷河期で、信じられているように地球全体が覆われていたわけではなく、草原のある地域もありました。これが明らかになると、地理の問題に道が譲られます。これについては、いくつかのエピソードで取り上げます。その歴史、先史時代などのトピックをより深く理解するために。 - 先史時代の日本の地理: 日本列島はいつ形成されたか? 2つの理論があり、1つは4つの大きな島がそれぞれ部分的に形成された可能性が最も高いというもので、もう1つは単一の地層から直接生じたもの、つまり1回の地震でプレートが残ったものであるというものです。四島についてどう思いますか? 知られているのは、北海道は2000万年前に一片に形成されたということである。私は、小さな島々が存在し、その結果として残りの島々が形成されるだろうという3番目の理論を提供する。日本は火の輪の中に位置している。列島を形成するプレートを何というでしょう? この質問とさらに多くの質問を次の章で見ていきます。 - 地理についてお話しできるよう、この章をエピグラフに分割する予定です。ご評価いただきありがとうございます。
-
Chapter 3: The origin of a country and its prehistory, a walk through the history of the country of the rising sun.
The Pleistocene:
Welcome to a new series of prehistoric archeology, on this occasion, we move to the country of the rising sun. In the previous chapters we talked about: When did hominids first arrive in Japan? What did they live on? We talked a little about their geography, although not everything I would have liked, so in this episode and in future ones we will analyze it and how it shaped Japanese prehistory until its end, we also discuss the beginning of human prehistory at a global level and the first African humans that we talk about superficially, we also talk about Who inhabited Japan when they arrived? And when did they arrive? We answered the questions in a synthetic way, in the following chapters we will talk more about each of them in depth, as it should be said, make yourself comfortable and let's begin.
The Pleistocene was a glacial period in which the polar caps were enormous, not all the earth was covered as it has been believed, there were areas with grasslands, once this is clarified we give way to geography, which we will address in a few episodes to understand better. its history, prehistory among other topics.
Japanese geography in prehistory: When was the Japanese archipelago formed? There are two theories, the first says that it is most likely that each of the four large islands were formed in parts and the other says that they came out directly from a single formation, that is, that the tectonic plates in a single earthquake left the four islands. What do you think? What is known is that Hokkaido was formed in one slice 20 million years ago, I provide a third theory that there were small islands and that as a result of this the rest of the islands will be formed, Japan is located in the ring of fire , making it a target for volcanic activities. What are the tectonic plates that form the archipelago called? We will see this question and many more in the next chapters.
We are going to divide this chapter into its epigraphs to be able to talk about geography, thank you for valuing it.
22 notes · View notes
kennak · 4 months
Quote
”地盤沈下や排水などの問題を抱えた「欠陥分譲地」を、現状、行政の力で利用を規制することなどほぼ不可能に近く、その利用はあくまで自己責任で判断しなくてはならない” 行政が財産を「規制」することの難しさ
[B! 不動産] 住んではいけない場所を開発している…千葉県郊外で建ち始めた「30坪2500万円の新築戸建て」の根本問題 「限界分譲地」の悲劇はまた繰り返す
17 notes · View notes
dempameat · 1 year
Photo
Tumblr media
githubさんはTwitterを使っています: 「イスラム教徒「多文化の墓を作れば、みんなが日本で自分の人生をストレスフリーにできる」 ムスリムには、現地人に対して譲歩するといった考えは一切ないので、少しでも引いたら侵略されますよ #イスラム教徒 #サヘルローズ #土葬墓地 https://t.co/peHQIQdEzG」 / Twitter
65 notes · View notes
mlyzvt-no2157 · 7 months
Text
YさんのAV男優スカウトとOさんのデマ事件
前の会社で起きた変なエピソードをご紹介したいと思います。
