技術的に高度化しながらも、軸足が日常域にあって、等身大で付き合えた’90年代のバイクに対して、現在のものは、大きく速くなり、非日常域の楽しみを追求している。バイクはもっと人間に近い乗り物であるべきだと、新旧ZZ-Rは教えてくれる。
【’90s名車列伝】20年という歳月で「ZZ-R」が得たもの、失ったもの ZZ-R1100/ZZR1400比較インプレッション | モーサイ
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200Miles
群馬県を中心に活動するサイクリングコミュニティCycleClub.jp(ccjp)は、関東圏から多くの参加者を集めるクラブライドを活動の中心に、前橋シクロクロスをはじめとしたイベントを何度も成功させ、自転車のまちを標榜する前橋市との信頼関係を築くなど、地元の自転車仲間という枠組みを超えた存在感を示している。そんな彼らが過去2年で2度クローズドで開催した200miles、320km/4300mUPというビッグライドのことは友人であり同じくRaphaアンバサダーを務めるccjpの中心人物の1人、Tkeyから話は聞いていた。僕は自身の最高距離も平坦基調で260km程度が一度あるぐらいで長距離走にも別段興味はなく、半笑いで彼に「自転車好っきゃな〜」と賛辞を送るに過ぎなかったのだけど。聞くところによると、満を持してということかはわからないが、その200milesをオープンなイベントとして開催するという。4人を1チームとして群馬県は前橋からスタートし、平坦を東へ栃木県小山市まで進んだところで北上、日光いろは坂・中禅寺湖を経て、国道日本3位の標高である金精峠の2024mをピークとし、群馬の沼田へ下り、中之条・東吾妻とアップダウンを繰り返し前橋へと戻ってくる320km、獲得標高4300mの道のり。朝3:30のスタートで、完走が認められるのは夜22:00まで。という話を聞いた頃には、なぜか僕も走る流れになっていた。長距離走が自分の関心外だったこともあり、特に走りたかった訳でも無いけど、なりゆきでそうなったら走らない理由は無い。運命が選んだんだ、と静かに受け入れた。走ることが決まったら、それはそれで楽しみだと感じていた。結局は「自転車好っきゃな〜」ということである。
そうこうして決まったチームは、Rapha Japanのヒロ、Onyourmark MAGAZINEのユフタ(もちろんこのライドも記事にしている)、RaphaCyclingClub(RCC)の東京チャプターを牽引する落合さん、そして僕という4人で、ヒロとユフタはCANYON Japanから新作のグラベルバイクGRAILを借り受けていて、オンロードでのインプレッションするという事になっていた。落合さんもまたCANYONライダーだという。チーム3人がCANYONで参加するのなら僕もということで、CANYON Japanのご厚意でハイエンドのカーボンディスクロードUltimate CF SLXを借り受けた。彼らが持つテストバイクのパーツを利用して市販のアッセンブルより軽く仕上げてもらったこのディスクロードは、油圧ディスクにeTapとまさに最先端の装備。僕のクロモリバイクとは対極の価値観で生まれたスーパースポーツは、ディスクブレーキで驚きの7kgちょうどという軽さで、このビッグライドを少しは楽にしてくれそうだった。結果として、このバイクは僕を強く支えてくれることになる。そうしてチーム全員がCANYONにまたがり、Raphaの新作カーゴビブショーツとテクニカルTシャツをチームキットとして身にまとい、プロモーション臭をそこはかとなく漂わせつつ、我らがCANYON//シャカヶ岳チームは準備万端で5月4日午前3時35分にスタートしたのだった。この時には知る由もないが、この日、北関東圏の一部を襲った異常気象は、ちょうどそこを走っていた僕たちを雨、雷、霰、雹、吹雪、氷点下の気温と、気まぐれに様々なカード(もちろん晴れも)でもって翻弄した。最初の試練はスタートしてたったの30分後に天気予報で伝えなかった雨として現れる。未だ明けぬ宵闇の中で弱まることのない雨脚は、徐々に僕たちを削っていくが、とにかく前へ前へとペダルを回していく。ジャケットを雨予報ではなかったけど2000mからのダウンヒルの防寒と万が一の雨に備えてお守り的にRaphaのClassic Rain Jacket IIをチョイスしたのは幸いだった。これもこの日、僕を強く支えてくれることになる。
