次年度 政策提言!
令和3年度 市の施策並びに予算に関する提言・要望書
知立市議会 立志会
第6次知立市総合計画の目標に従い、以下の事項を提言・要望する。
【基本目標1】人と環境にやさしく、健康で安心して暮らせるまちづくり
第1 安心して暮らせるまちづくり
1 自主防災組織に対し、組織力強化のための教育や研修の充実を図り、防災士資格取得の推進を行い、市の防災力向上に努めること。
2 消防団員の処遇及び消防団の装備の更なる改善を図るとともに、機能別分団の役割を明確にし、実践的な研修及び訓練を実施すること。
3 災害時の情報提供や避難所運営に関して、多国籍化、散在化する外国人居住者に対する支援体制の強化を図ること。
4 防災倉庫の備蓄品の拡充・管理徹底と、市内事業所・団体との防災連携を強化すること。
5 犯罪多発地区(西小学校区)に交番の早期設置を強く要請し、併せて知立警察署の設置を目指すこと。
6 犯罪抑止力向上と犯罪発生時の早期解決に寄与する防犯カメラ設置の推進のため、防犯カメラ設置費補助金交付事業の普及を図ること。
7 近隣住民の迷惑になる長期放置された空家や空地について、環境面や防災面に配慮し、迅速かつ適切で積極的な対応を図ること。また、空家等の発生の抑制と利活用について、関係機関との連携強化を図り、市民に対し具体的解決策の提案に努めること。
8 大規模災害時の的確な対策改善と対応能力向上のため、災害救助経験のある自衛官等の配置の推進を図ること。
9 災害時に的確に市民への情報提供ができるよう、ホームページにアクセスが集中しても、サーバーダウンしないよう対策を講じること。
10 新型コロナウイルス等の感染症を踏まえ、「避難所における対応」、「災害対策本部の対応」、「ボランティア関係」などの災害対応全体の見直しを図ること。
11 地域の防犯パトロール等の防犯活動や人材育成を推進するとともに、犯罪多発地区(西小学校区)を重点に更なる啓発活動と防犯活動の強化に努めること。
第2 人にやさしいまちづくり
1 障がい者の自立を支えるため、障がいに取り組む関係機関の課題を共有し、自立支援のための体制作りを図ること。
2 労働可能な生活困窮者が自立し、安定した生活が送れるための計画づくりの支援を図ること。
3 公共施設内のトイレ洋式化とバリアフリーを早期に実施し、誰もが利用しやすい施設の改善に努めること。
4 早期の適切な対応が必要となる発達障がい児や、発達障がいの可能性のある子どもに対し、きめ細やかな支援をさらに充実させるため、小学校に対する子どもサポート教員や発達障害児支援補助員の人員加配を継続すること。
5 新型コロナウイルスの発生により、障がい者(重度・聴覚障害等)が学校、保健所への相談や病院への受診、コミュニケーション対応等に困難な状況を踏まえ、遠隔サービス等を利用した意思疎通支援体制の強化を図ること。
第3 健康で暮らせるまちづくり
1 高齢者福祉の地域支援体制の拡充のため、地域包括支援センターの北部地区への設置と、在宅介護支援センターとの連携強化を継続すること。
2 地域包括ケアシステムの推進には、かかりつけ医の役割が取り分けて重要となっており、地域の資源であるかかりつけ医の重要性を広く市民へ周知するとともに、三師会との連携を強化すること。
3 特定健康診査・各種がん検診などの受診率の向上のため、ICT化を推進し、インターネットによる広報やオンライン予約等の施策を講じること。
4 コロナ禍での感染予防対策や健康管理、介護予防について、迅速かつ的確な情報提供に努めること。
第4 環境にやさしいまちづくり
不法投棄やフン害等の削減のため、環境美化推進条例の周知徹底及び適切な条例運用を実施することにより、不法投棄等の抑止と市民意識の向上に努めること。
【基本目標2】 人々が集う交流のまちづくり
第1 住みたくなるまちづくり
1 UR都市機構知立団地の再生に向けた協議を進め、昭和地区の持続可能なまちづくりに尽力すること。
2 歩道の拡幅や波打ちの改善、また交差点の段差解消など歩行空間おけるユニバーサルデザインを推進すること。特に、高齢化が進む昭和地区の団地外周の歩道については、引き続き整備に努めること。
3 衣浦豊田線(牛田新田北地区等)の側道の改良を図ること。
4 都市公園の健全な発展のため、総合公園整備事業基金の柔軟な運用を行うこと。
5 公共下水事業について、未整備地区の早急な整備を図ること。