就職して間もない新人の頃、私が担当していた地域は、現在担当している中東・北アフリカなどのアラブ圏ではなく、インド・パキスタンが昔から領有権を巡って紛争の火種になっているインド北部のカシミール地方だった。 私はインドへはカシミール地方(主にスリナガルか、ラダック)しか行ったことがないのだが、カシミール地方は、俗に言うインドの有名観光地(デリー、カルカッタ、バラナシ、アグラ、ブッダガヤなど)とは全く異なる雰囲気らしく、インドがイギリス領だった頃のイギリス貴族の別邸があったり、当時、避暑地としての高級リゾート地だった名残を残している。
雪を抱いたヒマラヤの山々と湖が織りなし、三角屋根の可愛らしい家々や、湖に浮かぶボートハウスなどが、雄大な大自然に恵まれたカシミール地方の美しさを引き立てており、治安さえ安定すれば、ここは素晴らしい観光地になるだろうと、訪れる度に思っていた。
カシミール地方を担当していた頃、一緒に取材に行く映像部門のカメラマンに40代半ばのYさんという中間管理職の男性だった。
どちらかと言えば、この会社では、何故か容姿や体格にやたらと恵まれた男性が多い(特に営業部)中、Yさんに至っては、ごく普通の風貌だった。 身長も恐らく、175cmぐらい(当時の40代半ばの175cmだと世間一般では、高いのかもしれないが、大学&大学院で所属していた研究室と、前の職場の男性は異様に背が高い人が多く、仲良くしている男性社員は全員180㎝台後半だったし、私の親兄弟&親戚&夫&夫の親戚も皆異様に背が高く、明治生まれの祖父でさえ、185cmという背の高い家系なので、男性で175cmだと低いと思ってしまう💦)の瘦せ型で、特にイケメンという訳でもなく、ごくごく普通のオジサンという印象だった。
重い機材を持ち運ぶカメラマンらしく、Yさんの浅黒く日焼けした身体は引き締まっており、白髪も無いフサフサとした黒髪は豊かで、弛みの無いシャープな顎は実年齢よりもYさんを10歳ぐらい若く見せており…と誉め言葉を連ねたいのだが、中年男性特有の(?)顔のテカりを営業部の次長のOさん(ハリウッドスターのロバート・レッドフォードさん似の高身長痩身の男前で、海外ハイブランドのスーツを格好良く着こなし、営業成績も良く、見た目だけは、モデルや俳優のような完璧な容姿。だが、性格と言動はかなり問題アリな人)にからかわれ、Oさんからは『てっかりん』と呼ばれていた。
Yさんは、奥様と二人の娘さんがいる、ごく普通の妻子持ちのサラリーマンである。 ちなみに、娘さん二人は、Yさんには全く似ておらず、奥様に似た美人姉妹で日本最高峰の国立大学に公立高校から予備校にも通わずに、通信教育だけで現役で合格した超秀才の、非の打ち所がない才色兼備の美人姉妹である。
だから、心無いOさんは、『Yさんの娘さんは二人共、奥様と間男との不義の子だ』なんて酷い噂を流していた。だが、Yさんはおおらかで、寛大な方だったので、Oさんの悪意も笑って受け流してしている、非常によくできた人間だった(多分、私がYさんだったら、そんな噂を流されたものなら、OさんやOさんの上司のTさんにブチ切れたあげく、人事部の部長に報告し、名誉毀損で損害賠償を請求すると思う)。
そんな、お人好しのYさんが、ある休日に、彼の趣味であるパラグライダーの用品を買おうと渋谷を歩いていたら、スカウトされたらしい。 何にスカウトされたかというと、なんとAV男優へのスカウトだったらしい。 Yさんは、その場で断ったらしいが、1出演あたり、50万円のギャラを支払うから、どうか、撮影現場だけでも来て欲しいとスカウトしてきた人に懇願されたらしいが、YさんはAVなんかには絶対出演したくなかったし、そもそも自分はカメラマンで、撮影する側であり、撮影される側ではないと、断ったらしい。スカウトの人は残念そうに、名刺だけYさんに渡して、気が変ったら、是非連絡をくださいと言い残して、残念そうに去っていったらしい。
Yさんは、帰宅してから奥様に渋谷でAV男優にスカウトされた事を話したらしい。 すると奥様は「よかったじゃない。AV男優にスカウトされるなんて、あなたは、40代だけれど、まだまだ男性として魅力があるってことよ。でも、まあ普通、AVの出演は断るわよね」と言ったそうだ。
すっかり気を良くしたYさんは、次の出社日にスカウトされたときにもらったAV制作会社の名刺を持って、意気揚々として、『渋谷を歩いていたら、一回あたりの出演ギャラ50万円のAV男優にスカウトされた』と誇らしげに語っていた。 YさんがAV男優にスカウトされた話は、お喋りや噂好きのOさんの耳にも届き、会社中どころか、関連会社、子会社の社員までが知る事となってしまった。
YさんのAV男優スカウトの話題が社内で落ち着いた頃、私はセミナーで自分と同じくカシミール地方の紛争取材を担当している同業種の他社で働いている知人記者とバッタリ会った。 その知人記者とお昼休憩で、一緒にランチをしていると、こんな会話になってしまった。
「みずほさんの会社にYさんっていうカメラマンの方がいらっしゃいますよね?」 「ええ、いますよ。私とペアを組んでいるカシミール担当のカメラマンです」 「あのYさんって凄いですよね~。カリスマAV男優の●●さんと共同出演してゲイAV界で華々しくデビューして初版のDVD発売数は500万部って聞きましたよ~」
私は思わず、飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。 なぜ、そんな噂が流れているのか?! カリスマAV男優の●●さんは、確かにカリスマAV男優だけれども、ゲイAVに出演するなんて聞いたこと無いぞ?しかも、その相手がYさんだなんて、一体何処からそんな情報が出たの?? 私は心の中で何度も疑問を反芻していた。
「…!!!えっ?それ、完全にデマですよ?Yは確かに、AV男優にスカウトされましたけど、スカウトされたその場でAVの出演を断りましたけど?しかも、ゲイAV男優じゃなくて、普通のAV男優として、スカウトされただけですけど?」 「えっ?だって、御社の営業部のOさんが、ウチの△△部長にそう言ってましたよ」 「いえいえ、その話は、真実に尾鰭が付いたデマです。YはAV男優にスカウトされただけですし、その場で断ってますし。真実と異なるいい加減な情報をOが流してしまい、本当に申し訳ございません。どうか、△△部長殿にも、デマだとお伝えいただけますか?」 「Yさんと一緒に仕事をされているみずほさんが、そう仰るなのなら、それが事実なんですね、分かりました、伝えておきます。」
このとき、私は口から心臓が飛び出るかと思うほどビックリしたし、顔から火が出るほど恥ずかしかった。 なぜ、Oさんは、いつもいつも真実ではなく、余計な尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けてデマを流すのか。 しかし、よくこんなぶっ飛んだデマを思い付くモノだなってOさんの発想力に感服すると共に、冷静になればなる程、Oさんに対する不信感が募ってきた。 百歩千歩譲って社内や関連会社の人間だけならまだよしとしても(本当は全然よくないが)、全く違う会社の人に、こんなデマを伝えるなんて、この業態に身を置く人間として許されないのではないか?という怒りがこみ上げ、午後からのセミナーは殆ど身に入らならかった。
その日は直帰していい事になっていたが、私はセミナーが終わるなり、会社へと急いだ。 自分の部署の扉を開けるなり、私は大声で
「Mさん!!Oさんのせいで、大変な事になりかけてましたよ!!」