別のチームと出会って抜いたり抜かれたり、トレインを組んだりして走り続けると、やがて空は白み始めるが、雨雲は厚くなり雷を呼び込み、真夏の夕立のように様相を変えた。最初の平坦路で長い休憩を取る予定は無かったが、雨宿りに入ったコンビニで足留めをくらってしまう。既に全身は水浴びをしたようにぐっしょりと濡れていて、靴にも水が溜まっているような状態だが、ジャケットのおかげで胴がドライなのはありがたい。しかしまだ平坦を70km程度しか走っていない。先はまだまだ長く、ダウンヒル向けの装備が既に濡れていて、窓の外はさながらスコール。これからの旅の困難さに眩暈を覚えていた僕の横で、仲間たちはインスタントラーメンを食べながら晴れたらすぐ乾くだろうと笑っていた。
雨脚が弱まってきたところでリスタート。小雨になったとはいえ雨が降っている状態で自転車を漕ぎ出すなんて、税金を支払いに金融機関に行くぐらいに完全なる億劫でしかないが、日光方面に向かうにつれ、雨は止み雲はちぎれ、太陽が控えめに顔を出してきた。しかし先程のスコールは相当な雨量を広範囲にもたらしたようで、どこまでも路面はウェット。水捌けの良くない路肩は浅い川のような状態。前走者や自身の跳ね上げる飛沫で、体感としては雨の中を走っているのと変わらず、タフな状況はまったく変わらない。既に僕の意識と身体は切り離され、ただペダルを回し続ける機械としての自己を認識することで、かろうじてこのストレスフルな状態に耐え、歩みを進めていたのだが、北へと進路をとる頃には徐々に登り勾配を感じることになる。前半の100kmに及ぶ平坦区間が終わろうとしていた。
日光のコンビニで休憩していた他チームの友人と談笑すると疲れも少しは和らぐが、135km地点のここからピークの金精峠まで50kmほど登り続けることになる。いよいよ山岳コースか、と静かに気合を入れて走り出したのだが、見上げると、僕たちの進む道の先には黒々とした雲がかかっている。山頂は全く見えない。誰も何も言わないが、あれはどうみても雨雲、むしろ今日これまで雨を降らせてきた雲よりもどす黒く、嫌な予感しかしないが、雨が降っていないとそこそこ暖かく、このあたりは例のスコールが降っていなかったようで路面も乾いており、久しぶりにストレスを感じずにペダルを回すことができるので、僕は意識的に無意識を操作して前方の暗雲を消し去ることにした。そうして淡々と登り続けると、すぐに日光東照宮を超え、いろは坂へとさしかかる。チームメイトは皆ジャケットを脱ぎTシャツ姿だ。思えば、この日ここだけがチーム4人が揃ってチームキットを見せることができたタイミングだった。とても短い時間だったが、かっこいいと思った。本当はずっとTシャツ姿でいるつもりだったんだけど。
連休中ということもあり、車もとても多いが、いろは坂は2車線の一方通行で交通量が多くても比較的登りやすい。とにかく負荷をかけずに淡々と。それなりにヒルクライム的な気持ちよさを感じていたところ、ふと顔に水滴がかかると、僕が操作した無意識はあるべき場所へと立ち戻り、残された意識はすぐさま状況を判断する。気づけば周りは真っ暗だ。見上げていたあの悪意すら感じる色の雲に飛び込んだ格好だ。すぐに雨脚は強くなる。せっかくなんとなく乾いてきたウェアやシューズがまた濡れるのかとうんざりしていると、早々に本降りになりそうで慌ててレインジャケットを着る。チームキットのTシャツはまたおあずけだ。
15分後、山頂あたりで雨脚は弱まった。他チームも山頂に設けられた駐車場で休憩をしている。苦しそうな顔、色んな感情が混ざった無表情、伏し目がちで立つ姿、様々に入り交じっているが、そこに笑顔はない。そりゃそうだ。気まぐれに降った、たった15分程度の強い雨でまた濡れ鼠にされ、残りは150km以上ある。あんな短時間に強く降るならせめて僕たちが居ないタイミングでやってくれという話で、ここでヘラヘラしてるヤツなんてネジが一本飛んだと表現されるような人間だ。幸い、チームメイトもそれなりに渋い表情をしているし、僕もそうだ。思いっきり渋い顔をしてやった。皆無言だが、その表情から様々な感情を吐露している。誰も口を開かない。ここで弱音を吐く意味が無いことは皆理解していたし、何を言おうが今ここにいるのは自分の判断で、天候なんて誰の所為でもない。誰も何も言えないから、一様に無言で、吐息で毒を吐き、表情で文句をたれる。それぐらいは許してくれ。
ここは頂上に見えるのだか、ここから下るわけではなく、標高1,250mあたりの中禅寺湖を横目に少しばかりの平坦を走り、いよいよ本日のピーク金精峠へと向かう。この後はコンビニ的なものはしばらくないと言うので、中禅寺湖のほとりにあった小さな商店で補給をすることにした。気まぐれな天気はここで晴れ間を見せ、雨の中でカップラーメンやおにぎりを食べるなんてバカバカしいことにはならなかったが、身体は冷えている。僕は身体の中から暖めるイメージでカップヌードルのカレーと豚キムチ丼を選択した。少しでも暖かいところへと日が当たるところで皆で座って食事をするが、弱音のようなものは出てこない。僕たちにとって暖かい食事と太陽というのは太古の昔からいつだってそういうものだ。