6 知立北部地区の健全な都市発展を持続可能なものとするために、都市計画道路駒場牛田線整備事業を事業化させること。
7 本市唯一無二の地域資源である東海道松並木を活用し、本市の定住人口、交流人口増加を図る拠点として、知立松並木パーキングなどの施設を整備すること。
8 長年、地域の懸案事項である機織池について、地元町内会と協議を継続し、整備計画について検討を進め、機織池整備事業を事業化させること。
第2 訪れたくなるまちづくり
1 知立駅付近連続立体交差事業について、令和5年度完成に向け事業推進を加速させるとともに、知立駅周辺整備事業に関する国並びに県への財政支援を求める要望活動を継続的に実施すること。
2 知立駅周辺整備事業の事業効果早期発現を促すために、地域住民や関係団体等との連携及び情報共有を徹底するとともに、中心市街地の賑わいづくりと良好な住生活環境の両立を図ること。
3 今後、本市の地方創生の足掛かりとして三河知立移設駅を活用するため、駅南側のアクセス道路については、将来性を見据え自動車も通行出来るよう整備すること。
4 都市計画の中で企業誘致を積極的に推進するとともに、企業誘致を促す税制優遇措置や助成制度の創設を図ること。
5 知立市観光協会の事務局の早期独立と、観光情報発信拠点としての「知立市観光交流センター」の施策の充実を図ること。
6 市民の愛郷心を育むため、ちりゅっぴの継続的な活用を図ること。
7 中小企業振興基本条例の改正の趣旨に則り、中小企業対策の強化や地元企業の育成、特に小規模事業者育成に関する具体的な施策の推進を図ること。
8 市内事業者の育成の観点から、入札における適正な運用を図ること。
【基本目標3】 次代を担う子どもを豊かに育むまちづくり
1 いじめ及び不登校の防止を、家族や地域一体となって取り組む環境づくりに引き続き努めること。
2 共働き世帯の出生率の増加に伴い、0~2歳児保育の待機児童対策を図ること。
3 GIGAスクール構想の本旨でもある教育のICT化を推進するために、2020年度から小学校で実施される学習指導要領にも明記されている「情報活用能力の育成」や「ICTを活用した学習活動の充実」を図ること。
4 外国籍児童生徒の増加が顕著である知立東小学校を始め、八ツ田小学校や知立南中学校の児童生徒への学習面、及び児童生徒指導等での保護者対応のため、当該小中学校への通訳者の増員や新規配置、若しくは、市教委への通訳者の配置を行うこと。
5 GIGAスクール構想により支給されるデジタル端末を活用し、不登校児童生徒等への学習支援に、ICTを用いたリモート教育を推進すること。
【基本目標4】 互いの人権を尊重し、思いやりの心を育むまちづくり
1 多文化共生を更に推進させるため、具体的かつ効果的な事業充実を図ること。特に、就学前、就園前の外国人児童とその保護者に対する子育て環境の整備を図ること。
2 あらゆる分野における、男女共同参画の推進を図るため、目標値の実現に向けて女性の占める割合の増加に努めること。
【基本目標5】 芸術や文化を大切にするまちづくり
1 知立市文化芸術基本条例の実効性をより高め、本市の文化芸術をより一層推進させるため、有機的な連携を速やかに実施すること。
2 知立市文化会館駐車場の、新たな駐車場用地等を確保することにより、周辺道路の違法駐車をなくし、地域住民や事業運営者への負担軽減を図ること。
3 スポーツ活動の活性化や、普及、推進のため、施設の充実を図ること。
4 ユネスコ無形文化遺産に登録された「知立の山車文楽とからくり」の保存、継承への支援を図り、知立の観光資源として積極的に活用すること。
5 知立のかきつばたを、日本遺産並びにユネスコ無形文化遺産登録に向けた取り組みを図ること。
6 知立市歴史文化基本構想を広く市民に普及させるため、また本市の今後30年のグランドデザインを明確にするため、「知立市歴史文化都市宣言」を行うこと。
【基本目標6】 知立が輝くための仕組みづくり
第1 市民が取り組む仕組みづくり
1 知立市まちづくり基本条例の理念に鑑み、コロナ禍における、市民協働体制及び情報共有体制の構築を早急に図ること。
2 コロナ禍において、町内会や各種団体活動の中止や縮小が余儀なくされる中、新たな活動スタイル構築のため、迷いや不安を抱えながら活動方法を模索している状況にある。ついては、それら団体に対し、積極的に団体間情報交換の機会提供及び支援策を講じると共に、オンライン等を利用し新生活様式の中で、安定的な運営が出来るような支援策を講じること。
