盲目の傭兵は水平な世界の夢を見るのか
年度末で疲弊した心身にありがたい祝日休み、皆様如何お過ごしでしょうか。外から聞こえてくる雨音も、春らしいといえば春らしいですね。本誌から一晩、ゆっくり本誌感想を書いていきたいと思います。今回はだいぶ冷静(当社比)なので要所に触れながらまとめますね。
ディスクで派手な動きでもするのかな?と思いきや軍はあっさり撤退。相変わらず爆速だな…クリード隊が所属していた国とビリー隊を雇っていた勢力、それぞれそんな簡単に諦めるかな…?という一抹の不安は残りますが、今回戸塚先生が描きたいのはそこじゃないんだろうな……出雲風子の表情よ…『あなたを孤独にさせない方法』か…それを今一番“孤独”な風子が考えるのか……と思ってしまいますがこの辺の話は本誌感想とは別の前回記事に書いてるので割愛。
「テラー 助けてくれー!!」
「浮いてるー!!ディスクが飛ぶなんて聞いてない!!」
特技:ディスクに張り付くこと になっちゃう…“ビリー様”を感じる言動が健康にいいですね……こっちが“素”なのか!!?それは嬉しいすごく 嬉しい
「200年ぶりですね」
でたァ!ループ後出雲風子のトンチキ挨拶!!警戒されることを厭わない!!やっぱり隠すつもりは無いんだな…笑顔が可愛い……そして急に取り繕って煙草ふかしだすビリー様ズルいな…もうこれはビリー様ですらない気がしてきた。ドジな方が素だとしたらやっぱりUNDERのボスとして振る舞っていたビリーは一生懸命眉間に皺寄せてたんですかね。
「これを使い世界の敵になる」
「共通敵がいれば国家間の争いはまず無くなるだろ?インディペンデンス・デイみたいな感じにね」
『インディペンデンス・デイ』の公開は現実だと1996年だけれど…前ループと違ってもう銀河(宇宙 侵略者等)の理が追加されているということ?あんだけパスしてたから無い話では無いか…誰か侵略阻止した??そもそも映画の話ではない可能性もありますが。ちなみに『ブレードランナー』の公開は1982年。古代遺物名として出てるだけなのでこっちも作中に存在しているかは不明です。
脱線しましたが ビリー “水平な世界”に対して自分を勘定に入れていないの 改めてどうして…という気持ちになりますね。否定者達の中でも自己犠牲精神が いやこれはもう自己犠牲と呼んでいいのかすらわからない 優し過ぎるとかそんな次元じゃないな…強い者に対してはある程度厳しいから博愛とは違うし…かといって義賊……とも違うし…なん…何でしょうね……???エルモワカラナイ…
タチアナの事もネタバレしてしまうあたり今後どう展開するのか気になるところ。横に並ぶには、信じてもらうには…正確に言えば“200年かけて強くなった”のは風子だけでその風子が集めた仲間たちに一番良いレベルアップの方法を教えているというのが現状かとは思いますが。
「ってことでみんな!!」
「ビリーさんを」
「ボコボコにして!!」
『了解!!』
2m級×3と友才さん、キントウンでいらっしゃったんですか!!?!?重量オーバーとかの概念ないんか!!?!?いや、アンデラの世界わりと体重というか重力の概念が希薄なのでイケてしまうのかもしれないが 宙釣りのショーンダッツは拷問でも受けているんですか?イチコさんに??ありがとうございます(???)
「オレからいくぜ!!」
ひゃ〜〜〜ッ!!!!!!ボイド=ボルクスゥ!!!!!!!無邪気……無邪気なボイド=ボルクス………健康になっちゃう……1巻のボイド=ボルクスとの対比で頭おかしくなっちゃう………避けられない鬼のストレートパンチに対して全弾打ち込むビリーやべぇ……
「スキあり!!」
友才さんッッ 生き生きしている…彼女も強者との出会いを楽しむタイプかもしれない………銃が抜けないならと銃床で防御に転じる判断力やっべぇ………っべーわビリー様………っべー……(語彙力が死に顔が中心に寄る)
「オレが主役だっ」 ベコン
ですよね!!!!!(満面の笑み)ショーン・ダッツはこれからもこういう…こういうのでいいんだよ……という気持ちになってしまう。かっこいいのはたまにで良いからね…音で視る、やっぱり盲目キャラの特権…かっくいい……
満月を背景に構える出雲風子と“見つめ合う”ビリーいい表情してるなぁ…14巻で風子に語りかけるビリーの台詞が好きなんですよね。キミは優しい……お互い様なんだよなぁ。
[不通の解釈の拡大…!?]