腹が満たされ、太陽に暖められると、なんとなく走り出そうという気持ちになるのだから不思議なものだ。さっきまで努めて渋い顔をしていたというのに、冗談なんか言って笑い合えるようにもなったりする。ここはちょうど半分ぐらいの地点。思ったよりも身体に疲労はなく、このまま天気が良ければと空を見上げるが、太陽は厚い雲の切れ目から顔を出しているだけであり、山岳というのもあってどうにも楽観的ではいられない。むしろ厚く複雑な形をした雲が浮かぶ空はもう一雨ぐらい持ってきそうに見えてしまう。それはまるで、お気に入りのシャツにいつの間にか付けてしまった染みのように、僕の心には気づいたら不安がこびり付いていて、指でなぞっては、もう取れないことを確認するような作業だ。そんなネガティブな気持ちと休憩明けの重い脚で中禅寺湖のほとりを進むのだが、路面は乾いておりストレスなくペダルを回すことができる。そうそう、これこれ。このまま後半戦を進めていこうよ、と心の染みに向かってつぶやいてみるが返事は聞こえない。高地の気温は低く、乾ききらず湿ったままの靴は足先を冷やす。香辛料をもってしても足先までは温まらないし、むしろ体温もいまいち上がらないが、いよいよ本日の最高点の金精峠へのヒルクライムがスタートする。分かれ道を右へ進路をとると、すぐに勾配が強くなった。ゴールを探し空を仰ぐように見上げるとただ真っ白な雲の中へと道は続いていくのだった。
ところで、さきほどから小さくヘルメットやカーボンフレームを叩く音がしていて、それは金精峠を登るにつれて降ってくる雹とも霰ともつかないものが僕を打ち付ける音だ。マイペースで登ろうと序盤でチームからあえて遅れたが、この天候に心はバキバキに折られている。サイコンが示すパワーの表示は150W程度だ。軽量級の僕とは言え、こんな省エネルギーで登れるわけはなく、その歩みは亀のように遅い。僕はふたたびペダルを回し続ける機械と成り果て、一切の感情を持たずに登り続ける。そうだ、僕がいま、こんな天候でこの峠を超えていることに意味なんてないし、ただWahooのサイクルコンピュータが塗ったルートをトレースしているだけで、むしろ僕はサイクルコンピュータの一部で、パワーメーターが示す値の通りに僕の脚が回っている。それは僕の脚が150Wの出力をしているのではない。パワーメーターが150Wと僕に指定しているのだ。電子機器に支配されたサイクリストはいつのまにかパワーメーターに乗っ取られ主従関係が逆転していることに気づかず、今日もこうしてディスプレイに示された値を視覚から入力し、それを自らの脚で出力しているだけに過ぎない。
という状況に至るまで感情を身体から切り離したところで、ピークの金精トンネルが見えてきた。チームメイトが雹とも霰ともつかないものから逃れるようにトンネルの入り口にいるのが見えると、感情が一気に戻ってくる。待たせてごめん。さっきまでパワーメーターに乗っ取られていたんだ、とは言わなかったが、お互いにこの苦しいヒルクライムをクリアしたことを称え合い顔が綻ぶ。やはり孤独はだめだ。仲間がいればパワーメーターに乗っ取られることなんてなかった。さぁ、このトンネルをくぐればあとは30kmにも及ぶダウンヒルで、ご褒美的に一気に210km地点まで気持ちよくワープできるのだ。この下りこそディスクロードの本領を発揮するところ。いつもより安全に気持ちよくダウンヒルを楽しめるだろう。そう思いリスタートした。前方のトンネルの出口が近づくにつれ、僕たちは違和感を覚えだす。色がおかしい、あまりにも白いのだ。その色に「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」なんて昭和初期の小説の冒頭が思い浮かぶが、彼は列車に乗っていたはずで、僕たちは自転車だ。このトンネルを抜けた先に美しい物語の始まりはなく、地獄のダウンヒルが待ち受けているだけだった。
トンネルの出口からその雪国とやらにつっこむと、完全に吹雪で気温はマイナス2度を指している。ニーウォーマーもなく、ペラペラのグローブはすぐに氷結した。少しでも体温が上がるかとペダルを回すが、膝に電気のような痺れが走ったので止めておいた。ここで選択を誤ると、とんでもない故障をしてしまいそうな気がする。指先も足先も痺れるような痛みがあるが、油圧ブレーキはこの極限状態でも優秀で、安全なスピードをキープすることができる。すぐに山小屋が見えてきたので退避する。もう限界だ、これ以上どうして下ればいいというのか。まだ山頂から3kmしか下っていない。時間にしても5分も経っていないと思う。ずぶ濡れの身体がガタガタと震え、手足の痺れと痛みが取れることがない。チームメイトが暖かいコーヒーを買ってきてくれ、山小屋の方がストーブを付けてくれたので、なんとか震えは収まってくる。