3 コロナ禍において、オンラインでの情報共有や団体活動は、時代の要請として捉えられている。ついては、行政と町内会との関係強化策の一貫として、町内会公民館のオンライン環境導入整備促進に対する補助金メニューを速やかに創設すること。
第2 地域経営力のある行政づくり
1 知立市LINE公式アカウント情報配信事業の登録者数増加のための、出前講座等の取り組みを積極的に行うこと。
2 「知立市ICT推進のための基本方針」に則り、行政のDXの推進により最新技術の導入を進め、業務の効率化や市民へのサービス向上を図ること。
3 地方自治の3つの基本原則である①住民福祉の原則②行政効率の原則③法令適合の原則を遵守し、憲法第92条に規定される、地方自治の本旨の実現を目指すこと。
4 国連サミットで採択された2030アジェンダを目標化したSDGsを原動力として、地方創生強靭かつ環境にやさしい魅力的なまちづくりを目指し、SDGs未来都市として選ばれている愛知県や豊田市とも連携し、持続可能な都市・地域づくりを目指すこと。
5 地方自治法の一部改正により導入される、地方公共団体における内部統制制度の趣旨に鑑み、法令等を遵守しつつ、適正な行政サービスを安定的、持続的、効率的かつ効果的に提供していくため、その要請に対応した地方行政体制を確立すること。
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NPO 法人鳥の劇場 ×青山学院大学社会情報学部LCD研究ユニット 2019/5/27-28
NPO 法人鳥の劇場 ×青山学院大学社会情報学部LCD研究ユニット 2019/5/27-28
鳥取県と青山学院大学社会情報学部は面白い試みをしている。
���成30年度(2018年)から開校された、義務教育学校鹿野学園。
その学校の一つの目玉科目が「表鷲科」という授業だ。鳥の劇場(NPO法人お鳥の劇場)という鳥取市鹿野町を拠点に置く、劇団名鳥の劇場さんが演劇ワークショップ事業を進めていくために実施している教育プログラムで、青山学院大学社会情報学部学習コミュニティデザイン(LCD)研究ユニットは鳥の劇場の教育アドバイザーとして、演劇ワークショップ後の省察活動の実施を重としてサポートを行なっている。劇場も備えていて、その名も同じく「鳥の劇場」。
なお、「表鷲科」は子どもたちが21世紀を力強く生き抜くために、表現力とコミュニケーション力をつけることを目的とした鹿野地域の独自科目で、最終的には、子どもたちの自己効力感を高め、国語や算数、理科、社会の学力向上にもつなげていくことを目指している。このプロジェクトの先駆けとして、2017(平成29)年度では小学校4年生に7回、中学校1年生に6回、芸術表現体験活動+省察活動のプログラムを実施している。こちらにその辺の詳細が載っているのでぜひ見に行っていただきたい。
NPO 法人鳥の劇場 ×青山学院大学社会情報学部LCD研究ユニット共同プログラム→ http://lcd-aoyama.net/10.html
そして今年度、2019年もこれから複数回、鳥取県へと飛び、様々な場面でともに活動して行く予定となっている。その最初の調査として、まず苅宿研究室の特別研究員である私、髙橋健太郎と大学院生の青木均之は5月27日、28日に鳥取に向かった。
調査目的は何か
中山間地域の教育に芸術家などの表現者がどのように関わりを見せ、その活動でどのような効果をもたらせるか。また、子どもたちがどのようにワークショップのファシリテーターに反応し、それぞれのワークや時間帯によってどのような心理状態にあったかを確認する。また、このワークショップ中は映像で様々な場面を記録し、ファシリテーターに至っては音声を個別で録るためにボイスレコーダーをワーク中は付けてもらう。これらは全て質的にも量的にも大量のデータとなる。それら児童・生徒たちの言葉や音声、映像記録などから得られたデータを全て持ち帰り、子どもたちの自己効力感やワークショップの効果を測って行く。
生産性で何もかも語りがちな世の中でどのようにして、その評価軸以外の自分を保つ軸を持てるか。生徒たちにいかにして自分は自分のまま、ありのままで当たり前に生きていて良い、ということに気付いてもらえるか。このワークショップを行うことの目的はそこにある。
繰り返しになるが、それを実証するための調査ということで私たちは様々なメディアを駆使して記録してデータを出してファクトとしてこのワークの効果を示そうとしている。