と叫んだ。 てっきり、私が直帰するとばかり思っていた上司で部門長のMさんは私が物凄い剣幕でまくし立てたので、ビックリして飛び上がりそうになっていた。
Mさんは、取り合えず、私に落ち着く様にと言い、何が起こったのか順を追って説明してくれと言った。 私は知人記者から聞いた「YさんAV男優スカウト事件」について、Oさ��がトンデモナイ尾鰭、背鰭、胸鰭、尻鰭まで付けて、社外の人に真実と異なる事を喋っていた事を伝えた。 そして、これは職務上、聞き洩らしや言い間違いなどの齟齬を防ぐための、私のいつもの習慣なのだが、ボイスレコーダーを再生し、知人記者との会話をMさんに聞かせてみせた。
Mさんは、Oさんが盛った話があまりにコミカルでぶっ飛んでいたので、最初はお腹を押さえて大笑いしていたが、一通り笑った後、「イカン、イカン、笑い事じゃなかったな。営業部と人事部に報告に行こう」と言い、私を同行させた。
この業界は色々な人間や組織を相手に取材を行い、取材から得た情報を提供する事が仕事である。 だから、提供する情報は真実と異なる物であっては絶対にならない。 勿論、知っている情報から憶測でモノを言うこともご法度である。 これは、新入社員の時に厳しく言い聞かされた事であり、私のように執筆に携わる者だけでなく、間接部門や管理部門でも周知徹底している当然の鉄則である。 ましてや、社外の人との交流が多い、営業部の、部門長のTさんの次に偉い人間であるOさんがデマを話すなんて言語道断である。
幸い、Oさんが話した内容は、相手方企業の方があまり興味を持たなかったので、事無きで済んだ。 しかし、Oさんが盛った話の中で、Yさんの相手役になっていた●●さんというAV男優は、AV界では、カリスマAV男優として名を馳せている(特定の分野に限ってではあるが、ある意味)著名人である。 もしも、Oさんがデマを話した相手方企業が、Oさんの話に興味を抱き、カリスマAV男優の●●さんへ取材を申し込んでいたりしたら、当社は信頼を失墜する恐れすらあったのだ。
この事は人事部長の逆鱗に触れ、Oさんは1週間の出勤停止処分となり、Oさんの上司のTさんも部下の監督不行き届きで厳重注意処分となった。
人事部長と営業部の部門長のTさんには、よく炎や火事になる前に煙の状態で火消ししてくれたと感謝されたが、当然ながら、Oさんには恨まれた。私はこのAV男優スカウト事件以来、Oさんにしょっちゅう落とし穴を掘られたり、地雷や罠を仕掛けられるようになり、Oさんとの長い戦いの始まりであった。
だが、滅茶苦茶酷い噂を流されても、「まぁまぁ、Oさんは面白い話をしたかっただけだと思うし、よくそこまでぶっ飛んだ噂に飛躍できるなって、ある意味Oさんも盛った話は笑いのネタとしてはもってこいだから、僕は気にしてないよ」と、笑いながらOさんを許したYさんは、本当に寛大な人間だと思う。 私もYさんの寛大さとおおらかさを見習わなければならないと思った瞬間だった。
残念ながら、私は2年後にカシミール地方の担当を外れ、アラブ圏(主に中東・北アフリカ)担当になったので、Yさんと一緒に仕事をしたのは2年間だけだった。
中東・北アフリカ担当になり、カシミール担当時代よりも、遥かに過酷な現実や心が折れそうになる悲惨な世界や事柄を沢山目の当たりにした。だが、挫けそうになる度に、私はYさんの事を思い出した。 まだ、右も左も分からない新人の頃に、Yさんからは、この業界に身を置く者としてのイロハを沢山教えて頂いた。
Yさんから教えて頂いた沢山の事は、今でも私の心の支えである。
19 notes · View notes
shikishimajyuken · 2 years
Photo
Tumblr media
【🏡敷島住研株式会社🏡】 【㊗️上棟式㊗️】 こんにちは❗️ 本日、上植野6号地のH様邸が上棟されました🏡 台風が来る前だった為、中止する事なく上棟を迎えることができ、安心しました😅 16時頃には屋根も取り付け、ブルーシートで囲い作業終了⚒️ これから素敵なお家が建築されるのが楽しみです😆✨ また随時ご報告させて頂きます🙇🏻‍♂️ #不動産仲介 #不動産売買#敷島住研 #向日市不動産 #向日市分譲地 #京都不動産#新築一戸建て #注文建築 #リフォーム#リノベーション #一戸建てマイホーム #住まいのことなら当店におまかせ #お問い合わせはお気軽に #上棟 #上棟式 #上棟しました #上棟おめでとうございます 不動産ご相談はこちらまで ☎️0120553089(敷島住研京都支店) (Muko, Kyoto) https://www.instagram.com/p/CimnVvSucyY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
leomacgivena · 2 months
Quote
あとインドに関してはヨーロッパ人開拓者がとりあえずよく分からん土地にインドって付けまくってたのもある。東インドは500歩譲歩するとしても西インドとインディアンはねーだろ流石に
Xユーザーのtasutenさん
7 notes · View notes
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
昨日のKentucky Route Zero。 ※画像は全て非公式日本語modを使用しています。
ずっとTwitterでやっていたけど、投稿を分けるのが面倒なのと文字数制限もあるのででこちらに移動。
Act4、とりあえず絶対船から降りないパターンで終わりまで。これはこれでいいんだよな。 やっぱりAct4は一番好きかもなあ。探索する余地とかは全然なくてひたすら一本道なんだけど、グラフィックも音も会話もすごくいい。川の音とか洞窟に響く音とか、録音して流せるようにしたいかも。川というか水辺に暮らす人々というのはこないだ見返した「エレメント・オブ・クライム」も少し思い出す。そういえば濱マイクの「遥かな時代の階段を」も好きだったな。川というか水だとタルコフスキーも出てくるしなあ。 コンウェイがどうにも他人に思えなくて、寂しい感じなんだけどいいんだよなあ。仕事があるだけいいってことか…。あと、ウィルもなんか変人で好き。オルガンうまいし。ボイスがついていないゲームだけど、一つ前の幕間劇「Here and There Along the Echo」でウィルだけは声が聞けるんだよな。
最初にゲームをやったのがファミコンとかスーパーファミコンのせいか、どうもボイス付きのゲームが苦手なんだよな…。英語だったらまだ映画みたいな感じで行けるんだけど、日本語はかなり違和感がある。日本語ボイスのゲームは最初に設定ですぐ英語音声+日本語字幕に変える…。アニメが苦手なのもあるかな…。
ポピーの「暗い考え」は、最初にやった時から自分もこの先どうなるかわからんし…と思っていたけど、最近AIでますますリアルに感じるようになってきた。便利になるのは単純にいいことだと思うけど、そうなった時どうやっていくか…。
エジソンのライフユニットって本当にある話なのかな。ニューヨーク・タイムズのアーカイブにあるみたいだけど、購読してないので読めず。エジソンは神智学協会に出入りしてたり結構オカルト好きだったという話もあるので、ありそうな話といえばありそうな話だけど。