寒さ耐性というのは個人差があり、僕は昔から冬に痩せて夏に太る体質が示すように、寒さが苦手で暑さが得意である。こういう極限状態を経験するまでは寒さも暑さも趣味嗜好かと思っていたが、低体温症になった経験もあり、どうやらそういうことのようだ。以前にシクロクロスのレース会場で低体温症になり救護された時と比べると、レインジャケットを着ていることによって胴が濡れていないことで相当に冷えは軽減できているように思えた。先が見えない状況だが、いつまでもここに居るわけにはいかない。吹雪は収まりそうになく、標高が100m変わるごとに気温は0.6度変わるというので、今が1番辛いんだと言い聞かせ、山小屋のお土産物として売られていた群馬県のゆるキャラ、ぐんまちゃんが描かれた手袋を買い、チームメイトと吹雪の中に飛び出して凍りついた自転車にまたがり重力に任せて下り始めた。サバイバルの鉄則は現地調達だ。新しいグローブをゲットして少しは楽になるだろう。
山小屋で取った暖は一瞬で消え去り、地獄のようなダウンヒルが続く。子どもの頃に読んだ絵本のようなもので、様々な地獄出てくるお話があったのを覚えていて、その中に灼熱地獄はあったが、逆のものはなかった。これからは極寒地獄も追加するべきで、なぜならここは地獄のようだからだ。すでに知覚が鈍っていて痛みのディティールを感じることは出来ないが、身体のあらゆるところが痛い気がする。手足は先程まであった痺れを伴う痛みを感じなくなったが、それは感覚が無くなったということだろう。得意の無意識を発揮して、何も感じずに下るだけの機械になることが出来ればいいのだが、あまりにも僕はそこで人間だった。ここでパンクしたら死ぬだろうなと思った。ましてや落車なんか。5月の装備でマイナス2度の吹雪で走行不能になったら死ぬに決まっている。チームメイトの命だって危険に晒してしまう可能性もある。そんな人間的な考えばかり溢れてくるが、そのぶん意識は冴えてくる。感覚がなくても油圧ブレーキはしっかりと仕事をしてくれるので、危険を感じることはなく、パンクのリスクがありそうなところを避けたラインを取ることができた。自転車を借りて本当によかったと心の底から思った。心の底というのはこの深さにあるのかと自覚したほどに。これまでディスクロードに対して特に必要性を感じていなかったけど、とにかく安全でいるということに関しては圧倒的だった。5月に氷点下で吹雪のダウンヒルなんてあまりに極限状態であることは確かだが、それでも油圧ディスクブレーキがもたらす安全マージンはかなりのものだ。しかし身体は冷え切っている。もう限界だと何度も思ったが休めるところはなければ話にならない。ふと先にリフトが見えた。どうやらスキー場があって休憩できそうだ。ここまで10kmで約15分。永遠のように長かった。
ガタガタと震えて建物に逃げ込む。5月ということもあり暖房はあまり効いておらず、灯油のストーブみたいな暖を取るものもない。激しく震える身体と、おぼつかない手元で凍結したグローブと靴と靴下を脱ぎすてた。全身びしょ濡れだが、スキー場の食堂だけあって気兼ねなく座れる感じの椅子なのは助かった。暖かい飲み物や蕎麦をかきこむ。空腹ではなく、温度に飢えていた。なかなか回復しないが、それでもここにいれば大丈夫だと実感する。実際にここに入ってきた時よりも震えは小刻みになっているし、なんとなく、これから先のことを考えたりもする。今は約190km地点。残りは2,000mほどの獲得標高となるアップダウンを130kmほどとなる。そして、僕はふと「次、雨が降ったらもう帰るから」と口にした。何度も心は折れそうになったし、パワーメーターに意識を乗っ取られるなど実際に折れたこともあったかもしれないが、諦めた訳ではない。だけど固執はしていない。こんな連休の遊びのライド、いつでもリタイアすればいいと思っていたし、退路をつくるのも役割かなと、くらくらする頭で考えたはずだけど、チームメイトはそれでも果てしなくポジティブで、その時、僕たちは完走するんだなと思った。ほうぼうの体で吹雪から逃げ、低体温に震え、手も足も感覚なんて全くなくて、それでも僕はここでそう確信したんだった。この苦痛の先になにがあるかはわからないし、栄光なんて確実にない。だけど、こいつらと、このクソみたいな状況で前しか向かない連中と、やりきってみたくなったんだ。今日やろうとしたことすべて、ひとつのこらずだ。
ようやく回復したと感じる頃には1時間も経っていた。その頃には吹雪も止んでいて、なんて運のない日なんだろうと苦笑いする。なんとなく暖かくなった気がする下りを進むと、ほどなく雲は予めそうであったかと思わせるほどに、一片も残らずに消え去り、このライドではじめて見る晴天となる。さっきまで震えていたのが嘘のようだし、馬鹿みたいだ。いつも、いつだって意味のあるように見えるものは、あっけなく消え去って、結局は何も僕たちにもたらすことはない。でも、だけど僕たちはこんなにも青い空の下で、行き先なんてどうでも良くなるのかもしれないし、なるようにしかならないのかもしれないが、つまり自由だということなんだ。