そしてそのデータは今後、青木くんの修士論文や苅宿先生の今後の活動やプレゼンなどで、自分たちの活動の裏付けデータとして見せることが可能になる。
5月27日、28日は
両日とも鳥の劇場さんによる鹿野学園7年生(この鹿野学園の面白いところは小学校中学校を一貫校にしたために通常、中学校1年、2年、3年生と呼ぶところを、7年、8年、9年生と呼んでいる)の生徒へのワークショップで、27日にメインのワークショップ、そして28日は省察を兼ねてからのワークショップという予定で行われた。その活動を僕らLCDユニットは記録していた。
今回のテーマは「色んなセリフについて考えよう!」というものだった。
だけれども、実際のワークに入る前に鳥の劇場さんはあらゆるアイスブレイクをしていた。中にはコミュニケーション促進ゲームであるカタルタを使ったものもあった(※カタルタの遊び方はこちらに)。
そこから「うん。」という一言で色々と意味を考えるというもの。
言い方次第で色々な受け取り方がある。コミュニケーションの方法や解釈は言葉の伝え方、表情、身体を使ったり、その場の状況や雰囲気で決まってくるというもの。
その思考から今度は生徒自身に「え。」という一言で色々なシチュエーションを考えてもらい、それぞれのグループで発表してもらう。この辺りから色々なセリフについて考えるとっかかりを作っている。
そして、次のステップ。
メインのグループワークで、演劇ワークショップ。
今回の演劇ワークショップは3人グループを作り、配られた「ところどころに穴の空いた台本」を自分たちでその空欄になっている箇所を、想像力を働かせて勝手に埋めて完成させる。そしてそれを実際に演技するというもの。
下にあるようなセリフでひとつの短い演劇を作ってもらう。学校の休み時間に3人の生徒たちが話し合ってると言うもの。
ーーーーーーーーーーーーーー
A : 「次の時間、理科だね。」
B : 「植物の宿題やった?」
C : 「うん。」
A : 「◯◯◯」
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ここでポイントなのはCさんの「うん」の言い方。先ほどのワークで色々と考えていたものがここの実践で生きてくる。
自信満々で「うん」と答えるのか。あるいは全く自信なさそうに「うん...」と答えるのか。
そしてその後に続く◯◯◯でどうやって、この演劇を終わらせるのか。
短い文章だけに、生徒たちの器量が試されている。
<ワークショップのグランドデザイン>
このグループ分けは、担任の先生に行ってもらっている。
そして実はそこからデザインされていることなのだが、普段の生徒たちを見ている担任の先生が、この生徒とこの生徒を組み合わせてみたらどのような協働性を見せてもらえるか、を期待しな��ら普段仲良い友達同士ではないグループで組んでもらっている。
それは何故か。
グループワークを通して何かを上手く遂行するという目的ならば普段仲の良い人間同士が組めば良いのだけど、この芸術表現体験活動のワークショップはそのようなことを目的としていない。
一番はじめにも書いたがこの「表鷲科」という科目では、子どもたちがこれからこの時代の社会で「力強く生き抜くために、表現力とコミュニケーション力をつけることを目的としている」のだ。そのためにはこのグループを組む時点から普段、仲が良くない子(あまり話しているのを見かけない)と組ませるということを試みた方が生徒たちにとっては良い。
社会に出て、初対面であったりあらゆる人(この授業の場合はクラスメイトだから「誰か」ということは知っている)と何か一つの目的を達成するという経験を今の段階から感覚的に掴んでもらうことを実践しようとしている。この場合の目的というのも、決して企業が何かのプロジェクトを進める、という場合だけでなく、そこかしこのコミュニケーションの遂行と言っても差し支えない。例えばお店の店員とたわいない挨拶程度のコミュニケーションだって立派な目的になる。その意味でこのワークショップで培ってもらいたいのは、他者と自分がコミュニケーションを如何に円滑にできるようになるか、ということだ。
さて、表鷲科の中で別けられたグループも当然、最初からそのグループ活動が上手く行くと思っていない。だからあらゆる齟齬がお互いの間で生まれる。