[この短時間で!?]
テラー、どうやってここまで来たのかというのもありますがループ後はより“解釈の拡大”を意識させる演出が多いのかな?ショーンの時もそうでしたが。喋れないのもあって番犬みが強いな……
「抱えちゃだめですよ」
「一人で何でも」
特大ブーメランでは……?“私達”って言い直すんだけれど風子が抱えてる使命感や情報量は依然そのままなんだよな………大丈夫ですか……
強引に頼むよ、からのオシャレなやりとりは普通に好きなんですが……ニコがまた無視され……て………ビリーさんをボコボコに、でみんなに頼った展開にしてくれて嬉しかったんですがここの…そういうとこやねんループ後出雲風子……耳は減ったら戻らねぇぞ!!?!?公平とは…最早モザイクではなくただの背景トーンの海苔の存在意義とは………その答えを求めて我々はブロージャの奥地へと足を踏み入れた(もごもごしながら締めに入る面倒な読者)
脱線?推しトーーーク
キントウンに乗ってきた後姿を見せないクリード隊長、真面目に考えるとディスクの中でやることがあるのかな?と思います。潜水艦もそうでしたがディスク使用の何かしらのリスクは不減で回避する方向なのではと。いや、勿論ディスクのすみっこで酔って吐きそうになっていても良いんですが。あとは答え合わせで傷跡への言及があったのが風子の単純な疑問なのか本編への布石なのか……来週も楽しみですね。
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「日本のタイル100年 美と用のあゆみ」展
江戸東京たてもの園で「日本のタイル100年 美と用のあゆみ」展を見る。現在「タイル」と呼ばれている物の名称は当初ひとつに定まってはおらず、「タイル」に統一されてから100年なのだそう。それを記念しての企画展である。
まずはタイルの起源をさかのぼるセクション。左は古代エジプトのファイアンス・タイル、なんと約4700年前の世界最古のタイルとのこと。右は13~14世紀イランのイスラーム建築のタイル。
良質の陶土に恵まれたトルコの都市イズニックのタイル、16世紀末。
モロッコのモザイク片。正方形に焼いたタイルをカットする技法で作られている。
15世紀スペインのクエンカタイル。
さて、日本のタイルの源に目を向けると、やはり大陸からの伝来物にたどり着くようである。下の画像は煉瓦の一種である塼(せん)。中国は漢の時代、紀元前2~3世紀。
中国、明の時代の陶板。
日本でタイル的なものが作られ始めるのは江戸時代に入ってからのようである。江戸初期の敷瓦。
西本願寺の柿右衛門色絵陶板。
ぐっと時代は下って、三菱一号館竣工当時に使われていたのと同種のタイル。
旧岐阜県庁の床のモザイクタイル。とても好み。
布目タイル。これもとても好み。
一時期流行したらしいスクラッチタイル。
清潔感をアピールする白タイル。
タイルと言えば風呂、銭湯。
日本のタイルが世界へ向けて輸出されていた時代があった。下の画像はアメリカへの輸出用。
和製マジョリカタイルの数々。輸出先ごとに図案がカスタマイズされている。
タイルだけでなく製陶つながりでテラコッタや煉瓦の展示も。下は京都府立図書館のテラコッタ。
銀座煉瓦街の煉瓦。
白色化粧煉瓦。「赤煉瓦の時代に新風を巻き起こした」由。
戦時中はタイルは贅沢品とされ、製陶業界は苦労したり工夫したりしたようで、通風孔、化学薬品貯蔵関連器具なども手がけた。戦後は農村の生活改善に取り組んだりも。
展示室を出た後の通路沿いのショーケースでは、現代のタイルへの!目配りがなされている。
昭和30~40年代のモザイクタイルの見本。
新宿NSビルのタイル。
最後に、自分の現住居のタイルを紹介。風呂とトイレの一部が昭和らしいタイル張り。
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#7 エフェソス遺跡ガイド
こんにちは、カサダニアンです。
夜行バスでギョレメからセルチュクへ移動お疲れ様です。
セルチュクの朝はどうでしょう。
早めのランチでゆっくりした後、今日は忙しい1日です。
頑張っていきましょう。
この記事では、エフェソス遺跡の見どころについて紹介します。