なんとなく、年寄りが若い人に道を譲っていく話でもあるのかなあ、と今回思った。ルーラ、ジョセフ、ドナルドの三人組からコンウェイやシャノンへ、そしてエズラへ、みたいな。その間をつなぐウィーバーは年齢で言うと若いほうだけど、なんか超越してる感じかな…。狂言回しみたいな所もあると思うけど。ジューンバグとジョニーはアンドロイドでおそらくは長生きなので、近くにはいるもののちょっと別枠だろうか。若い頃のリゼットの歌も聴いてたみたいだし。 あとはやっぱりホーボーというかロードムービーというか、ずっと旅をしてるっていう感じがすごくある(特にAct4は文字通りずっと流されていくので)。ケルアックの路上、何度も挫折してるけど今度こそ読んでみようか…。ホーボー→ビート→ヒッピー→コンピュータという流れは結構KRZぽいのかもしれない。特にルーラ、ジョセフ、ドナルドの三人組の頃。ヒッピーはあんまりないか。 このゲームを作った人たちは何歳くらいなんだろう…。最初はなんとなく同世代くらいかなと思ってたけど、もしかして少し下くらいだろうか。
Act4最後の山場、クララのテルミン演奏シーンを見るといつもテルミンが欲しくなる。意外と高いし多分全然演奏できないと思うので買わないけど…(笑)。このクララがライブで演奏する曲がすごく好きなんだけど、なぜかゲームに付いてるサントラの方にしか入ってないんだよな。Long Journey Homeのテンポの早い方もだけど、微妙に違いがあるのが不思議。Actごとにリリースしてたからかな。
本来なら次は「Un Pueblo de Nada」だけど、もう一回Act4で全部降りるパターンをやるつもり。でもなんだか終わりが近づいてきてしまってちょっとさみしいな。
最近FAITHのポストをたくさんしていたけど、思いっきり日本語で書いてるのに意外と海外のアカウント(多分)からLikeやReblogがついていてびっくり。ファンが多いのかな。Kentucky Route Zeroももっと盛り上がってほしいなあ。Redditもそんなにポストないし、KRZファンは一体どこにいるのか…。そもそもそんなにいないという説はあるけど……。
35 notes · View notes
tomoya-jinguuji · 2 months
Text
天壌無窮の皇運を扶翼すべし
3月 14, 2017
FBに短文を投稿しようかと思ったけど、ここは一発話題の教育勅語を考察してみようか。 12の徳目が素晴らしいから教育勅語は正しいんだという論調は全く問題ないんだが、教育勅語が気に入らないと言っている人達が一番気に入らないのは 「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」 ここでしょう? ここを論じることなくしては、議論にならないわけだ。 正面突破しようか。 この一文の前にある 「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と繋げて 「国が危機的状況に陥ったら自らを犠牲にして天皇陛下のために死ね」 と訳して、軍国主義だ〜〜〜とやるわけだ。 「一旦緩急あれば」はまさしく「国の」とは明記していないものの、確かに「危機的状況」には違いない。 「義勇公に奉じ」はもちろん「勇気を持って公の為に尽くしなさい」となる。 「以て」それにより 「天壌無窮の」天地に永遠に続く 「皇運を」後に回す 「扶翼すべし」助けなさい。 ここで皇運をどう捉えるかが問題だ。 皇=天皇陛下と捉えれば 皇運、即ち陛下の運、運命ないしは皇室の運という事になる。 ************ よく考えてみてくれ この教育勅語は 「朕おもうに我が皇祖皇宗「国」をはじむること広遠に 徳をたつること深厚なり」 皇祖:天照大神 皇宗:神武天皇以降歴代の天皇 は、遠い昔に日本国を建設され、代々その徳は深く厚いものだった。 つまり「国」を語るところから始まっている。 そして以下のように続く 我が臣民(略)億兆心を一にして代々(よよ)その美をなせるは これ我が国体の精華にして教育の淵源また実にここにそんす 日本国民は全国民心を一つにして代々その美しさを体現してきたのは、これはこの国の在り方そのものが発露したものであって、正に教育の根がそこにあるのです。 となる。 その後12の徳目が列挙されるわけだが、 なぜ国家を語るところから始まって 一旦緩急あれば、の段に突然天皇陛下お一人のことに話が変わるのか。 全体を読めば「天皇のために死ね」と解する事のおかしさが分かる。 この場合皇運とは皇国の運命と訳すべきで有り、即ち日本国の運命という事になる。 よって「緩急」とは単なる危機的状況ではなく 国家を揺るがす一大事に於いては、と訳すべきで有り、 義勇公に奉じ:その際には自らを顧みず皆のために全力を尽くし、 これをもって 天壌無窮の:天地に永遠につづく(べき) 皇運を扶翼すべし:日本国の運命を助けよ。 となる。 陛下だけ守って国民が居なくなれば、これは国ではなくなる。 公に奉じておいて、陛下だけの運命を守れ、では辻褄が合わない。 6年前の東日本大震災のおりに自衛隊の方々は、自分たちも余震に脅かされいつまた周辺の瓦礫が崩れ自らも二次被害に遭うかも知れないという状況にありながら、必至に行方不明者の捜索を行い、一人でも多くの被災者の命を救おうとしてくれた。 もちろん先の大戦の折にも、硫黄島に向かった兵士達は自らが生きて帰って来れないことは重々承知していた。しかしながら硫黄島が獲られればそこから本土に空襲に向かう爆撃機が飛び立つことが出来る事も知っていた。だからこそ、彼らが一日でも長く抵抗することが本国の愛する家族を守ることになる。だから5日で占領出来ると考えていたアメリカに対して1ヶ月以上も粘り続ける事が出来た。 昨今日本の道徳心が低下した等と言われるが、私は、日本人の心は根底では変わっていないと思っている。 話がずれた。 ************************* 皇運=日本国の運命 を理解するためには、そもそも天皇陛下と我々臣民(国民)との関係を理解している必要がある。 仁徳天皇の民の竈の話は有名だ。 日本独自の伝統~仁徳天皇 詳しい内容は上記リンクに譲る。 臣民(国民)の竈から煙が出ていない、すなわちご飯が食べられていない事を知り、年貢の徴収をとりやめた。おかげで皇居に雨漏りがするほど貧しくなってしまった。この事を苦にした皇后陛下に対し 臣民(国民)が貧しいことは自らが貧しい 臣民(国民)が富めるときは自らも富んでいる と答えられた仁徳天皇。 そして、竈に煙が戻り充分食べられるようになった人々は、 陛下の心に答えて自ら集って皇居を治した。 という話。 この話が事実かどうかは些末な問題だ。 それ以上に1300年近く前に編纂された日本書紀に書かれたこの話が、以降1000年以上の長きにわたって日本で語り継がれ、模範とされてきた事実が重要だ。 日本に於いて天皇陛下と我々国民の関係は、互いにその幸せを願い、助け合う存在だという事。時に人はこれを親と子になぞらえて語る。 陛下は国民を「たから」とよび我々は陛下を敬う。 この陛下と国民との関係を理想として、我々はこの国を代々継承してきた。 この関係は住民を自らの富のために搾取してきたヨーロッパの王の姿とは大きく異なる。結果フランスでは革命が起こり王が処刑される。 時にそのような理想的な天皇陛下に恵まれなかったことも歴史の中にはあったかも知れない。 それは正に夫婦と同様、仲むつまじい夫婦という理想を追いかけながら、現実は夫婦喧嘩もし、日々の様々な問題を乗り越えていく。 同様に、陛下と我々国民の間も長い歴史の間に於いて理想通りに行っていない時期もあったかも知れないが、それでも理想的関係を模索しながら切磋琢磨してきた歴史なのではないだろうか。 そう考えると、現代の我々国民のありかたは、はたして理想的姿を体現出来ているのか、幾ばくかの疑問が残ることを否めない。 また話がそれた。 天皇陛下の国民への思いは今も変わらない。 国民に知ってほしい陛下の祈り 詳しくは上リンクに譲るが、陛下は元旦早朝より日本の国の平穏を願い祈りを捧げる。 また、毎日祈りを捧げてから一日を始められるそうだ。 国民の平和と繁栄を第一に思う陛下だからこそ、日米開戦に最後まで反対されたのは他でもない天皇陛下だった。 大東亜戦争開戦前の御前会議 上リンクより引用