しかも、今回の鹿野学園7年生の生徒たちは2ヶ月前まで小学校6年生で、ふたクラスずつに別れていたのだ。学年があがり、今年4月から7年生となった途端、クラスもひとつになった。クラスの中で自分のポジションをどう取るか等色々と考えないといけないことが生徒たちには多々あり、なかなか難しい時期なのだそうだ。
それもそのはずで、データから見てもこの多感な時期には人間関係や自我や進路の悩みなど様々なことが絡み合って障壁を感じることとなる。(日本の児童・生徒の自殺、過去30年で最多に BBCより、2018年11月の記事)
いじめや家庭内の関係など。理由は様々だが、学校の中ではなかなか当事者でないと見えない問題が多く存在し、その解決を図ることは並大抵のことではない。学校でも、いじめが起きているという事実を把握したくない現状がある。
話は飛ぶが、この様な状況を作ってしまっている原因は社会にある。
ここで無理に問題は社会ではなくあなた個人だ、自分でなんとかできる、といったことをついつい言ってしまいたくなる世の中ではあるけれどもそうじゃない。年間2万人もの自殺者数がいる国、これが日本の姿だ。年々下がっている、ということを言う人もいるが、365日の間に2万人もの個人の人間が自ら命を絶つ選択をしている現状はもはや他人事ではない。
さて話を戻すと、そのような社会の状況を鑑みても演劇創作などの身体と頭(論理的思考)を使って、自分の考えていることを作品発表といったカタチで他者に向けて表現するというワークショップを行うことは、生徒たちにとって、数学や国語、体育などの普段の教科ではなかなか見つけられなかった新たな自分のチャンネルを見つける場所としても機能してくれることを期待している。
主体的な学びという言葉を作って掲げるのは良いが、それを現場でどう生かすかは現場に任せられている。その一つの答えがこのワークショップのように、生徒たちにとにかく色んなことを身をもって経験してもらうということにあるのかもしれない。一種の強制性によって小学校から中学校までは決められたカリキュラムの中を生き抜くしかないところに、このような新しいものに触れる機会を作るということは、子どもたちにとっても新しい自分に気付くチャンスを作ると言うことに他ならない。
だから今はまだ慣れていないかもしれないこの環境が例えば、半年後のワークショップではどうなっているか。生徒たち同士の関係性が微妙に変化しているだろうしそれがプラスに向かっているのではないだろうか、と苅宿先生は言う。
生徒たちが発表してくれた内容についてはここでは割愛させていただく。
照れながらもそれぞれに発表をしていて、これから生徒たちがどう変わって行くのかとても楽しみである。おそらく、このような芸術表現体験活動を授業の中で組み込んでいるという学校はそう多くない。いわゆる「アクティブラーニング」や「コミュニケーション教育」といった言葉が文科省で使われるようにはなっていてもそれが実際の現場に定着して行くには相当��時間を要する。決められたカリキュラムの中にこの様な専門性が必要な授業を組み込むということ自体がとても労力のかかることで、そこに時間を割けるだけの余力が今の学校教育の中にあるかと問われれば、都内で教師をやっている数人の友人の現状を見ていても、なかなかそのような時間は持てないと思われる。
だからこそ、鳥取の鹿野学園、新潟の中里中学校などで実際にこの芸術表現体験活動を行えるということ自体が、とても貴重な体験となる。その土地固有の教育としても、その学校に通う生徒や教師たちにとっても、周りの地域にとってもプラスに働くのではないだろうか。
と、これが27日のワークショップの一連の流れだった。
その後は当日のワークショップの振り返りとして、リフレクションシートを記入してもらう。今、苅宿先生が大学生の授業でも使っているあのリフレクションシートだ。どの活動の時にどの程度生徒たちがそれぞれに関心やモチベーションが高まったか、などのデータ取りだ。
で、再三言っているようにこれらのデータを実際に大学院生の青木くんや現役4年ゼミ生たちが研究目的で活用することになる。
鹿野学園3・4年生の授業分析
そしてワークショップも無事終わり、僕ら苅宿研究室のLCDユニットは鹿野学園3・4年生の授業分析を行うために、映像記録と音声記録を録らせに行かせていただいた。
映像は俯瞰の映像を教室の前と後ろから。そして音声は先生にピンマイクと児童の机の上、一つ一つに小さなマイクを置かせていただいた。