〇エフェソス遺跡までの移動
エフェソス遺跡までは歩いて40分ほどかかるので、ミニバスで移動しましょう。
ミニバス(ドルムシュ)乗り場を見つけて、エフェソスへ移動しましょう。
〇エフェソス遺跡とは
・入場料120トルコリラ
エフ���ソス(エフェソ)は、トルコにある古代都市です。
現在もその遺跡が良好な保存状態で残されており、2015年にはユネスコ世界遺産に登録されました。
エフェソスでは、世界七不思議のひとつであるアルテミス神殿、聖母マリアの家(遠いので行けないと思う)、世界三大図書館に数えられるセルシウス(ケルスス)図書館など、ヘレニズム時代・ローマ帝国時代・初期キリスト教時代の貴重な遺跡を数多く見ることができます。
ローマ帝国時代には、かの有名なアントニウスとクレオパトラも滞在し、古代ローマ帝国では貿易の要衝となり、初期キリスト教時代の教会会議や公会議が幾度も行われるなど、歴史的にも重要な意義を持つエフェソス遺跡には、世界中から多くの観光客が訪れます。
〇ギリシャ神話「狩猟・貞潔・月の女神アルテミス」
「エフェソスのアルテミス」として知られるギリシャ神話の女神像は、紀元前7000年、祈りの対象としてチャタルホユック人の手により誕生しました。
女性の豊潤さを極端に強調した形が採られた女神は、長い間、人々の上に君臨することになります。
彼女は全ての母であり、支配者であり、何よりも力強く、アナトリアの隅々からエフェソスを経由して、メソポタミア、エジプト、アラビア、更にはスカンジナビアの地方までに多大な影響を与えました。
何千年もの展開を見た後、女神はエフェソスのアルテミスと呼ばれるようになったわけです。
敬意を表して造られたアルテミスの神殿は、過去から残った最も重要な宝であるとされており、その周辺に位置したエフェソスは、文化的・社会的観点からして、文明発生地として認められていました。
エフェソスに関する情報は、古代の学者の著書や、発掘によって出土された何千もの碑文、その他の考古学的発見物によって得ることが可能ですが、その設立については、まだ充分解明がされていません。
古代の有名な学者ストラボンとパウサニアスは、エフェソスの設立者はアマゾネスで、カリア族とレレグ族が主な民族であったとしています。
【ギリシャ神話についてもっと詳しく】
〇キリスト教とも深いつながり
エフェソスには早くからキリスト教が入ってきており、聖ヨハネの教会、聖母マリアの家など初期キリスト教の貴重な遺跡も多く見ることができます。
新約聖書には、「エフェソの信徒への手紙」という一書があります。
54年の初夏、「人の手によって作り出された神は、もはや神ではない」と説く聖パウロに対して、銀細工師ディミトリウスに扇動された何千ものエフェソス人達は口々に「エフェソスのアルテミス万歳、偉大なアルテミス万歳」と叫びながら大劇場に押し寄せ始めました。
2時間にも及ぶ民衆の叫びを前にして、白い法衣に身を包み、片手にしゃくを持った聖パウロも、これを鎮圧するには力及ばず、数人の信者の助けによって、命からがらその場を後にするのがやっとであったそうです。
この出来事は、都市の発見者アンドロクロスがこの町にやって来た日、リディア人やペルシア人の最初の侵入、この地を襲った17年、355年、365年、そして368年の地震、さらに431年に開催されたキリスト教審議会などと同様、エフェソスの歴史上の重要事項に新しい1ページを加える結果となったのです。
しかし、空を震わす勢いのアルテミスへの賛歌は、実際、7,000年生き続けたエフェソス人の尊い女神の臨終の一息でもありました。
〇アルテミス神殿跡
豊穣の女神『アルテミス』を奉った総大理石の神殿は、紀元前7世紀~紀元3世紀頃に実際に存在していました。
高さ19m、直径1.2mの円柱が127本、建築期間は約120年という驚異の神殿。
パルテノン神殿を凌ぐ程の規模だったと言われており、現在は跡地に柱だけ復元されている状態です。
アルテミス神殿は、長い歴史の中で放火も含め何度も破壊と再建を繰り返しました。
最終的にはゴート人の侵略、キリスト教徒により破壊されたままとなりました。