昭和16年9月6日、日本は昭和天皇の前で御前会議を開きます。その席で昭和天皇は、「外交が主か、戦争が主か」と閣僚たちに尋ねられました。及川海相が「重点は外交��ある」と答えました。すると昭和天皇は、懐から紙片を取り出され、御自らお詠みになられた。 よもの海 みなはらからと思ふ世に など波風の たちさわぐらむ四方の海は、みんな同じ人間、同じ家族であり兄弟であると思うのに、なぜ争いの波風が起こるのだろうか。そう詠まれたこの歌は、明治天皇の御製です。昭和天皇のこのお言葉に、列席した閣僚たちは、全員、ただうなだれるより言葉がなかった。しばらくの間、誰もがうつむき、言葉を発する者さえなかった。
そして終戦を決断出来なかった政府に、終戦の聖断を下したのも陛下だった。
「迫水久常の手記」(終戦時内閣書記官長)天皇の聖断で受諾した“ポツダム宣言”
上リンクより引用
そして、いまにして思えば、終戦ができたのも、一に天皇陛下の御仁徳のおかげであった。陛下の真のご信念はいつも平和にあった、ということを、私はそのときほど強く感じたことはない。戦争終結の動機も、実にそのご信念から発したものであった。
陛下は常に国と国民の平和と繁栄を望み、その為に祈っている。 だからこそ我々は陛下のため、即ちこの国のため、この国に住む家族全ての同胞の為に資力を尽くす。 これを君民一体という。 これが理解出来れば、 皇運がすなわち我々全て日本に住む国民の運命だという事が容易に理解出来るはずである。 ******************* 最後に教育勅語のそもそもの在り方を好く現していると思う末尾を語って締めくくろう。 この道は(略):即ち12の徳目 古今につうじて謬(あやま)らず:昔から今に至るまで変わらないことで 中外にほどこして悖(もと)らず:外国の人達に伝えても正しいことです。 「朕汝臣民と共に拳々服膺して みなその徳を一にせんことをこいねがう」 私は、あなた方国民と共にこの正しい道理(12の徳目)を両手で大事に抱くように大切にしします。だから我々みながこの徳を一緒に体現していくことを願ってやまないのです。 教育勅語を支配者である天皇が従属者である国民に対して、あたかも命令のように下したものであると主張する旨が如何に根拠のないものか、この最後の一文を理解すれば良く分かると思う。
7 notes · View notes
hangorin · 8 months
Text
東京五輪から2年 湾岸はいま
Tumblr media
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざされていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
Tumblr media
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
Tumblr media
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作るという話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪���前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
Tumblr media
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の息吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
Tumblr media Tumblr media
③晴海選手村
Tumblr media
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
Tumblr media
選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
Tumblr media
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
Tumblr media
右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪を振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
Tumblr media
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
Tumblr media
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園
Tumblr media
ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
Tumblr media
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
Tumblr media
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
Tumblr media
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
Tumblr media
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、オリンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
Tumblr media
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
Tumblr media
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
Tumblr media
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼう���うのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
Tumblr media
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
Tumblr media
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつく��て飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
Tumblr media