この一つの目的は初めにも書いたように、中山間地域でどのような教育が行われているか探り、そして教師の方々がどのようなことに心を配りながら子どもたちと勉強をしているのかということの研究で、先生、児童それぞれの発話からどのような教育が行われているのかというのをデータで抽出して行く。音声マイクで録音して行くことで、先生がどのような発話をすると児童たちはどのように反応するのかということが見えてくる。例えばキーワードとしてプラスに働くような言葉をデータの基準にして、それに付随する言葉を幾度、先生が発話したか。そしてそこに対する児童たちの応答はどのようなものだったのか。
その後、これらのデータが意味するところを公に提示する時に、その場面を映像で撮影で確認できるようにまでしておくことで、ファクトの重要性が叫ばれる昨今の時代の流れに対する証拠としての機能を果たす。
そしてこれがそのまま、大学院生の青木くんの研究へと繋がる。
と、このようなことをこれからも鳥取に青木くんと来る度に行う予定だ。
翌日、鹿野学園7年生、ワークショップの省察、5月28日
省察
まずは鳥の劇場さんが記録として映像や写真で残していたものを通して振り返る。このスタイルは、監修している苅宿研究室でのスタイルをそのままに使っている。苅宿先生によるワークショップデザイン+メディアコミュニケーションの授業の中でもこのように、ワークショップをやったら省察の時間を設けていて、ワークショップに参加している生徒たちはこの時間を通して自分たちが一体何を学んで、実際に何が自分の力となっているのかというのを可視化して見せようとしている。
だからこそ、生徒たちもこれをただの座学としてではなく、自分たち自身のこととして捉えられる。そこに、これも青木くんの研究と同じように、生徒たちがその瞬間どのような表情をしていたかを見て理解できるように写真や映像をデータ、証拠品として提示しながら「昨日の君たちは◯◯だったよね、だから◯◯な力があるんだね君たちには」という風な振り返りの語りかけを行い、生徒たちにもそれをある程度、証拠力を持って実感させられるように進めて行く。
自分自身を俯瞰的に認知する力(=メタ認知能力)をここでは身につけさせようとしている。強制的にではなく、無意識にそれを捉えられるように仕向けている。
このメタ認知という言葉は2020年度から実施される学習指導要領の「アクティブラーニング」を実践する上でもとても重要な能力と規定されている。客観的に自分の行いを理解するということは自分の学びに新しい気付きを得たり、これからどのような姿勢で自分が学んで行けば良いのかということを理解しようとする力を促すことにも繋がる。
ワークショップ後に振り返りのリフレクションシートを書いてもらう時に、その作業を行っていた時に、自分の心理状態を自己評価してもらうというものがある。例えばワークショップ中の演技を行っている時、自分は前向きにそのワークショップに入り込んでいたか、あるいはあまりやりたくなかった、等の選択肢をいくつか用意し、それに回答してもらう。これはワークショップを行うこちらへの評価を理解するだけでなく、参加している生徒たちがどれほど主体的にそのワークに参加していたかということを数値として把握できるようなパラメーターみたいなもので視覚化されて見ることで、自分にはどのような特性があるのかということを客観的に認識することが出来る。
それは結果的に自分を俯瞰的(メタ認知)に眺める意識を生徒たちに植え付けて行くことへと繋がる。「植え付ける」という言葉を使うことには洗脳的な意味合いがあるが、少なからず教育にはそのような側面があることは否めない。それが間違っている方向か正しい方向なのかという議論は常にあってしかるべきだがどちらにも断定し辛く、多くはその正しさと過ちの間のグラデーションで成立している。
さて、生徒たちは省察を行ったあと、実際に演劇ワークへと入って行った。
前日と同じグループのまま、前に披露した演劇よりもより良いものを作り直す時間を与えられたのち、新たに作った演劇をクラスの前で発表する。
すると面白いことに、生徒たちも主体的に昨日の演技の何が悪くて、何を直し、何をしたらより良くなるのかを考えていた。省察を通して見た自分たちの喜ぶ姿などの感情のわかる映像や写真、そして昨日披露した演劇の映像を見て自分たちの中で話合いをして、どこを直してどう面白く披露するかを自律的に考えて発表していたように見受けられる。