群馬県の沼田まで降りきって久しぶりのコンビニで補給すると、参加者の連絡用のメッセンジャーにリタイアの連絡が飛び交い始める。そうか、そうだよな。だってあんな地獄で、そこに何を見出せるというのだろうか。いや、無い。そこにあったのは、ただ、この青空のように底抜けに明るいチームメイトのことばだけだった。もし君のチームにそれが無かったなら、残念だがそのリタイアは決まっていたことだったんだ。それは僕たちが生まれた年月日で、運命が予め決められているように語るほどに、なんら意味のあることではないし、そんなものは道化師か占い師に任せるしかないのだから。
コンビニの駐車場で大の字に横たわって感じる。太陽の暖かさを、その恵みを。僕の細胞に葉緑素があったとしたら、きっと光合成はこんな気分だろう。僕の肌を焼く陽光を、こんなに全身で待ち望んだことはなかった。靴下を雑巾のようにしぼり、レインジャケットを脱ぎ、僕は今日ここにまた生まれる。残りは110kmだ。もうなんの迷いもない。あの時に交わしたことばのとおりだ。だから、ここから先の全てを僕が引き受けよう。この先で何が起きても、その事実に誰の心が折れたとしても、僕の真実で、その事実を捻じ曲げよう。もう僕は無意識を操作したりはしない。さぁ共に進み登ろうぜ。リタイアした彼らを指差す腰抜けどもに、勇敢な彼らの証人となる為に、じき訪れる宵闇に向かって走りだそう。登りきった先に何も見えなくたっていい。
そうして僕たちは進みだした。それから、いくつもの苦しい登り坂があり、同じだけ下り坂があった。気づけばもう真っ暗だ。太陽が登る前に走り出し、果たしてその太陽は再び地平線に沈んだ。ひたすらに前を引くヒロの背中に僕たちのライトが光を落とす。彼が着るジレは、まるではためく旗のようで、そこにはあのロゴが見える。あぁ、そうだった。いつだってサドルの上で僕たちに多くのもの、それは、発見であり、学びであるし、多くの気づき、または苛立ち、諦め、哀しみ、喜び、畏れ、感動、妬み、あるいは愛情かもしれないし、おそらくこの世界のあらゆる感情だった。そして、僕にとってそれはいつだってRaphaという文字列の延長線上だった。光を追い抜いて消えてしまいそうなヒロの背中を追い続ける。やがて僕たちは街に降りていく。22時の制限時間に間に合うのかと考えたりもするのだが、僕にとってそんなことはもはや些細な事象に過ぎない。ただ太陽が動き、時間が過ぎただけで、それ以上でも、それ以下でもない。
見覚えのある前橋の街並みを走っていた。やっとここに帰ってきて、それは長い長い旅路の終わりだった。幸福を求めた少年が世界の素晴らしさに気づいたその時にスプーンの油をこぼしてしまったように、果たして僕たちはゴールした時に何かを見出すのだろうか。スタートして最初に曲がった交差点を逆に曲がる。みんなが待っていた。それもそのはずだ、僕たちは21時58分にゴールしたのだから。走行時間は18時間24分。チームメイトと肩を組み、皆で破顔する。ありがとう、ありがとう、こんなにもクソみたいな1日は人生で初めてだ。バカヤロウ、ファック!本当に最高だし、同時に最低でもあって、やはり全ての感情がここにはある。それを言語化なんて到底出来そうにもないし、チャレンジすることも愚かなことかもしれない。でも、こうして書き残そうと思ったんだった。もし君がスタートする時のために。どこか遠くへと乗り出すその日のために。その時、僕たちがどこにいるのかは、まだわからない。
10日ほど経って、未だに痺れが残る指先でこの文章を書いている。あれ以来、自転車には乗っていない。いま振り返ってもやはりこのライドの核心は氷点下の金精峠のダウンヒルだ。あまりにも不安定な天気はおそらく1時間早かったら、または遅かったら表情を変えていただろう。しかしあの日、多くのチームが地獄の時間にそこを下っていた。スキー場で会った他チームの友人もみな憔悴しきっていたのを覚えている。あらためていま、参加者の連絡用のメッセンジャーを見て、リタイアの文字が飛び交う様を見て、涙が出そうになった。わかる。ここでリタイアを決意する気持ちは痛いほどわかる。人の想いは良し悪しを問わずに伝播する。もし僕があの時、次に雨が降ったら、と言わずに、今すぐ帰る、と言っていたら。誰かひとりのその判断は諦めではないし、弱音でもない。あの日、あの時、あの場所であの状況なら至極真っ当なものだ。僕もそう言われると否定せず、もう辞めようか、と思ったかもしれない。だからこそ僕は、底なしにポジティブなチームメイトたちに本当に感謝し、尊敬する。僕はこの過酷な環境で、それでもここに立つことになった運命を信じ、その輪を回し続けるために、次に雨が降ったら、と話したとき、こう返してくれたことを。「じゃあ、もう雨が降らなかったら?」
結局、雨は降らなかったし、その光はいつだって眩しかった。