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
Tumblr media
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
Tumblr media
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
Tumblr media
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
Tumblr media
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
youtube
17 notes · View notes
kozy-ogawa · 1 year
Text
Tumblrフォローすべき10の国内アカウント
TumblrがActivityPubを採用すると発表し、Mastodonとの連携が可能になったことにより、Twitterからの避難先として一躍注目を浴びるようになってきた。
ブログサービスのTumblrが、分散型SNSサービスの標準プロトコルであるActivityPubを採用すると明らかにしました。
ActivityPubは、Twitter代替を目指すマストドン(Mastodon)、Pleroma、GNU social、PeerTube、Misskeyなどの分散型SNSのサーバ同士が投稿やユーザー情報をやり取りするための標準で、2018年1月にW3C推奨となっています。
またコミュニティラベルの導入により表現規制の問題に一定の譲歩を示している。
Automatticのマット・マレンウェッグCEOは「コミュニティラベルの立ち上げはコミュニティをよりオープンにするためのの第一歩です」と明るい姿勢を見せるも、過去のような規制の緩い運営は困難だとし「クレジットカード会社やアプリストアは反ポルノ体制をとっており、これに従わないとTumblrだけでなくAutomatticの社員までもが将来を脅かされることになります。また、アダルトSNSを運営するには厳格な年齢確認を行う必要があり、年間700万ドル(約1億円)のコストがかかると見積もっています。初期のインターネットのような時代はもう不可能です」と述べました。
Tumblrは、ポルノコンテンツの規制により「Tumblrはオワコン」と散々揶揄されてきたが、むしろユーザー層が一新され、現在は
Z世代のコミュニティ
ファンダムによる推し活を含むクリエイターエコノミー
スモールビジネスのWebサイト
として利用されてきた感がある。
そこで国内Tumblrユーザーの動向をウォッチしてきた自称「Tumblrエバンジェリスト」として、フォローすべき10のアカウントを紹介したい。
1.Z世代
@ak0gare いつか零れ落ちるもののすべて
Tumblr日本語ユーザのZ世代の日記として人気が高い。
2.ブロガー
@alien-melissa Risa
海外や日本のインディ・シーンをTumblrで発信するブロガー 。
関連記事はこちら
3.ECサイト
@hiraharu パンと日用品の店 わざわざ オンラインストア
実店舗とオンラインストアでパンと日用品を販売している「パンと日用品の店わざわざ」実はこちらのECサイトはTumblrで製作されている。
関連記事はこちら
4.女優
@mikimizuno Miki Mizuno Official Website
女優、水野美紀オフィシャルサイト
5.ボーカリスト
@sarahalainn Sarah Àlainn ~サラ~
ボーカリスト、サラ・オレインの日記
6.ミュージシャン
@mononkvl モノンクル
ミュージシャン、モノンクルオフィシャルサイト
7.コレクター
@yoghurt-freak Yoghurt
800種類ものヨーグルトを食べてきた向井智香さんのブログ。
関連記事はこちら
8.フォトグラファー
@takashiyasui Takashi Yasui
フォトグラファー、保井崇志さんのポートフォリオサイト。海外からのフォロワーも数多くいる。
関連記事はこちら
9.GiF職人
@1041uuu 1041uuu
イラストレーター・GIFアニメ作家、豊井さんのポートフォリオサイト。
関連記事はこちら
10.地域コミュニティ
@shodoshima-camera  小豆島カメラ
見たい!食べたい!会いたい! 島で暮らす7人の女性が撮る小豆島。
関連記事はこちら
Twitterの避難先として注目を浴びているTumblrだが、個人的な見解として、二項対立やマウンティングが大好きなTwitterユーザーと現在のTumblrの空間は相容れないと思われる。
例えば、TwitterのリツイートとTumblrのリブログは一般に同じような機能として考えられている。しかし、Twitterのリツイートは「引用」であるが、Tumblrのリブログは「追記」である。反論は「引用」では可能だが、「追記」ではできない。
ディスりのTwitterと推しのTumblrでは全く世界観が異なるのである。
60 notes · View notes
ari0921 · 5 months
Text
我が国の未来を見通す(94)
『強靭な国家』を造る(31)
 総括「『強靭な国家』を造る」(前段)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに──「『強靭な国家』を造る」を総括す
るにあたって
 「『強靭な国家』をいかに造るか」というテーマ
で20回にわたり延々と書いてしまいました。すべ
てが「強靭な国家」を造るという“「大目的」のた
め”ということから、あえて、毎回のテーマを変え
ないまま書き綴った結果でした。
改めて読み直してみますと、あくまで私の“独りよ
がり”ではあるのですが、“「強靭な国家」を造る
ことがいかに大変なことか”について再び考え込ん
でしまいます。
卑近な例をとりあげますと、現在ハマスと戦争の最
中にあるイスラエルは、日本などと比較して、20
00年にも及ぶ長い間、国を挙げてあらゆる分野で
「強靭な国家」造りを最優先して実行し続けてきた
国家であり、(すでに触れたような)その“強さ”
は、昨日今日に出来あがったものではありません。
しかし、そのようなイスラエルであっても、今回の
ような事態を招く結果になってしまいました。ハマ
ス側からすれば、10月8日の奇襲攻撃に対する報
復が、現時点において1万5千人以上の犠牲者を含
むガザ地区の壊滅に至ったわけですから、人質交換
のための一時的な停戦合意は継続していても、その
後の展開が不明であることを考えると、“割に合わ
ない、とんでもないことをしでかしたものだ”と思
ってしまいます。
イスラエルの“非情”ともいえる作戦は、単に報復
に留まらず、“この機会にハマスを壊滅する、少な
くとも、未来永劫にハマスに手出しをさせない”と、
本来の戦略に立ち返ってこれまで以上に“強い決
意”をもって作戦を遂行した結果でしょう。それこ
そが、これまでもそうであったように、将来のため
に「強靭な国造り」をめざすイスラエルという国の
“生き様”であり、「国の形」であると私は考えて
います。
我が国にあっては、明治維新に「富国強兵」「殖産
興業」という「国家目標」を打ち立て、迫りくる西
欧諸国の脅威に立ち向かうことを主目的に、まさに
“強靭な「近代国家」”を造ることを目指してきま