尚、神殿跡の近くにあるエフェス考古学博物館には「エフェソスのアルテミス」という像があります。
〇 世界七不思議
実は、『アルテミス神殿』は【世界七不思議】のうちの1つとして知られています。
古代ギリシャの数学者で旅行家だったビザンチウムのフィロンが紀元前2世紀に「世界の七つの景観」という本を書きました。
【世界七不思議】とは、その中で紹介した古代の地中海地方に存在していた7つの巨大建造物を指しています。
「驚くべき、称賛すべきもの」を意味しており、「当時の技術では考えられないほど革新的で巨大な建造物7選」というニュアンスのようです。
≪世界七不思議リスト≫
〇ギザの大ピラミッド
現エジプト・ギザ/現存
〇バビロンの空中庭園
現イラク・ヒッラ(古代バビロン)/痕跡なし
〇エフェソスのアルテミス神殿
現トルコ・エフェス/ごくわずか現存
〇オリンピアのゼウス像
現ギリシャ・オリンピア/痕跡なし
〇ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
現トルコ・ボドルム/ごくわずか現存
〇ロドス島の巨像
現ギリシャ・ロードス/痕跡なし
〇アレクサンドリアの大灯台
現エジプト・アレクサンドリア/痕跡なし
〇エフェソス遺跡の見どころ
エフェソス遺跡の見どころについて解説していきます。
〇マグネシア門(上門)
現在のエフェソス遺跡の上の東側入口より400m程外側にあります。
防壁が張り巡らされていたエフェソスには3か所から入ることができました。一つは海からの港、二つ目は北側のスタジアムの横のコレッソス門、そしてもう一が東側のマグネシア門です。
紀元前3世紀頃に造られた凱旋門で、ドーリア式の3.7mの幅で2段、3つのアーチのある作りだったと思われ、門の町側にはほぼ正方形の中庭があったとされています。
紀元前129年からのローマの支配下では戦略的重要性が失われ、真ん中のアーチの両側に小さな二つのアーチが増設されました。
歩行者は小さな門から、騎馬と戦車は大きい中央のアーチを通ったと言います。
ローマ皇帝ヴェスパスィアヌスの治世に門の名は“名誉の門”と改名されました。
〇 バリウスの浴場
バリウスの浴場は1929年から1979年の間に断続的に発掘が行なわれましたが、未だ完全で事業の終結を見られずにいます。
建物はプナール山の裾野に広がる平地に造られた為、山側の自然に削られて滑らかになった岩肌を壁として使用していたのです。
ほとんど全てのローマ浴場に見られる様にバリウスの浴場もフリジダリウム(冷水浴室)、テピダリウム(ぬるま湯用)、カルダリウム(熱い湯)の施設の他、かなり広めの付属の部屋から構成されています。
壁は大きめのブロック造りで、屋根は煉瓦を用いてアーチ形に設計されています。建物の南手にはトイレも設置されていたようです。
建物はローマ時代の様々な時期、そしてビザンチン時代に修繕と改築が施され、増築も行なわれています。
南に位置するモザイク装飾の見られる5世紀の建物はこれらの例として挙げることができます。
ある碑文によれば、フラビウスとその妻は浴場の広間を建設する為に融資していたとされています。
〇 公立アゴラ(上アゴラ)
皇帝アウグストゥスにより1世紀初頭に造られたアゴラは、公的な会議や証券取引等が行われたところです。
町の行政の中心地でした。
160×58mの広さで三方を柱のあるギャラリーで囲まれ、西側には無数のモニュメントが並んで立てかけられた切石の壁に囲まれていました。
〇オデオン/ブーレウテリオン
エフェソスでは、二院制が行われており、その内の上院が議論の場として使っていたのがこのオデオンです。
2世紀にエフェソスの裕福な市民プブリウス・ヴェディウス・アントニウスとその妻のフラヴィア・パイアナの命によって造られたと言います。
当時は木製の屋根付きで舞台がある1400人収容の小さな劇場型の議事堂で、ここで市内の重要な決定ごとや行政に関して話し合われていました。
また、会議だけでなくコンサートなど劇場としても使われていたようです。
〇プリタネイオン
宗教的な儀式、公式のレセプション、宴会が行われたのがこのプリタネイオンでした。