そして各グループがお披露目をする際、他の班の生徒たちは演技をしている班を評価して、どこが良かったのか良い点だけを書き出してもらう。それはただただ演技を見ている生徒たちの集中力を上げるだけでなく、他者を自分はどう評価し、どんな場面に他者の良いところを見つけようとするのかという、これから人間として成長して行った時に、頭の中で常に行っている思考をこの様な場面で体験してもらう。人は意図せずして誰かと出会えばその他者を「評価」している。それが良い評価のときもあれば悪い評価のときもある。だがこの講義を通して生徒たちに目を向けてもらいたいのは、相手の良い点を探してもらうという作業だ。他者の嫌なところだけをピックアップしてそれをもとに相手を評価し、その他全ての相手の良いところまでマイナスイメージを作ると言うことを人間は往々にしてやっている。しかし、それではコミュニケーションを円滑に進めることは困難になる。だからこそ、ここでは生徒たちにひとまず、相手の良いところを抽出してもらう。
結果的にそれは、相手のことを褒めるだけでなく、自分を見つめることにも繋がる。そのようにして自己肯定感や自己効力感を培って行く、そのような教育をこのワークショップで実践しようとしている。
そしてワークショップ後は、苅宿先生による鳥の劇場さんへの振り返り、今日のワークショップがどうして成功したのか、というもの。でもこの内容はここでは書けません。
でも苅宿先生が持っているMacBookのこの画面内で指摘されている「自分たちで確認した自分たちの<いいところ>をふりかえったことを確認する活動で確かめてみよう」と書いてあるように、生���たち自身が自分たちの良いところに気付ければ、結果的にその良いところを伸ばそうとして、それがまた生徒たちの自己肯定感や自己効力感を伸ばす原因となる、ということだ。
だからこそこのワークショップの活動は現在の日本の学校教育の中でやる必然性がある。これだけ日本の児童生徒学生たちが自分のことを肯定的に捉えられないような社会・教育の状況の中で、少しでも、「いやいや、君たちはまだまだやれる力を持っているよ」ということを語りかけて行くような、そんな活動なのではないだろうかと、今回の鳥取でのワークショップの実践を拝見し思った。
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以下引用
さて、PCやスマホのうち、テレビチューナーを内蔵しない、ネットからの視聴を前提としたものはどういう扱いになるのだろうか?
実は過去には、「ネット配信になってPCなどで視聴できるなら、それらすべてから徴収すべき」との意見もあり、NHKもそれに傾いていた時期がある。
だが、今はそうではない。
ポイントは、「ネット配信は全国民が同時に見るのが難しい」ということだ。ネット配信は「同時視聴」に弱い。大きく見えるサービスでも混み合うととたんに遅くなる。これは、今のネットとコンピュータのアーキテクチャの欠点でもある。カバーするには、とにかく余裕をもったインフラを構築する必要がある。
現実問題、「日本の全世帯が同時に視聴できる」インフラを整えると、いくらかかるかわからない。その常時運用のためのコストも大変だ。
もし、NHKが本当に放送と同じように「見れる可能性のある人全員から徴収」という方針にするなら、「全員が同時に見ても問題ない」インフラが必要になる。それは、コスト的に合わない。
だが、現実問題として、ネット配信はテレビほど同時に見られることない。放送という「多数の人が同時に見る」ことに向いたメディアと、ネットという「好きな時に好きな場所で、人々がバラバラにアクセスする」メディアは補完関係にある。ネットは「利用する意思」を把握しやすいため、必要な分だけインフラを整えやすい。
そもそもが「世帯単位」課金であるNHKの受信料なのだから、さらにネットから集めるとしても、数はそこまで増えない。
NHKとしても、「ネット端末すべて」にこだわるとむしろ収受の効率が悪くなり、藪をつついて蛇を出しかねないので、現実的な路線に落ち着いている。すなわち、「補完関係なので、放送料と一体にする」「視聴意思があり、しかもテレビでの受信契約がない場合にのみ、ネットから受信料をとる」という仕組みだ。
仮にこの先、「放送で見る人がいなくなったので、ネットを使っている人は皆視聴できるものとする」としたとしよう。そうなると、チューナーがあるテレビを持つ世帯すべてに課金するように、ネット端末を持つ世帯すべてに課金する可能性は出てくる。だが、そういう時代になると「ネット端末のない家庭」を想定するのが難しくなり、実質的に「ネット利用税」的な立ち位置になってしまう。すると、「公共放送なので税ではない」というお題目と矛盾する。