したが、幾多の戦争��大震災、世界恐��の影響など
を経て、ついには「大東亜戦争」を招く結果となっ
てしまいました。
「歴史は物語である」「歴史は検証できない」とは
東洋史学者・岡田英弘氏の名言ですが、“仮に日本
が明治初期に「富国強兵」などを唱えず、「近代国
家」を目指さなかったら、その後の歴史はどうなっ
たであろうか”については検証できないのです。
しかし、18世紀後半、地球の85%を支配した西
欧諸国の植民地主義の拡大、その中でイギリスをは
じめとする西欧諸国に割譲されるという形で独立を
失った「清」の例などを見れば、明治以降の我が国
の「国の形」が相当違っていただろうということは
容易に想像できます。
現在から先の「未来」についても同様のことが言え
るでしょう。“歴史の大きな転換点にある現時点”
において、私たちが、後世のために未来起点のアプ
ローチに基づき、さまざまな手段を行使して“「強
靭な国家」造り”を目指そうとする場合と、逆にそ
のような努力を怠る場合とでは、我が国の「未来図」
を大きく変わることは疑いようがないのです。
昭和16年、日米開戦に至る一連の交渉のなか、9
月6日の御前会議で、海軍軍令部総長・永野修身が
「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬと
すれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族
永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するな
らば、たとえ戦い勝たずとも祖国護持の精神が残り、
われらの子孫はかならず再起三起するであろう」と
発言されたとの記録が残っています(フィクション
だったという説もありますが)。
残念ながら、そのような精神は戦後、無情にもGH
Qによって打ち砕かれたかのように見えますが、こ
れまで縷々述べてきましたような、日本人の根底に
ある“強さ”、 まさに中西輝政氏が指摘する「日本
人の『荒魂(あらみたま)』」は、戦前の歴史を否
定した大方の日本人には忘れられていても、各為政
者の時々の発言などから、周辺国にはその記録や記
憶が依然として“残っている”と想像できるのです。
「強靭な国家」造りの中で、「国家戦略」の目標と
して掲げた「安全」については、我が国は、今回の
イスラエルのように、ハマスによる攻撃の後、つま
り“有事”が起きてしまった後に「手を出すのでは
なかった」と思わせるのではなく、手を出す前から、
「日本に手を出すと“大損”をする」と相手に“躊
躇”させること、つまり「抑止」を目指さなければ
なりません。
これは容易なことではありませんが、その根底に永
野軍令部総長のいう「祖国護持の精神」がなければ
ならないことは明白でしょうし、周辺国に記録と記
憶が“残っている”間に、「抑止」のための「強い
意志」と「能力」を明示しておかねばならないと考
えます。
本メルマガでは、あえて軍事とか安全保障には詳し
く触れませんでした。しかし、終戦後、法律家や歴
史学者など有識者たちがこぞって「再軍備」に反対
していたことをはじめ、最近でも高名な経済学者が
「日本経済の復興が最優先で、防衛力増強などやっ
ている場合ではない」旨を自著に書き記していた事
実を知って、「それぞれの専門家にまかせておいて
は、この国はダメになる」と思う危機意識がますま
す膨らみました。
前置きが長くなりました。我が国の未来に降りかか
るであろう、ほかの「暗雲」でも同じことが言える
と思います。それぞれの分野で“致命的な事象”が
発生してから慌てても遅いのです。我が国が“苦
手”としている「抑止」とか「未然防止」とか「回
避」などをキーワードにして、「下降期」の中で
“どんでん返し”を狙って“「強靭な国家」造り”
を目指さなければならないとの認識が、私には一層
強まっています。
▼「国家」を再生する
“強くて、しなやか”な「国家」をいかに造るかに
ついて、これまで、“強靭性”を主に取り上げてき
ました。
実は、本メルマガの総括にあたる第4編を「『強靭
な国家』を造る」とした訳には、“強靭性”のみな
らず、“「国家」の再生”の方にもかなりのウエイ
トがありました。今回はその「国家」について取り
まとめておきたいと考えます。
ウクライナ戦争やコロナ禍の状況から、「自分の国
を自分たちで守れない国は生き残れない」と気づい
た元朝日新聞主筆の船橋洋一氏の言葉を紹介し、同
氏の「日本には『国家安全保障』という『国の形』
がない。そして、その『国の形』をつくるのを阻ん
できた『戦後の形』がある」との言葉も紹介しまし
た。
私は、この発言を船橋氏の“自責の念”と解釈して
いますが、氏の書籍の中にも「国」という言葉が何
度も出て来ます。一方、その「国の形」をつくるこ
とを拒んできた「戦後の形」にはとても“根深いも
のがある”とも考えてしまいます。
しかし、その要因は明らかでしょう。まずは、戦前、
特に満州事変以降、軍部主導のもとの「挙国一致」
が強調され、教育面でも「国粋讃美」とか「尽忠報
国」などを強要されたことに対する“揺り戻し”、
つまり「反動」があるのでしょう。
そして、終戦後、GHQの巧妙な対日政策もあって、
その“揺り戻し”は、日教組など唯物史観に染まっ
ている人たちにとっては自分たちの思想拡大の絶好
のチャンスとなって、その“揺り戻しが度を越し
た”格好になりました。
なかでも、彼らが好むトロツキーの言葉である「す
べての国家は暴力の上に基礎づけられている」が発
展し、「国家は悪」として、「国」とか「国家」を
全否定する考え方にまで拡大しました。
私は「国家論」について社会学的に深く解説できる
能力はありませんが、少しだけ踏み込んでみましょ
う。まず「国家」の起源ですが、これもまた社会学
的には解釈が分かれるようですが、門外漢の私が理
解した言葉で要約してみます。
欧州諸国が「主権国家」として独立したのは、「3
0年戦争」(1618年~48年)の結果、疲弊し
た諸国が結んだ「ウェストファリア条約」(164
8年)でした。その直後から「国家」の意義づけに
ついて社会学的な論争があったようです。
まず、「ウェストファリア条約」によって、「王が
持つ主権はキリスト教ではなく神から直に授けられ
たもの」(「王権神授説」)とする考えが普及し、
王政国家が欧州各地に出来上がりましたが、その考
えに反発するような格好で、3年後の1651年、
有名な『リバイアサン』が出版され、著者のトマス
・ホッブス(イングランドの哲学者)は、「自然状
態では、人々は絶え間なく恐怖と暴力による死の危
険さえある悲惨な状態にあり、そこを脱して、安全
と平和を手にするために“社会契約”を結び、その
結果、『国家』が出来上がった」と意義付けました。
これからしばらく過ぎた1690年、同じく英国の
哲学者ジョン・ロックは『統治二論』を世に出し、
「自然状態にある人間はすでに理性を持っている」
としながら、「自分の自然権を守るために、その一
部を放棄し、『1つの集合体』に委ねる、その集合
体が『コモンウエルス』と呼ばれる『国家』の起源
である」と説きました。
つまり、ホッブスが、「場合によっては生きるか死
ぬかの岐路に立たされかねない自然状態にあって国
家が不可欠である」としたのに対して、ロックは
「国家は、自然権を破った者に対して有無を言わさ
ず、強制的な手段をもって『処罰』するために作ら