一番大きな役目は、エフェソスの町の永遠を象徴する神聖な炎がこの儀式部屋の中央で絶えず灯されていたことです。
このため、プリタネイオンはこの都市でアルテミス神殿の次に神聖な場所でした。
現在、床の赤く色づいた場所が炎があった場所です。
この儀式部屋の周りには神々と皇帝たちの像が並べられていたと言い、ここで発見された二体のアルテミス神像はエフェソス博物館に所蔵されています。
隣の建物は、迎賓のために使われていました。
この建物自体は紀元前3世紀のリュシマコスの治世中に建てられましたが、複合施設はアウグストゥス帝の時代に完成しています。
〇ポリオの泉
公立アゴラの南側下、オデオンの向かい側にあるのが、97年に裕福なエフェソス人C.S.ポリオとその家族により造られた泉です。
市の公共の泉でしたので、無料で水を使用できました。
42㎞の距離のクシャダスのケンケリオス、15㎞の距離のマルナスのチャムルク村の小川、20㎞の距離のカイストロス川(現キュチュック・メンデレス川)、この3つの水源から水道橋を通ってエフェソスのこの泉に水がもたらされていました。
そしてここから土管の排水システムによって水が分配されていました。
〇ドミティアヌス神殿
トラヤヌスの泉の前にあるのが、エフェソス都市の中で一番大きな建物の一つであるドミティアヌス神殿です。
現在は基礎部分しか残っていませんが、23×34mの6段の下部構造の上に建てられた神殿には8×13本の柱があったと言います。
皇帝ドミティアヌスに奉納する為に89~90年頃造られました。
しかし、彼は暴君だったことで死後に“記憶の破壊”に処されましたので、ドミティアヌス個人ではなく彼の家族フラウィウス家へ捧げられたという経緯があります。
ドミティアヌスの石像は頭部と一本の腕が残っているのみです。
〇ヘラクレス門(ニケのレリーフ)
クレテス通りの一番上にあるのが、ライオンの毛皮を纏ったヘラクレスのレリーフが印象的な2本の柱が残る門です。
この門により上の行政の地域と下の市民の地域に実質的に分けられていました。
元々は別の場所にあったこの門を4世紀後半に現在の場所に移したとされており、レリーフ自体の年代は2世紀の物とされています。
因みに、この狭い門によって車両の交通が妨げられて、4世紀以降この通りは歩行者専用になったようです。
ヘラクレス門のすぐ上のドミティアヌス広場にある、勝利の女神ニケの飛んでいる姿が彫られた三角形のレリーフは、このヘラクレス門の上部を飾っていたもので、4世紀前半に造られたとみられています。
ちなみに、勝利の女神ニケはあのナイキのロゴの由来となっている女神でもあります。
〇クレテス通り
エフェソスの三大通りの一つで、エフェソスの町の真ん中をヘラクレス門(上)からケルスス図書館(下)まで突っ切っているメイン通りです。
大きな石畳が伸びていてエフェソス遺跡を一望できる道でもあります。
クレテスはギリシャ神話の神霊ですが、後にエフェソスでクレテスと呼ばれた聖職者にちなんでこの名が付けられたと言います。
大理石と一部石畳で覆われている道の下には、下水路、飲料水路、温暖パイプが巡らされています。
〇トラヤヌスの泉
クレテス通りに面して建つ2階建てのこの建物は、102~114年にティベリウス・クラウディウス・アリスティオンとその妻によって女神アルテミスと皇帝トラヤヌスに捧げる為に作られた泉です。
エフェソス遺跡の中で最も素晴らしいモニュメントの一つです。
20×10mの泉の3面を9.5mの柱と彫像が並んだ2階建ての外壁が囲み、水が注がれる泉の真ん中には地球を踏んでいるトラヤヌスの足を乗せた台座があります。
ここで見つかった外壁のギリシャ神話の神々や皇帝家族の彫像は現在エフェソス博物館に収蔵されています。
〇丘の上の邸宅(テラスハウス)
クレテス通りを下っていき左側、ハドリアヌス神殿の向かい側にて坂を利用して幾つかの邸宅が段々に作られています。
3000平方メートルの広さの中に3つのテラスがあり、6軒の家がそれぞれくっついた形で建てられており、一番古い家は紀元前1世紀のもので、これらはローマ人の裕福な家族によって7世紀まで使われていたと考えられています。