この辺に本気で改善するならば、「NHKという存在」にメスをいれなければ矛盾を解決できない……という話になるのである。だからNHKは、「現実的路線で考えざるを得ない」のである。
さらに、NHKのネット配信進出には、民放からの「民業圧迫」という指摘がある。以前から進められてはきたが、税的な性質もある「受信料収入」があるところがネットへ出て行くと、ネットで収益をたてようとしている民放のネット事業を圧迫するのでは……という議論だ。
そのため、2008年に「NHKオンデマンド」がスタートした時には、「営利目的としない」「受信料を一切使わない」というルールが定められた。鉛筆一本の会計すら、NHKとは分けられている。NHKオンデマンドが別会計型の有料サービスになっているのはこのためだ。
はたして、本当にこの建て付けは正しいのだろうか。少なくとも「見逃し配信」については、そろそろ放送に付随するサービスとしていいような気がする。
矛盾が生む感情のもつれ、いつかは「グランドデザインの議論」が必須に
こうした問題が面倒くさい(あえて言葉を飾らずこう表現する)のは、思想・信条的に「NHKが我慢ならない」という話とリンクしてしまうことだ。
NHKの報道姿勢や内容に不満があるため見ない・見たくない、というのは個人の自由である。そう思うのもわかるし、どう感じるかは自由だ。
一方で、現状日本では「テレビを置く」限りにおいて、NHKとの受信契約を回避するのは難しい。いや、正確には「揉めずに回避するのは」難しい。
また、NHKの受信料はいまだ「家庭への集金」によって収受されている場合があり、その際の手法などとの兼ね合いで反感を持つ人も少なくない。
要はNHKに不満があっても「支払わない」選択が難しく、さらにはこれまでのNHKの姿勢もあり、「税のごとく、とにかく搾り取ろうとしているのではないか」と疑念を持つ人も多い。だから、放送法が改正されると、NHKに対して快く思わない人が多く出てくる傾向にある。
そしてその議論は、世帯単位での契約、というNHKの建て付けにより、「一切テレビをもってない、もしくはNHKを一切見る意思のない」人をのみを対象とするものになり、実際の影響の大きさ以上に、大げさな議論になりがちだ。
NHKの存在の是非や放送法上での扱いの議論と感情的な議論をきれいにわけるのは難しく、問題を語ることが「面倒」になっているのは否めない��これは筆者の偽らざる印象だ。
NHKには問題があり、放送法上の扱いにも矛盾があるのだが、それをどうやれば制度的に解決できるのか、本来は、「国営放送にすべきか」といったレベルも含めた議論が必要だ。
例えば、イギリスのBBCはNHKと同じ「公共放送」であり、受信料収入で成り立っているが、その徴収方法は日本よりはるかに強制力がある。BBCの受信料は「TVLicensing」、すなわち「テレビ所有権」として設定されている。ビデオであろうがテレビであろうが、受信可能な機器があれば支払わないといけない決まりで、払っていない場合はテレビなどの購入と同時に支払う必要がある。年額154.50ポンド(約2万130円)で、支払わない場合の罰金は1000ポンド(約13万6800円)と額が大きい。日本のNHKと同じように、支払いについては国民からの人気がない。
だが、支払い比率は95%前後と、日本の81.2%に比べ高い。
一方で、このくらいの徴収率なので、「同じコンテンツをネットに流す」時の料金議論などはほとんどなかったようだ。事実、BBCのコンテンツはほぼすべて、ラジオもテレビも、ネットからも放送と同じように見れる。もちろんオンデマンド��もだ。BBCの関係者は「自分の子の世代になって、番組を��レビで見ているとは思えない」と言っている。
韓国のKBSの運営費は韓国電力公社の電気料金に含まれ、さらに広告も入っている。
フランスのように政府全額出資で税金として徴収し、実質的に「国営放送」となっているところもある。
どのモデルがいい、というつもりはない。NHKの収受の方法に矛盾や不公平は確かにあるが、だとすれば、放送番組の利用形態を含め、グランドデザインとしての議論が必要なのだ。
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