れた」として、「保険に加入するように『より大き
な防御』のためにあり、必ずしも国家は不可欠なも
のではない」とも解釈したようです。
このように、“社会契約説”としての「国家」の起
源が発展し、やがて「市民革命」に至って近代国家
が出来上がるのですが、それからしばらく後、マル
クスによる共産主義思想が普及し、「国家」の性質
を「暴力の独占」とするトロツキー的な国家論が興
隆することになります。
一方、同じ時代に生まれたドイツ社会学者のマック
ス・ヴェーバー(ウェーバー)は、名著『職業とし
ての政治』(脇圭平訳)の中で、「国家とは、ある
一定の領域の内部で、正当な物理的暴力行使の独占
を要求する人間共同体である」と定義しました。
本書は、1917年、ドイツが第1次世界大戦で敗
戦した後、ミュンヘンにある学生団体のために行な
った公開演説をまとめたもので、それまでのドイツ
社会が、「ドイツ帝国」は存在しても、多種多様な
団体が物理的暴力をノーマルな手段として認めてい
た事実とは違った意義が「国家」にあると解説した
のです。
しかも、トロツキーとは違い、国家の「“合法的
な”暴力の独占」を定義し、「許容した範囲の中で
物理的な暴力行使が求められている」として、「警
察や軍隊はその主な道具・装置である」と解釈した
のでした。
このように考えると、安全保障を米国に丸投げした
まま、あくまで「警察予備隊」として発足し、しば
らく“再軍備”を否定し続けた「吉田ドクトリン」
は、その後長い間、唯物史観の人たちに巧妙に利用
されてしまいました。彼らは、マックス・ヴェーバ
ーの「“合法的な”暴力を独占するのが『国家』で
ある」との考えに至らないまま、(単なる暴力装置
としての)「国家」自体を否定している間に時が流
れ、我が国の「戦後の形」として定着してしまった
と解釈できるのではないでしょうか。
余談ですが、マックス・ヴェーバーによって「国家
論」を叩きこまれたドイツに、やがてヒトラー率い
るナチスが合法的に誕生するのですから、歴史とは
皮肉なものです。
さて、我が国の「国家」には、さらに長い歴史があ
ります。我が国の建国は、まだ「国家」という呼称
はなかったものの、「神武天皇の即位」(紀元前6
60年1月1日〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)とされて
いますし、近代国家の建設が始まった「明治維新」
も「国家の起源」として考えられる場合もあります。
戦前の歴史家の巨匠・坂本太郎氏の『日本の歴史の
特性』によれば、我が国の歴史の中で「国家」とい
う文字が初めて出てくるのは、正倉院宝物の中の
「国家珍宝帳」(756年頃に献上された献物帳
(宝物の目録))だそうですが、この場合の「国家」
は、現在の「国家」とは違う意味をもっており、国
家はミカド、つまり天皇と同義に用いられていたよ
うです。同様の表現は、当時の“現行法”であった
「律」の中にもあり、同じく国家=ミカドを意味し
ていたのだそうです。
つまり、トロツキーの「国家の性質を暴力の独占」
のような概念を我が国の「国家」論に当てはめよう
としたのは最初から無理があったのですが、結果と
して一人歩きしまったのでした。
今なお、公の場で「国」「国家」「国益」「国力」
「国体」などの使用が何となく憚(はばか)られ、
挙句の果てには「愛国心」のようなものまで否定さ
れ、放置されたまま今日に至っていることもすでに
取り上げました。一日も早く、真の意味での「国家」
の再生が望まれると考えます。
改めて、「国家」の現代的な理解をまとめてみます
と、「国家」とは、「その領土と人口を通じて、特
定の地域における社会的、政治的、経済的な活動を
組織し、調整する役割を果たし、個々の国民が自由
で平等な生活を送ることができるように、公正で公
平な社会を維持するための枠組み」のようです。
つまり「社会的、政治的、経済的な活動を組織」を
手段として、「個々の市民(国民)が自由で平等な
生活を送ることができる」ことを目的とした「公正
で公平な社会を維持するための枠組み」を指すとい
うことでしょう。
「国家」の起源にさかのぼるまでもなく、手段も目
的もそれぞれが複雑で、幅広く、奥も深く、しかも
現時点のみならず、未来においても、“自由で平等
な生活”を担保する必要があるわけですから、その
ためにも「国家」に「強靭性」を備える必要性がま
すます増大していると考えます。
▼国際社会に“リバイアサン”が復活した
さて、国際社会においても、冷戦後しばらくの間は、
「国対国」の争いから「国対テロ集団」のような争
いがクローズアップされてきました。しかし、この
たびのウクライナ戦争を境にして、再び「国対国」
の争いがクローズアップされ、それが発展して“新
冷戦”のような「分裂の時代」が現実のものになっ
てきました。
現下の情勢下、国際連合の無力さも露呈したことも
あって、ホッブスの言葉を借りれば、国際社会は
“リバイアサン”(つまり“怪獣”)が大暴れし、
それを制御するのが困難な時代になりました。この
厳しい国際社会の中で生き残るため、つまり、暴れ
まくる(可能性がある)“リバイアサン”から生命
や財産や平穏な生活を守るためには、船橋氏の言葉
を借りるまでもなく、個々の「国」あるいは「国家」
を主体に物事を考え、同じ認識を共有する「国」ど
うしの“社会契約説”ともいえる「同盟」とか「連
携」の必要性が“より増してきた”といえるでしょ
う。
“リバイアサン”を制御するためには、「外交力」
とともに「軍事力」が必要なことは明白ですので、
国家の“暴力装置”の重要性がより増して来たとも
いえるでしょう。しかし、その意味は、「世界同時
革命」に立ちはだかった時点の国家の“暴力装置”
と全く意味が違います。
総括しますと、厳しい国際情勢の中で、我が国が生
き残るために、依然として存在している唯物史観、
あるいは自虐史観の持ち主たち(ちょっとでもその
ような考え方に同調する人たちを含め)が自分たち
の信条とか先入観と決別する時が来たのではないで
しょうか。つまり、マックス・ヴェーバーの「国家
は“合法的な暴力”を独占する人間共同体」の考え
を理解し、容認することが求められているのです。
そのステップを踏んで、時計の針を戻して再出発し
てこそ、大多数の国民がこぞって「国家」を取り戻
し、後世のために“「強靭な国家」造り”に邁進で
きるものと考えます。
くどいようですが、戦前のように、あるいは中国や
北朝鮮などのように、我が国にあっては、国家の
「強制力」を行使できないのは明白です。「国を挙
げて」、つまり「挙国一致」と唱えても、大多数の
国民一人一人が“その気になる”ことがなければ、
いかなる政策も「国家戦略」も絵に描いた餅にしか
なりません。
すなわち、「『国家』を再生する」ことは「国民が
その気になる(覚醒する)」とイコールでもありま
す。そのようなことを狙いつつ、「国家意思」を分
析したつもりですが、天変地異や外圧に寄らず、い
かにして“国民が自発的に覚醒するか”を考えると、
そこにまた難題が待っていることもすでに述べたと
おりです。
今回はここまでにしておきます。次回、我が国の
「国家」論から派生する「統治のありかた」や「政
治」についても取りまとめて、第4編の総括を終了
したいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
9 notes · View notes