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CHAPTER2 ローンチ開催 ブランド2作目のエアロロード REREをインプレッション
CHAPTER2 ローンチ開催 ブランド2作目のエアロロード REREをインプレッション
かつてニールプライドバイクを率いたマイク・プライド氏が興した新ブランド CHAPTER2より新作のエアロロード「RERE(レレ)」が登場。ラファ東京で発表会を開催した。2作目となるバイクの概要プレゼンと緊急テストライド・インプレッションをお届けする。
左からマイキーことマイケル・ライス、マイク・プライド、クリス・ヤング photo:Makoto.AYANO
ボリューミーなエアロフォルムを纏ったブランド2作目となるニューモデル「RERE」とともに、CHAPTER2(チャプター・ツー)代表のマイク・プライド氏も来日。18日夜、東京・北参道のRapha Tokyoでプレゼンテーションが行われた。
CHAPTER2 RERE photo:Makoto.AYANO
REREとはマオリ語で”流れ”を意味しており、エアロダイナミクスを突き詰めたモデル。マオリとのハーフであるマイク氏のアイデンティティを表し…
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「PREMIUM BIKE IMPRESSION 2018 vol.2」が開催されます - 神宮外苑で国内外のスポーツバイクを思う存分乗り比べ!
「PREMIUM BIKE IMPRESSION 2018 vol.2」が開催されます - 神宮外苑で国内外のスポーツバイクを思う存分乗り比べ! #スポーツバイク #試乗会 #神宮外苑 #乗り比べ
見てるだけだけれど、今の自転車(スポーツバイク)は、めざましく進化しているね。
軽量化を始めとして、様々な部品の強度も高くなっているし・・
スタイルも抜群に良いものね。
神宮外苑で国内外のスポーツバイクを思う存分乗り比べ!「PREMIUM BIKE IMPRESSION 2018 vol.2」開催
好評につき今年2回目の開催が決定!国内外のスポーツバイクが集結する大試乗会。
株式会社エイ出版社
PREMIUM BIKE IMPRESSION 2018 vol.2
株式会社エイ出版社(本社:東京都世田谷区、代表取締役社長:角謙二 以下「エイ出版社」 ※社名の「エイ」は木へんに世)は、『BiCYCLE CLUB』と『BICYCLE PLUS』の自転車専門誌2誌による自転車イベント「PREMIUM BIKE IMPRESSION(プレミアム・バイク・インプレッション) 2018…
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「PREMIUM BIKE IMPRESSION 2018 vol.2」が開催されます - 神宮外苑で国内外のスポーツバイクを思う存分乗り比べ!
「PREMIUM BIKE IMPRESSION 2018 vol.2」が開催されます - 神宮外苑で国内外のスポーツバイクを思う存分乗り比べ! #スポーツバイク #試乗会 #神宮外苑 #乗り比べ
見てるだけだけれど、今の自転車(スポーツバイク)は、めざましく進化しているね。
軽量化を始めとして、様々な部品の強度も高くなっているし・・
スタイルも抜群に良いものね。
神宮外苑で国内外のスポーツバイクを思う存分乗り比べ!「PREMIUM BIKE IMPRESSION 2018 vol.2」開催
好評につき今年2回目の開催が決定!国内外のスポーツバイクが集結する大試乗会。
株式会社エイ出版社
PREMIUM BIKE IMPRESSION 2018 vol.2
株式会社エイ出版社(本社:東京都世田谷区、代表取締役社長:角謙二 以下「エイ出版社」 ※社名の「エイ」は木へんに世)は、『BiCYCLE CLUB』と『BICYCLE PLUS』の自転車専門誌2誌による自転車イベント「PREMIUM BIKE IMPRESSION(プレミアム・バイク・インプレッション) 2018…
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【最新自転車パーツの現在地 【日泉ケーブル】Vol.2】 - ファンライド : http://funride.jp/serialization/new_products1_nissen_2/
2018年08月18日
{{写真 1 : 「日泉ケーブル」ドラム }}
問題……
ひとりのメカニックが、異なるメーカーのフレームを、同じ部品で自転車を組みました。しかし、ブレーキも変速レバーの操作感も一緒になりません。また、同じフレームなのに、フレームサイズが変わるとコントロールレバーの操作感が違ってしまう。その理由を答えなさい?