この家々の中央には中庭があり、二階建ての家の床には素晴らしいモザイク、壁にはフレスコ画が残っています。
また、お風呂や暖房システムが備わっているなど、当時の裕福な家庭の暮らしを鮮明に見ることができます。
1960年より始まった発掘は現在も続けられており、上部は屋根で覆われ、ちょっとした博物館のようになっております。遺跡とは別料金となりますが、一見の価値はあるので是非見学してみてください。
〇スコラスティカ浴場
紀元前1世紀に作られ、4世紀に富豪でクリスチャンの女性スコラスティカによって再建された浴場です。
元々は3階建てで、クレテス通りからと脇道からの二つの入口を持ち、1階が入口から順に脱衣所、プールのある冷却部屋、リラックスできる温かい部屋、最後が発達した暖房システムが供えられたホットルームがあり、2階はマッサージやセラピーやスクラブのために使われていたと言います。
〇ハドリアヌス神殿
皇帝ハドリアヌスに捧げる為に造られた小さな神殿の様な記念碑で、大変状態良く残っています。
コリント式の神殿の入口上部のフリーズには、エフェソス創設の伝説が刻まれています。
ちなみに、この神殿はケルスス図書館と共に、2001年から2009年までトルコのお札の裏に描かれていました。
〇公衆トイレ
スコラスティカ浴場の一部にあるのが古代の公衆トイレです。
三方の壁に大理石でコの字型に作られたベンチには、一定間隔でいくつも穴が開いており仕切りはありません。
ここに市民は横並びに座って用を足していました。
富裕層の市民は、寒い季節は先に使用人に座らせて大理石の便器を温めさせてから座ったそうです。
下水道も完備されており、汚物は便座の下を通る流水で流されていました。
また、便座の前には水路があって、用を足した後は海綿が先に付いた棒でお尻を洗い、前の水路の水で海綿を洗ったそうです。
ちなみにこの海綿のお尻洗い棒は共有で使われていたようです。
トイレ部屋の地中央にはプール、床にはモザイクが施してあるなど当時はとっても優雅だったことがうかがえます。
ローマ人にとってトイレは用を足しながら語り合う社交場でもあったのです。
〇ケルスス図書館
エフェソス遺跡の目玉が、106年に死去したエフェソス知事ケルススのために、息子ガイウスが墓碑として作らせた2階建てのケルスス図書館です。
古代世界の三大図書館の一つで、アレクサンドリアとペルガモンに次ぎ3番目に大きな図書館でした。
当時は1万4千冊が収容されていたと言います。
ケルススのお墓は図書館の西壁の下にあり、この図書館で発見されたケルススの銅像は、現在イスタンブール考古学博物館で展示されています。
〇セラピス神殿
エフェソス遺跡の中で最も変わっているのが、ケルスス図書館の裏にあるセラピス神殿です。
138~192年頃のローマ五賢帝時代の建築装飾が施されている建物の破片があり、発掘の際に発見されたエジプト花崗岩の像と碑文により、この神殿はセラピス信仰者に捧げられた神殿とみられ、そこからセラピス神殿と呼ばれるようになりました。
なお、キリスト教時代には神殿は教会へと変えられています。
〇エフェソス大劇場(円形劇場)
大理石通りの終わり、パナユル山の斜面を利用して作られているのが、遺跡の中でも最も壮大な大劇場です。
ステージはなんと18メートルの高さで、観客席には2万4千人収容でき、古代アナトリア世界で最大の野外劇場とも言われています。
コンサートや演劇だけでなく、宗教的、政治的、哲学的な討論の場として、また剣闘士と野獣の戦いなどにも使われていました。
リュシマコスの時代に造られたこの大劇場は、皇帝クラウディウスの治世31~42年の間に完成までに70年かかる大規模な増築改修工事が始められました。
ちなみに、あの聖パウロがエフェソスを訪れた際にこの工事が行われていたと言われ、聖パウロはここで宣教の演説をした際、エフェソス市民の反乱に遭ったため、エフェソスから離れざるをえなくなったと聖書で触れられています。
【参考ブログ】
以上、エフェソス遺跡について簡単ですがまとめました。
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