{{写真 2 : 佐土谷氏 }}
答え……
ワイヤケーブルの質、ルートの取り回しが違うから。
日常的にケーブルワイヤについて考えている人は滅多にいない。自転車屋さんやプロのメカニック、それとメーカーの人ぐらいなものだろう。そして、「ケーブルにも考え方がある」と、日泉ケーブルの佐土谷さんはいう。前編は {{ こちら : http://funride.jp/serialization/new_products1_nissen_1/ : http://benediktine.tumblr.com/post/177226291701/ }}
■《ライダーの意思をバイクにスムーズに伝える》
菊池―― 佐土谷さんの考える“いいケーブル”ってどういうものですか?
佐土谷――― 最近のバイクって、ケーブルの取り回しがキツいものが増えているんですよ。
菊池―― エアロ系のバイクはアクロバチックなのもありますね。
佐土谷――― だから、軟らかいけどコシがあるモノじゃないとダメだと思うんです。
菊池―― しなやかさが正義というか、高級品だと思っている人は多い。でも、昔、CLBというメーカーがアルミ製アウターを作っていましたけど、あれはフニャフニャでまるでダメでした。
佐土谷――― そうなんです。適度なしなやかさが大切。ちなみに我々の“ウルトラライトブレーキケーブル”はCLBを参考にし、現在の基準に合わせて製品化したものです。
菊池―― あのアウター、しばらくタンスの肥やしにしてました。
佐土谷――― ライナーや素線(ワイヤーケーブルを構成する金属線)の太さや硬さに工夫を凝らして、現在の基準に沿うようにしました。
菊池―― どれくらい軽いんですか?
佐土谷――― 鉄製アウターが2メートルで115g。うちの軽量アウターは55gです。
菊池―― 軽量マニア殺し。
佐土谷――― ただ、引きの軽さは変わらないのですが、アルミ製なので鉄やステンレス製よりも耐久性や剛性感は劣ります。
菊池―― 軟らかいから。
佐土谷――― ええ、そうです。軟らかいと剛性感は落ちますが、適切なインナーケーブルを選べば、引きは重くなりません。
菊池―― 適切じゃないと……。
佐土谷――― たとえばインナーが硬いと、ケーブルがアウターケーシングに押しつけられて、引きが重く感じます。
菊池―― 対で使うなら、対で設計されたモノをってことですね。
■《現在、最高の性能を発揮するインナーケーブル》
{{写真 3 : 滑らかで剛性感のあるタッチで絶大な人気を誇るニッセン プレミアムブレーキケーブルセット(左)、SP31スペシャルステンレススチールインナーケーブル(右) }}
菊池―― インナーケーブルといえば、日泉ケーブルのSP31ですよね。とても評判のいい製品ですが、どういうところがいいんでしょうか?
佐土谷――― 簡単に言えば、しなやかさとコシを両立して、摩擦抵抗が少ない。
菊池―― 構造、違いますよね?
佐土谷――― はい。SP31はその名の通り、31本の素線からできています。
菊池―― 普通はどれくらいなんですか?
佐土谷――― 一般的なモノは19本です。こちらが素線をバラしていったものです。
{{写真 4 : ウォーリントン撚りを採用し、理想的なしなやかでコシを実現 }}
菊池―― 複雑さが全然、違いますね。
佐土谷――― インナーケーブルの構造をつぶさにみていくと、普通のインナーケーブルは中心にある芯線があって、それを6本の素線が覆うように重なり、さらにもう一層12本で覆います。1+6+12で19本。うちのSP31はさらに12本の層があります。
菊池―― ウォーリントンでしたっけ?
佐土谷――― ええ、素線��太さが異なるウォーリントン撚(よ)りです。素線の太さが同じだと接触部分が点接触になってしまうけど、素線の太さを変えて密度を上げると線接触になるので、耐摩耗性が向上すると同時にしなやかさも出る。SP31は19本よりも10%ほど強度が高くなっています。
菊池―― 目で見ても分かりません。
佐土谷――― 違いは100分の2㎜程度ですから、目では分からないですね。ほかにも耐荷重性能もいいですし、SP31は初期伸びを抑えるためにプレテンション加工もしてあります。ケーブルの表面を削り真円に近づけるスリック加工、さらに特殊なコーティング(電着コーティング)をしています。そのため単なるスリック加工したものやPTFE(テフロン)コーティングよりも低摩擦となっています。
菊池―― 表面だけじゃなくて、構造から違うってことですね。インナーケーブルを切っていて思うのは、切断した後にバラけちゃうヤツと、そうでないモノがある。
佐土谷――― うちの製品は成形する前に素線に処理を施しますので、カットしてもばらけたりしません。そういう処理をしていないと、切った後に素線が開いちゃう場合があります。
菊池―― 重量を別にすれば、素線は多ければ多いほどいいですか?
佐土谷――― いいえ、そんなことはありません。昔、素線49本というインナーケーブルがありました。でも、素線自体の強度が低いので、1本切れ始めると連続して切れてしまった。あくまでもバランスが大切です。
菊池―― 強度と言えば、JISなどの規格もあるんですよね?
佐土谷――― ええ。インナーケーブルの強度に関してはJISのD9414という規格がありまして、一般車は1500N、スポーツ車は2000Nまで破断してはいけないとなっています。ちなみに日泉ケーブルの社内基準は2400Nです。
菊池―― 2割も強いんですね。
佐土谷――― うちのインナーケーブルは、特許の関係もあって台湾のメーカーさんにお願いして作ってもらっています。海外のメーカーとやりとりするときに気をつけないとイケナイのが製作公差です。もし2000Nに設定すると下限は一応2000Nですが、ばらつきもあるのでそれ以下の製品も出荷される可能性があります。なので、うちは2400Nを下回らないようにお願いしています。
菊池―― 実際にはどれくらいの負荷がかかるんですか?
佐土谷――― それはブレーキの設定や減速力、レバー比などによってもかわってしまうので、一概にこれぐらいという数値は出せません。だた、握力によっても違いますが、1000Nぐらいだと思いますよ。
{{写真 5 : コンポメーカーの純正品を超える高性能インナーケーブル }}
{{写真 6 : 縦横にインナーケーブルをしごいて馴染みを出す治具 }}
■《適正な頻度で交換し、最高の性能を手にしてほしい》
菊池―― ライバルメーカーの製品をみるとき、どこを最初にチェックするんですか?
佐土谷――― えっ。そうですねぇ、シチュエーションによっても違いますが、見たいのは伸直性です。袋から出して、ニップル部を持って垂直に垂らす。丸めて袋詰めされているので巻き癖がついてしまうんですけど、それを排除した状態でインナーケーブルが真っ直ぐなのかは気になります。曲がっているということは、それだけで抵抗です。
菊池―― 巻き癖……。
佐土谷――― だから、自分のバイクを組み付けるときは半日から1日は真っ直ぐな状態で放置していただきたいんです。そうすると巻き癖が取れて、スムーズなワイヤリングになる。カットしたインナーを挿入する際にライナーを傷つけないようにするとか、小さなことの積み重ねが高性能を生み出すんです。
菊池―― 面白いけど、結構、深掘りしちゃいましたね。ところで、インナーワイヤの寿命って、どれくらいなんですか?
佐土谷――― 正直に言えば、一概には言えないです。ユーザーによって大きく異なります。ブレーキングの回数や強さ(スキル)、体重やメンテナンス頻度によっても負荷が大きく違う。
菊池―― でも、目安はありますよね?
佐土谷――― 3000~5000㎞です。アウターはいいとして、インナーはそれぐらいの頻度で買えていただいた方が調子がいいでしょう。
菊池―― もし、金に糸目はつけない! 毎回交換でも問題ないけど、とにかく最高の性能で乗りたい! って人がいたら、毎回交換ですか?
佐土谷――― いえ、そんなことはないです。部品と部品を繋ぐシステムの一部なので、馴染むというのも大切な性能の1つです。
菊池―― 馴染みを出す目処は?
佐土谷――― 新品交換後に平坦路は100㎞。峠だったら50㎞ぐらいで再調整をしてみて下さい。
菊池―― 次はSP31を使った後に、アウターケーシングの話を伺いに参ります。今日はありがとうございました。
(おわり)
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こんなユニークな商品も!
{{写真 7 : 組紐アウターケーブル }}
京都・宇治市の「昇苑くみひも」は長年、組紐を作っている。この京都の伝統工芸と大阪・岸和田市の日泉ケーブルがコラボして「組紐アウターケーブル」というユニークなアウターブレーキケーシングを製作(ブレーキ用のみ)。
“絹糸(100%シルク)で表面を編み上げました。外径は標準的なブレーキワイヤーと同じ5mmに仕上げています”
桐箱に納められている豪華・貴重な一品。こんなアイデアも受け入れることができる、なんとも柔軟な企業だ。
豪華定尺版は1ケース税込16,200円、送料含(2018/8/18 時点の在庫状況は、イタリアン柄(2種類) フレンチ柄(2種類)の計4種類でそれぞれ2セットずつのみの在庫)少数限定生産のため品切れとなる場合があります。
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関連URL:日泉ケーブル株式会社 https://www.nissen-cable.jp/
●著者プロフィール
菊地 武洋 きくち たけひろ
自転車ジャーナリスト。80年代から国内外のレースやサイクルショーを取材し、分かりやすいハードウエアの評論は定評が高い。近年はロードバイクのみならず、クロスバイクのインプレッションも数多く手掛けている。レース指向ではないが、グランフォンドやセンチュリーライドなど海外ライドイベントにも数多く出場している。
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